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ここで少し脱線を致します。貴国に対する日本のODAには
あるライトモティーフがありました。
それは「森」と「水」に ほかなりません。
例えばトリプラ州において・グジャラート州で・そしてタミル・ナード州で
森の木を切らなくても生計が成り立つよう 住民の皆様と一緒になって
森林を守り再生するお手伝いをしてまいりました。
カルナタカ州でも地域の人達と一緒に植林を進め併せて貧困を克服
する手立てになる事業を進めてきました。
それから 母なるガンジスの流れを清める為の下水道施設の建設と改修
バンガロールの上下水道整備や ハイデラバードの真ん中に
あるフセイン・サーガル湖の浄化
これらはみな インドの水よ 清くあれと願っての事業です。ここには日本人の インドに対する願いが込められています。
日本人は森を慈しみ 豊富な水を愛する国民です。
そして日本人は 皆様インドの人々が
一木一草に命を感じ 万物に霊性を読み取る感受性の持ち主だ
と言う事も知っています。
自然界に畏れを抱く点にかけて 日本人とインド人には ある共通の
何かがあると思わないではいられません。
インドの皆様にも どうか森を育て生かして欲しい豊かで清浄な水の
恩恵に浴せるようであってほしいと日本の私達は強く願っています。
だからこそ日本のODAを通じた協力には 毎年のように 必ず
森の保全 水質の改善に役立つ項目が入っているのです。
私は先頃「美しい星50(Cool Earth 50)」という地球温暖化対策に
関わる提案を世に問いました。
温室ガスの排出量を 現状に比べて「50」%20「50」年迄に減らそう
と提案したものです。私はここに皆様に 呼びかけたいと思います。
「2050年迄に温室効果ガス排出量を今のレベルから50%減らす」
目標に 私はインドと共に取り組みたいと思います。私が考えますポスト議定書の枠組みとは主な排出国を総て含み
その意味で今の議定書より大きく前進するものでなくてはなりません。
各国の事情に行き届く 柔軟で多様な枠組みとなるべきです。
技術の進歩をできるだけ取り込み 環境を守る事 経済を延ばす事
が二律背反に ならない仕組みとしなくてはなりません。
インド国民を代表する皆様に申し上げたいと思います。
自然との共生を哲学の根幹に据えてこられたインドの皆様くらい
気候変動との闘いで先頭に立つのにふさわしい国民はありません。
どうか私達と一緒になって経済成長と気候変動への闘いを両立させる
難しいがどうしても通っていかなくてはならない道のりを歩いて行って
は下さいませんでしょうか。
無論 エネルギー効率を上げる為の技術など 日本として ご提供
できるものも少なくない筈であります。
先程 ご紹介しました通り 私の今度の旅には 日本を代表する企業の
皆様が200人ちかく一緒に来てくれています。
まさに今 この時間帯 インド側のビジネスリーダーとフォーラムを開き
両国関係強化の方策を論じて下さっているはずです。
こうなると 私も日本とインドとの間で経済連携協定を それも
世界の模範となる様な包括的で質の高い協定を一刻も早く結べるよう
日本側の交渉担当者を励まさなくてはなりません。
インドの皆様にも早く締結出来る様ご支持を賜りたいとそう思っております。
両国の貿易額は是から飛躍的に伸びるでしょう。
あと3年で200億ドルに達するのは多分間違いないところだと思います。
シン首相はムンバイとデリー・コルカタの総延長2800Kmに及ぶ
路線を平均時速100キロの貨物鉄道で結ぶ計画に熱意を示しておいで
です。あと2カ月もすると 開発調査の最終報告がまとまります。
大変意義のある計画ですから これに日本として資金の援助が出来るよう
積極的に検討しているところです。
そしてもう一つ 貨物鉄道計画を核としてデリーとムンバイを結ぶ産業の
大動脈をつくろうとする構想については日本とインドの間で今 色々と
議論を進めています。
特に この構想を具体化していく為の基金の設立に向けてインド政府と
緊密に協力していきたい考えています。
今夕 私はシン首相とお目にかかり 日本とインドの関係をこれから
