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本日4月5日の日経新聞に「トルコじゅうたん名産地危機」のタイトルの記事がありました。昨年のトルコ旅行でヘレケ絨毯に魅せられて玄関マットを衝動買いしてしまったのですが、あの時もお店の人が「織りて不足で希少価値」と言っていました。 「トルコ絨毯はダブルノット方法で(2度結ぶ方法)編み込むからとても丈夫です。」 「手織りなので織り娘が減っていて、特に絹織りは指が細くて目が良い若い女性でないと織れません」 との説明を聞いて、ついつい買ってしまった絹のヘレケ(hereke)の玄関マット。 2所帯住宅で小さな孫が毎日出入りする我が家では当分玄関マットとして使えない(もったいない)のでしばらくは壁にかけておきたいとたのんで、額入りで後日家に送ってもらいました。記事では、かって6万人いた織りては、今は2500人。大卒ならイスタンブールで数千ドル(米ドル換算)の月収のトルコで、1日7~8時間労働で500~500ドルの月収だから10分の1の月収。私が購入した場所はヘレケから遠いカッパドキア近くの絨毯屋でしたが、カッパドキアではいまだに母から娘に絨毯織の技術が伝わっていて、観光で訪ねた民家でも織り機があって家の絨毯は家の女たちが織ったものでした。イスタンブールと内地との収入の格差もあって教育も格差があるから、母親から娘に自然と受け継がれている絨毯づくりも、教育を受けると高収入になる中では人手不足になるのは時代の流れなのでしょう。ダブルノット方式で小さな花が沢山織り込まれてほしくなった我が家のヘレケの玄関マット
2015.04.05
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3月31日のニュースに「トルコの世界遺産カッパドキアで、過去最大とみられる地下都市が見つかった」と報道された。発掘調査で地下都市の規模と構造はこれまでで最大とされる。昨年の5月にカッパドキアに行ったときに地下都市を観た。火山の噴火でできた軟らかい岩を掘って、一大タウンが作られている不思議な光景・・・洞窟の中だから、保存状態はかなり良い。迫害にも耐えて自分たちの宗教と生活スタイルを守った人々の知恵と信念と生命力に感銘を受けましたが、暗くて狭い地下都市に隠れ住んでまで宗教を守り抜いた人々の心がいまいち理解できませんでした。でも、今、中東を中心に起きているテロ事件をみると、あの地下都市は身の安全を守って生き延びるための知恵だったことがわかりかけています。カッパドキアの地下都市、洞窟の中の教会、そして今でも洞窟を住まいとする人々、カッパドキアは東洋と西洋の融合と分離の歴史が刻まれていて、今なおその現実を観ることができる地域です。トルコは西洋と東洋のぶつかり合う国。イスラム教とキリスト教やさまざまな宗教の抗争があったのでしょう。神々の存在は否定しないものの固定宗教を持たない私には、宗教が違うだけで抗争しあう信心深い人たちが理解できない。八百万の神を信じる日本人。6世紀ころに仏教が伝来すると仏教徒が増えて、16世紀ころにキリスト教が伝来すととキリシタンが増えた。キリシタンを迫害した時代や、神仏習合の思想が明治時代に神仏分離令が出て神仏混合思想は廃止されたものの、庶民の間にはいまだに慶事は神社で仏事はお寺での習慣が根強く残っている日本。そんな宗教に対する寛大さが戦後の近代化を推し進めた説もあるのです。親日的で素晴らしい遺跡が沢山あるトルコ。もう一度訪れたいものの、隣国の治安が不安です。
2015.04.03
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朝ドラ「花子とアン」の9月は戦争に巻き込まれていく花子の周囲の人々の苦悩が描かれていました。一般市民を巻き添えにした米軍による空爆でどれほどの日本人が命や財産を失ったことか・・・・ドラマと同時に進行していくかのように、イスラム国と米国の戦いが進行して、シリア領で空爆実施。きっと戦う意思を持たない女や子供も巻き込まれているかと思うと、とてもつらい・・・・5月にトルコに旅行した時、イスタンブールの街を歩いていた時に、骨と皮に痩せた子供が物乞いをしていました。