ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2015/10/25
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テーマ: 京都。(6076)
カテゴリ: 京都歩き
2015年 10月25日(日)】

 今日も良いお天気でしたが、午後からでしょうか、だいぶ気温が下がったようです。

 今日は家人に付き添って、イオンモールで買い物でした。私のではないですが、眼鏡の新調が主な目的でした。

 イオンモールに愛眼やジンズなどいくつかの眼鏡屋さんが入っているのですが、愛眼はガラガラ、ジンズは滅茶込みだったようです。で、時間はかかったけど、やはりジンズで買ったようです。

 ジンズは他の店の半額くらいのようです。付加価値から考えて、眼鏡は高いなぁと思っていました。ジンズはそこに切り込んだのでしょうね。愛眼とかミキとかどうすんでしょうね。

 体調のほうですが、朝起きたら、照射部の硬かったとこころが、ついに指で摘まめるくらい柔らかくなっていました。まだ左右差はあり、力を入れたときや、無理な姿勢をとったときに痛みはしますが、快方には向かっているようです。



●真如院・龍谷大大宮校舎・西本願寺(10月24日) #2

 真如院の中に入りました。

 若い女性が一人受付に座っておられ、拝観料600円X2+朱印300円=1500円を払いました。

 土曜日ですが、拝観されていたのは一組でした。あとから来られた方を含めて、一番多いときで、我々含めて3組か4組で、ゆっくり落ち着いて拝観できました。

 見るところは本堂と庭園のみ。本堂に何か見所があるわけではなく、お参りのみ。

 見所は庭園のみです。

 説明員による解説はなく、録音された説明がラジカセから流れていました。

 写真撮影は庭園も含めてNG。写真は、いただいたパンフレットを使わせていただきます。


真如院の沿革です。
・日蓮宗総本山本圀寺の塔頭で、天文4年(1535)日映上人により創建。
・翌5年、天文の法難により全焼・
・間もなく再建
・天明8年(1788)の大火で焼失
・寛政年間(1789~)再建
・昭和24年、隣接していた明徳高校の拡張のため、現在地に移転
・昭和36年、重森三玲により庭園が復元



「都林泉名勝図会」に描かれた庭園
20151024-真如院パンフ表紙.jpg



重森三玲により復元された庭園
20151024-真如院パンフ庭園写真.jpg


 一番の特徴は何といっても、川の流れを表す、石が敷き詰められていることです。白砂で川や海を表す枯山水はよくみかけますが、このような石による表現はあまり見たことがありません。

 足利第13代将軍義輝が本圀寺で天下太平の祈願をしましたが、そのとき足利義昭(後の第15代将軍)は真如院を宿院にしました。その後、織田信長が義昭を表面に立て上洛しました。義昭の歓心を買うために、名庭を作って義昭を招きました。

 庭には烏帽子石、瓜実燈籠、呼子手水鉢などがあります。手水鉢に刻まれているのは「父・子・母」を表しています。幼くして亡くなった子供のために、両親が墓所に奉納したものであろうと考えられています。そのため「呼子」という名前が付いています。

20151024-真如院パンフ.jpg



いただいたパンフレットのその他の部分です。

20151024-真如院パンフ裏.jpg


20151024-真如院パンフ特別拝観.jpg


ご朱印
20151024-真如院朱印.jpg



(続きます。)



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最終更新日  2021/04/29 02:07:18 PM
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