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おもった以上に濃厚なノーリッジ2日間。おもった以上に友達がいたんだなぁ、できたんだなぁと感じることができたノーリッジ2日間。荷物をノーリッジからマンチェに移動させるために帰ったノーリッジだけど、荷物を置かせてもらっていた日本の友人の力を借りながら、無事に終了。あとはいろんな人に会ったり、偶然遇って話し込んだり。2ヶ月会わないだけでも、それぞれの人を取り巻く環境って結構変わるんだね。ま、大学院と言う環境は尚更か。みんな卒論が忙しそうだけれど、就職が決まった人、これから就活スタートの人、自分の進路に向けて準備を始めようとしている人、動いている人、いろいろでした。僕の報告会、みたいな感じで、つまらんバングラ体験も少し皆さんにお話させてもらった。結構口をついて出てくるもんだね、めずらしいな、俺。それだけいろんなことを感じたってことね。何、話したっけ??将来も就職活動とかで話す機会もあるかもしれないから、備忘録として何はなさせてもらったか残しとこ。・発展途上国同士の提携自分がインターンをやったBRACはスリランカやウガンダ、アフガニスタンなどに事務所を置いて各国の様々な開発プログラムの実行などに携わっている、ということ。僕が泊まっていたBRACのゲストハウスでも、BRACアフガニスタンやアフガニスタン政府から実習で派遣されている人たちがいた。僕ら先進国の人間が何をしなくても、彼らは自分たちで動き出している。・先進的なバングラデシュNGOBRACは銀行持ったり、農村で作った商品を自分たちが持つ小売店で売ったり、BRACNETというインターネット関連企業やったり、BRAC大学やったり、いろんな活動やってる。これって日本で抱かれているNGOのイメージとは全然違う。もはやグループ企業。これには驚かされた。NGOって一体何なの?という驚き。彼らの総資産の多くがそういった営利活動から生まれたもの。自助努力によるそういった活動が団体の存続には欠かせないと思う。それに、人って人に頼ることが常態化すると、本当にもらおう、頼ろうばかりになっちゃうからね。バングラダッカでそういう嫌な経験たくさんした。・NGOの幅広い活動バングラデシュ内各地での幅広い活動。教育、衛生、健康、人権問題、男女差別の問題。国の発展は経済活動がすべてじゃない、という当たり前の事実を目にする。こういった上の問題もすべてが絡み合って国の発展がある。BRACはそういったことをバングラ中で、包括的活動を行っていた。あと、何熱っぽく話したっけ・・・・。・貧困前の日記の写真にも載せたけど、ダッカに行けば、貧困と言うのをすぐ目の当たりにすることになる。路上で物乞いやごみ拾いをして生活だったり、家計に貢献する子供達をたくさん見た。彼らのおうちにも実際お邪魔した。彼らは屈託ないんですね。不幸そうにまったく見えないの。彼らを何とかしないとっていうのはこっちの勝手な思い上がった考え方なのか、わからない。でも、彼らはこのまま大人になってはいけない、気がする。やっぱりそのためにはしっかりした生活環境、それから教育が大切なんだろうなぁと思う。でも強く発展しているバングラデシュ内でもたらされる経済的恩恵は彼らの頭の上を通り過ぎていくばかり、に見えた。でもそんな彼らのために頑張っている人たちもたくさんいて、そんな彼らの活動を見たかった、でも、見れなかった。・力強く伸びるバングラ経済とにかく現場に行ってみてください。エネルギーありますよ、バングラ経済。これから更に伸びるかは12月の選挙がキーらしいです。それにしても、国が伸びるかどうかは政治的安定がほぼすべてなんじゃないか、という気がしてきた。経済発展するための方法なんて、欧米がそして多くのアジア諸国がもう示してくれているから。東アジアの奇跡なんて言い方はもう過去の産物なんじゃないかな。そしてそんなどんどん伸びていくアジア経済の中で薄まる日本の存在感。新興国とうまくやれれば、日本の世界での存在感も保てると思うんだけどなぁ、よくわかんないけど。こんなことを熱っぽく話しました。面白かったですよ、南アジアの2ヶ月間は。