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私が所有している「ショーロス第10番」の簡単な感想を書いておきます。○自作自演(1957年5月24日録音) さすがにテンポや楽器の混ぜ具合など、かくあるべしと思わせる。が、これほどの規模のオケを振り慣れていないせいか、時折破綻寸前になる。この響きとリズムのカオス状態にオケも合唱もやや困惑ぎみのようだ。それでもフランス国立放送響は献身的な演奏でこの曲の再現に貢献している。トランペットソロはなかなかうまい。合唱とオケのバランスが悪いのは録音のせいか、それとも作曲家の意図なのだろうか。自作自演集(楽天アフィリエイトにありません)○マータ指揮ヴェネズェラ響(1990年6月) アメリカのオーディオファイルDorianのデジタル録音は流石に優秀。どんな楽器もはっきりと聞こえる。これによりカオスがはっきりと聞き取れる。マータは自演盤をよく研究している。それ以上に名も知らぬこのオケが大変がんばっているし、それぞれが豊かなイマジネーションと共感をもって弾いているのがよくわかる。マータの指揮もすばらしく、リズムが重層になっても決して崩れず、しっかりと各リズムを刻んでいる。 トランペットソロはなかなか。ちょっと危ないかと思いきや、すぐ立ち直るところはライブみたい。かなり熱い演奏だ。オーディオファンにはおなじみDORIANレーベル。中古屋かオーディオ屋でたまに見かけます。○MTT指揮ニューワールド響(1996年1月) 前回のブラジル風バッハのなかに収められている。さすがにMTT、響きの整理ができていて濁ったりしない。が、反面カオス状態でなくなり、ジャングルが綺麗に刈り取られた庭園みたいだ。そこに現れる鳥は空気ポンプで動くロボット、鳴き声はスピーカーから流れ、原住民の歌声は扮装した(なぜか白人顔)インディオのコーラス隊。そう、ここはジャングル気分が味わえるディズニーランドのアトラクションなのだ。全てが美しく整えられているが、何かが違う。 トランペットソロがめちゃめちゃカッコイイ&鳥の鳴き声をイメージさせる素晴らしいものだけにとても惜しい。でも続編が聴きたい。
2006年05月01日
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ショーロスシリーズはブラジル風バッハと同じく、編成も形式もばらばらな連作だ。全部で15曲作曲、うち2曲は紛失しているという。いずれ失われた2曲が発見された、なんてこともあるかもしれない。生きているうちにそんなことがあればいいなと思う。 全15曲の編成を記しておく。それからショーロスと名前のつく曲はこれ以外にもあるので注意が必要。ここでは番号が付された曲をあげている。 第1番 ギター・ソロ 第2番 フルートとクラリネット 第3番 男性合唱と管楽器アンサンブル 第4番 3つのホルンとトロンボーン 第5番 ピアノ・ソロ 第6番 オーケストラ 第7番 管楽器アンサンブル、ヴァイオリンとチェロ 第8番 大オーケストラと2台のピアノ 第9番 オーケストラ 第10番 混声合唱とオーケストラ 第11番 ピアノとオーケストラ 第12番 オーケストラ 第13番 2つのオーケストラとバンド(紛失) 第14番 オーケストラとバンドと混声合唱(紛失) 番外 ヴァイオリンとチェロ ショーロスのための序曲 オーケストラとギター あらためて、失われた13番、14番が聞きたくなりますね。「ブラジルの魂」というサブタイトルで有名な第5番、ギタリストの必携レパートリーである第1番以外はあまり知られていない。 だが声を大にして言いたい。これらは全て知られざる名曲揃いで、是非聞いていただきたい。もしどこかのオケ会員の方がいらしたら、ショーロスを聴かせろと投稿してください。 今回取り上げるショーロス第10番はヴィラ=ロボスの傑作のひとつ。人によっては最高傑作と言っている。 