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August 1, 2014
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昨年の7月中旬から、GREEにハマッてしまった。だから、この6年間、ずうっと楽天ブログを続けてきたのに、季節が変わってもそのまま放置になっている。パソコンで親しんできて、小説も書いていた自分には、その状態は寂しくもある。けれども、GREEというのは、不思議なSNSで、本当に心から信頼出来る友人ができる。この人達がいなくなったら、とても悲しむんじゃないか...というほど。日記やひとことに対するコメントも頻繁にあり、また自分の分身であるアバターが充実している。アバターのデザインは、ネットが当たり前になった現代では、GREEが最高に美しく魅力的だと感じる。また、イラストコミュニティもあり、そこに自分のイラストを投稿し、イラスト友達も増えた。楽天ブログも自分の歴史で、とても大切なのだが、今はGREE一筋なのである。
March 29, 2013
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夜中、パソコンに向かうと息子が起きるし、3dsでのネットはモデムと接続が午前0時には切れる。 仕方ないから、ちょこちょこと携帯で、気になることを検索したりする。そうしたら、何か質問サイトが見つかった。 私は、4年前の心霊現象を綴ることに対し、その事件を忘れた息子が「こんなの書いて、狂気じみてる」と言われて気にかかっていた。それで、その質問サイトに記入した。 「私の家では4年前、想像を絶する規模の超常現象が起きました。それをブログに書いてますが、そのブログを見た息子が、『狂気じみている』と言います。人により受け止め方は異なると思いますが、超常現象体験を書くことは、一般的に、そんなに『狂気じみている』ものでしょうか?」 そうすると、ほんの10~20分程度で、20件ほどの回答が寄せられた。 いずれも「そんな体験、貴女の頭がどうかしてるよ」みたいな否定的なものではなかった。 むしろ、「本当にそんなことが起こるのですか?」と信じられないけれど確かめたい疑問や、 「私も旦那も、私の妹夫婦も、貴女の体験を信じますよ。私の家も、10年間、ずっとそうでしたから......」という実体験の人の回答、 「こうした経験は、僕を含めてですが、少数派ながらごく稀にあります。生来、霊感を備えて生まれて来る人が、何らかの精神的負荷=ストレスを受け、それが長引くと、潜在的能力が覚醒し、(その能力が)暴走すると、お宅のような酷い現象となりますので」という、やはり実体験派の詳細な解説や、 「そういうのあるある。うちもそうやったし、友達んちもずっとそう」と、これも肯定派の意見が相次いだ。 これらの人々のおかげで、やっぱり体験談を書くことは異常なことではないのだ、と少し安心した。 そして、その質問コーナーは「心霊現象」に関する質問サイトかと思っていたが、少しして、有名なgree が提供する『グリキュー』という質問サイトだと気がついた。 ちょうど、『教えて!goo』や、『yahoo!知恵袋』みたいな役割。 それで、今は、最初に「私も10年間、そうだった」という女性と、そのサイト内でメール交換をほぼ毎日している。 携帯からだと割高なので、パソコン版gree でメール。 別に超常体験ばかりを話してるんじゃなくて、好きなものが、映画、少女漫画と海外情報、英語と趣味が似通っているので、その話である。 でも、時折、超常体験の話になる。 彼女は、今でも「あちら側の人が見えてしまう」と言う。 よく海外旅行をするが、ホテルでもどこでも。あらゆる心霊現象と出くわすが、「もう仕方ない、お互い共存してるんだから」と考えるようにして、怖がらないようにしているそうだ。 gree が縁で、こういう人とonline で話をするのはとても頼もしく、楽しい。 最近は、パソコンよりも携帯、携帯よりもスマホ、tablet と、移動しながらネットをする人が増えている。だから、gree などが人気なんだと思う。 でも、ゲームはgree ではダメだな、と感じている。 お金がかかるし、キャラクターや内容も、ちゃんとしたPSP, 3ds 用の、モンハンやポケモンの方がリアリティがある。 それに、グリキューにしても、少し2ちゃんねるみたいに荒れている場合が質問内容によってはある。 「馬鹿な質問」のことを「糞スレ」などと言ったり、アスキーアートで回答欄を埋めたりする輩もいる。 それでも、真面目な質問に対する回答の専門度の高さに驚かされる場合もある。ヒトラーに関する知識、西洋史に関する知識、医学的な知識が豊富な人も多い。 持ち歩くSNS GREE と言った所かも知れない。 楽天ブログにも、Q&A コーナーがあればいいなと思う。
August 8, 2012
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久しぶりにブログやメールなんて覗くと、仕様が変わっていて、以前決めた(登録した)パスワードやIDが無効になっていたりする。 ネットで物を書くことが、かなり気分転換になっていた私には、こういうことがパッパと進まないと、結構ストレスが溜まる。 昨年12月21日頃から眼精疲労がぶり返し、今年2月からは咳が出るようになったので、山下り&山登りは止めて、Walking は近くのショッピングセンターまでになっていることが多い。(しかしダイエットのリバウンドは無い) 家事ばかりやっていると、自分の存在感が薄れるので、文章を書くなり、絵を描くなりしたいのだが、目や咳が辛いと、家事だけはやらないと...となって、結局成長期の息子のお食事作りで精一杯になってしまう。 母が4月から実家に戻って以来、胸水が溜まったため4月~5月の1か月入院、やれやれと思うと、次は約2週間半後に、実家での転倒事故により左大腿骨を骨折してまた入院、手術となっている。 もう手術して2週間経つが、そうしたことへの心配や不安が募って、私の体調がすぐれない。すると息子も敏感に反応して、心が落ち着かない。それが彼の体調にも表れる。 去年10月に、有名な細木数子の占い本を買ってみた。なぜかと言うと、この占いによると、私は2012年は、12年に一度しかない強運の年であり、何事もうまくいき、それまでの努力は報われる、と書いてあったからである。 悪いことが書いてあるなら、占い本は買わないが、お守りみたいな気分で買った。 しかし、体調や家族間のトラブル、母の入院となると、もういつの間にか細木数子はどうでもよくなっていた。 それにしてもどうして占いに人は惹かれてしまうんだろうか。 「細木数子はどーでもいい」と思っても、携帯の「今日の運勢」は見てしまう。 私が感ずるに、占いは信じるほどのことでもないが、良いことが書かれてあれば、「きっと良い方向に向かうはず」と思うことによって、自分の潜在意識もプラスの方向に向かう。 それにより、気分が前向きになる。そのように活用すれば、占いというものも存在価値があるんじゃないだろうか。
June 26, 2012
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Hyotan Onsen outdoor bath / EverJean/ 12月20日頃から眼精疲労になり、PCを見るのがつらくなった。年が明けて、1月25日ごろから咳が出るようになった。 それで、このブログもご無沙汰で、エッセイやら小説も書いていない。 小説については、書き始めて今年で7年目なのだが、昨年2月末以降、書いていない。(息子の入院などが原因だったと思う。) あれこれ放置してきたのだが、今年も頑張って?このブログを続けていきたい。(ニュースでは「iPad の時代到来、PCはもう不要」なんて言われているが...) よく地元の温泉に出かけるようになって、昨日で14回目だったか、会員カードのポイントも760ポイント貯まっていた。 こんな近くに有馬温泉直結の天然温泉があるなんて、もっと以前から知っていたかった。1回700円で何時間でも入っていていいのである。 私は温泉の醍醐味を知らなかったが、息子によると、源泉がいいのだそうだ。いわゆる露天風呂。 そこの露天風呂は茶色で、いかにも自然、体に良さそう。 温泉に入るには、まずかけ湯をして、ゆっくりと体を沈め、その温度に慣れる必要がある。 最初は室内浴槽だけでいい、と思っていたが、息子は「天然風呂、露天風呂入らないと700円分の価値がない」と言う。 寒いなーと思いつつ、外に出ると、癒しのジェットバスまであって、マッサージ効果。 露天風呂に入ると、よく鼻水が出るし、トイレに行きたくなる。 息子によると、「源泉の成分が体の老廃物を排出しようとしているから」とやたら詳しい。 時々、狭い源泉に、女性グループが独占して、人の悪口や噂で盛り上がり、入れない...という時がある。 温泉で人の悪口を言ったり、子供連れで、子供に宿題を解かせたりする人が多いけれど、あれだと温泉に来た意味がないのではーと思う。 そういう行為は、聞いていると自律神経が乱れる。 悪口を言ったり、宿題を解く者にとっても、交感神経が過剰に刺激されてしまう。 温泉は、あくまでもゆったりと入り、副交感神経を高めて血流を促し、全身状態を良くするという自然治癒の目的が大だからである。(これも息子の受け売りなのだが...) 今、体重は身長に対して非常に安定し、理想を保っている。コレステロールも中性脂肪も平常になった。 それでも、温泉の後、体重を計ると2キロは減る。 「温泉で細胞が若返るし、体重が減るぐらいだから、水分補給が大事。水分を1日1リットル取らないと、血流が悪くなるし、老化が早まる」 と息子は教えてくれる。 昨年の10月18日から始まった温泉通いを、今年も歩くことと並行して続けていこうと思う。
March 16, 2012
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【12月16日頃出荷予定分】【Joshinは平成20/22年度製品安全対策優良企業 連続受賞・プライバシ...価格:5,180円(税込、送料込)12月10日ではもう売り切れ!次はJoshin で5180円(ネット価格)で16日に出荷されるそうです。Joshin が安いかも、とこのバナーを貼りました。12月10日は『モンスターハンターTRIG』新作発売予定日だった。 これは売り切れ続出が予測できたので、10月中旬に Joshin で予約をしておいた。予約をしないと、売り切れた後にネットで買おうとしても、2万円以上は行くだろうと思われたからだった。 そして10日今日、田舎であるがJR 駅前にある、かの家電量販店 Joshin に予約票とポイントカードを持って買いに行った。さぞかし店内は混んでいるだろうと思いきや、歳末バーゲンの家電を買う人こそ多いが、ゲーム関係は客が少ない。 時間帯は午後4時台だったせいもあるかも。きっと午前中は人が殺到したのだろう。 「予約をしておけば、発売当日は割引がきく」と店員さんに説明を聞いていたので、幾らくらいになるんだろうと、5000円は握りしめて出かけた。 ついに新作を手に取り、レジに持っていくと意外な展開が待ち受けていた。 「あのぉ、6673ポイント現在貯まっておられますが、ポイント、お使いになられますか?」 そう言われて、「いいえ、現金で支払います」なんて...... 言うはずがない。 当然、「えっ?あっ!ハイ、ポイント使いますっ」となるのだ。 家電なんて、滅多に買わないし、去年冷蔵庫とクーラーを買い替え、一昨年は壊れたパソコンのために、新しくデスクトップを買った。 その都度、ボンボンポイントが貯まっていったんだろう。 「うわ~、レアなゲームの新作をポイント交換で手に入れたあ~」 普段は「ポイントカードなんてさ、何年かして、やっと500円引き、程度じゃん。まあ、持ってないよかマシかもね」という感覚でしかなかった。 このゲームソフトは、税込価格4930円(発売当日、予約限定価格)なのだが、ポイントとの交換で、残りはまだ1743ポイントあった。 そこで、今回のモンハン3G を3DS でやるための、拡張スライドパット1480円も、ポイント引き換えで現金要らずとなった。 拡張スライドパットがあると操作がしやすく、3DS を持ち易いからである。(この周辺機器は、発売日数か月前は、「誰が今更こんなスズリみたいな不細工なのつけて、3DS でモンハンするかぁ」と相当こきおろされていたものであったが......) こんなにポイントカードというものに有難味をしみじみと感じたのは生まれて初めてであった。ポイントってありがたいなあ...... ちなみに下の写真は、モンハンファン御用達のシールをつけた、我が家の「あっぱれモンハン3DS」でございます。
December 11, 2011
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今までオークション出品を4回やって、1回は入札者がいないまま10日以上過ぎたので、出品取り消し。楽天profileにも書いた?けれど、一番売れたのは中古のPSPぐらいだった。 いろいろ家には掘り出し物があるのだが、オークションではなかなか高い値で落札できない。2000円か3800円がいいところだ。 それで、何がどんな相場で売れるのか、aucfan というサイトを見つけて調べることになった。 http://aucfan.com/ それまで「オークションって難しそう」と思っていた自分からすれば、aucfan にまで行き着いたというのは、大きな進歩じゃないだろか。 aucfanというのは、「デジカメだから結構売れるぞ」なんて思っていても、案外2000円台にしかならない、という過酷な現実を教えてくれる親切なサイトである。 逆によく売れるのが、アクセサリーとか時計だったり、人気芸能人のDVD であることも教えてくれる。 案外オークションの達人といわれる御仁は、もう自営業並みのプロで、月収100万円なんてザラとなるためには、それなりにお勉強が必要だ、ということも分かるサイトである。 まだヒヨコの私は、そんな人の後光を仰ぎ見ながら、CD-ROM付の『HP作成入門』なんて売れるだろうか、去年買って少ししか使っていないデジタルビデオカメラが売れるだろうか、なんて迷っている。 案外、相場をいろいろ検索すると、中古商品でもオークションでは売れるんだそうだ。(2003年版のWORDとか...) ということで、「今!オークションに出品するだけでポイント山分け!」というバナーをご紹介しておきます。 オークションでひと稼ぎ?したい私もあなたも皆でクリックしてみて下さい!
December 9, 2011
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アフィリエイトに以前(5~6年前)はまっていたが、誰もクリックした形跡がなく、そのうち「アフィリエイト戦法の情報集めなんて、つまらんことに精出していたな」と自分でも呆れている。 それより、最近は楽天オークションがいいんじゃない?と思っている。 どうかすると、1万7800円(中古PSPの場合)に落札されたり、ちょっとしたソフトが4000円近くで売れたりするのだから。 しかし、楽天アフィリエイトというのを見てみたくなって、調べると、こちらは成果報酬でなくて、クリックで楽天ポイント(お買いものポイント)が貯まるという形式。 じかに収入にならなくても、ネットでどうしても買い物をする必要性が生じた時、ポイントは貯まっていた方が安く買えるわけである。 それで、早速バナーを貼ってみた。 これでも、クリスマスカードのバナーのつもりだったのだが、初心者につきものの失敗で、「お買い物は楽天で!」のバナーになぜかなってしまった、というオチ。
December 8, 2011
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何となくアフィリエイトが気になって、登録してみた。 最初はこんな感じですね。報酬として、現金でなく楽天ポイントが貯まるということ。 こういうのも、アフィリエイトというのだろうな。 最近は、出版社との交渉で、原稿を推敲するのに疲れています。
December 8, 2011
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息子を朝、学校に送り出した後、母が実家に帰っているこの頃は家に独りである。 以前は家にいるのが基本的に好きだった、というか、外出はさぼりがちで、家事の合間に翻訳やらブログやら小説を書いていた。 9月7日から朝食を抜いてお茶だけにして、1日2食となってからは、外出が楽しくなった。 体が軽くなっていくし、膝も痛くなくなったし、歩いても疲れたりしないからだ。息子が9月いっぱい秋休みで、よく一緒に外出した。 10月以降、多い時はひと月、母が実家に帰り父の世話をするようになると、息子と二人だけの生活となった。 息子との外出は土日祝日だけである。それでも、11月末までその週末に、よく二人で近くの温泉まで山を下って行き、片道3.5キロ、往復7キロをよく歩いた。 彼が学校に行く日は家に独りとなるが、買い物がある場合、お買いものセンターまで以前はバスを使っていたのを、最近は余裕で片道2.6キロ歩く。 荷物が重いと、帰りはお買いものバスを使うのだが、この外出から帰宅する時、家に家族がいないと「怖いなあ」と感じてしまう。 外を歩くのは、気持ちがすがすがしい。 でも、時間が夕方4時半から5時頃になると、帰る頃は真っ暗になる。これで、家に帰ったら...なんて思う。 なぜかというと、以前、「家に帰って真っ暗なのは嫌だから、リビングだけの灯りはつけておこう」と思い、独りで午後の3時半頃出かけた。 一旦外に出て、サンダルだったので、「歩きやすい靴を履かないと」と思い、すぐにドアを開けて、靴に履き替えた。 その時、土間の灯りは消して、「リビングだけがついているな」と確認した。 それで、帰ってくると、土間の灯りがついていた、ということが最近あった。 これが怖いのである。 買い物は仕方なく出かけるが、それ以降、昼間の外出でも、土間の灯りをつけたまま出かける。 すると、帰ってきても特に変化なしである。 こういうことがあると、「独り暮らしは気ままでいい」という人も多いが、何も起きない人がうらやましい。 年取って、独り暮らしは、私には「寂しい」以上に、「怖い」だろうな...なんて今から考えてしまう。
December 8, 2011
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11月30日に「楽天プロフィールを作ってポイント貯めよう!」というのを見つけたので、ポイント貯まるんなら、と作ってみた。 ブログとは違って簡単な設定で、昔この楽天ブログが「楽天ホームページ」だった時に、あれこれとHTML を勉強して、デザインをカスタマイズするなどの苦労が嘘のよう。 もうHP なんて古いのかも。もう7年くらい前に、この楽天のサービスで、初めてHP 作成に挑んだのが遠い昔みたいだ。 楽天プロフィールはデザインも綺麗だし、twitter みたいに気軽で楽に更新できる。 新鮮なので、時々使う。 ただ、このブログの「自己紹介」部分が消えてしまったのが謎なのだが...
