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屋久島はやはり観光することにしたとのライン。 レンタカー借りて白谷雲水峡の大杉をみたり、大川の滝をみたり温泉に入ったりしたようだ。 「一期一会」旅は出会いと別れの繰り返しが旅情の醍醐味なのかな? 去年出会ったあの親切な方たちには今回は出会えないにちがいないけど、今回はまた素敵な出会いをしてくるのでしょうね。 2代大杉
2019.04.14
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五島列島からの帰路は鹿児島~宮崎~大分~高知。エンジンやトイレの修理をしながら小さなヨットでの航海を楽しんでいる様子。留守宅は結構いろいろと大変なのですが今日は高知県の沖の島の港に停泊とのこと。「海の透明な美しさに感動しました」とあり、五島列島よりも??なの行きは瀬戸内海から九州福岡を廻った船は帰りは高知~徳島~和歌山と回ってくるようだ。「家が恋しくならない?」とメールしたら「残り少なくなったこのクルーズをおもいっきり楽しむよ」との返事。
2017.05.30
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台湾観光は初めてでした。漢字で意思疎通ができる、食事が美味しい、親日の国と聞いていたので、沖縄~台湾と外国に行くと言うイメージがあまりなかったのですが、那覇の港でパスポートチェックが必要だったので改めて外国に行くのだと意識しました(クルーズ旅行は船内でチェックしてくれる場合が多い。横浜でパスポートチェック済)。台湾に着いて驚いたのはバイクの多さです。主な交通手段はバイクだそうです。ヘルメット着用で何人乗ってもOKと言うのには驚きました。店の前にはバイク&スクーター用の駐車場があるのですが、ない時も店の前に止めて用を足している様子。ガイドさんは「1台のバイクに4人は当たり前多い時は13人なんていう場合もあるのですよ」と冗談のように言っていましたが、ガイドさんお交通手段もバイク(ホンダ)で、20年も乗っている(買い変えないで)と言うのも日本人には半信半疑です。このガイドさん50歳(とても見えない)くらいと言っていましたが、「食事は毎食外食です。台湾の女性は働いている人が多いし、小家族だとたいていは外食なんですよ」「一族が集まる食事も大抵はレストランでします」とのこと。なんだか、バイクも外食もとても合理的に思えました。給料は日本の半分以下と言っていたけれど、3食外食できるなんてそれから、収入が少ない中でも大学進学率は90%以上で、小学生から英語は学んでいるそうです。商店街いたるところにバイク置き場(たぶん無料)
2014.05.13
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日経新聞の去年の秋のプラス1「何でもランキング」で「船旅人気ランキング」ではダイヤモンド・プリンセスの横浜~釧路~サファリン~小樽~函館~青森~横浜までの9泊10日のツアーがランキング2位でした。海から見た知床半島や釧路湿原、日本人に配慮した心配りが高い評価を得たとのこと。1位は瀬戸内を回って済州島を就航した「セレブリティ・ミレニアム」3位は東京~台湾~香港を就航した「ボイジャー・オブ・ザ・シーズ」4位が神戸~沖縄~石垣島~台湾を就航した「サン・プリンセス」5位が横浜~石垣島~台湾~清水を就航した「フォーレンダム」と1~5位までを外国船が占めている。6位飛鳥2 7位にっぽん丸 9位ぱしふぃっくびーなすと日本船。10位がコスタ・ビクトリアだそうです。今回の旅行でも約3分の1がプリンセス号のリピーターでした。昨年初めてサン・プリンセス号でクルーズを体験してから病みつきになって今回が3回目と言う方は奥様が車椅子で他の旅ではなかなか楽しむまではいかなかったとのことでした。私もクルーズを楽しんだ後では、次の旅行が飛行機&バスの旅なのでちょっと気が載らない気分。6月から育児支援でその次がいつになるかわからないのですが、これから企画する旅は、絶対「クルーズ旅行」と思っています。
2014.05.10
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18階建のホテルのようなダイヤモンド・プリンセスは4月17日夕方横浜港大桟橋を出港して沖縄から台湾をまわって5091km(2749海里)の旅から4月26日の朝横浜港に着きました。レインボーブリッジをすれすれにくぐって横浜に着いた時に「海からみる横浜の景色ってこんなにきれいなんだ」と思わずつぶやいてしまいました。2年前のクルーズ旅行でベニスに帰って来た時、「海の都・ベニス」の美しさに感動しましたが、あの時のように、海から見た日本の美しさに感動してしまいました。歴史ある建物が多く、親日的な台湾も来て良かったと思わせてくれましたが、海外に行くと、日本の素晴らしさを再認識できます。街の規模も建物のデザインも(戦後69年の日本の発展は素晴らしい)と誇らしくなります。レインボーブリッジ通過 海から見た朝の横浜
2014.05.09
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ヒロキ・ハラ(マジシャン)はラスベガスで優勝経験のある若きマジシャン。今回のクルーズのショーでは最も喝采をあびた催しでした。マジックの腕はもちろん、華やかな舞台と日本語解説でもんくなく楽しめました。落語は・・・・(出演者の技量か?面白さがわからない者には????)プリンセスのシンガー&ダンサーも素晴らしいのですが、日本人向けの歌があればより良かった。映画は新旧とりまぜて10本くらい毎日上映。「キャプテンフィリップ」キャスト トム・ハンクスはソマリア沖でソマリア海賊に遭遇した船のキャプテンが命をかけて船や剰員を守って人質になって海賊たちに立ち向かう話でしたが・・・船舶操縦士免許を取得した主人も一緒に見て、「キャプテンの責任感は海の上ではすべての責任と権限を持つのだから当然のこと」と言っていたのですが・・・私たちが船旅を楽しんでいた時に隣国の船の大惨事の時のキャプテンはフィリップと違って無責任ぶりを報道されていたようですね。他には「紳士は金髪が好き(マリリン・モンロー)」「グラビティ(サンドラ・ブロック)→宇宙からの帰還「あなたを抱きしめる日まで(ジュディ・デンチ)」他をプリンセス・シアターや14階プールサイド(屋外)で日本語吹き替えで上映していました。夜の屋外プール・サイドは寒すぎたこともあってなかなか見る時間がとれなくって、とても心残りです。
2014.05.06
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クルーズの醍醐味は自由であること。 乗船してから下船するまでの生活はまったくの自由。 何時に起きて寝て食事を何時にしてもOK。 14階ビッフェスタイルのレストランは早朝から深夜まで営業でアルコール以外は船賃に含まれる。 食事だけでなく果物やコーヒーの種類も多く、持ち出して部屋で食べてもOK。(24時間ルームサービスも無料) 展望もよくメニューも豊富なのと気ままさが魅力です。 レストランは他にも沢山あってディナーはコースメニューをメイン・ダイニングでいただく。有料の寿司レストランやステーキハウスやイタリアンレストランあり。メイン。ダイニングでは今回は席が決まっていて、2人で取るのも味気ないので、4日目から年配の女性2人の方と相席にしていただいた。 今回のクルーズ乗船客は2000人弱で乗務員千人以上。食料品の備蓄は膨大な量だったはず。6年前の姉妹船サファイア号の時に1週間分の食料は(乗客2700人で) ステーキ2293kg じゃが芋3823kg 果物17558kg 卵57500個 ロールパン24000個 アイスクリーム282リットルと実に膨大な量と教えていただいた。 残した食べ物は水溶化されて海に流される。 今回のダイヤモンドプリンセス号の食事は外国船では最も美味しかった。ただ、メインダイニングで日本食コースを頼んだ時、朝食をダイニングで日本食コースを頼んだ時は種類もボリュームも少なくってものたりませんでした。10日のクルーズを終えて2週間たちましたが、もっともっと食事もイベントも映画も本も楽しみたかったと言う思いが残ります。寄港地観光しないで船上だけで過ごす方もおられるようです。体の不自由な方にとっても退屈しないで食事もイベントも楽しめる旅。今月のトルコへの旅は飛行機とバスの旅なので、クルーズ旅行を楽しんだ後は、なんだか気が乗らないのです。クルーズを体験すると他の旅は乗り物での移動が苦痛です。
2014.05.04
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ダイヤモンド・プリンセス号の旅の醍醐味は目的の観光地訪問以上に船内での生活にあります。2千人弱の乗客を1千人以上の乗務員が提供してくれるサービスの数々。部屋の清掃やバスタオルなどの交換も1日1回以上。14階のレストランは6~23時まで自由に食事ができる。毎晩大会場で開催されるエンタテイメントショー以外にも、1日中どこかでイベントが開催されていて、参加は自由。カジノ・ショッピング・プール・ジム・大浴場など自由に楽しめる施設の他に卓球・ウオーキング・バスケット・パターゴルフなどスポーツイベントも盛り沢山。ダンス教室・教養講座など多彩なカルチャー教室。夜はナ生バンド演奏のバーやラウンジで音楽を聴いたりダンスをしたり。映画も「ゼロ・グラビティ」「ラストベガス」ウォルト・デズニーの約束」など最新の映画を日本語吹き替えで上映。など、興味あることみんな参加していたら疲れてしまうほどイベントは盛り沢山。私は、終日クルーズの日は午前中は読書三昧(図書室には日本の新しい本が沢山ありました)。午後はマージャン(沢山の出会いがありました)。夕方はテータイムを楽しんで、イベント参加。デイナーは最初は2人だけだったので4日目のデイナーから他の2人の方とご一緒させていただきました(このご縁もステキなものでした)。デイナーの後はショーをみて、そのあとバーやラウンジでお酒を飲んでダンス三昧(ほとんど練習状態でしたが)。そんな風に日常生活からすっかり離れた自由時間を満喫してきました。ラスベガスのように「プレスリーそっくりショー」もやっていました。
2014.05.02
