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もう”かかりつけのお医者さん”と言ってもいいと思います。今月2回目の通院になりました。持病の不整脈ではなく高血圧、高コレステロールの診察です。少し弱めだったようですが2週間薬を飲んだ結果、血圧はある程度下がりました。その記録をつけた手帳を先生に見せるのがこの日の楽しみでした。薬を飲む前は毎日測るのも苦痛でしたが、今はやる気モリモリです。ただ運動と禁酒はうまく捗らず、まだ改善の余地ありです。それでも診察中に測っていただいた血圧は上が128と絶好調でした。信頼できるお医者さんは自分のことを考えてくれる絶対的な味方です。診察の場ではそんな安心感から血圧も安定するのかもしれません。今後は新たに血圧の薬が加わり少し強力に下げるようです。次は1ヶ月後ですが、今回は検査のための採血もしました。採血の看護師さんも話が気さくで楽しく、本当に病院に来てよかったです。採血の直前に名前と生年月日を聞かれるのですが、その看護師さんが誕生日が1日違いだと言ったことから話が弾み、いつの間にか採血が終わっているくらいに痛くもなく終了しました。採血や注射は無痛で終わっただけで看護師さんは尊敬に値します!そんな話もして退室して上着を着て会計に行きました。そこにその看護師さんが再来、「また来てくださいね〜」と言われました。病院好きからしてみると宣伝文句だとしてもカモになります…。毎回書いているかもしれませんが、どこでも受付の人はとても大事だということです。若い人は長年見てきているので、自分は見る目がかなり厳しいと思いますが、この病院ではきちんとこちらに向き合ってコミュニケーションしてくれることや、隙を見て無理なく笑顔を出しくれることがとても嬉しいです。感謝、感謝。
2021.12.28
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良くも悪くもどんな人でもある程度有名になるとファンが一定数います。ファンはヴィジュアルから内面性などさまざまな観点から見方が分かれますが、一度ファンになると何年経ってもあまり変わらないようです。それでも自我が新たに芽生えた時には冷めることもあります。結果、すでに誰かのファンを他の人や自分のファンにすることは難しいです。現代では、誰かいい人を探すと言うよりも認知されているものから選ぶことが多く、比較対象として検索順位の高いものやフォロワー数が多い人はいいと判断するなど、理屈や実質的なことよりも客観的な情報、「お客さまの声」などが大きな手がかりです。人物ではありませんが、例えば新型コロナウイルスは1年中ずっと言われている話題です。ファンのようにいつも気になってしまいコロナ脳に陥り囚われてしまいます。変異種の出現は永久に続くので一部では「永遠のパンデミック」とも言われています。つまり新人がひっきりなしにデビューする状態で、未知の可能性として告知されるのです。日本で言われていることは、感染者数、重症者数、変異株に関わらず変わっていません。普通であれば、感染者数が減ったり、重症化率が下がれば規制は緩和されて当然ですが、すぐにまた上昇するに違いないという煽動で何もできずに規制が続きがちです。結論の出ない未知のものに常に備えろという考え方は破滅的です。しかし、日本の感染者数や死者数は以前に比べて「えっ!?」っていうくらい違います。古市憲寿氏が「コロナ騒動を長引かせたいひとがいるんじゃないか」と言っています。南アフリカや英国では確かに感染拡大したオミクロン株ですが、日本では探しまわってもまだまだ本当に少ないと言えます。メディアは不安を煽っても後で検証しなくてもいい立場があります。ただコロナ報道に限っては、そのことが若者の信頼をますます失くすことになるでしょう。賛否ある中で高いワクチン接種率を誇った日本で3回目のブースター接種を促しますが、1日数万人の感染者が出る欧州と300人弱の日本では意味が異なります。海外の例でオミクロン株の重症化率が低いことはデータからもう明らかなはずです。摂取率の低い国にワクチンを優先させることはむしろ表明するべきだと思います。前にも書きましたが、今の日本であれば新型コロナウイルスに注ぐ情熱を、死亡率の高い疾患である癌や心疾患などに向けたほうがいいと思います。ひたすら人との接触を減らす対策はもう要らないと思います。結果としてコロナ以外の検診にも行かずに他の病気に気づかないのでは本末転倒です。皆が外出を控えリモート通信やテレビ番組のネットワークを利用する体制ができる、もはやそんなことを考えてコロナを執拗に煽っているのではないかと邪推してしまいます。
