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父は歌が好きだった、テノールに近い高い声でクラシックではなく浅草オペラだといっていた(笑)その他子守歌はいつも大学時代の寮歌、主に北海道を彷彿される歌、記憶に残っているのは「この道」、「時計台の鐘」父が好きだった歌を思い返すとその頃は東京に住んでいて北海道は殆ど知らないのに、なぜか札幌の街を思い描いていた。「からたちの花」は良く歌っていた、弟は島倉千代子さんの「カラタチ日記」をうたっていた、どうも「パチンコ屋」で覚えてきたらしい、学生なのに。父は「カチューシャ」の歌もうたってくれた。忘れたことが多いけど、たしか、、田谷力蔵さんという方の歌を歌っていたらしい。「月の砂漠」「歌を忘れたカナリア」などもう大分忘れてしまったけどいまでも耳に残っている。母の好きな歌で耳に残っているのは「隅田川?」「荒城の月」など小学校唱歌、それは私自身もよく口にした歌。母とデュエットしたものだった。母は物のない時代なのに、どこからみつけたのかきれいなハンカチを何枚も大事にしまっていた、どちらかというと少女趣味だったので私の読んでいた少女雑誌を一緒にながめたりした、育ち盛りの男の子が4人もいたのに。
2025.03.24
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体調を崩したり様々な要因で又日記が書けなかった。先日父のことを書いたのにに消えてしまっていた又次のことにする。父が亡くなってから20年もたつのに、在りし日の会話や大喧嘩したことなど昨日のことのようにおもいだす。私はよく父と言い争いをした。若かった私は再軍備などとんでもないと言い張り、父は常識の通じない近辺の国から守る必要がある、といった。今父のいうことも1理あるとおもっている。平和が絶対なら今この地球上で起きている戦争はありえないはずだ。人は戦うこと、勝ち負けにこだわることは永遠にやめられないのかもしれない。それやこれや、今思うとわざわざ喧嘩する必要もなかったのにと。そのほか、年齢がたかくなって納得することも多い。思うに反抗心だったのかなぁ。。そして父はどんなに高給でも庶民感覚を押し通した人だった。やっぱり敵わないなと思うことがしきりにある。
2025.03.04
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