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今夜は地区民生委員の仲間達で、向後3年間また頑張ろうという趣旨の焼き肉パーティー。 たらふく食べて、さて解散後は、3人がスナックバーに行くというので、私も入れてもらう。そしてカラオケの初体験。 何を歌ったかって? 『瞼の母』をセリフ入りで、それから『奥飛騨慕情』を。 私の絵とまるでイメージが重ならない演歌だったので、お仲間は驚いたようだった。ははは、そこはそれ、自分の作品と重なるような歌は決して歌いません。まあ、私の作品のイメージと似たような歌など無いのではないかと思いますが。 というわけで、夜中の11時、私だけ一足お先に失礼して帰ってきた。
Jan 31, 2017
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大学の軍事的研究に対して防衛省は予算枠を6億円から110億円に大幅に拡大した。15年度が3億円、16年度が6億円だった。17年度は急増である。この変化の裏には読み取るべき事が多くある。 かつて太平洋戦争の戦時下に、大学が軍事研究によって戦時態勢に組して行った経緯がある。いま、雨後の筍のように設立され、結局、経営難の弱小大学として自らを淘汰の憂き目に沈めなければならなくなって、軍事的研究に手を染めれば親方日の丸で息継ぎができるかもしれない、と浅知恵をはたらかせる経営者がいなくもあるまい。防衛省、そして憲法改悪によって軍事国家への復帰を狙う政権が、この大学の事態を見逃す筈はない。世界は愚かしい指導者たちによって、あやまった自国中心主義へとつきすすんでいることでもある。 そんな折りも折り、去る1月16日、日本学術会議の安全保障と学術に関する検討委員会は、軍事的な研究に対して慎重な対応が必要とする中間報告をした。 ついで、それに即座に反応するように、26日、法政大学が「本学の使命の対極にある」として軍事研究を行わないとする指針を制定、防衛省の研究助成費への応募は「当分の間認めない」と決定したと発表した。 「当分の間」というイクスキューズが付いているところに、やや腰が引けた点がみえる。田中優子学長、毅然とすべきところは毅然としなければ、全体主義・軍国主義はそこに水を注いで石垣を崩すことはご承知でしょう。 昨年12月、関西大学が防衛省の軍事研究助成金に応募しないことを決めている。関西大学は研究倫理基準に「人間の尊厳、基本的人権や人類の平和・福祉に反する研究活動に従事しない」と定めているそうで、軍事研究はその規定に反する。 防衛省の軍事研究制度が着々とすすめられるなかで、私はそのような大学の毅然とした指針に、「気骨」を感じ、このブログにおいても賛意を示した。法政大学は私の母校である。
Jan 28, 2017
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午後3時まで作品制作。その後、画材店に赴く。午後6時から合唱練習。 合唱は11月16日(木)に、都知事を迎えて、東京都民生委員連合協議会のステージに出演することが決まったと知らされた。先生は「さあ、たいへん!」と言われたが、私は楽しみ。私は何事であろうと、いつでも本番ステージが大好きだ。6月にもひとつ合唱のステージ出演がある。3月のステージが主催者のつごうで取り止めになったのが残念。
Jan 26, 2017
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午後1時から4時まで調布市にて東京都民生委員の人権に関する研修会。 さて、画商からニューヨーク・アート・フェアのために新作の小品を数点描いてくれと言って来た。別件の方は現在制作中なのだが、ニューヨークの方は旧作で行くと思っていたので、急遽、予定外の制作スケジュールを入れることになった。時間とのにらみあいである。さっそく準備しなければならないが、作品構想は皆無だ。展覧会用の小品というのは、意外に難しいもの。火事場の莫迦力では済むまい。
Jan 25, 2017
