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ピューマ(アメリカライオン)は、ライオンやトラ、ヒョウ、チーターなどと同じネコ科の生き物ですね。このピューマに最も近い野生のにゃんこに「ジャガランディ」と云うのが居ます。ジャガランディはテキサス南部からアルゼンチン北部までの北、中南米に生息するにゃんこで、平均体長は約65cm 、体重約6kg と一般的な飼い猫の倍くらいかな?ジャガランディの子供は斑点を持って生まれますが、すぐに色褪せて無地の体毛になります。このジャガランディには2つの色の種類が居て、灰色のものをジャガランディ、赤や茶色のものはエイラと呼ばれていました。ところが全く同種なんですね。同じ親から生まれた子供の中にも灰色の子と茶色の子が混在することがあるそうです。ジャガランディは、よくイタチやカワウソと間違えられます。ほっそりと細長い体、短い脚、小さく平らな頭、長いシッポ、どこから見てもイタチやカワウソ似です。でもにゃんこなんですね。下の画像はアルゼンチンの路上で少女が野良猫の赤ちゃんを保護したら、成長してジャガランディだと分かり、泣く泣くアルゼンチン動物保護財団に引き渡したと云う子供です。ちっちゃいときから育ててたので、まさに普通のにゃんこと同じ。人間にまとわりついて、じゃれてばかり居たとか。動物園などで飼育すると15年くらい生きるようですが、ジャガランディを動物園で見かけるのは極めて稀らしい。と、云うより、アメリカで最も研究が進んでいないネコ科の生き物なんですね。ジャガランディは多種多様な鳴き声を持っており、13種類の異なる鳴き声が記録されていますが、残念ながら鳴き声を記録した動画が見つかりませんでした。代わりに保護されたジャガランディがどんなに飼い猫と行動が似ているか動画をご覧ください。Playing with a rescued jaguarundiジャガランディは多様な環境に適応する能力が最も優れている生き物で、乾燥した低木地帯、沼地、サバンナの森林地帯から原生林に至るまで、どこでも生活できます。昼行性か夜行性かは生活する場所によって変化しますが、地上や樹上を素早く移動することができ、泳ぎも上手いそうです。彼らの食べるものも非常に多様で、小型げっ歯類からウサギ、アルマジロ、オポッサム、ウズラ、七面鳥、爬虫類、カエルなど。水たまりに取り残された魚を食べる様子も記録されています。こんな にゃんこ飼ってみたいと思うでしょうが、一般家庭で同居するのはお勧めできないらしい。そりゃあ、ピューマの親戚ですからね。しかし、なんともカワイイお顔してますね。なんと云っても、にゃこ族は魅力的です。
Sep 25, 2023
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今、巷で話題になってる「量子コンピュータ」。名前は聞き覚えあっても、何のことか分からないと云う人が大多数ぢゃないでしょうか。現在、量子コンピュータの開発競争をしている主な企業はIBMとGoogle、マイロソフト、インテルなど大手企業ばかりです。量子コンピュータは、「量子力学」現象を利用するコンピュータとあります。量子力学は、粒子の振る舞いを顕微鏡レベルで研究する物理学の分野です。素粒子レベルで粒子がどのように振る舞うかは、私たちの周りの世界を表す方法とは根本的に違います。もう、これだけでカンベンですね。とにかく現在の最も強力なスーパーコンピュータでさえ解決できない問題を解決する可能性を秘めてるとあります。構造は、従来のコンピュータとは似ても似つかないものです。実際、現在のところ量子コンピュータは従来のコンピュータほど高速で安価、効率的に処理できるほどの能力はないらしい。これは1946年に開発された世界初のコンピュータ(真空管を使った)「ENIAC(エニアック)」と同じで、将来、量子コンピュータが実用化されると「黎明期はこんな古典的な機械だったのか!」となるのでしょう。とにかく量子コンピュータは量子原理を使用して動作するので、量子力学の専門用語「重ね合わせ」「もつれ」「デコヒーレンス」と聞き慣れない言葉の羅列が普通に使われてます。「粒子」の動きで計算と云っても、まったく想像すらできない世界ですね。まぁ、現在のPCだって使う側からすれば、なぜ動くのか?なんて意識してないから、一緒と云えば一緒ですが。量子コンピュータは、金融のポートフォリオ(金融資産の組み合わせ)で市場の動きを予測しての最適化や化学システムのシミュレーションなんかに使われるらしい。もちろん企業の研究開発に使われるのは論を待たないワケですが、現在でもスーパーコンピュータを必要としてる企業はほんの一握り。そのスーパーコンピュータより桁違いのスピードを達成する量子コンピュータなんて、必要とする企業、どんだけ有るのかしら?非常に重い処理を必要とする映像制作の現場でも、スーパーコンピュータを導入してる企業なんてどこにも無くて、みんな高性能のPCで用が足りてるのですから。一時期、中小企業向けのスーパーコンピュータが販売されたけど、ほとんど売れなくて、そのうちPCにとって変わられたみたいに、ダウンサイジングの方が先行するんぢゃないですかねぇ?量子コンピュータの歴史って意外に古典的なんですね。最初に提案されたのは1982年です。実際に製造されたのは2016年のIBMが開発した量子コンピュータが最初ですが、量子の研究そのものは1960年代から始まってます。今では個人が所有できる量子コンピュータまで売られてます。中国の深圳にある「SpinQ」のデスクトップ型の「Gemini」(572万円)、「Triangulum」(792万円)、そしてもっともサイズが小さく価格も安いのがポータブルタイプの「Gemini-Mini」(118万8,000円)。これらの量子コンピュータ、計算能力は人間のほうが速いらしい(笑)売る方も、あくまで「教材」と位置づけているそうです。まぁ、この程度のものと云うと、1976年に販売されたアップルの初代PC「Apple 1」みたいに遠からず骨董的価値しかないものになるんでしょうね。それでも欧米人で買ってる人はいるみたいです。
Sep 24, 2023
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時差ボケってのは経験しないと分からない苦しみですね。タイやベトナムみたいに日本との時差が2時間しかなかったり、台湾みたいに時差が1時間では全く問題なくて、到着と同時に元気に活動できるのですが、アメリカもニューヨークに行ったときはかなりのものでした。なんせ日本と13時間の時差です。つまり日本の深夜が、ニューヨークでは午後の1時。私のときは、現地でお世話していただいた日本人に「とにかく寝るな!こっちの寝る時間まで起きてろ!」云われて必死にガマンしました。つまり日本で午後11時に寝るとしたら、ニューヨーク着いてから36時間ぶっ通しで起きてたことになります。行きの機内で充分寝てりゃ問題ないでしょうと云われても、行きで12時間半のフライト。そんな寝られるモンぢゃなくて、結局 映画観たり、音楽聞いたり。ニューヨークから西に移動して、帰りはサンフから出発だったので飛行時間11時間で済んだけど、これがニューヨーク発だったら14時間かかりますからゾツとします。この36時間ぶっ通し起きがガマンできず、ニューヨーク着いてから、うっかり昼寝すると最悪の事態になります。なんせ体内時計が乱れてるのですから、日中は倦怠感や眠気、逆に夜間は不眠に悩まされ、1日を通じて慢性的な疲労、頭重感などに悩まされます。特にニューヨーク行きみたいに、東行きは1日の時間が短くなるので時差ボケが出やすいのですね。行ったことないので分かりませんが、ハワイ行きだって日本と5時間の時差(実質-19時間)あるので時差ボケする人はかなりいるのでは?だいたい5時間の時差あたりが時差ボケ発生の境目と云いますね。時差ボケは特に早寝早起きで、毎日規則正しい生活をしてる人に出やすい。朝型の体内時計の方が、時差による生活リズムの急な変化に順応しにくいためです。健康の秘訣が、海外に出ると「負」に変わるのですね。時差ボケを防ぐ方法はいろんなとこで述べられてますが、やはり飛行機内での睡眠がポイントのひとつですね。光を完全に遮断するにはアイマスクをつけて眠るのがイチバン。脳は暗闇を感知すると、体内時計を調整するホルモンのメラトニンが分泌され、眠りを誘うからです。そのためには窓の日よけ(シェード)も下ろして外光が入らないようにするのも方法ですね。ちなみに飛行機が離発着するときは、必ず日よけを上げなければなりません。離発着時がイチバン事故が起こりやすいので、外の状況を確認するためと、夜間は外の光に搭乗者の目を慣らすためです。そのために日没後に離発着する便は、機内の照明も暗くしてるのですね。アイマスクと同時に低反発のトラベルピロー、例えば従来からある「C型枕」や最新の「Trtl」「オーストリッチピロー」といった首や頭を覆うタイプの枕は、360度全方位で頭を支えてくれます。が、オーストリッチピローを被るのは、かなり勇気もいりますね(笑)ちなみに中国人を空港ロビーで見かけると、よくC型枕を首につけたまま歩き回ってる姿見かけます。これが、なんともヘンなんですね。また、長時間のフライトで足や背中にかかる負担を軽減するために、前の座席の下に引っ掛けて使う「フットハンモック」使用も有効な方法のひとつです。できれば、耳の穴を完全にふさぐようぴったりと装着できるシリコーン製の耳栓も用意するといいとか。ただ、これを使うと外部の音が完全に遮断されて、かえって違和感あるので私は好みではありませんが。ドイツの研究者の報告では「時差ボケを心配していると、時差ボケが悪化する」ことが分かったらしい。そのためにも、事前の万全な準備は怠りなくですね。たまにフライト中に眠るためだったり、到着後の不眠症を解消するために「睡眠薬」使う人がいますが、旅行中はリスクも大きいです。特にアルコールと同時にに服用してしまうと、精神の不調や意識がもうろうとした状態を引き起こすリスクが大きいらしい。それより、到着するのが朝から昼過ぎまでなら、カフェインをとることで体を慣らす方がいいみたい。また、到着地の普通の時刻(朝、昼、夕)に食事をとることもよいそうです。
Sep 23, 2023
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「害獣」いやな言葉ですね。よく本州だったらツキノワグマが、北海道だったらヒグマが人里に出没して人を襲ったとか、高齢者の男性が山で山菜採りしてたらツキノワグマに突然襲われたとか。元はと云えば、人が山中にゴミのポイ捨てしたりして、クマがヒトの食物の味を学習していくことから始まったことが多い。そうでなくても、人間側が原因の環境破壊により生息地のエサ不足、生息地そのものを失った事で人間の住む地域に野生の生き物が出没。またはアライグマやマングースと云った本来日本にいるハズのない生き物を人間が持ち込んだことが原因だったり。しかも山村の過疎により、森林の手入れもままならないケースが多い。だいたいクマが出没する可能性のある地域で、ひとりで山中に入って山菜採りなんかをする精神状態が私には理解できません。北海道に赴任してたとき、道の至るとこに「クマ出没注意!」のカンバンが立ててあって、そう云うとこを通過するときは車での衝突も含めて用心に用心を重ねてたけど、あまりに日常化すると無防備をキケンと感じなくなるのですかね?クマでなくても、イノシシやニホンジカ、ニホンザルなんかも同じことだと思うのですが...それと比べて欧米の動画サイトなんかを観てると、よく家の庭にクマの親子が出没したり、ときにはクーガー(マウンテン・ライオン)やピューマ(アメリカライオン)が出没して、ひとしきり遊んだ後、自然に帰っていく動画が掲載されてます。撮ってる家人も平気で彼らが遊ぶのに飽きて去っていくのを静かに見守ってるだけ。おそらく、こんな地域の人は野生の生き物が興味しめす残飯などは放置しないんでしょうね。よくアメリカのキャンプ場では「ベアーボックス(Bear Box)」と呼ばれる鉄製の箱が設置されてるのを目にします。そこに食べ物や飲み物はもちろん、ヘアスプレーや歯磨き粉など匂いがするありとあらゆる物全て入れるようにと指示されます。こうすることによって、クマが人間の食べ物なんかに興味を持つことを防いでいるのです。こんな記事がNETに載ってました。カリフォルニアのオレンジ郡公園管理局がある日、クーガーが出没しているのでトレイルを閉鎖したのですね。ところがクーガーを捕獲したワケでもないのに、翌週には再開したのだとか。そしてトレイルの入り口にはこんなカンバンが。「あなたはクーガーの土地に入ろうとしています。クーガーはこの付近に生息していて、いつ現れるか予測できません。充分に注意してください。クーガーは警告なしに人を襲うことがあります。あなたの安全は保証できません。危険があることを充分理解するよう警告します」。つまり野生生物の生息域に人が入ってくるのだから、安全はあくまで自己責任と云うこと。あくまで野生生物が主体と云うことです。そして公園管理局のHPには「もしクーガーに出くわしたらどうする」のアドバイスを掲載。「逃げるな!」「地面にしっかり立ち、両腕を振り回し、大声を上げろ!」「それでもクーガーが襲ってきたら、石を投げつけろ!」「クーガーにあなたが獲物ではなく、攻撃してくるかもしれないと思わせろ」「なるべく身体を大きく見せろ。もし小さな子供を連れていたら肩に担げ」「しゃがんでも無駄だ。クーガーはあなたより先にあなたを見つけている」自然は野生動物のものだから、人間がそのテリトリーに入るときは危険を承知で楽しむべし。自分の身は自分で守れ。根底にあるのはそんな考えなのです。ここにはガラガラヘビも数多く生息してます。トレイルの入り口にはガラガラヘビの注意喚起のカンバンも立たってます「ガラガラヘビをこの付近で見かけるかもしれません。彼らはこの自然コミュニティの大切な仲間です。彼らから攻撃してくることはありません。しかし、邪魔されたり追い詰められたりすると、彼らは自分を守ろうとします」。地球温暖化で絶滅の危機に瀕してるホッキョクグマ(シロクマ)の残りは、約26,000頭と云われてます。ホッキョクグマの獲物はアザラシです。そして狩りをするのは海に浮かぶ氷の上。しかし温暖化によって、北極圏の氷が解けだす時期が早まっているのですね。狩りができる期間が短くなり、栄養不足に苦しむクマが年々増えているのです。氷の解け始めが1週間早まると、クマの体重が10kg も軽くなると云います。地球温暖化対策が適切になされなければ、2100年までにホッキョクグマは絶滅すると云われてるのです。そんなホッキョクグマと共存してる町がカナダのマニトバ州北部にあるチャーチルです。チャーチルは、南のタイガ林と北西のツンドラとの遷移地帯(植物の姿が自然に移り変わっていく)にあります。そして、この地は秋に内陸部から海岸へと移動するホッキョクグマが見られることで有名で、「ホッキョクグマの首都」と云うニックネームを持ってます。チャーチルの住民や観光客は決してホッキョクグマに餌付けなどしません。あくまで自然のままに、この町でしばらく滞在したあと、通過するホッキョクグマとうまく共存してるのです。ホッキョクグマと人との適正な距離を保つ仕事は、チャーチルの保護官の役目です。チャーチルの住民の大半はホッキョクグマと遭遇した経験があります。歩いていて「角を曲がったらホッキョクグマと出くわした」なんて話ですが、大抵の場合、人がクマに驚くのと同じくらいクマも人に驚いて逃げ出すのですね。チャーチルにつながる道路がないため、ホッキョクグマ見物の観光客は飛行機でここまで来なければなりません。ホッキョクグマは後ろ足で立った時、最大で2.7m を超えます。そんな巨大な肉食動物、それも数多い頭数と共存するため、ときにはチャーチルの夜の静寂が、空に向けて放った散弾銃の銃声で破られることも珍しくありません。好奇心から町に入り込んだホッキョクグマに対して、逃げるように促すためです。普段から住民は家や車のドアに鍵をかけません。もし外でホッキョクグマと出くわした場合、避難場所として飛び込めるようにです。保安官のバン=ネストは、「ホッキョクグマと人間の両方を守りながら、訪れる人々にホッキョクグマとのよい思い出を作ってもらいたい」と述べているのですね。ホッキョクグマの屋外観察は専用のバスでおこなわれます。
Sep 22, 2023
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テニスでプレイヤーのどちらかが1ゲームも取れないことをベーグルと呼びますが、今日はそっちぢゃなくてパンのベーグルのこと。ベーグルって外はカリッなのに、内側は柔らかくてもっちりで私も好物なんですが、もともとはユダヤ人の食べ物とは知りませんでした。ベーグルの起源についてはさまざまな説が存在してて、判然としてないのですね。それだけベーグルの歴史が古いと云うことですが、そんな説のひとつに現在のポーランドがある東ヨーロッパに住んでいたユダヤ人パン職人が13世紀に遡るってのがあります。当時は、ユダヤ教徒とキリスト教徒を分離するため、ユダヤ商人たちの活動を細かく規定した反ユダヤ政策がありました。そのなかでパン職人には少しばかり自由が多く与えられ、ユダヤ教徒だけでなく、キリスト教徒のためにもパンを焼くことが許されてたらしい。でユダヤ教徒、キリスト教徒に関わらず人気だったのが低脂肪の生地を輪の形に成型して茹でた「オブワルザネク」と呼ばれるパンでした。オヴヴァルザネクはポーランド語です。ポーランド語の名詞「オヴヴァルザネク(obwarzanek)」は「事前に茹でる」という動詞「obwarzać」に由来し、焼く前に生地を茹でる独特の製法を指します。オヴヴァルザネクは茹でてから焼いて、粗塩、ケシの実、ゴマなどをまぶしたリング状のパンです。これもベーグルと同じように、外はカリカリ、中は甘くてしっとり。ポーランドでは伝統的に路上で売られていて、特にポーランドの都市クラクフで人気のスナックです。なのでオヴヴァルザネク自体の名前も「オヴヴァルザネク・クラコウスキー」と呼ぶのが一般的です。それでも13世紀のユダヤ人の作るオヴヴァルザネクにはユダヤ教徒向けと、キリスト教徒向けで違いがあったらしい。キリスト教徒がオヴヴァルザネクを買い求めるのは、「四旬節」の間、脂肪分の多い食べ物を控えていた期間に買うのが多かったのです。四旬節と云うのは、イエスが荒れ野で40日間断食したことに由来して、キリスト教徒自体が40日の断食したり質素な食事に徹することです。ユダヤ人向けはキリスト教徒向けより小さく、1人分の大きさに作ったものを、日常的に食べるパンとして販売してました。ど~も、ポーランド人はオヴヴァルザネクとベーグルを区別してないですね。クラコウスキー市民は、イディッシュ語(東欧のユダヤ人が話してたドイツ語に近いユダヤ語)では「ベーグル(バイギェル=あぶみパン)」と呼び、ポーランド語では「オヴヴァルザネク(ゆでパン)」と使う言語の違いだけだったようです。どっちにしても牛乳や卵、バターを使わない東欧系ユダヤ人の宗教上の食べ物だったのですね。このベーグルが1880年代にユダヤ系ポーランド人移民によってアメリカに広まりました。最初の上陸地はニューヨークです。この時代、ポーランド移民はニューヨークのアッパー・ニューヨーク湾内にあるエリス島のアメリカ移民局で入国審査受けましたね。20世紀初頭までにポーランド系アメリカ人は、100万人以上移住したらしいです。今でもニューヨークのグリーンポイントにはポーランド人街があり、イーストヴィレッジにはウクライナ人街があります。当初、アメリカでベーグルは珍しかったのですが、20世紀後半になって広く北アメリカで一般的なものになったそうです。それでもアメリカのベーグル発祥の地、ニューヨークのは特に有名ですね。ニューヨークのベーグルの方が日本のより大きいのは、アメリカのハンバーガーが大きいかったり、サンドイッチの量が多いのと同じですね。とにかくボリューム重視のアメリカ人。そしてニューヨークスタイルがポーランドのと違うのは、バーガーみたいに横にスライスしてなんでも挟むこと。こうなるとユダヤ教徒の食べ物ではなくなったワケです。ニューヨークに行くとベーグルショップがたくさん見つかります。私もニューヨークで食べました。先程述べましたように、ニューヨーカーはよくトーストしてクリームチーズかバターを塗ったベーグルを食べますが、ベーグルショップではサーモン、チキン、ツナなどの具材を挟んだベーグルも豊富です。ニューヨークのベーグルショップで特に有名なのは「ラス&ドーターズ」ですね。いつもお客さんが列を作ってます。北アメリカでは、他にモントリオールのベーグルもよく知られてます。こっちは1918年からウクライナのキーウからの移民によって広められました。モントリオールスタイルのベーグルは、生地に麦芽と鶏卵を使い、塩を使わず、蜂蜜を入れた湯で茹であげ、薪を使って窯で焼き上げるのが特徴です。ニューヨークスタイルは膨れて表面が堅いのが特徴ですが、モントリオールスタイルはもっちりした食感で、ニューヨークのに比べて甘く、小ぶりで穴が大きいのが特徴です。
Sep 21, 2023
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ポンペイと云うと、イタリアはナポリ近郊、ヴェスヴィオ山のふもとにあった古代都市ですね。西暦79年のヴェスヴィオ噴火の火砕流によって地中に埋もれ、遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」として世界遺産に登録されてます。実はヴェスヴィオ火山は突然噴火したワケではありません。その予兆は西暦62年から大地震としてなんどもポンペイに住む人々を震撼させていたのです。にも関わらず、人々は避難もせずポンペイの街に住み続けたのですね。そして西暦79年の8月に噴火。12時間にわたって、細かい粒子の灰、次に泡状のガラスの岩、そしてその後灰色の軽石がポンペイの街に降り注ぎました。その後、噴火の様子が変わりました。爆発によって岩石、灰、ガスの熱い雪崩が火山の側面に勢いよく降り注いだのです。この灰流は2日間にわたって続き、2万人いたボンベイ市民のうち、何らかの理由で町に留まった約2千人が犠牲になりました。ヴェスヴィオ火山の火山活動は30万年にわたって続いており、過去17,000年間に7回のとてつもない大噴火があり、それは現在も続いてる周期なのです。18世紀半ばになって初めてポンペイは発掘されました。発掘された遺跡からたくさんの壁画が発見されてます。それらの壁には、また数多くの「落書き」も残されてたのです。発見された中で最も古い落書きは西暦78年に書かれた「ガイウスがここにいた」というメッセージです。他にも愛のメッセージや、他人の悪口、お悔やみの言葉、商売のやり取りといったものから、政治のPR、グラディエーター(市民の楽しみのため、死闘する戦闘員)大会の宣伝など公共イベントの告知も見つかっています。まぁ現在で云えばFacebookやTwitterといったSNSのメッセージ投稿と同じですね。ポンペイ遺跡では「テルモポリウム」も発見されています。テルモポリウムは温かい食物を提供する古代ローマの飲食店のことで、現代で云うファストフード店のようなものです。こう云う場所は貧困層や自分の台所を持つ余裕がない人が利用しており、上流階級の人々からは軽蔑の対象になってたそうです。2019年にきれいな模様で装飾されたカウンターの一部が発掘されたのがキッカケで、店の全容が明らかになりました。カウンターには土瓶(ドーリアと呼ばれていた)が埋め込まれています。カウンターに描かれたニワトリやイヌの骨も周囲で見つかっています。温かい食べ物を入れるための深い土器もカウンターに備えられており、ブタ、ヤギ、魚、アヒル、カタツムリの痕跡が見つかってます。パエリアのように一緒に調理された食材もあり、ワイン容器の底ではワインの風味と色をよくするために加えられていたソラマメも見つかったそうです。テルモポリウムの前には貯水池や噴水、給水塔が設置された広場があり、テルモポリウム内の馬にまたがるニンフのフラスコ画は、広場にある噴水に捧げるために描かれた可能性があるらしい。テルモポリウムの部屋からは、50歳以上の高齢者のものと思われる人骨が発見されました。この人骨は火砕流が到達した当時、テルモポリウム内のベッドにいた人物であることが周囲から発掘された木材片から判明しました。テルモポリウムの1階は客が飲食する場所で、階段があって2階に昇るとゲストルームがあったのです。つまりファストフード店と同時に旅館の機能ももっていたのですね。こうしたテルモポリウムはポンペイだけで80ヶ所も見つかってます。
Sep 20, 2023