2021.12.27
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子供の頃や若い頃になりたい目標や将来設計を立てるものですが、自分が目標年齢としていた節目の歳になっても、実際は思ったとおりにはなっていないものです。それは自分が一途であったとしても周りが変わってしまうからです。誰もが納得する決定方法としてオーディションがありますが、本当に実力があって認められたとしてもいつも1位を続けていくことは難しいです。これとは別に、現代も社長の息子は試験や他者と競ったりすることなく社長になれます。二世議員、二世タレントは親の絶対のお墨付きを受けてポストを勝ち取るのものです。コンクールの9割以上は1位を奪ってもプロフィールのひとつくらいにしかならず、プロフィールのひとつになればいいですが、それにもならなければただの自己満足です。コンクールや資格試験は売り手市場で、受ける側のメリットはほぼありません。審査する側のステイタスや宣伝、主催する側の社会貢献事業として意味を成しています。ともかく今の時代に自分の価値判断を他人に任せることはリスクが高く、信念であるものを貫いていく力が何よりも大事で、あとは運でしかありません。仕事で使われやすい人は、プライドや拘りがなく何でも要請を受ける人です。結局芸術と仕事は相反する関係で、小難しい拘りを捨てたところに生業が成り立ちます。そんな歪んだ世界になったのはそれ程昔ではない気がします。電車内で飲酒をしていた客を撮影してSNSに投稿した話題がテレビでも報じられました。今のような時期に車内で飲酒をしている人がいれば、迷惑に感じる人もいるでしょう。一般人が投稿すれば非難の賛同も得られた気がします。ところが、この投稿したのは車掌だったことで東京メトロが謝罪しました。SNSがなかった時代ならば、飲酒している人に直接注意をするしか方法はありませんでした。混雑状況がわからないこと、また新幹線では許されることが在来線ではなぜNGかなど、必ずしも飲酒を咎められるかどうかは定かではありませんが、昔であれば車掌が注意を与えたらお客は従ったと思います。業務用タブレットで撮影したのは社内で問題にするためであったかもしれませんが、それをまたスマホで接写してSNSに流したのはその方法が問われます。強制力のない要請に少し反しただけでも批判したり、SNSから情報を得るメディアが、このニュースについては東京メトロの責任として報じるのはそれも疑問を感じます。昭和に比べると人の目を見ること、礼儀正しく普通に会話することが激減しています。昔は何か連絡をするにもひとりひとり手紙を出したり、電話をしていました。今に比べれば時間もお金もかけて人との関わりを重要視していました。最近の問題は「人間関係をリセット」したい人が多いという真反対の出来事です。インターネット上あまりにも簡単に人と繋がっている気になれることが大きな原因です。昔に比べても、会うことも直接会話をすることもなく物事を進めようとするわけですから、いつでも断つことのできるとても簡単で危うい関係なのが前提です。便利で希薄な関係だからこそ、関係性が悪くなればリセットしたくなります。今は、若い人ほど電話や会って打ち合わせることは難しく、以前との違いを感じます。信頼性を重視し人として期待していた昔に比べて、手間を省き刹那的な関わりが多いです。やりたいことをして、一人で遊び、誰かに合わせて動くことに慣れていない若者は、友人関係でない人と会食することに抵抗があり壁を作ることが普通になりました。ひろゆき氏(45歳)は感情的になる人に苦言を呈しているとも受け取れますが、確かに最近見たドラマで「相棒」の杉下右京、「緊急取調室」の真壁有希子が、かなり感情的になるシーンがよくありますが自分としては全然イケテないと思っています。ただ、高齢者以外でいい意味で感情的になる人があまりにも少なくないでしょうか。本心かどうかわからない会話や挨拶はする意味がほとんどありません。形式的な賛辞、例えば誕生日はよく知らない人までが「おめでとう」と言う現実。そんな口実がなくても率直な本音を伝えるべきです。特にネガティヴな意見も。それを言うと嫌な人?そんなことはない、「いいね」だけだから返って歪むんですよ。