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今朝、宅配便の人が荷物をわたしながら、「寒いですねー」と肩をすぼめ、「車の中に置いてあったペット・ボトルの水が凍っていました。初めてです、そんなこと----」と言った。 じつは我家の庭用の水道栓が凍りついたのだった。今季初めてのことである。 報道によれば、札幌管区気象台が北海道中央部の占冠村(しむかっぷむら)で氷点下32.8度を記録したと発表、管区の観測地4ヵ所で氷点下30度を下回ったという。 弟が随筆の寄稿を頼まれたとかで、私に子供の頃のことを確認してきた。山野の樹木のことだったが、話しは次第にひろがって、長野県川上村での冬の遊び、氷上でのスケートや氷ソリの思い出を話して聞かせた。 川上第二小学校の運動場の脇に田んぼがあった。冬になると水を張って、スケート・リンクにするのである。田んぼの所有者と学校との間に、そのような話し合いができていたのであろう。 現在はどうか知らないが、昔、私が6歳から8歳(昭和26年〜28年)頃の同地で、私はスキーをする人を見たことがなかった。年長者はスケート、そして子供たちは竹スケートや、ランナーに鉄製の太い針金をはめ込んだ氷ソリを錐のようなストックで漕いで遊んだ。私のソリは父が会社の工作課の従業員か村人に発注して作ってもらったもので、鉋がけして面取りもしてあり、友達のソリよりひときわ立派だった。 長野県は、冬の諏訪湖の氷が極度の寒冷下に体積が増して帯状にせりあがる、いわゆる御神渡り(おみわたり)と称する現象で有名だ。地勢的に内陸部であるが、冷え込みはかえって厳しいのであろうか。昨日氷点下30度を下回った北海道も中央内陸部だったので、気候に関する共通点があるのだろうか。 弟とたまたま子供時代の思い出を話していて、ふと思ったことだった。
Jan 24, 2017
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松方弘樹氏が亡くなられたという。享年74。 私はTVドラマはまったくといってよいほど観ないので、先年の『八重の桜』に出演された松方氏を拝見したきりだ。氏は、TV画面ではなく、スクリーンで観たかった俳優だった。ご冥福を祈ります。
Jan 23, 2017
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現在、アメリカで発表することになっている作品を制作している。が、筆の運びがスイスイとは行かない。立ち止まるような気持がうまれるのは、彼の国の新大統領体制がついに始まったからだ。 現代美術の作家たらんとすれば、世界の困難な状況に目をつむることもできない。ましてや「アメリカ ファースト」と気勢を上げている最中の、いわばその現場でおこなわれるアートビジネス・ショーに、アジアから参加出品するのである。考えまいと思っても考えてしまう。 アメリカで発表しようと、韓国で発表しようと、あるいはフランスで発表しようと、私のアイデンティティは変えようがない。私は断固として私である。-----しかし、いま嵐のアメリカに無手勝流とはいくまい。そういう思いが、筆を握りながら出てくるのである。 いやいや、気をとりなおして、明日も筆を執ろう。
Jan 22, 2017
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午後から我が町の自治会防災会議に民生委員として出席。災害時の救助・支援体制づくりについて話し合った。先行きには困難な問題が山積しているが、住民の積極的参加をもとめながら、出来るかぎり早く地域の特殊性に見合ったマニュアルを作成しなければなるまい。 話は変わる。 昨日、民生委員の同僚S氏から、ポーランドの現代音楽作曲家クシシュトフ・ペンデレツキ(1933-)の作品についての感想を聴いた。ペンデレツキに関心をもったきっかけが、ルネッサンス期の教会合唱曲から現代にたどってきてと言うので、私は「おや?」と思いながら興味をひかれた。私がかつて聴いていたペンデレツキの印象とはちがったからだ。 そこで今日は、ペンデレツキ作品をたてつづけに聴いてみたのである。そして、なるほどと、S氏の言ったことを納得した。とくに『ケルビムの歌』や『スタバート・マーテル』には、大胆に言えば、ルネッサンス教会音楽に通じる感性がなきにしもあらずだった。その作品は、交響曲第1番(1973年)から受ける印象とは大きく異なるものがあった。 ちなみに私がきょう聴いた作品は、上記のほかに、ミルトンの詩『失楽園』の朗誦をともなった『Paradise Lost(失楽園)』、『Kosmogonia』(1970)、『広島の犠牲者に捧げる歌』、アメリカ合衆国同時多発テロの犠牲に捧げられた『ピアノ協奏曲〈復活〉』。 かなりの長時間、ペンデレツキ作品を聴いていたのである。 じつはS氏はスティーヴ・ライヒについても少しばかり話されたのだが、私はちょうど20年前、スティーヴ・ライヒのオペラ『ザ・ケイヴ(洞窟)』を驚きをもって聴いていた。芸術的に触発されたこと、----そしていまだに、『ザ・ケイヴ』において達成したライヒの哲学と作品との最上の「結婚」を、私の内心に問うことがあるのである。S氏には、「スティーヴ・ライヒは好きです」と言っただけなのだが。