どう進めて行くか ロードマップを ご相談するつもりです。
会談後におそらくは発表する事が出来るでありましょう。
この際 インドの国民の代表であられる皆様に申し上げたい事は
私とシン首相とは 日本とインドの関係こそは
「世界で最も可能性を秘めた2国間関係である」と
心から信じていると言う事です。
「強いインドは日本の利益であり 強い日本はインドの利益である」
と言う据え方に於いても 二人は完全な一致を見ています。
インド洋と太平洋という 二つの海が交わり「拡大アジア」が形を
なしつつある今 この ほぼ両端に位置する民主主義の両国は 国民各層あらゆるレベルで友情を深めていかねばならないと私は
信じております。
そこで私は 今後5年にわたり インドから毎年500人の若者を
日本へお迎えする事と致しました。日本語を勉強している人
教えて呉れている人が そのうちの100人を占めるでしょう。
これは未来の世代に対する投資にほかなりません。
しかも それは日本とインド両国のためはもとよりの事 新しい
「拡大アジア」の未来に対する投資でもあるのです。
世界に自由と繁栄をそしてかのヴィヴェーカーナンダが説いた様に 異なる者同士の「共生」を もたらそうとする試みです。
それにしてもインドと日本を結ぶ友情たるや私には確信めいたもの
があるのですが必ず両国国民の魂の奥深い所に触れるものとなる
に違いありません。
私の祖父 岸信介は 今から丁度50年前 日本の総理大臣として
初めて貴国を訪問しました。時のネルー首相は数万の民衆を集めた
野外集会に岸を連れ出し
「この人が自分の尊敬する国 日本から来た首相である」と力強い
紹介をしたのだと 私は祖父の膝下(しっか)聞かされました。
敗戦国の指導者として 余程 嬉しかったに違いありません。
また岸は日本政府として戦後最初のODAを実施した首相です。
未だ貧しかった日本は名誉にかけてもODAを出たいと考えました。此の時 それを受けて呉れた国が貴国 インドでありました。
此の事も 祖父は忘れておりませんでした。
私は皆様が日本に原爆が落とされた日 必ず決まって祈りを捧げて
呉れている事を知っています。
それから皆様は 代を継いで 今迄四頭の象を日本の子供達に
お贈り下さっています。ネルー首相が下さったのはお嬢さんの名前
をつけた「インディラ」と言う名前の象でした。
其の後合計3頭の象をインド政府は日本の動物園に寄付して下さる
のですが それぞれの名前は どれも忘れ難いものです。
アーシャ「希望」
ダヤー「慈愛」
そして スーリャ「太陽」
と言うのです。最後のスーリャがやって来たのは2001年の5月でした。
日本が不況から脱しようともがき 苦しんでいる 其の最中
日本の「太陽はまた昇る」と言ってくれたのです。
これら総てに対し私は日本国民になり代わり お礼を申し上げます。
最後に皆様 インドに来た日本人の多くが必ず目を丸くして驚嘆する
のは 何だか ご存知でしょうか・それは 静と動の対照も鮮やかな「パラタナティアム」や
「カタック・ダンス」といったインドの舞踊です。
ダンサーと演奏家の息はリズムが精妙を極めた頂点で申し合わせた様に
ピタリと合う。複雑な計算式でもあるのだろうかとさえ思いたがるむきが
あるようです。インドと日本も そんなふうに 絶妙の同調を見せる
パートナーでありたいものです。いや 必ずや なれるでありましょう。
ご清聴有難う御座いました。 安倍晋三
この演説の反響
国会はシン首相 アンサリ上院議員 茶他時-下院議員隣席の中
上下両院議員によって満席であり達身が出るほどの盛況であった。
また アドバニ野党下院リーダー ジャストワン・シン元外相
グジュラール元首相を始め カピル・シバル科学技術相現職閣僚多数
を含む有力な政治家も顔を揃えており
安倍総理のスピーチに対するインド側の高い期待が伺われた。
スピーチに対して聴衆より随所で30回以上の拍手が起こり
スピーチ終了後は全員総立ちのスタンディングオベーションとなった。
演説後 シン首相 アドバニ野党下院リーダー ムカジー外務大臣等
より 総理演説は素晴らしい内容であったとのコメントがあった。(完)
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