ここに聞こえるのは、ジャングルの濃密な空気、どこまでも続く深い森、どぎつい色彩の花々、遠くに聞こえる野鳥や野獣の声、インディオらの素朴で力強い歌声だ。そうしたものが混沌とした状態そのままで提示されている。変にまとめようとしていないところにこの曲の生命を感じる。ジャングルに突然迷い込み、野鳥の声におびえながら進んでいく冒険心の高まり、あるいは失われつつある野生への賛歌、悲しみ。 サブタイトルはCatulo da Paixao Cearenseという詩人の「modinha」から採った「Rasga o Coraçao(Rend My Heart)」。「心かき乱す」とかそんな意味か。ヴァイタリティ溢れる曲なのに、なぜこんな悲しいサブタイトルが付いているのだろうか。 スコアが手元に無いので詳細はわからないけど、全体は5つに分かれていると思われる。冒頭いきなりダダーンと衝撃を与えるやり方はまるでハリウッド映画音楽。が続く2部で現れるモチーフに全曲の核となる細胞を潜ませている。いろんなモチーフが各楽器のソロとして現れては消え、全く取り止めが無い状態に鳥の鳴き声、獣の咆哮を聞く。ジャングルに迷いこんだ感覚だ。 3部からは先ほどの細胞が増殖し始める。次第にそのリズムは力強くビートを刻み始め、男性合唱が囃したてる。まるでバリ島のケチャみたいに意味の無い言葉を発しながら。女性合唱が大らかなメロディーを歌いだす頃になるとオケがポリリズムというより様々なリズムを刻みながらこれまた囃し立てる。 そして最も好きな箇所、トランペットのチョ~かっこいいソロとそれを囃す合唱とオケ、ここに至ると脳内が痺れてジャングルの空気を胸いっぱい吸い込んだような清清しい気分になる。 リズムの饗宴は続き全体がカオス状態で進行し、合唱がひと際高く頂点を築くとオケが重い和音を叩きつけ、たった12分の、でも非常に濃密なジャングル紀行は終わる。(続く)
2006年04月30日
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マイケル・ティスソン・トーマス指揮ニュー・ワールド響(ソプラノ:ルネ・フレミング) 録音年月:1996年1月16日17日 録音場所:フロリダ・ブロワード・センター、フロリダ---------------------------------------------------------------------------- さてこれも生誕100年に合わせた録音(だから1887年だってば!)。あのMTT(名前長いからこう省略するのが普通みたい)がヴィラ=ロボスのアルバムを作ること自体、大変驚き。この調子でメジャー指揮者達がこぞって録音…とはついにいかなかった。頭脳明晰、何でもござれのMTTがブラジルの巨人にどう挑むのか、ワクワクしながら聴いた。しかもショーロスNo.10まで入ってるぅ~。○第1楽章 ・ソプラノのハミングの出だし:第1、第2音とゆったりしたテンポから息継ぎなしで第3音へ。さすが! ・フレミングはオペラ歌手だけあって、発声もオペラ的、とにかく歌の作り方がうまい。歌詞は無くとも劇的。 ・チェロのソロは良くも悪くも作った感じ。もう少し自然な呼吸が欲しいところ。○第2楽章 ・テンポは早いが、早口言葉はついていけてない。 ・「カリリの里を思い出させよ!」のあとのチェロは音量調整は小さく始めていて、さすがMTT。 ・ラストは少し音量を落としそのままクレシェンドして高音!たいへん劇的です。脱帽! 第5番に関してはフレミングのおかげでドラマティックな演奏となっている。アルバム全体としてMTTは非常に醒めた視点で見通しのいい演奏となっているところは、マーラーやストラヴィンスキーなど他の作曲家と同じ姿勢だ。よって熱いジャングルの息吹や魂の叫びみたいなものは皆無。けれど、第4番冒頭の透明な響きや第7番の力感など、音楽の仕掛けの面白さやユニークさといったものは十全に表出しつくされている。いやー、面白い! 別に動物園の飼育係ではありません(笑)