Jan 21, 2017
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雪になるかと心配しながら家を出て、昼から民生委員地区協議会の年明け初の会議に出席。 今年は民生委員の歴史100周年にあたる。一層のPRのための行事日程や、そのほかの向後1年間の活動日程が告知された。 私にとっては就任2期目の向後3年間のボランティア活動のはじまりである。過去3年間、いろいろあったけれど、喉元すぎれば熱さ忘れるだ。できることには限りがあるが、困難をかかえているなら、まずは私に相談してほしいものだ。私の覚悟はできている。 会議終了後、新任委員の歓迎会を兼ねた新年会。午後4時半に帰宅。さいわい雪にはならなかった。
Jan 20, 2017
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昨年のことだが、大変人気があるという若い女性グループが歌うCDを頂戴した。TVの歌番組、特にアイドルと自称他称する若者たちの歌う番組を、私はほとんど観ない。別に嫌いなわけではない。私にはあまり好き嫌いがない。で、もらったCDのアイドルグループだが、私は知らなかった。 それはともかく、歌を聴いた途端に、メインで歌っている女性の日本語の発音が非常に汚らしいので、あきれてしまった。鼻濁音ができないのである。つまり、「ガ・ギ・グ・ゲ・ゴ」を鼻に抜いて発音できない。 文字で書きにくいけれど、「ンガ・ンギ・ング・ンゲ・ンゴ」と発音すると日本語がきれいに聞こえるのである。「日本語」は「にほん・ゴ」ではなく、「にほんンゴ」と発音するという具合だ。「外国語」は「ガいこくンゴ」である。 こんなことを書き始めたのは、じつは今夜、たまたまTVで「カラオケバトル」という番組を観ていたのだが、この番組で栄冠を獲得して来たという女性オペラ歌手が、やはり鼻濁音ができていなかったのだ。番組の主旨は、カラオケ機械の数字にあらわれる「歌唱力」を争うものだから、鼻濁音ができようができまいが関係はない。しかし、アイドル歌手とちがい、オペラ歌手が、しかもソプラノ歌手が鼻濁音ができないでは、これはだめでしょう。たしかに、鼻濁音になると声の張りが弱くなるかもしれない。が、もしも日本語でオペラのアリアを歌っている最中に、ことばの端々に「ガ・ギ・グ・ゲ・ゴ」とやっていては音が汚くなる。音楽的にはそれは「雑音」と言ってよかろう。 ずっと昔、名前を書くのは憚られるが、さる方が御結婚前に鼻濁音を習得される努力をされたと聞き及ぶ。美しい日本語で話さなければならない立場におられたからである。 ------大勢の前で表現しなければならないアイドルとかTVタレントが、鼻濁音ができないことに気がつかない、また周囲も気がつかないらしい現状を、どう考えれば良いのだろう。鼻濁音ばかりではない、いわゆるJ-Pops歌手たちの非常に多くが、女性も男性も、日本語の発音が汚い。気取りだろうか? そんなことを「格好いい」と思っているのだろうか? ことばの発音が汚いのは歌唱力とは別であろうが、歌手ともあろう者が、音に鈍感では、お話になるまい。それは「人気」とは別問題である。【後記】 上述の文章を音読した場合、たくさんの鼻濁音の箇所がある。 「昨年のことだンガ」 「人気ンガ」 「グループンガ」------挙げたらきりがない。要するに主格をつくる助詞「が」は、すべて鼻濁音で発音される。たいていの人は、無意識に正しく発音しているのである。
Jan 18, 2017
