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時の大統領シャルル・ド・ゴールと強引に面談した女性がいます。ド・ゴールは彼女が祖国の名において行った約束「古代ヌビアの遺跡をフランスが救う」ことについて全く知らなかったのです。それでド・ゴールは「奥様、どうしてフランスが私の許可もなしに遺跡を救うと云えるのですか?」と詰問しました。しかし、女性の剣幕と気迫に押されて彼は遺跡保全に同意したのです。 1798年のナポレオンによるエジプト遠征をきっかけにエジプトが注目され、古代文字の解読によるエジプト考古学の基礎が築かれるとともに、現地における遺跡の発掘調査と遺物の収集が活発に行われるようになりました。エジプトのナイル川流域に巨大なアスワン・ハイ・ダムの建設計画が持ち上がったのは20世紀半ばのことです。毎年のように起こるナイル川の氾濫防止と農業用水の確保が目的でした。大規模な工事を伴うこのダム建設には巨額の資金が必要で、当初エジプト政府はイギリスとアメリカから融資の約束を取り付けていました。ところがエジプト大統領ナセルは、ダム建設の資金確保のためにイギリスとフランスが管理していたスエズ運河の国有化を宣言してしまいます。これに反発したイギリスとフランス、イスラエルはエジプトへの軍事侵攻を開始。それが「第2次中東戦争(スエズ動乱)」です。1956年のことで、英仏軍とイスラエル軍はスエズ運河地帯を占領した上、空爆も開始しました。しかし、エジプト軍民の強烈な抵抗と国際世論の激しい非難に直面し占領は失敗。英仏軍とイスラエル軍は同年、撤退を余儀なくされたのです。しかし第2次中東戦争によって、イギリスやアメリカは、アスワン・ハイ・ダムの建設融資を撤回してしまいます。そのスキに乗じてエジプトに取り入ったのがソ連です。アスワン・ハイ・ダムはソ連の援助で1960年に着工しますが、その一方で大きな問題が発生しました。ダムの周辺には「アブ・シンベル神殿」に代表されるヌビア遺跡群が点在するのですが、ダムが完成すれば水の底に沈んでしまうことが分かったのです。冒頭で紹介したド・ゴール大統領と直談判した女性の活躍はここから始まります。2015年、彼女は97歳の天寿を全うしましまた。亡くなった当時フランス大統領だったサルコジは、「ナイル川の偉大な女性」と彼女に敬意を表してます。彼女の名前はクリスティアーヌ・デロッシュ・ノーブルクール。フランス人に古代エジプトの人気を高めた、著名で世界初の女性エジプト学者です。彼女が初めてエジプトに興味をもったのは9歳のとき。ハワード カーターによるツタンカーメン墓の発見に魅了されて以来です。それから時が経って学業を終了させると、ルーヴル美術館のエジプト考古学部門に加わったのですね。ところが第2次大戦中の1940年に、フランス・レジスタンスの一員だった彼女は、スパイ容疑でナチスに囚われてしまいます。ナチスの尋問官と対峙するデロシュ・ノーブルクール。彼女はドイツ人の質問に答えることを拒否し、彼らのマナーの悪さを叱責したのです。彼女の横柄な態度に言葉を失い、確固たる証拠も見つけることができなかったナチスは、結局彼女を釈放しました。ナチスに捕まるまでに、彼女はルーブル美術館のエジプト秘宝をフランスの自由地域に隠してたのです。実際にアブ・シンベル神殿をダムの水の底に沈むのを食い止めたのはユネスコです。日本を始め、世界50カ国が資金提供をおこない、専門の学者や技術者を派遣しました。しかし、エジプトは当初ユネスコに支援を要請することは考えつかなかったのです。エジプト政府の目には、宝の喪失は嘆かわしいことだけど、アスワン・ハイ・ダム建設によって農業を促進し、エジプトの爆発的に増加する人口に電力を供給するためには必要不可欠だったのですね。ダム建設プロジェクトに携ったある若いエンジニアは、「我々には、未来を救うために過去を忘れること以外に何が残されているでしょうか?」と語ってます。そんな後ろ向きのエジプト政府を動かしたのがデロッシュ・ノーブルクールです。彼女はエジプト政府に対し、文化遺産の壊滅的な損失を諦めないよう訴え続けました。「砂漠で説教しているようなものだった」と彼女は振り返ります。私はいつも「時間の無駄だ」と云われ続けてきました。なぜあなたはこんなに熱心に保存に熱をあげるのだ。これらの遺跡はフランスの記念碑ですらないぢゃないかと。彼女にとって、その議論はナンセンスでした。「私は世界市民として、人類の名誉のために戦っていたのです」。ようやくエジプト政府も彼女の説得に耳をかし、ユネスコにスーダンとエジプト共同で支援を要請。古代ヌビアの神殿を救うための22年間にわたるキャンペーンを開始したのは1959年のことです。そのときまでにユネスコには彼女から、アスワン・ハイ・ダムによって古代ヌビアの遺跡が水没の可能性があり、即時、手を打つべしとの報告があがってました。とは云え遺跡の保存をどのようにしたのか?簡単に云えば「移転」です。正確に分割された遺跡を遺跡の場所から約60m 上方、ナイル川から210m 離れた丘へ、コンクリート製のドームを基盤とする形で移築されたのです。現在ではアスワン・ハイ・ダムの建設によってできた人造湖のナセル湖のほとりにたたずんでいるアブシンベル神殿。ユネスコ「世界遺産」の創設は、この大工事がキッカケだったのです。アブ・シンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡で、「文化遺産」として登録されています。そして、これには別の効果もあったのです。ヌビアの遺跡を救う国際キャンペーンでのデロシュ・ノーブルクールとフランスの役割により、1956年の第2次中東戦争以来、悪化していたフランスとエジプトの関係が改善したのです。1972年、ヌビアの遺跡を救う国際キャンペーンに対するフランスの貢献を讃えて、サダト大統領はルーヴル美術館にアメンホテプ4世の胸像展示を許可しました。クリスティアーヌ・デロッシュ=ノーブルクールがいなかったら、20を超える数千年前の遺跡が、巨大な新しいダムによって水没していたのですね。
Jun 4, 2024
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イギリスで「食いしん坊」を通り越して、過剰に食べる人を「カツオドリ(gannet)」と呼びます。カツオドリって、あの海鳥のカツオドリです。この名前、カツオなど大型の魚に追われて海面に上がってきたイワシなど小魚を狙い打ちするのに集団で集まることから、漁師さんがカツオの魚群を知らせる鳥としてつけた名前です。カツオドリは大量に魚を食べるのですが、そりゃあそうです。なんせ北大西洋では最大の海鳥で、翼を広げると最大2m もあるのがいるのですから。もっとも地球全体で云えば、翼を広げると最大3.63m もあるワタリアホウドリってのが世界最大級の海鳥ですから、上には上がいるものです。カツオドリってのは、だいたい温帯海域にいますな。日本だと小笠原諸島の南島が繁殖地です。このカツオドリの魚の捕り方がなんともスサマジイ。空から見て、海面が黒いとこ探します。海面が黒ければ小魚が集団でいる証拠です。小魚の群れを見つけると、ハンティング開始!目が正面にあるので、立体視で正確に距離が測れます。重力を最大限に活かすため、いったん30m の上空に上がります。そこから一気に海面向かってダイブするのですが、海面衝突の衝撃で死なないよう、翼をたたみ、足をしまって、1本の矢のように身体を一直線にします。そして弾丸のようなスピードで海に突入するのです。カツオドリには鼻腔(びくう)の穴「外鼻孔」がないのです。それは口の中にあって、水の侵入を防いでいるのですね。また頭蓋骨はヘルメット代わりに、中の空洞はエアバッグ代わりになります。顔と胸の皮膚の下に気嚢があり、 気泡緩衝材 のような役割を果たして突入の衝撃を和らげてるのですね。水中では翼をのばして泳ぎます。そして、水に潜ってる間は瞬膜で目を保護するのです。息を止めたまま18m 潜り、魚群に接近するのですね。カツオドリのハンティングがBBCのサイトに載ってました。Torpedo Gannet Diving! | Nature's Great Events w/ David Attenborough | BBC自然淘汰の摂理とは云え、みごとに種の保存に適した身体作りをした見本みたいな鳥ですね。
Jun 3, 2024
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テレビ朝日系列で日曜日に「ポツンと一軒家」ってのが放映されてますね。衛星画像を手がかりに一軒家を見つけて、その地に行き、生活している人をルポしようと云う番組。所ジョージと林修がレギュラーつとめてるあの番組です。この番組観て、よくまぁこんなとこにご夫婦とかひとりで暮らしてるモンだと驚嘆するのですが、日本の山は北海道の大雪山系でもない限り、山頂から盲滅法下りても1日で里山に下りれるとこがほとんど。ましてや人が住んでるとなると、必ず道がつながってるので、行けないとこはありませんね。大雪山国立公園の最高峰「旭岳」だってロープウェイが通ってるくらいですから。下の画像はアイスランド本土の南海上10km に位置するヴェストマン諸島を形成する島の一つ「エリザイ島」。この島は100年もの間、人が住んでいない無人島なのに、丘の中腹に奇妙な白い家が建っています。「世界で最も孤独な家」と云われたこの家、実は人が住んでいません。1950年代にエリザイ島狩猟協会によって建てられた狩猟用のロッジです。なので番組「ポツンと一軒家」では適用除外ですね。しかし、世界を見渡せば「ポツンと一軒家」どころぢゃない、正真正銘の「ポツン」が数多くあります。そんななかで、こちらのお宅はどう?シベリアのヤクーツクと云えばロシアでも最も寒い街で、冬の気温が例年-30℃を下回り、最も寒かった記録では-64.4℃を記録しています。そのヤクーツクがあるのは、サハ共和国と云うロシア連邦を構成する共和国で、住民もロシア人よりモンゴロイドのヤクート人が多い地域です。そんなサハ共和国、シベリアの原野の森に「ポツンと一軒家」発見!この家にひとり暮らすのはサムイルと云うヤクート人。いったいナゼ?この場所はヤクーツクよりもっと寒くって-71℃になることも珍しくありません。ひょっとしてプーチンの徴兵から逃れるため?いえいえサムイルは徴兵にとられる年齢をはるかに過ぎてる66歳ですし、第一、彼はこの地に20年以上も暮らしてるのです。「村での生活はとても退屈だと思いました」とサムイルは取材班に云います。彼は、どうやら文明から遠く離れて暮らすことが目的らしい。唯一の家族は2匹のワンちゃんだけです。朝起きたら、足が凍っていないか確認し、まだ冷えている場合は、お湯で2時間浸してからお茶を温めて飲みます。彼の一日は、毎日繰り返される日課から始まります。それは、先ず自分で作った電池で動くラジオでニュースを聞くことです。サムイルはヤクート人に何世代にもわたって受け継がれてきた伝統に従って、小麦粉だけを使ったパンも作ります。街まで行くのは片道5時間も歩かなければなりません。サムイルは狩猟が好きではないのですが、肉を食べる唯一の方法は自ら狩りをすることだけです。そのためウサギの罠を作るのですが、ウサギを捕るルートは冬は寒さが非常に厳しいのでなかなか困難です。とにかく北方の日は短く、ヤクート独特の厳しい寒さも相まって、生活はなかなか困難なんですが、サムイルはこの生活を変えようとは考えません。しかし、歳が歳ですから、これからもっと高齢になって病気でもしたらど~するんでしょうね。お風呂にも入ってないでしょうね。サムイルに限らず、「ポツンと一軒家」の住人の問題はここですね。病院に行こうにも、体力がなくなって自活が困難になっても、住居を移さないかぎり助けてくれる人もいない。嫌な言葉ですが、孤独死も視野に入れとかないと。
Jun 2, 2024
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スペインにマヨルカ島と云う地中海西部のバレアレス海に浮かぶ島があります。この島の中心がパルマ・デ・マヨルカ。バルセロナのあるカタルーニャと同じ民族(カタルーニャ人)が暮らしてるので、公用語がスペイン語とカタルーニャ語の2言語になってる都市です。第2次大戦後に、フランコ政権が観光産業を強力に推し進めたのと、温暖な地中海性気候の影響もあって多くの観光客を集める観光都市として成長したのがパルマなんですね。パルマの旧市街にあるマヨール広場はパルマでもっとも広い広場で、 多くの通りがここにつながってて、月曜日には広場でマーケットが開催されたり、大道芸人がいたりと常に多くの観光客で賑わってる場所なんですね。そしてマヨール広場の特徴のもうひとつが、実に数多くのレストランが集まってることです。どのお店も開放的で、いかにも地中海の趣そのものです。こうしたレストランで供されるのは地中海ですから、シーフードがメイン。なかなか魅力的なお料理が並んでます。「パエリア」と云えば、バレンシア地方発祥の米料理で、世界的に人気のあるスペイン料理の1つですね。パエリアは、パエジェーラと呼ばれる専用のパエリア鍋で野菜、魚介類、肉などの具材をたっぷり入れて炒め、それにお米と着色料としてサフランを入れて炊き上げた料理ですね。このパエリアに似た料理で、パルマ・デ・マヨルカには「フィデウア」があります。風味はパエリアに酷似してますが、お米の代わりにショートパスタを使うんですね。カタルーニャ料理ですが、スペインでは夏の定番料理なんです。麺は限られた量のスープで調理されるため、柔らかくなりすぎず、魚介の風味を吸収できます。ニンニクの効いたスープを一滴残らず楽しむため、必ずパンを用意するのが定番とか。フィデウアに使用するパスタは太い麺、細い麺、マカロニのような穴あきショートパスタなどいろんな種類のものが使われ、ロングパスタを折って使用することもあるそうです。日本ではあらかじめ折ってある極細麺のフィデオ(中南米産の極細麺)がフィデウア専用として売られてるようです。フィデウアに使用する魚介に特に決まりはありませんが、エビが使用されることは多いようです。このフィデウアを考案したのはガンデイア港の有名な漁船「サンタ・イザベル」で料理人をしていたガブリエル・ロドリゲス・パストールです。パストールの雇用主サンタ・イザベルの船長は米が大好物。パストールがパエリアを作ると船長がほとんど食べてしまい、他の乗組員たちは常に空腹を抱えていたのですね。そこでパストールは米の替わりにパスタを折って作り、船長の食べる量が減ることを期待したのですが...意に反してフィデウアは、船長は大のお気に入りになってしまった。ですが、サンタ・イザベルの乗組員を通じて、この料理の美味さがガンディア中に伝わり、レストランでも供されるようになったと云う次第です。フィデウア、カタルーニャではアイオリソースを添えて供されるのが多いですが、今ではスペイン各地で独自のスタイルが考案されてるようです。なかなか若者にも人気のありそうな料理で、日曜日に息子家族が来るのでそこで振る舞おうと考えてます。フィデウアの作り方がネット掲載されていましたので、リンクはっておきますね。魚介の旨味たっぷりのパスタパエリャ「フィデウア」の作り方
Jun 1, 2024
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にゃんこ同居人にはお馴染みですが、にゃんこが目を覚ましたり、あくびをしたとき、まぶたとは別に水平方向に膜のようなものが見えます。これは「瞬膜(しゅんまく)」と云うまぶたのひとつなんです。まぶたは「目蓋」と云う字からも分かるように、眼球の蓋のような役割で、目玉を上下から覆い保護する不透明で開閉式の器官ですね。上側を「上瞼(うわまぶた)」、下側を「下瞼(したまぶた)」と云いますが、それでは「瞬膜」は?まぶたの役割は眼球の保護や光量の調節などさまざまな機能がありますが、瞬膜は目の中から出てきて眼球を覆ったり開いたりするので役目としては普通のまぶたと同じですね。ただ魚のようにまぶたそのものが無い生き物と違って、まぶたの有る生き物では、まぶたが垂直方向の動きをすることが多いのに対し、瞬膜は水平方向の運動をすることが多いのです。瞬膜は 、ラテン語の「まばたきする」と云うイミです。普通のまぶたと違って、生き物が見えるようにしながら、目を保護し、潤いを与えるためにあるんですね。瞬膜は何も にゃんこの専売特許ではなく、ワンちゃんだって備えています。この瞬膜は鳥類や哺乳類だけでなく一部の魚類や爬虫類にも普通にあって、繊細な角膜を保護し、眼球を潤滑してキレイにするのに役立ってます。閉じた状態でも部分的に見えるように半透明にすることもできます。 ただ、ほとんどの哺乳類では、瞬膜は目の内側の角に残っているだけです。ホッキョクグマやビーバーなど、頻繁に泳ぐ哺乳類はこのルールに従わず、透明で完全に機能する瞬膜を持っており、水中ゴーグルのように使用します。またホッキョクグマの瞬膜は、雪から反射した光が目にそれほど害を及ぼさないよう紫外線をフィルタリングする機能もあります。すべての鳥には瞬膜がありますが、鳥が瞬きするのを見るのは稀です。しかし猛禽類は目が非常に大きく、瞬膜をよく使うため、瞬きしている様子を捉えることができること多いです。猛禽類は獲物を捕まえるとき、獲物に目を傷つけられるのを防ぐため瞬膜を閉じます。ハヤブサは、最高速度で降下しているとき、瞬膜を素早く点滅させてますね。では、私たち人間やほとんどの霊長類は、ナゼこの便利な第3のまぶたを失ったのでしょうか?私たちに残っているのは、目頭の角にある肉厚の半月状のプリカと云う隆起だけです。その考え方は逆なんですね。通常のまぶたは大きくて厄介な危険なものから目を守るためのもので、当初の瞬膜は水中を泳ぐときに同様に危険なものから目を守るためのものです。その後、哺乳類が陸上で生活するよう進化するにつれて、瞬膜は単なるエネルギーの無駄であり、多くの哺乳類では縮小してしまいました。成長するためのエネルギーを無駄にしない方が、瞬膜を持つより少しでも有利だったからなんですね。
May 31, 2024
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「一緒に踊ってもらえませんか?」すると彼女は「はい」と答えて...「Shall we ダンス?(シャル ウィ ダンス?)」の話?いえいえ映画ぢゃなくて、現実にあったことです。1985年11月のホワイトハウスのこと。まだInstagram やTikTok などSNSのなかった時代、1枚の写真が世間にセンセーションをおこしました。当時の大統領ロナルド・レーガンとファーストレディのナンシー・レーガン主催のディナーに招かれたのは、今は亡きダイアナ妃です。そしてアメリカ人ゲストには各界の著名人、セレブが顔をそろえていました。パーティが進行したとき、レーガン大統領夫人ナンシーがある若い男性の耳元でこうささやきました。「彼女をダンスに誘ってみたら」?その男性は「自分は非常に重要な人々が集まるパーティのエキストラ」だと思ってたので、この提案にびっくり仰天!そうしてダイアナ妃と男性のダンスが始まったのです。そのときの写真がこの1枚。ダイアナ妃の相手をしていたのは誰か分かりますか?彼は後に「おとぎ話」のようで「魔法のような瞬間」だったと述べてます。「僕は彼女に近づいて肘にタッチして、ダンスに誘った」と。そしたら「彼女は、あの魅惑的なスマイルを見せて、僕の誘いを受け入れた」。そして「僕たちはまるでおとぎ話のように一緒にダンスしたんだ」と。その男性とは俳優の「ジョン・トラボルタ」です。当時のジョン・トラボルタは、1977年の「サタデー・ナイト・フィーバー」や1978年の「グリース」などで注目俳優のひとりでしたが、普通に考えたら、とてもプリンセス・オブ・ウェールズ(ダイアナ妃)のお相手をつとめられるような器ではなかったハズ。それをナンシー・レーガンのリクエストで現実のものとなったのですね。このとき、ナンシー・レーガンはトラボルタに、ダイアナ妃にダンスを誘うように付き添ってあげると告げてたのです。ダイアナ妃は黒のロングドレスとパールのチョーカーで美しく、トラボルタはタキシードでダンディーに。いい画ですねぇ。ふたりは15分ほど踊りを楽しみました。ダンスが終わると、トラボルタはおとぎ話の中にいる気分になったのです。「それは物語のような瞬間でした。終わったときに私たちはお辞儀をしました。そして、ご存知のように、彼女は出発し、私も出発しました」。「そして私の馬車はカボチャに変わりました(笑)」とトラボルタは振り返ってます。トラボルタと踊ったときダイアナ妃が着ていたヴィクター・エーデルスタインのバルドーネックドレスは「ジョン・トラボルタドレス」と別名がつけられました。1996年にダイアナ妃とチャールズ皇太子が離婚した後、ダイアナ妃は人道的活動に重点を置くようになりました。パリの自動車事故で亡くなる2ヶ月前の1997年6月、彼女は慈善事業としてクリスティーズのオークションに出品される数点のドレスを寄贈しました。その中に「ジョン・トラボルタドレス」も含まれてたのです。オークションでジョン・トラボルタドレスは222,500$(約2,500万円)で落札されました。
May 30, 2024
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アナスタシア・ニコラエヴナは最後のロシア皇帝ニコライ2世と怪僧ラスプーチンを重用したので有名なアレクサンドラ皇后の第4皇女です。1917年の「二月革命」で成立した臨時政府によって家族とともに監禁。翌1918年に エカテリンブルクのイパチェフ館で、裁判手続きを踏まないままヤコフ・ユロフスキーの指揮する銃殺隊によって家族・従者とともに17歳で銃殺されました。最初の銃の一斉射撃でニコライ2世と妻アレクサンドラ、料理人のイヴァン・ハリトーノフ、召使のアレクセイ・トルップが殺害され、主治医のエフゲニー・ボトキンとメイドのアンナ・デミドヴァが負傷しました。その後、銃殺隊が銃撃を再開して負傷しているボトキンが殺害され、足が不自由なため椅子に座っていた弟のアレクセイを銃撃隊の兵士が銃剣で刺殺しようと試みましたが、衣服に縫い付けてあった宝石に邪魔されて失敗。結局、別の兵士が頭部に向けて発射した弾丸によって殺害されました。その後に姉のオリガとタチアナはそれぞれ頭部に向けて発射された弾丸によって殺害されたのです。まだ生き残ってたアナスタシアと第3皇女のマリア、そしてメイドのデミドヴァは窓近くの床に倒れていました。銃撃隊の兵士が銃剣でマリアを刺してみましたが、これまた服に縫い付けてあった宝石によって刺せず、最後は銃で頭部を撃って殺害したと兵士は主張しています。しかし、兵士の供述と裏腹にマリアの後頭部には銃創やライフルの台尻で殴られた痕は残っておらず、アナスタシアの遺体はバラバラに切断されて焼却されたため、ふたりの死の原因が何であるかは究明できないのです。多くの報告がアナスタシアが最後に死亡したとしているだけです。アナスタシアの名前、ロシア語のイミは「鎖の破壊者」とか「刑務所を開く人」です。ニコライ2世が彼女の誕生を記念して、前年の冬にモスクワとサンクトペテルブルクで発生した暴動に参加して、投獄されてた学生たちを恩赦したのが名前にちなんでだったんですね。そして彼女の名前のもうひとつのイミは「復活」です。これが後々 彼女は死んでなくて、どこかで隠れて生存してると云う憶測の元になったのです。その背景にはソ連のプロパガンダがありました。ソ連共産党レーニン政権は、政権基盤が固まるまで「ニコライ2世は処刑されたが、他の家族は安全な場所に護送された」という偽情報を流し続けたのです。と云うのも、当時の兵士の中には皇帝一家に同情的な者も多く、政権が一家を皆殺しにしたと云うのは憚れたのですね。1920年2月、若い女性がベルリンのラントヴェーア運河に身投げしようとして助けられました。この女性は身分証明書を持っておらず、コートとドレスのポケットは空でした。ドイツ当局によって「マダム・アンノウン」と呼ばれたこの女性は、ドイツのダルドルフ精神病院に連行されました。この風変わりな女性には体中に奇妙な傷があり、自分はロシアから処刑を逃れ脱走してきたアナスタシアであると周囲に話し始めたのです。1922年ころヨーロッパは革命後にロシアから亡命したツァーリズム(絶対君主体制)信奉者が大勢いたのが、彼女の格好の味方になったのです。もともとは、ロシアから亡命したツァーリズム信奉者のひとりが、ロマノフ家の娘たちの名前のリストを渡したのが始まりです。このリストを受け取った彼女は、アナスタシアという一人を除いてすべての名前に取り消し線を引いたのです。その瞬間、彼女はアナスタシアとなり、最終的には「アンナ・アンダーソン」という名前になりました。「アンナ」はアナスタシアの略称だったのです。アンナ・アンダーソンという名前を使いだしてから数ヶ月後、ダルドーフ精神病院から釈放され、彼女はアナスタシアの支持者たちの家に住み込みながら、数年間あちこちを転々としました。彼女はアンナ(アナスタシア)・アンダーソンと名乗ってましたが、ロシア帝室生存者の多くの家族がアンナ・アンダーソンと会い、この若い女性がアナスタシア大公妃ではないと確信したのです。アナスタシア本人をよく知る祖母マリア・フョードロヴナ皇太后も決して会おうとはしませんでした。そして、ついにドイツでロシア帝室の莫大な遺産をめぐる訴訟を彼女は起こしますが、真偽の確定が不可能として却下されます。その背景には、彼女はロシア語が話せない。逆にアナスタシア本人が苦手であったはずの ドイツ語を話す。記憶が肝心なところであやふやになる。顔が明らかに違うなど多くの疑問点が生じたためです。ことの真相はこうです。当初、周囲が勝手に彼女はアナスタシアではないかと騒ぎ、やがて記憶を失っていた本人もアナスタシアだったことを「思い出した」のです。意図的な詐称というより、嘘を繰り返しているうちに、自分自身が真実と信じ込んでしまったのですね。その後、支持者の援助で彼女は1968年にアメリカに移住。アメリカ人のジャック・マナハンと結婚してノースカロライナ州に定住しました。結婚後も自分はアナスタシアであると生涯主張し続けたそうです。アンナ・アンダーソン以外にも、自分はアナスタシアだと名乗る女性は幾人もでています。背景には皇帝一家の埋葬場所が、長年秘匿されたため、殺害後に彼女の生存伝説が有名になったからなんですね。1991年、エカテリンブルク近郊で両親と3人の大公女の遺骨が発掘されました。さらに2007年に弟のアレクセイと歳の近い姉のマリア、もしくはアナスタシアどちらか1人の大公女の遺骨も発見され、4体の女性の遺骨とアレクサンドラの一番上の姉ヴィクトリアの孫、エディンバラ公フィリップ王配に遺伝的な繋がりがあることが確認されました。こうして皇帝一家が全員殺害されており、一人の生存者もないことが判明したのです。偽アナスタシアのアンナ・アンダーソンは、彼女の没後10年後にあたる1994年にDNA鑑定をおこなった結果、エディンバラ公フィリップ王配との遺伝的な繋がりは認められませんでした。
May 29, 2024