2006年04月27日
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エマヌエル・クリヴィヌ指揮リヨン国立管(ソプラノ:マリア・バヨ) 録音年月:1994年9月27日、10月2日 録音場所:モーリス・ラヴェル・オーディトリアム、リヨン--------------------------------------------------------------------------- 時代はぐっと下がって、ヴィラ=ロボス生誕100年イヤーに合わせた録音(ということらしい。生年は1887年なんだけどね)。しかもフランスのオケ、フランスの指揮者だ。カプリングにアマゾン川、ギター協奏曲(ロベルト・アウセル…ギター界では超有名なんだけど)も入れてヴィラ=ロボス入門にしてはなかなかのマニアックな選曲。 クリヴィヌは元ヴァイオリニストだけあって歌い回しがごく自然で、好ましい。ドビュッシーなどでも暖かくも明晰な演奏を聴かせてくれる。もっと来日してほしい演奏家のひとりだ。○第1楽章 ・ソプラノのハミングの出だし:第1、第2音ともタメなく息継ぎなしで第3音へ。 ・ソプラノの声は現代的な明るさで伸びやかな歌いぶり。声のコントロールもうまく、細かな表情付けも決まっている。が、隙が無いというか、ロンパールームの歌のお姉さん「酒井ゆきえ」的な健康的な声は果たしてブラジルのサウダードにマッチしているのだろうか、と疑わずにはいられない。 ・チェロのソロは絶妙な呼吸があって歌が生きている。○第2楽章 ・テンポはやや遅めで言葉をはっきり聞かせている。良く言えば言葉を大事にしているが、悪く言えば冒険していないとも言える。 ・「カリリの里を思い出させよ!」のあとのチェロは音量調整もなくそのまま進んでいく。 ・ラストはクレシェンドなくそのままの音量、息継ぎののち綺麗な高音で決める。 たいへん綺麗な音楽的な仕上がりで、ブラジルのというよりフランスの曲を聴いているよう感じだ。例えていうならムソルグスキーの「展覧会の絵」をラヴェルが色彩豊かにオーケストレーションしたため、フランスの曲みたいになってしまったのに似ている。もっともヴィラ=ロボスはパリに遊学していたし、ミヨーやダンディなどとも親交があったのだからフランス的な要素がないわけではない。この演奏はそのようなヴィラ=ロボスの「フランス的」な側面に光を当てようとしたのかもしれない。アマゾン川~ヴィラ=ロボス:傑作集
2006年04月26日
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バティス盤エンリケ・バティス指揮ロイヤル・フィル(ソプラノ:バーバラ・ヘンドリクス) 録音年月:1985年 録音場所:セント・ジェームス教会、ロンドン---------------------------------------------------------------------------- 爆演指揮者バティスならさぞかし凄い事になってるだろうと誰もが想像するだろう。が、この人時折肩透かしをくらわせたりする。ことにロイヤル・フィルと組んだ録音では意外に(?)まともな音楽を聴かせてくれる。例えばレスピーギの「ローマ3部作」。世評高い(?)演奏なのでワクワクしながら聴いたけど大したことない普通(にうるさい)演奏だった。イギリスのオケが自発的に脱線を防止してくれたのだろうか。 ここに聴くヴィラ=ロボスも原始林の奥深く野鳥や猛獣たちの叫び声が咆哮、原色の花々が咲き乱れ、音の阿鼻叫喚、まさに音楽の地獄絵図だぁー・・・と古舘伊知郎ばりのトークは全く必要ない、太い歌をひたすら紡いでいく演奏だ。 いろいろな声部が聞こえてくるが未整理状態に聞こえ、それがジャングルなのだ言われれば確かにそうかもしれない。○第1楽章 ・ソプラノのハミングの出だし:第1音、第2音ともテヌートぎみに一息で第3音へ。 ・バーバラ・ヘンドリクスはやや暗い音質で妖しい感じ。太い1本の歌を紡いでいく。細かい表情付けは特に行われていない。 ・チェロのソロは可も無く不可もなし。○第2楽章 ・テンポは速いが、その分発音は怪しい。 ・「カリリの里を思い出させよ!」のあとのチェロは音量調整もなくそのまま進んでいく。 ・ラストはクレシェンドしてそのまま息継ぎ無く高音を響かせる。これも短くすぱっと切っていて気持ちがいい。 むせ返るような作曲者の盤とは改めて時代の違いを感じる。確かに普通に聴けばラテン人特有の濃厚な歌が聴かれるものの、香りというか格というか、かなり薄い印象を受ける。逆に言えば、よりインターナショナル、より耳に馴染める表現になってきたのかなと思える。Barbara Hendricks『Villa-Lobos: Bachianas Brasileiras For Orchestra:』最近はネットからダウンロードすることができます
2006年04月25日
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カポロンゴ盤ポール・カポロンゴ指揮パリ管(ソプラノ:マディス・メスプレ) 録音年月:1973年6月 録音場所:サル・ワグラム、パリ---------------------------------------------------------------------- 長らく日本ではブラジル風バッハといえばこの盤であった。これだけ息長くいられるのも単にこれしかないというだけでなく、演奏が美しいからだと思う。実は今まで聞いたことがなかった。今回このブログを書くにあたってどうしても聴いておかなければと購入したのだが、こんなに素敵な演奏ならもっと早く聴いておけばよかったと後悔したぐらい。○第1楽章 ・ソプラノのハミングの出だし:第1音第2音からブレスなしでするっと第3音へ。なぜここがハミングで歌わなければならないのか、この人はよくわかってる。再現部分はデリケートでなければならないのです。 ・ソプラノは自作自演のロス・アンヘレスを意識、研究したと思われる。表現方法にマネた部分がある。中間部(歌詞がある部分)のテンポは随分遅い。 ・チェロのソロ:さすがにパリの奏者はうまい。感覚的な歌のつかみ方、絶妙な色合い、ちょっと泣きを入れてみたりと素晴らしい。○第2楽章 ・テンポが一番遅い。チェロのアクセントが独特で面白い。早口部分はよりバッハのように聞こえる。 ・「カリリの里を思い出させよ!」と歌い放ったあとの合奏チェロの音量はぐっと押さえ込んでいて素晴らしい。続く鳥の鳴き声がうまく活きてくる。 ・ラストは充分にクレシェンドしてブレスなしで高音へ。自作自演盤同様、やや絶叫調。(リサイタルなら大ウケ) 例えば第2楽章で鳥の鳴き声を模した(と思われる)チェロの各奏者が絡み合うところの何ともうれしくなるような雰囲気は奏者の技量以上にカポロンゴの耳の良さを感じる。自作自演をよく研究し、良いアイデアは活かしながらも、この曲の美しい魅力を何とか引き出そうとしているフランスの演奏家たちに拍手を送りたくなった。ジャケットも楽しいカポロンゴ盤
2006年04月23日
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ヴィラ=ロボス指揮フランス国立管 録音年月:1956年6月7日、13日 録音場所:? 自作自演がしかも彼を認めたフランスのオケで残されているのは、彼の音楽を愛する者としては何とも言えぬ喜びだ。 時代からしてモノラルなのは仕方ないが大変聞きやすいのがまた嬉しい。 この全集はLP時代から持っているけれど、CDになってもLPは持ち続けたい。そんな私の愛聴盤のひとつだ。 フランス国立管はまだフランスの薫りが残っている時代、音色の色艶、歌い方の妙技、絶妙なアンサンブル(微妙にズレてるところが何とも微笑ましい)。