2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全52件 (52件中 1-50件目)
ヒューザーマンションをめぐる大河ドラマ的BBSマンションの購入はサラリーマンにとって一生に一度の買い物だ。ヒューザーマンションの購入者層は、都内の企業に勤める、現在の社会においては中流の人たち。私のように借家に住むしかない下流層とは違う。大卒できちんとした会社に新卒より入社し、10年くらい働き、結婚し、将来設計を綿密に考えて、老後までの見通しを立てて、マイホームを購入する。大きな買い物だけにネットでの情報収集も怠らない。私の親の時代もマンションブームがあったが、父は特に綿密な下調べはしていなかった。デベロッパーが大手であり、マンションばかりのニュータウンなら生活環境もよい、とそのくらいではなかろうか。実家のマンションはヒューザー物件に比べると当然狭く、うなぎの寝床型の間取りである。30年前の安マンションはそんなものだった。そんなマッチ箱みたいな部屋であってもローンの支払いは薄給の我が家では大変なことで、共働き。母はずいぶん苦労したと思う。上記のBBSをみると、皆さん勉強熱心だ。そんなインテリ層の人たちがヒューザースタイルを支持し、小嶋社長の理念に傾倒していたのである。不祥事発覚前に疑問を抱いていた人の書き込みもあったが、ヒューザーマンションホルダーにとっては誹謗中傷と感じる人も多かったと思う。今年の8月くらいまではずいぶんと専門的な視点でヒューザーの経営や物件について建設的な意見が展開されていた。それが姉歯氏の偽造が発覚し、購入者は一気にどん底へ突き落とされていく。我々は過去ログをロムりながらも決して馬鹿にしてはならない。構造計算がどうのといった視点で語る人はプロだけである。それも当然推測。上記のBBSには一般人の人生模様がグツグツと煮立っている。私はヒマ人なので、ほぼ全部読んだ。そして誓った。私は今後も賃貸でいく、と。現在は仕事を休職という大問題の中でかろうじて自殺もせずに生きているが、彼ら被害者の側に回ったら、すぐにローンを返せなくなりすべてを失うことだろう。それにしても事件発覚前のヒューザーは魅力のあるマンションを作っていた。とにかく広い。マンションという集合住宅を感じさせない設計なのだ。お化粧(意匠設計)が優れている。貧乏人の私は貧乏をよしとし、借家ライフを肯定していこうっと。
2005年11月30日
コメント(0)
最近、こんなニュースが報道されて、ちょっとした話題となっている。釈迦の化身と信じられる少年15歳の少年が、6ヶ月間飲まず食わず、テンジクボダイジュの下で瞑想をしているというのだ。仏陀のお告げを聞いてそれに従っているのだという。信者が見守る中、瞑想は続けられているが夜間はカーテンで姿が隠されるとのこと。ネパール当局は1週間くらいをかけて調査するとのこと。写真を見る限りにおいて、少年は肉付きもよく、消耗しているようには見えない。瞑想の時間を日中に限ったこととしても、普通なら尿意もあるだろう。排便する際には場所を移す必要もあろう。不思議な話である。精神が衰弱している現在の私には、この少年のニュースはなんとなく勇気づけられる。なぜ勇気づくのか、その因果の関係が自分でも不明だが、信仰心とは、こんな気持ちを発端とするのだろうか。彼が24時間、パーフェクトに瞑想状態にあるのか、その事実関係は第一の儀ではない。ネパール当局の調査が厳格であることを私は求めない。10万人といわれる彼の姿を見にきた信者たちも同じであろう。いや、オーディエンスは仏陀の生まれ変わりだと思っているのか。私には「世界の平和のための瞑想」このコンセプトが重要。常日頃、やれ人間の鎖だの人間の盾だの、平和のための断食だのといったパフォーマンスに対してハスに構える私である。市民運動に潜む胡散臭さが大嫌いなのにも関わらず、ネパールのどこかで一人、瞑想する少年には心が動く。いよいよ私は敬虔なる仏教徒へと宗旨替えするのだろうか。(もともと宗旨があるわけではないが)フィリピンのあるカトリック教会では血の涙を流すマリア像がある。あれはもう事実は解明されたのか。できれば解明されないほうがいい。いいじゃないの、そんなことがあっても。血液型が何型とか調べることはナンセンス。機会があれば、そのマリア像がある教会に行ってみたい。そして、教会を訪れて祈りをささげる人たちの様子が見たい。クリスチャンでなくとも心が洗われるのではなかろうか。
2005年11月30日
コメント(2)
小嶋氏は国会の参考人質疑において、怒号を吐いた。周囲をビクリとさせる恫喝である。ニュースでご覧になった人は怖いと思ったのではなかろうか。彼は怖い人なのである。日曜日のサンデープロジェクト出演時にも、CMに切り替わる直前に彼は怒鳴った。「いいかげんなことをいうんじゃないよ!」と。まだ、討論が始まる前である。マイクが拾わないところで誰かが何かを囁いたのかもしれないが、何もいってない可能性が高い。突然の怒号は周囲へ恐怖を与えるもので、田原を始めとするコメンテーター陣の追及も甘かった。最初の一声が効いていたのだ。本日の国会において、確かイーホームズの答弁に対して彼は恫喝した。見事なヤクザぶりである。まさか国会内でやるとは思わなかった。デベロッパー、建設、設計、検査と様々な役割がある。最も儲けた者が一番悪いと述べたコメンテーターがいたが、最も儲かるのはデベロッパーではなかろうか。バブル期、広告の仕事をしていた時、私が毎週のように制作していた会社はマンションのデベロッパーであった。社長は当時27歳。設立3年目で都内に自社ビルを建て、ロールスロイスに乗っていた。営業マンもポルシェで営業する者もいたという。歩合制なのだ。毎日200~300件と夜遅くまで電話営業をする。顧客は医師や弁護士といった富裕層。投資目的だ。あの頃、マンションは投資の対象、持っていればいずれ価格が上がって儲かると皆が思っていた。あの社長、なかなかのワルだったな。こちらは31歳のやり手の女性を担当にして営業していたが、取材のために同行すると女性営業マンはひざまずくようなスタイルで仕事を取っていた。日本刀を見せられたこともあるという。社長、副社長と大のゴルフ好き。この会社のおかげで広告制作未経験の当時23歳の私は、入社4ヶ月でカラー2Pの仕事をすることができた。デザイナーやカメラマンを外部でやるというチームでのディレクションを初心者でも経験できた。時代だな。ところでこの会社はバブルはじけて倒産。社長はその後も不動産会社を設立して似たようなことをしていた。彼らの世界にはゴルフつながりがあって、ジャンボ尾崎とも繋がっている。ちなみにジャンボが副社長を務めていたゴルフ会員権販売の会社もクライアントだった。先日、ジャンボは多額の債務を抱えて破産したそうだが、社長とジャンボは繋がっていて、さらには広域ホニャララ団とも繋がっている。ここから先は『きっこの日記』を読んでほしいが、きっこさんもホニャララ団がホニャララで…と歯切れが悪い。誰だって自分の命は惜しいものなのだ。きっこの日記に記された、私のかつてのお客様
2005年11月29日
コメント(3)
姉歯ネタに食いつきのよい私である。病室において、テレビで国会の参考人質疑中継を聞き、週刊ポストや週刊現代の姉歯記事を読んだ。彼は苦労人のようだ。父は本人が生まれてすぐに女を作って家を出、兄も失踪した。母と貧困の中で暮らす。工業高校を出て、実務経験を積み、33歳で1級建築士となった。現在の住まいは借家。妻はエステに月50万円も使う浪費家。成人した息子が2人いるが定職に就かず。一家は荒廃している様子だが、頭髪はカツラを着ける気遣いがあり、クルマもベンツとBMWの2台を所有。子供も三菱ディアマンテを所有。アンバランスである。姉歯氏が現在の仕事スタイルをもつに至ったにも理由があろう。なぜか、建築士の会等には入会せず、業界にあって横のつながりは薄かった様子。ヒューザー物件の構造計算をしなければならなかったのも、それを断れば生活が成り立たなかったのだろうと思われる。構造屋は重要な仕事だが、報酬は1件十数万円と安い。あれだけの案件を持ちながら年収が2000万円ほどとは割りが合わない仕事だ。姉歯によれば、鉄骨を抜けだの上からの圧力をかけられていたという。どこかで建築士としての職業倫理が激しく欠如したのだが、背景には徹底したコスト削減目標があったはず。2ちゃんねるでは「姉歯を救え」という声もある。姉歯は弱者であるという認識よりのことだろう。本日の参考人質疑をドタキャンした姉歯は、理由として森田氏の自殺をあげている。要するに姉歯には自殺ではなく消されたのではないかという懸念を持っているのだ。森田氏の失踪について、クルマが発見された地点と身を投げた場所の距離が遠く、徒歩で歩く距離ではない、他殺ではないか。と推察する人もいる。警察が自殺と断定したのも早すぎはしないか、という意見もある。一匹狼の姉歯が身の危険を感じるのは無理もないと思う。
2005年11月29日
コメント(2)
13:30母の見舞いに行く。必死の思いで行った。朝食を7:00に摂ると9:00くらいに横になりたくなる。それでうとうとするのだが、妙チクリンな夢をみて、意識が戻ると鬱が激しい。そして日中起きられなくなる、と、この繰り返し。ならば朝食後に眠らなければいいのだろうが、どうしても我慢できない。10:00にアラーム設定をしたが、結局12:30頃、必死の起床だ。母が待っていると思うその一念だ。アタマはボーっと暗雲が立ち込めた状態でクルマを運転。慎重に運転する。病院のパーキングに着いて、ドアを開けたら、なぜかどんと広く開けてしまい隣のクルマのドアと接触してしまった。「まずい」と思いながらその場を離れた。これ犯罪か。当て逃げか。帰りに戻ったら、別のクルマが駐車していた。これで無罪放免か。駐車場におけるクルマのトラブルは当事者責任、病院はもちろん関知しない。私は悪事を働いた、時効となったが。いわゆる当て逃げは加害者、被害者の両方の経験がある。被害者の立場でいうと、そんな傷ってすぐには気付かないのだ。いつ着いたかわからない塗料。新車に乗っているわけではないので、しょうがないと諦めも早い。バンパー同士の接触は何度もある、自慢じゃないが。昔、院長専用レーンの隣に縦列駐車しようとして、ベンツのバンパーに当ててしまったことがある。冷や汗モノであったが、院長のベンツは全くの無傷。さすがベンツ、と妙に感心した。フランスでは、路上での縦列駐車の際に前と後ろのクルマに対し、バンパーをぶつけながら空間を作って駐車をするという話がある。日本では考えられないが、向こうじゃバンパーは当たるモノという認識。私にはフランス流が向いているな。お題と本文があまり一致せず。
2005年11月29日
コメント(2)
今日は母の病院に行くことができた。今日はオペの日だ。行かなかったら本人はたいそう悲しむだろう。大腿部頚部骨折はありふれた骨折だが、本人にしてみれば一大事。血栓予防の薬を止めているので、そのへんも不安だろう。手術は14:30より2時間ちょっとで終了。うまくいった。術後は頭痛や吐き気の訴えあり。20:30まで付き添う。こちらも鬱で離床時間が少ないので、手術中に待っているだけでも疲れた。手術にもセレモニーがあって、オペ室に入る時に見送る儀式がある。「じゃあね」というほかないが、ナースはこの瞬間を大事にしているようなので、私も付き合った。また、手術中は待機していなければならない。2時間くらいかかると言われていたのでその間、近所の美術館に行こうと思っていたが、できなかった。病院の掟なので従うほかない。父と週刊誌を読んで時間をつぶした。終わってからも担当医より型どおりの説明がある。家族は通常、食い入るようにレントゲン写真を見るものらしいので、私も見たが、専門家でないのでよくわからん。人口骨やらボルトやらは明確にわかるが、オペ前の骨折写真の詳細はいまひとつよくわからなかった。通常、家族なら、わかったようなふりをして医師に相槌を打つもののようだ。父はそうしていた。横で見ていて患者家族のポジショニングを知った。お医者様というワードが浮かぶ。担当医は20代の若い医師。オタクっぽい表情をしている。彼の上には主任クラスの医師もいるが主任は見ているだけだっただろう。ナースステーション内で、修行中の若い医師は達成感を得た様子でニヤリと笑った。家族を安心させるための振る舞いというより彼自身が楽しかった様子が伺えた。これ、いいな。若いっていいな。毎日のようにオペがある多忙な日々を送っているのだろうが、1例1例、学習するものがあるのだろう。彼の満足な様子は、プラモデルが綺麗に仕上がったような感じ。整形外科に向いている。人体の構造への強い興味が彼を医学へと向けたのだろう。(あのタリウム少女も、道を誤らなければ彼のような専門家になれたろうに)職業とは適材適所なり。
2005年11月28日
コメント(0)
自殺者が出た。そのうち出るのでは予想していた人も多いはず。このくらいの案件になると一人二人、犠牲者が出るものだ。森田設計さん。彼が姉歯に仕事を出していたのだからすべてを知っていたはず。警察も当然、動いていたと思うが残念に思っていることだろう。私がもしも、この事件に関与していたとしたら精神の安定はまず図れない。小心者だから。自殺か失踪のいずれかだろう。サンデープロジェクトに小嶋社長と犬山という建築士が出ていたが、彼らの悪さは筋金入りだ。とてもいい人そうに見えたもの。田原もつっこみも甘かった。私も認知症姉妹が悪徳リフォーム業者にデタラメな改修をされたケースを、担当ケアマネージャーより相談されて、現状復帰させるケースを扱ったことがあるが、彼らの話だけを聞いていると、ついつい信じてしまう。そんな私を見て、「マッタク、おぎーのさんはお人よし!」と女性CM(昔の同僚)にちょっと呆れられた。でも、口がうまくて彼女の話をじっくり聞かなかったら、そうか床下は補強しないと危険なのかとつい乗ってしまう。現場をみると「?」と気付いたが。まず、利用者の同意のもとに改修したという主張は曲げなかったな。私は事実確認のウラをとるのはメンドーなので、おうへいな役人ヅラで、『これ、このままだと、アナタとアナタの上司にとって大変不利益なことになるのでは…(ムニャムニャ。)いや~、こりゃひどいや(独語っぽく)え?何、オタク、消費者センターでも有名なんだって?(ムニャムニャ)』とムニャムニャ作戦でとっとと終えた。ケアマネさん、すまんね、適当で。小嶋さんと犬山さんのふたりの人相について、2ちゃんねるで「ナニワ金融道の実写版」と例えた人がいたが、ざぶとん3枚あげたい。門外漢の私には1級建築士といえばインテリなイメージがあり、ボールペン1本にもデザインや機能にこだわりがあるようなオシャレな先入観があるが、犬山という人は人相悪いな。海千山千のくちで、仕事の闇の部分を一手に引き受けて処理ができそう、悪智恵では抜群というか。セックスも強そう、サディストっぽい、あれはあれで女にすごくもてますよ。冷たい刃物に近寄る女は多いのだ。犬山さんが献身的な建築士であったら、私はずいぶん酷いことをブログでいったことになる。もしも疑惑が晴れたらこの場で謝罪しますよ。悪党は、善良なふるまいをする。これは間違いない。しかしにTV画面に、にじみ出る人相の悪さは隠せない。饒舌な悪党と、無言の自殺者という対照的な言動であった。
