おしゃれ手紙

2016.11.07
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カテゴリ: 国内旅行
下津井

10月27日(木)~29日(土)、岡山に行った。
最後の日は、瀬戸内海の港町・下津井に行った。
下津井の由来は「吉備児島の下の津」、かつての中心であった郷内地区からもっとも下に位置する港の意 味であると云われている。
ツルの井
この辺りは、海が近いので飲み水は貴重だったという。
     ▲ 鶴の井
kamenoi
亀の井 という昔の井戸があったが、ここから先は、真水が出ない。
mizukumi
廻船問屋の一角には、 水汲みの桶 が置いてあって、水汲みは重労働だったのだろうと思う。
simotui

四国の金比羅参りや江戸時代から明治時代にかけては北前船の寄港地として栄えた。

gaido

だから、町のガイドさんのハッピも北前船の印。
madakana
ここは、橋があった跡で、この前は海だった。

港に、船が着くと、橋の上から船頭たちに
まだかな? (まだですか?)」と呼びかけた。
そのため、「まだかな橋」とよばれるようになった。
近くに遊郭があって、船頭たちは、港に着くと行くために客引きの言葉が「まだかな」なのだ。

船頭たちが、遊郭に着くと歌った唄が*「下津井節」*。
simotui
(▲元、廻船問屋。船で運んだ荷物を車のおいてある所から入れたので蔵になっている。)
明治になってしばらくすると北前船も来なくなった。

「下津井節」に当時の賑わいが残っている。

この唄は船頭達によって地元の酒の席で唄われてきたもので、あまりにも下品な歌詞だったそうだ。

レコード化される話が持ち上った時には、歌詞を公募して今の歌になっているとガイド氏が説明してくれた。
レコード化した下津井節が全国に広がると、驚いたことに、全国各地に同じメロディの民謡があったという。
その数は、26か所にも及び、その多くが北前船の寄港地に多いことから、船頭達によって持ち回れたのではないかと推測されます。
その発生地がどこなのかはっきりしませんが、中国地方を中心に唄われて来たことだけははっきりしています。

♪下津井節♪岡山県

下津井港はヨー 入りよて出よてヨ
真艫巻よで まぎりよてョ
(トコハイトノエーナノエー ソレソレ)

下津井港にョー 錨をいれりゃヨ
街の行燈の 灯が招くョ

下津井女郎はヨ 錨か綱かヨ
今朝も出船を また止めた

下津井よいとこヨ 一度はおいでヨ
春は鯛網 秋は釣りヨ

船が着く着くヨ 下津井港ヨ
三十五挺槽の 御座船がヨ
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Last updated  2016.11.07 21:09:49
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