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日本のホラー映画だとオバケの登場が圧倒的に多いのに、アメリカ映画だとやたらゾンビ勃発。なんでやねん!一説では日本は火葬にするのが普通だからゾンビとして登場させられない。そこいくとアメリカは土葬だから、オバケよりゾンビの方が親近感(?)あるとか。クモ(蜘蛛)ってのは目が8つあります。いくつかの種類は6つ以下ですが、常に偶数になります。ところが、こんなに目をもってるのに、視力が悪く、触覚と嗅覚に頼って巣を移動して獲物を見つけます。クモの目は単に明暗を感じるだけなんですね。それだったら、こんなに沢山の目いらないと思うのですが...クモは網を張って獲物を捕まえると思いがちですが、実際にはほぼ半数の種類が網を張らずに獲物を捕まえます。クモが他の昆虫と大きく違う点は、他の昆虫の足は6本なのに、クモは8本ですね。そして身体は前体と後体の2つの部分のみによって構成され、触角ももってません。それでは、こやつはどぅ~?足が8本だから、やっぱクモでしょう。この子は、クモの仲間とは全く違って、どちらかと云えばサソリに近い生き物です。ゲッ!サソリ!と云っても、本物のサソリのように毒をもってるワケではなくて、種類によっては臭腺から敵が嫌がるニオイ(化学物質)を分泌するくらいです。名前は「ザトウムシ」。ザトウムシの仲間は極地や乾燥地帯を除いて世界中どこにでも居ます。主に熱帯雨林など植物が多くて湿度が高い所で生活しますが、日本でも80種ほどが確認されてます。足を前に伸ばして探りながら歩く様子が、盲人が杖で歩く姿に似ていることから「座頭」の名前がつけられたのですね。Harvestman Walking Among Blackberry Blossoms, Huntingクモに似ているのは8本足だけで、身体は前体と後体に分かれてはいますが、クモのようなくびれはありません。脚はすべて前体についています。また、口も腹面についています。 特にクモと違うのは目が「2つ」なのと、糸をひいて獲物捕獲用の網なんかは作りません。食べ物は...雑食性で節足動物やミミズから果物までなんでも食べます。OK!それでは、コイツは何?そりゃあ見れば分かるでしょう。サソリの仲間でんな...と思ったら、コイツは「カニムシ」と呼ばれる、クモの仲間なんです。グループ名は「疑似サソリ」。つまりニセのサソリと云うワケです。カニムシはクモの仲間ですが、ハサミの中に有毒分質を蓄えてて獲物をこれで捕らえて動けなくします。中には口元の鋏角から糸を出せるものがあり、それで巣を作ったりします。カニムシ、実はものすごくチッチャイです。通常は2mm ~8mm 、かなり大きいのでも12mm しかありません。
May 28, 2024
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上下関係と云うと、上司と部下とか先輩と後輩なんて連想しますが、今日は「種」の話です。「種」ってのは、あの「種子」のことね。植物は、上の方向に向かって発芽しますね。これは葉を光の方向に向けることで、光合成能力を最大限に高め、エネルギーを生み出すためです。それでは「根」はナゼ地面に向かって真っ直ぐ伸びていくのでしょうか?答えは簡単ですね。根を地面に向けることで、水や養分をより効果的に吸収するためです。では、もし種子を横に寝かせて植えた場合、芽と根は横に伸びていくのでしょうか?そんなことはありませんね。種子を横に寝かせても、芽は上向きに、根は下向きに伸びていきます。ひょっとして芽には人間に見えないセンサーか目があって太陽を認識してる?いえいえそんなことはありません。そもそも種子が発芽するとき、芽より先に根が出ます。そりゃあそうですよね。根も出てない種子が水分と栄養とれないのに芽が伸びてくなんて有りえません。なので発芽というより「発根」と云ったほうが正確なんです。発根した根は、迷うことなく下すなわち地球の中心へ向かって伸びてゆきます。と云うことは重力を感知しているってこと?そうなんです。すべての植物は重力場の方向を感知し、それに応じて自らの向きを変えることができるのです。これを「地理走性」といいます。地理走性とは、地球の中心に向かって成長する傾向のことです。ただ植物は重力屈性機構によって上下を感知しますが、根は水のあるところならどこにでも向かい、新芽も光のあるところならどこにでも向かうことが多いです。しかし根は重力がなければ、それほど真っ直ぐには伸びません、もっと波打っていて、うねうねしています。云ってみれば宇宙では、根や芽の方向がばらばらになると云うことです。このメカニズムは、原形質(細胞内の生きた物質)が細胞壁に大きな圧力をかけるか、細胞内のデンプン粒子が底部に沈降するかのどちらかに基づいていると考えられています。これが植物が成長するにつれて「方向転換」する植物成長ホルモンの生成に影響しているのです。根の先端細胞には アミロプラストという色素体が含まれています。このアミロプラストは比重が大きく、細胞の中で重力の方向へと沈降(移動)します。このとき根の先端の細胞は、アミロプラストの沈殿している方向が重力の方向だと認識するのです。なので根の先端を切り取ると、根は下に伸びるとは限らずデタラメな方向へ伸びてしまいます。ただ根の先端に意識があるハズもなく、アミロプラストが溜まっている方へ伸びるように オーキシン(植物の成長ホルモン)が分泌されるだけです。
May 27, 2024
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私は超常現象なるものを一切信じてません。あんなモンは、単に科学的解明がまだか、そもそもバカバカしくて学者が解明しようとしないか、たまたまの偶然か、体験した人の勘違いか、それともウソを云ってたりペテンだったり。それでも世の中には信じてる人もいるし、またTVが面白おかしくドキュメンタリータッチで放映しますからね。日本人にもっとも有名なエジプトの遺物と云うとツタンカーメンぢゃないでしょうか。例の黄金のマスクで象徴される。マスクはカイロのエジプト考古学博物館に収蔵されてます。このマスク、顔と首の部分は、明るい色合いの18.4カラットの金が、マスクの他の領域は22.5カラットの金が使われているそうです。マスクの両肩部分には、古代エジプトで死者とともに埋葬されたパピルスの巻き物「死者の書」にある古代の呪文が神聖象形文字で刻印されています。黄金のマスクがあまりに有名になり過ぎて、ツタンカーメン王そのものの人気がイマイチですが、ツタンカーメンのミイラは防腐処理が失敗したらしくって、保存状態が良くなかったのですね。結果的にはミイラするのに失敗に近い形に終わってしまったようです。体には包帯が巻かれていましたが、その中に大量の護符が織り込まれていました。それ以外にきわめて多くの装飾品がミイラの中に織り込まれていたのですね。ツタンカーメンの死因は記録がなく、長らく論争の的になってました。ミイラの頭部についてた傷やいくつかの骨の裂傷などから暗殺説が有力だったのですね。ところが近年の研究で、悪性マラリアを引き起こす寄生虫「熱帯熱マラリア原虫」の痕跡がミイラより発見されたり、先天的な虚弱性疾患があったことも分かって、骨の骨折は何らかの原因で落下したのでは?と考えられるようになりました。このツタンカーメンの墓は、王家の谷のエジプト王朝衰退期に当たるラムセス6世の墓建設のための作業小屋下と云う非常に見つけにくい場所にあったため、盗掘にもあわずに済みました。墓を見つけたのはハワード・カーターと云うイギリス人のエジプト考古学者です。カーターはイギリス貴族カーナヴォン伯ジョージ・ハーバート(カーナーヴォン卿)の資金援助で、王家の谷の発掘調査に着手。そして第一次世界大戦による中断を挟みつつ、援助契約の切れる1922年、ついに「世紀の発見」と云われるツタンカーメン王の墓を発見したのです。ツタンカーメン王の墓を発見できたのは、まったくの偶然からです。発掘作業員の取りまとめ役だった祖父とともに現場へ通ってた12歳のエジプト人少年フセイン・アブドルラスールが連れてたロバがつまずいてしまったのですね。このロバには水甕を載せていたのですが、この甕が壊れて水がこぼれて、地下墓地への階段が露わになったのです。1922年11月1日、ハワード カーターと彼のスタッフは瓦礫の撤去を開始し、その3日後に岩に刻まれた段差を発見したのです。彼らは階段を下りていき、屋根があり漆喰で覆われ、シールが貼られた出入り口を発見しました。扉を開けると、そこには少年王「ツタンカーメン」の名前が。それから約5ヶ月後、スポンサーであるジョージ・ハーバートがカイロのコンティネンタルサヴォイホテルで死亡しているのが発見されました。しかもジョージが死亡した時刻、彼の自宅では飼い犬が大きな遠吠えをあげて死んだのです。遺体で発見されたホテルの部屋は、以来誰も使用していません。この急死は「王家の呪い」「ツタンカーメンの呪い」と呼ばれて大きな話題となりました。実際には、ジョージの死の約1ヵ月前、彼はアスワンで数日間の静養を取っています。そのとき蚊に刺された頬の腫れ痕を、ひげ剃りの時にうっかり傷つけてしまいました。傷跡は処置したものの直後に発熱、2日後には回復しましたが間も無く再発しました。治療の為にコンティネンタルサヴォイホテルに搬送されたのですが、家族や友人の見守る中、息を引き取ったのです。死因は虫さされにより丹毒を患い、出血の際に菌血症になった結果、肺炎を惹き起したのですね。そもそも王家の呪いなんてもの存在しないのです。なぜなら、墓の発見者張本人ハワード・カーターは1939年、64歳で息を引き取ってます。「王家の呪い」は、当時のマスメディアが発掘報道を独占したタイムズに反発して、発掘と少しでも関わりある者が死ぬたびに「呪いによる死」とまことしやかに報道したことで広まったのです。発見者カーターにまでこの害は及び、同姓同名の別人が交通事故で死亡したときには、あたかもハワード・カーター本人が事故死したかのように書き立てられたのですね。
May 26, 2024
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ウクライナ国境近く、ルーマニアに「ドナウ・デルタ」と云うヨーロッパ最大で、人の手がほとんど入っていない自然状態のデルタ(三角州)があります。そこには大きな浮島が浮いています。ボリビアとペルーの国境にあるチチカカ湖には、40以上の浮島が弾力のあるトトラの葦で作られ、湖底に固定されています。南アジアで最大の淡水湖がインド北東部に有ります。「ロクタク湖」と呼ばれるこの湖には、最大のものは面積40平方km の浮島があります。浮島の元は、厚さ数cm ~数m の水草を始め、泥や泥炭が大量に蓄積したもので島のようになってるのですね。やがて根が湖や川の深い部分に届かなくなると、根の塊に含まれる酸素を浮力として利用して浮島になるのです。浮島は上にあげたものだけぢゃなくて、ウガンダのビクトリア湖、オーストラリアのタスマニアにあるラグーン・オブ・アイランズ、イタリアのポスタ・フィブレノ湖、セルビアのヴラシナ湖など、世界中いたるところに存在します。南米で2番目に長い「パラナ川」は、長さ4,880km で、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチンの3カ国を流れています。そのパラナ川のアルゼンチン領で非常に珍しく、謎めいた浮島が発見されました。アルゼンチンで「目」と呼ばれるこの浮島は、サッカー場とほぼ同じ面積で、直径120m の完全な円形だったのです。そして、この浮島は円形だけぢゃなく、常に回転し続けてるのです。激しい嵐なんかが起こると、浮島が風によって前後に運ばれることはあります。しかし、嵐がおさまればそこに永住するのですね。ところがパラナ川の浮島は風の有無に関わらず、クルクル回転しているのです。'The Eye' - a floating rotating island in Argentinaこの浮島はアルゼンチンの映画監督セルジオ・ノイシュピラーによって発見されました。彼は映画のロケ地を探していて、偶然にこの島を発見したのですね。しかし発見当時、彼はこの島がゆっくり回転していることに気づかなかったのです。それくらい回転はゆるやかなんですね。ところが島をGoogle の衛星画像で確認すると、時間とともに回転してることに気づいたと云う次第です。浮島がナゼ回転するのか、まだよく分かってませんが、浮島のある湖は至るとこからメタンガスの泡がブクブク。これが影響してるのではないかと推測されてます。調査で、この浮島は2003年以来、ずっとパラナ・デルタ地帯にあったことが分かってます。まだまだ地球には人間に分かっていない自然現象がイッパイありますね。
May 25, 2024
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よく幼いときにお母さんがヒザ枕で耳掃除してくれた記憶を多くの方はお持ちでしょうが、私は極端なくすぐったがりで、一度されそうになったら、くすぐったくてガマンできない。そう云うワケで母親のヒザ枕ってのが記憶にないんですな。耳そうじってのはしない方がいいとお医者さまは述べてますね。耳アカが溜まるのは、外耳道の外側約1/3で、外耳道の上皮の動きと、ご飯を食べるときの咀嚼やあくびなど顎の動きで勝手に外に出てくると。湿っているタイプの耳アカ(湿性耳垢)でも、移動している間に乾いて、自然に耳の穴から外に落ちるとも。むしろ耳の中にモノを入れるべきではないと云ってます。とは云え、耳アカが毎度自然に出るとは限りませんね。例えば、補聴器の使用や、綿棒とか耳かきなどを用いて奥に押し込まれると、耳アカの蓄積を逆に引き起こすケースがある。耳アカが外耳道の中に溜まってしまうワケです。私のバンコク時代の上司もこの症状で、耳が痛んで塞がったような感覚に襲われました。こうなるとお医者さまに診てもらうしかない。くだんの上司も、病院にいってグリセリンをたらして柔らかくしてから取ってもらったら、とんでもなく大きな耳アカが出てきたとか。日本で最初の耳かきは、かんざし由来らしいです。かんざしの端をへら状にしたものが耳かきの始まりで、江戸時代の享保年間に高橋図南と云う人によって考案されたそうです。江戸時代には「耳垢取」と云う商売がありました。街頭で耳掃除をする商売です。この耳垢取の服装がなぜか唐人姿なんですね。余談ですが、江戸時代には「猫のノミ取り」なんて商売もあったそうです。インドには今でも街頭の「耳掃除屋」がいるのですね。ターバンに3~4本の耳かきを挿してて、路上に座り込んで耳そうじしてくれるらしい。しかし衛生状態のよくないインドで他人に耳そうじしてもらいたくないですね。ど~考えても、使った耳かき、消毒どころか洗いもしてないでしょうから。日本の一般の方にはあまり馴染みないですが、欧米では「イヤーシリンジ」が一般的ですね。一般の人が使うイヤーシリンジは、シリコンで成型された球体に円錐の先端がついてるスポイト状の洗浄器具です。このイヤーシリンジは、耳そうじ以外でも、鼻の洗浄にも使われます。使い方は簡単で、一度球体を手で圧迫したまま洗浄液の中に入れて、手を放すと洗浄液が内部に入ります。それを耳穴に入れて再度球体を手で圧迫すると洗浄液が耳に流れると云うもの。イタリアでは「オトサン(イタリア語でイヤーキャンドル)」と云う耳そうじ用具が流行しました。ロウでできた長さ15cm 、直径5mm くらいの円錐形の筒端を耳に入れ、もう一方の端に火をつけて燃やします。すると「ベンチュリー効果」と云う原理で、リラクゼーション効果とともに、耳アカが吸い出されると云われてましたが、火傷やロウが耳に入る欠点がありました。それより何より、イヤーキャンドルによって耳から出てくるのは、キャンドルから落ちたロウであって、耳アカでないとの研究結果もでてます。中国には今でも耳かきを商売にしてる人がいます。「采耳」と云う商売で、特に西南部の四川省成都や重慶で盛んな商いのひとつです。簡単なものは公園なんかで耳かき師のおじさんが耳かきをしてくれるし、本格的な耳かき専門の店舗を構えてるとこも数多くあります。上の画像見ると、多数の人が出入りする公園で、もし耳かき師に人がぶつかったらと思うと不安になりますね。「耳かき」というと、中国語で「耳勺」とも云うように、棒の先が小さい勺状になっているものが一般的です。最近は円盤状のものを重ねあわせた形の耳かきも有ります。これだと耳の中で引っかかることなくスムーズに耳そうじ出来るのですね。耳かき専門店に行くと、施術前に必ず「孔雀の羽」で顔をナデナデされます。これはリラックスさせるのと、血行を良くするためらしいけど、かなりくすぐったいらしい。耳そうじの本番は本格的で、清潔にも気を配ってるようですが、施術後にちゃんと消毒してるかどうかは不明です。どっちにしても、耳かきはあまりしない方がいいと冒頭で述べましたが、これは特に欧米で強く云われてることです。なぜかと云うと、日本人とかモンゴロイドは乾燥した耳アカ(乾性耳垢)が大部分を占めてますが、白人や黒人などは湿った耳アカ(湿性耳垢)の人が多いためです。湿性耳垢だと、耳かきで逆に奥に押し込んでしまう可能性があり、取りにくいのが原因なんです。この湿性耳垢の人口に占める割合は中国人や韓国人なんかだと4~7%くらいですが、白人だと90%以上を占めるんですね。日本人は西日本を中心に乾性耳垢が多く、北関東や東北以北、南九州以南に湿性耳垢が多いそうです。
May 24, 2024
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昔、映画監督のクエンティン・タランティーノが絶賛した香港映画がありましたな。まだ香港が魅力的だった1994年の作品「恋する惑星」です。俳優のトニー・レオンや金城武をいちやく国際的に有名にした映画。この映画上映当時はまだ香港が日本人観光客のメッカで、舞台となった「九龍城砦」を彷彿させるネイザン・ロード沿いのとてつもないボロビル「重慶マンション(チョンキンマンション)」や香港島のビジネス街「中環」から、高台の高級住宅地「半山区」まで続くエスカレーター「中環至半山自動扶梯」目当ての観光客が押し寄せたものです。この作品はふたつのストーリーから組み立てられてて、どちらも香港の若者のすれ違う恋模様を描いたものです。昔の彼女のことが忘れられないまま偶然入ったバーで麻薬の運び屋である金髪サングラスの女性に恋をしてしまう警察官。ハンバーガーショップの女店員は、別の警察官宛に託された彼の部屋の鍵を使って警官の部屋に忍びこむと云うような恋愛の甘酸っぱさを描いた物語。昔、「ポケベルが鳴らなくて」ってTVドラマがありましたなぁ。妻子あるサラリーマン(緒形拳)と32歳年下の女性(裕木奈江)との不倫関係を描いたラブストーリー。結局、家庭は崩壊していくのですが...そもそも32歳もの年の差なんて、女性はついてくるのかしら?女性が40歳になったら、男は72歳ですよ~今みたいにスマホや、以前の携帯電話ぢゃなく「ポケベル」時代は何かとメンドウでしたな。ポケベルが文字送信も可能になったのは1966年からで、それまでは「数字」しか打ち込めなかった。当初はこちらの電話番号を通知する目的だったのに、いつの間にか数字の語呂合わせでメッセージを送るようになりましたな。「14106」は「1」=「I」、「4」=「し」、「10」=「て(ん)」、「6」=「る」で「愛してる」なんて強引もいいとこ。「愛」に関しては、7つの愛情ホルモンが重要な役割をはたすらしい。「オキシトシン」は、社会的なつながりを形成し、信頼を高め、相手への絆、愛着、献身的な感情を高めます。出産や授乳、子育てなんかでも放出されます。「バソプレシン」は 他の人を愛することの興奮をかき立てます。これが放出されると「大切な人を保護している」と感じるようになるのです。「ドーパミン」キスなどをするとドーパミンが大量に分泌されます。ドーパミンが放出されると、恋愛感情が「ハイ」になり、恋人と一緒に居たいと云う欲求やモチベーションが高まります。「テストステロン」と「エストロゲン」は男性らしさや女性らしさと云った、性ホルモンとしての機能をもちます。「ノルアドレナリン」は、恋に落ちたとき「心臓の高鳴り」「エネルギーの増加」「手のひらの汗ばみ」を発生させます。このホルモンは記憶の保存にも関連しているので、多くのカップルがデートの初期のころを鮮明に思い出す手助けになります。「セロトニン」だけは他のホルモンと違って恋をすると減少するホルモン。これが大量に出ると、喜びや快楽などを抑え、精神を安定させる働きがあるからです。精神を安定させる「セロトニン」だけが恋をすると減少するってことは、「恋」=「一時の妄想」?かも知れませんね(笑)どっちにしても身体でもっとも大切な器官として、通常は心臓が重要視されますが、愛に関することは脳に由来しており、魅力や愛情を経験したときホルモンの生成と放出するようにプログラムされてるようです。研究によると、愛を持つことは健康上の利点につながるらしい。愛をもつことによって、ストレスの軽減 、睡眠の質の向上、免疫の状態の改善、うつ病の軽減、問題解決スキルの向上、認知力の向上、そして痛みの軽減まで及ぶと研究で実証されてるのです。さらに長寿命の実現にまで関与してるとか。なので連れ合いを亡くした方も、やもめ暮らしを続けず、どんどん新しい相手見つける方が長寿を維持できるってことか。だけど老人ホームでひとりのバアチャンめぐって、ジイサンふたりがケンカなんてこともときどき報道されてますね(笑)さて、愛がそのまま続けばいいのですが、もし別れてしまったら?これも研究結果がでてます。別れは、ドーパミンやオキシトシンなどの心地よいホルモンの放出を失うことを意味すると同時に、コルチゾールやノルアドレナリンなどのストレスに関連したホルモンの増加を促進します。ちょうど薬物依存者が薬物の途切れるのを嫌うように、ひどい別れは大きな苦痛を引き起こすのです。こうした喪失感や恋しさの感情は、食欲不振、体重の変化、睡眠障害、不安、憂鬱などとして現れる可能性があると云います。不幸にして連れ合いが亡くなった場合、そのような感情は著しく増幅される可能性があるのですね。愛する人の死によって安定した血液の流れが突然止まると、心血管反応が引き起こされる可能性があります。多くの人では、これに加えて、突然の喪失に伴うストレスホルモンの放出により、血圧が急上昇、心臓が高鳴り、呼吸困難が生じることがあります。イギリスの4,486人の未亡人を調査した結果、連れ合いを亡くした後の最初の6ヶ月で同年齢の既婚者よりも死亡リスクが40%も高かったと云う報告があります。そのためにはストレスホルモンを減らし、愛情ホルモンを増やすために、楽しいことをすることが重要だとも。やっぱ新しい相手探しか?多くの哺乳類と同様、人間は孤独な生き物として生きるように進化してません。愛は任意ではなく、それなしではいられないものと云うのが学者の見解です。
May 23, 2024
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私がラオスを訪れたのは首都ヴィエンチャンだけで、それもラオスがまだ資本主義国側についてたベトナム戦争最中の古い話です。戦争が終結して、共産主義になってからは一度も訪れてません。訪れてたころのビエンチャンはとても首都とは思えないタイの田舎然としていて、見るものもない退屈な街でした。唯一のメリットは長い間フランス領だったので、ラコステなどフランスからの密輸品が安く手に入ることぐらい。東南アジアでもとりわけシンガポール、タイ、マレーシア、ベトナムの経済発展は著しく、それに続いてインドネシアとフィリピン。ブルネイは豊富な石油と天然ガスの埋蔵で、1人当たり国民総所得は日本を上回り、アジアではシンガポールに次ぐ高所得国になってます。それと引き換えラオスやミャンマー、カンボジアは天と地くらい発展が滞ってますね。そんなラオスも今は中国ベッタリで、ビエンチャンの観光客も中国人が大半を占めている。海に面してなくて、とりたてて産業のないラオスでは、隣国中国に頼らざるを得ないのも納得できますが...経済が低迷してきて、中国人の個人支出が減ってくると、モロに影響受けるでしょうな。ところが、アメリカの旅行雑誌「CN トラベラー」が昨年「世界で最も美しい小さな町50」に選出したラオスの町があるんですね。メコン川とナムカーン川によって形成された半島の北部にある「ルアン・パバン」の町です。1995年にはユネスコの世界遺産にも登録されてます。なんか遠景を眺める限り、タイやラオスの田舎町で、何の特色もなさそうに見えますが...ここは古都なんですね。メコン川中流域に14世紀~18世紀にかけて繁栄した、ラーンサーン王朝と云う山地タイ人による国家の首都だった町です。実際のところタイ人とラオス人は親戚みたいな関係で、顔を見ただけでは私たちでは判別できません。ラーンサーン王朝は、ラオスをほぼ覆う領域を支配していました。ルアン・パバンは、木造の伝統的な建築と植民地時代の建築が融合したなにか昔の日本を彷彿とさせる町です。なんとなくベトナム中部のホイアンにある旧日本人街のイメージと重なりますね。レンガ造りの家は植民地時代の建築を代表しており、ほとんどがバルコニー付きです。ここに存在する石造りの建物は寺院だけのようです。そして托鉢僧が毎朝歩く姿は、国こそ違え「ビルマの竪琴」を彷彿させるような。他の東南アジアの都会と違って、とにかく静けさがこの町に満ち溢れてる感じします。こんなちっぽけな町にもルアンパバーンと名前のついた国際空港があります。しかし空港の建物からして民家みたいな(笑)なにしろ国際空港と云っても、海外から就航してる航空便はベトナムのハノイやホーチミンからとバンコクとチェンマイからくらいしか無いのですから。つまり空路でこの町を訪れる場合、釜山やシンガポールからヴィエンチャンの国内線経由か、もしくはベトナムかタイ経由でないと来れないのですね。日本からの直行便は首都ヴィエンチャン行きでさえも有りません。そんな町ですから、旅行者用の宿泊施設も質素です。でも最低限の清潔さとスペースは確保されてるみたい。この古都の産業と云えば独特の色合いをもつラオス・シルクくらいしか無さそうです。それも販売してる夜市の様子は閑散としてる。とても他の東南アジアの喧騒にまみれた夜市とは見比べるべくもない。ルアン・パバンの祭りでもっとも大きなのは「ピ・マイ・ラオ(ラオスの新年)」で、毎年4月13日~15日にかけて執り行います。12月末は古くから東南アジア全域で生活してたモン族のテト(旧正月)になります。旅の楽しみ方は人それぞれですが、私はこの町の雰囲気は好きですね。東南アジアの都会と云うとクアラルンプールでもバンコクでもホーチミンでも、どこも喧騒に包まれてますが、ルアン・パバンの町はなんとも田舎然としていて、観光地に見えない。たまには、こんな旅の楽しみ方もアリかも。しかし、ショットバーなんて無さそうなのが唯一の難点かな?(笑)
May 22, 2024
