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大学紛争なんて我々60歳前後の者には懐かしく、ほろ苦い思いの有る言葉だ。東大の入試中止やら大学管理法案、学費値上げ反対、三里塚闘争、日本赤軍等々。
大学の多い都市部では華やかだったが、四国の小さな大学では新聞記事にもなるかどうかだった。封鎖も1週間程で自主解除、このあたりは人数の少なさが対話の多さになったのかも知れない。中核と民青の自治会争奪などもあったが、概ねのんびりしたものだった。
それでも高校から同時に進学したものはいなかったから、孤独と新天地を枉駕していた訳だ。高校と大学の違いと言うのも、「日本をどうするのか」などと言う遠大な話を上級生からふっかけられたり、それなりに悩んだりしたものだ。恋愛論もあり。
今になれば未熟でもあったが、「自分で何かをする」と言う意識のようなものは、どうも現代の若者には希薄なようだ。卒業して数年後、学会が開かれて聴講に行ったが、授業時間を潰してやっていた学生大会は土曜日の午後(放課後)になっていたし、それも流会の恐れあり、と言った雰囲気だった。赤軍派の事件以来、学生運動は消滅したようだ。まあ、リンチ、殺人のイメージでは共感も得られまいが。
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