作曲者の指揮ぶりも見事なもので、時に音が明るく軽くなってしまうところを引き締めてブラジルの大地を思わせる、太くて重い音を引き出している。音色が暖かくちょっと暗い感じで、うまくサウダード(郷愁あるいは失ったものへの想い)している。特徴を一言で言えば「味のある演奏」。もうこんな演奏は現代では聴けないだろう。 さて、第5番の聴き所をかいつまんでみる。○第1楽章 ・ソプラノのハミングの出だしは、「第1音を伸ばして」「ブレス」「第2音からブレスなしで第3音へ」。 ・ソプラノのビクトリア・デ・ロス・アンヘレスは愛らしい歌い方で、録音のせいか声に潤いはないが明るく伸びやかで表情付けが細かい。 ○第2楽章 ・早口でも言葉は明瞭で自然。素晴らしい。 ・「カリリの里を思い出させよ!」と歌い放ったあとの合奏チェロの音量を抑えた絶妙な入り方は流石に作曲者の意図を反映したものか。単なる伴奏ではなく、有機的な部分として音楽の一翼を担っていることに気付かされる。 ・ラストの部分は、長い音をややクレッシエンドで盛り上げ、ブレスし、最後の音はやや絶叫に近い声で締める。 作曲者の意図が100%表現されているかどうかはともかく、時にブラジル民謡、時にバッハ、時に懐かしさ、時に哀しみが交錯する不思議な世界がここには確かに現れている。
2006年04月16日
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ヴィラ=ロボスの重要な仕事は3つあると私は考える。「ブラジル風バッハ」「ショーロス」「カルテット」。 このなかで代表作にして有名曲と言えば、ブラジル風バッハ全9曲だ。これは、「世界中の民族音楽に深く根ざしたもの」というほど彼が尊敬してやまなかったバッハへのオマージュであり、バッハへの「音楽の捧げ物」だ。 しかも単にブルジル民謡をバッハ風にアレンジしたというレベルの低い作品ではない。ヴィラ=ロボスはいろいろ言ってるが私流に解釈すると「バッハがブラジルで生まれたらこんな音楽を書いただろう」という野心的で大胆な曲集なのだ。こんな大それたことをやってしまうところに彼の自由な精神を垣間見てとれる。 全曲はそれぞれ編成が違うから、全9曲連続演奏会となるとたいへん費用がかさむだろう(どこかの音大が学園祭でやらないかな)。試しに各曲の編成をあげてみよう。 第1番(8台のチェロ合奏) 第2番(室内オーケストラ:1管編成) 第3番(ピアノ+2管編成オーケストラの協奏曲風) 第4番(ピアノソロ→2管編成オーケストラに改作) 第5番(ソプラノと8台のチェロ合奏) 第6番(フルートとファゴットの二重奏) 第7番(2管編成オーケストラ) 第8番(2管編成オーケストラ) 第9番(弦楽合奏または声によるオーケストラ) 全曲録音は自作自演盤(モノラル)、爆演指揮者バティス盤、地元ブラジル響のデジタル初録音盤、それに最近のNAXOS盤ぐらいか。超有名曲、第5番だけならもっと多くなる。 この第5番のアリア、私にはラフマニノフのヴォカリーズと並ぶ「癒し」のメロディーだと思う。官能的でどこか憂いがあり、儚い夢のような音楽。 20年以上前にNHK-FMの日曜深夜だったか「夜の停車駅」という江守徹さんの朗読とクラシック音楽を合わせた粋な番組があった。そこで中原中也や宮沢賢治の詩に合わせて、この曲が流れていた記憶がある(間違ってたらごめんなさい)。 この第5番をいくつか比較試聴して、異型なこの曲がどう受容していったかを聞いていきたい。 第5番全体は2楽章で構成されている。ブラジル風バッハ全体では、バロック風な表題のほかにブラジル風な表題を付けている。「形式(発想や雰囲気)」といった意味と思われる。 ○第1楽章は「アリア(カンティナーレ)」 歌い始めはヴォカリーズ(歌詞のない歌)、中間部でポルトガル語の歌詞、最初のメロディーが戻ったときはハミング(苦しそう)。このメロディーが戻ってくるときの出だしはデリケートなだけに、聞き所ポイントだ。 ○第2楽章は「踊り(マルテロ、槌の響き)」 エンボラーダ(踊られもする民謡の一種)の気分を持ち、かつ多くのモティーフは野鳥の声を模したものという。(槌=鳥のくちばしの比喩) 出だしの音の跳躍などは鳥の鳴き声としか思えない。が歌手にとっての問題はポルトガル語の「早口歌」かと思わせるスピードと歌詞の難しさだ。 この早口部分と、鳥の声、伴奏チェロの雄弁さなどを聞き所ポイントとしよう。 (続く)
