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野村義男と高木ブーの共通項ふたりのジンセイに憧れるのですよ。ウサギと亀の亀さんを連想するのかな。Mr.BOO TAKAGIのハワイアンミュージックはパンチこそありませんが、寝しなに聴くにはとてもいい。クラプトンの『ワンダフル・トゥナイト』をカバーしてるけれど、ブーの味がちゃんとある。世界に誇れる音楽ではありませんが、音楽通の友人に「ブーは結構いけてるよ。」と勧められるものがある。思い起こせば25年以上も前の『8時だよ、全員集合!』はおばけ番組であった。そんな中で当時小学生時の私は高木ブーに対するいかりやのイジメが気になってし方がなかった。だって酷いときはセリフがひとつですよ。なんのためのブーなのか、観客はわからず、その前に、そんなことを疑問にも思わない。ドリフはカトちゃんと志村けん、(最初のころは荒井注というバイプレーヤーもいたが)、ブーの存在価値というのは、ときどき転がったり、いかりやに罵倒されるということで成り立っていた。あのときのブーの困った顔は今でもしっかりと思いうかべることができる。大人も子供もみんなブーを馬鹿にして、それは昭和四十年代後半のコンセンサスとして成立していた。しかし平成の世になって一番輝いているのが高木なのである。モーニング娘。とトリビュートしてるんだって?よくわかんないが、今時の若者にとってブー高木はリスペクトされた存在らしい。らしいというのは、若者とそんなに接点はないから。でも、ブーは尊重されているのではないかと私は思う。ブーが歩んだ生き様というのが、今の若者にとっては福音ではないかな。多くを語らず、ウクレレを弾いていた人生。かっこいいよ。みんなざまーみろ!だよ。(みんなが誰なのかはっきりしないが。自分もそのみんななのだろうが)野村義男はブーのDNAをもって、歌謡曲業界に君臨するであろう。2002/08/01 23:34:34フィリピンパブの夏祭り寝る前に書かねばならぬ。お水業界は夏になると「浴衣祭り」とか「暑気払い」みたいなイベントを無理しりに作ってチケットを売ったりするでしょ。その、義理を果たしてきたところなのである。1万円の券を買ったというか買わせられたというか。ホステスの名はいわずとしれたマリエル。もう、これは義理意外のなんでもない。ホントは1万だけ渡して帰りたいところなのであるが、そうはさせないマリエル。今日のためにホステス達はショータイムの準備をしてきたという。これを見ずしておあいそは禁忌事項だ。はやくはじまらんかな。ジムでかるくトレーニングして急いでシャワー浴びて店に着いたのが21時半というところか。客はふたり。22時半、客は3人。ショーはまだかいな。早く見て、家路につきたいのだがいっこうに始まらない。客はカラオケを歌い出し、私も仕方なくうたう。福沢諭吉がしだいにへべれけになる、例のカラオケチケットはみなさんご存知か?スナックのカラオケは1曲200円。1000円で5枚の券。ひとり、顔に『不幸。』って書いてある黒いちっちゃなフィリピ-ナがいてそいつの悩みまで聞かなきゃならぬ。こいつと接しているとじぶんにも不幸が移りそうなのだがマリエルの友達だから仕方なく相手をする。悩みと言うのは、私の職場の後輩がつれないそぶりだということ。ようするに彼女が勝手に好きになっていて、奴が暇なときに適当に相手をしているものだから、不幸・フィリピ-ナはつのる思いを吐き出せずに苦しんでいるのだ。後輩の野郎も、好きでもないのに思わせぶりな態度をするのがいけない。知らないぞ、もう。彼女はネグリートの血が濃いので、ようするに、パプア・ニューギニアの人達に近い顔立ちなので、すまないが、日本の男は彼女はNGなのだ。そんなこと本人にはいえないな。マリエルの顔はスパニッシュがうまい具合に出ているのでチャーミングなのだ。この顔は日本人が親しみを持ちやすい顔だ。フィリピン人はいろいろな人種の混血の民族なので、彼らはなんとも思っていないだろうが、やはり日本人はそれほどフラットな国民ではない。話しが横にそれた。11時半にようやくショーが始まった。みなさん150センチほどのずんぐりした3人が、トム・ジョーンズだかのロバート・パーマーがまぬけになったような曲に合わせて踊り出した。コミカルな踊りなのだが、なぜか物悲しい。それは、不幸・フィリピ-ナの存在のせいで、マリエルともうひとりの日本人みたいな顔した21歳のコははずしてない。振り付けの妙を見せるもので、マリエルは元々はダンサーだったので、さすがにみせる。曲は変わってフィリピンのブルースみたいな曲をママが歌いながら、不幸・フィリピ-ナがセクシーダンスをはじめた。どうリアクションしたらいいんだろ、こんなとき。一生懸命にやればやるほど「もう辞めてくれよ!」と心の中で叫ぶ。ずんぐりして顔が大きくネグリートとアラブが若干入った顔立ち。Tバックの下着を見せられて、客は一応それに対して反応しなければならない。