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読売新聞の今日の記事に、「古代エジプト初の女性ファラオのミイラ」という、興味深い内容が載っていた。 ―【カイロ=福島利之】エジプト考古庁は27日、1903年にエジプト南部ルクソールの「王家の谷」で、英国の考古学者ハワード・カーター氏らに発見された女性ミイラについて、古代エジプト第18王朝のハトシェプスト女王(在位紀元前1502年~同1482年)と特定した発表した。 ハトシェプスト女王はファラオ(王)を名乗った数少ない女性で、古代エジプトで最も権威を振るった女王として知られる。同庁のザヒ・ハワス長官は「ツタンカーメン王の墓が発見されて以来、最も重要な歴史的な発見」と話している。ー (読売新聞より一部引用) 私は、最近、旧約聖書の解説を少し読んでいる。 旧約聖書というのは、よく旅館やホテルに枕元に置いてある。 あれは、読んでいると、次々と人の名前が出てくるので、眠くなる効果のためなんじゃないか?と常々思っていた。 けれども、旧約聖書の創世記から登場する人々の話は、あれは、ユダヤ人の始祖の物語なのである。 笹川正博氏の『パレスチナ』によると、カイロ博物館の中に、世界最古の碑文が陳列されてあり、その内容は、エジプト第19王朝(BC1220)のファラオ(王)、メルネプタハによって書かれたものだということだ。 その碑文の内容はー 「イスラエルは壊滅し、もはやその子孫はいない」- こういうものだそうである。 今回のニュースのエジプト第18王朝の女性ファラオ、ハトシェプストの話を読み、「あの碑文を書いたファラオとほぼ同じ頃の人ではないか?」と思い出した。 でも、「イスラエルが滅んだ」と書いたのは、その次の王朝、第19王朝のメルネプタハなのであった。 この碑文が、「イスラエル」という語が世界史上初登場する、現存する唯一の最古の証拠品なのだそうである。 しかし、その碑文の「イスラエル」との名称は、現代の「イスラエル」とは異なり、BC13世紀頃、遊牧していた1部族の名称だと言うことだ。 BC13世紀頃のユダヤ人は、ヘブライ民族の父と崇められるアブラハムが自ら一族を率いて、カナン(現在のパレスチナ地方)に移住した後、飢餓・旱魃などのため、エジプトに移住したーそういう頃である。 この頃から、彼らは「イスラエル人」と呼ばれるように鳴ったそうである。 しかし、ナイル周辺で数百年間、生活を営んでいたものの、エジプト王朝に弾圧され、奴隷にされてしまう。 それが、ちょうど13世紀頃なので、ユダヤ人たちが、エジプトで迫害されたという話は、ハトシェプスト女王の後のことである訳なのだ。 女王に続く第19王朝のあくどいメルネプタハは、ユダヤ人(=イスラエル人)たちを奴隷化したことで、「よし!もうイスラエル人というのは、滅亡したに近い。これを後の世代にまで記録しておこう」と考えて、碑文を書かせたんだろう。 しかし、この後、有名なモーセの登場である。 モーセは旧約聖書の「出エジプト記」に、その活躍が記されている。 彼はBC13世紀、弾圧されていたイスラエルの諸部族を率いて、エジプトを脱出、民族解放を目指す。 エジプトから脱出するには、アラビア半島との間の海、紅海を渡り、シナイ半島へと向かわねばならない。 シナイ半島というのは、昔出版された(今ではもっと立派なカラー版になっている)『地球の歩き方』で、ちょこっと写真を見たが、本当に砂煙だらけの、無人の荒野。 モーセは、このシナイ半島を経て、かつて民族の始祖であったアブラハムたちが生活していたカナンの地へと戻ろうとするのだが、そこに至るまで、何と40年間もシナイ半島を放浪していたそうだ。 (どうして40年も......?お爺さんになっちゃうよね) そのうち、半島南部のシナイ山頂で、モーセは神のお告げを聞く。 これが、映画にもなった、モーセの「十戒(じっかい)」なんである。 よく、英米の映画では、聖書をテーマに映画が製作された。 特に、映画が発明された19世紀末から、20世紀後半の1970年代くらいまでは、よく聖書のエピソードが作品の中に盛り込まれた。 