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何をするにも”世の中がこれではどうしようもない”と思うことが多く、今のように追い込まれた時に知事が何と言うか、メディアが何を言うか、日々それらに翻弄されたり落胆したり話題にこと欠きません。人々も影響を受けていて、日本なりの個人主義は人を尊重しなくなりました。そこに生業があるから褒めることや立てたり忖度したりしますが、上下関係や利害関係がなくとも成り立つ信頼関係がどんどん減ってきていて、純粋に人のために動いている人が追い詰められたりしないことを祈るばかりです。コロナ禍は、自分を守るために自己主張する人を露わにしました。感染が広がるのは行政のせいだと言う理屈が知事を追い詰めているようですが、知事が思っているほど人々にリスペクトもされていないことを知るべきです。「社会不安、社会危機を解消するため、個人の自由を大きく制限することがある」などと国民や県民の自由をなくすべきだと言った大阪知事はもはや危険です。県知事は県民を尊重していかに守るかが仕事のはず。県民の自由を奪うように国に進言するのは勘違いも甚だしいと思います。明石市長が「大阪府知事は有害だ。自分が病床確保をしていないのに、それを国民に転嫁して『私権制限する』とは政治家の責任放棄」と反論しました。都知事は「徹底しておうちで、東京から出ないで、東京にもいらっしゃらないで」と、いつまでたっても上から目線で子供相手に発するSNS程度のことしか言っていません。言う権利のないことを発するとすべてに逆効果だと思います。都庁職員や自分も外出をやめて、自分も自由を奪われてみてから言って欲しいです。緊急事態宣言解除の目安は東京の感染者が100人以下だと医師会会長が言いました。今年初頃は500人が解除目安でしたが、変異種で100人が目安では解除はありません。これまでも書いてきましたが、医師会の立場は国民を戒めることではなく、どのように治すか、病床や従事者などの体制をどうとるのかを考えることです。医療を保つために感染するなと言うのは、警察が被害に遭うなというのと同じで、国の医療を守る役割が保てず、矛先を国民に転嫁しているように感じます。このようなことを見るにつけ、タレントのように日々テレビに出続ける医療関係者は、コロナ禍の不安をずっと発信し続けることで生業を得ているように見えます。一方で「コロナとの共存」を訴える医師もいます。「新型コロナ対策に過剰に追われる必要はない」「新型コロナの対策は、死亡者を減らすという一点に尽きるはずです。」「一生に一度は誰もが感染すると考えて新型コロナと向き合うべき」そもそも「コロナ禍」とは人がつくりだしている部分が多い災難です。人への批判は一切要らないし、感染者を増やすにも減らすにも、「人の力ではどうしようもできない「自然の理」と捉える姿勢が肝要」で、真面目に言われたことを守っているあまりにもたくさんの人が気の毒です。
2021.04.29
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緊急事態宣言が始まり、なぜか公園も駐車場は閉鎖されました。公園に行く人が不要不急で遊んでいるとは限らないです。GWと言うのに他府県に出ず遊園地などテーマパークも無観客でという意味不明な要請では、最終的には公園に行くくらいしかありませんが、それも徒歩で行ける所に限られるのです。緑が本当に綺麗で今だから行きたいのが公園です。変異株の感染力が凄まじいから知事会が国に要望する内容が出ました。①国民に危機感を伝え、行動変容を促す②大型連休中は感染拡大地域からの帰省や旅行を控える③旅行のキャンセル料を国が全額負担する④変異ウイルスについては、検査費用や人員確保、試薬の配分などの道筋を具体的に示す①②は緊急事態宣言が出たら控える人はすでに控えています。③の補償はあったほうがいいですが、知事が国になぜ上から言うのか疑問です。④はもともと各自治体が行うことです。結局、知事側はこれ以上続くと自治体は財政的に厳しいと言うことが窺われます。吉村洋文知事は「変異株の感染拡大力はすさまじい。既存のものとは違うという理解で対策を考えなければいけない」と訴えたそうです。以前は大きなことを言ってリーダーシップをとっていましたが、いざできない状況になった途端に国に責任を投げ返しているよう感じます。有事と言われる今、自分も含めて戦争を経験した人は日本には少なくなり、自由や平等を奪われたりしても皆仕方ないと言いながら耐えている姿が見られます。しかし、見えないところで不満を抱えているはずです。これがデモや反乱などひとつの大きな勢力にならないのが日本の特徴です。無観客での開催を指定されているスポーツやテーマパーク、特にテーマパークは、放映権を持ったライヴ配信、メディアによって上映することが勧められています。従来は生で観ることに醍醐味を感じられたものも生で見ない習慣が広がります。