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一昨日、日曜日に放送されたTBSの「世界遺産」で、アフリカ中部のガボン共和国にあるイヴィンドゥ国立公園が放映されてましたね。中部アフリカ最大と云われるコングウの滝や森にぽっかりと空いた「バイ」と呼ばれる湿地など見どころが沢山ありました。ガボンは産油国で、かつ人口が少ないので国民所得はアフリカでは高い部類に属します。TBSの「世界遺産」で放映されたイヴィンドゥ国立公園は東京都より面積が広い地域で、CO2吸収量がアマゾンと同等と云われる手つかずの熱帯雨林に囲まれてます。この放送で取り上げられた「バイ」と呼ばれる湿地は、絶滅の恐れある小型のゾウ「マルミミゾウ」が地面を踏み固めた跡にできたらしい。そのバイに絶滅危惧種のニシゴリラなど、いろんな動物が集まってきて生き物の休息地と成ってるのですね。ガボンの素晴らしいところは、こうした自然に手を加えず環境保護に熱心なことです。イヴィンドゥ国立公園の道も舗装もせず地道のままにして、学者向けの生き物観察小屋もひっそりと目立たなくして生き物の生態にできるだけ影響を与えないよう配慮しています。余談ですが、ガボンの中部にランバレネと云う町があります。このランバレネは、シュヴァイツァー博士の活動中心地で、ここに診療所を建てて診療を続けました。シュヴァイツァー博士が1965年に没した後も病院は存続し、ガボンを代表する病院となっています。シュヴァイツァー博士ってドイツ人ですが、フランスの実存主義哲学者サルトルの親戚でもあるのですね。そのシュヴァイツァー博士は、「風月堂のゴーフル」が大好物で、ランバレネを訪れる日本人は必ず持参したそうです。きのうパパゴリラ!さんの更新で、来月、八ヶ岳にオリオン座流星群を見に行くとありました。オリオン座流星群ってのは毎年10月19日~23日にかけて見られる明るい流星群ですね。今年は22日9時AMごろがピークと予想されていて、前日22時ごろに月が沈むので、それ以降が最も流星が見られる時間帯になるそうです。私たちの太陽系が属する銀河系には、2,000億個の星があると云われてます。そんな銀河が、この宇宙には2兆個も存在すると考えられてます。それぞれの銀河にある恒星の数が平均して3,000億個と仮定すると、宇宙に存在する星の数は「6×10の23乗」つまり「600,000,000,000,000,000,000,000個」存在することになります。そんな宇宙の規模から見たら、私たちが暮らしている地球なんて、ほんのゴミ以下の存在でしかありませんね。そんなゴミ以下の存在の地球には人類を含め、既知の生き物だけで約175万種もいるらしい。哺乳類だけでも約6,000種。まだ知られていない生き物も含めた地球で暮らす生物の総種数は大体500万~3,000万種あるだろうと見積もられてます。そんな地球の生き物、地球の歴史の中で5回におよぶ大きな絶滅を経てきました。一度生まれた種の90%~99%は絶滅したと云われてます。その絶滅原因の最大なものはペルム紀の大量絶滅のように大規模な火山活動によって酸素濃度が激減したと云うように地殻の変化によるものや、小惑星の激突による寒冷化などがあげられます。では現代は?何を云いたいかお分かりですね。現在、1年間に4万種もの生きものが絶滅していると云われてます。絶滅の危機にさらされてる生き物の最大の敵は人間です。密猟、乱獲、外来種の侵入、森林伐採、地球温暖化などすべて人間が生み出した生態系の崩壊からきています。ゴミ以下の地球に暮らす、たった1種の生き物(人間)のために、この世から6回目の絶滅の縁にたたされているのです。そうでなくても、人間は原子力発電を開発して自分たちでさえ致命傷になる環境でのうのうと生活している。すべて何の見込みもない未来に先送りして。どころか、その人間そのものが絶えず争いをして自分で自分の首を締めているのですから、何をか況んやですね。だいたい人間と云うのはどこまで云っても争い事に熱心で、映画「スタートレック」では宇宙の偉大な知的生命に接触して、地球上で争いなんてしてられないと地球連合を作ったと思ったら、その地球連合軍が他の星とまた戦争をする。ウクライナの世界遺産「聖ソフィア大聖堂」と「ペチェルシク大修道院」がロシアの破壊で「危機遺産」に変わったなんてその最たるものです。バカな話しです。世界中の武器を全て放棄して、他国への侵略はいっさい考えず、原子力を廃止して、環境保護に邁進、弱いものに寄り添う気持ちがあれば、まだ遅くはないのですから。そうすればゴミ以下の地球でも、素晴らしい文明が築けるのにねぇ。人間と云うアホのために、ゴミ以下の地球が消滅しても、宇宙規模から考えたら取るに足りないことで済まされるのが悔しくないのでしょうかねぇ。それとも...こんな光景を待ち望んでいるのか。まぁ、それもいいかも...月が地球と接触するときWhen Moon Touches Earth | Moonfall 2022
Sep 19, 2023
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昨年、民放連(日本民間放送連盟)に加盟してる44局が現在行われてるAM(中波)放送を打ち切って、2028年秋をメドにFM局への転換を目指すと発表しました。現在、全国のAMラジオ局は、難聴対策や災害対策のために、FM波でも同時放送する「ワイドFM(FM補完放送)」を行ってます。FMの電波は小さい送信アンテナで送り出すことが可能なので、山頂や鉄塔に設置することができ、災害による放送設備の被害を抑えることができるのですね。かつ、AMの電波と違ってビルなど建物内でも電波が届きやすく、電気雑音による影響も少ないのです。ぢゃあ、これまで通りAMとFM両放送でいいぢゃない。と、考えますよね。ところが局側の事情があって、放送設備の老朽化がどことも激しいのに、スポンサー頼みの民放局はAM、FM両方の設備投資は経営面で厳しいのです。で、どっちかひとつ取るとなると、メリットの大きいFM局1本に絞ろうと云うことになったのですね。そうなるとAM専用のラジオしか持ってない方は受信できなくなるワケです。今ではインターネット全盛で、インターネット広告費がラジオの広告費を上回ったのは2004年(平成16年)。インターネット広告費が雑誌の広告費を上回ったのが2006年(平成18年)に、新聞の広告費を上回ったのが2009年(平成21年)とはるかな昔になります。ラジオそのものの聴取時間も平均すると、NHKで約15分、民放で約20分くらい。ほとんどニュースや天気予報で、それも新聞や雑誌を読みながらのながら聴取がほとんどです。聴取者の大多数は個人経営の人たちですね。それも高齢者がダントツに多い。70歳以上の男性では、58分と平均値より随分長いです。そもそも日本でラジオ放送(AM)が発展したのは1923年(大正12年)の関東大震災が契機と云われてます。情報伝達メディアとしてラジオの必要性が認識されるようになり、それまで無かったラジオ放送局の開局を急がせたと云われてます。「アーアー、聞こえますか。...JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始いたします」これが日本で初めてラジオ放送を行った第一声です。JOAKと云うのは、現在のNHK東京ラジオ第1放送のことです。これが実施されたのは1925年(大正15年)ですから、関東大震災の1923年から急ピッチで放送機能が構築されたのが伺われます。この日本初のラジオ放送にはオモロイ逸話があります。放送が実施されたのは3月22日なんですが、ホントウはキリのいい3月1日に開始する予定だったのです。ぢゃあ、なぜ実施日を遅らせたのか?それは...放送用の送信機が入手できなかったためです。もともとは、当時、日本に1台しかないアメリカはウェスタン・エレクトリック製の放送用送信機を使う予定だったのです。ところが、同じように放送準備をすすめてた大阪放送局(NHK大阪放送局)に横取りされてしまったのですね。そこでJOAKは、東京市電気局電気研究所が放送実施のために購入したアメリカのゼネラル・エレクトリック製の無線電信電話機を借り、放送用に改造して使用することにしたと云うワケです。ちなみに当時の受信機性能では、送信出力が弱かったため、東京市内(現在の23区に相当)でないとよく聞こえなかったそうです。それからはどんどんラジオを所有する人が増えて、ラジオ聴取契約(現在のNHK TV受信契約に類する)する世帯は1931年(昭和6年)に100万を突破し、1939年には400万を突破しました。ラジオ聴取契約をすると「聴取章」と云う小型のバッジが送られてきます。これを玄関先や門柱など外から見やすい場所に表示する義務があったのですね。こうしてラジオ受信機の普及が進み、音楽、演芸、スポーツ中継、ラジオドラマなど多彩なプログラムが提供されるようになり、当時の娯楽の主役になったワケです。それが覆されたのが1941年(昭和16年)の太平洋戦争開戦です。ラジオ放送は戦局の進行と共に大本営発表を行なうための機関と化していくのですね。プーチンがおこなってるロシア国営放送と同じで、プロパガンダの道具となっていったのです。そして1945年8月15日の「玉音放送」によって戦前・戦中の放送の幕が閉じられます。戦後、高度成長期の日本のエレクトロニクス産業発展の基礎を作る要因の一つに「ラジオ少年」がいます。1950年代前半は物品税が高く、メーカー製のラジオを購入するより、秋葉原などから真空管などの部品を買い集めて自作したほうが安かったので、ラジオを自作する人が多かったのです。それが「少年技師(後のラジオ少年)」と呼ばれたのですね。1955年には東京通信工業(SONY)が日本初のトランジスタラジオを発売します。1958年にはラジオ受信契約数が1,481万件を越えピークとなりました。ところが1959年を境にTV受信機が急速に普及し、ラジオの斜陽化が始まるのですね。1959年?現在の上皇(当時の皇太子 明仁親王)が正田美智子(現在の上皇后)さんと結婚され、パレードのTV中継が行なわれた年です。これが日本中に爆発的なTV普及の波をまきおこしました。それではラジオが絶滅危惧種かと云うと、「radiko(ラジコ)」みたいにスマホなどでラジオが聴ける無料サービスが活気づいてるので、ラジオそのものが聴かれなくなったと云うより、時代に合わせて受信環境が変化しているとも考えられますね。それでも地上波、インターネット経由問わず、依然として若年層を中心に「ラジオは聞いたことがない」と回答してる割合も高いので、厳しい状況であることは間違いないです。
Sep 18, 2023
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私が映画の撮影現場を見たのはバンコクに居住してた1978年、「巨人の星」や「あしたのジョー」「タイガーマスク」の原作者 梶原一騎の実弟 真樹日佐夫が主演、夏樹陽子が共演の映画「カラテ大戦争」のロケを見たのと、ロスに行って"ボナベンチャー・ホテル"に滞在してたとき、たまたま泊まってるホテルのロビーでエディ・マーフィが演技してるのを見たくらいでした。とにかく映画の撮影、それもロケハンとなるとタイヘンですね。今、公開されてるのかな?ウェス・アンダーソンが監督してるコメディ映画「アステロイド・シティ」のメイキング映像が公開されてました。映画の設定は砂漠。実際の撮影場所はスペイン、マドリードの南東50km にある「チンチョン」。1956年の映画「八十日間世界一周」でも、メキシコに見立てて撮影現場になりました。ウェス・アンダーソン監督と云えば、CGなどの合成をいっさい使わないので有名。砂漠の街アステロイド・シティは、建物のみならず、岩や山、サボテンまでもが人の手で造られたセットです。こう云う場所になると、スタジオと違って出演者やスタッフの食事やトイレがタイヘンですね。だいたい撮影現場では、ゲストスター以上の役だと、ソファーベッド、トイレ、シャワー、冷蔵庫、レンジ、テレビ、ラジオすべて完備のトレーラー部屋が用意されます。役者によっては1人でトレーラー1台使う人もいて、スターはジムつきのトレーラーとかシェフがいるトレーラーとかもついてくるらしい。その他大勢とスタッフは砂漠なんかだと簡易トイレでしょうね。日本だとお粗末な「ロケ弁」が相場ですが、最近は撮影地域のキッチンカーを契約して賄ってることも多いそうです。キッチンカーと云っても、日本のは小型なのでせいぜいカレー1品くらいをサービスできる程度。どっちにしても、日本のロケハンってのは賄いが貧素ですね。ハリウッド映画と云うと、巨大なキッチンカーを仕立てて豪華な食事ってのを目にしますが実情はど~なんでしょう。アメリカでは、さまざまな民族的宗教的バックグラウンドを持つ人がいるため、米軍の戦闘食でさえベジタリアン用やイスラム教の人のために個別にレーションを用意してます。それでロケ飯でもシェフは、食べられないものがないか事前に聞いておくようです。イスラム教の人は豚肉を食べませんので、チキンなどを解りやすく分けておくとかします。都会の中のロケだったら、朝食や撮影スケジュールによっては夕食もホテルで食事できるでしょう。しかし、砂漠の撮影で何日も現地に留まるとなると、朝昼夕の三食賄なわねばなりません。こうした料理提供は映画会社に所属しているのではなく、撮影専門のケータリング会社が請け負ってるのですね。アメリカの映像制作現場には、それぞれの分野に決まった労働組合があります。役者やモデルだと「サグ・アフトラ(SAG-AFTRA)」と云う組合。プロデューサーだと「全米製作者組合」と云うように。契約社会ですから、制作側はそれぞれの組合と話し合って待遇を決定していかなければなりません。撮影時の食事提供も、こうした契約によって約束されてるのですね。調理は出来合いのものを使わず、現場で作業することが多いそうです。三食とも基本的にはビュッフェ形式ですが、ケータリング会社によってはオーダーメイドのアラカルトにも応じてるとこがあります。撮影の規模が大きいと、調理スタッフもタイヘンですね。それ相応の種類も出さなきゃならないし、先程述べた民族的宗教的バックグラウンドを持つ人のための料理は別に作らなきゃならないし。特に砂漠のような特殊な環境下での撮影なんかでは、食べることが唯一の楽しみなんでしょうから。こうしたケータリング・カーを駆使しての食事サービスはハリウッドだけではなさそうです。欧米では普通におこなわれてるみたい。映画「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」なんて、56.7℃の世界最高気温を記録したこともあるカリフォルニアのデスヴァレーで撮影したらしいですから、ここなんかのケータリングなんてハンパなかったでしょうね。食材を新鮮なまま保つだけでも一苦労のような。
Sep 17, 2023
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ドイツのダルムシュタットより5km ほど南の丘の上にフランケンシュタイン城と呼ばれる城があります。このフランケンシュタイン城で1673年に生まれた錬金術師のディッペルと云う男がいました。地域の伝承によると、ディッペルは死体泥棒だと非難されてたそうです。イギリスの小説家メアリー・シェリーが1818年に出版した小説に「フランケンシュタイン」と云うのがありますね。そう、数々の映画のモチーフになった「フランケンシュタイン」です。原作者のシェリーは夫妻でスイスにいるバイロン卿を訪ねる途中、フランケンシュタイン城のある地域を旅しました。滞在先で嵐の夜に怪談話をしている最中、この作品の着想を得たとされています。フランケンシュタインに描かれる怪物はなんか哀れを感じますね。死体だった身体を切り刻まれてつなぎ合わされ、静かに寝ていたのが、意志と関係なくまた起されてしまう。そして、その醜い容貌から人々に忌み嫌われ、再び殺されると云うなんとも理不尽な運命。そのフランケンシュタインの物語を女性版にしたのが、今年公開された映画「哀れなるものたち(Poor Things)」です。監督はギリシャ出身のヨルゴス・ランティモス。この監督、今までカンヌ映画祭などで数々の受賞歴があって、とりわけ2018年にオリヴィア・コールマン、エマ・ストーン、レイチェル・ワイズが主演した「女王陛下のお気に入り」では、ヴェネツィア映画祭から始まって、英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞など名だたる映画祭の賞を総なめしました。そして、今回のテーマ「哀れなるものたち」でベネチア映画祭「金獅子賞」を受賞するのです。この作品、主演のエマ・ストーンの演技に尽きますね。彼女は、この作品でプロデューサーも兼任してます。この作品でフランケンシュタイン博士に相当するゴドウィン・バクスター博士は映画「スパイダーマン」のゴブリンのような怪しい悪役が多い俳優"ウィレム・デフォー"が演じてます。顔をみると、こっちの方がフランケンシュタインそのものですね。物語で不幸な女性ベラ(エマ・ストーン)は自ら命を絶ちます。そのまま静かに眠らせてやってりゃいいものを、天才外科医ゴッドウィン・バクスター博士(ウィレム・デフォー)によって生き返られさせてしまうのですね。しかし、手術のときベラに移植されたのは「胎児」の脳。そうして幼くなった彼女は貪欲に多くのことを学んでいくのです。もっと世界を見たいと考えたベラは、口先だけで放蕩気味な弁護士のダンカン・ウェダーバーン(マーク・ラファロ)と駆け落ちし、大陸を渡り歩いていくのです。大人の体を持ちながら新生児の目線で世界を見つめるベラは時代の偏見から解放され、平等や自由を知り、驚くべき成長を遂げていくと云う物語で、ベースはフランケンシュタインながら、まったく違う主張をしているのがよく分かります。主演のエマ・ストーンと云うと、2014年にマイケル・キートンと共演した映画「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」とか、ゴールデングローブ賞やアカデミー賞を総なめした2016年の映画「ラ・ラ・ランド」など話題作が多い女優さんですね。「ラ・ラ・ランド」では、アカデミー主演女優賞を受賞してます。映画「哀れなるものたち(Poor Things)」オフィシャル・トレーラーPoor Things | Official Trailer
Sep 16, 2023
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昔、ネットを騒がせたにゃんこ写真のこと。あまりに有名なので、ご存知の方 多いでしょう。おっと!チャッピくんとミミちゃんのことではありません。問題の写真は下の画像にゃんこです。はたして、この子は階段を「登ってる」のでしょうか?それとも「降りてる」?ぱっと見た瞬間は階段を下りているように見える人が多いんぢゃないでしょうか?なにせ階段の縁があること、猫の背後に明るい壁が見えるので「降りてる」とする人が。しかし、こう云う見方もあります。画像は階段の上から見下ろした視点で、しかも階段の縁は上向きの滑り止めだとして「登ってる」と主張する人も。にゃんこの背後にある白い部分は「床」だと。科学的な検証を試みた人の中には、「階段のセメントの中には明らかに小さな石が塗り込められている。すなわち、階段横側の材質は建設当時流体だったことを意味している。仮に写真が下から撮影されたものならば、このように階段を作ることはできない」と。生物学的な主張では、階段を下りるにゃんこはバランスを取るために尻尾を上げ、反対に上るときはバランスを気にする必要がないため尻尾は下げたままらしい。そうでしたっけ?おっと、うちはマンションで部屋に階段ないから検証しようが無かった。また、マインズ・ジャーナル紙のこんな主張もあります。この画像は、あなたが生まれつき「ポジティブ」な性格なのか、それとも「ネガティブ」な性格なのかが分かると云うのです。にゃんこが階段を登っているように見えたら、人生に対して楽観的な見通しを持っている可能性があると。「あなたの心は、人生でより高みに上がる方法を模索するように訓練されているのです」。逆ににゃんこが階段を降りてるように見えたら、性格はより悲観的で懐疑的だと。「あなたは、人を簡単に信用せず、行動する前に計算し、優しすぎると思われる人々を逆に警戒している」ことを意味すると。ホンマかいな!?まぁ、性格診断は別にして、同じ画像を見ても、見る人によって見え方が違うのは、目から入ってきた情報が曖昧だったりすると、脳は経験に基づいて推測しなければならなくなるからですね。アメリカ、ハーバード大学の心理学者リチャード・ラッセルが提示したこんな画像があります。ふたりの人物、左が「女性」で、右が「男性」に見えますね。ところが左右とも同じ人物なんです。単に色の明暗だけが違うだけです。原因は皮膚の明暗が顔のコントラストを変化させると云うこと。すなわち最も暗い部分(唇と目)と最も明るい部分(皮膚)の違いの度合いに影響を与えることなんです。平均すると、男性より女性の方がコントラストが高いのですね。このことを分かっていたとしても、脳はコントラストの性差に引きずられて解釈してしまうのです。脳には既に持っている情報が組み込まれています。それを用いて目の前の情報の曖昧さを解釈しようとするのです。ビジュアルアーティストであり、視覚認知の権威でもあるジャンニ・サルコーネの「愛のマスク」はもっと有名ですね。下の画像です。「愛のマスク」の中には1人の人物?あるいはキスを交わす2人の男女?画像の輪郭は2種のグループ分けが可能で、脳はどちらを選べばいいか確信を持てなくなるのです。つまり、われわれの視覚処理には物体を「特定」しようとする強い傾向があると云うことです。
Sep 15, 2023
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火星と云うのは、あるイミ地球と似てる惑星です。大気こそ地球の6/1000しか有りませんが、地球の谷や砂漠、極地の氷冠を思わせるような表面形状をしています。それよりも、自転周期や黄道面に対する回転軸の傾きが似ているため、1日の長さや季節が地球とほとんど同じなんですね。木星や土星などガスから出来てる惑星と違って、火星は地球と同じ岩石でできた惑星。火星の別名「赤い惑星」とは、表面の岩石や砂が酸化鉄(赤さび)を多く含んでるため赤く見えるからですね。2021年にNASAが打ち上げた火星探査用ローバー「キュリオシティ」がマストに搭載されたナビゲーションカメラを使って日没直後の雲を撮影した画像が公開されてます。この雲は水の氷でなく、凍った二酸化炭素、つまりドライアイスでできているのです。キュリオシティの稼働期間は今年5月時点で3,900日、走行距離は29km を越えました。このキュリオシティの異変に気づいたのは2013年の秋です。アルミニウム製の6輪の車輪のひとつに、予期せぬ穴が開いてたことが確認されたのです。車輪の摩耗はある程度予想されていましたが、想定よりも摩耗が早く起きており、穴が開いた箇所以外の車輪でも窪みや損傷が生じていることが写真から確認されました。NASAは2020年、キュリオシティに続いて「パーサヴィアランス」と云う火星探査用ローバーの火星着陸に成功しました。パーサヴィアランスにはキュリオシティから多くの教訓が取り入れられています。とりわけ損傷を受けたキュリオシティのホイールよりも頑丈になるよう設計を見直しました。キュリオシティの50cm ホイールよりも幅が狭く、直径が大きい52.5cm の太くて耐久性の高いアルミニウム製ホイールが採用され、湾曲したチタン製のスポークが付いています。パーサヴィアランスで有名なのは「インジェニュイティヘリコプター」と呼ばれる太陽電池式ドローンですね。火星の希薄な大気中でも安定して飛行し、パーサヴィアランスの理想的な走行ルートを偵察するために使用されました。さて、キュリオシティやパーサヴィアランスを管理しているのはNASAの「マーズ・サイエンス・ラボラトリー(MSL)」と云うとこです。この組織の目的は過去と現在の火星における、「生命を保持できる可能性」について調査することです。そのためパーサヴィアランスの使命には、・微生物が生息可能な過去の環境を特定する。・火星に生息していた過去の微生物の痕跡を岩石の中から探す。・岩盤コアと土壌のサンプルを収集し保存する。そして...「人間のための準備」つまり火星の大気から「酸素」生成を試行することです。パーサヴィアランスには、酸素生成装置「MOXiE」を搭載しており、2021年~今月7日まで合計16回の実験を行ってきました。MOXiEは火星大気の主成分、二酸化炭素を800℃まで加熱して電気分解。これで酸素原子を取り除き、カプセル内に酸素を安全に保管する機器で、「プラズマリアクター」と呼ばれてます。残された一酸化炭素は再び大気中に放出されます。火星の大気には酸素がわずか0.13%しか含まれておらず、かと云って地球と火星の距離を考えると「酸素を地球から持ち込む」と云うのは長期活動では非現実的です。で、MOXiEを持ち込んで実験したワケですが、背景には将来の火星における有人探査計画が有るのですね。MOXiEの16回に及ぶ酸素生成実験で得られた純度98%以上の酸素は全部で約122g です。「それだけ!?」ですよね。まだ実験段階だからですが、これだけの酸素量で小型犬1匹が約10時間、人間が3時間にわたって呼吸が可能な量らしいです。NASAの副管理パメラ・メルロイは「火星の大気を使って生成された酸素は、将来火星で活動を行う宇宙飛行士の呼吸に役立てられる他、ロケットの推進剤としても役立てられる可能性があります」と述べてます。NASAは今後、酸素生成装置で生成された酸素を、液化酸素の形で安定して保存するシステムの開発を行う予定らしいです。NASAの酸素生成装置があれば、1990年にシュワルツェネッガーが主演した映画「トータル・リコール」みたいに火星で酸素欠乏のため目ん玉飛び出しなんて有りませんね。もっとも実際には人が宇宙空間に投げ出されたとしても、破裂もしなければ沸騰も凍りつきもしません(笑)エアロックから放り出されても、酸欠で失神するまで15秒くらい。死ぬまでには数分かかります。
Sep 14, 2023
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「パリ、テキサス」や「ベルリン・天使の詩」など数々の名作映画を撮り続けてきたドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースが2014年に手掛けたドキュメンタリー映画があります。「セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター」。この作品はたったひとりの写真家をターゲットに、その写真家が戦争、飢餓、宗教、環境などに向き合った姿を映し出したものです。その写真家とは「神の目を持つ」写真家として有名なブラジル出身のセバスチャン・サルガド。サルガドが最初に着目されたのはブラジルの世界最大の金鉱山を撮った「セラ・ペラダ(Serra Pelada Gold Mine)」です。この鉱山では、労働者が膨大な量の鉱石を手で運ばなければならない劣悪な労働環境で、また非常に奥地のため日常生活に必要なものが手に入らない環境にも関わらず、鉱山経営者によって生活必需品が大幅につり上げられた価格で販売されてたのです。また、鉱山そのものの管理は軍事政権がおこなってましたが、鉱山への女性の立ち入りとアルコールの持ち込みを禁止してました。ところが近くの町では何千人もの女性と未成年の少女が金と引き換えに売春に従事させられてたのです。現在、セラ・ペラダ鉱山は放棄され、手作業で作られた巨大な露天掘りの跡は水で満たされてます。しかし、この鉱山では大量の水銀が掘り出されていたため、鉱山周囲の広い地域は危険な汚染に毒されたままで、鉱山の下流で魚を食べている人々は水銀レベルがどんどん上昇しているのです。サルガドが初めてカメラを手にしたのは1970年のことです。建築の勉強をしていた妻のレリアがジュネーヴでペンタックスSPとタクマー50mm レンズを購入したことがきっかけで、サルガドは写真にのめり込んでいくのです。1900年代初頭には国際コーヒー機構や世界銀行と契約してルワンダやコンゴ、ウガンダ、ケニヤなどアフリカ諸国で農業経営の指導に従事してましたが、1973年に仕事の合間に撮影していた写真を本業とするため拠点にしていたパリに戻り、フリーランスのフォトジャーナリストとして活動を始めるのです。サルガドは、1979年にロバート・キャパたちによって結成された世界を代表する国際的な写真家グループ「マグナム・フォト」に所属していました。1993年、サルガドは移民や難民問題をテーマに6年もの歳月をかけて撮影を続け、「エクソダス(Exodus)」と「エクソダスの子供たち(Les Enfants de l'exode)」と云う2冊の写真集を発表しました。写真シリーズ「エクソダス」では、現代の暗い側面、つまり容赦ない搾取と、最も劣悪な状況下で懸命に生き延びようとしている何百万人もの難民の運命を記録しました。そんなセバスチャン・サルガドをテーマに取り上げた映画「地球へのラブレター」がタイトルとは裏腹に私達に痛みを感じさせる作品なのはお分かりですね。作品の冒頭でヴェンダース監督がサルガドが撮影した1枚のトゥアレグ族の盲目の女性写真を目にして「毎日見ても、いまだに涙が出る」と云うシーンが登場します。そしてサルガドは戦地から地上の楽園を探す旅へと旅立つのです。2004年~2012年にかけて世界各地の美しい自然を撮影するプロジェクト「ジェネシス=創世記(Genesis)」を実施し、2013年に写真集「ジェネシス」としてまとめられました。「セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター」予告編
