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お前が命と引き換えにしようとしたプライドは今何のために役立っている?お前が廃人になったとき、それは何か貢献したのか?年をとってから昔を懐かしむためだけに、その頃にはもう形骸すらも残らないもののために、お前は何をした? 何をしなかった?あの人の墓に持って行く気か? 私の墓にそんなものを入れるな.それさえ捨てていれば今頃はもっと人を信頼できるようになったのでは?もしかしたらその選択こそが私が最善をしなかった唯一つの汚点なのでは?
2007.08.11
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殺そうとしていたから殺されるだなんて思ったんだ.殺されると思っていたから本当に死んでしまったんだ.けれど絶対にあの人が私を殺さないだなんてあの時言えたか? 今では?積極的に殺す理由はあったか?――死んだ方が良いとは思われていたかも.それは自分が思っていたことの投射では?――たぶんそう。でも殺さない理由も無かった.どうして?――私が失敗作で、あの人は家族を愛していない.家族ごっこが好きなだけ.いつも不機嫌で底の浅い傲慢な独善的な独占欲の強い、都合の悪いことは忘れて……あの人は子どもだった.子どもをやりきらないうちに親になった.金以外の何で責任が取れた? 彼の中に何があった?
2007.08.10
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考え直せ.考え直せ.学資金と衣食住を賄う程度の金、それは人間の尊厳に値するほどの額なのか?実の両親に育ててもらうことと引き換えにどうして人格を一人死なせなければいけなかった?私はあれを、命をかけてでも守らなければいけなかったのでは?亡くなったら帰ってこないのに、どうして私は体さえ生きていればだいじょうぶだなんてそんな嘘を自分に吐いた!
2007.08.09
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「おまえは盆栽だ、捻くれている」と何度かあの人は言った.多分あの人は考えていない.それが本当ならば悪いのはあの人自身だということ.私は箱に閉じ込められ、紐で縛られた、鉢の上の植物だった.水を吸収することさえ自分では限界があった.私を盆栽にしたのはあの人で、それはあの人の罪であり弱さの顕れであの人自身も盆栽だった、私よりよほど卑屈な形をした.彼は私を自分がなれなかったものにしようとした、と同時に私が自分を超えたものになることも怖れていた.彼は私を許容しなかった.私も彼を許容しなかった.大人になってみれば、何故だろうこんなにも呆気なく、お互い様だと思える.
2007.08.08
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要は暇になったのがいけなかったのだろうか?暇になって好きな勉強をするようになって自分の中身を探ろうとしたのがまずかったのだろうか?嘘つきと呼ばれ続けたから虚言癖の症状をまとめた本を読んだこと犯罪者の卵と言われてから過去の事件に興味を持つようになったことそこから心理学にはまって、自分の癖の原因を朧げに掴んでしまったこと私はあの環境で他にどんな良い道を選べたんだろうか?はっきりしてるのは、私がこの問いを冷静にできるようになったのがつい最近で、それ以前は頑なに『私は最善を採った』と思い込んでいたこと.その狂信が独りで立ち直るためのプロセスだったこと.立ち直ったと言うからには、狂信に戻ってはいけないということ.
2007.08.07
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十年前の八月六日に自分が何をしていたか憶えている.北海道への旅行から石川へ帰って来て、沖縄に行って来た友人と話して、あらかじめ用意していた台本のとおり小学校の校内TV放送の司会をしていた.隣で親友が台詞を間違えて、生放送中に笑い転げてとにかく周りのことなんて気にしないようにしていた.現実感の喪失が一番顕著だったのは、その小学六年の頃だったと思う.いつも忙しくなければいけないような気がしていたのは今思えばそのせいなんだろう.旅行の写真を憶えている.はしゃいでいる小学生が写っていた.でもその年の日記には、カメラを構えた人への殺意が書いてあった.
2007.08.06
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気付いてないの? 病的な人.あなたの病が私を作った.あなたと彼の同調、もしくは彼への許容がそもそも病であったこと.
2007.08.05
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あの頃,大人は誰も私たちを理解しようとせず私たちの中に在ったのは敵意に似たものだった.今に至るまで私が彼女を大切に想うのは彼女だけが私を理解しようとしてくれたからだろう.興奮と同調のほかに,私たちの間に在ったものは今でも手に入れることができるものなのだろうか?私は十年前で,彼女はおそらく八年前なのだ.原因も経過も全く違うものだったが,私たちは同じことをした.互いを有りの侭に許容した.何の解釈もつけず有りの侭に.私たちは同じ錯覚をし続けている.私たちが互いを許容できるという錯覚だ.それが失われた後に何が残るのか好奇心よりも恐怖が上回る.
2007.08.04
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理解しようという意志は何処から来るのか.少なくとも高確率でそこには好意が存在する.鶏と卵のようなもので,嫌悪すれば理解しようとはしない.理解すれば嫌悪は薄れる.安心を求めるのは動物の本能,人間はその為に無償で利用されるものを好意と呼ぶ.最初は自衛のために,無意識から意識的なものへ,守り合うために理解しようとしていく.理解されようとする意志より理解しようとする意志の方が強靭だ.自らが害を負う危険性が少ないのだから.好奇心から生まれて,同調で増幅して,傍目には同じように見えるまでになる.人間は不安定だ.だから誰かに支えてもらおうとする.同じように不安定なもの,安定しているように思えるもの.好意も嫌悪も介在しなくとも理解しようとする意志は存在するのだろう.けれどそこに好悪の感情を混ぜようとするのは人が自分を安定させたいからかもしれない.
2007.08.03
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幸せを分け与えることができるとは思わない.悲しみを他人に転嫁することができるとは思わない.私の憎しみは私のもので、私の痛みは私のものだ.けれど、たとえばそれ自体が幸せに繋がるような権利を書いた紙切れの一枚でもあろうものならそれを無償で譲ってもよいと思える人がいる.自己満足かもしれないが、確かな私の意志だ.幸せや喜びを共有していると思うのは幻想だろう.悲しみや痛みを共有していると思うのは傲慢だろう.一つのものであれば良かったとは思わない.私は彼女の人生を、私のものと同様に愛している.時には私自身より近い.これを何と呼べばいいのだろう.
2007.08.02
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親子は、最も近くにあって最も遠い.傍目には和解に見えた一言が当人たちには別離の一言となる.
2007.08.01
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