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突然のコース変更で乗客数が減ったといっても約2000人の乗客の80%が日本人だった今回のダイヤモンドプリンセス号の設備はかなり日本人を意識して改装されていました。お風呂好きの日本人のために檜を使った大浴場、寿司レストランを新設。船といっても乗客や乗り組み員合わせて4000人以上を乗せる船は船そのものが都市機能を備えています。そのお風呂やプール&ジャグジー他、飲料やトイレで使用する水の量は膨大な量ですが、飲料用貯水タンクは3472(ヘホーメートル)もあるそうで、その供給は海水を浄化させた水とのことです。 そして、下水や残した食品の処理は浄化させて海に帰す。 ディーゼルやガスタービンの発電機を備え電力の自給もしている。まさに、未来型都市の仕様です。 そして、乗客たちは長さ288・33m幅41.5m高さ62mの空間で極上のサービスを受けて船上生活を楽しむのです。日本出発第一回目の今回は横浜~沖縄~台湾の5091km9泊10日の旅でしたが、26日私たちを横浜に降ろすと、その日のうちに、次のクルーズコース(日本を北上して周遊)に出発しました。 世界中の人たちに快適な生活をさせながら休みなく世界の海を周航するプリンセス号は日本で三菱長崎造船所が造船した日本の技術の結晶のような豪華客船です。 完成間際に溶接工事のミスで長時間にわたり燃えてしまった姉妹船サファイアプリンセス号の船体を完全修復した技術の高さも語り草なのです。大浴場5~7階中央は吹き抜け今回は、日本人乗客80%なのに、日本語も話せるスタッフが少なくて、ショーも英語のショーが多くて、外国船に乗っている感じでした。ショーだけでも、日本人向きにして下さるともっと楽しい旅だったと残念です。
2014.04.29
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9泊10日沖縄・台湾クルーズから昨日帰ってきました。とても楽しい旅だったので、またすぐに次の旅に出かけたくなっています。出かける時は突然のコース変更で同行仲間のキャンセルがあったりしたので、いまひとつ気分が乗らなかったのですが、自宅から横浜大桟橋まで行って乗船すると、大型ホテル仕様のクルーズ船が、美味しい食事やさまざまなエンターテーメント、ジムやプールや浴場、美容院、マッサージ、カジノなどの施設が揃っていて、自分の部屋のベットでゆったりと眠っている間に観光地まで連れて行ってくれる快適さが醍醐味です。今回の船旅は終日クルーズの日が3日もあって、読書をしたり、マージャンしたり、ショーや映画をみたり、生バンドを聞いてダンスをしたりと、のんびりと時の流れを楽しむことができました。直前のコース変更でキャンセル者が多かったせいか、最大3100名の乗客定員で今回は2千人弱で日本人が8割。そのうちプリンセス号リピーター率が3分の1と言うのは船旅がいかにリピーター率が高いかがわかります。楽しいことが沢山あった今回のクルーズ記をこれから少しづつ書いていくつもりです。シャンパンパーティー デッキ中央(揺れが少ないのを証明)
2014.04.27
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明日からのクルーズ旅行を前に飛び込んで来たニュース。4月1日のブログに書いたのですが、去年の秋に申し込んでいたダイヤモンドプリンセス号の横浜港からの韓国・済州島・台湾巡りのクルーズツアーがいきなりコース変更になったことで一緒に行く予定の友人たち6人がキャンセルして行くのは私たち夫婦だけになったのです。こんなにキャンセルがでることを予想してもコースを変更した本当の事情はなんだったのか?海外旅行を楽しめる運気の強い60代の6人がキャンセルした残された者の心細さの中で今日のこの旅客船の事故http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/shipwreck_overseas/?id=6113804益々、不安になります。
2014.04.16
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半月後に迫ったダイヤモンドプリンセス号の寄港予定が変更になりました。北の挑発行為が強まったせいなのか?反日感情の強さのせいか・・・もう一つの寄港地の台湾も大規模なデモのニュースもあってコース変更でのキャンセル可能になったために、同行者がキャンセルしようか悩み始めました。このクルーズの申し込みをしたのは去年の10月でした。 飛鳥2、日本丸、コスタとクルーズ旅行しましたが、5年前に体験したプリンセスクルーズが一番船旅を楽しめたので、その船が日本に来て横浜港から出発と言うことですぐに申し込みました。 日本船に比べて規模が大きいから毎日のエンタテイメントも豊富で、終日クルーズも十分に楽しめて、料金もリズナブル。レストランも多くてメニューも豊富で時間も自由。カジノ・・・コインランドリー・・・そして、この度は日本人の嗜好に合わせて大浴場もあると言うこと。隣国の反日感情の高さに、観光気分になれないので韓国や中国本土(返還前の香港は行きました)は旅行していない私が、プリンセス号だから行く気になったのですが・・・沖縄に変更になっても、私たち夫婦は船旅を楽しむことがメインなので、当然行くのですが、最近の近隣の不穏な動きと、直前のコース変更は旅を待ちかねていた心に水をかけられた気分なのか、同行者たちの気持ちは揺れているようです。
2014.04.01
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来年のダイアモンド・プリンセスクルーズを申し込みました。飛鳥2、日本丸、コスタとクルーズ旅行を楽しみましたが、クルーズツアーでは5年前に体験したオセアニア・サファイア・プリンセスクルーズが一番船旅を楽しめました。その時に親しくなった人たちと、毎年1~5回は国内の旅を楽しんでいたのですが、10月10~14日まで山陰~山陽の旅を楽しんでいた時に(台風と台風の合間でした)、来年はサファイアプリンセスの姉妹船のダイアモンドプリンセスが日本に来ると言う話をしたところ、4組中3組が申し込むことになりました。10月末までに申し込むと多少の割引があるとのことで、旅行から帰宅して早速申し込むと、希望タイプではもう3部屋続きの部屋はなくて、1組は階が違う部屋を申し込みました。来年4月のクルーズなのに、プリンセスの人気は高いですね日本船に比べて規模が大きいから毎日のエンタテイメントも豊富で、終日クルーズも十分に楽しめます。24時間営業のレストラン、カジノ・・・コインランドリー・・・そして、この度は日本人の嗜好に合わせて大浴場もあると言うこと。そして、映画も日本語の字幕があるようです。多分、食事も日本人の嗜好に合わせてくれるかもと・・・期待しています。5年前のプリンセスクルーズで知り合った友人たちは、九州、関西、群馬、埼玉と住んでいる地域が違うのに、どういうわけか旅の計画をするとすぐに意気投合。この秋の4泊5日の旅の間に、今年の12月来年の4月来年の秋、そして、再来年の夏の旅行まで決まってしまいました毎年1回は旅行していた元同僚たちとの次回の旅行は皆さんのスケジュールを調整するのが大変でなかなかきまらないのに
2013.10.17
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4回目のクルーズの旅は日本丸で2泊3日の伊勢神宮への旅でした。横浜港から出発の日本丸にはさいたまの我が家からもドアツードア2時間弱。 乗船した途端にもう快適なリゾートが始まりました。 ビジネスホテル並の空間の部屋に荷物を置いたらルームキー1枚持って船内がマイタウン。 出航と同時にシャンパン片手にセールアウエイパーテーから始まって 食事・ティー・ソフトドリンク・イベントの最上級のサービスがノーチップでツアー代金の中で受けられるのです。 6年前に飛鳥2で旅した時に、日本丸の食事が美味しかったと言う話を聞いて、いつか、乗ってみたいと思っていたのです。クルーズの良い所は、船内の大抵の食事や喫茶がツアー代金に含まれていることです。日本丸はカジノで使うチケットも各部屋に置かれてツアー代金に組み込まれているようです。生演奏、エンターテイメントショー、もちろんダンスタイム(クルーがパートナーをやってくれます)、マージャンや囲碁、将棋、オセロなどのゲームの使用料金もなし。日本人スタッフとフィリピンスタッフの程よいサービス。なによりも嬉しいのは、浴場があることと、日本語ですべて通じること。
2013.06.16
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今日の午後、横浜港から伊勢神宮クルーズの旅に出かけてきます。今年は伊勢神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)の年で、10月に遷宮が行われるそうです。 伊勢神宮は日本でも最も格の高い神社で、中世までは天皇以外の奉幣が禁じられていたとのことですが、一般人が行けるようになって、周期的に参拝の大ブームがおきるようです。 主神は八百万の神の頂点である太陽の神・天照大御神。 天皇家の祖先である天照大御神を祀る神社であるとしても、20年毎に遷宮するのは、なんだか贅沢な気がします。出雲大社は60年毎なのに・・・・ 今年は伊勢神宮と出雲大社、両方の遷宮の年。秋には、トルコ旅行に主人が行きたいと希望していたのですが、政情不安定な様子と我が家の家庭の事情もあり(娘たちの育児支援)、秋には、5月に遷宮が行われた出雲大社には行く予定です。船旅の合間に読む本を探していたら本屋さんでこんな本を見つけました。台風3号の情報で不安でしたが、熱帯低気圧として停滞している中、まだうねりの残る海上で「天照大神はどれほど恐ろしいか!」の見出しで始まるこの本を読むのは~ちょっと怖そうですが・・・【送料無料】伊勢神宮の暗号 [ 関裕二 ]そう言えば、今、古事記のダイジェストを書いているのですが、出雲を瑞穂の国にしたオオクニヌシノミコトに国を譲るように迫って、オオクニヌシが出雲大社を建てることを条件にした話を書いたところでした。天照を祀る伊勢神宮が20年毎に、出雲大社は60年毎に遷宮するのは・・・天照の力の偉大さを示すため???
