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もうすぐ東日本大震災から10年を迎えます。当時のことはよく憶えています。特に福島第一原発が電源を失い原子炉がメルトダウンしたのではないか、そのような報道がされて東日本全体が汚染され日本は終わったのではないか、そんな想像をした人は身近にもいました。実際にメルトダウンは起きていたことがあとでわかりました。しかし、避難を要したのは他県まではなく周辺の市町村だけでした。もっと大きな被害が起こると思っていたのはそれまでの放射線に対する認識からで、それはそれは怖ろしいものだと言う認識があったからです。そのような認識を持った理由はメディアからの情報です。それ以来原発はすべて撤廃するという構想が小泉元総理などから発せられました。原発を全て失くしても変わる発電システムは何かと言えば日本の場合は火力発電です。しかし、火力発電こそ地球温暖化の原因で、世界が注目しているのはむしろそちらなのです。風力発電や太陽光発電など他にもいろいろあるでしょうけれども、日本の人口や電力消費量との関わりで言えば原子力発電と向き合うしかないかもしれません。具体的なことはわからないなか、今また汚染水の処理について囁かれています。汚染水を海洋投棄しなければどうするのか、漁業への風評被害は防ぐことができるのでしょうか。原発のことと新型コロナウイルスの一連の報道はとてもよく似ているところがあります。何事も計画的に全てを収束させられなければ政府や関係機関が責められます。そしてまだわからないことについてネガティヴな発想が広がり不安に陥ります。そのうえ批判ばかりがネガティヴに報道されるために悪い風評がたちます。新型コロナウイルスが怖いと感じる人は外出や移動の自粛を言うでしょうし、飲食店などサービス業のお店を経営しているお客に来てもらわなければ成り立ちません。増え続ける汚染水の処理をどうにかしなくてはならないでしょうし、海に流した場合の風評によって漁業に影響が出るかもしれません。すぐに収束する妙案はないことがわかっていても視聴率を取るために不安を煽り、まともなことを言うよりも過激に演出して、その手法にYouTuberは影響を受けます。また、知事や医師会会長はそれぞれの立場のうえで意見を発するべきだと思うのですが、意見を調整したり制する人が周りにいないのか偏った意見を発しています。この動画のように「徹底した外出自粛」を訴える都は言っていることが矛盾しています。「徹底した外出自粛」を訴えるのであれば営業時短要請ではなくロックダウンが必要です。懸命に営業している飲食業を始めとするサービス業に逆風を吹かせています。さまざまな立場の人がいて、特定の人が犠牲になるようなことを都知事が言うのはおかしいです。そして、まったくおかしいと感じるのは医師会会長の発言です。感染したくて感染する人は誰もいません。日本人は特に意識が高く感染者数を減らしてきていて海外とは状況が異なりますが、結局は感染者数が3,000人であっても300人であっても医療は逼迫していると言います。以前にも書きましたが、自ら今の状況を戦争だと言う医師会会長は総司令官のようなものです。医療体制の立て直しを考えるべき総司令官が「自分たちが壊滅する」と言っているのです。それを「国民が感染して世話を焼かせている」趣旨の発言をするのは筋違いというものです。未だ感染していない97%の国民に向けてこれを言っても不安を煽るだけです。ほとんどの国民が対応にあたっている医療関係者に感謝していると思います。しかし、本当に医療崩壊したら真っ先に謝らなければならない人がこの医師会会長です。責任逃れなことを言っているようにしか思えません。これらの発言に応えようとした正直な人が経済的逼迫に追い込まれる犠牲者になるのです。
2021.02.28
