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夫の母が亡くなりまして、いろいろ大変でした。私の実家へ行ってすぐでしたので、あわただしかったです。 お能も石田節子さんのところの朗読も、みんなダメになり、なんだか着物を着る気力もうせてしまいました。 ブログしばらくお休みします。
2006.08.29
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現在は、着物の下着は、長襦袢、肌襦袢、裾よけですが、室町時代ごろまでは、下着は一番下に着る小袖でした。 襦袢はポルトガル語のジパオに由来し、はじめは袖なしで、上半身のみだったようです。次に袖がつき、半襦袢と裾よけと変わっていき流行りました。 元禄頃に今のものに近い長襦袢が現れ、縮緬や絞りのものが作られるようになりました。その後、幕府の贅沢禁止令で、派手な着物は影をひそめ、かわりに長襦袢を派手にしました。見えないところに気を使う心意気もあったのでは・・・。 また、江戸時代赤(紅)色は魔よけになる、と信じられほとんどの着物に赤い長襦袢を着たようです。紅絹にもそんな意味があったのでしょうか。 現在は、留袖には白い長襦袢、訪問着や小紋には淡い色を合わせます。紬には濃い色のものがあうようです。 大正時代は、長襦袢のおしゃれが盛んだったのか、模様が花、人形、グラス、ダンスのシーンと、遊び心のあるものでした。色も豊富です。いま、復刻版がでています。 最近は素材は絹、木綿、麻、ポリといろいろあり、季節、用途によって使いわけができます。しかし、戦後は最近まで、淡い色か白の長襦袢がほとんどで、一番面白みのない時代です。 話は変わりますが、江戸時代後半から、武家はともかく、大きな商家でもなければ、絹の長襦袢は高価なものだったのではないでしょうか。けっこううそつき(当時なんと呼んでいたかは不明)が使われていたのではないかと思います。裾よけを腰巻、蹴だしとも呼んでいました。 私は、20歳のころ、ネルの腰巻を着て、長襦袢を着ましたが、すべりが悪く困りました。確かにあたたかだったのですが。 夏は、上は肌襦袢の上に半襦袢、下は木綿の裾よけ(夏用の透けないもの)にしています。最初はこの上から絽(ポリ)の裾よけをしていましたが、あまり意味もないし、暑いし、簡単にしました。 これからの時代はいろいろと遊べるので、半襦袢と裾よけが流行るかも・・・。裾よけのかわりにステテコの方もいますしね。すけるときはステテコは無理かしら。ステテコはいたことがないので、そのあたりわかりません。
2006.08.18
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初めて着物を着るときは、長襦袢まではなかなか気が回りません。私は、着付け学院で、袷用の無双袖の長襦袢を買いました。少し大きいので、あちこちつまんで縫ってあります。 しばらくは、やわらかものしか着ませんでしたから、なんとか間に合いました。 しかし、紬を着るようになると袖のところからのぞく、淡い紫がかったピンクがなんともしっくりしません。娘に「変よ。意外とみんな見てるものよ」と言われました。 そうか、紬には紬にあう長襦袢が必要なのね。 娘のうそつきを作るついでに、私の襦袢の袖も作りましょう。ここで長襦袢のおしゃれにやっと気持ちがいくようになりました。 昔の裕福な方たちは着物1枚に長襦袢1枚だったそうですが、私はそれは無理です。でもうそつきなら袖を作るだけでおしゃれができます。訪問着用にはさすがにうそつきじゃなく絹の淡い色で長襦袢を作りました。でも、紬はあくまでも普段着ですから、うそつきでもいいでしょう。 これからはボチボチを袖を作って、長襦袢のおしゃれを楽しみます。 着物は奥が深く、小物もこったらきりがありません。できる範囲で楽しむことにしましょう。 お盆なのでしばらく出かけます。20日まで着物はお預けです。
2006.08.13
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昨日の和裁教室はにぎやかでした。いつもは最高で4人なんですけど、5人でした。一番の古株の方は、袷に挑戦してます。浴衣、単衣2枚、そして袷に入ったところで1年半。先生は「袷・・・難しいですよ」と言っていたそうですが、気にせず挑戦。明るい方で、いないときは教室が静かです。 単衣の振袖に合わせて、長襦袢の袖だけ作っていた方は、休んでいた単衣を再開。秋に似あいそうな単衣。洋服地から着物に仕立てました。今回でそれも出来上がり、次から、パートナーの着物にはいるために寸法を確認。男物の着物を仕立てるところを見たことがないので、楽しみです。この方はいきなり単衣に入ったそうですが、見事な仕上がりでした。 