でもね、でもね、一つだけ。国が発展したあとに見えるものってなんでしょう。日本でも不幸な出来事がたくさんあって、不幸な人がいっぱいいますよね。日本の幸せの量は50年前と比べて増えてるのかな?国の発展のあとに何が見えるのかな?なんてことを思ってます。当たり前のことばかりでつまんないかもしれないし、難しいことは良くわかんないけど、こんな感じかな、思ったことは。さてさて、このノーリッジでの2日間で、自分が大切だなぁと思っている人にほぼすべて出会えたような感覚。再会するべくして再会したようなそんな再会が多かった。大切にしていきたいですね。
2008.08.24
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なんてタイトルで、実は今は、もう次の遊学先マンチェスター。そこそこめまぐるしい日々で日記を書く暇もなかった(ほんとはあったけど)。21日9:00ダッカ発で、途中カタールはドーハ(だったっけ?)をはさんで、21日21:30(位だったと思う)に無事イギリスヒースロー空港着。そこから更にノーリッジへ。飛行機に乗り遅れるという失態を犯したけど、ちょっと嬉しいことも。まずダッカのカタール航空のおじさん。飛行機の時間変更、また乗り遅れ、乗らないことを報告しなかったことなどなどで本当は最大200ポンドくらいの罰金だったのに、飛行機の時間変更だけにしてくれて、それが100ポンドで済んだこと。第二にヒースロー空港のバスの運転手さん。ノーリッジへの、ね。実はこのヒースロー→ノーリッジへのバスチケットはバングラに行く前に購入済。ということで乗り遅れのせいで、本当は無効にされてもおかしくないのに、バスに乗せてくれた。これも片道と言えども、再購入したら、結構バカにならない金額。こういう融通が利くところ、イギリスには意外に結構あると思う。(日本も、かな???)そんなこんなで今回の乗り遅れの実質的損害は100ポンド。皆さんの善意にありがとう。そんなこんなで無事にノーリッジへ。帰ってきたぁっていう感慨もやはりひとしおね。なんてったって1年住んでた町だから。連絡を以前から取っておいた中国人の友人の部屋にまたお世話になる。ノーリッジからマンチェスターへの荷物の移動とかあったからね。それにしてもへとへとのたびだった。実際、ダッカのゲストハウスからノーリッジの友人宅まで、24時間かかったと思う。
2008.08.22
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飛行機、乗り過ごす。理由は単なる寝坊。とりあえず自分の名誉のために言うと、飛行機乗り過ごしは今回が人生で初めて。といっても、乗り過ごすこと自体が普通ありえないことだから、初めてだからと言って名誉が守られるわけないね。途中までへまもなく、なくしたものもなく俺にしては順調だと思っていた南アジア旅だけど、ここ2週間くらいで、時計やらシャツやらいろいろなものを失くし、飛行機を乗り過ごし、相変わらずの私。モーニングコールをお願いしておけばよかったのに、それさえ気づかないあほな私。まぁ、そんなことわかりきってるので、もう仕方ない。失敗から何かを学ぶ、というけれど、今回のことは失敗以下のこと過ぎて、学ぶことが何もない。ということで、バングラにあと数日います。飛行機の時間変更とかでお金もかかるから、もうどこかに出かける気にもならない。中国の友人は昨日バングラを発った。ありとあらゆる話をした感じ。立派だなぁと思うところや、相変わらずだなぁと思うところ、いろいろ。おバカなところ、抜けてるところ、不器用なところは俺と似てるなぁ。そんな感じかなぁ。
2008.08.18
