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Bar UKマスターからのお知らせです。*************************皆さま、明日30日(火)のバーUKは、諸事情によりオープンが通常よりもだいぶ遅れて、午後7時半~8時頃になります。何卒ご理解の程をよろしくお願いいたします。
2017/05/29
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52.マルガリータ(Margarita)【現代の標準的なレシピ】(容量はml)テキーラ(30~40)、ホワイト・キュラソー(またはコアントロー、トリプルセック)(15)、ライム・ジュース(15) ※グラスを塩でスノースタイルに 【スタイル】シェイク マルガリータは現代においても、とても有名で重要なカクテルですが、残念ながら誕生の経緯・由来について、確かな説や裏付け資料は現時点では確認されていません。 にも関わらず、日本ではいまだに、「1949年、ジャン・デュレッサー(以下の【注】ご参照)というバーテンダーが、全米カクテルコンテストで3位になった自分のカクテルに、かつてハンティング中の流れ弾に当たって亡くなった悲運の恋人の名をつけた」という説が、定説のように信じられています。 【注】John Durlesserは、日本ではこれまで「ジャン・デュレッサー」と表記されることが多かったのですが、本稿では以下、より原音に近い「ジョン・ダーレッサー」と表記します。ダーレッサーは実在の人物で、カリフォルニア州ロサンゼルスの有名レストランのチーフ・バーテンダーでした。 なぜかよく分からないのですが、日本国内で発行されるほとんどのカクテルブックでは、この根拠不確かな「流れ弾説」がよく紹介されています。非常に残念ながら、最も権威と信頼性があるはずの「NBAバーテンダーズ・マニュアル」の最新改訂版(2016年、あの「食の専門出版社」・柴田書店が刊行)を始め、Wikipedia日本語版、大手ウイスキー会社のHPでさえも!。 Wikipedia英語版では「流れ弾説」はまったく見向きもされていないのに、同じWikipediaの日本語版ではこの「流れ弾説」を定説として紹介しているのを見ると、もう笑うしかありません。結果として、日本のバーの現場では、ほとんどのバーテンダーがこの根拠のない「流れ弾説」を信じ、拡散し続けています。 確かなことは、この「ダーレッサー=流れ弾説」は欧米の専門サイトや文献ではほとんど取り上げられていないということです(Wikipedia英語版の掲示板では、「このフィクションは日本人のほとんどに信じられている。バーテンダーを主人公にしたドラマがさらに、そのフィクションを事実のように取り上げた」という批判的な書き込みもありました)。 2008年、この「流れ弾説」が幅を利かせる日本のバー業界の現状に一石を投じたのが石垣憲一氏でした。石垣氏は『カクテル ホントのうんちく話』(柴田書店刊)を著し、その地道な調査の結果、(日本人による)後世の作り話である可能性がきわめて強いことをほぼ証明しました。 石垣氏によれば、1949年当時、全米カクテルコンクールが開かれたという記録はなく、ダーレッサー考案説は、その前提自体が疑わしいということです。国際バーテンダー協会北米支部の公式見解によると、マルガリータの原型となるカクテルは、1930~40年代にメキシコ・アカプルコのバーで生まれたといいます。ただし当時はどういう名前が付いていたのかは定かではありません。 同支部は1940~50年代に、アカプルコに別荘を持っていたマーガレット・セイムズなる米国人女性がこのカクテルをいたく好んで、米国内に広めたといい、カクテル名も彼女の名前マーガレットにちなんで「マルガリータ」となったと説明しています(ただし、このセイムズ説について、同支部は裏付け資料を示しておらず、「考案者」とは言っていません)。ちなみに、このセイムズなる女性は2000年代前半、日本のテレビ番組にも登場し、「私がマルガリータの生みの親」と語っていたそうです。 しかし、石垣氏によれば、彼とマルガリータの創作を結びつける根拠ある証拠資料や証言は見当たらず、ダーレッサー自身のコメントもまったく伝わっていません(もしそれほど有名な考案者であれば、普通当事者の何らかのコメントが伝わっているはずです)。第二次大戦後に、日本人の誰がこのような、手の込んだ「作り話」を考えつき、拡散させたのか…。本当に罪作りと言うしかありません。 マルガリータの起源については、今なお諸説入り乱れて、真実は不明です。しかし、専門家による最新の研究によれば、おそらく、禁酒法時代(1920~33)以前から存在していた「デイジー(Daisy)」というドリンクが原型だろうということではほぼ一致しています。「デイジー」はスピリッツをベースに、柑橘系のジュースやシロップを加えシェイクした後、氷を入れたコブレットで味わう古典的なカクテルです。 テキーラが米国中西部やメキシコ側の国境地域で普及するにつれて、「テキーラ・デイジー」というカクテルへ発展し、それが「デイジー」の原意(「ひな菊」)を意味するスペイン語の「マルガリータ」と呼ばれるようになったと考えるのが現時点では一番信憑性があり、説得力があるでしょう(出典:2021年刊の「The Cocktail Workshop」=Steven Grasse & Adam Erace共著ほか米国の専門サイト)。 ご参考までに紹介すると、欧米では以下のような諸説が伝わっています(出典:WiKIpedia英語版や米国の複数の専門サイト<drinkmagazine、thewinetimes、vinepairほか>)。当然ながら、「ダーレッサー=流れ弾説」を紹介しているサイトはまったくありません。(1)=石垣氏が紹介した国際バーテンダー協会北米支部の説 元々は1930~40年代にメキシコ・アカプルコのバーで誕生した。その後1940~50年代(1948年頃?)に、アカプルコに別荘を持っていた米テキサス州在住のマーガレット・セイムズ(Margaret Sames)なる女性が、別荘で開いたパーティーなどを通じて米国内に広めたといい、カクテル名は自分の名前をスペイン語風に変えて『マルガリータ』と呼んだ」という。 ※セイムズのパーティーでこのカクテルを飲んで気に入った友人のトミー・ヒルトンは、自らが経営するヒルトン・ホテルのバー・メニューに早速、マルガリータを加えたという。(2)1936年、メキシコ南部、プエルバ(Puebla)のホテルの支配人、ダニー・ネグレーテ(Danny Negrete)がマルガリータという名の彼のガールフレンドのために考案した。(3)1930年代後半(1938~39年頃?)、メキシコ国境に近いカリフォルニア州ロサリート(Rosarito)にあるバー「ランチョ・ラ・グロリア」のバーテンダー、カルロス・エラーラ(Carlos Herrara)がマリオーリ・キングという名の女優のために考案した。(4)1940年代、ハリウッド在住のバーテンダー、エンリケ・グティエーレス(Enrique Gutierrez)が顧客の一人であった、女優リタ・ヘイワーズ(Rita Hayworth)のために考案した。ヘイワーズの本名「マルガリータ・カンシーノ」にちなんでマルガリータと名付けたという。(5)1941年、メキシコ・エンセナーダのバーテンダー、ドン・カルロス・オロスコ(Don Carlos Orozco)がドイツ大使の娘、マルガリータ・ヘンケルのために考案した。