2005年11月27日
コメント(2)
本日、午前中はまあまあよかったが、午後、疲れて寝たら午後3:00頃には鬱症状が激しく父に声をかけられて起き上がったものの「ううう、ダメだ」と断念、母の見舞いにいけなかった。明日、手術だ。14:00より。子供としてはまずい行動。どんなに重要な用件であっても出席できない、これ、うつ病の典型なり。最悪なケースを想像するに、今の状態では両親には死んでもらいたくない。葬儀を考えるだけで激鬱だ。その後の書類上の様々な手続きも想像するだけでうんざり。人生のいくつかの曲がり角において、伴侶をいれば苦もなく乗り越えられることもある。そもそも女性の方が、このあたりのストレスには強いのだ。
2005年11月27日
コメント(0)
雑談だが。先日アダルトビデオについてのヨタ話をちょっとした。処女と童貞モノはあるのか、というどうでもいい話。レスでAV業界にくわしい柊 王子さんより処女の人が2本目でアナル、4本目でスカモノまでやって、人格崩壊しないか心配とのレスがあった。こんな話を聞くと、心を病んだ私は「それはまずいんじゃない」と思い、わざわざこうして書き記している。処女の女性がAVに出る理由はなんだ、金か。この時点で病んでいる。男友達はいないのか。ビデオの演出としては、なにも知らない女がこんなことも、と。いわゆる騙し戦術だろう。女が恐怖の表情をする一瞬を、作り手も見るものも共有する。この手の作品は共犯モノといってよい。出来のいいヤラセであることを望むばかりだ。レイプの匂いのする作品は嫌いだ。レイププレイならいいのですよ、これ、うんと違うの。SMプレイもよいのですが、女が真の恐怖をみせるところは見たくない。好きな人はその表情を見るために買うのだろう。スナッフムービー?だっけ、殺人ムービーというものも実在するらしいが、世も末だ。ほとんどがよく出来た作りこみらしいが、本物もあるのだろう。人間の欲求にすべて応えていく世界では、スナッフムービーもありだ。独身男がAV批判ってかっこつけ屋みたいなので、あえていおう。私だってアダルトDVDの1本くらい持ってますよ。1本だが。『全裸水泳2』というの。元オリンピック強化選手だった女優が全裸で泳ぐ。他の女とタイムを競う。これが速いのだ。女優も選手魂に火がついてガチで戦う。負けた方はエロの罰ゲームだったか。結局、勝ち負け関係なく、水中セックスとなるのだが。真夏の夕べにビールと枝豆で全裸水泳。マターリと涼む、いとをかし。高橋がなりという人物の作るAVはその企画力を認めます。方向として正しい。ポルノにだって正しい方向性っていうものがある。つい笑ってしまうとか。和むというか。観たあとのスッキリ感、これ重要。観終えたあと罪悪感が残るようなビデオは観たくない。
2005年11月27日
コメント(6)
この事件、えらいことになっている。根が深いというかニッポンというシステムのあり方まで問われるほどの事件ではないだろうか。今年のニュース、ナンバーワンだ。登場人物のキャラが立っている。まず、構造屋の姉歯さん。とんでもない事実が発覚していながら、あの態度、達観しているのか。何かえらい秘密を知っていて、それをしゃべったら社会に多大な影響がでるとか。じぶんの自宅兼事務所はボロ家で割れたガラスにテープが張られているほど。玄関前はゴミ袋が山済み。それでいてクルマはベンツ。このアンバランス、なんとなくわかる。生活環境が狂ってきている。頭髪やメガネはあれでなければならない必要が商売上あるのだろう。彼が現在のいっちゃった感のあるキャラを作るに至ったのは、個人的な問題だけではなく、建築業界の魑魅魍魎によることが大なはずだ。イーホームズのチェック機能は何だったのか。A4にして100枚はゆうにありそうな書類をどれだけちゃんと読んでいたのか。どうも、めくら判くさい。スピード優先が求められていたのだろう。少々のズルはやむなしという暗黙の了解で。しかしこれほど酷いとは彼らの常識からも姉歯の設計はずれていた。姉歯のズルには木村建設もヒューザーも噛んでいる。姉歯に無理な注文をつけていたというし。姉歯はとち狂って、あんなふうになってしまったが、販売会社、建設会社、設計事務所はじぶんらのやっていることはどういうことか当然わかってのうえだ。なぜ、ズルをするのか。それは、そもそも行政の基準とそれを遵守する仕組みに問題があるのではなかろうか。行政はじぶんでプランを立てるわけではないので理想的な基準を設ける。ところが、それを馬鹿正直に守っているようでは、利益を上げられない。そこで、ちょっとずつ改ざんと隠蔽をやる。役所は建前では理想的な基準を遵守するように指導するが、現実的でなくチェック業者も役所もちょいとズルすることも当然知っていて、まあ、酷くなければ、仕事を増やすのも面倒なので目をつぶる。按配をはかるのだ。民間のイーホームズもそんな按配で業務を行っていたが姉歯の設計があまりにも酷く、さすがに良心の呵責に耐え切れずに公表するに至った。そんなところではないか。ヒューザーの社長もキャラが立っている。あの饒舌は嘘で固めたゆえ。小嶋社長の背後には政治家や国土交通省の役人がからんでいるのかもしれぬ。飲み食い・女をあてがい、小嶋は何があっても安泰だと思っていただろう。この2~3日における北側大臣のコメントの変化を見て「どういうことだ」と怒っているのかもしれぬ。監査基準を当然設けられていると思うが、その行政指導の基準が現実的でないと誰でもデータの改竄をする。生きるためだ。ズルをしなければメシが食えないというシステムはおかしい。全国の建築士は、コスト削減を迫られながら、いったいどこでコストダウンをするのがよいか、今ごろアタマを抱えている人も多いことだろう。まず水周り(下水管等)の手抜きはしやすいらしい。耐震とは関係ないので。鉄筋コンクリートの建築物は、50年は持つと昔から言われていたものだが、35年で水周りがアウトとなったら、結局、物件としての価値はなくなる。立て直すほかない。それはさておき、安マンションの購入には用心が肝心だとつくづく思った。じぶんの人生と重ねてみて、ヒューザーの物件をつかんだ人よりは経済的に楽なはずだ。だから安心しろ、と補償作用の考えを導入してみよう。※憶測だらけの内容ですが
2005年11月26日
コメント(1)
本日は母の見舞いに行くことができた。先にアパートにも寄る。なんのためのアパートだ、と思いながら観たいDVD、聴きたいCD、そして財布を持って後にする。洗濯機の水漏れ問題が放置されたままだ。齢40歳にして思う、一度結婚すればよかったと。失敗するならそれでいい。一回やっておけば経験則がつく。人生は失敗の連続なのだ、リスク回避の人生は結局先細りの人生となるのだ。母は病院での生活にも慣れていた。毎度、慣れぬは父なり。老人性の性格が顔を出す。私は行き先々を思い、憂鬱となる。
2005年11月26日
コメント(2)
管轄の違いはわかる。幼稚園は文部科学省、保育園は厚生労働省。この2省庁の縄張り争いが現在でも続いている。保育園の特徴は0歳児より預かり長時間の保育が可能。しかし入園するには母親が定職に就いている等の制約がある。幼稚園は教育の場。保育士より幼稚園の先生の方が位は高い。しかしながら拘束時間は短くて、フルタイムで働く母の子には難しい。実際に、カリキュラムに違いはあるのか。幼稚園の人にすれば、いろいろと独自のカリキュラムをオリエンテーションしてくれるだろう。ウチはネガティブスピーカーにより英語教育をしています、とか。保育園に子供を預ける親はバリバリのキャリアウーマン、もしくは低所得のフルタイムパート職員だろう。保護者の人間関係からすれば、幼稚園のお母さんというカテゴリーのコミュニティに所属することが、のちのちに子供にも自分にも利益だと考える。有名幼稚園に子供を入れたい親の心境もそんなところだ。スタートラインで遅れたくないというか。保育園と幼稚園の両方を経験した私は、年長の時に過ごした幼稚園の方が楽しかった。先生の質が高かった。とはいうものの、それが今日の私の教育に影響を与えたかといえば、関係ないだろう、そんな幼児期のこと。どっちでもいいんじゃなかろうか。マリエルの娘が2歳半の時に、私はふたりを、とある保育園に連れて見学させた。ミッション系で、以前、施設長の代わりに卒園式の貴賓として招かれたことがあったのだ。豊かな園ではなかったが、あったかい園だった。経営もたいへんそうだったが、そこはキリスト教だけに献身の二文字で頑張っていたのだろう。私はマリエルにフルタイムの定職を持たせて娘をこの保育園に入れさせたかった。フィリピン人の子も何人かいるのだ。しかし。3歳になった娘は幼稚園の保育園に対してのプレステージ性をすでに見抜いていて、保育園じゃ嫌だと泣くのだった。周囲の女どもに刷り込まれたのだな。マリエルの親友(フィリピン人、一緒に住んでいる)も、この子はアタマがいいから幼稚園に入れるべきだと主張したらしい。確かにオマセな子で、ヤツの娘にしては出来がよい子である。そんなわけで結局、幼稚園に通っているが、3歳にして差別化をはかりたいのか、女は。下の男の子は特にそんなことは言わないが、結局、姉と一緒の幼稚園に通っている。現在の夫婦共働きの世にあって、幼稚園と保育園の2制度が並立しているのは行政上無駄ではなかろうか。ウチの近所の保育園には、ワーゲンポロかなんかで送迎にくるバリバリなお母さんもいるぞ。延長保育制度がないと、仕事と両立できぬのだろう。保育園に対するマイナスイメージが払拭されればいいな。へんな虚栄心はのちのち子供によくないぞ。だって、学歴社会において勝てる者はほんの一握りだから。ドロンコになって遊んで、社会生活で貪欲に生き抜く智恵を身につけたほうがいい。私はそれが身につかなかった。中途半端な学歴偏重教育はダメ人間を量産する。マリエルの子供たちには自分のようになってほしくない。些細なことでうつ病になってしまうような精神の弱い人にはなってほしくない。親が昭和の匂いがプンプンする下町のおっかさんみたいな女なので大丈夫だとは思うが。
2005年11月25日
コメント(2)
セックスネタは封印していたのだが。昨夜より、悪いクセがつい出てしまった。ブログという公な世界で自らのセックスを語ることの恥ずかしさよ。恥ずかしついでに、もっと、語るか。その、セックスにいたるまでのプロセスが未だによくわからないのである。さすがにこの年齢で童貞だったら妖精だろう。それもまた人生だが。ティーンエイジにおける恋愛の経験がないだけに作法がわからない。キスの按配はどのあたりかとか。映画をみれば、お互いに見つめあって、男が近づくと、女は一度「イヤ」と顔を横に向けるが、次ぎの瞬間にどっと濃厚なキスへと向かっていく。皆さんもそうしているのですか?私はそんなロマンチックな経験はない。キスの次は身体へのタッチだ。おっぱいをもみしだいて、セーターをめくってブラの下からポロリ、ですか。純愛の彼氏カノジョもそうやっているのだろうか。彼の手は次第に下腹部へと…。よからぬ映像の観すぎなのか。私はそんな映像上、かっこいい振る舞いはない。たいてい途中でストップがかかる。『ハイ、カットです!』といいところで中断がある。で、相手が自分で脱ぐ。なんか洋服に皺がつくのがイヤみたいな。ブラジャーも自らはずす。ブラをこちらがはずしたことってあったかな。少ない履歴をひっぱってもファイルが出てこない。記憶がない。青春時代において男たるものは、その時においてちゃんとブラを外すことができるか、脳裏において練習するものなのである。フロントホックというフェイントが待ち受けているかもしれない。そうした壁をひとつひとつクリアしながら、女体を獲得するものだと思っていたのに。10代のプラトニックラブ→清らかなセックス(愛の儀式)という流れがないのだ。ドキドキバクバク心臓の音が相手に聞こえるんじゃないかというほど緊張しながら、ということ、あったかな。もう覚えてない。「いいだろ?」『イヤ、やめて、アン、やめ、て、っ!』(いやよ、いやよも、好きのうち)こういう流れってほんとにあるのかな。ダメな場合は平手打ちが待っているだけじゃないのか。ひじ鉄恐怖症の私は、とてもこんな展開はできぬ。言葉による了解を受けてから作業に入る。細かい契約の取り交わしともいえる。重要事項説明書も必須だ。胸に金のネックレスを下げているような男はかっこよくやっているのだろうか。
2005年11月25日
コメント(3)
うつ病の日記で、毎日同じことを書くことも、憂鬱だ。本日も通院、母への見舞いもできず。昨日よりはいくらかましな気もしたが、外出できずに寝ていた。予定では今月末くらいに職場に一度顔を出す予定でいたのだが。母の骨折で、今後の生き方をまた直視しなければならぬことになり、不安感の原因となっている。なぜ、こんなに鬱が長引くのか。収入の低さについては諦めがついてきたところだった。身の丈にあった生活をすればいい。その諦めた心により出口に向かっているような気がしていた。鬱の原因である様々な悩みをひとつひとつ解決することが大切。両親との同居はやはり必要なのか、どうか、この点からして正面きって親と話し合いができない。うやむやだ。親にしてみれば私が結婚するのかどうかが気がかりだろう。この点も私はうやむや。話せば長い物語であり、この問題もペンディングだ。今日、マリエルから電話があったが、奴とは特に電話では難しい話は成立しないのだな。奴との関係も、うやむやなところがある。お互いなんとなくくっ付いているが打開しない。とにかく彼女は離婚が成立していないわけだ。この法律に関する難しい話等について通訳を交えて話したい気がするが、奴もうやむやだ。マリエルよりの本日の電話内容は、ビザを切らせて本日よりオーバーステイとなってしまったとのこと。まったく日本人の常識では考えられない。保証人となっている人が親族でもなんでもなく、少々のお礼で保証人になってくれていたとのこと。フィリピーナはコントラクト(保証人)というシステムを重宝に使う。タレントビザの場合、現地のプロモーターがコントラクトになり日本においても日本人のコントラクトがいて生活の面倒をみる。いわば親代わりの存在で、現役を引退したヤクザのお爺さんが小遣い銭および若い肌目当てにやっている。マリエルの場合は未だサイトウさんと婚姻関係にあるのなら、なぜビザ発給の際に第三者の保証人が必要なのか疑問だが、このくらいのやりとりとなると電話ではイライラするばかり。子供も2人育てているのだ。うち一人は里子だ。母親が強制送還されたらどうする。入管はそれでも本国に送還するのか。切れたビザを再度発給させる策はないのか。部外者の私には難しくてよくわからん。ビーノサイトのBBSで聞いてみるか。オーバーステイの問題は難しいぞ。役所に外国人登録もされていて、本人も子供も行政上は完全に噛んでいる。母子家庭ということで扶養金ももらい、幼稚園にもタダで通わせてもらっている。(離婚成立せずに母子家庭って成り立つのかな。このへんもわからん)健康保険証も住民票もあるのだ。パスポートも最近、更新した。だからなんでビザを切らせてしまったのだ。外国人が日本で生活するのは手続きが面倒なのだ。友人に我らの関係についてさりげなく聞いてみると、やはりそんな関係はよした方がいいと口をそろえていう。だよな。会うことも月に1回もないし。セックスもないし。これ重要。過去にはありますが、セックスをしない相手に金銭的援助をすることもなかろう。たとえセックスが介在する関係であっても、別にもっと若くていいのがいるじゃないか、という考え。正論です。そうだよな、タイ、フィリピンのホステスならいるよ、いくらでも。それこそオーバーステイの女は結婚することで不法滞在から逃れられる。母国が困窮する中で生き延びるには、相手が爺さんでも、デブでも、禿げでも、些細なこと。そこそこ優しい人物ならば万歳だ。セックスくらいするよな、生き延びるために。気持ちいいし。それこそ、部屋に来たときにいきなり押し倒せばいいのだ。だが、それができぬ。というか、うつ病じゃ、オナニーすらせぬ。性欲もすれ違っているのだ。こんなカップルって世間にはけっこういらっしゃいますか。ヤツは太ってから裸体をみせることで嫌われることを畏れている。気持ちはわかる。わかるが、最終的には心だよな。昔は、結婚はお見合いで決まったものでしょ。家のつりあいは双方にとって大切だ。例えば結婚紹介所に登録すれば、私という物件につりあいのとれた相手を見繕ってくれるだろう。その現実から私は目をそむけている。自分を直視できぬオレがいる。外国人に執着する原因がここにある。※マリエルについてはどうぞ内密に。本人は恥だと思っていますので。