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中国は南シナ海の領有権問題で、フィリピンやベトナムに対して高圧的な態度をとってますね。南沙群島や西沙群島などで、もともと中国領土でもなかったのに領有権と排他的経済水域の管轄権を主張しています。この海域は石油、天然ガスを中心とする豊富な天然資源が存在する可能性があり、また豊かな漁場として、さらにインド洋と東アジアをつなぐ海上交通路として重要な地域なので、勝手に「領海法」なるものを制定して、国際世論を無視してでもほしい海域なんですな。もちろん国際法に違反してます。この中国政府の強硬姿勢に呼応して、中国漁民もわが物顔で違法操業を繰り返してるのですな。では、同じ南シナ海に面するインドネシアはど~でしょう?どっこいインドネシアには、スシ(スシ・プジアストゥティ)海洋水産大臣と云う筋金入りのオバチャンがいるのです。御年59歳のこのオバチャン、学歴は中卒で、旦那とは離婚、ふくらはぎに香港鳥の入れ墨してるし、インドネシアはイスラーム教国なのに宗教上禁止されてるラマダン期間中でも喫煙してるし。なんとも意に介さない性格なんですな。この人、もともとは政治家ではありませんでした。輸出用のロブスターを専門に扱う水産加工会社の社長だったのです。そしたらロブスターを新鮮なうちに素早く輸送するため、セスナ機を使った航空輸送会社を立ち上げたのですね。2004年のスマトラ沖地震では、自分とこのセスナ2機で孤立地域の被災者に食料供給したりしました。そして、今やアジア太平洋地域のセスナによる最大運航会社に発展したのです。そんなオバチャンがインドネシアのジョコ・ウィドド大統領に見初められて海洋水産大臣に就任。そこから、この人の破天荒な政策が中国政府さえも頭痛のタネに。なんせ違法操業操業している船を見つけたら乗組員を船から退避させた後、船を沈没させてるのです。最近でこそ他国船に注水して沈めると云う穏やか(?)な手法に変わってきてますが、以前は平気で爆破してました。それは中国船のみならず、ベトナムやフィリピン、マレーシア、タイなど船籍を問わず、密猟している船見つけたら即爆破です。彼女が海洋水産大臣に就任してから沈めた船は実に516隻にのぼります。違法漁船拿捕のため、航空・海上・漁船統合監視システムをフル活用してるのですね。スシ海洋水産大臣は「中国は大国で自国で強力に独自の法律を執行している。だったら、こちらにも同様の措置をとらせていただきます」と強気の発言。密猟をおこなってた中国人船長などもどんどん起訴しています。彼女が就任してから、インドネシアの漁獲量は2倍にハネ上がりました。それによって同国は今や世界最大のマグロ生産国になったのです。不法漁業の取り締まりで増えた漁業収入を元手に、沿岸警備能力の向上も充実させていってます。インドネシアの国防省は、中国の南シナ海進出をにらみながら、ナトゥナ諸島周辺で海軍基地の整備など抑止力向上も目指しているのですね。彼女の行為に対して「爆破処置は行き過ぎたパフォーマンスだ」とか、「中国への外交摩擦に対して配慮がなさ過ぎる」との批判もありますが、どこ吹く風。そしたら今度はイスラーム教徒の女性なのに愛煙家で、絶えず煙をたなびかせているのを攻撃対象に。それも無視!学歴が中卒なのも「役所では私以外はみな大卒。教授や博士もいて、学のある人に囲まれているので問題ない」と、意に介するそぶりは一向にありません。こうなると痛快そのものですね。強い女性です。
May 21, 2024
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きょうは「バクテリアはどれくらいの速さで落としたりこぼしたりした食品を汚染するか」と云うテーマです。つまり落とした食品を拾って食べる場合、どれくらいの時間猶予があるかってこと。「5秒ルール」と云う迷信がありますね。「床や地面に食品を落としたとき、5秒以内に拾えばその食品は菌に汚染されない」と云うもの。この5秒ルールも地域によってバラつきがあって、3秒ルールを謳うものもあれば、10秒や15秒ルールってのもあります。どっちにしても、落とした食べ物も◯◯ルール以内だったら安全と云うもの。この5秒ルールと同じように、汚れたであろう食品を口にするとき云う言葉が世界中にあります。アメリカでは「人は死ぬまでに1ペック(約9リットル)のホコリを食べる(God made dirt, dirt don't hurt)」スウェーデンでは「胃を綺麗にするホコリもある(Lite skit rensar magen)」スペインでは「綺麗な豚は太らない(Chancho limpio nunca engorda)」ドイツでは「ホコリが胃を綺麗にする(Dreck reinigt den Magen)」etcこれらの慣用句はすべて食品についた「ホコリ」だけに着目してますが、もちろん「落とす」=「ホコリ付着」だけではありませんね。病院の床はいつも清掃されて綺麗そうに見えますが、キレイそうでも実際は雑菌やウイルスで汚染されている。なので5秒ルールなんてものが浸透したワケですが、病院のように汚染された場所と家庭でも条件が違うワケですから、そもそも5秒ルールが成り立たない。どころか5秒ルール内だったら、ホントウに落としたものを食べてもダイジョウブなのか?いったいバクテリアはどれくらいの速さで食品を汚染するのでしょうか?食品を汚染する原因は時間と云うより、むしろ「湿気」です。ウェットフードは、パンやグミキャンディーなどドライフードよりも多くの細菌が付着しやすくなります。またカーペット敷きの表面は、タイルやフローリングの上に落としたときよりも、細菌の付着が少なかったのです(カーペットが乾いてる条件で)。バクテリアで覆われた表面上に食べ物が長く置かれているほど、より多くのバクテリアがその表面に付着するのは事実です。どころか、食べ物が地面に落ちるとすぐに、多くのバクテリアが付着したのが確認されてます。しかし、ほとんどの場合、多少のほこりや床のバクテリアが付着したクッキーを食べても、健康な免疫システムを持つ人に害を及ぼす可能性は低いです。病院の床のように汚染されてる場所でないかぎり、99%の確率でおそらく安全なんです。むしろ常に床などを清潔に保つことが、最も重要なポイントなんですな。
May 20, 2024
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昔、手塚治虫の作品に「三つ目がとおる」ってのがありました。古代ムー大陸に住んでた「三つ目族」の末裔にして帝国の王子 写楽(シャラク)保介は背が小さく頭の禿げた中学生。額にいつも絆創膏を貼ってましたが、その理由は「第三の目」を隠してたから。この絆創膏を剥がすと、たちまち三つ目族の超能力と天才的頭脳を発揮すると云うもの。このマンガは当時オカルトブームだったので大ヒットしたのですが、お釈迦さまにも第三の目がありますね。お釈迦さまの第三の目もシャラクくんと同じように、額の中央、眉の接合部の少し上にあります。これは悟りによってできるとか。イボではありませんよ~ヒンドゥー教にも第三の目があります。仏教やヒンドゥー教では、「瞑想」と訳されるチャクラがいろいろ有って、第三の目は「意識の目」と見なしており、視覚を超えた悟りを開く視点を表しています。ヒンドゥー教のシヴァ神で第三の目は、知識の力と悪の探知を象徴しています。シヴァ神の場合、額の中央にある3本の水平線で描かれています。そもそも私たち人間も含めて、生き物は2つの目だけですよね。シカなど弱い生き物は、通常「単眼視」を持っています。単眼視とは、頭の両側に目があり、2つの視野を1つの大きな視野に組み合わせることができるのですね。これによって、ライオンなど襲ってくる猛獣を警戒するのに役立ちます。逆にライオンなどは人と同じ「両眼視機能」を備えており、目は前を向いているため、見えるフィールドが重なることで奥行きを認識、食べものを見つけるのに役立つのです。どっちにしろ、現実の生き物はみんな目が2つ。三つ目なんていないワケです。ところが、今、生存してる生き物に三つ目族がいるのです。化石を分析すると、かつて多くの動物の頭の上に第三の目があったのが分かります。第三の目は、 哺乳類や鳥類では消えていますが、一部の爬虫類や両生類にはまだこの「頭頂」の目が残っているのです。そのもっともいい例が「イグアナ」。頭頂眼は、本来の眼とよく似た構造を備えており、水晶体、角膜、桿状体に似た構造を持つ網膜、退化してはいるが脳に繋がった神経などを備えているそうです。この第三の目を使って青と緑の光を検出し、時計のように時刻を「読み取る」のですね。つまり「太陽の位置」を第三の目で測ってるのです。こうして影や光の変化を感知することで危険を察知し、航海のコンパスとしても機能します。実は、人間にも第3の目システムの一形態「松果体」があります。ただ残念なことに、人間の場合は頭蓋骨のなかにおさまっており、体内時計をつかさどるメラトニンを分泌する脳器官なだけで、道に迷ってもなんの役にも立たないのですね。
May 19, 2024
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18世紀半ば~19世紀にかけて起こった産業革命以降、我々はGDPの大幅な上昇と引き換えに、地球の環境を汚染し続けてきたのですね。最初は数少ない蒸気機関から始まり、石炭に変わり、それがジーゼルやガソリンエンジンになり...それも乗り物からエネルギー、工場まで覆い尽くすように。そして温室効果ガスの影響で人類はおろか生き物すべてが危機に面してるワケです。昔から「霧の街」と云われてきたロンドンが初めて霧ではなく、スモッグに覆われたのが1952年の12月。これが「世界最初の大気汚染」です。発生からわずか1週間で15万人が入院し、1万2千人が亡くなりました。毎年問題になる「黄砂」は大陸のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠で巻き上げられる砂で、それ自体は有害物質ではありません。ところが、この砂が偏西風で中国の工業地帯に運ばれ、スモッグの上空を通過 している間に、硫黄酸化物、窒素酸化物、水銀などの大気汚染物質を吸着し、黄砂そのものが汚染分質として日本に降りそそぐのです。大気汚染の尺度に「PM2.5」がよく使われますね。PM2.5とは、大気中に浮遊している直径2.5μm(髪の毛の太さの1/30程度)以下のきわめて小さな粒子のことです。粒子の成分は炭素、硝酸塩や硫酸塩、ケイ素やナトリウム、アルミニウムなどさまざまです。吸い込んでしまうと細い気管支や肺の奥まで入り込む恐れがあり、ぜんそくや気管支炎など呼吸器系の病気リスクを高めると云われてます。このPM2.5を尺度にすると、地球上でもっとも汚染されてる国は「バングラディッシュ」です。それに続いてパキスタン、インド、タジキスタン、西アフリカのブルキナ・ファソ、イラクとお馴染みの国々が顔を並べます。日本は96位で、カナダやロシアよりも多少マシな方です。オーストラリアのタスマニア州にグリム岬と云うちっぽけな土地があります。グリム岬は地理的に孤立した場所にあるため、非常にユニークな場所なんですな。グリム岬のすぐ西にある陸地はアフリカではなく、アルゼンチンの南端です。ここの産業と云えば細々と続けられてる畜産くらい。付近に大陸がないので、南極とインド洋からグリム岬に向かう風は直接グリム岬を通り過ぎていきます。それが幸いして、グリム岬の大気中粒子の数は、条件のいい天気の良いメルボルンより、さらに1,000倍もキレイなんです。たしかに牛が生成するガスはありますが、頭数が少ないので取るに足りない量なんですね。そこで、グリム岬には局所的な汚染の影響を受けることなく、地球の大気の変化を正確に測定する観測所が設けられてるのです。この施設では、最低レベルの汚染を測定していることになります。つまり、各国の排ガス規制がもっと進んでいったとしても、自然に汚染されていく地球大気の状態を継続的に監視できるワケです。科学者は「私たちは目に見える最低レベルの汚染を測定しています」と述べてます。グリム岬の科学者は、この空気を「ベースライン」の大気、つまり地球上で最もきれいだと表現しています。ベースラインの大気=地球上でもっともきれいな空気は、とりもなおさず、ここ以外の地ではもっと汚染が進んでるってことです。グリム岬にある「ベースライン」空気監視ステーションから収集された大気は研究室に吸い込まれ、そこでハイテク機械がその化学的および物理的特性を分析します。ここで測定されるのは温室効果ガスとオゾン層破壊物質、そしてエアロゾルや反応性ガス、ラドンです。大気の収集は1978年から行われており、現在約250個のキャニスターがメルボルンのオーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)航空保管庫に保管されています。CSIRO は「年間複数のシリンダーを何年にもわたって保管することで、新しい分析技術を入手したときに、古い空気に戻って改めて分析することができる」と述べてます。グリム岬で最初の大気が測定されたとき、二酸化炭素レベルは330ppm をわずかに下回っていました。最近ではその濃度は417ppm 以上に達しており、1970年代からほぼ25%増加しているらしい。CSIRO は現在、イギリスと組んで宇宙から大規模な海洋水質のモニタリングもおこなってます。
May 18, 2024
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きょうは私のようなオジンにはもっとも似つかわしくない話題で。きょうのタイトル「赤いルージュ」はイミなしてないですね。「ルージュ(rouge)」は、 フランス語で「赤」と云う意味ですから、これでは「赤赤」になってしまう。貸本屋世代で雑誌「ガロ」愛読者には懐かしい"つげ義春"と云う漫画家がいました。私の大好きな作家のひとりなんですが、彼の作品に「紅い花」と云う短編マンガがあります。釣り人である主人公の男性と、山中の小さな一杯飲み屋で店番しているキクチサヨコと云うノスタルジックなおかっぱ頭の少女との触れ合いを描いた作品です。このマンガはモノクロ作品なんですが、なぜか私にはサヨコの唇に真っ赤な口紅が塗られてるように見えるのです。ほとんど人の寄り付きそうもない山中の一杯飲み屋で働く少女が、真っ赤な口紅をしていると云うのはあるイミ不自然ですが、なぜか私のイメージとしては「真っ赤」が似つかわしい。タイトルの「紅い花」が心理的に影響してるのかも知れませんが、ここでの赤い口紅は、現代風の自信と魅力の表現としてではなく、都会と縁のない少女だからこそ憧れとしてせめて口元くらいは飾りたいの心情が表れてるような。現代で赤い唇と云うと、歌手のテイラー・スウィフトが連想されますが、別の見方をすると古典的な女性らしさのようにも見えます。それはクレオパトラにまで遡るのかも。イギリス人考古学者でメソポタミアのウルを発掘した業績で知られるレオナード・ウーリーが見つけたシュメールの「プアビ女王」の遺体は他の豪華な埋葬品とともにペンシルベニア大学博物館に展示されてます。今日のイラクにあたるウルは多くのシュメール王族の墓地だったのですね。そのプアビ女王は、権力における自分の地位を象徴するために、鉛白と砕いた赤い岩を混ぜ合わせて唇を染めました。紀元前3,500年のことです。これが分かってる唇を赤く染めた最初でした。プアビ女王の影響を受けて、多くの裕福なシュメール人がザルガイの殻にリップ着色剤を入れて埋葬されていたことが発掘によって明らかになりました。レッド・オーカーと云う天然土で、赤褐色の顔料があります。粘土とシリカを少量含んだ酸化鉄の土です。アメリカインディアンの赤色顔料として使われてたものですが、もっと古くは、古代エジプトの貴族が大胆な赤い唇を作るために樹脂と混ぜたレッドオーカーを使ってました。クレオパトラは、カメムシの仲間カイガラムシ(虫)から抽出された深紅の色素であるカーミンを好みました。このカイガラムシ、今では食品の着色として、いちごヨーグルトやピンク色のかまぼこ、かき氷のシロップに使われているのですよ。ローマ帝国でも鮮やかな赤い色合いがより高い地位を示しました。しかし、この時代に使われてたのは"水銀を含んだ朱色"のような赤色だったのです。水銀ですから猛毒です。美とひきかえに、ローマ貴族は命の危機に面してたワケです。逆に貧しい人々は、高価な着色料が買えないので赤ワインの沈殿物を使ってましたが、それによって高貴な人より長寿だったと思います。時代がもっと下がってエリザベス1世の時代にはイギリスで赤い口紅がトレンドになって、人気急上昇。原因はエリザベス1世そのものにあります。彼女はクレオパトラと同じようにカイガラムシにアラビアゴム、卵白、イチジクミルクで作った特注の深紅の口紅で唇を飾ったのがキッカケになってブームになったのですね。化粧品会社「エリザベス・アーデン」の創始者エリザベス・アーデンは、1920年代のアメリカ女性参政権運動の中で、女性の権利を求める闘いを象徴する色、勇気の証として「赤」を推奨して当時の活動家女性に大いに支持されたのですね。また彼女は第2次大戦中、兵役にとられた男性の替わりに女性が家から出て肉体労働現場へ進出するに伴い、女性海兵隊員の制服の鮮やかな深紅のトリミングに合わせた色合いと同じ色の口紅を売り出しました。日本に赤い口紅の原料「紅花」が、中近東、エジプトからシルクロードを経由して入ってきたのは3世紀半ば。奈良時代には、身分の高い男女が紅花の色素を化粧に使うようになりました。唐の流行にならい、唇をくっきりと赤く塗っていたのですね。平安時代になると、古代エジプトやローマと同じようにお洒落と云うより、身分や階級を表すものとして用いられました。口紅をつけるときは唇が小さく見えるように、下唇にほんの少し紅を点すのが流行したようです。江戸時代後半になると、一般庶民も化粧を楽しむようになります。粋な江戸の女性たちの間で憧れの的になったのが「小町紅」。紅の原料を買い取って精製し、販売する「紅屋」が続々と誕生しました。江戸時代に日本独特の美学が開花します。下の浮世絵画像で紅を点す女性の口元をよく見ると、下唇が緑色に見えます。これは「笹紅」と呼ばれるメイク法で、純度が高く精製の密度が細かい小町紅を何度も塗り重ねると、唇が玉虫色に輝くのですね。玉虫色に光るのは品質の高い小町紅だけで、そうした小町紅は、現在の金額で1つ6~7万円もしました。これでは一般庶民の女性たちには、とても手が届きません。そこでこうした女性たちは、下唇を墨で塗りつぶした上から、精製の粗い安い紅を塗り流行の「笹紅」を再現したそうです。たかがリップスティクひとつとっても、歴史的にながめると面白いですね。お化粧やファッションは時代時代を反映して、あるイミ歴史の生き証人でもあるワケです。
May 17, 2024
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サンディエゴって、数あるアメリカの街でも日本人に馴染み薄い部類に入る街ではないでしょうか。だけど関空からJALが直行便でてるし、日系企業も数多くあるらしい。それよりアメリカ人には「ファイネストシティ(憧れの街)」と呼ばれてて、住みたい都市ランキング全米10にいつも上位で入ってるらしい。なので、単に私だけがよく知らないだけかもしれません。サンディエゴは西海岸にあるので、リゾート地としても有名なんですが、そもそもアメリカ人の休暇の取り方は我々とは大きく異なります。もっとも有名なアメリカのビーチリゾートはカリブ海、フロリダ、カリフォルニアですが、どこに行ってもアメリカ人は何もしません。ただ、その時をゆったり過ごすだけです。マイアミは、引退した老夫婦が最後をむかえる地としても有名で、数多くの老人ホームがあります。サンディエゴでも、サーファーを見るくらいで、ほとんどの人は日光浴だけ楽しんでる。ハワイは多くのアメリカ人にとって距離感があるので、日本人ほど親近感はなさそうです。だいたいアメリカ人の多くは、カリフォルニアのような西海岸に住みたい人が多いですね。やはり 地中海性気候が影響してるかも。治安も、L.A.を除いて概ねいい方ですからね。FBIの犯罪報告書によれば、カリフォルニアのサニーベールなんて、国内の同規模都市中で最も安全な都市10傑に入っているくらいです。サンディエゴもまた、人口50万人以上の都市で、全米6番目に犯罪率が低い都市です。しかし、サンディエゴをもっとも有名にしたのはトム・クルーズ主演映画「トップガン(Top Gun)」でしょう。この作品の舞台になったのがサンディエゴの海軍基地ですね。サンディエゴには、アメリカ太平洋艦隊の基地が設置されているのです。また、この街には退艦した空母ミッドウェイを保管し、軍事博物館として公開しています。2022年には、トム・クルーズがサンディエゴで開催された「トップガン:マーヴェリック」ワールドプレミアに出席。彼は自ら操縦したヘリコプターでミッドウェイの飛行甲板に着艦しました。アメリカだと、ど~しても人種構成の話になりますが、サンディエゴの白人は58.9%、アフリカン・アメリカンが6.7%で白人が多い印象受けますが、人口の28.8%はヒスパニック系やラテン系です。それはサンディエゴの地理的条件が影響してるのですね。メキシコの国境の街ティフアナと車で30分以内の目と鼻の先にあります。アジア系では日本人が0.7%で、約9千人もいることになります。それはサンディエゴがバイオや製薬をはじめ、医療機器の企業が集中してるのと、カリフォルニア大学サンディエゴ校 (UCSD)などへの留学が多いからでしょう。他にフィリピン系が5.9%、中国系2.7%、ベトナム系2.5%、インド系1.3%、韓国系1.0%、ラオス系0.4%、カンボジア系0.3%、タイ系0.1%の構成です。サンディエゴには、もうひとつ名物があります。アザラシとアシカのホットスポットなんです。12月中旬~5月中旬の出産シーズンは、出産ビーチが閉鎖されたり、立ち入りが制限されたりします。保護活動に熱心なんですね。冒頭に掲出したラ・ホーヤの入り江は、アザラシとアシカの出産ビーチでもあり、人間が遠慮しいしいビーチを楽しんでるくらいです。なにしろサンディエゴの広報では「野生動物が嫌がらせを受けたり、虐待を受けたり、傷つけられたりしているのを見かけたら、サンディエゴ警察か当直のライフガードに通報してください」とまで警鐘してるくらいですから。とにかく景勝はカリフォルニアの中でもズバ抜けていいですね。ただ、この街にも問題があって、人口の14.6%は貧困線以下で、ホームレスの人数はアメリカ国内で第4位の位置にあります。やはりヒスパニック系やラテン系多いのが原因でしょうね。
May 16, 2024
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きのう夕食済ませて、立ち上がったら私の座ってたダイニングチェアの上に小指のツメよりちっちゃい緑色の物体発見。すわ、カメムシか!なんせ近畿ではカメムシ大量発生で、洗濯ものにでもくっついてたのでは?と思って、よく見たら...食べてたグラタンのグリーンピースでした(笑)きょうはパパゴリラ!さんや私も超ニガテな話題、「混雑」のお話しです。長らく人口世界一を誇った中国を抜いて、人口世界一になったのは昨年のインドで14億4,170万人。次いで中国の14億2,520万人で、このふたつの国が突出してるのですね。人口3位のアメリカになると3億4,180万人ですから、一桁違うワケです。3位アメリカの後に続くのがインドネシア、パキスタン、ナイジェリア、ブラジル、バングラデシュと低開発国が目立ちます。日本は1億2,260万人で12位。こうした各国の人口を集計した世界人口で昨年は初めて80億人を突破。80億4,500万人だったのが、今年になるとさらに約7,400万人増えて、81億1,900万人にもなりました。ちなみに人口がもっとも少ない国は、イタリア半島中東部のサンマリノで、3万人しかいません。総人口もそうなんですが、人口密度で云えばダントツの1位はモナコの平方km あたり26,336人です。これに続くのがマカオの21,724人とシンガポールの8,749人ですね。インドは人口密度で云えば、平方km あたり464人、中国は153人で、国の広さがモロに出てます。日本の人口密度は25位の347人、お隣 韓国は527人ですから韓国の方が混み合ってることになります。よく報道されてるのが、日本に来た外国人がこぞって驚くのが日本人はどんなに混雑してるところでも、ぶつかることなく上手に歩くってこと。これが西洋人になると混み合った電車の中でも、自分のスペースは絶対確保して、ゆずるってことをしませんね。アメリカの人口密度は世界180位の平方km あたり約37人と国土の広さでダントツに少ないです。でもニューヨークなんて、あの狭いとこに約1万1,400人もいて、それにものすごい数の観光客を加えるととてつもない窮屈さなんですね。とにかくアメリカにしても、中国、インドにしても都市によって人口密度のバラツキが大きい。それを云うなら日本だって同じですが。人口密度もそうなんですが、例えば道路状況なんかで云うとその国民の意識レベルの違いが如実に現わしてます。道路が狭いとか入り組んでる、そもそも車社会で車が多いと云った事情もあるのでしょうが、車の運転マナーがモロに出るんですね。ニューヨークに行ったとき、夕方のラッシュ時になるとただ広い高速道路が車で埋め尽くされて驚きましたが、みんな整然と運転していてトラブルひとつない。台湾ではとてつもない数のバイクが通勤時間に集中しますが、これまた整然と走っていて何のトラブルもない。バイクが自転車に置き換わったのがオランダ。これも定められた一方通行の自転車道を整然と走っていて小気味いいくらい。ところが、これがインドやバングラディッシュとなるとたちまちカオス。各ドライバーが自分勝手に車線変更したり、ムリなとこに突っ込んでいったり。普通にルール守って走っても渋滞起こる道で、ますます泥沼に自ら足を突っ込んでいく。それに加えて、こうした国のドライバーはなぜか頻繁にクラクション鳴らします。鳴らしたって、事態が改善されるワケないのにただ義務のように。どっちにしても、人口は年ごとに増えていく。のは、いいとしても、問題は日本に象徴されるように若年層人口の減り方ですね。高齢者ばかりになって、少子化がすすみ、国力がどんどん衰えていく。総人口に対し65歳以上の割合が最も高い先進国は日本の他にドイツ、イタリア、アメリカ、フランス、イギリス、スペイン、ポーランド、オランダの9カ国です。一人っ子政策のダメージ大きい中国の上海や南通なども、高齢化が大きな問題になってますね。しかも中国では若者の失業率が急上昇していて、若者のニート化も顕著。高齢化が進む中で、若者は仕事しないでは立ちいかなるワケです。さらに2030年までに高齢化率が最も高くなるのは、ラテンアメリカとカリブ海諸国、次いでアジア、アフリカになると予想されています。こうした地域は先進国よりも早いペースで高齢化が進むと同時に、インフラの未整備や低い国民所得、脆弱な社会セーフティネットなどの問題がさらに深刻化する可能性が高いのです。はてさて、いったいど~なるのやら。今でさえ食料さえ充分に配給されない国がもっと高齢化したら。そんなことも知ってか知らずか、世界のあちこちは人の渦。そんな模様を画像で...