聖書、と聞くと、「何や、よう分からん」というオッサンみたいなボヤキが多い現代である。 それに、現代の日本では、聖書のエピソードを誤用したり曲解したりして、怪しげな経典を作り、不気味な宗教団体が暗躍している様相を見せている。 しかし、聖書というのは、まずは、ユダヤ人達の始祖たちの物語、そして民族としての精神的支柱である国家の建設ーという筋で進んでいく。 物語としても面白いし、戦後にイスラエル国家が誕生した由縁を知ることにもなる。 また、多くの詩や散文、書簡などもおさめられている。 だから、ひとつの文学作品として、聖書は読むことが充分可能なのだと思う。 私は信仰にまで至らないが、ひとつの立派な古典文学として、聖書は読み解かれるべきだと感じている。 エジプトのミイラから、エジプトとユダヤ人の古代の軋轢まで話が飛んでしまったが......(いやはや)
June 27, 2007
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ニュースによると、「1円携帯」が、そのうち店頭からなくなるそうだ。 私が「携帯電話」を初めて買ったのは、6年前の4月初旬。 「携帯は安く買える。場合によっては0円で買える」 そういう噂を耳にして、ダイエーで、vodafone (その頃は違う名称だった)の、すごくスリムで小さいのを、0円で買った。 「物が0円で買える」というのは、私には信じ難かった。 だから、携帯電話なんて、いい加減なものなんだろう、と思っていた。 大体、「どこで相手の声を聞くの?どこから相手に話しかけるの?どうやって電話をかけるの?」...... そういうことさえ、知らなかった。 でも、その後、「携帯というのは小さいのに超便利なものなのねぇ~」と、180度見方が変わってしまった。 だが、なぜ携帯電話は、その後も「激安!携帯販売店」などで、0円~1円!10円!などで売っているのか、よく分からなかった。 ニュースによると、こうである。 -携帯電話会社は、販売店が携帯電話本体を値引きできるように、販売店に対して「販売奨励金」を出しており、これによって「1円携帯」のような低価格販売が可能となっている。 そして、携帯電話会社は、通信料を割高に設定することによって、この販売奨励金のコストを回収している。 すなわち、「1円携帯」は、利用者が割高な通信料を払うことによって成り立っているのだ。ー そうかぁ。いくら1円で売っていたって、それじゃ、商売にならないもんね。 「安く購入して頂いた分、あとで高~く支払ってもらうでござんす」ってわけね。 まあ、vodafone 買った後も、0円だとは言っても、その後、事務手数料とかで、2300円くらいは支払ったし。 その後も月々、5000円はかかったし。 携帯というのは、小さくてコンパクト。 だが、小さくてコンパクトな反面、通話もメールも、インターネットでお買い物も出来ちゃう。 小さいくせに、超便利な物というのは、その分、高く高くつく仕組みになっているのだ。 以前は、ネット閲覧を携帯で楽しんでいたが、すぐに月額使用料が1万5千円などになってしまうのを知り、恐ろしくなった。 やっぱり、ネットはパソコンの画面で見るのがいい。 それにしても、「1円携帯」がなくなる目的は、携帯利用者に高額な使用料を支払わせないためだ、ということだが、そうなると、店頭での携帯の値段が上がる。 携帯の値段が上がると、お客は遠ざかる。 ......困るのは、販売店、ということになる。 携帯利用者は、現在、日本では確か8000万人とかで(多少数字が違うかも知れません、ハイ)、パソコン利用者の、確か4倍ほどの人口であるらしい。 携帯購入者の損失を補うために消える「1円携帯」。 一方で、購入者の減少を心配し、売上の損失に頭を抱える販売店。 どちらも、損をしたくない。 どうしたらいいんだろう。 悪循環である。 「いっそのこと、携帯がなくなればいいんじゃない?」 ......これが一番の解決法のように思える......