Sep 13, 2023
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「神戸どうぶつ王国」はハシビロコウやマヌルネコなど、他の動物園ではなかなかお目にかからない珍しい動物を豊富に揃えてて魅力的な動物園です。ここに「熱帯の森」と云うミナミコアリクイとかマタコミツオビアルマジロやフタユビナマケモノなど珍しくってカワイイ生き物が展示されてるゾーンがあるのですが、そのゾーンに「ブッシュドッグ(ヤブイヌ)」と云うこれまた日本の動物園では他に「よこはま動物園ズーラシア」とか「高知県立のいち動物公園」とか六ケ所しか居ない生き物がいます。神戸どうぶつ王国がイチバン多くて、現在4頭います。「ヤブイヌ」と云うからには、ワンちゃんの仲間ですが野生です。しかし、ちょっと見には「クマ?」見間違えるようなご面相。野生のイヌ科では、最も原始的な種なんですね。だいたいアルゼンチンやコロンビア、ガイアナ、スリナム、パナマ、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラ、ペルー、ボリビアなど中南米に生息しています。このブッシュドッグの最大の特徴は「バック走」が得意なこと。敵に出くわすと、藪の中を前向いたまま後ろ向きにバック走して逃げてしまうのです。そして、もうひとつ大きな特徴が「水かき」があること。とにかく泳ぎが上手で、潜水もできます。もっぱら水中でカピバラや魚などの狩りをします。ブッシュドッグの身体は57cm ~75cm ですが、シッポは10cm ~15cm しかありません。体重は4kg ~7kg くらいですね。寿命は10年くらい。高知県立のいち動物公園によれば飼育下での繁殖が難しいらしい。日本での飼育数はどんどん減って行ってるのが現状なんですが、生息地の中南米でも人による生息地の破壊や河川の汚染、不法密猟などで国際自然保護連合 (IUCN) が準絶滅危惧種に定めてます。ブッシュドッグと云うのは孤高の存在で、北米のどのイヌ科とも密接な関係がないんです。生物学者でさえ、ブッシュドッグの最も近い「いとこ」が誰であるか正確に特定することができないんですね。彼らはジャガーなど捕食者を避けることができる日中に活動し、最大12匹の集団で生活しています。スミソニアン博物館の動画Why Bush Dogs Are So Different From Other Dogsそれでは最後にお約束のブッシュドッグの赤ちゃん画像を。これまたカワイイですよ~
Sep 12, 2023
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速記と云う職業がありますね。速記文字や速記符号とよばれる特殊な記号で言葉を簡単な符号にして、人の発言などを書き記す仕事です。それを後から、普通の文書に清書するのですね。今だったらボスレコーダーがあるので、そのまま会話を収録できますが、今でも速記の職業は残っています。速記には、手書き速記だけでなく、速記専用タイプライター(ステンチュラ)などの機器を使った機械速記もあるのですね。特殊な能力を必要とするので、速記者を雇うのは費用がかかりました。この速記を不要にしたのが、もはやアンティークに興味ある人以外、絶滅危惧種どころか絶滅してしまった「タイプライター」です。文字キーを打鍵することで、活字を紙に打ちつけて印字する機械ですね。そのタイプライターも20世紀前半に普及した機械式タイプライターが、60年代になると電動タイプライター、70年代になると電動にメモリ機能の備わった電子式タイプライターに置き換わっていきました。タイプライターのメリットは、カーボン紙を挟んで複数枚の紙に同時に印字することで文書の複写もできたことです。そのタイプライターを不要にしたのは80年代に流行った「ワープロ」、そしてPCのワープロソフトですね。タイプライター全盛期にあった職業があります。「タイピスト」。タイプライターで清書作成する専門職です。20世紀中頃の欧米では秘書、電話交換手に加えてタイピストが女性の代表的な職業と云われました。そのためタイピストを養成する学校もありました。アルファベットは26文字しかないので、記号文字を含めてもキーボードがコンパクトで済むのですね。フランス語は26文字のアルファベットに7つの綴り字記号と2つの合字。イタリア語になると、英語のアルファベット26文字に対し、全部で21文字しかありません。そんなでタッチタイピングが容易にできるのです。PCで日本語ローマ字入力する場合は、アルファベット26文字中、19文字しか使わない(C,F,J,L,Q,V,Xは除外)のでもっと楽チンです。ぢゃあ漢字やカタカナ、ひらがなをタイプライターで印字する場合は?タイプライターに日本語ローマ字入力は有りえませんよ~タイプライターは、キーボードの文字をそっくりそのまま打つだけです。1984年~85年にかけて「グリコ・森永事件」と云う食品会社を標的にした一連の企業脅迫事件がありました。すべての事件が犯人特定できず時効を迎えて、警察庁広域重要指定事件で初めての未解決事件となったものです。 このグリコ・森永事件で、犯人は脅迫状を手書きではなく、印字したものをバラ撒きました。この印字に使った機器は、「細丸ゴジック体横打用」と云う活字の形状から判明してます。日本タイプライター(現 キヤノンセミコンダクターエクィップメント)が製造していた簡易型の和文タイプライター「パンライター」です。これはいわゆる「和文タイプライター」です。和文タイプライターは日本語の文章を活字で作成する機器です。「日本の十大発明家」に選出されてる杉本京太によって1915年(大正4年)に発明され、それ以降ワープロ登場以前まで広く使われてた機器です。杉本京太は前述のグリコ・森永事件で犯人が使用した日本タイプライターを興したその人で、同じように漢字を使う「華文(中国語)タイプライター」も製造しました。日本語はご承知の通りアルファベットみたいに26文字だけで事足りるのと違って、膨大な漢字があります。なので欧文タイプライターの構造では全く用をなさないのですね。そこで杉本は使用頻度の高い2,400字を選出して、独自の配列で文字庫に並べた活字を、前後左右に動くバーで選択してつまみ上げ、円筒に巻かれた紙に向かって打字すると云う機構を開発したのです。つまり、一文字一文字拾っては印字する。まどろっこしいですが、これより他に方法が見当たりません。2,400字から外れた文字は無いのですが、たいていこれだけあれば用が足ります。と云うより、使い始めは、この2,400字の配列を覚えるだけで一苦労。他の字体や文字もオプションで用意されてて、その都度活字の入った文字盤全体を交換して使います。昔、私も和文タイプライターを使ってるスタッフに頼んで打たせてもらったことありますが、なんか肩がこるのですよね。聞いたら、普通の机でタイプ打ちをやってるからだと。和文タイプライターの場合はもっと低い専用の机があって、そこにタイプライターを置くと、機器の高さがちょうどマッチするのだとか。会社の事務所だったので、普通の事務机でタイプ打ちをしてたワケです。どっちにしても、欧文タイプライターのようにブラインドで打つことはできません。なので考えながら、同時に印字するなんて芸当はできないワケで、下書きの「清書」専用機器です。それでもガリ版(謄写版)みたいに、手書き文字ぢゃなくて、ちゃんとした活字で印刷できるのですから、当時としては画期的な機器だったのですね。おっとガリ版そのものをご存知ないか。ガリ版はロウ紙と呼ばれる原紙を、専用の金属製ヤスリ盤の上に載せ、先の尖った鉄筆で上から文字を書く機器です。昔の学校ではどこでもガリ版でしたが、これの発明は例の発明家エジソンなんですね。印刷するときに、青インクがベタベタ手や服について臭いったらありゃしませんでした。
Sep 11, 2023
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今、巷で何かと話題になってる「水星の逆行」。8月24日から始まって、今月の16日に終わりますね。昨年暮れから逆行は始まってて、年明けに逆行を迎えたのが最初で、今年は今回で3回目になります。「逆行」と云っても水星がクルっと向きを変えて、回転方向を逆に行くワケではありませんね。もし私たちが太陽に居て、太陽から惑星を見ていたら、どの天体も規則的に進んでいくのが見えるだけです。ところが私たちは地球にいるので、地球の内側には水星と金星、外側には火星や木星、土星などが見えるワケです。しかも地球そのものも太陽の周りを公転してます。惑星の逆行は、高速道路で遅い車を追い越すときをイメージすれば分かります。追い越す車はしばらくの間、反対方向に動いているように見えますね。これと同じで、惑星の逆行は2つの星の公転速度の違いによって引き起こされるのです。例えば火星。火星は地球よりも軌道上でゆっくりと移動します。火星を通過するとき、地球は火星よりも速く動いてるので、火星は逆の方向に動いているように見えます。ちなみに火星の逆行を見るのは、2024年まで待たなければなりません。12月6日に始まり、2025年の2月24日に終わります。このように順行から逆行したり、また順行に戻ったり、その動きは地球から観測すると、まるでふらふらと惑っているように見えます。そこから「惑星」という名前が付けられたそうです。で、星の現象と云うのは得てして「占い」で利用されますね。「水星逆行中はトラブルが多発!」なんて云いますが、単なる物理現象ですからもちろん根拠はありません。地球が宇宙の中心にあると思っていた時代の天文学者は、惑星の逆行にかなり戸惑ったようです。コペルニクスが地動説を発表した16世紀になって初めて、天文学者たちは逆行運動が実は見え方だけの問題だと理解したのです。惑星の逆行とともに、よく話題になるのが「惑星直列」。太陽系内の惑星が、太陽に向かってほぼ一直線に並ぶ現象ですね。これも「天変地異が起こる」と恐れる人がいますが、はたして?いかにも科学的な話では、惑星直列がおこると、惑星の引力や潮汐力が重なって地球に作用するので、地殻にひずみが生じ、地震や火山噴火などの災害が頻発すると云う説もあります。1983年に惑星直列によって富士山が爆発すると云うウワサが出回りました。惑星直列による重力の変化は、月と太陽による潮汐の数十万分の1以下なので、あり得ない話なんですね。実際には、3個以上の惑星が完全に一直線に並ぶことは、過去10万年まで遡り、現在から10万年後まで測るとしても観測できない程、まさに天文学的な確率でしかありません。なので先ずあり得ない現象なんですが、よく映画でも取り上げられますね。スタンリー・キューブリックの傑作映画「2001年宇宙の旅」では、太陽ではなく、木星に向かって一直線に並ぶシーンがありました。2001年公開の映画「トゥームレイダー」では、アンジェリーナ・ジョリー演じる主人公が、自宅の巨大望遠鏡で惑星直列を観察するシーンがでてきます。とかく占いと云うのは、土星が魚座に入ったとか、冥王星が水瓶座に入ったとか、惑星と星座の位置関係でやるのが多い。だけど星座そのものが、いろんな地域や文化、時代に応じて各種あったのに、なぜに紀元2世紀にプトレマイオスが決定した48星座だけを使うのか?日本のシミュレーション天文学者 作花一志によると、天動説だった1503年12月24日に水星、金星、火星、木星、土星、そして地球と太陽が過去6,000年間でもっとも直列に近い形に並ぶ現象をしたそうです。
Sep 10, 2023
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1973年に南米チリでクーデターをおこし、大統領に就任したアウグスト・ピノチェトと云う、とんでもない極悪非道な男がいました。なんせクーデター直後に戒厳令を敷くと、人民連合系の市民を競技場に集めて、2,700人も容赦なく虐殺したのです。その後も、共産主義者の虐殺、拷問は続き、分かってるだけで10万人の犠牲者がでています。カトリック教会の司教がピノチェトに憚って拷問の用語を避け「肉体的圧力」を止めるよう申し入れました。そしたらピノチェト自らが「拷問のことかね?」と返し、「あんた方(聖職者)は、哀れみ深く情け深いという贅沢を自分に許すことができる。しかし私は軍人だ。国家元首として、チリ国民全体に責任を負っている。共産主義の疫病が国民の中に入り込んだのだから、私は共産主義を根絶しなければならない。彼らは拷問にかけられなければ、自白しない。拷問は共産主義を根絶するために必要なのだ」と、拷問を正当化したのです。結局、ピノチェトの政権は1990年まで続きます。「ヨーロッパ最後の独裁者」と呼ばれる、ベラルーシのルカシェンコと同じように「チリの独裁者」と呼ばれたピノチェト。そのピノチェトが退陣する引き金は、1988年に行われた国民投票での敗北です。これによりピノチェトの政権は終わりを告げました。2000年になって、チリの市民団体がピノチェトを告発します。事件を担当する判事がピノチェトを殺人及び誘拐罪で起訴。しかし、最高裁はピノチェトの健康状態から裁判に耐えられないとして罪状を棄却してしまったのです。ピノチェトには2,700万$もの不正蓄財と香港の銀行に9トンもの金塊を所有している事が明らかになりましたが、高裁は嫌疑不充分で家族ともども放免されてます。ピノチェトは、2006年に心不全のため軍病院で91歳の幕を閉じました。さて、ここからが今日の本題なんですが、パブロ・ララインと云うチリの映画監督がいます。ベルリン国際映画祭やゴールデングローブ賞で受賞歴のある非常に有能な監督です。右派の政治家である両親の下に生まれましたが、ラライン自身はピノチェト政権の強固な反対者です。そのララインがピノチェトを主人公にした映画を制作しました。しかもピノチェトは、250年も生き続けてる吸血鬼として。タイトルは「エル コンデ」。この作品は、1973年のピノチェトがおこした軍事クーデターから50周年にあたる今年の9月15日にNetflix で放映されるそうです。その後、世界公開も控えてます。さて、「エル コンデ」のピノチェト、チリの廃墟になった邸宅で暮らしてます。しかし250年も生きてきて、もう生きるのに疲れた。そうして、血を飲むのを止めて、永遠の命の特権を放棄しようと決意するのですね。ところがピノチェトには年老いた気難しい妻を始め、その妻と口論の絶えない子供たちから、白系ロシア人の退役軍人から執事になった男などややこしい扶養家族がわんさか。しかも扶養家族たちは、ピノチェトが略奪した数百万$を隠した場所を特定し、それを入手できるようにするため、将軍の書類を法医学的に検査することにも同意してるのです。この作品では、ピノチェトをフランス革命期にフランス軍の反動吸血兵として成人し、マリー・アントワネットに忠誠を誓い、アントワネットの首を略奪した吸血鬼として描かれてます。ピノチェトはヨーロッパ中を漂流し、ドラキュラがイングランド北部ヨークシャーにある港町ウィットビーにたどり着いた(1897年のブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」のこと)ころ、ピノチェトはチリのサンティアゴに到着し、チリの軍隊に加わってクーデターをおこすと云う設定です。ピノチェトの財産を計算するために、数字に強い若くて美しい修道女シスター・カルメンが家を訪れます。カルメンはエクソシストでもあり、不気味な笑みを浮かべながらピノチェト一家全員を尋問し、彼らの数々の悪行や不満をすべて明らかにさせるのです。この作品は、国民と国の生き血を吸いながら生き続けるファシズムを倒すことがいかに難しいかを、面白おかしくコメディタッチで描いてます。あえてモノクロ作品にしたのは、ドラキュラ=ゴシックのイメージを損なわせないためでしょうね。El Conde Trailer #1 (2023)
Sep 9, 2023
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1982年に日本で馴染みのない国の映画が興行収入年間1位になりました。南アフリカ共和国のコメディ映画「ミラクル・ワールド・ブッシュマン」です。南アフリカ・ボツワナ共和国の砂漠に居住する、ブッシュメンと呼ばれていたサン人の生活をコメディタッチで描いた作品です。この作品の主役は"ニカウ"。実はアフリカ南西部に位置するナミビアの俳優なんです。この映画は世界的な大ヒットでシリーズ化し、ニカウは1983年に来日しています。ニカウの生年月日は不詳です。パスポートには1943年生まれと記載されてましたが、パスポート作成の際に生年月日を記載する必要があるため係員が便宜的に書いたものです。映画では裸同然の姿が話題を呼びましたが、ホントウは庭師で、小学校の校庭で映画制作者にスカウトされた時はTシャツ着てました。ニカウの祖国ナミビアは、第2次大戦後、1990年の独立まで、南アフリカによって国際法上違法な併合をされてました。それで映画「ミラクル・ワールド・ブッシュマン」は、南アフリカの映画だったのです。ナミビアは全土が乾燥帯で、世界でもっとも古いと云われるナミブ砂漠が広がっています。また東端に近い地域はカラハリ砂漠に属します。北部の内陸部クヴェライ=エトーシャ盆地にはアフリカ最大の塩湖「エトーシャ塩湖」が広がってます。エトーシャ塩湖とその周辺はエトーシャ国立公園になってます。ナミビアってのは年間300日が晴天で、6月~8月の冬期は乾燥。9月~11月が小雨季。2月~4月が大雨季と月によって気候が目まぐるしく変わる地です。そのナミビアには豊富なダイヤモンドとウランの鉱脈があり、これがナミビア経済を支えてるのですね。治安はアフリカ諸国でも有数に良好だとされてます。またナミビア政府は、2030年までに温室効果ガス排出量を91%削減する目標を掲げており、そのために再生可能エネルギー開発を強力に推し進めてる国でもあります。その再生可能エネルギー開発が、ナミビアの経済をさらに発展させる可能性を秘めてるのですね。燃やしても二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーとして注目が集まる「水素」。この水素の生成にナミビアが非常に適してるのです。実際、ナミビア政府は2021年に、グリーン水素協議会を設立して、水素の開発を最も重要な国家戦略に位置づけてます。考えてもみてください。国土の大半が砂漠のナミビアでは、太陽光発電設備なんて無尽蔵に作れます。風力発電など再エネ資源が豊富な国なんです。しかも大西洋に面してるので水素の原料「海水」にも事欠きません。生産目標は2030年までに100万~200万トン、2040年までに500万~700万トン、2050年までに1,000万~1,200万トンを設定しており、2050年には全世界取引量の5%~8%を見込んでます。この背景にはプーチンによるウクライナ侵攻によって、天然ガスの安定供給ができなくなったヨーロッパから、ドイツ系企業のハイフン・ハイドロジェン・エナジーが、ナミビア初の大規模グリーン水素プロジェクトを計画したことから始まります。このプロジェクトでは大規模なグリーン水素発電所の建設を予定しており、投資予定額は94億$に上るそうです。グリーン水素のほか、アンモニアやメタノールなども生産計画に含まれており、生産された製品は国内消費だけでなく、ヨーロッパや日本などへの輸出も計画されてます。西村経産大臣も8月6日~8月13日まで、アフリカ5か国を歴訪して、ナミビアではクリーン水素分野での協力についても議論されました。日本政府は国内の水素製造と海外からの水素の購入を合わせた水素の導入量を、2040年までに年間1,200万トンに拡大する目標をかかげてます。そのため今後15年間で官民合わせて15兆円の投資を行う予定です。西村大臣に同行したみずほ銀行・みずほ証券はナミビアのグリーン水素コミッショナーと水素・アンモニア等に関する意向表明書に署名。また伊藤忠商事は、ナミビア南西部の大規模グリーン水素プロジェクト開発に参画することが決まってます。日本だけではありません。アメリカも6月に「国家クリーン水素戦略」を発表し、2030年までに年間1,000万トンのクリーン水素製造を目指すとしてます。欧州委員会は2020年にEUの水素政策の基礎となる「水素戦略」を発表。2030年までに最大年間1,000万トンのグリーン水素の域内生産目標を掲げました。2050年までに2.5兆$(約275兆円)の巨大市場に成長すると云われる「水素」。世界の「水素技術総合的競争力ランキング」で、2位の中国にダブルスコアという圧倒的な競争力を持っているのが、なにを隠そう日本なんです。その国内でダントツのトップを走ってるのが「トヨタ」。EVで完全に出遅れたと云われるトヨタの企業戦略が見えますね。その下にもニッサン、ホンダ、パナソニック、住友電工、京セラ、日本特殊陶業、日本ガイシ、東レなど日本企業がトップ20社のうち、9社を占めてます。その水素開発で最も先端をいってる日本の県は山梨県です。山梨県は現在、水素を作る技術で全国有数の研究拠点になってるのですね。水素関連の研究施設が集まってるのが甲府市の米倉山です。施設の中心になっているのが、水素を作る「水電解装置」。太陽光や風力などの再生可能エネルギーで水を電気分解して水素を作る装置です。実は2021年の東京オリンピック・パラリンピックの聖火台や聖火リレートーチにここで生成された水素が使われてたのです。大会関係者らが移動に使う燃料電池車500台のうち、10台分にもここの水素が使われてました。日照時間が長い山梨県では太陽光発電が盛んですが、日ざしが強かったり、電気の需要が少なかったりする日は、発電しすぎて余った電気がムダになってしまいます。それで水素の将来性に早くから着目して、東レとタッグを組んで水電解装置の開発に乗り出してたのですね。東レとタッグを組んだのは「水素イオンを通すフィルター」の開発のためです。今では従来製品の2倍の水素イオンを通すことができるようになりました。このプロジェクトの最終目標は、独自に開発した水素製造システムを海外に輸出していくことです。今年5月、世界保健機関(WHO)はおぞましい予測を出しました。気温上昇で今世紀末までに年間900万人以上が死亡する恐れがあると云うのです。特にアフリカ諸国や貧困国、小さな島で構成される開発途上国など、温暖化ガス排出に最も関与していない国が気候変動による健康被害を受けるとみられています。
Sep 8, 2023
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懐かしいセリフですね「2位じゃダメなんでしょうか」。2009年に民主党政権が事業仕分けで、次世代スーパーコンピュータ「京」の開発計画に関して、蓮舫議員が放った言葉。これによって「京」の開発計画は凍結されてしまった。最先端科学技術の世界では、トップをとってなんぼ。トップであれば使われてる技術で特許もとれますが、そうでなきゃ誰も見向きもしない。スーパーコンピュータ「富岳」は2020年6月以来、4期連続で計算速度トップでしたが、昨年5月にアメリカの最新鋭機「フロンティア」にトップを奪われました。富岳は、産業応用で使う計算の処理速度を測る「HPCG」と、ビッグデータの解析能力の指標となる「Graph500」の2部門で、7期連続トップを維持しました。そもそもスーパーコンピュータってのは何なんでしょう?スーパーコンピュータとPCの動くしくみに違いはありません。スーパーコンピュータってのは、「科学技術計算」に特化した大規模かつ高速な計算能力を有するコンピューターのことです。大きさではありませんが、普通のPCと比べて規模が大きくなるので、必然的に大きなガタイを有するのですね。科学技術計算が目的なので、「浮動小数点演算」の処理能力が高いことが問われます。浮動小数点ってのは、数字を「X」 x 「Y」 ^ 「Z」(XかけるYのZ乗)形式で表現することです。例えば100.05と云う数字を1.0005×10 ^ 2と表現するのが浮動小数点で、コンピュータの計算形式です。世界初の「普通」のコンピュータは1946年に弾道計算用として開発された「エニアック」です。真空管式ですが、これまで機械式計算機で24時間かかってた計算を30秒でやってのけました。世界初の「スーパーコンピュータ」は、アメリカのコントロール・データ・コーポレーション(CDC)が1964年に開発したCDC6600です。開発はスーパーコンピュータの父と呼ばれるシーモア・クレイで、彼は後に自身で「クレイ」社を設立します。シーモア・クレイはクレイ社を設立すると「世界で最も高価な椅子」を開発します。1976年のことです。「世界で最も高価な椅子」は、クレイ社のスーパーコンピュータ、第1号「CRAY-1」のことです。このCRAY-1が商業的に成功した最初のスーパーコンピュータと云われてます。「高価な椅子」の「椅子」はCRAY-1の台座基部がソファーとして腰掛けるのに好都合だったからです。1992年にロバート・レッドフォードが主演した映画「スニーカーズ」に、このCRAY-1に腰掛けてるシーンが登場します。では「世界で最も高価な」とは?CRAY-1の初号機は1977年に「アメリカ大気研究センター(NCAR)」に納品されましたが、このときの本体価格が790万$。当時の為替レートは1$=約280円だったので、当時の価格で22.1億円ほどになります。これに加えてハードディスクが100万$。この椅子は間違いなく世界で最も高価な椅子だったのです。そのため、クレイのスーパーコンピュータは、ごく少数しか売れませんでした。それが逆にクレイのマシンを導入するのは極めて名誉なことと云う風潮になったのですね。その風潮を利用するため、クレイの営業マンはクレイを導入した国の国旗が並ぶデザインのネクタイを使用しました。ちなみに「富岳」の価格は1,300億円です。CRAY-1は、フロン冷却システムを含めて重量5.5トンありました。消費電力は115kWですが、これに冷却システムと外部記憶装置を加えると倍の電力が消費されました。ものすごく熱くなるので、放熱用に全体を「逆C」の字形にして放熱効果をよくするように作られてました。CRAY-1日本第1号機は1980年にセンチュリ・リサーチセンタ東京本社に、同年に第2号機が三菱総合研究所に設置されてます。