May 15, 2024
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「日式中華」っていかにも中国語のように感じますが、中国で「中華料理」とは云わないですね。中国では「中国料理」。日式中華は、要するに日本式中華料理のことで、中国料理を日本式にアレンジしたり、中国料理に似せて作った純粋な日本料理ですね。日式中華の代表格が 焼き餃子やラーメン。中国で餃子は基本的に水餃子で、日本のように皮が薄めでパリパリしてるのと違って、中国水餃子の皮はモチモチしてしっかりしてます。中国にも「鍋貼」と云う日本で云うところの焼き餃子に似た上海料理がありますが、鍋貼は皮の上に具を載せ、皮の直径にあたる両端を具の上でひっつけただけで両側を閉じていません。餃子の食べ方にも違いがあって、日本では餃子はオカズで、ご飯と一緒に食べたりしますが、中国ではご飯と一緒なんて先ず有りえません。中国で餃子は"主食"と云う位置づけだからです。ラーメンなんて、中国はおろか東南アジアどこでもあるポピュラーな麺料理ぢゃないか!たしかにそうなんですが、スープが根本的に違うのです。中国では「蘭州拉麺」が一般的ですが、中国や東南アジアのラーメンは牛肉や鶏ガラで単純にダシをとっただけ。食べるときに食べる人が調味料を足して、自分好みの味付けにすることが多い。それに対して、日本のは、醤油、味噌、塩味、豚骨など様々なラーメンスープがありますね。とにかく出汁にこだわるのが日本のラーメン。ことラーメンに関しては、日本の方が美味しいと中国人でも認めてます。ラーメンのバリエーションで「酸辣湯麺」ってのがありますね。これとは別に「酸辣湯(サンラータン)」と云う、湖南のスープもあります。酢の酸味と唐辛子や胡椒の辛味と香味を利かせたスープで、具材を煮込んだ後、とろみをつけて、最後に溶き卵を流し込んで仕上げる、めっちゃ美味しいスープ。このスープに麺を加えて「酸辣湯麺」となるワケですが、「酸辣湯麺」は完全な日本オリジナルです。中国で酸辣湯に麺を入れると云う思想はありません。赤坂の中国料理店「榮林」発祥のラーメンです。これからシーズンを迎える「冷やし中華(冷麺)」。これまた日本ならではのオリジナル。中国上海料理にも冷やし麺「涼拌麺(リャンバンミェン=涼麺)」がありますが、中国は生水が衛生的でないので日本のように茹でた麺を水で締めるのではなく、うちわなんかで扇いで冷ますだけです。それ以上に違うのがタレ。涼拌麺はゴマダレなどの濃厚なタレに絡めていただきますが、日本の冷やし中華は冷たい酢醤油を始め、胡麻だれ、味噌だれなどさまざまなタレがありますね。冷やし中華は1937年(昭和12年)仙台市にある中華料理店「龍亭」が始めたものです。当時の飲食店は空調設備がプアだったので、特に油っこいイメージある中華料理は夏に敬遠されがち。そこで、暑い季節でも中華をと考案したのが「涼拌麺」と云うネーミングだけいただいた日式中華。これが広まって、冷やし中華になったワケです。上海は港町と云うことも有って、「茄汁蝦仁(エビのトマトソース添え)」とか「咖哩蝦(エビのカレー炒め)」と云った風に、古くから中国固有でない香辛料を使った料理が多かったです。そんな中国料理で上海風四川料理に「乾焼明蝦」があります。「乾焼」とは汁気のない煮込みのことですね。日本で云うところの「エビチリ」。両者の違いは明確です。乾焼明蝦は薬味と豆板醤で炒めたので、とにかくカライ!それに対してエビチリは、陳建民が日本で中華料理店を出すに当たって、当時、豆板醤が入手困難だったことと、日本人が豆板醤の辛味に慣れてないことからチャップに置き変えて作った料理で、これも日式中華。ご飯もので云うと筆頭格が「天津飯」!かに玉(芙蓉蛋)をご飯の上に乗せて、とろみのある餡をかけた誰でも大好きどんぶりですね。中国で芙蓉蛋をご飯に載せた料理は見当たりません。香港に香煎芙蓉蛋飯(芙蓉煎蛋飯)や滑蛋蝦仁飯などの卵焼きとご飯の組み合わせ料理はありますが。香煎芙蓉蛋飯はエビやハム、野菜などを傷めたあと、卵を投入しますが、この卵は揚げると云う表現の方が正しい。そもそも中国料理にはとろみをつけた餡をかけるという思想がないのです。同じように中華丼も完全に日本発祥のお料理ですね。中国料理店のステッフ用まかない料理だったとか、八宝菜を注文した客が「ご飯の上にかけてほしい」と要望したとか諸説ありますが、いづれにしても中国に中華丼はありません。さて、問題は「チャーハン」です。チャーハンなんて中国や日本だけでなく、東南アジアどこでも食べられてるポピューなお料理ですね。もう庶民料理の代表格みたいな。トルコ料理に代表される「ピラフ」はチャーハン(焼き飯)と違って、いわゆる炊き込みご飯の類ですね。チャーハンは隋代から宋代にかけて中国で生まれたようです。ところが本場、中国の人はレストランにいってチャーハンを注文する人は稀らしい。中国でも「揚州チャーハン」のように具材の入ったものもありますが、基本的に中国のチャーハンはまともに具が入ってないのが普通です。中国チャーハンは、昔、貧乏で食料がない時代に炊いたご飯が余ったら、豚肉の脂身からラードをとって、そのラードだけで、ご飯を炒めて出すのが「チャーハン」だったからです。なので日本のチャーハンのようなパラパラ感がなくて、もっとギトギト油っぽいものでした。そんなラード焼き飯の豪華版が、ネギや卵くらいを入れものですから、日本を始め、東南アジアのチャーハンとは比べ物になりません。中国では家庭もてなし料理で客人にチャーハンを振る舞うこともないし、レストランでわざわざ頼むようなモンでもないらしい。このチャーハンとラーメンの半チャンセットは日本ではアタリマエの組み合わせですが、中国にチャーハンとラーメンのセットメニューは全く存在しないです。中国人にとって両方とも主食のカテゴリーなので、これでは主食+主食で有り得ない組み合わせなんですね。中国人が餃子とご飯をセットで食べないのと同じです。
May 14, 2024
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トルコの曲と云うと「トルコ行進曲」?アレはオスマン帝国軍楽隊の音楽に刺激されて、モーツァルトやベートーヴェンが作った楽曲でんがな(笑)日本では古くは江利チエミの「ウスクダラ」ってのがあったそうですが、この曲はトルコの民謡「キャーティビム (Kâtibim)」を元にアメリカ人のアーサー・キットが歌ったのをカバーした曲なんだそうな。私も幼かったころの、あまりに古すぎる曲で、まったく記憶にありません。なんせ1954年の第5回紅白歌合戦で歌われてた曲なんですから。私がバンコクで滞在してた1978年にリリースされたのが、庄野真夜の「飛んでイスタンブール」。こっちは純粋に日本の曲で、筒美京平の作曲ですな。当時サンスイのステレオと「飛んでイスタンブール」のレコード持ってたので、マンションのお隣さんのイスラエル人老夫婦が繰り返しかけてくれとオネダリされましたが、これがイスタンブールに憧れた曲だとはついに明かせませんでした。なかなか日本にいてトルコの現代音楽聞く機会なんて無いですね。きょうは現代トルコの人気楽曲「Bi Tek Ben Anlarim(私だけが理解できる)」をお聞きください。しみじみとしたバラードですが、やはり欧米の曲とはかなり違います。Bi' Tek Ben Anlarım (Akustik) - Zeynep Bastıkトルコと云うとブルーモスク(スルタンアフメト・モスク)やアヤソフィア大聖堂、地下宮殿(バシリカ・シスタン)などのあるイスタンブールとか、中央アナトリア歴史的地区のカッパドキア、そして「がっかり遺跡」で有名なトルコ北西部のトロイの木馬で有名なトロイ遺跡くらいかな?あとはメヴレヴィー教団の回転しながら踊るセマーと呼ばれる踊りで有名なトルコ中部のコンヤの町か。昔々、オルハン(Orhan)と云うオスマン帝国第2代皇帝がおられたそうな。オスマン帝国の実質的な建国者と云われる人物なんですが、トルコの教科書ではオルハンの誠実な人格と信仰心が称賛されてます。オルハンは、攻略直後のイズニクにモスクや神学校のマドラサと共に建てた「救貧院」の開設式のとき、自らスープを配り、夜には薪を焚いたと云うことです。トルコ北西部に、ヨーグルトをかけて食べるケバブ(イスケンデル・ケバブ)の発祥の地として有名なブルサ(Bursa)の街があります。シルクロードの西端の都市として繁栄した街でもあり、ここをオルハンはオスマン帝国の首都としたのですね。1324年に王位に就いたオルハンは、1326年にブルサを占領。市壁を超えて拡張していなかったブルサの都市を発展させるため、オルハンは東に向かって要塞とモスクの複合施設を次々と拡張していったのですね。そうした遺跡も、1413年にカラマン朝のベイ・メフメト2世による包囲によって放火され、マドラサ、メクテプ、イマレットと云う複合施設は崩壊してしまいました。そうした中で、オルハンが1339年~1340年に建てさせたモスクが残ってます。「オルハン・モスク」と呼ばれるこのモスクの正式名称は「イズニク・アヤソフィア・モスク」。オルハンがブルサ征服後、城の外に建てられた最初の建造物で、モスクと同時に宿泊施設と集会場を提供する複合施設のひとつです。この建物はユネスコ世界遺産に登録された敷地内にあります。このモスクは11世紀に発生した大地震後に修復されてます。間口に石とレンガで建てられた高く尖ったアーチ、レンガ造りの日輪、ロゼットなど多くの特徴的な形状をしてます。オルハン・モスクは、4世紀~5世紀のローマ時代に建てられた体育館の石の基礎の上に作られたのですね。11世紀の大地震でほぼ全壊しましたが、その建物残骸を1.4m かさ上げして再建。外壁が修復され、身廊(聖堂内部の中央の細長い広間部分)の壁が建てられました。それをオルハンによるイズニク征服の後、建物は再び高くなり、身廊を隔てる支柱が交換され、ミナレットとミフラーブが追加されてモスクになりました。2006年に トム・ハンクスに主演した映画「ダ・ヴィンチ・コード」には、このトルコの街イズニックのことがでてきます。ダ・ヴィンチ・コードってキリスト教の映画なのにナゼ?だってオルハン・モスクを始めイズニックそのものが、古くはローマ帝国に支配されてたのですから、キリスト教がでてきても不思議でない。ダ・ヴィンチ・コードに「ニカイア会議」と云うくだりが出てくるのですが、このニカイアこそ現在のイズニックのことなんです。ローマ帝国の皇帝コンスタンチィヌスが325年のニカイア会議で、聖書を作り、マグダラのマリア(イエスに従った女性で聖人)を娼婦とする見解を示したとしてるのですが、これは小説・映画の世界の話で事実ではありません。そう云うこともあって、イズニックはバチカンによって3番目の聖なる都市とも宣言されてます。つまりトルコにありながら、キリスト教徒にとっても重要な街なんですね。
May 13, 2024
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行ったこと無い、また、これからもおいそれと行けそうにない処でも、土地土地のお料理は興味つきないですね。日本のチェーン店も、それはそれで存在価値もあるけど、やはりその土地ならでは、そのお店ならではの美味しい料理が出てくるとこの方がダンゼン魅力的。私がいつも感心して拝読してるのが、パパゴリラ!さんのブログで、よくまぁこんだけ美味しそうなお料理出てくるところ探して来られるものだと。とりわけお蕎麦のお店は、特別なお蕎麦臭覚が発達してるのでは?と(笑)それも海外のお料理となると、日本人には口に合わなかったり、土地の人からしたら何でもなくても、見かけがグロテスクだったり。もともと日本人がどんな国のお料理も上手にこなして、日本独特の繊細さや味付けで、やはり日本の右に出る国はなかろうと思います。バルカン半島にあるモンテネグロって国。クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、アルバニア、コソボと国境を接した日本人にはなかなか馴染みのない国ですね。福島県とほぼ同じ面積のちっちゃな国です。もともとユーゴスラビアの構成国のひとつで、長らくオスマン帝国や旧ソ連など隣国の干渉を受け続けてきましたが、ロシアの反発を無視して、2017年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟してます。モンテネグロは周辺国と同じように城壁に囲まれた旧市街が観光のウリですが、同時にアドリア海に沿った細長いビーチも有名。ですが、首都ポドゴリツァまで関空からだと一ヶ所経由の最短でも17時間30分。だいたい21時間~33時間はみとかなきゃなりませんから、おいそれと行ってみようとはなりませんね。やはりイスタンブールやローマあたりで遊んでから移動しないと。そんなモンテネグロの美味しいものって?モンテネグロの至るところにカフェや屋外レストランがあります。とても雰囲気のいいお店ばかり。モンテネグロで、何を差し置いても先ずご紹介しなければならないのがワイン!2006年の映画「007/カジノ・ロワイヤル」では、ダニエル・クレイグ扮するボンドがモンテネグロ行きの列車内でモンテネグロワインを楽しんでました。モンテネグロは2,000年以上の歴史を持つワインの特産地です。赤ワインに使われる「ヴラナッツ(Vranac)」は、モンテネグロ原産の葡萄で、果実は大きくて色が濃く、紫や濃い青の薄い皮を持ちます。高品質で辛口の赤ワイン生産に使用され、カベルネ・ソーヴィニヨンやメルローなどとの相性も良く、程よいタンニンの苦みと長く続くフルーティーさが特徴的な辛口でスムースな飲み口です。白ワインだったら「クリスタッチ(Krstac)」、黄金色の辛口ワインです。ワインとくりゃ、アテは決まってますね。モンテネグロには「ニエグシュの生ハム」と云う絶品の生ハムがあります。肉の信じられないほど濃い色と強烈な味が、この名物料理の特徴です。肉を約3週間塩漬けし、約3週間プレスして余分な水分を取り除き、軽く燻製。涼しい山の風で3ヶ月間乾燥させ、その後熟成させます。完成までに約1年かかる、手の込んだ生ハムなんです。ワインに生ハムとくりゃあ、お次はチーズですね。モンテネグロのニェグシ村は、ハムや地元のスモークチーズで特に有名です。モンテネグロ山岳地帯の伝統料理カチャマックは、セルビア料理ですね。カチャマックは、砕いたジャガイモとカイマック(クリーム状の乳製品)、羊のチーズを混ぜたトウモロコシのお粥です。かなりお腹にボテッとくる料理です。モンテネグロの隠れた国民食と云われてるのが「ニェグシュキ・ステーキ」。ハムとチーズを仔牛肉の薄いスライスに折り込み、グリルした料理です。これは有名なセルビア人シェフ"ミロヴァン・ミチャ・ストヤノヴィッチ"の発案ですが、これそのものも、子牛肉の代わりに豚肉を使用したり、肉を詰める代わりに生ハムで肉を包んだりしたバリエーションもモンテネグロの人気料理のひとつになったのです。「肉巻き肉フライ」みたいなのが「ポペツィ」。たたいて薄く伸ばした鶏肉に、ハムとチーズをのせて棒状に巻いたものを揚げて、タルタルソースでいただくと云うもの。ナイフを入れると、熱せられたバターがあふれ出てきます。シーフードでは「ブザラ」と云うエビやルーム貝、アサリ、イカを赤または白のワインソースで調理したガーリックシーフード料理があります。オリーブオイル、ニンニク、パセリ、トマト、ワインを材料とするシンプルで伝統的なレシピです。ブランシン(アドリア海のスズキ)やオラダ(金目鯛)、ロンブン(鯛)、ズバタック(デンテックス)など鮮魚をグリルしたのも名物です。
May 12, 2024
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英語のレッツイート(Let's Eat)はまんま「さぁ、食べましょう」、フランス語のボナペティ(Bon appétit)は「召し上がれ」、イタリア語のブォンアッペティート(Buon appetito)は「よいお食事を」のイミで、みんな食事の前に発する言葉です。しかし日本語の「いただきます」や「ご馳走さま」みたいに、料理を作ってくれた人や、食材に対して感謝の意を表する言葉は世界中見渡しても他には見当たりません。ところがベトナムでは食事の前に「チュク・ノン・ミェン(Chúc ngon miệng)」と云う言葉を発して、これは「いただきます」のイミです。ベトナム料理と云うとみなさんは「フォー」とか「ゴイ・クオン(生春巻き)」を連想される方が多いと思います。とにかくベトナム料理はあっさりしてるのが多くって、濃い味好みの人は、後から調味料を足して調整していくのですね。なので日本人にはとても受け入れやすい。パクチーがニガテな人は、オーダーのときそう云えば抜いてくれます。もうひとつ忘れてませんか?「バインミー」 バゲットに肉や野菜を挟み込んだベトナム風サンドイッチです。あんなモン料理と云えるの?ただの安くて手頃なだけの屋台料理やんか!たしかにバインミーは安いですね。カフェなんかだと3万ドン(約181円)以上しますが、露天だと1万2,000ドン(約72円)~1万5,000ドン(約91円)。高いものでも2万5,000ドン(約151円)~3万ドン(約181円)くらい。これでも円安で貨幣換算率が変わっての値段です。実は、ベトナムのバインミーとよく似たサンドイッチがラオスやカンボジアでも売られてます。ラオスの「カオ・チー・サイ・クワン(Khao Jee thai kuan)」、カンボジアの「ヌンパン(Num Pang)」がそれで、共通点はサクサク食感のフランスパンです。つまり植民地だったときのフランスの置き土産なんですね。植民地そのものは列強が好き勝手やったとんでもない所業ですが、こうして食文化では貢献してたのです。ラオスの「カオ・チー・サイ・クワン」が屋台で10,000キップ(約130円)、カンボジアの「ヌンパン」は屋台で4,000リエル(約151円)くらい。バゲット自体はフランス由来ですが、ベトナム人によってバインミーに生まれ変わることによって独自世界が作られました。 バゲットに塗るパテとマーガリンは、バゲットの柔らかさとともに歯ごたえを引き出し、具には焼き豚やソーセージに加えて漬物、パクチー、キュウリがこれでもかと詰められます。とにかく食感が秀逸。ラオスの「カオ・チー・サイ・クワン」は食べたことあってよく知ってるのですが、ベトナムのバインミーはヨメとホーチミンに行ったときが初めての経験。少食なふたりでは、1個のバインミー半分づつで丁度いい腹具合になりました。もはやバインミーは世界的なサンドイッチですね。最近、バインミーはアメリカのCNN投票でアジアのベスト・ストリートフードのトップ50に選ばれました。また2011年には、バインミーがオックスフォード辞書で正式に固有名詞になりました。1958年、サイゴン(ホーチミン)のホアマーベーカリーは「あらゆる具材の入った」持ち帰り用フランス風サンドイッチの販売を開始しました。その後、小麦粉の品質やパンの大きさも大きく変わりました。本家フランスと異なり、ベトナムのパンは手にフィットする大きさで、外皮はカリカリ、ひび割れが多く、中はフランスのバゲットよりも柔らかくスポンジ状です。このバゲットに、さまざまな種類のハム、パテなどと共にピクルスやパクチー、スパイシーで風味豊かな唐辛子などを挟み込み、ベトナム人はとても繊細な料理に生まれ変わらせたのです。ちなみにバインミーはベトナム語で「パン」のイミなので、食パンで作ってもバインミーです。ところで欧米人ってホーチミンのことをみんな旧名の「サイゴン」って平気で使ってるのですけど、アレっていいのかしら?