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若い頃は著名な作曲の作品がどのようにできているのか、なぜいいと言われているのか、そんなことばかりを考えて自分のものとして吸収しようとしていました。しかし、今考えることは一世を風靡した音楽の背景とその後のこと、さらには音楽における日本の現状で何ができるのかということに変わりました。音楽史や作曲家の伝記などいろいろと読んでいましたが、その多くが他の人の研究や伝えられている話をまとめたものですが、あくまで他の人とは異なる逸話が切り取られたことで、音楽に限らず史実を辿れば成功者として描かれ美化されていることが多いと思われます。音楽において芸術的な発想が明確に意識され始めたのは古典派時代と考えています。その後、ベートーヴェン時代に確立された調性音楽の手法がどんどん変えられ、遂に完全な無調音楽である12音技法が世に知れ渡るまでにおよそ100年を要し、音楽はさらに前衛的で不確定や偶然性、環境音、噪音を交えて今日までまた100年です。これが美術界を追随して今日までの発展は納得できるものでした。しかしここ40年くらいは多様化?と言われて混沌としてきています。歴史を見直し経過を考えるとある行き止まりに到達し何もかもが溢れ出しているのではないか、さらなる道を開かなければクラシック音楽の歴史は終わるかポップスになるのではないか、歴史の見られ方と今の世の中を符合させ自己分析の下に分岐点について考えてみました。ベートーヴェン(1770−1827)までの古典派時代に調性による機能和声が確立され、著名なところではメンデルスゾーン(1809−47)がロマン派への橋渡し的な位置にあり、和声の規範が拡張され、旋法や民族性との融合に至る後期ロマン派までが、クラシック音楽としてもっともよく聴かれている時代様式かと思われます。さてここから、従来の和声の機能性をなくし、それまでのルールに徹底的に抗ったのが、ドビュッシー(1862-1918)とラヴェル(1875-1937)を代表する印象主義です。ドビュッシーの音楽はフレーズの構造や強弱の概念がそれまでとは異なり、ラヴェルは古典的な音楽を踏襲した新古典主義的な作風の作品が多いです。当時はロマン派の名だたる作曲家のさまざまな作曲スタイルが知られていたとは思われますが、ドビュッシーを初めて聴いた聴衆は異文化をとおり越して異星人の音楽に感じたでしょうし、ラヴェルの音楽は一見古典的な装いをしていたことで、それまでとの違和感がなおさら大きく、部分的に音が間違っているのではないかとさまざまな反響があったと想像できます。こののちの音楽は不協和音の扱いにスタイルの特徴を成しさらに無調に近づきます。ストラヴィンスキー(1882−1971)やバルトーク(1881−1945)は、特定の調性にない音を共存させたり、シェーンベルク(1874-1951)は、1オクターヴの12の音に順番をつけそれを繰り返して作曲する12音技法を編み出します。シェーンベルクはアルバン・ベルク(1885-1935)やウェーベルン(1883-1945)と共に、新ウイーン楽派として最初期の12音技法の使い手として知られますが、ウェーベルンがより構造的な12音技法を操り現代音楽への影響をもっとも残しましたが、ベルクは12音を調性的に聴こえる配列にしたりすることによって叙情性を醸しました。理論上で完全な無調音楽を目指し、その後の前衛に引き継がれた12音技法ですが、ベルクは独特な世界観を持つ晩年の傑作ヴァイオリン協奏曲(1935)を始め、無調を進める身辺とは逆行したことから独自のスタイルを獲得したと言えます。しかし、考え方から言えばベルクが完全な無調を推奨しなかったとも言えます。ちょうど100年前に事実上の現代音楽の始まりとなった12音技法による無調に対して、調性的な手法をとったフランス6人組や新古典主義、ジャズ的な要素など反対勢力もいて、今の世の中の多様性よりももっと熾烈な活動であったと思われます。斯くしてこの時も多様な音楽が林立していたと考えられます。ジョリヴェ(1905-74)やメシアン(1908-92)は無調とはまた別のモードを用いた、独特の世界観を追求した作曲家で混迷した1930年以降の重要な作曲家だと思います。この二人は近い関係でありながら作曲家としてのタイプがまったく異なり、メシアンは少なからずジョリヴェの影響を受けたと考えられ興味深いものがあります。