December 1, 2011
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久しぶりに楽天ブログを見たら、「楽天プロフィール」というのがあった。 新し物好きの私は、せっせとプロフィール作成にいそしんだ。一応ページが出来上がった。 「つぶやく」コーナーがトップにあるということは、これはパソコン用twitter なんだと気がついた。 面白いから次々とつぶやいてみた。 私は文章を書くと長く、長~くなるので、たまにはこういう「つぶやき」で息抜きするのもいいのかもしれない。 twitter にしては、かつてのホームページ作成のようにテンプレートが充実して綺麗だ。 あれこれこのブログの日記を更新しようと思っていたのだが、あっと言う間に11月が終わりになろうとしている。 ダイエットのこと、温泉のこと、自費出版のこと、小説のこと、オークションのこと、猫のことなど、10~11月は書くべき内容がいっぱいだった。 12月でもいいか。また、書こう。もう朝じゃないか。 もう寝ようっと。
November 30, 2011
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昨日から後期が始まり、「行ってきまーす」と出かけた息子は、夜7時半頃帰宅した。 何か印象が違う。あっそうか。 「散髪してきた?」 「うん」 なんとなく嬉しそうにさっぱりした表情で言う。 今まで髪が伸びていたので、よく他人からジロジロ見られた。なんで視線を浴びるのか、と本人がその相手を見ると、「えっ男の子?」などと言われたそうだ。 入院中でも、おじいさんがニコニコしてそばに寄ってくる。息子が声変わりした声で、「あ、何でしょうか」と言う。 おじいさんは、どきっとのけぞり、「なんや、男かいな」 息子は苦笑いして、「はぁ、男です」 任天堂の3DSでも、画像認証で「若い女性」と表示が出てしまう。 体は華奢で、体育会系の「おとこっ!」というフトミがイマイチない。でも、なよなよしている訳じゃない。 ちょっと、中性的な顔立ちのせいなのだろうか。 中性的というと、チャン・グンソクを連想するが、あれほどでもない。チャン君よりは、ずっと男らしいのだ。 でも、タイプとしては「中性的」の中に入ってしまうのかもしれない。女子と間違われるほどだからなあ。 そういう息子もあと3か月で花の17歳になる。 14歳の頃、高校の面接模擬試験でAをとった時、フリースクールの先生から「君は、不思議な魅力を持っているからなあ。いいもんも、悪いもんも近寄ってくるから、気ぃつけな、あかん」などと言われたそうである。 何かムードみたいなものが、彼にはあるのだろうか。 息子自身、いわゆる「草食系」でもなく、「肉食系」でもない。女の子に「恐くって話できない」という消極性はない。 なんとなく、気が合ったら女子でも話す、という性質なので、つい最近出てきた「魚食系」あたりか。 「実際、魚ばっか、食ってるもんなぁ」と笑っている。 そんな春まっさかりの16歳が、新学期、以前の彼女が離れて行って久しい中、たまたま寄った保健室で先生と話している時、「すんごい可愛い子」と知り合った、と天にも舞い上がるようにホクホクして報告してきた。 「その女の子、同い年?どこか悪いの?」 「そりゃ、具合悪いから保健室来たんじゃないか」 「ふ~ん。可愛いの?」 すると、息子は頭を縦にぶんぶん振った。 「も、すっごい。ちょ、ヤバッスって感じの!」 「うわ~じゃ、AKBみたいなの?」 「そうそう!AKB のフィギュアみたいなのが、もっと人間的になったみたいなの!」 「ひゃー良かったね!」 「あの学校、すっごい可愛い子か、その逆かに分かれてて、極端すぎる。元気で病気知らずって女子は、悪いけど、可愛くないのが多いもんな」 「じゃ、保健室行くのが楽しみになったんじゃないの?保健室って、穴場か!」 「だよ!どっか弱い子って、真面目な人多いもんね。休みがちだから、単位のこと心配したりして。だから、僕、2か月入院したから、前期、単位パーになったって笑って話したら、その子も安心して笑ってたから」 「よく、そういう可愛い子と仲良くなるのがうまいなあ」 「へへ~、で、その子、笑顔がすごい可愛い!」 青春男子の初々しい頬は、もう真っ赤である。 「じゃ、保健室のこと、考えると、学校行くパワーがチャージマックスになるんじゃん」 「そうそうそう!だから毎日、行く!」 自分の子供でありながら、こういう好感の持てる男の子と話ができた、その女の子が少しうらやましい。 私が16の時は、今より男子は粗暴で不潔だった。だから、「男子なんて話したくない」と思い、女子大に進学してしまった。まったく男の子に興味がなかったわけでもないが、好きになれる相手がいなかったんである。 息子を見ながら、「もう一度高校時代に戻って、青春したいなあ」などと感慨にふけっている。
October 6, 2011
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私は、30代の後半から病気ばかりしており、病院と縁が切れなかった。 特に、夏から秋にかけて、必ず風邪を引く。その後は、必ず咳が長引き、微熱が下がらず、耳下腺炎が痛い。 息子が5月から6月、入院した際は、見舞いのために毎日通ううち、両足の膝関節が大きく腫れ、立ったり座ったりが痛くて大変だった。 お風呂に入るにも、「痛い~」というほどで、湿布を毎晩貼りまくっていた。 だが、息子が8月の下旬、たまたま睡眠不足で昼過ぎに起き、その日は昼と夕食だけとなった時があった。 すると、息子は翌朝、「よく寝れた。体が軽い」と気持ちよく起きてきた。 「僕、もう朝ごはん、食べないよ」 最初は、そんなでいいのか、朝食は睡眠と同じぐらい生活の基本じゃないのか、痩せてしまい、体力も落ちるんじゃないかと心配した。 だが、息子はネットで「朝食」で検索し、人間の食事習慣に関する基本を見事に身に付けてしまった。 従来、人は1日2食で良い。1日3食となったのは、明治維新以降で、特に戦後、食生活が日本の歴史始まって以来、豊かになってしまった。 特に日本人が好んで口にするのは、脂っこい洋食である。若者が大好きなのは、肉であり、ジャンクフードであり、炭酸飲料である。 夕食を7時にとったとして、それがあっさりした魚中心の和食でも、人間の内臓はそれらを消化するのに最低15時間~18時間かかるのだ。 だから、朝食を翌朝の8時にとったりしたら、まだ内臓は消化の真っ最中で、消化活動に一日中追われることになり、腎臓や消化器官はくたくたになってしまう。 そこで、朝は水分だけにして、内臓を休めてあげないといけない。そして、昼の12時か1時頃食べると、人間本来の食生活のリズムが整い、免疫力、自然治癒力が高まってくる、というメカニズムなのだそうだ。 息子はこの「一日2食健康法」を日々実践し、病院からは胃腸を整える漢方薬とビオフェルミンだけを飲んで、8月、9月、そして10月と、大腸の調子はすこぶる快適である。 9月の終わりに、大学病院で、S字結腸までカメラを入れて撮影した(調子がいいので、大腸の奥まで入れなかったのである)ところ、3月から主治医になった『おひさま』の主人公そっくりの女医先生が、「よかったですね~」とにこにこ顔。 「すごく腸の粘膜きれいですよぉ。3月の時は、潰瘍がひどくって、炎症で奥まで黄色く腫れていたのにねえ、もうどっこも悪くありませんもんねぇ、このまま、漢方薬だけでいいですよ」 これで、最初は「そんな無茶な」と思えた健康法が、功を奏したことが証明された。 「あのさ、朝食を英語でbreakfast って言うけど、あれは、『断食(fast)』を『断つ(break)』ことに由来してるわけだよ。昔は、朝断食、つまり朝食をとらず、畑仕事に出て、お昼にその日の最初の食事をとる=breakfast が普通だったんだ。だから、人間一日2食でいいわけ」 「でも朝起きて、畑仕事とか労働しないじゃない」 「それでも、買い物行ったり学校行ったりはするじゃん。何もしないで家でゴロゴロしてる時もあるよ。それならなおさら、朝食は体にすっごい負担をかけてることになる」 「そういうものかなあ」 ...などと押し問答にもなったのだが... 今では、難病と診断されたことが嘘のようである。 もちろん、現在でも脂っこいものは極力控えてはいるが、昼と夜と、魚中心の和食、あとはプロテインで十分元気であり、「体の調子が、だるくもなくなったし、疲れもないし、これからはバイトをしたい。学校の勉強も頑張りたい」と言い出した。 私も、彼にならって、「免疫不全の難病が治癒に近い状態にまで維持できるのなら」と、9月7日から、朝食は野菜ジュースだけにし、昼食、夕食は腹8分目にしていった。 2週間半経ったころ、買い物に外を歩いていても、膝が痛くない。いつもこの頃にひく風邪も引かない。試しに体重を計ってみて驚いた。 今まで、ダイエットクッションやら、ダイエットウエストベルトやら買っては一向に減らなかった体重が、7キロもダウンしていたではないか。 うれしくなったので、それからは朝は麦茶だけにしてみた。翌週、体重は更に1.5キロダウンした。 今の所、そこで留まっているが、以前と比較して、買い物バスを使わずにショッピングセンターまで歩いても、まったく疲れない。 5分歩いたかな、と思って時計を見ると、15分も歩いている。距離は、1.5km である。 朝食をとっていた時は、歩くには膝は痛いし、漠然と体はだるいし、坂道はきつかった。それが、今はどうも無いのである。 毎晩、すさまじかったイビキも治った。 ぽっちゃり系からスリムになり、20代の女性が出入りする小物店に入っても、息子の目には「違和感がなくなった」と映るまでになった。 私がスリムで、風邪を引かず、歩くのが快適になったのもうれしいが、やはり何といっても、息子の体調が快適に保たれていることが最高なのである。 「ダイエットしたいけど、痩せたいけど、無理だなあ」と思っていたのが嘘のようで、「リバウンドなく痩せたかったら、朝食を抜けばよかったんだ」と、遅まきながら気がついた次第である。
October 5, 2011
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今日、K石材と名乗る業者から電話があった。S御苑という墓地の墓石のデザイン、価格のご案内だそうだ。 そうしたことは、今は考えていないと答えると、「以前奥様のお名前で、資料のご請求がありましたので」と言う。 その業者は、電話帳を見てかけたのではなく、市外局番の後は、数字の順番にダイヤルし、それでうちの住所、電話番号、「奥様」の名前を知ったのだと言う。 「奥様」とは、私のことである。 業者は、一応成人女性には「奥様」なんて言葉を使うわけなのだ。 「ええと、奥様でいらっしゃいますか?」 「えっ?あ、はい」 「○○○○様というお名前はご存じでおられますか?」 「それは、私の名前ですけど......」 「あー、そうですか。その、奥様のお名前で、本社に資料請求のご依頼がありましたので、先日、資料をお届けに参りましたのですが、お留守でしたので......それで、ご検討はして頂けましたか?」 「あの、それ以前に、私自身も、母も、お宅に墓石のデザインや御苑の資料のご相談など、何もしていないんですけれど......?」 「あれっ?そうですか?」 「あの~、私の名前や住所、電話番号はどうしてご存じなんですか?」 「それは奥様ご自身にお聞きして、お答えいただいたものですから。じゃ、ご相談のお心当たりがないのでしたら、何かの間違いでしょうか」 「ええ、申し訳ありませんが、うちはお墓のことどころか、息子がずっと入院してましたし、それが大変で、母も私もそうしたご相談はしておりませんので。何か、お間違いだと思います」 こういうやりとりのあと、業者の方には、私の名前、住所、電話番号は消去してもらい、承諾済みとなった。 私は勧誘の営業コールには、本気になることはまずない。 もし少しでも「資料が欲しいかも」と思っても、個人情報の漏洩が怖いので、下の名前を変えて相手に伝えるようにしている。 だから、墓石業者が私の本名を知っている、というのは不思議である。 そうした営業コール風の電話に、母が出ても、まず母は「お待ち下さい」と言って、私に変わることが多い。 母が応対しても、私の本名は明かさないだろう。 要するに、女性の声で、一体誰が、私の本名を墓石業者に語ったのか、それを考えると、怖い気分になる。 しかし、こうした業者と応対できるだけでも、私は幸せなのかもしれない。 東北各地の被災地で、最近、とんでもないことが起きているとニュースで知った。 それは、「遺体安置に1日10万、ドライアイス1個に1万」というものである。 家も土地も、そして大事な家族まで失い、自身の心身の健康さえ脅かされ、辛く悲しく、苦しんでいる人々が何万といる。 その人々が、せめて葬儀は大事にとりおこないたいと願う。 そして葬儀業者に相談すると、上記のようなとんでもない金額をふっかけられ、一層苦しめられている、というのだ。 金銭的にも苦境に立たされている人々を、なぜ絶望の淵へと追い込む行為をする人間がいるのか、理解に苦しんでしまう。 ボランティアをしたり、義援金を送ったり、チャリティコンサートをする善意の人々もいれば、自分の利益のためなら、鬼にでもなる者たちがいる。 なぜお互い励ましあわねばならない、こんな時に、こうまで悪意に染まる物がこの世に存在するのか、と思う。 人の世は、善人ばかりではない、人の心は善と悪が共存する、世間はこんなものだ、といった「言い訳」はいくらでもある。 それでも、「言い訳」が通用しない悲惨な現状が現実にある。 その現実の場に足を踏み入れて、「遺体安置に1日10万」とまで言い切るのなら、もうそんな者には「良心」も「人格」もないのではないか。 そうなったら、人間をやめてしまえと言いたくなってしまう。 こうしたニュースを聞くと「神も仏もないね」と言いがちだが、実際、神や仏は存在しない。 神や仏、とも呼びたくなるような善意、高潔な心が人にはあるはずなのだ。要するに、神や仏、逆に悪魔さえも、人間の心に宿っている。 天災に遭い苦しむ人々に差し向けるのは、あくまでも善意でなければならない。今、人間のそうした高潔な意思が試されているのだと思う。
August 11, 2011
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ついに8月になってしまった。 暑くてたまらないが、山の上のマンションなので、朝から晩まで、すべて網戸にしている。 夜中も網戸のまま。 そうしたら、クーラーをつける時間が極端に減った。 多くて2~3時間、温度は27~28℃止まり。 夕方にはカナカナゼミが涼しい声で鳴き、明け方5時半には山間に鶯の美しい鳴き声がこだまする。 まるで日光か軽井沢のセレブの避暑地みたいではないか。 (実際の生活はセレブの「セ」にも及ばぬのだが。) 久々に、このブログのトップ頁を編集しよう、と思った。 5月ぐらいから変わってない、確かそうだったから。 ところがログインして、「ブログの管理」のMyメニューに、以前はあった、「トップページの編集」が無くなっていた。 「日記の編集・削除」や「フリーページ」はあるのに。 トップページが更新されていないと、「なんじゃこのブログは」となってしまうではないか。 次々とメール機能もベータ版とかに変わり、テレビもアナログ時代が終わり、HPやブログ機能も変わってしまう。 便利がいいのか、悪いのか。 少なくとも、今の私には、便利さが進化してかえって不便になるより、「以前のように自由にトップページ、好きな文章編集できるようになりたい!」なのである。
August 1, 2011
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震災後、ほぼ時期を同じくして、今年の3月初旬、息子が難病と診断された。病名は「潰瘍性大腸炎」というものである。 難病にもいろいろあり、まさかそんな大変な病気と思わなかったため、難病には詳しいわけではない。 だが、この病気は「自己免疫不全」に拠るものである。 普通は身体には自己免疫が備わっている。そして病原菌から身を守るよう働く。 だが何らかの原因で、自己免疫機能が狂い、自分の体の一部を「害」と見なし、攻撃する。 その原因が分からないから、「難病」と呼ばれる。 「潰瘍性大腸炎」の場合、自己免疫であるTNF-α が自分の大腸粘膜を「敵」と見なし、攻撃するするため、粘膜中に炎症が起き、下血や水下痢がひどくなり、脱水症状や発熱まで起きる。 そうなると入院加療が必要となる。 3月末に、大学病院で大腸内視鏡検査をした結果、全大腸型と判明した。大腸全部に病変が広がっていた。こういう場合、よく使う薬はステロイド、と相場が決まっていたらしいが、ステロイドはまだ10代の若い人に使う場合、「成長障害、骨粗鬆症、精神不安定」などの副作用が心配である。 そこで、新薬「レミケード」を月に1~2度のペースで4時間ほど点滴する治療が始まった。 同時に、内服薬は「ペンタサ」という炎症を鎮めるものを朝晩4錠ずつ服用する。 これで、4月は調子が保たれて、高校2年の新生活も進んでいたのだが、5月になった途端、炎症が悪化してしまった。 この病気は「寛解期と再燃期を繰り返す」のが特徴とは言っても、学校や社会生活が、これでは持続できないのではないかと心配になってくる。 レミケードは、「寛解期」をできるだけ持続させるための治療なのだが、寛解期だといって、何でも食べていいわけではない。 動物性脂肪、牛乳、繊維質の野菜、キノコやこんにゃく、お菓子類はご法度である。 4月、息子は調子がいいからと、学校帰りにたこ焼きやフライドポテトを友達とよく食べたんだそうだ。 それにしても全大腸が悪いわけだから、直腸だけが悪いパターンの患者さんより食事に制限が伴ってしまう。食事のせいかどうかもまだ分からないが、とにかく5月7日から21日まで最初の7日間は点滴絶食という過酷な入院生活が続いた。 その後、退院したものの、入院中に同室の患者さんより感染したのか、気管支炎が徐々に悪くなり、咳が出るまま、腸の調子も落ち着かないため、3回目のレミケード点滴を5月23日に行った。 この点滴はあらかじめ予約してあり、点滴といっても1泊2日入院せねばならない。 レミケードの長所は、寛解期を安定させることだが、副作用として、「体中の免疫が落ちる」ために「感染症に罹りやすい」という厄介なおまけがある。 レミケードのおかげで腸は一旦落ち着いたが、気管支炎が悪化、今度は6月8日から「肺炎」で入院してしまった。 震災のことを心配しつつ、自分の家庭内では思ってもいなかった子供の難病に悩まされる。 こういう理由で、ブログ更新どころではない日がこのところ続いている。
June 13, 2011