May 11, 2024
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実際には「火」なんて食べれないのに「ヒクイドリ(火食鳥)」。喉に垂れ下がった肉の塊「肉垂」が赤くって、火を食べているかのように見えることから そう名付けられたのですが、それを云うならニワトリだって一緒なのに。以前は大阪の天王寺動物園にも1羽のヒクイドリが居ましたが、現在はHP上でも確認できないので亡くなってしまったのか?ヒクイドリは、ダチョウに次いで現在の地球上で2番目に重い鳥さんです。平均するとオスで約29kg ~34kg ですが、メスの平均体重は約58kg もあります。最大のものは85kg なんてのも記録されてます。腰を曲げてるので分かりづらいですが、背の高さも平均で127cm ~170cm もありますから、人間の子供よりはるかに大きいですね。生息地はインドネシアからパプアニューギニア、オーストラリア北東部です。頭のトサカは骨に似た成分で、ヤブの中なんかでヘルメット代わりになるらしい。ダチョウと同じで飛べませんが、頑丈な脚で時速50km くらいで走ることができるらしい。問題は臆病で気性が荒い性格と、殺傷能力がある丈夫で刃物のような12cm ほどの鉤爪なんです。今まで確認されたのは2件だけですが、ヒクイドリは人間を殺害したことが知られている唯一の鳥なんです。1件は1926年にオーストラリアの10代の少年を殺害したのと、もう1件は2019年に フロリダのヒクイドリ飼い主が誤ってヒクイドリの檻に落ちて殺害されたのです。それ以外では、ワンちゃんや馬も襲われてますし、窓やドアを破壊したのは数え切れないほど。なぜヒクイドリは人間を襲かと云うと、よかれと思って人間がご飯をあげることが原因なんです。ど~やらヒクイドリはダチョウと同じで、相当にアホなんですね。人間がご飯を与えると、人間=食券(ご飯)と勘違いして、お腹が空いてると見境なしに攻撃してくるのです。つまり野生動物全般に云えることですが、むやみにご飯をあげてはいけないと云うこと。それとともに、赤ちゃんづれのヒクイドリの場合は、他の生き物と同じで赤ちゃんに対する防衛本能で人間を襲ってきます。それで日本では有りえませんが、もしヒクイドリと遭遇したら、背を向けずにその場から立ち去ることしかありません。攻撃されたら骨を折られたり、内蔵を破裂させられたりされます。
May 10, 2024
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私が頻繁にラオスの首都ビエンチャンを訪れてたのは、まだベトナム戦争最中だったので飛行機の乗り入れができませんでした。今だったらビエンチャンのワットタイ国際空港が出来てるので、バンコクから1時間ちょっとでビエンチャンに着きます。私が行ってたときは長距離夜行バスか、鉄道のチョイスになりますが、私はバス経験ありません。だいたい運転荒いタイ人運転手の長距離バスなんて絶対乗りたくない。当時、バスを利用してた人に伺うと、事故こそなかったけど、途中でバスがエンコして大幅に遅延が数回あったそうです。当時、バスで行くにしても、鉄道利用でもラオスとの国境にある町ノーンカーイまでで、そこからメコン河をボートで渡航することになります。そしてバンコク発ノーンカーイ行きは、バスにしても列車にしても夕方出発で、翌早朝着でした。つまり列車だったら、寝台車利用になるワケです。ノーンカーイまでの夜行列車、私らのころは2段ベッドの2等車両とコンパートメントの1等車両の2種類でした。2等車両には2~3回乗りましたが、後はずっとコンパートメントです。2等車両には冷房がついてなくて扇風機だけ。ベッドの下段には窓がありますが、運悪く上段にアサインされると窓のない閉鎖空間です。列車が走り出して、最初の30分くらいは物珍しさで外を眺めてますが、山のないジャングルをひた走るだけで、スグ飽きてしまって、もっぱら食堂車でタイ料理をアテにお酒ばかり飲んでました。今では例えば台湾の新幹線のように、台北市東端の南港駅~台湾第二の都市「高雄」の左営駅まで345km を最短1時間45分で走破します。東南アジアどこでも高速鉄道がアタリマエになってきました。現在バンコクの中央駅は「ファランポーン駅」から日本の協力で建設された「クルンテープ・アピワット中央駅」に変更されてますが、ノーンカーイに行くには依然、夜行列車が利用されてるらしい。今でもバンコクからノーンカーイまで10時間30分かかるので、昔と大差ないですね。バンコクからノーンカーイやチェンマイへは、ひたすら北に向かって走るワケですが、逆に南に向かうとリゾートで有名なのホアヒンからプーケット経由でマレーシアに繋がってます。私はマレーシア方面への列車旅したこと有りませんが、こっちの方が海岸線も走るので景色はよさそうです。バンコクからマレーシアまで1,500km 、今でも27時間かかります。マレーシアの列車出発駅は首都クアラルンプールの「KLセントラル駅」です。この駅も一度見学しましたが、列車駅なのに、マレーシア航空やキャセイパシフィックのチェックイン・カウンターがあるのですね。バンコク・クアラルンプール間の列車、今はとても立派な車両使ってます。最高時速は140km です。これはシンガポールからクアラルンプールへ向かう列車も一緒ですね。現在、この列車にはビジネスクラスがあって、こっちだと飛行機と同じように駅の専用ラウンジが利用できます。ラウンジにはソファーや空港と同じで、無料の飲み物なんかが提供されてます。少し前まではカード形式のチケットでしたのに、国際列車だけは自動改札に通りませんでした。今は自動改札で対応してるみたいです。高速列車の座席は概ね快適そうです。各席に引き出し式のディスプレーが設置されてて、これを使って航空機よろしく進路の画像を見たり、飲み物や料理のオーダーができます。他に車内販売のカートも来ます。朝は一斉にベッドをたたむのではなく、乗客が起きたところから車掌さんが座席に戻していくようです。鉄道でタイとマレーシアを移動するとき「パダンベサール」が国境駅になります。ここにタイ・バーツとマレーシア・リンギットの両替所もあります。一度鉄道を降り、出国審査を受け、直ぐに入国審査を受けます。これで出入国が完了。簡単ですね。手続きを済ませたら、また高速鉄道に乗り、マレーシア側はペナン方面、タイ側はハジャイ方面へ向かいます。
May 9, 2024
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タイの首都バンコクは世界的な観光地と云うこともあって、シャングリ・ラやマリオット、ザ・ペニンシュラなど名だたる五つ星ホテルが目白押しです。世界的なヒルトンやインターコンチの方が格下。それに加えてタイ王朝が運営していたグランドハイアット・エラワンやサマセット・モーム、ジョセフ・コンラッドなど錚々たる文豪が愛したマンダリン・オリエンタルも。お金に糸目をつけなきゃ、いくらでもラグジュアリーなホテルライフが楽しめます。そんなバンコクのホテル事情で、私も最近まで知らなかったとてつもないホテルがあるのです。ホテル名は「ザ・サイアム(The Siam)」。このホテル、世界的に有名なホテルブランドとは無縁の、なんと家族経営のホテルなんです。部屋数も少なくて、スイートとヴィラを合わせて39部屋しかありません。日本で云えばペンションに毛が生えた程度のホテルです。しかも立地がイマイチなんですね。開発が最も遅れたチャオプラヤ川に面していて、歴史的な建物が残るバンコク西部のエリアにあります。バンコクの繁華街中心地サイアム地区までタクシーでうまくいって20分くらい。交通渋滞の激しいバンコクでは、ほとんどもっとかかります。ホテル周辺は政府関係の建物ばかりです。ところが、この立地の悪さがいい面も。喧騒はげしいバンコク市内としては、とても閑静なんです。街の中心地へはホテルの専用ボートでアクセスするらしい。つまり、あくせく観光する人向けぢゃなく、ホテルでゆったり過ごしながら、気が向いたら出かけるような方向けなんですね。このホテルの設計、デザインは著名なアメリカの建築家ビル・ベンスリー(Bill Bensley)です。ベンスリーと云えば、ベトナムのハノイ市内一等地、オペラハウスの目と鼻の先に建たった「カペラハノイ」とか、同じベトナムの中国国境に近いサパ市内の「Mギャラリーサパ」とかとにかくデザインの秀逸なホテルばかり。そんな一流の建築家が手掛けたホテル「ザ・サイアム」です。単に豪華ぢゃなくて、デザイン的に優れてるのは疑う余地ありません。それが...まったく的得た想像通り、こんなホテルはバンコク市内ではオリエンタルホテル以外知りません。いや、オリエンタルホテル以上かも。まぁ、「ザ・サイアム」の内装を見てください。驚きの連続です。ね!なかなかのホテルでしょ。だいたい客室からバルコニーに出れるのがいいですね。他にも、エレベータの床は大理石。しかも内部に本革のソファーが完備されてるのです。客室のお風呂もクラシックスタイルだし、廊下のあちこちがアンティークで装飾されてます。いい感じですね。泊まってみたいホテルだけど、ここは1泊ぢゃなく、最低3~4泊しないと楽しめないなぁ。1泊80,000円くらいからです。とても手がでません。円安が恨めしい...
May 8, 2024
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可愛いカエルくんと云えば、この子たちに尽きるぢゃないですか。コーワ薬品の「ケロちゃん」と「コロちゃん」。ケロちゃんとコロちゃんの役目は芽キャベツ畑を青虫などから守る、カエルのおまわりさん。カエルは、害虫は食べるけれどキャベツは食べない。そう云えばコーワにはキャベツの絞り汁から見つかった胃粘膜修復成分を配合した「キャベジン胃腸薬」がありますものね。日本にいる固有のカエルは、ニホンアマガエルの他に、マアカガエル、ニホンアカガエル、トウキョウダルマガエル、ツチガエル、ヌマガエル、そしてシュレーゲルアオガエルの7種類。ケロちゃんとコロちゃんは、ニホンアマガエルですかね?模様の有無から云えばシュレーゲルアオガエルの方が近いかな?よく分かりません。それでは、みなさんはこの子ご存じ?南アフリカやジンバブエ、ナミビアなど
May 7, 2024
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バナナぢゃないですよ~キューバの首都ハバナです。文豪ヘミングウェイが小説「老人と海」を書いた地ですね。ヘミングウェイはこの街をこよなく愛していて、晩年はここで暮らしてました。日本からは距離感があるので、ニューヨークに行ったときマイアミまで足のばしてキューバまで行っときゃよかったのですが、もう後の祭りです。マイアミからキューバだったら、東京~仙台くらいの距離なのにねぇ。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」と云う音楽ドキュメンタリー映画が1999年に公開されました。監督はU2のボノがロスの屋上に設置された巨大看板を見てイメージの着想を得た作品で私の好きな「ミリオンダラー・ホテル」を監督したヴィム・ヴェンダースです。作品はこれまで世界的にほとんど日の目を見なかったキューバ人ミュージッシャンのカーネギーホール公演までの道のりを描いてます。この作品ではブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのメンバーによる活動と同時に、当時のキューバの日常が描かれてて、1991年のソ連崩壊から2015年のアメリカとの国交回復まで、過渡期のキューバが読み取れる作品でした。Buena Vista Social Club (1999) Trailerハバナの旧市街にはヘミングウェイが移住する前の1931年~39年まで、常宿としていた「ホテル・アンボス・ムンドス」があります。メイン・ロードのオビスポ通り沿いにある、サーモン・ピンクに塗られた5階建てのネオ・クラシカルなホテルです。このホテルでヘミングウェイは「誰がために鐘は鳴る」などを書き上げたのですね。ホテルのヘミングウェイが泊まってた511号室は、今も当時のままの調度品が置かれ、ヘミングウェイの私物も残されてます。シガーと云うとハバナと云うほど「ハバナ・シガー」は世界的に有名ですが、コイーバ、パルタガス、ロメオYジュリエッタ、モンテクリスト、ホヨー・ドゥ・モントレーと有名どころが目白押しですね。その中でも最高級品のコイーバは、もともと1960年代にカストロ元首相のお気に入りとなってからいっぺんに有名になりました。キューバ国内でも特に有名なシガー用葉タバコ産地であるブエルタ・アバホは、世界で最もシガー用葉たばこ栽培に適した土地と云われてます。ただしですよ。アメリカにキューバの葉巻を持ち込むことは禁止されているのです。それはキューバ以外の国で買った場合でも、アメリカ持ち込みは違法行為なんです。これで捕まると約500万円の罰金と刑務所に入る可能性もあります。映画007シリーズでジェームズ・ボンドが乗る車と云うと、アストンマーティンDB5を皮切りに、トヨタ2000GT、ロータス・エスプリ、BMW 750iLなど当時最新の高級カーが使われてました。ところが上の画像「007 ダイ・アナザー・デイ」でボンド役ピアース・ブロスナンが駆る車は1957年製フォード・フェアレーン・コンバーチブル!この作品の公開は2002年ですから、完全にクラシックカーで、この車でキューバ中をドライブします。ご存知のように1959年のキューバ革命以降、キューバはアメリカから車を輸入できなくなりました。それでキューバの人々は革命以前から所有していた車を修理や手入れをしながら、次の世代へと繋いできたのです。その背景には「車両価格×8.0+関税」と云う政府が決めたルールによる価格の高騰があって、新車はキューバ庶民にとってあまりにも高嶺の花なんですね。キューバの街中で見かけるピカピカのクラシックカーは、実はオリジナルの部分を残しつつ、何度も修理や塗り直しが施されているのですね。だから、こんな環境にそぐわないアストンマーティンなんかをボンドがキューバで走らせるのは、いくら映画とは云えウソ丸出しになってしまうので1957年製のフォードにしたのですね。もちろんオートマ車ぢゃないですよ。キューバでは今でも推定60,000台のアメリカ製クラシックカー、そのほとんどが1950年代のものが走り回っています。これらのアメリカ製クラシックカーは、キューバのスラングで「ヤンクタンク」や「マキナ」と呼ばれます。フォード・フェアレーンは1955年~1971年にかけて販売されました。名前はミシガン州ディアボーン近くにあるヘンリー・フォードの邸宅フェアレーンに由来しています。シボレーにフォードやクライスラーを始めチェコ・スロバキアのシュコダ・オクタビア、見る頻度は少ないけどメルセデスやロシアの車、フィアットなど、どの車も博物館ものばかり。それがカオスな路地を走り回ってるのです。いい雰囲気ですね~意外にタクシーはそんなに走ってないようです。ハバナの街角にはタクシー待ちの長い行列。とにかくハバナはメキシコやペルーなど中南米諸国の中でもとびきり魅力感じますねぇ。ゴミはそこそこ道路に落ちてるけど、街の雰囲気がとてもいい。中南米独特の人々の明るさがそのまま感じられる街のように思います。
May 6, 2024
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きのうは海の奇妙な生き物をご紹介しましたので、今日は陸上で見かけがヘンチクリンな生き物を。ヘンチクリンなのは人間が生き物の中でイチバンでしょうけど。先ずはマダガスカルの固有種「ローランドスジテンレック」から。「テンレック」と云うのはアフリカとマダガスカルのみで生活してる「アフリカトガリネズミ」の仲間です。上の画像のテンレックは普通にネズミ然としてますが、ローランドスジテンレックはかなり奇妙な面相です。先ずはお顔拝見。コイツの特徴は「トゲ」ですね。天敵から身を守るために、黄色か栗色の縞模様が入った黒い鋭い棘を進化の過程で獲得したのです。ただ腹部には針がほとんど生えてません。大きさは大したことありません。大人で最大17cm くらい成長したのが記録されてますが、平均すると14cm くらいです。体重は125g ~280g くらい。ローランドスジテンレックのトゲは、振動することで音響装置として機能します。これで音を鳴らして母親と子供がコミュニケーションとったり、天敵への警告信号に使用されているのですね。その音はコオロギやセミが発する音に似てます。天敵の匂いを感知したときに足を踏み鳴らしながら、トゲを横方向や前方に立てることで防御反応を示します。お次はミツバチとよく似たライフスタイルをもってるエチオピアやケニアで生活してる「ハダカデバネズミ」を。ミツバチとよく似たライフスタイルと云うのは、地下の巣穴にある大規模なコロニーの中で、1匹のメス(女王)と選ばれた少数のオスだけが繁殖を許され、残りの連中は労働者や兵士として生涯を過ごすのです。烏合の衆は、トンネルを掘り、天敵からコロニーを守ります。こんな人生を送る哺乳類は他にいません。「ハダカデバネズミ」の「デバ」と云うのは要するに出っ歯。ハダカは体毛が生えてないからです。また口唇が襞(ヒダ)状になってて、門歯の後ろで閉じるようになってます。これは穴を掘るときに土が口に入るのを防ぐためですね。身体はチッチャイです。体長は10cm ~14cm くらい、シッポの長さが3cm ~5cm で、体重は10g ~70g くらいです。このハダカデバネズミってのは、哺乳類でありながら唯一の変温動物なんです。体毛が無いことや環境の変化が少ない地中で生活するため体温を調節する機能がなく体温も低いのですね。なのに他のネズミたちの平均寿命より約10倍長い30年も生き続けます。しかもガン(癌)に対してものすごく強い耐性があるのですね。ハダカデバネズミでガンにかかったヤツなんて発見されたことなかったのです。それで科学者たちはハダカデバネズミのDNA解析を積極的におこなってて、人とのゲノムの違いからガンになりにくい体質を研究してるそうです。またハダカデバネズミは酸素がない環境で18分も耐え、大きなダメージも残らないのですね。これは無酸素状態になったとき、通常の酸素呼吸とは別の仕組みでエネルギーを生み出すとみられてます。これも人間が心臓病などで、無酸素状態になったときに起こる損傷を防ぐ治療につながる可能性があるとして、科学者の研究テーマになってます。最後にご紹介するのは、カナダ南東部からアメリカにいる「ホシバナモグラ」。お顔が滑稽と云うか、なんかエイリアンみたいなお鼻してます。身体はチッチャイです。体長が12cm ~13cm 、シッポの長さは6cm ~8cm 、体重は70g 前後しかありません。この子たちモグラと云っても、地中生活に完全には適応してなくて、湿地帯に住む半水生の生き物なんですね。なので、泳ぎが上手です。鼻の先のエイリアンみたいなのは、11対(22本)の触手です。モグラですから、耳と目は退化してますが、この触手が敏感で、人間が瞬きするよりも7倍の速さで触れたものを識別することができます。人間の手には17,000個の感覚受容器(アイマー器官)が詰まってますが、ホシバナモグラの触手はこんなにチッチャイのに25,000個の感覚受容器が詰まってるのです。アイマー器官によって、かすかな地面や空気の振動も感じることができます。
May 5, 2024
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陸上で生活してる生き物は約150万種類で、その80%が昆虫と云われてます。ところが海の中にどれぐらいの生き物が生活してるのか、よく分かってないのですね。現在は、恐らく1,000万種類以上の生き物がいると予想されてます。なんせ地球の約70%が海ですから、そりゃあ多種多様にいるでしょうね。そんな海の生き物で、これはと思うヘンチクリンな生き物をいくつかご紹介しましょう。先ずはレッドリップ・バットフィッシュから。レッドリップですから、赤い唇なんですね。これは俗名で、ホントウは「ガラパゴスアカグツ」と呼びます。名前の通り、ガラパゴス諸島周辺が根城なんですな。アンコウの仲間です。体長は最大40cm ほどです。アンコウの仲間ですから、上下から押しつぶされたような扁平なひし形の体をしてます。それに深紅の口と突き出た鼻、そして細い足!この足、実は高度に適応した「むなびれ」や「しりびれ」で、それを使って海底を歩くのに非常に熟練してるのですね。その代わり泳ぎは若干ヘタクソです。頭のてっぺんから伸びている鼻は吻(フン)で、その中には、アンコウの特徴であるイリシウム(誘引突起・疑似餌)と呼ばれる化学物質を放出する構造で、獲物をおびき寄せるために使われているものが付いてますが、普通のアンコウに比べて短くなっています。The Red Lipped Batfish - Natural Born Thrillersこのレッドリップ・バットフィッシュは、水深約120m で生活してますが、もっと深い水深1,200m で生活してるヘンチクリン生き物がいます。世界で一番「不細工な」生き物として有名な「ブロブフィッシュ」です。このへしゃげた身体は水面に引き上げられたからなんですね。あまりにも深海で生活してるので、私たちは海中での姿を観察しにくいのです。硬い皮膚も強い筋肉もなく、水圧の力で体の形状を保っているのですが、深海では水面より100倍の圧力があるので、引き上げると圧力の変化で膨張し、このブヨブヨ姿になってしまうのですね。ブロブフィッシュが高い水圧の中でも生きられる秘密は、体のつくりにあります。普通の魚は浮力を調整するために浮き袋を持っていますが、ブロブフィッシュは持ってないのですね。その代わり、ブロブフィッシュの体内には水分と脂肪が多く含まれています。皮膚の下にある分厚いゼラチン状の肉のおかげで周囲の海水よりも比重がわずかに小さく、海底近くを浮き続けていられるのです。お次は「デメニギス」。水深400m ~800m で生活しており、日本近海では岩手県以北の沖合にいます。デメニギスの頭は透明なドーム状の膜で覆われ、内部は液体で満たされているのですね。頭もそうですが、目ん玉がまたオモロイ。管状眼と呼ばれる筒状になっていて、軸を回転させることにより前方←→真上と視点を変えることができるのです。通常は眼を真上に向けていて、上から差し込むわずかな光によってできる獲物の影を捉え、つかまえるのですね。深海魚はお腹に発光器をもっていて、降り注ぐ光と同じレベルに輝度を調節することによって自身のシルエットを消しています。これをカウンターイルミネーションと呼ぶのですが、デメニギスの目には特殊なフィルター状の器官を備えていて、獲物のカウンターイルミネーションを見破ることが出来るのです。小魚やクラゲなど獲物を見つけると、双眼鏡のように管状眼を回転させて前を見るとともに、獲物を食べるために体を水平から垂直に変えるのですね。New deep-sea sighting: The barreleye fish has a transparent head and tubular eyes最後にナマコの一種「ウミブタ(海豚)」くんを。体長約8cm ほどの小形のナマコです。この子の特徴は脚のようにみえる大きな管足を持ち、それを水で膨らませたり収縮させて歩きます。和名の「センジュナマコ」は、この管足が「千手観音」みたいと名付けられました。この子は死んで海底に沈む藻類や動物を食べるのですね。クジラのような大きな動物が死んで沈むと、腐ったクジラを食べるためにウミブタの巨大な群れがその周りに集まります。興味深いのは、どういうワケかタラバガニの稚ガニがくっついている姿がよく見られることです。その理由はまだ解明されてませんが、一説ではウミブタは皮膚から有毒化学物質を分泌するため、ウミブタの近くにいると稚ガニが外敵から守られると云います。