「よ!」みたいなことをちょっとはいってやらねばならぬ。キツイよ、この遊び。ホステスの一人が、Tバックにチップをはさんであげれば、なんて恐ろしいことをいいやがる。曲が変わって、日本人に顔の似た3枚目キャラのコがエリック・カルメンの曲をはんぶんやけに歌い出した。「All My Myself!」と叫ぶ女。ご存知ですか20年ほど前にヒットしたエリック・カルメン。懐かしさとコミカルで座布団1枚ってとこだが、横で、不幸・フィリピ-ナが相変わらずセクシー男子じゃないくてセクシーダンスを踊っている。へたくそ。もう、ただただこの一件が書きたくてわざわざ遅くまで起きて書きました。文章が乱れ打ちですが、ゆるしてちょ。2002/07/31 1:31:11
2002年07月31日
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ワシントン靴店で、S子ちゃんとご対面。意外と背が高い。サングラスを掛けていたせいか大人びてみえた。グラスをはずすとやはり、18。ワケ-っすよ。まずは軽くごあいさつをして、サテンでお話をすることに。行った先は「トップス」。ご存知ですか、丸井のヤング館のそば。10年ぶりに入ったのだけれど、全然変わっていなかった。この店は落ち着くのですよ。新宿の喧騒はここにはない。新宿にしては上品な空間。それにコーヒーが350円だなんて。会計のときに驚いた。それはさておき。何を話したんだけなあ。ネットの話しはもちろんしました。このライコス日記についてもいろいろ話した。私は初対面の女の子と向き合うのは恥ずかしくて、楕円形の大テーブルの一角にふたりでL字になるようにして座りました。それでビール。飲まないとどうもダメです。S子ちゃんは、若かったな、当たり前だが。怖いもの知らずなところが若いのね。18歳の女の子は私は少しコワイ。慣れれば平気ですが。ティーンは話しがつきないのだな。ケータイの機種の話で20分はもつ。いろいろ聞いているうちにじぶんもなんだか機種変更したい気分になってきた。恐るべき10代のパワー。ワシントン靴店でハイヒールを吟味した。なかなか気に入ったものはみつからず買わずじまい。ハイヒールって大人の印だったんだな、そんなことすっかり忘れていた。新宿をあてもなくふらふらと歩きました。イニシアチブをとっていたのは彼女。どうする?っていう煮え切らないことにはならないで、彼女が方向を決めていく。私はなんとなくしたがってついていく。なんだろうね。大ガードをくぐって「思い出横丁」にきた。懐かしいな。火事で焼けちゃったけれどいまはすっかり復興していた。それで遅い昼ご飯を『つるかめ食堂』で食べたのだ。彼女がいきたがった。あの店はたしか火事になった後に、ニュースステーションで生中継されて、ご主人と久米宏が話しをしていたぞ。メニューがおもしろい。私は『ソイ丼』。基本的にはカレーに大豆が入っているどんぶりだ。カレーの味は昔の蕎麦屋のカレーの味。彼女は『元気丼』。具は忘れたが、確かに元気になりそうな肉類であった。『いわしのスペイン風なんだっけ』、とにかく、風変わりなメニューが結構あって、出てこないとなんだかよくわからん、という品書きがいろいろありました。あの手のお店は、職人風のお客が必ずいて、ビールを飲みながら2、3品の惣菜をつまんでいる。もう20年ずっとそうだ、ってかんじにみえる。我々はいちげんさんであることはすぐに空気でわかってしまいます。中国人の30代の女性はルックスはフィリピンで、まだ、夜の部でもいけるだけの色気は元来あるのであるが、ジーンズに長靴はいて、注文を少々けだるい表情でもって受け止める。なんとなく目がいったな。S子ちゃんもきっとそうだったはずだ。彼女が『つるかめ食堂』で働くまでのいきさつが知りたくなった。江戸っ子な主人が面接して、「よし、うちにおいでよ。」となったまでの経緯がみたいなあ。まあ、安い労働力だからだろうが。昔はこんなことなかった。決まっておばちゃんだった。食後はウィンドーショッピングという展開に。しかし疲れを知らないS子ちゃんである。駅ビル、三越、伊勢丹とすごーくみて回った。それでなんにも買わなかった。こんなこと10年以上なかった。S子ちゃんは若いけれど、大人びたブランドが好きでした。おしゃれが好きなのだ。私もコム・デ・ギャルソンやらプラダやらずーっと遠ざかっていた商品郡をガンガンみました。ズッカというのも面白いですね。ほんと、もちろん着たいけれど、金とルックスがちょっとね。ユニクロが席巻する閉塞した時代にあって、コム・デ・ギャルソンは10年前と基本コンセプトは全く変わっておりませんでした。凄いことだと思う。コム・デ・ギャルソン・MANというのは知らなかった。アメリカなのねこっちは。えらい金持ちのボンのアメリカンか、そんなイメージが好きなヨーロピアン向けか。いつかギャルソンに身を包める体躯と経済力を持ちたいなあ。それって、もう、今のオレには夢の部類になるのだよな。はじめて会った女の子とブランドについて下らん薀蓄をこれほど話し合いながらえんえん見つづけるという展開はもちろん予想しなかった。S子ちゃんは、満足だったかなあ。もうちっと、若いお兄さんならよかったろうにな。こんなかんじで歩き回って疲れてしまった私は「帰ろうか」ってギブ・アップ宣言。エビアンを手にしてうだる新宿を歩いた一日なのでした。