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中国から友人が僕に会いに、ダッカに来て3日経った。日本で会って以来、約1年半ぶりの再会。ダッカの町をぶらぶらしたり、現地の人と交流したり、食ったり、買ったりの毎日。ダッカは観光都市としてはまだまだだけど、彼といると飽きることがない。中国で出会った友人の中で、一番の親友。一緒にいてほとんど冗談ばっかり言ってる友人。こんなタイプの友人はほかにはいない。そして中国人の中でもちょっと特別な中国人。なんてったって俺に会いにバングラにくるくらいだからね。彼は決して裕福じゃない家に生まれて、勉学も決して優秀じゃない。大学も自力では入れなかったほど。英語学科を出たのに、英語が驚くくらいしゃべれない、あの英語熱の熱い中国という国にいるのに。そして、僕が7年前に出会ったときは本当にうだつのあがらないだらだら学生だった。でも、今では小さいながらも会社を持つまでになった奴。チャイニーズドリームをある程度形にした奴。自分なりの哲学みたいなものを持って、人に揺らされないものを持っていると思う。尊敬してる。彼にないものを僕が持ち、僕にないものを彼は持っている。僕ら二人が一人になればなぁみたいな話もした。僕の目に映ったバングラデシュと、彼の目に映ったそれとでは、やっぱり違う面も出てくるんじゃないかと思う。そういうのを期待して、彼をここに呼んだのもある。そして、彼とのダッカ観光で、僕自身もバングラデシュの新たな一面が見えてきている。それがさらに広がることを、僕は大いに期待してる。今日は彼のおごりで、(というかかなり毎日彼のおごり)中華を食べた。久しぶりのホンモノの中華。うまかった。イギリスでも、フランスでも、バングラデシュでも僕は友人のお金でご飯を食べています。いつかお返しいたします・・・。それとそれと、英国で一緒の大学に通っていた数名の友人の進路が決定した。やっぱり嬉しいよね、ちょっとうらやましいけれど。おめでとう。
2008.08.13
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今までの人生で、訪れる宛のないたびって今回がはじめてだったんだなぁ・・・。一人旅、結構好きかも。現地の人が気さくだから退屈しない。列車のたびが大のお気に入り。面白い。外に目を向ければ、見たことのない風景。中に目を向ければ、現地の人の生活風景を垣間見ることができる。一人の時間を持とうとすればもてるし、かといって誰かと話をしたいときは、同じ車両の人と話せばよい。一人だけど、独りじゃない。そして眠るのが大好きな僕にとって、ベッドがあるって言うのが特典でかすぎ。列車移動はいつも寝台列車でした。しかもエアコンなしの、等級低めの。エアコンじゃなくて、外の風を浴びて眠れるって言うのが最高。寝台列車のたび、はまるかも。印象的な人にも数多く会いました。なかでも、インドの首相の弟のコックをやっているおじさん夫婦は印象的でとてもよくしてくれました。デリーからコルカタについてからの安全とかにもすごく気遣ってもらったし。そんな列車の中で撮った写真いくつか。写真1すごく印象的だった親子。ちょっと寂寞感の漂う、しずか~な親子。写真2かわいっしょ写真3カメラ向けたら、照れてました。写真4バラナシからアグラに向けての列車の中で、こんなカップでチャイを飲みました。これぞ至福のとき、という瞬間でした。写真5車内食。40ルピー(100円くらい)味はともかく、おなかは膨れた。ほかに写真あるけど、気が向いたらまた今度。というより、デジカメがもう古くて、うまく撮れた写真がかなりない。それにしても写真撮るの、結構面白いかもね。それから前にも書いたけど、生や死、性についての対し方。すごく直接的だなぁ、と。国籍、名前の次には、結婚してるか、彼女いるか?とほとんどの人に聞かれる。中には、Do you like sex?などという、ちょ~直接的な質問もあり。まぁ、なんと答えたかご想像にお任せ、というか任せなくてもわかると思うけど笑ネットカフェに行ってもそういうサイトを恥ずかしげもなく覗いていたり(ウェブカメラの前で腰を振る男はちょっとあほか、と思ったけど)、メディアでもそういうところの描写はかなり直接的。なんでかなぁと考えたら、どうやら宗教とちょっと関連がありそうだなぁ、って思ったり。生死や性についてのインド人の態度って宗教と密接な関連があるんだろうなぁ、と宗教の意義について少し考え方が変わった感じ。ほかにはもろもろあると思うけれど、強く印象に残ったのはこれらかなぁ。ということで、インド日記終了!