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先月3月11日の東日本大震災のことを、現在ニュースでは「3.11の巨大地震」と表現している。 そうした表現は、2001年9月11日に起きたNYテロを思わせる。 奇しくも、今回の巨大地震は、「2011年3月11日」であって、NYテロとは、11日という日付、2001と2011年という数字上の共通点がある。 「1」もしくは「11」という数字は、だから不吉なもののように感ぜられる。偶然なのだろうが。 この巨大地震が起きた先月の11日、午後2時46分には私は息子とテレビもつけずに家にいた。 息子はパソコンに向かっていた。私は、午後3時28分のバスでショッピングセンターに買物に行き、午後5時頃帰宅した。 すると、パソコン通信をしていた息子がテレビをつけて、私に「すごい地震が起きたって」と言った。 それで初めて東北から関東にかけて、M7.8 の大地震が発生したことを知った。 「どうして地震を知ったの?」 「横浜に住んでる通信フレが、いきなりチャットで『わー!地震、凄い揺れてる、こええ~!』と書きこんだから。最初、冗談かと思っていたら、『テレビつけてみろよ』って返事きたから、つけたらさ、本当だった」 その日、母は法事で福山に行き、12日帰宅の予定だった。 息子とその後、テレビを夜中まで付けっ放しにしていた。どのチャンネルもCMどころじゃなく、地震報道ばかりである。 「こんなにTV全部が同じニュースなんて見たことない。歴史に残る、こういう事態って」と彼は言った。 その「死者数、行方不明者数」の数字は、最初は「16名、27名」程度だったが、少し目を話すと、あっという間に「120名、500名」という様に、10倍に膨れ上がって行く。 こうした事態の中、地震規模は当初のM7・8からM8.5となった。(その3日後あたりに、とうとうM9.0と修正された。) 全ての番組がこの日、巨大地震の報道で埋め尽くされた中、繰り返される津波の映像、被災者の人々の様子、燃え上がる市街地の高台からのレポートなどチャンネルによって異なるものの、画面右下には、日本地図のほぼ3分の2が「津波警報」の赤、オレンジ、黄色で囲まれている。 私の住む地域は、それらのどのラインにも囲まれていなかったが、「良かった」などという心境ではない。 むしろ、「自分の県の周辺だけが津波のラインに取り残されている=大津波に取り囲まれている」という恐怖感が募った。 そして、ニュースでは報道されなかった、「その日現場で高台にいた人々が撮影した津波映像」を、今日、YOUTUBE で見た。 米のABC放送などでは、今回の津波を Killing Wave, Mad tunami などと表現している。 あんなに津波のぎりぎり近くまでいて、高台といっても、恐ろしい渦を巻く市街地から続く坂道の上から撮影している人々がいた。 撮影した人々が、津波に呑みこまれる市街地に悲鳴を上げている、急いでもっと高台に逃げようとする、カメラの焦点が合わないまま、足元は水につかり、映像は逆さまで揺れている。 こんな生々しい災厄の映像は初めてだった。 今でも行方不明者は1万4000人以上だという。 撮影した人々は無事だったのだろうか。 高台に逃げ、避難所に身を寄せた人々の中にも、次々とインフルエンザや肺炎などの感染症に罹り、どれだけの人が生き永らえただろうか。 それを思うと、自分はこうして生きているが、何かの意思により「生かされている」との感が強い。しかし、いつ大災害に巻き込まれるか分からない不安がある。 今回の巨大地震で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
April 27, 2011
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1月11日火曜日から週1ドラマとして始まった『美しい隣人』を、第2回目辺りから観ている。 この話は、言ってみれば、俗世間によくあり、映画やドラマの世界で古今東西問わず描かれる「不倫もの」じゃないか、とは言い切れない「物凄さ」がある。 「不倫もの」は、描きようや登場人物のキャラクターによっては、ラブコメになったり、明るいテンポの要素ともなる。また、監督・脚本など、ドラマの制作側が、「観客を笑わせる」姿勢であれば、からりと、またサラリと描かれ、面白い作品になったりする。 しかし、『美しい隣人』は、「不倫もの」がテーマじゃない。このドラマで描かれる「不倫」は、ドラマの一要素に過ぎない。 ではエッセンスは何かというと、「忍び寄る悪意」であり、「歪んだ人間の心理」であり、「崩れゆく幸福な家庭」なのじゃないだろうか。 このドラマに対する感想は、まず「怖い」ということ。 何が怖いんだろう、と思うのだが、特に殺人シーンがあるわけじゃない。人を驚かす場面は一切描かれない。 じゃ、何が怖いのか。 まずもって、「美しい隣人」であるマイヤー沙希(仲間由紀恵)の美しい微笑みが怖い。 あの細い指が怖い。 長い黒髪が怖い。 意味ありげなことをささやく、美しい口元が怖い。 平凡な主婦絵里子に注ぐ美しい視線が怖い。 息子は、「ドラマのBGM,効果音楽が怖い」と言った。 「まるでさあ、ホント怖い」 「まるで『ホラー映画』みたいなあの効果がね」と私。 「そ!そうそう、ホラーだよ。あの人の手が怖い」と息子。 昨日は、沙希が恵理子の長男駿を、庭影から手招きするシーンがあったが、それは、手入れされた花々から、沙希の細長い肘から指の先だけが映り、その部分が人を招くように、ゆらゆらと揺れていた。 ただそれだけなのに、16歳の息子は「何が出たかって感じじゃないか」と言って、「怖いなあ、あの感じ」と身を乗り出している。 前回は、沙希に対する元隣人だった親友の、沙希に対する異様な印象を聞いたり、絵里子の家に「死ね」という奇妙な電話がかかってきたり、沙希自身から「そんな電話は、夫に愛人ができた時以外ないじゃない」と言われたりで、絵里子が徐々に大きな不安に襲われる。 そして夜、子供を寝かしつけた絵里子が、家のそばの蛍の飛び交う池の前でしゃがみこむ、といったシーンがあった。 涙ぐみながらしゃがんでいる絵里子の背後に、ほっそりした女の影が片手を伸ばしながら近づく。 それだけなのに、「何だ、何が起きるんだ」とみている方は、効果音と相まって、じわじわと恐怖が湧き起こる。 実際は、沙希が絵里子の肩を叩いて、「どうしたの」と心配げな様子を振舞うだけだったのだが、あの怖さは何だろう。 「死ね」という奇妙な電話、絵里子の携帯に送られて来た5歳の駿の「死んでいるような寝ているような画像」- 大阪に引っ越した元隣人が、久しぶりに東京に帰っていると聞いて、家に来てもらう絵里子は、それ以来電話の音に慄くようになる。 電話が鳴ると、ぎょっとして振り向く。電話が鳴り、振り向く主婦。 それだけなのに、このシーンは怖い。 結局、電話が鳴らないよう、電話線をプラグからブチっと引き抜いてしまう。 何も起きない、一見普通の、ごくごく普通の家庭が背景なだけに、一見美人で人の良さそうな女性が、底にとてつもなく黒い悪意を潜めつつ、平凡な主婦の心を不安にさせるような言動をとる、というのは、本当に怖い。 それは、「昨日まで何も起きなかったのに、急に何者かに押し入られ、惨殺された」という、世間によくある事件へのショックとやや似ている。 そういった事件の報道は、それはそれで恐ろしいが、このドラマは、「昨日まで何も起きず、平和で平凡で幸せな生活に、ふとすごい美人が隣に引っ越してきた。そして、平凡な主婦をターゲットとし、その幸福を崩壊させようと、少しずつ少しずつターゲットを不安にさせていく」という設定であるだけに、恐怖が視聴者の中でじわじわと高まって行くのである。 沙希の悪意は、彼女の歪んだ生育環境や、結婚後に幼い一人息子を溺死で失い、自ら不幸に陥った経験から、その心に根を張り出したものなのだろうか。 まだ6回目なので、彼女の正体がはっきりしない。 ただ、「幸福な家庭」を「その家の主人を誘惑、主婦の姑に取りいる、主婦の息子を手なづける」など、さまざまな方法で計画的且つ巧みに、そして確実に「崩壊させる」目的があることは確かなようだ。 沙希は、「マイヤー沙希」と名乗っているように、米国人と結婚しているが、これは再婚のようで、その米国の夫からも国際弁護士事務所を通じて離婚を迫られている。 それ以前は、日本人の平凡な会社員と結婚していたが、「夫の不注意で息子が池に溺れた」と、夫をなじり、殴る場面が昨日あった。 沙希が「時々キレる」のも怖いが、本当に怖いのは、微笑みながら、人の不幸を招こうとする「静かな美しさ」だ。 息子を失った沙希が、夫が会社から帰宅する前に、荷物をまとめて家を出る。夫はいつものように家に入るが、中はそれまで生活していた物すべてが消えている。 こういう状況も、男性には衝撃じゃないのか。 化粧をしていない沙希が、虚ろな表情でネットカフェに転がりこみ、死んだ長男の小さな衣服を詰め込んだバッグを取りだし、一枚一枚、眺めては、布団のそばの整理棚にしまい込む。そして寝転び、ネットを検索するうち、「Erikoのブログ」を見つける。 そこには、「平凡な専業主婦です。5歳の息子がいます。楽しみは、近所のママ友たちと開いている『蛍の会』です」といったプロフィール、そして、絵里子が蛍の会で近所の友人や子供たちと一緒に微笑んでいる写真が紹介されている。 それを見た沙希のほくそ笑むような笑顔、「みぃつけた」と呟くシーン。これが怖い。 これで、絵里子はマイヤー沙希の「獲物」となり、「ターゲット」になったことがよく分かる。 それにしても、携帯、ネット、パソコン電話など、IT社会の闇をつかれたようなドラマだ。 私は、絵里子がブログを書くのはいいが、そこに自分達の写真を載せる絵里子の「不用意さ」に驚いた。 彼女は、幸せなあまり、写真などの「個人情報」を公開することに、警戒心が薄れていたのだろうか。 それほど平凡な幸福に溺れていると、その幸福を「妬み、恨み、憎む」人間が、自分の個人情報を悪用し、接近するーなんてことには、絶対考えも及ばないだろう。 基本的に、「ネット上の家族写真の掲載」は「個人情報の流出」に繋がり、危険ではあるが、誰でも「平凡だけど今のままで結構幸せ」であれば、自分に「幸福の崩壊」の危機が訪れることまで考えないだろう。 古今東西、いろんなドラマがあるけれども、何と言っても「人間心理の闇を深く掘り下げて描く」ドラマが、印象に残り、感動を起こすものだね、と私は息子に言った。 だからこそ、この『美しい隣人』というドラマの「怖さ」も、一種の「感動」なのかも知れないが、感動にもいろいろあって、「衝撃的」「物凄い」「怖いけど先が気になる」といった印象がある。 人間は、本能的に「怖い」ものを避けるが、その「怖さ」がドラマであれば、本能的に「見たい」という欲求が起こる。 そうした欲求に存分に応えるのが、この『美しい隣人』なのであって、その「怖さ」は、「人は何に怯えるか」を充分に知り尽くした原作者の「人間心理」に対する深い蘊蓄に基づいていると思う。 だからこそ、このドラマの「怖さ」は、物凄いのだ。 あまりに物凄いので、毎回、息を詰めて話を追う。 終わった後は、肩が凝っている。全身に力を込めて観ていた証拠だ。 このドラマのエンディングが、主題曲なのだが、これがまた凄くいい。息子もこの曲が気に入っている。 調べると、東方神起ユノ・ チャンミンのシングル「Why? (Keep Your Head Down)」なんだそうだ。 最近は、KARAなど、韓国の人気グループが日本語で歌うのが流行りだが、このユノ・チャンミンも韓国人歌手で、日本語と英語を交えて歌う。 彼の主題曲が、このサスペンスドラマを一層盛り上げている。 凄いドラマにノリのいい主題歌。 これを「楽しむ」というのも変だが、人は「怖い物をテレビでなら安心して見たがる」という不思議な本能があるので、つい見てしまう。 それも、明日は息子の試験2日目だというのに、「この間の続きが見たいねえ」と、一緒に見てしまったのだった......
February 16, 2011
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最近の記事によると、東アジア圏における大学生の基礎学力検査を比較した結果、日本は韓国に惨敗との結果が出たそうだ。 日本の大学で教鞭をとった、ある韓国人教授によると、惨憺たる感想である。 「日本の大学生は、とにかく勉強をしません。どうしてこんなに出来ないのか、というほど、勉強、学問に関心がなく、無気力で、将来への目的がまったくないのです。このままでは、社会に出ても、単純な肉体労働が関の山であるのに、本人達がそれに気づいていない。それで、『中国人よりも高い給料がもらえる』などと思っているんです」 たまたま、学力の比較をした際の、日本の学生が出来が悪かったのかもしれないが、大方、今の学生は、「大学で勉強、学問、研究に打ち込む」という姿勢が乏しいことは否定できない。 あまりにも学力低下が著しいので、新入生に、高校レベルの勉強を義務付ける大学も増えているらしい。 以前も、テレビで、「最近の大学生は、中学生の英語もよく理解できていないし、満足に漢字も書けない」といったことが話題にもなっていた。 私自身も、大学に勤めていた際、そう感じていた。 英語だけがすべてではないが、大学生にもなったら、国際的視野を広げる上で、語学の勉強は必須である。 それが、中学英語さえ、満足に理解できない状態なのである。 昔、非常勤講師になりたての頃(20年前?)は、まだ大学には、明治、大正、昭和初期頃の「大学生らしさ」が残っていた。皆、大学生らしい気概を持ち、学問を意識していた。 けれども、21世紀になってくると、徐々に彼らの学力はお粗末になってきた。基本的な英語力はおろか、日本語で満足な文章も書けない。書きなぐるようなレポートを平気で提出する。 以前は、板書に筆記体を書いても、文句は出なかった。だが、徐々に「筆記体は止めて下さい」との苦情が出てきた。何故かと訊くと、「筆記体を習ったことが無いから」と言うのであった。 更に数年後、数人の学生が講義後、「英語がまったく分からないんですけど」と言ってきた。何故かと訊くと、「付属校出身だから」と答える。 「付属校なら、英語ぐらい、習ったんじゃないの?」 「えー、でも、英語、選択しなくてもいいようになってたんです。で、僕、英語苦手だから、高校では英語、やってないんです」 「ほ~んとぉ?でも、じゃ、入試は?英語は必須じゃなかったの?」 「あ、入試は、好きな科目で受験できるんで、英語、受験してないです」 あいた口が塞がらないとは、こういうことだったのか... 私が感慨にふける間もなく、その学生は、現状に戸惑っている。「で、この大学入ったら、英語、1回生は必修じゃないですかぁ。どうしたらいいんですか、僕」 どうしたらって、どうしようもないではないか。 仕方ないので、「空いた時間に、講義の後、個人授業してもいいですよ」と言ったことがある。でも、彼はそれ以上、私の所へは来なかった。 私の勤めていた大学は、関西では、指折りとまではいかないが、有名なブランド校で、進学塾の合格者数には、必ず上位に名を連ねる大学である。 決して「頭からっぽで入ってね♪」というレベルでもない。まあ、中の上、あたりの大学であった。 日本人学生の学力低下、韓国人学生が100点なら30点しか取れないほどのお粗末さの背景には、「学歴社会による受験戦争を緩和するためのゆとり教育が原因になっている」との指摘があった。 ゆとり教育も問題を招いているだろうし、少子化により、大学側が学生を「お客様」扱いし、「レベルが低くても授業料を払ってくれたらいい」との、本来の「最高学府」の理念が地に堕ちたかのような商売的ポリシーで、多くの基礎学力のない学生を入学させる低姿勢も悲惨な結果を招いているそうである。 今や大学は、「中学・高校のおさらいの場」と化している。その背景に、携帯やネットに夢中になるIT社会があるのだろう。 あまりに世の中便利すぎると、「ゆとり」を通り越して、「自分の力で考える・調べる」ことを、人間しなくなる。 それなのに、英語教育を来年度から、なんと小学5年から義務化するというのである。英語を早期に身につけるということは決して悪くはないが、その身につけた英語でもって、大人は子供たちに何を期待しているんだろう。 いわゆる「国際社会で活躍できる人材育成」といったところか。それでも、会話だけではそんなに簡単に「国際社会に通用する人材」は育たないのではないか。 How are you? 的な英語をやっていたところで、その先がないではないか。国際的視野を広げるには、大学において、自分の考えを英語で表現できるほどの実力を養わないとどうにもならない。 その基礎を培うのは、中学、高校における国語や英語の読解力、文章力、また他の教科を段階的に学ぶ姿勢ではないか。それらをすっ飛ばす付属校のような高校がある限り、英語の早期教育は付け焼刃に過ぎない気がする。 こうして、現実に、韓国人教授が日本人学生の低学力を嘆いているのを知ると、今の日本人の、韓国ドラマへの熱狂的な傾倒も、気恥ずかしくなる。 昨日、大人気だった韓国歴史ドラマ『イ・サン』の吹き替え版が終了した。 韓国の歴史には、儒教の精神が根付いているため、日本の若者のように携帯やネットに通じていても、倫理、道徳、目上の人への敬意などにより、人間関係や、学問の意義などが折り目正しく保たれている。 そうした儒教の精神を背景にしつつも、人間の複雑な心理を実在の歴史上の人物を通して描き、感動を呼んだドラマが『イ・サン』だったと思う。 あのような芸能界で活躍する人々も、きちんと学校教育を受けて、学ぶことの何たるかを知った人々であろうと思うと、私は、大好きな韓国歴史ドラマを見ていることが恥ずかしい気持ちになったのだった。
February 14, 2011
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一人息子が8日で16歳になった。 子供の誕生日が毎年巡って来ると、いつも生まれた日のことを思い出す。 息子は午後6時22分に生まれたが、私はその日の午後3時過ぎから、陣痛で苦しかった。 「陣痛」というけれど、私の場合は痛みはなかった。 ただ、下腹部がぎゅ~っと絞られるような、何とも表現しがたい苦しみが、1分、30秒おきに迫って来る。 あまりの苦しさに、一瞬「お医者さんに頼んで、『産むのをストップしたい』と言いたい」とまで思った。 しかし、今まさに生まれ出ようとしている子供を殺すなんてできない。 それに、2回も流産して、やっとお腹の中で飛び跳ねるほど元気な子を授かったのだから、苦しみに負けてはいけない、そう感じた。 そうして耐えがたいほどの苦しみを経て、生を享けた子供は、多くの母親となった女性にとって、非常に深い愛情の賜物である。 真の愛というのは、親子間の愛情なのではないだろうか。本能的に「愛しい」と感じるのは。 私は、子供を育てるにあたって、あまりに多くのマタニティ雑誌を読むのは止めていた。 そういうのを読むと、いろんな情報に溢れかえっていて、「私は母親として何もしていない」と焦ってしまうからだった。 それで、母子手帳に書いてあったアドバイスだけは守ろう、と心に決めた。 それは、「お子さんが片言でもお話を始めたら、お母さんはきちんと目を見て、じっくり話を聞いてあげましょう。そうすると、お子さんは、人の話を聞くことのできる人に成長します」という内容だった。 それから、もうひとつは、「子供と親とは濃い血の繋がりがあるとはいっても、別々の人格である。だから、親の理想を子供に押し付けない。子供と大人を区別しない。子供の意思を尊重し、親は忍耐強く、その子の成長を見守る」という考え方を実行することだった。 別に溺愛して、甘えさせているわけじゃない。 注意すべき点は、言葉で説明する。 これは、何かで昔、私が読んだのだが、「親、という漢字は『木のそばに立って、見る』と書く。だから、親はあれこれ子供のなすことに口を挟まず、正しい方向であれば見守り、その子の才能を引き出すよう励ますのが大事なのである」といった内容が書かれてあった。 これほど完璧に、この「親道」が遵守されているかどうか怪しいが、私は、現在の息子に言わせると「小言なんてほとんど聞いたことがない」のだそうだ。 あんなに小さかった赤ん坊が、今では私の背を10cmも通り越した高校生になっている。 でも、まだ16歳になったばかり。 いろんな知識を、砂が水を吸い取るように、ぐんぐん蓄えて行く年頃なのだ。 大人びたことをいろいろ語り、私とも話し甲斐のある子に育っていると思うけれど、まだ知らないことも多い。 そんな時、「子供だから、やっぱりこんな言葉は分かってないのね」なんて、本人に直接言うなんて行為は、私の本意ではない。 あくまでも成長の途上なのだから、知っていること、知らないことがある。青少年の心と体はでこぼこ道で、至極当然らしい。 逆に、自分の意見を言わなかったり、親の言いなりになって、スムーズにカーブを描くような成長の仕方をした人は、成人以降、何らかの歪みが出てくるものだそうだ。 だから、私は今でも「子育て中」なのだ。 それは、小さい幼稚園児から小学生までの「子育て」とは異なり、思春期以降から成人するまで、「自分とは何か」を真剣に考えるようになった息子の「アドバイザー」としての子育てであって、「知らないから教えてやる」といった、押しつけがましい関係ではない。 時々、色んな悩みでお互い悶々とするけれども、これも彼の成長にはある種の「糧」となってはいるのかも知れない。 息子は「まだたった16年しか生きていないなんて、嘘みたいだ。もう25年は生きている感じがする。早く30歳になりたい」 ......などと、私から見ると「羨ましい」ことばかり言う。 「僕の話は、同級生や先輩(中には高校中退者で、やり直しのため編入学した20代の人もいる)には、受け入れられない。みんな、ゲームの話で盛り上がっている。そんな時、『仏教で説かれる人生論』とか『宇宙の誕生と地球の生命の神秘』なんて、ky なことは言えないし」 そういう訳で、彼は、もやもやした「哲学的な思想への感想」を私に夢中になって話すのである。 「僕は、心が老けているのかも知れない」 こんなことを言う16歳。 子供って不思議だ。あんなに無垢で何も話せなかった子が、もうこんなにしっかりした自我を持つようになったんだから。 これからも彼を蔭ながら見守りたいものだ。