2002年07月27日
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18歳女とオフラインだよ、どうする?何する。(前編)男おぎーの37歳、今だ独身。ああ。嗚呼(こっちの字のほうがジッカンあるなあ)。頭髪もとみに薄く、体型はオヤジ化する。高一の同級生と飲み会した。毎月あるのだ、このクラスの同窓会は。同窓会が開催された頃、「いやあ、みんなあの頃と変わってないなあ」なんて明るい級友のコトバもあったけれど、私は、みんな変わったなあ、年月を感じるなあと思ったものだ。そんな、オヤジなおぎーのにも、ひとすじの光が。。この日記を読んでくださる女性からのメールだ。関西在住の18歳の女の子が上京するそうで、話が、とんとんと、オフラインになった。新宿でアポか。どこで待ち合わせようかな。アルタの前じゃな。なに話したらいいんだろう。18歳だじょ、おねえたん。(もう、すでに、思考は混乱し始めている。)「犯罪じゃねーか(笑)」とか「気をつけたほうがいいぞ」と、級友は心配してくれてるのか揶揄してるのかよくわからんご忠告をしてくれる。『いや、そんな、いわゆる出会い系じゃないんだよ。でも、ネットだけの間柄だ。』日記の特性をよく知らぬ友人には、彼女と私の関係はつかめない。いや、私にもよくつかめない。水族館か、プラネタリウムでまったり過ごして、間を持たせようかななんて考えたりもしたが、彼女はそんなこと考えることないっていう。でも、考えるよ、やっぱし。『このルックスをみて、嫌にならないかな』ってことを漏らすと、「そのコトバの裏にはやはりそおいうことを考えてる」と突っ込まれる。そりゃねえ。初めて会うんだしねえ、何も起きないというカクショーはないよね。ハンカチ、ちり紙、コンドーム、乳首用ローターをちゃんと持って…。アホ。アポ先は人々の欲望を飲み込む新宿だもんなあ。学生の頃を思い出す。バカヤロの夏、ニッポンの夏、キンチョ-の夏。なにか、いいことないだろか、と歩きつづけた歌舞伎町。合コンの待ち合わせは15分も早く着いちゃって、早すぎる自分をさとられないように周辺をぶらぶら歩いて再び待ち合わせに戻ったら、友人らはすでに楽しくやっていて、結局、出遅れた紀伊国屋書店前。電車に乗るでしょ、もうね、若いコがじゃんじゃん視界に飛びこんでくる。ボヘミアンな格好をしたティーンがうじゃうじゃといる。こんなコなのかなあ。浜崎あゆあゆみたいなファションじゃないよなきっと。文章と違いすぎるもんな。オレはいったい何を考えてるのかな。このムアっとした蒸し暑い空気がイカン!思考をこんらんさせるのだ。うし!そろそろ、待ち合わせのワシントン靴店前だぞ、おっと電話が鳴ったぞ!(以下次号)2002/07/21 22:53:16RE:プチ不倫の行方。~嫌悪感~(めたも。さん、コメントさせて!)つい、リンク張りました。他人の日記にじぶんの考えを押しつけることは、よくないし、うっかりすると誹謗・中傷の類になりかねないので、コメントには気をつけなければならないし、できれば、ほっときゃいい。が、めたも。さんについては、いわずにはいられないのですよ、コメントを。結論から申し上げると、Hさんとの関係を続けるのは得策ではないと思います。じぶんのことを棚にあげてよくいうな、とも思うのですが、めたも。さんは私が日記を始めた時に最初に書きこみをしてくれた方なので、なーんか、ほっとけないんですよ。確か、めたも。さんにはボーイフレンドが何人もいらっしゃったと思いますし、学生生活を送りながら、めたも。さんに近づいてくる男のコは結構いるんじゃないかと思います。そんな、ごくありふれたキャンパスライフにのっかるのもいいんじゃなかと思って。(よけいなことかな。削除も考えたけれど、のせちゃう。ネットで腹を割る馬鹿と思われてもいいや)2002/07/21 21:41:29
2002年07月21日
