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『経哲手稿』32 マルクスの「フォイエルバッハ論」
マルクス『経済学哲学批判』の「ヘーゲル弁証法批判」ですが、そのはじめは青年ヘーゲル派とフォイエルバッハに対する批評から始まっています。
「国民文庫」では、P205第1文節からP211第13文節です。
一、フォイエルバッハの業績の評価と、ヘーゲル弁証法批判に対する弱点
マルクスの『経済学・哲学手稿』は、1844年に書かれていますが、その歴史的な流れを見てみます。
ヘーゲルは1831年にコレラで亡くなっています。それから13年のあとのこと。ヘーゲルの影響は、その死後でもさまざまな分野に大きく広がっていた。しかし、そのあとのだれもが、ヘーゲル弁証法に対して意識的な検討をする人はいなかった。
ヘーゲル(1770-1831) フォイエルバッハ(1804-72) マルクス(1818-83)
1807『精神現象学』
1812-16『大論理学』
1817『エンチクロペディー』
1821『法の哲学』
1839『ヘーゲル哲学批判』
1841『キリスト教の本質』
1842『哲学改革の暫定命題』 1842ライン新聞編集
1843『将来の哲学の根本命題』 1843『ヘーゲル法哲学批判』
1844『経済学哲学手稿』
1845『ドイツ・イデェオロギー』
1、マルクスのフォイエルバッハの業績に対する評価ですが
また「序言」では、「フォイエルバッハから、はじめて実証的な、ヒューマニズム的(人間主義的)かつ、自然主義的な批判がはじまる」「それらの著作は『現象学』と『論理学』以来、本当の理論的革命がふくまれている唯一の著作である」(P22-23)と、彼のはたした業績と評価しています。
このようにマルクスはフォイエルバッハを高く評価しています。どうしてこうした評価が下せるのか、それが問題なんですが。しかし、その点は結論的評価を述べているだけです。マルクスにとっての問題はヘーゲル弁証法批判ですから、フォイエルバッハについては、端的に述べているだけで、先を急ぐわけです。
このことはエンゲルスも『フォイエルバッハ論』の「まえがき」でいってます、「フォイエルバッハの学説そのものの批判はその中にはない」、結論的な評価はあったとしても。だからエンゲルスは『フォイエルバッハ論』でその学説にふみこんで検討したんだ、とも聞き取れるわけですが。
とにかくここでは、マルクスの結論的評価をなぞるだけでなく、そうした評価がでてくる根拠を確かめておく必要があると思うわけです。
2、マルクスはフォイエルバッハの3つの偉大な功績をあげています
ここでマルクスが指摘する3点の功績です。(P208第6文節)
①哲学は思想の中に持ち込まれた宗教だ、人間的本質の疎外の別の姿だ、その証明。
②唯物論と科学を基礎づけたこと。「人と人との」社会関係を理論の根本に据えた。
③絶体肯定とする否定の否定に対し、自立的で肯定的な自己自身にもとづく肯定的なものを対置する。
(マルクスのこの評価は、フォイエルバッハの主張をどこをさしているのか。
訳者の藤野渉氏の注釈によると、
『将来の哲学の根本命題』の、①は第5節に、②は第41節、第59節に、③は第38節に関係していると)
功績②の、唯物論と科学とによる基礎づけですが
マルクスはフォイエルバッハの唯物論を評価しています。そもそもドイツ古典哲学の歴史というのは、カント、フィヒテ、ヘーゲルと、観念論哲学の流れじゃないですか。しかもドイツ社会はキリスト教の宗教改革の流れをもつ国々じゃないですか、そうした社会の中で唯物論を唱えるというのは、汎神論や無神論などとも同様に、むしろそれ以上に否定視されるものだったんじゃないでしょうか。
その中でフォイエルバッハが、唯物論と科学を基礎づけたというのは、画期的なあゆみだったんじゃないでしょうか。
フォイエルバッハの著作を見ると、
〇『ヘーゲル哲学批判』(1839年)、唯物論の立場からヘーゲル哲学を批判しています。
〇『キリスト教の本質』(1841年)、その序文では「神の秘密は人間学である」と。
〇『将来の哲学の根本命題』(1843年)、「近世の課題は、神の現実化と人間化-神学の人間学への転化と解消であった」(第1節)
いずれも唯物論の考え方を基調にして進化させていますね。
これらの著作は、いずれも邦訳されてますから、私たちは確かめることができます。
こうして、マルクスは唯物論を表明したフォイエルバッハを、高く功績として評価しています。
しかし、その先には問題があります。唯物論の立場にたつといっても、それにはさまざまな形態があります。
例えば、このあとにモレショット(1822-1893)のように、唯物論ではあっても、
思惟や意識を脳の分泌物とみなす俗流形態もでてきます。
日本でも唯物論は異端視されているじゃないでいすか。このなかで、中江兆民(1847‐1901)ですが、晩年の哲学書『続・一年有半』において「精神は本体ではない。本体より発する作用である」(中央公論『日本の名著』P419)と、
意識的な唯物論の立場を表明した人もいます。
マルクスですが、この後に刊行した『聖家族』( 1845年)では、 イギリスの唯物論やフランスの唯物論の特徴(形態)をしらべています。それは個別の理論を検討して、その特殊性をつかむことで、唯物論の基本的な一般性をとらえようとしている作業かと思います。そもそも唯物論とは基本的にどういう思想なのか、です。
エンゲルスは唯物論について、こんな総括をしています、「唯物論の立場とは、現実の世界—自然および歴史—を、どんな先入観的な気まぐれもなしに、それら自然および歴史に近づく者のだれにも現れる姿のままで、とらえようという決意がなされたのであり、なんらの空想的な関連においてではなく、それ自体の関連においてとらえられる事実と一致しないところの、どのような観念論的な気まぐれをも、容赦することなく犠牲にしようという決意がなされたのである」(『フォイエルバッハ論』1886年)。
この後でもエンゲルスは『空想から科学へ』の英語版序文(1892年)で、あらためてその部分を紹介しています。
さらにレーニンは、『唯物論と経験批判論』(1908年)において、唯物論と弁証法的唯物論とは何んなのか、具体的特質をさぐっています。
もどります、マルクスのフォイエルバッハの功績の①、③について、ですが。
①「哲学は、宗教と同じく、人間の本質が疎外された形態の一つだ」
③「絶対肯定なものとされた否定の否定を、自分自身にとって肯定的なものとしての否定の否定を対置した」
ここには、フォイエルバッハの唯物論が、近世の人間中心の思想、自然の存在の認める思想、ヒューマニズムの思想の流れ、それらの思想史の流れを引き継いでいると思います。
マルクスの「序言」の評価は、こうしたことから引き出された結論ではないでしょうか。
3、次はフォイエルバッハのヘーゲル弁証法のとらえ方の問題点です
しかしそれは、次回とします。
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