2005年11月25日
コメント(2)
本日も激鬱。受診もキャンセル。母の見舞いにも行けず。臨床心理センターより電話があり。安否を確認してくれた様子。鬱の状態が悪いことを説明した。これで線が切れたわけではなくいつでも再開できる。窓口役の女性職員の物腰がとても感じがよくて、毎度、毎度感心する。40代の人。特に美人でもなんでもないが、彼女の物腰で接近されたら、たいていの男はなびいてしまうだろう。それくらい素晴らしい。ホント、男性をゲットせずに悩む女性に彼女をみせたいくらい。男も最終的には内面で選ぶのですよ。激鬱の原因には母の入院という外的要因があり、今後のわが人生について潜在意識があれこれととり越し苦労しているのだろう。だろうと、人事のようにいうのは、別に顕在意識の私は悩んでいないからだ。私の悩みは鬱による強い身体症状である。
2005年11月24日
コメント(4)
今から5年くらい前の話。私はひとりの韓国人女性を探していた。彼女は韓国エステで働いていた闇の風俗嬢だ。とてもいいコで彼女との結婚すら考えていた。まったく痛い話であるが、皆さんどうぞ聞いてください。彼女の仕事ぶりはとても熱心だったな。マッサージがとてもうまかった。詳細は省くが、様々な面においてマッサージがうまかった。ある日、その韓国エステ店は警察と法務局の摘発を受けた。経営者は逮捕され、風俗嬢は入国管理法違反で身柄を拘束されて母国へ強制送還される段取りとなる。事件を聞いて女の安否が気がかりになった。そして警察署に拘留中の経営者、ワタナベさんへ面会に署まで行く。ガラスの向こうのワタナベさんはかなり憔悴している様子で取り調べの厳しさが窺い知れた。私はカオリの所在を尋ねたが、知らない様子だった。私は風俗街を放浪した。ある韓国料理のオモニにカオルについて聞くと、近所のエステ経営者が知っているかもしれないと教えてくれた。聞き込みをしながら、太陽にほえろみたいな自分がおかしかった。その闇風俗店は、バーと個室マッサージの併設という変則的な経営をしていた。経営者は『在日ナンタラカンタラ』と政治結社みたいな名刺を指し出し、法務局へ電話をしてカオルが拘束されているか確認してくれた。結果、カオルは捕まっていなかった。たまたま買い物に出ていて難を逃れたらしい。私は経営者に礼を言った。経営者は『遊んでいかない?』と差し向けた。断るのも悪くてサービスを受けることにした。出てきた嬢は小柄のコケティッシュな女だった。トランジスタグラマーの肉感的なスタイルだ。カオルにも似ていた。中国・北朝鮮の国境付近が出身の朝鮮族の中国人だった。日本に来て2週間とのこと。日本語もまったくわからず、また仕事にも慣れていない女は全裸で身体にローションを塗ってヌルヌルプレイを試みた。慣れない女の動きにちょいと合わせると、スルリとインサートした。女は私の反則に『あ』と喉の奥から声を出した。サービスを終了してからカウンターで経営者の男と女と3人で話をした。そこで彼女は写真を何枚か取り出した。中国側から北朝鮮を見た写真があり、国境の向こうに金日成と金正日の肖像がかけられていた。女は営業上22歳だが本当は28歳で夫と子供もいる。夫はロシア人の女のもとへ行ってしまったとのこと。経営者の男の通訳で会話が成立していたのだが、そうやって話をするうちにこの女に情が湧いてきた。女も同じらしい。『あ』という出来事もあったし。女は店内の風俗カプセルの中で軟禁されていることに不満を持ち、逃げたい様子だった。これはサービス中のやりとりによる。女にケータイの番号を教えておいた。静岡に親戚がいるのでそこに行きたいともいっていた。なぜ、こんなわけのわからない文章をえんえんと書くのか。それは現在の私の情緒がやや不安定なところがあり、また、たまたま目にした「ニュース23」で延吉あたりの映像が流れていたのだ。朝鮮族の中国人が撮影した北朝鮮の様子だ。彼らは朝鮮族だけに、国境を行き来することが容易なわけだ。地方の風俗街を経由して、私と中国、ロシア、北朝鮮の国境付近がおぼろげに繋がっている。都市に潜む風俗の女はほぼ世界をリンクしあっているという事実が面白い。クリック3つくらいで北朝鮮と中国の国境付近までたどりつくことができる。たぶんパリのブロターニュの森にもニューヨークにもブタペストにもたどりつく。ウラジオストックの女はとんでもなく性格が悪かった。あの悪意はなんだ、資本主義経済の嵐がウラジオストックで月給1万5000円のOLの心を性悪にした。憎き、市場経済よ。ところでカオルへの想いはどこへ行ったか。後日、カオルのケータイに電話をすると男が出た。もうココにはいないとのこと。その後しばらくしてソウルから電話があった。「ドムモアリガトゴザイマシュタ。」と笑いながら。中国の女からも電話連絡はあった。こちらは日本の公衆電話から。電話をかけて来たもののまったく会話が成立せず、すぐに切れた。日本に潜伏している可能性は高い。
2005年11月23日
コメント(2)
ひどい鬱、めまいの症状で朝飯を食べたあとなんと21:30まで寝て過ごす。今日は祝日。こんな生活をしていながらもそれなりにやろうとしていることがあったが、何もできない。母の見舞いにもいけず、父は電車とバスで、一人でいくことに。なんのためのクルマ所有か。これからの行き先を焦る想いがある。年内になんとかという気持ちがあるが身体が進展せず、焦る。まったく私の2005年は何だったのか。小1の少女が殺されてダンボール箱の中で発見されたと。嫌なニュースだな。この事件は奈良の小林薫の件とはちがう匂いがする。性犯罪とはちょっと違うような気がする。50分しか時間がないとは。段取りがよくないと。計画的だ。子供を陵辱するよりも社会不安を煽ることに目的があるような。中学生の頃、通学時に道に転がっていたダンボールを何気なく蹴ったら、猫の頭が出てきた。びっくりした。これも愉快犯だ。猫ですでに異常だが、人間の子供でそれをやるとは。
2005年11月23日
コメント(0)
自民党の政治は小さな政府を作ろうと改革に勤しむ。私は基本的には賛成なのだが、税金による公的な施設の効用を経験すると、小さいばかりで大丈夫かな、という懸念も沸いてくる。◎今回の母の大腿部頚部骨折。救急車が来た際、私は母の搬送先病院リストをメモに書いた。「この病院を上からあたってくれ」という意味で書いたが、さすがに隊長に紙を渡すことは憚れた。結果的に私の住む地域にあって最もよい病院へ入院することが出来たのだが、この病院は公立である。また私がリストにあげた病院は独立行政法人機構(元国立病院)、県立、市立とすべて公立であり、あの病院だけはやめてくれ、と願った病院はいずれも私立だ。小さな政府に同意しながら、いざとなれば税金でまかなっている施設を強く希望した私。◎医療、福祉の裏の裏まで知った私がなぜ公立に拘ったかを検証してみたい。まず、医師がよい。いずれの病院も私の住む都道府県の国立大学出身者で占められている。昔から伝統のある医学部だ。大学病院は当然みなその大学だし、その他の公立病院でもその大学出身者で占められている。医師の素性がわかるのだ。次に、病院のハードとしての設備がよい。母が入院した病棟は出来て2年。最近の病院はナースステーテョンが中心に位置し、またガラス張りで、そのほか、医療従事者が動くにあたって効率よく設計されている。設計は非常に大事。ソフトはあとでなんとかなるが、建物の変更は建て直すしかない。◎ そしてナースの質が高い。正・准と色違いのナース服を着ているので役割の違いがわかるが、准看護師にしてもへたな病院の正看よりいい。なにより若い。看護学校を出て、その病院でしか働いたことがないので、他の色に染まらずよい。出身看護学校も地域の公立の学校出身者シェアが多いのだ。通称、エイドさんと呼ばれる看護助手がいない。私立病院だと看護助手にもピンク色なんかのナース服を着せている。わからない人はみな看護婦さんだと思って疑問を持たないが。公立は、当たり前だが施設職員基準をきちんと満たしている。患者2に対して1以上。余裕のある人事は仕事に余裕を作り、サービスも質を保つ。民間の病院だとこれがなかなかできぬ。コストカットが命なので。◎ ソフト面も充実。当然電子カルテだ。PCはいたるところに置いてある。予算が潤沢にあることが伺える。どのセクションにあってもデータを共有できるので、記述の二度手間がなくなる。データは救急外来の時のナースが記入した時から蓄積されている。これ、私のような相談員にとっても、便利だ。病院に対して目の肥えた母も、看護婦さんがホントによくやってくれると涙ぐむほど。◎ これも大きな政府のなせるわざだ。(厳密にいえば市町村主体の自治であり、国ではなく地方自治体の行政手腕が問われるということだ)病院がすべて民営化するとこうはいかないだろう。サービスの高品質にはどうしても無駄が必要なので。いたるところに転がるPCをみて削減しようと思えばできることもあろう。人件費にしても准看護婦の数を増やせばコストは下がる。しかし高品質な病院はそのためによい人材が集まってくるところがある。また、大学病院をはじめとするこれらの機関は研究機関としての側面も持つのだ。◎ また優秀な看護学生は、大変であることを承知で質の高い医療を行う病院にいきたいと思う。質のよい施設によい人材が集まってくるというスパイラルだ。私立じゃ、なかなかこうは行かない。いや優れた個人病院もありますよ。お金持ちの患者さんを抱える、優れた私立病院は、質の高い設備、人材を抱え、我ら貧乏人が行ってもおこぼれに授かれる。そんな図式はある。ただ、そんなうまくいった病院は全国にいくつもなく、コストカットで勤労意欲までもカットしてしまう場合も多いのだ。そんなわけで、小さい政府というスローガンは賛成したいが、地方自治体が権限の移譲に応えて大きな仕事をすることが必要となる現在の日本なのだ。
2005年11月22日
コメント(4)
医師より母の大腿部頚部骨折の治療方針について説明があった。ナースより父と私ふたりとも来てくれとの要請があった。仕事においては、常々、特に緊張感もなく介入していたことだが、イザ、自分の母親となれば、やはり少々の緊張がある。なにか爆弾発言でもあるのではという懸念だ。医師二人が出席した説明では、特に想定以外の内容はなかった。出血が多い場合は輸血することもあることや、パナルジン(血流をよくする薬)を中止するため血栓ができるリスクはあること、また術後の経過についての推察。予後の経過については、特に説明を受けなくてもリアルに実感できた。とりあえず、立位はとれるようになるし、歩行器による歩行は術後1ヶ月で、できるようになるだろう。医師はそこまで具体的なことはいわないが、私は経験上なんとなくわかる。1本杖では不安があっても4点杖ならどうにかなるくらいには回復できる。とりあえず、ベッドとポータブルトイレへの移乗を自分で行うことはできるくらいには回復できそう。自宅に戻る前にリハビリ目的のための療養型病床群の病院へ転院することになる可能性は高い。これは仕方なし。2病院で都合3ヶ月くらいの入院は必要だ。救急外来の際の医師が整形外科医ということはラッキーだったが、その際の診療とブレはない。私の推測もまったくブレがない。大腿部頚部骨折というありふれたケースについて、母は標準的なラインで経過していることを確認した。
2005年11月22日
コメント(0)
先日、ニューオーダーのプロモーションヴィデオの高品質について書いた。彼らのアートディレクションを一手に引き受けているのが、マンチェスター出身のグラフィックデザイナー、ピーター・サヴィルである。現代美術に特に造詣がない私ですら、彼のピーンと張ったピアノ線のようなデザインには毎回息を飲む思いだ。最新作『ウェイティング・フォー・ザ・サイレン・コール(WFTSC)』のジャケ写を初めて見たときにもびっくりした。そしてインターネットの世の中におけるジャケットの表現スタイルの正しい方法であると、深く納得。ただ、自分のアートを好きなように表現しているだけではなくて。もちろん商業的な目的で作っている。グラフィックデザインに関心がある人はみな知っている著名なデザイナーである。是非とも彼のサイトへ飛んで、作品群を見て欲しい。ピーター・サヴィルのページ
2005年11月21日
コメント(0)
