Q輔とU子と「不妊治療」 0
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現在三十歳前後の社員が、うちにも数人いる。少ないけどね、いるにはいるのです。 二十代半ばで途中入社してきた若者たち。実務経験は、5年~10年あたり。一人で現場をこなせるようになり、ぼちぼち自分が中心になって、現場で他の職人さんに指示を出す機会も増えてくる。 ぶっちゃけ、建設業界で働くこの時期の若者のなかには、増長をする者が多い。 増長。要するに、調子にの~る。 調子に乗る。要するに、お天狗にな~る。 うちの若い社員も漏れなく、現在絶賛お天狗の真っ最中である。 正直言って、若者たちの非常識で不遜な態度に、はらわたが煮えくり返り、こんのぉクソガキ、自分の語彙力の全てを駆使して、己の未熟さが身に染みるまで滾々とお説教をお見舞いしてやろうかしらん! と思うこともあるが、そこはほら、こういうご時世だからね、何とかハラなんつって訴えられちゃうからさ、ググっと堪えてますけどね。ギリギリのところっすけどね、時代っすね、しゃーないっすね。 そもそも、かつてはこの僕が、その非常識で不遜な若者の代表各でしたからね。 三十代前半の僕は、年配の監督や職人さんに突っかかってばかりいた。 あなたがたは、休憩ばかりしている。 あなたがたは、重労働を若者に押し付ける。 あなたがたは、体調を壊して病気ばかりする。 あなたがたは、ストレスを抱えて弱ってばかりいる。 あなたがたは、子供の行事や家庭サービスなどと言い訳をしては、すぐに有給休暇を取りたがる。 そして何より、あなたがたは楽ばかりしているのに、 こんなに頑張っていて、こんなに能力のある僕より給料がすこぶるよい。 僕は、それがどうしても納得できない。 ……ああ、恥ずかしい。穴があったら入りたい。 三十代の僕は、あと十年経てば、自分も四十代になるのだと言う、 そんな簡単な計算が出来なかった。 あと二十年経てば五十代、三十年経てば六十代になるのだと言う、 そんな小学生でも出来る簡単な足し算が出来なかったのだ。 自分も、やがては、老いる。 そんなちょっとした想像力が、悲しいほど欠落していた。 自分だけはずっと若いままの気がした。 自分だけは病気もぜず、自分だけは気力も衰えることなく、自分だけはいつまでたってもバリバリだと思っていた。 何の根拠もない自信に溢れていた。 言い換えれば、根拠なき自信以外、自分を支えるものが無かったのだ。 ……嘆かわしい。 若さゆえの過ちである。ごめんなさい。じゅうぶん反省していますので、どうぞ勘弁していただきたい。 な、な、な、なんつって。 四十代後半ともなれば、僕のような愚物であっても、ある程度俯瞰で人を見れるようになった気がする今日この頃でありんすが、 でも、さらに年上の諸先輩がたのように、非常識で不遜な若者を「若さゆえの麻疹みたいなものだ。いずれ彼らも分かってくれる」などと温かく見守る菩薩のような心までは、情けないかな、今のところ持ち合わせていないのである。 ガキども、マジ腹立つ! 真っ向から、とことんやったんぞ! と血眼になる衝動を禁じ得ない。とほほ。未熟者っす。 これも、四十代という若さゆえの過ちであろうか。 僕も、もう十年もすれば、諸先輩がたのように、ごく自然と菩薩のような心を持てるのであろうか。 う~ん、どうかなあ。自信ないなあ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村
2022.10.07
地元でも二流の県立高校で、当時約400人ほどいる学年の中で、テストの総得点による順位が、一番酷い時で、後ろから三番目だったことのある僕ですが、成人をしてからチャレンジした国家資格試験は、まわりが悪戦苦闘する中、比較的順調に取得をしてきました。 何故僕が短期間に複数の国家資格試験に合格出来たのかというと、その理由は至極単純です。いっぱい勉強をしたから。 例えば一つの国家資格に合格するのに仮に平均50時間の勉強が必要だとすると、僕は脳味噌の出来が悪いので、一般成人の倍の勉強時間が必要だな、つまり最低でも100時間は勉強しなければならないな、と自覚をする。もし一年に同レベルの資格三つにチャレンジするつもりであれば、単純に100×3で300時間の勉強時間を普段の生活の中にから捻出すればよいな、つまり計算上は一日たった一時間の受験勉強を一年間続ければおつりがくるな。 勉強時間の計画が立ったら、あとはそれを、ただもう愚直に続ければよい。 愚直に勉強を続ける。大半の社会人はそれが出来ない。学生の時は容易く出来た筈の受験勉強が、社会に出て働くようになってからは難しいのだと言う。時間がない! 気力がない! 体力がない! 様々な言い訳をして逃げてしまう。 時間がない! というが、実は、そうでもない。一日の中に無駄な時間は沢山ある。その時間を詰めて、勉強時間に充てればよい。体力がない! 気力がない! というが、いや、そうでもない。自分の好きな趣味や遊びに使う気力や体力は有り余っている。 学生の頃の勉強は、親の保護下で、学校や塾の管理下で、みんなと同じレールに乗っていれば、自分の意思とは関係なく、何となく前進をしたが、社会に出てからの勉強は違う。社会人になってから何かしらの大きな目標を立てて勉強をするには、強い自主性がいる。つらい、めんどっちー、さぼりたい、という我執に打ち勝つ、強い自己管理能力がいる。 建設業界に係る資格試験の問題のなど、みんなが大学受験の時に解いていた総合的なテストの難易度に比べれば、とても簡単だと思うし、うちの社員も、例えば勤務中に明確に受験勉強時間を与えて、ある程度のシステムに乗っからせて勉強を続けさせれば、必ず資格試験に合格するであろう頭の良い人達ばかりなのだけどね。 頭の出来が良い人は、我執を捨てて、ただもう馬鹿みたいに勉強を続けることが出来ないのであろうか。頭が良いというのも、時に難儀なものだ。僕の経験上、総合的に見て学生時代に生活環境に恵まれていた者ほど、社会人になってからの自主性に乏しいような気がしている。 社会に出てからの勉強は、つまりは、自己を教育することだと思う。 決して試験問題が難しいのではない、自己教育をすることが難しいのだ。幼い頃から他者に自己を仕立て上げられ続けた者は、大人になってから自分で自分を教育するということが、まるで出来ない。 ちなみに、僕が試験勉強に臨む際のひとつのポイントとして、 資格試験の勉強は学問ではない、テスト本番に向けての練習。テストは出題者との試合。いわばゲーム。 ということを常に押さえていた。 問題はなるべく実戦に近いものを選ぶ。となれば過去10年間に実際に出題された問題集が一冊あればよい。過去10年間に出題された問題を、何度も何度もひたすら解き続ける。参考書はいらない。問題集の解答の解説欄だけを全て頭に入れる。出題文の語彙を読み取り対策を練る。近年の出題傾向と出題率から対策を練る。経験記述は、絶対に突飛なことは書かない。無難な記述を心掛ける。そうすれば、高得点も得られないが、減点も少ない。単語の意味なんて理解していないくてもよい。とにかく暗記する。とにかく記憶する。 おいコラ、そんなの学問と言えるんかあ! そんな覚え方で仮に試験に合格をしても、現場で何の役にも立たないぞ! とおっしゃる方がいるかもしれないが、それは違う。 本当の学問は、試験に合格をして、資格者となった瞬間から始まるのだ。 単語の意味なんてうろ覚えでよいのだ。現場において、知識の無い者がうっかり素通りしてしまうような事態も、資格者ならば、ふと立ち止まることが出来る。「あれ、これって試験で勉強したアレだよなあ……」と、うろ覚えながら必ず立ち止まる。試験勉強の時に脳裏に付箋を挟んでいるからだ。そしたらその時こそ、分厚い参考書を開けばよい。資料を読み解けばよい。何時間も何日も学問をすればよい。実際のところ、僕も資格者になってから、日々学問、仕事これ、すべて学問である。 学問をするために、試験に合格をするのだ。 合格をしなければ、お話にならない。 試験に合格をするためには、テスト本番に向けての練習あるのみ。 ひたすら実戦的に、ひたすら反復練習。じみーにね。 テストは出題者との試合。いわばゲームなのだ。さっさと勝って次へ行こう。 学問は、ゲームが終わってから、嫌と言うほど出来るぞ。間違いない。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村
2022.09.25
20年前に今の水道設備会社に就職をした時、僕は一介の現場作業員だった。入社して3年経った頃に、二級管工事施工管理技士という資格に何となくチャレンジしてみたくなり、「個人的に挑戦したいアレで、半ば暇つぶしみたいなソレで、こっちで勝手に勉強して、勝手に受験しますので、会社には絶対迷惑を掛けませんので、よろしくどーぞ」なんつって、他の社員のように講習会費用などの援助を一切求めず、全て自費、全て独学で勉強をした結果、たまたま一発で合格をした。 そして、たまたま僕が合格をしたその年に、僕よりも若い工事監督が、現場で抱えるストレスを理由に会社を退職してしまった。彼は、うちの会社では珍しく中部地方ではそこそこの有名大学を卒業した若者で、将来を有望視されているやつだった。社長をはじめ会社の上層部は有望株の突然の退職に激しく動揺をした。そして次の社員が入って来るまでの場繋ぎ的な意味合いで、当時興味本位で二級施工管理技士を受験して、まぐれ当たりで合格した僕が、施工管理の部署に問答無用で回されたのである。うちの会社は、基本的に施工管理者は最低学歴大卒以上という縛りがあったので、地元では二流の県立高校卒の僕の抜擢が、よほど異例の、苦肉の策であったことは想像に難くない。 工事監督になった途端に、給料に資格手当がついた。それから、事後ではあったが、受験に掛かった費用も、会社の方から全額負担してやると言われた。見返りを期待していなかったので、正直おでれーた。そして、会社は僕の資格を宛てにして公共工事の入札を躍起になって開始するのである。 へ~、資格を取るとお給料が上がるのね、ってんで、その次の年には、給水装置責任技術者、排水設備主任技術者、二級土木施工管理技士、という三つの資格を同時に受験し、全て一発で合格をした。ここまで短期間で国家資格を多数所得した者はいなかったので、その努力を買われて僕は正式に施工管理の部署に残ることになった。受験に掛かる費用も会社が負担してくれたが、僕は講習会の勉強がどうしても苦手だったので参加せず、僕の経費は本屋で購入できる過去10年の試験問題集代だけだった。平日に数日通常業務を止め出勤扱いで何万も掛けて講習に通う他の社員に比べ、我ながら、とてもリーズナブルな社員だったと思っている。 この時期、何かと金が入用で、単純に今よりもっとお給料が欲しくて欲しくてたまらなかったので、一級管工事施工管理技士と一級土木施工管理技士という難関の資格に、即刻チャレンジをしたかったのであるが、なにぶん自分はしがない高卒であったので「最終学歴が高校の者は、二級合格後5年の実務経験を経たのちしか一級は受験出来ない」という資格条件の縛りに引っ掛かり、時を待たざるを得なかった。 時を経て、一級管工事施工管理技士を独学で勉強し、一発で合格をした。うちの社長が講習会に足しげく通い、三年目にしてやっと合格した資格なので「あ、あの、アホみたいな職人上がりが……」と、この時ばかりは周囲がどよめいた。 それから一級土木施工管理技士にチャレンジをした。この資格は二度失敗をした。実施試験の経験記述を書く作文ではじかれたのだと思われる。道路の本管工事にかかわったことの無い人間が、試験のために書いた机上の空論的経験記述は、さすがに採点者に簡単に見抜かれてしまうのだ。この時ばかりは多くの先輩に経験記事術の作文を読んでもらい、頭を下げて矛盾点の指摘を乞うた。そして三年目に合格をした。 現在に至る。色々あって、僕は業務部長に昇格をした。自分の前例があるので、現在うちの部署の採用に学歴の縛りは原則無い。資格取得に伴う会社からの援助も、管理と現場どちらも平等に行ってもらえるように社長に掛け合い、了承を得ている。まあ、それでも営業職、施工管理職、および事務方を含め、実際のところ高卒は僕だけである。(現場の職人は、中・高卒多数)また、一級管工事、一級土木、という水道設備業界で働く上で取得しておけば得しかない資格についても、両方を取得しているのは、社長と、営業部長と、僕だけだ。僕よりも立派な学歴を持つ社員が、いまだに合格出来ていない。寂しい限り。おまーらもーちょいがんばれよ。 僕は、こと建設業界においては、学歴より資格が大切だ、と身に染みて感じている。 だって、少なくとも、そのサンプルがここにいるからね。 そりゃあ、取得に至るまでの扱い、ことスタートラインにおいて大卒と高卒は大きく違ったが、それにしたって、資格なんてもんは、取ってしまえばこっちのもんよ。 あいつは大卒の一級施工管理技士、こいつは高卒の一級施工管理技士、などという差別を受けたことは、ハッキリ言って一度もない。また建設現場で「あなたの最終学歴を教えてちょーすか?」という質問を受けたことも一度もない。所得してしまえば、一級施工管理技士は、一級施工管理技士である。 現場では、資格証の提示を求められることはあるが、卒業証明書の提示を求められることはないのだ。※ ※ ※ ※ ※ 資格についてはもう少し書きたいことがあるので、それはまた次回に書きまする。 ではまた。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村
2022.09.23
長女作「父」「トップダウン」とは、企業の上層部が意思決定を行い、現場の従業員に展開・指示を行う意思決定スタイル。「ボトムアップ」とは、現場の従業員に意思決定権を与え、現場から上がってきた提案を企業の上層部が承認する意思決定スタイル。 僕は、社長が決定した方針を、従業員に周知・遂行させる立場でもあるし、 従業員から上がった意見を、取りまとめて社長に提案する立場でもある。 たまに、他の会社の者から「あなたの会社はトップダウンですか? ボトムアップですか?」と尋ねられることがあるが、 そんな時、僕はいつも「弊社は、そのどちらでもありません」とお答えをする。 そもそも「我が社の経営は、これよりボトムアップで行く!」と決定するには、強いトップダウンが不可欠であるし、 ボトムアップを重視して、現場の声を漏れなく掻き集めてみれば、現場が第一に望むのは「上層部の強いリーダーシップ」であったりもする。 どちらが欠けても会社は成立しない。経営者の声と、現場の声は、結局のところ表裏一体だ。 そして僕のような中間管理職は、そんなトップダウンとボトムアップの狭間に、相も変わらず挟まって、 今日も今日とて、のた打ち回るのだ。這いずり回るのだ。引きずり回るのだ。 回って、回って、ぐわんぐわん目を回して、気がついたら、もう四十八歳だ。 トップダウン? 何だそれコノヤロー。 ボトムアップ? 知らねーよバカヤロー。 その狭間の者の身になれコンチキショー。 泣きてえよ。てか、流す涙も枯れ果てちまったよ。歳だからよ。 うおおお、うおおお、うおおお、なんて涙なき嗚咽を漏らしながら、 今日も今日とて、のた打ち回るのだ。這いずり回るのだ。引きずり回るのだ。うおおお。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.07.23
ゴールデンウィークってことで、長女と岐阜県関市の通称「モネの池」っちゅう観光スポットへ行ってきた。 あら、素敵。 名古屋から早朝に出て、朝九時には現地に到着しましたが、まあ、すごい人でした。 もしこのGW期間中に行く計画のある人は、早起きは三文の徳、更に早く出発することをお勧めします。 以下、長女が撮影した写真の中から、水面に観光客が写り込んでいない画像をご覧下さい。 そんなこんなで、こにゃにゃちは。本日はQ輔の方が書きます。 さて。 コロナとか戦争とかの影響で、建設業界が大打撃を受けておりまする。 こと僕の職業である給排水設備業においては、シャワー便座(ウォシュレット)と給湯器の納期が皆目掴めない状況です。 シャワー便座については、機種によっては、現在発注から納期まで1~2か月かかる状況。 やや回復傾向にあるという風の噂を耳にしましたが、噂はあくまで噂。はてさてどうなることやら。 給湯器については、包み隠さず言って、壊滅状態です。 ひとつの例として弊社の現状を挙げますと、昨年の年末に問屋に発注した24号の一般的な給湯器が、この5月の段階で未納入。 間もなく発注から半年を経過しようとしています。 メーカーから問屋を通じ、いつ頃納入されるかの回答すらありません。 納入の目途、回復の兆し、具体的な情報は一切ありません。 先のことは、誰にも分からんでかんがや。 メーカーも、問屋も、業者も、皆そう開き直っています。開き直らざるを得ません。 まあ、弊社は機器の販売を主とした会社ではなく、あくまで工事に付随するものとして、材料や器具を収めているし、 お陰様で仕事自体が尽きることはなく、むしろ腐る程ある仕事の処理に悩まされ、日々嬉しい悲鳴を絶叫しているのですけどね。 その点においては、まったくもって有難い限りっす。 実は、我が家の給湯器は、新築の時に設置した機器で、早十年以上使用しているので、はっきり言っていつ壊れてもおかしくない代物です。 一応まだ使えるのですが、情勢が情勢なので、年が明けてから先行して代替品の注文だけはしました。しかし上記の通り今だ納期は不明。 例えば今皆さんのお宅の給湯器が突然壊れた時のことを想像してみて下さい。 別に脅すわけではありませんが、あたらめて蛇口をひねると温かいお湯が出ることの有難さが身に染みますね。 いや、マジで、シュミレーションはしておいて損はないかと。 実例として、都市ガスの地域にお住まいのお客様の給湯器が故障して、それが修理不可であった場合、 プロパンの給湯器はメーカーによっては比較的在庫があるとのことで、 都市ガス仕様の給湯器の搬入の目途が立つまで、苦肉の策として一旦プロパンガス仕様の給湯器を購入し、 プロパンガス会社と契約してガスボンベまで設置して、納期の目途が立つまで凌ぐなんてケースもあるのです。 その後、都市ガスの給湯器を購入するのですから、なかなかの状況です。 しばらく銭湯に通って凌ぐには、流石に期間が長いっすからね。う~ん、どうしたものか。 何にせよ、イケイケゴーゴーで外国の工場からの生産に頼って来た時代のツケが回ってきているのさ、実際問題さ。 蛇口をひねると温かいお湯が出る。 当たり前のこと過ぎて、取り立てて感謝したことも無かったですが、 よくよく考えたら、当たり前ではないのです。まるで魔法のような出来事です。 文明に感謝です。 平和に感謝です。 ちゅ~わけで、本日は、ここまで。 たぶん次回もQ輔が書きます。 では、また。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.05.03
てんてこ舞いに忙しい時に、社長や先方様から雑務の依頼があると、 思わず「それぐらい自分でやればいいのに」という愚痴が、喉まで出かかる。 逆に、部下や事務方に細々とした業務を依頼した際に、 明らかに「それぐらい自分でやればいいのに」という顔であったり、 または、遠回しにそういった意味合いの発言を受けたりする時もある。 だからと言って、僕の場合は「ごめんね。忙しいよね。これぐらい自分でやるね」なんつって、 一度依頼しかけた仕事を持ち帰ることはしない。 残業することなく、期限内に僕の仕事を終える方法を、一緒に考え、それを実施してもらう。 正直そんな愚痴にかまっていられないのだ。ごめんなさい。 そもそも「それぐらい自分でやればいいのに」という愚痴に該当しない仕事は、どこにもない。 コピーぐらい自分ですればいいのに。 データ入力ぐらい自分でやればいいのに。 図面ぐらい自分で描けばいいのに。 電話ぐらい自分で取ればいいのに。 集金ぐらい自分ですればいいのに。 書類の提出ぐらい自分で行けばいいのに。 調べものぐらい自分ですればいいのに。 新規契約ぐらい自分で取ってくればいいのに。 考えることぐらい自分ですればいいのに。 判断ぐらい自分ですればいいのに。 責任ぐらい自分で取ればいいのに。 経営ぐらい自分ですればいいのに。 ……言い出せばきりがない。 あらゆる仕事は「それぐらい自分でやればいいのに」に該当する。 それぐらい、わざわざ私に頼まなくても、あなた自身で処理できるでしょう? その通りだ。 自分でもやれる仕事であり、あなたでも、あの人でも、この人でもやれる仕事を、 みんなで共有し、分担し、処理している。ただそれだけだ。 自分にしか出来な仕事なんて、この会社に一つもない。 あってはならない。 あなたにしか頼めない仕事なんて、この会社に一つもない。 あってはならない。 これは自分が遂行しうる業務であり、これは自分が請け負う業務ではない? 馬鹿言っちゃいかんよ。仕事に貴賤はないのです。 業務時間内に与えられた仕事は、すべて自分がやるべき仕事です。 くだらない仕事でも、仕事は仕事。 愚痴が出るほど仕事があるその環境に、先ずは感謝を。 ※ ※ ※ ※ ※ ちなみに、上記の件。 もっともらしい理屈ですが、家庭ではまったく通用しませんので、ご注意を。 あそこは、独立国家。 治外法権ですから。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.02.05
