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山田維史 「冒険小説本未使用表紙画」 1984年 キャンヴァスボードに油彩Tadami Yamada “Unused illustration for the book cover of an adventure novel, 1984, Oil on canvasboard
Apr 30, 2026
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きょうの旧作は、1991年に雑誌「ザ・ビッグマン」の特別記事のための挿画。足利尊氏と足利直義(ただよし)である。1991年のNHK大河ドラマは「太平記」で、足利直義役を演じたのは高嶋政伸氏。雑誌の特別記事はその直義に焦点を絞ったものだった。 「ザ・ビッグマン」誌はたしか前年の1990年に「ビッグマン」誌から改称して復刊した。発行元は世界文化社である。 世界文化社は私の大学への通り道にあった。私は小学生時代に同社発行の「科学大観」を愛読していた。各巻が一つの主題で編集されていて、豊富な写真が掲載されていた。巻頭ページには小松崎茂氏の未来科学絵が色刷りされていた。私は大学への往来のたびに、ああここがあの科学大観の出版社か、と思った。法学部の学生だった私はイラストレーター・職業画家になるとはまったく想像もしていなかった。世界文化社から仕事の依頼があったときはちょっと驚いた。しかもSF小説や幻想小説あるいは推理小説の挿画を各社で描いていたが、私の絵はどちらかというとバタ臭く、もちろん依頼があれば何でも描くけれども、まさか日本史に関する絵を注文されるとは思っていなかったので、それで驚きもしたのだった。山田維史 「足利尊氏・直義 ー ザ・ビッグマン誌記事挿画」 1991年 世界文化社刊:キャンヴァスボードに油彩Tadami Yamada “Illustration for magazine article on Shōgun Ashikaga Takawuji and his younger brother Tadayoshi in 1300s” 1991 published by Sekaibunkasha Co., Ltd. : Oil on canvasboard
Apr 29, 2026
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自分の作品に対する世間の評価が、じつは私はその理由があまりわからない。ほとんどまったく気にならないというのが正直な気持ちなのだが・・・。もちろん職業人としては制作を請け負った仕事は、依頼者(社)に利益をもたらさなければならない。私の長い経歴において、私自身のために描いたことはない、と断言できるのだが、とはいえ仕事の喜びとか制作上の新しい発見や工夫の成就に人に知れない喜びと満足感、精神的な充足があることは確かだ。それだからこそ50年60年と工場の製造機械を稼働するようにやってこれた。 世間の評価をあまり気にしないと言ったが、じつは最近、初期作品等を整理しながらあらためてSNS(tumblr)に掲載している。するとそれを見た人たちが「好き」とマークを付けて、さらに自身のブログ等で拙作をリブログして拡散してくれている。ありがたいことだ。しかし、私は不思議に思っているのだ。なぜこの作品を大勢が気に入ってくれているのだろう? と。たとえば下に掲載する39年前にある大企業のために描いた「カマキリ」の絵は、先月末日に掲載し、きょうまで1ヶ月、他の作品に抜きん出て「好き」と言っている。そのほとんどが外国人観客だと推測しているが、・・・なぜ? 作者の私が、その人たちの感受性・・・この作品から何を読み取っているのかを推測しかねているのである。 山田維史 「企業PR誌表紙絵 ー 環境シリーズ “カマキリ”」 1987年 キャンヴァスボードに油彩、アクリル絵の具Tadami Yamada "The cover illustration of a corporate PR magazine ー Ecological Series〈PRAYING MANTIS〉” 1987, Oil and acrylic on canvasboard
Apr 28, 2026
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昨夜からの雨が一日中ふりつづいていた。外出予定だったが億劫になって中止した。 この雨を小庭の植物たちが喜んでいる。普段、潅水するのとは違った表情になる。私の思い込みとも言えない。環境がすべて雨で洗われるのだから土埃も流れ、緑が鮮やかに、目に冴え冴えと映るにはちがいない。けれどもやはり植物たちは雨を喜んでいるのだ。 埼玉大学の研究だったと記憶しているが、分子生物学やその可視化技術の発達によって、植物が外部からダメージを与えられると、伝達信号が発せられてダメージを受けない葉などが一種の防御体勢になることが判明した。 もう半世紀以上前から植物の感情・・・というか、外部からの刺激に対する感受性があることが判っていた。たとえば観葉植物に人間が優しさを示すと、植物の組織に反応が現れるというのである。 我が家の柿の木をおおきく伐採剪定したことはこのブログに書いた。あれからさしたる日にちが経っていないのだが、じつは残した太枝からまったく新しい芽があちらこちらに生じ、すでに若葉をひらいているのだ。植木屋さんが「すぐにまた大きくなると思います」と言ったが、大きく伸びるというより、新しい枝を張るであろうことが見て取れる。 私はこのブログで何度か書いているが、柿の木に限らず、小庭のあらゆる植物の生命力には驚嘆させられる。それは私の喜びに変わる。歳をとったなどと慨嘆していられなくなるのである。ハハハハ。
Apr 27, 2026
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山田維史「キャベツ - 食品図鑑」 1987年 週刊文春挿画、文藝春秋刊 : キャンヴァスボードに油彩、鉛筆Tadami Yamada "Cabbage ー Food Encyclopedia"Illustration for weekly magazine SHŪKAN BUNSHUN1987, published by Bungeishunjū Co., Ltd.Oil and pencil on canvasboard
Apr 26, 2026
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山田維史「トリュフ - 食品図鑑」 1987年 週刊文春特集記事挿画:キャンヴァスボードに油彩Tadami Yamada "Truffle ー Food Encyclopedia" Illustration for Weekly Magazine SHŪKAN BUNSHUN,1987, published by Bungeishunjū Co., Ltd.Oil on canvasboard. トリュフを描くに当たってはちょっとした思い出がある。私は当時日本有数の高級トリュフ輸入会社の社長に直接電話して、これこれこういうわけだがトリュフを売ってくださいませんかと話した。社長は、数日後に産地から届くので来社してくれ、と言った。私は約束の日に訪れ、社長に面会した。社長は社員にトリュフを持ってこさせ、「これをお持ちください」と言い、私は「代金は文藝春秋にご請求ください」と申し出ると、社長は「結構です。代金はいりません」と言った。 たしかそのトリュフは一個が当時の金額で20,000円以上だったと記憶している。現在の貨幣価値で30,000円ほどか。 私はトリュフの包みをバッグに入れて帰宅した。バッグから芳醇な香りがたちのぼり、途中で2度3度、バッグの口を開いて、その香りに酔った。 描き上げて入稿後、文藝春秋にトリュフを持参すると、「山田さんがお使いください」と言った。 そして・・・私はまず「オマール海老アスピックのトリュフ添え」をつくった。残りは瓶詰めにし、その後何日間かは家族で私のフランス料理を堪能したのだった。
Apr 25, 2026
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山田維史「カリフラワー - 食品図鑑」 1987年 週刊文春特集記事挿画:キャンヴァスボードに油彩、鉛筆Tadami Yamada "Cauliflower ー Food Encyclopedia" Illustration for Weekly Magazine SHŪKAN BUNSHUN, 1987, published by Bungeishunjū Co., Ltd. Oil and pencil on canvasboard.
Apr 24, 2026
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こでまりにまぎれる嫗翁かな 青穹(山田維史) こでまりや此岸に寄せる波がしら こでまりや此岸へ波はいずこより
Apr 23, 2026
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山田維史「ゲオルグ・ハイム ”十月五日” の表紙絵」1974年 文林書院刊 木版画Tadami Yamada "Book caver illustration of DER FÜNFTE OKTOBER by Georg Heym, 1913" Published by Bunrinshoin Co., 1974. Woodcut.(下の画像は、本のできあがりを想定して厚紙にグァッシュで描き、形にした実物大ダミー。これを出版社と大学側とで検討した。一般会社の幹部等との広告デザインや装丁検討会議では、ダミーによるプレゼンテーションが有効であることを、私は装丁家の栃折久美子氏に教わった。栃折氏に実習講義してもらえたことはありがたかった。1969年だったと記憶している。まだパーソナル・コンピューターがなかった時代ある。上掲の本番用の木版画はこのダミーどおりにほぼそのまま彫った。) この本は、或る大学のドイツ語履修学生の副読本として、オリジナルのドイツ語で出版された。 文林書院は、各大学使用の語学副読本と英語の一般教本を専門に出版していたが、すでに存在しない。個人的な思い出を述べれば、ドイツ語担当編集者・高田氏とは3冊の大学用副読本を作った。 また、フランス語担当の浅沼氏とは1973年1月に生田耕作先生の講義用の本を作ったが、これが文林書院での私の最初の仕事だった。前年の1972年、シュルレアリストのピエールマビーユ "LE MERVEILLEUX (驚異)"のためのイメージ・デッサンをペンとインクで描き、それを浅沼氏は関西在住の生田耕作先生に送っていた。当時、生田先生は二つの大学で講義を持たれていた。そのうちの一校で私のイメージがエロチックだということで拒否された。単純な線で描いたいわば抽象的なものだったが、生田先生はその絵を所蔵したいとおっしゃられた。私は第二案を描いてそれが両校で採択されたという経緯があった。 文林書院が私に依頼した最後の仕事は、英語の一般教本の広告パンフレット製作だった。その表紙デザインのために私はいくつかの箱のオブジェを作り、広告写真家に依頼してスタジオ撮影した。 文林書院が発展的に行人社に社名変更してから、浅沼氏は国学院大学教授で小説家の花輪莞爾先生と私を結びつけてくれた。そして行人社で花輪氏の短編小説集『悪夢名画劇場 I, II』を作った。お二人が我が茅屋を訪ねて来られた日を懐かしく思い出す。高田さんと、ある日、山手線の電車の中でバッタリ出会ったことも思い出す。みなさん故人となられた。
Apr 22, 2026
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山田維史「光球をとらえる」1971年 紙に木炭Tadami Yamada "Capture the Sphere of Light" 1971, Charcoal on paper
Apr 21, 2026
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現在、初期習作をはじめ昔の拙作を整理している。そのなかに40年前の1985年に当時の西ドイツの週刊誌の依頼で描いた原画がある。絵の中に「四十年後の日本」と書き込んでいる。その週刊誌の特集タイトル(もちろんドイツ語)だったのだが、これは戦後40年、すなわちこの絵を描いた1985年ということである。・・・今年2026年はあれからさらに40年が経過したわけで、まさに私自身の実年齢とぴたりと重なっている。そんな私の感慨もあり、あえてここに掲載する次第である。山田維史 1985年 キャンヴァスボードに油彩Tadami Yamada 1985, Oil on canvasboard
Apr 18, 2026
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朝、庭の掃き掃除をしているとご近所の方が柿の木を指差して、「全部伐ってしまったんですね」とおっしゃった。下の方の太い枝は残したのだが、門の外側から見るとすっかり伐採したように見える。長い年月の間、150から200個もの実をつけていた柿の木には可哀想なことだったが、植木屋さんが「またすぐに大きくなりますよ。ここにはもう新しい芽が出ています」と幹を指差しながら言ったとおり、残した二本の太枝は若葉を広げている。「栄養がこの枝に集中するから、いい柿が生ると思います」と植木屋さんは言った。 4月が早くも半ばを過ぎた。スーパーマーケットの野菜の棚に筍がならんだ。さっそく一本買った。良い香りがする。 夕食は私が好きな筍飯。毎年、初物の筍は筍飯にする。半分に切って、残りは土佐煮にした。家人が「おいしい!」と感嘆した。このことばが作った私には嬉しい。もちろん私自身も「おいしい!」である。
Apr 17, 2026
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アメリカのニュース番組やYouTube等における主に政治問題解説サイトを視聴すると、その英語の早口に私はまったくついて行けなくなる。20分30分間、まくしたてることにも呆れながら困惑する。のみならずその話法、かならずといってよいほど譬え話を挿入する。取り上げている問題の重要点を、噛み砕いて視聴者が理解しやすいようにしているのであろう。しかしながら私は、かえって冗長になって問題点が薄まっていくように感じる。そして、それが「英語脳」なのだろうか? と思いながら、もしかするとアメリカの一般的な教育過程で、最上の話法(エロキューション)は、そうであらなければならないと教わるのだろうか? 演劇的でもあるディベイト(debate; 論争)教育は、相手の意見に耳を傾け自論を構築する練習に有効であると思うが、同時に何が何でも相手を「やっける」という気質を育むかもしれない。教室ディベイトを 演劇的と私が言うのは、対論者がおたがいの本心と自論は抜きにして、振られた役割で論戦する”ゲーム”だからである。 トランプ大統領の演説や質問に対する答弁は、ことさらに独特である。多弁、冗長、逸脱、すり替え、思いつき、他人攻撃、悪口、自己礼賛・・・と、これらすべてが一度の弁舌に入ってくる。これがトランプ大統領の話法である。政治的弁舌である。 トランプ話法に似たような話法は、日本においても政治ばかりではなくYouTube等のメディアに突然のように現れて論客として人気を獲得している人たちの話法でもある。彼らが取り上げるのは概してゴシップ的な話題ながら、一応正論と言えなくもない。ただし、攻撃している議論に対する自己の立ち位置はあいまいで、相手の論に代わる建設的な自論は多くの場合は持っていない。相手を攻撃することで自己の精神の自立を得ようとしている。つまり、話しているうちに問題点のすり替えを(おそらく無意識に)巧みにおこなっているのである。この論法は、かの (知の巨人と称されている)小林秀雄もやっていたことだ。多くは座談会のような対論の場合だが、小林秀雄はもちろん修辞の巧みさのうちに意識的にやっていたのだ。 それぞれの国々にはそれぞれの「気質」があるとは、しばしば言われる。民族気質もあろう。文化に起因する気質のグループ分けもできるかもしれない。 わが日本国内においても、なかば冗談まじりのこともあるが、大阪人気質だとか名古屋人気質だとか、昔から言われてきた江戸っ子気質だとか。歌謡曲『湯島の白梅』(佐伯孝夫作詞)にも「・・・堅い契りを義理ゆえに 水に流すも 江戸育ち」とある。 もちろん人それぞれに違いないが、おおざっぱながら地方気質があるとも言える。 ところで、過日紹介したジョン・スタインベックの『チャーリーと一緒にアメリカ探しの旅 (TRAVELS WITH CHARLEY IN SEARCH OF AMERICA)』に、こんな一節がある。翻訳してみる。 「ニューイングランド諸州では、簡潔な指示、つまり言葉も文字も少ない簡潔なラコニック(laconic)様式の印刷シートを使用している。ニューヨーク州は、常にあなたに指示を出す。このようにしなさい。これをしなさい。左に押しなさい。右に押しなさい。数秒ごとに威圧的な命令がある。オハイオ州の標識はもっと簡潔である。フレンドリーなアドバイス、提案のようなものだ。一部の州は、最も広大な東部で迷子になる可能性がある冗長なスタイルを使用している。前方の道路状況で何を見つける可能性があるかを教えてくれる州もあれば、自分で見つけるようにしている州もある。ほとんどすべての州が、副詞を捨てて形容詞にしている。徐行運転 (Drive Slow)。安全運転 (Drive Safe)。という具合だ」 スタインベックの観察による指摘は、やはりそれぞれの地方の気質が制度・政策に反映していると見てもよさそうだ。 海外からの旅行者が日本の公共施設の標識のみならず商店内の張り紙の文言に「いきとどいた親切心」を指摘する声を聞くことが少なくない。その声はときに感嘆でさへある。日本人として嬉しい声である。しかし、一方で、外交人を排斥しようとあの手この手を使っている人たちがいることも事実であり、それを日本社会の総意であるかのように制度化しようとしているのも事実である。蛙が可哀想になる喩えだが、「井の中の蛙」的な偏狭気質と言おうか。・・・人間の振る舞いの悪例として動物に喩えることができないほど、人間の気質が堕落しているにちがいない。
Apr 16, 2026
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山田維史 「卵人」 1977年頃Tadami Yamada "Egg-Man" c.1977
Apr 13, 2026