これはVRの普及にも繋がり、現地に行かなくて同様の体験ができるようになります。このような未来予想を政府を超えて企てる人がいることを感じます。現場で働く接客業が減っていくこと、接客はクレーム対応すらAIが行うようになります。自動運転により事故はなくなり、資産や体調、行動まで管理されるようになります。コロナ禍で起きていることは、この未来予想に向けてすべて有効に当てはまるのです。先のことは米国の株価にも反映され、このことに絶対的な自信を持っている人がいます。ただ、方向転換を強いられたり、借金が大きく増えた人など犠牲者も多く、夢を打ち砕かれる若者も多いのではないかと想像します。格差が広がるうえその差を埋めることは難しく、さらにインフレが予想されます。新型コロナウイルスは数値から考えても従来の感染症と毒性や感染力は変わりませんが、これまで言われてこなかった数値や症例が取り沙汰され怖いものと刷り込まれました。このことにやや呆れ気味で知見を持っていることを表明しているのが麻生太郎大臣です。マスクについて、また感染症レヴェルを2から5に下げたほうがいいことを今言っています。今は、新型コロナウイルスの感染を防ぐためだと言えば個人的な意見でも尊重され、多くの人の賛否を得ずにさまざまな人権を侵害する規制が出されています。この特権を得ているのは知事ですが、メディアはそれを煽っています。元に戻ると考えている人が多いようですが、このままだと戻ることはないと思います。
2021.04.26
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マリンバ作品研究をしているというスペインの方から連絡があり、海外向けに曲名と編成のリストをまとめました。演奏時間は聞かれなかったので付記しませんでした。つくって送って終わることが考えられるので一応記録しておこうと思います。"Époque d'écroulement"は「崩壊の時代」という訳で、1990年代に「崩壊の〜」という言葉でさまざまな曲をつくっていました。打楽器を使った作品まで広げるともっとたくさんあります。師がA.ジョリヴェの弟子で、その師がE.ヴァレーズとなると打楽器作品は自ずと多いです笑今は大編成よりも楽器数やリハーサルがあまり要らない手軽な曲がいいのだと思います。それでもここ10年曲がないと思うと、時代を追わない自分の責任です。Concertante pour marimba et 3 percussionnistes(1983) Solo marimba (4 octaves)IXylophoneCaisse claire (T.M.) Bongos2 Tom-toms Wood brocks Claves3 Cymbales (petite, méd, grande) Tam-tam IIVibraphoneCaisse claire (T.M.) Bongos2 Tom-tomsGrand Caisse (pédale)3 Temple-blocks GüiroClochesCymbale (grande)Cymbale (frappée) Hi-HatTam-tamIIICaisse claire (T.M.) Caisse roulante (T.B.)2 Tom-tomsGrand Caisse(à plat) TimpaniTriangleOto no Shingen(Épicentre du son) (1990)pour marimba et danse (à Sémimaru de Sankaïjuku)Marimba(do-do 4 octaves) Danse(butoh)Époque d'écroulement I (1992) pour 6 percussionnistesIXylophoneMarimba (do-do 4 octaves)IISnare DrumTom-tom 1 ,2 (high) 3 Cymbales (S, M, L)ChimeClaves (on stand) TriangleIIISnare DrumTom-tom 3 ,4 (middle) 3 Cymbales (S, M, L)MokushôCuicaGlockenIVSnare Drum Tom-tom 5 ,6(low) Tam-tam(L)2 Wood blocks Cymbale(L)VSnare DrumBongos(paire) 2 Temple blocksCastanet 3 CowbellsAntique cymbale Bass DrumVITimpani 4Bass DrumTam-tam (M)3 Rins (on Timpani)Époque d'écroulement II (1997) pour 4 percussionnistesIMarimba (fa-fa 4 octaves)II Bongos (paire)2 TomsSuspended