January 18, 2011
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新年のBShi は何故かイタリア特集で、今夜はイタリア・バロック芸術の巨匠ベルニーニの金色の祭壇などが紹介されていた。 その時流れた曲が、かの『龍馬伝』BGM を担当した佐藤直紀氏の「別道」だった。 この曲は、龍馬伝最終回で、龍馬が暗殺される1867年11月15日に、弥太郎が龍馬を訪ねてきたシーンに流れていた。 大変抒情的で深みのある美しい曲なので、イタリアの教会の豪華絢爛な祭壇のBGMとしても違和感がなかった。 この弥太郎が龍馬に「ミニ銃を大量に売りさばいて大金を稼いだ」と言うと、龍馬は自分のことのように喜んで「凄いのう、おまんは本当に日本一の大金持ちになったんじゃのう」と喜ぶ。 それでも弥太郎は忌々しげにつっかかる。 「おまんの言う大政奉還なぞ、ありえん。ありえん、思うて銃を仕入れた。戦が起こるに違いない、そう思うて。だけんど、わしは弱気になった。大政奉還を、おまんはやってしまうかもしれん。おまんを信じてしもうたがじゃ。(それで売りさばいてしまい、儲けた)この金は、わしのじゃない、おまんに儲けさせてもろた金は欲しゅうない、この手形(領収書)はおまんにくれてやる!」 龍馬が好きでたまらないのに、ライバル意識がひょいひょい顔を出す、この「ツンデレキャラ」の弥太郎はユニークな存在だった。 この最後の日まで、弥太郎は愛憎こもる口調で龍馬に捨て台詞を吐く。 「おまんという男はわしはダイっ嫌いじゃ!おまんは自分の好きに生きて、それが何故かことごとくうまくいって...おまんの側にいると、わしはなーんんもできん、こんまい、つまらん人間に思えて、情けのうなってしまうがじゃ...こんな、悔しいことがあるかえ!」 深い愛情の裏に潜む憎しみを剥き出しにされても、龍馬は「そんなに、おまんは、わしが嫌いかえ。わしは土佐におる時から、おまんを友達だと思っていたし、今もそうじゃ」と落ち着いて答える。 こんなところが、彼の弥太郎への強い友情が生きているし、人を決して「憎まない」、優しい性質が表現されている。 そう落ち着いて言われると、弥太郎が余計にムカついて、「おまんの、そういうところが大嫌いなんじゃ!」とツンデレパワーを炸裂するのだが、あの愛情に裏打ちされた我がまま、龍馬には何を言っても許されるという甘えが見て取れて、その演技が本当に凄いと感じた。 この「弥太郎」の「ツンデレキャラ」は、producer のアイデアで、『アラビアのロレンス』からヒントを得たらしい。 映画『アラビアのロレンス』は、英国で事故死したロレンスの葬式の場面から始まる。そこで、ロレンスを「あの人は英雄だった」と悼む人、「あいつは礼儀知らずの男だった。あんな者とは知り合いでもない」とけなす人、様々な人がロレンスを語る。 そうしたシーンから、『龍馬伝』の語り手である「弥太郎」役が、龍馬に対して愛憎剥き出しのキャラクターになったそうだ。 香川照之さんは、その辺の「岩崎弥太郎」のイメージを的確に把握し、「憎しみや嫌悪の入り混じった大きな友情」を、底辺から這い上がる根性から湧き起こる激しく、時には冷めた感情と共に実に巧みに演じたんじゃないだろうか。 その「弥太郎」像を、三菱創始者、岩崎家の子孫の人々が、「汚すぎる」とNHK にクレームをつけたらしい。 YouTube のニュース映像で、その話題を知ったのだが、確かに商売繁盛し、会社を創設するまでの、初期の弥太郎は、ボサボサ頭で、顔もすすけ、歯も汚く、着物もボロボロだった。 当の岩崎一門の人々には、「先祖の弥太郎があそこまで汚く演じられると嫌だ」という気持ちも沸いてくるのかもしれない。 それでも、あれはドラマの中の役作りであるから、仕方がないんじゃないか。「仕方がない」と言うより、「こうであっただろう」という江戸時代末期の地下浪人の姿をリアルに再現するために、ぜひ必要だったのだ。 幕末は「道も道路として舗装されていなかったし、埃はいつももうもうと舞っていただろう」と監督らスタッフ陣は考え、スタジオのセットには常に白いスモークをかけ、一般民衆の役者達には、頬などに自然な感じですすけた埃で汚れたメークを施したという。 そうした工夫で、「作り物の時代劇」らしくない、現実味溢れる幕末、まるで江戸末期の150年前の人々が21世紀の私達の身近にいるような雰囲気が生まれ、ドラマに生命が宿ったのではないか。 香川さんは「地下浪人時代の弥太郎」を演じるに際し、顔を地面にべたっとくっつけ、「これぐらい汚くした方がいいんじゃない?」と真剣だった。 最も下級の侍としての、「地下浪人の岩崎家」のセットを見て、弥太郎の父親「与太郎」役の俳優さんが、「あのセットを初めて見た時には、あまりの凄まじい貧しさに気が滅入りました」とまで感想を漏らしていた。 それでも、そうした「凄まじい貧しさ」をリアルに再現することで、賢明な弥太郎が学問を続け、ゆくゆくは商売の才覚を表し、日本一の財閥「三菱」を築き、明治18年頃には西洋貴族の館のような立派な御殿に住むようになった、そうした「内に潜む才能を開花させた成功者」の姿がくっきりと浮き彫りにされるのであるから、「汚い弥太郎」は必須のイメージだったのじゃないだろうか。 そして、この『龍馬伝』において、実際の成功した後の「岩崎弥太郎」に一番似ていたのは香川さんの演じた弥太郎だった。明治以降、50代になった、口髭をたくわえた姿は、遺された「岩崎弥太郎」の写真に瓜二つである。 他の配役として、実存の本人のイメージに似ていたのは、「弥太郎」の次には、龍馬と共に暗殺された「中岡慎太郎」だった、と思う。実際の「中岡慎太郎」のにっこり微笑む写真は、江戸末期の人々に特有の強張った(ひきつった?)硬い表情がなく、21世紀の日本人に通ずる雰囲気がある。 他に主だった配役では、「幕末写真館」で見られる実物に「似ているなあ」といった人はあまりいなかった。 まあ、主役の「坂本龍馬」からして、それを引き受けた福山雅治さんが、「何でこの話が僕に来たんだろう?龍馬に似ているわけじゃないのに...?」と戸惑ったぐらいだから、実存した人物にそっくりの現代人で、しかも芸能界の人となると、探すのは難しいだろう。 主役は実物と全然似ていなくても、その俳優の持ち味でドラマをぐいぐい引っ張って行くという結果になるから、それが大河ドラマの面白さなのかもしれない。 で、逆に他の俳優で、「実物とぜーんぜん、似てないっ」と思ったのは、まずは「高杉晋作」役の伊勢谷友介さんじゃないかな。 ファッションモデル出身で、芸大大学院修士で、英国に留学した英語の達人の伊勢谷さんは、鼻が鷲鼻で日本人離れした魅力的なイケメン俳優。本物の「高杉晋作」には、ぜ~んぜ~ん、似ていない。 それから、「西郷隆盛」役の俳優さんも、全く似ていない。実在した西郷どんは、写真を見ても、「こんな顔立ちの人は、滅多にいないよな」という位、豪傑パワーがむんむんしている。こう言う人は、21世紀の日本人に見つけることは不可能なのだ。 最後に、「滅茶苦茶似ていない!嘘だっ!」という位、似ていなかったのは、徳川最後の将軍、「徳川慶喜」役の俳優さんだった。(すみません......^^;) 実在した「徳川慶喜」は、現代人に通じる鼻筋の通ったイケメンな人である。昔、大河ドラマに『慶喜』があり、その主役を演じた俳優さんは、本物によく似た凛としたハンサムで、あれほど時代劇で「実物に似ている」役はなかったんじゃないか。 『龍馬伝』の「徳川慶喜」は、最初は「一橋慶喜」と名乗っていた。だから、「えっ?この人が最後の将軍の、あの慶喜?『一橋』と名乗っているから、あの『徳川慶喜』とは違うんじゃないの?」と驚いていた。 でも、広辞苑で「徳川慶喜」を調べると、「徳川御三家の一橋家の養子となり、後に徳川最後の将軍となる」と書いてあった。 「ま、まさか、この人が......?も少し細面の俳優さんだったら良かったのに......あっ!本当に徳川慶喜になっちゃった!あぁ~この人がホントに『最後の将軍、慶喜』役だったのかぁ?」 ふっくらとして、眉の薄い(メークで、かな)お顔は、「慶喜」のイメージからは程遠かった。(すみません...m__m) この驚くべきキャスティングに、「きっとこれは、龍馬役も高杉晋作役もイケメンだから、ホントにイケメンだった慶喜将軍まで、イケメン俳優を起用したら、主役の龍馬にスポットが当たらなくなるからなんだぁ」 こう結論づけてしまった。(重ね重ねすみません...^^;) 「似てる似てない」は別として、「慶喜」役は、声も良く、思慮深く、迫力のある演技だった、と思う。 いろんな役者さんが集まって、実在した人物を主役とする「大河ドラマ」は、「似てる、似てない」とか「かっこ悪い、汚い」などの色々な感想も視聴者から出るけれども、結局は、一つの時代空間を創る壮大なプロジェクトなのだ。 その為に、心血注いだスタッフや俳優さん達の1年間の努力は、いついかなる時でも、賞賛されるべきなんだと心から感服している。
January 3, 2011
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年末の29、30日にNHK総合で『龍馬伝』総集編があった。全部で4部に分かれていて、1日に2部ずつ、2時間放映された。 私は、純粋にドラマが短縮されて、それが不自然じゃないように編集されて放映されるのかと思っていた。 しかし...... 29日に「後藤象二郎」を演じた青木宗嵩氏と、30日に「岩崎弥太郎」を演じた香川照之氏のナビゲーター(坂本龍馬その他関係者のゆかりの地訪問)は、はっきり言って、別番組として特集した方が良かったと思った。 それに、「視聴者による『龍馬伝』名場面ランキング」というのも、はっきり言って、クイズ番組のようでしらけた。 これら二つの要素を短縮編集ドラマの合間にちょいちょい挟まれると、「ああ、あの時はこういうシーンだったなぁ」とジワ~ッと涙ぐんで観ている私にとっては、まるでコカコーラに味噌汁を注がれたようで、全く味覚がマッチしなかった。 ナビゲーターの俳優さんたちには申し訳ないし、青木さんも香川さんもすごい俳優だと尊敬している。 でも、なぁ...... 「『龍馬伝』名場面ランキング!ここまでのランキングは『龍馬と弥太郎が言い争って田んぼに落ちる』が第○位!」 ......な~んてドラマの合間にちょいちょい出てくると、すごーく深い感動が、すごっく浅くなる。 お龍の最後の方の台詞じゃないけど、「熱い湯が冷めてしもうたわ」とビンタを食らわせたくなる。 あんなのは、もうホント、別番組で特集するのでいいよ。 こういうky なことやってる時間があったら、ドラマの短縮を少しでもじっくり、もう一度、も少し引き延ばして欲しかった。 福山雅治さんが撮影最終日に「すみませーん、オーディション会場、どこっすか?」とか言って、この総集編冒頭に登場するのは、素顔の福山さんを見る感じで微笑ましかった。 それにクランクアップの時の、福山&香川両氏が並び、「1年間、龍馬をいつも新鮮な気持ちでやらせて頂いて、本当にありがとうございました!」(台詞がやや違うかも知れません^^;)と挨拶するのも「へーえ、こんな風に大勢の人に囲まれてやってきたんだ」と感動した。 私は、息子が今年の1月、腸閉塞で1週間入院中、退屈だからとテレビばかり見るうち、この大河ドラマに出会って、「今年やってる大河ドラマいい、いい!」と言うので、この『龍馬伝』を見始めた。 すると、まずテーマ曲にいっぺんで惚れ込んだ。 あんまりいい曲ばかりなので、CDまで買ったが、それは No.1 であって、この後にNo.3か4 まであるのに驚いた。 それに、この『龍馬伝』が始まるまで、福山雅治のことをよく知らなかった。顔もよく知らず、大人しい曲を歌ってる歌手のような認識しかなかった。 しかし、百聞は一見に如かず! Seeing is believing! 「こ~んなにチャーミングな人だったっけかぁ~」と惚れ惚れした。実際の坂本龍馬とはもちろん似てない。逆に、実物にそっくりな人が演じたら、こんなに『龍馬伝』は日本国中及び海外にまで人気を博していなかっただろう。 (本物の坂本龍馬さん、すみません) 福山雅治が演じたから、大人気になったんだ。今じゃ、CM見ても、福山雅治が出ていても、「あっ!龍馬!」と叫んでしまう。もうあの人は「龍馬」にしか見えなくなっている。 『龍馬伝』では、龍馬は当時随一の国際的視野を持った人であって、勝海舟と黒船の影響と、母親の「憎しみからは何も生まれない」との言葉とがうまく心に溶け込んで、global sense (国際的感覚)を身につけた懐の大きな人格者へと成長した。 私は、龍馬が「日本と世界」ということを繰り返し強調しているうちに、「日本に生まれて良かったなあ」としみじみと実感するようになった。 『龍馬伝』のBGM に溢れるスケールの大きな色彩豊かな東洋的イメージがたまらなく魅力的だし、幕末の日本文化も非常に独特且つ世界の人々を魅了する強烈な個性がある。 この凄いドラマをたった2日間で、しかも「福袋」みたいなおまけつきで「総集編」にするなんて...... 昔は大河ドラマといったら、3日間は放映したっけ。 将来、『龍馬伝』のDVDが是非値下げされるのを楽しみに、指をくわえて待つ私なのだった。
January 2, 2011
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またまた新年を迎えてしまった。今年は西暦2011年。昨日まで2010年だったので、ついうっかり「2010年」などと書きそうになる。 おまけに元号が間違えそうだ。平成22年から、もう23年になったんだ。私は、毎月22日から24日辺りをよく混乱して捉える傾向がある。そっか、平成23年か。覚えておこう。 今朝は頑張って初日の出を撮った。午前7時25分頃に、やっと明るい新年の朝日が山々を照らして眩しいほどだ。(掲載写真は2枚ともフリー画材からのものです。) しかし、年末の二日間は吹雪いて、ちょうど次の写真のようになった。 従妹の中には札幌在住の人がいるが、彼女は結婚するまで雪の国とは正反対の福岡に住んでいた。それでも3人の子供と、旦那さんと雪の中で立派な戸建てに住んでいる。寒くないんだろうか。 そりゃ寒いだろうが、もう雪国に住んで18年目らしい。人間というのは、環境に順応できるようになっているらしい。しかし、私は...... 雪景色は好きだが、あの寒さには順応できそうもない。血流がストップしそうなのだ。 こんな山の中に住んでいると、空気のおいしさには完全に順応している。たまに息子と大阪に出ると、人の熱気で激しい疲労を感ずる。 昨年11月13日、『ハリーポッターと死の秘宝 Part1』を彼と観に行った。 すごい人であった。「人ごみとはよく言ったものだなぁ」 私がこういうと、息子「人が蟻ンコに見えてくる。人多過ぎ」 こう私ら親子がぶうぶう文句を言いながら、映画館に向かいつつ、人波をかき分けて歩いていると、すれ違った男性が連れの女性に「人が多過ぎるなぁ、ホンマに」と同じことを言っていた。思わず苦笑。 さて2011年はどういう年になるか。 まずは「1年の計は元旦にあり」だ。 New Year's day is the key of the year. (新年はその年の鍵である)または、A good beginning makes a good ending. (物事はすべてはじめが肝心である)とも英語では言うが、直訳はこうなる。 The plan for the year is made on New Year's Day. だが英語圏では、Monday is the key of the week. (月曜日はその週の鍵である)と言うのが最もpopular なのだそうだ。 しかし、いきなり「あれも、これも」と計画を立てると、必ず崩れる。 「計」と言っても、シンプルな目標、これだけは守ろう、というのを一つ決めるのがいいんじゃないか? 私の今年の「計」は、実に単純且つ実行は困難になりがちな「早寝早起き」だけにしておこうと思う。 My New Year's decision is "The early bird catches the worm," it tend to be very simple but very difficult one. もっと具体的に突っ込めば、Early to bed and early to rise, makes a man healthy, wealthy and wise. (早寝早起きは人を健康に、裕福に、そして賢明にする)ということなのだ。 体内リズムが崩れがちだと、物忘れも多いし、一日が早く過ぎてしまう。だからまず最も大事なのは、Early to bed ではないかな。 人間は文明が発達すると、夜更かしをしがちになる。特に21世紀になって今年はちょうど10年だが、電気もテレビもパソコンも携帯も、24時間オンラインの状態になってしまった。 こんなじゃ駄目だな。CO2 排出も去年の猛暑で、「地球温暖化の脅威が身近に迫った」感を恐ろしいほど受けたが、それ以前に、皆、夜更かしで健康を崩しつつある。 Novelも、絵も、ピアノも、パソコンも、ゲーム(Monster Hunter 3rd Portable にイイ歳してハマっている)も......と欲張るが、まずは、とにかく早寝!これに尽きる! 2011年は早寝!これでLet's go!
