ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2020/01/29
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テーマ: 京都。(6076)
カテゴリ: 京都案内
2020年 1月29日(水)】

 「京の冬の旅」光照院の第8日目でした。温かい一日で、午後から晴れて良いお天気になりました。

 前回、光照院の前に建っている「持明院仙洞御所跡」という石碑の由緒について説明しました( こちら )。

 系図でその部分をおさらいしながら、光照院の由来について説明します。






 平安時代の終わり、藤原道長の曾孫の藤原基頼が、現在光照院のある地に持仏堂をもつ屋敷を構え持明院殿と呼んでいました。さらに基頼の曾孫の藤原陳子(ちんし・のぶこ)が後高倉院に嫁ぎ、後に第88代天皇となる後堀川天皇が誕生します。後堀川天皇が、里御所として使ったのが、母方の地である持明院殿だったのです。

 後堀川天皇の2代後の第90代後嵯峨天皇の後、皇統は2つに分かれます。後深草天皇の皇統と亀山天皇の皇統です。天皇が退位をして上皇になられたとき使う御所を仙洞御所といいますが、後深草天皇の皇統は150年にわたって、現光照院の場所にあった持明院殿を仙洞御所として使いました。それで後深草天皇の皇統を持明院統と呼ぶわけです。

 後深草天皇から2代後の後伏見天皇に皇女進子(ますこ)内親王が、北朝初代光厳天皇の妹君として、持明院殿の地で誕生します。進子内親王は、南北朝の乱世の中、幼い頃から仏門の修行をし、22歳で得度し、自本覚公(じほんがくこう)と称しました。そして室町一条北に光照院を建立し、33歳の頃、天台・禅・律・浄土の四宗の奥義を極め四宗兼学の寺としました。これが光照院の始まりです。



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最終更新日  2021/01/29 09:52:02 AM
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