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あまりにも天気が良かったので、息子と一緒に裏磐梯をドライブしてきました。磐梯山の表情を求めながら、桧原湖を一周してみます。ボート乗り場で写真を撮っていたら、「足漕ぎボートに乗りませんか」の客引きが次々とやってきます。まだ8時ですから観光客もまばら。ちょっとイメージダウンです。この眺めが、磐梯山の噴火の凄さを一番感じさせてくれるものではないでしょうか。穏やかな桧原湖の湖面を眺めていると、心も和みます。
2012.06.02
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久しぶりに早起きをして(目は覚めていたのですが、カメラを持って外に出るのは久しぶり)自宅周辺を歩いてみました。今年は作付け制限をされていて、本当なら田植えしていないはずの田んぼの一角に水が張られて、半分だけ田植えがされていました。(試験的なのか?これが本来の姿なのですけどね)こちらも畑の2列だけにジャガイモが植えられ、1列の半分だけに長ネギが植えられ、それ以外は荒れたままになっています。農地の除染計画はどうなっているのでしょう? 除染の前に、この地域は住宅の除染もまだ始まっていません。福島市の計画では24年度中に完了予定ですが、5月にようやく地域住民への説明会があり、各戸へ同意書とアンケートが送付されたところ、これから業者と住民の打ち合わせしてから除染作業が行われるようになります。 いずれにしても、庭に埋めるよりも、中間貯蔵施設への集約が決まらないうちは、何をしても不安は解消されませんね。
2012.06.01
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先日の国会原発事故調査委員会の参考人招致でのグダグダでチグハグな答弁があちこちで叩かれている福島県知事ですが、昨日は山形県へ初めて出向き、山形県へ避難している人との意見交換会に出席するとともに、山形県知事に支援を感謝したらしいですね。「福島県知事初来県、避難者『対策が後手』」(http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/news/20120530-OYT8T01221.htm)山形県には1万人を超える避難者(避難指示、自主避難を含む)が生活しているといいますから、今までどうして福島県が感謝の意を表するとか、実状を確認するといった担当レベルの情報交換がなされていなかったのでしょうか? 福島市長はずいぶん前に福島氏から自主避難している人との意見交換を行っていましたね。(2月だったかな)そう考えると、福島県から新潟県へ避難している人の数も相当に上っているはずだし、福島県内から福島県内に避難している人達(あ、我が家だ)や、福島県内で避難者を受け入れている市町村に知事が出向いて意見(話)を聞いたことがあるのでしょうか?自然災害で想定外だった地震と津波、そして人災ともいえる原発事故、原発事故に伴う風評被害? 福島県は4つの災難に見舞われていると言っておきながら、その災害に遭った人や支援している人の意見を細かく聞き、福島県民に寄り添う姿をみせたことがあるのでしょうか?18歳以下の医療費無料が優先順位が一番高い、県民の総意なのでしょうか? 多くの(すべての)県民の意見に耳を傾けて、一つ一つ問題を解決していかなければならない、そのためには膨大な時間と手間と費用がかかるのは間違いありません。 しかし、そのための第一歩が踏み出されていなければ、何か物事を進めなければ解決への道は開けてきません。3月11日からすでに1年3ヶ月が過ぎようとしています。自宅を追われた人はいつになったら明確な未来を描くことができるようになるのでしょうか?この知事では駄目だ・・・という意見があります。知事なんて誰がなってもそうそう変わらないでしょう。 福島県という組織に問題がある、田舎の役人感覚では通用しない現実がある、私はそう思います。 今までと同じではないのです、今までになかったことなのですから。
2012.05.31
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福島県で原発を再稼動させるなんてとんでもないと言う意見が90%を超えると思いますが(福島第二原発を抱える自治体は再稼動させたいかもしれませんよ)今の世の中の動き、関西電力の大飯原発の再稼動についてや、原子力規制庁の整備に関することを見ていても、「原発を再稼動させないで」という考えにないことが分かりますよね。「福島の原発事故のようなことを二度と起こさないように」という言葉は、あたかも原子力に依存しないエネルギー政策を考えているように聞こえますが、続く言葉は「事故が起きても万全の体制を整える」というのですから、廃炉ではなく、地震や津波が来ても同じ事故が起きないような対策を取って原子力エネルギーを使い続ける、ということでしょう。エネルギー資源が乏しい日本がここまで豊かな生活をおくれる要因は、電気を自由に使えるような環境が整えられたからこそで、必ずしも原子力エネルギーがコスト的にも環境的にも優位だったとは限らないはずなのですが、核燃料サイクルという夢物語で廃棄物が出ないエネルギー活用方法として原子力を推進してきた・・・考えてみれば、福島・宮城・岩手沿岸にこれほどの大きな地震と津波が起きるとは誰も予測していませんでしたよね? 地震というと駿河湾を震源とする東海地震のほうが現実的に起きる可能性が高いと思っていましたが、今となっては、日本列島どこでも大きな地震が発生する可能性が高まっているとして大騒ぎ。まだ福島の原発事故は収束もしていなければ、第一原発の廃炉作業は数十年かかる見込みで進捗はまだまだですが、間違いなく福島県以外の原発は3年以内に再稼動するでしょう。今年の夏が猛暑にでもなれば、間違いなく来年は原発を再稼動させなければならないという動きになることでしょう。今まで稼動していた原発の中で、安全性が高い新しい原発は再稼動させるとして、それよりも核燃料サイクルが幻だったという現実に基づいて、核のゴミをどう処分するかを本気で議論する必要があると思います。日本が今までのように豊かな国でありつづけるためには。
2012.05.30
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原発事故により計画的避難区域となって、全村避難している飯舘村。私の家族が後にした花見山には飯舘から避難している方が住んでいたりしますので、ちょっと複雑な気持ちですが、飯舘村と福島市の間には確実に「見えない境界線」が引かれています。飯舘といったら飯舘牛。川俣町と南相馬市の間にある山あいの田舎で、全国に誇れるブランド牛として飯舘牛は育てられていました。それが原発事故で全村避難となり、人より数が多かったと言われる牛もすべて村外へ引き取られてしまいました。飯舘村の人の多くが福島市の仮設住宅か借上げ住宅に住んでいて、とても牛を育てられるような状況にありません。残念なのは、このまま飯舘に戻ることができないでいれば、飯舘牛のブランドは消滅してしまう、それは種の根絶というよりも畜産家が築き上げてきたノウハウの消失にあると思うのです。飯舘村と同じような環境で、飯舘牛を育てたときと同じ方法で畜産ができるところでの復活はできないか? ネットで調べてみると「福島の飯舘牛を南アルプスで育てようプロジェクト」というものがあるではないですか。 南アルプスでできることが、福島県内でできないわけがない。磐梯山の麓には国有地の広大な牧草地もあるし、磐梯山のきれいな伏流水もあるし、牛を育てるのには何の不便もありません。なにより飯舘村と同じ福島県にありながら空間の放射線量は1/20以下と、事故前とほとんど変わらない環境があるのです。「会津磐梯山は宝の山」の名のとおり、磐梯山ろくには秋に黄金の穂を実らせる環境もあれば、飯舘牛を復活させられる環境もあるのですから、飯舘牛を育成するノウハウをもった畜産家を応援すれば、ますます宝が増えるのでは?「福島の牛肉は不安だ」という人には売らなくて良いんです、猪苗代には多くの観光や福島を応援してくれる人が訪れます。磐梯・飯舘牛は、磐梯・猪苗代エリア限定で提供する仕組みは(既存のハンバーガー店もレストランもおいしいお肉は喜んで使ってくれるでしょう)十分に揃っています。磐梯・猪苗代の地元の人は受け入れてくれるでしょう、問題は国と県が協力してくれるか?そして、飯舘牛を育てるノウハウを持った人が新天地でやってみようという気持ちになるか? そういう応援ができればいいなと思います。
2012.05.29
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土日に子供たちのイベントに付き合い、日曜日の午後に一人福島市に戻る車の中は、「サザエさん症候群」を患ってしまいそうな雰囲気です。 周りの車は楽しい行楽帰りなんだろうなぁ~とか、バイクでツーリングしている人達を見ると、「自分は何を楽しみにしているんだろう?」と悩みそうになってしまいます。で、冷静に現状を考えてみたのですが、人間には2つの本能があるような気がします。ひとつは「自分の遺伝子(子孫)を残す」ということ。 どんな生物(動物も植物も)も「自分の種の遺伝子を後世に残す」ために生きているのではないでしょうか? 厳しい環境でも生まれ故郷の川を遡上して産卵して自分の生涯を終える鮭や、産卵した後に自らの肉体を生まれてくる子供たちの餌として残す昆虫など、自らの命と引き換えにしてもつなぐべき種の保存の目的が本能として備わっている、そんな気がします。だからこそ、今回の原発事故のような、今まで自分か経験していないような問題にぶつかったとき、本能として「自分の遺伝子を残す」=「子供を守る」という行動に出たのではないかと思うのです。どんな時においても「母は強し」といいますが、自分の子供を大切に思わない親はいないはず。それが暴走してしまうと、モンスターペアレントになったりしてしまうわけですが、過去の経験や、世の中の常識、リスクとベネフィットの関係の中から、親は子供が自立していくために教えたり、自分で経験することを見守ったりしていかなければならないのですね。そのバランスが崩れると子供本人のためにもならないし、親が親ではなくなってしまう・・・さて、もう一つの本能ですが、それは「自分自身を生きる」ということ。動物は(自分が動物になったことはありませんから、想像の域を超えませんが)「自分の遺伝子を残す」という本能のために生きて、生きるために餌を捕り、それを食べ、そして休息するという行動で生涯を終えるのだと思うのですが、人間は「自分を生きる」という目的を持った動物ではないか?と思えるようになってきました。「自分を生きる」=「楽しみをもって生きる」と置き換えたほうがすっきりするかもしれませんが、遺伝子を残す前(幼少期・少年期)と遺伝子を残した後(子育てが過ぎた時期)にこそ、この本能が満たされなければならない? そして不幸にも自分の遺伝子を残すことができなくとも、「自分自身を生きる」という本能に支えられて生きていける??? 逆に楽しみをもって生きなければ、他の動物と同じように遺伝子を残して満足したまま死んでしまう?「楽しみとは何か?」今度はこれに頭を悩ませてしまいそうですが、何か自分の楽しみを見つけられないでいる自分がもどかしく思えてしまいます。 とはいえ、会社の接待で話題になる「ゴルフ」なんかを趣味にはしたくないんだなぁ。 酒も飲まず(飲めず)ゴルフもやらないと、接待の席で話を合わせられずに聞き役に徹するだけです。