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阪神・淡路大震災から22年目。お亡くなりになった6千数百人を悼みます。 私の住んでいる地域では、ここ2,3年来、大災害に向合う本格的な取組みがはじまった。今週末にも、自治会防災担当者会議が開かれることになっており、私も民生委員として招かれている。災害時に支援を要請している高齢者・障害者をどのように介助するか、救助するかについて話し合われることになろう。 というのも、この地域は必ずしも傾斜度がゆるやかではない山の斜面にひろがる住宅地で、車椅子で搬出することは不可能。担架によるのもかなりの困難が予想され、予行演習が必要と思われる。のみならず、山の下のただ一本の本通りが交通規制される可能性があり、そうなると逃げ場を確保することも難しくなる。楽観視できない場所なのである。 東日本大震災の時に、母がまだ存命で寝たきり状態の在宅医療をしていた。激しい揺れに、とても家から運び出せないと思い、不安がる母に私は「一人にしないよ、心配しないで。一緒にいるからね」と言って、覆いかぶさるようにしたものだった。 酸素発生装置の五つある安全確認ランプの一つが断線するなどしたが、関係医療機関が即座に連絡をくれ、予備の酸素ボンベ数本とか、点滴栄養剤の在庫を掻き集めてとどけてくれて、母の命は救われた。じつは酸素ボンベは東北の被災地に優先的にまわされ、母にとどけられたのはわずか2本だった。また完全栄養液剤の製缶工場が被災して製造が不可能になり、母の場合はそれ無しには生命をつなぐことが難しかったのだ。契約していた薬局が八方手をつくして一日3缶、約1ヶ月分を掻き集めてとどけてくれた。その後は、たしか海外の製缶工場からの輸入にたよることになった。 とにかく、あのときは本当に主治医や関係医療事業者の素早い尽力に感謝したのだった。
Jan 17, 2017
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まだ午後4時前だけど、きょうの制作は終了だ。部分的に一回目の下色の塗りをやった。 大きい絵を描いていると、わくわくしてくる。日常的に何十年も描いているのに、こればかりは変わらない。 何に高揚しているのだろう? それがはっきり分からない。 現実には存在しないイメージにだろうか、----色彩にだろうか、----仕事をしているそれ事態にだろうか、----見えないものを描く事の困難さに立ち向かっているからだろうか、----そして、時にエロティックな昂揚感は何故だろう? まあ、理由などはどうでもいい。いまは完成までの道のりを、いつものように進んで行くだけだ。いま始まったばかりの作品だが、これが完成したら、すでに構想ができている次の作品がまっている。
Jan 16, 2017
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終日、制作。昨日のつづきで下絵を完成、キャンヴァスに写し終えた。ついですぐさま、私の開発した特殊技法のための最下層の下拵えをする。18時ちょうどに終了。月末をまたずに明日から下塗りに入ることにする。 今日、1月15日は小正月。小豆正月とも言い、1年間の健康を祈願する慣わし。我家も小豆を炊いて汁粉をつくった。各地で大雪のようだ。東京都心でも今朝は雪が舞ったようだが、我家のあたりでは降らずにすんだ。気温は昼間で5℃、21時頃から氷点下が予想されている。
Jan 15, 2017
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そろそろ展覧会に向かって作品制作に精魂込めなければならない。時間が経つのが速過ぎる。きょうは粗下絵を一部分だけだがキャンヴァスに写した。全体のこうなればいいという大まかなイメージはあるのだが、細部は下絵を描きながら創っていくことにする。今月末には第一回の下塗りに入れるだろう。
Jan 14, 2017
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きょうは民生委員として、ここには書けないが、大変残念な知らせを受けた。誰がどうしようとしても、誰にもどうにもならないことがある。それを思い知らされた。
Jan 13, 2017