先日、新聞記事の取材のために浴衣を始めた方は、なんとかこの夏には仕立てたいようです。着るのは来年かしら。 叔母様から裁断して浴衣一式を送ってもらった方は、昨日までに仕上げる予定で、宿題で縫っていました。しかし、突然分からなくなり断念。でも、昨日、家に帰って徹夜でがんばればいいように、先生から教えていただき、帰っていきました。今日の娘さんの花火大会に間に合ったでしょうか。それとも夕べは寝て、いまごろ、縫っているかもしれません。 次も浴衣を縫ってみたいが、続けてしようか、来年になってからにしようか迷っていました。 先生が親切で個別指導に近いので、初心者でもかなりきれいに縫えます。ですから、私もやってみようかと誘惑にかられるのですが、私は、はまると徹底してやるほうなので、やはりやめといたほうがいいでしょう。週1回原宿は楽しいんですけどね。 無双の紅絹の袖はあと1回はかかりそうです。
2006.08.12
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今日も午後は和裁教室です。暑いということなので、少し、イヤだなという気分・・・。夫に「今日和裁教室よ」といったら「何枚縫うの?」といわれました。 えっ、そんなに縫ったかしら。数えてみました。娘の単衣用水色、娘の白レース、私の白レース、そして紅絹の無双の袖。なんと4枚目を縫っています。たんたんと縫っているうちに4枚目になっていました。 「くるり」の和裁教室は新聞記事になったから、申し込みが増えていると思います。和裁教室に参加したいけど空きがないからと、待っている人がいるかもしれません。紅絹の袖が縫い終わったら、少し休もうかしら。 長襦袢や浴衣を縫う勇気はまだありません。 話は変わりますが、ビヤガーデンで浴衣を着て以来、着物を着ていません。1週間になります。1週間着ないと、「ああ、着物が着たい」という気持ちが湧いてきます。15日からは私の実家に帰ります。それまで1回くらい着物を着るチャンスないかしら。 その次は20日に薪能と野村萬斉の狂言、21日は石田節子さんと長谷川さんご夫妻のお宅で安田登(能楽師)さんの朗読。どちらも着物を着たいです。ご夫妻宅は熱海にお住まいのご様子。少し遠いですけど、面白そうなので、行く予定です。
2006.08.11
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半襟、すぐ汚れますか。私は、最近半襟にファンデーションのよごれがつきます。気をつけてあごのあたりはファンデーション塗らないようにしているんですけど・・・。それでもついてしまうんですよね。それに赤い色の汚れもあるから、口紅もついているようです。すごく不思議です。 着付け学院のときは、三河芯を縫い付ける方法でした。半襟が少しよごれても1日で洗わず、お稽古だけならいいでしょうと、がまんしていました。周囲の方を見ると、私ほど、汚れないようです。私は首が短いから汚れても仕方ないと思いつつ、半襟つけが憂鬱でした。指に針がささって血がでて半襟を汚すこともありました。 着付け学院に行かなくなって、半襟のつけ方を変えました。半襟をつけ、やわらかめのプラスティックを差し込んでいます。プラスティックよりは、和紙のほうが、襟がきれいに見えるかもしれない、と思いつつ、楽なプラスティックで着ています。 着付け学院でも、何度か洗うと、三河芯がやわらかくなるので、三河芯をつけたままプラスティックの芯を入れている先生がいました。これは、これでまた大変でした。そもそも、三河芯のつけ方が裾広がりでしたので、プラスティックの芯を入れるためにX字型にまつるのです。とうてい言葉では伝えられません。 私は、このことについても疑問でした。毎日着るとしたら、こんなめんどうなことはやれません。そこで、一番簡単に・・・。襟の内側は、中心から12センチくらいつりぎみに、あとはふつう。外側はふつうにチクチク。そして芯をさしこんでOK。毎日(は着てませんが)着るのには簡単な方法でないと続きません。 私の友人など、忙しいからと、安全ピンでとめてます。 もう私の年代では芯はいれずにやわらかく着たほうがいいと、本に書いてありました。でもそれで着物を着る自信がなく、芯を入れてます。
2006.08.10
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生地屋で、見ていたら、しじら織の生地がありました。その涼しげな感じにひかれ、思わず買ってしまいました。もう当分は買わないと決めていたんですけど・・・。 着物に誂えてもらって、できてきました。どんな帯もあいそうで、楽しみです。襟はバチ襟にするか(浴衣のように)、広襟にするか迷いました。お店の方が広襟のほうがいいというので、広襟に。 単衣なので、単衣の時期にも、真夏にもきられそうです。白っぽいので、どちらかというと6月から8月までかしら。9月に着るなら、帯を秋っぽくしないと無理があります。 木綿の着物を誂えたのは初めてです。紬を着て心地よくて、木綿も着心地いいのではないかと、作ってみました。