January 1, 2011
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私は昔、学生時代に岡野玲子さんの『Missing Link 失われしもの』という漫画を読んで、その絵柄にいたく感動したことがあった。 この人の絵を見ていると、「力量」「実力派」という言葉が自然に浮かぶ。 漫画を通り越した「劇画」に近く、それでいて漫画の要素もある。だから魅力的に感じ、傾倒してしまった。 その後、しばらくして、彼女の作品からは遠ざかっていたが、ある時、本屋で『コ―リング Calling』 というのを見つけ、早速買った。 英国のファンタジー作家、パトリシア・マキリップ原作。 この岡野玲子氏は、洋風のファンタジーを描くのに長けている、とつくづく思った。 作風、絵柄から、「好き」「嫌い」と別れるタイプの漫画家じゃないかとも思う。 しかし、東京美術学校でしっかり絵画の基礎を学んだだけあって、その実力は生半可な少女漫画家では太刀打ちできない。 そして、21世紀に入ると、ついにかの有名な『陰陽師』の漫画化を成し遂げた。 この作品は、原作の夢枕獏氏が、「漫画化されるのなら、当然岡野玲子氏がいい」と思って執筆したらしい。 そして、岡野玲子さんは、その小説を読んで、「原作物を漫画化するなら、私はこの『陰陽師』をぜひやりたい」 このように、小説家と漫画家が両想いなのは、非常にレアなケースなのだそうだ。 映画『陰陽師』は、確か10月19日に観たが、平安時代のアクション且つホラー映画、という点に魅かれてPART1,2 とも観てしまった。 平安時代初期を映画化するというのは、非常に珍しいことだったからだった。 観ていてハラハラしたし、感動したし、身につまされる(特に怨霊シーンなど)こともあったが、あれはあれで、狂言師野村万斉が陰陽師「安倍清明」にハマり役だったのが良かったし、清明の友人である醍醐天皇の孫である、源博雅役も素敵で、且つ、とぼけたシーンもうまくて笑えた。 それで、『陰陽師』に興味を持ち、岡野玲子氏の本を7冊買ったのだが、ページを開くなり、「映画は、岡野さんの絵を見てキャスティングしたのか」と思うほど、漫画のキャラと映画のキャラがそっくりなのに驚いた。 その岡野さんの本を読み、「西洋風ファンタジー」で堪能した彼女の作風が、平安調の絵柄の中に「ああ、やっぱり岡野玲子だなあ」と見てとれる時が、とても嬉しい。 ここまで平安時代を美しくリアルに再現してみせた漫画家は、この人以外にない、と思えるほどだった。 力強い盗賊などの殺戮のシーンや、菅原道真の怨霊率いる百鬼夜行の場面など、とても女性が描いているとは思えないほどだ。 そして、騒ぎ立てるほどでもないことなのだが、彼女はかの手塚治虫の息子、手塚真氏の奥様でもある。 旦那が手塚プロダクション社長、奥さんは『陰陽師』のプロ(しかもこの作品は、フランス語にまで訳されて読まれている)...... 凄い家系だと思う。 そして、岡野玲子氏は、この『陰陽師』で、「手塚治虫漫画文化大賞」なるものを受賞している。 『陰陽師』の後半を「難解でつまらん」と言う人もいるが、13巻まであるこの一大作品を読めば、岡野玲子氏の人生哲学も見えてくる。 そう思って、私は、8巻以降をまた買って読もうと思う。
November 25, 2010
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学校に行っていると、よく「なんで勉強しなきゃいけないんだろう」とか、「勉強はテスト前だけでいいんじゃないか」とか、「あの授業はつまんねえ」...... 誰でも学生時代、こんなことを考えるんじゃないだろうか? 私は最近時折「勉強」という言葉を「学び」もしくは「探求」に変えたらいいんじゃないか、などと感じる時がある。 なぜかというと、「勉強」という言葉には「強く勉める」という、やや強制的な響きがあり、多くは「テスト」と結びつきやすいからだ。 誰でも「勉強=テスト」は苦手だ。(喜ぶ人もいるだろうけれど。) でも、「勉強」ではなく、「知識の蓄積のため広く深く学び、知りたいことを探求する」のが学生の成すべきというか、愛すべき自由な時間なのではないだろうか。 そして、学校という場所は、彼らがどれだけ「知りたい内容を深く自ら学んだか」、その「基盤的知識」を「テスト」という形で知ろうとしているに過ぎない。 だから、従来の「勉強=テスト」という繋がりは形式的なものとして切り捨てても良い。 それでもテスト、試験があるのは、学校側は、学生に「学んだ知識の基礎的片鱗を披露する」チャンスを与えているからである。 こう考えれば、「学校」の存在意義も明確となり、学ぶ楽しさも募るのではないだろうか。 もともと人間には「知能」という素晴らしい賜物が天から与えられており、その「知能」はいつもハングリーなのだ。 自分の知りたいこと、または社会一般を知るに必要な知識を、人間の「知能」は「知識の蓄積」によって獲得し、ハングリーな状態を満たそうとする。 そうしてさまざまな知識で知能が満たされた時、「知的渇望」は幸福を感ずるのではないか。 せっかく生を享け、「知能」を持つ人間として生きているのだから、「勉強=テスト」というのは単なる形式且つ呼称に過ぎない、学ぶ目的は「知的渇望」を潤すことにより、幸福を感じ、自己実現を達成することなのだー こういうことに気づくことにより、大事な青春時代をあたらゲーム漬けになって時間を潰すよりも、ずっと有益に過ごすことができるのではないだろうか。 もちろんゲームも気晴らしも必要なものだが、「学校=勉強=テスト」というステレオタイプな思考から、学生は一度は脱却してみる必要があるように思うが、いかがなものでしょうか。
October 22, 2010
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★暑い時も涼しい時も、抹茶アイスが好きな私です♪ 9月15日ぐらいのメモに、「最近朝晩涼しくなったな~もう、冷房はいらないや」と書いた。 すると、9月17日から急に耳下腺炎(じかせんえん)になった。「時価千円」じゃなくって^^; これはおたふく風邪と似ているが、違うのはおたふくは39℃台の凄い熱と両側の頬(耳に近い所)が腫れるが、耳下腺炎は、片方の耳の下が、ローソンのおにぎりぐらいにぶっくり腫れて痛く、熱はまあ37℃8分前後である、という点。 これは風邪症状もなく、朝起きたらほおが痛い、鏡を見たら、(私の場合大抵左だが)ギネスブックみたいに片方のほっぺたがブックリ膨れているんである。 この症状が出ると、いつものように内科などに行って、抗生物質などを飲むと、5日ぐらいで熱も腫れも引いていたのだ、今までは。 でも、今回はもう1ヶ月、腫れてはいないが、37℃6分ほどの熱が朝や午後に出る事が続いている。 しかも9月17日と、10月1日と、2回ローソンのおにぎりになった。慌てて1日には近くの耳鼻科に行った。 だが悲惨なことに、2日には耳下のおにぎりが、喉に降りて、まるでガマガエルみたいになっていた。 こんな滑稽且つしんどいのは初めて。 困り果てて、10月8日にいつもの内科に行くと、抗生物質を2週間分くれた。 私は、大抵もらう抗生物質は5日分で、症状が収まったら飲むのは控えて下さいと言われるので、5日飲んで、一応薬も無くなったらもう医者には行かない。 それに、抗生物質を何日も飲み続けると、逆に抗生物質が効かない体質になる、とどこかで聞いたので(この「どこか」ってのが曖昧で、時としていい加減な自分を恨みたくなるが)飲み続けたくなかった。 だが、今度の内科の医者は新顔だったが、抗生物質に対する認識を変えてくれた。 「季節の急激な変化で疲れがたまるとね、一旦治ったかに見える耳下腺炎がまた復活してしまう。それで抗生物質を飲んだり飲まなかったりしてると、ウイルスが耐性菌をどんどん増やして、結局、耳下腺炎が悪化してね、悪循環なんです。だから、今回は、も~、きっちり、2週間、毎日朝夕、抗生物質を飲んで、ウイルスを根絶した方がいいんです」 確かに今年の夏は熱中症が酷く、人が1400人も亡くなったらしく、私もこの酷暑の中を息子の用事で高校に何回も足を運んだり、大変だった。 だが途端にシベリアか?と思う程の寒気が訪れたのだった。 お医者は、説明が曖昧な人と、はきはき明確に行ってくれる人と、大抵この二手に分かれるが、私はもちろん後者の方がいい。 まだ37℃台になることもあったが、一昨日辺りから、36℃台で止まるようになってきた。 金曜日、またそこの内科に行くのだが、その時まだ熱が下がらなかったら、血液検査、と言われていた。 どうなるか分からないが、少し熱が落ち着いてきたので、ホッとしている。 この1ヶ月、耳下腺炎の後遺症で、眼精疲労がひどく苦しんだ。唯一の慰めは、日曜夜10時BS2の『龍馬伝』だけ。このドラマを観るために、1週間、食事以外は目を閉じていた。 というより、いわゆる「クッチャネ」をしてたんである。 でも、昨日の火曜日は、『陰陽師』を2時間ほど観れて、あまり疲れなかった。 睡眠と、温熱タオルを目にあてること、あと梅干しが効いたのかなあ~♪ と思ってはいるのだが...... 『龍馬伝』とか『陰陽師』の感想は、後日書きます、ハイ。
October 20, 2010
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昨日、息子と携帯の充電アダプターが壊れたので、最寄りのau携帯ショップに購入に行った。 応対に出た副店長の女性は話しやすい人だった。 私の携帯は、もう使い出して4年経過したし、あと2年すると使えなくなる、とのことだった。 「ニューモデルだと、月額基本使用料が1000円安くなるのがありますよ」 そういうことで、来年の1月から新規携帯の料金を、月々800円ほど、基本使用料の980円に約1年9カ月プラスする手続きをしてもらった。 充電アダプターは、私と息子の携帯利用料が合計4600ポイント溜まっていたので、それを利用してポイントで購入、現金は結局支払うことなく済んだ。 後は、私の古い携帯から、新しい携帯へとデータを移行する手続きだけだったが、古い携帯に充電しながらだったので、結構時間をとった。 結局、そのお店には1時間半ほどいた。 その間、私はニューモデルの携帯のデモ機をいじっていたが、副店長さんの話相手は、息子がもっぱら務めていたようなものだった。 息子は、「今の政治、環境問題、若者文化の弱点」などを次々と挙げては彼女に意見をとうとうと述べている。 その話しっぷりに、副店長さんは驚いて、私に「しっかりしてらっしゃるんですね~、おいくつなんですか」と訊いた。 私は「15です」と答えると、彼女はびっくりして、「これくらいの歳の子と、こんな話をしたことがない」と言った。 「もーぉね、口開くと、最近はこんな調子。考えさせられる事ばかり、話をしていますよ。私が教えられることばかりなの」 すると、副店長さんは、真顔で「将来、国を変えていけるんじゃないんですか。総理大臣になったら?」と言う。 息子は、「まっさか。政治家なんて嫌だよ。ストレスばっかで、早死にする」とサラリとした顔。 用事も済み、もう夜の8時20分位になった。 副店長さんは、お店の外まで出て、私達を見送りがてら、急に不思議なことを言った。 「きっとね、息子さん、立派な守護霊が後ろについてらっしゃるんですね」 「えっ?守護霊?!そんなもの、ホントにいるんですか?」 私がのけ反って訊き返すと、彼女は真面目に「いますよ、います」 「まあ~、よくテレビで『ホントにあった怖い話』とかで、そういう話訊くんですけど、あれ、ヤラセかと思ってたんですけど?」 「いえ、ヤラセじゃないですよ。浄霊とかも、本当なんです」 「へえ~、じゃ、この子の守護霊が、お見えになるんですか?」 「いいえ、私は見えませんけど。私の友人に霊媒師がいるんです。その人に、私、時々除霊してもらったりしてますし......人間、誰でも守護霊、いますよ。いい霊ばっかりじゃないんですって。酔っ払ったおっちゃんが憑いていることもあるんですけどね」 ここで、副店長さんは、にっこりした。 私は、「時代の最先端ハイテク機器を扱う」携帯ショップの副店長さんと、霊媒師が友人だという事実に妙な繋がりを感じた。 しかし、彼女の話は真実だと思い、疑う事はなかった。 帰り際、息子とそのことを語り合った。 「人間が存在していること自体、不思議なんだから。やっぱり、あの世とか裏の世界はあると思うよ。幽霊だって、いても、ちっとも不思議じゃない」 そう息子は答えた。 何気なくハイテク機器に囲まれて暮らす現代社会にも、そうした霊的世界が裏にあり、その世界を信じてハイテクと付き合う人々もいる。 21世紀はそういう時代になってきたのかな......
September 3, 2010
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8月になって、突如「113歳の女性が行方不明、同居の娘は母と20年間会っていない」などという、奇妙な事件が起こった。 家族が100歳以上の親を放っておくはずがないのに、変な話だね、とびっくりしていた。 すると、テレビニュースやネットでも、その事件を皮切りに、続々と「108歳の男性、行方不明」「106歳の母の骨を60歳の息子がリュックに入れたまま」などなど、異様な報道がなされるようになった。 一方、毎日毎日、「猛暑の続く日本列島、各地で最高気温の37度」「殺人的暑さ」ともアナウンサーが報じる。 この暑苦しい気候と、100歳以上の高齢者の所在不明とが、この夏のニュースのメインみたいになっている。 今日は、長崎県壱岐市で「戸籍上200歳の男性が生存、所在分からず」とネットで報道されていた。 108歳、113歳でも驚いていたのに、段々、「坂本龍馬より年上の160歳云々」などと、江戸時代末期生まれの男性が「生存」している、というように、「うっそ!」と叫びたくなるような話がゴロゴロ転がるようになってきた。 この猛暑に、江戸時代生まれの人がどうして生き永らえるでしょうか? おまけに、人間が200歳まで「生存」するでしょうか? こう暑いと、奇妙な事件も出没するし、何だか世も末...みたいな印象さえ受けてしまったのだった。(汗)
August 30, 2010
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以前書いた岡田史子さんの『ほんのすこしの水』という作品には、実際、「水を与える」場面などはない。 彼女のここで「水」と言っているのは、「人の善意」のようなものではないだろうか。 この作品は(これに限らず岡田史子という人の作品は)多くの比喩に富んでいる。 比喩、というよりも、直喩、といった方が当てはまる。 「夢のように美しい月」というのが比喩ならば、「美しい夢の月」というのが直喩、メタファー。 主人公の娘は「家の富は私の力ではないのです」と流浪者ルカに言った後、「でも何かをしたいのです。私には、何かをする権利がありますか」と問いかける。 するとルカは、「何もしなければよいのだ...!」と答える。そのことが、金満家の娘タリ―を苦しめる。 彼女は、ルカが「乞食で泥棒」であることを知っても、彼への愛情を求めるが、ルカは、自身が「卑しい存在だから、汚れた手で彼女を抱くことは僕にはできない」と思い、彼女のもとを去ってしまう。 ここで「乞食」という言葉は、今では差別的と受け取られるが、この作品が持つ解読難解でメタファに満ちた雰囲気には、こうした死語は、かえって不思議と魅力的に感じられる。 また、この作品は昭和44年、今から40年も前に描かれたという事情もあるだろう。 タリ―のルカへの愛は強まるが、彼が自分を拒絶することへの苦しみに苛まれていく。そんな時、彼女の父親が、「タリ― どうした え?」と聞く。 タリ―「あの方 気がつかれましたから 着物を持ってきてさしあげます」 父「なんだ もう追い出すのかい?」 タリー「それ...どういうことですか?」 父「どうって...すっかり良くなるまで面倒を見たらってことさ!そうすればお前の慈悲心がどんなものか 思い知らせてやれるだろう?」 この父親の「慈悲心を思い知らせる」との台詞に、金満家ならではの傲慢さがはっきりと表現されている。 タリ―は父親とは異なる意味で、物乞いをせざるを得ない立場の人々の心を救いたい一心で、施しを行っていたのだが、父親は「特権階級 vs. 下層階級」といった、人の立場に差をつけないと気が済まない。 こういう父親のような人がいるから、「金満家が施しをする」行為が、「まず貧困にあえぐ人間の人格を尊重した上での行為なのか」と、ルカのように上流階級を責める疑問も湧いてくるのだろう。 それにしても、この作品は、普通の「少女漫画」のようなストーリー展開がない。 背景に用いられる綺麗な花もない。 ただ夢の中のような不思議な雰囲気の絵柄と、カフカの如く、「The End」となるわけでもなく、タリ―の家を出たルカの苦悩を表現する台詞が綴られて行く。 -この 僕の手の 湿った汚れは いつまでも続くのだから......タリ― あなたは世界のだれよりも 施しをする権利をもった人ですとも だからつらかったんです タリ― あなたを見ていることがー そして、こうしたさ迷う青年の苦しみが、歌のように繰り返され、最後は「家へ帰るとしよう......もとい 牢屋だ」で締めくくられる。 だから、なぜ青年ルカは、「乞食で泥棒」となったのか、なぜ人の好意を断り、「僕にはこれがふさわしい こうして地べたに這いつくばり 泥でも舐めているのが......」とまで苦しんでいるのか、一向にその理由が明らかにされない。 その理由がはっきりしないからこそ、この『ほんのすこしの水』は、読めば読むほど味が出る作品になっていると思う。 作者は、「子供が繰り返し読みたくなる絵本のような、そんな話を描いてみたかった」と、漫画を描く動機を語っている。 そう言えば、絵本というのも、大人の世界のように理詰めではなく、ただ夢のようにお話が語られていく。 そこに「理屈」や「常識」が入り込んでは駄目になってしまう。そういう世界を漫画で表現できたのは、岡田史子さんだけだった。 その彼女ももう5年前に亡くなってしまった。でも今健在だったとしても、彼女は作品を描かなかっただろう。なぜなら、30年ほど前に出版されたこの朝日ソノラマの単行本の解説に、彼女自身がこう書いていたからだ。 「あれから、思うように作品が描けなくなりました。手塚先生も、時々私のことを話題にされてると知り、恐いくらい幸福で......でも才能は、もう5年前に失われてしまい、描こうにも、うんうん唸っているほどなのですから...」 彼女は昭和50年代以降はほとんど筆を断ってしまっていたようだ。 1作毎に絵柄を変えるほど、画期的な才能を持った人というのは非常に珍しい。ピカソも随分と絵柄が変化した人だったが、その状況に似ている気がする。 やはり、そんな稀有な才能の持ち主だからこそ、「才能は失われてしまいました」という、これまた稀有な言葉が自然と出てくるのだろう、と驚いている。
August 18, 2010
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今日、朝日新聞の見出しはこう。 「連日猛暑の日本。だが、世界に目をやると、各地を異常気象が襲っている。ロシアは記録的な暑さに見舞われ、中国は大雨続き。一方、季節が逆の南米では寒波が猛威をふるい、各地で多くの死者が出ている。原因の一つは上空で吹く偏西風の異変とされる。」 ロシア、と言うと「寒いじゃないか!」というイメージなのに、そのロシア西部で、36度以上の熱帯。そのため、火災が起き、200世帯(この情報は7月末なので、今はもっと被害が広まっているかもしれない)が損壊した。 中国では連日の豪雨で、既に1億人以上の人々が死亡もしくは行方不明。 それに、南米ではなんと「寒波」で死者多数。これは南半球ということだから、と言っても、信じられない事態。 先日、金曜ロードショーで、豪華船が津波で遭難するパニック映画『ポセイドン』というのを観たが、今、地球各地で起きている状況も、津波に急襲されるように、「猛暑・豪雨・寒波」に襲われると言う感じがする。 我が家では、先月クーラーが故障し、買い換えた。その先月には、冷蔵庫も故障した。2ヶ月続けてー まあ、10年近く使ってたから、寿命なんだろうけれど。クーラーを買い替えると、外の猛暑は嘘のように快適である。外に出ると、夕方4時でも、凄まじい暑さだ。 息子はこの暑さを「熱さ」と表現したが、まさにその通りだと思う。バスもタクシーも電車も、この地球温暖化のツケを和らげようと、冷房は控えめだから、外出もしんどい。 私が子供の頃は、扇風機とうちわだけで夏は過ごした。それで、「物足りない。暑過ぎる」なんてことはなかった。 今から150年ほど前の幕末も、うちわや扇子で夏の暑さをあおいでいる。きっと、連日30度近い猛暑、なんて無かったんだろうな。 地球温暖化、Global Warming は、文明の進み過ぎた人間が生み出した悪循環である。 最近は、電化製品を新しく買うと「エコポイント」なるものがつくが、その電化製品、特にクーラーを使うと、エコもどこへやら、なのだ。 家でも、マイカーの中でもエアコン。外はだから暑い。暑いからエアコン。だから猛暑となる。 以前、多分8年前ころから、大学の英語のテキストで、しきりに Global Warming の内容が採り上げられて、学生が「こればっか」とウンザリしていたが、この異常気象は Greenhouse Effect (温室化現象)とも言うのだそうだ。 地球全体が、温室の中。CO2の毛布、blanket に包まれている。理科に弱い私は、この手の英文テキスト解釈に焦ったものだ。 もう外も歩けないほど暑い。熱い。 温暖化対策、とか色々やってるけど、私もあと100歳まで生きる?かどうか分からないけれど、(それまであと○○年......)その時に、今以上に猛暑だったら、コロッと逝ってしまいそうな気がする......(涙)