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北国は大雪。一晩に80cmほども降ったところもあるようだ。東京の我家のあたりは、早朝の気温は零下、昼間は11℃まで上がったが、夕方6時近くになって4℃まで下がって来た。 私の仕事場は、エアコンディショナーは設置してあっても、制作中は揮発性の油類を使っているので暖房にはしない。寒いには違いないが、馴れとは恐ろしいもの、わりと平気なのだ。 「忙中閑有り」という言葉がある。忙しい中にも暇なときがある、ということだが、不意に駄洒落を思いついた。「房中寒有り」。ハハハ、部屋の中に寒さが居座っているということです。 その暖房無しの部屋で、手を休めないようにと、展覧会用ではない小品を制作していた。 描いているうちに、一つの発展的技法を思いついた。可能かどうかは未知であるし、時間もかかりそうだ。しかし、一作毎に何かしら未知の領域を設定しないではいられない私の性格には適している。それにふさわしいイメージを考えついたら、試してみよう。
Jan 12, 2017
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鏡開き。地方によってその日はまちまちのようだが、我家は今日、1月11日に。 お供えの鏡餅を降ろして、お昼に「おしるこ」にして頂いた。 そうそう、先日7日は「七草粥」を食べた。我家は、ちっとも厳格な作法ではないが、私の代になっても割合に節季の伝統行事をやる。正直に言って、粛々とした気持などなく、ささやかな気分転換に面白がっているだけだ。 しかし、思い起こせば、昔にくらべるとやらなくなった行事はたくさんある。 自家で餅を搗く事もしなくなった。繭玉飾りもやめた。どんど焼きに正月飾りを出す事もなくなった。2月の豆撒きは、撒かずに福豆を口に放り込んでいる。3月3日の雛祭りも、5月5日の端午の節句も、昔は虫干しのつもりで人形飾りをしたが、それはもう遠い子供の頃の思い出だ。 -----要するに、何を残しているかといえば、どうも行事にまつわる食い気だけ。それさへも、72歳の老人(見かけはともかく、とんと老人らしくない元気男だが)は、ほんの少し口に入れるだけである。 でも、私は毎日毎日、自分できちんと料理をするので、たとえば、今日のように寒波がいすわっていると知れば「大根が美味いはずだ、ふろふき大根にしよう」とか、蕗の薹が出たなら酢味噌にするとか、筍が出たなら、朝掘りは焼き筍に、あるいは若竹煮に、炊込み飯に、等々-----旬の物の楽しみ方はしている。16歳から55年間、そうやって来た。------季節に対する感覚を鈍らせないためにである。
Jan 11, 2017
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三匹の飼い猫姉妹は18歳、言うなれば老猫たちである。 彼女達より1歳年長の姉妹、マリは2014年に死亡し、ついで昨年マスクが死亡した。マスクは可哀想なことをした。私の腕の中で私に看取られて死にたかったであろうに(頼って、離れようとしなかった)、私は断りきれない出張のため後ろ髪引かれる思いで家を出、帰宅したときには置いて行ったそのままの寝姿で死んでいたのだった。 マスクの死から4ヶ月後、今度はサチが私のベッドに来て激しい全身痙攣を起こした。私は驚いて体をおさえ、目を見ると、瞳がすっかり白濁していた。断末魔である。しかし心臓マッサージをつづけること10分、------たぶんそのぐらいだったろう------痙攣がおさまったのだ。そして荒い呼吸をしていたが、なんと瞳の白濁が次第に消え、やがて輝きがもどったのである。断末魔からの生還は実に驚くべきことだ。 その日から毎朝、総合ビタミン剤を1/4に割ったものとカルシウム剤を1/6、餌に包み込んで与えている。小さな塊にした柔らかい餌を私が指でつまんで食べさせている。 -------死の淵から還った当初1ヶ月ほどは、もしかすると私に救けられたと自覚していたかもしれない。私から離れないばかりか、私が立ち上がって部屋を歩き回ったり、どこかへ行く姿を、すがるような目で追った。夜は、私のベッドに入り、私の身体にぴたりと自分の体を寄せ、あるいは腕枕をして眠るのである。 サチのそんな状態は現在もつづいてい、やたらと話しかけてくるようになった。しかも以前と鳴声の音質が変わったのである。 人間の世界では「老老介護」などと言うけれど、いまや我家は老老猫介護だ。 じつは、今日、家人と話したのだが、サチが私の膝で眠るのが最も良く眠れるらしいのだが、寝ながらオシッコを漏らすようになった。私は、「だいじょうぶ、だいじょうぶ、怒らないよ。きれいにしてあげるね」と言いながら体を猫用のシャンプーで拭いてやる。 私は長年たくさんの猫を飼ってきたが、驚くのは、粗相をすると私のところにやって来て、オシッコを漏らしてしまったと教えるのである。これは私には初めてのことだ。そして、後ろ向きにして泡リンスシャンプーで汚れを落としてやるのを、じっと我慢している。トイレに間に合って漏らさずにすんだときは、トイレでオシッコをしたと、鳴いて知らせるのである。「よかったね、トイレでオシッコをしたんだね」と、私は頭を撫でながら言う。 さきほど私は、「さあ、みんなもう寝なさい。明日また、元気に遊びなさい」と言って、仕事場に入ったのであった。