2021.12.24
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フジテレビの番組「テラスハウス」に出演していた、女子プロレスラーの木村花さん(当時22歳)がSNS上で中傷されて自殺した問題で、原告がフジテレビと番組制作会社に損害賠償を求める訴訟を起こしました。当初はSNS上で抽象することが大きく批判されましたが、やっと本題に移った気がします。番組が本当のドキュメンタリーであるとはとても思えませんから、仮に明確な台本がないとしてもさまざまな登場人物を性格付けし、対立したり仲直りしたり、気が変わったりというストーリーを見せています。撮れた映像を編集するということは、そこに編集者の演出が入るのは明白です。この問題のもっとも重要なポイントは、番組がどこまで演出したかです。通常のドラマなどでは悪役は台本どおりに役として演じているわけですから、その役者をSNSで誹謗中傷する人はいませんが、誹謗中傷するのは視聴者が役づくりではなく本人の意志だと感じたわけです。当初この番組の演出についての検証を他のメディアが報じなかったことは不思議です。気持ちの変化や事件が起きなければ番組として成り立ちませんから苦心しているはずで、木村さんが中傷されるように描かれてしまったことは制作側の責任も否めません。フィクションかノンフィクションか捉えにくくしている意図が全ての不幸を呼んでいます。この番組を見たわけではありませんので、ここに書いたことは定かではありませんが、テレビはニュース番組の明らかに未知の情報についても是非の立場を明らかにし、制作会社のつくったVTRのナレーター台本の口調や音楽などで明確な演出が見られます。いろいろな意見があるにも関わらず、一方的な見方で報道するのはよく似ています。以前にも書きましたが、日本は他の国に比べて音楽に満ち溢れています。スーパーマーケットやドラッグストアの店内、テレビでのVTRにほぼ音楽が流れています。そうしたほうが購買意欲を促したり、視聴率を上げるデータがあるのかもしれません。日本ではもはや長年の慣習のようになっていますが、欧州ではもっと静かだと思います。音楽を流すと設備投資などの費用がかかりますが、音楽配信そのものは安価です。会社やBGM担当者の経費の掛け方や、音楽にどれだけ造詣が深いかがポイントで、安売りの店などでは鳴っている音楽は、ジャンルを問わず音楽も安っぽいのです。自分としては流して欲しくないことが多く、その原因で避けることがあります。また、最近は楽器をやっている人が皆こぞって演奏会をします。不特定多数の人が立ち寄るアトリウムのような場所であれば聴くことは自由ですが、聴衆が固定の介護施設や老人ホーム、学校で皆全員が喜ぶ曲などないことを知るべきです。演奏側に有名な曲を中心に曲のリクエストをされますが、それは担当者や一部の趣味です。音楽をどのように聴くか、何の楽器、どんな音色に魅せられるか、拍節感の有無、さまざまなカテゴリーで人それぞれ異なるうえ、中には造形の深い方もいます。会場のピアノが調律されていなければ、その時間は苦痛でしかない人もいるでしょう。つまり全ての聴衆に満足してもらうことはたいへん難しいことです。街中に誰でも弾けるピアノがあっても通りがかる人すべての喜びにはなりません。少数派かもしれませんが、何をするにしてもその人たちのことも気遣う社会、少数派の人にも理解の得られるやり方でなければ反感を持つ人もできると思います。多勢であっても勢いだけでやってしまわないで、少数派への思いやりが欲しいです。音楽を演奏するのは自由です。しかし、聴くのも聴かないのも自由です。公共の場や不特定の人がたくさんいる場で音楽を流すのは必ずしもいいとは限らず、押し着せがましい演出や同調圧力で盛り上がることを強要するのは粋ではありません。実は今までそういうことをやってきたのですが、だからこそわかることでもあります。
2021.12.17