Sep 7, 2023
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鳥のヤマシギ(山鴫)の仲間で、北米に生息する唯一のヤマシギに「アメリカヤマシギ」がいます。成鳥で25cm ~30cm 。日本で見られるヤマシギと同じように、長くまっ直ぐなクチバシを持ってます。クチバシの長さは、6cm ~7cm くらいですね。アメリカヤマシギは、秋にカナダ大西洋岸やバージニア北部あたりから南に移動した後、メキシコ湾岸と大西洋岸南東部の州で冬を過ごします。ほとんどのアメリカヤマシギは10月に渡りを開始し、12中旬までに越冬地に到着します。そして2月になると鳥たちは再び北へ向かいますニューヨークでは春をつげる鳥として歓迎されてます。マンハッタンのニューヨーク公共図書館本館裏手にあるブライアントパークが特にアメリカヤマシギが渡ってくる地として有名ですね。野生のアメリカヤマシギの最大寿命は8年くらいです。オウムやフクロウみたいにとてつもなく長生きではありませんが、ウグイスやコマドリなんかと同じくらいですね。で、このアメリカヤマシギの歩き方が独特なんですね。まるでイケイケのお姉さんがダンスしてるかのような。と、説明しても想像つかないので、こちらの動画で確認してください。American woodcocks demonstrating some movesアメリカヤマシギの主食はミミズなんかなんですね。このリズミカルなロッキング行動は、ミミズなんかを地表に近づけるためにやってると云う人もいますが、はっきりした理由はわかりません。どっちにしても、オモロイ生態ですよね。
Sep 6, 2023
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私はオペラと云うものがまったくニガテなんです。なのでドイツ・オペラの巨匠リヒャルト・ワーグナーが26年もの歳月をかけて創りあげたオペラ史上最大級の作品「ニーベルングの指環」もまともに観たことありません。「ニーベルングの指環」で唯一知ってるのは、1979年に巨匠フランシス・フォード・コッポラが監督して、マーロン・ブランドが主演した映画「地獄の黙示録」で使われた「ニーベルングの指環」4部作の2作目「ワルキューレ」で最も有名な「ワルキューレの騎行」ぐらいですね。「地獄の黙示録」ではベトナム戦争時、ロバート・デュヴァル演ずるキルゴア中佐率いる(空の)騎兵隊がベトコン村を武装ヘリで奇襲する場面で、ヘリに積んだオープンリールデッキから大音量で「ワルキューレの騎行」を流しながら村に迫っていきます。もう、この映画のハイライトのひとつだし、「地獄の黙示録」ファンだったら先刻ご承知のシーンですね。Ride of the Valkyries' | Apocalypse Nowワーグナーの「ニーベルングの指環」は、ドイツの叙事詩「ニーベルンゲンの歌」に北欧神話を加味して作られてます。当初は北欧神話の英雄、シグルズの物語をモチーフにした「ジークフリート(シグルズのドイツ語読み)の死」として着想したのですが、次第にワーグナー自身の構想がふくらみ、とてつもない長編の作品になったのですね。北欧神話の「シグルズ(ジークフリート)」が愛した女性の名前はジブリアニメのファンだったら先刻ご承知の名前ですね。「崖の上のポニョ」のポニョの本名はここから取られてます。王女"ブリュンヒルド(ブリュンヒルデ)"。予言の力やルーン文字の知識、魔術の知識を持つ美しいワルキューレ(戦場の女神)です。このブリュンヒルドが主神オーディンに逆らったため、眠りの呪いをかけられてしまいます。こうして彼女はヒンダルフィアル山の上にある、炎に囲まれた館の中で、深い眠りにつくことになるのですね。そんな彼女を救い出したのがシグルズ(ジークフリート)です。シグルズはブリュンヒルドにかけられた眠りの呪いを解くと、優しく愛の言葉をささやきました。ブリュンヒルドもこれを受け入れ、ふたりは結婚の約束を交わすのです。ところがシグルズは後にこの婚約を破棄すると、ギューキ王の娘グズルーンと結婚してしまいます。一方、ブリュンヒルドもブルグントの王グンナル(グンテル)と結婚させられ、しばらくは平穏な結婚生活を送っていましたが、シグルズの妻グズルーンとの口論からシグルズへの想いが再燃。シグルズを忘れられない気持ち同時に、裏切られたと云う思いから、夫とその弟をそそのかしシグルズを暗殺してしまうのです。ジークフリート(北欧神話のシグルズ)と云うと、ドラゴンを屠り、その血を浴びて角のごとく傷つくことのない強靭な皮膚を手に入れたと云う話が有名ですね。なのにブリュンヒルドの夫に殺されてしまう。なんかヘンやなぁ。これはジークフリートの肩甲骨の一点だけ弱点だったのですね。ジークフリートの墓はドイツのオーデンヴァルトにあるオーデンハイム村にあります。なんで元々、北欧神話だったのがドイツに墓あるのか?(笑)ドイツ人は「ニーベルンゲンの歌」の話がよほど好きらしく、ヴォルムスを起点にヴェルトハイムまで「ニーベルンゲン=ジークフリート街道」が整備されてます。ただ「ニーベルンゲン街道」と「ジークフリート街道」は起点・終点は同じでも、北と南で別の街道なんですね。このふたつの街道は観光街道として、つとに有名らしい。さて、残されたジークフリートの妻クリームヒルト(北欧神話のグズルーン)としては憤懣やる方ない。そこで一計を案じます。たまたまフン族の王エッツェルから求婚されたのを幸いに、これを受け入れ、フン族の武力を利用して仇のブルグント国を滅ぼそうと画策するのですね。数年後、エッツェルはフン族の国にブルグントの使節団を招待するのです。騙し討ちです。これに安々応じてしまったルグントの使節団は壮絶な死闘の後、王が捉えられ、クリームヒルトにニーベルンゲンの宝のありかを白状させられそうになります。しかし、これを断ると、クリームヒルトはジークフリートの剣で打ち殺してしまうのですね。クリームヒルトもまた、悲劇の女性です。ジークフリート殺害の復讐を遂げたと思ったら、捕縛された捕虜を斬ったことに憤ったフン族の客将ヒルデブラントにより殺害されてしまうのです。だいたいクリームヒルトの目的もジークフリートの復讐なのか、ニーベルンゲンの宝なのかよく分からないですものね。「ニーベルンゲンの歌」は1924年にオーストリアの監督 フリッツ・ラングによってサイレント映画が制作されてます。第1部「ジークフリート」、第2部「クリームヒルトの復讐」の2部からなり、総上映時間5時間近くにもなるドイツ・サイレント映画の黄金時代を代表する傑作と呼ばれてる作品ですが、ここでは割愛。興味ある方はYouTube ででも探してください。
Sep 5, 2023
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飛行機はと~ぜんエンジンの推力で飛んでいきます。では、飛ぶ方向を決めるのは?方向舵(ラダー)ですね。垂直尾翼の後ろについてる可動部分のことです。簡単に云うと、方向舵は左右の首振り運動をしたり止めたりするためにあるのですね。2つあるラダーペダルに左右それぞれの足をかけて、どっちか踏み込むと、シーソーのように別の片方は手元の方向に動きます。この踏み込む程度で舵角をコントロールするのですね。飛行機の機首を上向かせたり、下向かせたりする装置を昇降舵(エレベータ)と云います。主翼と尾翼を備えた一般的な飛行機だと、水平尾翼後部についてますね。動かし方は操縦桿を手前に倒したり、こっちに引いたり。これで上下左右に動けるワケですが、もうひとつ動きがありますね。飛行機を横転(ローリング)させる動きですね。オートレースなんかで、体重移動でロールするのと同じです。飛行機では旋回飛行をなんかをする場合にローリングさせますが、いくらバイクみたいに体重移動してもロールしませんので、補助翼(エルロン)を使います。補助翼ってのは主翼の後部、縁の外側に付けられてるアレです。アレと云うのは、飛行機に乗ったことある人で主翼部分近くに席をとったことある人だったら見たことあるアレです。こうした複雑な姿勢制御をするのに、よく「ロール・ピッチ・ヨー」が使われます。x軸(ロール)→y軸(ピッチ)→z軸(ヨー)の順に回転行列を決めるやり方です。この考え方って、今では流行りのドローン制御などでも使ってますね。この「ロール・ピッチ・ヨー」の内、ロール角とピッチ角、つまり鉛直に対する方位角を表示するのに使われるのが「姿勢表示器」です。パイロットが飛行機を安定させるのに使う計器ですが、もっぱら計器飛行に使われて、有視界飛行ではほとんど使われません。コックピットの写真を見たことある人だったら「あぁ~アレね」。姿勢表示器は、ロール角とピッチ角を表示する原理により、「飛行機から地上を見たもの(正VfA)」と「地上から飛行機を見たもの(逆VfG)」のふたつがあります。で、この姿勢表示器の構造がオモロイのです。機体のどっかにIC化されたセンサーがついてて、姿勢表示器はそのデータを表示させるだけと思ってたのですね。ところが、実際は姿勢表示器の内部にモーターで高速に回転して、常に水平を保つジャイロが仕掛けられてて、そのデータを表示させてたのです。これは要するに「地球ゴマ」の考え方と一緒です。この考え方、民間機でも軍用機でも同じで、実は人工衛星や宇宙船でも同じです。宇宙船では観測機器を観測対象に向けたり、通信アンテナを正しい方向へ向けたり、軌道制御時の推進方向を精密に保つために、衛星や船体の全体の向きを制御する必要があります。姿勢制御に必要なジャイロセンサやリアクションホイールをパッケージにした三軸姿勢制御モジュールを使っているのです。
Sep 4, 2023
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英語に「abacist(アバスィスト)」と云う単語があります。何かと云うと、「アバカス(abacus)」を使いこなす人のことです。では、アバカスは何かと云うと、ほとんど「そろばん」です。アバカスはもはや西洋では廃れてしまいましたが、アジアやアフリカなどでは今でも商人や事務員がアバカスを使って計算してることがあります。アバカスは、そろばんと同じように枠に金属の細い棒を張って、穴をあけた玉を通して滑らせるようにしたものです。アバカスの歴史はとっても古くて、確認されてる最古のアバカスは、紀元前2,700年にバビロニアのシュメールで発明されたものだそうです。近年になって、まだICやトランジスタが発明される前から計算機は幾種類もありました。私らの世代だと「計算尺」ですね。計算尺は、足し算や引き算に使うのではなく、掛け算や割り算、そして三角関数や対数、平方根など物理計算によく使われてました。私がハム(HAM)の資格試験を受けるとき、計算尺の持ち込みOKでしたが、最近は禁止されてるそうです。今も、もう使いもしないのに計算尺は大切にとってますが、断捨離の原理から行ったらダメですね(笑)この計算尺と同じ考え方で作られたものが、飛行機のパイロットが使う「フライトコンピューター」です。こうした計算尺の欠点は電卓なんかと違い"概数(およその数)"だと云うことですね。目盛りの見方によって計算結果が違ってくると云うこと。この計算尺が駆逐されるキッカケは1972年に発売された世界初の「ポケットに入る関数電卓」、ヒューレットパッカード(HP)のHP-35です。これだと数値が絶対値ででるので、そりゃあ計算尺みたいに概数しかでないものは駆逐されるハズです。関数電卓は私もカシオとキャノンの2台持ってますが、カッコ(括弧)計算なども見たまま入力できるので重宝してます。計算尺に似た考え方の計算機はかなり古くから有ったようです。下の画像は「フラー計算機(Fuller Calculator)」と云う、1921年ごろから作られた計算機です。先端にAのマークが刻印された真鍮製の指針がハンドルに取り付けられていて、シリンダーの目盛りを動かすことによって対数を表示する仕組みらしい。そろばんは、計算尺みたいに概数を示すのではなく、電卓と同じでそのものズバリの結果を表示しますね。云ってみれば、コンピュータと全く同じワケです。欧米人は日本人みたいに「珠算式暗算」ができないので、とにかく計算がニガテ。昔はアメリカなんかに行って買い物すると、店員のお釣り計算にイライラさせられること多かったです。そんなんで、欧米では電卓普及前からさまざまな計算機が売り出されてました。下の画像は「アデックス アダー メカニカルポケット計算機」と云うもので、付属のタッチペンで計算する桁の数字を下までスライドさせて、結果が上に表示されるもの。これは足し算しかできません。これと同じ原理の計算機が日本の「太陽計算機」などで発売されてましたが、欧米品の並行輸入のようです。電卓ない時代の事務所では「機械式計算機」が使われてました。大層な歯車が多数ついた計算機で、初期のものはハンドルまわして計算させ、それの進んだのがハンドル部分をモーターに代えた「電気機械式計算機」です。この計算機はフランスの物理学者"パスカル"も1640年代に製作しており、「パスカルの計算機」と呼ばれてます。さて、そろばんにも電卓と合体したものが売られてたの覚えてらっしゃるでしょうか?電卓が大衆化し、徐々にそろばんから電卓に移行するとき、足し算はそろばんで。掛け算は電卓で計算する人がいました。また、電卓の計算結果がいまひとつ信用できない人もいて、電卓で計算してから、そろばんで検算する人もいました。そんな需要に答えたのが、シャープの「ソロカル」です。電卓で計算したのを、またわざわざ そろばんで検算するなんて、なんともオカシナ話ですが、電卓が出始めたころは、結構こう云う人がいましたね。だったら電卓使わず、旧来通り、そろばんで良かろうと思うのですが。1978年に発売された「EL-8148」をかわきりに、1979年の「EL-8048」、そして1981年の「EL-428」、1984年の「EL-429」とシャープは次々にソロカルを投入していきました。イチバン最初の「EL-8148」の枠は木製でしたが、それ以降はプラスチック製。最後の「EL-429」は電源も太陽電池になりました。私が初めて入社したとき、まだ電動の機械式計算機を使ってました。今や機械式計算機なんて、ビンテージの最たるものですが、当時は普通に使われてましたね。それよりもっと多様されてたのは、そろばんです。なんせ持ち運び簡単だし、電源もいらなくて、ロール紙なんて消耗品もいらない。考えてみれば、よくできた計算機です。
Sep 3, 2023
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イタリアと云えば「ピサの斜塔」。ピサの斜塔は鐘楼ですね。ガリレオ・ガリレイが質量の異なる2つの球を落として、それらが同時に地面に到達することを観測したと云うエピソードが有名ですが、この逸話、実は創作だった可能性が高いそうです。ガリレオ自身が「そんなことしてない」と云ってるそうな。ピサの斜塔は、もともと斜塔にする予定で造られたワケぢゃありません。ところが建設途中に地盤の沈下により塔が傾いていることが発覚。これにより塔は目で見て明らかなほど傾いてしまったのです。そこで塔が倒れてしまわないよう、傾いている側とそうでない側で石の厚さを変えたり、最上階にある7つの鐘の重さを塔のバランスがとれるよう、異なる重さにしたりしてバランスをとってるのです。同じような経緯で、はからずも斜塔になったのが「ボローニャの塔」。そう細かく挽いた豚肉のソーセージ「ボロニアソーセージ」で有名なイタリア北部にある都市ボローニャに建ってる塔です。どれくらい傾いてるか、下からではなく上空から見ればよく分かるのですが、なかなか良い画像がなく唯一1枚だけ。チョット色彩とピントがよくないですが、ご覧ろうじろ。かなり傾いてるのが分かるでしょ。大きく傾いてるのが「ガリゼンダの塔」で高さ47m 、背の高いのが「アジネッリの塔」で高さ97.30m 。ピサの斜塔は1372年に完成してますが、2つの塔はそれより早い1119年に完成してます。登ることができるのは、背の高いアジネッリの塔だけですが、そのアジネッリの塔も実は2.23m も傾いています。この塔が傾いた原因はピサの斜塔と同じです。イザ建て始めてから、土台があまりにも脆弱なのが判明したのです。結果、ガリゼンダの塔は完成することなく、14世紀半ばに半分の大きさに縮小されました。2つの塔を建てたのはアシネッリ一族ですが、これは防衛のためと云うより、権力の象徴のためだったのです。当時、ボローニャではより高い塔を建てることで自らの権力と資財を誇示し互いに競い合ったのです。最盛期には100本近くの塔が建ってましたが、落雷や戦争で現在は24本だけ残ってます。そのふたつがガリゼンダ塔とアジネッリ塔で、今ではボローニャのシンボルとなっているのですね。今、登れる高い方のアジネッリの塔からガリゼンダの塔やボローニャの街並みが見れますが、エレベータはありません。高さ97.30m の頂上まで登るのは498段のらせん階段のみです。それも登る人と下る人が交錯するのが困難なくらい狭い階段です。このため、「健康に問題がある方は登るのを控えて欲しい」と公式サイトで謳ってます。アジネッリの塔に登るには、塔に直接行ってもダメみたいです。先ず、マッジョーレ広場にあるツーリストインフォメーションに行って、予約とチケットをとる必要があります。予約方式によって塔の階段の混雑を緩和する狙いでしょうね。塔からの眺めは下の画像で。たとえボローニャまでたどり着いたとしても、私の足ではとうてい498段の、それもらせん階段は登れませんね。無理して登ろうとしても、この混雑では後の人に迷惑がかかってしまう。しかし、アジネッリ塔だけでなく、ボローニャの街そのものがとてもいい雰囲気です。やっぱイタリアですね。
Sep 2, 2023
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先日、スーパーに買い物いったとき、鼻に酸素チューブをつけて、酸素ボンベをキャリーに載せてるお爺さんが、マスクもせず買い物してて驚いたことがあります。いくらコロナの影響が少なくなって、感染しても風邪程度の症状で済むのは元気な人のこと。みんながそうしてるからと、安易に考えてるのでしょうか?大多数が影響少なくても、自分には感染したら致命傷になりかねないと云うリスクを理解できてないのですね。マスクしてて息苦しいのは分かるけど、死ぬよりはマシと思うのですが...だいたいこの手の高齢者は先ず情報入手が極端に少ない。コロナで云えば5類感染症に位置づけられてから、感染者数の正しい把握は誰もできてないけど、それだけ潜在的な感染者数は多くなってるハズです。だけど高齢者に限って、こうした報道に疎い。リスクマネジメントで云うところの、「リスク特定・分析」が充分でないワケです。リスクが何であるのか分からなければ、手の打ちようがない。こう云うのは、単に年齢だけではありませんね。先日、90歳になるお婆さんが、自宅にかかってきたサギ電話を見抜いて撃退したって報道されてましたが、かと思ったら70代の女性が警察を装った男にキャッシュカードを入れた封筒を渡してしまい、返却されて後で封筒の中を見たらトランプにすり替えられてたって事件がありましたね。結局犯人は捕まったけど、1000万円が引き出されてたって事件。あれだけ警察やデパート、銀行マンが直接自宅を訪ねてキャッシュカードを確認するなんてありえないと報道されてるのに、わざわざ暗証番号まで教えてる。毎日、TVでバカみたいな娯楽番組ばかり観てて、ニュースを観ない?それとも頭に入っていかないのか?長野県の伊那市では過去に大きな水害があって、今でもそうした脆弱な土地に住んでる家族が多いので、災害危険住宅の移転費用を公的資金で援助する制度があります。ところが、この制度を活用して安全な土地に移転したのは数軒しかなく、ほとんどの住民はいつ訪れるか分からない災害に怯えながら旧来の土地に住み続けてる。そりゃあ公的資金だけでは移転費用全額を賄えなくて、持ち出しが多いのは分かるけど、かと云ってまた災害にあったら同じように費用が出ていく。家が全壊でもしようものなら、最初から安全な土地に移っておいた方がヨカッタと泣きをみるワケです。先日来の台風で家が半壊、全壊したお宅で保険に入ってた人でも、満額でた人も居れば、一部の金額しか保証を受けれなかった人も居ますね。修理にかかる前に、何をさておいても先ず壊れた箇所の写真を撮ってたか、撮り忘れたかの違い。そんな修理済みの家見せられて、保険会社だってホントに壊れたか判断つかないのに保証できるハズがない。これも保険契約書をちゃんと読んでるか、必要な情報を事前にチャンと入手してたかの違いだけです。だいたい田舎の高齢者ほど災害にあっても、「生まれ育った家だから」と移転をしぶる。もっと云うのが、「もう年だから、いつ死んでもいいよ」。「いつ死んでもいいよ」と云っても、最低10年は生き続けるのですな、こう云う人は。その10年の間に再び災害にあって、家を修繕しなければならなくなっても、銀行にどっぷり貯め込んでる人以外はローンなんて組めないでしょう。そうでなくても、今のような異常気象だと家そのものの考え方を変えないと。家を新築・改築するなら、私だったら1階は強固なコンクリート作りのガレージにして水害に備えますね。それと瓦屋根だと飛ばされる度に、ブルーシートで覆って修繕を待たないといけない。だったら最初から耐用年数が50年もあるステンレス鋼板屋根にした方が寒暖の影響は受けやすいけど飛ばされる頻度は少ない。ど~しても瓦でないとと云う人だったら、カナメルーフと云う金属瓦も売られてます。こうした屋根の方が瓦より軽いので、建物全体の負荷も少ないのですね。ことさら左様に、リスクマネジメントってのは先ず必要な情報を入手することに尽きるワケです。よく災害で、今までこんなこと起らなかったのに今回は想定外だったと云うのは、昨今の異常気象を鑑みると情報不足が否めないですね。情報が入手できたら次は「リスク回避」ですね。毎年のように台風さなかに田畑を見に行って増水した川に流された高齢者とか、白波が立ってて遊泳禁止の海で泳いでて遭難する若者とか、全部リスクがあるの分かってながらそれを回避しようともしない。先月、24日に和歌山県沖で起きた貨物船の衝突事故だって、まだ事故原因は判明してませんが、どの船員も衝突事故が多い海域と云ってるのに、双方の船が前方確認を怠った確率が高いとか。これもリスクのある海域で必要な措置を怠った結果です。その次が「リスク軽減(低減)」ですね。先月30日に私が更新した「アポロ11号のコンピューター」で、台湾のICメーカー「TSMC」が中国の台湾侵攻に対するリスク低減のために、熊本県菊陽町に半導体製造工場を建設すると述べました。台湾侵攻は一企業では止められないことですが、もしそう云う事態になっても、リスクを最小に抑える方策ですね。もっと身近な例では、地震で工場が半壊・全壊して操業がストップするのを回避するために工場の耐震補強をすると云うのがあります。その次に考えなくてはいけないのが、リスクを別のところに移してしまう「リスク移転」です。生命保険や死亡保険のように、いつ発生するか分からないけど、発生したときに対応する保険類がそうです。年金をかけておくってのも保険の一種でしたが、今の若い方は将来ど~なるか分からなくなってきましたね。今では会社でサーバーを立てて業務している会社より、専門のデータセンターのレンタルサーバーを借りて運営をしてもらう会社の方が多くなりましたが、これもリスク移転のひとつ。そうすることで専門職をおかなくてもよくなるのと同時に、面倒なサーバー管理のリスクから開放されるワケです。逆に自家用車で事故ったとき、自分の懐で賄える額だったらあえて車両保険を使わないケースが「リスク保有」と云います。そうして保険料が高くなるのを防ぐのですね。このようにリスクは避けて通れないし、いつどんなとこでも起こりうること。そのために常に頭を働かせて情報入手と事前の措置が必要になってくるワケですが、まぁほとんどの人は日常的にやってることですね。災害のために非常食や水の備蓄したり、断水対策のためにお風呂の残り湯を溜めておくとか。私ら高齢者の卑近な例では、段差の無いフラットな床にリノベーションするとか、足をとられるのでカーペット類は極力避けるとか。先ずは、いつお迎えがきても残された家族に迷惑かけないよう、断捨離を常に心がけるとか。
Sep 1, 2023
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北川智子と云う歴史学者がいます。1980年生まれと云いますから、今年42歳か3歳ですね。アメリカのハーバード大学で日本史を教えてた方です。この方が昨年に宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙教育センター長になりました。すっごい経歴の持ち主ですよ。カナダのブリティッシュコロンビア大学で幾何代数と生命科学を専攻して卒業。そのままブリティッシュコロンビア大学の大学院でアジア研究の修士課程も修了してます。そしてアメリカのニュージャージー州にあるプリンストン大学で博士課程も修了しました。プリンストン大学と云うのは数学と物理では世界トップレベルで、同大学の30人~40人のノーベル賞受賞者の内、20人が物理学賞受賞者なんです。大学を卒業した後、イギリスのケンブリッジ大学にあるニーダム研究所で研究員、その後ドイツのボンにあるマックス・プランク数学研究所の研究員。さらにカリフォルニア大学・バークレー校の研究員を務めました。著書も数多く出版されてるので、ご存知の方も多いでしょう。いいですね、優秀な女性が表舞台に立つ。自民党の女性局長だった松川るいみたいに、「エッフェル塔ポーズ」をSNSに投稿して世間の批判どころか呆れられたように、女性がお飾りしか出番がないのが日本の現状。松川るいだって、東大法学部卒業なのに(だから?)常識がズレてる。ホントウに世間でもまれて、常識をちゃんとわきまえ、能力のある女性管理職をよう育てられないのですね。これは日本の昔からの構造ですね。むしろ一般企業の方がちゃんとした管理職を育ててる。それでも日本の女性管理職の割合は13.2%に留まってます。その背景には出産や育児などの長期休暇をしても復職できるのがアタリマエの欧米との差ですね。ニュージーランドの前首相ジャシンダ・アーダーンは、「繊細で心配性」である自分が首相を務めたことで「これまでと違うあり方を示せたと思う」と振り返り、「私みたいに」「母親でも、泣き虫でも」国を率いることができると語ってます。その背景にあるのは、女性としての立ち位置を明確に理解して、それでも能力のある人を押し上げる国民性の違いでしょうね。日本の場合は、こうした社会的基盤ができてないから、女性もトップを目指す人が少ないのですね。政府自体が、国際的な評価だけを気にして、女性議員の人数さえ確保できたら、バカでもヘッタクレでもいいやと云う考え方だから、松川るいみたいなのばっかし。これからも、なかなかこの風潮は改善されないのでしょうね。