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7年くらい前の話かな。テレクラでデブの当時31歳の女性に出会った。同じ県ではあったが、彼女の家から私が当時住んでいたアパートまで、高速を使っても30分はかかった。よくウチまでよく来てくれたなあ。年上でデブで色が白くて、大きくて、いうことなかったな。私はひっこみ思案なので、ホテルにいくまでにサーカスを観たり、回転寿司を食べたりと、回り道ばかりしているのだが、アタマの中はどうやってホテルに誘おうかとそればかりでドキドキなのだ。ほんと、純粋なんだよな。そんな私を愉しんでいたな、彼女は。結構、遠くまでクルマを走らせてテレクラの相手に会いに行くそうな。レビンを走らせて。体重は90キロオーバーだと思う。でも、肌がきれいで、パーンと張ってて、健康的なのだ。で、下着は舶来もので、体に合ったなかなか高価なものを身につけていた。出かけるときから勝負下着だったのだな。何カップなのか見当もつかないけれど、巨大なパイオツの谷間にぐりぐりと顔を擦り付けたい衝動が沸いた。やったかな?忘れた。結構お高いホテルに入ったらベッドの天井の下に大きなテレビが下がっていて、エロビデオがかかっている。ビデオのおふたりに対抗して、よーいどん!でえっさ、ほっさ、とはじめました。体が大きくて征服のしがいがありました。顕在意識ではデブ専おぎーのはウハウハのはずなんだけれど、なぜか、老人ホームの、ある老婆の肉体とオーバーラップしてしまって、なかなかいかないの。もう、汗掻いたよ。そんで、とうとうエロビデオのおふたりはともに絶頂に達して終了してしまった。こちらは、まだ、えっさ、ほっさと。これは、我々の勝利なのだろうか?それとも負けたのだろうか?そのあたりが、わからん。セックスフレンドになってほしいな、っていったのだけれど、その頃はまだケータイもってなくて、アパートの番号教えるのになんかリスクを感じて、そのまま、もう会うことはなかった。でも、今でもあの白い大きな肉体は覚えているのだ。彼女はスチュワーデスになりたかったそうな。学校にも通っていたのだそうな。きっと、あのあともテレクラでいろんな男と交わったのだろう。彼女は表の世界では日陰の存在なのかもしれないが、裏の世界ではモテるのだ。うん、これでいいのだ。
2002年07月19日
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『現代空手道研究会』のページをみなさんに紹介したい。http://www.nom.ne.jp/genkuken/『現代空手道研究会』というページを、職場の昼休みに目にしている。このサイトは、空手に魅せられ道場とスポーツジムにせっせと通う同僚に教えてもらった。武道とは対極にあるおぎーのであるが、目からウロコというべきか、空手に対する偏見を改めざるを得なくなった。空手は荒くれ者がやるものだと、勝手に思っていたのである。それから、これは重要なことだが、もともと身体能力の強い人がさらに強い体になるために武道は存在すると思っていたのである。根性やしごきが、空手道を支えるのだと思っていたのである。すべてまちがいであった。少なくとも『現代空手道研究会』は違う。とてもラジカルだし、因習にとらわれることがない。そこで、たとえば虚弱なおぎーのにも空手は有効か?なんて、今まで考えもしなかったことを夢想するようにもなったのである。私はあいかわらず自律神経の神経の失調があって、イスや机に足をぶつけながら歩いている。ボーリングなどもてんで定まらない。今日も頭痛が一日してずっと寝ていた。今日は休日出勤の代休を取ったのだが、ただひたすらにベッドでじっとりと汗を掻きながら過ごすことになってしまうのである。このわたしでも空手は可能か?このページを教えてくれて友人がこんな話をしてくれた。ある空手の有名な師範がアメリカへ渡って道場を開いたそうだ。アメリカ人の空手好きはつとに有名だ。文化の違いはあれど、しばらくすると、どうにか空手をアメリカ人へも伝える自信が出てきた。彼の教えが生徒に浸透していったのであろう。そろそろ、目的も達してきたことだし、帰国しようかと思っていた頃、ある少年から「是非、空手を教えて欲しい」との手紙がきた。空手家にとってはよくあることだ。よかったら、いらっしゃい。と返事をすると、道場に現れたその少年は重度の身体障害者だったという。空手家は彼のような人物に空手を教える術を持ち合わせていなかった。そのときに、彼はじぶんがやらなくてはならないことはまだまだあると思って帰国するのを中止したそうだ。「きみには無理だ。」とその空手家は言わなかった。それよりも、彼にとっての空手はいかにあるべきかを考えた。メニューも考えた。空手雑誌には、道場で、いわゆる「オス!」のポーズを健常者に混ざって身障者もしてる写真が載っていたそうで、その絵からは彼が身障者だから…といった特別なはからいはいっさい感じられなかったそうだ。たまにそんな写真が空手雑誌には載っているらしい。2002/07/18 23:29:28頭痛をなんとかしてくれ!それでも日記を書くのだ。そもそも、なんで日記をかきはじめたのかな。なんてことを考えたりして。ネット時間では3ヶ月はワンクール。出来ては消えるマイホームページ。ウェブ日記に接したときにヒトはどのような反応をみせるのかということを、自分自身で身をもって実感している。日記を書くにはある程度の余暇の時間が必要なことは確かだ。毎日、朝から晩まで仕事一筋の企業戦士の皆様は日記は書かないだろうな。毎晩のメールのチェックもめんどうだけれど、お得意さんからのメールがあるかもしれないと思って、しかたなくチェックしているのかしら。