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この3年間少しずつ健康診断の数値は悪い方向に向いていました。一昨日の診断結果で以前から下がっていなかったコレステロール値を始め、以前は正常だった尿酸値やΓGTP値、ここのところ急に上がった血圧など拙い状況です。ひとまず2週間は薬を飲んで下げることになってしまいました。アムロジピン5mgは血圧を下げるお薬で、ロスパスタチン2.5mgはコレステロールを減らすお薬です。血圧を毎日測るのがとても嫌だったのですが、これでやる気がもりもり出てきました!尿酸値やΓGTP値のためにできる限り禁酒をすることにしました。続くことを祈りつつ…。担当していただく先生は自分にとって拘りたいポイントで、この病院では受付でもどの先生がいいか希望を聞かれます。前回からは、不整脈で来た時にアデホス注射を打つのが最高に上手だった循環器の先生です。今後もこの先生の来院している曜日や時間を狙って受診す予定です。今はまず血圧とコレステロールを下げる計画になりました。それがうまくいけば持病の心臓への負担も減ることになります。次回は再び採血をして高血圧の他の病気の可能性を調べるとのことです。ひととおり悪くなってきたのでちょっと本気で治しにかからねばいけないなぁと自覚しました。自分にとっては受付の方とのやりとりで病院の印象がぜんぜん変わります。行ってすぐ、また帰り際に寄るわけですが、口調、言葉の選び方、内容の全てが気になります。親切丁寧、気が利いていると病院を出た時の気分がとても良くなります。病院に行くのが楽しいと言うと変ですが、億劫になってしまうのは避けたいところです。その意味で、かかりつけのお医者さん(病院)と言うのは大事だと再認識します。入院したり手術するのだと尚更で、自分にとっていい病院を探すべきです。今までの経験でも、病院によってそれぞれ全く違うと感じています。病院はできれば行きたくない所ではなく、自分のことを考えてくれる心休まる場所なのです。
2021.12.15
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18歳以下給付金、何のために行うのかと問えば、多くの人は子育て支援でのためと答えるでしょう。意義のある給付だと考えられますが、その意味はひとつではないと思います。子育て支援でもありますが、街の経済支援でもあってその意見は聞かれません。クーポンを作れば経費が多額にかかりますが、それは子育て支援としてではなく他への支援になり単に無駄なわけではありません。クーポン券のために間に入った企業や街の小売店の支援だと考えれば、現金給付でなくても救われる人は増えます。デジタル化のお陰で紙を使った印刷物が減ったのは確かだと思われます。給付金を受けても貯蓄にまわす高収入世帯にはクーポンを使ってもらいたいものです。コロナ禍で人生設計や目指した夢が狂ってしまった人は少なくありません。感染したわけではなく規制や自粛のせいで苦しくなっている人への支援も必要です。コロナに感染して亡くなった全ての人数は1年間の自殺者より少ない状況です。今年も自殺者は2万人に達すると思われ、例年より増えた昨年と同様です。勿論子育て世帯の数はもっと多いですが、現金給付でなくてはならない理由はなく、本当に困っている人にとってはクーポンでもとてもありがたいはずです。全額現金給付のほうが手続きが簡単で速いという意見が取り沙汰されますが、多勢の子育て世代に気遣うことによって好感度を上げたいだけのように見えます。これは、今の社会問題とも思えるのですが、あたかも人のことを考えているフリの発信で、自分に付される「いいね」に酔っている人が目につき過ぎるのです。「いいね」をもらいたいがために心にもなく温かい言葉を装い投げかけるのは、年齢に関係なく増えていて、人に注目してもらうための常套手段になっています。これに対して思っていなくてもあえて「いいね」をしたり同調する慣習もあり、投げかけた側と受けた側のコミュケーションを促しながら相互関係を表しています。「いいね」は書かれている内容に賛同しているのではなく付けた人のアピールです。書いている人への存在アピール、他の人へ相互関係をアピールしていると言えます。フォローは誰でもしますが、「いいね」は相互関係がなくなればしないのが基本です。ただ著名人に対しては視聴者が一方的にファンになるなどの関係ができます。