◎10月26日のヤフーニュースより>ザ・フー、ピンクフロイド、ザ・キンクス、ニューオーダーらがUKで音楽の殿堂入りすることが決まった。ちょっと古いニュースだが、私は本日知った。ニューオーダーも音楽の殿堂入りである。殿堂にはすでにビートルス、ストーンズ、クィーン、U2らが入っている。どんな基準で選定されているのか知らないが、U2がNOより先に殿堂入りしていたことがちょっと悔しい。フーやピンクフロイドがこれまで殿堂入りしていなかったことも不思議。◎ニューオーダーの凄さの秘密は何かといえば、何にも似てないこと、そして演奏テクニックにまったく頼っていないことだろう。バンドの前身であるジョイ・ディビジョンの結成は確か1977か78年だ。UKはパンクムーブメントが花開き、ジョイ・ディビジョンもその中にあった。だからパンクバンドの影響を受けていることは確かだが、これは同時代のことで、例えば黒人ブルースとか、ビートルズとか、サイケデリックといったカテゴリーで何かの影響を受けているというものがない。(もしも思い当たるものをみつけた方がいらしたら教えてください)バーナード・サムナーとピーター・フックがバンドをやろうという話になった際に、彼らは他のバンドのコピーひとつ、していなかったと思う。バンドを作ってすぐプロなのだ。ジョイ・ディビジョンの顔はボーカルのイアン・カーティスにあり、彼の歌唱力、そして崇高な音楽性をもってバンドは成り立っていた。78年~80年はカルトなパンクバンドとして英国内では一世を風靡し、日本国内においても毎月「ロッキング・オン」を購読しているような好事家より支持されていた。80年、初めての全米ツアーに行くぞというその時に、イアン・カーティスはホテルで首をつって死んでしまった。享年23歳。これでカリスマバンドがひとつ出来上がりとなったわけだが、残されたメンバーは中心メンバーを失って途方にくれる。イアンあってのバンドだったので。81年、バンドは新たにギリアン・ギルバートという女性を入れて、『ニューオーダー』と改名した。ひとつのバンドが終了し新しいメンバーが加入したのだが、ギリアンも音楽の素養がまったくない人だった。ドラマーのガールフレンドだったからという加入理由だ。とりあえずファーストアルバムを制作しツアーもやった。現在、DVDで81年のニューヨークでのギグが見られるが、こんな暗いバンドはないぞ、と思うくらい暗い。また演奏も人さまにお見せしていいのかというレベル。キーボードのギリアンは基本的に右手、それも人差し指中心の演奏だし、ボーカルをやるバーニーも「歌」と呼べるシロモノではない。ライトも暗く、MCもほとんどない。ボーカルのバーニーは観客に目を合わせることもできず、目をつぶって歌う。アンコールもせず小1時間で終了するライブ形式は80年代の彼らのスタイルだった。バーニーはこの時代について「カルトバンドだったんだ」と笑って話し、フックも20分でライブはおしまい!とのたまっているが、音楽をひとつの産業として考える際、彼らの活動は決して品質のよいものではなく、まさか後世にまで残る音楽になろうとは誰も考えていなかったと思う。バンドが有名になり、カルトより抜けるきっかけとなったのが『ブルー・マンデー』の大ヒット。1983年のことである。(つづく)※ (追記)レコード会社のウェブによると、バーニーとフッキーは76年にマンチェスターにやってきたセックスピストルズを観て、そこで知り合ったそうな。ヴェルベットアンダーグランドやイギー・ポップの影響を受けているとのこと。確かにイアンはイギーっぽいところがある。それにしてもセックスピストルズがロック界に与えた影響力はたいしたものだ。ニューオーダープロフィール
2005年11月21日
コメント(0)
本日も1日中寝て過ごす。母の入院先への面会すらできなかった。土曜日の入院騒動はふつうならどうということもないが、激しい倦怠感で動けなくなった。本人は不安だろうが仕方ない。明日16:00よりムンテラあり。
2005年11月21日
コメント(0)
ひとつのプロモーションビデオ(PV)がその後の音楽観を変えることもある。ちょっと大げさか。いやいやそんなことはない。80年代のポップミュージックはMTVの隆盛があり、音楽と映像のミックスによる数々の名作PVが作られてきた。PV黄金期だ。1985年当時大学生であった私はあるPVに釘付けになった。ピーター・バラカンの司会で深夜に放送されていたポッパーズMTV。バラカン氏が「これはいい!」と思ったPVを紹介する、きわめて自由度の高い番組だった。ピーター・ガブリエルの『スレッジ・ハマー』、ゴドリー&クレームの『クライ』、トーキング・ヘッズ、等、映像芸術として後世に残る名作はたいがいこの番組で取り上げられた。ある晩、ニューオーダーの『パーフェクト・キッス』が紹介された。ジョナサン・デミ監督の作品である。(後に羊達の沈黙を撮った)マンチェスターのインディーズは、当時、ロック通には避けては通れない分野で、バラカン氏も熱心に紹介していた。6分ほどあった『パーフェクト・キッス』。この映像を観た私は釘付けとなり、86年の来日ではコンサートを観にいくほどに熱狂することとなった。メンバーの顔アップの多い、ただただ演奏する映像。それだけなのに、ピリピリとした緊張感が伝わってくる。ピーターフックのなんともいえないベースによる旋律。ベースがメロディを奏でる手法は私には初めてだった。諸行無常の響きアリなぜかこんな言葉を連想する。その後の大学生活においての私のテーマ曲は『パーフェクト・キッス』であった。巷ではマイケル・フォーテュニティの『ギブ・ミー・アップ』が大ヒットした時代。ディスコで誰もがアホとなり踊っていた時代。UKにおいては、ユーリズミックスやハッピーマンデーズ、デキシーズミッドナイトランナーズ等、上質なポップが量産され、NOの楽曲もダンスミュージックとしてリミックスされて世界中のDJがこぞって彼らの曲に飛びついていた。私にとって、この曲はその20年後の今日に至るまでニューオーダーにはまり込むきっかけとなった。ペストクリップ集とニューオーダーストーリーの2枚組みDVDは5900円とたいへんお得。私はすでにビデオでストーリーを購入しているが1本でもそのくらいした。NOの映像アートを是非、体験してください。140分におよぶ25曲のPVをいっきに観ると少々疲れるが、各曲、アイデアが素晴らしい。ニューオーダーの音に映像をつけることはたいへん名誉なことで、依頼を受けた人がみな頑張ったと思う。だからただのロックファンだけでなくビデオアートに興味を持つ人にとっても必須のアイテムだ。マンチェスターのカリスマを是非、多くの皆さんに観てほしい。
2005年11月20日
コメント(4)
昨夜23:30頃、実家の父より、母はまた足腰が立たなくなった、トイレにいけないとのこと。めんどくせえ、と思いながらも実家に戻ると、居間で転倒したまま。1分で、転倒による大腿部頚部骨折であると確信。なぜ転倒したといわん。これだけ痛がってりゃシロウトでも骨折を疑うだろ。父はまったく他人の痛みを慮ることができない人格なのである。これも一種の人格障害で、そのために母も苦労し、私も抑うつな性格を形成することになった。夜中じゃ、救急車で搬送しようにも、どうせ病院の当直医(研修医の確率も高いし)じゃ無意味。翌朝になってから行動しようと思いほっといたが、明け方、便意を訴えたことにより行動することとした。救急車を呼ぶ。大腿部頚部骨折の疑いと既往歴を説明。さて、どこかの病院に搬送されるわけだが、どこにいくかで運命の分かれ目。私は地域の病院を知り尽くしているだけに、ここは丸投げできぬ。隊長の電話のやりとりに注目する。最初に連絡したのはS労災病院。うーん、仕方ないかな。費用は安くデタラメなことはしない。が、環境はよくない。唸っていたら先方より断られた。次はどこか、公立のA病院か。よし、オッケーオッケー。いいかんじ。救急外来の診察室に整形外科医がいた。当直医、ラッキー!レントゲンを撮ると根元の太い部分でパキッと折れていた。医師の説明を待つまでもなく、手術の方向で御願いします。ここでオペできないとこのまま寝たきりだ。ADLがどーんと落ちてそのうち痴呆症状もでるだろう。まだ68歳だ。本人は嫌がっているがオペある、のみ。ソファ周辺の転倒する要素をあまり省みなったことは私の反省することだが、今回の一件でいっそバリアフリーの住宅へ転居することを父に提案した。現在の住居は設計が古すぎてよろしくないのだ。公営のバリアフリー住宅に申し込もう。車椅子環境で生活できるならば在宅介護も続けられる。住環境は重要。早めの転居を厚生労働省の老人保健局長もいってたが、そう、そのとおり。長いスパンで考えるとバリアフリー住宅の整備が、介護費用の軽減につながるのだ。いつかやると思っていた大腿部頚部骨折。意外に早くこの日がやってきた。ライフプランを見直す時期だ。私の人生はまたひとつ十字架が重くのしかかってきた。
2005年11月19日
コメント(2)
本日も曇天なり。「明日を思い煩うな」とキリスト様はおっしゃったが、相変わらず漠然たる不安により活動なし。やはり実家では悪くなるな。明日こそ受診せねば。なにかしら文章を書くように科しているので、今日もまた黒田さんネタとしよう。女性週刊誌に載るようなネタは身内の悪口にならないからいい。黒田慶樹さんについて(以下、黒ちゃん)テレビ映像で、おふたりが黒ちゃんのカメラを前に談笑するシーンがあった。巨大掲示板の書き込みによれば、あのカメラ(何台かあった)はどれもマニアックな物とのこと。見る人が見れば「お、いいコレクションですね」とわかるらしい。黒ちゃんとカメラはよく似合う。この1年近く、婚約発表より黒ちゃんの挙動をウォッチしてきたが、彼は独特なキャラクターである。アクションが独特だと思いませんか。黒ちゃんを見て、私は福祉施設に勤務していたときにいたミムラという新人職員を思い出した。やつは空気が読めなくて、間が悪くて、挙動がへんで、女性職員からキモ悪がれていた。介護の現場はチャカチャカした間で、また職員間の阿吽の呼吸が要求される。女性職員らは彼が彼たる仕事ぶりを知った途端に嫌った。彼女たちはみなシャッターを下ろしてしまった。福祉施設という閉鎖性の高い職場において、職員のメンタリティは中学校のそれに近い。私はミムラがどうしたらうまく職場になじめるのかいろいろ考えてみたが難しかった。とにかく男の私相手でさえ腹を割って話をするのに丸1年かかったほどだ。不器用だからおむつ交換も入浴介助も間が悪かった。しかし、ミムラにも長所はあって、それは絶対的な優しさなのだ。私自身、密かにじぶんの優しさに自惚れていたが、ミムラの優しさにはかなわなかった。ミムラが年寄りに怒るところを見たことがない。デクノボウと呼ばれながらもコツコツと仕事をし、今では姉妹施設で主任をしている。相変わらず後輩職員にすらおちょくられていることと思うが。(やつも軽度のアスペルガーなのかな、とちょっと思った)友人たちに「僕は結婚しなくてもいいんだ」と公言していた黒ちゃんに、宮様との結婚相手としての白羽の矢が当たった。黒ちゃんにとっては女性とデートするよりカメラをいじったり、愛車ロータスエリーゼでひとりドライブするほうが得意であったろう。だが、秋篠宮様のセッティングにより、あれよあれよと紀宮様との縁談がまとまった。私はそんな結婚の成り立ちもアリだと思う。私も含めて全国には黒ちゃんタイプは多かろう。昔なら、世話焼きの叔母かなんかにせっつかれてお見合いして、こんなものか、と結婚する例はいっぱいあった。黒ちゃんのように実直な男なら、清子さんのような気品のある女性とセットされることも可能である。黒ちゃんは非常に長いスパンで考えて勝ち組である。そんな共同体のシステムって悪くないな、と思う。清子さんは己の役目をよくわきまえて生きてきた。ロイヤルファミリーで育ち、いずれ民間人として降下する。生まれながらの定めなのだ。清子さんの境遇については考えるほど天皇制とは何かという命題に当たってしまう。昨日の結婚で、彼女は皇室としての役割を終了された。両陛下とは親子には違いないが、皇室と民間人という大きな違いをもつことになった。じぶんの進む道をちゃんと進んだ清子さんは偉い。黒ちゃんとのツーショットにおける雰囲気も穏やかでよい。清子さんのマネはわれわれ庶民にはできないな。※ ほんとはロータスエリーゼについて書くつもりだった。エリーゼはですね、生粋のスポーツカーだ。フォルムからして『マッハGO GO GO!』みたいなクルマ。ポルシェより目立つ。エリーゼに乗る人はほとんどがクルマヲタクのはず。カー雑誌「NAVI」あるいは「ENGINE」のいずれかを購読しているのは間違いない。あのクルマはよほどの覚悟がないと購入できぬ。まず、非常に目立ってしまう。ご近所の手前を考えると都庁職員にはなかなか手が出ない。しかも彼は黒田家というセレブレティ。あのくらい家柄がいい人は、まず外車は選ばないものなのだ。トヨタクラウンが正解。最近ならレクサスという手もあるが。それでもエリーゼに乗ってしまう黒ちゃんは凄い。カメラ収集と根は同じであると私は考える。休日にはサーキットに行くこともあるのかな。街中じゃ使いづらいし。婚約中に皇居に上がる際には、彼は日産ティアナに乗っていた。この選択はグッドだ。まさかエリーゼで皇居にはいけない。ティアナを選ぶところでも彼のクルマ観がわかる。マークツーじゃなくて。スカイラインでもなくて。ティアナは皇室っぽい。私は黒ちゃんがサーヤを助手席に乗せてエリーゼを繰り出すところを見たいな。もしくはサーヤがエリーゼのハンドルを握っているところとか。これまでのやんごとなき人の価値観をぶっ壊します。ロータスエリーゼはそんな破壊力のあるクルマだったのだ。
2005年11月16日
コメント(4)
「クルマは豊かさのシンボル。手に入れたいがもてない、だから燃やすんです。」ということで実はこれまでにフランス国内で2万8000台ものクルマが燃やされていた。現在、観ているニュース23の映像だ。今回の暴動が起こる前より小さな破壊活動があちこちであったそうな。燃やされたクルマが積み重なった映像を見て「もったいない」と単純な思い。ルノーやプジョーといった私のお気に入りのクルマ、それもニュータイプが無残な形となっているのだ。メガーヌとかね。被害者意識が強く、腹いせにクルマを燃やす若者の気持ちはわからなくもない。それにしても、つくづく私は坊ちゃん育ちだと認識した。世界市民レベルにおいて私はブルジョアだ。だから、私の心の病気は贅沢病だと感じる。アッパーミドルのセダンを所有し(それも外国車)、ブロードバンド環境にあり、アパートを借り、休職をしても今のところクビにならず失業ではない。要するに賃金闘争なのであって、どんな仕事も見つからずに路頭に迷っているわけではないのだ。この中途半端なキャリアはやっかいだ。トヨタの期間工として働こうというところまで決意できないから。新聞配達だって現在の自分からすれば立派な仕事だと思うのに。世界市民レベルではブルジョアかもしれない私の両親が、日本においてはアッパーミドルじゃないことも苦悩する理由だ。流行の言葉でいえば下流階層。「1年くらいならゆっくり休養していいぞ。」といえる余裕は父にはない。仕事を失った瞬間より崖から転落するという一般庶民そのものの経済力なので。大学の先生になりたいなんて、もうちょっと前に考えるべきことだったのだ。クルマを燃やす移民フランス人に話しを戻すが、ひるがえって日本の環境を考えると、ニート、フリーターであっても親にパラサイトしている者は中古車の1台くらい所有している。日本の問題も深刻には違いないが、親が高度成長期に培った資産を子供世代に補填している状況があるので、フランスのように暴動までには至らない。いわゆる在日であっても、雇用においてヨーロッパほどの差別はなさそうだ。日本名を名乗ったほうが生きやすいかもしれないが。インターネットショッピングができる環境にある私は、まずは両親に感謝しよう。そしていつかはこの借りを返そう。地道に働くことを目指し、カードの引き落とし額を気にしない生活を送ることができるようにしよう。10年前の私はそうだった。給与が落ちても支出を減らすことで豊な気持ちでいられたのだ。
2005年11月15日
コメント(0)
先週の金曜日はカウンセリングの日であったが、体調が悪くドタキャンした。カウンセラーに申し訳なく思う。私は、とある大学院内にある心理センターでカウンセリングを受けている。カウンセラーは25歳の青年だ。大学院で心理学を勉強中であり、私へのカウンセリングは彼にとっての研修としての意味合いも持つ。佇まいはカウンセラーっぽい雰囲気がある。進行役は彼のはずだが、なぜか、クライアントである私が進行役になってしまいがち。出すぎたことをしてはならんな。彼のスタイルは基本的には傾聴に徹するタイプで、ロジャース式なのかなとも思う。「さて、今日は何の話で行きましょうか」と切り出すのは私で、50分という時間の中でそのテーマについて彼にわかりやすいように話をまとめながら話す。ノートとペンを使って説明するので効率がよいと思う。彼は私のしゃべくりに素直に反応してくれる。ただ、鬱のつらさ等について共感することが難しいようだ。「どんな気分なのですか?」と聞かれるので、二日酔いの朝の気分がずっと続くようなものだ、と説明する。私は見た目が太っているし、また相談室に入室すると仕事のスイッチが自動的にオンとなるので、私が鬱にあえいでいることが、いまひとつピンと来ないようなのだ。これは場数を踏むしかないようだ。心理カウンセルを受ける人の心理というものは「とにかく助けてちょうだいな」というところだろう。ただ、彼のような研修期間中のような相談員に対しては、こちらが相手に仕事をしやすい環境を与えることも必要ではないかと思う。いわば共同作業だ。我らふたりは一応のラ・ポールが築かれ、さあ、もっと深いところへと行こうとする矢先に今回のドタキャンとなってしまった。彼がちょっぴりがっかりし、また心配してくれているのがわかるのでなんとか早く再開したい。自分自身が研究の材料となり研究機関の素材として活用されることに有意義を感じているのだ。
2005年11月15日
コメント(2)
今日はおめでたい日でございました。黒田清子さんのご結婚をテレビで観ましたよ。ニュースでちょこっとですが。風呂にも入らぬ臭い頭髪で、パジャマで。戦前なら不敬罪だ。天皇制の是非や昭和天皇の戦争責任について考えることもある左翼的分子である私も、とりあえずそのあたりは置いといて印象を語ります。さすが宮内庁プロデュースです。我々庶民の結婚・披露宴とは風格が違う。清子さんのお召し物がいいですね。シンプルな絹のドレス。頭になにもつけないところがようございました。このセンスは清子さんのご意志なのでしょうか。披露宴においてもシンプルな和服。お色直しはなし。生地は美智子様のものとのこと。ドレスにしても着物にしても素材がいい。安テレビでも観てわかる上質さです。披露宴の内容もさすがでした。ケーキカットなどやらない。このへんのブレない嗜好は一般庶民と一線を画しています。たぶん、結婚行進曲は流れなかっただろうし、キャンドルサービスをしにテーブルをまわることもない。食事は簡素な物。時間をかけずに食べられるという趣旨もいいですね。ダラダラ会食しながら、わけのわからんスピーチがえんえんと続くこともない。食材はとびきり上等なのでしょう。招待状には『粗茶を…』なんて書いてある。奥ゆかしいという言葉の意味を再確認しました。地味ならばなんでもいいとは申しません。が、センスのよさとは何かを考えるヒントとなりました。柔道選手がフランスの教会で裾を引きずりながら、という映像もありましたが、私の考える上品とは対極でした、あれは。披露宴をやる理由は何か、結婚をしたこともないのに考えてもしょうがないのですが、両陛下も一緒に民間の一ホテルの会場に出席する図を見て、なんとなく理解いたしました。ご両親はほっとしていることでしょう。冠婚葬祭が大の苦手の私ですが、重要な儀式であることはわかっているのです、これでも。結婚って周囲の人たちからの心からの祝福というものが成功する重要な要素だと思います。そのへんの根回しまで含めての結婚なのですね。
2005年11月15日
コメント(0)
犯罪の報道において、容疑者が無職で住所不定ということがよくある。この無職で住所不定という状況がよくわからない。ホームレスというわけでもないし、友人の部屋を泊まり歩くというのも限度がある。そもそも住所不定で野宿もせずに過ごすことは、その人の周辺の環境が整っていることを示すのではないかと思うのだ。孤立した環境ではないのだな。だから、その人物と日常的に接している者も多いはずだ。いきつけの床屋もあるだろうし、家事を熱心にする輩はまずいないだろうから、食事をする店もできる。財布の中には1万円くらいは入っていないとなにかの際に困ることもあるから、そのくらいは所持しているだろう。そのお金をどこで獲得するかだが、ここから先が犯罪の発生する要因だ。泥棒、恐喝といった定番の犯罪にしても定期に行うのはけっこうたいへんそうだ。大犯罪はそれなりの智恵は必要だし。現在の私は、住所不定で無職という状況を考えただけでとても生き抜くことができぬ、と思ってしまう。しかし、実際、そんな状態でのん気に暮らしている人もいるのだ。少しは見習うことができないものだろうか。私は実際の仕事において、多額の借金で逃げ回る生活能力欠如者のケースをいくつか見てきた。彼らに共通するのは、壁を乗り越えられない軟弱な精神だ。これ、今の私そのもの。仕事(運送会社あたり)に就いてもじきに上司と喧嘩をしてやめてしまう。親、兄弟に金を無心するが当然、金は返せず縁を切られる。現金が入れば、嬉しくなってぱっと使ってしまう。家計を計算することができない。ただ、私と異なるのは決して鬱じゃないのだ。結構シャンとしている。言い訳がうまい。事の重大さを自覚していないところがある。「もうこんなことは決していたしません」と誓約できる。結構、外出している。彼らなりに忙しいようだ。モノを所有することの困難さから解放されれば、人生は楽しいはずだ。テレビ、DVDデッキ、冷蔵庫、ステレオ、を捨てられない。CDライブラリをなくしたら、そうとうの喪失感を抱くであろうし。所有欲が私の病状を悪くしているな。整理整頓をすることから始まるのだ。たとえ、金に換金してもいくらにもならないモノをなぜ持ち続けようとするのか、私は。CDなんてせいぜい2万円くらいだろう200枚あったとしても。強制送還されるオーバーステイホステスを見習え。やつらは身体ひとつで帰される。アパートに残った物品は、後からやってきたノービザホステス達により分配される。大家さんは意外と困らなかったりするのだ。
2005年11月14日
コメント(2)
本日も脳内は曇天なり。もう5日くらい日中を寝て過ごす毎日が続いている。寝ることで苦しみから逃げられるのだ。だが、そんな無理しりなところもある睡眠ではおかしな夢が待っている。夢を分析してもしょうがないのでしませんが、とにかく苦しい症状を超えるために寝て、夕方起きる日々でございます。明日は受診だ。とにかく先生に報告あるのみ。
2005年11月14日
コメント(0)
ふだん読んでいるブログを巡回してハタ!と思った。このオレ様の諦めきれない気持ちは何だ、と。とりあえず命があるからいいではないか、となぜ思えないのか。世の中には生きたくでも生きられず、悔しい気持ちのまま逝ってしまう人がいるのだ。インターネットの世になり、そんな闘病生活の日記をいくらでも読むことができる。少しは学習できないのか。人生は諦めることの連続だ、と思え。まず、自分一人が生きていくだけの収入だけを考えろ。2間のアパートで慎ましく生活しろ。クルマに乗らずにバスと電車で行け。CDを買わずにnyで落せ。毎朝、朝が来たことに感謝しろ。その日暮らしで過ごせ。あまり難しい仕事をしないように逃げろ。人の上に立つようなポジションを狙うな。馬鹿にされたら笑ってやり過ごせばいい。毎日、規則正しくしろ。ご近所と仲良くしろ。結婚は一人前の人がすることだ。健康に自信のない男は結婚すべきではない。ただ夫婦という形態にはスケールメリットがある。経済性および労働力の効率の面では考慮してもよし。かっこつけるな。本は図書館で借りろ。ここまで書いて、何一つ実行できそうもない自分を発見。自分自身が不良債権の塊に思えてくる。どこで進路を誤ったのか。よくわかっていない。精神科医も、カウンセラーも、「こうしなさい」と進路決定のご神託をすることはしない。自己解決あるのみなのだが、人間はそんなに合理的な決定ができるものなのだろうか。宗教に入ってなかったことが悔やまれる。宗教ワールドでよけいな思考をしない人生は楽ではないか。今日現在のこのオレ様には創価学会の人もよけて行くだろう。今からじゃな。夢や希望がない。これが一番つらい。目標さえ失わずにいれば、壁を乗り越えられるはずだが。やはり仏教的思想を脳内に植え込むしかないだろうか。
2005年11月13日
コメント(4)
フランス・サルコジ内相の発言は強烈だ。「社会のくすは排除しろ。」といった発言がポンポンと出る。アフリカ系、アラブ系の若者が暴動を起こすのも無理もないぞ。フランスでは建国以来なかった厳戒態勢で暴動を抑えようとしているが、まずはサルコジを解任すべしだ。なんて、遠くアジアの片隅ではお気楽なことがいえるが、サルコジを生む土壌が現在のフランスにあることもよく考えなくてはならぬ。人口の1割が移民となったとき、元々のフランス人とあとからやってきた人たちとでどうやって仲良くやっていくか、西ヨーロッパ諸国はもうだいぶ前からこの命題に取り組んできた。が、それでもこのようなニュースを目にすれば異民族同士が仲良くやっていくことの難しいことがわかる。サルコジさんは次期大統領の有力候補なのだそうだ。TVニュースでの彼の発言を聞くと、石原慎太郎閣下を連想する。似ていると思う。日本においても外国人は多い。最近は韓国人のオーバーステイが多いというし、中国人も万単位で増えていると思う。思うというのは正確な数がよく把握できないので。タイ・フィリピン人ホステスは減少傾向にある。法務局の取り締まりの厳しさと不況による水商売の不振が上げられるが、これも私の周辺をみた按配を勘でいっているので、ほんとの数字はよくわからない。出稼ぎ外国人は日本の経済において、目立たないが、大切な役割を担っている。例えばあなたがファミレスに行っておしぼりを受け取ったとする。そのおしぼりを洗浄したのはイラン人男性あるいはフィリピン人のおばさんである可能性は高い。社長さんは地元やくざの準構成員である率も高い。魚屋へいってイカの塩辛だの、加工魚介食品を購入することもあろう。加工工場では、やはり東南アジア人女性の手がけっこう入っている。日本における失業率の高さがドイツ並になれば、外国人労働者に対する目は厳しくなるだろう。ドイツではお金を払ってまでトルコ人にお引取りをはかろうとした。私は都市の仕組みが好きだ。ごった煮のように様々なタイプの人間が共存する社会に都市の活気を感じる。六本木も好きだし、いつか上野公園にも行ってみたいと思う。2ちゃんねるの皆さんに御願いしたい。国内にいる外国人を十把一絡げにして外国人の排斥運動をしないでほしい。東京の素晴らしいところは、世界中のおいしい料理を食することができることだ。みんな、仲良くやろうぜ。
2005年11月12日
コメント(0)
この3日間は、これまでになく重たい鬱となってしまった。ハリケーンレベル5だ。ただ、ひたすら布団の中で眠ろうとし、意識があるときは苦しみ続ける。実家に戻ってきたのがやはりいけなかったのか。金曜日の14:00のカウンセリングもキャンセル。本日のバンドの練習もいけなかった。自責の念にさいなまれる。
2005年11月12日
コメント(0)
またもメンタルヘルス日記を書くか。恥ずかしいのですが。私のことを知っている人に読まれるのが恥ずかしいが、でも記録の意味で書いておくかな。週刊文春にタリウム少女のブログが出ていました。ついつい読んじゃってね。うちのオフクロも好きで、妙な感心をしながら読んでいました。野次馬根性です、親子でね。NHK記者の放火事件でもそうですが、犯罪により犯人のブログが晒せれるということがお約束になりました。私はなにがあろうが犯罪者にはなれないな。このブログが炎上したらと思うとぞっとします。タイトルが『人生楽陰核/あいうえお道場』ですよ。最近、さすがに「クリトリス」という表記はやめにしました。TBをしてそれをみるとアダルトサイトの嫌がらせみたいにみえて。もう少ししたら『あいうえお道場』にチェンジします。私にとって、ウェブで日記を書くことはちょっとした人生道場なわけです。今回も私の内面にある認知の歪みについて書きます。恥ずかしいですが。私は今回のうつ病ダウン(3月の出来事なのでずいぶん経つ)をとんでもない事をしてしまった、と思っているのです。取り返しのつかないことをしてしまった、と。この「取り返しのつかない罪」が回復の妨げとなり「取り返しのつかない指数」はどんどんアップするのです。取り返しつかないぞスパイラルに陥ると、すべての活動がストップしてしまうわけです。自殺を実行する人は、死んでお詫びをするということで蹴りをつけるのでしょうが、私にはこれもできない。まだ、生きたいのです。人並みの楽しみを経験したいし、また家族や周囲の人を嫌~な気分にさせるのも嫌で。隣人にとって大迷惑ですから。大学の時に、よく学生ホールでつるんでいた同級生が、自殺しました。彼は陸上の選手で、全国的に有名な高校でそれなりの実績をあげていた。彼の夢はユニホームがエンジ色で有名な大学に進学することだったのですが、推薦枠で進学できず、江川卓がいった大学がいらっしゃいといってくれたとのこと。彼はWの字にこだわり、浪人した結果、結局、まったく関係のない大学に行くことになったのです。彼が亡くなる少し前に、私は「こいつ、ちょっとまずいぞ。」と感じることがありました。『オレはどんな女でも落せることができる』と言い出したのです。見た目は地味な男で体育会系の雰囲気もまったく感じさせない男だったのですが、彼の口からそんな言葉がでるのを聞いて、私は「こんど、飲みにイカネ?」と誘いました。しかし、この約束は結局果たせずじまいでした。彼がなぜ卒業した小学校の屋上から身を投げたのか、結局、よくわかりません。が、私は、彼は鬱ではなかったのかとも推測しています。彼と居酒屋で飲んで、そのときに私が受診した心療内科を紹介しようかと思っていました。なんとなくマズイという直観が働いていました。当時の私は鬱というより自律神経の失調(めまい)があって心療内科に通っていました。今から思えば、ほんと、軽症ですが。話は私の認知に戻りますが、なぜ、私は「もう取り返しのつかない状態になってしまった」と思ってしまうのでしょうか。傷病手当の不服申し立てが却下されたのですが、私この4年間、ずっと鬱であったと認定されたわけです。この決定は経済的な困窮をさらに増し、両親のストレスもさらに増す結果となりました。経済的な自立の難しさ、また、会社組織における人間関係の円滑の難しさを痛感し、もうやり直しが利かないと思い込んでしまうのです。この認知の歪みを臨床心理カウンセリングにより、治すことができるでしょうか。明日、カウンセリングがあります。大学院生の学生は、私の話を面白いと気に入ってくれて、この50分という時間は楽しく過ごすことができます。私という人物の引き出しの多さに彼は感心してくれ、同じ相談員として私の話術にも素直に学んでくれています。学生の役に立っているのかと思うと、だいぶ気が楽になりますね。大学は研究機関です。私というケースをどんどん研究していただいて彼には是非事例としてまとめて、研究発表をしてほしい。『燃え尽き症候群のソーシャルワーカーに対するアプローチ』というタイトルかな。彼が専攻科目に役立ち、私の心の病が解決に向かうことができたら、こんなにいいことはありませんね。彼にとっての私は、将来の自分を見るというところもあるでしょう。ケースが終了したら、ワーカーとクライアントの関係でなく、一緒に酒でも飲みたいです。先輩風を吹かせてね。