論理的で後進に対して大きな影響を残したメシアンは音楽史上重要な位置にありますが、ジョリヴェの音楽は異国趣味を土俗的、本能的に表すことによって演奏される機会が多く、嘗ては少なかった日本の音大学生レパートリーとしてよく知られた存在になりました。とは言え、ジョリヴェに関する文献は少なく理論的な意味があまり知られていません。その後1960年頃から前衛音楽と言われる分野が発達しましたが、ジョン・ケージ(1912-92)を見ても作品を演奏したり鑑賞することよりも、何をした人か、どんな考えを持っているかが重要な観点になりました。同時に調性的な部分を残す近代音楽や、無調や前衛とは無縁の作品も作られていましたが、少なくとも日本では海外のそのような音楽はあまり取りざたされていませんでした。1980年代は盛んに海外の新しい音楽が紹介され続け現代音楽を特集する企画がありました。それは今でもかたちを変え続いていますが、少しずつ縮小されてきてもいるとも思えます。今日では1960年以降の作品が演奏家自らの意志で演奏されることがかなり少なく、自治体や企業が主催する企画や作曲主催によるコンサートで演奏されることが殆どです。その現代音楽シーンを20-30代当初は欠かさず聴きに行っていましたが、まずは自分の周りの演奏家の現代音楽に対する見方、海外と日本との温度差など、新しく紹介されている海外の音楽がさほど歓迎されているわけでもなくなり、さほど好きになれない海外の音楽をあてどもなく追うことに飽きてしまいました。日本人は自分の職として他者との立場を守るためや周りとの協調を重んじるあまり、自ら判断せず海外の事象や肩書きを重んじ、話題になった日本人を良しとすることが多く、内容について検証したり嗜好が入らないために、周りには説得力が欠けているのです。音楽を含めて日本人が好む日本のものを海外に発信することは限られていると言えます。アニメなど一部の文化は日本から海外に発信しているわけですが、クラシック音楽や現代音楽は海外での実績を基に日本での評価がなされています。しかし、それが日本人の嗜好する音楽ではないということがこの30年に思うことです。現代音楽として演奏される曲は武満徹のようなひと昔前のもので今のものではありません。YouTubeに音楽動画を誰もがアップできる時代において、音楽のアカデミズムや正当性、優れた音楽を世界の最先端として紹介されても、YouTubeの再生回数が世界レヴェルで多くなければ信用されないのではないでしょうか。知的好奇心や知り合いでコンサートに行く人がいても愛聴する人は少ないことを表しています。この要因は作曲者側に海外で認められるためのプライドが音楽に出てしまうためで、現代音楽としてのジャンルを外れても愛されるポストモダンを目指すことが必要です。それは無調を貫くか調性音楽を書くか混ぜるかというようなことよりもより決断を強いられ、それでも今までを捨てる勢いでポストモダンを目指すことであると考えています。
2021.02.23
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楽曲分析という授業が過去には意義深く言われたことがありましたが、分析すること自体とてもたいへん難しいことで一言一句に表現を選んだ論述の一種です。現代音楽ではどのような様式で書かれているかを判別することが難しいこともあります。調性音楽の中には楽譜に書いてあることだけでは分析する意義が感じられないこともあります。音楽雑誌やネットの演奏や作曲のレビューを見ると執筆者が楽曲を分析できるほどでもなく、資料を集めてそれらしいことを抽象的な表現で書いていると感じることが少なくありません。今のレビューは批判的な内容は少なく賛辞が前提で書かれていますから、取りあげられた人は内容よりも掲載されることに意味があると感じるでしょう。ただそんな楽曲分析を苦労して行ったとしてもそれは論文の内容として必要だからであって、今の音大生、院生、プロの演奏家に至るまで大多数の人が好きではありません。形式、主題、モチーフを知ればその曲の演奏の手引きになることもありますが、他の構造を知っても演奏に活かしようのない場合もあります。