全社員数30人に満たぬ中小企業に勤める僕の、素朴な疑問です。 大手企業に勤める人ってね。 例えば、豊田自動車とか、ソフトバンクとか。 あとはどこだ? とにかく全国展開しているような、海外に支店があるような、でっかい企業。 そういった大手企業に勤める人の、感覚的な会社の捉え方っちゅうのが、 僕のような、無学で、視野の狭い、生粋の中小企業人間には、まるで想像かつかないのです。 自分のとっての会社といえば、見慣れた社屋のことなのだけれど。 大手に努める人の会社とは、要するに勤めている「支社」ってことでいいのかな? それとも、本社、全国の支社、海外の支社を含めた組織全体像を捉えているのかな? 僕が、今の会社にいる理由は「社長に付いて行きたい」から。結局は、そこ。 逆を言えば、トップに愛想が尽きたら、会社を辞める。さっさと辞める。 では、豊田自動車やソフトバンクに勤める人はどうなのだろう? 会ったこともない、声をかけてもらったこともない、 そんな雲の上の社長に付いて行くつもりで、日々がんばっているのだろうか? 社長の著書を読み、自分との考えとあまりに相違があった場合、愛想を尽かして退職したりするのだろうか? 中小企業で、社員が会社の未来を変えて行くことは容易い。 発言すれば、何かしら届く。 会社の方向性をほんの1°、自分の発案で動かすことができればよいのだ。 そうすれば必然的に、一年後、五年後、十年後、 本来行くはずだった会社の立ち位置とは、まったく違う場所に会社が佇んでいたりする。 大手企業に勤める人はどうなのだろう? 自分の会社の未来をどのように考えているのだろう? その昔。 リーマンなんちゃらっちゅう、見たことも会ったこともない、どっかの外国の兄弟の資金繰りが悪くなった時。 この国の経済も、リーマンショックなんつって、けっこーな煽りをうけた。 あの時、僕は社長に「会社の為に、死に物狂いで仕事を取ってこい!」と言われ。 実際に、死に物狂いで頑張った。 ところが、僕の会社に勤める事務員さん曰く。 大手企業に就てめている彼女の旦那様は、 その時会社から「こちらから指示があるまで会社に出勤しなくてよい」と言われたらしく、 しばらくの間、家でゴロゴロしていたそうだ。 要するに、会社の為を思うなら「何もしなくてよい」「いらんことするな」「ただ静観していなさい」と言われたのだ。 僕なら、馬鹿にするのもいい加減にしろ! と会社に怒鳴り込んでいるところだ。 大手企業に勤める人たちは、あの時期、どんな気持ちで毎日を過ごしていたのだろう? そこらへんの想像がまるでつかないところが、きっと僕の限界なのだ。 想像が、地域というコミュニティを出ることがない。 地方とか、国とか、世界で、自分を捉えることが、じぇんじぇん出来ない。 しょせんは、地域密着型の人間。 大手には向かない。(そもそも高卒だし、入社すら出来ない) かといってフリーにもなれなかった。 そんな中小企業でしか機能することのできない人間なのだ。 だからといって自分を恥じている訳ではねっす。 もちろん大手企業の人に、ひがんでいる訳でもねっす。 ただ自分は、そうだ。 そういう人間なのだと。 今、あらためてそう思っただけである。 しょせんオイラは中小企業の人間なのさ。 なんだバカヤロウ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.01.30
今年の五月のことになる。 僕の直属の部下から、会社を退職したいとの相談があった。 またか、という気持ちだった。 その部下は、とても優秀なやつだった。 僕は彼の将来を期待していた。 ここ十年、役職上、新入社員の育成などは、僕が社長から仰せつかって全て行ってきた。 非力ながらも自分なりに懸命に力を注いできたつもりだ。 ところが新規も中途も、研修期間を終え、ぼちぼち現場に出始め、やっと即戦力になる! という時期になると、大半の社員は何故か退職してしまう。 辞めて行く者は辞めて行く。ただそれだけのこと。 そう何度も自分に言い聞かせるが、どうしても僕はそこまで開き直れない。 手前味噌かもしれないが、僕は人材育成に関しては、悪戦苦闘しながらも頑張ってきたつもりだ。 だから僕は社員が辞めてしまう度にとても辛らかった。 多くの若手社員一人一人を見送る度に自責の念に苛まれた。 自分の力不足だったと猛省した。 心が削がれるように痛かった。 その時も、退職を希望する理由を何度も尋ねたが、彼は頑として口を割らなかった。 誰かを陰で悪く言うとか、そういうレベルではないのだが……。 企業の今後の為に、人材育成の改善の為に、知りたい情報なのだ。 是非教えて欲しい。どうか教えて欲しい。と何度も頼んだが、彼は何も言わなかった。 僕があまりしつこいので、やや半ギレで「察して下さい!」と最後に言った。 彼は、その明確な理由を僕や社長に伝ぬまま、会社を退職してしまった。 その後、彼の退職の理由が、僕の指導法であったと、僕は人づてに耳にした。……それならそうと、正直に言ってくれればいいのに。 更には、長らく僕が独自で行ってきた若手の指導法は、実は社内では賛否両論があると知った。……それならそうと、誰か早く言ってくれればいいのに。 だったら誰かが代わりに先頭に立って人材育成をして下さい。僕が全力でサポートします。 情けない話。僕はやりきれなくなってしまった。 もう、若手の育成などしたくない。懲り懲りだ。そう思った。 僕はこれまでたくさんの社員が退職して行くのを見送ってきた。 見送られる者に共通して言えるのは、彼らはいつも爽やかだということだ。 なぜに、退職する者は、あんなふうに爽やかなのだろう。 なぜに、見送られる者は、いつだって正しいのだろう。 みんな、まるで憑き物が取れたみたいに、すっきりとした顔で、「退職の理由は?」と尋ねれば、堂々と僕の目を見て、知ったようなことを言いう。 世の中を悟ったようなことを言いう。 社会の真理を喜々として述べる。 僕は思う。だったらこの会社から去った者たちで、こぞって起業してみせてくれ。 君たちの発言が正しいのであれば、きっと瞬く間に大企業だ。 毎年国から表彰される、真っ白ケッケのホワイト企業だ。 社員たちはみんな愛社心に溢れ、不正も、派閥も、いじめもない、ユートピアの誕生だ。 それにひきかえ、見送る者の惨めさ、これは何だ。 なぜに、見送る者は、いつも申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ。 見送る者は、いつも伏し目がちで、もごもごと、伝えたいことの半分も言えず。 なぜに、新しい世界へ旅立っていく君たちの後ろ姿を、羨ましく見ているだけなのだ。 残った者たちは、君たちが去ったあとも、同じ会社の同じ机に向かい、 変わり映えのしない業務を続けなければならない。 やりたくない仕事もやらなければならない。 下げたくない頭も下げなければならない。 自らの手を汚さねばならない時もある。 去る者に、残る者の気持ちが分かるかい? 見送られる者に、見送る者の気持ちが分かるかい? 長年、様々な退職者を見送ってきた者として、今度ばかりは、しばらく引きずってしまった。 でも僕は考え直した。 僕と一緒に、この会社に残っている者たちも沢山いる。 見送る者たち。 残った者たち。 僕たちは何も間違ってはいない。 旅立った者たちの物語は一旦そこで終わる。 でも残った者たちの物語はずっとずっと続くのだ。 僕は、見送る者たちの終わらない顔が、好きだ。 下を向くな! 胸を張って前を向け! これからもずっと、旅立った者たちに、僕たちの終わらない顔を見せて行こう! この年の瀬の始まりに、そんな風に、やっとこさ決意したのである。 ※ ※ ※ ※ ※ ブログ、気まぐれに、再開しました。 すんません。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2021.11.28
【相談】 Q輔さん、こんにちは。少し前に「上司の一貫性に欠ける発言に悩んでいます」という相談をさせていただいた、Q輔です。さて、私は今、先だっての私の相談に対するあなたの返事に大変憤慨しています。あなたのお考えを要約すると、上司の発言が、過去と現在で一聴して辻褄が合わないことなど当たり前。部下たるもの、皆まで説明されずとも、その奥にある一貫性を汲み取るべきである。とのこと。少なくとも私はそう受け取りました。いやいや、おかしくないですか?何で下のもんが汲み取ってやらにゃならんの?上司は赤ちゃんか!上司なら、正しい言葉で、正しい指示を、こちらが迷わんように、かつ傷付かんように伝えんかい!私はこれまで、上司の自分本位の支離滅裂な発言に振り回され、身も心もズタボロです。やはり人の上に立つ者は、常に細心の注意を払って発言するべきだと思うのです。これは上司部下の関係に限らず、先輩後輩、親子、夫婦、先生と生徒、政治家と市民、何だってそう。常に責任ある発言を心掛ける。これ、あらゆる人間関係の基本でしょう?とにかく先日のあなたの発言だけは許せません。撤回して下さい。撤回しやがれコノヤロー。(名古屋市、46歳 ペンネーム・Q輔)【お返事】えらい言われようでござる。なるほど、Q輔さんのおっしゃることも一理ある。てか、二理も三理も万里もある。大正解。でも。しかし。である。そう、モノゴトには「でもしかし」があるから面白いよね。という訳で、以下は、あなたの意見に対する僕の「でもしかし」です。僕は「会話」とはスポーティーなものだと思ってる。ていうか、個人的には、ほぼスポーツだと言って過言ではない。野球、サッカー、バスケ、陸上、柔道、水泳、それらと同じ「会話」という競技。会話は文化的資質より、どちらかというと運動神経がものをいうゲーム。ちなみに昨今、メール、ライン、ツイッターなどの「電子での会話」も新しい競技として確立しつつあるな。とにかく「会話」はスポーツなのだから、他の多くのスポーツと同じく、瞬発力、知力、体力、時の運、血の滲むような日々の努力、もって生まれた才能を駆使して、ただ本番に結果を残すことが全て。もちろんスポーツなのだから、向き不向きがあって当然。努力だけでは如何ともしがたい現実もある。例えば、一流のアスリート。例えば、引退しちゃったけど、イチローとかね。彼は、自分の才能に胡坐をかくことなく、日々努力を怠らず、己の野球哲学を信じ、自分の体の細部にまで注意を払って、試合に挑んでいたと思うのですね。そんな野球のプロフェッショナル、超一流のイチローにかかれば、相手が投げたボールの速度、回転、位置を、瞬時に、的確に判断し、バットの芯にジャストミートさせ、日々鍛錬した肉体をフル稼働させ、全ての玉はホームラン!・・・かというと、そうでもない。たまに、空振りする。プロのくせに。高い給料もらってるくせに。超一流とか言われてるくせに。たまに、三振する。なぜなら、野球には相手がいるからだ。相手のピッチャーは、こちらが打ちやすい玉を投げてはくれない。困らせる玉ばかり投げて来る。イチローにしてみれば、もっとホームランを打ちやすい玉を投げてくんないと、僕ちゃん嫌だ!とか。今日は何だか調子が悪いのでバッターボックスには立たないもーん!とか。今の玉、家に持ち帰って検討するね。三日後また投げてね。必ずホームランにしちゃうから!とか。言いたいであろうが、言えるわけねーじゃん。プロの世界なのだから。では、会話というスポーツの場合はどうでしょう。例えば、あなたの上司。彼が、自分の才能に胡坐をかくことなく、日々努力を怠らず、己の仕事哲学を信じ、自分の体の細部にまで注意を払って、仕事に挑んでいるとう前提で。ははは。そんな上司にかかれば、部下が投げかけた質問の意味、真意、背景を、瞬時に、的確に判断し、質問の芯にジャストミートさせ、日々鍛錬した頭脳をフル稼働させ、全ての発言は当意即妙!・・・かというと、そうでもない。たまに、失言する。上司のくせに。高い給料もらってるくせに。社長とか部長とか言われてるくせに。たまに、人を迷わせる。なぜなら、会話には相手がいるからだ。会話の相手は、こちらが答えやすい質問ばかりをしてくれない。困らせる質問ばかりしてくる。上司にしてみれば、もっと答えやすい質問してくんなきゃ、僕ちゃん嫌だ!とか。今日は何だか調子が悪いので、ヘンなコト言いたくないので、発言しませーん!とか。今の質問、家に持ち帰って検討するね。三日後また問いかけてね。必ず的確に指示するから!とか。言いたいであろうが、言えるわけねーじゃん。仕事なのだから。仕事ってバスケの試合みたいに瞬発力が必要でしょう?細部に至る判断ともなれば、分刻み、秒刻みで行っていかなければならない。仕事中はみんなゼイゼイ言っている。ハアハア言っている。それはあなたの上司もきっとそうです。プロがどれだけ努力しても空振りはする。パスをミスる。これまでのタイムを大きく下回る時もある。もちろん、でもだからと言って、上司が自分の置かれた状況や感情に任せて何を言ってもよいと言っているのではありません。野球の下手な選手が、レギュラーになれないように。決してプロにはなれないように。会話の下手な上司は統計的にみても出世しにくいようですね。特に昨今は。まあ、当然か。ただ問題はね。「競技としての会話」がどうも苦手であるということと。その人の「業務実績」は別であるということです。別で考えないといけない。表面的な言葉で傷付いたとか、迷ったとか、ハラスメントだとか、まあごもっともなのだけれど。そこでシャットアウトしてしまうと、その人から本来得られるべき情報は途絶えてしまう。僕はその情報がとても勿体ないと思うので、喉から手が出る程欲しいので、表面的な言葉のキツさはさておき、その先を、その奥を、何とかして掴むように心掛けている。口は悪くても、精度の高い仕事をする職人はいるし。口下手でも、センスの光る図面を書く設計士はいる。失言だらけでも、力のある政治家もいる。「競技としての会話」にだけ重点に置くのであれば、橋下徹氏とか、ひろゆき氏とか、ホリエモンとかが総理大臣になったらいいと思う。何を聞かれても当意即妙。会話という競技の選手としてのスキルが半端ない。こと会話だけのことでいえばね。でもそれと、実務は別ですからね。会話が業務の全てならばいいんだけどね、所詮は会話は業務の一部でしかないのよ。オリンピックの森前代表が、あの失言で、すったもんだで。まあ、当然の報いか知らんけど。あれは、イチローがある打席で派手に空振りしたということで、イチローのこれまでの功績も全て無効、全てチャラでよいという考えなのかな。イチローの空振りと、イチローのこれまでの功績が別であるように。森さんのあの失言と、森さんのこれまでの功績は別だと思うが・・・。タレントの出川の十年前の失言がほじくり返されて、好感度が落ちたとか、落ちないとか。あの女性は、この生涯を振り返って失言をしたことがないのかな?誰も傷つけず、迷わせず、いつ何時も辻褄の合った発言で、名言格言を連呼してきたと言い切れるのかな?僕たちだってそうだよ。自分は部下だから、後輩だから、子供だから、生徒だから、市民だから、会話のバッターボックスには立たず、観客席からヤジを飛ばしていればいい?たった一言の失言で、その人の人間性が測れるなんて、いやあ、しっかし、みんな人を見る目が長けているのだなあ。どこもかしこも人を見るプロフェッショナルばかり。おもんぱかる。という、思わずハグしてチューしたくなるカワイイ言葉があります。「ぱか」のあたりが実に愛くるしいよね。思慮する。考えを巡らせる。だってさ。あなたの上司が、あなたをおもんぱかるのは、そりゃ当然ですが。ちなみに、あなたは、あなたの上司をおもんぱかっていますか?言わずもがなのことですが、おもんぱかりは、お互い様だと、僕は思いますよ。Q輔さん、ご相談、ありがとうございます。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2021.04.17
【相談】 Q輔さん、こんにちは。上司の一貫性に欠ける発言に悩んでいます。例えば、つい最近まで「コピー用紙なんて何百枚使ってもよいから、紙で記録をしっかり残せ!」と言っていたのに、この頃は「紙が勿体ないと思わんか!何故データで記録を残さんのだ!」と平然と言ったりします。何故ああも以前と真逆のことを、平気で部下に指示出来るのでしょうか。ついて行けません。悩んでいます。教えて下さい。(名古屋市、46歳 ペンネーム・Q輔)【お返事】Q輔さん、ご質問ありがとうございます。それは恐らく僕の会社の上司の話ですね。分かるうう。僕も上司の支離滅裂な指示・指導に振り回され、行き詰まること多々ありい。んでもね、表面的には真逆の発言のようであっても、必ずその発言には共通項があったりするものです。例えば先の二つの発言は「その時代にあった最善の方法で記録を残せ」という意味では一貫性がある訳です。先ずはそれを汲み取りましょう。汲み取る努力をしろよ、アホ。お前が、相手の発言の根っこの部分を、ぐにっと掴むことが出来ていれば、その発言の枝葉の色合いごときに、翻弄されることはないと思うぞ、アホ。この人は、自分ではないのだから、自分と考えが違うのは当たり前だし。この人の考えをいくら自分に押し付けられても、自分としては、へーそっかあ、そうなんだあ、って感じだし。考えの異なる者の集団からは、何も作り得ない、何も生み出せないかというと、意外とそうでもなくて、思わぬ化学反応で、思わぬ成果が導き出されたりするし。そもそも仕事で成果を出すことと、倫理観や理路や仕事の流儀を混同してはいけないし。この人は、あの日ああだった、でも今日はこうなんだ。ちなみに、今日の午前にはああだった、でも今はこうなんだ。へえ、そうなんだ。そっか、そっか、そうなんだ。その人の根っこの部分が変わっていない限り、その枝葉や、言の葉や、言葉尻や、ニュアンスに、必要以上に翻弄される必要はない。へー、なんかいつものようにいつもの如く、わーわー言っとらっせるわ、この人。おー怖。うっせーな、馬鹿。そんでいいのではないのでしょうか。自分の倫理観で相手を測れば、必ずあなたも相手の倫理観で測られますよ。その発言に一貫性があるという一点だけで、あなたに人望が集まり、あなたが仕事で大成し、あなたの生活が豊かになるのであれば、あなたは、周囲への発言の、辻褄合わせばかりを気にして仕事をしていればよいのだから、ずーっと、そうしたらいーですよ。でもよお、そんな甘ったるい職場は、どこにもねーですよ。あるかっつーの。それは、あなたが一番分かっている筈でしょう?少なくともあなたの上司は、とっくにそれを悟っているのではないでしょうか?考えろタコ。クズ。カス。以上です。Q輔さん、質問ありがとうございました。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2021.04.05