募金入れの横に英語で「シリア難民」と書かれていたような気がします(?)。あまりの悲惨な様子に、ツアー同行者(女性)がお金を入れようとしたら、トルコ人ガイドのゼキさんが大声で止めました。いつも笑顔で優しかったゼキさんが大声で怒ったのはあの時だけでした。そのあと見学の会場に入ってから、ゼキさんが「トルコは政府がシリア難民を支援しています。国境近くでトルコの大事な財政を使って難民施設を作って手厚く支援しているのに、自分たちの意思でそこに入らずにイスタンブールに来ている難民は、問題も起こしているから、彼らに近づいたら、観光客であるあなた方の身の安全を保障できません」ときつい口調で説明してくれました。「花子とアン」の物語でも太平洋戦争に入っていく流れを変えられなかった日本人。今、シリアの人たちもあの時の日本人のように、空爆に怯えながら「シリア脱出」ができないでいることでしょう。
2014.09.24
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5月のトルコ旅行はカッパドキアで気球に乗りたいと言う主人の長年の夢に付き合う旅として、あまりトルコに対して知識を持たないままに参加したこともあって、素晴らしい歴史の遺跡に対しても感動は少なかったのですが、エフェソス遺跡ではその歴史的な重みに圧倒されました。エフェソス遺跡のアルミテス神殿は、小アジアの古代イオニア地方の都市エフェソスにあった神殿。エフェソスは紀元前11世紀頃に建設され、紀元前6世紀には商業、宗教の中心として栄えた都。アレキサンダー大王の登場やヘレニズム時代を経て、アウグストゥスの時代には、ローマ帝国のアジア州の都として栄えたが、港が浅くなって使えなくなり、衰退していったという。今では発掘も進んで観光地としてトルコ旅行の中心的な場所なのです。南北に2kmに渡って、浴場(ハマム)、聖堂(バジリカ)、音楽堂(オデオン)、ヘラクレスの門、セリシウス図書館等々の遺跡が数多く残っていて、古代の人たちの生活レベルの高さに感動しました。マドンナのライブもあったと言われている円形劇場(音楽堂)では添乗員さんの提案でツアー仲間と合唱したり(*^_^*)堂々とした図書館(セリシウス=奥の建物)には書物があったのだろうか?トルコの歴史には詳しくないので、旅行記にも遺跡のことは書かなかったのですが、イタリアのポンペイに行った時以来の感動でした。最近、高樹のぶ子さんの「エフェソス白恋」を読んでエフェソスの神秘性を思い出しています。(本の内容はあまりお薦めする気にはなれませんが・・・)
2014.07.27
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トルコ旅行で結婚式を挙げたカップルに出会いました。 東部のカッパドキアのロケーションの良いアイスクリーム屋MADOの前の池で写真を撮っていた花嫁花婿さん達に写真を撮らせていただいたら、そのカップルに私たちの泊るホテルの近く(レストラン?)でも再会しました。イスラム教のトルコの人も結婚するって一大イベントだそうです。 現地ガイドのZEKIさんからいろいろ教えていただきました。☆結婚の登録をする。役所にみんなで行ってその前でサイン後、パーティー。 又は、パーティー会場に役所の人に来てもらってサイン。どちらも、パーティーは新郎新婦も参加者もみんなで踊ったり余興をしたりで楽しむ。(日本の結婚式は偉い人たちの話が長くて楽しくないとゼキさんが言っていました) 地方になるほど、結婚式は盛大になるそうなので、カッパドキアの新郎新婦はあの後、盛大なパーティーがあったことでしょう。 翌日の名所巡りの時に、太鼓を叩き続けている少年をみかけると、ガイドさんが、「あれは『今日は町で結婚式があるよ』と言うお知らせの太鼓です」と教えてくれました。(昨日のカップルかしら?)(それとも別のカップルの?) イスラム教の男性たちは奥さんを何人も持つことになっても、みんなに平等に接しないといけないから(待遇も愛も)、1人の奥さんの人が多いとのことでした。ゼキさんも1人だけだそうです(笑) ある村をバスで通った時に、ZEKIさんがこっそり教えてくれたのは、家の屋根にビンが置いてあるのは (この家には年頃の娘がいますよ)と言う合図だそうです。 