Jan 11, 2017
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4日ぶりの日記。忙しかったわけでもない。なんだかんだやっていたのだが、要は書くほどのことがなかったまで。今月後半にスケジュールが集中しているので、2月半ばの地域のための美術講座の準備を早々と片付け、今朝9時に主催者と簡単な打ち合わせをした。 7月のアメリカでの展覧会のための新作について考えているのだけれど、制作にとりかかれるほどの具体案がなかなかまとまらない。頭の中でYes-Noを繰り返している。困った事に(?)立体造形のイメージが2,3出てきた。一応、簡単なメモ書きをして、机の前に留めてあるが、これに手をつけていては絵の方が間に合わない。なんだか誘惑の幻像が空中から手をのばし、私の白髪頭を引っ張っているぐあいだ。 namaḥ samanta vajrāṇāṃ hāṃ(のうまく さんまんだ ばざらだん かん)!
Jan 9, 2017
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きょうは講義用の原稿執筆。 いつも原稿を読んで講義しているわけではないのだが、論理的に文章化する作業は、むしろ私自身の頭陀袋に投込んであった知識の整理をしているようなものだ。あるいは、渾沌とした世界に投網して漁(すなど)るイメージ、-----その論理の網の結び目(ネットワーク)に世界がたちあらわれてくるイメージが私にはあり、それが面白い。 尤も、「よし、書けるぞ」と思うまでには、一つのテーマ(問題)に気づいてから、長い年月をかけて数百点、数千点におよぶ資料画像を収集する準備がある。そうしてできるだけ多くの資料を収集して、ようやく私の考えが正しいこと、それを主張できる自信が芽生えてくるのである。
Jan 5, 2017
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仕事始め。午後から新作の構想を練る。テーマはとっくに決まってい、作品の方向性も決めてあったが、構図がなかなか決まらない。ここはじっくり試行錯誤しながらやって行くつもりだ。 地域の高齢者の集まりで2月半ばに美術講座をたのまれている。制作のための手を休め、スライド資料をつくった。まったく相容れないような異文化間の問題は、その受容準備ができていないであろう聴講者には、口頭でのみ説明するより影像も示した方がよかろうと考えてのこと。
Jan 4, 2017
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箱根駅伝2日目復路。 きのう往路優勝した青山学院大学は快調に出走。ところが、7区で思いがけないことが起った。田村健人選手に異変が生じたのだ。苦しそうに顔をゆがめ、左右の腿を気にする身振り、ふらりとよろめきさへする。脱水症状か? 追走の早稲田大学が距離をちぢめて来る。 監督車の原晋監督がなにやら審判と交渉していた。給水を懇請しているようだ。しかし、ルールによれば、給水ポイント以外での給水は、選手が走るのを止めなければ許可されないらしい(私は初めて知った)。 あるいはここで早稲田との逆転劇が-----と思ったが、田村選手はよく耐えた。平塚中継所で8区の走者下田裕太選手に襷をつないだ。下田選手は快走、快走。1時間4分23秒の区間賞。以後、9、10区ともに安定した走り、結果、11時間4分10秒で総合優勝。3連覇である。 2位、東洋大学/11時間11分31秒。3位、早稲田大学/11時間12分26秒。4位、順天堂大学/11時間12分42秒。5位、神奈川大学/11時間14分59秒。 青山学院大学はアクシデントにもかかわらず2位との差7分以上だったのだから、本当に強い。しかも歴史的記録をつくっている。全日本大学駅伝を制し、出雲全日本大学選抜駅伝を制し、すなわち大学駅伝3冠を達成した。