しかし、ごく稀にあたかも世紀の大発見と思えるような気づきがあるのです。ところで、自分が変わり者であることは自覚しています。正確に言えば変わり者と見られていることを自覚しています。何か物事が起きた時に無意識にその裏側まで考え察知しようとすることが多いようです。それは他の人からすればどうでもいいようなことで、逆に訝しく思われたりします。人が何を考えているのか、なぜそのような言動をするのかを察知することは、人とのコミュニケーションを円滑にする意味で良いことだと思ってはいます。しかし一方で、何を考えているのかわかることによって落胆することも多いです。本音を知らなければよかったと思うことや、却ってネガティヴな気持ちになることもあります。森会長が辞任を表明しましたが、その直後からSNSでは森会長への賛辞が溢れています。メディアが一方的に報じてきたことが国民の総意ではなかったことを表しています。メディアはこれまでもウイルス感染をいかに抑えるかという立場でしか報じていませんが、経済弱者や社会における損失の立場に立つことはほぼありませんでした。テレビに出る人たちは経済弱者ではありませんからその立場に立つことはないでしょう。番組制作の予算が減っていることは如実にわかりますが、それは下請会社や音楽などのめに見えにくいコストから減らしていくことになります。それでも強気なテレビの報道は今までわからなかったこと、すなわちスクープを報じます。新型コロナウイルスについては嘗ての感染症とはすでに取材力が段違いに違うわけで、嘗ては大きく報じられなかった日毎の感染者数、変異種、後遺症などが発信されますが、それを知ったとしても、庶民としては今以上の予防はできずただ怖いとしか言えません。ただ、それは今までの風邪にもあったことを改めて調べ上げてスクープにしているきがします。憂うべきことは、このような報道が今後いつでも有りえることです。風邪の一種であるウイルスを感染者数の増減、変異種の出現、稀な後遺症の発見で、インフルエンザなどの他の感染症にも同じことが言え、いつでも不安を煽ることができます。その度に人命優先との理由から緊急事態宣言の発出を煽動しえるのです。結局、人の興味を唆るスクープを見境なく発信しても庶民はよい方向には向かわず、本当に怖いエボラ出血熱のような感染症がが流行したり、 UFOが本当に攻めてきた時、今と同じように庶民の団結は生まれず、パニックや差別、不満が蓄積されるだけです。そんな予想をしただけで今まで以上に生きていきづらい未来を心配しています。個人的な価値観ですが、昭和や平成の前半は今よりもいい時代だったと感じています。今の平成生まれの人も中高年になった時に「平成はよかった」と言う気がしてなりません。
2021.02.11
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森会長の言わんとしたことが何だったのか考えてみました。女性を括りとしたことがこれだけの波紋になりましたが、問題はそれだけではないような気がします。会議で話の道筋が外れたり対象になっている議案と関係ないことを話すことは、参加している人からすればストレスになることは容易にわかります。しかし、弱者の意見や発言したいことは議題に挙がらないの世の常です。意見が議題から外れてしまう理由は会議内でその話題を出すタイミングがないからです。会議ではひととおり挙がっている議案の最後に「その他」として意見を言えます。しかし、弱者からすれば審議事項として出しにくいシチュエーションがよくあります。気持ちが先立って他の議案の中で伏線を張って議事進行を乱してしまうことがあります。どうしてもその意見を出したいからそうなるのだと思います。客観的に見る人は、今はその話ではないと苛立ちを感じることもありますが、会議を招集する側からすれば、議題はそもそも可決したいことを挙げられ、否決したいことは最初から挙げられませんから全体の賛否を取るような内容でない場合、つまり単なる意見や陳情だと議事録で過少に書かれたり省略されたりもします。会議において発言には賛成であるか反対であるか、主従関係によって受け止め方が変わります。