2006.08.09
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夫が義母が入院している医者から呼び出しがかかりました。あまりよい話ではない、と覚悟は決めました。 やはりそうでした。嚥下がうまくいかないとのこと。脳梗塞か老衰の疑いがあります。病院と老人ホームを行ったりきたりしていた義母。やせほそって、見るのも辛いです。 夫が喪服の用意しておきなさい、といいます。実は、私、夏の喪服は迷った末、用意してありません。袷は母が用意してくれました。結局、いざというときは夏のうちなら、貸衣装を借りることにしました。いまは洋服を着る人もいますが、喪主の妻ですので、着物のほうがいいでしょう。 覚悟をしていたとはいえ、やはりドキドキします。夫も落ち着かないようです。 すぐにどうのこうの、ということはないにしても、そう遠くないことと、覚悟しなくてはならないようです。
2006.08.08
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土曜日5日のビヤガーデンはすごく楽しかったです。病気をして以来、ほとんど飲まなかったのに、ビヤガーデンで飲まないのもヤボ、と中ジョッキに挑戦。飲めました。すごく美味しかったです。新しいビールで、適温だと美味しいみたい。 それに景色もごちそうです。陽が落ちる前もステキ、陽が落ちてからもすばらしい。すごくいい場所でした。横浜は遊べる場所が豊富ですね。 初めて同士でも、着物という共通話題があるから、話がはずみました。私は写真をとるより会を楽しもうと、写真は葉緑素さんにまかせました。ところが、その写真は間違って消されたそうです。 でも、すずらんさんが、ばっちり撮ってくださっていたので、全員の浴衣姿が見られます。 午後8時過ぎに夫からメール、ロビーで待っているとのこと。それから実家へ向かいました。夫は運転歴は短いのですが、道はめちゃ詳しいのです。車に乗る前に写真を1枚とってくれました。 10時半くらいに実家に着きましたが、義父が夕飯の用意をしていたのです。「寝ててください」と言ってあったのに、88歳の義父が夕飯の支度。そのご飯は翌日おにぎりにして冷凍しました。日曜日はみんなでゆっくり寝て、遅めの朝食でした。
2006.08.07
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朝から、太陽が輝いてます。しばらくぶりの土曜日の朝。いつもは金曜日に夫の実家へ行ってましたので、のんびりとした気分を味わったことがあありません。 ビヤガーデンは夕方からですので、まだ少し時間があります。 これから昼食を用意し着替えて、1時間半くらいかけて行ってきます。夫が車で迎えにきて、まっすぐ実家です。 浴衣は先日、お祭りに着たセットで行くつもり。ドレスコードは「大人の浴衣」なんですが、そうなりますでしょうか。 PCやっていたら、夫が心配そうです。間に合うの?と。みなさんの浴衣姿、楽しみです。
2006.08.05
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レースの袖(私用)が、ほぼできたので、今日は無双(袖が二重になっている)の袖にはいると思います。おそらく昔は、袷の時期は長襦袢も袷(裏つき)だったのでしょう。古い着物を売っているところで、裏が羽二重の長襦袢を見たことがあります。 今は、身頃の裏を省略し、袖だけ無双のケースが多いのではないかしら。絹の袷用の長襦袢を誂えたとき、「袖だけ無双ですね」と確認されました。 着付け学院でも、ポリでしたが、袷は袖が無双でした。 真冬は、裏つきの長襦袢が温かいように思いますが、逆にいまは袖が単衣の長襦袢でも、袷に合わせて、着ているようです。 単衣の袖は簡単でしたが、無双は難しいと先生が言います。少しドキっとしました。でも先生の教え方がいいので、なんとかなると思っています。とても感じのよい先生です。 「くるり」はけっこうマスコミに登場するので、若い方がいらして1万円で全部をそろえて、1日着付けを習えば、もう着ることができるという時期がありました。 いまは、ここ独自のブランドで誂えるケースが多いかもしれません。デニム地のチャコールグレーの着物、縞の着物などなど。 反物の白地を好きな色に染めて、無地の着物を誂えるというのもやっています。 和裁も楽しいのですが、こうした着物を見るのも楽しみです。あまり見ていると、買いたくなるので、ほどほどにして帰ります。
2006.08.04