CymbalClavesTam-tamVibraphoneIII2 Temple Blocks2 Wood BlocksTam-tamChimeIVCongaBass DrumTimpaniTriangleÉpoque d'écroulement III (1999) pour 2 percussionnistesIMarimba (do-do 4 octaves)IIVibraphone 2 CowbellsBass DrumÉpoque d'écroulement IV (1999) - Non marimba sur l'instrument -Époque d'écroulement V (2000) pour 3marinbas et bruitIMarimba (do-do 4 octaves)2 Planches en bois2 plaques métalliquesSirèneRéveil ou Sonnerie, si non SifflezIIMarimba (do-do 4 octaves)IIIMarimba (do-do 5octaves) ou Bass MarimbaÉpoque d'écroulement VI (2004)pour 6 percussionnistes et 5 Percussionnistes supplémentairesIChimeSuspended Cymbal Glocken2 Temple BlocksIISteel Pan(Solo) Tam-tamAntique Cymbale(sol♯)2 Wood BlocksIIISteel Pan(Double) Tam-tamAntique Cymbale(fa♯)2 BongosSuspended CymbalIVVibraphoneTriangle 2 Tom-tomsVMarimba solo(do-do 5octaves)VISuspended CymbalChromatic Gongs (la, fa, mi) Bass DrumTimpani (4pièce)3 Rins (on Timpani)5 Percussionnistes supplémentairesAntique Cymbales (ré, mi, la♯, si, do♯) Jardin de gravats II (2011)pour marimbaMarimba solo (do-do 5octaves)
2021.04.25
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緊急事態宣言を出したほうがいいという意見が大勢であれば、発出されるのは仕方ないと思います。内容について人流を失くしたいがために、今まで感染実績のない場所まで休業要請するのは反感を招くでしょう。ここで厳しい要請をするにはオリンピック前の良い機会ではあります。そこで国際オリンピック委員会のバッハ会長が、「緊急事態宣言は五輪とは関係ない」と表明しました。日本の政府関係者が同じことを言えばたちまち批判の的になるところ、バッハ会長についてはコメントが出ないのはおかしく感じます。ワクチンについても、日本の確保が遅れると政府が非難されますが、国際的に見た場合の真意がどうかは、海外の製薬会社に直接聞いたほうがいいです。日本は世界的に感染者、死者共に桁が違うほどまったく少なく、ワクチン供給の優先権を主張するのはもとから難しいことです。ワクチンについてはグレタ・トゥンべリが次のように言っています。「発展途上国の重症化しやすい人達や医療従事者などを犠牲にし、先進国の若くて健康な人々に接種をしていることは、全く倫理的ではない」「各国政府らは、ワクチン格差という悲劇に対処しなければならない」世界を見れば感染被害の大きな国からワクチンを配布しようと考えるのが普通です。その考えに立てばワクチンがなぜ来ないかということは単純ではありません。それでも菅総理は日本へのワクチン供給の話を通したわけですからよかったと思います。感染が広がるか収まるかは未知のことですからもっと心を広く持たなければなりません。菅総理が米国に行った要件は他にありますが、それらはあまり取り立てられません。台湾や中国のこと、また韓国、北朝鮮とのことなど緊張が続いています。また、政府はメディア報道とは完全に異なり経済の活性化を常に考えているようです。自分が世の中を変えたいとか、強権を振るいたい人に惑わされないようにしたいです。安倍前首相が今日行った講演内で朝日新聞の捏造体質を非難した記事が出ました。メディアは世論を動かす目的で同様のニュースを一斉に報じているように思いますが、このニュースは毎日新聞で、朝日新聞は同じ講演中の別の話を載せています。これが大人の社会だとしても、結局昔と何も変わっていないのだと感じます。
2021.04.23