「私はあなたのように強くないのです」「あなたは部長になられてから変わった」「あなたの指導法で転職を考えました」以上のことを、三人の社員に、二日間のうちで順番に言われました。うちの会社自体がいろいろと変革の真っ只中で、社員たちに迷いや疲労が出てきているのは感じていたが、それは僕だって同じな訳で、いやあ、さすがにヘコみましたよ。人は、何をもって強い、又は弱いというのか、それはその局面ごとに細かく異なるので、一概に僕が強い、君が弱い、とは言い切れるものではないと思うが、それでも、いかなる局面にあっても、僕は元弱者の代表として、弱き者のために強くありたい、と思う。弱音ひとつ吐いてたまるか、と思う。僕は、人は変わるべきだし、変わり続けるべきだと思う。その志だけは、ずっと変わっていないつもりだ。自分に一番合った指導法を知っているのは、自分だ。こんな指導をしてもらえば私はもっと伸びるのに、というビジョンがすでにあなたにあるのなら、あとは、それを自分自身に実施するだけだと思う。だから僕は、極力こちらからは教えないし、答えも出さない。ただ資料のある場所、取説のある場所だけを教えます。もちろん、あなたが失敗しても、事務的な指摘はするが、注意はしません。叱りません。もちろん、分からないところは、ぜひ聞いて下さい。質問には丁寧に答えます。これからの時代に重要になるにのは、検索力、構成力、実行力、継続力、コミュニケーション能力、折れた心を速やかに修復する復元力であると僕は考えます。おっしゃる通り。すべては、みなさんのご指摘の通り。分かっちゃいるけど、ヘコんだ、凹んだ、丸二日。僕が丸二日も悩むってのは、普通の人が丸三年悩むぐらいの時間に換算されるのではないかしら。んで、さすがに妻がキレた。一体全体何なのあんた、情けない。いい?あたしがあんたに唯一惚れている部分は、いかなる状況にあっても飄々と立ち回れるところよ。おぎやはぎの小木みたいなところよ。心があるのかないのかよく分んないところよ。あたしはあんたのようには生きられない、だから憧れてるのよ。しょぼくれてんじゃないわよ。お願いだからシャキッとしなさいよ。ピエール瀧を見習いなさい。あんな失敗しちゃったけど、復帰してんじゃん。何事もなかったかのように、飄々と生きてんじゃん。あんたは、ピエール瀧で行きなさい。ぼーんつーびーピエール瀧。心配しなさんな。あたしがあんたの石野卓球だから。・・・なー言っとお、さっぱあ分っかあへん。というわけで、明日からはピエール瀧の心意気。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2021.04.04
先の三月で、約一年に及ぶ公共工事を、やっとこさ終えたっす。ちかれたー。この工事は、工事を管理する工事監督が、過度のストレスにより、ノイローゼというか、鬱というか、心の調子を崩して工事の途中で退職し、受注した会社が、その後処理に大いにすったもんだすること多々あり、という曰く付きの類の工事であった。役所が入札を公示したところで、参加者がなっちんぐで、何度も流れているところを、うちの社長が棚から落札してきたという、最悪のぼた餅なのであった。工事の内容としては、実に陳腐な給排水の改修工事であったが、地域住民というか、入居者というか、低所得者というか、怖い人というか、老人というか、クソガキ共というか、外国人というか、宇宙人というか、百世帯を超えるそういった人達のプライベート的な、空間的な、ルーム的な、にお邪魔して給排水工事を行うことが、実に陳腐ではない、工事監督たちの心を木っ端みじんに破壊するポイントであった。その、地域住民というか、入居者というか、低所得者というか、怖い人というか、老人というか、クソガキ共というか、外国人というか、宇宙人というか、への、工事の説明、連絡、調整、クレーム処理に、みんな心をズタズタにやられてしまうのだ。さらに昨年からは、追い撃ちをかけるかのようにコロナ禍でざんがしょ?そんなこんなで、着工時は、最悪の場合オイラもこの工事にて、身も心も玉のように美しく砕け散るのであります!なんつって覚悟したのであるが、蓋を開けてみれば、な~んてこたあない、よくよく思い返せば、そもそもこのオイラ自身が、地域住民というか、入居者というか、低所得者というか、怖い人というか、老人というか、クソガキ共というか、外国人というか、宇宙人というか、の、コミュニティからウジのように湧いて出た人間であったので、「おーおー、里の者たち、達者であったか、今帰った!我がホームタウン!まじ落ちつくうううう!」ってな台詞を腹の底から叫びたい衝動を禁じ得ず。なんだかもうキツネにつままれているかのように、工事は順調に、快調に、快便モリモリに進み申した。てゆーか、昔からどういう訳か僕は、年上の女性に可愛がられるというか、不思議とよくして頂けるので、不用意に現場内を巡回などしていると、ちょいとそこ行く監督さん、このお菓子食べてって!あんら、監督さん、お家上がってお茶飲んでって!缶コーヒー待っていって!みかん持っていって!年末の旅行でお土産買っといたから貰って!チューして!サインして!などなど。素敵なマダムや、ばあば様に声かけまくられ放題、モテモテ放題なのでありました。もう、最終的に現場事務所は、頂き物だらけで、少々困ったぐらいでありんした。あは、あはは。まあ、たまたま、この現場は、頭の良い、計算の早い、暗記力や記憶力の高い、そんな数値化出来る能力に秀でた生真面目な人には不向きで、僕のように、コミュニケーション能力などの、非認知能力オンリーの人間からしてみりゃあ、おちゃのこさいさい、屁のカッパの現場だったちゅうこった。ぶぶ、ぶはははああ。僕の父は昔、名古屋市笹島のドヤ街に、日雇い労働者のホームレスを拾いに行く際、「番頭さん、食べってって!飲んでって!」とホームレスたちから振舞われる、食べ物だか何だか分からない、腐っているかどうだか分からない得体のしれない物を、その場に座わって、彼らと共に、わいわい話をしながら飲み喰いしたという。現場事務所に山になった食べきれない頂き物を物を見るにつけ、あの馬鹿な父が、ほんの一瞬偉大に思え、今だのうのうと生きているあの父に、今死んでたらきっと感謝出来るのにい、もう!と歯がゆさを感じる、春の始まりでわろし。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2021.04.03
ちーっす。前々回からの続きでーす。僕が部下に常々言っているコトは、笑っちゃうほどシンプルなこの三つ。① メモとれー。② 時間守れー。③ 片付けろー。んじゃあ、今回は最後に、「片付ける」について書きまする。ちなみに、だいたい想像つくと思うっすけど、いわゆる片付けのハウツー的な内容は皆無です。あらかじめご了承ちょーだい。さて。僕が働く建設業界では、最近でこそタブレットに図面データや資料を入力して現場で持ち歩く人も増えたが、現状はまだまだ紙が主流だ。公共工事においても、やっとこさ工事写真のデータ提出が定着した程度で、基本的な提出書類はいまだ紙ベース。受注額が三千万を超えるような公共工事ともなれば、役所への提出書類は、通常段ボール二箱にはなる。だから日頃から意識して事務所内を片付けておかないと、あっという間に書類の山、書類の山脈が出現してしまう。てゆーかホント、建設業界には書類を片付けられない人が多いのよ。「何かあった時の資料として残しておきたい」つってね、捨てらんねーのね。僕なんか、まわりがドン引きするぐらい、鬼捨てしちゃうけどね。社長によく叱られるもん「捨てすぎだ!舐めてんのか!」つって。ははは。その「何かあった時」が何なのかを明確にすれば、それ以外の書類は捨てられますね。なんつって、部下たちに助言するのだが、なかなか伝わらず、みんな漠然と片っぱしから保管している。とほほ。いやはや、そーいう社員ってどういう訳か、僕より年上だったり、かつての上司だったり、困ったことに業績がさほど悪いわけでもなかったりするので、なかなか厳しく注意しにくいのよ。まったく自分が不甲斐ない。ちなみに、僕の机の上には何も無い。書類どころか、ペン立てひとつ、カレンダーひとつ、皆が机に敷いている緑色の布と分厚いクリアシートひとつ、無い。事務員さんに「間違っても花瓶に花一輪とか置かないでね、死んだと思われるから」とお願いしてある。それぐらい、ひと気がないデスクだ。だって普段から、ちょー片付けているからね。これは僕が仕事のどこに重きを置いているかに繋がる。僕は仕事の始めと終わりだけは、我ながら珍しく真面目に実務を行う。先ずは仕事のはじめ、新しい物件の依頼が来たら、資料にくまなく目を通し、不足資料や必要書類などの細々とした手配までを地味ぃーに行う。この地味な事務作業を行うことで、内容全体の入念な把握を兼ねる。このような雑務は事務員に依頼したら?と言われることもあるが、違う。仕事の始めと終わりは同じ者が立たないと、総じて芯がなくなる。その代り、打って変わって中間のことは、ド派手に人にお願いする。精巧なキャド図面、商談の駆け引きに使う重要な見積り、プレゼンシート、公共工事の膨大な書類など、他の者が「ここは重要、あえて自分で」という業務を、僕は何とかして人に依頼する流れにもって行く。あとはポイントごとにチェックするだけ。まったくアッパラパーなもんだ。そしてその物件が竣工したら、その膨大な書類やデータの整理と片付けを、着工時と同じように、我ながら珍しく真面目に行う。僕は多くの業務のなかで、この片付けに一番ウェイトを置き、一番時間をかける。片付けや整理整頓を軽視してはならない。捨てる資料と、残す資料を仕分けしながら、僕はその物件を総括をしている。評価点や問題点をピックアップしてメモをとり、残った資料は、ただそのまま保管するのではなく、必要に応じて資料を作り直し、重複する資料をひとつにまとめ、紙の枚数を極力減らし、その後、第三者が参考資料として活用できる精度に仕上げる。無論データ管理も同じく。片付けや整理整頓を事務員さんなど他人に任せる社員が多いが、僕は、片付けこそ、人任せに出来ない大切な業務だと思うのだ。正直、順調な物件などは、早く資料を取りまとめたく、片付けるのが待ち遠しかったりする。僕としては、終わった仕事の資料を、片付けながら総括し、更には次の仕事の試行錯誤を、すでに始めている感覚だ。仕事とは、片付けで終え、片付けから始まるのだ。あんだすたん?と、ここまで三回に渡り、俺様ドヤ的日記を長々と書いといて何ですが、一回目の記事を読んだ矢先の妻から、異議あり!なんつって、超ド級の猛抗議を受けた、このアタシ。なんかね、家では「メモをとる」も「時間を守る」も「片付ける」も、からっきし出来ていないらしいですのよ、このアタシ。嘘こけ。ポリポリ(←ポテトチップスを食べる音)ちゃんちゃらおかしいわ。ポリポリ(←尻をかく音)・・・だ、そうです。まあ、アレだ、何と申してよいのか分かりませんが、まあ、アレだ、つまりは、そういうことです。にほんブログ村↑ポチッと一枚!ポリポリな妻のルーム↓
2020.12.12
突然ですが、長女の画力がなかなかな件。さて、学歴は高卒、入社時は小汚い現場作業員、その後、ちょっとしたきっかけで監督となり、オフィスで大卒の社員に馬鹿にされコキ使われているうち、何故か気が付くと部長になっていたというこの僕が、部下に常々言っているコトは、笑っちゃうほどシンプルなこの三つ。① メモとれー。② 時間守れー。③ 片付けろー。というわけで、今日は前回からの続き。「時間を守る」について書きまする。僕ね、時間や期日には、かなりうるさいです。例えば、業者会議のトイレ休憩などで、約束の開始時間に平気で遅れてくる部下などを見ると、たとえ一分の遅刻でも、こいつはいったいどーいうつもりなんだろうと思うレベル。そんな社員には、けっこーキツく言います。なにしろ関係各所にダイレクトに分かりやすく御迷惑をかけてしまうし、出来るだけ本人にも、自分にも、会社にも、恥じをかかせたくはないからである。もちろん、僕は時間も期日も、ばりばり厳守っす。やっぱあれだね、会議や打ち合わせ・待ち合わせには、10分から15分前には必ず到着しておくのがいいよね。人が見ている時計にはズレがあるものだし、人それぞれの感覚的な時間の捉え方ってのもあって、5分前の到着を「遅い」と感ずる先方も結構いるので、そこらへんを配慮して、最低でも10分前には到着・着席するというのは、確かに理に適っていると思う。うちは毎週末に営業職と工事監督が集まって会議をするのだけれど、やっぱちょいちょい遅刻する社員はいる。いつも同じ顔ぶれだ。先の打ち合せが長引いた。現場でトラブルがあった。渋滞に巻き込まれた。理由はそんなとこ。僕は司会なので、時間になったら「さあ、みなさん、定刻となりやしたぁー」つって、さっさと会議を始めたいのだが、遅刻者から「すみません!あと五分で着きます!」的な連絡があれば、社長が「五分ぐらい待ってやらんか?」とか何とか言いやがるので、しぶしぶ待つ。んが、そんな社員が、連絡通り五分で着いたためしはなく、大抵はもう10分遅れて到着するといったぐあいだ。うちの会議は速やかに30分程度で済ませることを目標にしているので、僕はスタートが遅れた分を差し引いて、「さあ、みなさん、今日の会議は15分で終わります!」と宣言してから始めたりする。兎にも角にも一人の遅刻者の為に、会社全体の業務が遅れることは避けなければならない。時間や期日を守れない人に共通しているのは、こちらに対して形式的な謝罪はあるものの、なんつーか、堂々としているっつーか、開き直ってるっつーか、こちらの厳しい注意にも「悪気はなかった」「不測の事態だった」なんつってケロっとしているところだ。てゆーか、そもそも「悪気がない」なんて、当ったり前じゃーねーっすか?遅刻に限らず、入力ミス、計算ミス、誤送信、失言、あらゆる仕事の失敗に悪気がないのは、大・大前提だ。みーんな悪気なく失敗している。それでも指導・処分されている。遅刻だって同じ。「悪気はなかった」で済まされる話ではない。たった一分の遅刻だって、失敗は失敗。少なくとも僕にとっては、しばらく落ち込むほどの大失敗だ。時間や期日を守らないから不測の事態が発生する。その不測の事態に追われているうちに、また別の不測の事態が生まれている。その不測の事態に追われているうちに・・・これぞ不のスパイラル。だから時間にルーズな人は、自分の仕事量や業績に反比例して、いつも忙しく、いつも騒がしく、いつも気が休まらず、年がら年中疲れ切っている。だいたい、不測不測っつーけど、仕事をしている以上、不測の事態なんてつきものだ。あるていどの不測は加味してスケジュールを組むべき。なーにを毎度毎度翻弄されとんじゃい。いい加減、不測の事態が起きることぐらい予測して仕事をするべきだと思う。時間や期日を守る、愚直に守り続けるって、すんげー頭使うのよ。「時間を守る」という単純な行動は、自分を成長させてくれる様々なきっかけに発展してゆくからね。例えば、遠方での打ち合わせの後、会社の会議に遅れずに戻るつもりなら、事前に打ち合わせが長引かぬよう、話をまとめる力がいる。たとえ途中でも、当たり障りなく中断を申し出る話術がいる。その後、この中断した内容をどうしていくかの応用力がいる。期日内に見積や図面を提出するのが困難なほど多忙な時は、他の誰かに依頼をしてでも間に合わせなければならない。その為には、その体制・人材をあらかじめ作っておかねばならない。その為には、普段から風通しの良い人間関係を構築しておかねばならない。絶対遅らせることの出来ない工期がタイトな現場があれば、今日はどこまで工事を進めるべきか、という計画が必要だ。となれば、午前中にはどこまで進めておくべきか、という計画が必要だ。となれば10時にはどこまで、9時にはどこまで、今から30分後にはどこまで。そして、計画より実施が遅れれば、工事の速やかな立て直しが急務だ。そんな調子で、時間さえ愚直に守り続けて仕事をしていれば、いつのまにやらびっくりするぐらい、自分ってなあ成長しているものだ。僕が一介の現場作業員から監督になった時、オフィス内で高卒は僕だけだった(今も)。僕はチビで、きゃしゃで、体力もなかった。人前で上手に話せなかった。てか、敬語を知らなかった。電卓を叩いても、間違いだらけだった。パソコンなんて、まともに使えなかった。ネクタイすら、まともに締められなかった。そんなだからか、当時の事務員さんが、僕にだけ明らかに欠けた湯呑でお茶を出し続けた。まったく、まわりとの能力の格差というものを、嫌というほど思い知らされる毎日であったが、たったひとつ、まわりと僕に平等に与えられているものがあった。それが、時間だ。神様は、僕たちに、時間だけは平等にあたえて下さった。時間の与えられ方においては、学歴も、体力も、見た目も、関係ない。時間はいつだって、フェアだった。だから僕は、この大切な時間を正しく使うということに、執拗にこだわった。社会人としての最低限のルールなどと言われながら、実のところ、ほとんどの社会人がまるで出来ていない、時間を守る。このことに、僕は今も、異常にこだわっている。気が付いたら、部長になっていた。仕事なんてなあ、やたら難しく考えず、時間さえ守っていればいい。これでいーのだ。だから、僕にはビジネス書なんていらない。にほんブログ村↑ポチッと一枚!買ってくれた人がいたらしい。ものすんげー嬉しそうだった妻のルーム↓
2020.12.11
僕は、会社では「業務部長」という役職に就いている。うちは小さな会社なので、部署は「営業部」と「業務部」しかない。したがって「営業部長」が管理する営業に係る仕事以外は、必然的に全て僕が管理することになっている。工事監督、職人、事務員などは、役職上全て僕の直属の部下にあたる。んでもって、立場上、年齢男女問わず、僕は部下たちに「指導」なるものをせねばならぬわけであるが、普段から僕は部下に対して、声を荒げて怒鳴ったり、ネチネチと粘着チックな指導をしたりはしない。我を見失うほど感情的になったり、だらだら無駄に時間を割いたりするほど、正直言って他人に興味を持てないのだ。僕が、彼彼女らに一貫して言うことは、たった三つのこと。笑っちゃうほどシンプルな三つのことである。それは、① メモとれー。② 時間守れー。③ 片付けろー。ははは。その時々で言い回しは変われども、基本的にこの三つのこと以外は言っていない。何故なら部下のミスをよくよく検証すると、ごく単純に、この三つのうちのどれかが、訂正になされていないのが原因だからだ。はっきり言って「ばりばり仕事の出来る人」になりたいのであれば、メモをとり、時間を守り、身のまわりを綺麗に整理整頓し続けていればよいのだ。どんな仕事も根本は同じ。単純な仕組みだ。僕はそう断言できる。そして、んーなアホな、んーなもん初歩だぞ、と思われるほどシンプルなこの三つのコトガラを、何故かみんな愚直に続けられない。ちょいちょいサボる。出来ない人があまりにも多い。というわけで、今回はその三つのうちの、「メモをとる」について、僕の見解を書いてみたいと思いまする。以前、うちに入社したばかりの若手社員を、一般のお客様宅の調査に同行させた時、打ち合わせの内容を事細かにメモをとる僕の横で、その若手社員は、お客様の目を真っすぐに見ながら、ただフムフムとお話しにうなずくばかり。ぼ、僕は、びっくりらこいてしまった。打合せの後「あのさ、君は何でメモをとらないの?」と問うと、「僕、記憶力いいんで。あれぐらいの情報、頭に入ります。」とのこと。ぼ、僕は、愕然としてしまった。あのね、職場は記憶力を競うところじゃないよね。仮に君の記憶力が、神がかり的によくても、僕はそれに対して君に微塵の評価もしないよ。例えば君の家に二社の水道業者が調査に来たとして、一方は懸命にメモをとり、もう一方は「僕、記憶力ちょーいいんで」なんつってる。どっちが安心? どっちが誠意ある? どっちの業者に依頼したい?君の記憶力なんてのは、せいぜいプライベートのトランプゲームで披露してくれればいいから、仕事中は、どーかこのとーり、メモをとってちょーだい。君がどうしても職場でその自慢の記憶力とやらを発揮したいのであれば、百歩譲って上司や取引先やお客様の前では、せめてメモをとるフリだけでもしてちょーだい。ね、先ずはそこから始めよう。まあ、その後はぺーぺーなりに、ちゃんとメモをとるようになったが・・・。彼に限らず、僕はいつも、出会うビジネスパートナーがメモをとらない人だと、凄くあせる。こわっ、と思ってしまう。とても不安になる。我々建設業界では、両手がフリーになるような、胸ポケットに入るサイズのメモ帳を持つ人が多いが、僕はかなり大きめのスケジュール帳を愛用している。胸ポケサイズじゃあ、とてもじゃないけど書ききれないからだ。大きめの月割り予定表欄に、その日の予定・業務・発注材料・注意事項・恐妻の指令にいたるまで、ありとあらゆる要件を事細かにメモしていく。要件の済んだ事項は、そのつど赤ペンで横線二つで消し込む。その日の要件が全て消し込まれたら、完全に終了した証として、その日付のメモ全体を大きなバツ印で潰す。例えば月曜日に書いた要件が週末になっても済んでいなければ、とても焦る。早くバツ印で潰したくなるので、優先的に要件を済ませにかかるのだ。また、白紙のフリーメモ欄には、現場での調査事項や打ち合わせ事項を記入したり、先方やお客様との打ち合わせの際に、施工説明や今の自分のロジックを図にして説明するのに使用する。その際、僕は黒・赤・青・緑・ピンクのペンを必要に応じて使い分けて記入する。だから僕はどこへ行くにも、大きなメモ帳と大きな筆箱をワンセットで持って移動している。このように入念にメモをとっていると、おのずと自分で書いたメモを軸として、まるでメモに自分が突き動かされるように仕事をするようになる。最近は、現場調査や打ち合わせの時も、スマホのカメラや、ボイスレコーダーで記録が簡単にとれるが、僕としては、それと並行して、あえて手でメモを書くことを部下にすすめている。手で書くことによって、その情報に対して明らかに脳が動き出す実感があるからだ。また、メモをとるからには、その情報の要点を掻い摘んで、瞬時に簡潔な言葉に置き換える作業が必要なので、情報の本質を速やかに掴む訓練にもなる。ちなみに、僕は仕事の資料を読みつつ、同時に片手でメモをとり、その資料をもとに作成するレジメなどの構成を、その場でさっさと考え始めたりしている。人の記憶ほど、あてにならないものはない。今日あった出来事など、明日憶えているはずがない。それを大前提に仕事をしない人を、僕は信用できない。そういう人は、いつも不毛な言った言わないの論争ばかりしている。メモをとる。記録に残す。仕事の、基本の「き」だ。今自分がどんな情報を得たのか、書くことで瞬時にアウトプットしてみる。業務の、いろはの「い」だ。人の記憶ほど、あてにならないものはないが、メモをとる。これだけは、常に記憶の片隅に置いて仕事をしたいものだよ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!仕事ん時の僕は、けっこー認めている妻のルーム↓
