ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2015/09/23
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テーマ: 京都。(6076)
 「花街の歴史」の解答です。


そうだ京都、行こう。相国寺1997年夏
(下記行をクリックしてください。)

https://www.youtube.com/watch?v=dbVp4UscO4A

相国寺1997夏.jpg


 自分で出題し投稿した問題への解答です。正解の場合は、何も記入していません。不正解の場合▲→の後に正解を示しています。


●花街の歴史

・花街の呼称の由来は、遊芸を楽しむ遊里を(花街柳巷)と呼んだこと。

・江戸期の随筆である(喜多川守貞▲)→滝沢馬琴著の(き旅漫録▲)
 →羇旅漫録、(二鐘亭半山)の(見た京都▲)→見た京物語には、
 (遊里▲)→遊女町(傾城町)(曲輪)などと表記して、
 「いろざと」「いろまち」「くるわ」と読ませている。

・(喜多川守貞)の随筆(守貞漫稿)には 、「遊女町。(島原)、吉原
 の如き官許にて、廓をなすものに花街の字あり」とある。

・島原は(かしの式)などの伝統的な行事を伝えてきた。

・島原の角屋は(角屋もてなしの美術館)として一般公開されている。

・島原は初め(二条柳町)に開かれ、後に(六条三筋町)に移った。
 旧(揚屋)の角屋、旧(置屋)のい輪違屋が残り、花屋町通の正面
 入り口に(大門)と(柳)が往時を伝える

・祇園甲部は、祇園社に門前から大和大路にいたる道すがらに(水茶屋)
 などが建ったのが発祥。
 四条大和大路の南側にかけて茶屋町(祇園外六町)が生まれ、のち四条
 通北にも(祇園内六町▲)→祇園六町が生まれ、(祇園新地)と呼ばれた。

・(四条河原)に櫓を構えた(芝居小屋)が宮川町の発展を促した。

・上七軒は(北野天満宮)改修の際に、用材で七軒の茶屋を建てたのが
 始まり。豊臣秀吉の(北野大茶湯)の休憩所となり、茶屋株が許され
 た由緒から寛永年間に官許された。

・祇園東は官許の廓として開かれた(祇園内六町)の新地が、明治19年
 京都府令で二つに区分され、昭和24年に東新地と称した。同30年に
 祇園東となった。





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最終更新日  2018/10/10 11:37:56 PM
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