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これまで新型コロナウイルスについて、暴風を吹かせ嘗て知らされたことのないようなニュースで不安を煽った結果、皆がその風には囚われない逞しさと開き直りを持ったのが今の現状です。終息に向けた啓蒙だったとすれば最初から間違っていた結果だと思います。感染源としてのデータで幾らかの人が言っているのは、家庭内感染がいちばん多く飲食店での感染はさほどないということです。ましてや営業時間が1時間延びてもどれほど感染者数に影響するか答えは出ません。感染は個人の意識の問題が大きく制限をかけることが得策ではありません。経済的な規制を行わずに国民の意識を高めることは難しいです。一丸となって協力し合う意識をつくるのは数十人でも難しいですから、不安を煽る北風的な方法ではなく太陽的な温かみのある方法がいいです。今となっては、これ以上我慢を強いられるのはもうたくさんだとなるでしょう。緊急事態宣言と蔓延防止等重点措置の違いはそんなにありません。政府が意図したのは名前と発し元の違いで、自治体としては強制こそできないにしても自由に設定できて便利なはずです。ところが蔓延防止等重点措置で感染を防げなかったので国に責任を求めています。一部ではPCR検査を続ける限り現状の終息はなく永久に続くと言われています。日本での状況はインフルエンザやこれまでの風邪よりも小さいので、変異種の流行やまた新たな感染症の度に自粛措置が日常的に取られることになり、社会や文化のさまざまな事柄の淘汰とインフレが始まると思われます。大勢としてはワクチン接種は奨励していますが、世の中を変えようとしています。特に教育面では適応能力の早い優秀な生徒や学生がリモート授業でも伸ばせますが、多くの者は取り残されたりおざなりな授業消化が起きると想われます。甚大なことは人のコミュニケーションの欠落でますます個人主義が進むでしょう。医療崩壊、変異種、ワクチンの精度については今始まったことではなく、これまでのインフルエンザやコロナウイルスについても同様のことがありました。また、感染者数や重症者数、死者数についても毎日報じるとかなりの重圧です。そして、ワクチンの効果についてもいきなり完璧にならないことが前提です。ワクチンがいつまで有効なのかと言う前に打つかどうかは人によるわけで、ワクチンが足りるかどうか、1人分でも無駄にしたら報道されたりするのは極端です。さまざまな意見やものの見方は抹殺されて同調圧力が生まれています。ワクチンを2回接種した看護師が感染したニュースなどはさほど扱われないでしょう。またルールとして地域をしてすれば境界は必ずできますから差は生まれます。しかし、それを問題視したりそこで飲食店を営んでいる人に不満を言わせたりする、東京・三鷹駅で”南北問題”蔓延防止地域で「仕方ない」「不公平」などと言う記事、テレビでも言われていますが、効果云々を差し置いて何と性格が悪いのかと思います。海外でうまく終息させている国と比べて何が違うかと言えば啓蒙の仕方です。人流、会食など人を責めることが基本にある日本はダメだと思います。それは政府の問題ではありません。デモが報道されない日本では自己判断がもっとも重要だと思います。
2021.04.20
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新型コロナウイルスの影響についてまとめてみました。もっとも注目したのは日本の2020年死亡者についてです。年間死亡者が11年ぶりに減少、肺炎、心疾患、脳血管疾患、インフルエンザ等感染症、不慮の事故が減少、がん、新型コロナウイルス、自殺が増え、老衰が激増。新型コロナウイルスに関連する超過死亡も増加していません。東京ではこれまでに何度か医療が逼迫する医療崩壊が言われてきました。しかし、東京では最近聞かれなくなりオリンピック開催について言われています。都医師会会長は「これ以上感染拡大すれば無観客でも開催が難しい」(スポーツ報知)同じ会見を「第4波断言 五輪開催さらに厳しい状況」(日刊スポーツ)(以上13日)都医師会の尾崎会長の五輪についての発言は一般的だと思いますが、同じ日には飲食店の時短要請をなくせるのではないかという発言があります。ただし、従業員、来店者の双方が感染の可能性が低いならばということで、五輪の先行きと同じくらい不確定な話ではないかと感じました。その翌日の会見で日本医師会の中川会長は「広範囲に早急に緊急事態宣言発令必要」と、蔓延防止等重点措置より厳しい対応をできるだけ早く発令するべきと話しています。感染者数の増加について「気の緩み」と言ったりしますが、ずっと自粛していては生きていけない人がたくさんいるのです。「通勤を含め、可能な限り東京へ来ないでいただきたい」「都県境を越える外出自粛」「買い物は3日に1回」と言う要請を昨日出したのが小池都知事です。都民を都内に封じ込めることはできてら感染が収まるでしょうか。家庭内や介護施設でクルーズ船の時のように都内で蔓延しないのでしょうか。