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買ったはずの電子書籍が消える、と昨日の朝日新聞デジタル版が報じている。電子書籍を購入した読者にはショッキングな記事。いったいどういうことか? 電子書店が乱立状態で、撤退する関係会社が出始めているという。電子書籍は、購入者に所有権がない契約が本質的であるため、購入元の会社が事業撤退してしまうと、以後、買ったはずの電子書籍は消滅してしまうのだ。 紙の本にはありえないことだが、電子書籍には「蔵書」という概念が成立しないのである。きわめて一時的な読書経験、いわゆる読み捨てだ。 紙の本ならば蔵書として、何年か後に、あるいは長い人生の或る時に、人生をリセットする機縁とすべく昔読んだ本をもう一度読み直してみることができる。若い時には汲み取れなかった事が、自分の人生の成熟によって、新たな光を発して受け止められる。そういう体験こそが、本を読む喜びであり、人間的な智の涵養に直結する体験だ。 電子書籍は、そのような「文化」を、(おそらく)まったく考慮することなく発展(?)したものであろう。 しかし、気づく人はのっけから気づいていたにちがいない。私もその一人だと言わせてもらう。 というのは、私はインターネットを日常的に駆使しているけれども、たとえばソフトウェアのバージョンアップや、サポート期限が切れ、更新忘れなどしたが最後、旧版では二進も三進も行かなくなってしまう。最悪な場合は、コンピューター本体が最新のソフトウェアを受け付けなくなり、捨てなければならない。また、デジタル新聞を利用して気づくのは、昔の記事を再読できなかったり、すでに完全に削除されている場合がある。あるいは残されていたとしても、天文学的な数字となる情報の海に呑み込まれているか、情報階層の深奥に埋もれてしまっていて、検索はほとんど不可能だ。そういう経験をしているので、そこから推測して、電子書籍が蔵書に適さないものだということを、私は気づいていた。 その懸念が、いま、ニュース種になったというわけである。「紙を排除する」と宣言したのはスティーブ ・ジョブズ氏だが、どっこい、そうは行かない、と言うところかもしれない。 新聞記事を読みながら、「やっぱりね、そうだろね」と、私は氷川きよしさんのように呟いた。【関連報道】朝日新聞 買ったはずの蔵書が消える 電子書籍、企業撤退相次ぎ 2014年1月30日18時24分ハンガリー、ブタペスト 「稀覯・古典籍図書館」イギリス,ケンブリッジ 「ジョーンズ・カレッジ図書館」アメリカ、ニューヨーク 「ピアポント・モーガン図書館」
Jan 31, 2014
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早朝、猫達に起こされて、「もう少しねんねしようね」と騙し騙し、胸や腹や脚の上に猫達がうずくまるままに、1時間ばかり眠った。夢を見た。亡母と普通に会話し、「何食べたい?」と私が聞くと、母は「冷たい饂飩が食べたい」と言った。「それじゃあ、饂飩にしようね」・・・ただそれだけの夢である。 母が亡くなって、あと丁度2ヶ月で2年になる。今日30日が命日。そのことは寝入る前には全然念頭になかったし、この2年間、母の夢を見たことがなかった。朝夕、父母の仏前に御飯を供えるのは日課だが、そう言えば、母が好きだった饂飩は供えたことがなかった。夢から覚めて、催促されたかと、ふと思ったのだった。
Jan 30, 2014
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テレヴィ・コマーシャルなんかにケチをつけたくはないが、そこに使われている日本語のカンチガイ(であろう)には、気持ちが悪くて黙っていられない。小泉今日子さんが出演している明治安田生命のコマーシャルだ。 小泉さんが「兎おいし かの山」と歌うと、アニメーションの兎のこめかみに冷や汗が流れる。すると子供が「おいしいの?」と訊く。 ここまではこの唱歌につきものの、冗談だ。おそらく最初は心からの間違いだったのだろうが、長い間に「冗談」に昇華したにちがいない。 さて、この「おいしいの?(兎は食べると美味しいの?)」という問いに対して、小泉さんは、こう応える。「おいしいって、つまり頼もしいってことなの」。 なんじゃい、この答は? どこからそんな解釈をみちびきだしたの? どうやらこのコマーシャルの制作者は、高野辰之作詞「ふるさと」の意味をわかっていないらしい。「兎追いし かの山、 小鮒釣りし かの川」という詞を、耳でおぼえていて、文字で見たことがないのかもしれない。 文字で見なければわからないような詞でもない。なにしろ小学唱歌なのだから。 