学生さんや主婦の皆さんのほうが、じぶんの時間を持ちやすいので、日記も書きやすいのだろうな。モヤモヤしていることを、ネットで表現して、それを共感してくれる人がいると、とてもうれしい。これは私も経験済みだ。孤独を癒してくれる作用がウェブ日記にはあるな。ウェブ日記を書く人と、それを読む人と、いるのだろうが、この媒体はせっかくなら書いて参加したほうが楽しいですよ。へたな「マイホームページ」を作るよりもじぶんと波長のあったネットフレンドができるんじゃないかと思う。これは以前から思っていたことだけれど、最終的には、フォトなどのビジュアルよりも文章の方が人の気持ちを捉えて印象に残るのですね。それから、日記を書くと、あとで読みなおして、あのときはこんなことを考えていたのか、と発見もあったりします。人の心は一定ではないということがよくわかります。それは他人さまに見せてしまうのは恥ずかしいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、露出の愉しみを覚えると、これも止められないものなのだ。私の日記は、書きはじめと比べて、だいぶ内容が変わってきましたが、ブックマークをずっと続けている方には、感謝しております。なぜかといえば、素の私に興味をもってくださっているからだ、と思うわけで。アダルト系で興味本意な文章を書くと、ブックマークは増えますが、それを辞めると「なんだ、つまんないの!」とブックマークを解除される方もいらっしゃるけれど、ご期待に添えなくて申し訳ありません。できないこともないが、なんのために日記を書いているのか、わかんなくなるのですよ。そりゃ、エロエロモードになって、これでもかといった、団鬼六みたいな、日記が始まらないともかぎりませんが。ネットで知り合ったコマジュン氏はこのところ更新がありませんね。仕事が忙しいのでしょう。彼の文章は、たとえば糸井さんのページに登場してもおかしくない高品質なので、メジャーなサイトに転載されたらいいのにな、と思ったりします。あとはフラメンコさんの日記は、快調ですね。紙媒体での転載OKな、おふたりです。と、いきなり、他の日記批評になってしまいました。ネット媒体でもっとメジャーに(1日1万アクセス)みたいなところで、載ってもいいな、と思う人は何人もいます。私は抜けてしまったが『千日前変態倶楽部』のみなさまは、キャラの立ってる人が多くて面白いです。是非、ライコスを超えたムーブメントに発展してもらいたいものです。2002/07/18 21:45:39
2002年07月18日
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叔父が急死した。気心の知れた叔父だと甥である私は勝手に思っている。幼少の頃は同じ敷地内で表と裏の住宅でお風呂を共有しながら、まあ、半分くらい一緒に住んでいた。○○にいちゃん、と呼びいまでも呼び方は変わっていない。東芝EMIに勤務していた叔父は私の憧れであった。小学校1年生のときにすでに「おおきくなったら、とうしばレコードにいきます。」といった作文を私は書いていた。大学生くらいまで、レコード会社でプロモーションをするのが夢だった。叔父のようにかっこよく、生きたかったのだ。子供の頃はロンドンブーツを履いた業界の人達がときどき裏の叔父のウチにやってきていた。なかには皆さんもよく知る人もいる。毎晩遅くまで接待などで働いていて、朝は9:30頃にヌボーっと出勤していく叔父をみて、よくわからんが、羨ましく思ってしまった。仕事の大変さを知らなかったからだ。この叔父がサンプル盤をしょっちゅう持ってくるので、私は物心ついたときからビートルズを聴いていた。兄である私の父は「○○はビートルズに食べさせてもらっているんだよ。」なんていってた。間違いではないだろう。叔父はトントン拍子に出世をして洋楽部で一番のボスになった。たぶんポール・マッカートニーに会ったこともあるだろう。もしかすると、お忍びで来日中のジョン・レノンにも会っているのかもしれない。そんな叔父はもともと音楽に特別興味があったわけでもなく、営業マンとしての仕事ぶりに徹していた様だ。休日に島倉千代子を聴いていたのを思い出す。叔父は石坂敬一さんとはまた違う方向でキャリアを磨いて、大幹部になりそうになったが、どうも、権力闘争に敗れてしまったらしい。邦楽部にいってからの叔父はいまひとつ精彩がないように思えた。それで、叔父は東芝を出て、トーラスレコードの社長に迎えられた。小さくてもレーベルの社長だからスゴイと思った。ケー・ウンスクが所属していた。ところがトーラスレコードはあえなく倒産してしまった。これは辛かったのではないか。叔父は、四年前に「英語の塾を開く」といて、叔母といっしょに十和田湖方面へ転居して、幼児や小学生に英語を教えることとなった。亡くなる3日前までそうしていた。東京は住むところじゃない、なんていってたそうだ。まあ、早い隠居生活だったのだろう。十和田の自然に向き合ってじぶんを確認していたのだろう。あっけなく、亡くなった叔父について、思いをめぐらせている毎日である。