そして、男がその娘を見染めてプロポーズすると、そのビンを石を投げて落とすのだそうです。池の向こうはモスク、MADOのロケーションは素晴らしいのです。花嫁は髪や肌を隠すスカーフを被る。ウエディング・カー今日は夏至。男女の出会いは、世界中で次の世代をつくり、命や文化を継承して行く大切なこと。夏至は男も女も恋に落ちる確率が高いのか(?)北半球でいろんな行事があるようです。スウェーデンでは、夏至を祝う「ミッドサマーの祝日」から9ヵ月後に子供の誕生が多いといわれています。他にも、ギリシャでは未婚女性がイチヂクの木の下に持ち物を置くことで、「夏至の魔法」によって未来の夫の夢を見るとか。ポーランドでは、この日のスラブ民族の祝日に、恋に落ちる男女が多いとか。イギリスの地方の夏至祭りでは、男女の出会いを祝う意味があるとか・・・
2014.06.21
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トルコ絨毯はトルコの名産品なのでしょうか?今回のツアーで最初の買い物ツアーは絨毯屋でした。「トルコ絨毯はダブルノット方法で(2度結ぶ方法)編み込むからとても丈夫です。」「手織りなので織り娘が減っていて、特に絹織りは指が細くて目が良い若い女性でないと織れません」との説明を聞いて、ついつい買ってしまった絹のヘレケ(hereke)の玄関マットが本日、家に到着しました。2所帯住宅で小さな孫が毎日出入りする我が家では当分玄関マットとして使えない(もったいない)のでしばらくは壁にかけておきたいとたのんだら、額入りで届きました。革ジャンは主人がステージで着たものよりも薄手で着やすいものを購入したら、やはり写真映えしませんね。紀元前、17世紀~15世紀のハットウシャ遺跡で現地の少年から「1000円」で購入した石に彫った「12人の兵士たち」は手作りと思って購入したのですが(世界史の本ででていた写真のようで)。そのあと、土産物屋では少年たちが石に彫っているのを見かけて、(やはり手作りだったと)。目玉の魔よけはいくつかで1000円、レースの縁取りした布(洞窟の家の母娘の手作りで1000円) 海外旅行であまり買いものしない私たち夫婦、今回は阪急交通社さんのご案内につられて買ってしまいましたがどれも気に行っています。
2014.06.14
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世界三大料理(?)の一つがトルコ料理と言うのですが、若くない胃袋にはかなり負担のかかる料理です。今回の旅は全食事付きというツアーでした。魚料理や野菜料理が多いと聞いていたのせすが、オリーブ油と甘味料とスパイスがふんだんに使われていて、平均年齢の高い今回のツアー客には胃腸を悪くした方が続出しました。美味しかったレストランはイスタンブールのオリエントエクスプレスレストランのカルニャック料理。景観が良かったのはカッパドキアの鳩の谷近くのレストラン、ドネルケバブも美味しかった。スルタンダーのサクランボとMADOのアイスクリーム。出発前にあまりに忙しかったので、行きの飛行機でも機内食が食べられないまま、到着後の2日間はほとんど料理が食べられなかった私は3日目から回復したのですが、ツアー仲間の人たちは2日目夜から調子を悪くした人が続出で夫もその1人でした。魚料理はオリーブ油と塩で調味、ご飯もピラフのよう。蜂蜜入りヨーグルトやデザートケーキの甘いことと言ったらチャイにもコーヒーにもたっぷり砂糖を入れるトルコ。水が合わないのか(飲み水はミネラルウオーター)、オリーブ油に慣れないせいか胃もたれして日本の家庭料理が恋しくてたまらなくなりました。おしょうゆや味噌の味付け、野菜果物の美味しさ、日本料理は世界一だと再認識しました。オリエントエクスプレスはもうステーション機能はないようでレストランにはアガサクリスティの写真飾られて、ホームには止まったままの列車がありました。
2014.06.11
