夜行列車も使い丸一日かかったような気がします。
こんな立派な駅じゃなかった。
木造だったような。
地面を走っていた列車が高架に成っています。
バスセンターに行って大学までの切符を買おうとしたら、なんと廃線!!
えええええ!!!!!????
どういうこと?
大学に行くバス路線が無いって。
みんな、どうしてるの?
これは、そのあとの、バス路線で帯広を懐かしむプランは不可能と思い、タクシーに乗りました。
懐かしい本部棟。
この三階の北西の角に、三、四年生を過ごした研究室がありました。
まあ、おじさん、畜大時代、本当に不真面目な学生で大学より飲み屋に通っていました。
大学の手前に農業高校もあるんですが、当時に比べ、樹木が大きく育っていて森のようでした。
大学も木が大きくなってます。
敷地の形も、建物の配置は同じだけど、雰囲気がまるで違うんです。
入学後、落ち着くまでの一週間だけ居た碧雲寮もそのまま在りました。
四年間バイトした焼肉の平和園。
ピンフエンと呼んでました。
当時のままの建物で営業してて感激です。
今は支店が三軒もあるそうです。
お客さんの残した焼かなかった肉を集めて、閉店後、味をつけて、まかないで腹いっぱい食べさせてくれました。
今だったら、絶対アウトだろうな(笑)
でも、貧乏学生の貴重な蛋白源でした。
しかも、それがメチャ美味しかったんです。
だから、今でも流行っているんですね。
仕送りが来ると、一度は食べに来たふじもり食堂。
隣に同じ経営で、インデアンってカレーショップも在りました。
今はカレーショップは移転して立派に成ってました。
エルパソ、当時、今も?此処は訳のわからん不思議なマスターがやっていた、喫茶店のような、スペイン料理屋さんでした。
自分で豚や牛を飼育したり、色んなイベントを企画してた面白い店なんです。
どのお店も50年以上続いているのが感慨深い。
この他にも、家庭教師をさせてもらったイクラ丼が美味しかった京橋食堂。
同じく家庭教師をさせてもらった喫茶店の「詩」。
この二軒は、タクシーの運転手さんが知らなくて見つけられませんでした。
おじさんの青春があった町、帯広です。
そうそう、タクシーの運転手さんのお子さんが、現在畜大に通っていて後輩でした。
どうやって通学してるか尋ねたら、お父さんがタクシーで送り迎えしてるって(笑)
あまいな~~~~
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