ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2016/08/29
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テーマ: 京都。(6075)
「京都市内全寺社巡り」2016年8月17日(水) 東山区第2日の第2回 です。


◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。

http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201608170004/


◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記です。

https://drive.google.com/open?id=1g8SwpQ6kDUnreV2ZQi6eodH6lYc&usp=sharing


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それでは 東山区第2日の第2回 です。

正法寺、霊明神社への階段を、西のほうに下りて行くと、左手に老舗料亭「高台寺 土井」があります。「高級」ですので、私は入ったことがありませんが・・・・


料亭 高台寺 土井
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明治の両替商 元 清水吉次郎邸「十牛庵」の敷地にあり、本館は明治40年に数寄屋匠 上坂浅次郎 が建築、庭園は 七代目小川治兵衛 の作庭です。老舗と書きましたが、創業は昭和13年とのことで、それほど古くはないようです。

二年坂まで下りてきました。

それまで、人とはほとんど出会うことがなかったのですが、ここまで来ると、清水寺のお膝元で、人、人、人です。空気が一変します。

二年坂から正法寺の階段に向かうところに、正法寺を示す道標があります。


開山国阿上人参詣道【道標】

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[北]開山国阿上人参詣道 是ヨリ三丁
[西]洛陽 四拾八願所 本山霊鷲山 正法寺
[南]■年 当■寺 ■ 来迎寺



二年坂を北端まで歩き、東山通に向かう途中、左側に青龍寺があります。


青龍寺

浄土宗の寺で、洛陽三十三所観音霊場第九番。


門と法然上人御遺跡青龍寺碑
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[北]法然上人御遺跡
六時礼讃根源之地 青龍寺
[南]昭和五十三年六月吉日


境内 木の向こうが本堂
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桓武天皇の勅命によって長岡京近郊に創建され、平安遷都により現在地に移されました。昔から「伽羅(きゃら)観音」の通称で広く信仰を集めてきた本尊の聖観音は、本堂正面に安置されており、身の丈約1メートル、細身の優雅な立ち姿です。

寺伝によると、唐の徳宗皇帝から献上された伽羅木を、桓武天皇が伝教大師(最澄)に命じて彫刻されたものとのこと。

本堂前の小さな庭に、長さ1メートル、幅50センチほどの石が据えられています。法然の門弟・見仏が後白河天皇追善回願のため、法然を招いて六時礼讃を勤めたとき、同じく門弟の住蓮が鉦の代わりに叩いたという念仏石で、隕石との言い伝えもあり、名物となっています。大小二つあって、小さい方は本堂内に保存されており、打つとカーンと金属性の音がするそうです。


念仏石
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また、境内墓地には、勤王の志士・近藤正慎(義重)の墓があります。

これは 近藤 正慎の碑
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近藤 正慎(しょうしん) は、江戸時代末期(幕末)の尊王攘夷運動家。
丹波国桑田郡(現・京都府)生まれで、京都清水寺成就院で出家。兄弟僧であった月照を支援し尊攘運動に身を投じました。
安政の大獄に連座して捕縛され、六角獄舎において、月照の行方について拷問を交えて問われるが全く白状せず、獄中で舌を噛み切って壁に頭を打ちつけて自害しました。
陶磁器の人間国宝、近藤悠三 は孫、 俳優の近藤正臣 は曾孫です。子孫は代々、清水寺境内で休憩所 「舌切茶屋」 を営みます。


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東山通に出て、八坂神社近くの「王将祇園八坂店」で腹ごしらえ。疲れた身体には、ボリューム満点の中華料理とビールが一番。早くて安いのもいい。


八坂神社を通って、 円山公園 へ。


ラジオ塔 (円山公園内)
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ラジオ普及のために昭和七(一九三二)年につくられ、ラジオ体操や野球中継が流されました。
戦時中に資材供給しましたが、昭和57年に修復されました。

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祇園祭山鉾館
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京都で7月に行われる祇園祭の山鉾10基が収蔵されています。保存が困難になっていた山鉾のために、京都市のよって昭和43年に建設されました。収蔵されているのは木賊山(とくさやま)、芦刈山、伯牙山、郭巨山(かっきょやま)、油天神山、太子山、浄妙山、黒主山、孟宗山、岩戸山です。