2008.08.08
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マナリー-デリー-コルカタマナリーを2日の夕方に出て15時間、デリーに3日午前無事到着。そして、3日夕方にはデリーからコルカタへ列車で出発。デリーからコルカタまで24時間のはずが、途中列車事故の影響で、結局約33時間ほど。コルカタに着いたのは、8月5日午前1時くらい。マナリーからコルカタまでずっとしっかり眠れていない。ま、バスの中とか列車の中で眠れたけどね。それにその移動中に風邪も治ったし。コルカタについてから、以前ゲストハウスを借り、3日間のたびの疲れを流す。で、その3時間後に、コルカタからダッカへ。そんなこんなで、デリーとコルカタはゆっくり見ることができず。疲れててダッカにもどってゆっくりしたい、っていうのもあった。デリーはやっぱり都会。もちろん先進国の都会にはかなわないけど、地下鉄とか乗って、ちょっと感動した。でも、実際のところデリーはしっかり回っていないので、どれくらいの発展状況かはわからない。デリー1それでもでもでも、地下鉄はこれからさらに拡張模様。発展途上国の勢いを感じさせる。デリー2この地下鉄プロジェクト、日本のODAを受けているとかで、日本の存在を主張する横断幕も。デリー3大統領官邸の一部デリー4大統領官邸一部デリー5大統領官邸の前の通りから伸びる一本の道、インド門まで。3kmだって。コルカタでは、3,4時間ほどしかいられず、見たのはマザーテレサ終末の家、のみ、死を待つ人が中で暮らす場所。ほかに特に行ってみようと思うところもあまりなかったので行ってみた。中にはそこに住む人と外国人ボランティア、彼らを看る現地のスタッフの人たち。死を待つ、と言ってもそこに悲壮感はなく、僕ら見学者もまるで空気みたいなものだった。インドと言うのは、生や死、それから性に関しても、真正面に向き合う国なんだなぁ、と旅を終了してから思うようになった。インドのたびはほぼこんな感じ。あとはインドに関しての雑感をちょこっと書いておしまい。
2008.08.05
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マナリーお勧めもあり、行ってみた。ネパールに近い標高2000mくらいにある街。言ってみたかった理由は、きれいな景色、星空が見たかった。薬をやってる外国人が見てみたかった、こと。でも、あまり目的は果たせず。この時期は天候があまりよくなかったこと、そして登った山が寒くて、僕の体調も良くなかったことが原因。着いて二日目(8月1日)に上ったロータンパスは確か4000mくらいの標高。着いたら、寒かった。天候悪いし。マナリー1マナリーの街マナリー2ロータンパスに上る途中マナリー3ロータンパスに上る途中の滝マナリー4途中ねっころがってるトラックをたまに見ます。あの山道はなかなかのスリル。マナリー5山頂は寒くて、こんないかついおじちゃんも。マナリー6いや~、さむいね。ま、ミルクティーでもどうよ!?マナりー7僕はその代わりに、温泉。マナリーの街から南にバスで10分くらい行ったグラートという村にある温泉。これ、目印。マナリー8マナリーとデリーなどを結ぶ細い車道に上の目印があり、温泉はこんな感じ。中が浴槽になってて、奥からお湯がごぼごぼ。鉄と硫黄の香りがして、熱くて気持ちよかった。で、私、高山病の代わりに風邪ひきました。山登って、温泉入った翌日、熱が出て、関節痛やせきで参りました。んで、そのまま、マナリー-デリー-コルカタだもん。気が重くなりました。マナリーも、チベットから逃れてきたチベット宗教の人がいたり、スキーとかトレッキングとかできたり、現地のおいしい食べ物とかあったり、イメージするインドとは結びつかない、別のインドという顔を持ってるみたい。そういうのを楽しみきれなかったのが残念。
2008.08.02
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