(6)1948年、テキサス州ガルベストンに住むバーテンダー、サントス・クルーズ(Santos Cruz)がマーガレットのミドルネームをもつ歌手のペギー・リーのために考案した。(7)テキーラ・メーカーの「ホセ・クエルボ社(Jose Cuervo)」が1945年に自社のテキーラの販促キャンペーンのために考案した。(8)1910年代に生まれた「サイドカー」というカクテルのベースをブランデーからテキーラに替えたものが、1930~40年代に何かのきっかけで「マルガリータ」と呼ばれるようになった 欧米のカクテルブックで、「マルガリータ」の名前で初めて登場するのは、現時点で確認できた限りでは、1947年に出版された「Trader Vic's Bartender's Guide」(Victor Bergeron著)です。レシピは「テキーラ1oz、トリプルセック(オレンジ・キュラソー)0.5oz、ライム・ジュース半個分、シェイクして縁を塩でリムしたグラスに注ぐ」(1oz=ounce=は約30ml)となっていて、現代のレシピとそう大きく変わりません。少なくとも1940年代半ばの米国では、マルガリータはある程度認知されていたことを裏付ける文献です。 ご参考までに、1950~80年代の欧米のカクテルブックから、「マルガリータ」のレシピを少し紹介しておきましょう(塩でグラスをスノースタイルにするのは共通なので省略します)。・「Esquire Drink Book」(Frederic Birmingham著、1956年刊)米 テキーラ1oz、トリプルセック1dash、ライム(またはレモン)・ジュース半個分(ステア)・「Mr Boston Bartender's Guide」(1960年版)米 テキーラ1.5oz、トリプルセック0.5oz、ライム(またはレモン)・ジュース0.5oz(ステア)・「Booth's Handbook of Cocktails & Mixed Drinks」(John Doxat著、1966年刊)英 テキーラ1oz、コアントロー0.5oz、ライム(またはレモン)・ジュース0.5oz(シェイク)・「The Bartender's Standard Manual」(Fred Powell著、1979年刊)米 テキーラ1jigger、トリプルセック(またはコアントロー)0.5jigger、ライム(またはレモン)・ジュース0.5jigger(シェイク)※1jiggerは45ml・「Harry's ABC of Mixing Cocktails」(Harry MacElhone著、1986年刊の復刻版)英 テキーラ3分の1、コアントロー3分の1、レモン・ジュース3分の1(シェイク) なお、1937年に英国で出版された「Café Royal Cocktail Book」(J.W.Tarling著)には「ピカドール(Picador)」、1939年に米国で出版された「The World Famous Cotton Club:1939 Book of Mixed Drinks」(Charlie Conolly著)には「テキーラ・サワー(Tequila Sour)」という、それぞれ「マルガリータ」とほとんど同じレシピのカクテル(テキーラ、コアントロー、ライム・ジュース)が収録されていますが、これを「マルガリータ」のルーツとするかどうかは、残念ながら、私には判断できる材料がありません。 マルガリータは、日本にもおそらくは1950年代後半には伝わっていたのでしょうが、文献に登場するのは60年代になってからで、街場のバーで一般的に知られるようになったのは70年代以降です。その後は、トロピカルカクテル・ブームなどの効果もあって、幅広く浸透するようになりました。 くどいようですが、最新の「NBAオフィシャル・カクテルブック」(柴田書店刊、2016年改訂版刊)を始めとして、日本のほとんどのカクテルブックはいまだに、冒頭に紹介した「流れ弾 ・悲運の恋人説」にこだわり、根拠のない説を取り上げて続けています。結果として、多くのバーテンダーがこの作り話を歴史的事実と誤解して、お客様に広めています。 いい加減、日本のバー業界団体や日本人バーテンダー、出版業界も、この根拠なき「後世の作り話」を忘れるべき時期ではないでしょうか。少なくとも業界最大の団体としてNBAカクテルブックを監修している日本バーテンダー協会とその出版元(柴田書店)は、その責任を考えるべきでしょう。 【確認できる日本初出資料】「カクテル小事典」(今井清&福西英三著、1967年刊)。レシピは「テキーラ40ml、トリプルセック15ml、レモン・ジュース15ml、シェイクして、塩でスノースタイルにしたシャンパン・グラスに注ぎ、氷1個を加える(氷を加えないこともある)」となっています。冒頭の現代レシピとほぼ同じです。 ※なお、1962年刊の「カクテール全書」(木村与三男著)には、冒頭のレシピにアンゴスチュラ・ビタースを少し加えた「テキーラ・マルガリート」というカクテルが紹介されていますが、これを日本初出とするかは少し意見が分かれるところでしょう。 ※この稿の執筆にあたっては、石垣憲一氏とその著書「カクテル ホントのうんちく話」(柴田書店刊)に非常にお世話になりました。この場をかりて改めて厚く御礼を申し上げます。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/05/28
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2週間ぶりのBar UK写真日記です(By うらんかんろ)。 バーUKでも協力している「水曜日はウヰスキーを飲む日」活動。この2週で登場したサービス・ボトルです(KBP<熊本復興支援プロジェクト・ウイスキー>=マルス蒸留所ブレンディド、ベルズ=スコッチ・ブレンディド)。いずれも1Shot(45ml)500円で提供され、好評でした。 マスターはこの日、家でピアノのお勉強。左手のヴォイシング(バッッキング)と右手でのアドリブに取り組みました。「練習しても練習しても先が見えないけれど、とにかく頑張るしかないです」とマスター。そのうち生ベースとのデュオでライブをするのが夢とのことです。 以前からバーUKにあったアイラミストのシェリー・フィニッシュに新しい仲間が増えました。従来のマンサニージャ(写真左)に加えて、アモンティリャード・フィニッシュ(同右)の登場です。2種類での飲み比べも面白いですよ。 バーUKのグレンドロナック・ファミリーに新顔登場です。様々な樽でのフィニッシュに挑戦し続ける同蒸溜所ですが、今度は14年ものの「マルサラ・フィニッシュ」(写真右)です。マルサラとはイタリア・シチリア島名産の「酒精強化ワイン(発酵後にブランデーを添加するタイプの、やや度数の高いワイン)」です。マルサラ・ワイン(写真左)との飲み比べもオススメです。 マスターはこの日、バーにも縁が深い故・柳原良平さんの展覧会「アンクル船長の夢」(尼崎総合文化センター・美術ホール)にお邪魔しました。柳原さんが尼崎で中学・高校時代を過ごしたご縁での開催ということです。たくさんの広告原画だけでなく、珍しい油絵や水彩画も展示されていましたが、マスターは「細かい部分へのこだわりや根気が凄い。熱い情熱も感じます」と感動した面持ちでした。 ニッカがこのほど発売したウイスキーの限定品、「ブラックニッカ・クロスオーバー」(写真中央)がバーUKにも入荷しました。余市のスモーキー原酒と宮城峡のシェリー原酒の絶妙のハーモニーが楽しめます。先般発売された同じブラックニッカの限定品「誕生60周年記念ブレンダーズ・スピリット」(同右)や20年前に発売された「誕生40周年記念・12年」(同左)との飲み比べもぜひ!