2006年04月15日
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普通のクラシック音楽愛好家の方はブラジルの国民的作曲家エイトル・ヴィラ=ロボス(1887-1959)のことをどれだけ知っているのだろうか。私はこの名前を聞くと、太い眉、大きなギラギラした眼、大きな鼻をした彼の顔とでかい葉巻を思い出す。強烈なインパクトのある顔つきだ。 創作数1000曲と言われる多作家で、ラジオドラマを聞きながらスコアを書いてしかも筋を全部覚えていたという逸話もある。ただしせっかく作った曲を他人に渡したきりで紛失してしまったものもあり(もったいない)、その全容はまだ掴めていないという。 作曲ジャンルも多彩で交響曲12、ピアノ協奏曲5、チェロ協奏曲3などの協奏曲(ハーモニカ協奏曲なんてのもある)、バレエを含む管弦楽曲、オペラ、ピアノ、バイオリン、チェロ、それにギター曲などの器楽曲、弦楽四重奏曲18を含む室内楽曲(神秘の6重奏曲なんのもある)、歌曲(これがまたかわいらしい)、合唱曲などなど・・・・ああ、お腹いっぱい! ハリウッド映画「緑の館」(ヘップバーン主演)の音楽も担当した。 彼は正規の音楽教育を受けず、ほとんど独学。10代の頃、ギター片手に親に逆らってリオの下町の音楽仲間とショーロの合奏に明け暮れていた。ショーロは「民衆的なセレナード」と説明されているけど、メキシコのマリアッチみたいなものか(間違ってたらごめんなさい)。ショーロは器楽合奏の形態だけど、時折ひとつの楽器がソロを取り、また次の楽器がソロをと即興的な面も持つ。ジャズセッションに近いのかも知れない。この体験が後に、重要な作品群である「ショーロス」全14曲(No.13,14はスコア紛失)につながっていく。 20代ではアマゾンの奥地へ探検して、そこの原住民(インディオたち)の歌を採取している。 後に音楽院で教育を受けるも「既に知っていることばかり」とすぐに中退。「私は対位法というものをバッハとリオの音楽家(ショーロ仲間)たちから学んだ」と言ってるように、他の作曲家のスコアと実地の経験から音楽の何たるかを体得していったのだろう。まあいずれにしてもすごい人だ。 彼の音楽の特徴は、それまでの音楽にはない独創性にある。正規の音楽教育を受けていないこともあり、自由な音の扱い、和声も新鮮、よって大変野生的、でもピュアで素朴、どこか人懐っこさもある(彼の人柄そのもの)。 ところで、クラシック・ギターを弾く人にとって、彼は「なじみ」の作曲家だ。12の練習曲、ブラジル民謡組曲、5つの前奏曲、ショーロス第1番、ギター協奏曲・・・どれもが素朴な味わい、美しさ、独創性を併せ持ち、豊かな世界を我々にもたらせてくれる。ギターのためにこんな素敵な曲を書いてくれた有難いお人なのである。 ことに練習曲はギタリストを目指す者なら必ず弾かなければならないピースで、前半6曲のメカニカルと後半6曲の音楽表現の難しさはショパンの練習曲に匹敵する。 弾くとわかるんだがこの人はギターを知ってるし、さらに「こんなことやっちゃうんだ!」と驚きもある。左手の運指を変えずにポジションひとつずつ落としていくだけで、不協和音もなんのその、ぶっとい音の流れを作る練習曲第1番などは楽譜を見ると難しそうだが、やってみると(教えてもらうと)とっても簡単だったりする。おそらく他の楽器もそうなのだろうと思われる(何しろほとんどの楽器が弾けたらしいから)。前奏曲第1番の野太い歌、洒脱なワルツの第5番などいい曲ばかり。 大抵のギタリストは録音してるし、どれもいい演奏であるが、ここは昔親しく居酒屋で飲んだ思い出に、福田進一さんのCDをお勧めしておく。福田さんのギターは深刻ぶらずに明るく楽しい(人柄が出てるなぁ)。もうすぐラテン曲集の新盤も出るそうなのでそちらも楽しみだ。ヴィラ=ロボス:ギター曲全集 福田進一(g)