2013.06.14
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ご縁って本当に不思議です。4年前のオセアニアクルーズで出会った方達と毎年1回以上はご一緒に旅行しています。今年の前半はそれぞれが別々に海外旅行に出かけてこの秋は、昨年のように4組の夫婦で九州旅行を計画していたのですが、1組の方のご主人が体調を崩されたと言うので、お見舞を兼ねてその方の住む関西地区に旅行地を変更して明日出発です。関東に住む1組のご夫婦とは年に数回はご一緒に旅をしています。そして、その奥様は易学を学ぶ私の影響を受けて算命学&方位学(気学)を学び始めたこともあって毎週のように会っています。そして、彼女は5月に行ったフランス旅行がトラブル続きだったことを思い出して「フランス方位が悪かったんだわ」「私のベニス&ギリシャはいろいろと運が良かったわよ」「関西は南?」「南西じゃないの?」「南西なら悪くないよね」なんて言いながらも1年ぶりの九州や関西の友人に会うことを楽しみにしているのです。昨年の旅行もハプニング続出の楽しい旅でしたが、どんな旅行になるかしら?
2012.10.05
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4年前のクルーズ旅行で仲良くなった友達から秋の九州旅行にお誘いがあった。4年前は小中学校時代のの女友達(大阪に住む)と2人で参加していた彼女も、仕事人間だったご主人が昨年仕事をリタイヤして、去年から旅行にも参加するようになった。昨年の秋も九州旅行に誘っていただき、彼女の住む宮崎~鹿児島まで4組の夫婦でドライブ旅行をしたのです。「仕事人間で遊びが苦手な主人も、去年は楽しかったようで、《又来年も》と言っていたからと、今度は福岡~佐賀~長崎~大分を計画立てているのよ」とのこと。仕事大好きなご主人らしく、昨年の旅もびっしりと旅行スケジュールを企画書のように作ってくれたのですが、「計画して資料集めて企画するのが楽しいらしくて今から準備しているから、スケジュール空けておいてね」海外旅行で友人になった方達はみんなアクテイブで旅行好き。九州、関西、関東と住む場所が違っていても、旅行の話になると、忙しいスケジュールを調整して話はまとまる。4年前は2組の夫婦と女友達2人のご縁がいつの間にか、彼女たちのご主人もご一緒に参加してくれるようになって、もう何回目かの旅。「佐賀のイカも食べさせたい、別府もみせたいと主人がはりきっているから、楽しみにしていてね」と電話の向こうで友人は言う。人は出会っても、行動しなければ、ご縁も薄くなってしまうけれど、旅行で出会ってこんなに楽しい仲間になれるなんて「旅は道連れですね」
2012.06.22
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クルーズ旅行の醍醐味はなんと言っても人との出会いなのです。4年前のオセアニアクルーズで仲良くなった人とは、毎年何回か一緒に旅行しています。今年の5月のクルーズ旅行で出会った新婚カップルが一昨日我が家に遊びに来てくれました。エーゲ海・アドリア海クルーズでは同クルーズ会社の参加メンバーは86名もいて、同年代の方も多かったのですが、一番仲良くなったのが若い新婚の2人でした。4年前のクルーズは定員に近い乗船率で終日航海も多く、船の中でいろんなイベントをやっていて、私たちも今よりも少し若くて元気だったせいか、ショーやダンスや音楽を毎晩12時まで楽しんでいました。積極的に船の生活をエンジョイしたこともあって、いつも同じフロアーで会う人たちと、旅が終わるころはとても仲良くなっていました。その方達とは今でも連絡を取り合って時にはご一緒に旅をしているのです。今回の旅では終日クルーズは1日だけで、毎日の訪問地でエネルギーを使いすぎたのか、ディナー後のイベントでは同ツアーの方達と会うことが少なかったのです。その中で、良くお会いしたのが新婚さんの2人でした。船旅を十分に楽しんでるようでショーを見たり、船のイベントに参加したりしていたので船の中でも良く会いました。寄港地では私たちは旅行会社の現地ツアーには参加したのですが、ツアーには参加しないで自分たちで行動していたお2人と、不思議にご一緒になったのです。その2人が我が家を訪れてくれて、それぞれが写した写真を見ながら旅の思い出をを語りあいました。
2012.06.18
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3回目のクルーズ旅行の今回の船は今年2月に座礁事故を起こした会社の船、コスタフォーチュナごう。2003年建造された10万トン、最大乗客定員3470名の大型客船。あの事故のせいか、ヨーロッパの景気のせいか、それとも、新しい船が近日中に運行されるせいか今回の乗客は店員約半分の1600名でしたが、そのうち日本人が120名もいました。船内は、14階層に分れていて、まさに、洋上ホテルなのです。毎日、各客室には、「Costa Today」というNEWSが毎日配布され、その日のイベントスケジュールが記載されていて、日本人コーディネータによる日本語訳もあって助かりました。私たちのツアー会社の客が86名もいたのでツアー会社のイベントが添乗員さんが発行してくれたのでそのイベントに参加するだけでも退屈はしません。毎晩行われるショーも定員の半分の乗客だったので並ぶことなく悠々と見学できたのですが、音楽演奏やダンス会場はいつも人々がまばらでなにか盛り上がりませんでした。メインダイニングは前に乗ったサファイア・プリンセスが24時間営業で品数も豊富だったのに比べて、時間制限があってメニューも少なくてガッカリ・・・最初のクルーズが飛鳥2で2回目がサファイア・プリンセス、そして3回目がコスタ・フォーチュナと、だんだんサービスが悪くなっているように感じましたが、飛鳥2で長期の旅行をしたら、食事が美味しいからぜったい体重が増加してしまうし。コスタはフォーマルデイナーもそんなに気取らなくて良くて気楽です。残念だったのはコインランドリーがなかったことぐらいで、価格的にはコスタレベルが一番気楽に参加できる気がしました。コスタ・フォーチュナ
2012.06.13
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エーゲ海とアドリア海を廻って再びベネチアの海に帰って来たのはベネチアから出港して7日目(旅の9日目)でした。前日の大雨が空気を一掃してくれたようで、入港する朝に見たベネチアの美しさは幻想的なほどでした。ベニスには海から入りたかった長年の夢が実現できたのです9時過ぎに下船して、スーツケースを一時保管所に預けて、本島の北側でガラス工房で有名な「ムラーノ島見学ツアー」に参加しました。この旅行の前に、映画「旅情」を主人にもみせたせいか、ガラス工房でガラス製品の製作現場を見学した後、主人が店の人に「ワイングラスはありますか?」なんて聞いているのを無視して(高額なワイングラスなんていらない)でブローチやブレスレットなどの小物を選んでいると、お店の人を引き連れて主人が近寄ってきて「ユーロでも日本円でも持っている?」と言うのです。ワイングラスを買う話になったら価格を一桁少な目に勘違いをしていることに気付いたそうです。でも持ち合わせがないと言うと2割以上値引きしてくれたので購入したいとのこと。食器などには少しも興味なかったのに・・・お薦めに弱いようで・・・お陰で私は娘たちのお土産に選んだ小物も買わずに(時間も余分なユーロもなくなって)ムラーノ島を後にしてしまいました。(主人はハンドキャリーでワイングラス6個日本に持ち帰りました)ベニスの散策は一応はipadで現在地を確認しながら歩きましたが、私がどうしてもしたかったのは「サンマルコ広場のカフェでお茶を飲むこと」繰り返しみた「旅情」のジェーン(キャサリン・ヘップバーン)が中年のプレイボーイに出会った場所です。ユーロの残金がなかったのでカードを使えるかと聞いたら使えると言われて席に座ると、楽団の方たちが「上を向いて歩こう」を演奏してくれました。隣にはもう1組の日本人夫婦がいて、聞いてみると、ミラノからバスで8時間掛けて、ベニスに来て、今夜はベニス本島のホテルに宿泊される予定とのこと。ツアーの添乗員さんが「旅情」を是非見てくださいと言って、このカフェを紹介されたようです(なんてステキな添乗員さんなの!)。私は憧れのベニスのあのジェーンが恋をした場所にいることに感激!もう、買い物もしなくても良いと言う気分でした。海の都ヴェネッィアと言ったのは塩野七生さんベニス(英語)と呼び名が違うのはイタリア風呼び名との違いなのでしょうか?若い友人が送ってくれた映像はまさに「海の都の物語・ヴェネッェア」