2020.12.09
なんかあれだね。歳を取ると、だんだん物忘れが激しくなっちゃって、嫌になっちゃうよう。てかさ、お恥ずかしながら、僕の物忘れは、ちょいと風変りでやんして。過去の出来事に限らず、それがついさっきの出来事であっても、すっぽーーんと豪快に記憶が飛んじゃうことがよくあるっす。これぞ、文字通り、間抜け。間が抜けてるのよアナタ。財布がない!昼飯に近くの「すき家」で一人、牛丼並み盛り味噌汁お新香セットをかっ込み、ふぃーー、喰った喰った、やっぱサラリーマンの昼飯はすき家だっちゅーの。とかなんとか言いながら、伝票を持ってレジへ行き、支払う寸前で気が付いた。財布がないってばああ!あ、先に結論から申しますと、今日の話はね、僕が財布を盗まれた話ではなくて、テメエがさっきまで、会社で財布に入った雑多な名刺を整理していて、それをド忘れして、会社に財布をすっかり置き忘れたまま、すき家で牛丼を食べちゃった残念な男の話です。あれれ!? ポケットにない! テーブルにない! 車にも落ちてない!そりゃねーつーの。 会社に置きっぱなしだからね。すみません。大変美味しくいただいておいて恐縮ですが、お金がありません。店員さんに、今すぐ誰かにお金を届けてもらうので、ここで待たせて下さいと、事情を説明する。とりあえず会社へ電話する。電話口には、僕が密かに「ミスター人間」と呼んでいる部下が出た。ゴメン、○○君、僕、財布失くしちゃったみたいでさ。・・・それはそれは、急ぎ警察へ行って下さい。それが、動けないんだよ。すき家で牛丼食べちゃった。・・・無銭飲食ですか。・・・地に堕ちましたね。ははは、でさ、悪いんだけど、お金持って来てくんないかな? 後で必ず返すから。・・・ただ今、取り込んでます。ちょうどカップラーメンにお湯を入れたところです。の、伸びちゃうよね~。麺が伸びたら一大事だもんね~、たはは。・・・少々お待ちください。廻りの社員に聞いてみます。おーい、部長がすき家で無銭飲食して、財布を盗んだとか盗まれたとかで、大変らしい。誰か助けに行けるひと~~。・・・丸聞こえだなあ、もう。その後、一人の社員が助けに来てくれることになったものの、なかなか到着しないので、店員さん、だんだん怪訝な顔つき。レジの前で、金ないくせに喰うだけ喰って、つまようじシーシーしている僕、すんげー睨まれちゃって。入口の防犯メジャーで、僕の伸長を目測しているとしか思えない雰囲気。カウンター越しに見えないように、防犯ボール握りしめてる気配。こういう場合は、期待通り逃げた方がいいんじゃないのか? と血迷い始めた矢先に、助け船到着。たしゅかったあああ。会社に帰ると、机の上に、これ見よがしに財布がありました。みんな、僕の机の前を何度も行き来していたようなのだが、口を揃えて、風景と化してた!風景と化してて気が付かなかった!と言った。僕もちゃっかりみんなに同調して、だよね、風景と化しちゃって化しちゃって、いや~気をつけようねみんな、あは、あはは。つったら、例のミスター人間が、金輪際、我々を巻き込むのはやめて下さい。今日のカップラーメン、若干伸びてましたけど。だってさ、とっほほほおお。どれだけ世界の食文化が進化を遂げても、相変わらずカップラーメンがお湯を注いでから三分待たなければならないのは、僕のような人間の屑がいるからだろう。・・・ああ、何が何だか。 なお、この日記は前日の日記をリサイクルしています。ブログもリサイクルの時代! 地球にやさしいエコブログ!にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.05
なんかあれだね。歳を取ると、だんだん物忘れが激しくなっちゃって、嫌になっちゃうよう。てかさ、お恥ずかしながら、僕の物忘れは、ちょいと風変りでやんして。過去の出来事に限らず、それがついさっきの出来事であっても、すっぽーーんと豪快に記憶が飛んじゃうことがよくあるっす。これぞ、文字通り、間抜け。間が抜けてるのよアナタ。スマホがない!早朝、いつものように一番乗りで出勤して、PCを立ち上げ~の、昨日やりかけの書類に手をかけ~の。ふと、スマホの充電メモリが少ないのに気が付き~の。デスクの後ろの、僕が荷物を置いている棚のコンセントでスマホを充電した。そう、充電した。ことを忘れた。あ、先に結論から申しますと、今日の話はね、僕がスマホをなくした話ではなくて、テメエが充電したことをド忘れして、スマホがないない騒ぐ、残念な男の話です。スマホがないってばああ!僕、朝っぱらから顔面蒼白、ひとりぽっちで大騒ぎさ。あれれ!? ポケットにない! 机にない! 車にも落ちてない!そりゃねーつーの。後ろで充電してっからね。とりあえず会社の固定電話から、自分のスマホへ電話してみる。んが、不幸にも、前日の会議前にマナーモード(僕は会議中はバイブも切る)にしたままだったらしい。うんともすんとも、ブィーンとも鳴りゃしねえ。そうか! 家に忘れたんだ! 自宅に電話してみる。ガッデム! 妻も子供も出やしねー。その時、部下が一人出勤してきたので、「いや~参った、自宅にスマホ忘れたみたいだから、取りに帰るわ。朝礼遅れるかも、よろしく」と伝えて、充電中のスマホを置き去りに、大急ぎで自宅へ戻る。自宅へ戻ると、妻が開口一番。会社から電話あったよ! マジあんた事故で死んだかと思った!死んでねーよ! スマホがねーんだよ! てか、電話出ろよ!死んだかと思った!死んでねーよ!死んだかと思った!電話出ろよ!死んだかと!生きる!不毛なラリーを数分繰り返し、その後、妻、子供、総動員で家中を捜索。・・・見つからねえんだなこれが。だって、会社で絶賛充電中だからね。はっ! そういえば弁当袋の中に入れたかも! そんな気がしてきた! きっとそうだ!今度は、自宅の固定電話から会社へ電話。電話口には、僕が密かに「ミスター人間」と呼んでいる部下が出た。ゴメン、○○君、僕のデスクの後ろの棚にある弁当袋の中に、僕のスマホがないか確認してくんないかな。了解しました、探します。 では一度電話を切り、携帯にかけ直します。ごめんねえ。その携帯電話を探しているんだよ。その場で、僕の弁当袋の中を確認してもらう。・・・スマホ的なものは確認できません。あるわけないよね、君のすぐ近くでナウオン充電中なんだから。その後会社に戻ると「部長の馬鹿がスマホ紛失した」ってんで、みんなが、わちゃわちゃオフィスを捜索してくれていた。社長までしゃしゃり出てきて、ったく、たぁーけが! 朝起きてからの自分の行動をよく思い返してみよ! ったく、どたぁーけが!なんつって、こんこんと説教されちゃって。僕は、社長に言われたとおり、落ち着いて、朝起きてからの自分の行動を思い返してみた。気が散らぬよう、集中して一点を見つめ、自分の記憶を辿った。集中して、じーーっと一点を見つめ・・・じーーっと、視線の先の探していた自分のスマホを見つめ・・・・・・あ。・・・充電完了してました。社員のみんなも、あの馬鹿が落としそうな場所、馬鹿が失くしそうな場所という観点で探してくれていたようで、まさか、当ったり前の場所で当ったり前に充電してるとは思わなかったらしく、口を揃えて、風景と化してた!風景と化してて気が付かなかった!と言った。僕もちゃっかりみんなに同調して、だよね、風景と化しちゃって化しちゃって、いや~気をつけようねみんな、あは、あはは。つったら、例のミスター人間が、もう、あなたは何もおっしゃらないで下さい、社内に暴動が起きます。だってさ、とっほほほおお。世界中の人が信じ合い助け合っても、いつまでも紛争がなくならないのは、僕のような人間の屑がいるからだろう。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.04
僕たち夫婦は、お互いの前でオナラをしません。これは、出会った頃からの、暗黙の約束です。平気でぶーぶーしてそうな二人ですが、意外や意外、しないんです。妻は、相変わらず頻繁にトイレの鍵をかけ忘れ、大のようすを年がら年中、夫に目撃されるような人なので、しようが、されようが、実際どっちでもいいみたいですが、僕が、嫌なんです。僕、そーいうの、とても神経質になります。思い返してみると、僕の両親はろくでもない男女でしたが、夫婦間でも、子供の前でも、オナラはしなかった。それが、大きく影響しているのかもしれない。うちの姉妹は、きゃっきゃ言ってぷーぷーオナラをする。「こらこら、女の子が、はしたないことしない!」と、僕はいつも口酸っぱくたしなめる。次女は相変わらずだが、最近は、小四になるお姉ちゃんのほうは、おもむろに立ち上がったかと思うと、部屋の扉から廊下にお尻だけ出して、なぜか僕の顔をガン見しながら屁をこくまでには成長した。うーん、彼女なりの精一杯のエチケットだと思うのだが、自分の顔をじっと見られながら屁をこかれるのは、やはり気分の良いものではない。なにとぞ勘弁してほしい。妻のオナラを聞いたのは、この長い夫婦生活で、一度だけである。次女を産んだ直後。夫婦でバカ話をしていた途中、大爆笑した拍子に、どっかーん。・・・え? 今の何? ビックバン? 今、世界がはじまっちゃったの?妻のやつ、産後で気が緩んだり、あっちゃこっちゃ緩んでいたのであろう。かわいそうに。僕は、鳴りやまぬ耳鳴りにクラクラしながら、かろうじて聞かなかったことにした。長く一緒にいる者同士だからこそ、最低限の礼儀はあって然るべき。普段ブログでは、うんこ・しっこなど、汚いことを書き散らしている僕ですが、家族だからっつって「何でもあり」が、すごく嫌なんです。僕、そーいうの、とても神経質になります。僕、ちょーめんどくさいヤツなんです。昔、母が駅の掃除のおばちゃんの仕事をしていた時。仕事から帰ると、なんだか母がナーバスになっているので、どうした?と声を掛けたら、こんなことを言った。男便所を掃除する時「清掃中・お待ち下さい」の看板を立てているにも関わらず、中年サラリーマンたちは、平気で入ってくる。私が小便器を掃除している横で、そこに私が存在しないかのように、ためらうことなく性器を取り出し小便をする。その挙句、用を足しながら、私の横で平気でオナラをする。仕事だからしょうがない。でも、私だって女だ。あの人たちは、私のことを何だと思っているのだろう。私が見えていないのだろうか。時々むなしくなる。悲しくなる。ったく、掃除のおばちゃんとはいえ、女性の前だぞ・・・。スーツで、ネクタイで、言葉使いで、理論武装で、どれだけ外ずらを取り繕っていても、人の性根は、所詮はこういう時に現れます。お母さん、そういう人は、きっと普段から、自分もそういう扱いを受けている、かわいそうな人なんだよ。会社では、上司や部下に、まるで存在しないかのように平気で屁をこかれ、家では、女房が平気で屁をこき、夫婦で、平気で屁をこく子供を育て、祭りの夜に屁で火を焚き、屁の歌を詠み、屁の神のご加護を祈願するんだ。とりあえず、そう言って母を慰めてはみたけれど。このコロナ禍に、芸能人が、不倫で、多目的トイレで、自粛で。おめでたいこった。僕は仕事柄、これまで多目的トイレを何十室も造ってきたけど。あれ、一室造るの、すんげー大変なの。ものすんげー金掛かるの。緊急ボタンの位置・高さ。人工肛門の方のオストメイト配慮器具の配置。車椅子の可動スペースの検討。可動手すりの下地の強度。外国人向けのメッセージの配置。などなど、とんでもねー詳細な打ち合わせを入念に重ねて造んのね。便所が、便所として存在するのが、当たり前だと思ったら大間違いだよ。制作・維持管理に関わってる人が沢山いるんだよ。ったく、がっかりするよ。まともに使ってくれっつんだよ。掃除のおばちゃんだってさ、男女が行為をするために、毎日がんばって掃除しているわけじゃねーからね。冗談じゃねーっつーんだよ。トホホだよ。まあ、どれだけ外ずらを取り繕っていても、遊びとはいえ一度は体を通じた女に、心ない仕打ちを平気でするような男には、似たような、心ない女たちが大勢集い、似たような、心ない仕打ちで、精一杯答えてくれる訳である。仏教ではこれを、因果応報という。人の一生とは、よく出来たもんで・・・。昔から、トイレを見れば、その会社や家庭の本質が見抜けると言います。人は、隠れた排泄行為の場では、性根を露わにするものです。いろ~んな意味で、人の性根は、トイレに現れる。と、いうわけで、みなさん、トイレは正しく、きれいに使いましょう。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.06.15
緊急事態宣言が5月31日まで延期されましたね。5月6日の期限に、解除出来なかった。解除出来なかった原因は何だ? いったい誰の責任だ?ちゅうお話に、当然なる訳っすけど・・・。政治家のせいだ!官僚のせいだ!いいや、本当は誰も悪くない、悪いのはコロナだああ!ちゅう理論展開に、安易になりがちっすけど・・・。何を言わんや、ごまかしてはいけない。自粛生活の実行者は、どー考えても僕たちです。期限通りに解除出来なかった原因は、どー考えても僕たちにあります。僕たちの一か月に及ぶ自粛の成果が、これです。正直、国に対して、浴びせたい罵詈雑言は山ほどありますが、県や市に対して、ハラワタがボコボコ煮えくり返る思いではありますが、成績のかんばしくなかったチームの選手たちが、その責任の全てを監督のせいにするのは見苦しくないっすか?実際にプレイしたのは、選手ひとりひとりなわけですし。実行者である僕たちの力不足だったことは、否めない。でさ。そうなってくると、そんじゃあさあ、チームメイトのうちの誰の責任?ピッチャーが悪かった? 四番が打たなかった? ショートがエラーした? あいつか? そいつか? いったい誰がチームの足を引っ張った?なんつって、仲間内で、行き場のない怒りに駆られたりするわけです。はて。さて。では。今回の緊急事態宣言を延期させた、真犯人は誰でしょう?僕は今から十数年前、今の会社の一介の現場作業員を経て、業務管理の部署へ配属されました。管理の右も左も分らん若僧が、その時社長から直々に命令された激務のひとつに、会社の「資材倉庫の管理」があった。当時、うちの会社は、管材や衛生器具を大量に自社倉庫に保有していて、その管理体制が雑の極みで、過剰在庫、不要在庫、壊れた電動工具、ゴミ、ホコリ、危険物の山だった。何しろ「資材倉庫は職人たちの砦だ!営業や管理がガタガタぬかすな!」という、旧式の考えがまだ色濃い時代だったので、社長も手を焼いていたのであろう。その業務改善の捨て駒として、激務に消耗していつ辞めてもらってもOKな僕が選ばれたわけである。とほほ。先ず、過剰在庫を減らすために、僕が打ち出したのは、「職人は各自、その日必要な材料を、その日必要な分だけ、毎朝、材料問屋に取りに行く」という案である。これには、職人たちが猛反発した。「朝の忙しい時に、そんな時間はない!」「材料問屋に取りに行く経費を考えろ!そんなことしたら会社が潰れるぞ!」というのが、職人たちの言い分だった。時間がない筈はない。当時職人たちは朝礼が終わり、現場へ向かう準備を会終えた後、喫茶店でコーヒーを飲んだり、コンビニに寄ってジュースを飲んだりする不明な時間があった。職人たち曰く「情報交換、ミーティング、コミュニケーションの大切な時間」とのこと。僕はその時間を問答無用で廃止してしまった。そんなことは、朝礼を終えたのち、速やかに会議室ですればよい。「コーヒーぐらい飲ませろ、鬼!」と罵られたので、お言葉通り会議室に自販機を備えた。こうして喫茶店やコンビニでくっちゃべる無駄な時間を廃し、浮いた時間で毎朝問屋に材料を取りに行ってもらうことになった。それでも数年、職人たちからの猛反発は続いた。「俺たちはべつに、毎朝問屋へ行くのが面倒臭いから言ってんじゃねーんだ!会社の為を思って言ってんだ!」とのことだった。正直何言ってるかよく分んなかった。短気で血気な職人たちである、あからさまに意地の悪い態度をとったり、なかには暴力をふるったりする者もいたが、それでも僕は譲らなかった。その結果、それまで棚卸の集計時400万ほどあった倉庫の在庫を前期集計では、150万弱に抑えるに至っている。無論会社は潰れていない。むしろ売り上げは上り調子だ。倉庫の掃除や整理整頓などの環境美化については、「自分のゴミは自分で片付ける。他人のゴミも自分で片付ける」という基本方針を打ち出した。社員全員が、他人の出したゴミを当たり前のように黙って片付ける社風があれば、瞬く間に環境美化は完了する。以上。というのが僕の考えだ。これについては、職人のみならず、一部の管理者からも反発が出た。「根本的改善にならない。散らかした本人に片付けさせないと、本人のためにならない」とのこと。彼らはその為に、他人のゴミはあえてスルーするのだと言う。情けない。僕の根本的改善とは、倉庫が物理的にキレイになることだ。ゴミが物理的に無くなることだ。ところが、彼らの根本的改善とは、犯人を見つけ出し、改心させることらしい。まったく、タバコのポイ捨てを発見したら、その銘柄から犯人をあぶり出すような、程度の低い管理を続けているから、いつまでたってもポイ捨てが根絶しないのだ。社員がタバコなんぞ吸おう・捨てようという心理に微塵もならないキレイな環境を早急に作り、維持する。そのためには、他人の出したゴミを放置するのは損だ、さっさと片付けるに限る、のだか・・・。あまりに皆が「本人のため」とか何とか、ねじれた精神論で反撃してくるので、んじゃあ分かりました、と、しばらくの間、毎朝礼時に社員持ち回りで、「職場の環境美化」についての自分の考えを、堂々と述べてもらうことにした。いや~、素晴らしい発言ばかりだった。みんな真剣に職場の環境美化について考えていた。誰も彼も、決してその場をしのぐ為の嘘をついているようには見えなかった。みんな心から会社のことを考えていた。・・・では、いったい誰が、あんなに倉庫をぐちゃぐちゃに散らかしているのだろう?・・・真犯人は誰だ?僕は、この時、やっと気が付いた。犯人は、いない。同時に、犯人は社員全員なのだと。そう、犯人は「集団」という巨大な生き物なのだ。管理者として、改善するべきは、個人ではない。個人が集まって、ひと固まりになった「集団」だ。例え、各個人が善良だとしても、その善良な個人が集まって「集団」となった時に、必ずしも、その「集団」が善良であるとは限らないのである。人は集団になった時、各個人個人の意思とは全く別の意思を持つモンスターになる。結局のところ、自分だけ、自分なりに、完璧に環境美化に貢献しているつもりの社員たちが、集団というモンスターと化し、無自覚にせっせと職場環境を汚していたのである。その後僕は、環境美化については、集団という生き物と共存する対策に切り替えた。方法は簡単で、①毎週月曜日の朝礼までに、僕が倉庫の汚れの目立つ場所の写真を撮り、A3用紙に印刷して黒板に貼りだす。②週ごとに社員が持ち回りでリーダーとなり、リーダーの呼びかけのもと、原則社員みんなで写真の場所を清掃する。③週末までに実施し、リーダーは完了全景写真を撮影し、僕のPCに送る。④完了写真を黒板に貼りだし、朝礼時に着前写真と並べて、社長と社員みんなで成果を確認し合う。あえて朝礼という公の場の、個人が集団という生き物と化す時間に、環境美化の成果を共有するのである。