しかし、すでにとうの昔に、「追いし」を「美味し」と思う人がいたのだとしたら、野兎を追いかけて山野を駆ける子供の遊びなどなくなって久しい現代の若者達が、「追いし」の解釈につまづくのも仕方がないのかもしれない。なにしろ、当方、自分の生活範囲の知識しかないという若者達(大学生さへも)の現状に行き当たって面食らうことが、決して少なくはないのだから。もちろん「概して」と、括弧付であるけれども。 では、このコマーシャルの制作者は、どうして「おいしって、つまり頼もしいってことなの」と、小泉今日子さんに言わせる解釈をしたのだろうか。 「美味し」と同様のカンチガイをしたのではあるまいか。つまり、この際、「かの山」は無視されて、「負いし」と聴き取った。そうして「負う」の一つの意味、「身にひきうける」を導き出し、すなわち「頼もしい」のだと。生命保険にピッタリ重なるじゃないか、と。 このコマーシャルを良く取れば、「美味し」という古典的な冗談に対して、「負いし」という新しい冗談で応じたということかもしれない。それとも「美味しいの?」という子供の問いに、まともに向かわずに、はぐらかしてしまったのか。 まあ、私の推測はそこまでだ。 しかしねー、テレヴィ・コマーシャルは子供にも影響を与えることを考えると、たとえ冗談に冗談を重ねたのだとしても、あまり「高級過ぎる」独りよがりの言葉のたわむれは賛成しかねる。 ついでに断っておくが、私は言葉の乱れは拒絶するけれど、言葉の遊びは好きだ。先日、フジテレビの「ペケポン」を見たと書いた。じつはこの番組の企画の一つ、謎かけ川柳に感心しているのだ。提示された川柳の意味に合致する、異語同音5文字を、下の句として入れるという、穴埋めクイズである。その言葉によって川柳が二重の意味を帯びて来るというわけ。元になっている川柳は一般視聴者の投稿らしいが、大変良くできている。というより、私には難しすぎて、めったに当たったことがない。これこそ高級な言葉遊びだ。 明治安田生命にケチを付けた訳ではない。そのテレヴィ・コマーシャルにケチを付けたのだ。とは言え、あまりでたらめなことを放映していては、会社そのものに不信感を抱かせないとも限らない。 まあ、キョンキョンにあまり馬鹿げた言葉を言わせないでくれよということ。
Jan 28, 2014
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毎日新聞 保護法違反裁判:警察庁公文書「秘密非開示では立証困難」毎日新聞 秘密保護法:いやだ!U−20デモ 渋谷や原宿で400人
Jan 27, 2014
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寒さは少しゆるんだものの風が強い一日だった。この温かさも、今夜からふたたび寒さに逆戻りの予報がでている。 正月に食べ過ぎて体重が5kg増えて65kgになってしまっていた。すぐにカロリー制限を始めたがなかなか元に戻らない。先週土曜日になったようやく1kg落ちた。そしてさらに1週間後、今日になってようやく62kgまで戻った。 昨年末までの1年半、ずっと60〜62kgの間をキープしてきた。以前は75kgくらいあったので、主治医に注意されていたのだ。以来、口に入れたものはお茶一杯さへ毎日記録して、栄養とカロリーの管理をしてきている。そして1年ほどで60kgにした。それくらいが調子が良いとわかった。 正月に肥ったのは、作り置きの御節料理を食べつづけたせいだ。我家の御節料理は、純和風プラス洋風なので、いきおいカロリーが高くなる。三が日の朝は、鶏スープで具沢山の雑煮餅というのが伝統でもある。 ・・・5kg肥っただけだけれど、ダイエットしてもなかなか元には戻らないものだ。炭水化物(米飯、パン、パスタ等の麺類)を極力減らし・・・たとえば米飯をまったく食べないか、食べても1日100g程度・・・、肉・魚・野菜をたっぷり食べて、やく62kgになったというわけである。
Jan 26, 2014
