ワルディーの京都案内

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2021/05/28
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テーマ: 京都。(6075)
カテゴリ: 若冲と応挙
【2021年5月28日(金)】

 今日は在宅日でした。会の関係で、急な依頼対応があり、バタバタとした一日となり、6月1日の準備が進みませんでした。


「奇想の画家 若冲と応挙」の第14回目、晩年の若冲です。


◆第2章 伊藤若冲(続き)

2-9 晩年の若冲

皆川淇園 応挙 が、 石峰寺 を訪れた直後、京都では大変な災害が起きます。 「天明の大火」 です。天明8年(1788)1月31日のことです。当時の京都市街の8割以上が灰燼に帰す大火災で、若冲の居宅も焼亡しました。焼け出された若冲は、大坂・ 西福寺 、伏見・ 海宝寺 に身を寄せた後、寛政3年(1791)、若冲73歳の頃から、石峰寺の門前に暮らすようになります。独居ではなく、若冲50歳のときに若くして亡くなった末弟・ 宗寂 の妻、 心寂 とその連れ子と暮らしたといわれています。心寂を若冲の妻と思う人もいたようです。

 天明の大火後、若冲は精力的に大作を手掛けています。寛政元年(1789)、 西福寺障壁画「仙人掌(さぼてん)群鶏図」 、同 「蓮池図(れんちず)」 海宝寺「群鶏図障壁画」 、「 鶏頭蟷螂図(けいとうとうろうず)」 「石峯寺図」 、寛政2年(1790)の 「菜蟲譜(さいちゅうふ)」 、「 垣豆群虫図(かきまめぐんちゅうず)」 などです。

 石像群奉納の資金集めのために、短時間で描ける水墨略画を多作していた状況からの大きな方向転換です。このような多くの大作に取り組んだのは、天明の大火で焼け出されて経済的に困窮し、金銭目的で絵を描かざるを得なかったからだといわれています。現に 相国寺 には、若冲が大火類焼後の困窮のため、寛政3年(1791)に永代供養の契約を解約したとの記録が残っています。若冲は生涯初めて、金銭のために絵を描くことになったわけです。

 前述で列挙した絵のいくつかについて少し触れておきます。京都・海宝寺の「群鶏図障壁画」は現在京都国立博物館蔵となっていますが、この障壁画のあった部屋は 「若冲筆投げの間」 と呼ばれています。この作品を最後に若冲は筆を執らなくなったという逸話に由来するとのことですが、実際にはその後も精力的に絵を描いています。

 大坂・ 西幅寺障壁画「仙人掌群鶏図」 (下図)は、今までの若冲の鶏の絵とは、様相が異なっています。極めて微笑ましい家庭的な光景になっています。老境を迎えて、若冲の世の中を見る眼差しに変化が生じたのかもしれません。


「仙人掌群鶏図」 大阪・西福寺蔵(重要文化財)




「菜蟲譜」 (下図)には、98種の野菜や果物と、およそ56種の昆虫などが描かれています。かつての青物問屋主人の面目躍如というところでしょうか。ただ、「動植綵絵」と同じように絹本(けんぽん)着色画でありながら、「動植綵絵」のような生気がギラギラする様は見られません。これも老境を迎えての画風の変化かもしれません。


「菜蟲譜」(部分)佐野市立吉澤記念美術館蔵(重要文化財)




 その後も若冲は石峰寺門前で隠遁生活を送りながらも、絵画の制作意欲は衰えず、寛政12年(1800)に85歳で亡くなるまで、作品を描き続けました。亡くなる年にも、石峰寺観音堂に 「花卉図天井図」 (現在、京都・ 信行寺 蔵)を残しています。若冲は石峰寺に土葬され、相国寺で四十九日の法要が行われました。石峰寺には若冲の墓があります(右写真)。墓のそばには、幕末の書家( 幕末の三筆 の一人) 貫名海屋(ぬきなかいおく) 撰文による 筆塚 が立っています。

 石峰寺は晩年の若冲ゆかりの寺院ですし、本人の墓もありますので、若冲の命日である9月10日には、 「若冲忌」 と称して法要が行われます。その前後には石像寺が所蔵する若冲の水墨画掛軸が展示されます。今年(2020年)はコロナ禍で完全予約制での観覧となったようです。

 遺髪は伊藤家の菩提寺 宝蔵寺 (下の写真)と相国寺に埋納されました。宝蔵寺は裏寺町通蛸薬師上ルにある浄土宗の小さな寺院です。堂宇内は通常非公開ですが、境内には自由に入れ、門を入ったところに若冲の親族の墓があります。もともとは境内の檀家墓地にあったようですが、若冲ブームもあって、門を入ったところに移設されたようです。

 下の写真に宝蔵寺の親族の墓の写真を示します。左から、 末弟・宗寂 次弟・宗厳 白歳 ・五代目枡屋源左衛門)、父母、早世した弟と妹の墓です。宗厳と父母の墓は、若冲が建てたことが知られています。宗厳の墓は誰が建てたのかをご住職に尋ねたところ、宗厳自身が生前に建てた寿蔵とのことでした。


宝蔵寺(裏寺町通蛸薬師上ル) 若冲の親族の墓(宝蔵寺)



 宝蔵寺では、毎年2月8日の若冲の誕生日に法要 「若冲誕生会」 が営まれます。一般の方も参列でき、宝蔵寺所蔵の若冲や若冲の弟子の絵が観覧できます。


 次回から、若冲ゆかりの人物 「売茶翁」 と若冲の名の由来、 「斗米庵」「米斗翁」 の雅号について述べたうえ、若冲の絵の技法の解説に入ってゆきます。


前回はこちら 次回はこちら


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最終更新日  2021/06/03 02:34:07 PM
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