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山道の麓に古い馬頭観音の小祠がある。まさか祠に手を入れて石像の背後に刻まれてあるであろう銘文を読むことができないので、いつの時代の御像かはわからない。昔は馬道だったのだろう。いまでもご近所の方々が折々に花を供えている。また、立ち止まって手を合わせていられるのを見かける。 今朝、といっても9時を過ぎていたが、約束があったので山を下った。馬頭観音の後ろから斜面となる山の雑木林で鶯の鳴き声がした。おそらく若い鶯だ。鳴き声が澄んでいる。私はちょっと立ち止まって、二度三度鳴くのを聴いていた。かつて我が家の小庭の木々にも鶯がやってきて鳴くことがあったが、残念なが近年はやってこなくなった。カラスやハトやヒヨドリやスズメは来るのだが・・・。 先日、植木屋さんが柿の木を伐りにきて、小庭の木々が我が家の人手で植えたのではないこと、おそらく山から風に運ばれたか鳥たちの糞のなかの種子が発芽して、10年20年経つうちに薮になったのだと言うと、ちょっと呆れていた。植木屋さんはシュロの葉を見つけて、これも大木になる、と言った。私の脳裏に樹高1,2メートルのシュロの映像が浮かび、あわてて引き抜いた。 しばらくぶりに電車に乗った。通勤時間を過ぎていたので乗客はまばら。私の前の座席に60歳半ばかと思われる男性が文庫本読んでいた。ハットをかぶって俯いているので目元は窺えないが、口をへの字に結んで熱心に読んでいる。その口元がときどき笑いで綻ぶ。そしてまたへの字になる。・・・何を読んでいるのだろう。 私はしばしば本を読んでいる人を観察する。私自身は電車内で本を読むことはないが、じつは今日はバッグの中に文庫本を一冊入れて来た。約束の時間まで待つことになるかもしれないと思ったのだ。『中国戦乱詩』(鈴木虎雄博士編・和訳、講談社学術文庫)。本書は昭和20年2月に『禹域戦乱詩解』として刊行された漢詩とその和訳および注解。大東亜戦争(第二次世界戦争・太平洋戦争)の終戦半年前、私が生まれる3ヶ月前に、本書を刊行された鈴木虎雄博士の御意志を想わずにはいられない。そしてまさに今、愚かな上にも愚かな世界の為政者たちがまるで殺人と破壊を楽しむように戦争をしている。私はこの漢詩本をもう一度読み直してみようと思い、バッグに入れたのだった。 よけいなことだが、これらの漢詩には私の名前の一字「維」がしばしば使われている。鈴木博士は、「これ」と読まれていられる。たとえば、 不易維王 (やすからずはこれおうなり) 維徳之行 (これとくをおこなう) さてさて、 目には青葉山ほとゝぎすはつ鰹 山口素堂 きょうの夕食は初鰹のたたき。
Apr 10, 2026
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午前9時から植木屋さんが来て小庭の柿の木の伐採と剪定を開始。私の希望する樹形を考慮しながら、命綱をつけて3時間の作業。伐採木等を小型トラックに積み込み、掃き掃除をし、12時10分に終了。若葉が出始めているが、繁らないうちに伐ろうと思っていたので、一安心だ。空が開け、・・・少し寂しくなったが、また勢いよく伸びるだろう。
Apr 8, 2026
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午前中に伐採・剪定の見積をとるための参考に柿の木の写真、および機材を運び込むためのスペースの写真など、方向を変えて撮影。メールで送信。 私はいわゆる遊興の「花見」はしないが、裏山や浅川の土手の桜は楽しんでいる。 ところで会津若松市在住で、YouTubeで「AIZUチャンネル」を主催しているアキくんが、本日6日の会津鶴ヶ城のみごとな桜を撮影して掲載している。 会津若松市はわたしの青春の城下町であるが、私が熟知している会津若松は65年以上前の街であり、いまの会津若松市にことさら懐かしさを感じるわけではない。・・・と言いたいところだが、青春時代というのは不思議なものでアキくんの映像を観ていると、何かそこはかとなく感覚に触れてくる。 昔の姿をとどめるものはない。しかし、本丸の現在茶室「麟閣」のある背後の土手で中学入学のクラス写真を撮影したことを思い出し、ああ、桜が咲いていた、と。そして私は家族と離れて、知る人もいない町で一人暮らしが始まったことを思い出す。写真の中の私は少し緊張しているようだ・・・などと。 また、戊辰戦争時も鳴らしつづけられた城内の鐘撞堂の鐘は、現在は一日一回、正午のみに鳴らされるとアキくんが言っているが、昔は朝夕に鳴らされていたはず。そして私は西出丸の濠をはさんだ藩校日新館の跡地に住んでいたので、その鐘の音を毎日聞いていたのだった。 ・・・鐘撞堂も私が在住した当時のままではなく、板壁などが修復されているように映像では見えたが・・・。廊下橋の朱色も塗り替えられて、昔より明るい朱色になったようだ。