May 4, 2024
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ヒトや類人猿以外で二足歩行をする生き物にはカンガルーやトビネズミなどがいますね。鳥さんはみんなそうです。ただ二足歩行をやってるように見えるペンギンは、実際には大腿骨が脊椎に対してほぼ直角で、下腿骨のみが垂直なので、常に膝を曲げた状態で、これは二足歩行ではありません。ペンギンが二足歩行をしているように見えるのは単に体の厚みのために、そう見えてるだけですね。人間は直立二足歩行をするので、重力の関係で痔や胃下垂、ヘルニアなどになりやすいですね。人間以外の生き物で、こうした病気になることは極めて稀です。みなさんは80年代に「珍獣ブーム」があったの覚えてらっしゃるでしょうか?ウーパールーパー(メキシコサンショウウオ)とか人面魚、クリオネなんてのもありました。ウーパールーパーは日清の「日清焼そばU.F.O.」のCMキャラに採用されましたね。そんな珍獣ブームを彩る生き物で真打ちがエリマキトカゲ!1984年に三菱ミラージュのTV CMで、すたこら走るエリマキトカゲが話題になって大流行しました。三菱自動車 ミラージュ 道は星の数 エリマキトカゲこのエリマキトカゲはオーストラリアにいますが、普段は木の上で生活してて、エリマキも折り畳んでいます。エリマキトカゲは、敵に襲われると木などに登って逃げようとしますが、木が近くにない場合は二足歩行で素早く逃げます。このとき首のエリマキも同時に広げて走るのですね。逃げ切れないと感じた場合はエリマキを大きく広げ、エリマキから音を出して相手を威嚇します。エリマキトカゲの二足歩行は、骨盤と大腿骨の構造上、大腿骨を脊椎に対して垂直に立てることができないため人のような「直立二足歩行」ではありません。同じように二足歩行するのは肉食性の恐竜もそうですね。普段は4本足で活動してるエリマキトカゲ。それがなんで危険を感じたときだけ二足歩行になるのでしょうか?もともと、前肢が後肢の邪魔にならなくなるため、二足歩行は速度で4本足より有利と考えられていました。ところが測定してみると、2本足の速度は4本足より速くないことが判明しました。2本足で走るエリマキトカゲは4本足で走るトカゲに追いつくことができなかったのです。エリマキトカゲの二足歩行は加速の偶然の結果だとする説があります。後肢の前方への加速により胴体後部が前方に押し出されますが、胴体前部の慣性により後部はその位置にとどまろうとします。その結果、後脚がボディの下を通過しようとし、フロントエンドが上昇するのです。バイクのウィリー走行を思い浮かべてください。エリマキトカゲが二足歩行した後、ストレスで死んでしまうこともあるらしいです。
May 3, 2024
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海外旅行の楽しみ方って人それぞれですが、私のイチバンのポイントは異文化の中に身を置いて非日常を楽しむことです。なんどか「海外に行ってまで日本人と会いたくない」と申し上げてるのも、日本で日常的に見ている人たちと会いたくないからですね。だから私の選択肢にハワイは有りえません。それとともに、現地の人とのふれあいも楽しみのひとつ。たとえ刹那的であっても、現地の人と交流するのは楽しいものです。過去に訪れてから何十年もご無沙汰してる地で、現在の画像や動画を観ると、その変貌ぶりに驚嘆することありますね。最も変化に驚いたのがマレーシアのペナン島です。私が行ってたころは2階建てで、1階は店舗や倉庫、上が住いと云う台湾やシンガポール、マレーシアの下町でお馴染み「ショップハウス」しか見当たらなかった。このショップハウスの特徴は建物の前に設置された歩廊です。でっぱった2階の下にあるため、屋根付きの通りになっているのですね。これがあると陽射しと雨をしのげるので歩行者はたいへん助かります。とにかく行ってたころは高層ビルなんてひとつも見当たらなかったし、さびれた東南アジアの田舎然としてたけど、インド洋に面したなんとも魅力的な町でした。観光客なんて日本人はおろか、欧米人だって先ず見ることがなかった。それが現在の画像を観ると、いっちょ前に高層ビルはあるは、欧米人観光客で溢れかえってるはで大変貌。そりゃあそうですよね。私がたびたびペナンに訪れてたのは1973年のベトナム戦争終結直後だったのですから、発展しない方がど~かしてる。私の旅行選択肢にフィリピンとインドネシアはありません。フィリピンはとにかく治安が悪すぎるし、インドネシアは人口の大半を占めるイスラム教国なので食べるものの味付けがあわない。とにかくクアラルンプールでイスラムの料理口にしてから、この系統はダメになりました。同じイスラム教国でも、マレーシアはマレー系の他に華人系やインド系も多いので、イスラム料理以外でもチョイスの幅がありますが、世界最大のイスラム教徒をかかえるインドネシアはジャワ人やスンダ人、マドゥラ人が大半を占め、中華系なんて全人口の5%しかいない。それとインドネシアに旅行するとき、もうひとつ注意点があるのですね。バリ島です。毎年3月ころに「ニュピ(Nyepi)」と云うバリ・ヒンドゥーの元日があります。この日、バリ・ヒンドゥー教徒は、労働や外出、殺生が禁止されるどころか灯火の使用も禁止されるのです。灯火の使用も禁止って夜の家の中は真っ暗!?それが観光客にも適用されるのです。観光客はホテルから外に出ることができず(ホテルから外出できてもお店は全部閉まってる)、飛行機も全便欠航になります。なんですが、同じインドネシアでも、バリ島って雰囲気いいですね。東南アジアの田舎然としてますが、見える景色が私が経験してきた風景とはゼンゼン違う。ショッピングやレストランの立地もただの観光地と云うよりリゾートの雰囲気です。そして何と云っても、バリ海峡からインド洋に続く海とホテルがステキです。この辺はタイのパタヤビーチより数段上を行ってますね。とにかくグレードにもよりますが、一流ホテルのレベルはなかなかのようです。これで、食べ物の嗜好があえば鬼に金棒なんですが...まぁ、食事はホテルでって手もありますけど。もう一ヶ所、手の届く旅行先で、いつかはと思ってるのがベトナムのダナンです。ベトナム中部にある海沿いの町で、とにかく海岸線が美しい。ここは比較的治安も良いのですね。知り合いで、何十回となくダナンだけに行ってる娘さんがいます。ダナンには16世紀から続く街並みが残されてる「ホイアン旧市街」やベトナムの京都とも呼ばれる「フエ」も有ります。私のようなオジンにはこっちがお似合いか?(笑)
May 2, 2024
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もう私はビールを一口も飲めなくなってます。胃ガンで胃の全摘手術をしてるので、ビールに限らず炭酸系は全てご法度になってるのです。ビールが飲めてたころはキリン派でしたね。「一番搾り」か「キリンラガー」がイチバンのお気に入り。北海道の人の「ヱビスビール」と「サッポロ黒ラベル」愛はスゴイですね。沖縄もご当地ビールの「オリオン」がやはりイチバン好まれてるようです。ビールくらい個人の嗜好がハッキリ分かれる飲み物は無いのでは?日本語の「ビール」ってのはオランダ語ですね。英語だと「ビア」。「エール」もあります。上面発酵なのが「エール」で、下面発酵で醸造されるのが「ラガー」です。ビールの起源は古代エジプトやメソポタミアまで遡ります。なかなかの古さです。私のブログにたびたび登場するタイでは暑いので、キンキンに冷やしたジョッキにビールを注いで、その中にさらに氷を入れるのが飲み方の標準です。氷が溶けるので、タイ産のビールは他の国のよりちょっと濃い目でした。昔は「シンハー」と云うのが定番でしたが、このビールは1933年から製造してる歴史古いメーカーです。今ではオランダのハイネケンが主です。国産ビールをチョイスするタイ人は地方の人の方が多いかな。日本のアサヒビールもタイでも生産してます。ビールの本場ドイツで最も人気高いのは「クロムバッハー(Krombacher)」と「ベックス(Beck's)」ですね。クロムバッハーは1846年、ベックスは1874年から販売してるどちらも古参ビール会社です。どちらも泡立ちはあまり良くないですが、炭酸が強めなのが特徴ですね。ドイツではイギリス人みたいに冷えてないビールを平気で飲むのではなく、レストランなんかで頼むとちゃんと冷えたビールが出てくるみたいです。もっとも日本みたいにキンキンにまでは冷やしてないようですが。こんな調査があります。日本とアメリカ、ドイツのビールを飲むタイミングについてです。先ず、ふだん夕食のときの飲み物は(男女の区別は表記ありませんがたぶん男性でしょう)?日本は...ビール68.5%、お茶15.5%、日本酒11.5%、ウィスキー10.0%、何も飲まない12.5%アメリカは...ビール49.2%、コーラなど甘味炭酸水36.5%、水26.5%、ジュース11.5%ドイツは...これが意外!炭酸入ミネラルウォーター26.5%、ビール22.5%、何も飲まない26.0%ぢゃあビールをよく飲むシーンはどんなときか?日本は...夕食の時、お風呂あがり、スポーツの後アメリカは...ランチの時、昼間のどが渇いた時、とか単純にビールの味を楽しむときドイツは...ホームパーティーを開くとき、外へ飲みに行く時、就寝前などアメリカでは「苦みが弱めである」「ソフトで口当たりがよい」「すっきり爽快」が重要なビール銘柄選択基準ですが、これがドイツでは逆に「苦みがきいている」が重要な銘柄選択基準なのがお国柄をよく表しています。「このビールは、立って飲むのがお行儀です(瓶からラッパ飲みしろの意味)」とか「ライムがなければコロナを飲むな」と特異なキャッチで有名なメキシコのビール「コロナ」がありますね。アメリカのビールと同じく軽い味わいが特徴のビール。ですが、だいたいこのビールを飲むときは、凍らせたマルガリータ(テキーラベースのカクテル)を入れたグラスに、コロナビールを瓶ごと差し込んだカクテル「コロナリータ」が定番ですね。凍らせたマルガリータをコロナで溶かしながら飲むカクテル。こうなるとビールそのものを楽しむと云うものではありません。コロナビールには風評被害の試練がありました。コロナビールに関する風評は、まだ中国でコロナウイルス感染が拡大している頃から語られており、コロナウィルスのパンデミックが猛威をふるったときには、ウィルスと関係ないコロナビールとの抱合せ検索が異常に増えたのですね。これを期に2020年の1月~2月だけで約310億円の売上ダウンになりました。ついには同年4月からコロナビールの操業そのものをストップする事態に。そんな状況が翌年の上半期まで続きました。
May 1, 2024
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地中海最大の島、イタリアのシチリア島と云うと、風光明媚な景観と一年中過ごしやすい地中海性気候で人気の観光地ですね。観光産業とともに、オリーブとワインの産地でも有名です。このシチリア島、イタリア本土とたった3km しか離れていません。ところが、なぜかトンネルも橋も無くて、所要時間30分のフェリーかパレルモ空港やカターニア=フォンターナロッサ空港を使った航空便しか交通手段がありませんでした。実は、イタリア本土とシチリア島を結ぶ橋は古くから計画されてたのですね。「メッシーナ海峡大橋」。複線の鉄道と、その両脇に片側2車線の道路が設けられ、完成すれば現在 世界最長の「瀬戸大橋」を抜いて鉄道・道路併用橋としては世界最長になるとともに、吊り橋としても世界最長になる予定です。ところが、この橋の建設計画は二転三転してるのですね。当初は2008年に着工し、2015年完成予定でした。当時のイタリア政権を握ってたのはシルヴィオ・ベルルスコーニ率いるフォルツァ・イタリア党でしたが、2006年にベルルスコーニが選挙で敗れてロマーノ・プローディに政権委譲すると、プローディは膨大な予算や地震の危険性などから計画を中止してしまったのですね。ところが2008年にプローディ政権が失脚。ベルルスコーニ政権が返り咲くと、また建設計画が復活。新しい建設計画は2009年着工、2016年完成予定だったのに、2013年に予算不足で再び計画は中止となってしまったのです。この橋の計画がすすまない大きな理由がもうひとつ有ります。橋が完成すれば産業振興がおこり、シチリア島民はうるおうのですが、そのシチリア島民が裕福になるのを問題視する組織があるのです。シチリア島民が裕福になるのが問題!?シチリア島の貧困層を食い物にする組織、つまりマフィアの存在です。南イタリアにはカラブリア州を拠点とする世界最大級の犯罪組織「ヌドランゲタ」と、シチリアを拠点とする「コーザ・ノストラ」と云う2つの大きな組織犯罪シンジケートが存在します。映画「ゴッドファーザー」に出てくる「コルレオーネ村」という村が本当にあるのですね。昨年、コーザ・ノストラを率いて報復爆弾テロなど凶悪事件を首謀し、逃亡してたマフィアのボス"マッテオ・メッシーナ・デナーロ"が30年ぶりに逮捕されました。検事を含む数々の殺人罪で、欠席裁判によって死刑宣告を受け、指名手配されていた人物です。結腸ガン治療でシチリア・パレルモの医療機関で治療を受けていたところを逮捕されました。結局、デナーロはその後、ガンのために亡くなりましたが、彼もまたメッシーナ海峡大橋の建設に反対してました。橋の建設が推進されたらされたで、これもまたマフィアを潤すことになります。たとえば輸送などがシンジケートの支配下に置かれる可能性や、地元のマフィアに用心棒代を請求される恐れなどがあります。分かっているだけでも、マフィアのヌドランゲタ一家に資金を提供する可能性が大なんですね。橋を建設するためには、建設現場の廃棄物投棄の場所が必要ですが、それは有力一族であるマンキューソ家が所有しているのです。補償金が組織犯罪の資金源になる恐れが大きいのですね。今年、サルビーニ副首相兼インフラ運輸相がメッシーナ海峡大橋の建設を今年の夏に再開すると述べました。このスケジュールでいくと、橋の開通予定は2030年代後半になります。
Apr 30, 2024
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私は海外旅行で泊まるホテルに頓着する性格ではありません。どっちみち寝るだけだし、むしろロケーション重視。だけど海外旅行する方々には、ホテルのネームバリューやファシリティを重視する人が多いですね。ビバリーヒルズで泊まったホテルは、建物の高さ制限ある地区にあったので、とにかく横に長い。ロビーから自分の部屋までイヤと云うほど歩かされました。だいたいビバリーヒルズなんて、どこにでもあるアメリカの普通の街で、私には全くオモシロクなかったですね(感じ方は人それぞれですが)。まだベトナム戦争激しいときに度々訪れてたラオスでは、アノウホテルと云う、その頃ヴィエンチャンでも有名なホテルに泊まってました。メコン川近くに建たってて、夕日が美しかったの覚えてます。ただ、当時のラオスの電力事情が悪すぎて、部屋でシャワー浴びてるさなかに度々お湯が途切れる事態に。ヴィエンチャンの冬なんて山岳地帯と云うこともあって結構寒いのに、このときは震え上がりました。現在は改装してアノウ・パラダイスホテルとして経営を続けてるようです。冒頭で述べましたように、私はホテルのネームバリューに頓着しないので、有名ホテルに泊まったのはホーチミンにヨメと行ったとき泊まったシェラトン・サイゴン・グランドオペラくらいです。これもヨメが同行だったからチョイスしただけで、私個人としてはど~でもヨカッタのですが...ロケーションはよかったです。たびたび訪れてるバンコクでは、結構いろんなホテルに泊まってますね。上は五つ星から下は星がつけよう無いとこまで。バンコクでイチバン利用したのは スクンビットエリアと云うバンコクの幹線道路で、BTS(スカイトレイン=モノレール)の「プロンポン」と云う駅前にある「エンポリアム・スイーツ・バイ・チャトリウム」と云う五つ星ホテルです。プロンポン地区と云うのはまさに日本人街と云っていいほど日本人の多い地区です。日本食品専門に扱うスーパーまであるほどです。ここは五つ星ホテルだけあって、レストランも素晴らしいし、何より部屋が豪華。広いベッドルームと別に、トイレもふたつ、オーブンレンジや食器まで備えたキッチンまで完備してます。何より高層なので眺めが素晴らしい。ただ、問題はお値段です。1週間くらい滞在してたら結構な費用になる。それで同じプロンポンでも、駅からチョット離れた「ホープランドホテル」と云うとこ1度だけ利用しました。一応四つ星ホテルなんですが、実際泊まってみると何と云うことない普通のホテル。YouTube なんかではオススメのホテルなんて出てることもありますが、そんな特別いいホテルではありません。それよりBTSの駅から15分くらい歩かなくてはならなくって不便そのもの。何よりこれらのホテルが建ってるプロンポンエリアが気に入らない。現地駐在日本人と観光の日本人が多すぎるのです。何もバンコクくんだりまで行って、日本人と顔あわせたくない。それで、全く違う地区にあるゴーゴーバーが密集することで名高い「パンポン地区」にほど近いシーロム通り外れにある「バンヤンツリーバンコク」に泊まったことあります。ここも五つ星ホテルですが、日本人の利用が少ないのがチョイスの理由。このホテルのウリは屋上に儲けられたオープンのレストランとバーです。いちどバーを利用しましたが、まぁ眺めの素晴らしいこと!ただドレスコードは厳しくて、短パンやビーチサンダルではお断りされます。襟付きのシャツと長ズボン、かがとのある靴が必須です。しかし、このホテルのロケーションがイマイチ。初めてバンコクを訪れた日本人観光客だったらまだしも、なんども訪れてる私にはシーロム通りは不便すぎるのですね。この界隈だけにたむろするならともかく、色んなトコ行くにはチョット不便。値段はほどほどで手頃だったんですけどね。で、もっともロケーションのいいスクンビット通りの「ナナ駅」直近のホテルにしました。ナナと云う地区は全くの歓楽街ですが、静かにお酒を楽しめるショットバーも多くって、何より欧米人ばかりで居心地がいい。泊まったのは、その名もズバリ「ナナホテル」。日本人もよく利用してるとウワサあったけど、滞在中に日本人とは出会わなかったですね。ところが、このホテルが私史上最悪のホテル。そもそもルームキーからしてカードキーではなく、今どき珍しい大きな木製のキーホルダーがついたシリンダーのキー。外出のたび、いちいちフロントにキーを預けなければなりません。ロビーも古びた木づくりで、コーヒーショップは寂れてるし。朝食会場は窓のない宴会場。泊まってる欧米人もどっか薄汚れてる。たちまちウン十年前のホテルに戻ったような感覚です。そもそもWi-Fi が繋がらない。持参したポケットルーターで試しても繋がりにくかったので、建物の影響があるかも?加えて、ホテルの正面は日本人はじめ観光客がオネエチャンをキャッチする「ナナプラザ」と云うゴーゴーバーびっしりの歓楽街ときた。とても静かにお酒楽しむとこちゃいます。息子とバンコク訪れたときは、初めてJTBから予約を入れたのですが、これがまたとんでもないホテル。ナナ駅近くにソイ(辻)11と云う欧米人だらけの街があって、その界隈でJTBが提携してるホテルをと探したら、ソイ11の1本向こうソイ3/1にホテル発見。名前は「ロイヤル・ベンジャホテル」。ここにすんべえと予約して行ったら、ソイ11が欧米人街なのに対して、ソイ3/1はアラブ人街だったのです。周囲に日本人はおろか欧米人もまばら。歩いてる女性はみんなヒジャブ被ってるし、なかにはロングコート風の衣装「アバーヤ」まとってる女性まで。別に人種差別するワケぢゃないけど、ホテル周辺のレストラン利用したら食事がまったく口にあいませんでした。今となっては、なかなかオモロイ体験ですが。それに懲りて、昔、2~3度利用したことある小さいブティックホテルを思い出して探してみました。とても小さいホテルでしたが、スタッフの雰囲気もよくて居心地のいいホテル。名前を失念してたのですが、ようやく探し出しました。「サチャズホテル・ウノ」です。ロケーションは前出のナナ駅とプロンポン駅の間にある「アソーク駅」から徒歩5分くらい。欧米人街のソイ11まで歩いていける距離です。なにより、このホテル直近にはお気に入りの洋食とタイ料理専門レストランがあって、ホテル向かいには欧米人客しか行かない雰囲気のいいショットバーがある。それで最後にバンコクを訪れた2020年は、このホテルにしました。とても小さいホテルですが、清潔で気楽なホテルです。このホテルのオモロイとこは、バスルームにシャワーしかなくて、バスタブがついて無いのですが、そのバスルームと寝室の間は透明ガラスで仕切られてるだけ。要するにふたりで泊まったら、シャワーを浴びてる姿どころか、トイレ使ってる姿まで連れに丸見えなんですね。それでガラス壁にはブラインドが設置されてます。と、まぁこんなとこが、私が泊まったバンコクのホテルですが、国内の旅行会社が推薦するツアー用のホテルと云うのは「なんでこんなトコ?」と思うようなホテルが。「バイヨーク・スカイホテル」と云う日本人観光客ご用達のホテルがあるのですが、このホテルのロケーションはパトゥナムと云う交通不便で、下町も下町、安いバッタモンしか売ってない商店街エリアにあって、海外ではとたんに大人しくなる日本人観光客が相手だからか、スタッフの応対もイマイチ。建てものの外観だけコケオドシで立派なバンコクで一番高い高層タワーだけど、いかんせんロケーションが悪すぎて、どこ行くにもタクシー必要ですね。唯一近い電車駅はスワンナプーム国際空港からの電車駅ですから、BTS利用するにも次の駅で乗り換えが必要。とにかく周辺環境がイマイチ過ぎます。ど~も国内の旅行会社推薦の海外ホテルって、私はほとんどアタリがありません。自分でネット検索して予約した方がよかった場合が多い。と、まぁ、こうして振り返ると、バンコクで泊まるのに、どんどんホテルのグレードが落ちてますね(笑)そのうち木賃宿になるのでは?