Aug 31, 2023
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明治の「アポロ」チョコレートは1969年に発売された歴史の古いものです。この年にNASAは宇宙船「アポロ11号」によって人類初の月面着陸をはたしました。チョコレートのアポロの形は、アポロ11号をイメージして造られたのですね。しかしネーミング登録はNASAより明治の方が早かったのです。「アポロ」は新しい造語ではなく、ギリシャ神話に登場する太陽神アポロンに由来してます。アメリカ大統領だったジョン・F・ケネディは1961年の上下両院合同議会の演説で「今後10年以内に人を月に送り、そして安全に帰還させる」と云う声明を発表します。そして10年を待たず、8年と2ヶ月で実際に人を月面に立たせたのです。米ソ冷戦の真っ只中でしたが、この時代がイチバン アメリカが輝いてたように思えますね。アポロ計画に費やされた費用は1961年の計画開始から1972年の月飛行計画終了までに使われた額は254億$(約2.7兆円)。現在の価値だと約12兆円に値すると云われてます。現在のNASAがそうであるように、アポロ計画は科学技術の発展に大きな貢献を果たしています。燃料電池はこの計画で初めて実用化され、コンピュータで工作機械を制御するCNCもアポロの部品製作する過程で開拓されました。とりわけコンピュータ技術の進歩に果たした役割は計り知れません。誘導コンピュータには、より高度で小型で高い計算処理能力が求められたため、集積回路(IC)の開発が強力に後押しされました。そのため、1963年までにアメリカで生産されたICのうち60%以上がアポロ計画で消費されたのです。そんな時代に搭載されてたコンピュータってどんなでしょう?アポロ計画以前、マーキュリー宇宙船(1958年~1963年)にコンピュータは搭載されていませんでした。飛行コースはアトラスブースターの誘導装置任せで、再突入コースは地上のリアルタイム・コンピューティング・センター(RTCC)で算出され、逆噴射時間や噴射姿勢などを宇宙船に送信して、搭乗員は手動で制御していたのですね。続くジェミニ宇宙船(1961年~1966年)にはIBMが開発したジェミニ・デジタル・コンピュータが搭載され、軌道変更やその他の膨大なチェックのために使用されました。このコンピュータは全く冗長性(システムの二重化)を備えていなかったため、故障した時は地上システムでしのぐ必要がありました。対する地上基地では、NASAの飛行管制用データセンターの元祖として、1957年にワシントンのペンシルバニアアベニューに、IBM704(世界初の量産型メインフレームコンピュータ)を備えたリアルタイムコンピューティングセンター(RTCC)を設立したのが始めです。このセンターは初期の宇宙計画だったヴァンガード計画のために設立されたもので、ヴァンガード計画によってアメリカで2番目の人工衛星打ち上げに成功しました。そしてマーキュリー計画では、進化型のIBM7090メインフレームコンピュータが使用されましたが、これがNASA初の冗長コンピュータシステムだったのですね。つまり2台のコンピュータを同時に稼働させて、実際に使うのは片方ですが、それが故障するともう片方を使って処理を継続したワケです。と云っても片方から片方への切り替えは自動でなく、人間の判断による手動切り替えでした。このように、この時代のNASAとIBMは切っても切れない関係でしたが、現在はIBMの技術力ではNASAの仕様を満たさないと他のメーカーに座を奪われてます。昔、フジTVの番組で「トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~」ってのが放送されてましたね。この番組で2003年の放送に「月面着陸に成功したアポロ11号のコンピュータはファミコン以下」ってのがありました。そんなんアタリマエぢゃないですか。日進月歩のコンピュータの世界で、1983年に発売されたファミコンと、1969年に打ち上げられたアポロ11号を比較する方がオカシイ。14年の隔たりがあるのですよ。そもそもアポロ11号のコンピュータは、軌道制御するためだけに使われてたのですから、この程度の仕様だったらコンピューター能力に高性能なんていらない。複雑な計算はすべて地上のコンピュータがやってたのですから。宇宙船のような極端な環境下で使われるコンピュータは最新の部品を使うより、充分、使用実績の有るちょっと古い部品をあえて使うのが常識です。戦闘機などの軍用機も同じ考え方ですね。現在のPCに使われてるCPU(コンピュータの心臓部=マイクロプロセッサ)はほとんどが32ビットで、高性能だと64ビットのもあります。対するアポロ11号のコンピュータは半分の16ビットです。と云っても、市販PC用の16ビットプロセッサは1973年まで待たなければなりませんから、いかにアポロ11号のコンピュータが最先鋭をいってたか窺い知れます。アポロ宇宙船の全航行機能を自動制御し、宇宙飛行士が飛行情報を確認/修正するために使ったコンピュータを「アポロ誘導コンピュータ(AGC)」と呼びます。AGCはチャールズ・スターク・ドレイパー率いるMIT器械工学研究所が設計を行い、ハードウェアは軍需品メーカーのレイセオンが製造しました。レイセオンは高さ48cm 、幅37cm 、奥行き32cm のAGCを1965年までに20台、NASAに納品しました。月への飛行には毎回2つのAGCが使われました。ひとつは司令船で、もうひとつは月着陸船で使われたのです。宇宙飛行士は「ディスキー(DSKY)」と呼ばれる数値表示部とキーパッドから構成される装置でAGCとやりとりします。このふたつの装置はどちらが欠けても機能しません。DSKYだけが唯一、AGCと人間の橋渡し役を担ってたのです。アポロ誘導コンピュータ(AGC)を現代の科学者が分解して研究する動画がYouTube に掲出されてました。それを見ると、この時代のアメリカの装置がいかに丁寧で頑丈に作られてたか容易に想像できます。AGC全体は黄金色のケースに収まってます。これは真鍮をくり抜いて作られてるのですね。真鍮がイチバン、外部からの妨害電波に強いので採用してるのです。内部は機能ごとに全て堅牢なケースに収められたユニット式にして、メンテナンス性をあげてます。どれかのユニットが故障しても、そのユニットだけを取り替えれば処理が続けられるから。この時代のアメリカ製品は軍用無線器など、他の電子機器でも全部この方式を採用してました。デジタル機器なのに、外見はアナログの極みですね。それもデジタルだと16ビットで、一箇所から16本の配線がのびてくるので、これを手作業で作製するのは並のことではありません。まぁ、どっちにしても現代人の目で見てもホレボレするような作りです。これこそ、古き良き時代のアメリカの象徴ですね。中国が台湾を狙う理由のひとつが台湾のTSMC(台湾セミコンダクター)です。現在、最も微細なICはアメリカのインテルとTSMCが製造する3ナノメートル(1ナノメートル=10億分の1メートル)プロセスノードの半導体です。現在IBMが2ナノメートルの半導体を研究してますが、まだ完成してません。もちろん中国にこんな高度な半導体の製造技術はなく、日米による中国への半導体素材輸出規制で、今後 中国の電子機器産業は致命的な状態に陥ります。それが台湾侵攻を懸念してTSMCが熊本県菊陽町に半導体製造工場を建設することに繋がってるワケです。もし、台湾を取られても、代替えの製造拠点を模索しているのですね。それ以外にもTSMCはアメリカにも工場もってます。どっちみち半導体製造装置ではシリコンバレーの世界最大の半導体製造装置メーカーアプライド・マテリアルズと、オランダのASML、日本の東京エレクトロンだけで世界シェアの60%を占めてるし、その下につづくのもカリフォルニアのラムリサーチやKLAテンコール、日立やキヤノンですから、今のままでは中国が大規模集積回路を確保するのは困難な状況なんですね。
Aug 30, 2023
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「ムーンライト・セレナーデ」と云えばスウィング・ジャズの代表曲にして、有名なスタンダード・ナンバーのひとつですね。グレン・ミラー オーケストラのバンドテーマだった。と云うのを知ってるのは、私の年代以上の人ばかりかな?今の人は2004年の映画「スウィングガールズ」での演奏の方が馴染みがあるか。ちなみにグレン・ミラーと云っても、活躍したのは1930年代~40年代ですから、私もリアルタイムで知ってたワケぢゃありません。唯一、私が大阪のフェスティバルホールで初めてジャズの生演奏を聞いたのが、ニュー・グレン・ミラー オーケストラでした。第2次大戦末期の1944年、イギリスからフランスへ慰問演奏に飛び立った後、乗っていたノールダイン ノースマンと云う飛行機がイギリス海峡上で消息を絶って、帰らぬ人となりました。1954年にジェームズ・ステュアート主演で、妻役をジューン・アリソンが演じた映画「グレン・ミラー物語」が有名ですね。この作品も公開当時、私は幼児だったので、後年、ビデオで観ただけですが、グレン・ミラーが消息を絶ったとラジオで知ったジューン・アリソンの健気な姿がなんとも印象的な作品でした。おっと、今日はグレン・ミラーのお話しぢゃなくて、ムーンライト・セレナーデの話でした。この曲を作曲したのはグレン・ミラー本人です。後年のマイルス・デイヴィスみたいに鋭さの全くない、どちらかと云えばのんびりした曲ですが、今の時代にはホッとする一面がありますね。さっそくグレン・ミラーのムーンライト・セレナーデをお聞きいただきましょうか。映画「グレン・ミラー物語」のハイライトシーンをバックにした動画が掲載されてました。動画の中でグレン・ミラー(ジェームズ・ステュアート)が妻(ジューン・アリソン)に80$で買った真珠のネックレスをプレゼントするシーンがでてきます。まだ駆け出しだったグレン・ミラーにはお金が無く、イミテーションの真珠でした。時が経って、いまやヒットメーカーとなった10年目の結婚記念日に彼は妻にホンモノの真珠の首飾りをプレゼントします。これがグレン・ミラーのヒット曲「真珠の首飾り」のきっかけになったのですね。The Glenn Miller Story - Highlights with Moonlight Serenadeムーンライト・セレナーデは、作詞家のミッチェル・パリッシュにより歌詞が書き加えられ、歌としても取り上げられました。日本では1999年に三菱自動車のパジェロイオCMで採用された、小野リサのボサノヴァにアレンジした曲が有名ですね。この偉大な歌手もムーンライト・セレナーデを歌ってました。"フランク・シナトラ"これまたいい感じなので動画を掲出しておきます。ちなみにフランク・シナトラと云えば、ディーン・マーティンやピーター・ローフォードなんかの「シナトラ一家」が有名ですね。そのメンバーのひとりサミー・デイヴィスJr についてオモロイ逸話が。昔、東京のパレスホテルに努めてた人に聞いた話です。1976年にサミー・デイヴィスJr は初来日していて、ホテルオークラや日本武道館でコンサートを開いたのですが、宿泊先はパレスホテルでした。件の知人がまだ新人で、サミー・デイヴィスJr の部屋にルームサービスを運んだときのことです。本人が見当たらない!と、思ったら広いスィートルームの狭い片隅でしゃがんで縮こまっているぢゃないですか。ど~やら「薬」でラリってたみたい。ルームサービスと告げたら、サミー・デイヴィスJr が黙ってチップをくれたんですね。その額が100$。もうドルは変動相場制に移行してましたが、それでも当時1$250円くらいしてたでしょう。なので100$=約2万5千円。これが現在の相場だと1.8倍の価値があるそうですから、約4万5千円のチップと云うことになります。それでは最後にシナトラのムーンライト・セレナーデを。マフィアと関係あるとか、よからぬウワサの絶えなかったシナトラですが、やはり歌は絶品ですね。Frank Sinatra "Moonlight Serenade" 1966
Aug 29, 2023
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イランと云う国を知らない人はウクライナ侵攻するロシアに自爆ドローンを供給して、完全にロシア寄りと思われていますが、もともとイランの指導者は反共主義者が多いため、ソ連時代からロシアとも友好的ではなかったのです。外交は排外主義的な非同盟中立路線を基本にしてました。ところがアメリカ大使館人質事件以降、アメリカからテロ支援国家に指定され、核兵器開発を行っている疑惑もあって経済制裁を受けてたのですね。2015年にオバマ大統領が核合意を締結して制裁解除を取り付けたのに、トランプがこれを破棄して制裁が再開されたため、アメリカと決定的に疎遠になってしまったのです。その見返りがプーチンとの経済協力合意の締結です。つまりトランプの政策が、中立だったイランをロシア寄りにしてしまったのです。イランの北西にはアゼルバイジャンがあります。旅行と観光の経済が最も急速に発展している国の中で第1位のアゼルバイジャンがイランに隣接しているのは、この辺の地理に疎い私には意外でした。西はトルコに隣接しています。しかし、何としてもややこしい位置関係にありますね。首都はテヘランです。イランと云うと、ホメイニーに象徴されるようにイスラーム法学者が絶対的な権力をもっていて、「道徳警察」と呼ばれる警察の別部隊が女性をことさらに抑圧してるので、私にはそれだけで拒否反応が。警察に逮捕されて、留置場で亡くなったアミニさんなんて、ヘッドスカーフの下から髪の毛が少し見えている状態をみとめがれて逮捕されたのですから。しかし、昔のイランは違いました。1940年代には、一気にグラマラスな雰囲気のヘアメイクが流行しだし、50年代~70年代は世界で流行したヘアメイクとほぼ同じスタイルでよかったのです。それが80年代のイラン・イスラーム革命によって、たちまち20年代に逆戻りしてしまったのですね。ところが現在イランを訪れる海外からの観光客は800万人~900万人もいるのです。それも日本に来る欧米人と同じで、首都のテヘランだけでなく、アルボルズ山脈とザグロス山脈でのハイキングやスキー、ペルシャ湾やカスピ海のビーチで保養などさまざまなニーズがあるらしい。その背景には治安が良く、観光客が犯罪に巻き込まれることはほとんど無いからだとされてます。またテヘランの水道水の水質は比較的良好で、直接飲んでも問題ないとされてますが、まぁミネラルを飲むに越したことありませんね。外務省渡航制限でも危険国の指定はありませんが、どの国境周辺も やっぱり危険なので近寄らないようにだってさ。特にイラクとの国境は最危険地帯なので絶対に近づかないようにとのこと。まぁイランくんだりまで旅行される方は稀でしょうが、行こうとしたら直行便が就航してないため、カタールのドーハかUAEのドバイ、もしくはイスタンブール経由になります。昔、ペルシアの首都だったシーラーズだったら、ドーハやドバイでの乗り継ぎで、東京から最短16時間で行けるらしい。ただしがつきます。行くのは行っても、満9歳以上の女性は外国人でも例外なく、公共の場所ではヘジャブ(頭髪を隠すためのスカーフ)と身体の線を隠すためのコートの着用が義務付けられてます。それだけでうっとおしいですね。却って、異国情緒が味わえていいのかな?こんな国(イスラーム国家)だからお酒は絶望的でしょうね。ところが実際のイランをYouTube なんかで観てみると、報道されてるのとかなり違うのですね。女性は抑圧されて、ヘジャブ必ず着用かと思ったら、大多数の女性はヘジャブ被ってますが、被ってない女性もかなりいて、普通に町中でみかけるのですね。亡くなったアミニさんは、見せしめだったのでしょうか?これはよくあることで、報道は実情のホンの一部を切り取って、ことさら左様に誇大リポートする傾向にあります。よく紛争おきてる地域でとてもキケンと云うけれど、実はそれはホンの一部でほとんどの地域は平穏で市民が普通に生活してたり、逆にキケンが日常化して市民そのものが慣れっこになってたり。実情は、実際にその土地に住まないと分かりません。人々の表情見ても、経済制裁で疲弊してる国とは思えないハツラツとしてます。テヘランには巨大なショッピングセンターもあります。そりゃあ首都だからで、地方に行ったら昔のままでしょうと云われそうですが、それは日本だって同じことです。飲食に携わるスタッフは頭髪抜け落ち防止のカバーとマスクを必ずしてて、衛生面も問題なしです。こんなモンなんですね、実情は。結局、行ってみないと分からない。これで政治的にもっと民主的だったら魅力ある国なんかも知れません。
Aug 28, 2023
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1970年にアサドが実権を握ったシリア。2000年にアサドが死去すると、次男のアサド(バッシャール・アル・アサド)が大統領を引き継ぎました。つまりアサド親子による独裁政権が50年以上に渡って続いているワケです。北アフリカのチュニジアでおきた反政府デモを皮切りに中東諸国全域に広がった民主化運動「アラブの春」は、シリアにも波及し、アサド政権を大きく揺さぶりました。こうしてシリア紛争(内戦)が始まったのですね。内戦はアサド政権軍と自由シリア軍・ヌスラ戦線、それにイスラム国(ISIL)が加わって三つ巴の紛争になりましたが、内政にも関わらずロシアが介入して劣勢だったアサド政権軍が息を吹き返すことに。これに加勢したのがイラン。イランはイスラム世界で少数派のシーア派の国。アサド大統領を始めとするシリアの支配者層はシーア派の一派アラウィー派だったためです。そのことに刺激されたのがイランと対立するイスラエル。イラン勢力拡大を抑えるため、イスラエルはシリア政府軍に数百回の空爆など軍事行動を行ってます。そうした内戦のイチバンの被害者は一般市民そのものです。総人口の半数以上が難民または国内避難民になったのです。こんなんで経済維持なんてできるハズありませんよね。海外に避難した難民の83%以上は、シリアと国境を接するトルコ、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプトの5カ国に逃げて悲惨な生活を続けてます。海外に逃亡した難民が悲惨なら、国内避難民も悲惨です。シリア北部に「アレッポ」と云う街があります。アレッポはシリアでも首都のダマスカスと並んで最古の都市の1つです。この街は肥沃な三日月地帯の中心として栄え、農産物や加工品など様々な商品がアレッポに集まり、レバント貿易で賑わう国際市場だったのです。この街の特産品に有名な「アレッポ石鹸」があります。この地域でアルカリ精製方法が発明されたことと、オリーブオイルやローレルオイルの産地だったことで、石鹸産業は古くから続く地場産業だったのです。その石鹸産業も壊滅的な被害にあいました。なぜなら、アレッポの街全体が内戦の激戦地だったからです。そんなアレッポの街にユネスコ世界遺産がありました。なんと紀元前64年から建設が始まった「スーク(市場)」です。世界最古の市場と云われ、また屋根のあるスークとしては世界最大とも云われてる「アル=マディーナ・スーク」です。そんなアル=マディーナ・スークがもっとも栄えたのは15世紀~16世紀です。ヴェネツィア共和国をはじめとするイタリア諸都市と絹布、絨毯、ガラス、鋼鉄、東方から運ばれるスパイス商品など交易の中心地となり、それ以降はアジア、アフリカ、ヨーロッパを交易で結ぶオスマン帝国最大の貿易センターだったのです。17世紀のイラン生糸の年間生産量は1,000トンで、その2/3がこのスークを経由してヨーロッパに運ばれました。そんなアル=マディーナ・スークも2012年の政府軍と反体制派の戦闘で、4,000軒の店舗のうち700~1,000軒が火災被害を受けました。しかし徐々に再建が進んできており、旧日の面影をとり戻しつつあります。こんなとこに庶民のたくましさが垣間見れますね。どんなに叩かれても、どっこい いつの間にか復活してくる。それが庶民のパワーなんでしょうね。アレッポの旧市街は周囲に市壁があって、アル=マディーナ・スークはその市壁の中にあります。通路は強い日差しを避けるため天蓋で覆われ、採光と外気を通すための天窓があるのですね。旧市街の中心にある中世の要塞「アレッポ城」の真西に位置する防衛門「アンターキーヤ門」から入ると、中央道の両側には「香料スーク」と「ヒジャブスーク」が並んでいます。中央道の両側には迷路のような小路が張り巡らされており、路地にはバイクやトラック、ロバなども出入りするなんでもアリの路になってます。スークで買い物しようとすると、値段交渉しなければなりません。近年では定価を表示してるスークもありますが、これもあくまで「おおよその定価」でしかありません。スークの中は特定の商品を売る店が特定の区画に集中しているので、買い物客は気に入ったからからと云ってスグ買うのではなく、他のお店とも交渉してイチバン安い値段つけたとこで買うのですね。同じ商品の店が集まることで、他の店が不釣り合いな高値で売ることを防いでいるのです。しかし、何ですな。先日もプーチンがウクライナのオデーサ歴史地区を攻撃・破壊して「危機遺産」に指定されるなど、戦争だったら何でもアリみたいな風潮。シリア軍もアル=マディーナ・スークと云う文化遺産まで破壊するにとどまらず、シリアで最古の都市アレッポそのものまで破壊していったいどんなイミが。恐らく地政学的なイミよりも、住民の士気をくじき厭戦気分を盛り上げるためだったのでしょうね。そのためには人類が永々と築いてきた文化遺産なんて眼中にないのでしょう。
Aug 27, 2023
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「インド・ヨーロッパ語族」と云うのは、英語などをはじめとするヨーロッパに広がる言語と、インドのヒンディー語、イラン語などが同系統の言語と云うことですね。なんでインド人とヨーロッパ人が同じなのか?言葉も違う、肌の色や顔付き、文化や習慣も違うじゃないか?インド・ヨーロッパ語族と云うのはユーラシアから西アジア、南アジアに広く分布する語族のことです。遠く離れたヨーロッパとインドの言語が同一の系統に属する言語であるという発見は、18世紀末のイギリスのインド学者W・ジョーンズの提唱によります。彼はインドで学んだ古代語であるサンスクリット語と、ギリシア語・ラテン語との構造上の類似に着目し、さらにそれらがヨーロッパの諸言語にも認められることから、これらの言語はみな一つの源から分かれ出たものに違いないと考えたのです。ジョーンズによれば、現在のヨーロッパで広く分布しているゲルマン語(英語、ドイツ語、オランダ語、デンマーク語、スウェーデン語など)ロマンス語(ラテン語、フランス語、イタリア語、スペイン語など)スラヴ語(ロシア語など)やギリシア語などと、インドのサンスクリット語、ヒンディー語、イランのペルシア語などは起源が同じであるとしています。要するにインド=ヨーロッパ語族が世界でもっとも広範に分布していると云うこと。インド・ヨーロッパ語族に属しないヨーロッパの言語に、スペイン・バスク地方のバスク語、フィンランド語やハンガリー語などウラル語族のフィン・ウゴル語派に属する言語、ジョージア語などのコーカサス諸語などが有ります。歴史上、インド=ヨーロッパ語族が登場するのは、紀元前2,000年~紀元前1,500年ころで、遊牧生活していた彼らが一斉に移動を開始。西を目指した多数派は中東からヨーロッパへ、南を目指した少数派はインドへ移動します。ヨーロッパに入ったインド・ヨーロッパ語族はギリシャ、イタリアなど地中海沿岸を中心に定住し、ヨーロッパ世界を形成します。インド地域に入ったインド・ヨーロッパ語族は現地のアジア系統の民族と混血。暑い気候によって肌の色が黒くなり、長い歴史の中で我々がイメージするインド人となっていくのです。インド=ヨーロッパ語族の代表例が紀元前1,600年頃にアナトリアの北中部に位置するハットゥシャを中心に帝国を樹立したアナトリア(現在のトルコ)のヒッタイト。エーゲ海域に南下したギリシア人。地中海を支配したローマ帝国のラテン人、アルプス以北でケルト人、4世紀に大移動を展開したゲルマン人やスラヴ人などです。そして原住地のコーカサス地方からイラン、アフガニスタンを経て、カイバル峠を越え、インドの西北、インダス川流域のパンジャーブ地方に入り、さらにガンジス川流域に広がった征服民族がアーリヤ人です。アーリヤ人は、騎馬戦士と戦車を使って先住民族のドラヴィダ人らの征服を重ねていくのですね。アーリヤ人のヴェーダ神への信仰からバラモン教が生まれ、そこからヒンドゥー教が発展するのです。またアーリヤ人は、イラン地方でペルシア帝国を築いていくのです。アーリヤ人はパンジャブ地方で先住民と融合しながら、牧畜民の生活から農耕技術を身につけ、より肥沃な土地へとさらに移動していきます。紀元前1,000年頃からガンジス川流域に定住し始め、農耕社会を形成していきました。この農業社会の形成過程でアーリヤ人社会にバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの4種姓を基本とする身分秩序「ヴァルナ制」ができ、ポルトガル人が血統を意味するカスタと呼んだところから、「カースト制度」と呼ばれるようになりました。ジプシーもカースト最下層の人が逆にヨーロッパに流れたと云いますね。
Aug 26, 2023