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ヨーロッパ最大の都市と言われるイスタンブールは今回の旅の出発地であり終着地でした。東京よりも多い人口(約1500万人とも)を誇る巨大な都市も、交通渋滞は東京の比ではないようです。その大きな理由がヨーロッパ側とアジア側を隔てるボスポラス海峡を渡る道路が少ないから。地下鉄の開通でかなり便利になったようですが、大きな橋は2つしかない(?)ようで・・・・私たちは最終日にボスポラス海峡クルーズしたのですが(オプション)モスクや観光地を回っただけではわからなかった、イスタンブールの魅力を知ることができました。ガイドのゼキさんの話では「トルコの貧富の差の富裕層の住まいがこの沿岸地域にある」そうで、寺院やモスク、教会などの建物、高級ホテルや世界で2番目に高額な住宅などが建ち並ぶ景観。世界で最も交通量が多い海峡と言われているボスポラス海峡も、対岸の景観に見とれて、市街地の喧騒を忘れてゆったりと時が流れたクルーズでした。オスマン帝国、ローマ帝国、ビザンチン帝国の首都だったイスタンブールに来ている現実にイマイチ、現実感がもてないままに、このあと日本への帰途に着いた。心残りがあるとしたら(イスタンブールを自分の足で見て回りたかった)という思い。ボスポラスクルーズの景観(五木寛之の本を読んだ時イメージさえわからなかった「ボスポラスの海」を私が渡っているなんて!)
2014.06.10
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毎日約450km移動の阪急交通社のバスは毎日同じバスで運転手さんも同じ人。観光バスの運転手さんは経験も豊富で優秀なドライバーさんだと添乗員さんが話してくれたけれど、長い道のりをかなりのスピードで走行していたのに危ないと思うことはなかった。車窓から見渡す景色はトルコに来るまでは想像もできなかった景色がひろがっていた。木がない山々、乾いた大地のところどころにオリーブ畑とブドウ畑点在する。赤や白のケシの花が一面に咲いている(ポピーではなく)。ガイドのゼキさんが医療用の麻薬のためと言っていたけれど、遺跡などにもケシは咲いていた。牛や羊がところどころに放牧されていて、民家の屋根はオレンジ色。雨が少ないのは景色からもわかったが、埃っぽさはなく、延々と広い大地が続いていた。(これがトルコなんだ!)とカルチャーショック。パンを頭に載せた少年を見かけた。(移動が車やバスのトルコでは途中にお腹がすく人がいるからなのだろうか?)
2014.06.09
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トルコは平均寿命が短く子供が占める人口比率は高いそうです。阪急交通社のトルコ旅行は名物名ガイドのゼキ(zeki)さんが旅を楽しくさせてくれます。イスタンブールから出発してバスで8日で2500~3000kmも回る強行軍の「トラピックス25周年記念トルコ10日間」。そのハードなスケジュールを「8日間でトルコを楽しくわかる旅」にしてくれたゼキさんの情報と日本語に感謝。日本に住んだ経験があることやゼキさんの奥さんが日本人であることで日本とトルコの違いを肌で感じているからできる名ガイドなのですね。添乗員さんはわが社のハリーポッターさんと呼んでいましたがソックリなゼキさん、2年前に阪急交通社で旅行した友人もガイドはゼキさんだったようです。教育制度は近年目覚ましく変化していて、義務教育も5年→8年→(最近)12年(4・4・4制度)と教育に力を入れているそうです。それから国民番号制度が確立しているから、国の管理システムはかなり合理化されていて、トルコ国民も自分の番号で就学履歴、納税、年金、病気の履歴はもちろん違反(交通違反など)の履歴もデーター化されていて、諸手続は合理的に行われているそうです。(日本も早く取り入れれば、年金や行政にかかる人件費や時間が減らせるのに・・・)トルコの一大祭日グルパンの習慣もつい最近まで個人宅で牛や羊を一頭殺して、肉を家族や周囲の人たちに振る舞う行事が、個人宅ではやっていけないことになったそうです。ゼキさんは貧しい人たちにも肉を分け与える意味なので、今は肉屋さんで処分してもらって家族他で食べる人たちも多いけれど、自分はお金を寄付するだけにしているそうです。結婚やイスラム教や家族関係や貧富の差など、長いバスの旅の間いろいろ話してくれました。
2014.06.07