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夕食のテーブルに向いながら、フジテレビ「ペケポン」を見ていた。14種の食材のなかから1月旬物を当てるというゲーム。中に茨城の藁苞(わらづと)納豆があった。私は、これはすぐに分かるだろうと思ったが、意外や、最後まで残った。タカトシのタカさんが選んだけれど、不安げに、こう言った。「納豆はいつでもあるし・・・」 それを聞いて私は、「なるほどな」と、私が最も簡単な出題だと思った納豆が、最後まで残った理由が推測できた。つまり、彼らは若くて、自宅で納豆を作ったことなどないばかりか、自宅で作っていた時代があったことさへ知識として無いのだ、と。 私が小学生のころ、つまり昭和30年ころだが、我家でも自家用に納豆を作っていた。冬である。藁苞に茹でた大豆を詰めて、炬燵の中にいれておくのである。その温度がちょうど良く納豆菌を生育させ、醗酵をうながすのだ。 炬燵の季節。そして納豆作り。その思い出が、私に即座に、1月旬物としての納豆を当てさせたというわけ。・・・そうか、タカさんが自信無気であっても無理はないよな。 クイズで自分の年齢を思い知らされるとはと、いささか憮然としながら、その後もテレヴィを見つづけた。NHK BSプレミアムの「ザ・タイガース再結成ライブ」。昨年12月27日に東京ドームで行われた、44年ぶりにオリジナルメムバーが集結したコンサートの録画である。ザ・タイガースは私と同年代と言ってよかろう。沢田研二さんが一番若く、私とは3歳違い。 その日の観客は、もちろん同年輩、あるいは若干歳下、おそらく44年前には熱狂的なファンだったのだろう。その当時の私はポピュラーミュージックとはほとんど無縁だったのだけれど、しかし街に氾濫していたグループサウンズは、こちらから近づかなくても、否応無しに耳にこびりつき、ザ・タイガースのオリジナルソングとて例外ではない。 テレヴィを観ながら、私は不思議な感覚にひたっていた。熱狂ではない。かといって醒めているのでもない。むしろ、ジワーっと胸に沸き上るものを感じていた。昔、偶然に、新宿ACB(アシベ)の前の路上であわただしく楽屋口から車に乗り込む彼らに出逢ったこと、あるいは加橋かつみさんが出演した、渋谷東横劇場でのミュージカル「ヘアー」を観に行き,終演後、私はステージに駆け上がり出演者と一緒に抱擁しながら踊ったこと・・・そんなことを思い出したのだ。直情径行的というか、無鉄砲というか、情熱的というか・・・若かったなー、と。 はははは、はははは・・・「色つきの女でいてくれよ」か。私は、ジュリーと一緒に、くちずさんでいた。
Jan 24, 2014
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先日紹介した日野市百草の「倉沢里山を愛する会」事務局の田村裕介・はる子夫妻から、活動10周年目の平成22年11月に出版された「緑の風は永遠に」を贈られた。A4判255頁の大型本である。10年のボランティア活動のなかで発行してきた、No.1〜No.53号までの会報を編集したものだが、写真を添えた楽しさにあふれたエッセイのみならず、緑地保全の実質的作業に関する記録、あるいは生物観察等、貴重な記録になっている。 私が最も注目し、讃嘆したのは資料編として掲載している、倉沢里山の全植物を2004年から2010年にわたって調査した記録だ。そのリストは詳細に作成されている。木本類122種、草本類(シダを含む)368種、合計490種。そのすべてについて、種名(別名)、科名、分類区分(木本類、草本類)、生育地(倉沢、日野、南多摩、全国)を記し、さらに学術的に確かな典拠を示して次のような付帯事項を記す(下に画像)。すなわち、 「倉沢里山にとって貴重な種」「全国的に見て希産植物」「三多摩地方にとって貴重種」「日野市にとって貴重種」「帰化植物」「野生化した植物(山田註;元来、園芸種であるという意味)」「日野市内には少ない植物」/「絶滅危惧 lA類」「絶滅危惧 lB類」「絶滅危惧 ll類」「準絶滅危惧」 こうして長い年月をかけて調査する間、緑地の手入れによって新たに発見された植物もあるという。 私が「倉沢里山を愛する会」の活動に目をみはり、また、教えられるのは、「知性」が愛の基盤にあることが大切だということだ。原生林と里山のちがいは、言うまでもないが、里山は人の手が入るということ。その、手の入れ方に「知性」がなければ、緑地としての山は消えてしまう。愛にもいろいろあるけれど、人間存在をふくめて全生物の存在が一体となること、そういう哲学無くしては里山保全どころか国土さへ危うくなろう。 倉沢里山を愛する会
Jan 23, 2014