2012.06.12
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サントリーニ島を夜出港してコスタフォーチュナに乗って5日目の寄港はロードス島でした。朝8時に入港して、下船するとそこはもうロードス島観光目的地でした。オプショナルツアーに申し込んでいたため、現地ガイドさんの熱心な説明を聞くことになったのですが、180cm以上ありそうな大きなギリシャ人の女性が英語で長々と説明してくれたのを、添乗員さんが、一生懸命に通訳してくれたのですが、この旅で一番退屈な時間でした。なにしろ十字軍とか騎士団時代の頃の説明は勉強していかなかった私にはチンプンカンプンだったのです。(歴史をもっと勉強していけばもっと楽しめた島なのです) それよりも、この島が国際的にも有名なリゾート地で、素晴らしいホテルやヨットハーバーなどを散策したかったのですが・・・エーゲ海の東南、トルコに近いこの島はドテカニサ諸島の中で最大の面積を持つ島で、高い山でも千二百メートルがあって、理想的な気候の地なのだそうです。最も寒い時でも10度を切ることはなく、最も暑い時でも日陰であれば25度を越すことはまれとのこと。地中海では終始方向の変わる風が特色なのに、ロードス島の近海だけは季節風的な一定した風が吹くそうです。他の島では不足している水も山脈があり豊富のようです。遺跡を長々と説明&見学したあとは、騎士団通りを自由散策タイム。港に近くて、コスタ・フォーチュナ号が見えるバザールでショッピングしたり、ビールを飲んだり、ロードス島のおだやかな気候を楽しめました。
2012.06.11
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旅行にはアクシデントが付きものですが、海外旅行好きの友人から届いたメールには災難が重なって、その連鎖に同情したものの、なんだかユーモラスで笑ってしまいました(ゴメンナサイ)私たちがヨーロッパ旅行から帰った5月半ばに出発して、先日日本に帰ってきた友人から来た災難のメール(フランスに旧友に会うため&テニス大会の全仏オープン見学に出かけた友)私たちの旅行は 行きが 災難続きでした。 1)エールフランスの飛行機の冷蔵庫が不具合で 食事なし ⇒ パリ空港で 飛行機おりたら 窓口で ミール券を申請ってことだけれど、窓口に、飛行機から 連絡がなかったようで、 つたない英語で 事情を話し、ミール券くれと がんばりました。ツアー客や 乗り換えの人たちは 気の毒に 空腹のまま 次の 手続きに流れていきました。2) ミール券で食事をして 空腹を満たしたあと 国内線乗り場で 待っていたら 突然 掲示板が DELAY の文字で 真っ赤かになり、 びっくり。 なんと その日は 新大統領の就任後 の初日の日で 国内線のスタッフが全員時限ストライキにはいってしまった。 他の航空会社の飛行機が飛んでいくのを眺めながら、エールフランスは いつ飛ぶのかわからず、日本からの 長時間のフライトの疲れで もうくたくた 疲れて 動けず 通路に座り込んで 待つ事 半日。 結局 友人宅に 真夜中着3) 日本からのスーツケース も 届かず。 其の晩は 旅行着のまま 寝るわけにもいかず( 主人は このまま 寝たら ズボンがシワクチャになると 頑固に拒否) 友人から パジャマを借りました4)翌日 保険会社に 荷物の遅延の手続きをとりましたが 本当に なんというタイミングの悪さか、たまたま 翌日は デイオフ( キリスト教のお祭りの日)で 全てのお店が開いてないので 何も買えず。 主人が 二日も3日も 同じパンツ・靴下を履くのは いやだと 拒否しましたが さすがに パンツを借りる気持ちにならずひたすら 我慢でした。5) 日本が 23度から25度くらいの 陽気でしたので、 春の薄着で行って 防寒着 はすべて スーツケースの中。ところが こちらは 8度から12度の冬そのまま。ガタガタ 寒くて 上着は借りても 下半身部分 (ズボンとか もも引きとか ズボン下)は 借りるのは ためらって 寒くて 鼻水まで でて 風邪引く 寸前で やっと 荷物が到着。 しかも 到着から 16日から 23日まで ずーと 10℃前後で 毎日 雨・風の凄い天気で ずーと 家の中にいました。 (二日間 の遅れでしたが、 旅先で 荷物なしというのは かなり深刻な事態だと 身をもって 体験しました。本当に 何もないというのは 辛いですね)さきほど電話で話したら、ご夫婦ともに元気で、もう次の旅行の話をしたのですが、「最近海外旅行の度になにかトラブルに合うけれど、女難と言う言葉があるけれど、旅難てある?今、その周期がまわってきているのかしら?」と言っていたけれど、次回の旅は私が同行者ですよ旅はアクシデントがあればあるほど後で思い返すと印象に残る旅なのですが・・・きっと、友人にとっても笑い話になることでしょう。
2012.06.09
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旅の初めと旅の最後はヴェネツイァでした。映画の「旅情」を見て以来憧れ続けたヴェネツイァは想像していたとおりのロマン溢れる街でした。5月6日に日本を出発して7時間の時差のため6日の夜にヴェネツイァ空港に着いた時は雨でしたが、次の日7日は晴れでした。夕方の出港までの自由時間にサンマルコ寺院や広場、リアルト橋、ゴンドラで運河めぐりをして、夕方これから1週間滞在する客船「コスタフォーチュナ」に乗り込みました。海面すれすれに広がるヴェネツイァの街並みは船の9・10階のデッキからも一望できて、その幻想的な街の様子に涙ぐんでしまうほど美しい情景でした。1週間後にまたここに戻ってこられることを楽しみにしながらヴェネツイァを後にしました。ゴンドラは狭い運河を案内してくれます。 ゴンドラの漕ぎては25歳のイケメンでした。 サンマルコ広場近くの海岸通り
2012.05.26
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エーゲ海の島々を回ってヴェネツィアへ戻る前日にドゥブロヴニク(クロアチア)に寄港した。港からすぐに古く堅牢な城壁があって、その周囲2kmの城壁の中が400年前の中世の佇まいをそのまま残している旧市街があります。ドゥブロヴニクのたたずまいにはこの街が最近まで戦争や侵略の歴史に翻弄された街であったことを彷彿させられます。中世だけでなく、少し前の20世紀もこの国はハフスブログ帝国、ユーゴスラビア王国、連邦を経て民主主義のクロアチアとして独立してから20年。ケーブルカーで400mの丘に登り城塞の街の全景を眺めたあと、2kmある城塞を散策したのですが、登ったり下ったりかなりの脚力が必要なコースです。城塞の中はバスケットコートがあったり、ミニサッカーコートに子供たちが数人シュート練習をしていたり、畑や花壇があり、洗濯物が干してあり、市民の生活をそっくりこの城塞で守ったことがしのばれました。ケーブルも城塞もクレジットカードが使えたのでクロアチア通貨のクーナへの両替はしないまま、旧市街に並ぶ沢山のおみやげさんやカフェに入らずに船に戻りまってしまったことが心残りです。下の写真も若い友人が送ってくれたドゥブロヴニクの景色。自分で写した携帯の写真に比べて、イチガンレフカメラの写真はやはり素晴らしいですね。
2012.05.24
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長靴の踵、南イタリアのバーリからバスで1時間も行った小高い丘に、おとぎの国のような不思議な町がありました。トゥルッロと言う円錐型のとんがり屋根の石でづくりの小さな家が建ち並ぶ町を散策すると中世にタイムスリップした気持ちになります。教会、お土産や、レストラン、カフェもあって観光客がいっぱい歩いているのですが、21世紀の今、こんな町が残っているのが不思議です。もちろん世界遺産に登録されているそうです。町で唯一の日本人「よう子さん」の店は同じツアーの客で大繁盛でしたが、お薦めの「いちじくチョコ」は残念ながら美味しくありませんでした。でも、よう子さんの店の屋上から見たアルベロベッロの町並みは絶景でした。トゥルッロは現在も住居として使われているとのことです。