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7月大歌舞伎を見て、少しばかり泉鏡花に興味をもちましたら、夫のもっているANAカードから送られてくる『翼の王国』になんと、泉鏡花が紹介されていました。 明治6年(1873年)に金沢市内で、名工の誉高い彫金師の息子として生まれた鏡花は、生涯を通して美と幻想に貫かれた作品を書き続けた。文芸の世界で評価された作品は新派や歌舞伎の舞台、映画ばかりでなく、歌謡曲にも歌われた。65歳で没す。 三島由紀夫、寺山修司、澁澤龍彦、鈴木清順、坂東玉三郎などが、鏡花の影響を受けている。 泉鏡花の記念館は、石川にあり、玉三郎が鏡花の作品を7月にプロデユース?したことから、この7月大歌舞伎の感想文を募集しています。 玉三郎見たさに、勉強もせず、歌舞伎を見に出かけましたが、鏡花の勉強をしてから出かけたら、もっと深く味わうことができたのに、と反省しています。
2006.08.03
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私が昨年の初めまで勤務していた会社は、社長一人、スタッフ一人の小さな会社でした。社長は、時々、友人と食事をしていました。そのときが、私の気分転換の時間。大急ぎで本屋へ。そこで『美しい着物』『着物サロン』を見るのです。 この本に出ている着物を買う気はありません。見て楽しむものとして読んでいました。その他の着物の本はさほどおいてありません。けっこう大きな本屋でしたが。 本当は休み時間は1時間とっていいのですけど、社長と一緒に食事をすると、帰ってきてすぐに仕事になってしまうのです。何度もはっきりいって休み時間をもらおうと思ったのですが、できませんでした。スタッフ仲間がいれば、一緒に食事をしたり、時には愚痴を言ったりできたんでしょうけれど・・・。 でも、趣味として着物があったのは本当に救いでした。着物の本を見ているだけで癒されました。 土曜日は着付け学院に通っていました。最初は毎週でしたが、上にあがると、月に2回くらいでした。夫の親の遠距離介護があったので、着付け教室がない日は夫の実家でした。この大きな学院のやり方(授業料のほかに、免許をとる代金、免許料)には反対でしたが、変えて1からやり直す勇気がなく、ずるずると続けました。 続いたのは、着物が好きだったこと、先生の着物姿をみるのが楽しかったこと、仕事と全然違う世界だったことです。 今は昨年入院して仕事をやめたので、着物を趣味としてきてよかったと思います。もちろん、この年から新しいものに挑戦できなくはないですが、着物を趣味として楽しみ、新しい友人にも恵まれ、人生を豊かにしてくれます。 着物を楽しんでいるのはほとんど私より若い方です。若い方の「気」をいただき、こちらまで若返りしそう・・・。 今日、ヨガの帰りに本屋によって『着物サロン』を見ていたら、勤めていたころを思いだしてしまいました。
2006.08.02
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お祭り以外に浴衣を着ない私が、ふらふらと浴衣の本を買いました。『ゆかた記念日』です。今の若い人たちの浴衣がたくさん載っています。 昔は毎年浴衣を誂えたとか。着物だけの生活でしたら、そうでしょうね。 昔の感覚では考えられない色の浴衣がたくさんあります。見ているだけで楽しいです。帯も豊富になりました。コーディを見ていると、古典的ゆかた、ラブリー系ゆかた、派手ゆかたと分けて提案しています。バッグや下駄もステキ。 帯の結び方もいろいろ工夫されています。以前は文庫が多かったのですけれど、最近は割り角だしが流行っているとか・・・。兵児帯も種類が増えました。さすがに私の年では兵児帯は使えません。 割り角だしも本によって微妙に違います。考えてみると、半幅帯は名古屋帯に比べて、いろいろ変化させられますね。名古屋はお太鼓か、銀座結び(簡易角だし)くらいです。あまり決まりごとにはまらず、自由に変化を楽しめるのが、半幅帯の魅力に思えてきました。 名古屋帯もそうなると楽しいですね。でも、半幅帯は全通(全部に柄がある)だから、変化が楽しめます。お太鼓柄の名古屋帯ではそうはいきません。京袋帯なら名古屋でも全通ですから、遊べそうですけど・・・。 着物も、あらゆるしばりをはずしたら、面白く遊べるかもしれません。お太鼓だって、江戸末期ある芸者が結んで太鼓橋を渡ったところから、きていると、聞きました。だから着物も歴史的にみると、変化しているんですよね。 そういいながら、伝統的な着方から自由になれず、若い人たちの、遊び心のある浴衣本を眺める私です。
2006.08.01
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