2002年07月15日
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今夜は、後輩Sのことを書くぞ。覚悟しな。とここでいっても、本人は知らない。後輩Sというのは、日記で何回か登場した、老人ホームの27歳ケアワーカーの独身女性のことだ。休職していた、酷い鬱病のときに、心の支えとなってくれた恩人である。Sとのカンケイはちょっと不思議かもしれぬ。先輩と後輩の間柄で、男と女の違いがあって、私はなんでも彼女に心のうちを明かしてしまい、彼女は受容してくれ、ときには手作りのケーキなんかもいただいたり、銀座へ買い物に行ったり、映画を観たりする、が。。友達だ。ジャストフレンドだ。もうひとり、この日記にたまに登場する友人のI君も鬱病の私を心配してくれる親友だ。先週の日曜日にこんなことがあった。憂鬱な気分をもてあましていた私は後輩Sに会って、飯食ったり、ちょっと買い物したりということに付き合ってもらった。私はSと歩きながら、道行くカップルを眺めて、男が左側で歩くカップルと男が右側で歩くカップルの違いについて語っていた。私とSでは私は左に立つ。Sは男と歩くときは自分は右側じゃないと気持ちが悪いという。どうでもいいことだが、なにか心の法則があるのかもしれない、なんてことをくっちゃべっていた。それはさておき。スーパーの食料品の買い物までSをつきあわせて、19:30頃、ふたりは別れた。私は家の用事があるので、そうそうに自宅に戻る必要があった。一方、友人のI君はI君で、後輩Sを誘っていた。夕食にカレーを作るから食べに来ないかと、Sへメールをしているようだ。I君はひとりでマンションに住んでいる。Sは私もいっしょに行かないかと誘い水をかけたが、私は断った。で、Sの最寄の駅近くまでクルマで送った。I君は駅までSを迎えに着てくれるのだそうだ。Sは駅でスイッチするように、私のクルマを降りて駅へ向かった。駅にはきっとI君が待っているだろう。そして、I君はSを乗せて、マンションでいっしょにカレーを食べるのだ。後輩Sは私に接した様にI君へも接するであろう。優しくて、さばけた女だ。I君はSと夕食を共にしながら、楽しいひとときを過ごしたはずである。まあ、それだけの話なのだけれど、後輩Sにとっての、この日は、どういった感慨を持つ日だったのかな。たぶん、特になにも考えていないのだろうが。27歳の独身女性が非常にニュートラルなままでこのような日々を過ごしているというのが不思議な気がした。へ?カレーだけで終わらないって?それが終わる女なんだな。I君が風邪をひいて寝こむと、すっと介護にいってくれるのだSは。I君はちょっと感動したっていってた。ケアワーカーにはそんなコがいて、私もアパートで寝こんだときに、突然、スーパーで買い出ししてウチにやってきたワーカーがいた。何かつくってくれたように記憶している。で、アクエリアスなんかを私に飲ませて、すっと帰っていったものだ。だから、SはI君の部屋へもそんなカンジで楽しくすごして、すっと帰ったのじゃないかな。
2002年07月09日
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金曜日の夜に友人のI君から電話があった。少々、仕事でお疲れ気味らしい。きっとこんな晩はひとり自宅マンションでビールを飲んでいても、あまり楽しくはないのであろう。そんなときは、オネエチャンのいるお店で気晴らしが一番!ということで、I君とマリエルのいるスナックへいった。マリエルはうれしさを隠さないタイプだが、私はシャイな日本人だ。友人の前でラブラブなモードになれない。しかも場所が飲み屋だし。友人といっしょだと楽しいけれど、オンナがいると、ちょい恥ずかしい。翌日は、マリエルと2歳の子供のミクとI君がまあまあ気に入ったおねえちゃんとでボーリングとお食事をした。I君は気を晴らしていたが、そしてマリエルも上機嫌であったが、私は疲れました。だって、さ、マリエルとミクと私が家族という構図となってしまって。ミクにとって私はパパと認識しているし。これはボディーブローのように効いてきます。だから、ミクにとってあまり印象に残らない様に振舞おうなんて思ってね。その態度がなんとなく、周りにもみえちゃってね、ビミョ-なの、この問題は。なんか、思いきり煮え切らない馬鹿男なんだろうが、その煮え切らなさが、なぜか、恋の駆け引きみたいな作用をして、とにかく、はっきりした態度や毅然としたふるまいをしない、あいまいな私なのでした。
2002年07月08日