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カッパドキアの洞窟民家で母から娘へと伝承される手織り絨毯の話を聞いた翌日、カッパドキアにある手織り絨毯の工房に寄った。織り娘さんが数人絨毯を織っていて、トルコ絨毯の織り方の特徴を実践してみせてくれた。結び目を2つ作るダブルノット方法で手織りの絨毯が特徴とのことでその姿をみていたら「記念に1枚ほしい」と思ってしまいました。そして、そんな気持ちを見透かされて、店の人に薦められてHEREKEのシルク玄関マットを買ってしまいました。(品物は後日とどくことになっているのですが・・・・)そして、カッパドキアからコンヤに移動する途中で「革屋の厠に寄って、革製品のファッションショーをみる」企画があったのですが、(まさか買うことはない)と思っていたのに、そのファッションショーで主人が綺麗なモデルさんに誘われてショーに出ることになって意外に皮ジャンが似あったので・・・私も主人もついつい皮ジャン購入今まで海外旅行は個人旅行かクルーズ旅行だった私たち夫婦、阪急交通社の買い物お薦め付き企画に、素直に乗せられたようですそしてコンヤからパムッカレへの途中に寄ったスルタンダーの土産やに並ぶサクランボを買ってみたら、日本のサクランボの味でとても安くって美味しくって感激しました。夫が皮屋のファッションショーに飛び入り参加絨毯を手織りする若い女性
2014.06.05
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トルコの観光地を巡りながら、不思議だったのが遺跡や寺院を我が家のように歩き回る犬や猫たち。友人の話ではトルコでは街や近所にいる犬や猫に餌をやる人はいるけれど、自宅で飼う習慣がないと言うけれど本当かしら(?)イスタンブールの観光地では大型犬がうろうろしていてびっくり、大人しい犬だから野放しなのかと思った途端、車がとおると、吠えて追いかけていた。足の悪い犬が一匹いたから、あの犬を轢いた車を嫌うのかもしれない。大都市のイスタンブールでも繋がれた犬は見かけなかった。まして、中東部~南西部を回っても、観光地やお店で出会った犬も繋がれていなくって、首輪もしていなかった。羊や牛も放牧されてのんびりと草を食んでいた。(ここは、遊牧民の国で、ここはシルクロードなのだ)と改めて気付く。牧草を求めて羊や牛を連れて旅する遊牧民の生活は、家畜も動物も人も、時の流れがゆったりしている。古代の遺跡めぐりでも遺跡に住んでいるかのような猫たちに出会った。みんな痩せて毛並みも良くはないけれど、悠々自適に過ごしている気配。車窓から白や赤のけしが一面に咲いていて、遺跡のあちらこちらにけしの花が咲いていた。(麻薬を作る花なのに)こんなにも自由に咲いていて良いの?農耕民族の日本人の感覚からすると、トルコはやはり不思議な国である。町の犬も首輪はつけていない自由犬。遺跡の猫たち
2014.06.03
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太古の昔の火山の爆発で作られた不思議な奇岩は風景だけでなく、生活の場だと言う不思議。奇岩は住居、ホテル、レストラン、寺院、集合住宅なのです。奇岩を住宅にしている民家では、現代も生活している人が多くて、必要な部屋を岩をくり抜いて作るとのことですが、花崗岩で軟らかいので3カ月くらいでできると言います。水道や電気もひかれていて普通に暮らせるようです。イスラム教の国ですから、キリスト教徒が迫害された時は洞窟に教会を隠すように作って信仰したり、集団で隠れて住んでいた集合住宅の跡地も、千年以上の時を経ても、岩の中だから、保存状態はかなり良い状態で残されていました。奇岩に玄関の入り口が見えます。カッパドキアの奇岩窓はくり抜いてガラスがはめられています(ソファーには手づくりの織り物や刺繍)
2014.06.01