2012.05.28
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今回は和菓子の有名店、会津豊玉。風格のある看板と清楚な雰囲気のあるお店は猪苗代警察署のそばにあります。今日は一押し商品の「しらゆき}と朝生菓子3種類を買いました。その中で、私が食べたのは豆大福。おもちが固くなるので当日中に食べてくださいと注意書きされるほどで、やわらかなおもちに、塩味を感じるあんこが絶妙です。それから名前を忘れてしまったのですが、青肌黄粉がかかっていて、中はずんだ餡の生菓子。豆の香りが強烈(香りが濃い?)でした。ネット販売もしているようですが、朝生菓子は店頭でしか手に入りません。猪苗代ならではの逸品ということですね。
2012.05.27
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運動会という学校行事の中でも一大イベントを終え、今日は一番上の子(鉄道好き)と一緒に会津若松駅へトロッコ列車を見に行ってきました。 その前に今朝の磐梯山。今回は田植えが終わった田んぼに映る姿を捉えてみました。何度見ても磐梯山は不思議なほど飽きません。今回は、ある有名なトロッコ列車が福島県にやってくる!ということで会津若松へ向かったのですが、その列車を撮る前に地元会津鉄道のトロッコ列車をパチリ。風覧望(ふうらんぼう)という展望車両と沿線駅の有名なネコ駅長キャラクターをモチーフにしたトロッコ車両。今日のような天気に新緑の中を走るのは最高でしょうね。そしてこちらは、お目当てのトロッコ列車を待つ家族連れ。とても会津若松駅とは思えないほどの混雑ぶりです。そしてやってきたのは「アンパンマントロッコ列車」JR四国で運行されているものだそうです。これは、小さな子供に大人気のアンパンマンを見にたくさんの家族連れがやってくるのもうなずけますね。 実は先着110組が車内を見学できたのですが、そのための整理券もらうために早めに出掛けてはみたものの、配布開始1時間前には定員オーバーで、整理券の順番待ちにも並ぶことができませんでした。ま、たった1両だけでしたし、トロッコ車両なので外から丸見えでしたからよしとしましょう。
2012.05.27
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昨日の雨で心配していた運動会。今朝6時の花火の合図があったので無事開催のようです。猪苗代町では今日、運動会を開催する小学校が多いらしく、福島市から猪苗代町へ来る途中の小学校のグラウンドにも、場所取りのブルーシートがたくさんありました。青空の下でのびのびと運動できる幸せを体全体で感じてほしいものです。===追加天気に恵まれたいい運動会となりました。手前に見えるWatariKIDSは我が家の2番目、奥のwatariKIDSは昨年もいたお嬢様(黒のレクサスが御出迎えしていました)
2012.05.26
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facebookの株価が下がったとかで賠償請求を起こした人達もいるらしいですが、facebookにビジネスの可能性を求めて投資した結果なわけですから、「取らぬ狸のなんとやら」な気がするのは貧乏人のひがみでしょうか^^;facebookには、そのニュースやコメントなどに反応する「いいね!」があるのですが、世の中の物事はかならずしも「いいね!」と言えるものばかりではありませんよね? 日本語で言う「喜怒哀楽」のうち、「いいね!」に該当するのは喜と楽なのかな? とすると、怒と哀に該当する何かを増やしてもらいたいような気もします。それから、2ちゃんねるで多用される 「ワロタw」があったらもっと楽しいかも。「ワロタw」も2回続けると「ワロタwワロタw」では哀に通じるニュアンスにもなるところが面白いと思うのですが・・・ そんなことを朝から考えてる私はネット中毒なのかもしれませんね。
2012.05.25
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facebookのほうにもリンクしたのですが23日に裏磐梯で関東知事会が開催されたようです。会議を福島県で開催しようと呼びかけたのは、やはり石原東京都知事。この人の発言や思想は時々?!なこともありますが、その行動力はさすがだと思います。 観光客の落ち込みに対する支援のために、裏磐梯で会議を開催した後に会津若松市を訪れていることは、「観光会津」にとって励みになったことでしょうね。一方、地元の福島県知事はというと、影の薄いこと薄いこと。「知事会議の開催は風評の払拭につながり、決議は県民に大きな勇気、力になる」と謝意を示したらしいですが、未だに風評という言葉を使っていることは県民として情けないですし、他力本願なことばかりで自助努力の気配が微塵も見えないところに苛立ちを感じたりします。福島県という自治体の動きの遅さと感覚の鈍さは、経済界の動きにも現れています。福島県内に企業進出もしくは事業拡大に対して交付される「ふくしま産業復興企業立地補助金」この取り扱いについて企業側から不満続出です。政府が補正予算で確保した1600億円に対して、福島県が採択した対象企業数167件、補助総額1740億円。数字だけを見ると予算を超える補助総額と予想以上に多い企業件数だと思われがちですが、これは3月末までに申請できた企業数229件、そして今後の候補が123件に対しては少なすぎるというのが、申請したもしくは今後申請を予定していた企業側からの不満意見です。上限200億円、費用総額の2/3以内を補助するという破格の条件を使わない手はありません。私が知っているだけでも中小企業の社長さんは、この補助金に合わせて設備投資計画を変更して申請したいという人がかなりいました。(申請が間に合ったかどうかは別として)話を聞いていた会社名は交付対象企業リストにはありませんでした。金融機関の人と話しをしても、このチャンスに設備投資をしっかりすれば企業だけでなく銀行にとってもおいしい話だし、雇用確保につながれば地元経済が活気づくと期待していたようなのですが、追加補正の動きが見えなくて、もしかしたら167件で終わり?計画途中の多くの企業は無駄な努力だけで終わってしまう可能性が高いと嘆いています。福島県から県外へ本社機能を移転してしまう大企業もあるし、逆に福島県内で企業活動を拡大しようとする企業もあるのに、どちらに対しても積極的に支援(福島県内で活動してもらう支援)をしている組織とは思えないのが福島県の対応です。ま、利権が絡むからお役人は消極的なのかもしれませんけどね。
2012.05.24
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猪苗代のおいしいお菓子を紹介していますが、次のターゲットは和菓子にすることにしました。となると、やはり警察署の脇にある「会津 豊玉」でしょうね。 店の雰囲気がいかにも和菓子の重鎮といった感じでしたが、調べてみるとその通りのようです。週末にある子供たちの運動会のご褒美にすることにしましょう。
2012.05.23
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震災後、どうしても訪れたいと思っている場所のひとつが先週に訪問を実現できた相馬市松川浦でした。 震災のニュースでいやというほど流れた、相馬の津波の映像。あの場所にもう一度立って、思い出の地が今どうなっているのか?すべてを自分の目で確かめたい。その思いがありました。それとも一箇所、福島県内で震災後にどうしても訪問したいと思っている場所があります。それは郡山市のビッグパレットふくしま。以前の職場としてオープンに関わったあの場所が震災で避難所となり、多くの被災者を受け入れ、そして施設のあちこちが壊れてしまったあの場所。 今は避難所としての機能は終了し、際オープンに向けて施設の修理や受入準備を進めていると思いますが、臨時駐車場の場所は今でも仮設住宅が立ち並んでいて、震災と原発事故が収束していないことを教えてくれることでしょう。今から10年以上前のオープン時は、福島県内最大のコンベンション施設として県内外からお客様を呼び込み、郡山市の地の利を生かしたコンベンションの開催を継続的に行えるよう、スタッフは全国各地の展示場や会議施設で研修を重ねました。そのときに大阪や神戸の施設管理者から言われたことの中に、「大規模災害で避難所に指定される可能性があるが、一度避難者を建物に入れてしまうと、簡単に出て行ってもらうことができない(避難所として機能している間はお客様に貸し出しできない)だから、避難所となるときは細心の注意が必要だ」と言う言葉がありました。避難所として施設が人の生活の場となってしまう・・・ よもやビッグパレットふくしまがそういう状況になるとは思いもよりませんでした。避難所として被災者を受け入れるだけではなく、仮設の町役場まで設置されたことは、当時のスタッフにとって大変だったのではないかと思います。(残念ながらオープン当初からのスタッフは誰もいなかったようですが)そこからの再スタートに対して、スタッフOBの一人として現地に行って現状を知りたい、そしてオープン当初の心構えを誰かに伝えて来たい・・・現在向こうにいるスタッフには私が大嫌いな○○もいますから(避難所となったときに応援を拒否していたら、4月の人事異動で島流しになった糞野郎・・・言葉が下品でしたね)まだ気が置けるスタッフが勤務しているときを見計らって郡山訪問してみたいと思います。
2012.05.23