Apr 29, 2024
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こんなタイトルを書くと、いかにも右翼思想に傾倒してるのかと誤解されかねませんね(笑)しかし「日出ずる国」の出どころは、飛鳥時代 隋に渡たった小野妹子が携えた聖徳太子が隋の皇帝に向けた国書で、「日出ずる国」と云う表現を使ってますね。逆に「日沈む国」と云うのもあります。高度成長期に日本が欧州から「日出づる国」と呼ばれたのに対して「Le pays du soleil couchant(日沈む国)」と呼ばれた国。それは中国です。歴史書に日本の国が登場したときは「倭」となってましたね。この「倭」と云う名前は日本人自らが名乗ったのぢゃなくて、中国の後漢(25年~220年)の歴史を記した「後漢書」に初めて登場して以来、隋(581年~616年)の歴史を記した「隋書」に至るまでずっと「倭」でしたから、中国からそう呼ばれてたのが定着してしまった。邪馬台国の女王にして、90歳前後まで生きてたとされる卑弥呼(ヒミコ)も、魏の王に貢ぎ物をもたせて使いを送り、「親魏倭王(しんぎわおう)」と刻まれた金印を授けられてて、自分たちも「倭」と自称してたことになります。日本の国号が「倭」から「日本」になったのは、またしても中国が起源で、唐(618年~907年)、則天武后の時代のことです。唐の歴史を記した「唐書(とうじょ)」の中で、初めて「倭」から「日本」に変わり、それ以降「日本」として定着していきます。「唐書」には「旧唐書」と「新唐書」の2種類が有るのですが、「旧唐書」も「新唐書」も「日のあるところ」「日の出る地に近い」と云う表現で「日本」と呼んでます。にも関わらず、「日本」と云う名の国号を教えたものは、明治以来の国定教科書に見当たらないのです。1930年代(昭和5年~14年ころ)満州事変から太平洋戦争勃発までの昭和戦前期に天皇を中心とした国体が強調されたときも、国号の意味が正面に押し立てられたことはなかったのです。古くは、「日本」と書いて「やまと」と読まれてましたが、後に漢字音で「ニッポン」や「ニホン」と読まれるようになったのですね。1890年に執行された「大日本帝国憲法」も、現在の「日本国憲法」にも、国号を明確に規定した法令は存在してないのです。しかし「パスポート(旅券)」 の表紙には「日本国」の表記と「十六一重表菊(菊花紋章)」のデザインが有りますね。法令で日本を示す表記は統一されておらず「日本」「日本国」「本邦」「わが国」などが混在しています。さて、「日本」をどのように発音するのでしょう?普段は「ニホン」と発音してる人でも、スポーツの国際大会なんかで日本を応援するときは「ニッポン」と発してる場面が多いですね。NHKの調査では「ニホン派」が61%、「ニッポン派」が37%くらいらしい。それも若い人ほど、「ニホン派」が多くなる傾向があるようです。NHKの「アナウンス読本」なんかでは、正式の国名(国号)として読む場合は「ニッポン」、そのほかの場合には「ニホン」と云って良いとしてます。「ニホン」と「ニッポン」、どちらも間違いではありません。1934年(昭和9年)に文部省臨時国語調査会が「ニッポン」にすると決議しましたが、法制化までには至らず今日を迎えているのです。もうすぐデザインが変わる、福澤諭吉が印刷された1万円札には「Nippon Ginko(ニッポン銀行)」とあります。「日本酒」は「ニホン酒」、「日本航空(JAL)」は「ニホン航空」なのに「日本放送」は「ニッポン放送」、サッカーなどのスポーツでは「日本代表」を「ニッポン代表」と云いますね。東京の「日本橋」は「ニホン橋」ですが、これが大阪の「日本橋」は「ニッポン橋」。大阪の「日本橋」が「ニッポン橋」なのは、古い平安時代の伝統を守った発音をしているからとか。平安時代中期に「ニッポン」から「ニフォン」に変化したのが、それ以降さらに変化して「ニホン」になったからです。
Apr 28, 2024
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イスラムの国と云うのは、どこでも にゃんこに優しいので定評ありますが、これはイスラム教の創始者(預言者)ムハンマド(マホメット)が大のにゃんこ好きと云うことに加えて、その清潔さから、にゃんこはムスリムにとって「真のペット」とみなされているからですね。ムハンマドは「ネコへの愛は信仰の一側面である」と云ったと記録されています。「記録」と云うのは、イスラム教聖典「コーラン」そのものが、ムハンマドが神から伝えられた言葉を、信者が記憶または書き留め、死後20年ほど経ってから一冊の書物としてまとめたものだからです。イスラム教と云うと、アフガニスタンのターリバーンやISIL、イスラム国などよくない印象が強いですが、イスラムの本質は「慈悲心」です。クアラルンプールの「ブルーモスク」に行ったとき、案内してくれたマレーシア人ガイドは「中東の過激な人たちはイスラム教徒ではない」とまで断言してました。ムハンマドは、にゃんこを迫害することや殺すことを禁じていたと云われてます。彼は自分の外套の上でにゃんこが出産することを許したり、可愛がっているメスにゃんこのムエザが彼の礼拝服の上で寝ていた時、ムエザを起こさないよう服の袖を切り落としたと伝えられてるのです。ただイスラム教を信奉する国には人権無視した、厳格なイスラーム法に基づく刑罰が行われている国がありますね。窃盗の罪で手を切り落とす刑罰が未だに実施されている。サウジアラビアやイランなどです。それに対して同じイスラム教国でも、トルコやセネガルなど死刑そのものを廃止している国もあります。トルコの大都市イスタンブールは「猫の都」として知られています。街中に、にゃんこが溢れてる。ほとんどがノラにゃんです。トルコでは、動物保護に関する法整備が進んでおり、保護猫活動にとても力を入れています。しかし、トルコ人が保護活動してるのは、にゃこだけでなく、ワンちゃんも同様ですから、一概に「宗教が理由」と云い切ることはできない。ようするにトルコ人の本質なんでしょうね。イスタンブールのにゃんこと云うと、ベンチに肘をついて座る「トンビリ」と云う名のにゃんこが有名ですよね。いつも背もたれに寄りかかり、肘をついて座るトンビリ。トンビリとは"小太り"とか"ぽっちゃり"と云う意味です。そんなトンビリも、よる年並みで2016年に虹の橋を渡たりました。トルコにとって国民的アイドルだったトンビリ、ついに いつもトンビリが座ってた場所に動物愛好家で彫刻家のセヴァル・シャヒンの銅像まで立てられました。ところがトンビリの銅像が建って2ヶ月後に、その銅像が盗まれる事態に!結局、銅像は2日後に無事戻ってきましたが、犯人は分からず終いのようです。タイなど小乗仏教の国も生き物に優しいことで知られてますが、ノラにゃんたちは寺院でご飯もらってることが多く、一般の人たちはことさら生き物を意識して生活してるワケではありません。まったくの自然体なんですね。ところがイスタンブールの人々の生き物に対する反応はまったく違います。とにかく、にゃんこの存在を歓迎して、可愛がってる人が多い。イスタンブールの外にゃんはご飯をくれる人だけでなく、道行くどんな人も警戒しません。公園など至るとこに法律に則って、同居してる生き物の放置や虐待を禁止する看板が掲げられてます。子どもたち(にゃんこ)は、どっかのお店であろうが、公共施設であろうがお構いなしに立ち入れて、それを見咎める人もいません。トルコ人の優れてるとこは、例え にゃんこ嫌いの人も虐待などせず、ただ無視する点ですね。ここが大切。嫌な人は無視して、関わらないでくれたらいいのです。まさに生活の中に、にゃんこが共存してることが普通の世界なんですね。街のあらゆるところにご飯やお水が置かれています。親のいない子供にゃんこを見つけると、誰かが、必ず面倒を見ます。病気のにゃんこを見れば、薬を上げたり、軟膏を塗ったりと、親身に世話するのがトルコ人なんですね。私たちの目から見れば、レストランなどにお外のにゃんこが立ち入るなんて、衛生面で気になるとこですが、トルコの人たちは気にもしてなさそう。人間とにゃんこ、どちらも邪魔するワケでもなく、無理のない関係を築いているからこそ、共存出来できるのでしょうね。
Apr 27, 2024
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ハエってのは1日の約70%は寝てるらしいですね。ただ昆虫ってのは、まぶたがありませんので目を開けたまま寝る。なので何時が寝ているのか分からない。要するに静かに動かないときが寝ているときだそうな。体の大きさで対局にあるゾウは何時間くらい寝てるのでしょう?体重あたりのエネルギー消費量が少ないゾウなど体が大きい動物は、睡眠時間が短くてもよいので3~6時間程度。それも1~2時間程度のウトウト寝を繰り返してるらしい。しかも、寝るときは立ったまま!寝てるときに、敵に襲われないようにです。なんか慢性睡眠不足になりそう。だいたいゾウが寝るとき、群れの中の一部のゾウは起きていて、何か危険が差し迫ると寝ている他のゾウに警告します。群れの中で家長である最高齢のメスゾウは、群れの安全を確保するために何日も眠らないこともあります。全てのゾウが安全だと分かったときのみ、昼寝をするのですね。ゾウが立ったまま寝るのは、もうひとつ理由があります。体重5トンのゾウが横になると、身体の片側に莫大な圧力がかかることになります。そして体を起こすのにも大きな力が必要。場合によっては立つことができなくなり、自分の体重で圧死してしてしまうこともあるのです。つまり横寝そのものが命に関わることがあるんですね。ゾウが立って寝ると云っても、環境によりますね。天敵の居ない動物園では横になって寝ます。動物園のゾウは睡眠時間も長くって、人間並みに7時間くらい寝るのも。ただ先程述べましたように、体重がハンパないゾウなので、横になって寝ると起き上がるときに負担が大きい。それで、ゾウが立ちあがれない場合にそなえて、動物園によってはゾウを立たせる器具を設置しているとこもあります。野生のゾウでも、長旅の疲労が溜まってくると横になって寝るゾウを確認されてますが、と~ぜん天敵に対して脆弱です。それでも横にならないとダメなくらい疲れてるか、周囲に天敵が居ないと確信してるときですね。動物園にいる、もしくは野生にいるを問わず必ず横になって寝るのが子ゾウです。野生でも、大人が守ってくれるので安心して眠ることができるのですね。それに、まだ体重が軽いので身軽に起きあがることができます。この方が体力温存や休息が充分できて成長過程にはうってつけなんですね。地上で最大の大きさを誇るゾウでも、野生は子孫を守るためには睡眠さえもこんなに抑制してるのです。キリンなんて、なんと1日わずか20分ほどしか眠らないと云います。しかも熟睡しているのはそのうち1~2分だとも。ゾウも含め、 草食動物のご飯(草)は低カロリーなので、とにかくたくさん食べる必要があります。食べることに長い時間をとられるため、よけい睡眠時間が短くなってしまうんですね。
Apr 26, 2024
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イギリスは大規模な洋上風力発電が普及してるのと、パイプラインで天然ガスを調達することができるため、石炭火力発電の比率は2%しかないらしい。フランスは原子力でほとんどの電力を賄ってるので、石炭依存度はわずか1%にすぎません。対するアメリカは24%、日本は32%が石炭による発電です。日本が再生可能エネルギーの導入に遅れを取っているのは、ひとえに天候や地理、地形に伴うコストの高さにつきます。日本で再生可能エネルギーにかかるコストは、海外の1.5倍~2倍にもなるのですね。対する中国はとくに近年になって再生可能エネルギーの普及度が世界トップです。背景には慢性的な大気汚染対策、PM2.5による健康被害対策があるのですね。それとともに中国製ソーラーパネルのダンピング(不当廉売)問題が欧米で問題になってるように、中国政府が補助金出してまでソーラーパネル生産に力を入れてることも遠因です。ところが、そんな中国の発電量で石炭による発電は全体の69.7%と、依然、石炭での火力発電が主力なんです。もちろん国土の広さや人口が違うので一概に云えませんが、石炭や天然ガスなど化石資源が多い中国やアメリカなどでは、まだまだ火力発電が主力なんです。下のグラフは2022年の国別 石炭消費量を表しています。それだけではありません。2022年に中国で建設が開始された火力発電設備容量は、世界の他の国すべて合わせたものの6倍にもなるのです。中国の多くの石炭火力発電所は、ほんの数ヶ月で建設認可を取得したと云います。現時点で中国は日本の20倍の火力発電設備容量を有しています。中国は、温暖化対策を全面に打ち立ててますが、実態はコスト優先で依然 火力発電に負うとこが多いのですね。だから日本をはじめ各国でいくら温暖化対策のために火力発電を減らそうと努力しても、そんな努力など吹っ飛ぶ勢いで中国が地球温暖化に貢献してるのですから、何をか云わんやなんです。閑話休題。アメリカのAPが24日、ダグラスDC-4飛行機がアラスカ・フェアバンクス近くのタナナ川に墜落したと報じました。この飛行機の標準座席数は全盛期には44席でしたが、そのほとんどが貨物機に改造されたと云うことで、何人乗ってたか、現在のところ不明らしい。事故の詳細が分からないので何とも云えませんが、ひとりでも多くの搭乗員が無事であってほしいですね。しかし、このニュースに接したとき最も驚いたのが、墜落した飛行機が「DC-4」と云うこと。DC-4って常識では現在飛んでるような飛行機ぢゃないですよ。なにせ初飛行は1942年です。ダグラスDC-4の軍用型C-54は1944年に当時の大統領フランクリン・ルーズベルトの専用機として採用されてます。これが初めてのアメリカ大統領専用機で、小児まひの後遺症で下半身不随のルーズベルト大統領のため乗降リフトが装備されていました。そして第2次大戦後にアメリカ軍やイギリス軍で使われてたC-54、500機が民間に払い下げられ、旅客型に改修されてDC-4としてパンナム(パンアメリカン航空)やノースウェスト、ブリティッシュ・エアウェイズなどで大西洋と太平洋を越えて運航される最初の民間機となりました。ダグラスDC-4の生産終了は1947年です。つまり太平洋戦争集結からわずか2年目。終戦直後、敗戦国の日本では連合軍によって飛行機の運用が禁止されてました。ようやくそれが解けたのが1951年。JALによるる定期路線が就航できるようになったのですが、このとき使われた1機がもう生産中止になってたDC-4です。「てんおう星」号と名づけられたDC-4は、東京-札幌路線に就航してました。JALは、他にマーチン202型機も所有してましたが、ダグラスDC-4の方が信頼性が高かったため、生産中止になってるDC-4の買い増しをすすめ、最終的に6機購入してます。そしてマーチン202の1機「もく星」号が1952年に伊豆の三原山で消息を絶ち、その後墜落と乗客乗員の全員死亡が確認されました。そのとき、三原山火口1km の地点でバラバラになった機体を上空から発見したのが「てんおう星」号だったのです。こうしてDC-4はJALの国内線主力機として活躍を続けました。その後、より大きな機体とエンジンを装備して、長距離国際線に適したDC-6やDC-7が登場して、DC-4は大手航空会社の長距離路線から引退。引退後のDC-4はアメリカや日本の国内線や貨物路線へと回されたり、チャーター便を運航する中小航空会社に払い下げられました。また1960年代前半には多くが貨物機へ改修されたり、中南米やアジア、アフリカなど低開発国の新興航空会社へと払い下げられました。そんなDC-4は、メンテナンスが簡単なことから現在でも数十機がアメリカや中南米の小規模な航空会社で使用されているそうです。たいていは貨物機とか消防機に改修されて、旅客輸送に使われるのは少ないそうですが。結局、日本でDC-4を購入したのはJALだけでした。そのDC-4には与圧装置や気象レーダーが設置されてません。そのためJALでも最新鋭機に乗り換えがすすむと、1963年にはDC-4全機の退役を決め、低開発国に売却してます。しかし1964年の東京オリンピックでは、中国や韓国が政府専用機としてDC-4で乗り入れしてますね。
Apr 25, 2024
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私らの世代でボブと云うと、絶対 1994年のクエンティン・タランティー監督映画「パルプフィクション」のユマ・サーマン演じるミアにトドメさします。この作品で、ジョン・トラボルタと踊るユマ・サーマンのボブヘアは、黒髪で強めのワンカール。これが激しく揺れると、何とも云えない味だしてたのですね。もうひとつ映画で印象的なのが1994年にリュック・ベッソンが監督した映画「レオン」で若干13歳のナタリー・ポートマンがヒロイン"マチルダ"を演じたときの「マチルダボブ」。バッサリ切り落とされたサイドの髪がなんとも印象的でした。ハゲオヤジの私が女性の髪型論じるのは面映いのですが(笑)、幼さと大人っぽさが混在したボブカットってのは、何ともいえない妖しさが漂いますね。ボブって、映画「レオン」のマチルダみたいに、要するにおかっぱ頭に類するものですが、襟足辺りで切りそろえた髪がとてもいい。ショートボブを初めたのは、アントワーヌ・ド・パリとして知られる美容師アントニ・チェルプリコフスキーが1909年に始めたのが最初です。彼は"ジャンヌ ダルク"からインスピレーションを得てボブカットを始めたのです。それがたちまち評判になり、ココ・シャネルやグレタ・ガルボからルーマニアのマリー王妃、アメリカ大統領夫人エレノア・ルーズベルトまで顧客になってこの髪型をしたのです。独特のハスキーボイスで有名な女優エマ・ストーン。彼女の音域の低いハスキーボイスは、赤ん坊のころに 夜泣きが酷く声帯を痛めたことが原因らしい。エマ・ストーンは、2014年のマイケル・キートン主演映画「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」でゴールデングローブ賞やアカデミー賞助演女優賞などにノミネートされたのを皮切りに、2016年にはミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」ではヴェネツィア国際映画祭女優賞を皮切りにゴールデングローブ主演女優賞、アカデミー主演女優賞に輝いたし、2018年の歴史コメディ映画「女王陛下のお気に入り」でもアカデミー助演女優賞にノミネートと、今が旬の女優さんですね。このエマ・ストーンってのは、役だけでなくプライベートでも髪が短くなったり、長くなったり、編み込んだりと忙しい。そんな彼女が2014年の「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」のヴェネツィア映画祭プレミアではボブカットを見せてくれました。彼女のヘアスタイリスト"マラ・ロザック"は、新しいカットはストーンの顎のラインの真下にあり、レイヤーと横に流した前髪で柔らかく、カットの途中でわずかに曲がっていることで、ゴージャスなボリュームと動きを与えていますと述べてますね。まぁ、何でもいいですが、確かに彼女のボブはとても似合ってると私は思いますね。
Apr 24, 2024
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1枚の古い画像をネットで見つけました。画像に説明書きが添えられてて、ニューヨークデイリーニュースの1920年代の画像とあります。その部屋は「ローズ・リーディング・ルーム」と呼ばれてますと。ニューヨークデイリーニュースはタブロイド紙で、創刊は1919年です。最初は営業が振るいませんでしたが、地下鉄で通勤するニューヨーカーたちがタブロイド紙の扱いやすさに気づき、しだいに読者が増えていった新聞です。そのニューヨークデイリーニュースが掲出してた画像がコレ!なんか1985年にテリー・ギリアムが監督した映画「未来世紀ブラジル」やスティーヴン・ソダーバーグ監督2作目、1991年の映画「KAFHA/迷宮の悪夢」のシーンを彷彿とさせる。実際は冒頭の画像「ローズ・リーディング・ルーム」は、そんなアヤシイ場所ではないですね。ローズ・リーディング・ルームは「ニューヨーク公共図書館」の閲覧室です。ニューヨーク公共図書館はニューヨーク市立ではなく、個人財団と寄付によって運営される「私立」の図書館なんですね。ただ寄付だけで運営されているのではなく、民間からの寄付は年間予算の約40%で、残りはニューヨークの市と州が負担しているのですね。年間の予算額が3億4,000$(約400億円)と公共図書館としては世界屈指の規模をもち、年間の来館者数は約1,700万人にのぼります。ニューヨーク公共図書館の建築様式は、グランドセントラル駅やニューヨーク中央郵便局、ニューヨーク証券取引所と同じボザール様式です。世界で最も有名な図書館の1つと云われてます。図書館の入口には、有名な大理石の2頭のライオンが鎮座されてます。ライオンの名前は、「Patience(忍耐)」と「Fortitude(不屈)」。2頭ともオスで、生年は1911年の5月ですから、現在御年112歳、来月になったら113歳になります。この図書館の内装がとにかく素晴らしい。こんなとこ、私なんて入館したらドギマギしてしまって、本を読むどころの話ぢゃない。なんて、この図書館を利用できるのはニューヨーク市に在住か勤務している人しかダメなんですね。部外者は見学ツアーに参加するしかありません。中でも圧巻なのが冒頭でご紹介した「ローズ・リーディング・ルーム」なんですね。ローズ・リーディング・ルームの名前の由来は1990年代に部屋の修復費用を寄付したローズ家に謝意を表して名付けたものです。バラの花ではなかったのですね。この部屋は「世界一美しい」と云われる読書室として特に有名なんです。上の画像見ると、これが公共図書館の閲覧室かと思うほど立派ですよね。2013年にこの閲覧室で、高さ約16m の天井から、重さ約7.3kg の装飾用石膏ロゼットが落下したことがあります。ただちに一般の立ち入りが禁止されました。2年間の閉鎖期間中、約843坪に及ぶローズ・リーディング・ルームとビル・ブラス・カタログルームの両方の天井に大規模な足場を組んで修復作業がおこなわれました。さらに、この時とばかり、全てのシャンデリアチェーンが修理され、電気配線を交換し、照明を高効率LEDに変更しました。そうして再始動したのが現在のローズ・リーディング・ルームです。1984年公開の映画「ゴーストバスターズ 」の舞台にこのローズ・リーディング・ルームが使われてます。
Apr 23, 2024
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日本で生活してたら動物園でない限り、先ずお目にかからない野生の生き物でも、海外では普通に生息してる地域もありますね。人の被害が多いのが先日、このブログで触れたカバです。年間の被害者数は約500人。それに比べるとライオンの被害は約22人くらいです。陸上動物で最大のゾウの被害もカバ並みです。ゾウの群れが農場や村を襲撃することで、踏みつけられたりして死亡するケースが多いのですね。ゾウは温厚な生き物に見えますが、とりわけ野生のアフリカゾウは気性が荒いとこがあります。獰猛で素早く威圧的な性格をしてて、しかも人間を獲物と見ているのがインド南東部からベトナム、フィリピンなどアジア大陸、スンダ列島からニューギニア島、そして近年になって東南アジアから海伝いにオーストラリア北部沿岸、東はカロリン諸島辺りまで分布を広げたのがイリエワニ。とにかく海流に乗って移動するので始末が悪い生き物です。その攻撃性と貪食さから「人喰いワニ」とも呼ばれてます。ワニの中で最大のイリエワニのオスは体長6m 、体重1,300kg まで成長することがあります。しかも水中で獲物を追いかけるときは、時速29km の速度に達するのですね。年間、約1,000人が犠牲になってます。ところが、こんな大型の生き物でなく、ちっちゃいのに致命的なのがいるのですね。毎年約2,5000人が犠牲になってるのが「回虫」。「線虫くん」なんて、ガン検査に使われる「エヌノーズ」の仲間もいますが、回虫は戦前は日本人のほとんど全員に寄生していたほど普通でした。現在ではほとんど見ることがないのは、卵が糞便とともに排出され、それが口にはいることで感染するので、畑に下肥を使わなくなった今では身体に飼ってる人は極めて稀なんですね。ただ輸入物の腐葉土には膨大な回虫が生息していることがあるので、注意を要します。回虫は小腸に住みつき、人間の体を利用して生き続け、栄養を補給し、繁殖します。その結果回虫症と呼ばれる病気にみまわれ、発熱、腹痛、腫れ、息切れなどから最悪 死に至ることがあるのです。キモイので画像は「線虫くん」で。そのものズバリ、毒で人間を襲う筆頭がサソリ!とくに「インドアカサソリ」がもっとも致死性が高い。とは云っても、サソリにしたらはた迷惑な話で、素足で踏まれたり、靴の中に隠れたりした場合に刺されるので、サソリにしたら単に防御のためにやってること。それでも年間約2,600人がサソリの犠牲になってるのですね。2020年に中国人旅行者が、機内預け荷物に生きたインドアカサソリ200匹をスリランカから密輸しようとして逮捕されました。昆虫でヤバイのがカメムシの仲間の「サシガメ」です。コイツ、普通のカメムシと違って肉食性なんです。寝ている人の顔を噛む傾向があるため、「サシガメ」と呼ばれてるのです。日本にもネズミを宿主とするオオサシガメが沖縄にいます。ネズミが巣を去ったり駆除されたりすると、飢えてヒトからも吸血するのです。サシガメで最もヤバイのが中南米産です。なぜかって云うと、中南米産のサシガメに噛まれることによってシャーガス病と云う病気を発病するからです。サシガメに噛まれて即発病ぢゃなくて、噛んで血を吸った前後にウ◯コします。このウ◯コに寄生虫が含まれてて、しかも直ぐには発病せず、長いときは十数年の潜伏期間があると云う厄介なモンなんです。日本人でも中南米の国に4週間以上滞在した人は、無症候性キャリアの可能性があるので、献血なんかはしない方がいいのですね。なぜかって云うと、輸血を受けた方がシャーガス病に感染する確率が高くなるからです。このシャーガス病で、年間約 10,000人が死亡しているのです。まだ、何か忘れてる生き物がありますね。そうそうヘビだ!中東からインド、そしてアフリカにもいるノコギリヘビ(カーペットバイパー)。コイツがヤバイの極み。なんせ年間138,000人もの犠牲者出してるのですから。マムシに似ているのですが、落ち葉に紛れるとまったく目立たない模様なので事前察知が困難なんです。毒は非常に強く、マムシの130倍、コブラの5倍と云いますから絶対出会いたくない生き物の筆頭ですね。サシガメみたいに、そのものよりも媒介する寄生虫でもっとも厄介なのは意外に「カワニナ」などの淡水巻き貝なんです。淡水巻き貝を宿主として発病するので特に厄介なものは住血吸虫です。吸虫は巻き貝の中で成長し、水中に放出されます。この吸虫がいる淡水から感染するのですが、吸虫が人の皮膚に侵入すると発病です。この淡水巻き貝が原因で、なんと年間約20万人以上の犠牲がでてるのです。病気を仲介する生き物の筆頭は、もちろん「蚊」です。年間72万5,000人~100万人の犠牲者。最も犠牲者数が多いのはハマダラカによるマラリアです。マラリア原虫の中で、もっとも悪性である熱帯熱マラリア原虫を媒介するガンビエハマダラカは「マラリア蚊」とも呼ばれてます。と、まぁさまざまな危険生き物を列挙してきましたが、ここらで真打ちをご紹介しましょう。これまでの生き物なんて目ぢゃないくらい直接人を殺してる生き物。お分かりですね、そいつは人間です。エチオピアやウクライナ、ミャンマー、イスラエル、パレスチナ、シリア、南アフリカ、イエメン、シリア、南スーダン、コンゴと世界中が殺戮の場。2022年の統計で、戦争のせいで亡くなった人の数が世界全体で約23万8,000人です!それだけではありません。犯罪による死者数も含めると年間44万人くらいが死んでるのですね。これくらい同種どうしで殺し合う生き物は他にはいません。
Apr 22, 2024