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アメリカ映画『ジュリー&ジュリア(Julie & Julia)』(2009年、監督ノーラ・エフロン、主演メリル・ストリープ、エイミー・アダムス)は、テレビの映画専門チャンネルでも何度か放映されているので、ご覧になった方も多いだろう。この作品でメリル・ストリープはゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞している。 この映画は、1961年に出版された524のレシピを載せたフランス料理の本の著者であり、実際にそのすべての料理をつくった料理研究家ジュリア・エプロンと、それから40年後、例の9.11後のニューヨークで、一介の派遣社員だったジュリー・パウエルが、ジュリア・エプロンの524のレシピを365日で実際に作り、自分のブログで紹介するという、実話に基づいている。 ジュリア・エプロンの料理本は、アメリカの家庭に大きな変革をもたらしたといわれる。しかし、彼女は元はといえばアメリカの外交官の夫人で、夫がパリに赴任したことで魅力的なパリでの暮しがはじまったのだが、その優雅な暮しが退屈になってくる。さまざまな趣味に手を染めるが、何をやってみても所詮素人のお遊びでしかない。そんな彼女が行き着いたのが、料理のプロフェッショナルを養成する、かの有名な料理学校コルドンブルー。その専門コース。食べることが大好きな彼女だったが、初めのうちは玉葱のみじんぎりさへ満足にできない。しかし・・・ しかしである、いつしか立派な料理人、料理研究家になっていた、というわけだ。 さて、じつはこれは前置き。 映画のなかで、退屈したジュリア・エプロンが、パリ市中を散策するシーンがつづく。(余談だが、メリル・ストリープは私が大好きな女優だが、大女なんですな。パリの街をさまよい歩く彼女の背丈が、群衆を抜きん出ているのが分かりますぞ!) そうした散策のシーンで、私が「あっ!」と胸がときめいたのが、かの有名な古書店「シェイクスピア・アンド・カンパニー」の店先の登場。わずか数秒のごく短いカット。気がつかれましたか? 本好きな方は先刻ご存知、あるいは実際に足を運んでいられるでしょうが・・・じつは、この古書店を紹介しようとwebをサーフィンして、画像を集めました。それぞれの撮影者が不明なので、あるいはさしさわりがあるかもしれませんが、ともかく以下に掲載しましょう。この古書店の魅力がお感じになられるのではないかと思います。photos from web ; If your photo is here and you want it to be removed, let me know and it will be removed immediately.
Jan 20, 2014
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ここ数日、寒気のきびしい日がつづいている。気象予報では東京に雪マークが付いたりしているが、幸い今のところ雪は降っていない。 「幸い」と言ったのは、あいかわらずボランティア活動で出歩いているからだ。坂の町での路面凍結は、注意して、しすぎるということはない。人助けのために働いている自分が怪我でもすれば、笑うに笑えない。 先日、私の市の健康推進課が、大腸癌検査をしたかと問い合わせて来た。私は、昨年末に人間ドックに入院し、大腸の内視鏡検査等をした。そして、まったく異常無しという結果を得ていたので、その旨答えた。 「よかったですねー」と担当者は言った。それが本心からこちらの身を案じて喜んでくれているようだったので、電話後、私はひどく感心してしまった。 行政ばかりでなく、なんの組織であろうと、窓口の対応・・・その対応者のありようや人柄で、その人をとりまくさまざまなことが読み取れるものである。たとえば、人事課の差配の正しさや、逆に無頓着さなどさへ分かるのだ。そこからさらに、その組織の奥行きのようなことさへ。 人助けのために活動し、困っている人、苦しんでいる人たちに寄り添って、その人達にじっと耳を傾けていると、日本の社会制度のさまざまな捻れに、気がつかざるを得ないのである。
Jan 19, 2014
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かつてこのブログで私は、日野市百草の幻の遺跡と称されている、「真慈悲寺遺跡」発掘について書いた(Nov 9, 2008)。このあたり一帯は、武蔵野丘陵の面影を現在に残す、貴重な森林緑地である。 その百草倉沢地区で、「倉沢里山」を守るべく仲間を募ってボランティアで、すでに14年間、実質的な活動をしている「倉沢里山を愛する会」、およびその活動の一環として運営する市民農園「アリスの丘ファーム」の田村裕介・はる子夫妻、その、はる子夫人と私はお知り合いになり、活動の一端を聞かせてもらった。 「倉沢里山を愛する会」は、日野市とパートナーシップ協定を結び、雑木林の下草刈りや落ち葉掃きなどを行って緑地の維持管理をするとともに、里山散策会やファームで収穫した農産物を使ってのアウトドア・クッキングを楽しんでいる。毎回50名ほどの参加者があるというから、盛況だ。詳しくはホームページがあるのでそこをご覧いただきたい。 