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震災発生以降初めて相馬に足を踏み入れた私ですが、いろんな人に話をしてみると「行きたいけれど、なかなか足が向かない」という人が多いようです。その理由は、震災の津波の映像が頭の中に残っていて、実際にその場所に行ったら、当時の状況を思い出すとか、自分がそこに行ったときに同じ状況が起きるのではないか?という心配をしてしまう、だからなかなか行けないというのです。確かに私も今回相馬に行くにあたっては、「自分が行っているときに津波がきたらどうしよう」という心配もあったし、「原発に何か変化があったらどうしよう」ということも考えました。(緊急地震速報を的確に受信できるように携帯は運転していても分かる場所に置き、万が一の際には逃げられるようにナビを付けて、線量計も持って・・・ まぁ、普通に相馬でどんぶり食べてくるにしては大げさな準備だったかもしれません。津波で流された場所に行くということは、もしかしたら自分も同じ目に遭うかもしれないというリスクを覚悟しなければならない・・・むしろリスクばかりを心配していたような気がします。 でも実際には海沿いで被害が少なかったお店はオープンしているし、護岸工事は作業をしている、釣具屋さんも店を開けていて、ちょっとした場所では釣りをしている人さえいる・・・ 見た目は激変しているのですが、そんな中でもいつもの生活がそこにはありました。日曜日、私も津波の爪あとばかりを写真に収めてきましたが、むしろ再開している(日常生活を取り戻している)風景も写してくるべきだったのかもしれませんね。 津波の被害はこんなに凄かったよ、でも今はここまで日常生活は復旧しているよ、という安心感が、これから相馬に足を運ぼうと思っている人には必要なのではないでしょうか。同じような災害がまたやってきたら・・・と考えると恐怖ですが、その災害を乗り越えていこうとする人々の活気を伝えていくこと、「行って支援」には、そんな役割もあると思います。 第二弾は息子を連れて行きたいと思っています。
2012.05.22
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来年には子供たちを猪苗代町から福島市に戻すと決めたものの、本当に渡利に戻していいのだろうか?という心配が付きまといます。学校は除染しました。住宅の除染も今年中には終わるでしょう。空間線量は原発事故直後から比べれば半分以下になりました。自宅の前の畑では何も栽培していません。米も会津産を分けてもらうことができます。でも、渡利地区は今年(24年)の米の作付けは断念しました。そのために田んぼは何もできずに耕作放棄地のようです。25年はどうなるのでしょうか? 田畑の除染は話題にものっていません。山林の除染も聞こえてきません。放射線のリスクだけを心配すること自体が精神衛生上良くないことが分かってきましたが、「本当に心配ないのか?」という答えを見つけることができません。『せめて福島市内でも渡利ほど騒がれないような場所にしたら』と言ってくれる人がいます。確かに福島市の西部地域や大森・荒井なんかは、渡利とは比べ物にならないほど空間線量は低いですよね。そういうところに引越しを考えてはみるものの、渡利と比較すると通常に生活するには不便な環境なんですよね。病院ならわたり病院があるから救急でも安心だし、学校はほどよい距離にあるし、車で買い物に出かけても4号線が近いので楽だし・・・ 街なかからも近いので自転車で行動できる範囲に図書館も美術館もデパートも?ある。 あえて不満を言うなら道幅が狭いことくらいでしょうか?山もあって、川もあって、田んぼもあって、畑もあって、きれいな花も咲いていて・・・こんなにいいところだったのに。原発事故さえなければなぁ~ 結局腹が立つところに戻ってしまいます。
2012.05.21
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CAPTAINさんからの情報で、福島県がまとめた18歳未満の避難状況(県内・県外の区別あり)があることがわかりました。(http://www.kahoku.co.jp/news/2012/05/20120515t61013.htm)この資料はあくまでも原発事故の警戒区域や計画的避難区域からの避難者も含まれていますので、自主避難者の正確な数字とはならないかもしれませんが、18歳未満に限って考えれば福島+郡山+いわき+白河+相馬+二本松+伊達+本宮+国見+大玉+天栄で1557人が自主避難だといえますね。 いわき市の数字が飛びぬけて多いですが、福島市や郡山市といった都市部で自主避難した中で、県内への避難は少数派なんですね。(福島市の24人のうち4人は私の子供たちになりますから)福島県は18歳未満の医療費無料を掲げて「日本一、子供を海育てやすい県」を目指すようですが、その視線は県外へ避難した人達に向けているのでしょうか? 河北新報がわざわざ県内と県外に避難先を分けた理由が知りたい気がします。
2012.05.21
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行ってきました、相馬市松川浦、食べてきました、復興チャレンジ丼 第一弾(ということは二弾もあるのかな?)まずは小さい頃に夏休みの潮干狩りや海水浴で泊まったことがある岩の子に向かいます。なーんにもありません。密集していた民宿は根こそぎ流されてしまったようです。その昔、泊まったことがある民宿「三久」は建物半分だけが残っていました。こちらは「はやしや旅館」1万円で三の重までつく夕食と、朝食にうなぎの蒲焼が出るという旅館で、仕事でお世話になりました。本館は3階までボロボロです。ぐるっと回って松川浦漁港のほうへ向かいます。ちょっと見た感じは、湾内は昔と変わらないような静けさですが、海苔の養殖棚が全く見当たりません。息子と一緒に潮干狩りをしたときにお世話になった食堂も跡形なく無くなっていました。海産物直売センターもきれいさっぱり。接待してもらったことがある「松ヶ江亭」も消えてしまいました。松川浦大橋への道は、今でも立入禁止です。(行っても向こう側が駄目ですもんね)原釜海水浴場のシャワー施設も倒壊していました。ここで海水浴が出来るのは何年後でしょう?海水浴場の西側にあった住宅が全て被害を受けていました。ほとんど基礎が残るだけ。相馬港に残る看板、折れ曲がり具合で水の力がいかに凄いかがわかりそうです。思い出の地を全部津波にさらわれてしまったような喪失感を感じながら、でも今回の目的は復興チャレンジ丼を食べて応援。ネットで見ていた丼はどれもおいしそうなのですが、私は[えび」が苦手です。一人じゃなければ誰かに食べてもらえばいいのですが、今回は一人旅? ということでターゲットは「ホタテご飯」にしました。ばあちゃん、かあちゃん、そして孫娘のおねーちゃん(アルバイトかな)という3ちゃん経営の「旭亭」 味は・・・ まあ、こんなもんでしょう。さくっと食べて、息子達のおみやげに「サンエイ海苔直売所」で味つきもみのり・韓国風もみのり・松川浦産アオサを買って帰りました。(サンエイ海苔では味付けにつかった昆布をただでくれるのです。これを自宅で佃煮風に料理すると美味なんですよね)相馬へ向かうときに見つけた看板。この気持ちを忘れずに頑張って復興しましょう。ちなみに福島市=相馬市の行程で一番放射線量が高かったのはこれくらい(あれ?画像が上限値になってしまいました)ちなみに松川浦は0.08程度、相馬市内でも0.2前後です。
2012.05.20
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今日は土曜日、本来ならばゆっくりと猪苗代で過ごしたいところなのですが、夜に職場の歓迎会があるために、福島へ早々に戻ります。(本当は午前中にkomayaに繰り出したかったのですが)山には多少雪が残っていますが、新緑が鮮やかな吾妻連邦を抜ける国道115号線は、この時期ライダーにとっては最高のツーリングコースです。(写真にバイクは写っていませんが^^;)こういうコースはゆったりのんびりと走りたいものですが(実際にツーリング仲間で走っている人達はマナーを守っていますけど)時々いるのがレース場と間違っているようなバイク。 じいぢゃんばあちゃんの車もいますから、事故だけは起こさないように気をつけてください。と言う私は、中型免許を挫折した人間です。どうしても超低速でバイクに身を預けることができませんでした。「足を着くな」といわれても、転びたくない本能?で足が着いてしまいます。体が大きいから余計に?慣性の法則に逆らってしまう本能が出で駄目でした。それでも50ccのオフロードバイク(ハスラー)で東北1週したこともある「なんちゃってライダー」ではあります。明日は、いよいよ相馬に行って「復興丼」を食べてくる予定です。
2012.05.19
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私がチェックしているこちらのページ(http://blog.livedoor.jp/farm_an/)取引先の社長さんのブログなのですが、避難勧奨の最前線?相馬市玉野地区とその周辺の現状を知るにはとても参考になります。玉野地区は福島市の渡利地区や警戒区域、計画的避難区域と同様に、今年(平成24年度)の米の作付けを断念したのですが、そこからちょっとだけ北にずれた宮城県筆甫地区では、通常通りに米の作付けをしているといいます。同じ水源、土壌状況であるのに制限しないでいいのだろうか?疑問に感じますが、行政区割りで対応が変わってしまう例ですね。もっと疑問に感じたのが伊達市の石田地区でも米の作付けが制限されずに普通通りに行われているということ。この地域は特定避難勧奨地点もあり、主たる水源となる川がないため、山からの小川を直接引き込むような水田だというのですが・・・ 傾向を掴むためには単年度(23年度の状況一つだけ)ではなく2つ以上のデータから推移を予測しなければ駄目だろうと思うのですが、なんか対応がチグハグな感じがします。もうひとつ。特定避難勧奨地点を持つ伊達市の状況が地元のニュースなどでもあまり話題にならないのですが、やはり多くの農産物(自生したり露地物がほとんどですが)から基準を大幅に超えた値が検出されているようです(http://www.city.date.fukushima.jp/kouhou/pdf-rinzi/rinzi57.pdf)特筆すべきものは、やはりシイタケ。どの地域でも基準値を大幅に超えたものが続出です。山菜類も基準値を超えるものが沢山あります。自家消費するとしても露地物については、まだまだ油断できないということを理解すべきですね。福島市でいうと大波地区・渡利地区、伊達市でいうと霊山、月館、相馬市でいうと玉野地区、このあたりは「補償されない最前線」なわけですが、安全に振るのか、注意に振るのかは自治体の長の判断(腕の見せ所) 福島市の自家消費分の検査結果はどうかな?(http://www.city.fukushima.fukushima.jp/soshiki/29/monitaring120403.html)3月分を5月に発表というのはちょっと遅いですね。やっぱりシイタケは駄目ですね。
2012.05.18