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国民の人気N.o1、英国王室のキャサリン妃がガン告白されてから随分経ちましたが、その後、様態はど~なんでしょうね。ご本人が治療の間はそっとしてほしいと仰ってるので、マスコミもことさら報道しないのでしょうけど。あのキャサリン妃自らが登場してガン告白したビデオ映像は、ウィンザー城で撮影されたものですが、キャサリン妃の座ってるベンチの背後には美しいラッパスイセンの花畑が広がっていました。この動画でラッパスイセンが咲いているのは偶然ではなかったのですね。ひとつはラッパスイセンが、ウェールズ公妃でもあるキャサリン妃にとって、ウェールズの国花であると云う象徴。もうひとつは、もっと大切なことです。ラッパスイセンの花言葉は「新たな始まりと回復力の象徴」。この花をつけることが、ガン患者やガンを克服した人を支援するというメッセージになるため、患者本人のみならず、友人、家族が襟につけるという文化があるのです。つまりキャサリン妃は、ラッパスイセンを通じて自らもガンに立ち向かうし、また同じ病気をかかえてる人も希望を失わないようにとのメッセージが込められてたのです。南アフリカ出身の元水泳選手でありながら、身長170cm 、女優顔負けの美しさで世界中を魅了してるのがモナコ王室のシャルレーヌ王妃ですね。このシャルレーヌ王妃が出産した子供はなんと男女の双子。モナコの憲法では、2人のうちジャックと名付けられた男の子が公位継承権第1位となり、女の子はガブリエラと名付けられました。子どもたちの祖母はグレース・ケリーですから、そりゃあ美貌も受け継いでるでしょうね。イギリスのキャサリン皇太子妃と並び、世界中のロイヤルファンが注目するのがスペインのレティシア王妃。フェリペ国王と婚約前は、CNNなどを経てスペイン国営放送TVEのキャスターをしてました。そこでアメリカ同時多発テロやイラク戦争を取材するなど、社会派ジャーナリストとして活躍したのですね。2002年、ある現場でレポーターとして実況中継するレティシアに、ひと目惚れしたのが当時のフェリペ王子と云うことです。実はレティシア王妃は一度、結婚・離婚を経験してます。それを意に介さず、フェリペ国王は結婚に踏み切ったのが2003年。スペインで、民間出身かつ離婚歴のある妃を迎えるのはレティシア王妃が初めてでした。義母のマルグレーテ女王のお気に入りと云われてるのが、デンマークのメアリー王妃。このひと、もともとはタスマニアデビルで有名なオーストラリアのタスマニア州出身、純粋なオーストラリア人です。オーストラリアでは「初めてのオーストラリア出身王妃」と云うことで話題に。フレデリック国王が皇太子だったころ、オリンピックでシドニーを訪れていて、ある夜シドニーのパブで楽しんでたのですね。そこに入ってきたのが、後のメアリー王妃。フレデリック皇太子はたちまち一目惚れ。結局、そのパブで小一時間もふたりは語りあったのですが、そのときメアリーは相手がデンマークの皇太子と知らなかったのですね。その運命的出会いから、フレデリック皇太子がお忍びで何度もオーストラリアを訪問、遠距離恋愛ののち結婚へと云うストーリーです。私が頻繁に訪れてたタイも王国です。国民の95%以上が仏教徒というタイでは、憲法により国王は「宗教の保護者」と定められてて、タイ国民にとって国王は深い敬愛の対象とされてきました。映画館では上映に先立ち、国王の肖像が映し出されて国家演奏。このとき外国人も含めて立ち上がって敬意を表さないと、逮捕される以前にタイ人観客に袋叩きにされます。特に前国王だったプミポン国王と王妃のシリキットは格段の尊敬のまとで、プミポン国王亡き後もシリキット王太后は同じタイ王室でも別格の扱いを受けてます。背景にはプミポン国王存命中、なにかにつけて地方の貧しい国民に王室が多額の寄付してきたことがあるからでしょうね。シリキット王太后は大阪に滞在中、ひょんなことから私がお世話することになって、ブルーノートにお連れしたことがあります。警備の大阪府警はイヤがってましたけどね(笑)プミポン国王は、アメリカのマサチューセッツ生まれで、スイスのローザンヌ大学で学業を収めました。プミポン国王で最も有名な話は、1992年におきたタイ王国軍を背景にするスチンダー首相と、民主化運動グループの民間人指導者チャムロンの争いのときです。ふたりを王宮に呼びつけたプミポン国王は、ふたりを正座させ「そんな事でタイ国民のためになると思うか、双方ともいい加減にせよ」と叱りつけ、騒乱を一夜にして沈静化させたときです。それくらい国王の威厳と云うのは絶大だったのですね。プミポン国王はジャズの演奏家としても知られ、愛用のサックスはヤマハが献上したものです。写真にも造詣が深く、愛用のカメラはキャノンの一眼レフ。靴もオニツカタイガーのシューズを履いてハイキングしてたのがマスコミで報じられると、オニツカタイガーはタイでたちまち人気ブランドになりました。一時期は王宮内の移動にホンダのアコードを愛用してたぐらい日本贔屓な国王でした。ところがプミポン国王亡き後がいけません。プミポン国王にはウボンラット、シリントーン、チュラポーンと云う娘3人と、息子のワチラーロンコーンがいます。長女でワチラーロンコーンの姉でもあるウボンラットは、アメリカ人と結婚したため王族籍は消滅しましたが、今でも王族的な扱いを受けています。三女のチュラポーンは王族以外のタイ王国空軍大尉と結婚したために、これも王位継承権がなくなりました。以前にも述べましたが、私はバンコクの王宮でチュラポーンに謁見したことがあります。下の画像がそれですが、下を向いてるのは、タイでは王族の顔を直視しては不敬にあたるからです。チュラポーンは博学で、学術研究でも数々の業績を残しており、チュラポーン研究所の所長でもありますが、全身性エリテマトーデスと云う自己免疫疾患を発病して現在療養中です。そして新国王になったのが息子のワチラーロンコーン。これがとんでもないヤツ!なんせ皇太子時代に3度の結婚と離婚を経験していて、最終的に皇太子付きの親衛隊員に徴用されていたタイ航空の元CAスティダー妃をヨメにしました。とひろがワチラーロンコーンは、結婚してたころ、すでにスティダー妃とは別に陸軍看護師のシニーナートとも関係を持っていて、結婚間も無くスティダー妃とは離婚状態となってしまったのです。その上、ワチラーロンコーンは2020年に新型コロナ避難と称して、20人の愛人を引き連れてドイツ、バイエルンにある4つ星ホテル「グランドホテル・ゾンネンビッヒル」を全室貸し切って隠遁。側近数百人とともに隔離生活を送っていて、コロナが明けてもめったにタイに帰ってこず、公費を使ってドイツで引き続き悠々自適の生活を送ってるのです。これには王室に絶対的な信頼をおいてたタイ国民も怒り爆発!先ずタイでは有り得ない王室の改革を訴えて学生らが首都バンコクでデモを起す事態になりました。デモ参加者は、国王のほぼ無制限の権限と財政を制限するよう求めるようになったのです。今まで公に王室を批判した人はひとりもいないタイでのできごとです。前国王プミポンは、外出するときも車を自分で運転して、車列もサイレンもありませんでした。今の国王を直接目で見た人はどれくらい居るのでしょうか?唯一の頼みの綱は次女のシリントーンです。彼女は海外留学が普通のタイ王室において、唯一の国内大学進学者です。ものすごく頭のいい人です。情報技術の発展に力を入れており、農村の小学校にPCを寄付したり、PCを導入した教育機関には頻繁に視察に赴きます。「情報技術の王女(ITプリンセス)」の異名まで。それとともに、言語学の学位も持っていて、東南アジアの古典語としてサンスクリット語、パーリ語、古代クメール語などに精通。もとより英語はおろか、フランス語、ドイツ語、ラテン語、中国語にも精通してます。とにかく視察ではいつも笑顔で、タイ国民の信望が厚く、兄で現国王のワチラーロンコーンを差し置いて、シリントーンに王位継承をと云う声も大きかったほどです。シリントーンはまた、タイ赤十字社の副社長であり、タイ王立アカデミーの歴史学部長、難民教育基金の理事も務めています。ユネスコ親善大使を務め、少数民族児童文化保護と無形文化遺産保護にも熱心な人物なんですね。それとともに亡きプミポン国王が創設した農業開発、環境保全、自然資源管理、エネルギー開発、災害支援などを行う王室プロジェクト「チャイパッタナー財団」の理事長も努めています。これが本来のタイ王室の姿なんですね。まだまだ地方では貧困層の多いタイでは、王室が主導して公共福祉を推進しないといけないのです。
Apr 21, 2024
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アメリカはミズーリ州東部のミシシッピ川とミズーリ川の合流点に位置するセントルイスは、ミズーリ州と云うこともあって日本人には馴染が薄いのかと思ったら、あに図らんや大学を初め教育機関が多くて留学生の受け入れが積極的なので日本人居住者も多いらしいですね。セントルイスは西部への玄関口として、20世紀初頭に最も栄えた街です。このセントルイスに「ユニオン駅」と云うかつて鉄道駅だった国定歴史建造物があります。開業は1894年。1940年代には1日あたりの旅客数が10万人に達した、当時 世界最大の駅でした。1940年代の拡張工事では、半円形にデザインされた新しいチケットカウンターが設置されました。ユニオン駅のグランド ホールの大きさは約23m ×38m 、最も美しい公共ロビーの1つだったのです。しかし、しだいに旅客機が長距離移動の主な手段となり、鉄道利用客が激減していったのですね。そうしてアムトラックは1978年にユニオン駅の廃止を決めました。ユニオン駅を出発した最終列車は10月31日のシカゴ行きインターアメリカンでした。こうしてユニオン駅の幕が閉じたのです。ところが、ここからがユニオン駅の新たな出発でもあったのです。ユニオン駅の壮大な建築を無駄にするのではなく、この建物は新たな命を吹き込まれました。1985年、ユニオン駅は小売店、イベントスペース、レストランを備えた複合施設として再オープンしました。とりわけ圧巻なのが、1985年にホテルとして改装されたユニオンステーション・ホテルのグランドホール・ラウンジです。建築家セオドア・リンクが設計したこのグランド・ホールには、テラゾの床、緑釉のテラコッタレンガ、ステンドグラスの窓、木製の大工細工の装飾などエレガントで歴史的な雰囲気がいたるところに散りばめられてるのですね。ティファニーのガラスには3人の女性が描かれてます。しかも、このグランドホールの約20m のアーチ型天井全体を使って、音楽に合わせた息をのむような3Dライトショーが開催されてるのです。ロビーもまた素晴らしい。カンザスシティのアールデコホテル・フィリップス、ワシントンDCのジェファーソン、ヒルトン・シカゴなどと伴にアメリカで最も美しいと云われてます。グランドホールのバーもまた素晴らしい。グランドホールは禁酒法時代、それまでと違って膝丈の短いスカート、ショートヘアのボブカット、濃いメイクでジャズを好み、強い酒を飲み、喫煙、ドライブを積極的に楽しむという以前までの女性とは百八十度違う「フラッパー」やギャング、議員、密造業者など、さまざまな人種の活動の中心地でした。 なんとも歴史を感じさせるホテルになりました。敷地にはセントルイス水族館や、高さ19m 42基のゴンドラを備えた展望観覧車なども設置されてます。
Apr 20, 2024
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1987年に制作された中国映画で「紅いコーリャン」と云う作品があります。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した秀作で、監督は後に「紅夢」(1991年)、「上海ルージュ(1995年)」を制作して、「紅いコーリャン」とともに「紅三部作」を作ったチャン・イーモウ(張 芸謀)。アジア映画で初めてベルリン国際映画祭 金熊賞受賞した作品で、現代中国を代表する世界的な監督のひとりです。「紅三部作」は「紅(あか)」を基調とした鮮烈な映像美が特徴の作品です。「紅いコーリャン」は監督チャン・イーモウのデビュー作で、この監督は2022年に開催された北京冬季オリンピックの開会式と閉会式の総監督を務めた人物でもあります。例のコロナの影響で、海外からの観客が無く、中国国内の観客のみで開催されたオリンピックです。この人、1966年から起こった「文化大革命」で「下放(かほう)」と云う徴兵制度と同じように農業の従事を国民の義務として定める毛沢東の方針で農民として3年間、工場労働者として7年間働いてます。「紅いコーリャン」の時代背景は1930年代。中国山東省の物語。九児(チウアル)は、ラバ1頭で父に売られ、ハンセン病患者で50歳を過ぎる年齢の造り酒屋の男の元に嫁ぐことになります。そして御輿に担がれて嫁入りに向かう九児 一行は7ヘクタールもの紅いコーリャンが生えた青殺口にさしかかります。そこで突然、銃を持った覆面姿の男に襲われ金を要求されます。そして九児を御輿から連れ出し、どこかへ連れ去ろうとする。そのとき九児を救ったのは御輿の担ぎ手 余占鰲(ユイチャンアオ)でした。この頃、この地では嫁いで3日目に実家へと戻る習わしがあり、九児は父親に連れられて実家へと帰ります。そのときコーリャン畑で、再び覆面を被った男に襲われてしまうのです。覆面を取った男の正体は、一度九児のことを救った余でした。お互いに惹かれあってたふたりは、コーリャン畑で結ばれることになるのです。九児が夫 李のもとに戻ると、李が行方不明になっていました。結婚したてで九児は、未亡人として酒造場を継ぐことになります。酒造場で九児は、初めて酒の釜入れ作業を見ます。釜に冷水をかけると、そこから美しい真っ赤な色のお酒が滴り落ちるのです。何年もの歳月が過ぎ、コーリャン畑で九児が身篭った子供の豆官は9歳になっていました。やがて、日本軍が村に侵攻してくる。九児は村の男たちにお酒を振る舞い、夜明けに日本軍を攻撃すると誓いあいます。腹を空かせていた男達のもとに料理を届けようとした九児は、コーリャン畑で日本軍に撃たれて死んでしまうのです。男たちは日本軍に襲いかかり、あたりは火の海と化します。そして、生き残った九児の子供 豆官は、血で赤く染まったコーリャン畑に立ち尽くすのでした。と、云うようなストーリーで、制作された時代が時代ですから中国映画の常としてアンチ ジャパンが色濃い作品ですが、根底にあるのは「色」です。「赤」ではなく「紅」。九児の衣装、コーリャンの酒、流れる血、何もかもが紅い。古より、日本で紅色は、太陽や炎、血の色を連想してましたが、これは中国でも一緒なんですね。この作品で登場する広大なコーリャン畑は、映画のためにわざわざ作られたらしいです。映画「紅いコーリャン」で主演したのは、撮影当時チャン・イーモウ監督の恋人だったコン・リー(鞏俐)です。彼女もこの作品が最初の映画出演でした。先日、このブログのバナーにコン・リーを登場させたら、ララキャットさんが、好きな女優だとコメ寄せてくださいました。コン・リーは1992年のチャン・イーモウ監督作品「秋菊の物語」にも主演していて、ヴェネツィア国際映画祭で主演女優賞を受賞してます。作品自体も、同映画祭で金獅子賞を受賞しました。コン・リーは、1965年生まれと云いますから、今年59歳なんですね。生まれは中国ですが、1996年にシンガポール人の実業家 黄和祥と結婚してシンガポール国籍を取得してますので、今はシンガポール人と云うことになります。また1998年にハウス食品の「とろみ好麺」CMに登場してます。2005年には「SAYURI」でハリウッド映画にも進出しましたね。2007年には「ハンニバル・レクター」シリーズ4作目の「ハンニバル・ライジング」にも出演してます。YouTube に23歳から51歳までのコン・リーの変貌を記録した動画が掲載されてました。「巩俐」23岁到51岁的容颜变化,又帅又美还霸气外漏的只有她了
Apr 19, 2024
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大阪の西成「あいりん地区」と云うと大阪人は誰も寄り付かない。東京の山谷「玉姫公園」も同じ理由ですね。ホームレスが多数寄り集まってる。昔は大阪の天王寺公園や長居公園も似たような風景がありましたが、いまは一掃されてます。あいりん地区や玉姫公園なんかの困ったところは、単に低所得者層が集まってるだけでなく、お定まりの不衛生なことと、それに乗じてヤクザが浸透して低所得者のなけなしの生活保護費さえもギャンブルに誘ったりして巻き上げること。山谷にはかつて吉原遊廓がありましたが、戦後「売春防止法」が成立すると消滅して、一部が特殊浴場に転身してるだけですが、西成には「飛田新地」と云う日本最大級の遊郭が今も150軒以上残っています。以前、ここをカメラ携えて歩いてたら、遊郭のオバサンからヤクザにカメラ取り押さえられるから隠しときと注意されたことあります。最も控えめに見積もっても、世界中で約9億人がスラムに住んでいます。しかし、さまざまな(法律にふれる)非公式居住地を含めると、その数は16億人に達し、これは世界の都市人口の1/4に相当するらしいです。もっとも有名なスラム街は...・南アフリカのケープタウンにあるカエリチャ(40万人)・ケニア、ナイロビのキベラ(70万人)・インド、ムンバイのダラヴィ(100万人)・メキシコのネザ(120万人)・パキスタン、カラチのオランギタウン(240万人)ナイロビのキベラでは、電気が通っているのは20%だけで、トイレはそれぞれ50の小屋で共有されています。もっとも衝撃的なのは、カラチのオランギタウンでは、女性の77%がレイプされた報告があります。こうしたスラムのイチバンの問題点は衛生面ですね。下水溝に排せつ物をそのまま流すトイレや、道端で用を足したりするケースが普通になってる。不衛生なトイレを使ってる住民の数 世界一はインドで1億5,719万人。次が中国の1億416万人。それに次いでナイジェリアの5,891万人、インドネシアの3,804万人、ロシアの2,423万人、バングラデシュの2,327万人、コンゴの2,163万人、ブラジルの2,094万人、エチオピアの1,402万人、パキスタンの1,232万人と、ワースト10のうち半分がアジア諸国です。またインドの都市では4,103万人が野外排せつをおこなっており、南スーダンの都市住民の49.8%が日常的に外で用を足してます。冬場は氷点下になるロシアでも、105万人が野外排せつを日常的にしています。アメリカはど~でしょう?アメリカって「ホームレス」のテント生活イメージが強いですが、例えトタン板であれ、ボロアパートであれ、貧困層でちゃんとした住居で生活する人は少ないのでしょうか?アメリカの都市部には「セクション8住宅」と呼ばれる低所得者向けの2種類の住宅があります。1つ目は、政府が民間の家主にお金(通常は家賃の70%)を支払い、貧困層の家賃援助する方式と、2つ目に政府が建設した公共住宅を提供する方式です。この2つの住宅システムとも居住者の麻薬検査を行っているため、麻薬中毒者はそこに住む資格がありません。それがアメリカのホームレスによるテント生活に拍車をかけてるのですね。また、アメリカの多くの都市には浮浪者防止法があるため、仮設住宅を建てることもできないのです。多くは夜にホームレス保護施設に行き、ある者は橋の下や裏道で暮らし、またある者は放棄された建物に住んでいます。私が知る限り、LA(ロサンゼルス)はアメリカ中で、もっとも危険な街のひとつでしょう。いぜんLAに行ったとき世話してくれたLA在住の日本人オバサンは、白昼、バスに乗ってて下げていたバッグをナイフで切って中身を盗まれそうになったらしい。乗客の多くが、指差しで合図してくれたので気づきましたが、その行為をおこなってた人物は停留所で平然とバスを降車していきました。LAでは特に夜は路上でタクシーをつかまえようとしても、無視されて走り去られますものね。レストランなんかを利用したときは、お店からタクシーを呼んでもらわないと乗車できませんでした。そんなLAでもダウンタウンの中心部にあるセントラルシティ・イースト、通称「スキッド・ロウ(Skid Row)」は特段の危険地帯です。ホームレスによる路上生活だけでなく、ほとんど治療を受けていない精神障害者や薬物中毒者が多く、貧困層やマフィアによる犯罪多発地帯なんです。つまりアメリカの場合は貧困と薬物とマフィアがセットになってる点で、他の国よりもっと厄介なんですね。しかも、この地区は有名な観光スポット「リトルトーキョー」の南側に隣接してるのです。西部は行政機関や超高層ビルが建ち並ぶビジネス街で、ロサンゼルス現代美術館やウォルト・ディズニー・コンサートホールもこの地域にあって、北部には中華街があります。2000年のスキッド・ロウ人口調査によると、この地区で住んでる人は15,974人。ホームレス人口は全米最大とされてます。人種別内訳は白人18.6%、アフリカ系アメリカ人34.6%、アジア系15.1%、ヒスパニック系など27.9%となってます。スラムの常として、スキッド・ロウでも食べ残した物は路上に捨てられ、捨てられた衣類は山積みになり、これがネズミの繁殖に拍車かけてます。それが何をもたらすのか?「発疹チフス」です。市当局はスキッドロウを「発疹チフスゾーン」と宣言して、衛生面での改善に取り組んでますが、住民があんなだから焼け石に水なんですね。西成あいりん地区のホームレス集合場所「三角公園」に女性だけで行くのはお勧めしませんが、行っても危険なことはありません。何よりホームレスの大多数は高齢化が進み、かつ普段の栄養バランスの悪い食事から暴力ふるうなんて体力も残ってない。しかしスキッド・ロウでは、ロサンゼルス市警の警察官でさえ、地域を支配する麻薬カルテルやストリートギャングによって犯罪行為と死者が急増していると云います。ロサンゼルスの2つのギャング、ブラッドとクリップスは約30年間ここに存在しており、最近ではコカインとヘロインに加え、フェンタニルもホームレスに提供しています。フェンタニルはヘロインの約50倍の強さが有り、微量で簡単に過剰摂取につながります。ロサンゼルス市警によると、ギャングはホームレスのふりをしてテントの野営地を回りフェンタニルやその他の麻薬を販売しているらしい。売人らは、フェンタニルと殺鼠剤やゴキブリスプレーなどを混ぜて、人々が服用するとどうなるか笑いながら観察しているとも。彼らは文字通り麻薬常習のホームレスをモルモットとして使っているのです。実際スキッド・ロウでは、麻薬取引、人身売買、性的暴行、暴力犯罪は昼夜を問わず発生しています。ここが日本なんかとスキッド・ロウの違いですね。とにかくアメリカと云う国は、あれほど国力があるのに、反面、最底辺の人もゴマンといる。やはり麻薬、銃、マフィアの存在が拍車かけてるのでしょう。そして格差の増長も。日本もそうならないよう注意しないとね。
Apr 18, 2024
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と云っても、日本に住んでて、日常的にこの生き物と遭遇するなんてことありません。野生ではサハラ砂漠以南のアフリカ大陸にだけいる生き物ですから、アフリカのサハリツアーにでも行かないと野生のこの生き物と出会うことはありません。日本の動物園で見るのは、人馴れしててご飯も充分なので恐れるようなことのない生き物。その生き物とは地上最大の野生生き物ゾウのことでしょうか?確かにゾウの仲間でも、特にアフリカゾウは気性の荒いので有名ですが、もっと危険なのはゾウに次いで2番目に大きい"カバ"です。南米コロンビアの「麻薬王」パブロ・エスコバルは、自身の別荘地に動物園を作るため1980年代にアフリカから4頭のカバを輸入しました。エスコバルの死後、私設動物園に放置されたカバは逃走し野生化。それが増えに増え、2030年までには400頭に増えるとされてます。「コカイン・カバ」と呼ばれてるこのカバは、在来の動植物に悪影響を与える上に、人々に危険が及ぶ可能性があると政府は危機感を露わにしてます。カバってのは、体長が3.5~4m 、体重はオスで平均1,500kg 、メスは平均1,300kg で、非常に大型のオスだと2,000kg=2トン を超えることもあります。問題は下顎の犬歯です。50cm に達するものもいます。その犬歯は一生伸び続けるのですが、上下の歯が噛みあい互いをすり減らすことで短く、鋭くなっていくのです。しかもカバはご存知の通り、潜水の名人。潜水時間は約1分で、最長で5分くらい。そのカバが陸上では時速30km~40km で走る事が出来るのです。つまり水の中でも、陸上でもスキがないのですね。カバが走ってる動画Hippo On The Run (I've never seen this before)百獣の王ライオンと云いますが、1対1では圧倒的にカバが勝ちます。ただライオンは1頭ではなく、群れで攻撃してくるので多勢に無勢でカバがやられることが多いのですね。それでもライオンの犠牲もハンパありませんし、ライオンが返り討ちにあうこともしばしば。とにかくカバは非常に攻撃的な野生の生き物です。縄張り意識も非常に強く、テリトリーの侵入者には必要以上に攻撃を仕掛けてきます。地球上で最も危険な大型陸生哺乳類です。アフリカではカバの襲撃により毎年500人が死亡していると推定されてます。そんなカバと遭遇したら(日本では有りえませんが)、陸上であろうとカヌー上であろうと、攻撃を誘発しないようにすることが重要なんですね。ストレスを感じていないカバは一般的に穏やかな生き物で、充分な距離感と水深があれば脅威にはなりません。しかし、水位が低くなりご飯が充分に得られない乾季の後半になると、カバはより攻撃的になる傾向があります。最適な川のポジションを求めて、ライバルのオス同士で激しい争いが勃発し、敗者は川から追い出されることがよくあります。日中は藪の下に潜んでいるため、気づかないまま近づきすぎると攻撃される可能性があります。カバの危険な側面の1つは、行動の予測ができないと云うことです。経験があれば、ほとんどの生き物の反応はある程度の精度で予測できますが、カバはどっちか云うとアホなんですね。なので彼ら自身ですら、次の行動がどうなるか分かってないのです。カバがこっちに突進してきたとき、手をたたいたり、腕を振ったり、叫んだりしても、全くムダです。唯一の方法は、木の後ろや木の上、またはシロアリ塚の後ろにすぐに避難することしかありません。カヌーなんかに乗ってる場合は、必ずカバとカヌーの距離を充分とります。とくに集団で泳いでるような川は絶対さけること。らしいです。ところで地球上で一番生命力の強い生き物って何だと思われます?それは「地上最強生物」と呼ばれる"クマムシ"です。クマムシは体長0.05mm ~1mm くらいしかありません。このひと、乾燥させても仮死状態で生きのびることができ、さらに真空や大量の放射線にも耐えることができるのです。2007年に欧州宇宙機関の宇宙実験衛星「Foton-M3」でクマムシが宇宙に打ち上げられました。軌道に達した後、クマムシは紫外線を防ぐ特殊なケースに入れられ宇宙空間にさらされたのですね。クマムシは10日間もの間、極度の温度変化を伴う真空状態に置かれました。しかし地球上で数々の生存記録を打ち立ててきたクマムシは宇宙空間でもみごとに生存できたのです。
Apr 17, 2024
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ドイツの高級カメラメーカー「ライカ」の基幹をなす「Mシリーズ」に最高峰デジタルカメラ「M11-P」があります。そのM11のシリーズに「ライカM11モノクローム」と云うモノクロ(モノクローム)写真専用のデジタルカメラも存在します。「モノクローム(Monochrome)」は単色を意味します。 カラー撮影のM11-P定価は1,474,000円。ライカM11モノクロームは1,496,000円。なんと最高峰のカラーカメラより、白黒専用カメラの方が高いのです。そもそも普通のカラーデジタルカメラでも設定を変えればモノクロ写真は撮れるのに、ご丁寧にカラー撮影のできないモノクロ専用機を今の時代にライカはナゼ作ったのでしょうか?それはカラーのカメラでモノクロ写真を撮るときは、カラーセンサーでカラーとして捉えた映像をカメラ内部のソフトでムリヤリ モノクロ画像に変えてるだけだからですね。それに比べM11モノクロームは、最初からモノクロセンサーしか備えていないので、カラーのカメラでモノクロ写真撮ったときよりも、はるかにモノクロに特化した映像ができあがる。その代わり、と~ぜんM11モノクロームでカラー撮影はできないワケです。しかし、そもそもモノクロ写真に情熱をそそぐフォトグラファーが今の時代にそんなに居るのでしょうか?フイルムカメラだって、カラーフイルムが出てきてからはカラー撮影が王道でした。でも、居るのでしょうね。でなきゃ、ライカのような老舗メーカーが商業ベースに乗らないモン作るワケない。それにしても、ライカのカメラってバカ高いですね。モノクロ写真は、明度(色の彩度)だけでは像のメリハリが出ないので、輝度(色による明るさの違い)を意識する必要があるんですね。つまり「光と影」を意識するようになる。光と影と云うのは、いつの時代も撮影の基本中の基本ですね。光と影だけで写真を構成することで、訴えるものが浮き上がってくるのです。この方法が身につくと、カラー撮影でも「色」ではなく、「光と影」で被写体を探すようになりますね。光と影と云うことは、太陽が真上にある日中ではなく、朝か夕方の方がとらえやすい。影が短く、あるいは長く伸びる調子で同じ被写体でも、写真が全く違ってきますね。世界を別の視点から見ることができるのです。モノクロ写真は写っているものの質感「テクスチャー」を表現するのに向いてるのですね。ファッション写真にモノクロが多いのも洋服の生地感が綺麗に表現されるからです。それとともに見る人が色で誇張された部分を見るのではなく、質感を写真から感じることができるので、よく使われてるのです。昔、初めて本格的なカメラを手にしたのはマミヤの2眼レフ「C3」でした。それにセコニックの「スタジオマスター」露出計を組み合わせて、おもに神社仏閣や仏像を撮りにいってましたね。もちろん土門拳なんかと張り合おうにも程遠い写真ばかりでした。そしてフイルムの現像もしてました。赤い電球の暗室で、撮影した写真が現像液の中から徐々に浮かび上がるの見るのが好きだった。私はモノクロ写真には不思議と静けさを感じます。それは生き物のように、動き回り躍動するようなものまで。この静けさが、モノクロ写真のある種の醍醐味かも知れません。
Apr 16, 2024
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