倉沢里山を愛する会 会が設立されて10周年目の2011年には、トヨタ自動車株式会社のトヨタ環境活動助成プログラムと損保ジャパン環境財団の助成を受けて「くらさわ・ノート」と題する冊子を出版している。 私は田村夫人からその冊子を贈られ、一読、驚嘆した。というのも、私は子供のころ、野草や蝶の標本作りに明け暮れていた。それだから一層、ある一つの地区の植物群、および昆虫やその他の小動物を、詳細に観察記録していることに喜びを隠しきれなかったのだ。 地域の生物群というのは、植物図鑑や昆虫・動物図鑑ではまったく知り得ないことなのである。私の書棚に、生物学御研究所編「皇居の植物」(1989年、保育社刊)という一本があるが、こういう書籍というのは、まあ、珍しいのだと言ってよかろう。 倉沢里山の植生調査によれば、木本類122種、草本類368種が存在するという。「くらさわ・ノート」は、四季に章分けし、155種の植物、17種の鳥、39種の昆虫と小動物が写真で記録されている。撮影は田村裕介氏である(企画・制作も)。この冊子を手に里山を散策したらどんなに楽しかろう。 以下に「くらさわ・ノート」とその頁の画像を掲載しておこう。
Jan 16, 2014
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昨年12月13日と、昨日14日、今日15日と、計15時間におよぶ東京都民生・児童委員新任研修がおわった。大学時代の講義を思い出すような三日間だったが、それなりに面白かったというのもへんだが、これから実際的に福祉の現場を支援する私には面白い時間だった。その講義内容については、ここには書かない。 ひとつ大変顕著な傾向と思ったことがある。それはこの仕事を国から委嘱された私たちが、じつにオープンマインドな社交性をそなえた人達だということだ。市や都の推薦を受けるにあたって、私たち一人一人のコミュニケーション能力や明朗な積極性が買われたらしいことは仄聞していた。それを目の当たりにしたと思った。それまで一度も会ったこともない人同士が、「おはようございます」「こんにちは」と一声かけただけで、次にはもう10年来の知己のように笑いながらうちとけてゆく。 たとえば、テーマ別の各講義の最中、3度、2人あるいは4人、6人と、即席にグループをつくって課題を話し合うよう指示された。すると、制限された時間(2分30秒、あるいは30分など)で、誰一人臆するとこなく順番に笑いをまじえて活気ある話しがおこなわれた。出席者280名が、いっせいにである。・・・私もその一員ではあるものの、その光景にはいささか感心してしまった。 任期は3年。この研修後は、それぞれの担当地区に散ってゆくのであったが、「3年後にまた会いましょう!」と別れたのだった。
Jan 15, 2014
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朝日新聞デジタルによれば名古屋市中区大須商店街にあらわれたアフロヘアのかつらにサングラス、マスク姿の10人ほどが、それぞれに集まってきて、無言のまま「ヒミツ法はヤバイ」と書かれた紙を1分間ほど掲げ、立ち去ったという。いまアメリカなどで一種の流行となっている、フラッシュモブ(一瞬の群衆)という、街頭で予告無しにおこなわれる短いパフォーマンスのようだ。フラッシュモブは必ずしも政治的な主張をするものではないが、名古屋の若者達(であろう)が、こうして秘密保護法成立後になおも反対を訴える活動に出たことに、私は快哉する。 私は昨日の日記で、新成人に、いささかの言葉を贈った。弟の子供の成人式が昨日だったので、日本全国一律にそうだろうと思っていたが、きょう13日に施行した所が多いようだ。「ヒミツ法はヤバイ」の主張は、その成人式に合せたフラッシュモブではなかったのかもしれないが、そんなことは重要ではない。重要なのは、自分達の未来を危険な方向にひっぱってゆく法律に対して、「ノー!」の主張をする若者達がいること。OKな若者達、と私は嬉しいのだ。【関連報道】朝日新聞デジタル 街頭で突然「ヒミツ法はヤバイ」 フラッシュモブで訴え
Jan 13, 2014