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ちょっと嫌なニュースでした。国が検討している震災瓦礫を処理する仮設焼却炉の整備について、地元広野町の町長が反対を表明したとのこと。焼却炉の設置を反対するということがニュースでは見出しになっていますが、昨日の夜に見たニュース映像では、「広野町での処理は広野町のがれきだけ」という発言をしていたかと思います。福島県以外で発生した震災瓦礫(宮城や岩手などのもの)は十分な放射線量の測定をして、全国の自治体で処理をするよう国が要請しているわけですが、さまざまな反発などはあるものの、東京都をはじめとして受入に理解を示している自治体が増えてきています。しかし、福島県で発生した瓦礫は国が処理するということ以外に何も決まっていません。福島県外に持ち出そうものなら福島県民がどれだけ叩かれることか、それを考えれば福島県で発生した瓦礫は福島県内で処理する以外に方法は無いでしょう。汚染度によっては警戒区域や計画的避難区域以外で発生した瓦礫は、福島市などの整備されたバグフィルターが設置されている焼却炉(処分場)で処理することもやむをえないのではないかと私は思っています。 しかしながら汚染度が高い瓦礫は、どうしても原発周辺の地域で処理せざるを得ないのではないか? そう考えてしまうのは利己的過ぎますかね?広野町で瓦礫を焼却処理したいという国の意向は、大熊・双葉・富岡・浪江といった警戒区域内の瓦礫を地元処理しようにも人が入れない、処分場の整備もままならないことが理由の一つではないかと思います。広野・楢葉といった地域は、比較的放射線量も低く、街の復興を進めやすい地域であるために、地元としては「余計な放射性物質を持ち込ませたくない」という気持ちはわかります。でも、広野町で焼却処分して減容し、大熊・双葉といった地域に設置を計画している中間貯蔵施設に収納する、そういった相互協力をしていかないと、原発付近の双葉地域は瓦礫処理も進まないし、廃炉への確実な道筋も見えないでしょう。そういう意味ではあ、広野町の焼却炉設置反対というのは残念なことだし、「広野町で処分するのは広野町のがれきだけ」という発言は、残念を通り越して怒りさえ感じました。国が「中間貯蔵施設」といっているものだって、その先の「最終処分場」を福島県以外の場所に造ることができるでしょうか? 沖縄の米軍基地と一緒で、30年経っても最終処分場が見つからず、中間貯蔵が永年続くのでは?日本の核燃料サイクルがこのままでは破綻するのが目に見えていますから(青森県六ヶ所村の再処理工場だって予定より20年遅れても本格稼動していないし、再処理後の燃料を使う高速増殖炉は半世紀早すぎた技術と言われているし、現在の原子炉でプルサーマル発電しようにも原発再稼動さえ先行き不透明なわけだし)現在の使用済み燃料と福島第一原発を廃炉にするために出てくる核燃料や放射性廃棄物をどうするか? 一番都合がいい保管場所は原発の汚染が酷かった地域しか思い浮かびませんよね。広野町長の発言は、双葉・大熊などの瓦礫も自分の町で処理しろ、と言っているようなもの、それは自分の町で焼却して減容しても持ち込む先から拒否されることも考えてのことなのでしょうかね? 広野町の瓦礫しか処理しないということは、最後まで自分の町から持ち出せないと言っているようなものだと思うのですが・・・福島市などで始まった除染、その際に出た放射性物質は仮置き場、もしくは現地に仮埋めという措置が取られています。それは国が2~3年後に中間貯蔵施設に移すという原則があってのこと。中間貯蔵施設が間違いなく設置されて、仮置きされている放射性物質を間違いなく中間貯蔵施設へ移すのであれば、福島市でも低レベルの瓦礫は処分しても良いのではないでしょうか?そういった市町村間で相互協力していく体制をとる為に、中間管理職である福島県は努力しなければならないのではないでしょうか。 国はトップの決断として中間貯蔵施設の整備を早くすすめてくれないと。
2012.05.17
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今朝、ネットニュースを眺めていた中で一番最初に気になったのがこの記事。「男性の年収600万、専業主婦希望」40歳婚活女性「そんなに高望み?」(http://news.livedoor.com/article/detail/6561581/)40歳のこの女性は派遣社員をしながら婚活サイトやパーティーなどで10年ほど婚活しているそうで、相手男性の希望は40~46歳、年収は地方都市で600万円、できれば800万円、専業主婦が希望、服や化粧品などに3万5千円だしてもらいたいとのこと。さらにサラリーマン(自営業は不可)、親同居不可、田舎不可、子供がいる人不可、おっさんぽくない、話が面白いなど条件が沢山・・・当然ながら世の中の人は、この条件に否定的で、「そんな条件ならとっくに結婚しているか、離婚もしないで幸せな家庭を築いている」「望む男性のスペックならば、30歳くらいの女性が先に手を上げる」「40歳でも松嶋菜々子さんくらい綺麗だったらそのような条件の人でも結婚できる」「今のままなら、更に10年後も婚活してるのでは」という意見が大半だそうです。私の周りにも40歳独身という女性が少なくないのですが、結婚している立場から言わせてもらうと(私は男ですが) 交際相手がいたとしても相手を条件で取捨選択することもおかしいし、そもそも結婚相手は車とか家じゃないんだから、自分の希望に合った条件のものを探すような選別はおかしいと思うんですけど・・・結婚って「ベストハーフ」な相手との出会いでしょ?お互いが1/2、1/2で二人で一緒だと1になるような関係。金銭的に不釣合いだとか、家柄だとか見た目だとかなんて関係なくて(見た目に引かれるのは異性を見る本能としてはありますが^^;) お互いが惹かれあって、将来もずっと一緒にいたいと思うような関係。でも、車だって一生懸命に自分の条件に合うものを探したって、気に入らないところが見えて嫌になったりするし、意外と他と比較するとパッとしない車でも、実際に乗ってみるといろいろといいところが見えて手放したくなくなる(うちの車なんてそれですね。ストリームが12年目、ポルテが8年目。壊れないし、新しい車と比べれば条件で見劣りする点ばかりですが、ふつーに乗っている限りは何の不便も感じない。新しい車に期待をすると、思ったほど驚きがなくて古いほうがいいと思ってしまうくらい)条件に合わない人を選ぶと、後々後悔して離婚でもしちゃうんでしょうかね?この人。その前に結婚は無理だろうなぁ~このままじゃ。
2012.05.16
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どうして昨日、「広島・長崎・沖縄、そして福島」という日記を書いたかと言うと、5月15日は沖縄の本土復帰を記念する日。昨日はその40周年でした。私もおぼろげながら「昔の沖縄は車が右側通行だった」とか、沖縄が日本に戻ったということを覚えていますが、それほど自分の印象の中では強くなかったかと思います。そして、今の沖縄と福島と相似点。沖縄は基地問題で揺れている、福島は原発問題で揺れている・・・ 今もなお沖縄の基地の土地を所有していながら、国との契約で間接的に自分の土地を米軍基地に使用されている人が沢山いるとのこと。 一方、福島県には原発事故による原子力災害特別措置法によって、自分の土地でありながら自由に居住できない人が沢山いる・・・沖縄で基地問題が出ると、必ずと言っていいほど県民が一致団結して(もしかすると裏ではそんなでも無いのかも知れませんが)県民集会やら反対集会をしていますよね? 知事や市長がトンデモ発言でもしようものなら大変になってしまうくらい。40年間そんな活動をしても政府や時の人に翻弄されて、今もまだ沖縄に基地があり、これからも基地があり続けそうな雰囲気だったりします。さて、福島県はどうなのでしょうか? 最終処分場が無いままの中間貯蔵施設を作らなければならない状況、40年後に全てが更地になるという保障は誰もできない福島第一原発、広域に広がった放射性物質の仮置きとして各地に埋められたままの状況。もう誰が加害者で誰が被害者なのかさえわからなくなってしまいそうなほど混沌として曖昧なまま時間だけが過ぎているような気がします。沖縄は米軍基地によって当たり前の生活が脅かされたことに対する不満は根強いものがあると思います。しかしながら、米軍基地によってもたらされた恩恵があったのも事実名はず。 逆に福島は、原発によって多大な恩恵を受けていたけれど、それが事故によって当たり前の生活を奪われたことに対する不満と、不信。これからの40年、福島は沖縄が通ってきた道を振り返る必要があるのかもしれません。
2012.05.16
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「広島・長崎・沖縄・福島」この4つの県について連想するものはありますか? 広島と長崎は原爆の被害があって、沖縄は太平洋戦争の激戦地、そして福島は原発事故によって甚大な放射能被害を受けた・・・ そんな連想をしてしまいますよね?実は今をさかのぼること20数年前、私が最初に就職したソフト会社から転職して、某県の外郭団体に就職したことに端を発します。 その組織(会社と呼ぶには異質な気がしますので)で求められた仕事は、全国の都道府県をネットワークするデータベースを構築・運用する技術者・・・ということだったのですが、実際にふたを開けてみればコンピューターの知識はもちろんのことSE(システムエンジニア)など誰もおらず、言葉だけはりっぱだけれど実際にはそろばんのほうが主流^^;というところでした。それでも名目上はホストコンピューターを導入して、データベースを作らなければならないということで仕事は進み、数年後に福島県でも導入が決まりました。そのときに全国で4つの県が導入を決めたのですが、それが「広島・長崎・沖縄・福島」だったのです。研修のために沖縄や広島に生かせてもらったのもこのとき、沖縄に行ったときは、ちょうど「リンゴ台風」と呼ばれた台風が襲来したときで、生まれて初めての飛行機は天国と地獄のダッチロールを繰り返すは(自分が乗った飛行機の次の便から欠航になりました)泊まったホテルではタクシーから降りてロビーに到着するまでにバケツをひっくり返したような雨でずぶ濡れになるは、ホテルでも「こんな嵐は初めてだから外に出ないほうが良いですよ」と言われて3日間、ホテルの中で缶詰で研修を受けるだけになるは・・・沖縄から東京に戻る飛行機は奇跡的に飛んで、台風を追い越して福島にたどり着き、「本当に沖縄に行ってたの?」と疑われたり。あの時、コンピューターの研修を受けているときにも「沖縄・広島・長崎は、戦争で悲惨な目に遭っているのに、福島はそういうことがないけれど、なんとなく仲間はずれだなぁ」なんて思っていましたが、時が過ぎて、まさか福島県がこういうことになるとは夢にも思いませんでした。これ以上、この4つの県に災いが起こりませんように。
2012.05.15