2012.05.21
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ヴェネツイァから出港してアドリア海とエーゲ海を回ってヴェネツイァに入港する時に再認識したのは、ヴェネツイァが海面に浮かぶ街と言うことでした。塩野七生さんの書いた「海の都の物語」のヴェネツイァの本を読むと、古代、ローマ帝国の末期に北イタリアに住む人々が、富みを狙って襲ってくる蛮賊から身を守るために移り住んだのが、満潮になると海面に覆われるラグーン(潟)こそがヴェネツイァ。最初は硬い木で杭をうって石材を重ねて積んだ基盤の上に家を建てる工法で造られた街。広い通路は運河、寺院の前には広場があるが、陸の通路はとても狭い。サンマルコ寺院近くの中心街は車はもちろん、自転車さえも通らない歩行者専用の道ばかり。今、建っている建物は十五世紀ごろからのものなのか?ほとんどが何世紀も経っているような古い建物ばかりでした。それこそ、建物は1955年に製作された映画「旅情」の街並がそのまま残るヴェネツイァ。中心街には車はなく交通手段は海と運河を使った船。生活排水や上下水道はどうなっているんだろうとついつい思ってしまうのですが・・・ラグーン(潟)に通路(運河)に沿って杭を打ち込んでその基盤の上に建つ建物が数百年も耐久しているなんて・・・(同様の工法で建てなおされているのでしょうが?)ヴェネツイァは海の上の壮大な交響詩。5月14日朝、私たちが乗るコスタフォーチューナが再びヴェネツイァに入港しました。前日は大雨が降って寒かったそうですが、雨上がりの澄み切った朝日を受けてヴェネツイァが浮かび上がって来た時の印象は・・・・それは見たものにしかわからない感動・・・・この旅に出てきたのはこの瞬間のこの感動を味あうためだった・・・・・・旅で仲良くなった若い友人が送ってくれた「海の都ヴェネツイァ」
2012.05.19
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エーゲ海に浮かぶサントリーニ島は地球の営みに翻弄された島だそうです。幻のアトランティスとも想像されている火山の噴火や地震や洪水で破壊と再生を繰り返してきた島とのことで、最近の破壊からは数十年しかたっていないとのこと。そのせいか、断崖絶壁に立つどの建物にも壁の白さに古さを感じません。青い屋根と白い壁のキクラデス建築の半分が壁に突き刺さった横穴式住居のテラスはまるで空中に浮いているかのようで、眼下は海。そのテラスで景観を眺めながら美味しいワインを飲んで過ごした一時は、夢の中にいるようでした。サントリーニ島はワインの産地だそうです。それにしても、地球の大自然の驚異の中で翻弄されながら、夢のような美しい街をつくって住む人間の力に感動!面積76km2、人口8000人の島。世にも美しい景観と素晴らしい建築に暮らす人々の平和な日々が永遠に続きますようにと願って、フィラの街からケーブルカーで300m下の船着き場に降りました。イアの海と建物 崖に建つイアの建物 旅で仲良くなった新婚カップルからメールで頂いた写真
2012.05.18
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今回のクルーズで訪れたギリシャの島々はどこもとても美しいところでした。エメラルドグリーンの海と、白い壁、オレンジ色の屋根、青い屋根の家々のコントラストは抜群で、庭々に咲くバラも美しくて、生活のゆとりを感じさせられたのですが・・・日本に戻るとギリシャ問題で日経平均は9千円を割り込んだとニュース日本の3分の1の面積で約1300万人のギリシャには年間1500万人以上の観光客が訪れるそうですから、まさに観光立国。ロードス島の港には私たちの乗るコスタフォーチュナ以外にも3船の大型客船が停泊していました。1500~3500人を乗せた客船の乗客たちが観光したら、6000~14000人が立ち寄ることになるから、落とすお金は大きいはずだとおもうのですが・・・素晴らしい環境と美しい家に住む人たちが経済的に苦しいなんて想像もできません。首都アテネのある本島には行かなかったから人口の多い都市部ではまた違った様相なのかもしれませんが・・・不思議です。そう言えば、私たちの巡った島々は観光業の方々の働いている様子はみえたのですが、早朝の海にも漁船の姿はあまりなく、日中でもオリーブやブドウの木の畑に人影もなく、家々の庭にも生活感が感じられませんでした。海と気候に恵まれた美しいギリシャ、世界遺産がふんだんにある古代の遺跡を残すギリシャ、観光立国としてはユーロ圏にいることのメリットは大きいはず。今回の経済や政治の窮地の理由は政治なのでしょうか、国民の生産力のせいなのでしょうか?日本も他人事でない気がします。
2012.05.16
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城壁の街、ドブロブニクは中世の香りを残す美しい街です。アドリア海の大陸側、クロアチア共和国にあるのでユーロ圏外で、通貨がクーナで、日曜日でもあったため、両替所は1カ所だけでした。標高400mの高台にケーブルカーで登ると紺碧の海と白い壁とオレンジ色の屋根の街並みが眼下に一望できます。周囲2kmとの城壁を歩くと登り降りが激しくってかなりのウオーキングコースです。「ドブロブニクを見ずして天国を語るなかれ」とバーナードショウがいったそうですが確かに美しい街並みと古代にタイムスリップした気分になる街です。
2012.05.13
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今回のクルーズツアー総勢86名のツアーメンバーの20パーセント以上が若い人たちでした。新婚旅行の人も多くて昨夜はコスタ主催の新婚旅行&結婚記念日パーティーがあって200名以上が参加したそうです。荷物を持たずに名所を巡れて自由時間たっぷりのクルーズは新婚旅行にピッタリかもしれません。イタリアやヨーロッパの人達の家族旅行としても人気のようで船の中の年齢層は多様です。日本から来たメンバーは中高年がおおいのですが、食事の時は老若ご一緒のテーブルについても話しがはずんで、新婚さんたちの若さと仲の良さにちょつぴり刺激されて、新婚の時の気分を思い出しています。オリンピアの遺跡の古代競技場で100メートル競争が行なわれた場所で、果敢に100競走をこころみたのは中高年は奥様達だけでしたが、新婚組はやはり新郎さんたちで、新妻さんたちの前で全速力で駆けだしたのは良かったのですが、途中で1人が転んでしまい完走しなかつたのですが、中高年女性はみな完走しました(拍手)旅行7日めの感想は中高年夫婦の奥様方の元気さに驚くとともに、新婚組の旦那様たちの優しさにはみていて羨ましくななるほどです。
2012.05.11
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絵はがき以上の美しい景色でした。蒼い海と絶壁に建つ青い屋根と白い壁の建物、それは写真では見てはいたのですが、実物は写真以上でした。エーゲ海でも一番人気の観光地のようで私たちの乗るコスタフォーチュナの他にも2つの大型クルーズ船が接岸して、イアの街もフィラの街も観光客で溢れていました。狭い石畳みの道はブティックやカフェやレストランが建ち並んでいて、その中の一軒のレストランに入ってランチをとったのですが、海岸線の絶壁のテラスは周囲の喧騒を忘れさせてくれる静さで、しばし美しい景色に時を忘れてしまいました。
2012.05.10
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白い壁にとんがり屋根の可愛い屋根の家の並ぶ街は世界遺産に登録されているそうです。不思議な国に迷いこんだ気分で町を歩くと「日本のテレビで放送されたようこの店です。是非、立寄って見てくださいね」との女性の声がしました。自由時間によってみるとツアー仲間が沢山きていました。ようこさんのお勧め上手に乗せられて皆さん、もちろん私もお土産を沢山買いこみました。不思議な国で日本人に会えた嬉しさでしょうか?それとも、頑張っている日本人に応援の気持でしょうか
2012.05.09