さて、感染者数は第4波と言われ増えつつありますが、実は重症者数は減っています。3月中頃から徐々に減ってきており15日は37人まで下がってきています。ですから、4月から都では医療の崩壊について言われなくなっていました。批判的なことを言う人が、感染者数の増減で一喜一憂しているのは同じです。昭和や平成の最初頃は将来なりたい職業に医師や看護師が上位に入っていました。医師や看護師は勉強ができて人を救うカッコいいヒーローの職業で憧れたものでした。今の小学生の調査では女子のみが6位に看護師、9位に医師と言う結果です。日本の医療は優秀だし使命感を持って治療にあたっている人はたくさんいるはずです。感染症が流行すれば感染者が増えたり減ったりするのは過去の例から明らかです。しかし、増えた時に自粛しない一般庶民が悪いと言う趣旨のことは嘗て言われませんでした。医療が逼迫するのはシステムやこれまでのオーガニゼーションの問題ではないでしょうか。この感染症にあたるには経営的にリスクが高く、簡単にはいかない事情があると思います。少なくとも日本においては、新型コロナウイルスから身を守るという理由で規制を課し、経済的に盤石な一部の小高い丘にいる人や堤防に守られている人がこれではダメだと煽る、しかし、経済的弱者を中心に規制に耐えきれなくなったり夢を打ち砕かれます。若者を中心にこんなはずではなかったと人生設計のリセットを迫られた人も多いはずです。自粛期間が長すぎることから考えても個人の差こそあれ努力義務は煮詰まっています。これ以上は、医療の逼迫を助けるために自粛しろとか言うのはマユツバに感じます。感染には社会的リスクのためにもくれぐれも気をつけるべきですが、臆することなくリセットも含め自分の目標実現のために邁進して欲しいと思います。
2021.04.16
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以前にも書きましたが、マスク会食というのは日本独自です。おそらく欧米でこれを推奨する国はないと思います。感染に有効だと言っても食文化としてマナーや衛生的にありえないことです。マスク会食を提唱している知事は一度ヨーロッパに留学してほしいです。それよりNGなのが井戸敏三・兵庫県知事が発した団扇会食です。小林寅喆氏がテレビで団扇だと飛沫が漏れるのでよくないと言いましたが、そういう問題ではなく、飛沫のついた団扇を会食時は常に持ち歩くのか、どのように保管するのかまで考えたのかということです。感染しないための意識がなっていないと思います。このような知事の思いつきが通る兵庫県の組織に危惧を感じます。また、愚案を出して県民が言うことを聞くと思っていることもおかしいです。メディアにも言えることですが、上から言ってもそのとおりにはもうならないのです。日本全体がひとつの目標に向かうことができなくしたのもメディアですから。ともかく、ファストフード系には中高生が普通に食べながら勉強したりしています。半分は遊びでもある中で、団扇で口を隠しながら話をするでしょうか。世の中の人とずれている知事、テレビ出演者が普通にたくさんいると思います。感染とは別のところで支配されている現実に声を上げるべきではないでしょうか。そのひとつが、グローバルダイニングが都を提訴したことがあります。YouTubeでの代表者の発言は魅力的で意味深いと思います。これは損得ではなくて権利や自由を侵害されていると主張したことが本当に素晴らしいです。損害賠償請求は104円です。またコロナ禍の事実を隈なく調べられたうえで話されています。このことについてほとんど報道されない、続報がないのが残念です。飲食チェーン「グローバルダイニング会見」
2021.04.14
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病院に行って検査結果を聞くのは、本来ならあまりいい気分ではないかもしれませんが、この病院に行く時はなぜか行くのが楽しみになります。単純な理由です。皆さんが親切な感じがしているからです。風邪の症状がないのにPCR検査を受けるよりも、他に受けたい検査はたくさんあります。それでも、採血以外の検査はあまり受けたくありません。自分が新型コロナウイルスをもし持っていて他の人にうつす前に検査をしておこうって、どのような相手と会うとしても余裕のある会社がやることで、それが庶民感覚です。あたかも皆がやって当然のように言うのは反感を買うほうが大きいと思います。外では1日中マスクをして、何度も何度もアルコール消毒をする世の中は異常です。建物や店のために入る時に消毒するのは他人のためで、自分のためには出る時にも消毒をするべきだと思います。しかし、「過度な消毒不要」とアメリカのCDC(疾病対策センター)が発表しました。そりゃそうです、消毒しなかったからといちいち感染していたらこんなもんじゃない筈です。今までの経験と様子を少し見ていたら「過度な消毒不要」は最初からわかります。