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起業しやすい国と云っても、その前にその国のことを充分知って、かつ生活できるとこでないとダメでしょう。今のニューヨークみたいに物価がべらぼうでは、起業しても軌道に乗るまで生活が維持できるかどうか。要するに、単に税制面とか政治が安定してるとかだけでは起業できないとこがミソですね。数年前まで起業しやすい国トップはずっとニュージーランドで、その後にオーストラリア、カナダ、シンガポールが続いてました。間違ってもアステラス製薬の社員みたいに、拘束の経緯も説明しないまま拘束する中国なんかは俎上に登りません。しかし、現在では欧州勢の方がITを活用してリモートワークをする「デジタルノマド」向けに6ヶ月~数年間といった長期間滞在できる「デジタルノマドビザ」を発行する国が増えており、スウェーデンの「ビジネスネームジェネレーター」の調査ではトップ10に入ったのは、いずれも欧州の国ばかりでした。ビジネスネームジェネレーターの調査で法人税、経済成長率、コストなどの経済的要因や従業員の幸福度、生活の質などの社会的要因なに基づいて割り出された特に注目すべき3カ国は以下の通りです。先ずは「チェコ共和国」。中世の世界が広がるプラハの街並みで有名なチェコです。チェコの起業コストは1人あたりGNI(国民総所得)のわずか1.1%。スタートアップの法人税は19%に抑えられていて、コスト面でのメリットが大きい国のひとつです。チェコの物価は全体的に日本と同じくらいで、ヨーロッパの中では高くない国のひとつです。ワンルームのアパートを借りる場合は月4~5万円くらい。チェコ人の平均月収は約9万円くらいですから、現地で人を雇うのも負担が少ないですね。治安も総じて安定しており、犯罪件数はおおむね漸減傾向にあります。もちろん日本と比べると犯罪発生率が高いのはトーゼンですが、欧州としては少ない方です。チェコに続いて2位につけたのは、「世界一幸福な国」ランキング常時1位のフィンランド。ここも20%と云う低率の法人税が魅力です。ただ現地の人の平均月収が平均4,550$(約66万5千円)と高額なので、人を雇うのが難しいですね。ひとりで仕事するデジタルノマド向けかなぁ?フィンランドも治安は概ね安定しており、ヨーロッパの中でも治安のよい国のひとつのようです。フィンランドのネックは物価ですね。野菜・果物など食品へは税金が14%、その他は24%の課税になり、さらに酒税が高いため、お酒はかなり高価になります。それに加えて人件費が高いから、外食も必然的に高くなります。家賃もヘルシンキだと極めて狭いワンルームで10万円以上が相場です。3つ目はオランダです。この国の起業にかかる費用は1人あたりGNIの4%と高めの水準。法人税は25.8%で、起業としては不利な部類に入ります。しかし、QDL(人生の質、生活の質)ではトップなんです。月給も平均3,943$(約57万6千円)と魅力的な金額です。なので起業と云うより、現地で雇われるのに向いてる国なんですな。その下にデンマークが続いていて、理由は給与が欧州トップクラスと云うから、これも雇用目的の部類か。ただ起業コストも非常に低く、1人当たりGNIの0.2%しかかかりません。その代わり物価は高いですよ~その下がイギリスで、この国のメリットは会社設立費用がゼロと云うこと。法人税率も19%ですからまあまあ。と、云うような状況ですが、私の歳でヨーロッパくんだりまで行って今さら何やるの?単に数値データ見比べるお遊びでした(笑)
Aug 25, 2023
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大阪はまだまだ蝉しぐれがかしましいですが、だんだん弱くなってきてますね。もう朝晩の気温が30℃を下回ってきたので、少しずつ他の虫も鳴き出してますが、本格的に鳴くのは まだちょっと遠そうです。一口に「虫が鳴く」と云うけれど、虫さんが大口開けて「ワンワン」「にゃあにゃあ」鳴くワケありませんな。セミは、腹部にある発振膜と鳴筋と共鳴室からなる発音器で鳴きます。鳴く時は鳴筋がちぢみ、発振膜が中へ引っぱられて音が出るのですね。この発振膜や鳴筋の振動は、アブラゼミで1秒間に100回、発音器は腹部の両側にあるので両方で200回起こるそうです。コオロギなんかは、ご存知の2枚の前羽を擦りあわせて鳴き声を出します。上側のギザギザのヤスリ状になっている右前羽の裏側と下側の左前羽の表側を擦りあわせることによって音がでるそうな。逆にキリギリスは、2枚の前羽のあわせ方がコオロギと左右逆らしい。「鈴虫を 聴く庭下駄を 揃へあり」(高浜虚子)別名「月鈴子(げつれいし)」のスズムシ、俳句の季語はト~ゼン秋です。鈴虫をはじめ、虫の鳴き声を愛でるのは、日本人固有の習慣と云われてます。古来、日本人はスズムシの声で秋を感じ、ホタルの光に郷愁をおぼえ、セミの鳴き声を種類別に聞き分けました。こうした感性は世界的には大変珍しいのですね。スズムシの「リインリン」をはじめマツムシの「チンチロリン」、ウマオイの「スイッチョン」など虫の声を文字で表記する国も他にはありません。東京医科歯科大学の角田忠信教授が1987年にキューバのハバナで開催された国際学会に参加したときのことです。この学会に参加していた日本人は教授ただひとりです。開会式の前夜に歓迎会が開かれ、主催者のキューバ人男性がスピーチしてたときです。教授は会場を覆う激しい「虫の鳴き声」に気をとられていました。なるほど暑い国だなと感心して、周囲の人に「何という虫か」と尋ねてみるのですが、だれも何も聞こえないと云う。そんなことは無いでしょう。こんだけ激しく虫さんが歌ってるのに。しかし、誰一人として聞こえないと云う。どうも日本人の耳と、外国人の耳は違いがあるみたい。教授は日本人の脳が他の民族の脳と違う点を生理学的に追求していきました。その結果、驚くべき発見が見つかったのです。人間の脳は右脳と左脳とに分かれ、それぞれ得意分野があります。右脳は音楽脳とも呼ばれ、音楽や機械音、雑音を処理します。左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持ちます。これは日本人も西洋人も一緒ですね。ところが、虫の鳴き声をどちらの脳で聴くかという点で違いが見つかったのです。西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳で受けとめる、と云うことが実験で明らかになったのです。つまり、日本人は虫の音を「虫の声」として聞いていると云うことです。線路沿いに長年住んでいれば、騒音に慣れて電車が通っても意識しなくなってしまうのと同じで、虫の鳴き声も外国人は騒々しい雑音だと思って、意識に登らなくなっていたのですね。しかし日本人は、虫の声を人の声と同様に言語脳で聞いているので、雑音として聞き流すことができなかったのです。このような特徴は、世界でも日本人とポリネシア人だけに見られるそうです。また、日本人でも外国語を母国語として育てられると西洋型となり、外国人でも日本語を母国語として育つと日本人型になってしまうらしい。脳の物理的構造と云うハードウェアの問題でなく、幼児期にまず母国語としてどの言語を教わったのかと云うソフトウェアの問題らしいです。
Aug 24, 2023
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レバノンと云うと、俳優のキアヌ・リーブスが生まれた国と云うより、私たち日本人にはカルロス・ゴーンが連想されますね。ゴーンの両親がレバノン人で、今でも不動産やブドウ園に投資するなどレバノン国内では大きな存在らしい。とは云っても、ゴーンは国際指名手配犯になっているので、どの国に行っても逮捕されるため、一生レバノンから国外に出れないワケです。レバノンって国は、四国とほぼ同緯度に位置してます。北と東はシリアに、南はイスラエルと国境を接しているので、パレスチナ解放機構(PLO)の拠点がある北部レバノンにイスラエル軍が侵攻してるのですね。レバノンはすでに経済的に破綻してます。2021年に国家財政が破綻し、「デフォルト」すなわち国の借金を返せない状態に陥りました。通貨は1/10に暴落し、物価が高騰。国民の7割以上が貧困状態にあります。原因は宗派対立による政治の混乱と腐敗。国民の54%がイスラム教徒ですが、それもスンナ派、シーア派のほかドゥルーズ派、アラウィー派などが存在します。それに加えて、キリスト教徒が40.4%、5.6%がドゥルーズ派ほか他宗教。キリスト教徒もマロン派が多数派ですが、他に正教会、プロテスタント、ローマ・カトリック教徒も存在してます。まぁ、こんだけ宗教が入り乱れてる国も珍しいですが、だいたい他宗教の人たちが寄り集まって国を作ると揉めごとが多いですね。それに輪をかけたのが2020年に首都ベイルートの港で発生した爆発事故です。この爆発事故で爆発現場となった倉庫は跡形もなく消し飛び、地面は大きくえぐれ、幅124m 、深さ43m のクレーターが形成されました。爆発によりベイルートの半分以上が被害を受け、218人が死亡、7,000人以上が負傷し、最大で30万人が家を破壊されて住む場所を失ったのです。それだけではありませんでした。現場付近にあった穀物倉庫も爆発で破壊され、新型コロナで食糧不足にも関わらず、備蓄されてた穀物の約80%が失われたのです。さらに追い打ちをかけたのが、プーチンによるウクライナ侵攻です。レバノンは小麦の大部分をウクライナからの輸入に頼ってきましたが、それが止まり主食のパンは5割以上も値上がりしてます。まさに踏んだり蹴ったりのレバノンですが、地中海盆地とアラビア内陸部の交差点に位置することから豊かな歴史を持ち、21世紀初頭までは経済的に繁栄していた国です。もともとは農業国でしたが、第2次大戦後のレバノン政府は保護貿易でなく自由経済体制をとりました。このため石油取引に由来する膨大な資金が流入し、中東地域における金融センターとしての地位を確立したのです。航空路のハブとなったことから観光業も発達し、ベイルートは「中東のパリ」と呼ばれたのです。それが1975年から続いた内戦によって、産業・経済は壊滅、人材や駐在企業の多くが他国に退避したため、ついに経済破綻にまで追い込まれたのですね。そんなベイルートに暮らす現在の人々はどんなでしょう。YouTube に現在のベイルートを映し出した動画がUPされてました。電力不足からか、ベイルートの夜はとても暗いですが、それも地域格差がありそうです。首都でこれでは、地方は推して知るべしですね。電線の配線がメチャメチャなのはインドや東南アジアと同じです。ところが一部の富裕層向けなんでしょうが、クラブなんかも営業してるのですね。普通の人々はと云えば、これまた北アフリカや中東の他の国々に住んでる市井の人と同じです。まぁ、どんなに経済的に苦しくても、毎日苦虫かみ潰したような顔して生きていけませんものね。下の画像は中東でお馴染み「ケバブ」のお店です。ここは電灯がしっかり灯ってますが、電力不足対策として発電機を備えてるお店や家庭が多いので、それかも知れません。下の画像はかなり大きなレストランですが、これも富裕層向けなのか分かりません。どっちにしても、ベイルートに暮らす人々も内戦が一段落して平和には暮らしているようです。問題は貧富の格差が大き過ぎることでしょうが、これは何もレバノンだけの問題ではありませんからね。
Aug 23, 2023
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2009年、ロシア宇宙庁長官はアポフィスが2032年に地球に衝突する恐れがあると発表しました。しかし2011年、NASAはアポフィスが地球に衝突する可能性は13万5,000分の1と発表してます。もし衝突した場合、アポフィスのエネルギーはTNT火薬換算で510メガトン相当とされています。実際にどのような影響が出るかは、構成物質、衝突する地点や角度により異なりますが、いずれにせよ数千平方kmにわたり大きな被害が生じるそうです。しかし、氷河期や大量絶滅を引き起こすなど長期間に渡る地球規模の影響が出るとは考えらてません。2013年、NASAはアポフィス接近時における衝突の確率は100万分の1以下で、実質的に衝突可能性ゼロと云えると発表しました。では、そのアポフィスとは何でしょう?アポフィスは、「死の神」の異名を持つ巨大小惑星です。2029年4月13日には、地表からおよそ32,500km 離れたところを通過すると予測されています。これは通信衛星や気象衛星が浮かんでる「静止軌道 (35,786km )」 とほぼ同じ距離ですが、NASAはアポフィスが人工衛星の密集地帯から離れた空間を通過するため、衛星と衝突する可能性は低いと見てます。地球最接近で視等級3.3になり、ヨーロッパ、アフリカ、西アジアにおいては肉眼でも容易に観測できるようになるそうです。2029年以降も、地球に衝突する可能性は2万6千分の1としてます。NASAの予測モデルでは、アポフィスが大西洋上空を通過する際、一時的に赤色からグレーに変わります。それが最接近の瞬間で、最接近の後は昼間の空へ移動して見えなくなると説明しています。今回の接近は、もっと危険な小惑星が地球に接近した場合の対応を探る機会にもなります。恐竜絶滅は、隕石衝突説が最も有力ですね。メキシコのユカタン半島では、中生代白亜紀と新生代古第三紀の境目ごろにできた巨大なクレーターの痕跡 が見つかっています。NASAは、2029年のアポフィス接近を観測することで、惑星衝突防衛に利用できる重要な科学的知識が得られるだろうと述べています。神が悪魔と戦って究極的に勝利をおさめる、聖書における世界最終戦争の場所の名を「ハルマゲドン」と云いますね。例のオウム真理教が到来を主張してるハルマゲドンです。このハルマゲドンをもじったタイトルの映画が1998年にブルース・ウィリス主演で公開された「アルマゲドン」でした。20世紀末に地球の大気圏をテキサス州の大きさに匹敵する小惑星が突破して、18日後には地球環境が致命的な打撃を受ける恐れが判明。それにより地球は、バクテリアすら生き残らない死の惑星へ変貌してしまうのですね。それを阻止せんと小惑星の深部まで穴を掘り、内部で核爆弾を炸裂させて真っ二つに割り軌道を変えるために、石油採掘のスペシャリストたちが宇宙船に乗って小惑星に向かうストーリーでした。現実にそんなことが可能なんでしょうか?NASAも真剣にこの方法を模索していました。しかし、ジョンズ・ホプキンズ大学とメリーランド大学の研究チームによると、小惑星はこれまで考えられていたよりもずっと頑丈で、破壊しようと思えばはるかに強大なエネルギーを必要とすることが分かったのです。研究チームは2つの小惑星が衝突するシミュレーションを実施。直径25kg の小惑星に、直径1.6kg に満たない小型の小惑星模型を秒速4.8km の速度で衝突させる実験を行いました。過去の研究では、この衝突によって大型の小惑星が砕け散ると予想していました。しかし今回の実験によって、大型の小惑星はあまりダメージを受けないことが分かったと云います。「我々はこれまで、大型の小惑星ほど容易に粉砕できると考えていました。大きい小惑星の方が亀裂が生じやすいと見込んでいたからです」「だが今回の実験の結果、小惑星は我々が思っていたよりも頑丈で、完全に粉砕するためにはもっと多くのエネルギーを要することが分かりました」論文を執筆したジョンズ・ホプキンズ大学のチャールズ・エル・ミールはそう述べています。つまり現在のところ、小惑星が地球に衝突するのを回避する方法は見つかってないと云うことです。飽きることなく戦争を続ける人類には"キツイお仕置き"が必要なのかも知れません。
Aug 22, 2023
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暗殺されたアメリカ大統領ジョン・F・ケネディの未亡人ジャクリーン・ケネディと1968年に結婚した「20世紀最大の海運王」アリストテレス・オナシスはギリシャの実業家ですが、生まれたのはオスマン帝国時代のスミルナ(トルコ領イズミル)です。スミルナは第1次大戦で連合国勝利の後、「希土戦争」中の1919年にギリシャによって占領されましたが、1922年にケマル・アタテュルク率いるトルコ軍によって奪還されました。希土戦争と云うのは、ギリシャとトルコの間で行われた戦争で、この戦争でギリシャ軍はトルコ軍に敗北。セーヴル条約で得た領土を失い、現在のギリシャ領がほぼ確定した戦争です。この戦争の影響はトルコにも波及し、アンカラ政府(トルコ国民運動)の影響力が決定的に。1922年にスルタン制廃止、1923年のトルコ共和国建国につながったのです。この戦争当時から生存していたギリシャ人の間では奇妙な日本語が流行ったそうです。その言葉は...「ココロイタイ」。いったい何なんでしょう?希土戦争で敗北したギリシャ。スミルナ(イズミル)を占領していたギリシャ人やトルコ軍の迫害を恐れるアルメニア人らが船でギリシャへ脱出しました。スミルナは東地中海一の港湾都市です。1922年9月、スミルナにもトルコ軍が迫り、ギリシャ人やアルメニア人を次々と虐殺。街は炎上し、港まで追い詰められた人々は逃げ場をなくしパニック状態に陥りました。そして、ついにギリシャへの脱出となったワケです。しかし、彼らの脱出に際して各国の船は自国民を優先して乗船させ、ギリシャ人やアルメニア人は取り残されたのですね。そのとき、一隻の商船が自船に積み込んでた積み荷を海に投棄してスペースを作り、約800人のギリシャ人とアルメニア人を救出したのです。それは多くのギリシャ人の間で語り継がれてますが、記述に残ってるのはほんの少しです。商船の名前は「Tokeimaru」。この船はどんな素性の船なのか?東洋大教授の村田奈々子が、過去の船の記録を調べたり、船会社への聞き取り調査を行ったりした結果、1922年、東地中海に「Tokeimaru」と響きが似た「東慶丸(とうけいまる)」と云う船が渡っていたことを突き止めました。当時の船長が現在の愛知県西部の南知多町出身「日比左三」と云う人物だったことも判明。知多半島に住む左三の親族と接触したところ、左三の母親が熱心なキリスト教正教会の信者だったことが分かりました。ギリシャ人の間で流行った「ココロイタイ」は、東慶丸の乗組員が云った言葉「心が痛い」だったのですね。昨年9月、東マケドニア地方を代表する港湾都市カヴァラ市で「東慶丸100周年記念」イベントが行われました。イベントは、日本とギリシャの国旗掲揚の後、カヴァラ市立交響楽団による日本とギリシャの国歌の演奏から始まり、村田奈々子東洋大教授によって日本商船「東慶丸」に関する講演が行われました。今は「イズミル」と呼ばれてるスミルナは、古来からその美しさが「エーゲ海の真珠」と称えられる港町で、首都イスタンブール、アンカラに次ぐトルコ第3の都市です。今、イズミルはイスタンブールから居を移すトルコ人で過密化が懸念されてます。なぜ、居を移すのか?それはイスタンブールの物価高や渋滞を避けるためではなく、イスラーム教保守派が台頭するイスタンブールから世俗派がイズミルの自由な雰囲気を求めて転出してるからです。たとえイスラーム信徒であっても、極端な宗教観はヨシとしない人も多いのですね。
Aug 21, 2023
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新型コロナがパンデミックになったことで、再注目されたアルベール・カミュの小説「ペスト」。カミュはアルジェリア生まれのフランス人作家で、代表作「異邦人」も舞台はアルジェリアです。(アルジェリアは130年にわたってフランスの支配を受けてました)外務省の渡航情報で、キケンな国のひとつに指定されてるアルジェリア。特にリビア、ニジェール、マリ、モーリタニアとの国境地帯は直ちに退避してくださいの「退避勧告」指定地。ほかの地域も渡航中止勧告や不要不急の渡航は止めてくださいと、ひとつとして安全と云う言葉がでてこない。危険レベルが最も高い地域はイスラム過激派組織や武器・麻薬密売業者が活動している地域です。その他の地域でも、市街地から離れた森林、山岳、砂漠地帯などではテロリストが潜伏・活動している恐れがあると云う絶対近づきたいと思えない国ですね。アルジェリアと云うと、北アフリカにあって、チュニジアやリビア、ニジェール、モロッコなんかと国境を接してる国ですね。アフリカで地震災害なんて聞き慣れませんが、アルジェリア北部地域はユーラシアプレートとアフリカプレートの境界にあって、過去に大規模地震で多数の被害者が出ている国なんです。2003年のアルジェリア地震(ブーメルデス地震)では、2,300人あまりが亡くなりました。この大災害に対し、日本は国際緊急援助隊の救助チーム61人、医療チーム22人、そして専門家チーム7人を派遣してます。このとき初めて救助犬派遣専門家チームも同行し、アルジェリア政府の震災対策本部、住宅省、公共事業省と協力して、建造物の耐震診断、倒壊をまぬがれた建築物の補強方法、社会インフラの復興計画策定、都市復興に必要な行政の取り組みなど技術的な助言を提供してます。また「教育セクター震災復興事業」として、震災で被害にあった小中高の学校再建支援として約20億円を拠出してます。実は同じ地震国として日本とアルジェリアは古くから連携をおこなってるのです。1995年の阪神・淡路大震災のとき、アルジェリアから巨大テント90張りが提供されました。このテントは砂嵐にも耐えられるように作られているため大いに役立ち、「アルジェリア・テント」と親しみを込めて呼ばれたのです。そのことを受けてブーメルデス地震では、神戸の海外災害援助市民センターが中心になって「今度は私たちがアルジェリアの人びとにテントを返そう」と募金活動をしました。これを「お返しテント」と呼んでいます。2011年の東日本大震災ではアルジェリアから1,000万$(約1億5,000万円)の義援金が提供されました。そして、2003年のブーメルデス地震を受けて設立されたアルジェリア国立地震工学研究所(CGS)は日本のJICAと相互に構造物耐震性強化プログラムとして、耐震実験に関する専門家派遣協力プロジェクトなどを実施してるのです。
Aug 20, 2023
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1963年に日本公開されたピーター・オトゥール主演の映画「アラビアのロレンス」は、オスマン帝国からのアラブ独立闘争を描いた作品でした。この映画でイギリス陸軍のロレンス少佐は、アラブ軍とともにオスマン帝国のヒジャーズ鉄道線路に爆弾を仕掛けて機関車を爆破すると云うシーンがでてきます。ヒジャーズ鉄道は、シリアのダマスカスからサウジアラビアの聖地マディーナ(メディナ)までの区間を、シリア、ヨルダン、アラビア半島西部のヒジャーズ地方を縦断する総延長1,308km の鉄道です。しかし、アラブ軍に破壊された後、路線のほとんどは再建されることはありませんでした。しかし何ですな、こんな全く何もない砂漠にどんな目的があって列車を走らしていたのでしょう?ヒジャーズ鉄道の場合、ムスリムの聖地マッカやマディーナへ向かうハッジ(大巡礼)巡礼者たちの交通のためと謳ってますが、真の目的は、オスマン帝国の宗教に対する支配やヒジャーズ地方に対する軍事支配を強めるためだったのですね。同じように砂漠を走る鉄道が今も現役で活躍してるとこがあります。「モーリタニア鉄道」。モーリタニアのズエラットとヌアディブを結ぶ鉄道です。こちらはズエラットの近郊フデリック鉱山から産出された鉄鉱石を、積み出し港であるヌアディブまで運ぶために開発されました。ズエラットはモーリタニア北部では最大の都市で、ヌアディブは首都のヌアクショットに次ぐモーリタニア第2の都市です。そもそもモーリタニアそのものが(私には)分からない。アフリカ北西部の国で、北西に西サハラがあります。アラブ系民族のムーア人が支配してる国で、ムーア人と云うとフランスのコルシカ島「テスタ・モーラ」とイタリアのサルデーニャ島「4人のムーア人」の「はちまき」を巻いたムーア人の横顔をデザインした旗が有名ですね。ムーア人とはアルジェリアやモロッコ、チュニジアにイスラム帝国が築かれる以前から住んでた人々のことです。モーリタニアと云えば日本に輸出される「タコ(蛸)」が有名ですね。輸入もののタコは、ほとんどモーリタニア産です。このタコ漁を推し進めたのは中村正明と云うJICA(国際協力事業団)職員でした。彼はJICAから派遣された、たったひとりの日本人だったのです。もともとモーリタニアと云う国では漁業が発達してなかったのですね。それを良好なタコの漁場がある事を知った中村がタコ漁を推し進めたのです。タコ漁によって、公務員の数倍以上の収入が得られることをモーリタニア人が知り、どんどん参入する人が増加。今ではタコツボまで現地生産してます。そんな関係もあって、国土の80%が砂漠と云う貧しい国なのに、東日本大震災のときには総額4,570万円がモーリタニアから寄付されました。意外に思われるかも知れませんが、モーリタニアは夜でも女性が一人歩きできる安全な国なんですね。モーリタニア人の人柄は純朴でシャイでおとなしいらしいです。さてモーリタニア鉄道。この列車はディーゼル機関車3~4両で牽引してます。なにしろ最大230両の貨車をつないだ全長3km にも及ぶ、世界でもっとも長い列車なので、とてもディーゼル機関車1両では牽引しきれない。大半の車両は鉱石車ですが、タンク車なども連結しており、末尾には客車も連結されています。客車に乗る場合はと~ぜん料金がかかりますが、貨車に乗る場合は無料なんですね。ジャーナリストで作家のピーター・ホップカークが、このモーリタニア鉄道に乗った記録がYouTube にUPされてました。さきほどモーリタニア鉄道で貨車に乗る場合、料金無料と述べましたが、ホップカークはヒジャーズ鉄道の調査チームに同行していた写真家が、熱中症で突然膝から崩れ落ち死亡したと述べてますから、屋根のない貨車なんかではとうてい常人は移動できないですね。ホップカークが乗車したのは始発地点のズエラットからではなく、途中のテメイミチャットと云う町(?)からですが、町の名前は英語を私が勝手にローマ字読みしてるだけなので、正しいか定かでありません。ネットで調べても「TEMEIMICHAT」では全くヒットしませんでしたので小さな町なんでしょう。降車地は終点のヌアディブで、西サハラの国境に沿って直進します。ちなみに「西サハラ」と云うのはサハラ砂漠の西ではなく、「サハラ・アラブ民主共和国」と云うれっきとした国名なんです。乗車したテメイミチャットは、こんな何もない地です。町ではないですね。招かれた客室は車両1両まるまる使ったコンパートメント。こりゃあ快適そう。こっちは一般乗客が乗る車両。お客は全員欧米人でした。列車のすれ違いはこんな感じ。しかし、見事になぁ~んにも無い土地ですね。こりゃあ船旅以上に退屈しそう。途中の給水ポイントで大型タンクと人間に給水します。これが給水するための井戸。中の水は真っ黒けで泡がたってました。車両の前部には現地の人たちの荷物が山のように。貨物車の乗車は無料なので、現地の人々は長い道中、ここで昼夜を過ごします。こうして終点のヌアディブに到着。ヌアディブは港町なのに、列車が停車した場所は相変わらず砂漠のド・真ん中でした。
Aug 19, 2023