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きょう成人式を迎えた若者に、おめでとうと言う。 私の末弟の子供も成人式だった。世界の有り様について、どのような理念を育んでゆくのか・・・私は伯父としてかつて何事も言ったことはないが、おそらくその幾多のつまずきと立ち直りを見ながら、その未来の世界像を確信することなく私は間もなく死んでゆくことになる。希望を託せないような気もするが、託さざるをえないジレンマを、自分の胸の痛みとして感じている。 私に残された時間は少ないが、自分の来し方を顧みると、きょう成人となった若者もまた、世界の奥行の深さを知り自らの思想を重ねてゆこうとすれば、そして自己実現しようとすれば、じつはあまりのんびりしている時間はないだろう。あっと言う間に30歳となり、30歳になれば時間の進み行きは加速するばかりだ。そして年を重ねたからといって、人智が深まるというわけでは決してない。そこが辛い。人生のやりきれないところだ。そういう人生の過程で、自分は無知であることによって、無意識有意識にかかわらず、どれほど世界を悪くする方向に手をかしてきたか、と思いもする。 後悔先に立たずだ。ともかく、私はやるべきことやって、死のう。死にたいものだ。 きょう成人となった若者達も、やるべきことをやって死ねるようになさい。
Jan 12, 2014
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きのうは仕事始め。そしてきょうは七草粥。我家でも、揃わぬ七草は代用品で補って、粥を炊いた。松飾りや鏡餅を降ろし、これで正月気分もすっかり終いだ。 ずっと家の中にとじこもってい、今日しばらくぶりで2時間ばかり外出した。ちらほらと初売りの幟が出ていたが、客足は少なく思えた。景気は、はたして如何なものか。 私は今週末からまたぞろ忙しいスケジュール。読書もままならない。弟から贈られた本に手をつける前に、買っておいた本も積んだままだ。昔、イラストレーター駆け出しの頃にお世話になった、元編集長から頂戴した年賀状の俳句がすばらしかった。私の句作は、もう数ヶ月間、休止したままだ。 年賀状と言えば、荒俣宏氏が「今年は、脳内探偵、出版します」としたためていられた。「脳内探偵」というのは、以前、私が荒俣氏と対談させていただいた、その対談がノーカットで収録される予定の本である。楽しみにしていよう。
Jan 7, 2014
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三ヶ日もあっというまに過ぎた。少しずつ読み続けている本を、眠くなったら眠るという気侭さで読んで過ごした。明日からまた作品を描きはじめる。
Jan 3, 2014
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しばらくぶりにのんびりした正月を過ごしている。 大晦日にやってきた弟夫婦から、古書店で見つけたという本13冊を贈られた。なかでも嬉しいのは、信濃毎日新聞社が37,8年前に刊行した「一茶全集」で、美本である。この全集によって知るまで、小林一茶という俳人が膨大な著作を残しているとは思わなかった。なにしろこの全集、平均615頁で正巻8巻に別巻や総索引巻を含めて全11巻。堂々たるものだ。編集者は言うまでもがな、信濃毎日新聞社に拍手である。というのも、編纂中に新たに発見した稿本もあるという。 句を拾い読みしたところ、概して生活に根ざした「素直」な作で、私は共感しえる。現代俳句の鼻につく作為にうんざりしていたからだ。・・・ともかく、今年の前半は一茶を読むことにしよう。サンキュウ、サンキュウ、弟よ。 その弟が御節の黒豆を食べて、亡母の作り方を変えたんだねと指摘した。そのとおり。亡母の黒豆は少し固めに「皺」よせてつくっていた。「皺寄るまでマメに暮らす」という縁起に由縁していた。そればかりでなく、たしかにその作り方はたんなる煮豆とはことなる、独特の豆の味わいがあり、私とて嫌いではなかった。68歳の私より長い我家の伝統の黒豆だった。 母の生前、すでに私が御節料理作りを一手に引き受けるようになっていたが、一度、「ふっくら黒豆」にしてよいかと訊いたところ、「だめだ」と拒否されたことがあった。丹波の良質の黒豆を固く皺寄せるのが勿体ないような気がしたのだ。「だめだ」と言うなら仕方がない。あえて異をとなえるほどのこととも思わなかった。 母が亡くなって後、ことしは初めて本格的に御節を料理することになり、まるで姑に反発する嫁のように、・・・そんな気負いはまったくなかったが、「ふっくら黒豆」を炊き上げたのだった。 できてみれば、弟の指摘をまつまでもなく、亡母の黒豆が懐かしかった。あの歯触りが良いのだ。まるまるとして艶良く仕上がった「ふっくら黒豆」は、見た目には美しいけれど、「皺寄るまでマメに暮らす」などと思いいたすことはない。柔らかい煮豆ならいつでも食っている、というわけだ。 どうやら、来年は、亡母の作り方に復帰しそうだ。
Jan 2, 2014
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