キレイになった良い成果だけを、ひたすらひたすら共有し続けるのである。集団という生き物の頭を、みんなで撫で撫でして、褒めてやるかのように。今じゃ、うちの倉庫は、同業他社に自慢したいぐらいピッカピカっすわ。さて、長々と横道に逸れた話を、元に戻します。緊急事態宣言を延期させた、真犯人は誰でしょう?ちゅう話でしたね。僕は、犯人は「集団と化した日本国民という生き物」だと思います。国民一人一人に焦点を絞れば、みんな真面目に精一杯やっているんです。国民一人一人の声を聴けば、みんなこの国の為に頑張っているんです。自分なりに、自分だけは、自分の解釈で、自分の出来る限りのことを、やっている。つもり。この新型コロナウイルス禍において、連日メディアで叫んでいる有識者やタレント、SNSで自分を発信する意識の高い国民などいわゆるノイジーマイノリティと言われる人達は、文字通りほんのほんのほんの少数派で、国民の生き物としての生態は、サイレントマジョリティー「物言わぬ多数派」が体を成している。では、政府や官僚や有識者、少数の力ある者たちが、その物言わぬ多数派を、自分たちの都合よく操っているかというと、実際のところ、それは真逆で、この国の未来に大打撃を与え、この国の未来のカギを握り、この国の未来の舵を取るのは、いつも物言わぬ多数派の、声なき声であり、行動なき行動であり、意思なき意思なのである。マスクを爆買いするため、朝から行列を成すおばさん。要請は命令じゃないでしょ?と、歓楽街で飲み歩く若者。レシャー気分で、スーパーへ買い物にくる家族連れ。きっと人が少ないだろうと、無名の観光地に密集するドライバー。長い連休のたった一日ぐらいと、バーベキューを大勢で楽しむ親戚一同。などなど。そういった「物言わぬ多数派」の無自覚な行動が、常に新しい制度や対策を必要とさせ、この国の政治や経済を左右させ、指先で簡単に、この国の未来を突き動かしてきたのである。恐るべきは、物言わぬ多数派。集団と化した日本国民というモンスターである。では、これから僕たちに何が求められるかというと。これからは「自分なりの自粛」というレベルから。「日本国民としての自粛」というレベルへと、意識を高める必要があるのかなと。少なくとも、これまでの僕に足らなかったところは、そこだったかなと。そもそも日本人は、集団意識に長け、集団行動を得意とする民族なので、国民という巨大な生き物の、何十億分の一の分子として、自分がいかに行動すべきか?という想像力は、潜在的に溢れるほど持ち合わせている筈ではないのかなあ。いやはや、今月末が楽しみだねえ。まあ、この先、自粛要請では何ともならない最悪の事態となり、僕たち国民が国に対して、まるで個人の自由ばかりを重んずる国民性の諸外国のように、私たち個人主義の徒は、集団となると自分でも何をしでかすか分からない!私たちのような自由な国民を、どうか野放しにしないでくれ! だからロックダウンしろ! 要請から強制にしろ! 法で縛れ!守れぬ者は罰しろ! 警棒で殴れ! 火炎放射器で追い回わせ!そしてどうか、補償だけはしてくれ!と、心から国にお願いする時がくるのかもしれない。・・・まあ、それならそれで、しゃーねー。・・・いささか、悔しいけれど、しゃーねー。きっと、その時、その瞬間こそ、「日本人の精神」が滅ぶ時。日本国民という巨大な生き物が、どうと倒れて滅ぶ時なのだ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.05.05
次女が公園で摘んできたタンポポです。家で焼酎をがぶがぶ飲みながら、この貧乏臭くささに、癒されまくっています。たはは。さて。僕が、心密かに「ミスター人間」と呼んでいる人がいます。うちの会社の、僕より五歳年上の、僕の直属の部下です。安田大サーカスのクロちゃんじゃないけど、まるで人間の煩悩をぎゅーーっと固めたような人物です。見た目は、小柄で中年太りのバーコードはげ、ヘレンケラーもびっくり、チビ・デブ・ハゲの三重苦。メタポの日本人男性をギャグ漫画っぽく描くと、高い確率で彼の肖像写真になります。口癖は、あ~あ、宝くじ当たんないかな~。です。おお、ミスター人間。以前、僕が部長に昇格した時、い~なあああ。い~なあああ。自分だけズルいなあああ。と、少年のように瞳をウルウルさせながら、腹の底から嘔吐するように羨ましがるので、僕は困ってしまいました。かと思えば、Q輔さんが勝手に昇格しただけであって、僕にとってQ輔さんはQ輔さんです。僕はこれからもあなたのことを「Q輔さん」と呼びます。「部長」とは呼びません、悪しからず。と、さっぱり訳の分からないことを半ギレで申してきて、それをたまたま横で聞いていた社長に、こっぴどく叱られていました。おお、ミスター人間。去年の夏のこと。せっかく若い新人を彼の下に配属したのに、じめじめと陰湿な指導ばかりするものだから、新人がやりっ放しの仕事を大量に残したまま、逃げるように退職してしまった。そのフォローに不眠不休で追われる羽目になった彼は、オフィスの窓から見えるゴロゴロと唸る夕立に向かってこう言いました。あいつに、カミナリ落ちろおおお!おお、ミスター人間。彼が担当する水道本管工事の大失敗で、町中にサビ水が大量に広がってしまい。彼が、苦情の電話をかけてきた住民の家へ謝罪と説明に行った際、その住民に説明する彼のもとに、ご近所さんが次から次へ各家の玄関から湧いて出てきて、「うちもサビ水出ます!」「こっちも出ます!」「うちも!」「うちも!」「どうしてくれるんだ!」と、あっという間に地域住民に取り囲まれ、恐怖に慄く彼が、慌てて僕に電話してきた時のひと言。助けてください! ゾンビの群れに襲われています!おお、ミスター人間。そんな彼が昨日、珍しく自分から有給休暇を取りたいと申し出てきました。喜ばしいことです。彼が休日にどこで何をしていようが、僕の知ったこっちゃないのですが、こんなご時世ですので、ひと言だけ「不要不急の外出は自粛してね」と伝えました。すると彼、僕の顔をきっと睨み、あのねえ!僕の人生、ずっとコロナ自粛みたいなもんですから!・・・謎の怒りを買ったみたい。わーお、ミスター人間。「じゃあ、明日は家で何するの?」と僕が訊くと、無になります。だって。ぶおおおお、よー分らんけど、ミスター人間。本日、彼は有給休暇を活用して、存分に「無」を堪能していることだろう。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.04.11
この妖艶な虹は、スノーピークの小型ストーブの炎。我が家のサンルームもいよいよ冬支度でーす。野田琺瑯のドリップケトル。このシンプルが、いかすぜベイビー。植樹してから四年、一度も紅葉してくれなかったもみじが、何を思ったか今年気まぐれに色づいたっす。秋の終わりに遅ればせながら、小さい秋、見つけたっす。さて。会社に残ることになりました。独立起業の夢は捨てました。サラリーマン生活20年、一遍の悔い無し。残りの人生は思いっきり自分の為に働いてみたい。妻と二人で街の小さな水道屋さんを開店して。若き日の自分のように、もう一度目ん玉ひん剥いて働きまくって。組織の中では得られ難い「やったらやっただけ」の成果と報酬を手にし。つったって歳も歳だから、破格の急成長をする知恵や体力や時間は無いけど。まあ、それはそれ。出来る限りベストを尽くし。ささやかながら、老後まで夫婦で仲睦まじく働ければよい。と、思ったんだけどなぁ・・・。ったく、世間がよお、許してくんねーんだよ、ったくよお。どうやら僕は、そういう星の下に生まれてこなかったみたいっす。いや~、夢破れたとはいえ、この数か月本当に楽しかったな。自分という人間に、全く別の人生が垣間見えたような気がして、いや~、儚くとも、幸せな妄想だった。まったく、泣けてくる!でさ。明日からは、経営者の卵として正式に社長に弟子入りして、長い年月をかけて社長から直々に経営を学ぶことになりそう。一介の中間管理職人からその先へ、部下たちに背中を押され、社長に引きずり上げられ、いずれは20人~30人の社員や、その後ろにいる家族の心配をする立場になりそう。まじ、逃げ出したい。よ、よ~し、こういう時は、先ず肩の力を抜いて、ははは、と笑ってみるか。ははは。・・・うーん、だめだこりゃ。まあよ。これが天命であるならば、受け止めねばなるまいよ。バカボンのパパならきっと陽気にこう言うぜ。これでいーのだ!つってね。うむ、これでいーのだ。これでいーのだ。これでいーのだ。これでいーのだ。・・・・・・・だな。これからも、僕は僕らしく。これからも、シンプルなライフだな。簡素に。単純にね。シンプルに生きようじゃないか。がんばれ、自分。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2019.12.15
ここんとこ仕事でゴタついている事柄。それに対する今現在の自分の気持ち。今後の記録として、この日記に残しておく。先月のあたま、僕は社長に会社を退職したいと伝えた。今の会社に不満はない。今の会社には感謝しかない。退職の理由は、一・二年程前から構想があった独立起業をするためである。サラリーマン生活20年、一遍の悔い無し。十分やり切ったと思う。僕は今、45歳。人生の折り返し地点のところ。僕等の世代は、きっと65歳定年って訳にもいかぬだろう。おそらく70歳まで働かねばならぬ。70歳までの残りの25年は、企業の為でなく、自分の為に働いてみたい。これからの時代、年を取ってからも自分が自分らしく働ける環境は、やはり自分でつくっていくべきかなと。勿論、業種は水道設備業。無論、この歳から肉体労働中心の職方がしたい訳ではない。はなっからビジネスをするつもり。不思議なもので、社長に申し出る時、何の気負いも緊張も感じられなかった。自分の人生において、行うべき時期に行うべき行動をとっている、ごく自然な感じ。起業については、必ず成功するという自信しかない。だって、僕には才能があるからね。え? どんな才能かって?ふ、ふ、ふ、僕にはね、「アホみたいに努力する」という才能があるのだよ。その日、社長は即OKをくれた。よくぞ言った! それでこそお前だ! 応援する!そんな反応だった。ある日の恐妻飯。「ミルフィーユ鍋」というらしい。んが、その三日後。僕が早朝7時から、会社で一人さっさと仕事を始めていると、同じく早朝6時から社長室でさっさと仕事を始めている社長に呼ばれた。あれから冷静になって、あれこれ試算してみたが、どう考えてもお前がいなくなると、この会社自体が立ち行かなくなる。なんとか会社に残って欲しい。ありゃりゃ? せめて会社に籍だけは置き、業務上独立しているような雇用形態を一緒に摸索したい。例えば、会社を支店化するとか、グループ会社化するとか。うーん、前回と真逆の反応。社長曰く、そもそも、お前の起業のビジョンがどれだけのものか知りたい。とのことだったので、「それでは企画書を作成して来ます。」と約束する。翌週のはじめ「独立起業のための企画書」を提出。数日後、呼び出され、企画の内容は概ね理解出来たが、独立してからの社会保険の試算が甘いぞ。と指摘を受ける。その後一時間ほど税金に関する講習を受ける。勉強になった。話の最後に、実は自分には、いずれ水道設備業の経営から一線退き、別の事業を始める構想があった。お前さえよければ、その際は水道設備業の経営をお前に任せたいと思っている。と言われる。その後、お互い忙しい合間をみて、何度もミーティングを行う。会社からは、何だかもう勿体ないほどの好条件が提示されている。それでも独立起業したい僕。どうにか会社に残って欲しい社長。現在は、平行線のまま。恐らく次回のミーティングが最後になるだろう。会社から、今後の具体的なポストと給与の提示があると思う。その提示を受け、年内には決断したい。「人事を尽くして天命を待つ」という諺があるけれど、まさに今そんな心境。この20年、人事は尽くした。あとは天命を待つのみ。独立か、残留か、天命は、とっくに決まっているのだろう。めっちゃ美味かった。焼酎めっちゃ飲んじゃった。僕ぐらいの四十代半ばの世代のことを世間では、「失われた世代」とか「ロスジェネ世代」とか「就職氷河期世代」とか言うらしい。大人たちがバブル景気に浮かれ呆けている時、僕たちは、しがない学生だった。多くの学生たちは「明るい未来行き」の片道切符を握りしめ、決められたレールの上を、文句も言わんと着実に進んでいた。んで、さあ、いよいよ大人の仲間入り! 世は好景気、浮かれ、はしゃいで、楽しもー!なんつって安堵した矢先、目の前でパチンと音をたて、バブルがはじけてしまった。ニートという言葉が生まれた。僕等の世代は、ニートに溢れた。今だ氷河期を引きずってマトモに働けない「高齢者ニート」が社会的に深刻な問題になっている。その反面、その氷河期を逆手に取り、団塊の世代やバブル世代との競争を勝ち抜き、その道のプロフェッショナルと成り得た、堂々たる者たちも多くいる。いわゆる「勝ち組」「負け組」の色合いがはっきりしているのも、僕らの世代の特徴だろう。僕はといえば、自分の仕事に対するポリシーを他人に押しつけがましく、団塊の世代やバブル世代に拭い去れない嫌悪感があり、つい反射的に反抗してしまうという、ロスジェネ世代の悪い所ばかりを懲り固めたような、典型的な「ロスジェネ人間」であるにもかかわらず、当時、氷河期の襲来を実感していたかというと、全然そんなことなくて、始発の駅で「明るい未来行き」のレールから脱輪し、スタート地点で、ものの見事に横転したような人生であったので、就職氷河期とか言われても、いまいちピンとこないのよね。みんなが悲惨な就職活動している時、家で酒飲みながらギター弾いとったからね。先日、長女が九歳になった。僕は仕事をばりばり家庭に持ち込むタイプなので、今回の一件を長女に相談したら、パパのやりたいことをしたらいいよ。でも一応、私、図書館で『食べれる野草の本』借りとくね。だって。ははは。そもそも我々「失われた世代」の、「失われた」ものとは何だったのだろう?望んだ就職先を「失われた」んか?バブル景気を「失われた」んか?人のせい、景気のせい、時代のせい、「失われた」という被害者意識むき出しの語感が、それをよく表している。僕には、時代に「失われた」ものなど何もない。ただ、自ら「失った」ものがあるような気はしている。無我夢中で働き続けたサラリーマン人生において、僕は、確かに、大切な何かを失った。この喪失感の正体は何だろう。四十五歳という、人生の折り返し地点に突っ立ちながら、今更ながら、独り、考えている。寒波吹きすさぶ不景気のなか、氷河の道で滑って転んで、力尽き、立てなくなっても、なお、はいずり、はいずり、前進して、かろうじて辿り着いた、この折り返し地点のところで、失ったものが何なのか、今更ながら、考えているのである。にほんブログ村・・・髪の毛かな。
2019.12.01
なんかよー、妻が、ディズニーランドへ行く計画を立て始めたぞコノヤロー。なんかよー、今回は、妻と娘二人とお義母さん、女だけで行くらしいぞバカヤロー。なんかよー、パパ、置いてきぼりらしいぞコンチキショー。ちなみにこれは、去年の写真。そうそう、こないださー、U子さんが、「パパ、冷蔵庫にタラコが残ってるから、新鮮なうちに食べてね」ちゅうから、僕、そんなに腹減ってなかったけど、がんばって喰ったんよ。そしたら、U子さんが、冷蔵庫見るや否や、「ちょ、おま、全部食べたんか?! あたし、食べとらんよ!」ちゅうんだよ。なんかよー、すんげー怒ってんだよ。いや、あんたが、喰えっちゅうから・・・。んで、翌日。「パパ、冷蔵庫に美味しい梨が残ってるから、新鮮なうちに食べてね」ちゅうから、僕、そんなに腹減ってなかったけど、がんばって喰ったんよ。そしたら、U子さんが、冷蔵庫見るや否や、「ちょ、はげ、全部食べたんか?! あたし、食べとらんよ!」ちゅうんだよ。なんかよー、昨日にも増して、すんげー怒ってんだよ。怒り狂ってんだよ。壁とかばんばん蹴ってんだよ。いや、だから、あんたが、喰えって・・・。僕、怖ぇーから、寝室に避難して、布団に包まって。んで、翌朝、ふと見るとリビングの棚の上に・・・。こ、怖ぇ・・・。んで、ふと、ラインをみたら・・・。やめろよ!マジ、怖ええよ!ミザリーか!さて。ここんとこ、会社で色々あってね。現在、すっかり仕事脳なので、今日は仕事の事を書きまする。人と人との板挟み、中間に立つ人よ。ちょっくら、読んでけええ。えーっと、学歴は地元で二流の高校を卒業した程度、工事監督としても二流、今日まである程度の売り上げを維持してこれたのも、たまたま条件の良い仕事に恵まれ、ただもう眼前の仕事を実直に処理してきた結果でしかない。 そんな僕が、今の会社で他の社員より唯一秀でていたことといえば、全く手前味噌はなはだしいが、それは「調整力」ではなかったかと思っています。 社長と社員の間を調整する。社員間のいざこざを調整する。元請業者と自社の業務を調整する、等々。 「人と人との間に立って、双方が円満になる最善の着地点を模索すること」 恐らくただこの一点のみが、僕が他の社員より僅かながら秀でていた能力ではなかったかと。 このような「調整」「交渉」「外交」業務を遂行する際に、いつも僕が心得ていることがあります。 それは「自分を捨てる」ということです。これは「自分の考えをもたない」という意味では決してはなくて、 人と人との中間に立って調整をする者は、己の性格、私利私欲、趣味嗜好、イデオロギーなどで、判断に勝手な味付けをすることを避け、双方にとっての最善策を自我を捨てて考えなければならないということです。 更にいうと、おこがましい書き方ですが、「天からの視点で考えてみる」ということなのかもしれません。 そうすると、何事も自然と丸く収まったような気がします。 世の中には、「さあ、お前ら、我の能力を見よ!」というタイプの調整役がたくさんいます。 そういう輩が、己の自己顕示欲にまかせて無理矢理かすめ取ってきたような条件には、必ずムダ・ムリ・ムラがあり、その後、その条件下で業務を遂行する現場の者たちは、必ず四苦八苦してしまいます。だからマウンティングタイプの調整役は、いつも「まわりの不甲斐なさ」に首を傾げているのです。 俺様がお前らのために、これほどの好条件を得てきたのに、何故お前らは結果を出せない?とね。 僕は「優秀な調整役ほど表には出てこないものだ」と考えています。 まわりに「やり手」などと言われた時点で、己に注意喚起を促します。やりにくくなるばかりだからです。 「そう言えば、業務部長のまわりは、何や知らん揉め事が少ないね」と言われるぐらいの評価を、僕は常に意識しています。 20年に及ぶこのサラリーマン生活を自分なりに振り返ると、「会社の為」に働いた時間であったと、迷うことなく思います。 兎にも角にも「会社の為」を第一に考えて仕事をして来ました。 夏休みの小学校の耐震補強工事で不眠不休で働いた事も、社員に嫌がられながらも、業務改善提案書を発案・促進した事も、 頼まれもしないのに、社員に国家資格合格の為の勉強会を開催した事も、自己顕示欲が動機でなし得るものではありません。全ては「会社の為」。だからこそ出来た。 僕は、問屋や協力会社からの接待交際は一切断ってきましたし、いわゆる闇営業(バイト)ってやつもしたことがありません。建設業界で横行しているバックマージンという類の金銭を手にしたこともありません。 労働者の権利をあてにしたこともありません。安定が欲しいとか、楽をしたいとか、あまり考えませんでした。 社長が決める給与に不満を呈したことも、社長が下す決断や処分に異議を申したことも、一度もない。 どたい私利私欲を捨て、会社の為に働いて来た。 「会社の為」。そう呪文のように自分に言い聞かせなければ、正直これほど働けなかった。 そして、その果てに、自分なりに行き着いた思いが、ふたつあります。 一つは、「結局のところ、会社って、経営者のものなのね・・・」ということ。 もう一つは、「いつか、思いっきり自分のために働いてみてぇー!」ということである。 まあ、このまま中間管理職人として、人生を全うするってのも、ありっちゃあ、ありなんすけどねえ。・・・うーん、どうしたもんかねえ。ははは。兵隊は何も考えなくてよい。悪いようにはしないから、トップの指示に黙って従っていればよい。という経営者が多い中で、うちの社長は、この馬鹿!もっと考えろ!馬鹿は馬鹿なりに考え抜け!という社員育成をしてきた。 故に、この馬鹿は、すっかり物事を考える馬鹿になってしまった。 本当に頭のよい人は、ここまでは考える。でもここから先はサラリーマンとして、あえて考えない。 という判断が出来る人なんだよね。 んまあ、分かってはいるのですが、僕は根が不器用なのか、ヘソが曲がっているのか、 諸事万端、片っ端からあれこれ考え散らかす人間に成り果ててしまった。とほほ。 「この僕の珍奇な性格も、社長の人材育成の成果のひとつですね」なんつったら、うちの社長、喜んでくれるだろうか?にほんブログ村
