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先日の午後、あるメーカー主催のカクテルコンペの「事前オンラインセミナー」を視聴=受講しました(私自身がコンペに挑戦する訳ではまったくないのですが、ただ、好奇心から、事前登録した上で参加してみました)。 そのセミナーの講師役の担当者が話されたことで、一番印象に残ったのは、「今年のコンペの審査基準」についてです。 審査基準は毎年少しずつ変わるそうですが、今年は、昨年までの「ネーミング」「味の完成度」「見栄え」「独創性」「技術」「ホスピタリティ(プレゼンテーション力)」に加えて、今年は「再現性」も重視しますと言っておられたのには、少し驚きました。 「再現性」はまさに、私がいつも、自分が執筆する記事などでよく触れていたポイントです。近年、国内外のコンペで賞を獲る創作カクテルはしばしば、通常では入手しにくい珍しい副材料(リキュール等)や自家製のシロップ、難しいテクニックを使うものも多く、他のバーで他のバーテンダーが簡単に再現できないような、「独創的過ぎるもの」が目立つのです。 「独創的過ぎる」創作カクテルは、その時には注目され話題にはなっても、一時的なものに終わってしまいます。世界中の普通のバーで再現できないような、また、普通の技量を持ったバーテンダーがつくれないようなカクテルは、絶対に次世代へ継承されませんし、ましてや将来、「スタンダード・カクテル」として生き残り、定着していくことはまずありません。 現在、国際的に幅広く認知されている「スタンダード・カクテル」は、長い歳月の中で、世界中のバーで沢山のバーテンダーがそのカクテルを再現してお客様に提供し、普及させていってくれたおかげで、「スタンダード」として生き残ってきました。 「再現できた」のはもちろん、どこでもそう困難なく入手できる材料だったからですが、結果的に「スタンダード」として認知された最大の理由は、飲み手であるお客様に「その味わいが支持された」からに他なりません。 日本国内では毎年「星の数ほど」創作カクテルが誕生しているのに、2~3年も経つとほとんど忘れられてしまい、1980年代以降、日本発の世界的な知名度を持つカクテルがほとんど誕生していない残念な現状ですが、その理由の一つが、この「再現性」の欠如だと私は感じていました。 セミナーの担当者は「優秀な成績を収めたカクテルは、キャンペーンとして他のバーテンダーの方々にも、他の機会につくっていただくこともあるので、今年はこの再現性を大切にしたいと思います」と話していました。 日本のメーカーやバー業界団体が主催するカクテルコンペも、ようやくこの「再現性」の大切さに気づき始めたのであれば、本当に嬉しく思います。 PS.できればコンペ本番の審査員も、プロと一般の比率を半々くらいにしてほしいですね。そのカクテルの「味わい」が美味しいかどうかを決めるのは、結局のところ、対価(お金)を払ってくれるお客様なのですから。
2023/05/28
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バーUKは本日27日(土)、通常通り(午後2時~7時半)営業いたします。皆さまのお越しを、心よりお待ちしております。Today( May 27th )the bar UK is open from 2:00 to 7:30 pm.
2023/05/27
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皆さま、バーUK2023年6月の店休日と営業時間のお知らせです。 政府によるマスク着用要請などが3月13日から緩和され、新型コロナ感染症は5月8日から、季節性インフルエンザと同様の「5類感染症」に移行いたしました。このためバーUKも、店内のコロナ感染防止対策を大幅に緩和します。何卒ご理解のほど宜しくお願い致します。 【6月の店休日=予定】3日(土)、4日(日)、7日(水)、11日(日)、17日(土)、18日(日)、25日(日) ※営業時間は、平日=午後4時~10時(ご入店は9時まで。酒類の提供は9時半まで)、営業する日の土曜日=午後2時~7時半(ご入店は7時まで)とさせて頂きます 平日午後9時以降(※土曜日は午後7時以降)にご来店の場合は、必ず事前に店まで必ずお電話くださいませ=電話06-6342-0035。事前に連絡がない場合の入店はお断り致します。平日午後9時の時点(土曜日は午後7時の時点)でノー・ゲストの場合は閉店させて頂きます。 ※17日(土)は1週間前までのご予約(3~4名以上)があれば、営業も検討しますので、マスターまでご相談ください。 ※また、ご入店は引き続き御4人様まで、ご在店時間は120分以内に、店内の在客数は最大7~8人にそれぞれ制限させて頂いております。 以上、何卒ご理解、ご協力の程を重ねて宜しくお願いします。【Notice for June 2023】The bar UK is closed on 3rd、4th、7th、11th、17th、18th、25th( Open from 4:00 to 10:00 pm.< Your entry is until 9:00 and alcohol service is until 9:30 pm. > on weekdays). If open on Saturdays, from 2:00 to 7:30 pm.
2023/05/22
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バーUKは本日20日土曜日、貸切営業(午後2時~7時半)となります。何卒ご了承くださいませ。Today( May 20th ) bar UK is fully booked for the private party.
2023/05/20
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バーUKは本日13日(土)、通常通り(午後2時〜7時半)営業致します。皆様のお越しをお待ちしております。Today( May 13th ) the bar UK is open from 2:00 to 7:30 pm.
2023/05/13
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すでに先月に告知済みですが、本日5月11日(木)のバーUKは臨時休業となります。ご迷惑をおかけしますが、何卒ご了承くださいませ。 Today( May 11th )the bar UK is temporarily closed.
2023/05/11
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WEBマガジン「リカル(LIQUL)」連載 【カクテル・ヒストリア第26回】 今さらながら、サイドカーは誰が考案したのか… ◆「マッケルホーン=考案者」にこだわる人々 現代のバーで最もよく飲まれる人気カクテルの一つに「サイドカー(Sidecar)」(写真下)がある。20世紀初めに誕生し、カクテル名は第一次世界大戦で開発された、「オートバイの横に取り付けて走る乗り物」に由来する。 これほど有名なカクテルなのに、誕生の時期や考案者については定説がない。一番有名なのは、パリの「ハリーズ・ニューヨーク・バー」(1923年創業)のオーナーだったハリー・マッケルホーン(Harry McElhone)が、1920年代前半に考案した」という根拠不確かな説。 しかし、日本国内では、この説をさも本当であるかのように紹介するカクテルブックが今なお多いという現状は、カクテル史を研究している私としては、非常に不可解で、残念でならない。 サイドカー誕生を巡っては、他にも以下のような様々な説が伝わっている。(1)第一次世界大戦(1914~18)中、パリのとあるレストラン・バー。コニャックを飲んでいた米軍人の元に、「急いで軍の本部へ戻れ」という指令が来た。度数の強いコニャックを短時間で飲み干さなければならないその軍人が、バーテンダーに「ホワイト・キュラソーとレモン・ジュースで割ってくれ」と頼んだのが始まり。(2)パリのリッツ・ホテル(Ritz Hotel)内のバーで誕生した。※リッツ・ホテルのチーフ・バーテンダー、コリン・ピーター・フィールドはその著書「The Cocktails of The Ritz Paris」(2003年刊)の中で、「1923年頃、リッツのバーの責任者だったフランク・メイエ(Frank Meier)が考案したと信じている」と書く(ただし、メイエ自身は、1934年に出版した自著『The Artistry of Mixing Drinks』の「Sidecar」の項では、自分のオリジナルかどうか一切言及していない)。(3)19世紀半ばにニュー・オーリンズで生まれた「ブランデー・クラスタ」(末尾【注1】ご参照)という古典的カクテルが、20世紀初めにシンプルなものに改良され、それがサイドカーの原型となり、その後欧州に伝わった。 ◆信頼できる一次資料こそ最良の「拠り所」 諸説が入り乱れている場合、私は、信頼できる一次資料(カクテルブックなどの文献)の記述を「拠り所」にするしかないと信じている。私が現時点で一番信頼するに足ると考えているのは、「ロンドンの社交クラブ<バックス・クラブ(The Buck’s Club)=1919年創業>の初代バーテンダー、パット・マクギャリー(Malachy “Pat” McGarry)が、それ以前にフランス国内で人気カクテルだったものにアレンジを加え、現代伝わっている標準的なレシピを確立して、英国内で広め、それがさらに米国など国外へも伝わった」という説である(写真左=The Buck's Clubの建物)。 「サイドカー」のレシピが最初に活字になったのは、1919年に英国で出版されたハリー・マッケルホーンのカクテルブック『Harry’s ABC of Mixing Cocktails』の1922年の改訂版である(写真右。