それでも気持ちの問題で、店の買い物かごを持つ時には消毒したいです。コロナ禍が始まる前からある店には消毒液がありましたから感染云々ではありません。しかし、この記事にも出てくる「自分が感染してるかもしれない」という発想は疑問です。「無症状でも自分が感染してるかもしれない」という発想は危険な強迫観念の一種で、言い換えると人にも「無症状でもこの人は感染してるかもしれない」と見る要因となり、この話に洗脳されることで人にも同様のことを強要するきっかけになりかねません。「自分が感染してるかもしれない」は人を不安にさせ集団ヒステリーを起こす起因として、これこそ過度に言ってはいけない言葉ではないかと思っています。このニュース動画に戻りますが、今までの消毒についての街の声を拾いながら、CDCの「過度な消毒不要」という報道を話し最後に「やっぱり消毒はします」と締めています。つまり、事実上CDCの報道とは相反する街の声で終わっていて、精査せずに「信じない」「自分が感染してるかもしれない」ことがこのニュース動画の編集者の結論でもあると感じるのです。街の声は何事においても賛否あるはずなのですが、編集者の意図に沿う意見を挿入する事で街の声に代弁させていると感じます。メディアは都合によって非難するか賛辞を表すかがはっきり分かれていて、コロナ禍の現在にあっては収束しない方向を推進していると思われます。「自分が感染してるかもしれないから〜」という発言は不安を招くだけのことで、「自分は感染しない」という意識を持ち実行するべきだと思います。大人であればマスクと消毒だけでじゅうぶんですから難しいことではないのです。ずっと感染しない自負はあるのに自由を奪われる自粛要請こそ問題なのです。
2021.04.14
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家での宴が復活です!カルパッチョは銀鮭!魚の味が濃厚なので負けないソースで対抗!かなりうまくできました!チーズ!青カビ系が勢揃いしましたが、皆個性的で美味しいです!フルム・ダンベール、ゴルゴンゾーラ、カンボゾーラ、そしてドイツの青カビ、さらに唯一白カビのブリーと、仏伊独のチーズがラインナップ!味比べは最高です!この日の特上ワインはサン・ジュリアンのデュリュック2015です。マイルドながらずっしりな味わいは言うことなしの逸品です!コロナ禍と言って何の影響も受けない輩が一生懸命生きている人々を潰そうとしていますが、宴をやったところで意識さえきちんと持てば何も起こりません。いつ自粛を促されるかと心配にはなりますが、やりたい時にやるべきことはやりましょう!世の中にはコロナ禍でもなんの不利益もなく普通に営んでいる人がたくさんいるのです。人に優しく接している人、制限を課せられている人だけがバカを見てはいけません。世間体を気にしたり良い人ぶる愚言に影響されてはいけないのです!
2021.04.13
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音楽史において、音楽であるか単なる構造物か問われる転換期があります。音楽にも構造はありますが、それが音楽を離れて構造のみが残る状態、もちろん材料は音ですから何かが生まれますが従来の音楽ではありません。完全な構造物になった瞬間に演奏するうえで楽譜のみが手掛かりとなります。パリにいた頃に楽譜にエモーショナルな要素は不要だと教わりました。セリーなどの数学的なセオリーを使うと音楽的要素は薄まり構造物と化します。演奏者における想像力はもはや不要で書いてある音をいかにエモーショナルに奏するか、それが現代の音楽だと1995年頃に言われましたが、今はどうでしょうか。1曲の中で調性的な瞬間や古い様式感が一瞬もない曲はかなり減りました。調性的な瞬間が入っただけでエモーショナルと言えます。そうなったのは時代が変わり、生き残りがかかったからだと言えます。アイデアと構造のみで勝負していた現代音楽が袋小路に入ったからです。新しさを競っていた音楽芸術が新しさを見失ってしまったこと、個別の理論で作曲家が作曲家を評価し、周りがその良さを認識できなくなったこと、現代音楽が本来の音楽性を失いクラシック音楽と異なるものに発展したこと、芸術と感じられる要素が減り、人気の高い曲がよいとされやすくなったことが要因です。これは音楽より時代の先を行っていた美術全般に関しても同様のことが言えると思います。今は写実的な技術や艶やかな色彩感で人目を惹く絵画が目を惹きますが新しいとは言えません。過去の技術が幅広く伝播し若くして才能が開花することは良いことである一方、歴史的な技術の進化や幅広い芸術を識ることによる真の個性や深みは少ないと言えます。今の状態は芸術の普遍性よりも人目を惹き人気(数字)の取れるものが注目されます。フォロワー数、売り上げ、視聴率などの数は大衆性に直結していると言えます。