2017/05/28
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2017年、9年目を迎えるバラ栽培、ことしの8品種が出揃いました。 チャールストン ニコロ・パガニーニ アイスバーグ アプリコット・ネクター ゴールド・マリー アンバー・メイアンディナ ポールセン・パレード ブルームーン
2017/05/27
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皆さま、遅くなりましたが、バーUKから6月の店休日(予定)をお知らせです。 現時点では、日曜・祝日のほかに、3日(土)、17日(土)、28日(水)にお休みを頂く予定です。 なお、予定の店休日でも事前にグループ(5人以上)での予約があれば臨時で営業も可能です。また、平日でも8人以上なら貸し切り営業(原則3時間以内)も可能です。マスターまでお気軽にお問合せください。 以上、何卒よろしくお願いいたします。【Bar UK】 大阪市北区曽根崎新地1-5-20 大川ビルB1F 電話06-6342-0035 営業時間 → 平日=午後4時~10時半(金曜のみ11時まで)、土曜=午後2時~8時半、定休日=日曜・祝日、別途土曜に月2回、水曜に月1回不定休(月によっては変更されることも有り)。店内の基本キャパは、カウンター7席、テーブルが一つ(4~5席)。オープン~午後7時まではノーチャージ、午後7時以降はサービス料300円
2017/05/26
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51.マンハッタン(Manhattan)【現代の標準的なレシピ】ライ・ウイスキー(40)、スイート・ベルモット(20)、アンゴスチュラ・ビタース1dash、マラスキーノ・チェリー 【スタイル】ステア カクテルの女王」の異名をもつマンハッタン(Manhattan)。考案者が誰かは分かっておらず、誕生の由来にも諸説があります。しかしながら、1870年代半ばから1884年までの間にニューヨークの社交クラブ「マンハッタン・クラブ」で考案され、マンハッタン島もしくはそのクラブ名にちなみ「マンハッタン」と名付けられ、世界中へ広まっていったのは間違いないということでは、専門家の意見はほぼ一致しています。 諸説の中で、現代のカクテルブックなどで一番よく紹介されるのが、「ニューヨークの銀行家令嬢だったジェニー・ジェローム(Jennie Jerome)=後の英国首相ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)の母=が、1876年の大統領選の時、マンハッタン・クラブで候補者支援パーティーを開き、そのとき考案された」という説ですが、それを裏付ける資料は伝わっていません(※考案者はジェローム自身、あるいはイアイン・マーシャルという医師だったとも伝わっていますが、いずれも確かな根拠は示されていません)。 なによりも、チャーチル自身が後年の自伝で、「母はその当時フランスにいて、妊娠もしていたので、その支援パーティーの場にはいなかった」と記しており(出典:Wikipedia英語版)、ジェローム自身も生前、このカクテルの誕生に自分が関わったという発言を一切残していないことから、「ジェローム考案説」は後世のつくり話の可能性が高いことはほぼ間違いありません。 他にも、西部開拓時代の1846年、メリーランド州のとあるバーで、負傷したガンマンのためにバーテンダーが気付け薬として作ったという説(欧米の専門サイト情報)もありますが、根拠資料は見つかっていません(※ちなみにチャーチルはその後、マンハッタンよりもマティーニを愛したことでよく知られているます)。 ところで、欧米のカクテルブックでマンハッタンが初めて活字になったのは、従来は1887年に米国で出版されたカクテルブック「How To Mix Drinks」の改訂版(※著者は「カクテルの父」の異名を持つジェリー・トーマス<Jerry Thomas 1830~1885>で、死去の2年後に発刊)であると言われてきました。 だが近年の研究で、1884年に同じ米国で出版された2冊のカクテルブック、「The Modern Bartenders' guide」(バイロン<O. H. Byron>名義=末尾【注】ご参照)、「How To Mix Drinks:Bar Keepers’Guide」(ジョージ・ウインター<George Winter>著)が初出資料であることが有力になってきました。 バイロンやウインターの本はその存在は知られていましたが、近年まで絶版になっており、研究の対象として人目に触れる機会はほとんどありませんでした。しかし2000年以降に復刻版が刊行され、米国の著名なバーテンダー&カクテル研究者のデイル・デグロフ氏や、「The Manhattan:The Story of the First Modern Cocktail」(2016年刊)の著者フィリップ・グリーン氏によって、「トーマスの著書よりも3年早く」マンハッタンが紹介されていることが確認されました。 バイロンの本では、以下の2種類のレシピのマンハッタン(いずれもステア・スタイル)が収録されています(ウインターの本では1種類で、レシピはバイロンとほぼ同じですが、ベルモットの種類についての言及はありません)。・マンハッタンNo1(Manhattan Cocktail No.1) ウイスキー2分の1Pony(約30ml。19世紀によく使われた容量単位で、1ponyは1オンス<onz>にほぼ同じ)、フレンチ(ドライ)ベルモット1pony、アンゴスチュラ・ビターズ3~4dash、ガムシロップ3dash・マンハッタンNo2(Manhattan Cocktail No.2) ウイスキー2分の1Wineglass(グラスの容量は不明)、イタリアン(スイート)ベルモット2分の1Wineglass、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、キュラソー2dash 興味深いのは、ドライ・ベルモットを使うマンハッタンの方が、現代標準レシピのスイート・ベルモットを使うものより先に掲載されていることです。マンハッタン成立の過程がうかがえる貴重なレシピとも言えます。米国内で欧州産のドライ・ベルモットが普及し始めたのは、スイート・ベルモットよりも後なので、なぜドライの方が「No.1」の位置づけなのか、これは少し謎です。 その後、米国内で出版されたカクテルブックで「マンハッタン」のレシピがどのように変化していったのかを、少し見ていくとーー。・「How to mix drinks」(ジェリー・トーマス著、1887年改訂版)米 ライ・ウイスキー1pony、スイート・ベルモット1Glass(分量についてトーマス自身が言及していないので正確には不明だが、ウイスキーとの比率を考えると30~60mlくらいか?)、キュラソー(またはマラスキーノ)2dash、ビターズ3dash、飾り=レモンスライス(シェイクして小さい角氷2個を入れたクラレット(ワイン)グラスに注ぐ)・「American Bartender」(ウィリアム・T・ブースビー著、1891年刊)米 ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、アンゴスチュラ・ビターズ1dash(ステア)・「Modern American Drinks」(ジョージ・J ・カペラー著、1895年刊)米 ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、ペイショーズ(またはアンゴスチュラ)・ビターズ2dash、レモン・ピール、飾り=チェリー(ステア)・「Dary's Bartenders' Encyclopedia」(ティム・ダリー著、1903年刊)米 ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、ペイショーズ(またはアンゴスチュラ)・ビターズ2dash、レモン・ピール、飾り=チェリー・「Bartenders Guide: How To Mix Drinks」(ウェーマン・ブラザース編、1912年刊)米 ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、キュラソー1dash、アンゴスチュラ・ビターズ1~2dash、ガム・シロップ2~3dash・「173 Pre-Prohibition Cocktails)」 & 「The Ideal Bartender」(トム・ブロック著、1917年刊)米 なぜか掲載なし・「ABC of Mixing Cocktails」(ハリー・マッケルホーン著、1919年刊)英 ライ・ウイスキー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、アンゴスチュラ・ビターズ1dash(シェイクしてカクテルグラスに注ぎ、チェリーを飾る) ※ベルモットの銘柄は、原著内に「チンザノ・ベルモット」の広告が出ていることから、マッケルホーンはおそらく、チンザノを使っていたものと想像されます(なお、マッケルホーン自身は、レシピに「カクテル名は、ニューヨーク・シティのマンハッタン島に由来する」と添え書きしています)。・「The Savoy Cocktail Book」(ハリー・クラドック著、1930年刊)英 ※4種の「マンハッタン」のバリエーションを収録。ワイングラスで提供する「マンハッタン」(シェイク・スタイル)と、カクテルグラスで提供する3種(内訳は、スタンダードなものとスイート、ドライ)の計4種を紹介しています。レシピは以下の通りです。 クラレット・スタイル=ライ・ウイスキー30ml、ベルモット(スイートとドライをミックス)1glass、キュラソー(またはマラスキーノ)2dash、アンゴスチュラ・ビターズ3dash、レモン・スライスと角氷2個を入れてサーブする(シェイク・スタイル)※ジェリー・トーマスのレシピをベースにしたバリエーションとも言えます スタンダード=カナディアン・ウイスキー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、アンゴスチュラ・ビターズ1dash(シェイク・スタイル) スイート=ライ(またはカナディアン)・ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット2分の1(ステア・スタイル) ドライ=ライ(またはカナディアン)・ウイスキー2分の1、ドライ・ベルモット4分の1、スイート・ベルモット4分の1(ステア・スタイル) ※なお、「The Savoy…」もカクテル名については、「マンハッタン島にちなんで名付けられた」と紹介しています。・「Cocktails by “Jimmy” late of Ciro's」(1930年刊)米 ライ・ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、レモン・ピール ※「Ciro's」とは、ハリー・マッケルホーンもパリで「Harry's New York Bar」を開業・独立するまで働いていたロンドンの高級クラブ「The Ciro's Club」のことです。・「The Artistry Of Mixing Drinks」(フランク・マイアー著 1934年刊)仏 ライ・ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット4分の1、ドライ・ベルモット4分の1、・「World Drinks and How To Mix Them」(ウィリアム・T・ブースビー著、1934年刊)米 ウイスキー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、オレンジ・ビターズ1dash、アンゴスチュラ・ビターズ1drop、飾り=マラスキーノ・チェリー・「The Official Mixer's Manual」(パトリック・ギャヴィン・ダフィー著、1934年刊)米 ウイスキー3分の2、スイート・ベルモット6分の1、ドライ・ベルモット6分の1、ビターズ1dash、飾り=マラスキーノ・チェリー・「The Old Waldorf-Astoria Bar Book」(A.S.クロケット著 1935年刊)米 ライ・ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ1dash・「Mr Boston Bartender’s Guide」(1935年初版刊)米 ライ(またはバーボン)・ウイスキー1.5onz(約45ml)、スイート・ベルモット4分の3onz(約22~23ml)、アンゴスチュラ・ビターズ1dash、飾り=チェリー・「Café Royal Cocktail Book」(W.J.ターリング著 1937年刊)英 ライ(またはバーボン)・ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、アンゴスチュラ・オレンジ・ビターズ1dash、飾り=マラスキーノ・チェリー・「Trader Vic’s Book of Food and Drink」(ビクター・バージェロン著 1946年刊)米 バーボン(またはライ)・ウイスキー3分の2、スイート・ベルモット3分の2、アンゴスチュラ・ビターズ1dash、マラスキーノ1dash、飾り=マラスキーノ・チェリー・「Esquire Drink Book」(フレデリック・バーミンガム著 1956年刊)米 ライ・ウイスキー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ1dash、飾り=マラスキーノ・チェリー 上記のように、ウイスキーの割合が多くなる、すなわち辛口のマンハッタンが登場するのは、ハリー・マッケルホーンの名著「ABC of Mixing Cocktails」(1919年刊)が初めてです(レシピは、「ライ・ウイスキー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、アンゴスチュラ・ビターズ1dash)。そして1930年代以降は、徐々にウイスキーの割合が多くなる「ドライ化」が進んでいきます。 日本では、1907年(明治40年)出版の文献に初めて「マンハッタン」の名が見られます。遅くとも1890年代末までには、横浜や神戸の外国人居留地のホテルのバー等では普通に提供されていたことでしょう。 なお、1957年(昭和32年)に出版されたカクテルブック「洋酒」(佐藤紅霞著)では、「マンハッタン・コクテール」として「ライ・ウイスキー2分の1、ドライ・ベルモット2分の1、アンゴスチュラ・ビターズ、クレーム・ド・ノワヨー(アーモンド風味のリキュール)各2dash」とあり、なぜかドライ・ベルモットを指定しています。スイート・ベルモットを使うのは「スイート・マンハッタン」とわざわざ区別していることから、日本では1950年代でもなお「マンハッタン」のレシピ(定義)は揺れていたようです。 マンハッタンはマティーニ同様、レシピはシンプルですが、「バー(バーテンダー)の数だけバリエーションがある」というカクテルです。酒呑みたちもしばしば、ドライかスイートか、割合はどうか等をめぐってカウンターで議論を交わします。 有名なカクテルですが、アルコール度数が高いこともあって、日本のバーで頼む人は実際にはそう多くありません。辛口志向、ライト志向の昨今、少し敬遠されているのかもしれませんが、難しいことはあまり考えず、貴方もたまには「マンハッタン」を味わってみませんか? ちなみにベースのライ・ウイスキーの代わりに、バーボン・ウイスキー、カナディアン・ウイスキーを使うこともあります。スコッチ・ウイスキーを使う場合は、「ロブ・ロイ」という名前のカクテルに変わります。また、スイート・ベルモットをドライ・ベルモットに、チェリーをオリーブに替えると、「ドライ・マンハッタン」というカクテルになります。【確認できる日本初出資料】「洋酒調合法」(高野新太郎編、1907年刊) ※欧米料理法全書附録という文献。そのレシピは、「ウイスキーWineglass2分の1、スイート・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ1~2dash、アブサン1dash、ガム・シロップ1dash」となっています。【注】著者である「O.H.Byron」について、復刻版の編者であるブライアン・レア(Brian F Rea)氏は復刻版の前書きで「バイロン氏は作家、研究者、バーテンダーとして同時代に存在した歴史的資料がなく、おそらくはこの本(原著)を出版した出版社の編集者自身のペンネームか、あるいは(出版社が考えた)架空の人物ではないか」と記しています。しかし、だからと言って、この本の歴史的価値が下がることは一切ありません。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/05/21
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50.マイタイ (Mai-Tai)【現代の標準的なレシピ】ホワイト・ラム(45)、オレンジ(またはホワイト)・キュラソー(10)、パイナップル・ジュース(10)、オレンジ・ジュース(10)、レモン・ジュース1tsp、クラッシュド・アイス、ダーク・ラム2tspを最後にフロートし、フルーツ(オレンジ・スライス、チェリーなど)を飾る 【スタイル】シェイク トロピカル・カクテルの代表格で、1940年代半ばに誕生しました。「トロピカル・カクテルの女王」の異名もあります。誕生の由来については、代表的な以下の2説がありますが、欧米でも(1)の説が多数派です。 (1)1944年、サンフランシスコ近郊、オークランドのレストラン・オーナーだったヴィクター・J・バージェロンが考案した(出典:Wikipedia英語版ほか多数。※Victor J. Bergeronの名前の読み方は、日本では「バーロジン」と表記している文献が多いですが、綴りからすると誤記と思われます。本稿では原音に近い「バージェロン」と表記します)。 カクテル名の由来について、バージェロン自身がその著書「Trader Vic's Bartender's Guide」(1947年刊)の中で、以下のように説明しています。 「私は自分が考案した新しいカクテルの最初の2杯を、たまたまこの日、タヒチからレストランに来てくれた私の友人夫婦、ハム&キャリー・ギルドに飲んでもらった。キャリーは一口飲んだと同時に、『マイタイ ロア アエ!(Mai Tai Roa Ae)』=タヒチ語で「この世のものならず、最高!」の意味=と叫んだ。私はその『マイタイ』という言葉を、そのままカクテルの名前にもらった。『マイタイ』は評判を呼んで、その後数年のうちに、カリフォルニア州全域やシアトル(のレストランやバー)で普及していった」 バージェロンのオリジナル・レシピは、彼の著書「Trader Vic's…」に掲載されているレシピと、Wikipedia英語版が「バージェロンのオリジナル」として紹介しているレシピには、以下のような分量の微妙な食い違いが見られます(どちらが正しいのかと聞かれたら、やはりバージェロン本人の著書に軍配を上げざるを得ませんが…)。・バージェロンの著書掲載のレシピ ジャマイカ・ラム60ml(またはダーク・ラム&マルティニーク・ラム各30mlずつでもよい)、オレンジ・キュラソー15ml、オルジェート・シロップ7.5ml、ロックキャンディ・シロップ=以下【注】ご参照=7.5ml、ライムジュース1個分、飾り=ライム・スライス、生ミント、フルーツ・スティックなど(シェイク)・Wikipedia英語版がオリジナルとして紹介しているレシピ ラム60ml(17年物のJ. Wray & Nephew Rum)、オレンジ・キュラソー(Holland Dekuyper社)15ml、オルジェート・シロップ15ml、ロックキャンディ・シロップ7.5ml、ライムジュース1個分、飾り=ライム・スライス、生ミント(シェイク) 【注】ロックキャンディは米国で人気のあるステック状の氷砂糖菓子。その氷砂糖でつくったシロップには、オリジナルのフレイバーが付いていることが多い(現代のバーではマイタイにはほとんど使用されていません)。 ※なお、マイタイの考案者名について日本では、「トレーダー・ヴィック(ス)(Trader Vic’s)」(出典:PBOのHPほか)としている資料も目立ちますが、これはバージェロンがオーナーをしていたレストランの名前(バージェロンのニックネームで、後に全米各地で展開する有名レストラン・チェーンの名)と混同したことによる間違いです。 (2)1933年、ハリウッドのレストラン&バー経営者(オーナー・バーテンダー)、ドン・ザ・ビーチコマー(Don the Beachcomber、本名アーネスト・レイモンド・ボーモン・ガント Ernest Raymond Beaumont Gantt 1907~1989)が考案した(出典:Wikipedia英語版ほか)。 ビーチコマーのレシピは、「ダーク・ラム15ml、ゴールド・ラム20ml、コアントロー1.5tsp、シュガー・シロップ15ml、ファレナム(Falernum)・シロップ=【注】ご参照=3dash、グレープフルーツ・ジュース15ml、ライム・ジュース20ml、アンゴスチュラ・ビタース1dash、ペルノーまたはアニゼット0.5dash、ミネラル・ウォーター30ml、シェイクしてクラッシュド・アイスを詰めたトール・グラスに注ぐ」という複雑なものです(出典:英国Wikibooks)。 【注】アーモンド、ジンジャー、クローブなどの香りが付いたカリブ産のフレイバード・シロップ。トロピカル・カクテルによく使われます(出典:Wikipedia英語版)。 ビーチコマー自身は生前、「マイタイを考案したのは、バージェロンではなく自分だ」と主張していたことでも知られていますが、バージェロンのレシピとかなり違ううえ、1933年に考案し、その時点で「マイタイ」と名付けたという根拠資料は明示されていません。 欧米のカクテルブックで「マイタイ」が初めて紹介されたのは、ヴィクター・バージェロン自身の著書「Trader Vic's Bartender's Guide」(1947年刊)です。現代のレシピでは、オレンジ・ジュースやパイナップル・ジュースも使い、クラッシュド・アイスを入れたグラスに注ぎ、最後にダーク・ラムをフロートさせますが、これはバージェロンのレシピには見られません。後年に、様々なバーテンダーによってアレンジされていったものが定着していったと思われます。 マイタイは、バージェロンの考案から9年後の1953年、彼自身がハワイのいくつかの大手ホテルに紹介したこともあって、ハワイ州全域に広く普及しました。1950年代から米本土~ハワイ間の航空機の機内ドリンクに採用されたりしたこともあり、米本土でもその知名度は急速に高まっていきました(出典:Trader Vic's Bartender's Guide P162~64)。 ご参考までに、1960~80年代の欧米のカクテルブックでマイタイのレシピをいくつかみてみましょう。・「Mr. Boston Bartender's Guide(ミスターボストン・バーテンダーズ・ガイド)」(1965年版)米 ラム60ml、キュラソー30ml、オルジェート・シロップ15ml、グレナディン・シロップ15ml、ライム・ジュース15ml、パウダー・シュガー0.5tsp、クラッシュド・アイス(シェイク)・「The Bartender's Standard Manual」(フレッド・パウエル著、1979年刊)米 プエルトリコ・ラム1ジガー(約45ml)、キュラソーまたはトリプルセック2分の1ジガー、ライム・ジュース2分の1ジガー、ファラナム・シロップ0.5tsp、クラッシュド・アイス(ビルド) ・「The Book of Cocktails」(ジェニー・リッジウェル著、1986年刊)英 ライト・ラム60ml、ジャマイカ・ラム30ml、オレンジ・キュラソー15ml、オルジェート・シロップ15ml、レモン(またはライム)・ジュース15ml、クラッシュド・アイス、飾り=生ミント、パイナップル・スライス、マラスキーノ・チェリーなど(ビルド) 「マイタイ」は、1950年代には日本へ伝わっていたと思われますが、カクテルブックに登場するのは、現時点で確認できた限りでは、1970年代になってからです。【確認できる日本初出資料】「バーテンダー教本」(銀座サントリー・カクテルスクール編、1970年)。そのレシピは「ライト・ラム45ml、ホワイト・キュラソー1tsp、パイナップル・ジュース1tsp、オレンジ・ジュース1tsp、レモン・ジュース0.5tsp、シェイクしてクラッシュド・アイスを詰めたオールドファッションド・グラスに注ぐ。デメララ・ラム2tspをフロートさせ、オレンジ、パイナップル、レモンの各スライス、マラスキーノ・チェリーを飾る」とあります。 ※注目すべきは、欧米のレシピではあまり見られないダーク・ラムのフロートがここで見られることです。ひょっとして、ダーク・ラムのフロートは日本人が考えたスタイルかもしれません。 なお、この同著ではマイタイの起源について、「ハワイのホテル・ロイヤルハワイアンのコック長、フレッド・ミヤケ氏が創案した」と記していますが、その根拠資料・データは明示されていません。ネットで調べると、フレッド・ミヤケ氏は実在していた人物で、ハワイの「Trader Vic's」レストランでマネジャー経験もある方とのことですが、欧米の専門サイトでこの説を支持しているところは皆無です。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/05/18
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Bar UKマスターからのお知らせです。 明日18日(木)のバーUKは、申し訳ありませんが、「月イチ水曜店休」の振替休日のため、お休みさせて頂きます。何卒宜しくお願い致します
2017/05/17
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約1カ月ぶりのBar UK写真日記です。随分さぼってしまい、大変申し訳ございません(By うらんかんろ)。 マスターはこの日、営業前に京都発のジャパニーズ・ジン「季の美」のセミナーに参加しました。昨年10月の発売以来、国内外で人気急上昇の「季の美」ですが、改めてその美味しさを再発見したとのことでした。 ジャパニーズ・ジンと言えば、先般、新たなジン「和美人(Wa Bi Gin)」がマルス酒造さんから発売されました。バーUKにももちろん置いてあります。ジンもますます多彩になって嬉しいですね。「従来はカクテルのベースとしか見られていなかったジンですが、個性的なものが増えてきました。ぜひストレートやロックでジンそのものの味を堪能してください」とマスターの弁。 バーUKのアイリッシュ・ウイスキーに新しいボトルが仲間入りです。「新しい」と言っても、そのお酒自体は、10年ほど前に終売になったものです。「ヘネシー・ナジェーナ(Hennessy na-geanna)」。あのコニャックのヘネシーが自信を持って造ったアイリッシュ・モルト。ファンの間では今や「幻の存在」となったナジェーナが1本だけですが、入荷しました。これはもう飲むしかありませんね。 バーUK恒例となった「テイスティングの集い」、その第6回がこのほど開催されました。テーマは第2回に引き続きアイリッシュ・ウイスキーの「ティーリング」でした。最近多彩な樽での発売が相次いでいるティーリングのシングルカスクを飲み尽くそうという企画です。参加者の皆さんは、9種類の樽違いのシングルカスクをはじめ、16種類のティーリングを堪能し、その実力に改めて驚いておられました。 「幅広い世代に、もっとウイスキーに親しんでもらおう!」と業界内のあるマスターが音頭をとって始めたキャンペーン(?)「水曜日はウヰスキーを飲む日!」活動に、バーUKも協力することになりました。 手始めに毎週水曜日には、何か1本、めちゃリーズナブルなお値段でウイスキーを提供するとのこと。初回はフェイマス・グラウスの限定品「スモーキー・ブラック」が、1ショット(45ml)な、なんと500円でした。この活動、今後もずっと続いて、業界全体がもっと盛り上がっていってほしいですね。 バーUKにも数種類置いているジャパニーズ・ウイスキー「あかし」に新しい仲間が登場です。今度はコニャック樽熟成のシングルカスク。力強いボディで、熟成感もたっぷりの味わいです。ぜひお試しを! 「世界中のいろんなお酒を紹介したい」というのはマスターの密かな願いでもあります。という訳で、今度はアジア、中東・アフリカ地域でよく飲まれている蒸留酒「アラック」がお目見えです。バーUKのカウンターでぜひ「お酒の世界旅行」をお楽しみください。 営業後のマスターの”お勉強”。この日は近所で懇意にしているバーLで珍しいモルトを味わいました。スコットランド北方のシェットランド諸島で熟成されたモルト・ウイスキー「マッケル・フルッガ」。マスターは「スコッチモルトにも、まだまだ知らないものがいっぱいあります。日々勉強ですね」と恐れ入った様子でした。 バーUKのラムに新たな1本。「エル・ロン・プロフィビード”ハバネロ”」。ハバネロなんて名前は付いているのに、まったく辛くはありません。甘口赤ワイン樽で熟成された、まろやかな味わいです。コスパもいいのでお勧めですよ。 ひょんなことからバーUKに「特級」表示時代(1989年以前)に発売されたニッカの高級ウイスキー「鶴」がやってきました。17年熟成以上の余市原酒(60~70年代に蒸留)をたっぷり使った、懐かしさも感じる芳醇な味わいです。無くならないうちに、ぜひ飲んでくださいねー。 土曜恒例の営業終了後の”お勉強”。マスターはこの日、電車で2駅行ったところにあるGという名のバーへ。フードも充実で美味しく、値段もめちゃリーズナブル。マスターは「この店に、ハマってしまうかも」と超感激した様子でした。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/05/14
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49.ロングアイランド・アイスティー(Long lsland Iced Tea)【現代の標準的なレシピ】(容量の単位はml) ジン(15)、ウオッカ(15)、ラム(15)、テキーラ(15)、コアントロー(またはホワイト・キュラソー)(10)、レモン・ジュース(20~30)、シュガー・シロップ1tsp、コーラ(40~50)、レモンスライス、クラッシュド・アイス 【スタイル】ビルド ジン、ウオッカ、ラム、テキーラ、4大スピリッツがコラボした風変わりなカクテルです。現代のバーでも一定の人気を保っています(意外と飲みやすいカクテルですが、アルコール度数は結構高いので、注意が必要なドリンクの一つです)。 誕生の時期については、以下のような大きく異なる3説(70年代説、80年代説と禁酒法時代説)がありますが、いずれの説も裏付け資料、データは伝わっておらず、決定的なものではありません。米国内の専門サイトでも、どの説を支持しているかは様々です。 ちなみに、カクテル名は「見た目と味が紅茶に近い仕上がり」になったことから、「****アイスティー」と名付けられた(この点については異論は出ていません)そうですが、誰か名付けたのかも含めて詳細は伝わっていません。 (1)1970年代、米国ニューヨーク州東部・ロングアイランドにあるバー「オークビーチ・イン(Oak Beach Inn)」のバーテンダー、ロバート・C・ボット(Robert C. Bott)が考案した(出典:Wikipedia日本語版ほか欧米のWEB情報)。カクテル名はその誕生地にちなんで名付けられたと伝わる。 (2)1985年、米西海岸・サンフランシスコの「バルボア・カフェ(Balboa Cafe)」で生まれたという説(出典:PBOのHPほか欧米のWEB情報)。 (3)禁酒法時代(1920~1933)の20年代に、テネシー州キングズポート(Kingsport)のロングアイランドという地域(Community)で考案されたという説(出典:米国内の複数のWEB情報)。 現代のバーでもそこそこに知名度はあるカクテルですが、欧米のカクテルブックで収録している例はそう多くありません。手元にある本では、「New York Bartender's Guide(ニューヨーク・バーテンダーズ・ガイド)」(Sally Ann Berk著、1995年刊)が初出ですが、日本側文献では下記に掲げる1984年出版のものに登場していることから、欧米でも少なくとも80年代前半には活字になっていたことは間違いありません。 (※欧米の70~80年代のカクテルブックでの収録例をご存知の方は、ぜひともご教示ください → ご連絡は、arkwez@gmail.com までお願いします)。 ちなみに、「New York Bartender's Guide」のレシピは、「ウオッカ60ml、ジン、テキーラ、ラム各30ml、ミント・リキュール15ml、レモン・ジュース60ml、シュガー・シロップ0.5tsp、コーラ(適量)、氷、ライム・スライス(ビルド・スタイル)」と冒頭の標準レシピとはかなり違ったものになっています(総量も驚くほど多いです)。【確認できる日本初出資料】「サントリー・カクテルブック」(1984年刊)。レシピは「ジン15ml、ウオッカ15ml、ラム15ml、テキーラ15ml、ホワイト・キュラソー15ml、レモン・ジュース30ml、ガム・シロップ10ml、コーラ40ml、飾り=レモンスライス&レッド・チェリー、クラッシュド・アイス(ビルド)」となっています。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/05/13
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48.ニッカーボッカー(Knickerbocker)【現代の標準的なレシピ】ラム(45)、オレンジ・キュラソーまたはコアントロー、トリプルセック(15)、ラズベリー・シロップ1~2tsp、レモン・ジュース1tsp、オレンジ・ジュース1tsp、クラッシュド・アイス(ロング・スタイルのとき) 【スタイル】シェイク 19世紀半ばに誕生した最初期の古典的カクテルの一つです。考案者は伝わっていません。カクテル名は、ニューヨークに数多くやって来たオランダ系移民が愛用していた「短ズボン」に由来し、転じて「ニューヨーク市民」のことを指す俗語としても知られています。 しかし、残念ながら現代日本のバーでの知名度はそう高いとは言えません。私自身もバーで頼んでいる人や、お客様に勧めているマスターを見たことは、ほとんどありません。ところが「ニッカーボッカー」は、欧米では現在に至るもそれなりに名の知られたカクテルで、クラシック・カクテルが近年再評価されていることもあって、再び人気ドリンクの一つとして注目を集めています。 欧米のカクテルブックで「ニッカーボッカー」が初めて登場するのは、“カクテルの父”とも言われるジェリー・トーマス(Jerry Thomas)のカクテルブック「How To Mix Drinks or the Bon-Vivant's Companion」(1862年初版刊)です。 そのレシピは、「ラム1Glass、キュラソー2分の1tsp、ラズベリー・シロップ2tsp、ライム(またはレモン)・ジュース2分の1個分(シェイク・スタイル)」となっています(※ただし、ニッカーボッカーは本文の「Cocktails」の項ではなく、「Fancy Drinks」という項に「トム&ジェリー」や「プース・カフェ」などと共に登場しています)。 ちなみに、トーマスの本以降、1880~1940年代の主なカクテルブックは「ニッカー・ボッカー」をどう取り扱っていたのか、どういうレシピだったのか、ひと通りみておきましょう。・「Bartender’s Manual」(ハリー・ジョンソン著、1882年初版刊、1934年再版刊、2008年復刻版刊)米 ラム1Glass、キュラソー2分の1Glass、ラズベリー・シロップ2tsp、レモン・ジュース2dash、氷、飾り=パイナップル・スライス、オレンジ・スライス(ステアまたはシェイク・スタイル)・「Modern Bartender's Guide」(O.H.