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まず私の家族が福島市から猪苗代町へ避難している「県内自主避難」に該当しているために、慎重に考えるべきだと思っています。県内に自主避難した理由はいくつかあるのですが、一つは当時(2011年4月初め頃)福島県から県外の千葉や新潟に避難している子供が虐めに遭うという事件が相次いでいたこと。言われ無き放射能汚染が福島と一緒に付いて回ったことですね。これで福島県から県外へ放射能を恐れて避難することのリスクを認識しました。 でも自分が住んでいる場所の放射能汚染を考えると、できるだけ汚染が低い場所へ避難したい、福島県内で空間線量が一番低いのは南会津、そのときは本気で南会津へ避難させることも考えました。でも車で片道3時間。もっと近くて福島市より安全な場所は無いか?米沢・白石という県外で隣接している地域も検討しましたが、国道115号線で繋がっている猪苗代町なら50km、車で1時間(ただし夏場)ということで縁もゆかりも無い(親戚も知り合いもいない)この地のアパートをネットで調べて不動産屋に寄って速攻で避難先を決めました。避難した当初は、まだ計画的避難区域が決められたばかりで、詳細な線量調査が進めば、私が住んでいる福島市渡利も避難区域に準じた対応が取られるだろう(避難に係る経費や借料が補償される)と思っていました。補償されなければ裁判をしてでも補償を認めさせようと関係する資料は全て保管していました。(近くには浪江町や南相馬市から避難してきている方もいましたので、自分たちも同じような補償は受けられるだろうと)でも、自主避難を決めた最大の理由は「子供たちの安全のため」です。これは後々時間が経つにつれて、避難しなかった(避難できなかった)人に対して配慮に掛けていると思えるようになったのですが、あの時に自分の子供たちに親としてできる最大の方法は「今いる場所より安全な場所へ避難すること」でした。震災と原発事故があってから1ヶ月の間は、私も家族より職場の復旧優先で家族は自宅から出ることはありませんでした。自宅周辺の放射線量が分かっていたら、事故後すぐに離れることが一番被ばく量を少なくする方法だったわけで、それをしてあげられなかった事が、1年から2年の間でも避難するという結論を出した理由でもあったと思います。避難を決めたときから2年間様子を見るとしたことと、かかる費用は覚悟していました。2年間で悪い方向に進まないことを願いながら、できれば元の福島市に戻りたいというのが私の願い。最悪は自分の生まれ故郷と自宅を捨てなければならないかもしれないという覚悟もしていました。それだけ放射能についての知識もなかったし、正しいと思える情報が無かったのも事実です。そして避難してきた猪苗代町で、私の家族は多くの人から親切にしてもらいました。町内会や子ども会での取り扱いも、県が補償する避難者と自主避難者の区別なく免除してもらったり、冬のスキーは必須でしたが、スキーウェアをもらったり(ご近所さんからお下がりを融通してもらっただけでなく、ボランティアから新品のスキーウェアを頂きました)スキー用具については、これもボランティアで用具一式を無料でレンタルしてもらえました。大家さんからは地元産の野菜をたくさん頂き物したり、アパートの設備関係をメンテナンスしている業者さんからは、会津米をこれからずっと融通してもらえる(福島市に戻っても)約束をしてもらえたりと、避難してこれから先の不安を感じることがないようなたくさんの親切を受けました。そして1年近くが過ぎて、東京電力の補償が中通りの福島市にもされることとなり、18歳以下の子供と妊婦については40万円+20万円の補償金が出ることになり、その金額を考えれば私が2年間の自主避難にかかる経費は補償金で充当できるかな?という思いになりました。では他を見てみると、福島市から山形県に自主避難している人はどうかというと、山形県が準備した住宅は2年間家賃無料で、テレビや冷蔵庫などの家電製品は日赤が無償提供、つまりは避難にかかる費用は交通費などだけで済んでいます。他の県外避難についても避難指示と自主避難の区別無く同等な支援を受けられているようです。もうひとつ、計画的避難区域や警戒区域からの避難者は、県内県外に関係なく、生活保障と避難に係る補償を東京電力から受けられるようになっています。県内避難については、家賃などは県が一括借り上げの形で負担することとして、避難者が負担することはありません。この2つの事象と比較すると、確かに福島県内から県内への自主避難は何の補償もなく、不公平なように見えます。 でも福島県からすれば、「国が定めている避難指示に準拠すれば、県内の避難者に対して支援するのは警戒区域や計画的避難区域からの避難者だけで、自主避難に対して公的な支援は今のところ考えていない」と回答することでしょう。もう一つ加えるのなら、「自主避難に対する補償は東京電力でも実施しているので、金額が不相応であれば、個別に東京電力と話し合ってほしい」というかもしれません。いずれにしても福島県という行政組織が自主避難という避難形態に対して支援するためには国が動いていないと判断できないし、県としては避難という動きは収束して、少しでも多くの人が早く福島県に戻ってほしいとしか思っていないと思うのです。 となると、自主避難という国で明確に定義づけされていない事象を支援対象として認めてしまうと、当然これから自主避難するという人に対しても支援しなければならなくなり、県内市町村間での不公平(格差)が益々生まれてしまうことになりかねないと危惧することでしょう。国は今でも「年間20ミリシーベルト未満の地域は問題ない」という判断基準を持っています。だから国が直轄で除染するのは年間20ミリシーベルト以上の地域、それ以下の地域は市町村毎に除染計画を立てて、それに対して国が補助する(国は安全だと思っているけれど、市町村が心配するから仕方ないけど金は出してやる・・・というスタンス) ここに県の意思がありません。私が福島市の教育委員会、福島県の教育庁に、学校の除染や避難についての要望を出しに行ったとき(2011年5月)の対応はまさにそれでした。当時は市も県も「国が・・・」の一点張り。文部科学省が「学校内においては年間1ミリに抑える」としたことで、学校のグラウンド除染(でも地下に仮置き)が進んだけれど、福島県内(日本国内)においての基準は20ミリシーベルトから変わっていないのです。そして、福島県には住民の意向を汲んで独自に取り組むというスタンスを示していないのです(あの知事では無理)だから直接的に「県内への自主避難者に支援を」という動き方よりも、その避難者を受け入れてくれている自治体や地域にもメリットがあるような運動をして、それでも自主避難しているとこんな苦労があります、と受入者からも賛同を得るような形に持っていくべきだと思うんですよね。山形県に避難している自主避難者(の一部でしょうけれど)が、あたかも別荘のように自主避難先を週末だけ利用していて、なおかつ冬場に福島市と山形市(米沢市?)の通行が厳しいからバスを運行してほしいと要望した? そんなわがままな状況を非難されているニュースがありましたよね? 山形市と福島市を結ぶバスを運行してくれたのは、山形のボランティアでした。 そんなニュースを聞くと、避難者全員がわがままだと思われてしまうのでは?それは悲しいことですよね。「避難しました、でも戻りました、はいそれで終わり」ではなくて、避難していても、元の地域に戻っても切れない交流を作ることが、避難者にとっても受入先にとってもメリットがあることではないでしょうか? 自主避難にかかる費用を公的に支援してもらえれば、それは嬉しいですよ、その前にせっかく避難先で培われた交流(絆)が切れないような支援のほうを私は要求(おおげさだな)応援してほしいと思います。私は福島市に家族が戻っても、猪苗代には何度でも足を運びたいと思っていますし、猪苗代応援隊として、猪苗代や会津のよさを福島市の人に広めて勧めて、たくさんの人に知ってもらいたいと思っています。 それが会津の人や猪苗代の人が福島市を知って来てくれることになれば幸いだし、県内の交流が盛んになってくれれば、自主避難で苦労していることを会津の人だってわかって(同情してくれて)応援してくれると思うのです。
2012.05.14
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facebookのアンケート「福島県にお住まいの方々にお聞きします。県庁の今の場所についてお答えください」に対して、私は「移転すべきだ」と回答しています。(アンケートは「福島県検討会議(http://www.facebook.com/elbe14jp)の中にあります」「移転すべき」と「今のままでよい」の2者選択だったら「移転すべき」ですね。そもそも福島県という組織自体が「今のままでよい」と思っていませんから。 こんな意見を県庁がある福島市の市民が言うと「裏切り者」とか「変わり者」扱いされそうですけれど、批判を承知で言うのなら、「福島市が県におんぶに抱っこでいる限り何も変われないし、福島県という地域も福島市、県北(信達地域)が没落していくだけにしかなりません」というのが私の意見です。福島県検討会議は、本筋には「福島県庁を郡山市に移転する会」という郡山が福島県の中心にふさわしい、県庁はふさわしい場所にあるべきというところから来ていますが、郡山市がふさわしいかどうかは別として、過去の栄華と決別して新しい道を切り開かなければならない(特に今回の原発事故によるダメージは大きいものがありますからね)県庁所在地というのは、(福島県という行政組織があるということが)「新生福島市・信達地域」の足かせになりかねないと思うのです。そのためには、福島県という全体を見渡して、福島県全体を適切に管理・指導できる行政組織がある場所はどこか?同心円の距離、実際の移動に係る時間、交通の便などを考えれば「郡山市」に異論は出ないでしょう。福島市の人が「郡山に県庁を持っていく」という発言と、郡山市の人が「福島から県庁を持ってくる」というのは、個人の都合や利権に由来するものばかりで、県庁に付随している外郭団体やら経済的な効果を心配していますが、「県という行政機関が果たす役割は何なのか?今の形で本当に良いのか?」という議論がさっぱり無い(ように思える)んですよね。「持ってくる・持って行く」の話だけでは、県庁が福島市にあろうが郡山市にあろうが、大きな変化はないと思います。それは、県庁というランドマーク(シンボル)があればいいという意見と相違はないですから。 県庁の中で県職員が何をしているのか?そのほうが大事でしょう。同じく、県議会で選ばれた県議会議員は何を議論しているのか?もっと多くの人に知らしめる必要があるでしょう。語弊があるかも知れませんが、国は県を下に見ている帰来があります。県は市町村を下請けのごとく見ている帰来があります。でも行政に上下関係があったのでは住民はたまったものではありません。市町村が県に対して、国に対して意見できなければならない、でも予算が上から落ちてくるのと同じで、行政組織も市町村は平職員、国は経営者、県は中間管理職??? だったら県という行政組織は必要ないですよねぇ(苦笑)福島市民は福島県庁が無くとも(県庁城下町を返上してでも)地域が発展していく仕組みと街づくりを進めるべきだろうと思います。