その中にあっても、今もっとも芸術的アピールのある分野が漫才ではないかと思います。漫才は二人のテンポや間の取り方が言葉の意味と相俟って音楽に近いと感じられます。M-1上位の漫才はかなり以前からスタイルが明確でその比較による勝負が熾烈でした。そして、スタイルの秀逸さでは2019年のミルクボーイ、ぺこぱがとても高いです。台本にもよりますが完成されたかたちが見てとれました。さらに、2020年のマヂカルラブリーとおいでやすこがは漫才のスタイルを超えています。これは、審査員の上沼恵美子氏の言うところの漫才の領域を破った芸術性と言えます。それまでの漫才も芸術性の高さはあったと感じられますが、マヂカルラブリーが「これが漫才か?」と揶揄されることこそが革新的で、例えば美術界で画家のL.フォンタナがキャンバスを切り裂いた絵画を作ったこと、それがまさに「これが絵画か?」と言われ、音楽会では I.ストラヴィンスキー「春の祭典」、S.プロコフィエフの初期の管弦楽、そしてA.ジョリヴェ のピアノ協奏曲などが「これが音楽か?」とブーイングされたごとく、従来の枠を超える表現が今の漫才にはあり、まさに芸術的活況を迎えています。次にはさらに新しい表現が期待されていること、それが芸術だと感じます。
2021.04.13
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「東京も大阪のようになる危険性がある」新型コロナウイルスについてこう言ったのは尾身会長です。これはこの部分の発言を切り取られて報道されている可能性がありますが、政府側である新型コロナ対策分科会の対策の部分が報道されないのが残念です。メディアは各社の言いたいことの都合でニュースを選び切り取っています。「今日の人出」について場所を特定して日々報道されていますが、例えばTBSは六本木の人出について報じますがテレビ朝日では見たことはありません。テレビ朝日は六本木にあるから言いたくないからだと解釈しています。また最近、報道ステーションのウェブCMが女性蔑視批判を浴びて即刻削除されました。意図したことが裏目に出たかもしれませんが、多くの人はそう見ていません。さらに先日はテレ朝社員が送別会をして4人が新型コロナウイルスに感染しました。いつもの過剰な政府批判から考えるとテレビ朝日は断罪されるて仕方ありません。しかし、これらがウェブ以外ではさほど問題化されません。さて、尾身会長が会見する時は以前から聞きなれないワードが入っていました。集団感染のことを「クラスター」、爆発的患者急増のことを「オーバーシュート」そして、まん延防止等重点措置のことを「まん防」と言ってきました。それほど周知されていないワードを発して専門家色を出しているように見えました。「クラスター」は略語で正しくは「クラスター感染」と言うべきです。横文字趣味と略した物言いは慣習なのかと思いましたがそうでもなさそうです。一般の人に向けての会見で専門用語を言ってもさらに説明が必要になります。しかも簡単に日本語で表現できるのであれば最初から日本語で言うべきです。また、今は略称化することが流行のように何でも略して言いますが反対です。略して言うには略しても相手に通じる言葉でなければ意味がありません。「クラスター」は音楽用語にもあり、そのほかにもいろいろと使われています。「まん防」は聞いても元の言葉が想像できないために浸透してから使うべきです。しかし、このようなわかりにくくする略称化は日常的にたくさんあります。SDGsは国連が定めた「持続可能な開発目標」は日本語でも学習しなければわかりません。まして、日本人の多くは他の国や文化を理解し共有することが不得意だと思います。海外の当事者にとっては深刻な問題であっても日本のニュースで聞くと他人事に聞こえます。結局のところ略することは記憶において良さそうで良くないのです。その場限りで記憶するにはいいかもしれませんが内容を正確に把握していないことが多いです。略して憶えたその場は理解したつもりでも、その後に似た語句がたくさん出てきます。似た語句が出てきた時にはすでに忘れかけているため混同します。ゲームでも本気でルールを正確に覚えなければ勝てません。教える側が略して教えたり、考えなくてもできる法則を教えたりすることは、そのことの本質がわからないままとなりいずれ忘れるでしょう。知らせたい内容の本質を知らせるためには略称化や略することを避けるべきです。「まん坊」が緊急事態宣言に変わる措置で略称化が「マンボウ」を想わせ軽いのではないか、相応しい言い方ではないのではないかと言うことはわかりましたが、緊急事態宣言と蔓延防止等重点措置は何が違うのかが知られることが最も重要です。言葉が独り歩きしているだけで、中身について正確に理解されないことが多いと思います。
2021.04.07