August 7, 2010
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6月29日、Amazon で岡田史子さんの本を買った。 岡田史子(ふみこ)、と言っても知らない人が多いかも知れない。私が高校生の頃、傾倒した「伝説の漫画家」だった。 届いた本は、もはや「古本」で、昭和54年発行(朝日ソノラマ)『ほんのすこしの水』である。 古本だけあって、「懐かしい」と2,3回読んだだけで、ページが2枚ほど外れてしまった。 何かのことから、「慈善はどうかすると偽善となる場合があるよね」などと、息子と話し合っている時、急に、この人の、昔読んだ作品『ほんのすこしの水』を思い出した。 高校生の頃、岡田史子さんのこの単行本を持っていたが、いつの間にか失ってしまった。それから私は、何回も夢に見るほど、この人の作品を読みたいと思っていた。 夢はいつも同じようなパターンで、街を歩いていると(多分、子供の頃、憧れた神田の古書店街)、店頭に「岡田史子」の本がある。それに驚いて、買おうとするところで、夢が覚めてしまう、という調子。 それ以来、熱い憧れを抱きつつ、幾度となく同じ夢をよく見たが、なんやかんやと人生の波にもまれるうちに、忘れてしまい、夢を見なくなっていた。 だいぶ時を経て、高校生の頃には考えだにしなかった、IT時代にいつしか突入。子供も15と大きくなり、色々互いに「人生論」などを語り合うようになって、突然脳裏に蘇ったのだった。 「そうだ、偽善と言えば、岡田史子という漫画家が、『ほんのすこしの水』という作品を書いたのを昔読んだよ。お金持ちの人が、物乞いをする人々に施しをしている場面があって。でも、その人々の中に、『あなたの施しはその場限りなのではありませんか』といったようなことを言って、施しを拒絶するー確かそんな内容で、漫画という感じがなくて、哲学的な作品で凄かったなあ」 私は息子にそう言った。そして、「そうだ。今はネットで何でも検索できる時代なのに、どうして今まで忘れていたんだろう」と急に思い立ち、Wikipedia で検索した。 すると、岡田史子さんは、5年前(2005年)に、55歳で逝去されていた。私には、憧れていた人が、まだ若いのにもう亡くなっていたことがショックだった。 北海道生まれで、20歳頃(昭和44年)に、『ほんのすこしの水』の他、数々の名作を描き、手塚治虫主宰の雑誌COM に読み切りを発表した。 台詞や物語が暗示に満ち、1作毎に絵柄を変えて行くという、実験的な試みが見事成功していた。 そのため、手塚治虫から絶賛され、早々に筆を折った時にも「なんで描かなくなったのかなあ、惜しいなあ」と残念がられ、また、あの萩尾望都をして「北海道は雪の中に一人の天才を......(以下台詞内容忘れ)」と言わせたほどの作家だった。 この度、ほぼ20数年ぶりに彼女の本を手にして、「ああ、そうだった。あの時の本はこれだった」と記憶が嘘のように鮮明になったのだった。 単行本のカバーに「時計の振子が最大振幅するように、かつて描くことと生きることを愛した岡田史子......」と(少し表現が違うかもしれませんが)書かれてある紹介文も、昔のままだった。私は、この文章にも感激したものだった。 問題の『ほんのすこしの水』で、私が息子に「慈善と偽善」について話した箇所は、こんな風であった。 物語の最初:中世のヨーロッパ(イタリアかもしれない)の街で、教会の鐘が鳴っている。タリーというお金持ちの娘が、神父に礼拝のお礼を言うと、神父がこう言う。 神父「...今日も物乞いするものがおおぜいいる」 タリ―「はい ほんとうに」 その後、タリ―は、教会前に集まっている貧しい人々に「こんにちは...これはわずかですが 神様のおくりもの」と言いながら、施しを始める。人々は「タリ―さま」と呼び、有り難いと感謝するが、中に疑念の眼差しで彼女を見ている若い青年ルカがいる。 ルカ「あの人はだれなのですか」 訊かれた女性「流れ者かい?あの方はさ リッチ家の...」 ルカ「リッチ家というと町一番の...」 女性「そう 資産家さ その長女でいらっしゃるのだよ あのタリ―さまは」 ルカは迷ったように黙っていると、施しの順番が彼の所にやってくる。 タリ―「こんにちは... あら あなたは... はじめてお会いいたします タリ―と申します さしでたことですけれど これは神様の...」 ルカ「そう...ルカと申します おききしたいことが あります」 タリ―にとって、自分の言葉を遮られたことは、多分初めてだったのだろう。彼女は不思議そうな顔をする。 タリ―「...どんなことでしょう?」 ルカ「つまり こうなのです... 自分の家が金持ちだということのほか どんな権利があってあなたは人に施しをするのだろうかと...」 その言葉に、衝撃を受けたようにタリ―はルカを見つめ、ショールを両手で頬に押し当て、懊悩する。 次のページで、彼女は侍女に付き添われ、ショールを被り、青年の元を去ろうとするが、いきなり両手を固く握りしめ、全身を大きくかがめて、ルカに「...失礼いたしました」と許しを乞うー このタリ―の、全身を大きくかがめた描写は、昔も今も斬新であり、こんな描き方ができるのはこの人だけだと感動を新たにしてしまう。 しかし、その前の、タリ―が「...どんなことでしょう?」とルカに尋ねるシーンから始まるページ全体は、高校生の私に大きな衝撃と新鮮且つ不思議な味わいを与えたのだった。 だから、私は、確か、実際に漫画の原稿サイズの用紙に、墨汁とGペンで、このページをすっかり模写した記憶がある。当時漫画家志望だった私が、丸ごとページを模写したのは、この岡田史子さんの作品の、このページだけだった気がする。 昔私は、ルカの「自分の家が金持ちだと いうことのほか どんな権利があって あなたは人に施しをするのだろうかと...」との台詞に震えるほど感動を受けた。 今、この台詞を何回も考えて、こんな重いテーマを物語の冒頭に置き、読者の心に斬り込んでくる作家もいないのではないか、と感じる。 このページはほんの5コマで、台詞もわずか。だが、絵が暗喩に富み、1枚のページが大きく深い一つの「表現」となっているところが凄い。 たったこれだけで、さまざまなことが考えられる。 富んだ人は、貧しい人に施しをするのは当然であるー一つの良識として、そう思われる。 しかし、「当然である」と考え、それが人に対する同情心からの行為ならまだしも、「私には権利がある。なぜならお金持ちだから」と感じ出したら、それは「偽善」となるのではないだろうか? また、こうも言える。富んだ人はほんの少数だが、貧しい人が多数である場合、その同情心は、すべての人を救うことはできない。 すると、寧ろ同情そのものが、その場限りとなってしまい、曖昧な「お情け」と受け止められる危険もある。 また、施しを受ける立場の人の身を、富んだ人はどこまで考えることができるだろうか。 ...などなど、様々な考えが頭を巡るが、一番良いのは、そういう「分析」などしない方がいい、という結論に到着してしまう。 優れた作品というものは、言葉では語り尽くせないのが常であって、そうした作品を描ける「本物の作家」は昔から希少なのだから。
July 16, 2010
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昨夜、久しぶりにBSで映画を観た。『誰も知らない』というタイトルで、1988年、東京の「巣鴨子供置き去り事件」という実際の事件を基に映画化された作品。 とても映画とは思えないほど、悲惨な事件をドキュメンタリーのように描いている。この事件をやたらと「悲惨な」とか「可哀そう」など、形容詞で表現できないな、と思うほど、衝撃を受けた。 ストーリーは、実際に1988年朝日新聞で報道されたものと、少し異なっているが、大筋、次のようなものだ。 大人だか子供だか分からない「ギャルママ」風の母親が、11歳ほどの長男、明(あきら)を連れて、ある賃貸アパートに転居して来る。 大きなスーツケースは3つもあり、母親は「仕事でしばらく不在にしますが、息子はしっかりした子なので」と大家さんに挨拶する。 この明を演じた柳楽君は、現在は20歳でプロの俳優になっているが、目の表情が「意志が強く考え深い」点が魅力的だった。 部屋に荷物を運び込むと、驚いたことに、3つのスーツケースからは、10歳ほどの少女、7歳ほどの男の子、4歳ほどの女の子が「あー、きつかった」と出て来るのだ。 母親は大家さんに「家族は息子一人だけ」と嘘をついて、残りの兄弟たちをスーツケースなどに入れて転居してきたのである。 そして、子供たちに「ルールを守ること」などと言いつける。 「いい?外に出ていいのは、明だけだよ。他の皆は、お外に出ちゃダメ。ベランダにも出ちゃダメだからね、守れる?守れない子は、いけない子だよ」 母親は、しばらく「大阪に仕事に行く」と言って、20万ほど長男に渡し、3か月ほどして帰ってくる。そうすることが、巣鴨のアパートに転居して、2回ほどあったが、ある日、母親は、明とハンバーガーショップで話をする。 「あのねぇ、お母さんねぇ、今好きな人、いるんだ」 明はうんざりして、「...また?」と呆れる。実は、母親は、長男の父親(同棲相手)とは別れて、他の3人の兄弟たちも、それぞれ父親が違うーという、何とも不道徳な経歴の持ち主なのだった。 それを知る明は、ただ一言「お母さん、勝手すぎるよ」とだけ言うのだが、この言葉少なげな様子が、よりリアルな雰囲気が出ている。彼の深刻な心情を語っている。 それに対し、母親の方は、よく喋る。「あたしは勝手じゃないよ。あたしだって幸せになりたいんだもん。幸せになっちゃ、駄目なわけぇ?」などとピーチクパーチク息子に不満をぶつける。 それを黙って聞き、視線だけを母親に向けている、その寡黙さが、とても映画とは思えないほど真実味があった。 この親は、子供を小学校から行かせていない。 明が「学校に行きたい。いつ行かせてもらえるの」と尋ねると、「今はね、事情があって駄目なんだけど、そのうち...今、付き合っている人が、お母さんと結婚してくれたら、もっと広い家に引越して、みんな学校に行けるから」という言いわけが帰ってくるだけ。 また、長女が「お母さん、私、学校行きたい」と言うと、「学校?あんな所行っても仕方ないよぉ。学校なんて行かなくっても、偉くなった人、いっぱいいるもんね」などと拒絶する。 その年の10月頃、また彼女は明に20万ほどの生活費を渡した後、「クリスマスに帰るね」と言って、大阪に出かけて行く―それっきり、母親は2度と子供たちの元に戻らなかった。 歳末となり、クリスマスになり、明は近くのコンビニで、売れ残ったケーキが値下げされるのを我慢強く待ち、やっと1200円のケーキを買って、兄弟たちの待つアパートに帰った。 妹の京子は「ねえ、お母さん、帰ってこないね」と心配そうに兄に聞くが、明は妹を不安にさせまいと、「大丈夫。そのうち絶対帰ってくる」と言う。 この時点では、彼は本当にそう信じていたんだろう。 でも、年が明け、謹賀新年の張り紙が商店街に見られる頃、明はなじみのコンビニの女性店員に会いに行く。 その女性は、半年ほど前、明が「万引き」の疑いを店長からかけられた際に、「その子は何もしてません、他の子がその子の袋に勝手におもちゃを入れたんです」と説明し、窮地を救ってくれた人だった。 彼女に頼み、「お母さんからお年玉をもらった、と兄弟に渡したい」と相談したのだろう。その女性が、子供たちの名前と漢字を明から聞いているシーンがあった。 明は、その女性からポチ袋に入ったお年玉を、自分の分も含めて、「お母さんから」と手渡す。 兄弟たちと一緒に暮らしたい、大事にしたい、との想いから、一生懸命に家事をこなし、買い物、料理、家計簿の管理、ガス・水道・電気の支払い、残ったお金はATMに貯金する。 まだ12歳になったばかりなのに、そこまでする姿に心打たれた。というより、母親が身勝手であるため、そうせざるを得なくなったのだ。 しかし、生活費もだんだん底をつく。そこで、彼は、兄弟たちの父親(以前母親が付き合っていたので、顔見知りとなっていた)たちを訪ね、当座のお金を要求する。 それでも、彼らも無責任である。彼らには彼らの家庭がある。明の母親とは、一時の交際相手に過ぎなかった、とばかり、責任をとても持てない。とりあえず、1万円は渡すだけだ。 そうこうするうち、母親がいなくなって、初めての夏となる。 母親は、実際、長男には、連絡先を教えてはいたらしい。ある日、明は104をダイヤルし、母親の居所に電話する。 「ハーイ、山本ですぅ」聞きなれた母親の声。けれども、以前の「福島」という姓ではない。ここで、明は、初めて「お母さんは再婚して、俺達を捨てた」と知らされ、一言も発せずに電話を切ってしまう。 明は、彼女は「もう帰ってこない」と考え、兄弟たちを「ルールなんてもうどうでも良くなったんだ」とばかりに、靴を履かせ、公園へ、商店街へと連れ出してやる。 京子を始め、3人の妹弟たちは、1年近く、外に出ていなかった。ほとんどお金の足りなくなった彼らの食事は、カップめんばかり。そして、ある日、弟が気がつく。 「兄ちゃん、電気つかないよ」 電気・ガス・水道代の未払いが続いたため、ライフラインを停止されてしまったのだった。 彼らは、それから夜はろうそくを灯し、トイレは公園のを使い、洗濯・洗顔・洗髪ならびに飲み水を、すべて公園の水道に頼るしかなかった。 残った3千円ほどを前に、ある晩明が考え込んでいると、妹の京子が「お兄ちゃん、これ」とお年玉を渡す。 「お前ピアノ、買うんじゃなかったのか」 「いい。ピアノ、もういらないから」 これで、少し余裕ができ、兄弟皆でコンビニに出かけ、お菓子やパンやアイス、カップめんを買いこむ。しかし、お湯が無いので、カップめんに入れるのは水道の水だけ。 それらの食料も底をついた頃、弟が寝転びながら、口をもぐもぐさせていた。「何食べてんだよ」と口から出させると、何と弟は、紙切れを食べていたのである。 驚いた明は、残った小銭でカップめんを買い、公園で水を入れ、家に持ち帰って食べさせるー 一度はコンビニで「アルバイトをしたい」と言ったが、店長に「16歳にならないと駄目でね」と断られる。 もう母親が出て行って2回目の夏が来ていた。その頃には、皆元気がなく、痩せて、明も弟も、髪は伸び放題、着たきりの服もよれよれで、穴があちこち開いていた。 家はあるのに、家賃未払いで、まるで浮浪児が勝手にアパートの空き家に住みついているような感じになっていた。 そして、ある晩、末っ子の5歳になったユキが、高い所のコップを一人で取ろうとして、椅子に乗り、誤って転げ落ちる。 京子が悲しそうに、ろうそくを灯し、ぽつんと呟く。 「ユキ、もう背が伸びたんだ...スカート短くなっちゃったね」 明は、スーツケースを開ける。小さな妹の足に、サイズの小さくなったサンダルを履かせる。そして、ユキをケースに入れ、かちりと鍵を掛ける。 彼は、1年ほど前から知り合った、「学校に行っていない」という近所の中学2年生の少女と、そのスーツケースを持って、夜の電車に乗る。 行き先は、羽田空港近くの草むらだった。明は、以前、ユキに「今度、電車乗って、モノレール乗って、一緒に飛行機、見に行こう」と約束したことがあった。 しばらく、彼と少女は頭上の飛行機を眺めながら、その轟音を聞いていた。その後、夜明け近く、二人で地面に穴を掘り、ユキの入っているスーツケースを埋めた。 私は、これを見て、初めて「可愛がっていた末っ子が死んだんだ」とショックを受けた。親もお金もないから、大事な妹が死んでも、お葬式もお墓も用意できない。こうするしかなかったのだと。 明は、泥まみれになってケースに土をかけた後、少女と土手に座り込んだ。 「今朝、ユキの体に触ったら、冷たかった......何だか、気持ち悪かった......」 そうぽつんと言って、夜明けの空を見つめていたが、組んだ両手がかすかに震えていた。 -ここまで観て、『誰も知らない』というタイトルの意味が、本当に心に重くのしかかった。 「子供置き去り・養育放棄・児童虐待」の凄惨さに言葉も出ない。だから、どんな言葉も、「事件の真実」の前では無力だ。 母親が「子供は一人だけ」と嘘をついたり、長男以外の子供たちに外出を禁止したりしてその存在を隠し、また別の愛人と「育児が面倒」と逃げ出し、子供たちだけでアパートに暮らし、挙句の果てに、末っ子が死に、長男がその遺体を人知れぬ場所にスーツケースに入れて埋めてしまったー これらの事実を「誰も知らない」と言うわけだったのだ。 実際の事件では、長男は、事件発覚時14歳で、妹が3人いたらしい。母親は、「しっかりしている長男に、他の子供たちの面倒を見させればいい、と思っていた。でもそんな考えは間違っていた」と、発見され、逮捕された時に話したらしいが、涙一つ見せなかった。 妹たちは、児童相談所に預けられ、長男は、「遺体遺棄容疑」で逮捕された、と酷い結果となった。 だが、その子の弁護士は「すべて母親がいれば、長男もそんな行動に及ばなかっただろう。末っ子が(当時2歳)亡くなったのも、母親不在が遠因でもある」と主張して、その少年は、小学校も行っていない、ということから、少年院ではなく、教護院に送られ、そこで教育を受けることになった、ということらしい。 この映画はカンヌ映画祭で上映され、上映後、5分間拍手が鳴り止まず、主演の柳楽優哉君は、14歳にして、カンヌ史上最年少で主演男優賞最優賞を獲得した。 柳楽君は、「僕たちは、この映画の台本を知らなかった。全部、監督がその場で台詞を教えてくれる。ただ、それを口にしただけ。だから、演じたという感覚はなかった」と語っている。 それだからこそ、あれだけ「演技臭くない」、静かでいながら、ある意味、真実に迫った作品となったのかもしれない。 こういった映画は、最近、都心でその実態や数も把握できないほど増えている「児童虐待」の真実を、真っ向から知るために、欠くことができない。 久しぶりに、重厚な作品を観たと感じた6月1日だった。
June 1, 2010
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日記に、今更「怪現象」のことは書きたくない気がする(ブログで2008年のことを回想録として書いているので)が、最近気になることが、マンションの一部で起きてきた。 私の家では、2008年年末と、2009年4月の終わりから今年2010年4月末まで、ずっと「夜明けの怪音」に悩んできた。 夜明けの4時から6時、または早い時で3時半から7時までの時間帯で、家のどこかで、すごく重い金槌かハンマーで床を叩いているような、凄まじい音が「ゴンゴンゴンゴンゴン!」と鳴り響くのである。 時間帯は、必ずと言って良いほど、夜明けの4時から6時、とほぼ決まっている。 天井から聞こえるような時もあれば、自分が寝ている部屋の床を叩いているように聞こえる時もあった。 ひどい時は、その震動が、寝ている私や母の背中にまで伝わってくる。その激しい音に、「わっ!」と飛び起きてしまうほどである。 今年4月最後の週が、一番ひどく、私の布団のそばのふすまの床辺りを「ガンガンガンガンガンガン........!」と20回ほど音が往復した日もあれば、その翌朝には、私や母の布団の下の床が打ちつけられていることもあった。 その時は布団が震動で震え、私はその部分が怖ろしく、足を引っ込めて、音が止むのを待ったが、この日の音の激しさと回数が最も凄まじかったように思う。 以前は「ガンガンガン!」が多くても3回から5回だったのに、その日は50回も叩かれたのである。 音がする時は「怖い!早く止んで!」と怖ろしいが、昼間はその怖さを忘れる。しかし、夜になると「また朝が怖いなあ」と怯えてばかりいた。 こんなことがあるのは、うちだけだ、と思っていた。 だが、4月30日、外出後、エレベーターに乗り、何となくエレベーター内の掲示物を眺めていて、驚いた。 そこには、「迷惑しています」と太字の大きな毛筆体で印刷された見出しの警告が貼られていた。 「A棟西側において、最近、夜中から明け方まで、壁や柱を乱打する方がおり、多数の世帯から睡眠妨害であり非常識である、との苦情が寄せられております。以後のご迷惑を固くお断り致します」 そう書かれてあった。 私の住むマンションは、A棟B棟に分かれている。我が家は、マンションではA棟西側に位置している。私の家だけでなく、同じ西側で、「明け方の激しい騒音」を聞く世帯がどっと増えた、というわけなのだ。 4月30日付で張り出された、この警告文は、管理事務所が印刷したものである。 「多数の方々の苦情が寄せられている」ということは、4月30日より前から、我が家と同じような「明け方の凄まじい音」でびっくりして跳ね起き、眠れない、一体どこの誰がやっているんだ、非常識だ、との苦情が、少なくとも10件以上は投書箱に投函された、ということだろう。 それ以前は、エレベーター内の掲示物は、「ペット飼育のご意見を伺います」とか「野良猫にえさをやらないで下さい」程度の内容だった。それが急遽、「夜明けの非常識な騒音」への警告文に変わったのだ。 私は、我が家での「人間技と思えないほどの怪音」が、管理事務所の掲示物で「壁や柱を乱打する音」と表現されてあったのを見て、そうだ、あの凄まじさは、「乱打」がぴったりだ、と感じた。 