「風評被害」と言って他力本願のような被害者面ばかりしていますが、農業も商業も観光も、そして工業も今までと同じが通用しない状況で、克服すべき道は険しいものがあります。いつまでも国や県の補助金や助成金に頼るような街づくり地域づくりでは駄目でしょう。自らが「この街はこうしていく」という崇高な目標を掲げ、計画を作り、そして実行していく。 自らで解決の糸口を見つけていかなければなりません。福島発の新しい産業を興していくことも必要でしょう。同じことは郡山市にも言えるのではないでしょうか。県庁があるから福島市が発展した?郡山市は県庁が無くともこれだけ発展した、だから郡山市に県庁ができれば郡山市はもっと発展する??? これまた失礼を承知で言うならば、郡山市には駅前にビッグアイというランドマークがありながら、県の施設のビッグパレットふくしまがありながら、これらをうまく活用していないという状況がありませんか? 老婆心ながら郡山市民の「熱しやすく冷めやすい性格」というのが、長期的な街づくりのネックになっているのではないかと心配してしまいます。福島県民の意見として県庁移転を考えるのであれば、浜通りのいわき市の今後の街づくりとの関係も考えていかなければならないし、会津地方との関係も考えていかなければならないでしょう。そういう意味では大きく幅広い意見の交換(議論)と盛り上がり(私は危機感が必要なのだと思うのですが)がなければなりません。ランドマークとしての県庁だったら、今のまま(福島市)でも、郡山市に作っても、はたまた鶴ヶ城を県庁にしてもいいですよ。それよりもっと深い議論と盛り上がりが必要に思われます。
2012.05.14
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昨日は、喘息のような症状が良くならないまま(なぜか福島から猪苗代に行くと風邪のような症状がでて、猪苗代から福島市に戻るとだいぶ良くなるの繰り返し)猪苗代の避難先を後にしました。猪苗代を出るときは家族みんなに手を振って分かれるのですが、今回はその元気さえなく、何とか車に乗り込んだような状態。福島市の自宅に戻り、猪苗代から持ってきた荷物(洗濯物やら薬やら)の中に、新聞紙に包まれた丸いものを発見しました。 包みを開けると、昨日スーパーで買った大きなトマトが1つ。 ほぼ一人暮らしの私を母親が心配して入れてくれたのでしょう。いくつになっても母は母、子は子なんですね。「母の日に 包んだトマトの 親心」親孝行しなくちゃいけないなぁ。
2012.05.14
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14日は一番上の子の誕生日。昨年もビルゴに誕生ケーキを注文したのですが、みんなで同じ味というのももったいない気がしたので、今回は家族7人分のケーキを個別に頼むことにしました。個別といっても、ショーウィンドウには数種類のケーキしか残っていません。息子が食べたいチョコ系のケーキは見当たらず・・・ そこで夕方までにチョコ系のケーキを7つ(さすがに7種類もないということで種類は適当に)準備してもらうようにしました。箱を開けるとおいしそうなケーキが3種類ビルゴのケーキは、あらかじめ予約しておくことをお勧めします。味はどれもお墨付き。
2012.05.13
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真冬並みとはいいませんが、風が冬のように寒い猪苗代です。山の桜は見ごろを過ぎてしまいましたが、庭先に咲いている芝桜に目を奪われてしまいました。
2012.05.12
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facebookでもリンクしたのですが、「放射能パニックからの生還」(http://agora-web.jp/archives/1455050.html) 主婦の方がタイトル通りに放射能パニックに陥り、そこから脱パニックするまでの体験談を書いています。 私にも当てはまりそうです。 福島から避難した、避難したい、避難しろ! という方にも当てはまるのではないかと思い、ここにリンクを残すことにしました。
2012.05.10
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タイトル通りです。そういう会が立ち上がっていたんですね。昨日の新聞に載っていたのを見てはじめて知りました。福島市や伊達市から会津地方に自主避難している20世帯(ちなみに私んちは入っていません)がそういった会を設立したようです。んでもって福島県庁で県に対して支援を求める訴えをしたらしい(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120509-00000023-mailo-l07)ま、福島県から県外に避難している人は、それぞれの受入自治体の支援として住宅の無償提供とか、日赤の家財道具無償提供などといった費用負担が軽減される支援を受けているのに対して、福島県内から福島県内の比較的放射線量の低い地域への避難は「引越し」程度の認識で済まされてしまっているのは確かで、かかる費用は自己負担ですから、同じレベルで(家賃の補助とか家財の提供もしくは費用補助)支援してもらえれば経済的には助かります。でもね、県内から県内への自主避難者が、県外へ避難した人と比較してうらやましがっているのはどうなんだろう?と個人的には思ってしまいます。 少なくとも今までの福島市や伊達市から避難すると決めたときに、経済的な負担よりも子供たちへの健康影響などを心配して天秤に掛けた上での覚悟の自主避難ではなかったんですかね? お金で買えない大切なものを守るために自主避難したと思いますよ、我が家は。「福島県に県内自主避難の権利を求める会」というブログもありました(http://blogs.yahoo.co.jp/kennai_jishuhinan) 失礼かもしれませんが、裏に組織があるんじゃないかと勘繰ってしまいます。(まさかあのハイロなんちゃらとのつながりは・・・)福島は危険だ、福島から避難しろ!から、福島の中でも危険なところから避難しろ!というような動きになって、自主避難者の囲い込みをしてから、「だから原発は駄目、ハイロ・・・」とやるのかな? とか。この動きって、該当する私にとっては微妙な立場なのですが、「警戒区域や計画的避難区域の人達は、仕事もしないで金銭的な補償を受けられていてうらやましい」という浅ましい考えたと変わらないような気がしてなりません。上を見ればきりがない、みたいな。それから自主避難者については残った人よりも一人当たり+20万円増額されて保証金が出ているわけですが、「もらえるものは何でももらって・・・」というのも、なんだか釈然としません。基本的に私も、県内から県内への自主避難で費用負担が軽減されるような支援があるのなら嬉しいです(本音) でも、避難者への支援だけではなく避難しなかった人への支援も必要だし、受入先への支援というものがあってもしかるべき、 もっと突き詰めていくと、「逃げるだけじゃなく戻れる支援・戻ってからの支援をもっとしっかりしろ!」と福島県には言いたいです。 このブログで書き始めていますが、受入先の親切には何らかの形で恩返ししたいし、戻ってからも交流を続けたいと思っています。 受入地域でも原発事故に係る影響はさまざまです。避難者ばかりが支援を受けて、支援してくれる受入先が我慢ばかり強いられるのはいかがなものでしょうか?避難者が権利ばかり主張していると、どこぞの地域の人達と同じように「原発こぢき」と言われかねませんよ。 お互いを思いやって、避難者と受入先が交流していく、その先にお互いにプラスになるような支援を考えていきたい・・・と私は思います。
2012.05.10
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気になっているけれど、なかなか行く機会がない相馬・松川浦方面。そしたら、こんな企画が実施されている(今も大丈夫なんだろうなぁ)ことが分かりました。松川浦復興チャレンジ丼(http://matsukawaura.com/donburi.html)もう写真を見ただけでもよだれがジュルジュルな状態になりそうですよ。青海苔のまかないも食べたいし(香りを思い出してしまう)海鮮丼が船に乗っているなんてあるでしょうか? 鯛めしも食べたいなー。ホームページには松川浦の震災ビフォーアフターが写真で載っていますが、津波の映像がその後の映像で悲惨な状況ばかりを植えつけられていましたが、片付いているところは随分あるようですし、何よりも「復興」に向けて動いている松川浦を応援しないわけにはいかないです。残念ながら地元の魚は漁が自粛されているために食べられませんが、全国から新鮮な魚介類を仕入れて営業しているとのことです(放射能が心配な人も、これなら安心でしょう)あ~、ほっきめし食べたいなぁ。新鮮なアオサたっぷりの味噌汁飲みたい(食べたい)なぁ~。
2012.05.09
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生まれてこのかた40ン年、ブロッコリーやアスパラは茹でて食べていましたが、正直言って嫌いじゃないけどそれほどおいしいと思ったことはありませんでした。しかーし、小鍋で茹でるのをやめて、さっと洗って一口大に切り、器に入れてラップしてレンジで加熱すると・・・野菜に含まれる水分だけで過熱されたブロッコリーやアスパラのうまいことうまいこと。 これが野菜本来の味なんでしょうね。それからブロッコリーの茎(軸)なんて嫁さんは茹でて食べていましたが、味も素っ気もなく残すか捨てられる運命だったのですが、これも薄くスライスしてレンジでチンすると・・・とっても甘いです。例えるならとうもろこしのような甘さ。ブロッコリーのくりくりした部分よりも、茎をスライスしたほうがおいしいかもしれません。今までの茹でる方法では、野菜のうまみを捨ててしまっていたのかも知れませんね。一人暮らしで野菜が足りないと思ってはじめたレンジで「温野菜」。こんなにおいしいものだったらベジタリアンになってもいいかも。どうぞ、お試しあれ。
2012.05.08