2005年11月10日
コメント(0)
実家に帰還した。PHSをすぐに充電器につなぐ。私のPHSは先日の出会い系サイト経由でのメールの洪水によりパンクしている。「メモリが足りません」と表示されて、どうにもならない。マニュアルを読んでも対処法が書いてなくて解決できない。明日、ウィルコムに電話するか。今週末、I君より誘われたバンド活動がある。私のことを心配してくれてベースでもいじったらよいのでは、とこの私に声をかけてくれた。ありがたい話だ。彼から曲についてのメールが、たぶん届いているが、こんなわけでまだ確認していない。I君、すまぬ。明日、PHS関係を解決し、また楽器屋に行ってシールドを購入するつもりだ。やはりアンプで音を出してみたいから。じつは、ここ3日ほど、ニュース番組を観ながら、I君より借りているアリアプロツーをいじっている。最初はほぼ、生まれて初めてギターに触ったときと同様で、運指も右手のピッキングもてんでダメ。暗澹たる気持ちになった。高校の頃もろくに弾けてはいなかったが。とりあえず8ビートを刻む練習をした。適当な楽曲にあわせて、でたらめな運指でダダダ…とピッキングする。やっていくうちにバラツキがなくなってきた。ピックがないので、ピック使用でのピッキングはまだやっていない。I君、とにかく、じぶんなりにやっていますよ。しかし、音をフレットで拾うことができなくなった。練習する曲はヘヴィメタルである。たぶん、弾丸のごとく8ビートを刻むような曲ばかりだろう。左手は簡単だが、右手がたいへんだ。初回は、まずバンドのメンバーとの顔会わせだな。よく知らない人と会うのは少々、緊張する。I君の友人のK君は、なかなかにうまいハードロックギターを弾く。ギターキッズはメタルが基本だ。私もメタリックな音を出せるようにしたいものだ。エフェクターなしでも大丈夫かな。やるのはメタルだ!とわかってはいるが、聴く音楽はポール・ウェラーの渋い演奏ばかり。モワ~ンとしたベースがときどきフィルインをしかける、かっこええ。いかん、いかん、メタルに慣れろ。デカイ音を出せ。
2005年11月09日
コメント(0)
今回のブログはまさにメンタルヘルス日記です。心の中をウェブに記録するという「痛い」日記ですね。私は自分の稼ぎが悪いことに罪悪感を抱いています。両親への罪悪感、またマリエルに対しても「オレの稼ぎがもう少しよければ助けてやれるのに」という気持ちもあります。もう40歳になるのに、どうして初任給のようなサラリーのままなのか、もうだめぽ、という思いです。また、節約ができない自分を責めています。サラリーに見合った消費をせねばならないのに、アパートでひとり暮らし、またクルマも所有。欲しい書物、CD等を購入する。これでは貯蓄などできない。自立に欠けた自分を非難する自分がおります。稼ぎが悪いことに対しては、世間への不満といういささか的外れな鬱憤もあります。これだけ他人のために尽くし、また、スキルがあるのにも関わらず、なぜ、こんなに低い報酬なのか。社会のしくみへの抗議の気持ちです。組織に対しては、やはり人間関係のぎくしゃくもあります、がさすがにいくらブログでもこの点については書けません。うつ病の症状について、もう一生、この苦しみから脱することができないのではないかという悲観があります。何度も再燃するとどうしてもこういう思考になります。うつ病は運命であって、本田美奈子さんが白血病による死が避けられなかったことと同じことではないかという気持ちです。生まれつきのキャラクターおよび幼少期の環境においてこのような人物になってしまったので、もう変わることができないという諦めです。生きる目的をなくしています。なにが楽しくて生きているのかがわからないのです。また、生活能力のなさを悲観しています。掃除、洗濯といった家事ができない。料理もできない。公共料金の支払いを把握していない。といったものです。このような能力は子供のうちから少しずつ自然に学ぶことでしょうが、私はこのあたりのベーシックな面を学んでこなかったと思っています。スポーツをして来なかった生活歴に対しても劣等感を抱いています。中学生の時は卓球部でしたが補欠でした。そんなことはどうでもいいのですが、身体を動かす楽しさを覚えていないために、ちょっとしたことで心の病気になるのだと思っています。もうこのくらいでよいでしょう。思いついたままに書いた【自動思考】を認知療法の点で解釈しようと思います。◎認知療法ではこう解釈する>自立に欠けた自分を非難する自分がおります。まず、「全か無かの思考」ですね。「すべき思考」もあるでしょう。要するに、人間は完全に自立していなければならない、というmustな気持ちのなせるわざです。誰だって完全に自立した人なんていないよ、と考えればいいのですね。また、これまでの自立的な生活を否定しています。今はできないが、それまではひとさまに迷惑をかけず自立的であったことを忘れてしまっています。>稼ぎが悪いことに対しては、世間への不満といういささか的外れな鬱憤もあります。これは「結論の飛躍」でしょう。根拠もなく私の人生は稼ぎが悪いと結論づけています。また、努力は必ず報われるべきだと強く思い込んでいます。報われないことだってあるのに、それが嫌なんですね。虚無主義に向かうきっかけになってしまっています。>うつ病の症状について、もう一生、この苦しみから脱することができないのではないかという悲観があります。これは「心のフィルター」でしょうか。人生のうちうつ病の時期は一部であるのに、自分の人生すべてがうつであると思ってしまっています。>また、生活能力のなさを悲観しています。「レッテル貼り」です。生活能力のない人間だと自分にレッテルを貼っています。>生きる目的をなくしています。なにが楽しくて生きているのかがわからないのです。「絶望」や「無力感」が支配しています。「報酬を安く見積もってしまうこと」もあります。何事に対してもやっただけの報酬がない、だからやる気がしない、ということです。『落ち込んだときには、どんなに意味のある行動も第一歩が出にくいものです。というのはその仕事がひどく難しく思えるばかりでなく、報酬が払った努力に値しないように感じるからです。「アンヘドニア」は、満足や快感を味わう能力が減じた状態を意味する専門用語です。よくある間違い、「よい点を無視する」傾向が、この問題の根なのです…』◎と、ちょっと【自動思考】とその考えに対処する【合理的な考え方】をひとりでやってみた。バーンズ著「いやな気分よさようなら」を片手に、書いてみたのだ。認知の歪みに気づいて行動し、それを書き込むのが認知行動療法なのだが、けっこう難しい。とにかく虚無主義に支配されている自分に気づいたのだから、それを克服するしかないな。ハリケーンレベル4の状態の今、できることは少ないが。まずは実家に帰れ、だ。
2005年11月09日
コメント(1)
この3日間、困っていながら放置していることがある。全自動洗濯機が、なにかの拍子で蛇口のパッキン部分に触れたら、それが動いて水が漏れてしまうようになった。ドライバーで閉めてみるのだが、どうしても漏れてしまう。洗濯物はいっぱいだ。このような生活においてのちょっとしたトラブルに対応する能力が私には欠けている。ググってみれば、ちゃんと「給水部の水漏れ原因/洗濯機の水漏れ」というサイトがあった。なかなかいいサイトであったが、だからといって私の洗濯機がすぐに解決したかといえば、簡単にはいかなかった。どうすりゃいいのだ。もう腹がたつ。一所懸命にねじを締めているのだが。悔しい。今、BGMでスティーブ・ミラーを流している。得体の知れぬレーベルが勝手に出した編集アルバムなのだが、秋の夜長にはなかなかよい。スティーリー・ダン等が好きな人にはお薦め。これがAORなのね。しっとりとオヤジの心に染み入ります。給水部の水漏れについて
2005年11月08日
コメント(2)
◎私の父は損害保険代理店のオヤジである。かつて私が幼少の頃には中堅の旅行代理店に勤めていたこともあったが倒産したのか、嫌になったのかで、一人、保険屋のオヤジとして自営するようになった。小学生の頃、私はこの代理店業というシステムは理解できず、また親もきちんと仕事について説明せずにサラリーマンであると私に思わせようとしていたところがあった。サラリーマンが勤まらずにいたことに引け目があったのかもしれない。父は大学在学中に両親の家計を支える子の一人として、GHQの占領下において英国銀行でアルバイトをしていたことがあるという。事務処理能力の高い父は、イギリス人の支店長にも可愛がられていたそうだが、銀行業務については空しさを感じて、その後、銀行員として働くことはなかった。また、父は法学部に在籍していて家庭裁判所でアルバイトをしていたこともあったが、正職員になろうとは思っていなかった。弁護士を諦めた時点で、そのヒエラルキーの下層で働くのが嫌だったのだろう。◎そんな親の元で育った子供(私)は、お金のしくみ、お金を稼ぐ大切さ、難しさといった重要なことを教育されずに育てられた。とにかくサラリーマンになるほかないのだ、ということをなんとなく刷り込まれていたのだが、なぜ、サラリーマンなのか、またどんなサラリーマンなのかは不透明であって、結局、現在でも両親は私にどうなって欲しかったのかがわからない。◎さて、ブログの世の中になって、最近、株式投資家のブログを目にするようでなった。株は普通のサラリーマンが手を出すべきではない、というのが両親の常識であったが、投資家がみんなヤクザな人ではなく、逆に、世の中に対してやさしい気持ちを持ちながらマーケットを分析している人が多いことを知った。株に触れることは世の中の動向に耳を澄ますことだ。投資をすることで、回りまわって社会貢献ができれば、と大げさにいえばそのあたりまで考えている投資家もいる。そんな理想をいっちゃ、失敗するだけだよ、と言われそうだが、堅実に着々とリターンを得ている人達は目先のチャートだけを追っているだけではない、もうひとつの社会に対する目を持っているのではないか、と希望的な推察をする。私が株に手を出すのかということだが、現在は種銭がなくてダメだ。PERって何?というレベルなので。今後の1年くらい株式ブログをロムることで、株のしくみを学習することができたらいいな、と思う。その時はお仲間に入れてください。
2005年11月08日
コメント(0)
IP電話の調子がへんで、受話器をとった瞬間に切れてしまうことがある。おまけにPHSの充電器は実家に置きママなので、私と連絡を取りたくても取れない人がいるかもしれぬ。とにかく一度、実家に戻れということだ。今朝は7:30頃、まあ、それほど苦しくもなく目が覚めましたよ。マリエルには悪いことをしたな。やつも心配しているかもな。
2005年11月08日
コメント(2)
最近のあいつぐNHKの不祥事について、NHK自身も含めて報道がにぎやかである。放火魔が休職中であり、また「入退院を繰り返していた」という報道が、巡りめぐって、この私にも迷惑だ。お堅い仕事で、じつは心を病み(これは推測だが)長い間の休職とは、私とかぶるな。勤務先の人で、私のことを思い出した人もいるだろう。そういえば、**さんはどうしているかなと。私は踊り場を脱却できずに苦しんでおりますよ。連続放火事件については、逮捕よりだいぶ前より、NHKが彼との繋がりを見抜いていたというアングラ情報もある。局内では「岸和田問題」と言われていたという。事件現場になぜか消防車や警察よりも早く彼がいた。(すでに休職中)私はNHKの記者だ、と周囲の人の名乗っていたそうだ。24歳と若い彼であるが、そもそも彼自身には心の闇(心身症など)があり、記者というハードな仕事をすることで、潜在的な病理にまさに火がついたと私は推理する。この放火という事件は、性犯罪の成り立ちと似ていると思う。再犯率の高さ、やめようと理性で考えていても、ストレス等の要因で、コントロールができなくなること。どこかで、捕まりたい気持ちを併せ持つことなど。私が気になる点は、NHKは彼の処遇を休職手当て→休業(傷病手当)と、病についてわかっていたのにも関わらず、心のケア等をなにもしていないことだ。大企業では産業医や保健師がいるものなのだが。私のように中小企業であれば自分でカウンセリング等をしていくしかないが、NHKなら、会社の福利厚生の面での援助ができたのではないかという疑問がある。11件目となる最後の犯行は自宅から100メートルの距離というから尋常ではない。入院先を精神病棟と断定しての話だが、退院時に臨床心理士等のカウンセリングはなかったのだろうか。職場の同僚との関係もあまり蜜ではなかったであろう。彼はじぶんの病気と向き合いながら、手立てもわからず救いの手もなく、完全に孤立した中にあっての犯行であったと勝手に推測する。NHKでは今頃メンタルヘルスに問題のある局員を洗っていることだろう。これだけの大所帯ならば、ほかにもいるはず。くさい者に蓋をするのではなく、産業医によるケアを積極的に進めてほしいものだ。
2005年11月07日
コメント(2)