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憧れのヴェネツィアに来ました。映画の旅情を観て以來、何十年も憧れ続けたヴェネツィア。想像通り!いえそれ以上!天気も良く最高!迷宮のヴェネツィアを自分が歩いているって感激ですサンマルコ広場のカフェでは楽団が演奏していて鳩やカモメがいて写真のアップはできそうもないので帰国してからアップします。コスタフォーチュナで出航する時の景色の美しさには言葉をなくして見惚れました。いま、アドリア海を航海中です。静な海です。夢気分です。また1週間後に帰ってきます。
2012.05.08
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クルーズ旅行では一番人気の「ベニス~サントリーニ島~ロードス島~ドブロブニク~ベニス」旅行の日が近づいてきました。昨日まで旅行前の雑用に追われていたので(せっぱつまらないとやらないタイプ)、今日からやっと旅じたくを始めました。ベニスは埼玉よりも少し北だから長袖が必要、ギリシャは日本と同じくらいかしらと想像しながら衣類を詰めてみるとフォーマル着用デイナーが2回と言うところで・・・・4年前のクルーズで着たスーツもワンピースもウエストがきつくて(唖然)体重は計測していたのですが、最近スーツを着ないで楽な洋服ばかり着ていたから、ウエストがどうにもハイリマセン(涙)そう言えば、黒のフォーマルのウエストを治した時修理費5000円以上だったのですが、少しゴムが入ったものだったので油断していました今回は洋服は新調せずになんとか工夫して間に合わせて・・・次回のクルーズまでにウエストを自分の方が洋服に合うようにしなければ・・・海外旅行のクルーズ旅行を経験したら他の旅行を選択したくなくなると聞いていましたが本当ですね。横浜発の飛鳥2ならなおさらなのでしょうが高額過ぎて長旅すぎて(笑)海外は無理。目的地の港から出るクルーズならツアー代金も手ごろで、船に乗り込んだら、移動する豪華ホテルの快適さを甘受しながら名所まで連れていってくれるので本当に快適です。名所観光はハンドバック一つで身軽に闊歩できて、今回のような人気コースは日本のツアー会社が港ごとにガイド付きバスを用意してくれます。船中でもミニ新聞を発行してくれるそうです船の中ではルームキー一つで、ミニラスベガスのような船内中を24時間楽しめます。食事はもちろん、ショー、音楽、ジム、カジノ、バー・・・普段は縁のないエンタテイメントを同伴者なしで楽しめる(別行動がとれる)ことがなににも増して快適なのです。4年前のクルーズで仲良くなってから何度も一緒に国内旅行している海外旅行歴何十回の友人も今までで一番良かった「旅行」がこのコースだそうです。「早く言ってくれれば、一緒に行ったのに・・・何回行ってもまた行きたくなる場所だよ」とのこと・・その友人夫婦は私たちが日本に帰るまえにフランス旅行に出かけると言います。私の何倍も忙しいのに、年に1~2回は海外に出かけている彼女の今回の旅は「テニス大会見学とフランスの田舎滞在旅行」とか、旅は日常から解放してくれるから、忙しい人ほど旅に出たくなるのかもしれません。
2012.05.04
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憧れのベネチアに行けるというのに、申し込みからすべて主人にまかせっきりで、実感がわかなかったのですが、本日の説明会には主人が仕事で行けないので行ってきました。最初に申し込んだ連休前から連休にかけたプランは参加人数不足で中止になって、連休の終わりから出発するプラン(連休中よりも安い)に変更。ツアー会社は4年前のオセアニアクルーズと同じ「クルーズプラネット」。人気のコースと言うことで参加人数は数十人とのこと。往復の飛行機はエールフランス。ベネチアから船で出発してベネチアに戻るので憧れのベネチアでは観光時間がたっぷりあるようでホットしました。船はあの大事故を起こした会社の「コスタフォーチナ号」。コースはバーリからエーゲ海の島々・サントリーニ島・ロードス島~ドブロブニク(クロアチア)。映画の「旅情」を観て以来ずっと憧れていたベネチアの旅なのに・・・なかなか心が弾まなかったのが、説明会に出席して・・実感が湧いてきました。4年前のクルーズでは船にいる時間が長かったのでステキな友達が沢山できたのですが、今回の旅はどうなるでしょうか・・・説明会に来た方たちは旅慣れた方達ばかりのようでした。
2012.04.02
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4年ぶりの海外クルーズ旅行の準備に主人が容易したのは14カ国語の通訳付き電気辞書カシオED-B8600。英語、フランス語、イタリア語はもちろん音声で通訳してくれて、辞典、小説、歴史、医学まであらゆる知識が収録されているとのこと。以前もそんな電子辞書を買って使いきれないまま処分してしまったことがあった。今度は大いに利用しよう。主人が申し込んでくれたベネチア~クロアチア~ギリシャのクルーズ旅行まで、あと5週間。始めたばかりの算命学カリチャーと鑑定とラジオの収録と、そして、楽天の店を留守の間どうしようと、その準備で今は手一杯。主人はIPADと電子辞書持参で行くというけれど、その使い方は船の中で覚えよう。
2012.03.24
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2月18日のブログに書いた2月のクルーズでの荷物行方不明事件の顛末を私のクルーズ日記を読んで私だと見当がついた「荷物が行方不明」になった当の本人からメールをいただきました。今回のクルーズ旅行は出港地シドニーまでと下船地オークランドからは航空機による移動があって、そのさいの入国出国の手続きが厳しく大変だったのです。成田へはオークランドからシドニーに行ってシドニーから成田までという行程でしたが、荷物はオークランドで手続きして成田で受け取るという流れでした。重量制限は当然で、手荷物の液体は100ml以下で食品や金物類の持ち込みは厳しく、オーストラリアやニュージーランドではおみやげなど名産品(食品・植物・動植物製品)も機内に許可なく持ち込むとすべて没収されるのです。そんな厳しい手荷物検査を無事にオークランド空港で通過して最終地の成田に着いた時に2組の家族の合計6個のスーツケースが行方不明になっていました。添乗員さんが探したところ荷物はシドニーにあるとのことで1~3日遅れて手元に届ける手配になつたとのことで胸をなでおろしたのですが、1組はこの旅で親しくなった方だったので荷物が1週間後に無事に手元に届いたことは聞いたのですが、夏の南半球から薄着で成田に着いて着るはずのコートがなく、その調査に手間取ったために帰りのバスに乗り遅れて待っていた間に風邪をひいてしまったと嘆いていました。荷物が行方不明になったもう1人の方からメールが届いたのです(下記)。****さて、問題の荷物の件ですが、全部無事届きました。ただ解決するのに2週間ほどかかりました。まず、スーツケースが自宅に届くまで約1週間。中を開けて見ると、シドニーで買った木のおもちゃが無くなっていて、シドニー空港の検疫官からの手紙が入っていました。内容は、「荷物が持ち主不明であったときに、シドニー空港で中を開けた。木製品は一応検疫を受けることになっていて、その手続きのために空港に留めている。30日以内に取りに来ないと捨ててしまう」とのこと、そんなバカな!と成田のカンタス航空カウンターにその書類のコピーを送り、手配をしてもらいました。成田のカウンターは、難しいようなことを言っていたのですが、成田便のパイロットに頼んで手荷物として受け取ってきてくれるという返事が来て、ほっとしましたが、どの便で来るかは分からないということで日々悶々としていたところ、ようやく帰国から2週間ほどたった頃に宅急便で自宅に届きました。 ******2組とも海外旅行のベテランでしたから個人旅行なら預けた荷物の半券を必ずチェックするのだけれど、ツアーだったからしなかったそうです(私たちもしませんでした)添乗員さんがあまりに荷物検査が厳しいというので私はお土産は食品・植物・動植物製品など一切買いませんでした。・・・これでは現地のお土産業者も大変でしょうね。
2008.04.27