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ほとんどの日本人にもっとも馴染みない国々のひとつが、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンなどの旧ソ連諸国であるトルキスタンの国々ですね。カザフスタン、キルギス(クルグズスタン)、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンなど国名が「スタン」で終わってるのは「スタン=国」と云うイミかららしい。これらの国々と云えばシルクロードの中継地。作家の井上靖や司馬遼太郎がたびたび訪れてた国々ですね。きょうはトルキスタンの国のひとつウズベキスタンのお話し。ウズベキスタンと云えば「東方の真珠」「青の都」と称される「サマルカンド」が有名ですが、首都はタシュケントですね。ウズベキスタンは世界に2つしか無い二重内陸国です。つまり海へ出るためには隣国を2つ越える必要があって、しかも海と繋がる河川がない国なんです。二重内陸国のもうひとつはスイスとオーストリアに囲まれたリヒテンシュタインです。なのでウズベキスタンの国土は日本の約1.2倍もあるのに、生活できるのは国土の10%に満たないオアシス然とした土地だけ。残りは「赤い砂」を意味する広大なキジルクム砂漠と険しい山々で占められてます。ウズベキスタンと隣国カザフスタンに跨って「アラル海」と云うものがありますが、これは海ではなく「塩湖」です。このアラル海は20世紀最大の環境破壊によって消えゆく湖なんです。やったのはソ連(ロシア)です。1940年代にソ連は占領していたウズベキスタンで「自然改造計画」を実行し、綿花栽培のために大規模な灌漑を始めたのです。その結果1960年を境にアラル海の面積は急激に縮小し、70年代末には塩分濃度の上昇で魚が取れなくなりました。そして1989年には小アラル海と大アラル海に分断されるにいたったのです。こうして9割の漁民が他地域に移住したり、転廃業して、幾つもの村が廃村になりました。さらに干上がった湖底から砂嵐が舞い上がり、塩害で住民の健康被害や植生の破壊を引き起こしてしまったのです。地理的にモンゴルに征服されたのは容易に想像つきますね。モンゴル帝国に征服されたのは13世紀です。14世紀にはこの地から興った中央アジアからイランにかけて支配したイスラム帝国「ティムール朝」が征服します。それがまた地理的条件からロシア帝国、後にはソ連に征服されたのが19世紀。1991年のソ連崩壊によってやっとこさ独立にこぎつけました。ウズベキスタン人は他の中央アジアと同じく基本的にモンゴロイドです。そこにコーカソイドが混じっているのですね。なので目鼻立ちがハッキリしています。人種の84%以上をウズベク系が占めるほか、タジク系、カザフ系、カラカルパク系、ロシア系などの人たちも生活してます。ウズベキスタン人は美男美女が多いのでも有名ですね。いろんな血が入り混じってるからでしょうね。中央アジアや新疆ウイグル自治区では、眉毛を繋げている女性を見かけることが多かったです。これは、眉毛が繋がった女性は美しいという感覚が共有されたためですが、最近は昔ほど見かけなくなりました。ウズベキスタンでもよほど地方に行かないと、眉の繋がった女性と出会うのは難しいらしい。さて、そんなシルクロードの地ウズベキスタンってどんなでしょう。気候は典型的な大陸性気候ですから、夏と冬の温度差が大きいのは容易に想像できますね。真夏は40℃超えることもあるそうですが、逆に冬は-10℃以下になることもあるそうです。なので旅行するなら日本と変わらず春と秋と云うことになります。旅行でイチバン気になる治安はど~でしょう?東部国境付近はテロ組織だけでなく反政府勢力が抗争を繰り広げているため、非常に危険らしいですが、都市部の治安は平穏なんですね。夜遅い時間、22時前後でも若い女性が1人で街を出歩いていたりします。ウズベキスタンの都市部をYouTube なんかで観て驚くのが、道路がゴミひとつ落ちてなくキレイなことです。だいたい街の美観は、その国の治安に左右されることが多いですが、ウズベキスタン人の意識が高いことが示されてます。公共交通機関を見ても、非常にキレイで、みんなマナーを守って乗車しています。交通マナーも整然と守られてますね。首都のタシュケントのほか、アンディジャン、ブハラ、サマルカンド、ナマンガン、ヒヴァなど華麗かつ壮大なイスラム建築群がウズベキスタンの見どころですが、同時に近代建築も多数あり、これはとても発展途上国の範疇ではありませんね。むしろ東南アジア諸国の方が発展途上国然としてますが、その上手をいくのが東京を除く日本です。もはや日本なんて、ハード面だけ見たらアジアの盟主とはとても云えない状況なんですよ。旅行で問題は言葉ですね。観光客を相手にしている観光案内窓口やホテルでは英語が通じますが、土産物店や食料品店、タクシーに乗る際はウズベク語でないと通じないらしい。日本からだとウズベキスタン航空が、タシュケント国際空港に直行便を飛ばしています。所要フライト時間は9時間あまりなので、日本からインドのニューデリー行くより所要時間は短いくらいです。現在ウズベキスタンへの観光客が急増していて、タシケントなどは海外のホテルチェーンの大規模ホテルが数多く運営されてるそうです。
Aug 18, 2023
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2016年に医師を引退した男性が、額にも入ってない14点の絵画をパリにあるオークションハウス「タジャン(Tajan)」に持ち込みました。タジャンは比較的低価格のアイテムが出品されるオークションハウスです。絵は男性の父親が収集していたもので、男性自身も絵の出自については全く知りませんでした。タジャンで古典絵画のディレクターを務めるサディー・プレートが持ち込まれた絵を鑑定していたところ、その中の1点を見た時、「単なる16世紀の絵画とは違うセンスを感じた」のです。プレートはこの絵を古典絵画アドバイザーのパトリック・デ・ベイザーにセカンド・オピニオンを求めました。デ・ベイザーは一瞬ミケランジェロの作品かと思いました。ところが影の描き方が独特なのに気づきました。デ・ベイザーは「この絵画が左利きの画家によって描かれたことに気付きましたか」と云うのです。そして絵画の背面に描かれた光や影についてのスケッチと、左手で書かれた文章を発見しました。16世紀の画家で、左利きと云えば、かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチです。彼も左利きで、右から左に描くことで知られています。ダ・ヴィンチは左利きですが、弟子の中に左利きの画家はいません。2人はお互いを見つめ「信じられないことだがダ・ヴィンチの作品ではないか」と。しかし、左利きだけでダ・ヴィンチ作品とは決めつけられません。こんどはメトロポリタン美術館でイタリアとスペイン絵画部門の専門職員として働くカルメン・C・バンバック博士にサード・オピニオンを頼みました。バンバック博士はダ・ヴィンチに関する論文を発表したこともあるダ・ヴィンチ研究の権威です。バンバック博士は初めてその絵画を目にした時のことを「自分の目が飛び出たのではないかと思いました」と述壊してます。鑑定の結果、バンバック博士も画風などから紛れもなくダ・ヴィンチの作品そのものであると確信したのです。ダ・ヴィンチの作品は15~20作品ほどしか見つかっておらず、非常に希少価値が高いものです。この作品の表側には、木に身を縛り付けられた聖セバスティアヌスが描かれており、裏側には光と影に関する略図が、ダ・ヴィンチのもと見られるメモと共に描かれています。この絵画は2017年にオークションに出される予定でした。出品されれば、1,580万$(約18億1,900万円)の価値があると評価されてました。しかし、最終的にはオークションではなくルーブル美術館が引き取ることになりました。フランス政府はこの絵画について「国の宝」「希少なアイテム」と述べ、作品がダ・ヴィンチの描いたものであることは議論の余地がないとする専門家の意見に同意しました。これまでも、オークションにダ・ヴィンチ作品が突然出品されたことがありました。「サルバトール・ムンディ」と云う絵画は1958年にオークション出品されたところ複製と判断され、わずか45ポンド(約15万円)で落札されました。その後、2005年にニューヨークの美術商がこの絵画を1万$(約100万円)たらずで入手し修復したところ、ダ・ヴィンチの絵画であることが判明。2013年にはロシア人富豪ドミトリー・リボロフレフが1億2,750$(約140億円)で買い取り、2017年にはオークションで4億5,031万2,500$(約508億円)で落札されてます。絵画の鑑識では、先ず使ってるペンや筆の種類が見られ、次に筆跡がどのように動いているのか見られます。そしてインクがどこに溜まっているかなどが調べられ、それら全てを比較することで誰が描いたのかと云うことが調べられます。たとえオリジナル作品を忠実に複製しても、インク溜まりにまで気を使う画家は少ないので、インク溜まりの形は本物か偽物かを特定する上で大きな手がかりなんです。鑑識を終えた絵画は、次に出どころを調査します。出どころの調査では絵画の所有に関する歴史的な文書と絵画の存在が一致するかを調べるのです。ダ・ヴィンチの聖セバスティアヌス絵画について云えば、自身のノートに、未完作品の準備として8枚の聖セバスティアヌスのスケッチを描いたことを記していました。このうち1枚は既に発見されており、2016年に発見されたスケッチは2枚目と云うことになります。と、云うことは、まだ6枚のスケッチがどこかに眠っているワケです。みなさんの秘蔵絵画にそれが有るかも知れませんよ~
Aug 17, 2023
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キングジムと云うと、自宅では「テプラ」とマンションの管理組合役員だったころの書類を整理するためのファイルカバーくらいしかありません。もはやテプラの出番なんてほとんど有りませんが、それでもヨメはときどき使ってるようです。キングジムってのは、文具メーカーとして老舗ですね。創業は1927年(昭和2年)。創業者の宮本英太郎が、考案、開発した切抜式の「人名簿」と「印鑑簿」を売るための店「名鑑堂」を開店したのがキングジムの前身です。宮本英太郎はもともと材木商でした。それまで大福帳しかなかった時代に、アルバム式名簿帳として発売されたのが「人名簿」。これは差出人の部分を付属しているセルロイドの定規で切り抜いてファイリングできる機能もありました。そうとうなアイディアマンだったのですね。今の社名「キングジム」に変えたのは1961年(昭和36年)。「事務用品の王さまを目指す」意気込みから名鑑堂の商う商品に「キング」を冠して展開してたのが、それだったらいっそのこと「キングジム」と社名を変えてしまえと云うのが社名変更の理由です。キングジムの「ジム」は「事務用品」を短縮しただけですが、このジムでトラブルが。キングジムと云う社名が浸透する前は、よくボクシングのジムと間違えられたそうな(笑)パイプ式ファイルを日本で初めて発売したのもキングジムです。ポリプロピレン溶着式クリアーファイル「クリアーファイル」を世界で初めて販売したのもキングジムです。とにかく現在でもファイルと云えばキングジムですよね。そして大ヒット作ラベルライター「テプラ」を発売したのが1988年(昭和63年)。これって実はブラザー工業のOEM製品だったのですね。これは「ファイルの背見出しのタイトル書きを何とかしよう」から生まれたアイディアらしい。どっちにしても、当時 画期的な製品でした。今ではブラザー工業自体もラベルライター出してるし、カシオでも同様ですね。スマホで文字を作って印刷するラベルプリンターも多種あります。そして、これまた大ヒット作のデジタルメモ「ポメラ(pomera)」の発売が2008年(平成20年)。「ポメラ」の名称は「ポケット・メモライター」を略したものだったのですね。これはテキスト文字(なんの装飾もされていない文字だけのデータ)の入力と保存に特化していて、簡単に云えば昔のワープロから文字装飾やプリンターを取り除いたモンです。テキスト文字に特化してるのは、そうすることで後でどんなアプリででも読み込んで加工できるからです。しかも日本語入力システムにはジャストシステム(懐かしいなぁ一太郎に花子)のATOK(エイトック)を搭載。しかもしかも「親指シフト」キーボードですよ~!富士通のワープロ「OASYS」に採用されてた日本語入力に最適なキーボード。これを見るとポメラがグーグルなんかの音声入力ユーザーなんかを対象にしてないのがハッキリしますね。あくまで会議の議事録入力とかのビジネス用途や作家さんなんかの文筆活動をターゲットにしている。ノートPCでは重いし、文字入力に不要な多機能化があったりで帯に短し襷に長し。それを解消したのがポメラだったのです。しかしポメラの発売はそうとう勇気いったでしょうね。今どきノートPC全盛の時代に、ノートPCの単一ソフトだけを扱う機器なんて、普通の感覚では開発できないものです。これは開発者が重いノートPCをいつもカバンに入れて作業してたけど、ふと気づいたら、そのノートPCで使ってるのはワープロ機能だけだったからです。それだったら、文庫本サイズのボディーに折りたたみ式のキーボードとモノクロ液晶がついただけのシンプルな製品でいいぢゃないか。そうして生まれたのがポメラだったのです。今でこそUSBで充電できるバッテリー内蔵になってますが、最初の機種なんて乾電池で作動するタイプ。これも乾電池なら、コンビニででも売ってるのでバッテリー切れに対処しやすいからです。最新のポメラDM250で重さ620g 、最初に発売したポメラなんて370g しかありませんでした。それより電源入れると瞬時に立ち上がり作業が始められるのがウリ。ポメラ開発者はこれを開発したときは、「通信機能がなくメールのやり取りもウェブの閲覧もできないような機器が注目を浴びるとは思ってもいなかった」と語ってます。ところがポメラを発表した直後から、その反響の大きさにびっくりしたと云います。特にネットのヘビーユーザーからの反響が大きかった。何から何までネット接続が必要というワケではなく、場面に応じてツールを使い分けるのが実態だったのですね。しかし当たるか当たらないか分からん商品開発を自由にやらせるキングジムの社風そのものが痛快ですね。創業者 宮本英太郎の意気込みが、そのまま現在も受け継がれてる証拠です。
Aug 16, 2023
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ほんの数十年前、ハリウッド映画でCG合成を行うとき、何十台ものPCを同時に動かして、見かけ上のPC処理能力を強力にしなければなりませんでした。また小規模事業所用のスーパーコンピュータが何百万円もの価格で売られてたこともあります。それらのハードウェアは今や過去の遺物。いまどき、家庭用のPCでもそれを凌駕するくらい処理能力が向上したためです。ことさら左様にハードウェアが進化し続けることによって、今度はAIのようにソフトウェアのイノベーションが驚異的なスピードで進んできたワケですね。AI「ChatGPT」を私も使ってますが、活用にほど遠い状況です。恐らく一般用途にChatGPT 自体が充分対応してないのでは?とにかくコンピュータとそれをとりまく環境は静かなブレイクスルーとして身近なものになってきてるワケです。考えてください、AIの初期段階では囲碁や将棋でAIが人間に勝利したなんて単純な能力しかありませんでした。過去の指し手をビッグデータに溜め込んで、最適な指し手をAIが選択するなんてしごくと~ぜんのこと。要するに「単純な能力しかなかった」のではなく「AIの使い方を模索していた」時期だったのでしょう。今では無人のコンビニがあったり、倉庫のピッキングから移動まで無人でおこなったり、LCCのチェックインを全て機械対応にしたり、どんどん自動化が進んでいってます。その背景にあるのは、人件費の軽減と人的ミス防止のためです。こうすることによって、例えばAmazon でピッキングするアルバイトが規定時間内にピッキングできないとペナルティがあったり、ピッキング中は仲間通しで会話してはいけないなんて規定を設ける必要も無いワケです。軍事用ドローンの開発でアメリカがイチバン進んでるのは、戦争のとき兵士の死者が増えると、アメリカでは必ず反戦運動が盛んになるので、兵士を使わない戦争を模索しているためです。どちらもマイナンバーカード紐づけミスのように、日本政府がイチバン不得意にしてる分野ですな。こうしたハードウェアとソフトウェアの進歩がどんどん進むとど~云うことが起こるのか?18世紀半ば~19世紀にかけて起こった「産業革命」と同じです。新しい雇用が生まれると同時に、今まであった職種が全くなくなることも。先日来、ハリウッドの俳優組合がストしたのも、1度だけ俳優の姿を3Dスキャナーで取り込んでしまえば、後は映画製作のすべてをCGだけで、つまり俳優抜きでできることから発生しましたね。もっと古くは無声映画から音声がついたトーキー映画の発達によって、「活弁士」が失職したときのように。遠からず、例えばタクシーやバスは全て無人化されて、決済はすべてスマホで。例えば、病院に行ったら全身スキャーで症状を読み込んでAIが診断し、AIが手術する。例えば、現在すでに行われてますが、AIがプログラミング全てをおこなう。その裏にあるのは、これまで携わってきた職業が人間不要になると云うことです。実際、ファミレスなんかではスタッフではなく、ロボットが料理運んでますものね。こうしたイノベーションによって無くなってしまう職業もあれば、新しく創出される職業もあるでしょう。問題はイノベーションの過渡期です。例えば、運搬トラックが全て自動化されると、運転手はお役御免になります。つまり失職するワケです。自動化が全て行き渡ればそれは仕方ないことですが、過渡期では?深刻な運転手不足がおこります。ゆくゆく失職する職業に就く運転手がいるワケありません。おそらく、この過渡期にたいへんな人材不足が起こるのでは?今でさえ、一般事務員や銀行員のようにルーティン化された業務が多いとか、レジ打ちや在庫管理、発注業務などのスーパーやコンビニなどの業務、オートメーション化された業務の多い工場とか、いくらでもコンピュータがとって代われる職業があります。そして、こうしたイノベーションは、我々が想像するよりはるかに早いスピード展開するのが過去の事例で窺えます。鹿島建設をはじめとする建設業者では、重機や建機にAIを搭載し、無人で土砂を降ろしたり踏み固めたりすると云った実験が既におこなわれてます。電車の運転手のように、決まった軌道を決められた時間に走らせるなんてのは人間よりもコンピュータの得意とするところです。どんどん自動化が進んでいく過渡期に、いろんな職業で人材不足が発生すると思われてなりません。つまりイノベーションは過渡期をどう乗り切るのかで勝負が決するような。
Aug 15, 2023
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今年の7月、イギリスのブリティッシュ・エアウェイズ(BA)252便は西インド諸島にあるイギリス領タークス・カイコス諸島からロンドンへ向かっていました。同便はタークス・カイコス諸島のプロビデンシアレスを離陸し、バハマのナッソーを経由して、ロンドンのヒースロー国際空港に到着。フライト時間は12.5時間に及びます。ところがこのフライトの最中、機材にトラブルが発生したのですね。BAはトラブルの詳細を公表してませんが、SNS上には機内食を保管する冷蔵庫が故障したと書き込みがあります。機内食は全て投棄されてしまいました。要するに、12.5時間のフライトで、食事が提供できない事態におちいったのです。BAがとった処置は...寄港地のバハマに着いたとき、BA職員がケンタッキーフライドチキン(KFC)を急いでかき集めたのです。乗客に配られたチキンは1人1個だけでしたが、何もでないよりマシ。乗客にはロンドン到着後、軽食券が支給されたそうです。閑話休題。カクテルの王様と云えば言わずもがな「マティーニ」ですね。先日の更新「リキュールの世界」のコメでパパゴリラ!さんは、初めて飲んだのがマティーニだったと寄せていただきました。もう、今更ながらのカクテルの王道ですが、王道だけに奥深いですね。マティーニは、ジンベースのカクテルですが、ジンを冷蔵庫で冷やしとくことで、ジンそのものの味を残しつつ冷たいマティーニを作る手法を考案したのは日本人です。東京の「パレスホテル」の「ロイヤルバー」で初代チーフバーテンダーをつとめた「ミスター・マティーニ」こと今井清です。今井清はロイヤルバーそのものの設計まで手掛けました。マティーニで有名なもうひとりの日本人は銀座の「毛利バー」を経営する毛利隆雄ですね。この人、下戸です。でも、お酒の飲めないバーテンさんは星の数ほどいます。毛利は1987年にローマで行われたバーテンダー世界大会で、味と技術の得点で世界一になった人物です。これがきっかけで「毛利マティーニ」が生まれました。毛利は「コクと深みと甘みがあるジン」を求めて試行錯誤し、スコットランドのグリーナル蒸留所で造られているロンドンドライジン「ブードルスジン」にたどり着いたのですね。このブードルスジンを-20℃まで冷やして、氷とステアすることで-6℃まで温度を上昇させてからマティーニを作ることで、芳醇さとやわらかさを持つマティーニに仕上げたのが「毛利マティーニ」です。マティーニなんて、ドライ・ジンにスイート・ベルモットとマラスカ種のサクランボを原料としたリキュール マラスキーノとオレンジ・ビターズを入れてミキシンググラスでステアするだけ。いともシンプルなカクテルですが、シンプルさゆえにバーテンさんの腕が見えると云いますね。初めて行ったバーでは、先ずマティーニを注文してバーテンさんの技量を推し量らえと。マティーニは、逆三角形の鋭角なマティーニグラスが使われますが、このグラスはアールデコ発祥の地パリで1925年に開催された国際装飾産業近代博覧会で初めて展示されました。当初はシャンパンを入れるためのグラスとして使われてたものですが、アールデコが流行するにつれて、ジャズエイジのカクテル、特に禁酒法の違法酒であるジンで作られたカクテルに使われることが多くなったのですね。このマティーニグラスを流行させたのはハリウッドです。禁酒法が解けた1935年のクラーク ゲーブル主演映画「アフター・オフィスアワー」でそれは定番となったようです。このマティーニグラスの持ち方はご存知ですよね。マティーニグラスは、あまりグラスを傾けなくても中身を飲むことができる形状をしてます。このマティーニグラスやマルガリータグラスなど、ステム(長い脚)があるタイプのカクテルグラスは、親指、人差し指、中指の3本の指でステム部分を支えるように持つのが基本です。それもステムの上のほうを持つと、グラスを持ち上げたり飲んだりするときの安定感が高まります。しかしマリリン・モンロー主演映画「七年目の浮気」ではモンローはロンググラスに入れたマティーニを飲んでますね。この映画でモンローはバーテンダーに砂糖を入れるようリクエストします。「故郷デンバーでは砂糖を入れるのが普通よ」だって。ヘミングウェイの小説「河を渡って木立の中へ」で、主人公がバーテンダーに「(ドライ・ジンとドライ・ベルモットの比率を)15対1のモンゴメリー将軍で」とドライマティーニを注文するシーンがあります。15対1のモンゴメリー将軍と云うのは、アフリカ戦線の連合軍総司令官モンゴメリー将軍が、ドイツ軍との戦力比が15対1以上優勢でないと動かなかったのを揶揄してるのです。国際バーテンダー協会公認カクテルとしてのドライマティーニはドライ・ジンとドライ・ベルモットの比率6:1が正規ですが、ヘミングウェイが実際に愛飲したドライマティーニは4:1の比率でした。ちなみにモンゴメリー将軍自身は酒が飲めませんでした(笑)マティーニの原形とされるのはジンとスイート・ベルモットを同量使った古典的カクテル「ジン・アンド・イット」ですね。ジン・アンド・イットは、製氷機が無い時代に考案されたカクテルなので、材料は冷やさないのが本来のスタイルです。マティーニにはいろんなバリエーションがありますね。ヘミングウェイの項でふれた「ドライマティーニ」以外にドライ・ジンとドライ・ベルモットの比率を7:1にする「エキストラ・ドライマティーニ」もあります。ドライ・ジンを他の酒にしたバリエーションではウォッカを使った「ウォッカ・マティーニ」、これがテキーラになると「テキーラ・マティーニ」。「焼酎マティーニ」とか「サケ(酒)ティーニ」なんてのも。ジェームズ・ボンドが「ウォッカ・マティーニをステアせずにシェィクで」と云うのは007シリーズの定番になりましたね。「ステアでなくシェイクして出せ」はそれまで考えられなかった発想です。私も最初は普通にドライ・ジンを使ったマティーニを飲んでましたが、いつのころからかジンのツンと鼻をつくフレーバーがイヤになり、それからはクセのないウォッカ・マティーニにしました。でも「シェィクで」はいくらなんでも云えませんよ(笑)
Aug 14, 2023