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現役当時は何かとイベントに顔を出して話題となっていた溝畑宏観光長官が、退任後の今、東北六県で開催されている「東北観光博」(http://www.visitjapan-tohoku.org/)の開催地を自転車で訪ねるという「みちのくひろし旅」を実施中です。4月27日に福島県の新知町を出発し、東北を1周していわきしがゴールだということで、二日目の28日には福島市の花見山にもこの企画?動画サイトのUSTREMでも放映されているのですが(http://www.ustream.tv/channel/michinoku-hiroshitabi)昨晩は花見山近くでの道畑氏の行動の動画を見て夜更かししてしまいました。(なにせ1編が1時間以上ありましたので)自転車で旅をするといっても、全行程を自転車に乗っているのではなさそうで、イベントを開催している場所の周辺を自転車で巡る(花見山に至っては自転車に乗らずひいているだけだった)ような雰囲気です。 それでも東北を自らが巡るという行動と、観光で人を呼び込むという熱意には拍手を送りたいですね。花見山近くにやってきた溝畑氏、連呼するのは「はなみ~やま~(相撲の呼び出し風)」で、今までの言動同様、かなりおちゃめな(おちゃらけな?)性格丸出しです。道で擦れ違う人に挨拶をして、「挨拶はいい」という言葉がとても強く印象に残りました。会う人に「花見山、きれいでしたか?」と尋ね、ギャグをかわし、周りを笑顔にさせる・・・ そうですよね、観光の醍醐味はきれいな景色を見るだけではなく、「楽しむ」こと。 きれいな景色を見て「楽しむ」、おいしい物を食べて「楽しむ」、知らない土地の人と仲良くなって会話を「楽しむ」・・・楽しくなければ観光じゃないですよね。震災の悲惨な状況を後世に伝えていかなければならないのも事実ですが、それでも人が訪れてくれるためには「楽しさ」も必要。悲しい顔ばかりはしていられません、笑顔で人を迎えられるようになれば気持ちも少し楽になるかもしれません。 それにはまず「挨拶」ですね。この「みちのくひろし旅」1期は今日、5月8日の二戸・久慈がゴール。今後の行程も楽しみです。
2012.05.08
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いろんな人といろんなところで話をすると、福島県民(福島市民?)が原発事故によってどう考えているのか?なんとなく大筋が掴めて気がします。まずは不安の要素。原発事故後に撒き散らされた放射性物質の影響が心配なわけですが、そもそも直接放出する放射線の影響(外部被ばく)を心配しているという人。(私もそうだったわけですが)年間20ミリシーベルトが高いかどうかという判断の前に、事故前の外部被ばく量が基準(0.05μSv/h前後)と見ている雰囲気が強いです。これらの人達は、警戒区域や計画的避難区域は関係なく自主避難している場合が多く、このままの状況では元の場所に戻ってこない(流浪の民と化する可能性あり)かもしれません。もう一つの不安の要素。食物などによって体内に放射性物質を取り込むことによって被ばくする内部被ばくを心配している人。空間の放射線量も心配だけれど、福島に住んでいる限りは水や空気によって内部被ばくするのではないか? 食べ物にも放射性物質がゼロではないから(特に福島県産は危険性が高い)心配。水はミネラルウォーターを買い、福島県産の食材は極力避けて生活している。本当なら県外などに避難したいけれど、生活基盤を失うことは避けたいという悩みを抱えているタイプ。「内部被ばくは外部被ばくより5倍も危険性が高い」というようなマスコミの言葉に恐怖感を煽られるものの、「内部被ばく量は極めて低い」という話は信じようとしていない帰来があります。実際に福島県内で、空間線量が比較的高い福島市と、空間線量が低い猪苗代町で生活してみて感じるのは、同じ系列のスーパーであれば同じ産地の食材が手に入るので、地域によって内部被ばくに大きな差が出るとは思えません。あえて福島県産の露地物の食材や、家庭菜園の食材を食べれば差が出るかもしれません。今の時期なら福島県産のキュウリはハウス栽培だから問題ないと思いますが、新鮮な宮崎産のキュウリが入荷してくるし、ナスは高知からやってくる、ブロッコリーはアメリカからやってくる、アスパラはメキシコからやってくる・・・日本国内で産地が大きく異なるというものはないのでは?それだけ日本はもとより世界の物流は発達していると言えると思います。ここまでは、震災後の事故によって引き起こされた放射能に対する直接の不安。 それと違った不安というのが、現在の福島第一原子力発電所の状況にあると思われます。 1号機、3号機、4号機の原子炉建屋が爆発で露出し(1号機には覆いができましたが)2号機は外見は残っているけれど、内部の格納容器がどんな状況かわからない、加えて4号機に残る使用済み燃料プールが倒壊したらどこまで広範囲に影響を及ぼすか分からない・・・原発から15kmにある川内村が帰村宣言しましたが、実際に戻っているのは全住民の5%程度とききます。空間線量は福島市よりもはるかに低く、高めのところは国が除染作業中。 戻っても働く先が無いから・・・とは言いますが、実際には15km先にある原発が安心できる状況にないと判断している人が多いから戻る人が少ないのではないでしょうか。最近、原発の状況が報道されることがめっきり少なくなりましたよね。ライブカメラで確認できるとはいいますが、本当に正しい情報をリアルタイムで住民に、国民に伝えていると言えるでしょうか? 東京電力の発表を信じている福島県民がどれほどいるのか? 汚染水が漏れていてもしばらく経ってからの事後発表、もちろん県や国が東京電力より早く情報を出すなんて事はありません。 原発が爆発したところをテレビの映像でリアルタイムに見た人は、それ以降、東電や国や県が正しい情報を速やかに流すとは思っていない(疑っている)ことでしょう。かくいう私だって、福島市が原発から60km離れている、猪苗代町が原発から80km離れているとはいえ、毎日の風向きは気にしていますし、万が一の場合にはすぐに遠くへ逃げられるように、重要書類は肌身離さず持ち歩いているし、車のガソリンは常に満タンにしています。次に何かあったらどこまで逃げる?新潟?山形?いえいえ、青森あたりまではいける準備はしていますよ。でも、こんな不安を毎日過ごしていていいのかな?外部被ばくによる影響も小さく、内部被ばくも心配のないレベルであるようになったとしても、廃炉とした原発4機が安全だと安心できるレベルにならなければ、元の生活に戻らない(戻れない)人がいるのは事実だし、戻っても不安が付きまとうのも事実。どの不安についても「不信感」を払拭しなければ解決しないと思うのですが、不信を払拭するための正しい情報が正しく伝えられているか? なんだか3月に自主避難者に対しての賠償が始まってから、情報公開がうやむやになりつつあるような気がするのは私だけでしょうか。 「福島県民は金をもらったらそれでいいのかい?」と言われても仕方が無いような状況が続いていませんかねぇ。
2012.05.07
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今日は福島市に戻る日でしたので、おみやげをチョイスしました。会社には会津地方にしか出店していない「お菓子の蔵 太郎庵」のくいっちぃを。(写真を撮ったのですがデータが消えてしまいました)そしてお世話になっているカフェには、猪苗代のケーキ屋さんといえば有名なビルゴの磐梯ロールを。観光地である猪苗代町は福島県内の有名どころ、柏屋も出店している激戦地ですが、地元ならではのお菓子屋さんもたくさんあります。これから紹介していきたいと思っています。
2012.05.06
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午前中に猪苗代から福島市へと戻ります。今年は(昨年もそうだったと思いますが)こどもの日だというのに、こいのぼりが泳いでいる風景を見かけません。 福島市では仕方がないにしても、猪苗代町でも・・・ こちらは子供の数が少ないからなのかな?新緑にこいのぼりが悠々と泳ぐ姿を写真に収めたいと思ったのですが、なかなか見つかりません。
2012.05.06
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久しぶりに晴れた今日の午後、桜を探してきました。まずは土津神社。おおきな白い鳥居が目を引きます。ひときわ目を引く亀石が土津神社のシンボルのようです。見祢不動明王にも桜がちょっと離れてきれいな桜がたくさん咲いている場所がありました。東京電力秋元発電所です。あの事故さえなければ桜の名所なんですけどねぇ。
2012.05.05
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今日は一番上の子がばあちゃんと2人で「会津の春」を探しに出かけています。使っているのは「会津ぐるっとカード」会津エリアの鉄道・バスが2日間乗り放題となるこのカード、大人2600円、子供1300円で祝祭日関係なく使えます。たとえば猪苗代から会津田島まで、普通なら片道で大人2000円ですから、往復する用事があればこの会津ぐるっとカードを使うだけで1400円の元が取れます。 息子が計画していたのは、猪苗代から会津田島へ行って、折り返して喜多方へ向かい、喜多方ラーメンを食べて、会津若松に一度戻ってから会津柳津で写真を撮って、猪苗代へ戻るというコースでした。朝6時台の始発に乗る予定だったのですが、ここで早速ハプニングが・・・ 磐越西線が前日の大雨で運転見合わせ。ライブカメラで見ていても、運転再開の様子がありません。 会津鉄道は予定とおり運行しているということで、私が2人を車で会津若松まで送ることになりました。会津若松から出発した二人旅、どんな土産話を持って帰ってくるかが楽しみです。無事に帰ってきました。 こんな写真を撮ってきたようです。
2012.05.04
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連休後半に入り、あいにくの天気ですが、雨と風で桜が散ってしまうのではと心配になり、急遽2箇所の桜を撮影してきました。1箇所目は国道115号線沿いの、いつも気になっていたお地蔵さんがある場所です。2箇所目は、先日も行ったのですが、そのときは咲いていなかった磐梯山の麓、昭和の森手前の桜並木です。晴れていれば天鏡湖(猪苗代湖)がきれいに見えると思うのですが・・・どの桜も満開でした。
2012.05.03
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小雨が降る中、息子にせがまれて亀ヶ城の桜を撮ってきました。猪苗代小学校も桜に囲まれています(磐梯山が見えないのが残念)亀ヶ城の桜も満開です。お城から離れて、カメリーナからの桜もきれいでした。ベンチの屋根の形が面白かったので、狙ってみました。
2012.05.02