2019.11.10
昔々、僕がティーンエイジャーだった頃の、とある時期、僕は、「自由の人」だった。僕は、毎日意気揚々と、完全なる「自由」を謳歌していた。先ず、僕の家には門限が無かった。夜中に何処をほっつき歩いていようが、僕の自由。友人の家で、そこらの路上で、何泊しようが、僕の自由。学校へ行くも行かぬも、僕の自由。行きたくない日は学校へ行かない、ただし行きたくなったら日曜日でも学校へ行く。テストを受けるも受けないも、僕の自由。やる気がない日は家で寝ている、ただしテストで高得点が欲しい時は高得点を取る。人を殴る。すると、殴られた相手や、まわりの大人たちは、「何故殴った?」「腹が立ったのか?」「ムシャクシャしていたのか?」どいつもこいつも「殴った理由」を欲しがった。理由なんてない。僕の自由だ。ただ、何となくだ。物を盗む。すると、同じくどいつもこいつも、「何故盗んだ?」「興味本位か?」「生活に困っているのか?」と、執拗に「盗む意味」を欲しがった。だからぁ~、意味なんてないっての。自由、自由。ただ、そうしたかったから。嘘をつく。ただ、そうしたかったから。物を壊す。ただ、そうしたかったから。人を傷つける。ただ、そうしたかったから。遊ぶ、喰う、寝る、やりたい事を、やりたい時に、やりたいようにやる。理由も意味もありはしない。ただ、ただ、そうしたかったから。「君、大丈夫か?」「君、ヤバいんじゃないか?」「君、いい病院を紹介してやろうか?」どいつもこいつも、深刻な表情で僕を心配した。心配ご無用、ほっといて下さい。僕は自由。ただ、自由に生きているだけ。そんな毎日を続けるうちに、僕は、自分が日増しに「けだもの」に成り果てて行くのを感じていた。喰いたい時に喰い、眠りたい時に眠り、犯したい時に犯し、糞尿は、垂れ流したい時に、垂れ流したい場所で垂れ流す。森や草原で生きる、野生動物って感じ? いやいや、それは「けだもの」に失礼だな。彼らは、厳しい「自然の掟」のなかで必死で生きている。僕は、「けだもの」以下だった。おそらく「地獄の餓鬼」って呼び名が、最もふさわしい。そんなこんなで、当然の報いであるが、おのずと僕のまわりには、誰もいなくなった。僕は、孤立した。実に奇妙な感覚だった。群衆の中にいながら、無人島生活をしているような・・・。やったぞ! どいつもこいつも見ろ!オンリーワンだ!俺様は自由だ! 僕は、虚空に向かって自慢した。叫べども、叫べども、返事はない。だってそこは、群衆の海に浮かぶ、無人島。・・・で、いつの頃からだったろうか?僕は、自ら望んで手に入れた「自由」を、嫌というほど吟味した「自由」を、豚のように過食した「自由」を、ゲロゲロと嘔吐したい衝動に駆られている自分に気づいた。僕が手にした自由の正体とは、利己的で、醜悪で、卑猥で、狂気で、そして、だたもう孤独なだけの代物だった。もう、「自由」なんて、うんざりだった。自由だ!自由だ!自由だ!自由だ!夜中に悪夢で目が覚める。こ、怖い。枕元からガバッと身を起こし、汗だくになって、いつか読んだ、寺山修司の散文の一節を叫ぶ。自由だ!助けてくれ!・・・時は流れ、・・・頭は禿げ、肉は垂れ、腰は傷み。間もなく四十五歳になろうとする今日の僕に、「自由」なんてない。今日の僕は、家庭で、会社で、社会で、自ら進んで、自分が守るべき「大切なもの」を守り、自分が背負うべき「荷物」を背負い、自分が引きずるべき「足かせ」を引きずりながら、毎日を過ごしている。大変だけれど、あの頃に比べ、僕はとても充実している。あの頃に比べ、僕は何百倍も幸せだ。僕は、もう自由なんていらない。でさ、なんか、最近「不登校の自由」だの「自由な生き方」だの「自由業」だのと、やたら「自由」という言葉を、特にインターネット界隈で見聞きするじゃんか。僕なんか、全て過去の自業自得ながら、「自由」ってのがすっかりトラウマになっちゃってるからさ。今この時代に、じゆー、じゆー、なんつっておっしゃられている「地獄の住人」が気になるわけです。最近の「地獄の餓鬼」ってのは、どんな姿で、何を喰い、何を考えているのだろうかと思うわけです。んで、ざっと拝聴、拝読。んで、まあ、逆に安心しましたよ。彼等のおっしゃっている「自由」と、かつて僕が手にした「自由」とは全く別物ですね。彼等のそれは、言ってみりゃ「自由風」。心配する必要はありません、とても安全な代物です。例えば、不登校の少年革命家。僕は彼のことを知った時「今時こんな不自由な子供がいるのかしら」と、とりあえず彼に同情しました。思想を刷り込まれ、演じることを強いられ、「親の保護下で革命」という理不尽な活動を行い、有名人に仕立て上げられ、あげく世間からバッシングされ、もう後には引けない立場にいる。まったく嘆かわしい。宿題しないのは確かに子供の自由。であるならば、ある日突然何の脈絡もなく宿題をしたくなった時、これまでの自分の発言を全てチャラにして、アホみたいに宿題を始めちゃうのも子供の自由。万に一つ、あの子にそんな心境の変化が訪れたとして、あの子、自由に宿題するかねえ? てか、まわりがそれを許すかねえ?革命やーめたぁぁ!ちょー宿題してえ!ちょー学校行きてえ!ちょーロボットになりてえ!とか、ある日突然言い出したら、うわぁ~この子めっちゃ自由じゃん、なんて僕は心から思うのだが・・・。僕には、あの子が「自由風」な何かに捕らわれ、がんじがらめになっているようにしか見えない。例えば、フリーランス。(もちろん一部の可哀想な)幼き頃から、保護者のしつけに従順で、保護者の指示に忠実で、保護者の選んだ書物を読み、保護者の許可する食品を食べ、保護者の望む塾へ行き、保護者が喜ぶ進路を選び、保護者が安心する会社に就職する。そんな「保護者の作品」としての役割から、やっと解放された人間が、入社2・3年を過ぎた頃、はたと思う。「あれ? 自分って何? 自分、このままでいーの?」思春期。遅い遅い思春期を迎える。んで、夜な夜な自分探しの手慰みにSNSで自分を発信していたら、思いのほか人気が出た。収益もあった。んで、中坊が家出するみたいに、会社を辞めた。んで、中坊がバンド始めるみたいに、独立した。フリーランスは、サラリーマンと違って、時間に制約がない、だから自由。フリーランスは、サラリーマンと違って、組織に抑圧されない、だから自由。フリーランスは、サラリーマンと違って、自己責任だけ取ってりゃいい、だから自由。彼等の自由の定義には、いつも「サラリーマンと違って」が漏れなくついてくる。他者と比べることでかろうじて成立する、ほんのり「自由風」なメッセージを、サラリーマンが管理する電力会社のコンセントに、サラリーマンが開発したPCやモバイルを差し込み、サラリーマンが運営するインターネット網を駆使して、全世界に向けに発信している。近頃は、ああいった「いい歳こいた大人の遅い思春期」のことを「自由業」と言うらしい。繰り返し言いますが、僕は過去の経験から「自由」とは、「利己的で、醜悪で、卑猥で、狂気で、孤独」であると考えています。だから僕は、簡単に、じゆー、じゆー、と謳う人が大嫌いだし、何より、一瞬怖いのです。この文章を読んで、「あなたは自由をはき違えている」「あなたの自由観は間違っている」と言ってくれる方々は、逆に安心です。だって「自由を論ずる」という行為ほど、不自由な行為はないでしょう?そういう人は元来「自由の人」ではない、だから安心、というか・・・。自由の真っ只中にいる人は、「自由とは何か?」なんて考えてませんからねえ。とにかく「自由」は取扱いに注意しないと、人を「くるくるぱー」にすると僕は思いますよ。さて、今回こんな記事を長々と書いたのには、実は個人的な理由がありまして。僕、今年でサラリーマン生活20年目に突入するんですけどね、僕としては、今の水道設備業を70歳まで現役バリバリで続けるつもりなので、残りの25年、このままサラリーマンを全うするのも良いのだけれど、仮に独立開業を考えるのなら、この四十五歳から向こう一・二年がリミットかなと。どちらに転んでも、ものすごく自信があるので、どうしたもんかなと。現在、僕は、社畜です。自己を会社で教育され、自己を会社で管理され、自己の意思と良心を会社に捧げ、自己の人生を会社に託し、自己をすっかり会社に飼いならされている、筋金入りの誇り高き社畜。まあ、そんな僕が社畜を辞めて、仮に独立したところで、自分が「自由」になったなんて、勘違いはしませんよ。独立したら「会社」が「自己」にすり替わるだけのことです。自己を自己で教育し、自己を自己で管理し、自己の意思と良心を自己に捧げ、自己の人生を自己に託し、自己をすっかり自己で飼いならす。そうなったら僕は、自分のことを、「自己の家畜」とでも呼ぼうかな、なんて。にほんブログ村
2019.06.01
ぼんじょるのぉ~、Q輔で~す。ぐらっちぇ、ぐらっちぇ。年度末竣工の小学校の校舎増設工事に追われて、現在、馬車馬のように働いてるぞコノヤロー!この工事が終わったら、別の小学校の教室全室にエアコンを完備する工事に入るぞバカヤロー!生徒がいない土、日、祝日に工事して、平日は平日で別の仕事があるから、休めねーんだコンチキショー!・・・なーんつって、嘆いてみたところで、やらねばならぬことは、やらねばならぬわけで。誰かがやらねば、昨年の豊田市の生徒のような痛ましい事故が再発するかもしれないわけで。どーせやるなら、陽気にやろう。陰気に仕事をするのは、実は楽ちんで、ずるい仕事のやり方なのだよ。プロならば、ずるは、ダメだよ。プロならば、陽気にやろう。なーんつって、普段部下によく言う説教を、今こそは自分自身に投げかけ、歯を食いしばって、無理やり笑っているのです、にゃはははは。U子さんのドライフラワーがまた増えた。 あら、すてき。U子さん、ブログの代打、あんがとね。さて、ちゅう訳で、現在、Q輔、仕事脳でございますれば、今回は、容赦なく仕事の事を書き綴りたいと思いまーす。テーマは、僕が働く建設業界の、言われてみればそりゃそーだっちゅう「嘘のような本当の話」、わくわく。昨今、建設業は、国も企業も当然の如く「安全第一」を大々的に掲げておりますが、実はね、現場ではね、白黒はっきり出来ないグレーゾーンというか、暗黙の「不安全行動」というか、現場では、みーんなが感じている矛盾ってのが、どの業種にもそれなりにあんだな、これが。例えば「とび職」。木造住宅の建前作業やビルの足場作業などで、もっぱら高所での危険作業を行う職人を「とび職」と言い、我々は、俗に愛称で「とびさん」と呼びます。(高所作業の他に、建設業の雑工事全般を生業とします。)現場での高所作業は、どの業種も「安全帯」という綱の先端にフックの付いたベルトを装着して行うのが厳守で、作業員は、安全帯のフックを高所の各所に張り巡らされた親綱という「命綱」に引っかけ、万一の転落を防止するのですが。・・・でもね、大前提としてね。その命綱をはじめに張りに行く「とびさん」に、自らの命を守る「命綱」はありません。見ているこっちのちんちんが縮み上がるような高所を、横風の吹ふくなか、命綱無し、熟練の度胸とバランス感覚を頼りに歩きます。てかさ、あれさ、落ちたら、まじ死ぬよね?後工程の作業員たちが安全に作業する為の「命綱」を張るとび職に、当然ながら、まともな「命綱」は無いのです。そこに教科書通りの安全は無いのです。(諸説あり)例えば「エアコン屋」。冒頭の話のように、空調業者は、これから夏季に向け、絶対的な業者不足を重々承知で、殺人的な繁忙期に入っていきます。学校のエアコン完備工事を真夏に施工していては、まったく意味がないわけで、是が非でも猛暑が来る前に竣工しなければならない。んでもって、夏の最中は最中で、彼らは、例年のようにエアコンの新設、増設、修理に大忙しなわけです。昨年の猛暑の時期、家や会社のエアコンが故障したと、当社にも修理依頼の電話が何件もありました。「この暑さだ、一刻も早く修理してくれ!」「すみません、今すぐの対応はしかねます。先ずは作業員を手配致しますので・・・」「もたもたするな! 社員が死んだらどうすんだ! あんた、責任取れるのか!」依頼者、みんな、この調子。・・・でもね、大前提としてね。エアコンの設置や修理をする空調業者は、エアコンのない過酷な環境で作業しているのです。お客様の言う「人が死ぬかもしれない猛暑」のなか、何十キロもする内機を天井に吊り込んだり、サウナのような屋根裏を這って配管したりするのです。あれ、いつ熱中症になっても、おかしくなくね?「汗だくになって工事して、試運転で涼しい風が出るのを確認したら、すぐに次の現場へ移動ですよ。」エアコン屋さんは、みんな、そう言って苦笑します。いつも空調設備の整わない過酷な作業環境で働いているのは、他でもないエアコン屋さんだったりします。(諸説あり)道路を開掘削して給水管を新設する「水道屋」は、水道のない過酷な環境で作業しています。電気を新設する「電気屋」は、電気のない過酷な環境で作業しています。現場の仮囲いや仮設便所を設置する「仮設業者」は、囲いも便所もない過酷な環境で作業しています。まあ、(諸説あり)ですけどね。とにかく、安全第一とは言うものの、現場では、色々ありますよ。ある朝の風景。娘たちがサンルームで朝食を食べている。ったく、あっちゃこっちゃ座らずに、向かい合って食べれんかね?さて、んじゃあ、ひるがえって、現場の職人たちが、そういった現場の矛盾に辟易・憤怒しているかというと、そうでもなくて、職人たちは、その業種ごとの「致しかたない矛盾」を平然とやり過ごしてしまうところに、どうやら自分の仕事に対する「密かな誇り」のようなものを感じているようですね。実に爽やかな風潮です。そうそう、今の現場で、こいつ、いつ休日とってんだろ?と心配になるほど働き者の職人さんがいるのですが、昼休憩の雑談で、協力業者のその若者に、ちらりと「働き方改革」の話をしたら、「え? 何それ?? 監督ぅ、俺ぇ、頭悪いからぁ、難しい話せんとって! むり、むり、むり! 」なんつって、カラカラ笑い、「俺ぁ、ただ、やるだけっすから。」と言って、煙草をぶかぶか吹かしていました。ぶわははは、この若者には、有給も代休も、安全で衛生的な職場環境も、関係ないのかね?彼は、これからもサンサンと降り注ぐ太陽の下で、汗水たらして働いて、日が暮れたら近所の居酒屋でウマい生ビールを、かっかっかっと呑んで、二件目のスナックで、おネエちゃんのお尻を触ったら、あとは家に帰ってぐーぐー寝る。なーんて仕事ぶりを続けることだろう。あー、男臭せえ。なんやSNS界隈でくすぶっている、どっかのおとなしいボクちゃん達とは大違いだーね。身のほどをわきまえ、ただ働く。現場にはまだ、こういった輩が残っています。冬場に植えたチューリップの球根から芽が出てた。 春が、来ている。ふと、昔のことを思い出しました。忘れもしない、高校二年の夏のこと。その日、僕は生活指導の教師に睨み据えられながら、生徒指導室とう小部屋で正座をしていました。ある悪行の処分として、校内謹慎と言って、一週間校内の一室で謹慎させられるという罰の最終日でした。問題児の処分としては、もっぱら家庭内謹慎が主流だったのですが、家庭内謹慎なんぞ、こいつを野放しにするだけだ、という生活指導の教師の判断で、校内で教師とマンツー、とほほ。謹慎中、その教師が投げかける様々な質問に、僕が全力でなめきった返答ばかりするので、今では考えられないことですが、教師は僕を容赦なく殴ったり蹴ったりしました。その教師は、熱血漢で、校内でも生徒に結構人気があって、普段は、自分の感情にまかせて生徒達に暴力をふるうようなタイプでは決してなかったのですが、彼にとって、僕だけがどうしても許せないカスのような存在らしく、カスはカスらしく、ボコボコにされていました。その教師は、この時、僕に、大体こんなことを言いました。いいか、お前は将来、社会悪の根源になる。長年教師を続けていれば、生徒を一目見れば、そいつの将来が分かる。うちの学校のヤンキーども。頭染めたり、喧嘩したり、煙草吸って粋がっている奴等。あいつらなんて、お前に比べりゃカワイイもんだ。あいつらは所詮「今だけ」なんんだから。いずれ、地元やそこいらの、収まるべき所へ、勝手に収まる。グレて俺を困らせた奴らも、同窓会に出れば「先生あの時叱ってくれてありがとう」なんて言いやがる。今だけ。所詮、あいつらは、今だけなんだ。だから何も怖くない。でも、お前は違う。お前は、絶対社会悪の根源になる。お前の悪は、きっとまわりに伝染する。俺は、お前を見ていると、何故だか無性に腹が立つ。俺は、お前が大嫌いだ。断言する。お前は、絶対社会悪の根源になる。俺には、分かる。俺の見る目に、間違いはない。まったく、十七歳の多感な少年に、・・・言うよねえ。何だよ「しゃかいあくのこんげん」って? 知らねーよ、怖えーよ。んで、また暴力。 逃げ場のない小部屋で、ボコボコ。あんなのリンチだよ。身も心も、痛てぇっつーの。死んだらどうすんだっつーの。先生、僕、今、小学校で新しい理科室や家庭科室をつくっているよ。先生、僕、夏の猛暑から生徒達を守る為、学校にエアコンを完備するんだ。先生、僕、園児たちから「工事のおじさん、ありがとう」なんてお手紙をもらったことがあるよ。先生、あんた、人を見る目がなかったねえ。とある日曜日、三人で動物園に行ったらしい。パパはお仕事。仕事中、U子が、ちょいちょい、ラインで子供の写真を送ってくる。いやがらせか?いや、きっと「こっちはこっちで楽しんでるよー、そっちはそっちでしっかり稼げよー」って意味だろう。休みたい? そーでもねーよ。「しごとにんげん」ですからね。にほんブログ村
2019.03.11