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こんなに、み返りの薄い職業もないだろうな。福祉をする男は馬鹿にされているのかしら。馬鹿には違いないが、馬鹿なりにソーシャルワーカーとしてのプライドがある。けれど、情報やプランやコーディネートと水はタダだと思って、自分の主張ばかり述べられて、ケアマネになんでも押し付ける輩がいるのですよ。家族間の歪みを私に押しつけないでくれ。公的介護保険だから、報酬は誰でも同じなのだが、できれば自由診療みたいなことも認めて欲しいな。そしたら、俺のケアプランは最低5万円からにする。いやなら、他のケアマネにお願いしてね。30分の相談で5000円ほしい。でなきゃ、なにも話したくない。教えてたくない。こんな勝手は福祉の人には許されないのだろうな。広告の仕事をしていたときは、パンフレット1pで40kくらいをコピー代請求していたぞ、会社として。ほかにも企画料がけっこうな金額だよ。嫌なら、安くてなんでもいうこときいてくれる代理店に頼みなさい。ま、そんなところのクリエイティブって、そんなものだけれど。ケアマネはケアプランを作成してそのプランで飯を食べる人なのだよ、本来は。5万円くれれば、仕事は変わってくるよ、きっと。8500円であんなに複雑なコーディネートをさせないで欲しい。医師はちゃんと、俺さまのコトバに耳を傾けてよ。ま、先生はお金をもらえないから、そんなことに付き合えない気持ちもわかりますが。なんか、ニッポンの福祉に希望が持てなくなってきた。嫌なら辞めりゃいいんだよね。ほんと、サラリー安くて、スキルを積もうが、評価されないシステムなんだ。もういっそのこと、福祉の充実した国へ逃亡しようかな。それで、「まだまだ、日本の福祉は遅れている」と他人事のコメントしたりね。大学や専門学校の先生になってノホホンと日本の福祉を語るのもいいな。「ケアマネの質が低くて困る!」ってね。ほんわかした具体性のない理念を吹聴しながら、現場のスタッフを困らせるという人が日本にはたくさんいますが、これだけはできないな。私の欠点はこの優しさだ。優しい性格だから今まで福祉の仕事が勤まったともいえるが、この優しさが致命傷となって、キャリアアップに繋がらないともいえる。アメリカのケースマネージャーのごとく、合理的で冷たい仕事ぶりでいきたいな。
2002年07月07日
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肉体のコンプレックスについて語る。腹がポコンと出てしまってキモいのだ、じぶんが。ひ弱なのに腹が出てビアフラの子供みたいだ。これじゃ、オンナに裸をみせられん。電気を消して!電気を!じぶんの肉体を嫌ったって精神衛生上よろしくないことはわかっている。ダイエットにむきになる女性に、「まあまあ、今のままでもいいじゃないですか。」と諭したりすることもあった。が、今はむきになる人の気持ちもわかってきた。肉体をレストアすると心もレストアされることが、昨年わかった。ちょっぴり自信をもつのだよな。しれた自信だけれど、結構、生きていくにはしれた自信が大切なことがある。そこでフィットネスですよ。スポーツと逆ベクトルの男が汗を流すことにしたのだ。ネット上のおつきあいの方々にとっては、私の体重が何キロだろうがなんのリアリティもないでしょうが、でも、ここで、宣言させてね。まずは75キロまで落とします。バイオメトリクスはひとりでやるのは危険なので、その方法に少々ゆるいお遊びを混ぜたメニューを徐々につくるつもり。まずは一日2リットルの水を摂取しよう。バイオだと私の場合3リットルは飲まんといけないが、2リットルでいいや。1日のカロリーは2000キロカロリーにしよ。月・水・金がウエイトで(正味7分)、火・木をプールで10分歩くことにしよう。先週からダイエット食のレトルト食品を夕食に摂取し始めた。これじゃないと、カロリーの計算ができないのだ。今日はだいたい2000くらいだった。このだいたいさ加減はストレスを溜めない効用がある。その分プールで10分歩く日をセットしたのだ。これでいいのだ。ジムはまず、体の弱い人や、心の弱い人のためにあるべき存在じゃないといけないと思っている。健康な人がさらに健康になる構図のクラブは嫌だ。例えばリハビリ病院の理学療法室と、フィットネスジムが繋がらなきゃ。鬱病で歩行に支障をきたすほどに体力を失った人が、楽しくできる環境と、そんな人のためのコーチを揃えないといけない。虚弱者のためのウエイトトレーニングメニューと適切な指導ができるインストラクターが、ホントのイントラだ。科学的なトレーニングの基本を学んではじめてわかったことだが、私のような虚弱者こそ、はじめにウエイトからスタートするのが正しいのである。まずはエアロバイクではなくて、まずはウエイトマシン。みなさん知ってました?私はジムに入ったばかりのときのインテークであまりの体力のなさと運動不足のために、ランニングマシンは使うな、と正しいイントラに言われました。せいぜいエアロバイクにしろと。でも有気酸素運動をする前に柔軟とウエイトが先だと。だから、今はマシンを使ったほんの少しのウエイトトレーニングのみでございます。