2006年03月12日
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ギター:マヌエル・バルエコ指揮:プラシド・ドミンゴオケ:フィルハーモニア管録音年月:1995年11月録音場所:AirStudios,London--------------------------------------------------------------------- この曲の素晴らしさは敢えて言うまい。皆さんよくご存知だから。 ここでは、私の好きな盤についてのみ、記そう。 ギタリストのバルエコのデビューは、ギターを志す人にとってかなり衝撃的だった。 ギターは6弦楽器だが、弦の太さはそれぞれ違うし、高弦はナイロン、低弦はナイロンに細い金属の巻き線と材質が違う。よって、弦が異なると音質が変わる。そこが欠点でもあるし、また魅力でもある。そこで、あるフレーズを2弦3弦にわたって弾くと、音色に鋭い人には1フレーズで音色がコロコロ変わるので耐えられないものらしい。 だが、バルエコはその欠点を克服する。まるでピアノのように均質な音で弾いたのだ。それがどれほど困難で、すごい事なのかは弾いたことがある人にしかわからないと思う。 音楽性も抜群、この人は相当耳がいいのだろう、どんな曲でも響きがぐだぐだにならず、和音がすっきり聞こえる。実は私もこういう音を求めていたが、この人を聞いてギタリストを諦めた。足元にも及ばないと思ったから。 当然アランフェス録音への期待は大きかった。ある時期、録音したという噂があったが、ライナーノートによると紛失したらしい。今回はファン待望の録音だったのである。 そして、指揮はドミンゴ!え、なんじゃそりゃ。まあ最初はそう思いました。なめられてると思いましたよ、ファンとしては。が、聴いて変わりました。いいじゃない、指揮者ドミンゴ、ブラボー。 自然な歌への傾斜、時に構造的になりがちなバルエコをよく支えて、音楽の素晴らしさを歌いあげている。第2楽章もセンチになりすぎず、ぎりぎりな歌い廻し。第3楽章の飛び跳ねるようなリズム。。。ちょっと重いかな? だが、この盤の素晴らしさはこれだけではない。 なんと、バルエコの伴奏でドミンゴがロドリーゴの歌曲を歌っているのだ。それがまた、いい。気持ちが優しくなるような曲ばかりだ。ロドリーゴの歌曲集CDを所有しているが、お座敷で聴いてるみたいな変な録音で閉口していただけに、ドミンゴの録音は渇きを癒すものだ。 さらにギターソロ2曲。最後に「ある貴紳のための幻想曲」。この曲は私も弾いたことあるので結構うるさいが、完璧なテクでかっこよくまとめてくれた。 というわけで、アランフェスのみならず、ロドリーゴ作品集としても1級品なので、皆さんに強く推薦。心なしかドミンゴのほうが主役に見える?(笑)
2006年02月27日
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ロドリーゴはアランフェスの成功で協奏曲の依頼が増えてしまった。この分野で12曲作曲している(参考:オフィシャルHP)。 「夏の協奏曲」はヴァイオリン協奏曲(1943)。私はこの曲を日本で開催された「ロドリーゴフェスティバル」(1995)で初めて聞いた。ちなみにそのときのトリは先日紹介した「アンダルシア協奏曲」だ。実際、私の目的はアンダルシアだったが、中プロだったこの曲にすっかり魅せられた。なんという馥郁たるスペインの香り、そして風が頬をさっと撫でて過ぎ去っていく爽やかさとちょっとした寂しさ。 