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欧州の主要国が隣国を侵略するなど、もう数十年なかったことです。それをプーチンはロシアが「安心して発展し存在」することができないと主張し、今のウクライナが常にロシアにとって脅威だと軍隊を送り込んだ。そして1年半が過ぎようとしてますが、まだまだ先が見えない。ドイツのショルツ首相は「プーチンが目指しているのは、ロシア帝国だ」と警告しました。プーチンは、ロシア人とウクライナ人は「ひとつの国民」だと云う持論を展開してます。今のウクライナは共産主義時代のロシアが作り上げたもので、今や西側に操られている傀儡国家だと非難してるのです。独立国家としてのウクライナの主権を否定し、ウクライナをロシアの歴史的領土とみなすとしてるのですね。ロシアの歴史は9世紀のキエフ大公国誕生から始まります。その後、キエフ大公国は多くの国に分裂し、13世紀には領土の大部分がモンゴルに侵略されて、遊牧国家ジョチ・ウルスの属国になりました。1480年にモンゴル族のキプチャク・ハーン国の支配を脱したモスクワ大公国は、周辺のロシアの公国を再統合し、巨大になっていきます。そして東ロシアのほとんどがモスクワ大公国に服したのがイヴァン3世(イヴァン大帝)の時代。このイヴァン3世が東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪ソフィアを2番目の妻にしたことを理由にローマ帝国の継承者であることを宣言して、初めてツァーリ(ロシア皇帝)の称号を名乗ったのですね。このモスクワ大公国に服した国のひとつに北東ロシアを支配してたウラジーミル=スズダリ公国と云うのがあります。この国のアンドレイ・ボゴリュプスキー公が1169年にキエフ(ウクライナの首都キーウ)を3日間に及ぶ略奪、破壊によって、没落しつつあったキエフ国家に最後のとどめを刺したのです。その後、国は分割され,1238年のモンゴル=タタール軍の侵入後は、さらに小国に分裂。14世紀~15世紀にかけてモスクワ大公国の軍門にくだったのですね。モンゴル=タタール軍の侵入のとき、ウラジーミル公国の領主はユーリー2世でしたが、モンゴル=タタール軍の総司令官バトゥはユーリーの軍に突撃してこれを殲滅しユーリー2世も戦死します。ユーリー2世の死後、大公の位は弟のヤロスラフ2世が継ぎます。彼はモンゴル帝国に臣従することでウラジーミル公国の存続を図ったため、ウラジーミル大公国はモンゴルのジョチ・ウルスの支配のもとで「タタールのくびき」と呼ばれる時代を迎えることになるのです。「タタールのくびき」は、ルーシ(現在のロシア・ウクライナ・ベラルーシ)がモンゴル人の支配を受けていた時代のことで、約240年続きました。ヤロスラフ2世の子、アレクサンドル・ネフスキーがきょうのテーマです。アレクサンドル・ネフスキーはロシアでは智勇に優れた名将と云う評判で、スウェーデン軍やドイツ騎士団を破ってウラジーミル公国の権力・権威を拡大した人物として知られてます。アレクサンドル・ネフスキーについては1938年のソ連(ロシア)映画「アレクサンドル・ネフスキー」によく描かれてます。事前知識として、この作品は社会主義国で公式とされた芸術の表現方法「社会主義リアリズム」に則って制作されてることです。監督は映画史上屈指の名作「戦艦ポチョムキン」を作ったセルゲイ・エイゼンシュテインで、曽祖父母はドイツ系ユダヤ人。プーチンがマルクスやレーニンを持ち出すことが一切ないのは、マルクスはユダヤ人の思想家だし、レーニンの母はドイツ人、スウェーデン人、ユダヤ人の混血だからです。その代わり、プーチンの統治理念の中核にあるのはロシア正教。プーチンの演説に見られるのは、「正教大国ロシア」をつくるという強い思いなんですね。帝政ロシアは世界で最も反ユダヤ主義が強い国で、繰り返し「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人大量虐殺が起こっていました。ヒトラーによるジェノサイドが発生するまで、帝政ロシアは間違いなく、ユダヤ人が、その民族的出自だけの理由で最も大量に殺された国だったのです。トロツキーがレーニンに後継者になるよう勧められたときも、自分がユダヤ人であることを理由に断わってるほどです。そんな国でエイゼンシュテインは頑張って映画製作を続けたワケですが、原作者で脚本家のピョートル・パブレンコは、エイゼンシュタインの行動を当局に報告する密偵役も勤めています。ちなみにウクライナのゼレンスキー大統領もユダヤ人ですが、18世紀のロシア皇帝エカテリーナ女帝は未開の土地が残っていたウクライナをユダヤ人に与えてます。ところが農業にあまり関心がなかった彼らの多くは農地を放棄して次第にロシアが建設した南西部の都市オデッサに移住し商業を営むようになりました。それをミュージカルや映画にしたのが「屋根の上のバイオリン弾き」です。「屋根の上のバイオリン弾き」は、ウクライナの小さな架空の村「アナテフカ」で牛乳屋を営むユダヤ人一家の物語ですね。プーチンがウクライナ侵攻初期に語った「ウクライナのナチ勢力を一掃する」と云うのは笑止千万な話なんです。それを云うなら、ロシアがやってきたユダヤ人に対する膨大な虐殺を何と説明するのでしょう。お話しをもとに戻して映画「アレクサンドル・ネフスキー」は、13世紀、モンゴルとの戦いで疲弊しきってたロシア最古の都市ノヴゴロドに侵攻を企てた、神聖ローマ帝国ドイツ騎士団(チュートン騎士団)を打ち破るアレクサンドル・ネフスキーを描いたものです。この作品は英雄偉人を描く「国策映画(スターリン主義)」の企画に乗って制作されたものです。この映画が制作された翌年、ソ連はドイツとの間に独ソ不可侵条約を結びました。すると映画「アレクサンドル・ネフスキー」の上映が控えられたのですね。ドイツ騎士団の被る鎧は第1次大戦時のドイツ軍のシュタールヘルムに似ています。「卍マーク」はドイツ騎士団の司教のミトラ(冠)に表現されているためですね。ところが1941年にドイツがソ連に侵攻すると、映画は逆にプロパガンダとして盛んに上映されるようになりました。この時代から映画は芸術作品ではなく、政治利用の道具だったワケです。今で云えばロシアの国営SNSと同じです。
Aug 13, 2023
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1346年~1353年にかけてアフリカ、ユーラシア大陸でパンデミックを起こした腺ペスト、俗称「黒死病」によって合計7,500万人~2億人が死亡したと記録されてます。人類史上最も死亡者が多いパンデミックなんですな。当時、イギリスとフランスは100年戦争の最中でしたが、黒死病の流行は戦争を一時停止させるほどの威力でした。黒死病の発現は1346年のクリミア半島でした。クリミアから、ジェノヴァ共和国の奴隷船に乗って移動したクマネズミに寄生するノミによって運ばれたのが起源です。これが地中海沿岸を越えて蔓延し、コンスタンティノープル、シチリア島、イタリア半島を経由してアフリカ、西アジア、そして他の欧州地域へと広がっていきました。「黒死病」名の由来は、症状が進行すると敗血症による皮膚の出血斑で体が黒ずんで見えるからです。発病から2日~3日で死亡してしまう恐ろしい病気でした。この病気によって、欧州人口の30%~60%が死亡したと推定されています。黒死病と云うと奇怪なマスクをつけた「ペスト医師」が有名ですね。これらの衣装は17世紀のフランスの医師シャルル・ド・ロルムが考案したもので、初めパリで用いられていましたが、その後ヨーロッパ全土に広がりました。ペスト医師の衣装は、できるだけ肌を露出させないよう全身を覆う表面に蝋(ロウ)を引いた重布か革製のガウン、つば広帽子、嘴状をした円錐状の筒に強い香りのするハーブや香料、藁などをつめた鳥の嘴のようなマスク(ペストマスク)、木の杖のひと揃いがその典型でした。マスクは目の部分に赤いアイピースをはめこむこともありましたが、これは悪霊を払うためです。アイピースのような目の覆いは、感染力が強いペストは当時「患者の視線」も感染原因と考えられており、患者と目を合わせるのを防ぐためでもありました。これらの衣装は自分の身を守るイミとともに、職業がすぐ分かるよう携帯することが義務化されてたのですね。しかし、ペスト医師自体が二流の医者か、若い医者がほとんどで、中には果物売りをしていた者さえいたと云います。ペストが大流行した時代にペスト医師が生き残る可能性はほとんど有りませんでした。この黒死病がイギリスの「パブ文化」を育てたと云うのはご存知でした?「パブ(Pub)」とは、イギリスで発達した酒場のパブです。黒死病が流行した当時、イギリスではすでに「ビールを飲む」という習慣が根付いてました。しかし、ビールはあくまで家庭で醸造されたものが主流で、結婚式や教会の集まりなどで、各々が作ったビールの一種エールが振る舞われ、皆で騒ぐと云った飲み方が一般的でした。ビールの造り方には常温~やや高温で発酵させて、酵母が麦汁の表面に浮き上がってくる「上面発酵」と5℃前後の低温で発酵させて、酵母がタンクの底に沈んでいく「下面発酵」がありますね。「エール」は上面発酵で造られるビールのことで、中世以降に始まった下面発酵が「ラガー」です。しかし、黒死病によって人口が半分ほどに減ったため、1370年までに人材の不足が起こりました。逆に農家の賃金が上がり、人々は高い生活水準を保てるようになったのですね。するとエールを作ってた一般家庭が商業化され、ビールや食べ物を販売する店舗に変化していきました。これによりパブの文化が創り出されていったワケです。なので未だにパブと云うと、ウイスキーよりビールが売りってお店が大半を占めるのです。とは云っても、黒死病蔓延以前にパブの形態をとってる店舗もあったようです。「パブ= public house(公共の家)」の名の通り、当初はお酒や料理だけでなく簡易宿泊所や雑貨屋の機能も備えた場所でした。1868年の文献にパブという言葉が現れたのが、「パブ」と云うと名前が使われた最初であるとされてますから、当初は形態だけ同じでパブと云う名ではなかったのでしょう。イングランドのケンブリッジシャーにある「Ferry Boat(フェリーボート)は自称1050年から経営してると云ってますから、黒死病蔓延のはるか前です。云い伝えでは、さらに500年ほど古い560年から存在してるとしてますが、6世紀と云うとアングロサクソン人がグレートブリテン島に侵入して、元々住んでいたケルト系住人と同化していった時代ですから、これは眉唾ものですな。このパブは「ジュリエット」という名の若い女性のお墓の上に建てられているそうで、ウワサでは木曜日になると「オバケ」が出るそうです(笑)アイルランドのアスローンにある「Seans Bar(ショーンズバー)」はギネスワールドレコーズの「アイルランドで最も古いパブ」として認定されているお店です。その歴史は、この街ができるよりも古い時代からパブとして営業してきたそうで、開店は900年となってます。歴代のオーナー全ての名前が記録に残っており、初代オーナー「ルー」さんがこの店を始めたことが分かっているとのこと。900年と云うと、ヴァイキングの一派ノルマン人がアイルランドに侵入してきた時期で、これも本当かウソか見分けつきませんね。さいごに「猫カフェ」ならぬ「猫パブ」をご紹介しましょう。ロンドンのパディントン駅から電車で2時間ほど行ったとこにあるブリストルという町のパブです。パブの名前は「Bag of Nails(釘の袋)」。お店の窓には「No Large Groups or Fancy Dress(団体と着飾った人お断り)」の張り紙。「お子さま連れお断り」と「今日は猫の日。犬はお断り」という張り紙もあります。このパブには15匹のにゃんこが居ます。日本では食品衛生法上、同じ営業形態はムツカシイでしょうが、何とか工夫してこんなお店ができると楽しいですね。
Aug 12, 2023
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これはキリスト教圏の話なので、日本人にそのまま当てはまるか分かりませんが、アメリカの学術雑誌「Journal for the Scientific Study of Religion」の学術論文で「無神論者はネコをペットとして飼うケースが多い」と云う研究論文が発表されました。オクラホマ大学で社会科学と宗教学を研究しているサミュエル・L・ペリーが率いる研究チームが、2,000人のアメリカ人を対象にペット所有に関する調査を実施しました。アメリカ人の60%以上が何らかの家族ペットを飼っています。調査データに基づいて、ペットの所有に以前から関連していた要因、都市部と地方、政治的理由などを考慮に入れて、ペットの所有全般の宗教的背景を調査したのですね。結果は週に1回以上教会へ行き礼拝すると回答した「宗教に熱心な」人は、平均して1.4匹のネコを飼っているのに対して、教会へ礼拝に行く習慣のない「無宗教」な人は、平均2.3匹のネコを飼っていたのです。このデータにはバイアスがあります。アメリカ人と云うのは、宗教的コミュニティに深く組み込まれているため、一般にペット、特に猫のような独立した「ルームメイトのペット」に対する必要性(または時間)が少ない可能性があるのです。そんなアメリカでさえ、無宗教な人の方がネコと同居してる確率が高い。だったら、アメリカ以外の国の人たちはど~なんでしょう?ひょっとして「ネコ=神」だから、一見無神論者に見えて、実はネコ神さまを信奉してる?だって古代エジプトにはバステトというネコの女神がいるのですから。ペリーはイギリスの「タイムズ」に「ペットを飼うのはペットそのものと、ペットたちと行う特別なやり取りが大好きだからです。いくつかの点においては、ペットが人間同士の相互作用における人間の代用になることも示唆されています」とコメントしました。教会に足繁く通う熱心な人は、活動の中で適切な社会的相互作用を得るそうです。それに対して、無宗教な人は社会相互作用に飢えているため、手間のかかるネコを好む傾向にあるとのこと。なんせネコは気に入るだろうと買ったオモチャに見向きもしなかったり、スリスリしてきたかと思えば指をガブリ、ご飯を変えると気に入らぬと食べない、と思ったら食べてる。ワンちゃんは「飼い主を神のようにあがめる生き物」なのに対して、ネコは飼い主に素っ気ない態度をとりがちなため、飼い主がネコを必死に追いかけて愛情を注ごうとする傾向がある。ネコは「自分自身を最上と位置づけがち」なのですな。そのため、宗教的なシンボルを持たない無神論者は、「無意識のうちにネコの世話に時間を費やして社会相互作用を得ようとしがちになる」と研究チームは論じています。私は神社仏閣に行ったら儀礼的に手をあわせますが、かと云ってどの宗教も信奉してるワケでもない。かなりの日本人がそうぢゃないですか?だとしたら、上の論法が正しかったら、日本はネコ好きであふれ返ることになる。どっちにしても、私は生き物すべて愛おしいけど、とりわけネコとは同居してたのもあり、別格に違いないですけど。
Aug 11, 2023
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ニューヨーク近代美術館(略称 MoMA)と云う近現代美術専門の美術館があります。1920年代から「ザ・モダン」と呼ばれたモダンアートの殿堂なんですな。そのMoMA に1945年から展示されてる作品のひとつにオランダのピート・モンドリアンが作成した有名な「ニューヨークシティ1」がありました。MoMA 自体が近現代美術専門の美術館なので「ニューヨークシティ1」もまったくの抽象画なんですね。モンドリアンと云うのは、19世紀末~20世紀にかけて活躍した画家で、カンディンスキー、マレーヴィチらと並び、本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家で、巨匠中の巨匠と評されてる作家です。正直云って、私にはモンドリアン作品の良さが全く理解できません。もともと抽象画ですから、理解も何もないのかも知れませんが、特にモンドリアンの作品は、あるイミ、子供でも描けそうな単純な構図と色使いが多く、それが何十億もの金額で取引されるのですから。下の画像は1927年に描かれた「Composition No. II」と云う作品で、2022年に競売にかけられましたが、その落札額5,100万$(約71億円)!で、アーティストのオークション記録を更新しました。モンドリアン作品の特徴は水平線と垂直線、赤、黄、青の平面を使用した独特のもので、誰でも「あぁ~これは彼の作品だな」とスグ分かります。モンドリアンの作品をモチーフにしたファッションなんかも発表されてて、単なる画家と云うよりデザイナーの域まで踏み込んでますね。このモンドリアンの作品で、1942年に制作した「ニューヨーク・シティ」と云う油彩画があります。今はパリのポンピドゥー・センターにある国立近代美術館に展示されている作品です。なんとも理解し難い作品なんですが、これは彼の代表作です。この作品を描くにあたって、前年に制作されたのがMoMA に展示されてる「ニューヨークシティ1」です。この作品、今はドイツ デュッセルドルフのノルトライン=ヴェストファーレン美術館に展示されてます。こっちの作品は色んな色の紙テープの帯を使って表現してます。要するにモンドリアンは紙テープを使って、「ニューヨークシティ1」上でいろんな配置を試み、その総仕上げとして「ニューヨーク・シティ」と云う油彩に仕上げたのですね。「ニューヨークシティ1」がMoMA からノルトライン=ヴェストファーレン美術館の収集品になったのは、1980年のことです。ノルトライン=ヴェストファーレン美術館に収集されてから、モンドリアン展で展示されることになったのですが、そのときになってある異変に気づいたのです。ノルトライン=ヴェストファーレン美術館の企画・管理者であるキュレーター、スザンヌ・メイヤー=ビューザーがこのことに気づきました。「果たして作品の向きは、モンドリアンが意図した向きなのだろうか?」モンドリアンは1944年に亡くなっているので、本人に確認しようがありません。唯一の手がかりは、1944年に撮影されたモンドリアンのアトリエ写真だけです。分かりました!ニューヨーク近代美術館(MoMA)がこの作品を入手して展示する際に、誤って上下逆さまに展示してしまったのです。MoMA で作品を開梱したときにひっくり返ってしまったのかもしれません。しかし、作品は展示会開催時点で80年近く経ってます。作品の上部(実際は下部)の粘着テープには劣化し破損している部分もありました。今、上下をひっくり返して正しく展示すると、作品の劣化を早めてしまう危険性が大きい。で、ノルトライン=ヴェストファーレン美術館がとった方法は今後とも上下逆のままで展示することにしたのです。メイヤー=ビューザーは「作品の向きを変えると、作品が破壊される危険があります。もともと正しい向きや間違った向きなんてものは無いのかもしれませんし」だってさ。
Aug 10, 2023
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メキシコと云うと、メキシコ人のみならず中南米全域からの難民がこの国を拠点にアメリカへ密入国しようとする負のイメージが。それとともにヘロイン始め、不法薬物密輸の拠点ってイメージも強いですね。メキシコの麻薬戦争にまつわる映像作品には枚挙ありません。それだけ現実味おびてるのでしょう。2013年のドキュメンタリー映画「皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇(ナルコ カルチャー)」にしても、サンダンス映画祭USドキュメンタリー部門 最優秀撮影賞/最優秀監督賞をとったドキュメンタリー映画「カルテル・ランド」にしても、作品がドキュメンタリーであるがゆえに真実味が倍増。フィクションでは2015年の映画「ボーダーライン」に描かれる暴力シーンなんて正視できないくらいすさまじいものです。そこには麻薬組織とつながったメキシコ警察の犯罪まで描かれてます。そんなにメキシコってヤバイ国なんでしょうか。「映画ボーダーラインの暴力描写は実際にあった」と舞台になったシウダー・フアレス市のエンリケ・エスコバル市長は述べてます。しかし、同時にこんな事件は過去の遺物で、市は治安の改善に努力してきたと、映画「ボーダーライン」のボイコットも併せて述べているのです。実際に滞在したことありませんので事実は分かりませんが、メキシコだって麻薬カルテルなんかに関わらず、行ってはいけない地域にさえ足を踏み入れなければ、市民は普通に生活していると思います。ギャングや危険地帯はどこの国にも少なからず有りますし、マスコミはセンセーショナルに報道するキライがあるので、全部鵜呑みにはできないですね。私がバンコクに在住してたとき、毎年のようにクーデターが発生してましたが、行っていけないのは王宮周辺だけで、市民は変わりなく普段どうりの生活を続けてたのに、日本のニュースでさもバンコクがいっさい立ち入れないキケンな都市のような報道を見て驚嘆したことが度々あります。さて今日は、そんなメキシコシティにあるスゴイ郵便局のお話し。メキシコシティの中心部、観光スポットとしても有名な「ベジャス・アルテス宮殿(オペラハウス)」から徒歩1分の距離にある「メキシコ中央郵便局」、別名「郵政宮殿(パラシオ・ポスタル)」。外観は普通に古びたただのビルです。郵便宮殿が建ってる場所は、旧サンフランシスコ病院、正式名称「清純聖母王立病院」の建物があったとこです。病院は1900年に取り壊されて、その場所に3,730平方メートルの現在の建物が建てられたのです。工事は1902年に始まり、設計はイタリアの建築家アダモ ボアリが行いました。平均厚さ70cm の連続コンクリートスラブと深さ21インチの鋼ジョイストの構造からなる当時としては革新的な「シカゴ」タイプの基礎が使用されました。直線的なアーチ、ねじれた柱、花模様の紋章、ファサードの上部を覆うアーケードなど、エリザベス朝ゴシック様式のような絶妙な組み合わせで建てられてます。工事は5年に渡って行われ、1907年に完了。この建物は「世界一美しい郵便局」と云われてます。1987年には「国の芸術的記念建築物」に選定されました。それは建物の外観もさることながら、内部の華麗さを見れば一目瞭然です。まさに建築の宝庫とも呼ばれる内部画像を連続でど~ぞ。この郵便局は博物館でもなければ、美術館でもありません。実際に現在も稼働してる生きた郵便局なんです。ただ郵便局だけでなく、郵便文化を知ることのできる常設展示から歴史的な資料を展示した博物館や、1580年~1900年までの8,500冊の蔵書と240点の歴史資料を有した図書館なども併設されてます。最上階には2004年に開設された海軍長官の海軍歴史文化博物館の本部もあります。
Aug 9, 2023
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先日、danmama313さんの旅行記で、チェコの首都プラハ旅行記を書いておられました。そこに掲載されてた画像に「No.22」の表示がつけられたちっちゃい家が。そここそ20世紀文学を代表するチェコの作家"フランツ・カフカ"が仕事場として利用してた家です。カフカは市街地の喧騒に悩まされて、1916年から7ヶ月の間、毎晩ここに通って執筆をしたのです。カフカと云えば代表作とともに実存主義文学として知られ、カミュの「ペスト」とともに代表的な不条理文学の一つ「変身」が有名ですね。ある朝目覚めたら巨大な虫になっていた男の末路を描いた作品。最後には家族から見放され、やせ衰えて息絶える。New Metamorphosis Trailer 2018この作品の主人公グレゴール・ザムザくらい悲惨で不条理な目にあった人物はいない。なにしろ、何の心当たりもないのに、ある朝目覚めたら自分が「虫」になってしまってたのですから。そして家族みんなはグレゴールの姿に嫌悪し、彼を自室に閉じ込めてしまう。唯一の味方は妹のグレーテだけで、彼女はグレゴールの姿を嫌悪しつつもグレゴールが欲する腐りかけた野菜やチーズなどの食べ物を差し入れ、部屋の掃除もしました。ある日仕事から帰宅した父親にリンゴを投げつけられ、それがグレゴールの背にめり込んだまま傷となりました。もはや妹もグレゴールの面倒を熱心にみなくなり、やせ衰えたグレゴールは徐々に弱っていき自分の死を予感します。そして、それもいいのかと考え...ついにおっ死んぢゃうのです。翌日、グレゴールは手伝い女によってすっかり片付けられます。家族はめいめいの勤め口に欠勤届を出し、3人そろって散策に出る。娘のグレーテはグレゴールの面倒を見ると云う厄介な役割にもかかわらず、いつの間にか美しく成長していました。こうしてグレゴールの居なくなった家族は幸せな気持ちになると云うオチ。こんな奇想天外な物語の中に込められたイミは何なんでしょう?主人公には何の落ち度もなく、まったく普通に目覚めたら「虫」になってた。毛虫は蝶と云う美しいものに変態しますが、彼はその逆で誰しも嫌がる「害虫」に擬態する。家族は主人公の姿に嫌悪し、邪険に扱い、そして死を迎える。まったくもって、これ以上不条理な話はありませんね。主人公グレゴールは変身したことで、彼自身の存在価値について考えるようになります。物語の結末には、主人公が人間たるものの本質を見つめ直すきっかけを与えることが示唆されています。それでも主人公は死んでいくのです。非常に映画化のムツカシイ作品だと思うのですが、「変身」は何度か映画化されてます。最も有名なのは冒頭で動画紹介した2018年のカナダ作品ですが、1975年にチェコの映画監督ヤン・ニェメックによるドイツ映画も有名です。ヤン・ニェメックは「プラハの春」の弾圧に関するドキュメンタリー作品をつくり、オーストリアから世界配信した監督でもあります。ヤン・ニェメック作品では、いっさいグレゴールの姿を映しません。常にグレゴールの視点から描かれているのです。カフカ自身が映像作品で遠くからでも「虫」を見せることは不可能だと考えていたように、監督も虫を見せなかったのです。そもそも彼を「虫」ではなく、「害虫」にしている家族や他者の見た目や行動が虫視線で描かれているのです。グレゴールが変身した直後は人間大の大きさだったものが、やせ衰えて最後は手伝い女に箒で掃いて捨てられる大きさに。捨てるとき家政婦は「クソコガネ」とセリフ吐いてますから、そんなにも小さくなったのですね。やるせないですね。この物語って荒唐無稽に見えて、実は現実にあることかも...例えばある日突然、脳梗塞かなんかでなかば植物人間になったとしましょう。最初こそ家族は一生懸命面倒みてくれてますが、だんだん家族の重荷に。倒れる前は一家の働き手だったものが、たちまち「厄介者」になり、やがて排除されようとする。コワイですね~
Aug 8, 2023
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映画007シリーズ第20作目、ピアース・ブロスナンがジェームズ・ボンドを演じてた「ダイ・アナザー・デイ」にこんなシーンがありましたな。キューバのハバナにある海辺のバーで、ボンドがハル・ベリー演ずるジンクスに「いい眺めだね。モヒート飲む?」。ジェームズ・ボンドが好むお酒と云えば「ウォッカ・マティーニをステアではなくシェイクで」と云うのが定番なのに、このときはモヒート。そりゃあキューバですからウォッカではなく、ラム酒ベースのお酒でしょう。モヒートはグラスに潰したライムとブラウンシュガー、ミントを入れ、そこに氷、ホワイトラム、炭酸水入れて混ぜたカクテルですね。普段カクテル飲まない私でも、夏はだんぜんモヒート!あの爽やかな飲み口は暑い季節にピッタシです。ジョニー・デップが主演した2011年の映画「ラム・ダイアリー」でもデップがモヒート飲んでるシーンが出てきますね。この映画の舞台はプエルトリコなので、ラム酒発祥の地とウワサの土地だからやはりモヒートか。モヒートは禁酒法廃止後の30年代にブームになりましたが、60年代にはすっかり廃れたカクテルです。しかし2000年代に入って急に人気が復活しましたね。とは云っても、私が現役のころから人気のカクテルでしたよ。ラム酒は、ジン、ウォッカ、テキーラと並ぶ世界の「4大スピリッツ」のひとつですね。サトウキビを原料として作られてます。ラム酒には発酵・蒸留した後、樽で3年未満熟成させた「ゴールドラム」、3年以上熟成させた「ダークラム」、そして熟成させない「ホワイトラム」がありますが、モヒートに使うのは熟成してないホワイトラムです。なかでも定番が「バカルディ スペリエール」。樽香がほとんどないフレッシュな味わいなので、爽やかなモヒートには持ってこいなんですね。ハバナでモヒート飲むならキューバ国営の「ハバナ・クラブ」を推奨するサイトもありますが、ハバナ・クラブは熟成が基本で、イチバン熟成されてない「ハバナ・クラブ ブランコ」でも熟成1年以下と熟成は否定していない。ブランコはカクテルベースとしてよく使われますが、はたしてモヒートに似合うのかしら?試したことないので分かりません。
Aug 7, 2023
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