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今回のオセアニアクルーズのサファイアプリンセス号は2700人の乗客と1120人が長期間滞在型リゾートできるミニラスベガスのような洋上ホテルでした。私たちが選択した船室はミニスイートでバルコニーとバスタブ付きの33平米で、出港地のシドニーではバルコニーからオペラハウスが真正面に見えました。18階まであり、私たちの部屋は9階でした。14階にあるメインダイニングルームはビユッフェスタイルですが24時間オープンしています。もちろん他にも数か所ダイニングがあり、プール&ジャグジー、トレーニングルーム&サウナ、ゴルフ練習場やパーターゴルフ、シアター、クラブやバーなど2週間では使いきれない設備がそろっています。昨年利用した飛鳥2にあってプリンセス号にないものは大浴場、カラオケルーム、マージャンルームです。それから日本食レストランがないのが残念でした。1度14階で寿司バーが設置されたのですが、そのまずかったことといったら悲しくなるほどでした。世界中の人のいる船でこんなまずい寿司を日本食と思われたら恥ずかしい。世界一長寿国の日本食はもっと普及させるべきだと思うのですが・・・船の乗務員には日本人料理人はお給料の関係で乗らないのでしょう。
2008.03.16
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3月3日にも書いたのですが、2月のオセアニアクルーズで素敵だなと憧れた生活はニュージーランドの牧場主の生活でした。クライストチャーチの南14Kmにある天然の良港であるリトルトンからバスのオプションツアーで寄った牧場(Little River)です。小高い山に羊を放し草を食べさせて、農場主が笛を吹くと羊牧犬が遠くの山裾にいた12頭の羊を目掛けて突進し、途中農場主からの笛の合図に従い、農場主の前までしっかり羊を後ろから追い立てて連れて来てくれるのです。その後、農場主が電動バリカンでたっぷり生えた羊の毛カットの実演をしてくれましたが、そのあと農場主の家でコーヒー・紅茶、ケーキ・クッキーをご馳走になったのですが、美味しかったことはもちろん。私はその家の設計と住まい方に憧れました。裏山やその横が牧場で右横がガーデンパーティーできる庭、前がプールや花壇、そして牧舎があります。平凡な外見の中の素晴らしい設計と住まい方!!(憧)1865年に祖先がここに入植して農場を始めたそうで、現在の農場主は私と同世代くらいにみえました。
2008.03.13
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今回のサファイアプリンセス号は、2004年5月長崎で建造された11万トン、最大乗客定員約2700名の乗務員は1120名。今回乗客の国籍は、USA(41%)、オーストラリア(18%)、イギリス(13%)、カナダ(10%)、ニュージランド(5%)、日本(3%)、香港(2%) の順で37ケ国に渡るとのことですが、1120人の乗務員の国籍も41カ国で東南アジア系の方が多い。その中で日本人女性乗務員のTさんの存在は、日本人乗客を増やしている(他の船は知りませんが)。日本語によるプリンセス通信の発行や船に関するいろんな情報や寄港地の手書きマップや情報、困った時の通訳と実に日本人には心強いのです。51歳で年齢はこの仕事ではプラス材料だが給料は職種で均一だから日本では低賃金の部類と話していましたが、実に有能な女性でした。今回のツアー会社の添乗員の2人の女性も、タスマニア在住のガイドの女性も皆さん熱意ある誠実さで語学力もあって素晴らしい女性でした。彼女たちを見て、きめ細かい適切なサービスを提供できる日本人女性の有能さが誇らしくなりました。下にクルーズでご一緒だった方がサファイアプリンセス号の雄姿をアップしてくれました。
2008.03.06
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クルーズツアー後半の月曜日の夜のイベントで、 午後11時15分から、メインロビーで、シャンペンウォーターフォール ダンスパーティが行われました。沢山の乗員がみなメインロビーに集まり大混雑の中、吹き抜けのロビーにシャンペングラスを20段くらいに積み上げ、上からシャンペンを乗客たちが交代で注ぎ続けるものでウォーターフォールと言って船が揺れていないことを証明する、プリンセスクルーズの恒例行事だそうです。国境を越え見知らぬ乗客・乗員同士がラインダンスやディスコを踊るのは見てるだけでも楽しくって、みんなとノリノリでダンスステップを踏みましたが、一か所にこんなに大勢の人が集まって船はかたむかないのか不安でした。私達は12時前に切上げましたが、ツアー仲間は深夜1時までいたようです。40カ国の人たちが言葉の壁を越えて楽しめたウォーターフォールはサファイアプリンセス号のハイライトなのでしょう。
2008.03.04
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クライストチャーチからのツアーで、牧場主の夢のような生活を見学した後、峠を越えて、19世紀初頭、フランス人が入植して開拓したアカロア町を散策した。坂を上ったところにある芸術的なモーテルGreat Houseを見学したが、このモーテルの美しかったこと、眺めが素晴らしかったこと!いつか再び訪れることがあったら是非滞在したいと思うほどだった。アカロア湾にはたくさんヨットが係留されていた。湾岸にはレストランやモーテルやセカンドハウスが多かったから真夏のバカンス時は賑わうのだろう。この日も暑くはなかったが子供達数名が海水浴をしていた。牧場にしても美しいモーテルにしてもアカロア湾に面したこの付近はニュージーランドの良さを象徴するような牧歌的で素敵なところだった。
2008.03.03
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9日目の2月9日早朝、ニュージーランドの南島の南西部にあるフィヨルドランド国立公園(世界遺産)の北側にあるミルフォードサウンドという入江に到着した。天気は、あいにくと冷たい雨で、気温15度で、初めてのニュージーランドはうっそうとした緑多い森林の島だった。雨が少なく緑が少なかったオーストラリアに比べて緑深き島の印象が、突然、映画「ピアノレッスン」を思い出した。主人が一番楽しみにしていたのが3つの入り江に入るこの日の行程で、約4000人乗せた巨艦が狭い入り江に無事に入るたびにデッキのあちこちから歓声が上がった。朝食をデッキのない部屋をとったという仲良くなった2人の女性を誘ってルームサービスでシャンペン、ペストリー、スモークサ-モン、フルーツ、アラスカ産蟹のキッシュ、コーヒー・紅茶たのんで、4人で入江の風景を見ながら食べた。雨がやまずに傘を差しながら入り江の景色を撮影眺めたが、この地帯は雨が多いようだ。3つの入江(ミルフォード、トンプソン、ダスキーの各サウンド)を無事に通過して船は昼ごろには外海に出た。終日クルーズ3日目。ダンスレッスン・お茶・卓球・入浴・ディナー・ショー・ダンスと相変わらずの日程も不思議と飽きない。
2008.03.01
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クルーズの最終下船地は北ニュージーランドのオークランドでした。朝下船してバスで市内を観光して宿泊するホテルにチェックインして自由行動の日程でした。2700人の乗客を下船させて1300室を超える船室ほか船内設備をクリーニングして、午後にはまた同じくらいの乗客を乗せて逆コースでシドニーに向う、船は休みなく働くのです。オークランドは他の寄港地には見られない高いビル街でしたが、市街地のすぐ近くにハーバーがあり、セーリングボート、モーターボートが数多く係留されていました。アメリカズカップのヨットレースが行われる地でもあるようです。ホテルにチェックイン後自由行動でしたので、市内の東にある南極探検&アンダーウォーター・ワールド行ったあと、DFSにて買い物して(店の客は日本人叉は中国人が多い)ホテルに向かう途中にバンジージャンプに挑戦する若者を見かけました。乗る前は元気そうだったのに勢いよく上昇した時にはすごい悲鳴が聞こえて、降りてきたときにはぐったりしていました(やる人の気持ち解らない)。ニュージーランド寄港地で一番大きな街・オークランドは海や空の玄関口で気候も温暖で地震がない恵まれた地は今、オイルマネーの標的になっているとガイドが言っていました。19~20世紀に欧米人の移住、開拓&開発されて発展したオセアニアは今、豊潤なオイルマネーによって変わろうとしている??