妻が6年間勤めたパートを、昨年いっぱいで辞めました。慣れた仕事だったし、パートながらそれなりのポジションで頑張っていたので、長く続けられるに越したことはないと、夫として見守っていましたが、どうやら人事異動で新しく配属された正社員さんと、その部署の業務を遂行をするにあたり、様々な意見のズレが発生し、必然的に何度もそのズレの修復を試みたものの、不可能であったらしい。まあ、世の中、どうしても分かり合えない人間ってのはいるし、物事には引き際ってもんががある、妻は、それを見定めたのでしょう。・・・さてと。ちゅう訳で、ちょっくら、妻の、かたき討ち。すべての「頑張るパートさん」「怒れるパートさん」の、かたき討ち。今回は、僕が、パートのくせに!パートの分際で!などと、パートを馬鹿にする、ちゅるちゅるゼリー脳社員のことを、ぼろっかすに書っきまあーーす。小さな会社ですが、部長という「会社寄り」の立場にいる人間の見解です。ヘタすると、自分で自分の首を絞めることになるのかもしれませんが、まあ、それも覚悟の上よ。ははは。①【社員がパートより偉いという根拠は、どこにもない】社員はパートよりも偉い? どこの馬鹿の世迷い言だ?こういった悪しき風潮は、ウイルスのように職場に世間に、瞬く間に蔓延するから質が悪い。念のため、うちの会社の就業規則や服務規程を、汲まなく読み直してみたが、「社員とはパートよりも偉いのであ~る」というイカれた記述は見当たらなかった。ほっ。どっかの会社の規則や規定にはあんのかな?正社員とパートの違いを、無期雇用と有期雇用、社会保険の有無などの、雇用形態の違いで考えている人が多くいますが、それは大間違いです。調べれば分かりますが、無期契約のパートも存在しますし、パートだから社会保険未加入でOKという法律はありません。そもそも、法律上は「正社員」という言葉すら存在しません。法律上、正社員にあたるのは「通常の労働者」となります。パートタイム労働法第2条(定義)「短時間労働者」とは、1週間の所定労働時間が同一の事業所に雇用される「通常の労働者」の1週間の所定労働時間に比し短い労働者をいう。 つまり、正社員 = 通常の労働者パート = 通常の労働者よりも1週間の所定労働時間が短い労働者法律上、正社員とパートの違い、こんだけ。えっ? なに? 社員はパートより偉い?寝言は寝て言え。さて、んじゃあ、実態はどうかというと、あくまでその職務内容の違いから、正社員=指導する立場、管理する立場パート=指導される立場、管理される立場となりがちなのが、まあ現状ですが、・・・だから?だから、指導する人間は、される人間より偉い? 管理される人間は、する人間より劣る?ちなみに僕は、パートより社員が偉いとも思わないし、部長が平社員より偉いと思ったことなど、一度もありませんよ。あくまで現段階で、それぞれが「チーム内で適任とされたポジション」に配属されている。ただそれだけのことだと思っています。ピッチャーはキャッチャーより偉い? サードはセンターよりは偉い? んなことほざいとるチームが試合に勝てるかバカヤロー。さらに言えば、役職なんてなぁ「会社という、いち機械の、いち部品の名称」に過ぎぬとすら思っています。タイヤはハンドルより偉い? エンジンはテールランプより偉い? アクセルはブレーキより偉い?偉いもへったくれもあるかっつーの! ひとつ欠けりゃ、車、走れねーっつーの!社員はパートより偉い?支離滅裂も、ほどほどに。②【技術力と指導力は、まったく別の能力】「名選手、名監督にあらず」という言葉があります。プレイヤーとして一流だったからといって、必ずしも指導者として一流とは限らないという意味らしい。一部の野球選手の気質を言い表した言葉のようです。てか、会社内でも、こういった社員っているでしょ?例えば、「検品」という作業が大変優秀な社員がいたとして、その検品の能力を評価され、部署の主任となり、パートのみんなを指導・管理する立場になったのだけれど、何故か指導者としてはまったく無能、人望なし、パートと揉めてばかりいる、みたいな人。僕の働く建設業界では、営業マンにこの手の人が多い。営業成績トップ、同期や先輩を飛ぶ鳥落とす勢いで追い抜き、異例の出世、若くして支店長。支店長就任後も個人成績は相変わらず好調なのだが、いかんせん今日までの人の頭を踏みつけ這い上がる業務スタイルがここに来て仇となり、部下の指導・管理がまったくもって不得手、部下に慕われない嫌われ者、支店の成績絶不調、みたいな。これ、多くの「無能な指導者」が勘違いしていることなんだけどさ、「技術力」という、プレイヤーとしての能力「指導力」という、コーチとしての能力これ、まったく別! 別なのよ!それぞれ、脳みその違う所を震わせろっつーの!パートに嫌われる多くの社員は、これに気が付かない、気が付いていても理解が出来ない。例えば、10年の実務経験をへた社員がいたとして、その社員がその部署の主任として、パートを指導する立場に就任にたとすると、これは、ごくごく単純に、実務歴、10年。指導歴、ピッカピカの1年生。ってことになるのだけれど、絶対に、それ以上でも、以下でもないのだけれど、何でか知らんけど、十中八九のバカ社員は実務歴、10年。便乗して、指導歴も10年。なんつって、10年の実務歴だけを盾に、でたらめな指導・管理をして、パートを困らせる。指導の「し」の字も書けねーくせによお! 指導力こそ学習に次ぐ学習に他ならぬのによお!何しろ素直だから! 普段の自分! あるがまま! パートに全力投球! 純粋だから! 馬鹿だから!何を「レットイットビー」さらけだしとんじゃい! 悪寒がするわ! この雪の女王!「指導」という業務こそ、板前が「包丁研ぎ」を、何年もかけて上達させるようのうなものだっつーの!ずぶの素人が、人から学び、人から盗み、何度も何度も反復練習して、やっとこさ習得するものだっつーの!あたし、こういう人間だから。なんちゅうレリピ~レリピ~な指導者の下で働くパートは、まったく不幸、かわいそう。社員は面接でパートを選ぶことが出来ますが、パートは社員を選ぶことが出来ないのですよ。指導者の個性は、かろうじて部下の個性を伸ばすためにのみ、使いましょう。あんたの個性で部下を潰すな。だったら指導に個性などいらん。AIでよい。自惚れるのも、ほどほどに。③【パートを制するものは、職場を制する】以前、妻にこんなことを言われました。あんたも立場上、パートのおばちゃんに意見されたり、相談されたりすることが多いと思うけど、どうか有象無象の中身のない愚痴なんて思わずに、真剣に耳を傾けてあげて欲しい。パートが社員に物申す時ってね、何日も前から悩んで悩んで、前日なんか眠れないくらい緊張して、当日もしどろもどろになって、結局言いたいことの半分も言えなかったするのだけれど、それでもパートはパートなりに仕事のことを考えているの。だから真剣に聞いてあげて欲しい。・・・まったく、妻の言う通りだ。世間は、どうだろう?子育てや家事の合間に、子供の学費を稼ぐ為、必死で働く主婦のパートが、つい数年前大学を卒業し、今だ親元で生活費も入れずのうのうと暮らしている若僧にガミガミ指導されている。ああ、無情。会社って自分に安寧な生活を提供してくれる婿選びの場所の筈だったのに、どうやら私売れ残っちゃったみたい、近頃は表立った業務から外されてちゃって、場末の部署でパートの相手。だりぃ。腹いせにパートいじめたろ。とういう年増社員に、同年代の主婦がネチネチ指導されている。れ、みぜらぶる。でもね。大丈夫。結局のところ、人は総合的な「人間力」ではかられているものです。社員やパートの持つ、それぞれの人間力を、見ている人は、ちゃんと見ている。また、そういったダメ社員がいつまでも職場にのさばる例ってのは、実は少ない。おのずと、数字に、データに、雰囲気に、風潮に、悪影響が必ず現れ、そこにはいられなくなるからだ。そこが、まともな会社ならね。パートを制するものは、職場を制する。本当は、社員は、そのことをよく知っている。でも、それが超ぉーーー困難極まることなので、パートのくせに! パートの分際で!などと、日々うそぶかざる得ない。そうでもしなければ、駄目な自分を世間にさらしているような気がして、自分を保てなくなるから。まあ、マトモな恋愛のひとつもしてこなかったような、今だ童貞かしらんというような若僧が、人生の酸いも甘いも噛分けた百戦錬磨のおばちゃんの集団に、マトモに太刀打ち出来るはずなく、よくよく考えると、そもそもが無謀な試みなのかも知れぬ。ほとんどの会社では、社員とパートで、行っている業務内容に大差はなかったりする。業務内容が異なるとしても、そもそも、そこに貴賤はない。だたし、立場的に業務上の「責任」は社員が取らされることが多い。「責任を取る」この一点のみが、社員とパートの明確な違いのような気がする。だから、社員たるもの、せめて、せめて「責任」ぐらい、自ら進んで取りましょうよ。それすら逃げたら、社員は、何のために職場にいるのだ?職務怠慢も、ほどほどに。あり?なんだか自分で自分を説教しているような気がしてきた。すべてのパートさんのかたき討ちのつもりが、なに、この、討たれちゃった感。傷は深いぞ。ははは。にほんブログ村
2019.01.13
四年前の母の葬儀で、僕は喪主をしました。父はまだ健在ですが、両親は僕が若い頃離婚していますので、長男の僕が喪主となった訳です。母は、ある日突然、交通事故で亡くなりました。通夜式の朝、車を運転していた加害者の人が、ご夫婦で葬儀場の僕のところに謝罪に来ました。僕と母の棺桶の前で土下座をしての謝罪でした。僕はメソメソ泣いていましたが、相手は号泣していました。この人達も、これから大変だなぁ・・・と、ごく普通に思いました。「あの、お金がありません、どうか葬儀代を下さい。」と僕は言いました。「金額と振り込み先を教えて下さい。即振り込みます。」と相手は言いました。お金が用立て出来なかった訳ではないのです。決して用立て出来なかった訳ではないのですが、・・・まあ、僕の、腹いせです。そこから僕は葬儀屋と大慌てで葬式の総予算をはじき出しました。僕としては、家族葬で十分だったのですが、マスコミにも流れた結構な事故で、すでにご近所や知人に母の死を知っている人が沢山いたし、義理やしがらみもあって、なかなか自分勝手に家族葬という訳にもいかず、いわゆる一般的な葬儀を執り行うことにしました。それでも、極力、質素に行いました。まわりから、どうせ相手からお金貰うんだから、もう少し豪華にしたら?とやたら助言されましたが。馬鹿言っちゃいかんよ。この葬儀は加害者のお金で執り行うんだぞ。加害者への最低限の仁義ってもんがあるだろう。必要最小限の葬儀で結構。飯も酒も各自自費、精進落しは無し、式が終わったら即解散。とした。んで、相手に葬式の総額を伝えると、即、入金があった。恐らく保険の一時金として保険屋から入金があるのだろうと思っていたのだが、個人の口座からの振り込みだった。僕も、約束通り、即、領収証を郵送した。という訳で、僕の母の葬儀は、さしあたって加害者の自費で滞りなく執り行いました。(もちろん、最終的には示談金の中で相殺がありました。)妻の手製のドライフラワー。なんだか数が増えてきたな。父も母も、生きているうちに、自分の墓を自分で準備するようなことはしていない。したがって、うちには、お墓がない。したがって、母の骨は、四年経った今も、まだ納骨していません。宗教的、心霊的なことで、不吉だ何だと助言をいただくことがありますが・・・。大丈夫!心配ご無用!僕の人生、超上々!すこぶる健康!申し分ないほど幸せいっぱいだから!実は、母の骨は、別れた夫、父にあずけました。僕の判断です。今流行りの「手元供養」ってやつをさせています。母へのつぐないです。死ぬまで供養しなさい。噂では、毎日線香を立てて拝んでいるらしい。今更悔やんでいるらしい。悲しんでいるらしい。ったく、大バカ者です。・・・愛は生きているうちに。でさ。これまた、ちょいちょいまわりから、示談金で母のお墓を買ったら?と要らぬ助言をよく聞く。だから、違うっつーの!筋が通らんだろっつーの!そんなことしたら、加害者に足向けて眠れなくなるっつーの!買うなら、僕が自力で稼いだお金で買います。そのお金とあのお金は、まったく別です。父が野垂れ死んだら、僕のお父さんとお母さんの骨は、僕が同じお墓に納骨します。現世では失敗しちゃったけれど、あいつらソウルメイトだから、最後は一緒にしてやるつもり。階段の踊り場にある、長女の絵。さて、今回の「家曜日」、何だか漆黒の闇のように暗い話から始まっちゃいましたが、いやね、先日社員の身内に不幸があったので、会社の「慶弔規定」を確認していたんですけどね。んで、まあ、改めていろいろ思うことがあってね。ちゅう訳で、今回は、冠婚葬祭についての話をします。うちの会社の「慶弔規定」は、実は約10年前に僕が作成し、取りまとめたものなのです。それまでも規定らしきものはあったものの、あまりに漠然としていたし、記録もまともに取っていなかったので、あれ、社員の祖父の葬儀って、参列してたっけ?てか、社員の奥さんの祖父母の葬儀、香典出さにゃならんの?香典返しはもらう?もらわない? 供花はどうする?んん、結婚祝いっていくら包んでたっけ? 出産祝いは? 新築祝いは?なんつって、その都度、漏れなくオロオロする始末。当時それを見かねた社長が、社内の「慶弔規定」を取りまとめるよう、直々にこの僕に命令してきましたよ。いやぁ、驚いたねぇ~。ぼ、ぼ、ぼ、僕っすかぁ~?って感じっすわ。まったく、人選ミス、はなはだしいっての。幼き頃から僕の家庭は、行事も法事も皆無だったし、34歳で、まだ墓参りの経験すらなかったし、友人の結婚式も「式が荒れる」という理由で呼ばれたことが一度もないし、てか、卒業式や成人式も面倒臭いから出てないし、何より、その機会がないので、当時はネクタイすら自分でまともに締められなかった。ははは。社長、気がふれたか? と正直思った。でもまあ、「んなもん出来るか!このヘッポコヤロー!」なんつって、言える相手では毛頭ないので、その日から、書物やらインターネットやらで、夜な夜な猛勉強して、古からのしきたり習わしと、現代の相場などを織り交ぜて、なんとか作成しましたよ。おかげ様で、今じゃすっかり冠婚葬祭に詳しい人間になりましたわ。だっはっはっー。んで、流れとして、作成した慶弔規定の案を、社長と社員に提出して、同意を得る訳だけれど、そこで、何点か反対意見があってね。例えば、「社員一同、よほどの遠方でない限り葬儀に参列すること」としたのは、一親等のうち、本人、本人の配偶者、本人の父母、本人の子、までとし、本人の子の配偶者、本人の配偶者の父母は含まないこととした。切りがないからだ。この意見に、嫁の実家がお金持ちの社員から、反対意見があった。まあ、押し通しちゃったけど。次に「本人の祖父母の葬儀には、社員一同で香典を包む。ただし本人の配偶者の祖父母は含まない」として、祖父母の場合、社員から一律300円を集めて香典とする。香典の中に「香典返し無用」の一文を記入する。社長は供花を出すが、それは代表取締役名義である。社員一同有志の供花は負担になるので出さない。とした。これについても、祖父母が地元の名士であるような社員から異論があった。「兄弟、親戚の会社から花が出ちゃうと、自分の立場がない」と言う。まあ、これについてもしら~っと押し通しちゃいました。あと、「その都度、現金を集金するのが手間なので、毎月の給料から『慶弔費』として一定の金額を徴収して欲しい。」という意見が、多くの社員からあった。これについて、僕は真っ向から反対した。そういう事なら今後は僕が集金します。百人、二百人いる会社じゃあるまいし、僕は微塵も手間じゃない。その都度、必要な時に、必要な額を、有志で集めればよい。絶対に無駄に徴収はせぬ。それよりも僕が危惧するのは、ある社員に、お祝い事や不幸があった際、他の社員の知らぬ間に、事務的に、社員一同の有志の現金が包まれ、それが手渡されることだ。「先日はありがとうございました」「え?何のこと?」「え?祖父の葬儀で香典を・・・。」「へ~そうなんだ、私、香典出したんだぁ~。」みたいな無礼がまかり通る社風にしてはならぬ。みたいなことを言ったと思う。あの時の社員一同の「めんどくせーなーコイツ」って顔が、今でも忘れられません。たはははは。結局、それも押し通しちゃいましたね。先ずは、やってみましょう。やって駄目なら、改善すればよい。つってね。んで、約10年、規定どおり、何事もなく。ところが、さ。先日、ある社員のお父様が亡くなられたので、慶弔規定どおり、社員一同で香典を包み、社員一同集まって葬儀に参列する準備をしていたのだけれど、その際、その社員から「どうしても社員一同の花を出して欲しい、ほんの気持ちでよいので、お願いできませんか?」と申し出があった。うーん、その家庭ごとの諸事情があるのは分るけどねぇ~、言うかねぇ~そういう事・・・。結局、僕ともう一人の部長と話し合って、他の社員にも了承を得た上で、特例として「社員一同」の花を、僕ともう一人の部長のお金で出すことにしました。うーーーん。あとさ、葬儀の時、年配の社員が、香典返しを手に持って歩いていたので、僕はびっくりして、「少額の香典につき、香典返しは貰わない約束でしょう? さあ、早く返してきて!」と言うと、「いや、社員一同とは別に、俺、香典包んだから。家出る時、嫁が気持ちだから持ってけって、うるせーからさ」・・・僕は、愕然としてしまった。・・・まったく、どいつもこいつも。・・・もー知らん!勝手にせい!と、喉まで出かけて、まあ、言える筈もなく。わが社の「慶弔規定」、もう一度見直す時期かも知れないなあ・・・。マリメッコのファブリックパネル。ブッタ、空海、親鸞、日蓮、天照大御神、八百万の神々、キリスト、アラーの神、はたまた新興宗教の神々に至るまで、故人への弔いの気持ち、遺族を気遣う気持ちは、葬儀の規模や香典の額で決まるのであーる!なんてことを言い放った宗教家はおそらくいないであろう。気持ち、気持ち、と簡単に言うが、本当に故人や遺族のことを思うのであれば、香典なんか包むより、朝礼時に社員一同で黙祷をささげた方が、よっぽど故人や遺族を思う気持ちになれるんちゃうんか!それで十分ちゃうんか!と、僕なんかは、正直思う。でもまあ、我々日本人は、各個人が信仰する宗教とは別のところで、国民皆「冠婚葬祭教の信者」とでも言うべき程、盲目的に冠婚葬祭を重んじている訳で。また、僕は、日本人のそういう国民性が、決して嫌いではなかったりする訳で。うーん、上手く言えませんが、僕的には、冠婚葬祭って「足並みを揃える」ことだと思うのです。出過ぎては駄目、かと言って引っ込み過ぎても駄目、一列になって、足並みを乱さない。仲の良い同僚の結婚祝いだからといって、法外な祝儀を包まれては、まわりは大変迷惑なのです。故人や遺族への気持ちは分かりますが、勝手に社員一同と個人、両方で香典出されたら、それをしなかった人たちは、大変迷惑するのです。分かってよ、みんな。頼むよ、みんな。足並み揃えてね、みんな。あ、こんなところにも、乾いた花。とある日、何気にオフィスに入ると、二人の社員が僕のことを噂していました。僕が後ろにいることに、まったく気が付いていないらしい。「今度、同僚の出産祝いについて、部長に相談てみようかなぁ」「どうかなぁ、あの人、偏屈だからねえ、逆に話がこじれるんじゃねぇ?」「だよねえ、めんどくせー、何しろ偏屈だからねぇ」僕は、二人に気が付かれないように、そ~~~っとオフィスを出ました。なんだか、泣けてきました。ああ、中間管理職はつらいよ。にほんブログ村
2018.11.04
この夏、地元の保育園の大規模改修工事を担当しました。 昔ながらの、床や壁がタイル張りで、掃除の時ホースで水を撒いて洗うという「湿式トイレ」を、 最近主流の、長尺シート張りで、掃除は濡れたモップで床を拭く程度の「乾式トイレ」に改修するというのが主な工事内容です。 こういった改修工事の際に、工事があるからといって保育園が休園するなんてことはまず無く、 園児や保護者など、第三者が出入りする中で工事を進めるのが一般的です。 ですから、第三者災害が発生しないような安全管理が特に重要になり、現場監督は、入念にそれを留意します。 きっと工事期間中の僕は、ずっとピリピリしていて、職人からしたら、ちょーうるさくて、ちょー嫌な奴だったことでしょう。ははは。 でさ、工事がてら、園児たちの様子を見ていて、ふと思う事、並びに、改めて色々考えさせられる事があったので、今回はそのことを書きまーす。 え~、何や知らん「空気を読むとか読まぬとか」が、職場でもプライベートでも、やたら重要視される昨今ですが、 「私は空気を読めない」と悩む人、何がら年じゅう「空気読み」に躍起になって、へろっへろになっている人、 今回は、そんな人に読んでいただき、「何だコイツ?」と笑っていただけたら、これ幸い。 雲を見る。 なんかね、子供ってね、あれ、一見して自由奔放なようで、実にその場の空気を敏感に読み取って行動しているよね。 今、目の前にいる人が、自分のわがままを受け入れてくれる人間か、否か、とかさ。 今、自分の置かれている状況が、自分にとって良い状況か、悪い状況か、とかさ。 今、笑顔で一緒に遊んでいるお友達が、自分の敵か、味方か、とかさ。 子供って、結構冷静に状況判断しているよね、あの子も、この子も、どの子も、その子も。 子供だからとて侮るなかれ、むしろ誰かの保護が無ければ生きられぬ子供だからこそ、 「無邪気さ」というオブラートに包みながら、本能的な機敏さで、その場の空気読んで行動しているように見えたなあ、何だか胸が痛むほどに。 みんなでワ~って遊んでるの見てても、なんか神社の鳩が大きな音に反応して一斉に同じ方向に飛び立つような集団心理を感じるんだよなぁ。 ま、別にさ、今の子供に限ったことじゃねーけどね。 僕等だって、そうだったじゃん? 子供ながらに、その場の空気、必死で読んでなかった? 僕なんか保育園の頃にゃ、大人の顔色バリバリ伺いながら、毎日生活していたもん。 例えば、親がエッチな話とか貧しい家計の話とか、食卓でコソコソしている時なんかさ、 こっちゃあ全部聞こえてんだけど、あえて聞こえてないふりしてさ、嫌な園児だね、ははは。 僕は教育者でも学者でもないので、難しいことは分かりませんし、何の裏付けもありませんが、 人間に限らず、そもそも「場の空気を読む」「察する」「察知する」という能力は、 生きていくために必要な本能として、多くの生き物に元来備わっているような気がします。 同じ雲を真下から見る。 ちなみに、僕は会社で、いち工事監督でありながら、「業務部長」という役職にも就かされています。 社員数30人に満たぬ小さな会社の業務部長という役職が、いったいどんな仕事をしているのかというと、 主に、従業員の便所のトイレットペーパーを補充したり、 オフィスの電球を取り替えたり、従業員が食べた弁当のゴミを片付けたり、 あとは、まあ、従業員の便所のトイレットペーパーを補充したりしています。 そうそう、便所のトイレットペーパーを補充する合間にやっている職務として、 各部署間の連絡・調整、業務改善の提案・促進、社員同士のいざこざの解決、他業者との交渉、取引先の接待役、なんてことも、たまにしています。 ようするに「調整役」です。人と人の間に入って、その場その場の空気を読み、取りまとめていくのが仕事。 でさ、今、たまたま、こんな役、調整役、してますけどね。 ひるがえって、僕という人間が昔から、そういった調整・交渉業務に適した人間だったらかというと、それはまったく別の話。 