著名人の意見に対しては、言っている内容よりもその人に「いいね」をし、近い関係にいる人や熱狂的なファンは、何を言っても「いいね」をするでしょう。その意味で「いいね」の価値は相互関係のない人から付いた時にこそ高いと言えます。結局、著名人が発信することには表面上同意する人がとても多いと考えられます。今では、このことは音楽を始め他のことにも当てはまります。「話をしている=演奏している」内容ではなく、演奏している人との関係性が主で、近い関係にいる人や熱狂的なファンは演奏に拘らず何が起きても熱い拍手を送り、関係性がはっきりしない人ほど良いも悪いも表わしません。昔とは一線を画していることは、義理人情ということはなく今の関係性であることで、たとえ師弟関係であっても関係性がなくなると縁遠くなります。どんな著名人であっても、人気は未来永劫続くものではありませんから、SNSで「いいね」を増やして関係を繋ぎ止めても、それは今だけのことになります。
2021.12.10
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昔「ちっとも変わらないですね。一貫している。」と言われたことがあり、その時は誉め言葉として受け取った気がするのですが、今考えてみると「変わらない」のではなくて「変われない」ことのほうが多く、数年ぶりに会っても、人は何歳になっても変わらないことがよくわかります。信念や長所はもちろん変わらないほうがいいのですが、それ以外にも人にはどうしても変えられないものがたくさんあるようです。人が変われる機会は環境が変わる時や想定以上の批判を受けた時ですが、同じ環境でも時と共に取り巻くものが変わっていくので世の中の変化を察することはできます。結果的には「苦労は買ってでもしろ」という言い伝えのように、どうしても世界が狭くなって自分の考えていることが全てだと思い込んでしまいます。世の中は良くも悪くも変わっていますが人は意外と変わっていません。その最たる例がうまくいっている人、テレビに出てくる人、作曲家かもしれません。先日、招待を受けた日本人作曲家のオーケストラの演奏会に行きました。当日受付で座席指定券に変えるシステムで、受け取ったのは何と1階の前から4列目です。招待客の多いこの手のコンサートではVIPでなければ良い席が当たりません。綺麗に1席ずつ間隔が空けられ列ごとに交互に割り振られ居心地は悪くありませんでした。しかし、そこに隣と1席空けられている座席に何と青年が座ってきました。何ともばつが悪そうな雰囲気だったので、休憩中に話しかけてみました。楽理科に在籍する学生で、当日券を座席指定して購入したとの話でした。その日の作曲者の1人に教わったことがあるとのことでした。なぜ作曲に進まなかったと言えば入試に必要な勉強が好きではなかったからとのこと。和声学や対位法は奥が深く作曲家必須の勉強とは思えるのですが、なぜそのルールを守ったうえで深めていかなければならないか、またそのルールで作られている音楽は日常で聴かれません。音楽理論を知らなくても作曲はできる、世の中に流れている音楽は即していない、自分がつくりたい音楽とはかけ離れているなどさまざまな理由で若者は理論を好みません。しかし、中高年の教員は自分が教わったままの価値観でいることも少なくありません。演奏においても、音大に入らずこれらの理論と関係なく活動している人が増えています。コンサートに先立って作曲家によるプレトークがありました。そこで感じたことはまず皆大学教員であるにも関わらず話が上手ではないことでした。また、配布された曲目解説と同じことを話していたり具体性や親近感に欠いていました。他分野の作曲家はもっと饒舌だと思うのですが、何とも残念でした。どちらかと言えば早く来た内輪のお客への顔見せのような意味に取れました。4人4曲の作風はそれぞれ異なり、時代様式で言っても90年くらいの差がありました。ここで聴衆の疑問は、なぜその音や様式で作曲するのかという率直なものでしょう。感じられることは過去への拘りであって、作曲家自身しかわからない拘りです。前世紀までの現代の音楽は理論が全てであったのに対して今世紀は覆されました。新しい音を模索する音楽が減り、もはや好きな音で作る状況になりました。勿論これまでのしがらみや拘り、変わらないことを美学としているのかもしれません。また、もはや過ぎ去った音楽を奏法の新しさだけでゴリ押ししているようにも見えます。