森会長の場合は、自身の範疇にない意見が突然出た場合や、低い立場の人が長々と持論を展開することに苛立ちを感じることを意味しているように思え、それを女性として括ってしまったことがさらに大きな印象の下落に繋がったと思います。しかし、主従関係がある場合の形式的な会議は世の中にたくさんあるはずです。そもそも会議で言いたいことが言えるかどうか、闊達な議論ができるかどうか、女性でなくても、日本の会議の多くがそれほど胸を張れるものではない気がします。その言いたいことを言えない雰囲気の中で、敢えて意見することが尊重されるべきです。この報道をしているメディアも情報を取捨選択して少数派や反対意見は取り上げないため、SNS上でメディア批判が絶えず偏向報道と言われることは会議の決議と似ていると思われます。まもなく新型コロナウイルスのワクチン接種が始まるわけですが、体制の欠点や副反応ばかりを追い続ける姿勢で報道されることがあってはならないと思います。
2021.02.06
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これまでの書いてきたことを全て裏付ける記事が出ました。コロナの恐怖を煽るテレビ番組制作者のホンネ専門家が言うことでも思惑と反対であれば反論することの理由がわかりませんでしたが、あまりにも呆気なく全て書いてあるので少し拍子抜けしたほどです。この記事は暴露とも思えるほどに辻褄があっています。何事も現場の研究や苦労がどれだけ尊いものか周りの人はわかっていません。一昨日聖マリアンナ医科大学病院感染症センター長の國島広之教授が、テレビ朝日「モーニングショー」に出演し現場とワイドショーの違いを伝えました。 PCR検査をもっとやるべきだと言うコメンテーター側にその不確かさを説きました。モーニングショーの空論を暴くサイトによる当該記事國島教授の出演直後にSNSでは教授への非難が随分多くありました。しかし、翌日も出演したのは反響が大きかったこと、そして正論だったからだと思います。教授は普段からSNSで賛否の多いモーニングショーについて呆れていたようにも見え、玉川徹氏が話し出すと少し笑みを浮かべつつ答えていました。モーニングショー側の立場をとる当該記事PCR検査の偽陰性、偽陽性が本来起こらないものと信じたい気持ちはわかります。しかし、無症状の人から正確な結果を出すには週3-4回行わなければ出ないと言うことで、全国民にそれを課すことは現実的ではないことを説きましたが、玉川氏は中国ではそれができてその後感染者をしばらく出さなかったと反論しました。真理はそこにあるでしょうか?國島教授は偽陰性が出た場合に院内クラスターが起きやすいとお話されました。また、無症状者が偽陽性になった場合は2週間の隔離措置で失業に追い込まれることもあります。しかもさらにその濃厚接触者にも影響が出て、仕事に大きな支障が出ます。濃厚接触者となり主演ドラマを降板した筧美和子さんの記事この記事は関西で今日出されたものですが、1月中旬から首都圏では濃厚接触者の追跡は行われなくなってきています。首都圏のドラマであれば降板しなくてよかった可能性があります。濃厚接触者の追跡は保健所の業務が膨大になったという理由からです。しかし、追跡が感染を止めることに大きな効果を発揮するのであれば続けるべきです。以前にも書きましたが、感染経路がわからない人、言わない人が多いのは容易に想像でき、保健所内でも追跡に意味があるのかどうかという疑問が生まれて当然だと考えられます。感染すること自体が悪いことではないといくら言っても、事実上制裁を受けるのです。政府はメディアが報じていることではなく真に現場の声に向けた政策が必要です。その意味で菅政権は間違っていないと思えます。現場で起こっていることと周りの見方とはまったく違っていることはよくあります。何の企業や教育現場でも同じですが、現場の声を適正に掬い上げられるかどうかは重要です。新型コロナウイルスとインフルエンザに同時感染が昨年夏頃から噂されていましたが、そのような流行は起きず、あっても情報はごく僅かで、実は同時感染はないとの報道もあります。