が。 そうなると、携帯電話会社、販売店、利用客、すべてが「困る」ということにもなる。 ほんの10年ほど前は、「携帯」なんてなくても、生活できていたのにね。 街には公衆電話があって、テレフォンカードで pi.po.pa...... 電話なんて、それで良かったんだ。 でも、「カメラにも、ビデオにもなるし、ラジオもテレビもOK だし、撮った画像やビデオはメールに添付できるし、Web 閲覧もOK だし......」 こんなにまで発達した「携帯電話」は、もはやただの「電話」じゃないですね。 「携帯がなくっちゃ、生きていけない」という高校生・大学生も多い。 人間、小型で便利な発明品に弱い生き物なんですよね...... かくいう私も、そうですが。 (まあ、私は、携帯、なくても生きていけます。ただ、外出先で、自宅などに連絡入れる際に便利だってことは確か。それ以外の便利ツールがつくから、皆、携帯持ちたがるってわけか) 今、内戦、紛争に明け暮れる悲惨なイラクでも、中流以上の人々は携帯電話&パソコンを持っている。 これは、外出は危険極まりないので、社会の情報や、知人との連絡を取るために、そういった21世紀の文明の利器を用いざるを得ないからだそうだ。 「携帯がなくっちゃ、生きていけないのぉ~♪」という、大半の日本人とは、わけが違うんである。 要するに、イラクでは、携帯電話&パソコンが、「電気・ガス・水道」のような、ライフラインの役割を果たしているわけなのだ。 いつも死の危険に曝されているイラクでは。 それに比べると、日本は平和である。 この平和を、尊いものとし、戦争のない社会をありがたく思わなければならないと思う。 ちなみに、携帯にカメラを装備させて、利用しまくるのは、世界中でも、日本独特の現象?だそうですねぇ。 (かく言う私も、携帯のカメラは利用してます...)(汗)
June 23, 2007
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もう息子の期末考査の成績が返ってきた。 帰るなり一言。 「僕、美術は学年トップだった」 何とも嬉しい報告である。 美術に関する用語などの問題も全問正解、それに、時間内に、コカコーラの空き缶を、鉛筆でスケッチする課題があったが、それも1年生では最優秀だった。 点数は、85点で、空き缶デッサンも、BBBという評価がついている。 「なんでBBBなの?」 「これは、素人で、最高の出来の場合。プロならAAAがつくんだって。だから、85点というのは、素人では100点ということなんだよ」 他にも、理科が返されたが、得意な筈の理科は、59点で、息子が言っていたように、ホントに「中の中」だ。 私は、各科目が、全部80点以上じゃなくてもいい。 というのも、私自身が、科目の好き嫌いが激しくって、英語や国語、社会は、まあ80点以上、他の理数系は、軒並み50点......取れるか取れないか?というくらい、お粗末だったからなんである。(汗...) だから、自分の子にも、パーフェクトを求めはしない。 ただ、英語は息子自身、得意であるから、試験前のコーチ?は、かなり必死だった。 英語は、彼は、読みと発音は「とても良い」と言われるのだが、綴りがまったく自信が無かったからだ。 まだ、ローマ字綴りと英語の単語との区別が曖昧。 me を mi と書くし、nice を naisu と書いてしまう。 そして、英語の試験日、帰ってくると...... 「英語はさ、英語の文を日本語に直しなさいっていう問題はできたけど、その逆が駄目だった」 「あれ~そうなの......」 「まっ!50点位かな」 英語は本人も好きだし、点数にこだわらないのが建て前の私だが、せめて80点位は......と期待してしまう。 大体、親の私が英語好きなので、そう期待するのかも知れない。だが、「今度は80点は、ね!」なんて言わないようにしている。 何事も、プレッシャーは、子供に良くない。そう自分を戒めている。 それにしても、美術が「学年トップ」というのは、やっぱり嬉しいニュースであった。 