そして、翌5月1日には、1階ホールの掲示板にも、同様の警告文が張り出されてあった。 しかし、不思議なことに、我が家の怪音は、その警告文が張り出されてから、ピタリと止んでしまった。 だから、5月に入ってからもう18日経つが、あの「4時から6時の凄まじい音」は一切なく、気がついたら8時になっていたりして、「ああ助かった。眠れて良かった」とホッとする。 しかし、マンションの他の世帯では、相変わらず例の怪音が続いているらしく、その証拠に、5月16日に至るまで、その警告文は貼られたままだった。 そして、今日、別の警告文が新たに張り出されていた。 「A棟西側で、昼夜を問わず、金属を引きずる音が響き、多数の方々が騒音がひどいと苦情を訴えております」 その「金属を引きずる音」とはどんな音なのか。 我が家ではその音は聞こえない。 それにしても、「夜明けの、壁や柱を乱打する音」や、今回の「昼夜を問わず、金属を引きずる音」とは一体何なのか。 そんな音がいっせいに、マンションの西側の多数の世帯で起きて、「騒音公害、非常識、睡眠妨害」と、個々の家の人々が同様に困るなどということ自体、現実に有り得ないのではないか。 1階の人が「2階で子供さんが暴れるのがうるさい」とか、「上階の人が、夜11時でもピアノを大音量で弾くから迷惑です」と言う程度なら、管理事務所は、張り紙まで出さないだろう。 私は、「我が家だけで起きていた怪音、怪現象が、他の多くの世帯に波及したんだろうか。でもそんなことがあるんだろうか」と不思議である。 管理事務所の人も、「壁や柱を夜中から夜明けまで乱打する音」を誰かが出している、と聞いた時は、「全く非常識な迷惑行為をする者がいるんだなあ」と思ったのかも知れない。 しかし、今度の「昼夜を問わず、金属を引きずる音」で「多数の人から苦情が出ている」と聞いた時は、変に思わなかっただろうか。 「誰かがどこかで何か、大工仕事をしているーにしても、それが多数の人が『昼も夜も響いてうるさい』というほどの音になるだろうか」と感じないだろうか。 私は、この「昼夜を問わず」という表現で、佐藤愛子さんが書いた『私の遺言』の中の、岐阜県富加町の町営住宅の事件を思い出し、「そっくりだ」と寒気がした。 その事件は、ネットでも詳細が色々書かれているが、新築のアパートなのに、入居者が増えた頃から、「昼夜を問わず、不思議な現象が起こるようになった」という。 それを、佐藤愛子さんは、「始まりは、物音である。天井を人が歩く音、子供が駆け回る音、ノコギリを引くような音、ガラス瓶を転がす音、金槌で激しく叩く音......」とのように書いている。 「それから、各世帯で不思議な現象が起きるようになった」-いわゆる「超常現象」である。 カーテンが間を置いて少しずつ開いていく、電源も入れないドライヤーから熱風が噴き出される、主婦の目の前で、食器戸棚の扉が勝手に開き、奥に入れていた茶碗が2m飛び、割れ口がなぜか綺麗に「コ」の字型に割れている......などなど。 この町営住宅が建った土地自体が、昔、合戦場だったとか、ポルトガル宣教師の処刑場だったとか、自殺をした女性がいたとか、そういうことが霊媒者により「霊視」されたーというのを読んだことがある。 しかし、最近、このアパートの記事に関し、別の見解もネットで目にした。それは、土地にも問題があったが、入居した人々にも問題があった、とする説だった。 要するに、たまたま入居した人々が「霊感が強かった」ということである。その人々の霊感と、その土地にしみ込んだ因縁との波長が偶然合ってしまった、ということらしい。 私は、自分のマンションが、今後、また別の「騒音」で、延々と警告を貼り出すうち、私の家にも、別の世帯にも、「人に言い難い怪現象」が起きたらどうしようーと少なからず不安である。
May 18, 2010
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明日は息子の高校の入学式。 ここ数年いろいろ大変だったけれど、何とか受験、1.8倍の競争率で、無事に公立に合格した。 ということで、入学前の説明や受講登録などなどで、何回も、通学に約1時間半ほどかかる片道を往復した。 この高校は、大学のように自分に合った時間割が組めるので、個人の都合や体調、生活リズムを考えて、授業が受けられる。 そういう長所を活かしたいと、ここを受けた。 少人数制で授業が受けられるのもいい。 いきなり「英・数・国・理・社」を受講しなくてもいい。 だから1年次の息子の時間割は「自己流に」、「国語・英語1・OC(Oral Communication)(=英会話)・生物が中心である。1日4時間の授業。ゆっくりしていて、いいのである。 そんなこんなで、時間割も決まって、2日は帰り道をゆっくり歩きながら、二人で携帯カメラで、桜などを撮影した。 こういう時間はいいものである。 学校へと連なる並木道は、桜の名所で、所狭しと桜が咲き乱れ、花見客も多く、すごい陽気で暖かな1日だった。 よく見ると、桜の花は、白かった。 漠然とイメージすると、「桜=ピンク」と考えるが、実際は白い。 白い方が、春の陽気の中に、不思議と白い雪の花がたわわに視界をさえぎるようで、これも美しい。 春は桜、秋は紅葉、昔からどちらが美しいか。 源氏物語にも、両者を比較する場面があったが、今の私には、桜がいい。 桜の花は、いつまでも咲いていてほしい。 あの白さは、新しい生活の新鮮さと、幸福を表す色だからなのだ。
April 8, 2010
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3月1日でバンクーバーオリンピックが終わってしまった。私は、お祭りで盛り上がる雰囲気が好きなので、盆踊りやクリスマス、お正月の参拝の賑わいや、オリンピックが大好きである。 開会式を2月13日に丸々3時間も観て、目が疲れた。 凄いハイテクな開会式だった。 息子は最近、同い年ほどの友人が2人もできて、入試前だが浮き浮きして、作文の練習と卓球・テニスのため、外出していた。帰ってきて、「これが開会式なんだって」と一緒に観ると、「すごい金かけてんじゃないの。この不況に?」とぼやいだ。 東京オリンピックの記憶が新しい?母は、今回のような21世紀若者向けの、歌&ダンス&パフォーマンス満載の開会式の面白さがよく分からなかったようだった。 しきりと「国旗を持って、選手が入場するのがまだなの?それがオリンピックじゃないの?」と不審がって(笑)いた。 オリンピックでは、フィギュアスケートのみが、他の競技と異なる。あまり競技、という感じがしない。 華やかな衣装、クラシックバレエのような美しい動き、樹氷の輝きを思わせる白いリンクに流れる様々な音楽に合わせて滑る、さわやかな涼しい蝶の舞のようだ。 だから、「4回転ジャンプ、トリプルアクセル」の辺りのみが、「スポーツ」としての技量を競っている印象だ。 今度のバンクーバーでは、男子フィギュアに驚いた。昔と違ってきた。なぜかというと、まず衣装が違う。 男子フィギュアだと、衣装はほとんど肌を見せない。大抵、黒づくめが多い。 でも、今回は、日本人選手は衣装は男らしかったが、欧米や中国などの選手は、男性なのに、首から胸元、背中を開けた衣装をつけた人が多かった。 一番、「この人はホントに男の人なの?」と思ったのは、米のジョニー・ウィアーだった。この人は、顔も女性のようで、体も華奢で、しなやかであり、腰の辺りの曲線が柔らかく、遠くから見ると、「ショートヘアのボーイッシュな女の子」が滑っているように見えた。 彼を見ていると、「この人、絶対彼氏いるよね」などというセリフが何回も思わず出てしまったのだ。(あくまでも、彼があまりにも若い娘のように見えたからですぅ~) この男子フィギュアで、一番驚いたのは、米のイヴァン・ライサチェックの演技とその外見だった。この人の衣装は、全くの黒ずくめで通していた。 最初のショート・プログラムでは、鳥のイメージを強調して、手袋まではめて、手首と肩に鳥のような尾ひれの飾りをつけて滑った。 私は、彼の驚くほどの背の高さと、オールバックにした黒髪と、びっくりするような足、腕や手の細長さに強い印象を受けたし、その演技がダイナミックかつ神秘的だったので、「何だかあの長い手足がクモみたいで、ブラックなイメージで、ドラキュラ男爵を演じたらピッタリくるよね」と何回も言っていた。 すると、息子が「ねえ、昨夜、あんまりあの選手を『ドラキュラだよね』って言葉聞いたから、夢の中にあの人が本当にドラキュラになって出てきて、スケートしていたよ」と興奮してしまった。 男子フリーの時は、SP の時とは異なり、神秘的なイメージはあまりなく、むしろ正統的な男性さを醸し出していた。そして、ライサチェックは完璧な演技をこなし、フィナーレを決めた時は、自分でも「やった!パーフェクトだ!」と思ったことを隠さず、両手を握りしめて、感動を表情に強く表した。 この時から、私はこの人に好感を持つようになった。 得点を待つ時に、リンクではよく見えなかった表情がよく分かる。彼はとてもハンサムで、優しい目をしていた。高得点が出た時にも、「いい笑顔だなあ」とうっとりした。 そして、金メダルが決定した時の喜びようは、ただテレビの前で座って観ている私も感激するほど凄かった。周囲の人々と抱き合い、笑い、涙するのだ。 米が男子フィギュアで金メダルを獲得するのは、22年ぶりだと言う。このライサチェックは、「世界で一番練習する選手」と言われているそうだ。 懸命の努力が報われた時の人の涙は美しいと、しみじみ思ったものである。 名前からして、ロシア系か、ポーランド、東ヨーロッパ系の移民なのだろうと推測したが、アメリカは、典型的な金髪のゲルマン系の人よりも、案外、ヨーロッパやロシアからの移民の人に、こうしたカリスマ的な魅力を持つ人が多いような気がする。 この人の演技と、努力の涙は、感じやすい息子に大きな影響を与えた。 息子は、早速、面接練習の「最近興味をもったこととその理由は?」との答えに、このライサチェックのことを書き、完璧に言えるように覚えた。 「バンクーバーオリンピックの男子フィギュアで金メダルをとったアメリカの選手の演技が素晴らしかったし、金メダルをもらった時の、この選手の喜ぶ様子を見て、すごい努力をしたんだなあ、と、とても感動しました」 ライサチェック選手のおかげかどうか、昨日の教育センターでの模擬面接では、トップの成績を獲得できた。 「あきらめないで、努力すれば、道が開ける」 このことを忘れないで、来週の受験に挑んでほしいものである。
March 6, 2010
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12日に整形外科に行った。レントゲンの結果、びっくりした。 「右肩を覆う、腱板(けんばん)という筋肉が外れている」 3週間前に転んだ時、そんな状態になってるとは全く分からなかった。単に「転んだから、痛いんだな」なんて、タカをくくっていたのだった。 昔、ハイヒールで電車に間に合うよう、やはりダッシュで走っていた時、駅の手前ですごい勢いで転んだ。 でも、すぐに起き上がって、ホームに駆け上がり、バイト先に出かけた。 夕方、2月だったので、電車の座席の足元から暖房の熱が伝わってきた。そうなると、「あ~足首が疼く、いたたたた」となった。 翌日、総合病院の外科に行くと、「左足首の靭帯が切れている」...... エ~!であった。医者も仰天していた。 「よくまあ、派手に転んだんやなぁ。治るのは2カ月、かかるでー」 全く、怪我は侮れない。激しい痛みが来たら、もう病院!なのだ。 アメリカの博物館に保存されている「自由の女神像」は、右手に松明を握り、高々と掲げている。 今、この日記を全て左手でタイプしている私は、彼女が羨ましい。 しかし、怪我や病気をすると、ふと、子供の頃愛読していた『幸せの少女パレアナ』の言葉を思い出す。 パレアナは、体が不自由だが、物事の良い面を見出す才能がある。 「私の右足は動かないけれど、そういう時は、『左足が元気で良かった』って、そう思うの。病気は辛いけれど、治った時の嬉しさを考えるの。そうしたら、どんな時でも、希望が持てて、幸せでいられるのよ」 確かそんな内容のことを言っていた。 要するに、物事を悲観しないことが、生きる上で大事だということだ。この話に、子供時代、感動していたのに、大人になると、なんやかんやで忘れてしまった。 パレアナの言葉を大事に、養生せねばなぁ。
January 14, 2010
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ルネサンス時代のミケランジェロは、システィーナ礼拝堂の天井画を数年間、描き続けた。 完成したのはいいが、いつも上を見て、朝から晩まで仕事をしていたので、首の筋肉や骨が痛むようになり、下を向くことができなくなったらしい。 560年前の人と言えど、筋肉痛、関節痛に悩んだんだと思うと、親しみが湧くものだ。 私は、去年12月22日に、バス停に停車しているバスを追いかけて、猛ダッシュで走った。 普段、走ることはあまり、ない。 それが、全速力でマッハ9(嘘だろ)ぐらい、自分では最高速度で走ったんである。 「ああ、限界だ」 そう思った瞬間、体が宙に浮き、次には全身が地面に叩きつけられていた。 前向きに転んだのだ。それでも、最初は痛みは分からない。というか、そう痛くも感じない。 それで、バスは行ってしまい、次のバスに乗った。 考えてみれば、あんなにバスに急ぐ必要はなかった。ただ、病院の予約時間に間に合わせようというだけで、あんなに走ることはなかったはず。 打撲というのは不思議だ。 最初はそんなに痛くないので、翌日は息子とショッピングセンターに行き、外食し、帰宅してピアノを弾いた。 その2日後は、電車に乗って、『のだめカンタービレ』を観に行った。 その時は、映画館で食べる軽食のトレイを持つのがやや痛いので、息子に持ってもらった。それに、財布から小銭を取り出すのが「取り辛い」と感じた。 年末には、年賀状に文字を書くのが、疲れやすくなった。文字を肉筆で書くというのは、案外、肩の関節を使うらしく、右肩を痛めた私には辛かった。 年末年始は、息子が風邪をひき、私もうつり、辛さは打撲よりも風邪の方に注意が集中した。 風邪がやや良くなったのは、1月4日頃で、風邪の調子がいいので、初詣に行ったのだった。 だが、その頃から、打撲の痛みが復活。というか、痛みが広がる感じである。 最初は右肩、右手首、肘。 それがだんだん、右肩、右手首、肘、右膝、左腿、首の後ろ、肩甲骨、背骨の上部へと、痛い部分が増えていく。 パソコンのキーも、手元に引き寄せないと、右肩が痛い。食事も、右腕をちょっとテーブルに乗せるだけで、「痛っ!」となるし、何よりも辛いのは、着替えの時となった。 とにかく右肩の関節が酷く痛い。 電子辞書の「家庭医学辞典」で「打撲」を引くと、「打撲は通常、1週間で治ります。それ以上痛みが続き、熱を帯びた様子なら、早急に整形外科に診てもらいましょう」とあった。 今週の火曜で、転んでから3週間目。治ればいいけどなあ。治らないと、今にピアノも弾けないし、絵も描けなくなるし... パソコンのキーまで打てなくなったらおしまいだ。 今年は私は、初詣では「末吉」。これを母に言うと、「そんなの迷信よ、古いのねぇ」と笑われる。 案外、私は運勢云々に弱い。俗っぽい。 それは別として、打撲の凄まじさに、今更ながら敬服している昨今である。
January 10, 2010
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今日は息子の15歳の誕生日。彼は1995年の生まれで、生後10日目、私の実家で寝ている時に、あの恐ろしい阪神大震災に遭った。 1月17日の午前3時頃まで、お乳を欲しがり泣いていた。私は眠れないまま、仕方なく、授乳後、生後10日の息子の写真を撮ったりした。 それから寝たのが4時近く。寝入ってすぐ、という感じで激しい揺れで飛び起きた。 あの時は、「普通の地震じゃない」と直感できた。私と子供は、家で一番暖かいが狭い仏間に寝ていたのだが、すぐさま枕のそばの書棚の上に置いた段ボールなどが、4,5個、私の肩や背中にぶつかって落ちた。 その直後、赤ん坊の枕元(頭の上)にある仏壇が、ぐらりぐらりと揺れているのに気が付き、慌てて子供を抱きかかえて、隣室の居間に逃れた。 その後、揺れはひとまず止まった。幸いなことに、私も子供も何も外傷は受けなかった。父が、「皆、無事か!」と私や母の所に駆け寄った。我が家は、食器が幾つか割れた程度の損害で済んだ。 あの時のほんの数秒の地震で、「神戸が消えた」との報道に衝撃を受けた。今でも当時の記憶は鮮明である。 あれは、平成7年のことだった。それが、もう平成22年なのだ。息子も15になるはずだ。 私は、一人息子に、毎年、大したことをしていない。彼の一番の虚しさは、「あちこち旅行をしたことがあまりない」ということだ。これは、私が、子供を出産後、色々なストレスから、喘息気味となり、おたふく風邪となり、眼精疲労となった中で、ずっと、通勤時間が往復6時間もかかる大学に勤務していたため、実現しなかったのだ。 今思うと、せっかくの大学の長い休暇中に、もっといろんな近場に連れ出して、思い出を作ってやれば良かったと残念なのだが、それさえもできないほど、休み中は体が悲鳴を上げていたのだ。 だから、私が息子にできることは、誕生日ごとに、クリスマスごとに、手作りのカードを作り、プレゼントもその年2回だけ、ということが続いてきた。 市販のカードに、広告や通販のパンフレットなどから、きれいな装飾の部分を切り取り、貼り付ける。または、光るシールなどを、その年齢にあった数字の形になるよう連ねて貼る。 時には、自分で装飾部分を手描きのイラストで埋める。 小学生の頃は、そうしたシールやイラストが、カードの大半を占めていたが、思春期を迎えると、装飾部分は限られ、メッセージの文章が多くなった。 まだ子供なのだが、子供扱いされたくない、大人に一歩近づいた、という意識が強いのが思春期の少年である。だから、そうした年頃に合うようなメッセージを私は書く。 今年はいよいよ15ということで、病院でも「小児科」とはさようなら。パブロンも2錠から3錠でOK。異性への興味も(良い意味で)湧いてきた。 まさに青春の入口に立ったばかりの15歳。 そこで、私は、1840年に生まれ、1924年に亡くなった、米国のユダヤ人詩人、サムエル・ウルマン (Samuel Ullman) の詩を引用した。Whether sixty or sixteen, there is in everyhuman being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of the game of living.60歳であろうと16歳であろうと、あらゆる人の胸には驚異に魅了される心、おさな児のような未知への探求心、人生に対する興味と喜びがある。ー そして、息子に宛てて、このように書いた。 「15歳のお誕生日おめでとう。あなたの人生は肥沃な大地、希望と光に溢れています。その大地に種をまき、美しい花を育てていきましょう。人生の主人公は自分なのだ、と感じながら...」 こうしたカードのメッセージ以外に、封筒にも装飾を凝らしたりして、約2時間半、時間を費やした。 先月の22日(2週間と3日前)に、バスを猛ダッシュで追いかけた挙句、私はバーン!と前のめりに倒れ、いやというほど体を打撲した。まだ右肩の関節が痛い。 パソコンのキーは打てるが、肉筆の文字を書くのは、日々痛みが増すので、結構辛いものである。それでも、年賀状や、子供へのお誕生カードなどは、1年に1度のことなので、何とか頑張った。 まだ15歳になったばかりと言っても、息子には、いじめを受けて、中学に満足に通えなかった、という、何か自分の人生に空洞を作ってしまったような悔恨の想いがあるようだ。 昨日、フリースクールで書いた作文にも、自分が「言葉によるいじめを受け、学校に行けなくなった。体調不良となり、その中で一番ひどかったのは吐き気で、それが朝から晩まで続く。不眠となり、体重は激減し、心配した母は、私を心療内科に連れて行った...」 このように、辛かった2年間を振り返っている。 だから、「まだ人生はこれから。前途洋洋とした若い心の芽を、青春の只中で、どうぞ花開かせて」との想いを私は、彼のバースデーカードに託した。 サムエル・ウルマンは、南北戦争に出兵した後、金物事業を始め、地元の教育審議委員や教会のラビ(ユダヤ教の指導者)、銀行の取締役などの職を歴任した。 同時に詩人であり、心理学者である。 彼が「青春」ーYouthーの詩を書いたのは、多分、初々しい20歳の時ではなく、様々な人生経験を経た50代から60代の間ではないだろうか。 「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。...年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時、初めて人は老いる」Youth is not a time of life; it is a state of mind...Nobody grows old merely by a number of years. We grow old by deserting our ideals. こういう心境で、このような言葉を書けるのは、「肉体的に老いつつある」時である。これは、決して老人の皮肉ではなく、人間の本質を語っている。 肉体は物質的に老いるものだが、魂は単なる物質的なものではない。心というものが、脳という肉体を司る物質的な部分の働きにより、左右されている事実があっても、人の心や魂というものは、物質的次元で語られるべき以上の存在であるー そう感じられるからこそ、詩人はこの詩を書いたのではないだろうか。 ネットやゲームで日々を物質的満足感で過ごす若者には、人生への熱い理想や希望が失われがちではないか。そんなネット上でさえ、検索すれば「サムエル・ウルマン」は出てくるのである。 人生は、毎日の積み重ね。その毎日に、「希望と理想」という信条の光を注ぐか否かで、人生はがらりと変わってくる、とウルマンは教えているのである。