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祇園小唄碑
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「月はおぼろに東山・・・」で有名な「祇園小唄」の碑です。
祇園小唄は、 長田幹彦 が昭和初期に祇園の お茶屋「吉うた」で 作詞し、 佐々紅華 が作曲、マキノ映画 「絵日傘」 の主題歌として、全国に大流行しました。歌ったのは 藤本二三吉 。男性の名前のようですが、元芸妓の女性歌手です。「吉うた」の二代目女将お龍さんが長年奔走し、昭和36年にこの碑ができました。

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ちょっと聞いてみましょう。




歌詞:『祇園小唄』

1.
月はおぼろに東山
霞む夜毎のかがり火に
夢もいざよう紅桜
しのぶ思いを振袖に
祇園恋しや だらりの帯よ

2.
夏は河原の夕涼み
白い襟あしぼんぼりに
かくす涙の口紅も
燃えて身をやく大文字
祇園恋しや だらりの帯よ

3.
鴨の河原の水やせて
咽(むせ)ぶ瀬音に鐘の声
枯れた柳に秋風が
泣くよ今宵も夜もすがら
祇園恋しや だらりの帯よ

4.
雪はしとしとまる窓に
つもる逢うせの差向(さしむか)い
灯影(ほかげ)つめたく小夜(さよ)ふけて
もやい枕に川千鳥
祇園恋しや だらりの帯よ




円山公園
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明治維新までは八坂神社(当時は祇園感神院)や 安養寺、長楽寺、双林寺 の境内の一部でした。明治初年の廃仏毀釈の一環として、1871年(明治4年)に上知令によって土地が政府に没収され、1886年(明治19年)に総面積約9万平方メートルの公園が設けられました。園地計画は武田五一がまとめました。人工鉱泉療養所や貸席がたちならび歓楽境をなしていたが、火災で焼失したあと1912年(大正元年)に 小川治兵衛 により池泉回遊式の日本庭園が作庭され現在の形となりました。 国の名勝 に指定されています。
円山公園の名は、 安養寺 の山号である慈円山からきています。


祇園枝垂桜 (円山公園内)
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「一重白彼岸枝垂桜」(ひとえしろひがんしだれざくら)という品種で、初代の枝垂桜は1947年(昭和22年)に枯死したため、現在は2代目が植えられています。来たるべき開花に備えているわけですが、花が咲いていないと、単なる一本の普通の木にしか見えず、誰も目を向ける人がいません。



京都霊山護国神社南へ三町【道標】 (手前)

[西]京都霊山護国神社 南へ三町
[東]昭和十六年十一月 靖芳書塾 稚松会建


頼山陽先生墓碑【道標】 (奥)

[南]頼山陽先生之墓碑
[北]大正十一年一月
[東]大阪 有田音松建之

長楽寺の頼山陽のお墓を示しています。

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坂本龍馬・中岡慎太郎銅像 (円山公園内)
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慎太郎の背の低さを目立たなくするためにこのようなポーズになっているといわれています。
昭和11年京都高知県人会有志により建立され、第二次大戦中に撤去されましたが、昭和37年に再建されました。



京都市歌碑

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 円山公園内の料亭「東観荘」の前にあります。何故ここにあるかは、よく分かりません。
 京都市民でありながら聞いたことありませんでした。You Tubeにありましたので、是非、お聞きください。
 なかなかいいです。



京都市歌

作詞:藤山於菟路 / 作曲:諸井 三郎
昭和26(1951)年7月15日制定

みどりの風に色はえて
かおる都の花の宴
あおぐ山々うるわしく
ながるる加茂の水清し
ひかりの都わが京都

世界を結ぶ観光の
都世紀の花あかり
栄えいやます日のもとに
平和の鐘が鳴りわたる
ひかりの都わが京都

歴史にめぐるあやにしき
虹の都の世をつぎし
永久のおもかげ代々のあと
新たにいまもしのばるる
ひかりの都わが京都



(続きます)


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最終更新日  2019/08/26 10:41:35 AM
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