先生が、昨日の午後、教室に来て、「●●君、おる?」と息子を呼んだ。 息子が「ハイ」と返事をすると、「あ、●●君、キミが美術で学年でトップや。2位は、○○さん」と先生が報告。 周りのクラスメートは、「すっげぇ」とボソボソ。 でも、中には中傷的に、「●●って、絵だけやんな」などと言う子も何人かいたそうだ。 それで、息子も「僕は、絵だけしかできないんだから」などと、私に言う。 「そうじゃなくて、『僕は、絵が得意なんだ』というふうに、考えた方がいいんだよ。せっかく立派な成績なのに」 そう、私は言った。 日本の子供たちは、クラスメートが学業などで、良い成績を修めると、影でひそひそ噂話をする傾向が強いと思う。 いつだったか、イギリスの小学校5年生のクラスで、ある科目でトップを取った子の名前が、皆の前で公表された。 すると、子供たちは、いっせいに、その子に向かって、微笑みながら、拍手をした。 -そういう場面を、昔、テレビで見たことがある(映画じゃなくて)。 日本の子供たちも、お互い、傷つけあうことばかりに快感を覚えるのは止めて、イギリスの子供たちのように、暖かい心で、友達を思いやるようには、できないのだろうか。
June 22, 2007
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明日から中1の息子の初の期末考査。 「教科書はどこに行ったの?あれ、明日のテストの時間割がないない~」 まったくの大混乱で、息子は鞄や本棚を探しまくり、ファイルや教科書を開いて、溜息。 「ねえ、100点じゃなくてもいいでしょ?」(それはエリートの言う言葉だよ?) 「もちろん、いいよ。中の上なら」 「その、中の上が......中ぐらいか、中の下......かも」 「いいから、いいから。怒らないから。でも、得意な科目は、やっぱり、成績に結びつくんだもの。少しはいい点、取りたくない?70点以上はさ」 息子の「これはいけるよ」という英語でも、「発音と文字がきれい」と言われてはいるそうだが、実際、「書く」となると、綴りが曖昧である。 「なんで『ホワット』の綴りがwhat なんだよ~なんで、『ライト』の綴りが right なの?何で、w や g が入るのさ、ここに!」 「え~だって、英語ってのは、そういうものなのよ」 「誰が決めたんだよ!」 「アングロ・サクソン族」 「ウソ!ホント?」 ......という調子で、先日も、いきなり、CD の単語の書き取りがテストされて、10点中、1点というお見事な成績を取った。(汗) 最初は、80点!70点は取る!と頑張っていたのだが、肝心の先生が、「中学生の最初の時期は、あまり教科書の内容が頭に入らない時期なんでね」と生徒たちに言ったそうだ。 それからは、「先生がああ言っているんだもん、そんなにテスト、できなくてもいいんだよ」...... テスト1週間前は、クラブもなし、テスト勉強のために、3時には帰ってくるのに、「休憩してから」と言っては、DS で遊んでいる。 私はどうしても教育ママゴンになり切れないので、「ほらほら、勉強しなさい」とせかすことは嫌なんである。 一応、中学での勉強は、「教科書で読んだ内容は、大事な箇所にマーカーを引く。それから、自分の言葉で、試験ノートに分かりやすくまとめる。そうしないと、頭に入らないよ」ーという風に、アドバイスをした。 最初は、「旧石器時代、新石器時代、古代文明」の辺りまで、アドバイスに従って、ノートにまとめてはいた。 でも、先生が、「今の時期は、頭に知識が入らない」なんて言うものだから、緊張感が薄れたようで、それからは、まとめのノートを放棄してしまった。 それで、期末考査で、中の下...? そういう成績であっても、私は焦りはしない。 夏休みに、復習をすればいいことなんである。 でも、12歳~13歳の時期、「知識が頭に入らない」というのは、何だかおかしくないだろうか? この10代の最初は、一番、語彙力や、知識が吸収される時期だというのに...... 最近の中学教育は、いったいどうなっているのでしょうかねえ......