レシピは「Brandy 3分の1、Cointreau 3分の1、Lemon Juice 3分の1」)。マッケルホーンは、1918年~22年末までの約4年間、ロンドンの「シロ―ズ・クラブ(The Ciro’s Club)」という社交クラブでバーテンダーとして働いていた。 同著改訂版のサイドカーの項には、「このレシピは、ロンドンのバックス・クラブのバーテンダー、パット・マクギャリーによるもの(Recipe by Pat McGarry)」という添え書きがある。「マクギャリーのオリジナル」とは断定していないが、少なくともマッケルホーン自身は「自分のオリジナルではない」ことを示唆している(末尾【注2】ご参照)。 また、同じ1922年、英国でロバート・ヴァーマイヤー(Robert Vermeire 1891~1976)というバーテンダーが出版したカクテルブック『Cocktails:How To Mix Them』(写真左)にも、サイドカーの項には次のような添え書きがある。 「(1922年時点で)サイドカーはフランス国内で非常に人気のカクテルである。バックス・クラブの著名なバーテンダー、パット・マクギャリーによって初めてロンドンへ紹介(introduce)された」。ヴァーマイヤーも、「マグギャリーのオリジナル」とは断定せず、フランス国内発祥説をにおわせている。 ◆レシピ情報共有も当然できた3人のバーテンダー 著者ヴァーマイヤーは、当時フランス・ニースのカジノのバーで働いていたが、その前にはロンドンの「エンバシー・クラブ(The Embassy Club)」という社交クラブにも勤めていた経験がある。 ほぼ同じ時期に、ロンドンの社交クラブで働いていた経験を持つマッケルホーンとヴァーマイヤー、そしてマクギャリー。3人には当然面識があり、マクギャリーがいた「バックス・クラブ」で人気を集めていたサイドカーのレシピも、他の2人にはすぐに伝わったことだろう(写真右=Pat McGarry ?~1941)。 結論として、同時代の2人の重要な文献で同様な証言がある以上、現在伝わっている「標準的なレシピのサイドカー」の誕生に最も貢献した人物(=考案者?)は、マッケルホーンではなく、パット・マクギャリーであると考えるのが一番自然であろうと私は思う。そして、もしマグギャリーが考案者ではなかったとしたら、それはパリのバーで働く誰かであったのであろうが、その名前は今となっては探し出すことは難しい。 「マッケルホーン=考案者」説は、(同じく有名なカクテル「マルガリータ」の「流れ弾に当たった恋人の名前起源」説のように)もはや、根拠のない「後世の作り話」でしかない。日本の出版社やバー業界も、根拠のない説を信じ込み、一般に広めるのはそろそろやめた方がいいと思う(写真左 =Harry McElhone 1890~1958)。 マッケルホーンは1922年、かつて働いたこともあるパリの「ニューヨーク・バー」が売りに出されたことを知って買収し、翌1923年2月、店の名前を「ハリーズ・ニューヨーク・バー」に変えてリニューアル・オープンした(写真下)。そして自らのバーを通じて、サイドカーを世界的に広めた。「サイドカー普及の最大の貢献者」がマッケルホーンであることに、異論を挟む人はいないだろう。 「サイドカー」は、日本にも1920年代前半に伝わり、日本初の実用的カクテルブックの一つと言われる「コクテール」(前田米吉著、1924年刊)で初めて紹介された。シンプルな材料のコンビネーションが生み出す奥行きのある味わい、アルコールと酸味と甘味の絶妙のバランス。100年後でも、多くの人々に愛されている理由が分かるような気がする。【注1】ブランデー・クラスタは、コニャックとキュラソーを混ぜたあとレモンやビターズを加え、砂糖で縁取りしたグラスで飲むのが本来のスタイル。近年は、「ブランデー・クラスタ」のレシピがよりシンプルに改良されサイドカーに発展したという説も、専門家の間でかなり支持を集めている。【注2】ハリー・マッケルホーンはその著書の改訂版(1922年刊)で「(サイドカーは)パット・マクギャリーによるレシピ」と記したが、その説明文は28年版を最後に消えて、1932年以降に出版された版では「自らが考案した」と説明を変更している。レシピ自体はまったく同じなのになぜ変えたのか、その理由は不明。「サイドカーを有名にしたのは自分であり、ハリーズ・ニューヨーク・バーである」という自負があったのかもしれないが、少々不可解と言うしかない。・WEBマガジン「リカル(LIQUL)」上での連載をご覧になりたい方は、こちらへ・連載「カクテル・ヒストリア」過去分は、こちらへ
2023/05/09