第1楽章は割りと古典的な様式。そのなかにあって、ソロはほとんど絶えず弾きまくって忙しい。メロディーは細かなメリスマ(こぶし)をもつ第2主題がちょっといい。忙しいわりにあっさりと終わる。 第2楽章はシチリアーナ。朗々と歌われる主題を様々に形を変えて歌い継ぐ一種の変奏曲。 第3楽章は明るく賑やかなロンディーノ。ここでも1主題を変奏していく。ロンディーノは小さなロンドという意味だったかな。 それにしても、ロドリーゴの曲はどれも華やかでわくわくするような終曲が素晴らしい。前にも書いたが、聴いて楽しいということ、いい音楽を聴いたと思わせること、それだけで充分じゃないかと思う。 CDはロドリーゴ追悼記念盤として一時期発売されたシリーズのうち、ギャラント協奏曲(チェロ)と組み合わせてあった。ときどき中古屋で見かける。
2006年02月14日
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小澤のことを書くとどうしても力が入ってしまう。つい長文になって、あまりブログ向きでないなぁと反省もしたり。 ちょっと気軽な感じで書ける題材をと思い、クラシックギターの分野からいくつか拾ってみよう。 ロドリーゴと言えば「アランフェス協奏曲」。20世紀を代表する名旋律であり、いろんな分野でアレンジしまくった名曲である。一体ロドリーゴってどれだけ儲かったのかと、下世話な話もしたくなる。 だがロドリーゴは盲目だし、何より音楽が好きだったみたいだから、お金のことは他人まかせで、世界中から来る作曲依頼にせっせと応えていた。 ギターの世界ではロドリーゴはギターオリジナル曲を多く書いてくれた、有難いお人だ。ご本人はギターを弾けなかったのだから、ほんと足を向けて寝られません。 さて、「アンダルシア協奏曲」はギターファミリー(父子4人ともプロギタリストというとんでもない一家)のロメロ一家からの依頼で1967年に作曲された、4つのギターとオーケストラのための協奏曲である。 全3楽章はアランフェスと同じ構成で、「柳の下のどじょう」と言われてもしかたがないが、ギター4台である分、そして父ロメロの出身地であるアンダルシアの明るい日差しを思わせる曲調から、こちらのほうがより派手な印象だ。 第1楽章はボレロ調のリズムでいきなり華やかに始まる。メロディーも朗々とした歌いぶりで気持ちいい。第2主題はちょっと哀愁を帯びしかも情熱的。4台のギターが一糸乱れぬアンサンブルと各ソロパッセージも聞き物。 第2主題はどこか物憂げな調子。真夏の正午、日陰でぼーっとしながら見る白日夢といった感じ。メランコリーと叙情のすれすれな気分。アランフェスの動機が散りばめられていて、それがまた効果的だ。時折噴水のようにきらきらしたパッセージが挟まるが、すぐに憂いを帯びた雰囲気が戻ってくる。4台のギターによるカデンツァは夢のように美しい。 第3楽章は軽快でしかも情熱的な祭り気分。闘牛場の騒々しさと興奮、あるいは収穫祭の晴れやかな浮かれ調子が幻想的に繰り広げられている。ラストは力強く終わる。 全体に素朴だが情熱的でアランフェスより夢幻性が強い。アンダルシアってそういう所なのかな? 個人的にはアランフェスよりこちらの曲が好き。華やかだし、聴いてて楽しいし、適度に叙情的でほろりとさせるところもあり。泣いて笑っての吉本新喜劇みたいだが(笑)、そんな大衆性とは裏腹な近代性も併せ持つ。 マーラーだブルックナーだと重い曲を好む日本のクラヲタからは馬鹿にされそな軽さだが、聴けば聴くほど味わいがある、それがほんとの名曲なのではないだろうか。 CDはロメロ一家の素晴らしいアンサンブルで。ひとりひとりの技術が高く、しかも共感に溢れている。指揮はN.マリナー。ロメロ/ロドリーゴ:アランフェス協奏曲他
2006年02月12日
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