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太古の昔、火山の噴火でできた不思議なカッパドキアは奇岩の大地の世界遺産。この奇岩の大地を見る気球ツアーが有名なのですが、高所恐怖症の私は乗りませんでした。夫は朝(4時起きで)ホテルに迎えに来たバスに乗って気球ツアーに出かけて1時間ほど奇岩大地の上をただよってきました。彼の今回のトルコ旅行の一番の目的は「気球ツアー」だったのです。「ひとつ大きな夢が叶った」と満足そうでした。私たちの泊ったホテルはギョレメの洞窟ホテル(KAYA)気球はホテルの上にも来て、5月21日朝も沢山の気球が漂っていました。私は気球よりも、太古の昔に噴火した火山灰の塊(花崗岩?)をくり抜いた住まいが、21世紀の現在も使われていることに驚いてしまいました。ホテルはフローリングなどで住宅らしくリフォームしていましたが、お茶をご馳走になった家はまさに洞窟住宅。床は手製のトルコ絨毯が敷きつめられて、壁際はソファーが置いてありましたが、壁も窓も天井も洞窟そのまま。キッチンにはPGの近代的なガスコンロがあり、リビングにはテレビがありましたが、それでも洞窟住宅。リビングの一角に絨毯を織る織り機があって、母親が娘に絨毯の織り方を教えているそうです。嫁入りに持参する絨毯やカバー類は自分の手で織って、もうひとつ、生活に困窮した時に売るための絨毯を織るのが若い娘の大事な仕事とのことでした。その素朴な生き方に(懐かしいような感銘を受けて)、その住宅で売っていた素朴なレース網や縁取りしたスカーフを(1枚1000円)買ってきました。カッパドキアの夜景(宝石のように輝く)
2014.05.30
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トルコの人たちの日本語の上手さにビックリしました。阪急交通社の現地ガイドのZEKIさんの日本語もとても上手でした。奥さんが日本人と言うZEKIさんは日本にも住んだ経験があって、観光ガイドの他にトルコのいろんな情報を教えてくれました。☆トルコの徴兵制度☆国民番号制度☆急激に変わる教育制度☆結婚☆宗教(イスラム教)☆年金制度☆難民問題 等々両国の事情を知っているから、的確な解説ぶりでした。トルコの人たちはとても親日的で中東部のカッパドキアや西部のトロイやイスタンブールでも現地の方達が日本語が上手いのです。「こんにちは」「これ千円・3つで千円・50個で千円」と千円札が十分に使えるのです。明治時代に和歌山沖で座礁したトルコ船の人たちを救ってくれた「山田寅次郎」への恩義を今なお語りついで、1985年イラン・イラク戦争ではイラクからの日本人脱出に飛行機を出しでくれたトルコ。(約70年前の従軍慰安婦問題で今なお日本を攻め続ける隣国の話を聞くたびに憂鬱になるからよけいに)トルコの人たちの親日感情にすっかり居心地の良さを感じて、千円札の買い物を沢山してしまいました。
2014.05.28
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夫婦(2人)で10日間25万円のトルコ旅行から本日帰宅。直行便とはいっても往復23時間の飛行機&バス2500km以上の旅はやはり疲れました。イスタンブール~アンカラ~カッパドキア~コンヤ~アイワルク~イスタンブール東京の1.5倍の人口のイスタンブール。車も電車も歩く人さえ出会わない東部地区。イスタンブールには世界で2番目の豪邸もあるポスフォラス海峡沿いは世界屈指の豪邸街があり、中東部には古くからの火山岩の洞窟を住居にする地区がある(カッパドキア)トルコ。ホテル他の生活設備も多様でトイレ休憩の度に行列ができるトイレは有料が多くて1TR(約55円)それもトルコ式トイレ(和式風)だけでなく、洋式トイレもペーパーはゴミ入れに入れて、バケツの水で流すところも多い。ホテルのトイレ(洋式)もペーパーを流せない。(トイレットペーパーが水に溶けにくいようで、流すとすぐに詰まる)日本のバス・トイレ(ウオッシュレット)の設備の素晴らしさを再認識しました。個人旅行やクルーズ旅行の多い私たち夫婦にとっては、阪急交通社の海外ツアーは初めての体験でした。良かったことは頼れる添乗員さんや名ガイドさんが付いていて、個人旅行に比べてはるかに無駄がなくて、博学になります。いろいろあって、いろいろ勉強になったトルコ10日間の旅日記をこれから少しずつ書いて行こうと思います。
2014.05.27
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