デジャヴの音楽で新しさを装っても、これまでの音楽を超えることはできません。聴衆の求めは巧みさではなく、どれだけの個性がそこにあるのか、世界があるのかです。そこに新しい時代の「歌」があると言われても聴衆が詰まらないと思えば、どんなに緊張感を持って歌っても詰まらないことに変わりはありません。現代音楽とは今だにそんな特殊な世界ですが、講釈は万人が理解できる必要があります。新しい芸術音楽と言ってもすでに他種の対抗馬がたくさんいることを知るべきです。自分の環境だけで昔からの拘りを貫くことは世の中のためにはなりません。それを知ったからこそ自重する人が多いわけで、変えられぬ拘りは即再考するべきです。時代を読み、周りを見て何をすべきかと考えている人はたくさんいると思われます。しかし、僅かな中高年の拘りが象徴的に捉えられたり全ての中高年を代表したりします。例え目に付く中高年が鼻についたとしてももっともっとリスペクトできる人は身近にいます。今こそ優秀な中高年は自らを語るべきであり、世の中を先導するべきなのだと思います。
2021.12.07
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歳と共に予防して風邪をひくことはなくなりました。それは風邪をひいて熱を出して使い物にならなくなったら失職するからです。それでも生まれてからこれまで何回風邪をひいたでしょうか。風邪の思い出は忘れられないものが多いのではないでしょうか。少し前に風邪をひいたのにまた罹ったなんてこともありました。前の風邪の症状が完全には治っていないのに別の症状が出たりしました。風邪はひく度に症状が異なり喉が痛い、咳、鼻、関節痛など、熱の出方も違います。異なるウイルスだったのか変異株だったのかはわかりませんでした。時には40度まで熱が上がりなす術もないこともありました。それでも子供の頃は注射1本で劇的に熱が治まりケロッと治った記憶もあります。熱が出そうな時に責任者だったために地方(群馬)の大きなコンサートに出向き、案の定熱が出てしまいましたが、地元の薬剤師さんが調合した薬が見事に効き、何とその日の終演後に打ち上げで飲酒できるまでに立ち直ったこともありました。今はそんな無茶はできないし、しないとも思いますがそれは情報過多だからです。基礎疾患があったり年齢的な問題で無茶をすることは憚れます。今の新型コロナウイルスはギリシャ文字順では15番目のオミクロン株が最新です。しかし、WHOによれば既に何百もの変異種が確認されているということなのです。ワクチンのおかげかもしれませんが、デルタ株の猛威はそれほどわかりませんでした。ギリシャ文字の順番でもニュー株とクサイ株の命名は跳ばされましたが、幾多ある変異株の中でオミクロン株が取り立て凄いという報道で、株価の下落を始め、日本では外国人の入国禁止までの影響が出ました。表向きは素早い措置と賞賛されますが、関係している人達はたまったものではなく、よくわからない段階での報道のために大損や絶望を感じる人がいることも事実です。後になってオミクロン株はそんなに大したことなかったと言われても洒落にならず、非難されることを躱すために規制を張れば張るほど犠牲者はたくさん出ます。言い伝えのとおり「風邪は万病のもと」で、感染すれば亡くなることもあります。しかし、今日の東京の感染者数はひと桁で感染することすらとてつもない低い確率で、この状況で遠い海外の変異株に恐れ慄くことが続いては何もできなくなります。また、世の中にはもっと致死率の高い感染症や病気はたくさんあります。今の日本では感染予防が成り立っているのではないでしょうか。感染力の強い変異株が出たと言っても、今までの感染予防策ではダメなのしょうか。既にイヴェントは日常に戻ってきているのに感染拡大していません。それと、一般的に感染した場合に風邪の症状以外にどれほど違うのかということです。日本の情けないことは日本人の優れた特性を誇れないことです。海外で活躍している人を持ち上げるのは得意ですが、それは特定のヒーローを作って視聴率を稼ぐためだと見ています。一部の社会的強者の価値観で報道の根幹をつくっているように感じています。
2021.12.02
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