擬宝珠も新しくなり、それらの色には時間が降り積もってはいない。本丸に入る太鼓門への椿坂も、しかり。歩きやすく、また車が通れるように作り変えてしまっている。昔は椿坂から車が入るなどとは、少なくとも私は考えられなかった。 そうそうアキくんが一本の桜に「タカトウヒガンザクラ」と字幕をつけていた。タカトウは、信州高遠である。藩祖保科正之公は、徳川二代将軍秀忠の子であるが正妻の子ではなかったので、生まれるとすぐに高遠藩に養子御預けになった。現在、鶴ヶ城が桜の名所となっているのは、高遠から御厚意で桜が贈られたのである。 私は大学一年のときに、東京から両親の住む札幌へ行く途中、会津若松に立ち寄った。私が会津を去って後に再建していた鶴ヶ城の天守閣が竣工して間も無かった。夜だった。はげしく雨が降っていた。雨のなかで私は、中学入学時にクラス写真を撮った土手の上にたたずんで天守閣を見やった。稲光が走り雷鳴が轟いた。天守閣が闇のなかに紫色に明るんだ。・・・西出丸を出て、濠の一隅にあった貸しボート屋(現在はない)の店先の赤電話からタクシーを呼んだ。店の子息らしい少年がタクシー会社の電話番号をおしえてくれた。そして私は何かを胸に畳んで会津若松駅に向かっのだった。気が強かった私の胸に初めてセンチメンタルが萌したのかもしれない。・・・あのときから61年が過ぎた。AIZUチャンネル「桜満開! 見に行こう」
Apr 6, 2026
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朝方まで二日間降り続いた雨が止んだ。庭の紫陽花はおおよろこびである。ムサシアブミも毎日勢いよく伸びて、筍のような大きな芽の先端から鮮やかな緑の若葉が覗きはじめている。 柿の木も若葉が出始めているが、あまりにも背高く、また枝を大きく広げていて、じつは塀を越して隣家にまで伸び困ったなと思っている。四年ほど前に一度、私自身が伐採して切り口に保護剤を塗布した。しかし植物の生命力はすごい。樹高はいまや7mを優に越す。今日、雨も止んだことだし、葉が繁る前に伐ろうと思い、号具類を用意し、ヘルメットを冠り、軍手を穿いた。木を見上げて、これは私が伐るのは無理だと思った。専門の職人に依頼したほうが良い、と。 明日にでも依頼のメールを送信するために、添付するための写真を撮影した。現場を視察に来るだろうが、見積が確定するまえに一応の検討をつけておきたい。
Apr 5, 2026
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NASA有人月探査船打上げ(4月1日) わが星を離れてむかう春の月 青穹(山田維史) ◯ わが星を離れてむかう朧月 春の地球(ほし)宙(そら)から見れば美しく 四日の雨 わが星の燃ゆるを消すや春の雨 亀鳴くや嘯く人の支配かな ◯ 鳴くや嘯くおろかな国の長(おさ)*【註】亀鳴く:鎌倉時代中期の藤原為家の歌「川越のをちの田中の夕闇に何ぞときけば龜のなくなり」が典拠とされる春の季語。都人為家が田舎村川越に行き、遠く田んぼから聞こえてくる鳴き声に、あれは何だと問うと、村人は「亀が鳴いているのでございます」と応えた。鳴かない亀を鳴いたと言う、その愚かさの喩えになっている。 「希望を失った者は権力者があやつりやすい」・・・ある外国映画のセリフ(題名を失念!)
Apr 4, 2026
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我が家の春の植物の若葉ムサシアブミの芽 2026年4月3日 撮影ヤマジノホトトギス若葉 2026年4月3日 撮影タチツボスミレ 2026年4月3日 撮影カエデ 2026年4月3日 撮影フタリシズカ芽と若葉 2026年4月3日 撮影
Apr 3, 2026
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霊園の道をたどれば辛夷咲く 青穹(山田維史) ひとしずく辛夷の瓣の盞に 赤ん坊の私が祖母に抱かれて指差したのが辛夷だったとか。祖父母や父母の眠る霊園への道筋に、毎年、みごとな辛夷が咲く。 骨壷のまるきに添える花明かり
Apr 2, 2026
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世界中が毎日々々嘘だらけ。なにをおまさらエイプリル・フール。せめて4月1日はトゥルース・オブ・トゥルース・ディーにしたらどうかね。 遅き日のつもりて遠きむかしかな 蕪村 老いの日やつもりて永きあくびかな 青穹(山田維史) むさしあぶみ 一日に一寸のびる芽の力 散りてのち咲く花もあり春なかば
Apr 1, 2026
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