今日はマリエルと健康ランドにいく約束をしていたが果たせなかった。PHSの電池が切れてしまって連絡がつかない。私はアパートのIP電話を2度かけたがヤツは出ない。10時頃IP電話に着信があり出たとたんに切れた。この電話をめぐる意思疎通失敗はよくあるのだ。私は思う。PHSに電話して繋がらず、050ではじまるよくわからない電話からの着信があれば、それが私ではないかという発想は普通つくだろう。それで050にかけながらも私が必死に廊下の受話器までいき、とった途端に切れる。改めてかけても繋がらない。いったい、あいつは何をやっているのだ。アパートにいるのだから、(近所なのです)部屋までやってくればいいのに。そういうこともない。ことの発端は私がPHSの充電器を実家に忘れてきたことで、私に非があるのだが。本日の私は約束を果たせなかった妙な思いで病状は悪化。身体中の血行が収縮するような冷たさを感じ、布団に横になっているしかなかった。やつの顔がみれたら回復するのにな。病状が回復しない要素に、傷病手当の再度の却下がある。ボディブロウのように効いてくるのだ。ひとり部屋の布団で目をつぶっていると、アパートの隣人が掃除機をかける音がする。その音に生活の快活を感じ、私の心に家事ができぬ罪悪感が支配してくるのだ。午後になると隣の幼稚園児が幼稚園から帰ってきて、ママゴト遊びをする声がする。命の息吹を感じる。夜間は夜間で23時を過ぎると水道の音が聴こえてくる。隣人がお風呂に入っているのだ。これも私には痛い音だ。また、ゴミ出しができなっかた日のゴミ収集車の音は罪悪感を刺激する。隣家でチャイムの音がすれば、ウチにもやってくるのではと身構える。マリエルとの関係は、彼女が日本人であればキーパーソンとして心強い武器となるが、現在の彼女の様子ではマイナスの要因のほうが多い。別離も悲しみの要因となるからしないほうがよかろう。この9日ほど、実家に帰らずにいるが、やはり老婆でも話をする相手がいるほうがよいのか。アパートを引き上げるという行為も負担を大きくてできない。要するに「様子を見ましょう。」と医学において打つ手がないときの手段を用いるほかないのだ。身体面、精神面ともにレベル4(ハリケーンの数値で)の状態。だいぶ後退した。
2005年11月07日
コメント(6)
誰もが書け、それを読める環境は時として思想の腐敗を招く。とは、タリウム少女により知った言葉だ。深い言葉だが、私はこうして駄文をせっせせっせとアップし続けている。その原動力はなんだろうな。自分の考えや周囲に起こった出来事をインターネットにあげることは、けっこうなリスクを背負うものである。うつ病である現在においての生きがいなのだろう。決して大げさでなくて。メンタルヘルス系の日記では、悲鳴のような文章を目にすることもある。生きている証を表現したいのだろう。よくネット用語で「痛い」という表現があるが、こいつも深い形容詞だ。ブログ等で自己を主張する人は全員、「痛さ」の注意をしなければならぬ。ならぬといえども、そこまで警戒する人は少ないし、そんなに神経質になっていたら、何も書けなくなる。新聞記事のような文になってしまって、これもつまらない。3年前の日記スタート時は、まさに痛々しい日記の連続であった。当時の自分はそれなりに文章の形式を変えて、ネタのように書いていたが、振り返れば痛々しいものだった。続けるうちに、読み手との距離感がつかめてきた。この感覚は実際にやってみるしかないだろう。またしても2ちゃんねるの話をするが、2ちゃんねるにおいての書き込みも気をつけなければならぬ。うっかりしたことを書くと脱兎のごとく罵倒される。それでよいのだ、と私は思う。誰もがブログを利用する世になり、中にはとんでもないブログも出てきた。レイプした経験を得意げに書くキックボクサー。他人のクルマを壊したことを得意に書く大学生(エアロバキバキ)。バスが自転車を漕ぐ妻に幅寄せをしたことを会社に抗議し、謝罪をさせたという経緯を、会社および社員の実名を上げて吹聴する元雑誌編集長。公序良俗に反していたり、また書き手にそれなりの社会的地位があれば、これらのブログは2ちゃんねるにより晒される。ターゲットとなったブログは、これまでとはケタ違いなアクセス数となり、誹謗するコメントがえんえんと付けられる。これも仕方のないこと。公に文章を書くという行為には、場合により、とんでもない結果が待っていることを心せねばならない。のまネコ問題においての社長のmixiもそうだったが、書き手ができる処置は丁寧にレスをするほかないと思う。非難に対してまずかったと思えば素直に謝る。これで、たいていの祭りは収束するはずなのだが、祭られるブログは、そもそもそのような対応ができない人によるものがほとんどである。これからは義務教育の過程おいて、ネット利用の作法を学習させる必要があろう。便利になるほどに事故で受ける傷には痛いものがあるのだ。日経BPによる『祭り』についての記事
2005年11月06日
コメント(0)
この5年間においての脳神経外科の発達には凄いものがある。文末にリンクを貼ったので、番組案内をご覧になれば、わかりやすいと思うが。立花隆のリポート、驚異の医療の最前線だ。まず、パーキンソン氏病の男性51歳/アメリカ人が出てきた。もう10年もパーキンソンであるという。彼は脳外の手術で、パーキンソンの病気の発生場所に磁力を流すことで普通の生活をしているのだ。脳内のけっこう奥にその場所があって線が刺さっている。リモコンで電流を流しつづけており、試しにスイッチをオフにすると、パーキンソンの病状が5分もしないうちに現れるのだ。駆動する元は左右の鎖骨下にひとつづつある。とにかくこのおじさんは24時間その装置を作動させていればまったく問題ないのである。両腕を高圧電流で失ったおじさんも出てきた。アメリカ人。このおっさんは両腕にロボットをつけることで自分の意思のままにその機械を動かすことができるのだ。機械をつけるのもいたって簡単であった。また20年以上前に視力を失った男性がサイボーグ技術で視力を得ている。頭にコンセントがあって(家庭用のアレじゃないよ)プラグを差し込むと、カメラによる映像が脳の神経を通して、視力をつかさどる部分に働きかけて、映像を観ることができるのだ。ただ、もともと100個の画素数があったが現在は6個しか機能していないとのこと。この機械を開発していた人が亡くなったために研究はストップ。彼がどんな映像を見ているかというとモザイク画像のようなかんじ。モノクロだし。そのモザイクが6個しか働いていないので不便だと思うのだが、それでも本人にしてみれば生活が飛躍的にアップしたことは間違いない。立花氏の姿を人と認識していたし、外の木々が風に揺れている様子もわかっていた。腰に巻いたバッテリー等の機材が大きすぎてまだまだ改善の余地はあるが、ビデオカメラの映像(メガネについている)が脳内にダイレクトに伝わり見えるのですよ、手塚治虫もビックリですよ。脳のしくみはずいぶんと解明されてきている。脳とコンピュータが連動するという、つい最近まではSFの世界での話しが現実になっている。脊髄損傷で首から下が動かない青年の脳にPCとインターフェースする装置が付けられた事例もあった。彼はじぶんの意思でテレビのチャンネルを変えたり、パソコンをクリックしたりするのだ。このようなサイボーグ処置をすると脳が装置のしくみに慣れていき、これまでできない指令ができるようになる、いわば脳が進化するという現象も起きるのだ。サイボーグによる脳の改造といってよいだろう。ここまで来ると人間のニューモデルが出来てしまうのではないかということで、倫理においての議論も早急に必要だと言う。人間の改造はどこまで許されるのか、今からすぐに決めておかないとイノヴェーションのスピードが速くて、大変なことになるかもしれぬと危惧する立花先生だ。実際、軍事目的で研究されているわけだ。ターミネーターのような人間の出現は絵空事ではなくなってきた。ネズミの場合、ロボラットがすでの誕生している。背中にビデオカメラを背負って、PCの指示どおりに動くネズミだ。猿でも成功したと。ということは人間においてもやろうと思えばできるのだ。最後にじぶんに関係する事例をあげたい。うつ病患者へのサイボーグ的処置だ。うつ病の原因元はcg25(まちがっているかも)という脳の中枢にある。この発見だけでもうつ病患者にとっては凄い発見。私のうつも脳内のcg25の不具合により、こんな調子なわけだ。患者はおばさんで手術前の映像では「世の中まっくら」と生気のない表情。手術後では「すっかりよくなって数年ぶりにショッピングに出かけたわ!」とすっかり治っている。11人中7人が治ったとの報告。私もうつ病がこのままえんえんと続くようなら、cg25に電流を流す手術を受けたい。何年、先かな。現在でも電気ショック療法があり、ヨーロッパではふつうに行われているが。日本ではイメージが悪いのだ。意図も簡単に人格を変化することができることって倫理的にどうかな、とも思う。私のうつは神様がお与えになったのだから、神の御心のままに、アーメン、といった考え方も当然、出てくるな。「ウチの子はADHDなの、cg××に電流流してくれないかしら」という事態は明日より発生するに違いない。今夜のテレビを観ての問い合わせはバンバン来るぞ。リタリンのむよりいいかもしれないから。(パーキンソン症については日大板橋病院でやっておりました。)あとですね、紳士淑女諸君はセックスにおけるオルガスムスの場所は解明されたか、気がかりであろう。私だけか。もう、そのcg69に電流を流した日にゃ、たいへんなことになるわけだ。近未来では、セックスの際、男女でお互いに相手のプラグを手にしてそっとコンセントに差し込む。それだけで終了。これ以上の凄いセックスはなし。結局、オチはお下劣で終わるのであった。番組紹介はココ立花先生と東大学生との共同作業のページ(サイ)
2005年11月06日
コメント(0)
土曜日の午後にひとりフラッシュを見て泣くオヤジあり。まとめサイトにいけばいくらでもフラッシュは見られるのでわざわざ私がここでフラッシュ作品をひとつひとつ上げていくことにあまり意味はないのですが。2ちゃんねるにおいてはカーチャンAAが独立したスレを持つほどにカーチャン文化は成熟している。これはいいことだ。私にもカーチャンはひとりいて、親父もひとりいる。親父ものにもよいフラッシュがあったのだが、優先順位としてはやはりカーチャンが先だ。そういうものなのだな。親父には悪いがな。野球、ごめんね
2005年11月05日
コメント(1)
2ちゃんねるが好きです。と初対面の人にいきなりいえば、きっと相手はひいてしまうことだろう。アングラだし、エロ・グロ満載だし、他人のウェブを晒す輩もいるし、ニュース系では反中国・朝鮮半島、そして部落差別等、とてもあからさまにできない書き込みの巣窟だから。なんでもありの2ちゃんねるは一方ではネチズンに感動も与えてきた。代表作は「電車男」であるが、書き込みの蓄積によりみんなで出来上がったいい話はほかにもたくさんある。普段より2ちゃんねるや、その他ネットにおけるサブカルチャーに詳しい人は知っているネタばかりだが、じぶんが見て「いいな」と感じた、フラッシュ等を思いついたときにリンクしていこうかと思う。有名なモノばかりですよ。でも楽天ご愛用の皆様は、他のブログよりもまともというか、ごく普通の奥さん等が多いようで知らない人も大勢いらっしゃると思う。それだけにアップしたい。「また、コレか」と思う人もいるだろうが、まあいいじゃん。今回のラフメイカーは2ちゃんねるのAA(アスキーアート)とバンプ・オブ・チキンの音楽が融合したフラッシュだ。ほとんど洋楽しか聴かない私はこれを見て、バンプを買いに走ろうかと思ったほど。いいバンドだ。歌詞がわかるロックっていいもんだな、と思った。ラフメイカー
2005年11月05日
コメント(3)
最近、ヘビーローテーションで聴く音楽は、XTC、ビョーク、そしてポール師匠およびスタイルカウンシル、ザ・ジャムである。師匠との出会いは1980年、ジャムの4枚目「セッティング・サンズ」から。もう25年も追い続けているのだ。ジャムの解散は私の高校卒業と重なり、青春の1ページがここで終了。ウェラーはスタイルカウンシルを結成し、浪人中の私は、妙にスタイリッシュになってしまった兄貴にとまどいながらスピーク・ライク・ア・チャイルドを聴いたものである。師匠ゲイ疑惑まで浮上した当時なのである。我らモッズは、イタリアファッションに身を包んだ兄貴がくりだす「カフェ・ブリュ」「アワ・フェバリット・ショップ」…と当時流行っていたカフェ・バーで流れるようなおしゃれサウンドを素直に追い続けた。この80年代半ばより90年頃のスタカン期と日本のバブル期は符合する。日本のミュージックシーンにおいてはジャムよりスタカンの方がずっと売れた。大学生がクルマでデートする際に、ドナルド・フェーゲンやフィル・コリンズらと同様にBGMとして利用したのである。シャーデーを聴いている奴らはジャムは知らなくともスタイルカウンシルは聴いた。イタリアン・トマト(当時イタトマといわれたオサレなレストランチェーン)あたりでスタカンは定番の音楽だった。日本においては大成功だったが、本国UKにおいてはジャムほどには振るわなかった。それほどザ・ジャムは偉大だったのだ。5枚目の「サウンド・アフェクツ」、6枚目のラストアルバム「ザ・ギフト」はUKロックの歴史に残る名盤である。ウェラー師匠は、当時、イギリスのプレスに対して不快感を持っていたはずだ。“どうしてジャムを解散したんですか?”という問いかけがスタカン結成後長く続いていたのだ。じっさい、この命題はスタカン解散時までもねっとりと残っていたと思う。ラストアルバム「ポップグループの告白」は英国において大変に不評であり、売れなかった。私は大好きなアルバムなのだが。バブル末期の日本においては売れたと思う。『スタイル相談』という名のとおり、曲の構成がさまざまで、とてもおしゃれであった。深夜残業の際、BGMでこれを流していると女性スタッフと妙な雰囲気になってしまうほどに。でまた、ふたりの残業のときに彼女がこれをリクエストするのだな。話がそれた。要するにこのアルバムは本国英国においてロックアルバムとはみなされなかったのである。師匠の苦労の道がここより始まる。17歳でデビューして以来、彼は常にシーンの中央に陣取っていた。それがスタカン末期においては隅に追いやられてしまったのだ。ロックシーンにおける世代交代も囁かれた。とはいっても師匠はようやく30歳になったばかりなのだ。音楽をやめることも考えたであろう。いや、俺はまだまだやれるとも思ったであろう。ジタバタする90年頃、師匠は当時の流行だったハウスサウンドにも近づいていたりと、なんか、へろへろだった。ザ・ジャムとスタイルカウンシル。どちらもビッグネームである。それだけに音楽シーンは彼に新しい次を求めた。そして、しばらくの沈黙後、師匠は“ポール・ウェラームーブメント”と称して、小さなライブハウスを回る活動を始めた。ソロアルバムを出してはいたが、それだけでは曲は足りずにジャムやスタカンの曲もずいぶんと演奏した。92年、私は渋谷のON AIRというライブハウスで師匠に拝謁した。楽しそうに演ってはいたが、あのポール・ウェラーがドサまわりするなんて、と揶揄されたものである。以後、「ワイルド・ウッド」「スタンリーロード」とソロアルバムをリリースしながら、師匠はUKシーンの中央へと戻っていくのである。英国においてこれらのアルバムは評価が高かった。日本においてはバブルが崩壊し、アルバムセールスにおいてはスタカンほどの売り上げはなかったと思う。UKチャートにおいてもそれほどのものではないと思うが、継続する師匠に対して音楽シーンは再び彼を向かいいれた。キング・カズのような展開なのである。もう、師匠は何をやってもいいですよ、と世間が認めた。オアシスのギャラガー兄弟等、若い世代のミュージシャンにも兄貴として慕われて今日に至っている。長い文章を書いてきたが、ここで私は師匠に詫びたいことがある。つい先日まで、師匠のソロ活動がそれほどいいとは思っていませんでした、ゴメンナサイ、と。ようやく最近、わかってきました。師匠のこれまでの道のりが茨であり、また、それを避けることもなく真っ向勝負で今日まで来たことを。4枚目の「ヘヴィ・ソウル」がたまらなく素晴らしいです。どうして今まで気がつかなかったのだろう。私はXTCのようなシャッキリしたサウンドに反応しやすく、ベースがモコモコした音作りに対してはキャッチーでなかった。簡単にいうと、Jポップみたいなエンジニアを求めていた。ジャズアルバムのようなウッディな音に慣れていなかった。ノン・コンセプトであることもイマイチであった。でも、今は師匠にこう言えます。やりたい音楽をやってください、と。ノープランでOKです。師匠もニール・ヤングの域に達しています。師匠の音楽はヒットチャートの上位にいく曲ではないけれどもずっと聴き続けることができます。噛むほどに味がでるようです。来年の来日を楽しみにしています。敬具師匠の足跡はココをクリック