June 18, 2007
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うちの息子は、まだ12歳とやっと5ヶ月なのだが、友だちからの口コミ、またはネットなどから、性的言葉に関心や疑問を抱くようになってきた。 ネットなどで、「ドラクエ(ドラゴンクエスト)掲示板」とか、「メトロイド・プライムハンターズ裏技掲示板」などをよく検索して、こまめに裏技などをメモっている。 その手のゲーム関係の掲示板に、「裏技詳細情報!完全攻略」とか、「世界から!」などと書いてあるそうだ。 当然、息子は裏技を知りたいし、「世界から!」とあるのは、きっと、「世界中のハンターが集まっているのかな」と思い、クリックしてしまう。 そうすると、それは罠なのだった。 息子の目の前には、ババ~ンと、「青少年育成に悪影響な」、いわゆる「18禁アダルトサイト」が広がる仕組みとなっている。 子供たちは、こういうのを「エロサイト」とか呼んでいて、息子は「ワッ!気持ち悪い」と、すぐその画面を消してしまう。 後で、「ねえ、ゲームの検索してたらさ、必ずエロサイトなんだよ。しかも、動画が出てきてさ」と私に報告する。 「やだね。情緒育成に良くないね」 「何?情緒育成って」 「ン~、年齢に見合った健全な心を育てる、と言うことよ」と答える私。 友だちでも、そういうサイトや、話題に関心を持つ子が増え、先生のいない所などや、遊びに来た時に、その手の話をするようになってきたようだ。 この頃の学校では、「性教育」が盛んなので、「保健」の教科書などには、図解入りで、男子と女子の体の仕組みを詳しく説明してある。 そして、どうしたら、胎児が子宮に宿るのか。 そのプロセスは、もう小学校の時から教わっている。 ただし、「男性の精子と、女性の卵子が合体して、胎児となるのだ」という知識までである。 中学になると、周囲の子供たちが、「sex」という言葉を覚え、何かと「なぁ、sex......知ってるやろ?」などと息子に話しかける。 息子は、常々、「なぜ精子と卵子が合体するのか。どうやって合体するのか」と疑問視していた。 私に直接訊いたりしてくるので、冷や汗もんである。 「さ~あね。よく、分かんないよ」 「知ってるんでしょ。幼いと思って、言わないんでしょ」 「そーじゃなくって、ホントに知らないの」 ......と受け流していた。 でも、先日の、5月の終わり、2泊3日で、中学に入って、初めての「転地学習」(プレ・修学旅行)があった。 その時、同室になった子で、体も背も大きく、早熟な子がいた。 その子が、夜になると、ひそひそと、「sex」について、事細かに話し始める。 息子を始め、周囲の子は、「お前、そんなん、変態や」「頭がエロだらけなんちゃうん」と非難したが、そのおませな子は、sex の実態を、同室の子に伝授したそうだ。 帰宅した息子は、私に、さりげなく言った。 「ねえ、●●君がね、夜、sex の話を全部したよ。もう、分かっちゃった。どういうことなのか」 私はびっくりしたが、冷静に、「ふ~ん......で、話聞いて、どう感じたの?」と訊いた。 「いやもう、何だか気持ち悪いよ」 ......これで、その話は済んだ。 12歳になって、声変わりはまだだが、男の子として、思春期の体の変化を知った息子である。 心も体も大人に近づいている。 ......とは言っても、知識として、いきなり「sex とはどういうものか」を知るというのは、早過ぎる気がする。 私としては、大人の準備を体が始めるとともに、心は心で、異性への憧れ、恋愛感情などが芽生え、愛する人を見つけ、そして真に心と体の結びつきというプロセスを体験して欲しいと思っていた。 まだ、息子は、女の子たちを「話したくない。気持ち悪い」と感じているほどである。 それなのに、耳学問やおませな知識として、いきなり、sex の真相を頭の中に叩き込まれる、というのは、何だか機械的で、即物的過ぎる。 どうか、12歳のこの早熟な知識は、頭の片隅にしまっておいて、15~17歳になって、異性を慕う気持ちをまず知って欲しいと願っている。
June 4, 2007
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私はこの2~3月、自作の小説のために、オリジナルイラストを数枚、手がけて、HP に掲載した。 中には、もう少し、修正したい部分もある。 それらを、小説の場面(各章)ごとに掲載してみたのだったが、ある日、ちょっと確認してみると、掲載したはずの、自分のイラストが消えている! これは不思議だ。 楽天の事務局側で、それらを「HP作成者が描いたものではなく、他の人が描いたイラストを掲載した」と思い、著作権などの問題で削除されたのだろうか。 息子に言わせると、「削除されたってことは、そのイラストの出来栄えがよっぽど良くて、プロの作品だと思われた、ってことじゃないの?それなら、名誉だよね」 そう考えると、名誉ではあるが...... イラストレーターとしての活動もまだヒヨコの私には、やはり名誉ではある。 でも、自分の作品が削除されると、何やらがっかりするような、複雑な心境なんである。
June 1, 2007
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