2ヶ月こんなカンジでいこうっと。2002/07/03 23:48:19本日の体重77.6キロ本日の体重77.6キロ。10日前は78.9キロであった。職場復帰して3ヶ月経ったが、この間、私の欲求は睡眠と性欲は不調ながら食欲だけが異常になり、食べに食べた挙句にブカブカになったズボンが今度はパンパンになった。それで、しかたなく最近ダイエットモードに入ったのである。昨年の夏に、バイオメトリクスというダイエット法を「エックスで始まるスポーツクラブ」で四週間やって3キロ減と5%の脂肪を減少した。そのときは72.5キロで終了したのだが、このたびの体調不良で体重が変動激しく、筋力は一時は歩けなくなるほどに落ちてしまった。現在、リハビリ期間中だ。みなさん、鬱病は身体の機能全体を低下させるのですよ。怖いですね。今日もなんとなく悲しい気分で仕事をしていたが、まあ適当に流すことができました。2002/07/03 23:05:15
2002年07月03日
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あるとき、神経科の待合室に盲導犬が、主人を待っておりました。主人は20代の女性で、彼女がなぜ神経科の診察を受けているのかは知るよしもありません。診察が終わって、待合室に戻った彼女は真っ白の美しいラブラドールをしっかりと撫でておりました。おりこうな犬だなあ。その綺麗な毛並みを撫でてみたいな。動物って癒されるなあ、なんてのん気に夢想していると、次は私の番でした。「先生、こんにちわ。」40代の女医は、目を涙で腫らしたままで、私を迎えてくれました。あれ、先生、泣いてるぞ。どうしたんだろう。いつものように診察はつづき、話の展開は忘れてしまいましたが、先生の診察は私の役に立っているのかのという流れになって、「いや、今の私がこうしてどうにか現在、ケアマネの仕事をして一応の一人前になったのも、先生のお蔭ですよ。先生なしじゃ、今の私はないですよ。」というと、『ありがとう。やさしいのね。』と、先生は私に言いました。話と言うというのはそれだけです。テレビで盲導犬のルポをやっていたので、ふと思い出し、書きとめました。
2002年07月02日
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帰国の途に着こうとするロナウドは、空港でちょんまげのかぶりものをして笑っていた。復調して3ヶ月。これだけの活躍ができるとは本人も考えていなかったかもしれないが、我々が学ぶことは、彼のそしてブラジル人の楽天性だ。ブラジルチームは、期間中の調整でも市民プールで一般のおばさん達にまじってプールの中を歩いていたりと、おおらかだった。たいへんなプレッシャーの中で戦っていたに違いないが、表面的にはそうは見えない。作戦でもあろうが、正しい作戦だと思う。あの大五郎カットもマヌケだし、本国でも不評だと聞く。ロナウドとしては、気分転換で、お馬鹿なことをしてみたかったんじゃないかと憶測した。他のセレソンはそんなロナウドをやんわりと支えていたようだ。一方のカーンは笑顔を見せることは一度もなかった。彼は素晴らしいゴールキーパーで素晴らしいプレーで世界を魅了したが、決勝の大事な場面でミステイクをした。小指の怪我について彼は弁明しないが、あのレバウドのシュートをうまく処理できなかったことが、ドイツの敗因となった。カーンが素晴らしい男であることに異論はないが。決勝戦のドイツは固かったのではないか。動きがいまひとつで、特に予選リーグで大活躍のクローゼの動きがよくなかったと思う。ドイツの緊張の背後に守護神カーンの存在はなかったか。カーンはニホン人の琴線に触れ、敗れざるものとして、日本人の心に深い感動を与えた。みんなカーンが好きだ。ベッカムが去った後、にわかファンの注目はカーンへと移った。吼えるカーンのゴリラな表情は相手を怯ませる。あの顔で名前がオリバーだなんて出来すぎている。来週の『女性自身』と『週刊女性』の表紙はともにカーンであろう。今週はともにベッカムであった。どうでもいいことだが。カーンの精神性はたいていの日本人社会では模範的キャラクターだ。だから、ついつい、職場のPCの壁紙をカーンにしようかなんて思ったりするのだが、そこをあえてトルコのイルハン選手にするのが、おぎーの的だな。くだらん話だが。勝ち負けを左右したのは実力の差に他ならないが、あえて別の視点で述べてみると、リラクゼーションの違いともいえるではないか。どちらの国にプレッシャーが大きかったと言えば圧倒的にブラジルだろう。前回のフランスとの決勝での惨敗で、ブラジル国民はチームに手厳しかった。そんな経緯があっても、ロナウドは笑顔でいることが多かった。無邪気といってよい笑顔。私は、ちょんまげで日本を後にしたロナウドの生き方に習いたいものである。
2002年07月01日
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