2005年11月04日
コメント(4)
◎ある奥さんがほのぼのブログが作っていた。どこにでもあるほのぼのページ。その奥さん、食品の安全性について関心が高く、昔流行った書物『買ってはいけない』みたいな方向が好きな人。マーガリンが身体に悪いと報道で知り、さっそくブログにアップ。トランス型脂肪酸は身体に悪いのでマーガリンやめました!という内容。そしてコメントもつく。「マーガリンは身体に悪いのでバターにします」と同調する女性陣のコメントがつづく。■怖いお久しぶりです。バタバタしていて、久しぶりにお邪魔しましたが、やっぱりこのHPは凄く為になる。マーガリン、普通に使っていました(~_~;)怖いですね。即ゴミ箱行き!!明日バターを買いに行きます。◎↑(例えばこんなコメントです。この奥さんも自然食品派ですな)ブログ管理人は食品について知識がある人なのだが、突然、次のコメントがついた。タリウム少女からだ。※こんにちは、初めまして。貴方のブログはある人の言葉を思い出させますね。「誰もが書け、其れを読めるという環境は時として思想の腐敗を招く」引用文中の事で貴方に質問があります。トランス型脂肪酸を自然に存在しない脂肪酸だと仰りますが、フマル酸に関してはどのような御了見で居られるのでしょうか?食品添加物にも認可されている安全性の高いカルボン酸で、涼飲料水やキャンデー等の酸味料や、パンやクッキー等の膨張剤にも配合され使用されています。そして勿論、自然界から取れます。それに水素添加によりアルケンからアルカンに変化していますよね?二重結合が解け、一重結合だけになった場合、π結合が無くなりますのでシス、トランスの区別は無くなります。最後に、多くの先進国では毒物として扱われているとの事ですが、日本では毒物と言うと、経口投与でLD50が30mg/Kg以下のものを主に指します。この定義と同一の物が先進国で使われているとすると、規制前に多くの中毒者や死者が出たと思われますが、その様な事はありませんでした。この事について如何お考えですか?少年 (2005-08-15 09:57:34) ■ブログ長文失礼しました。少年 (2005-08-15 09:59:37) ◎奥さんはタジタジである。>少年さんへコメントありがとうございました。化学は高校生レベルですので、申し訳ありませんがよく理解できませんでした。こんな私が、記事の引用するなよとお思いかもしれませんが、いろいろ参考にして避けられれば避けようという判断をしました。感覚的かもしれませんが、子育て中の主婦としましては、子どもには悪いと分かっているものを摂らないようにしてあげるのが当然と思います。おいしい・便利なもののあふれる現代社会ではなかなか無理な話ですが…。******** (2005-08-15 17:27:26) ■レス有難う御座います。僕は高校一年生です。そうですか、分かりにくかったですか。では単刀直入に申し上げますと、「此れはエセ科学だから信じない方が良い」という事です。最近はこの手の悪徳業者や勘違い人間がしたり顔で話しかけてくるので、どうか末永い人生、他人に騙されぬようお気をつけ下さい。貴方のお子様の為にも、今から本を一冊お与えになられては如何ですか?勿論科学系の棚からどうぞ、少年 (2005-08-15 18:53:30) ◎ブラボー!と少年のコメントに拍手するオレがいる。事実関係を追究する姿勢がいい。ムードを嫌う少年の一貫した態度。正直、スカッとしてしまった。これは私の中にある自然派食品崇拝者の対してのプレジュディスを代行して肯定してくれているからだ。>「誰もが書け、其れを読めるという環境は時として思想の腐敗を招く」この言葉にはガツンときた。朝日新聞がどうしたとか、言論がどうしたとかこの2日、うじうじした文章を書いていたが、この一行でふっとんだ。彼女が狂気に支配されてしまったことがつくづく惜しい気がする。病気がなければ素晴らしい少女だ。日記リンクをさせていただいているpaintboxさんは彼女はアスペルガー障害ではないかと推測されていたが、そのような特異なキャラクターをうまく育てることはできなかったのだろうか。
2005年11月03日
コメント(0)
昨日のブログは朝日新聞への批判であった。書いているときにはあからさまな批判ではないと思っていたのだが、読み返せば私自身のポジションが反朝日であった。朝、起きて確認するとトラックバックが1件。ありがたや、と訪問すればそこは反朝日ブログ。第三次小泉内閣に対する不信を書いた朝日・社説に対しての反論であった。他を見て己を知る、ということか。でも。TBをしてくださった方には申し訳ないが、少々の違和感も感じるのです。ちょっぴりスタンスが違うのだ。昨日のブログで私がいいたかったことってなんだったのかな。公平、中立な言論などないということかな。また今の市民は朝日新聞といえども鵜呑みにはしないメディアリテラシーが芽生えているということかな。朝日新聞を槍玉に上げたのは日本のオピニオンリーダーとしての役割をもつ新聞であるから。これが産経新聞だったらスルーなのだが。東京新聞でもスルーかな。ネット上での右傾化する文章を読みながら違和感を覚えることも多い。私自身、現在の小泉政権に対して好意的な位置にいるのにね。この問題については時間のあるときに「官僚が支配する日本のシステムとそれに対抗する政治」というテーマで書いてみたい。要するに私は現在の官僚支配のシステムが嫌いなのだな。だから、その点においては共産党支持の人たちとも意見が一致する。アンチ官僚支配という点のみだが。私の思想的ポジションはメディアに例えるとなんだろう。週刊誌に例えると『週刊文春』だな。週刊新潮ではない、ココはポイント。新聞だと『毎日新聞』になる。ずっと読んできた新聞だ、影響されているのね。産経新聞もけっこう好きだ。反朝日むきだしな論調が面白い。テレビのニュースではNHK、これじゃあまりよくわからないか。フジもいいと思う。『筑紫哲也のニュース23』これがダメ。このへんは反朝日の人たちと同意だ。報道ステーションについては古館の意味不明なコメントにこちらがこっぱずかしくなるが番組のパッケージとしては好きだ。私は徒然なるままにいいたいことを書き、そのときに応じてトラックバックがときどきつけられてきた。私の密かな愉しみはつけられるTBの幅の広さだ。共産党の人からもあれば憂国の右翼青年からもあった。先の衆院選挙の時にはその脈絡のなさが愉快であった。ま、TB好きな人は文章をきちんと読まずにさっとTBをつけているのだろうが。ただ、一定した態度がないと固定客はつかない。これはいえる。アクセス数が増えないのはこの態度が明らかでないことにつきる。私が日記を始めた理由はうつ病の記録を書くことが当初の目的であったが、メンタルな問題を抱える人たちが寄り添って傷を舐めあうという若い女性にありがちなサイトになるのも嫌であった。吾妻ひでおに例えれば、失踪しビニールシートを身体にまとって雑木林で野宿をしていてもテントを張ってホームレスのコミュニティに加わることを拒否したようなかんじ。ブログの成功のポイントはテーマを決めて、ひたすらそれに向かって書き続けることなのだが。エロならエロ、精神病なら精神病、政治なら政治、ロックならロック。これができない。要するに「わたしをみて」のカマッテチャンから脱却できないのだ。おわり。
2005年11月03日
コメント(0)
中学生の頃だったか、天声人語や朝日新聞の社説を要約する授業があった。先生の授業の目的は「新聞を身近に感じよう!」という意図であったと思うが。私はまずじぶんのウチは毎日新聞なのでちょっと困った。天声人語を読む機会がないのだ。なぜ朝日じゃないのだ、とちょっぴり親に不服な気持ちを持った。先生が朝日新聞を材料に選んだのは、文章が優れているからということだったと思う。入学試験にも天声人語はよく出題される。これを毎日よく読めば国語力がつく、と先生はきっと思っていたのだ。天声人語に向き合った私は、正直、とまどった。婉曲的な表現が脳内にダイレクトに伝わってこなかったからだ。新聞のコラムは朝日に限ったことではなくて散文詩みたいな文章だ。でもそれが優れた文章であると先生、また、私自身は信じ込んでいた。読解できない私に問題ありと。そう信じていた。新聞の社説を要約させたり、コラムより感想文を書かせたりという授業は果たして国語力の向上につながるのか、現在の私は疑問をもっている。へたな文章も多いからである。そもそも新聞は児童の学力アップのために執筆されているわけではないのだから当たり前。新聞の文章にもけっこうへんなのがあるものだとようやく気がついたのは大学に入ってからだ。ダカーポが文章講座の特集をしていて、材料に朝日の社説が使われていた。社説に思い切り赤入れするのだ。当時の私はちょっぴりうれしく思った。中学校の先生はまずそんなことをしないから。そしてネット社会になった昨今、朝日新聞は右傾雑誌のみでなく、一般大衆よりも疑いの目でも見られるようになってきた。権威の失墜である。ここから先は文章力の内容だけでなく、主義主張の分野にも入った内容についていいたい。朝日新聞の主張はどれだけ正しいのか、という命題である。今回、朝日を引き合いに出したが、読売も産経も、テーマとしては同じこと。新聞を疑う目の必要性についてだ。数年前に産経新聞が『新聞を疑え。』という広告を出したのを目にした。新聞社がみずから新聞を疑えという広告について、優れた広告だと感じた。ネット社会になり、2ちゃんねるが登場し、私がそれを目にした最初の驚きは、右翼的なコメントの数々である。対中国・朝鮮半島に対しての反感感情、また在日外国人に対する侮辱の数々を読んで、日本人が心に抱えている表舞台には決して出ることのない感情を知った。正直、ここまでチョンだのチュンだのと市民が思っているとは思っていなかった。誰もがネットで発言できるようになり、新聞の論調に対してもおきらくに批判のメッセージを発するができるようになったから。現在、この文章を書いている私のように。新聞を代表とするメディアが、社会の木鐸として世論のバランスを保つ役目を果たすことが難しくなってきている。それがよいことか悪いことか、どちらでもよい些細なことか、よくわからない。ただ、ネットが世論を作っていくということは間違いなかろう。現在の小泉政権への高い支持率の理由にはインターネットも介在していると思う。テレビメディアの世論操作をいう人がいらっしゃるが、2ちゃんねるの書き込みによる影響力もなかなかのものだ。朝日新聞の文章について話を戻すが、例えば、次のような書き込みについて、私は面白いと感じる。【小学生でも書ける天声人語 作文マニュアル】 (-@∀@)<それは望んでいないはず (-@∀@)<事の本質は~ではない (-@∀@)<~の反発が予想される。 (-@∀@)<これで~とは。 (-@∀@)<しかし、だからといって (-@∀@)<議論を呼ぶのは必至だ。 (-@∀@)<その前にすべきことがあるのではないか。 (-@∀@)<~というのは明らかだ。 (-@∀@)<そうとばかりはいえまい。 (-@∀@)<今こそ冷静な議論が求められる。 (-@∀@)<~を再考すべきだろう。 (-@∀@)<~という意見もある (-@∀@)<~という声も聞かれなくもない (-@∀@)<~と聞こえないか。 (-@∀@)<さまざまな声に耳を傾けてほしい。 (-@∀@)<私達は耳を傾けなければならない。 (-@∀@)<~姿勢が、今ひとつ伝わってこない。 (-@∀@)<~が役割のはずだ。 (-@∀@)<今後も~であり続けるに違いない。 (-@∀@)<的はずれというほかない。 (-@∀@)<~のはいかがなものか。 (-@∀@)<日本に足りないのは~ (-@∀@)<私達が言いたいのは~ (-@∀@)<責任があることを忘れてはならない。 (-@∀@)<~という言葉はあまりに乱暴だ。 (-@∀@)<しかし、こういう声もある (-@∀@)<謙虚に耳を傾けるべきではないか。 (-@∀@)<ちょっと待って欲しい (-@∀@)<波紋を広げそうだ。 (-@∀@)<危険なにおいがする。 (-@∀@)<~と言うには早計に過ぎないか (-@∀@)<私達はアジアの一員として~ (-@∀@)<私達一人一人が~ (-@∀@)<だが、心配のしすぎではないか (-@∀@)<その前にすべきことがあるのではないか。 (-@∀@)<思い出してほしい、 (-@∀@)<~に疑問を抱くのは私達だけだろうか。 中学生のときにこの書き込みを目にしていたら、天声人語に対しての理解は俄然深まったと思う。文章の構成という点において。確かにこれは悪意に満ちている。学校教育では不可能な切り口である。ただ、言論とは何かを考える際に、この便所の落書きは大きなヒントになりうるのである。
2005年11月02日
コメント(1)
なんか、この事件にこだわってしまっている私である。なぜってオレにはこんな詩は書けないものなあ。書けなくてよかったのかなあ。書けたら、もっと遠くへジャンプできたはずだよな。※[闇の中へ No.13 2004/10/08] 四角い空 高い塀 あの雲はどこへ行くのだろう 涼しい風 舞い散る落ち葉 この木はどこまで伸びている 緑の草 白い土 正方形のこの土地で 君は何を視 何を感じた 塀の外には何が在る 何も無い 在るのは絶望と諦め 木の上から何が見える 何も見えない なぜなら見たくないモノだから 草の下に何が在る 何も無い 白い砂さらさら舞い散る骨の様 外には何も無い 其れは其れは素晴らしい事だ 何故なら 全ての幸せは此処にあるもの今回はテスト間近のため少ないです。それでは、また つづく◎今回の事件について、近くで知る人が、なかなか的を得た分析をしていた。納得。事件直前までの日記も掲載されている。ココをクリック
2005年11月01日
コメント(4)
全52件 (52件中 1-50件目)