また、医療崩壊についても病床数や医療従事者数が病院ごとに日々変わることが想定され、コロナとそれ以外の病床を無駄なくうまく調整するためには毎日逼迫しているのは当然です。つまり、ある程度感染者が増えてきたらコロナ用病床が足りなくても余りすぎてもNGです。壊滅的に病床や人手が足りなくなったという医療崩壊があったとは言われていません。在宅で軽症から急変するのは、血中酸素濃度をきちんと測る必要があり別の問題です。一方で自分が今まで受けてきた苦労を皆が感じるような現実が起きています。それはテレワークがいかに難しいかということです。会社や学校におけるテレワークはこれまでよりもうまくいかないことが指摘されています。推進しようとしている人は、自分の企業や自分の周りに優秀な部下しかいないからです。音楽関係の仕事は定期的に会う社屋などの場所がありませんので、連絡手段が電話しかなかった頃は、仕事内容が明確なものは電話で連絡を取り、大事な要件や型に嵌らないクリエイティヴな案件は会って話すことに、また制作側スタッフと出演者が会うキックオフ・ミーティングがあることもあります。今の若者はLineメッセージによってほとんどのやりとりを行うことが多いと思います。仕事内容がルーティーンな内容であればそれでいいわけですが、クリエイティヴな内容が入ってきたり信頼関係が薄い場合は直接話したり、気持ちとして熱い思いや礼を言いたい場合は会って話すことも必要です。しかし、今は多くの人がコミュニケーションをできるだけ取らずに仕事がしたい、言い換えれば自分のやりたいようにやりたいという人が多くなってしまいました。これは楽で並行してたくさんのことをやりたいと言うことの表れだと思います。ただそれだけ思い入れが少ないということでもあり、齟齬が生じやすいのです。テレワークになって今まで会って話していたことを全て知らせるわけもありません。信頼関係があればこそですが、何しているかわからない、返信に時差が起こる、予定していた業務日程に仕事が収まらないにも関わらず会うことすらままならない、仕事上の主従関係は威力がなく、フラストレーションの溜まる日々が続くのです。
2021.02.03
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今の緊急事態宣言とは何か?中小の飲食店を救済する期間です。ひとつの飲食店に対する月間の給付金は180万円です。大きな飲食店の保証がが少ないのが課題で、他の関連業種は不平等を感じるかもしれませんが、緊急事態宣言を出さざるを得ない民意がある以上、すべてを救うことは難しいと思います。それでも緊急事態宣言の言葉の効果は遠出しない意味で功を奏しています。その意味で航空、鉄道は大打撃、反面近場であれば自由に行き来できます。感染対策についても浸透していますから、結果として感染しなければ自由です。自分にとって怖ければ完全に外出しない、そうでなければしていいと言う意味です。MATTCH CUCINA ITALIANA(マッチ・クッチーナ・イタリアーナ)は、イタリア料理のお店で20時閉店です。予約して行きましたが63の客席で、他にお客はまったくいませんでした。お店の人は緊急事態宣言になって店内飲食はとても減ったとのことですが、営業している以上は感染対策をして行くべきだと思っています。いろいろ注文した中でも写真のプカティーニ・アマトリチャーナ・ルスティカ風が絶品で、太麺パスタのプカティーニ、アマトリチャーナはトマトベースのソース、ルスティカは田舎風です。カリカリに焼いた厚切りベーコンがたくさん入っていてワインの肴としても最高です。店頭では、夜時間でもテイクアウト中心です。最近は銀座コージーコーナーによく行きます。他のケーキ屋さんは、結構お客さんが多くてどれがいいか迷うので気後れしてしまうからで(笑)結局いつも空いていて、ケーキが大きく安価なコージーコーナーです。2枚続けて「いちごのモンブラン」です。1月に苺フェアをやっていました。下は「苺のフルーツケーキ」です。
2021.02.01
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