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バーUKは本日5月2日(火)、午後3時オープンとなります(午後10時まで営業。入店は午後9時まで)。店の半分のスペースは、通常とは違う、特別スタイルで営業となります。 ご予約のお客様優先で、店内のほぼすべてのボトルを20%~50%OFFで提供いたします(ただし原則15ml単位)。その他のドリンクもサービス価格でお楽しみ頂けます(軽いおつまみ付き。サービス料は、特別スタイルのお客様のみ¥1000を申し受けます)。 ※当日のご予約は電話(06-6342-0035)でお願いいたします。ご予約がない場合は通常料金となります。 ※なお、店の残り半分のスペースで一般営業も行いますので、何卒ご了承くださいませ。
2023/05/02
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WEBマガジン「リカル(LIQUL)」連載 【カクテル・ヒストリア第25回】 「ミスター・マンハッタン」とは誰か? ◆あの「マンハッタン」とは何の縁も… 「ミスター・マンハッタン(Mr. Manhattan)」(写真下)とは、1920年代半ば~後半に誕生したクラシック・カクテル。サヴォイホテルのチーフ・バーテンダーだったハリー・クラドック(Harry Craddock 1876~1963)が1930年に出版した、かの有名な『サヴォイ・カクテルブック(The Savoy Cocktail Book)』で初めて活字として紹介されている。有名なカクテル「マンハッタン」と何か関係あるのかと思ってしまうが、実は何の縁もない。 ジンをベースに、オレンジ・ジュース、レモン・ジュース、シュガー・シロップ、生ミントの葉を一緒にシェイクした爽やかな飲物。レシピはシンプル。味わいは、柑橘系ジュースと生ミントのコラボが絶妙で、甘さと酸味のバランスも抜群なカクテルである。 しかし残念ながら、日本での知名度はそう高くなく、バーの現場で注文されることも少ない。ベテランのバーテンダーの方でも、その存在やレシピを知らないという人に時々出会う。 「ミスター・マンハッタン」誕生の経緯や名前の由来については、これまでまったく謎だった。クラドック自身も自著では一切何も触れていない。マンハッタンという名前が付いているので、米国ニューヨークで誕生したカクテルと思う人も多かった。しかし、2013年に出版された『The DEANS Of DRINK』(Anistatia Miller & Jared Brown共著 ※ハリー・ジョンソン、ハリー・クラドックというカクテル界の2人の巨人の伝記)=写真右下=が貴重な手掛かりを示してくれた。 ◆クラドックのオリジナルであることが濃厚に 同著によれば、このカクテルの考案者は間違いなく、クラドック自身であり、彼が働いていたロンドンのサヴォイホテル「アメリカン・バー」の顧客の一人、米国人のコラムニスト、カール・キッチン(Karl Kitchen)のために考案したのだという。 そのことを裏付けるエピソードや、「ミスター・マンハッタン」というカクテル名は、ニューヨークのマンハッタンのバーで長く脚光を浴びてきたクラドックに、キッチンが付けた「あだ名」であったことを、キッチンの米国での新聞連載コラムから発掘し、紹介している。 キッチンは連載コラムでこう綴っている。「昨日、(アメリカン・バーで)ハリーに、私のためのオリジナル・カクテルをつくってほしいと頼んだ。そしてきょう、彼は3種類の『ミスター・マンハッタン』をつくってくれた。米国でも簡単に手に入る材料でつくられているのがとてもいい。新しもの好きな米国の人たちにも、このレシピをぜひ教えてあげたい」。 キッチンのコラムを通じて「ミスター・マンハッタン」が、米国の”もぐり酒場”(米国は禁酒法時代の最中)でどの程度広まったのかは分からない。しかし、ジンさえ手に入れば、後は一般家庭でも入手可能な材料で、簡単につくれるレシピなので(禁酒法時代でも家庭内の飲酒は合法だった)、案外隠れた人気を得ていたのかもしれない。 ちなみに、クラドックがつくった3種類の「ミスター・マンハッタン」には、ジン・ベースのほか、「密造(Hooch)ウイスキー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、ラズベリー・シロップまたはグレナディン・シロップ、角砂糖」と「スコッチ・ウイスキー4分の3、グレープ・ジュース4分の1、グレナディン・シロップ4dash」だったが、自著のカクテルブックには、No.1のジン・ベースのものだけを収録した(写真左=サヴォイ・ホテル時代のハリー・クラドッ<Harry Craddock>>)。 ◆欧米でも長年忘れられたような存在 クラドックは英国生まれだが、1897年に22歳で米国へ渡り、1920年に禁酒法が施行されるまでは、ニューヨークなど米国内の大都市でバーテンダーとして働いた。しかし、禁酒法で仕事の場を奪われ、やむなく英国へ戻る。そして翌年、ロンドン・サヴォイホテルのバーで職を得て、25年にはチーフに昇格した。 不思議なことに、1930~50年代の欧米のカクテルブックで「ミスター・マンハッタン」を取り上げている本は3割もない(顧客との個人的関係もあって、クラドックが積極的に普及しようとしなかったのか?)。「ミスター・マンハッタン」はその後、忘れ去られたような存在になり、欧米でも1960年代以降、近年に至るまでカクテルブックに登場することは、数えるほどだった。 日本でも1950年代のカクテルブックで初めて紹介されたが、80年代末までは、生のミントはコストがかかり過ぎることもあって、国内のオーセンティック・バーではなかなか普及しなかった。しかしそんな状況の中、思わぬところから、このカクテルが陽の目を見ることになる。 2003年春から全日空(ANA)の機内誌「翼の王国」で連載されていたオキ・シロー氏のカクテル・ショートストーリーで、この「ミスター・マンハッタン」が取り上げられた(2004年1月号誌上)。そのストーリーと言えばーー。 「マンハッタンのバーのカウンターで、一人寂しく飲む男。ある時、カウンターで隣に座った女性をナンパしようと、ミスター・マンハッタンを1杯、ご馳走する。しかし、その女性はカクテルを飲み干すと、男の誘いを無視して一人店を後にした。男の願いは潰れてしまったかに見えたが…」。物語の最後には、絶妙な“オチ”が用意されている。(※オキ氏のこの連載「ミスター・マンハッタン」=写真右上=は、後に単行本化<写真左>された際に収録された)=末尾【注】ご参照。 ◆生ミントの普及に伴って再び注目が このストーリーとカクテルのレシピが、口コミで日本のバー業界にも広がり、オーセンティック・バーの現場でブレイクした。そしてその後、海外でも、昨今のクラシック・カクテル再評価の流れに乗って、再び注目を集めるようになった。 日本でのブレイクに刺激されたのかどうかは定かではないが、海外のカクテル専門サイトでは、現在、「Cocktail Mr Manhattan」で検索すると、実にたくさんのサイトにヒットする。昨今のトレンドとしては、ただ単純に昔のレシピのままつくるのではなく、現代風にアレンジ(ツイスト)することのも目立つ。例えば(ほぼ同じレシピで)ミントジュレップ風のスタイルで提供するのも人気だとか。 日本でも90年代以降は、生ミントも使いやすい価格となり、このカクテルの良さを再認識するバーテンダーも次々に現れてきた。そして前述の「翼の王国」の記事がきっかけとなり、国内に広く知られるようになった。今では、おそらくプロのバーテンダーなら約8割は知っているカクテルになっているのではないか。 レシピはとてもシンプルなのに、甘味と酸味と清涼さのバランスが最高な「ミスター・マンハッタン」。個人的には、もっともっと多くの方に味わって頂きたいと願っている。【確認できる日本初出資料】「世界コクテール飲物辞典」(佐藤紅霞著、1954年刊)=写真右。 そのレシピは(原文通り記すと)「少量の水を加えて角砂糖1個を潰し、新鮮な薄荷(はっか)の葉芽4枚をその中で潰し、レモン・ジュース1ダッシ、オレンジ・ジュース4ダッシ、ジン1を加えて振蕩し、コクテールグラスに漉し移す」。この「薄荷」が西洋ミントなのか国産の薄荷なのかが気になるところ。【注】オキ・シロー氏のショート・ストーリー「ミスター・マンハッタン」は、2008年に出版された同氏の著書「パリの酒 モンマルトル」(ショート・ストーリー集)=扶桑社刊=の中に収録されている。本は絶版になっているが、アマゾンなどで古本で入手可能。・WEBマガジン「リカル(LIQUL)」上での連載をご覧になりたい方は、こちらへ・連載「カクテル・ヒストリア」過去分は、こちらへ
2023/05/02
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バーUKは本日5月1日(月)、午後3時にオープン致しますが、午後6時からは貸切営業となります。何卒ご了承くださいませ。Today( May 1st )bar UK is open from 3:00 to 10:00 pm, but from 6:00 pm~ fully booked for our private party.
2023/05/01
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