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ある動画を観て共感したことがあります。世の中の事象や物事に対してまず先入観が生まれ、何度か聴いているうちにそれは固定観念になり一般常識ができるそうで、それは教育とメディアから洗脳を受けているということでした。30年間大学の授業を通して学生が変わったことはたくさんありますが、ルールや状況に限らず「ありがとうござました」は言っても、「ごめんなさい」「すみません」は気心の知れた相手以外ほぼ言わなくなりました。例えば集合時間に遅れて誰かに迷惑をかけた時なども何も言わなかったりです。10年以上前ですが、授業に30分以上遅刻して教室の前の扉から入ってくる学生がいました。それも毎回のごとくで遠慮と言うよりも入ってきて皆に元気よく挨拶する感じです。普通は後ろの扉からこっそり入ってくることが多いのですが、その学生は前から入って「おはようございます」と言う振る舞いが実に自然でした。そこで、憶測ですが勝手にこう考えました。地方から上京しているその学生は、高校の時に1時間以上徒歩で通っていたのではないか?だとすれば、生徒数が少ない学校であれば登校してきただけで、「今日もよくきたね!「今日も会えてよかったね!」となるのだろうと納得しました。その答えは聞いていませんが、今ならば他の学生の反応がないのでやらないでしょう。ただ、これが合奏系、特にオーケストラの授業であればただ事ではすみません。そう考えると、自分の授業は軽く見られていたかもしれませんが、逆に高校のクラスメートに会う時のように親しみをもって受けていたともとれます。何か起きた時に本人に細かく指摘したほうがいいかどうかは時代で変わりました。今は意に沿わないことを軽く指摘されるだけで反感を持つ人が多くなりました。これまでに強制されたり批判されたことがないような人ほどその傾向があります。人間関係を気遣うあまり全般に浅く関わり何も言わなくなりました。新型コロナウイルスに感染予防という理由でさまざまなルールが出てきていますが、そのルールは要請であって何でもルールで縛れば人が従うわけではありません。規制して上から押さえつけたり、自分や知人が感染しているかもしれないなどと、日常的に人を疑う癖をつけながら接する習慣に順応できない人もいるでしょう。自分は若くはありませんが「うっせぇわ」の歌詞と同じ心境です。表向きは感染予防をして外出自粛もしていますが、ウイルスが怖いとは微塵も思いません。本当に皆が怖いと思えば自ら自粛するでしょうし、もし感染してウイルス患者の病床がないならないで仕方ないと思っています。日本や人類が危機だと感じたら新型コロナウイルス治療をする病院は増えるでしょう。全てにおいて言われていることと現実のギャップが拭えないために本気になれません。例えば、東京オリンピックが何かと槍玉に挙げられすぐに中止を勧める人がいますが、東京オリンピックでは参加者、観衆に対して感染予防を徹底するに違いありません。それに比べて他のイヴェントや買物、飲食などで密集状態は図らずもできているはずです。先日スウェーデンのストックホルムで世界フィギュア2021が無観客で行われました。スウェーデンと言えば日本では集団免疫を目指していると報道されていました。人口は日本の12分の1で感染者数は日本の約2倍、死者数は約4,000人多いです。ロックダウンや規制をかけないことで有名ですが対策をしていないわけではありません。変異種やワクチンを打っていない状況から考えると大丈夫か心配ですが、選手団を送りこむことにリスクがあれば行かないはずです。海外の状況や対策を具体的に知るには行ってみないとわからないこともあります。それに比べて日本の中で言われる批判は実に恣意的で嗜好に満ちています。「◯◯のために」という善意の鎧をきた同調圧力をひけらかすのではなく、人々は自ら協力的になれるような誠意に飢えているのではないでしょうか。感染対策としてできることは限られていて、概ね皆はわかっています。トランプ元大統領やボルソナーロ大統領、そして尾身会長の「まん防」のように、皆を元気にさせるようなトップの発言が一概にNGではないと思います。そのせいで感染拡大したのではなく、明るい生き方に同調したい人が多かったのです。感染を抑えるのは国の責任という考えに基づくことがそもそもおかしいのですが、国は支援金を出し経済を止めるしかありません。その結果、飲食店、関連業者、農業、畜産、医療、福祉関係、子ども、高齢者、勤労者、広範な人々の暮らしを脅かしていると言われ貧困や格差拡大が問題だそうです。さらにインフレが加速し、社会問題がいっそう増えることが予想されます。人々はメディアから新型コロナウイルスの情報を知ろうとします。特にテレビは視聴率が高いために感染者数を速報したり常に不安を煽っています。スポンサーも徐々に変わりテレビ業界は株価から見れば復活を遂げようとしていますが、それが世の中のためにはならないということを皆が知るべきだと思います。
2021.04.04
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