バイロン著、1884年刊)米 ラム1Glass、キュラソー2分の1Glass、ラズベリー・シロップ2tsp、レモン・ジュース2分の1個分、氷、飾り=パイナップル・スライス、オレンジ・スライス(ステア・スタイル)・「Modern American Drinks」(ジョージ・J ・カペラー著、1895年初版、2008年復刻版刊)米 ラム1jigger(約45ml)、キュラソー2分の1pony(約15ml)、Glass、ラズベリー・シロップ1pony(約30ml)、レモン・ジュース2分の1個分、飾り=パイナップル、オレンジ、レモンのスライス(ビルド・スタイル)・「Bartenders Guide: How To Mix Drinks」(ウェーマン・ブラザース編、1912年初版、2008年復刻版刊)米 ラム1Grass、キュラソー3dash、ラズベリー・シロップ3tsp、レモン・ジュース2分の1個分(ビルド・スタイル)・「ABC of Mixing cocktails」(ハリー・マッケルホーン著、1919年刊)英 ラム3分の2、ラズベリー・シロップ1tsp、レモン・ジュース1tsp、オレンジ・ジュース1tsp、キュラソー2dash、パイナップル1切れ(飾り) ※ラム「3分の2」という表記だけで、残りの「3分の1」については、マッケルホーンはなぜか触れていません。・「The Savoy Cocktail Book」(ハリー・クラドック著、1930年刊)英 ラム3分の2、キュラソー2dash、ラズベリー・シロップ、レモン・ジュース、オレンジ・ジュース各1tsp、飾り=パイナップル・スライス)※ただし、「ニッカーボッカー・スペシャル(Knicker-bocker Special)」との名で掲載されています。 ※同著には「ニッカーボッカー」というカクテルも収録されていますが、ジン3分の2、ドライ・ベルモット3分の1、スイート・ベルモット1dash、レモン・ピール(シェイク・スタイル)と、明らかにマティーニのバリエーションです。 なぜ、マティーニのバリエーションとして「ニッカー・ボッカー」という名のカクテルが生まれたのか、本来の「ニッカー・ボッカー」がなぜ「ニッカー・ボッカー・スペシャル」とその名が変わってしまったのかは、今後解明すべき課題です。・「Cocktails by “Jimmy” late of Ciro's」(1930年初版刊、2008年復刻版刊)米 ラム4分の3、オレンジ&レモン・ジュース4分の1、キュラソー2dash、飾り=パイナップル・スライス(スタイル不明)・「The Artistry Of Mixing Drinks」(フランク・マイアー著 1934年刊)仏 ラム1Grass、ラズベリー・シロップ1tsp、レモン・ジュース&オレンジ・ジュース各1tsp、飾り=パイナップル・スライス(シェイク・スタイル)・「The Official Mixer's Manual」(パトリック・ギャヴィン・ダフィー著 1934年刊)米 ラム3分の2、キュラソー3分の1、ラズベリー・シロップ、レモン・ジュース、オレンジ・ジュース各1tsp、パイナップル・スライス=クラッシュド(シェイク・スタイル)・「Mr Boston Bartender’s Guide」(1935年刊)米 ラム60ml、キュラソー2分の1tsp、ラズベリー・シロップ1tsp、レモン・ジュース1tsp、オレンジ・ジュース1tsp、飾り=パイナップル・スライス(シェイク・スタイル)・「The Old Waldorf-Astoria Bar Book」(A.S.クロケット著 1935年刊)米 ブランデー45ml、レモン・ジュース2分の1個分、アンゴスチュラ・ビターズ2dash、角砂糖1個、レモンピール ※「Knicker-bocker」を名乗っているが、ベースの酒もレシピもまったく異なる。・「Café Royal Cocktail Book」(W.J.ターリング著 1937年刊)英 ラム45ml、キュラソー2dash、分の1tsp、ラズベリー・シロップ、レモン・ジュース、オレンジ・ジュース各3dash、飾り=パイナップル・スライス(シェイク・スタイル)・「Trader Vic’s Book of Food and Drink」(ビクター・バージェロン著 1946年刊)米 ラム60ml、キュラソー2分の1tsp、ラズベリー・シロップ、レモン・ジュース、オレンジ・ジュース各1tsp、飾り=パイナップル・スライス(シェイク・スタイル)=「ニッカーボッカー・スペシャル」の名で収録。※サヴォイ・カクテルブックと同様、「ニッカーボッカー」というマティーニのバリエーション・カクテルも併せて紹介されている。 1950年代以前のカクテルブックでは、「ニッカーボッカー」と「ニッカーボッカー・スペシャル」のレシピが入れ替わっているケースは少なくありません。また、ブランデー・ベースの同名カクテルも著名なカクテルブックに登場するなど、現場には混乱が見られます。 なお、上記で紹介したような古い時代の「ニッカーボッカー」レシピに登場するラムの種類(産地)ですが、サンタ・クルーズ(Santa Cruz)、セント・クロワ(St.Croix)と記されているケースが多く、ジャマイカ(Jamaica)、プエルトリカン(Puerto Rican)と記されている例もありましたが、とくに種類・産地・銘柄は指定せずというケースも相当数ありました。 「ニッカーボッカー」は、日本にも1920年代末に出版されたカクテルブックに紹介されていることからも、20年代半ばまでには伝わっていたことは間違いありません。しかしラズベリー・シロップや生のラズベリーは日本では入手が難しかったこともあり、バーの現場ではその後もなかなか普及しませんでした。日本では、現在ラズベリー・シロップの入手はさほど難しくありませんが、生ラズベリーは高価なので(残念ですが)バーの現場ではあまり利用されていません。【確認できる日本初出資料】「カックテール」(安土禮夫著、1929年刊)。レシピは「ラム・ワイングラス1杯、キュラソー半杯、ラズベリー・シロップ大匙2杯、レモン汁2分の1個分、パイナップル・スライス、オレンジ・スライス各1切れ、氷(ビルド)」となっています。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2017/05/05
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Bar UKマスターからのお知らせです。 黄金週間中の5月6日(土)、バーUKは通常とは違う、以下のような「特別なスタイル」で営業いたします。 営業時間=午後1時~8時(最終入店は午後7時までとします)として、会費制(お一人様3300円=おつまみ付き。サービス料込み)とさせて頂きます。ご参加には、原則として事前予約が必要です。 1.1Shot(45mlでの価格)2500円以下のお酒(※【注】ご参照)はすべて、制限時間(90分)以内なら飲み放題とさせて頂きます。※【注】バーUKにあるお酒の約9割はこの条件に収まります。 2.貴重・稀少なお酒はできるだけ多くの皆さまに楽しんで頂きたいので、「同一銘柄=ボトルについてはお一人様1杯まで」とさせて頂きます。 3.参加者の皆さんにはできるだけ多くの種類のお酒を楽しんで頂きたいという趣旨から、健康面での配慮も考えて、1Shotは原則30ml〜15mlの範囲でお出しいたします。 4.1Shot 2500円を超えるお酒をご希望の場合は、その差額を50%OFFにいたします。 5.制限時間を超えた場合は、30分ごとに+1000円となります。 ※ご参加申し込みは、メール(arkwez@gmail.com)でマスターまでお願いいたします。
2017/05/03
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