仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2026.05.19
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カテゴリ: 東北

蝦夷平定を成し遂げた坂上田村麻呂の成功を支えたのは、道路である。その時代、すでに都から大軍勢を東北まで進軍させられるだけの道路が整備されていた。古代王朝は、租税を全国から集めるためもあり、道路網の整備に注力したのだ。

中でも幹線は、大和と大宰府を結ぶ山陽道。東北方面には、都から東山道が造られた。東山道は、美濃、飛騨、信濃をぬけて、いまの前橋市を通り、いまの宮城県内陸部から日本海にはいり、最終的にいまの秋田県にまで達していた。田村麻呂率いる軍勢はおもにこの東山道を通って遠征した。

その道幅は広く、幹線道路の場合10メートル以上に達することもあった。埼玉県所沢市で発掘された東山道の一部は、12メートルもあった。

(歴史の謎研究会編『舞台裏から歴史を読む:雑学で日本全史』青春出版社、2022年 から、当ジャーナルで要約)

所沢市のサイトをみたら、 東の上(あずまのうえ)遺跡 というのがあって、南陵中学校校庭から12メートルの道路跡が検出され、古代の幹線道路東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)として埼玉県内で初めて確認された、とある。

ついつい、現在の東京中心の交通網、また近世の五街道をイメージしてしまうが、古代の官道が、いまの岐阜県→長野県→群馬県→栃木県と、山をのりこえて横断したのだ。いまの埼玉県の道は、東山道幹線と東海道を連絡するもののようだ。

後日、古代官道の東山道のルートをよく調べたい。

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最終更新日  2026.05.19 08:38:38
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