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昨日、家族が山形市に避難している人と話をする機会がありました。 その人が住むのは町の一部が計画的避難区域に含まれている川俣町。家族を山形市に避難させたのは原発が事故を起こしてから10日後だったといいます。川俣町へは震災発生後、浪江町などからの避難者が町立の体育館などへ大挙して訪れていたといいます。その避難者がただならぬ雰囲気になったのが3月13日、1号機が爆発して2号機から飯舘村方面へ大量に放射性物質が降り注ぐ前の日、原発関連者らしき人が「もっと遠くに避難しないと危ない」と口にしていたそうなのです。彼もまた急いで情報収集して、被曝を防ぐのは最初が肝心(最初の1週間?で8割の被曝を受ける)と知り、急いで小さな子供と家族をガソリンがある限り西へ避難させ、山形市に落ち着いたといいます。避難している際に車のラジオから流れてくる情報は、現在の放射線量は健康に影響ないという話。レントゲンやCTスキャンと比べればはるかに少ないという安全情報ばかりだったといいます。 川俣町でも浪江の津島や飯舘村の避難所と同じように、元気な子供たちは外で遊び、炊き出しも外で行われていたといいます。 あの時、知らないうちに被曝していたと思うと、やりきれない思いになる・・・どうして早く正しい情報を知らせてくれなかったのか。彼が早く決断して避難した想いは私と共通するものがあります。彼は、「これから数十年もの間、今までよりも数十倍の放射線を浴びて暮らさなければならない生活を子供にはさせられない」と言います。川俣町の役場周辺は0.2μシーベルト/h程度の比較的低い放射線量ですが、どこまで信用できるかわからないし、自分の家はもっと高いというのです。 自分(大人)はかまわない、でも子供には心配でたまらないといいます。それなのに「除染をすれば戻れる」という世の中の流れになり、いまだに除染が始まってもいないのに、元に戻れるという風潮が信じられない。そう彼は言葉を続けました。私の家の中は0.5μシーベルトあります、除染をすればもう少し下がるでしょう。来年の春には子供たちをこの家に戻して、家族そろって生活するつもりでいます。そのためには子供たちに危険性を説明する必要があると思っています。 私にとって放射線の基準は事故から2年後、これから1年後の子供たちが戻ってくる時期としたいと思っています。でも、家族を山形市に避難させている彼にとっては、事故前のレベルが基準なのです。その基準から数十倍である限りは危険であり、そういう認識がない情報は信じられないというのです。一年前のあの時、正しい情報を出さなかった政府、一年前に届いていた情報を市町村に伝えずに破棄してしまっていた福島県、あのときの過ちが起こした不信。子供を持つ親は誰しも自分の子供のことについては過敏になります。一度植えつけられた不信をどう解消していくのか? それぞれがいろんなレベルで悩み、もがき、苦しんでいます。一律に同じ問題で、同じ方法で解決できるものではないのです。
2012.05.02
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今日はGWの身近な行楽地を紹介します。猪苗代町にある「緑の村」磐梯山のふもとにある昭和の森へ向かう途中にあります。有料施設は「いなわしろ淡水魚館」入場料は 大人300円、子供150円、小学生未満は無料と水族館としては破格の安さ。しかもそれが福島県の子育て家族の必需品?ふぁみたんカード提示で50円引きに!エントランスは水族館の雰囲気満点大水槽はありませんが、淡水に棲む魚を勉強することができます。
2012.04.30
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アパートから程ない距離にある神社。猪苗代から喜多方方面へと向かう県道号線沿いにあるのですが、この神社の桜も咲きました。ボンボリが下がっているので夜桜も楽しめそうな雰囲気です。今晩にでも行って夜桜も追加で撮影してみます。つぼみと葉が一緒に芽を出してきているのは今年の桜の特徴ですかね?===追加===夜桜を撮ってきましたこっちはちょっと赤すぎたかな?
2012.04.30
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今年は作付けを制限された渡利地区のたんぼ。ここは、ニュースでも報道された1550ベクレル/kgのセシウムが検出された場所です。山間に挟まれた場所であることがよくわかるかと思います。今年はこのまま耕作放棄された状態なのでしょうか?「田んぼはCO2削減効果のある緑地帯」というようなCMを見たことがあるのですが、作付けはしないまでも水を張ることで放射線の面的な遮蔽効果を出すわけにはいかないのでしょうか。
2012.04.30
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福島市の本日の予想最高気温28度。初夏の陽気です。さすがにソメイヨシノも葉桜になってしまいましたので、花見山へ向かう途中で見つけた涼しげな写真を掲載してみます。それからこちらのハナモモ。ストロボを焚いたら面白い雰囲気になりました。スタジオ内ではありません、背景は空ですよ。
2012.04.29
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こんなにも静かな休日を過ごしたのはいつの日以来でしょうか。花見山へ向かう観光客の足音や話し声もなく、小鳥のさえずりやカエルの声だけが聞こえてくる。観光バスがアイドリングしている音も無く、子供たちが騒ぐ声さえ聞こえない・・・あまりにも自然の音だけで拍子抜けしてしまいそうです。うーん、会社に行って仕事でもしてくるか^^;
2012.04.29
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福島市の有名な桜の名所は葉桜になっているかと思いますが、花見山はまだ見ごろが続いています。花見山展望カフェ空と花のベランダから(安達太良山が遠くに望めます)吾妻山の種まきウサギもくっきりと枝垂れの花モモも今が見ごろシダレザクラも花盛り今日は25度の夏日が予想されています。そんな暑さをイメージしてみました
2012.04.28
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子供たちのもとに福島県と福島県立医大からの郵便物が届きました。その封筒の中身は子供たち全員に対する「甲状腺検査実施」のお知らせ。(ひとつの封筒に4人分が入っていたというところがミソ)原発事故当時に福島市に住んでいた人を対象として優先順位として子供たちにも案内が届いたのだろうと思うのですが、その内容に疑問符が・・・ 検査実施場所は福島市、予定は平日で、4人バラバラ。小学生2人、幼稚園1名、乳幼児1名、それぞれを平日に(学校を休ませて)10分ほどの検査のために4往復させられる身になるのは、ちょっと考えものです。福島市内の学校に通う子供たちにも同じ内容で案内を出しているのでしょうか?それぞれが個人で学校の授業を欠席して検査を受けさせるとしたら、県の教育庁はどうかんがえているのでしょうかね? 学業に影響を与えないように検査を実施するのが常識的なのではないですかねぇ。福島県民全員を検査対象にしているのだから、猪苗代町に避難している子供たちは猪苗代町の学校や幼稚園などの単位で検査を実施するときと同じで構わないと思うんですけどね。 「福島市に住んでいたからどうしても心配」という人ならともかく、甲状腺検査は早いほうが安心というよりも、継続的に定期的に状態を把握することが重要だとも言われていますから、あえて地元の子供たちより早く検査というところまで必要はない気がします。福島市の除染計画については、先日の説明会でもありましたが、「各家庭の事情に応じて個別の事情に配慮した除染を行う」と明言していました。 ところが県の健康調査や検査は、上から目線の「やってやる」の立場に思えて仕方ありません。どう考えても「県民に寄り添った」人達には思えません。
2012.04.28
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猪苗代に来るとどうしても写真を撮らずにいられないのが磐梯山。快晴の今朝は雲ひとつない青空に山頂の雪が映えます。手前の田んぼもこれから農作業を迎えます。
2012.04.28
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先週、亀ヶ城で撮影して気になっていた「野口英世」像の数。検索してみたら、その数を把握しているところがありました。 「野口英世像・モニュメント所在一覧」(http://www.noguchihideyo.or.jp/wp-content/uploads/2011/04/b3e31c3923b1365f2ad5220fe3cf73d9.pdf)さすが野口英世記念館、平成23年11月時点で世界に171の像、モニュメントがあるようです。 猪苗代町内に26、福島県内(猪苗代町以外)に34もの数があるらしいので、これを巡ってみるのも面白いかもしれません。猪苗代町の部分のデータだけ切り出してみました。野口英世記念館前ブロンズ胸像 1980 ・ 6 伊藤 五百亀野口英世記念館 ブロンズ胸像 1927 ・ 川村 吾蔵野口英世記念館 ブロンズ胸像 1939 ・ 5 S・コーネンコフ野口英世記念館 ブロンズ胸像 1954 ・ 12 北村 西望野口英世記念館 ネオパリ製レリーフ1978 ・ 不詳野口英世記念館 ブロンズ立像 2009 ・ 11 雨宮透東中学校 ブロンズ胸像 1961 ・ 1 北村 西望町立猪苗代病院 ブロンズ立像 2009 ・ 10 雨宮透猪苗代町立緑小学校ブロンズ立像 2010 ・ 5 雨宮透猪苗代町立長瀬小学校ブロンズ立像 2010 ・ 5 雨宮透猪苗代町立猪苗代小学校ブロンズ立像 2010 ・ 5 雨宮透猪苗代町立千里小学校ブロンズ立像 2010 ・ 5 雨宮透猪苗代町立吾妻小学校ブロンズ立像 2010 ・ 5 雨宮透猪苗代町立翁島小学校ブロンズ立像 2010 ・ 5 雨宮透猪苗代町役場 ブロンズ胸像 1986 ・ 11 伊藤 五百亀猪苗代町役場 ブロンズ立像 2009 ・ 11 雨宮透猪苗代中学校 ブロンズ胸像 1973 ・ 11 伊藤 五百亀猪苗代小学校 ブロンズ胸像 1960 ・ 12 北村 西望猪苗代小学校 ブロンズ胸像 1994 ・ 3 伊藤 五百亀猪苗代・亀ケ城跡 ブロンズ胸像 1957 ・ 11 ウイリアム・G・ハフ山潟小学校 ブロンズ胸像 1961 ・ 1 北村 西望国立磐梯青年の家 ブロンズ胸像 1982 ・ 北村 西望吾妻小学校 ブロンズ胸像 1998 ・ 11 伊藤 五百亀翁島小学校 ブロンズ胸像 1953 ・ 5 塩崎 宇宙翁島駅前 石製(忍耐の書) 1972 ・ 7 JR猪苗代駅前 英世 シカ 栄 1990 ・ 9 喜多 敏勝さて、これを次回からの猪苗代散歩のテーマにしてみようかと思います。
2012.04.27
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