ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2015/08/21
XML
テーマ: 京都。(6075)
 第10回1級 問題6,7の解答です。

■私の解答 正解の場合は◎、不正解または部分的に正解の場合は正解を【正解】に記載

◆は関連する「お勉強」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


【問題6】京都にある天井画に関する次の表を見て、(  )にあてはまる最も適切な語句を記入
   しなさい。
                                (2点×5問=10点)

   天井画のある建造物(場所)|天井画     |作者または特徴
   -------------+--------+------------
   ( 1 )法堂      |瑞龍図     |今尾景年・作
   (明治42年再建)     |        |
   -------------+--------+-------------
   相国寺 法堂       |蟠龍図     |狩野(2)・作
   -------------+--------+------------
   建仁寺 法堂       |(3)図    |小泉淳作・作
   -------------+--------+------------
   三千院          |船底天井画   |この天井・の復元模写が同
   (  4  )(重文)  |        |寺内の「円融蔵」にある。
   -------------+--------+-----------
   二条峨この丸御殿(国宝) |天井画(5)図 |天井全体がーつの画となっ
   遠侍 若松の間      |※5は果物の名称|ている。




■(1)妙心寺 【正解】南禅寺
 (2)探幽  【正解】光信
 (3)双龍図 ◎
 (4)往生極楽院 ◎
 (5)ぶどう

◆天井龍図
・南禅寺  法堂   瑞龍図   今尾景年
・相国寺  法堂   蟠龍図   狩野光信
・建仁寺  法堂   双龍図   小泉淳作
・東福寺  仏殿   天井画龍図 堂本印象
・天龍寺  法堂   雲龍図   加山又造
           雲龍図   鈴木松年(以前)
・大徳寺  法堂天井 雲龍図   狩野探幽
      三門         長谷川等伯
・妙心寺  法堂   雲龍図   狩野探幽
      三門
・泉涌寺  仏殿   蟠龍図   狩野探幽
      舎利   蟠龍図   狩野山雪
・閑臥庵  本堂   雲龍図   
・毘沙門堂 霊殿   雲龍図   狩野永叔主信
・地主神社 拝殿   (丸龍)  狩野元信






【問題7】東山三十六峰について、次の問いに答えなさい。
                                  (2点×5問=10点)

(1)東山七条の東方に位置し、山頂に豊臣秀吉を祀る豊国廟がある峰を何というか。

(2)「日本外史」の著者で、「三十六峰外史」とも号し、遺言によって長楽寺山に葬られた江戸
  時代後期の学者・文人といえば誰か。

(3)同志社の創立者である新島襄と妻の八重が眠る「同心社基地」がある山は何か。

(4)京都五山送り火で最初に「大」の字に火が灯される大文字山を支峰とし、山中にかつて三
  井寺の別院があったことに由来して名付けられた山は何か。

(5)江戸時代の伝説的人物、白幽子が晩年を過ごし、富岡鉄斎による「自幽子厳居之跡」の碑
  が残る。また、臨済宗中興の祖である白隠の著書「夜船閑話」ゆかりの地ともいわれる。こ
  の山は何か。


■(1)阿弥陀ヶ峰 ◎
 (2)頼山陽 ◎
 (3)若王子山 ◎
 (4)如意ヶ嶽 ◎
 (5)北白川山 【正解】瓜生山

◆東山三十六峰
  比叡山、御生山、赤山、修学院山、葉山
  一乗寺山、茶山、瓜生山、北白川山、月待山
  如意ヶ嶽、吉田山、紫雲山、善気山、椿ヶ峰
  若王子山、南禅寺山、大日山、神明山、粟田山、
  華頂山、円山、長楽寺山、双林寺山、東大谷山
  高台寺山、霊鷲山、鳥辺山、、清水山、清閑寺山、
  阿弥陀ヶ峰、今熊野山、泉山、恵日山、光明峰、
  稲荷山

・御生山
  神がお生まれになった山、すなわち、玉依媛命(たまよりひめのみこと)が上賀茂神社
  の祭神、別雷神(わけいかずちのかみ)をお生みになったところ。
・葉山
  幕末の安政の大獄で病死した、梅田雲濱が隠れ住んでいた。
  葉山観音の背後が葉山。
  葉山の名前はこの観音堂を守護してきた近くの一乗寺村の住人、端山元春さんに由来する。
・茶山
  所有は、古くは織田信長から森蘭丸、豊臣家、後に徳川家から江戸時代の京都の長者の
  一人、茶屋四郎次郎と移ったが、名園茶山園として、時、長くに伝えられてきた山。
・瓜生山
  「城山」の俗称もあるように昔の古城跡でもありる。瓜生山の頂上には室町時代、瓜生山城
  とか、北白川城とか呼ばれる小さな城郭が築かれ、足利将軍家と細川、三好、松永氏らとの
  攻防が繰り返された。
  また瓜生山が将軍地蔵山とも呼ばれるのは、京都に戦いが絶えなかった時代、延文6年(1361)
  山頂に戦勝祈願の地蔵堂が建てられてから。
  いずれにしろ瓜生山は一番奥、頂に近い清沢口には100平方メートルほどの陥没地があり、
 そこに明治大正の画家、富岡鉄斎が建てた「白幽子巌居址」があります。白幽子は詩仙堂の
 石川丈山の友人で、江戸中期の書家とされる伝説的人物。
・北白川山
  山腹、現在のバプテスト病院の裏手には、心性寺という寺の跡地があるが、そこには江戸
  末期の歌人小澤芦庵の墓がある。芦庵を師事した太田垣蓮月は一時、この寺に身をよせてい
  たことがある。
・月待山
  銀閣寺山の異名がある。明治までは銀閣寺の山だった。
  通称大文字山と呼ばれる如意ケ岳の裾にあたります。銀閣寺の庭の背後に立つ山。
・若王子山
  頂上は同志社墓地。新島襄、新島夫人八重、徳富蘇峰、新島とともに同志社の基礎を築いた
  山本覚馬、ディビス博士ら同志社にゆかりの著名人の墓が並んでいる。
・神明山
  神明山の名の由来は日向大神宮の内宮と外宮が伊勢神宮と同じ神明造りであることによる。
・長樂寺
  『日本外史』で有名な頼山陽のお墓がある。山陽はこよなくこの寺を愛したと伝える。
・恵日山
  東福寺の山号、恵日山から出たものといわれている。
・光明峰
  九条道家が九条家の菩提寺として光明寺をたてたことに始まる。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

推定得点 第6問 10点中 6点
     第7問 10点中 8点


logo.png


よろしかったらぽちっとお願いします。

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2018/08/01 12:04:41 AM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ワルディー・ヨーリョ

ワルディー・ヨーリョ

カレンダー


© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: