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ここ10日ほど、去年とは違うblog サイトを見つけて、そこに、このHP で掲載している小説だけを独自に掲載することにしている。 今まで書き溜めたものを、コピーして掲載していくのだが、たいてい(どんなblog でも)「記事を投稿する」という形をとっている。 そのため、日記などはいいが、小説は、書き始めた順番に投稿していくと、最初の部分が「過去ログ」となって下の方に行ってしまい、最近書いた(つまり話がだいぶ進んだ)部分が「最新記事」となってしまう。 だから、読んでいただく方には「え?どうなってるの?」となりがちである。 なかなか、こういうものを独立させ、編集するのはややこしい。 その点、この「楽天blog」などは、書いた順番に上から下へと表示されるので、そういった面倒がない。 1月の22日から、「もう少し大きい活字で、なおかつ掲載する文章などの容量も大きなblog がないかな」と探した結果、たまたま、livedoor Blog があった。 これで、「小説」の分野で、「人気blog ランキング」に再度、登録し直した。 我ながら、「人気」を当てにするとは、図々しいとは思うのだが、なんとなく、人は何かを創作し、それがある程度の量になると、「自分の作品はどう評価されるか」試してみたくなるのだろう。 こういう「ランキング」などで、上位に入るのは至難の技である。独り言日記を素材にしたものなどは、読みやすいため、10位以内に必ず入る。 しかし、純文学や本格派は、なかなか読者がつかない。 それでも、そういう「本格派」の小説を書いておられる方の作品を読むと、私などとは格段の差で、語彙も表現力もプロ級である。 この「ランキング」は、500位以上あるので、私の作品はなかなか目に留まらないだろうと思っていた。 だが、livedoor Blog で掲載してからほぼ10日、試しに「500位にも載ってないだろうけど...」と調べたところ、274位に自分の作品名を見つけた。 何しろ、こんなランキングに500位以内にも入ったためしがないので、「274位」というのは驚きであった。 どこかで誰かが読んでくれている、というのは、モノを書く人間にとって、たいへん励みになるものである。 この嬉しい発見をバネにして、現在の創作小説を、ぜひひとつの作品として完成させたいと、改めて思ったのだった。
January 31, 2007
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よく自分のサイトに広告を貼れば、広告を出す業者から、サイトの管理人に報酬が支払われる、という「アフィリエイト」というものがある。 もうこれは、3~4年前から私も知っていて、他のHP作成サービスでいくつか作ったサイトに、実際にアフィリエイトに申し込んで、広告を掲載していた。 でも、この方法で、副収入といえるまで稼ぐことができるのは難しい。 実際、私は何の報酬にもなったことがない。 最初は「アフィリエイト」に新鮮味を感じて、かなりの期待を持っていた。 現実にはこの方法で、月収何十万にもなるという人が、「アフィリエイトの上手な活用法」みたいな、ノウハウ本を出しているが、そういうのも買わずに、次第にアフィリエイトへの関心は薄れてしまった。 先日、「東京ネット」なる会社の女性から、急に私に電話がかかってきた。 その女性は、私が半年ほど前の昨年6月頃、「東京ネット」に「在宅ワーク」の登録をした、と言う。 昨年6月頃といえば、私が薬害ショックで入院し、退院して1ヶ月経った頃である。その頃は、確かに「家でパソコンで収入になるのなら」と思い、在宅ワークを探していた。 だが退院後で、パソコンに向かう仕事は、体力的に無理だったので、在宅ワークの検索は止めた。 電話をかけてきた女性は、懇切丁寧に、どんな仕事をするのかを説明した。 「まずあなたにネット上でお店を開いて頂いて、そして私がいろんな企業さんから集めた広告を載せて頂くっていうお仕事なんです。つまりアフィリエイトなんですよ。アフィリエイトって、ご存知ですか?」 すごくこなれた営業口調。私が、「アフィリエイトは経験がある」と答えると、相手はうふふ、と笑った。 「それなら、お仕事はもうすぐにOKですよね。アフィリエイトって、あまり儲からないっておっしゃる方、多いんです、実際。でもね、うちの代理店としてお店を開設して頂いたら、必ず報酬は入りますから」 「どんな広告を載せるんですか?」と訊くと、 「そうですねぇ、やっぱり日用品か雑貨ですね。いわゆる消耗品、例えば健康食品、お茶とかお化粧品、ベビー用品、DVD とか、そういう需要の高い物ね」 「選ぶ広告は自分でお好きに選んでいいんです。今話題になっているDVD とか、杜仲茶とかね。杜仲茶でね、これ単価500円で掲載するんですけれど、これでも軽く15万の月収になりますよ。多い人でいくらになったと思います?45万ですよ」 ...などと、私にも馴染みの深い「杜仲茶」などの話題を持ち出す。 「最初はね、いきなり月収30万以上なんてことにはなりませんよ。2万から5万ほどの月収からスタート、って感じで、皆さん始められて...続けていくうちに、お仕事のコツ、つかめてきますし。私からのアドバイスも致しますし」 それで、彼女は年収は100万から200万ほどにはなると言う。 よくメールで配信される「在宅ワーク」には、月収200万!なんていうものもある。 だが「最初は月収2~3万、波に乗ると年収100万ほど」とか、「扱う商品は消耗品で、需要の高い物」とかいう話は、一見現実的ではある。 私は半信半疑で、その話を聞いていたが、「ネット上に自分だけのお店を持つ」という点が気になった。 「よくビジネス用のHP を持つためのサービスは見かけますが、できるなら無料の所がいいのですが」と相手に言った。 すると彼女は、「あ、無料で作成って考える方、けっこうおられます。でもね、それでお店を開いて広告を載せてもね、収入になりませんよ」と答えた。 「なぜ収入にならないんですか」 「無料でお店を開いてもね、うちの代理店としては法人として認可しないんです。法人として認められるには、やっぱりね、出資してHP作成する会社に頼むのが一番ですよ」 私はここら辺から、「ひょっとしたら、これは詐欺ではないか」と思い始めた。 「それなら、その出資額はどれぐらいでしょうか」 「そうですね、普通100万ほどですよ」 私は100万なんて無理だと言った。 「まあね、高いところでそうなんですよ。安くっても、50万はかかりますね。そういう会社にHP 作成を頼めばすぐに作ってくれますから」 「50万...ねぇ。もっと安い会社を教えて頂けませんか」 「あのね、『エステック』さんなら、48万でやってくれますから。ここが国内でね、一番安いんですよ。48万、出資してサイトを開設しても、年収100万以上だったら、充分もとがとれますよ」 そして、彼女は、急にこんなことを言い出した。 「今、広告の需要がすごく高まっててね。だから、代理店をやって頂ける方を、緊急に募集してるってわけでね。その募集は今日で締め切りなんです。それで、今週中に皆さんにお仕事に入って頂かないとダメなんです」 「今週中、というと、土曜日までに、その資金を出してHP を作って、おたくの提供する広告を載せるんですか」 「そうです、そうです」 私は、こういう風に話を急ぐことや、50万近いお金を払ってHP を数日以内に作らないとダメ、という調子から「ちょっと...こりゃヤバイぞ」と思った。 「じゃあ、そのエステックという会社を検索してみます。それから、川村さん(相手はそう名乗った)に今日中に折り返し、ご連絡しますから」 私がこういうと、その女性は、特に慌てる様子でもなく、早口でこう言った。 「あ、私の方からあなたの替わりに、もうエステックさんにHP 作成の申し込みをしておきましょうか?それで、うちへの会社の登録も正式に完了になりますから」 ちょっと待て。「川村」の方から「エステック」に申し込まれては、後で48万を振り込めという請求書が来てしまうではないか。 「あのね、私の方でも少し考えたいこともありますので...考えが決まりましたら、川村さんにご連絡しますから。とりあえず、電話番号と、メールアドレスをお願いします」 私がこう返答すると、それまでの「懇切・丁寧な説明&熱心なスカウト」はどこへやら、彼女はいきなり、 「あ、それならもういいです」 突然ぶっきらぼうに言うと、向こうからガチャンと電話を切った。 連絡先を訊かれて、いきなり電話を切るなんてのは、自分の所在を知られたくないからに決まっている。 母も息子も「お金のことを言い出すのは危ないよ。詐欺に決まっているよ」と驚いていた。 私は疲れたような、不愉快な気分で、「川村」の言った「エステック」という会社を、ネットで検索した。 そうしたら... 「エステック」という会社は存在するが、その事業内容は、「看板・ネオン製作サービス」なのだった。 「法人向けHP 作成サービス」なんて一言も書いていない。 これで、「川村」なる女性が、完璧に詐欺だということが証明された。だいたい、「東京ネット」なんて、テキトーにつけた、嘘っぽい名称である。 この女性が詐欺師なら、この電話で「HP作成で、そんなに収入になるんなら」と騙されている人が、今までにもいたかもしれない。 しかし、詐欺をするにも、営業マンよろしく、よくもまあ、細かな説明を「川村」はしたものである。 ひとりでやっているのか、何か組織ぐるみなのか。 電話の向こうでは、何か音楽が流れていたが...自宅であちこちに電話をかけて、完璧なマニュアルどおりに「詐欺のお仕事」をせっせとやっているんだろう。ご苦労なことである。
January 26, 2007
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昔、家にある岩波文庫で、ロシアの作家チェーホフの書いた短編小説『子犬を連れた奥さん』 というのを読んだ。 というより、フェスティバル・ホールの地下で観た、同名の旧ソ連映画 がきっかけになって、原作を読みたくなった、という方が正しい。 この作品は、Wikipedia によれば、次のように紹介されている。 『犬を連れた奥さん』(The Lady with the Dog)は、1899年にアントン・チェーホフが発表した短編小説。 チェーホフは1899年から1904年まで、ウクライナのクリミヤ半島にある保養地ヤルタに住んだ。そこでこのヤルタを舞台としてこの小説が書かれた。 映画も原作も、とても感動した。 ある男性が、保養に訪れる人でいっぱいのヤルタで、とある貴婦人と出会う。その女性はまだ若く、子犬を連れている。 彼は、彼女の美しさとはかなげな魅力に惹きつけられ、レストランで「同席してもよろしいでしょうか」と声をかける。 それをきっかけに、二人の仲は親密になる。 その貴婦人は、まだうら若い人妻で、彼にこう言う。 「2年前、ただ結婚への憧れだけで、20歳で、ある政治家と一緒になりました。あの頃は何も世間を知らないで...でも、今でもそう。だって、主人が何の仕事をしているか、まだはっきり私には分からないんですもの。可笑しいわね」 そう言って笑う女性の可憐さに、男性は、「可愛い人だ」と思い、「自分の妻とは正反対だ」と思う。 彼の奥さんは、ぎすぎすしたタイプの女性で、子供に口やかましく勉強のことばかり注意している。家に帰れば、常に妻の、子供を叱りつける声が響いている。 「私は妻を愛していない。この貴婦人のような人こそ、理想の人だったのに...」と、自分の結婚を後悔する。 女性の方もまた、この彼氏に魅せられる。 「私の夫は、つまらない人です。いつも、他人に頭を下げてばかり...特に、自分より地位の高い人には...」 ヤルタからモスクワ(だったかな?)に戻ったら、劇場で逢引の約束を交わす二人。 その劇場で、主人公の男性は、大勢の観客の中から、彼女を見つけるが、その隣の男を見て、「ああ、あの男が夫君だな」とすぐ分かる。 彼女の夫は、平凡な風采の上がらない男で、周りの人の目ばかり気にして、やたらとペコペコしていたからである。 だんだん深みにはまっていく二人。あるアパートの一部屋で、何回か逢瀬を重ねる。 「どうして、もっと早く出逢っていなかったんだろう」と、お互いに、現実と恋の狭間で苦しむ。 最後は、彼女の方から、「やっぱり良心がとがめます。もうあなたと会うのはこれきりにします」と言い出し、二人は別れてしまうー こういう話だった。 「な~んだ、要するに、不倫の恋なんじゃん」 ...と言ってしまえば終わりなのだが、そう言わせない魅力が、映画にも原作にも溢れていた。 特に映画では、作者チェーホフの理想を視覚化するため、どうしても主人公の二人は美男美女である。 だが旧ソ連の映画というのは、とってつけたような美男美女は出てこない。あくまでも、理性的で知的な俳優を選ぶ。そこが味わい深い。 私は、「どうしてもっと早くあなたに出逢わなかったのだろう」という、二人の嘆きに共鳴した。 昔から、文学や映画には、いわゆる「不倫の恋」が描かれてきた。 それは、決して嫌らしいものではなく、人生の不条理を読む人、観る人に納得させる内容だった。 けれども、現実にこういうことが起きると、文学的味わいはガタッと落ち、理想もへったくれもなくなる...気がする。 よくテレビで「電話相談」なんかがある。 たいていは、「お姑さんがいじめる」とか、「旦那が暴力をふるう・浮気をしている」とか、そういった内容である。 それを生で流す。電話で相談してくる人は、嫌な相手がいない昼間に、一生懸命「どうしたらいいんでしょう」と悩む主婦が多い。 私は毎日、この手の番組を聴いているわけではないが、先日、たまたま昼間に、母がつけていたテレビから、「悩み相談」が流れていた。 「何相談してるの?」と思って、聴いていたら、「ちゃんと家庭を持った男性」と、つき合っているという、「夫も2人の子供もいる」女性からの相談だった。 「なんであなたは旦那さん、いるのに、他の人とつき合っているの?」と司会者が訊く。 彼女の理由は曖昧で、「え~...子供をお風呂に入れてくれないしぃ...いつも疲れたって言うし...『海外旅行でもしたい』って言ったら『子供が2人いるから、ちょっと今は無理』って言われて...それで...」という調子。 「そんな理由で?他の男のもとに走っているの?ご主人、生活費、家に入れてるでしょ?違うんですか」 司会者が追求すると、彼女は「えっ...ちゃんと入れてます...けど」と言う。 すると、ゲストの女性が、怒ったように呼びかけた。 「ねえ、あなたは9歳と13歳の女の子のお母さんでしょう? もうこの年頃の子供にとってはね、お母さんの存在は、とっても大切になってくるの。あなた、その好きな男性と、お子さんと、どちらが大事なんですか?」 すると、電話の彼女は、2,3秒後に、「えっ...あの...どちらも」と答えた。 まるで、質問にまごつく生徒のような幼さだった。 私は、その答え方を聴いて、「この人、子供はそんなに大事にしてないな」と感じた。子供が大事なら、即座に「それは、子供の方が大事です!」と言うはずである。 結局、この人は、何を相談しようとしたのか、よく分からなかった。ただ、「今の彼とつき合いたい。でもこの浮気は主人に内緒のまま。主人に打ち明けても、どうも別れてくれそうもないしぃ...」ということだったようだ。 司会者は、「それなら、あなたには、3つの方法しかないよ。今の旦那さんに正直に打ち明けて別れるか。相手の家庭を壊してまででも、今の彼と一緒になるか。結局はその彼からも捨てられて、人生をやり直すか...捨てられる覚悟はできてるんでしょうね?」と問いただした。 電話の彼女は、「あ、ハイ」「あ、えっと、ハイ」... こんな調子で、実はこの主婦は40歳というんである。 この人は自分というものを持ってないなぁとつくづく感じた。自分の今とっている行動を、よーく自分自身で頭の中で整理してみれば、電話相談なんかしなくても、分かりそうなものである。 おまけに2人も、物心もついている子供を持ちながら... 要するに彼女の行動も、「不倫の恋」のカテゴリーに入るのだが、一見映画や文学でホロリとなりがちな、こういう恋も、現実化すると、ほとんど前後左右を見極めないで、自ら破滅するような醜いものに変わってしまうんだなあ、と考えさせられた。
January 24, 2007
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この20日頃、急にこの楽天ブログの管理画面が変わり、焦った。「あれ?日記は?フリーページどこから書くの?」 落ち着いてよーく見ると、衣替えしただけで、ちゃんと分かりやすく設定されている。 全体がほんわかピンクで、新年の装いかな?という感じ。それで、この衣替えに刺激を受けて、私も HP のデザインをまた変更した。 HP を作る時の楽しみのひとつに、このデザインテンプレートというのがある。 以前は「ホームページビルダー」などを買って、自分だけの納得のいくサイトを作ろうと意気込んでいた。 全体のデザイン、フォント、音楽が鳴るように...etc. (でも結局途中で挫折...) こういう作業は、やり出したらきりがない。私は凝り性のタイプなんである。 今は、HP やブログなどを作る人で溢れているが、こういうものを作るのは、時間がかかるし、じーっと机の前に座っているのが苦手な人には不向きである。 日本中、世界中、結構凝り性の人が増えたんじゃないの?と思う。 こう感じるのは、昔、私の大学時代の友人が、「私は勉強なんて大嫌い。机の前に座って、鉛筆持って何かを書いたり、調べたり...なんて、考えただけでぞーっとするワ。あんたはエエなぁ。そーいうことがラクチンで」 ...などとよく言っていたからである。 おまけに彼女は、「なぁ、アンタ、この世で一番好きなもの、いうたら...何?」と私に訊いたので、「そ~だねぇ。本と音楽と映画かな」と答えると、思わずのけぞるような答えが返ってきた。 「ふぅん...アンタ、現実的やん。好きなものがすぐ現実に手に入るやん。ええなぁ。ウチはちゃうで。この世で一番大事なもんは、やっぱ男と車、それにお金やで」 「えっ...? オトコ?」 「せやで。オンナには、オトコが一番大事なんや。ええオトコって、なかなかいないやろ。だから、ウチの夢は非現実的なんや。アンタんは、現実的」 ...要するに、彼女と私とは、価値観がまったく相容れないのであった。 彼女は短大2年の終わりに、アメリカにホームステイしてきた人で、私と一緒に大学の3回生のクラスに編入した。 そういう経緯で、席が近いので、何となく「友だち」になっていたのだったが、あまりにも価値観が違いすぎるので、卒業と同時にもう疎遠になってしまった。 「男と車とお金」と言っていた彼女は、京都の呉服屋さんのお嬢さんだった。今頃どうしているかなぁ... しかし、今はそういった価値観の人でも、どんな人でもHP なりサイトなりBlog を作成している。 私のこのHP に「新着書き込み」がたまにあるが、それらの90%は、何か友人を装った淫らなサイトからのもの。 最近では、「ブログ、始めたんですね。さっき偶然発見しちゃいました」という書き込みがあった。 何か知り合いの人かな...?と思って、そのページをクリックすると、なんと「キャバクラ遍歴男」のサイトなんであった。 「どれだけキャバクラをはしごしたか」とか、「男の価値は30代から!味も経済力も人生経験も積まれてくる年代」とか、「ハシゴするには、それなりに投資した金もかなりだった。結果、モノにした女は3桁を下らない」...などなど...(汗) まぁ、その人の人生なんだから、好きなように生きればいいんであるが、やっぱり価値観が、私などとは到底相容れない。 「キャバクラ遍歴」云々を自慢する御仁ではあるが、そのサイトの構成も、かなり凝っていた。 (キャバクラを渡り歩いて、かなりお疲れであろうに...と思うのだが...) だから、人生の目的が「いい男」や「キャバクラ女」であろうと、育児だろうと、哲学だろうと、TOEIC だろうと、今は全世界的に「自分のサイトを持つ」凝り性の人が増えたんじゃなかろうか、と推測できるんである。 かの悪名高き「アルカイダ」だって、ちゃんと独自のサイトを作っているぐらいだから...(怖い~) 皆さん、worldwide にサイト作成に凝りまくっていらっしゃる。(そういう私もそうであるが...) でも、パソコンに向き合っていると、肩もこりませんか、ねぇ。(ふぅ~)
January 23, 2007
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息子は12歳の誕生日プレゼントに、おじいちゃんからのお年玉を使って、「ドラクエ」なるものを買った。 「ね~、どうしてもドラクエ...欲しいよ。今すごい人気なのにさ」 「それじゃ、お年玉でね。でもその『ドラクエ』って何?」 「ドラゴンクエスト・モンスター・ジョーカーズ」 「......?ドラクエ...ジョーカー?」 「とにかく、DSのソフトなの。Wi-Fi で繋いだら、全国の人と対戦もできるんだよ」 それで、届いたソフトのケースには、「DQM」とある。 「『ジョーカーズ』のJ がないじゃない。これでいいの?」 「いいの、いいの。これがDS用のドラクエなの」 あとでよく考えると、Dragon Quest Monsters の頭文字で、DQM となっていることに気がついた。 息子はそれから、ここ1週間というもの、毎日「ドラクエ」で奮闘中。 私は最初は何だか訳が分からなかったが、要するに、主人公のジョーカー君が、冒険の最中、出遭ったモンスターと戦ったり、時にはスカウトしたりして、自分だけの「モンスター」を作り、育てて強くさせるーというゲームなのだった。 捕まえたモンスターの雄と雌を「配合」させると、別のモンスターができる。それが、時にはかっこよいドラゴンだったり、気色悪いモンスターだったりする。 息子は戦いの様子や、新しく生まれたモンスターやドラゴンを私に見せに来る。 「ドラゴンの方がかっこいいね。これがすてき」などと、私もいつの間にか、お好みができてしまった。 「でもかっこよさを追求しててもダメみたい。ドラゴンは防御力は高いけれど、攻撃力は低いから。やっぱ、迫力あるモンスターを作らなくっちゃな~」 それで、息子はネットで「ドラクエの裏技」を検索し、どれとどれを配合したら、すごいモンスターができるのかを研究し、やっとこさ、「うひゃ~これは...」というグロテスクなモンスターを生み出した。 だが、それでもWi-Fi で全国大会に出場したら、2回戦で必ず負ける。順位は全国では、5万位という低さ。 全国大会で1位となるのは、「もうこれだけの最強で超グロテスクなモンスターがいる?」という感じのものばかりが登場する。 しかし、息子がこのゲームをやっていて、ここ数日「食欲がない。思い出すとむかむかする...」と言いだした。 理由は、ドラクエの中に登場する、悪の世界の会長、カルマッソなる人物。 このカルマッソは、モンスターの「マ素」を大量に浴びて、「ガルマッゾ」という、とてつもなく気色悪い、最高にグロテスクなモンスターに変身してしまう。 そのガルマッゾを見ていたら、気分が悪くなった、と言うんである。 「ガルマッゾって、『ゾンビ系』のモンスターらしいよ」 「ちょっと...ん~これは...年齢的に少し早かったかな」とも思った。 しかし、こういうモンスター系のゲームの中に登場する、超超グロテスクな怪物を見ていると、私はふと、現実にも、こういった、おどろおどろしい生物が存在するのではないか、と思ってしまう。 年が明けて、ほんの数日経った頃から、この2週間で、次々と「遺体をバラバラに切断する」という、猟奇的な殺人事件が全国各地で起きたからだった。 昨日の15日には、京都精華大学の、ストーリーマンガコース専攻の学生が、帰宅途中、何者かに襲われて殺された。 この男子学生の描いていた作品を、テレビでちらりと見たが、ペンタッチもこなれていて、構成もしっかりしている。 1年浪人した後、合格した後は、非常に成績優秀で、質問も活発だったという。その彼が、自らの作品に書いた台詞がある。 「人生何が起こるかわからない」 本当にその通りのことが、現実に起きてしまった。 彼の漫画家への夢は絶たれてしまった。 人を殺したり、遺体を切断したりーこういう恐ろしいことをやってのける人間の心の中には、ガルマッゾもどきの恐ろしくグロテスクな怪獣が存在している。 いや、犯人は、人間の皮を被ったモンスターそのものなのではないかとさえ思えてならない今日この頃である。
January 16, 2007
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今日は息子が晴れて12歳となった日。 昨日までは11歳だったのに、12歳となると、もう小学生最後の誕生日。 来年は13歳かと思うと、ホントに10代の時というのは、1年1年が大きな成長で、変わっていく時期なんだと思う。 それに比べると、大人は25,6歳の頃から、あまり1年ごとの変化が見られない。 それでも大人も一応変化はしているのだ。 子供は1年ごとに「成長」。 大人は...10年ごとに「円熟」。 下手をすると「老化」。 子供は10代の間は「成長」するが、大人になってしまうと、20代の間はいいとして、30代以降が難しい。 うまく「年を重ねる」「円熟期に入る」と自分でも自覚できればいいのだが、人生一度きりで、下手すると「もう年だから...」が口癖の、つまらない人間になってしまう。 子供は「大きくなったらこうなりたい」という、将来の夢というのを抱いて大きくなる。 それが、大人になった結果、「こうなるはずじゃなかったのに...」となってはもったいない。 私の場合がそうなんであって、「こうで良かった」という部分と、「こうなるはずでは...」という部分と、「これからは、こうありたい」という部分が、微妙にミックスされて、今の自分がいる、という感じである。 ともかく、私は息子の12歳のバースデーカードを用意しなきゃと思い、デパートに出かけるのも寒くてしんどいので、ネットで「バースデーカード」を検索した。 でも、最近は、紙にフェルトの動物を貼り付けたようなデザインのものが多く、あまりピンとくるのがなかった。 仕方ないので、家にある光沢フォトペーパーに、以前写真に撮った花とレースの写真を印刷し、それに、「A Happy Birthday for You! ついに12歳になったね!」という文字をつけて、オリジナルのカードを作成。 その裏には、「成長」を意識している息子のために、去年より、少ししっかりした文体でメッセージを書いた。 このカードに、「ハリーポッターと賢者の石」のポストカードを繋げて、その裏には、詩を書いた。 僕はもう12歳 大人?それともまだ子供? そのどちらでもない でも少なくとも今僕は 人生で一番すばらしい年代の入り口にいるんだね 2枚を張り合わせたこのバースデーカードを渡すと、やっぱりちゃんと読んでくれたが、今度はクリスマスの時より、照れくさそうにしていた。 「読んだ?」 「ハイハイ、ハイ、読みました、ハイ」 ...こんな調子なんである。 写真も、撮るにしても、にっこり笑ってくれなくなった。 「こっち向いて笑ってよ~」 「だって、おかしくもないのに笑えないよ~」 何かの拍子で笑わせると、お腹を抱えて笑うのだが、そのシャッターチャンスも、顔がぶれたりして、うまく撮れない。 だんだん、難しくなる年頃。 私もよく考えて、相手にならないとなぁと痛感したんであった。
January 8, 2007
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昨日参拝したお寺は、写真のような金色の灯籠が、参拝所の軒先にずらりと連なっていて、とても美しい。 わたしがこのお寺で気に入っているのは、こういう所である。いつ見ても溜息が出るほどきれいな金の灯籠の連なり★これと和風の格子窓がマッチして豪華すぎず、質素すぎず。いいですよ~うん♪ 灯籠(「灯篭」とも書く=とうろう)(garden lantern or hanging lantern) というのは、広辞苑によれば、古くは奈良時代、平安時代からあったそうだ。 英語でも分かるように、庭に置く「台灯籠」や、軒先に釣らす「釣灯籠」とがある。 昔から、照明器具として、石や木・紙などを張った物の中に灯火を点じて用いてきた。 「灯籠」という言葉は、フォークシンガーさだまさし(懐かしいですね~)の「灯籠流し」(さだまさしさんの歌...ですよね?)で、よく知られるようになったように思う。 よく原爆の日や終戦記念日などに、灯籠流しが行なわれる。これは、亡くなった人の魂をお盆の最後の日に見送る習俗として、昔からある伝統行事である。 太陽暦が採用される以前は、太陰暦で、この暦では「秋」は、7月~9月の3ヶ月を指していたので、俳句や短歌などでは、「秋の季語」として「灯籠」を用いるそうだ。 だが最近では、大事故や大災害などで命を落とした人々のために、灯籠流しを行なう場合もある。そこで、「灯籠流し」は、特に季節を意識しないものになったように思う。 このような習俗は、日本文化の伝統を継承するものである。いつまでも続いて欲しい。 ところで、この「灯籠」というのは、いかにも日本美のひとつといった感じで、風情があり、うっとりする。 だが、最近次々と建つカタカナマンション(英語とフランス語が混じったような......)などでは、和室は少なく、大半が洋風で、フローリングである。 これとは逆に、純粋に日本の伝統美を愛し、「ワビ・サビ」のミステリアスを追求する外国人観光客には、「和風旅館」はすごい人気である。 外国人にたいそうモテるので、こういった旅館は、一泊○万もする、「超高級ホテル」(ultrarich Japanese hotels) となってしまい、普通の日本人には手が出なくなってしまった。 日本でも、一戸建てで、リッチ且つ和風の味わいに「こだわり」(最近この言葉流行だわ~)を持つ人は、建築デザイナーとじっくり相談し、結果、超ハイテク且つ快適・近代的な「和」の空間を堪能している。 ところで、昨日の初詣では、参拝者が少ないのが玉にキズだったが、斬新な発見もあった。 それは、中華風デザインのカラフルな屋根・柱でできた参拝所である。これが馴染みのお寺に突如出現した謎の(?)中華風寺院です★黒い灯籠もいいものです★でも屋根瓦の裏や柱のデザインは......どう見ても中華!ラーメン食べたくなっちゃうじゃないですかっ! 去年まで、こういうのはなかった。 灯籠の色も、黒っぽい。 「な、なんでこんな所に中華が......?」 まるで香港か上海のお寺に来たような賑やかな色彩に、私はのけぞった。 私は中国に行ったことはないが、行ったら行ったで、それなりに中華の味わいに満足することと思う。 でもやっぱり私は日本人。いつの間にやら日本人。 初詣のお参りは、日本的ムードがいいんである。 そう思いながらも、「これ珍しいじゃないのよ、ねぇ」と息子に言いつつ、デジカメにその Chinese Temple を納めたのであった。
January 7, 2007
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お正月というのもいいものである。お雑煮、おせち。それに「初詣」と来れば言うことなし。 去年までは、息子と凧揚げを楽しむことを、お正月の行事にしていた。でも昨年は、私の体調が優れないまま、一緒に凧揚げをしなかった。 「ね~、今度のお正月は凧揚げしようね」と私。 「えっ?僕、凧揚げしないよ、もう」と息子。 「えぇ~っ?お正月だよ?凧揚げ......しないの?」と仰天する私に呆れる息子。 「なぜそんなにがっかりするのさぁ。凧揚げなんて、幼稚なこともうしないよ」 「えっ!凧揚げが、『幼稚』なの?」 「だって......クラスの誰かに後で『お母さんと凧揚げしてたやんな。幼稚や』って言われたら嫌だからなの!」 「......そーんなにクラスの子の目が気になるのかぁ。じゃ、ママ一人でするから」 「えっ?一人で凧揚げ?そんなに好きなの?おかしいよ」 「いーじゃない、別に。逮捕されるわけじゃないし」 こんなことを年末にごちゃごちゃと言いあったが、結局、未だに「私一人の凧揚げ」は実践していない。 いい歳こいて......なのだが、私は未だに、風を受けて、ぐんぐん上昇する、あの凧揚げの感じや雰囲気が好きである。なんだか、とっても気持ちがいい。 ところで、年が明けて、「3日に初詣に行こう」と約束したが、私の睡眠不足や、雪などで、出足が鈍り、やや(だいぶ?)遅いが、6日に近くのお寺に初詣に行った。 初詣は、英語では、pay a visit to a shrine on New Year's Day と言うんであるが、元日に行かなくても、shrine (=Shinto shrine)「神社」に行かなくっても、まあ我が家では「初詣」ということにしている。 その6日の初詣も、午後になると私は体調が悪くなったので、「ごめん~明日でいいでしょ?」と息子に謝っていた。 すると、普段は我慢強い彼は、大泣きに泣いて、床の上に涙の池ができた。 「昨日も『明日行こうね』、その前の日も『明日行こうね』って......もういつ行けるんだよ~お正月気分、もうなくなっちゃうじゃないかぁ~」 「お正月気分?まだ残ってるよ」 「もう6日じゃないかぁ~出店も、ベビーカステラも、もう売ってないよ......」 凧揚げを「幼稚」と言う息子は、「ベビーカステラ」が欲しくてたまらないんである。(笑) あまりにも泣くので、「わかった、わかった。もう泣かないで。今日行こう」となだめて、やっとこさ、初詣が実現した。 行くと、やはり6日であるせいか、人気が少ない。でも目的の「ベビーカステラ」は売っていた。しかし、時間帯も午後4時頃だったので、出店も、他にはほとんど見当たらない。 「う~ん、やっぱり、お正月っていうのは、『気分』が大事なのね」 そこで、少しでもその気分を盛り上げようと、お決まりの参拝に足を運ぶわけである。 聖徳太子が千年以上昔に建立したという、そのお寺は、何度も火災で焼失したが、源頼朝などにより、再建された。広々として、すっかりハイテク・テンプルになり、エスカレーターもちゃんとある。 それで、上の方の参拝所に行く。鐘をコーンコーンと鳴らして、お賽銭を投げる。母や息子は、「10円でいい、10円で」と言うのだが、私は去年、大病をしたので、75円お賽銭箱に入れた。 金額で願い事が叶うわけじゃないのだが、やっぱりこれも「気分」的なもんである。 「無病息災・家内安全・健康第一」を祈願しておいた。 おみくじは、引きたいのだが、もし「凶」が出たら嫌なので、買わなかった。その代わりに、矢羽つきのと、袋に入れるものと、ふたつお守りを買っておいた。 去年、お参りに行った際は、自分の生まれた年を見て、「今年は大吉かぁ」と素直に喜んでいた。実際、不調の多い私の健康は、長年悩んでいた女性ホルモンの病気がケロリと治り、その点だけびっくりした。 それでも、春にはアナラフィキシー・ショックで危うく死にかけた。 だから、初詣の祈願というのも、当てになるわけではないのだ。 けれども、お正月には「初詣」をし、今年一年の幸を願う。これをしないと落ち着かない、というのは、宗教的な目的ではなくて、やっぱり「気分的なもの」によるんじゃないか、と思う。 クリスマス「気分」が抜けると、「つまんないの」。 お正月も「気分」が薄れると、「寂しいの」。 やっぱり、1年の中の行事というのは、その時期を外してはいけないのだなぁと実感した。
January 6, 2007
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私は昔から少女漫画ファンで、自分でも「将来の夢は漫画家」などと豪語していた。でもストーリーがあまり思い浮かばず、絵を描くのも遅いため、いつの間にか諦めて閉まった。 というか、大学の途中で、文学に目覚めてしまったんである。 絵を描くのは今もとても好きだが、文章を綴るのも、これまた楽しい。 そんなことで、いつしか英文学に関する論文などを書くようになって、「漫画家」の夢はどこか遠く......まぁ、はっきり言って、我が家の物置の奥にしまいこまれた。 年末から年明けにかけて、ちらちらと、「ありゃ~懐かしいなぁ」と眺めていたのは、文月今日子さんの、超歴史大作『銀流砂宮殿』だった。もう20年前の作品である。 私は、これを「ぎんるさ」と読んでいたが、よく見ると、「ぎんるしゃ」宮殿、なのだった。 これは、紀元3世紀、7年間パルミュラ王国の女王の座についた、バト・ザッバイの物語。 紀元241年、ササン朝ペルシャが栄え、ローマとの戦が耐えない頃、彼女は生まれ、16歳で腹違いの兄ハッサンとの間に、ワハバルラートという息子をもうける。 ハッサンには他に妻がいたため、バトは彼と別れ、17歳でパルミュラの王ウダイナに見初められ、妃となる。 彼女が26歳の時、ペルシャを破ったウダイナは甥のマイオニウスに暗殺され、バトは、息子ワハバルラートを王とし、実質的にパルミュラの実権を握る。 それから、わずか7年ほどの間に、エジプト遠征を果たし、ユーフラテスからエジプトまでの広大なオリエント地方を我が物とするが、最後はローマとの戦いに敗れ、33歳ほどでその生涯を閉じる。 パルミュラというのは、今のシリアに位置していた古代都市国家。今でもその繁栄を物語る立派な宮殿や石柱などの遺跡で有名である。 文月今日子さんは、こういう、外国の歴史物を描くのに優れた人だと思う。 この『銀流砂宮殿』の感想を綴ったサイトもあった。 ★「文月今日子作品」 確か、文月さんは、北九州の美術短大を卒業したそうなのだが、同じく漫画好きの私の従姉妹は、文月さんの卒業した短大を出た。 手塚治虫の影響を強く受けた、水野英子(ひでこ)さんのアシスタントをしていただけあって、ペンタッチが生き生きとし、1コマ1コマが、まるで洋画の一場面のように、バシッと決まっている。 古代遺跡を描くと、文月さんの右に出る者はいないのではないか、と思うほど、リアルで魅力的で、人物も生き生きしている。 よく調べていないので、分からないが、文月さんは、「手塚治虫漫画賞」は受賞していないようだ。この人は、歴史物は主に(私が覚えている限りでは)4つ、あったと思う。 『銀流砂宮殿』と『エトルリアの剣』(懐かしいわぁ)、『地中海のルカ』と『金のアレクサンドラ』だったと思う。 私は、『エトルリアの剣』(これが歴史物では一番古い)以外は、すべて持っている。(なんたるマニアじゃ......) 文月さんには、公式ホームページがあって、彼女自筆のポストカードがトップページ。色々と、日常生活のことが日記に綴られている。★文月今日子公式HP 彼女は今、下関市に在住で、今も執筆活動を続けている。文月さんの日記によると、去年の10月に、「下関市の芸術文化振興奨励賞」を受賞したそうである。 私は、文月さんの歴史物以外に、『グリーン・レクイエム』とか、『ハリエットの娘』『ベルベット・ローズ』などなど、大好きな作品が多いので、こんなに憧れの漫画家の日記が気軽に読めるなんて、夢のようである。 山口県に住んでいる人が羨ましいぐらいで、直筆サイン入りイラストなんかがもらえたら、一生大事にするかもしれない。 これからも、文月今日子さんが、少女漫画界でどんどん活躍し、また重厚な歴史物を描いてくれたらいいなぁ......と思う。
January 4, 2007
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「グリニッジ村」のマルシェの「弟」、ルシファが、村一番の美人(?)ネコのオリビアと話をしています★ 元旦と、2日と、「規則正しい生活」を意識した私だったが、その決意は依然として実行されないでいる。意志薄弱なのだろうか。 パソコンよりも、DS の方が、目が疲れるので、時間を決めて、20分位に留めておく。 それでも、「どうぶつの森」は面白いので、つい大人でもハマる。 冬はあまり珍しい魚が釣れないが、それでも、川の大物「イトウ」という魚を逃した時は、 「も~泣きそうになったよぉ」 と息子に告げると、 「ええー?それって、完全にゲーム脳じゃないの?ゲームだよ?ゲームの魚を逃したからって、泣きそうになったの?だいじょうぶ?」と呆れられた。 それぐらい、画面がリアルで、しかも「イトウ」は、売ると確か8000ベルほどもする。 「たぬきち」(村のデパート店主で、不動産業もやってるタヌキ)にローンを返し、お部屋を広くして、部屋数を増やしたい私としては、「ああ~イトウを逃がすなんてさぁ」となってしまう。 その後、あれ?と気がつく。 「これ、ゲームなのに......貯金を増やすとか、ローンを返さなきゃとか思うなんて......」 明らかに、ゲーム脳になっているんではないだろうか? しかし、このソフトの登場人物である、村の住人たちは、動物でありながら、いろんなことに詳しく、哲学やライフスタイルを語ってくれる。 冒頭の写真の、「オリビア」というネコは、ちょうどワシのメスの「アンデス」のように、「あたし」タイプ。 ガーデニングが好きで、お部屋は「ロイヤルな家具」で統一し、「メイクタイム」も決まっている。 彼女の信条は、「女はいつでも『モイスチャー・シーカー』なのよ!」である。 「モイスチャー・シーカー」......? 要するに、moisture seeker ......「潤いを求め続ける者」ということか。こんなことを言うネコが他にいるか? 彼女の中には「自分は猫」という意識はないのだ。なかなかしゃれたことを口にするじゃないか!と驚く。 女の子のマルシェなどが、夜、釣りをしたりしていると、急に話しかけてくる。 「ふふん、マルシェちゃんたら、ずいぶん夜更かしじゃないの。でも知ってる?美人ホルモンは夜作られるのよ」などと、注意してくれる。 弟のルシファなどにも、こんなことを言う。 「ルシファちゃん、お肌の手入れしているの?荒れてるわよ。最近は、男の子でも、お肌のお手入れって大事なのよ」 「何か語って」とお願いすると、こんなことを話す。 「お花がきれいに咲いていると、心も華やぐわ。お花って、お水をあげないと、すぐに枯れちゃうのよね。でも、一番大事なのは、自分の心にお水をあげることよ」 ......などと、なかなかいいことを言う。 このソフトを作った人の趣味や考えが反映されているんではないだろうか。 外見は、「可愛い動物」が登場するので、「お子ちゃま」向けのゲームなんじゃない、と思っていたのだったが、意外や意外。 彼らは「動物」の外見を装った、れっきとした人間の心を持ったキャラクターなんである。 私もオリビアの教訓に従って、ちゃんとした生活を送らねば......そう思う新年の幕開けなのであった。
January 3, 2007
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今日はまだ1月2日。2007年始まってまだ2日目というのは、なんだかありがたい。 昨日の晩は、母と息子がおじいちゃんの所に一泊したので、一人だけの元旦の夜だった。 たった一人で夜を過ごすというのは、今までなかったことだった。息子と二人だけ、というのはよく経験したが。 それで、たいてい、息子が先に寝てしまうので、昨夜も、「あの子が先に寝てる」つもりで、戸締りをしたのだが...... よく、息子が、「ねぇ、夜中におトイレ行って、玄関から変な声が聞こえたり......洗面所に誰かが立っていたりしたら、どうする?」 ......などと、怖い話をする。私は、怪談が苦手だ。 それで、いい歳して、その息子の話をふっと思い出し、玄関の戸締りをした後、電気を消す......暗くなった後ろを、そ~っと振り向いたりした。 ......無事だった。(当たり前じゃないですかっ!)(笑) ところで、昨日の日記に、「1年の計は元旦にあり」などということを書いたが、早速、夜寝るのが遅くなった。(馬鹿じゃないのぉ?) 要するに、「早寝早起き」というのは、「夜が大切なんだなあ」と、つくづく思う。(......そう言いつつ、夜、日記を書いている私......) 「規則正しい生活をする」と、標語を掲げて、パソコンの前の壁に貼りたいのだが、日本語で書くと、息子の友だちが来た時に、息子が恥ずかしがる。 私も、恥ずかしい。 それで、以前「規則正しい生活を送る」って、英語でどう言うんだろう?と思い、調べたことがある。 To keep regular hours. と言う。 だから、Warning! (警告!) と大きく書いて、こんなことを英語で書いて壁に貼っていた。 To keep regular hours leads you a healthy life! Be regular in your habits! (規則正しい生活が健康につながる!規則正しく暮らそう!) つまり、「規則正しく」というのは、時間を守るということだ。 それで、To lead a life regularly as clockwork. (時計で計ったように規則正しく生活する)......という表現もある。 でも、人間は clockwork のようにぜんまい仕掛けで動けない。だから、「規則正しい生活」と言っても、ある程度、余裕を持たせる。 「朝はだいたい、8時までに起きる」とか、「朝食は遅くても9時には済ます」とか、「昼食は遅くても2時までに済ます」とか、「夕食は遅くても8時までに済ます」...... そして、寝る時は「遅くても1時までに寝る」というように。 しかし、この「遅くても」が、だんだん、ずぼらになり、いつのまにか「だらしない生活をする」(lead a loose life) となってしまう。 「(どんなに)遅くても」(at the [very] latest) というのは、私の場合、ずるずると、単なる言い訳になってしまう、という悪傾向がある。結局...... Stop making any excuse! 「言い訳なんかするなっ!」 ......というのが、私の「1年の計」に相当するんではないかと、反省する年明けなのであった、ハイ。
January 2, 2007
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年が明けて、今日は2007年最初の日。例年の如く、元旦はいたって平和に過ぎた。 ところで、ふと「1年の計は元旦にあり」という諺を思い出した。これを英語で言うと、どうなるんだろう。家に『和英 日本ことわざ成語辞典』(研究社)という本があって、これをたまに見ると、英語の勉強になって、けっこう面白い。 調べると、英語ではこういうのだそうだ。「1年の計は元旦にあり」:Monday is the key of the week. これが英語圏でよく使われる言い方だそうである。 だが直訳しても構わない。直訳はこうなる。The plan for the year is made on New Year's Day. (1年の計画は、その年の始めの元旦にしっかりと立てることである。) 直訳といっても、日本語の諺の言わんとする内容を、もっと普通の日本語に組み替えて、英語に訳すわけである。 また、その諺の意味するもっと深い部分をとらえて、英訳するのは、いわゆる「意訳」である。 A good beginning makes a good ending. (物事はすべて最初が肝心である。) このような意訳も、敢えて試みると、かなり英語の力がつくのではないだろうか。 先ほどの、Monday is the key of the week. を次のように表現もできるらしい。New Year's Day is the key of the year. (新年はその年の鍵である。) それでも、私は「1年の計」を立てるほどの余裕が、健康上あまりない。ただ、調子の悪いところをどうやって治すか、それに専念する......それだけを考えることにしている。 そこで、私がいつも心している(実行は...難しいことが多い)諺は、「早起きは三文の徳」というものである。 これは直訳すると、「朝早く起きると、三文ぐらいのわずかな金儲けはある」を英訳することになるので、こうなる。 Early risers gain three profits. だが、この「早起きは...」の諺は、要するに、「朝早く起きると健康に良い。だから仕事も利益もはかどる」と言いたいわけなので、The earlier you rise, the more profits you gain. ―と意訳できる。 普通の英語圏での表現は、The early bird catches the worm. (早起き鳥は虫を捕らえる。)となっている。 これ以外に、「早起き=健康」と考えると、こんな表現もある。 Early to bed and early to rise, makes a man healthy, wealthy, and wise. (早寝早起きは人を健康に、裕福に、そして賢明にする。) 私は、この Early to bed and early to rise という英語がいつも頭にあるくせに、なかなか実行できない。 人間、悪癖は身につきやすい。 一方で、習慣になっていることは、必ずやらないと気がすまない。 とりあえず、私の「1年の計」は、Early to bed and early to rise だけにしておかなければならない。これを1日1日実行することを目標にするに留めよう―というのが、my aim of achievement of 2007 (2007年の達成目標)なんである。(できるかぁ~?)
January 1, 2007
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