僕は高校生の時、校則違反を取り締まる教師や、それを掻い潜って眉毛を細く剃って息巻いている不良生徒達の、のどかな校内の空気が嫌で嫌で。 ある日、片っぽだけ眉毛を全部剃り上げて登校したことがあります。理由は一つ、ただもう、その場の空気を壊したい一心。ははは。 教師には「いやぁ~、間違えました」の一点張りでね。「間違えて片っぽ全部剃る訳ねーだろ!」つって怒鳴る教師を、 「先生、まさか、僕がカッコいいいと思ってやってると思います? 誰が見たってバカっすよ?」つって、煙に巻いて。 ま、そんな調子で、普段から、話してはいけない時に大声で話したり、笑ってはいけない場面でゲラゲラ笑ったり、 皆が校歌を歌っている集会で、僕だけまったく別の歌、「オバケなんかないさ」を大声で歌うので、 生活主任に全校生徒の前に引きずり出されて、殺されるんじゃないかってぐらいボッコボコにされたり。 それもこれも、だたその場の空気を壊したい一心。 当時、どうしてそんな衝動に駆られ続けたのかは、今でも上手く説明出来ない。 ただ、たまらなく何かにイライラしていたことは確かかなあ。 その頃、心とか頭の病院行ってたら、たぶん何かの病名ついたと思う。とほほ。 え~、このように、かつての僕は、この世のクズのような人間でしたが、 思えば、当時も決して空気が読めていなかった訳ではないのです。 読んだ上で「場の空気に乗るか?」または「場の空気を壊すか?」の二択のうち、後のほうを選択したというだけです。 大人になり、妻と結構してからは、とにかく妻に少しでも高い給料をパスする必要があったので、 昔と違って「空気に乗る」ほうを選択しただけです。それだけのことです。 「私は空気を読めない」と悩むなんて、ナンセンスです。 何故なら、「読めない」と言っている時点で、実はもう「読めている」からです。 あとは「空気に乗る」という技術を磨くだけです。 「空気に乗る」という技術に「センス」なんて必要ない。センスぅ?アホか。必要なのは「努力」のみ。 上手く乗れない人は、努力をサボっているか、努力の方向性が間違っているか、のどちらかです。 先の話じゃないけど、元来生き物には「その場を察知する本能」が備わっているので、 あとは「観察」して「訓練」して「経験」を積む。地味ぃ~に、これを続ければよいのです。 ガキの頃、友達や先生や恋人から「空気読め!このKYの申し子!」なんて散々言われ続けた僕ですが、 大人になって、場の空気を読み、調整・交渉する能力を評価され、出世しちゃいましたよ。何事も、なるようになります。 先ほど「センス」は必要ないと書きましたが、僕、「センス」っちゅうのとは別で、 「本能が磨かれやすい環境」みたいなものには、個人差があるんじゃないかなぁとは思っているのです。 沖縄にヤンバルクイナっているじゃん。飛ばない鳥、ヤンバルクイナ。 あれ、敵となる捕食者がなく、飛ばなくても地表に食べ物がたくさんあった為、飛ぶ必要が無いので、飛ばなくなったらしい。 「その場を察知する本能」についても同様で、その必要が無ければ、当然退化しちゃう訳で、 場の空気を読む必要のない人、人の顔色を伺う必要のない人、いわゆるお坊ちゃん・お嬢様タイプの人に、退化の傾向がちょいちょい見られたする。 (ま、そういう人にがぎって、場の空気を読まない代わりに、場の空気を作り出す独特のオーラがあったりするのだが・・・) 逆に、その生い立ちにおいて、非常に、異常に、「その場を察知する」必要があった人たちがいる。 あくまで例えですが、親がシングルだったり、親がいなかったり、家族が重い病気だったり、虐待やいじめを受けていたり、貧困だったり、等々、 そういった人の中から、気配りの出来る、思慮深い、調整や交渉に長けた人材が出てくることは、少なくない。 必然的に「その場を察知する本能」が研ぎ澄まされていったのだろうと思う。 (もちろん、なかには僕のような、ろくでもない人間もいます。たはは) さて、夏の保育園の改修工事の時、こんなことがありました。 毎週火曜日に行う定例会議には、建築屋2名、電気屋1名、水道屋の僕、保育園から園長先生が出席して、 今後の工程の打ち合わせや、それに伴う、園への要望、また園からの要望などの打ち合わせを行うのだけれど、 ある会議の席で、建築屋の若い監督が、園長先生に対し、無礼な失言をしてしまい、 また、その直後の謝罪も、部外者の僕が見ても、場違いな声量の、場違いな振舞いで。 まあ、会議の後、当然上司が若者を指導する訳ですけど、その第一声が、 「空気読め!」 ・・・だって。 ・・・・なーんか、あーあ、だよね。 ・・・言っちゃ悪りぃ~けど、残念な上司って感じぃ。 上司・指導者たるもの、口が裂けても「空気読め!」なんてポンコツな指導をしちゃダメですよ。 自分に「具体策」や「正解の映像」が浮かばない奴が、曖昧に漠然と言うんです、「空気読め!」なんてね。 「君ね、あの場合は、頭を斜め45度に下げて、相手と視線は合わせず、冷や汗を机に三滴垂らし、 普段よりやや低いやや小さい声で『誠に申し訳ありません』と言うべきじゃないかな?」と言えなきゃ上司失格ですよ。 同じ雲を、通り過ぎ様、海老ぞって見る。痛てて。あ、ちょっと宇宙見えた。 「空気読め!」 「空気読め!」 「空気読め!」 嫌な言葉だねぇ・・・。ああ嫌だ。 今の世の中、老若男女、猫も杓子も、こればっかり。 僕は、これまで人様に「空気読め!」なんて言ったことはない。 これからも絶対んなこと言わねー。 なんかね、そりゃそーだけど、それ言うかね?みたいな発言ってあるじゃん? 「所詮、世の中金でしょ!」 「ハリウッドスターだってうんこする!」 「親のセックスで自分は生まれた!」 「みんな、どーせいつか死ぬ!」 これと一緒。同じくくり。「空気読め!」ってね。 ま、確かに真実。でも嬉々として人様に言うことじゃない。まったく口にする奴の程度が知れる。と、思う。 僕はサラリーマンなので、場の空気を必死で読んで読んで読みまくって、今日まで頑張ってきました。 だからこそ言えることがあります。 世の中には、「それは言わない約束」ってことがあるのです。 空気を読むとか読まぬとか、昔は今よりもさほど表立って語られる事柄じゃなかった。と、思う。 「所詮、世の中金でしょ!」 「ハリウッドスターだってうんこする!」 「親のセックスで自分は生まれた!」 「みんな、どーせいつか死ぬ!」 「空気読め!」 今の世の中、そんなしょーもない事、我が物顔で言う輩が、溢れ返って、あらら、こぼれ落ちて・・・。 まあ、とどのつまり、空気なんてなあ、やたら長くて面倒くさぁ~いブログと一緒っす。 斜め読みで、飛ばし飛ばし、たぁ---っと読むのが一番っすよ。 ・・・ありゃ? いやいや、僕のブログはちゃんと読んでね。 にほんブログ村
2018.09.24
僕は、会社で、求人募集に応募してきた人達の面接に参加しています。恐れ多いっ!このポンコツ夫がっ!ひ~申し訳ねー!まぁ。会社では、家とは少々違ったQ輔もいるってこって。すまん!面接は当然僕一人でやる訳ではなくて、通常、社長と、僕と、もう一人の部長の、三人で行っています。うちの会社のような建設業に属する会社は、人材採用の年齢層に幅があるので、二十代の若者から、僕より年上の年配の方まで、これまで様々なタイプの人達の面接をしました。長女の、P子画伯の作品、「シルクハットとパパ」世界観のクセがスゴイ!P子画伯の作品、その2、「パパとママとP子」僕のおでこにあるのは、三つ目がとおるの第三の目ではありません。ハゲ頭のてっかりです。さぁ~て、本題。社会人としてマトモに働いたことのない新卒やフリーターは別として、今いる会社を辞めたい、転職したい、と考えている転職希望者との面接の中で、時折、現職への「最低限の礼儀なき者たち」を、お見受けいたしやす。ではその、現職への「最低限の礼儀なき者たち」ってどんな人達なん?今回は先ずこのお話から。①先ず、今いる会社にすんげ~不満がある。そりゃそうです。だから、転職を希望している訳で。面接の冒頭は大抵、先ずこの「現職を辞めたい理由」の確認から始まりますね。最低限の礼儀なき者たちは、ここで、いかに現職の会社がブラック企業か、いかに体制がポンコツか、いかに上司が駄目か、ということを切々と、長々と、そこまで言わなくてもいいんじゃない?ってぐらい話します。②次に、その会社で培ったスキルを懸命にアピールする。まぁ、自分の経験値を面接官に伝え、好印象を得るのは当たり前のことなんですけどね。ただし、屁理屈こきの僕は、ここで、ゴリッとした違和感、矛盾を感じてしまいます。「あなたは現職で、どのような立場で、どのような業務をしていますか?スキルを教えてください」という質問に対して、最低限の礼儀なき者たちは、さっきまで、今の会社がブラックだ!上司がクソだ!と言っていたのだから、「今いるブラック企業の、クソ上司から、得たスキルなど一つもありません。全ては無駄な時間でした!未経験者だと思って頂いて結構です!」とでも言うのかと思いきや、何故か、やはり切々と、長々と、自分が現職で、どれだけ責任ある立場か、どれだけの技術を身につけたか、どれだけ立派な業務をしているのかを、懸命にアピールするんですね。ゴリッ!ああ、ゴリッとした違和感!僕の第三の目の瞼の裏に、小さな虫でも飛び込んできたよな、ゴリっとした違和感!今あなたが胸を張ってアピールしている、責任、技術、業務、あなたの経験値の全ては、先ほどあなたが罵倒していた、ブラック企業で教わったものでしょう?ブラック企業で培ったものでしょう?クソ上司から教わった技術も、いくらかはあったのでしょう?と、僕なんかは思ってしまう。会社を辞めるにせよ、去る者の、最低限の礼儀ってのがあるでしょう?現職の事を、転職希望先の面接で、無茶苦茶言うもんじゃないですよ。うちの会社に入社しても、数年後にはきっと当社に対して、ブラック企業だ何だと言い出す人なのだとしか思われませんよね。と、助言したくなってしまう。まぁ。言いませんけど。③最後に、「採用となったら、いつから来れますか?」と聞くと、「すぐ来れる」と言う。辞める会社のことなんて、もう、どうでもよいのでしょう。採用してくれるのであれば、次の会社の役に立てるよう、出来るだけ最短で辞めてくると言う。僕は、こういった輩には、さすがに一言申します。先ほど、あなたがアピールしてくれた現職でのポジションから推測するに、あなたが、今の業務の全てを後任に引き継ぐまでには、最低3か月はかかるでしょう。今の会社にご迷惑のかからないように、確実に業務の引継ぎを終えてから来てください。うちは、現職を逃げるように辞めてくるような社員が欲しい訳ではないんですね。最後まで責任をもって、業務を遂行出来る社員が欲しいんです。ちなみに、あなたの今後の為に、ささやかな助言ですが、もし、当社が不採用で、次の会社の面接を受ける場合でも、今のあなたのように、現職をさっさと辞めて、明日からでもここに勤めたいというような発言に対して、おお、辞めてこい!そんなヒドイ会社、さっさと辞めてこい!うちは人手不足、明日から雇ってやる!と返事するような会社に就職するのは止めた方がよいすよ。きっと、ろくな会社じゃないですから。ここまで言うと、ほとんどの最低限の礼儀なき者たちは、露骨に「さっきから何言ってんだこのハゲは?」というような怪訝な表情剥き出しになり、面接の部屋を去る。そして、うちの会社には、もう二度とやって来ない。不当な賃金。不当な労働。セクハラ。パワハラ。いじめ。ストレス。屈辱。恨み。いろいろあって。ほんっと~にいろいろあって。今の会社を辞めたい!辞める!転職する!よく解ります。僕も会社を転々としてきた人間ですから、辞めるに至るまでの人の気持ちは、よ~く解ります。でもね、去る者の、最低限の礼儀はあるでしょう?少しでも、微塵でも、今の会社に世話になったのなら、最低限の礼儀はあって然るべきでしょう?ぶっちゃけ、現職に対する本心は、こっちはどうだっていいんです。見たいのは、現職への礼儀を踏まえた態度だったりするっつーの!企業が本当に欲しい人材は、したたかに、そういったポイントを押さえられる人間だってことが解んないかね?と、僕は思います。よ。いろいろ言ってすまん。申し訳ねー。P子画伯の作品、その3、「マグネット式お絵かきボードで書いたパパ」砂鉄で、この生々しいクオリティー。夢に出てきそう・・・。さて、次の話。僕は、にほんブログ村という、ブログランキングサイトに参加しています。(人気ブログランキングにも参加していますよ。)そうです。オラぁ、ブログ村で、毎日せっせとブログを耕す「村人」の一人でごぜぇやすだぁ。んでね。最近オラぁ、すっげー気になってることがあるだよ。それがよぉ。ある一定のアクセス数を得られるようになったブロガーさんのなかで、ある日突然、ブログランキングサイトを辞めます!と宣言される人達がいるだよ。んで、実際、お辞めになる訳ですけんど。その辞める間際のブログにね。「ブログランキングサイトには意味がない!」「ブログ村はもう古い、他に新しい集客法がいくらでもある!」「みなさんも今すぐ辞めた方がよい!」みたいなこと書かれている記事が多くあるずら。ちらほらお見受けするずら。あれ、何ずら?オラ達、何万というブログ村の村人は、今日もランキングサイトでせっせとブログ耕しながら、健全に、意気揚々とブログを公開している訳じゃけんど、オメーが勝手に村を出て行くのにかこつけて、去り際に、土手の上から、村人に向かって、「こんな村に居ても意味がねぇずらー!」「こんな村古いずらー!」「オメたちもオラと一緒に東京へ出るだー!」などど叫ぶのは、どういう心持ちずら?村人、クワ持って、くちポカーン。ずら。いろいろあって。ほんっと~にいろいろあって。村さ、出ていくんじゃろ?オラたちゃ、だぁ~れも止めちゃおらん。でもよ。ブログをはじめたばかりの、ひよっこブロガーの頃には、ちったぁ世話になったんだべ?ランキングサイトで培ったスキルを、今後、一切使わない、今後、全て否定する、そんなこと出来っこないんだべ?「村」を去るのは、勝手なのだけれど、去る者の、最低限の礼儀、世話になった「村」への、最低限の仁義があるじゃろうが?と僕は思います。ずら。だべ?P子画伯の作品、その4、「ままとパパ」ママのまわりのあるのは「お花」。パパのまわりにあるのは「ひょうたん」!P子画伯の作品、その5、「パパ」ひぃっ!こ、こ、こんな風に、み、見えてる日もあるんだね、僕・・・。 娘よ。父を描く、最低限の礼儀として、せめて、人間として書こうかね。 にほんブログ村
2017.11.22
リビングの花瓶の植物が変わりました。「年貢で米を取られちまって、オラたち百姓は、あわやひえしか食べられねぇだぁ」の、「あわ」です。花屋で売ってるんですな、「あわ」。僕も妻も初めて見ました、「あわ」。いや~すっかり秋ですな、「あわ」。「あわ」、あわわ。ここのところ職場の若手社員に、業務上、イー--ッてなることが重なりまして・・・。はらわた煮えくり返るつーか、ガッカリするつーか、むしろ気の毒つーか。おっさん及びおばはん諸君、あるでしょ?最近の若者に対してイーーーッてなること。でね、この場を借りて、最近の若者に対する愚痴を思い切りぶちまけてやろうかなと思ったのだけれど、・・・数秒考えて。やっぱりやめて。元来僕は、性格がヘソ曲がりなので、こーなったら、今回は逆に、最近の若者を思いっきり褒めちぎってやろうかなと思います。では、只今より最近の若者を褒めます。どーぞよろしく。最近の若者を褒めます。「並んで待てる」コンビニのレジでも、スーパーのレジでも、我先にと横から割り込んでくる奴は、大抵、年配の人が多い。混んでいる飲食店で、行儀良く順番を待てないのも、年寄りが多い。些細な落度を見つけては店員を呼びつけて、頭が壊れてしまったかのように、ぎゃーぎゃー文句言ってるのも、まあ、言っちゃ悪いけど、我々より上の世代の、じじばば連中、諸先輩方だな。最近の若者は、もちろん全員とは言わないが、行儀よく並んで、辛抱強く待てる人がほとんど。待つ時間をむしろ楽しんでいるかのようなところもあって、まったく感心する。我々年配者は、若者を見習わなくてはならない。最近の若者を褒めます。「酒の席を必要としない」そもそも酒を飲まない奴が多くなってきてますな。うちの会社も、若手4人のうち3人は酒を飲みません。そんで近頃は、「酒は飲めない」または「飲めるけど仕事の延長では飲みたくない」とハッキリ申す若者が増えているとのこと。偉いね若者。正解だよ。馬鹿な大人に無理強いされても、飲めないなら、飲みたくないなら、断ればよい。この調子でいけば、向こう10年のうちに、酒席で何かを決するようなサラリーマンの文化はなくなる。たぶんね。おっさんなんか散々マズい付き合い酒飲んでよぉ、上司や先方様のくどい訓示聞いてよぉ、高い店で豪華な飯喰わして貰っても、仕事の延長って気持ちがあるから全然美味くねえしよぉ、正直言って、酒席での話や出来事で、その後の自分のサラリーマン人生に影響を及ぼした事があったかというと、僕にはない! ねーよ!僕が見てきた限り、やたらと酒の席を大事にする人ってのは、昼の通常勤務中に、まわりに対して配慮のない発言や、身勝手な行動をする人が多いように思われる。それが原因で生まれた「わだかまり」を、酒席を設けて水に流そうとする。上手に水に流し続けてるつもりらしいけど、こびりついているんだけどね、「わだかまり」。僕は自分の部下とは、昼間にシラフで信頼関係を築きたいと思っているので、夜、飲みに行くことはありません。腹を割った話は、酒などなくても出来ます。最近の若者を褒めます。「外で立小便しない」最近の若者は、オシッコがしたくても、トイレにたどり着くまで我慢が出来るんですね。ごく普通に公衆マナーが守れるんだなぁ、偉いなぁ、と建設現場で働いていると特に思います。大きな建設現場で、トイレの無い一般公道工事で、我慢出来ずに、そこらで立小便をするのは、いつも年配の職人さんです。会議中にデカい声で私語をするのも、喫煙マナーが守れないのも、公衆便所を汚しても平気なのも、僕達40代から上の年配の連中が多いです。まったく情けない。最近の若者を褒めます。「車をステイタスとしない」有名ブランドの高級車に乗っていれば、しょぼくれた自分の器が幾分か大きくなったような気がする。おっさん達の世代には、そんな「車に乗せられている男」がウヨウヨいて、それに群がる女もワンサカいましたよ。車が、社会人としての自分の地位や身分や立場を表す重要なアイテムだったんですな。「ベンツ乗ってりゃ怖くて誰も近づいてこねーぜ」とか、「あいつ軽自動車のくせに偉そうに」とか、「私クラスの女になるとクラウンぐらい乗ってる男じゃないと」とか、ああ、恥ずかしい。ん?今もか?最近の若者の価値観は、もうメディアが手を施す余地がないくらい、細分化されてしまっているから、我々の世代みたいに、メディアの情報に踊らされ、集団で発狂するなんてことも少なく、安くて実用性の高い車を、ごく自然に「愛車」としてサラッと乗ってしたりして、実にかっこよろしい。あと、そもそも車を所有しないでふつーに都市生活している奴もいたりして、驚くね、まったく。小学校一年生のP子が、お料理をしています。オクラを真っ二つに切って、お皿に並べて、とろけるチーズをかけて、オーブンで焼いて完成。「テレビで見たやつ」という料理名だそうです。最近週に2回ぐらい作ってくれます。酒のつまみに最高。P子やOちゃんのような、我が子の世代が大人になって、社会に進出してくるのは、まだ20年も先の話。その頃には、僕たちの世代では、相手にならない、想像もつかない、得体の知れない、そんな若者たちで社会は溢れかえっているのかもしれないなぁ。僕みたいなタイプの会社員は、今の会社に本当に力ある新しい勢力が出てきたら、まっさきに邪魔者になるでしょう。覚悟はしてます。僕自身が20年前、当時の「最近の若者」の代表みたいな糞ガキだったし、「新しい考えが常に正しい」と信じて、古い組織、古い考えと、敵意剥き出しでやりあって来たのだから仕方がない。因果応報です。かつて、時代の流れを静かに認めて、言いたいことは山ほどあれど、グッとコラえて、黙って退職していった先輩達。その背中を見送ってきた張本人として、自分もその時が来たら潔く静かに身を引こうかな。・・と数秒考えて。やっぱりやめて。元来僕は、性格がヘソ曲がりなので、どーせなら、30も40も年の離れた若者に、これ見よがしに敵意剥き出しで、必死で会社にしがみついて醜態をさらしている、無様なジジイとして生き抜いてやるとするかな。ふっふっふっ。いーね。楽しみ。にほんブログ村
2017.09.15
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