報道によれば、箱根駅伝3連覇は史上6校目、大学駅伝3冠は史上4校目、そして箱根駅伝3連覇と大学駅伝3冠を同時に達成したのは、今回、青山学院大学が初めてなのだという。 12年前、原晋監督が就任したときの同大は、失礼ながら箱根駅伝で知られる大学ではなかった。それから3年後に22位で登場し、翌年8位になった。総合初優勝した前年に5位となり、初めて広く世間は注目したのだったのではないか。 原晋監督の指導理念、指導力に、私は気にとめずにはいられない。なぜなら、駅伝はチーム競技であり、しかも数あるチーム競技の中で、たった一人のスター選手が存在してどうにかなる競技ではないからだ。もちろん山登りに強いとか、だらだらとつづく権田坂をこなせるとか、あるいは今回から少し距離が長くなった4区・7区に投入できるとか、いわば区間の特徴に向いたエースは必要だ。個人個人の努力は絶対条件ではあるが、それに加えて力ある選手層の厚さが一層求められるであろう。 箱根駅伝の場合、各大学がエントリーできる選手は20名である。私が原監督の指導に気を留めるのは、おそらく個性がばらばらな20人を、その個性を引き出しつつ(ことばを替えれば、個性を潰さないで)全体をレベルアップする方法とは如何なるものか、ということだ。相当難しいはずだ。 原監督流の指導方法は、駅伝だけに通用するものではないだろう。それぞれの個性を潰さず、全体のレベルアップするという指導理念は(原監督流がそうだとして)、小中学校や高等学校の教育にも言えることだからだ。いや、基礎的学校教育にこそそうあらなければならない、と私は思う。 大学の学問領域においては、学生全体のレベルアップなど教師は考えることはあるまい。たった一人の特別な才能を育てることができれば充分だ。そういう人物を輩出できなかったからと言って悩むこともない。ダメな学生は、ダメなのだから。 まあ、そんな憎まれ口は止めにして、事、箱根駅伝を観戦しながら、青山学院大学の選手層の厚さをめぐって原晋監督の指導方法に想いが向いたのだった。
Jan 3, 2017
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正月2日・3日の私の楽しみは箱根駅伝のTV観戦。あまりテレヴィを観ない私だが、この時ばかりは新聞社からもらったガイドブックを見ながら、一日4時間余をテレヴィの前に根をはやす。 さて、注目は青山学院大学が往復路総合優勝で3連覇なるかどうか。エースの一色選手が花の2区に投入され、注目度はひときわ上がるが、前もっての報道によると調子が万全ではなさそうだとも。はたして首位に立ったのは神奈川大学・鈴木健吾選手。同大は15年余もいささか低迷気味だったので、鈴木選手が一人勝ちのように2区を突っ走ったので目を見張った。 箱根駅伝シード校は、語弊を承知で言うが、あまり大きな入れ替えはないように見受けるものの、やはり入学・卒業でメンバーは毎年変わるので、5年10年の年月のうちに嘗ての強豪校がシード落ちさへしている。駒澤大学や順天堂大学や東洋大学、山梨学院大学、早稲田大学、大東文化大学など優勝経験がある大学も油断はできないのである。3連覇の夢がかかる青山学院大学は、エントリーすらできなかった時期が30数年もつづいた。2015年に総合初優勝したときには、まるで突然出てきたの感がしたのは、私だけだったろうか。まあ、私の母校法政大学は、今年93回を数える箱根駅伝史において、戦前に3位という記録はあるものの戦後の最高位は4位どまり。他校のことなど言えたものじゃない。 神奈川大学はどこまで首位をたもてるかと見ていたが、3区に入って青山学院大学の秋山雄飛選手が区間賞を取る力走で首位を奪った。そして4区、5区とつなげて往路優勝した。夢が半分適ったわけだ。 しかし、見事な追走をみせたのが早稲田大学。往路2位。しかも1位との差は33秒だ。 昨年、青山学院大学が1位のとき、2位との差はたしか4分ほどもあったのではなかったか。33秒差では、今夜、青学の選手諸君はとても枕を高くして眠れないかもしれない。ははは、眠れないのは作戦をたてる監督さんかな? 3位は2分24秒差で順天堂大学。4位は2分40秒差で東洋大学。 逆転可能な団子状態と言ってよかろう。 明日の復路は目が離せない。
Jan 2, 2017
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