2008.02.28
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船内12泊中、終日クルーズ5泊の今回のオセアニアクルーズではいろんな方たちと仲良くなれた。旅の終わりころには同じツアーの方たち29名添乗員2名全員がみな仲良くなれて、オークランドで成田組と関空組(6人+添乗員1人)が別れる時に、関空組に付き添う若い添乗員さんが別れを惜しんで泣き出したほど別れがたいメンバーでした。最初に仲良くなったのは私と同年代の日本人女性同士でツアー参加の2名で2人は幼友達で、九州と関西に分かれて住んでいるが2人とも子供が自立したので誘い合って参加したそうです。お二人の旦那様は中小企業の社長をしておられて仕事が趣味だそうで仕事中とのこと。2人とも好奇心と行動力抜群で同年代だったこともありオプションツアーやディナー以外はたいてい一緒に行動していました。同ツアーの方たちがPM6時に集まるディナーは4~7人席のテーブルでしたので、毎回別々の方たちと知り合いたいとテーブルを選びました。どの方も皆さん魅力溢れるかたばかりで、この船旅の一番の収穫は素敵な方たちと出会えたことでした。終日クルーズの1日に私が主催した「占い教室」に参加して下さった方たちの誕生日の命式(算命学)をみると、プラスの学習本能を持つエネルギーの大きい方がほとんどだったので、本当に驚きました。昼のダンス教室に出て夜はシヨーを見たあと生バンドで昼間習ったことをおさらいしながらダンスを楽しむのも女3人と男1人(主人)でしたが、その流れにいつも一緒になったのが、奥様のお母さんと3人で参加していたご夫婦で、ご主人はダンスを習って何十年の奥様とお母様のダンスパートナーを楽しそうに勤めておられました。寄港地ツアーでは杖をついて歩いて歩いておられる81歳のお母様は揺れる船内フロアーでどんな激しいリズムも見事なステップをふんでおられて・・ツアー後半ころは女5人を男2人がダンスパートナーを休む暇なくつとめてくれて・・この7人がとても仲良くなれました。船旅終わった後も連絡取りあって、7人で連休に国内ツアーをする手配になっています。人生を楽しむのも、出会いを次につなげるのも、エネルギーをもった方たちとなら実にスムーズに流れることを知りました。
2008.02.27
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歴史ある豪華な建築物よりも女の私はニュージーランド人の普通の家に興味があり、今回の旅では立ち寄った牧場主の家が一番素敵な建築物に思えました。クライストチャーチの南14Kmのリトルトンから近い牧場がツアーのコースにあり、その羊と牛の牧場(Little River)では、農場主が笛を吹くと羊牧犬が遠くの山裾にいた12頭の羊を目掛けて突進し、途中農場主からの笛の合図に従い、農場主の前までしっかり12頭の羊を後ろから追い立てて連れて来る実技と、農場主が電動バリカンでたっぷり生えた羊の毛カットの実演をしてくれたのですが、その農場主の家で、奥様が用意したコーヒー・紅茶、ケーキ・クッキーをご馳走になって家の中に案内されました。(そのクッキーの美味しさもこの旅一番でした。)1865年に祖先がここに入植して農場を始めたそうで、現在の農場主は私たちと同世代くらいで広い土地と庭と牧場が一体になっていて、リビングの広い解放部分から小高い牧場が見渡せて、羊たちの草を食む様子が眺められるのです。リビングから、犬笛を吹くと犬たちが羊を連れ帰ってくれるような設計で、邸宅全体が生活と牧場経営に最良に設計されているのです。庭もリビングの延長のようで、前庭にプールがあったり、あずまやがあったり、もう!とても素敵なのです。牧場と言うと動物の世話なので重労働のイメージだったのですが、邸宅の優雅さと見事な設計と犬たちの有能さをまのあたりに見ると、この牧場経営者の生活がどんな仕事よりも優雅に思えて憧れてしまいました。けれどここでも牧草の枯れ具合が気になりました。
2008.02.26
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メルボルンの南に位置する島・タスマニアは緑が豊かで住みやすそうな島でした。事実、日本人ガイドさんも住み着いてしまったようで、隣人には世界の賭博王が住み着いていると言っていました。島の良港ホバートに船が着いたときに、ヨット好きの主人は感激していました。毎年クリスマスの翌日に、シドニーをスタートしてこの港まで1000km以上のヨットレースが大変有名で、150艇以上のヨットが年末の12/30頃にこの港に到着するようです。この島にもう14年住んでいる日本人ガイドさんのおしゃべりは楽しくって島を案内している間中笑いが絶えませんでしたが、悲しい原住民たちの歴史に胸が痛みました。ホバートから北東へ約24kmにあるリッチモンドは、1820年代に英国の流刑者をこの島に送り、タスマニアンアボリジニと呼ばれる原住民やタスマニア・タイガーを一掃しながら道路や橋を作って、7年の刑が終わった後に、土地をもらい住み着いた人もいたらとのことですが、原住民もタイガーと同様に一掃されたなんて!!気候もよく天災が少ないこの島の難点は山火事で油が多いユーカリの木が多いので燃える時間が長いそうです。それにしてもこのオセアニアの旅で気になったのは欧米からの移住者が住み着いて原住民が迫害させた事実です。ちょうど日本の江戸時代から明治初期の時代にオセアニアやアジアに欧米が新天地にしようと押しかけて、日本は独立国であり続けられたのは、一国がまとまっていたからなのでしょう。
2008.02.25
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クルーズ旅行を経験すると他の旅はできなくなると聞いたことがあります。今回の旅行の同じツアーの人々も大半がクルーズ複数経験者でした。船旅の良さはなんと言っても自由で気ままなことです。ラスベガスの街のミニチア版の空間をどう楽しむかは個人の自由で寄港地に下船せずに船内の施設をエンジョイしていても良く、下船しない人たちも多いようです。船内ではフルにエンターテイメントやアクティビテイが繰り広げられていて好きなものを選んでエンジョイできるのです。12泊中で5日は終日クルーズで、旅行前は退屈を持て余すことも考えて、本や仕事の企画フォーマットを持参したのですが、朝から晩までフルにエンジョイしてしまったので読書の時間も思考や瞑想の時間ももてませんでした。3日連続の終日クルーズでは日中は同じツアーの方と囲碁、マージャン、占いなどをやりながらコミュニケーションを楽しんだり、ダンスレッスンに参加したり、プールやジムを楽しみ、ディーナーは同ツアーの方たちとメンバーチェンジしながら日本語の会話を楽しみながら食事をいただき、そのあとは本格的なショーを見てから、星を見るツアーに参加したり、何箇所かでやっている生バンド音楽をハシゴしながら気に入った演奏でダンスを楽しんだり、アメリカの船はダンスもリズムに合わせたステップだけでよく、日中ダンスレッスンで習った程度で楽しめるのが嬉しくって毎晩のように生バンドフロアーをハシゴしてダンスしていました。私たちはたいていは11時~12時で自室に引き上げていましたが、深夜まで毎晩カジノに熱中していた方もいたようです。ラスベガスでは選択肢が多くどうしてもホテルを変えたりして道に迷ったり帰りの交通が気になって行動を制約してしまうのですが、船の中は船室のキーカード1枚持って1人で行動できるので目いっぱい楽しめます。旅だけでなく人生をたのしめるかどうかは個人の意識の問題なのだと再確認できました。
2008.02.24
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今回のクルーズで気になったのはオーストラリアとニュージーランドの異常気象です。名勝地の噴水は水不足で噴水の機能をなさず、公園も夏なのに花や緑が少ないと感じました。特に牛や羊を放牧しているニュージーランドの牧場が今の季節は夏か初秋なのに日本の晩秋のような枯草色をしていました。「大干ばつ」の噂を聞いていましたが、私たちが旅している間は天候が悪く、空は雲に覆われていて時々雨も降っていたのに、干ばつ(?)のようです。枯草の放牧地であの沢山の羊や牛は十分な栄養がとれるのかしらと気になりました。気温も意外に寒く、シドニーやオークランドでも長そでが必要なほどです。温暖化というよりも異常気象で地球がへんになっているようで不安になります。クルーズでは若い添乗員さんが毎晩「南十字星を探そう!ツアー」をデッキで開催してくれたのですがPM9~10時には夜空が雲に覆われていて一度もみることができませんでした。(私たちの部屋のデッキからは最初のシドニーで1度みることができました)それでも毎晩何人もの人がデッキに集まったのは熱心で優しい添乗員さんに会うためだったのかもしれません。
2008.02.21
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寄港地のオプションツアーで一番楽しかったのはダニーデンの埠頭に入線している列車でのタイエリ峡谷の旅でした。ダニーデンはニュージーランド南島にあってかってはゴールドラッシュに沸いた町ですが今は人口が少ない小さな町で、大型客船の寄港地として観光業で栄えているようです。観光列車は日本の列車の3分の2ほどの幅で1車両の真ん中にトイレを作って、対面型座席にはテーブルがついてあって1車両約24~30人ほどの定員で20車両もあります。埠頭からオタゴ湾の海岸すれすれから山間部の峡谷までの往復5時間半ほどの列車の旅ですが、走り出したとたんに老ボーイさんがシャンパングラスにシャンパン叉はワイン又はビールや水を注いでくれて、ティータイムにはコーヒーや紅茶&クッキー、昼はピクニックランチバスケットと絶え間なくサービスしてくれます。デッキには屋根がなく景勝地では写真撮影タイムがあり、終着駅のプケランギでは地元の人々の手作り製品の露天店があるのです。列車内の老ボーイさんや案内嬢は70歳は越しておられるような方ばかりで、現地のボランテアの方たちのようです。乗客は全員同じサファイアプリンセス号の乗客たちでしたが船の中でみるよりも狭い列車の中ではよけいに大きくみえて、1人用の座席にすわれない大きな男性が4人掛けに坐ろうとしたらテーブルの下に脚が入らずに困っていたので、私たちの隣席の職員用みたいな2人掛け用イスに小さなテーブルのついた席を私がでしゃばってお勧めしたのですが、その席には無事に座ることができて「サンキュー」と喜ばれましたが、乗っている間中私はその男性のあまりの大きさに目を奪われていました。身長も2m近く腹囲も多分同じくらい(?)、飛行機のあの狭い座席に座れたのかしらとか・・・でも列車内で食べた量は私と同量でした・・・大型客船の寄港地として観光客を町をあげて歓迎してくれたダーニーデン。かってのゴールドラッシュ時代の面影を残す英国的な豪華な建物、渓谷の美しい景観とともにこの旅一番の寄港地でした。(クルーズ10日目)
2008.02.21
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