January 8, 2010
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1月4日は初詣を果たした。なぜ「果たした」となるのかというと、毎年、初詣が10日頃と遅くなるからだった。 今年は息子が高校受験なので、初めて「絵馬」なるものをお寺で買い求めた(500円でした)。それには「合格祈願・祈願成就」と赤い文字で書いてある。 裏にお寺のボールペンで、願い事を書く。息子に書かせようとしたが、なぜか「いい。めんどくさい」と言うので、「何か、受験が近くてプレッシャーかな」と思って、私が書いた。 「無事に志望校に合格できますように。2010年1月4日」 その後で、息子には「自分の名前は自分で書いて」と書かせた。息子は書いた後、「自分の本名書いて、ここに吊るすのって、個人情報暴露だよね」などと言った。 それもそうだ。「合格祈願」がほとんどだが、中には「健康になれますように」といったお願いもあり、本名だけでなくて、住所や志望校まで書かれてあるんだから。 いつから絵馬は、合格祈願を担うようになったんだろう。馬は「飛躍」を意味するのかな。 松の内は今日まで。後、4日と5日は、バンクーバー冬季オリンピックに向けての、フィギュアスケートの日本代表選手権大会をしっかり観た。 よく思うのは「どうして、ああ毎年、良い選手が輩出するのかな。『あ~も、もうここ10年、ひとっりも良い選手、いないじゃないっすか』って状況にならんのね」ということ。 必ず優れた選手が出てくる。今一番注目されているのは、浅田真央さん(19歳)なのだ。 昔は、村主章枝(すぐり・ふみえ)さんが世界の注目を浴びる日本代表だったのにね。村主さんは、この大会ではもう28歳で、7位だった。 去年、足を怪我したというためか、浅田真央さんの後に演技する村主さんは、何だか遠慮がちで動きが小さい。 「あ~、可哀想。あーんな、浅田真央の後に演技ってさあ、すごいプレッシャーなんじゃないの?ほら、何だか弱弱しく滑ってない?」 こう言うと、情報通の息子が「違うよ。あれは単に怪我のため。あのね、各選手は、皆、他の人の演技を見ないようにしてるんだよ。プレッシャーを感じないように」 「あ、そうなの?へ~知らなかった。なるほどね、精神的なケアを大事にしてるわけなのか」「そうそう」 それから私は言った。 「よく思うけどさ、何度も言ったけどさ、どーしてフィギュアって、お尻ドテ~ンが多いんだろ、ねえ?」 息子は事も無げに答える。 「そりゃ、スケートってのは、滑りすぎないようにコントロールして演技してるんじゃない。つるつるの氷の上で滑ってんだから、ちょっと失敗してぐらついたり、お尻つくのは当たり前だよ」 そして、彼はこう付け加えた。 「フィギュアスケートはさ、滑るスピードを利用して演技するんだから」 息子の名回答に私は開眼させられた。 「フィギュアは、滑り過ぎないように滑ってる」 「フィギュアは、滑るスピードを利用して演技する」なんて、考えたこともなかったのだ。しかし考えたら当たり前のことだった。 「え?考えたことなかったの?ただ、すご~いって、見てただけ?当り前なのに気づかなかったの?」 「...(笑)そうなんだよねぇ」 負うた子に教えられているんである。 息子は、浅田真央さんのことを、「あいつは『滑るロボット』だからなぁ。絶対失敗しないんだ。言ってみれば『スケート廃人』じゃないの」などと酷評する。 「え?『スケート廃人』はないでしょ。ああして、練習して、人前に出て演技披露できるって、やっぱりすごいことよ」 私が驚くと息子は「『廃人』ってのは冗談だよ」と笑う。 しかし、浅田真央さんには全く驚くなあ。私は以前、彼女の演技は「かたいな」と思っていた。何となく、体がまだ子供で、動きに柔らかみがないのだった。 でも彼女も19歳。長い手足をダイナミックに動かして、ラフマニノフの『鐘』に合わせて、細かな動きを取り入れつつ、大胆に美しく舞い、滑る。そことなく女らしさも漂うようになった。 「あんなことができるってのは、やっぱ凄いことなのね。普通は、というか、私は、氷の上で歩くことも滑ることもできなかったよね。あんなにザーッと滑ったら、『誰か誰か止めて―っ』となるんじゃないの?それを、ピタッと止められるんだからなあ、もう」 浅田真央さんが、バンクーバーでフィギュアの女王の座を占めたら、それこそ心から祝福したい。彼女のスケートは本物なのだ。 浅田さんに次ぐ2位は、鈴木明子さんで、この人の滑りはすごく楽しい。浮き浮きしたダンシングが上手い。表情が生き生きして、チャーミングだ。 「昔のオリンピック選手は、日本人と言えば、無表情で、体つきもごつくて短足で太くて、恥ずかしかったのに...平成か昭和終わり生まれは違って来たな、国際的で」 私は鈴木明子さんの Westside Story をテーマにした楽しそうなスケートが大好きになった。彼女がダンスは得意の欧米勢の中で、もし1位となったら、世界の日本人への目も変わるはず。 有名な安藤美姫さんは、上位の2人に比べると、「クレオパトラ」をメインのBGM にしているものの、元気度が足りないなあ~神秘的で熟女的魅力はあるけれども。 彼女は随分痩せて、頬がこけてしまっている。鼻が高く、目が大きい美人タイプ。これは息子の好きなタイプ(らしい)。 しかし、衣装は「豹柄」。これを見た息子は、「あんな衣装、見てて恥ずかしい。裸に、墨で模様を描いたのかと思った、一瞬」などと、これまた大胆な発言をした。 「えっ?裸に?(笑)...墨で模様?...『耳なし芳一』みたいじゃないの、それって」 そんなこんなで、とにかくフィギュアが楽しみなオリンピックが2月、その後3月は息子の受験。人生山あり谷ありなのだ。^^;)
January 7, 2010
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ついに2010年の新年となりました。 皆様、明けましておめでとうございます。 今年もこの「隙間風」サイトをどうぞ宜しくお願いします。 えっ?「隙間風」なんて自虐的?そーですね。新年から、何すねてんの。いえいえ、これは、息子の真似です。 息子は自分のサイト(結構その「業界」では海外でも有名である?)の新年の挨拶に、「今年もこの過疎サイトをどうぞよろしく」と書いたのだった。 それはMPH (メトロイド・プライム・ハンターズ)のサイトなのだが、今、そのゲームは「過疎」ってる。現在、10代から中年?まで幅広く人気があるのはMHP2ndG(Monster Hunter Second G) の方で、海外でもPSPは大人気。 彼は、自分でplay した動画を映画監督並に11分以内に編集し、画質の向上をチェックし、著作権に触れない曲をつけて、もうこれで17作も動画を作品として創り、YouTubeにupload している。 これがもうすぐ15歳になる平成ハイテク少年の趣味であるが、ただゲームをするのではなくて、効果音や、playのテクニックの巧みさ、字幕を考えてつけたり、音楽を効果的に活用するなど、だんだん、「創作活動」に近づいてきた。 よく考えると、その完璧度を目指す凝り様は、私が15歳の頃、人気漫画家のイラストの似顔絵を細かく描いて、水彩で色を奇麗に塗り上げて、「一つの作品」として仕上げていた、その凝り方と同一である。 親と子はこうまで似るのか~と驚いた。 彼は、字幕や、動画作品の紹介などに、英語を用いたがるのだが、その英語好きな点も、私によく似ている。 だんだん、ただ「ゲームを遊ぶ」だけじゃなくなって、自分の世界というものを自覚して、その幅を広げていっていることは、感受性が豊かになっている証拠なので、良いことだと思っている。 ところで、新年、元旦は、書き残した年賀状の続きをぼちぼち書いていた。毎年、元旦は静かに過ぎるなぁ。 『のだめカンタービレ』のアニメがあってて、らっきーでした♪ 『のだめ』に関しては、もうメロメロだが、原作アニメでは千秋(ちあき)先輩よりも、のだめちゃんの方が素敵に感じた。 このアニメの間に、先日のクリスマスで観た映画が「只今絶賛上映中!」とコマーシャルで流れると、千秋を演じた玉木君の凛々しさが目に眩しい...ああ、元旦だなぁ♪ 大晦日は、『たけしのアンビリバボー!』を息子と観ていた。『紅白』よりこっちが面白い、と彼が言う。確かに面白いし、感動もした。 事故の衝撃映像等は、生々しくて痛々しいが、UFO などの話や、氷漬け人間ギネス世界一などは面白かった。 NASAの宇宙飛行士が遭遇した、宇宙人と思しき遺体が火星?などに残っており、その一部を持ち帰って分析すると、宇宙人の遺伝子因子は、なぜか、モンゴロイドであり、しかも、中国人でも韓国人でもなく、日本人しか持ち得ない遺伝子因子と同一だったとか!? 宇宙人って、日本人の兄弟だったのかなぁ? それに、話は飛ぶが、ミイラの話もあった。ミイラと言えば、古代エジプト。でも、現代に至るまで、ミイラが作られている国がある。 それは『God Father』で有名なシチリア島。 ある修道院の地下堂には、何百体ものミイラが服を着せられてずらーっと立てられている。その風景は...... 圧巻、というより、ハッキリ言って、怖かった。 しかもミイラを作る技術まで進歩しているので、生前(息を引き取った直後)の面影まで、そっくりに保存されており、顔の表情や髪までそのままである。 しかし、肌の様子、更に、やはり生きてはいないのだから、息をしていない、その姿は、「変わり果てた」としか言いようがなく、遺族の人は、これで本当に喜んでいるのかなぁ、と疑問に思う。 実際、「世界一美しいミイラ」として保存されているのがあり、それは、80年前に亡くなった2歳の金髪の幼女の遺体であった。 美しいブロンドやカールした愛らしい髪型、金色のリボンもつけられて、目はやや半開きで、愛らしい服を着せられて横たわっている。 ちょっと見たら、小さな女の子が眠っているだけに見える。「娘をミイラにして下さい」と、ミイラ技術専門の医師に、その父親は依頼したそうだ。 でも、念願叶って、娘は白骨化せず、生前の姿を永遠に留めることとなったものの、その父親は、娘に会いに来る足は、だんだん遠ざかり、ついには修道院の地下に来なくなった、という。 「そりゃそうだなぁ。愛する子供が、目の前に居るけれど、やはりほっぺは固く、硬直した体、返事をしてくれない様子なんかを見ていたら、『やっぱりこの子は死んだんだな』って悲しみが増すだけよね」 私はこんなことを思った。 そんなで、夜の11時45分には、恒例の「行く年来る年」で除夜の鐘を聞かないと、大晦日って感じが来ない。 無事101回、鐘が鳴り、煩悩は消えないまま、新年を迎えてしまった。 私は今年は「年女」です。あ、何回目の?なんて、聞かないようにしましょうね。^^;) それにしても、年賀状に、つい、「2010年おめでとう」じゃなくって、「2001年おめでとう」と書いてしまいそうになるのは、私だけでしょうか?
January 1, 2010
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今年のクリスマスは、実は受験高校の説明会があったのだが、同じものが1月18日にある、ということなので、息子は、「クリスマスなのに、外出しないのはつまらない。クリスマスは、街の雰囲気も違うし」と言った。 それで、観たかった映画『のだめカンタービレ・最終楽章劇場版』を観に行った。 よく以前、「漫画の『のだめカンタービレ』などで、クラシックファンが増えましたね」というコメントをサイトで見かけたりしたのだったが、私は、その漫画を知らなかった。 Wikipedia で原作者の二ノ宮知子さんを検索すると、その作品の解説が詳しく載っていた。 随分と緻密な構成で、クラシックに精通している人が描いたのでは、と思わせるようなストーリーのようだった。 最初、タイトルの『のだめ』の意味が分からなかったが、それも、作品に登場する女性ピアニストの名前が「野田めぐみ」だから、愛称が『のだめ』になった、ということだった。 この作品を読んで、「本格的にクラシックを勉強し始めました」と言う人が多いほど、その影響力はすごく、かつ大人気だったらしい。 私は、「クラシック漫画というと、くらもちふさこさんの『いつもポケットにショパン』があるんだけど?」と不思議に思った。でも、その疑問は、11月の終わりに買った、映画情報誌TVTaro ですんなり解けた。 表紙が、『のだめカンタービレ』に登場する、のだめの彼氏を演ずる玉木宏だった。 最初は「ふぇ~最近の芸能人は、草食系男子が多いんじゃのぅ」と思ったほど、表紙の玉木君は色白でふにゃ~っと優しげな表情だった。 「こういう雰囲気の人が、最近はもてるのだわ」 でも、その玉木君の『のだめカンタービレ』に関する特集記事の写真などを見ると、すぐに「こ、これはスゴイ!面白そうで、カッコいい!観たいよ、この映画!」となっちゃったんである。 舞台が、チェコ、ウィーン、パリ、etc. に加え、玉木君の指揮者ぶりが唸るほどカッコ良すぎる。 それに主役のピアニスト「のだめ」ちゃんが、天才的なピアノの腕前なのに、普段は、ぼ~っとしてて、且つ、玉木君演ずる「千秋(千秋)先輩」に「愛されている」っていう、一方的な妄想を抱きやすいって所が笑える。 実際、観に行ったら、もう傑作。 「千秋」は素敵だし、指揮もピアノもバイオリンもこなすし、その時の真摯な表情が、「草食系」どころか、しっかり伝統的な「男前」! 音楽も、クラシックの王道をしっかり歩んで描かれている。「千秋」は「俺様、何様、千秋様」と言うほど、プライドが高く、人にも自分にも厳しい。(俺様を何様だと思ってんだ?千秋様だぞって意味かな。) 肩で風切って歩き、ごみ溜めみたいな、ルー・マルレ・オーケストラの団員をしごき、「黒髪プリンス」とあだ名をつけられつつも、最後には、見事にオケをまとめ上げ、立派な演奏を指揮するところに感動、感動♪ そんな「エリート男」が唯一、弱いのが、天才的なピアニスト且つ「変態的妄想癖」のある「のだめ」ちゃん。 のだめちゃんは、パリの「コバト」、コンセルバトワールでの進級試験に一発で合格、「トレビアン(成績優秀)」をもらうほどピアノがスゴイ。 その、のだめちゃんが、千秋先輩を見つけて、ダダダーッと駆け寄り、「せんぱぁ~い!」と抱きしめ、彼の首にキス、ではなく、思わず噛みついてしまう所がすごいギャグで、爆笑してしまう。 千秋はのだめを「俺様が面倒見てやる」みたいな感じで接している(本当は彼女の才能に惚れ込んでいる)が、のだめは千秋先輩と「相思相愛なの」と思い込んでいるんだから、あらゆるところでパロディが発する映画なのだった。 誰でも、天才的指揮者と天才的ピアニストには憧れるというのに、そのカップルがチグハグで、笑えるんだなぁ。 だから、「この映画、この『のだめカンタービレ』は大人気になったんだ」と理解できた。 『いつもポケットにショパン』も、優れたクラシック漫画だけれど、これほど笑えるわけじゃない。こちらは本当に感動する。だから、『いつもポケットにショパン』も、映画になったらいいのに、とも思った。 それにしても、『のだめカンタービレ』には驚いている。来年は、最終楽章の後編がまた4月17日にリリースされるから、また絶対観たいし、DVD も、原作も絶対読みたい!と思ったのでした。
December 29, 2009
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11月20日に、ふすまの一部をアイロンで模様替えした。その時、フィギュアスケートのNHK杯が放映中だった。目が疲れるとか言っても、好きなものは、つい観てしまう。 いつも、こういうスケートを観ていて思うのは、「フィギュアスケートの選手は、大変だなぁ」ということ。どんなに猛練習しても、必ず尻もちをついてしまう。 10歳の頃、スケートに憧れて、スポーツセンターのような?所に連れて行ってもらい、慣れないスケート靴を履いて、氷上に立っても、私は手すりに掴まりつつ、ちょっと歩いては、ちょっと滑る。それ以上はできなかった。 小さい時から習っているという、幼馴染の女の子が、自由にス~イス~イ滑っているのが羨ましかった。 そんなだから、NHK杯に出場できる人々は、雲の上の存在なんである。私が1なら、選手は1000000位の差なのだ。いや、「差」なんてものも存在しない位、凄い人々なのだ。 それでも、「スーックルクル、ダンスィング、スーイスーイ、ジャンプッ!(空中で)クルクルクルッ!着地成功!」なんて、華麗な技を観ていて、溜息なのだが、たまに、選手の中には、ジャンプの後、尻もちをつく場合がある。 そんな時、「あぁ、残念」と思うが、「完璧なように見えて、必死で頑張っているんだなぁ」と好感が持てる。 私から見ると、彼等は人間技とは思えない、素晴らしい技を披露しているわけなのだが、滑って転ぶと、「やっぱり同じ人間なんだわ」などと、おこがましく思ってしまう。 きれいな音楽にのり、その旋律に合わせて滑り、時には長い手足を巧妙に美しくくねらせ、そして曲に合わせて、ここという時に、シュッとジャンプして、空中で3回転から5回転をこなす。 あの空中回転は、ピアノで言えば、5連から9連音符を素早くこなしているような素晴らしさで、彼等は全身で音楽と踊りを表現しているのだと感じる。 動きの柔軟さやBGMへの感性がないと、フィギュアスケートは高得点も取れないんだろうな。 こういうライブの場で、必ず失敗してしまうのは、フィギュアスケートぐらいだなぁ、とよく思う。 オーケストラも、ピアノやバイオリンのソロ演奏も、クラシックバレエだって、ライブで失敗する場面を観たことがない。 なんでフィギュアスケートだけ失敗が? よくよく考えると、やはりあれは、氷の上だからなのか。しごく当たり前の結論だ。だから、いろんなライブによる自己表現があるけれど、芸術的分野に関しては、フィギュアスケートの選手が一番苦労しているように見えてきた。 それでも私はフィギュアスケートが大好き。 来年の2月は冬季オリンピックがあるので、楽しみ。それまで、目が少し良くなっていればなぁ、と思う。
December 7, 2009
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先日、Yahoo! のニュースを読んでいたら、例の「島根県女子大生事件」に関するブログ集のリンクがあった。 社会問題や政治、国際問題に関する専門的な意見を書く人が多いブログなのだが、一般の人もいろいろ書いている。 たいていは、あの女子大生事件に関しては、「警察はガンバレ」とか、「あまりの酷さに、被害者の実名さえ書くこともはばかられる事件である」といった内容が多い。 けれども、ただ一つ、私が「これは、ちょっと変じゃないの?」というブログがあった。 それは、例の事件の内容に関し、ある程度医学的知識を持つ人が「事件を推理する」ような体裁をとっているのだが、変なのは、「あまりにも事件の詳細に踏み込み過ぎている」点だった。 「犯人はまだ近くに居るのかも知れない」とタイトルを銘打って、「県立大から夢タウン(きっと駅前のショッピングセンターのことだろう)までの最短距離は、国道9号線を南下、山中の八幡神社を通るコースである」とか、「186号線を使うのは犯人には不利だ」 「八幡神社以外に秋葉神社があるが、ここは周囲に住宅街もあり、拉致して乱暴を働くと被害者に騒がれ、人目につきやすいため、犯行には適さない」 「八幡神社の裏(東)は、車を止めるスペースもあるし、山中である。被害者はここを通り、そして犯人は待ち伏せし、拉致した。殺害方法からすると、車中では無理なので、外で行った可能性がある」― などと、犯人がとったであろう行動を、詳しく克明に書いてある。新聞記者でも、警察関係者でもないことは、ブログの自己紹介で分かる。 そうした職業についているとは一言も触れておらず、ただ「昔、何年間か南ドイツやアメリカに住んでいた。親から譲られた車を乗り回している」といった内容程度のプロフィール。 まるで、「自分が犯人だから、犯人が犯行に及ぶまでのルートや、犯行に及んだ現場を知っている」と言いたいような書き方である。 この人物は、「きっと犯人は、地元に住む人間で、今も何食わぬ顔して暮らしているのだろう。急に姿を消したらそれこそ怪しまれる」と書いているので、事件の起きた地元の人間ではない、とほのめかしているわけなのだが、それさえも一種のフェイク、偽造的記述に思えるほどだ。 なぜ地元の住人でない者が、普通は考えたり、書いたりすることも恐ろしい事件の内容、犯人の行動ルートを詳細にブログに書き込むのだろうか。 地元の住人なら、「ここにあの神社がある」とか「県立大と国道9号線の位置関係」などは当然、知ってはいるだろう。 それでも、「自分の身近の地元で、こんなに恐ろしい事件が起きた」と普通は感じ、わざわざ、犯行のルートなどを詳細に調べることはできない。 地元に詳しいからこそ、その街に暮らす人々は恐怖感で、そんなことができないはずだと思う。実際、駅前の繁華街や、コンビニなどから、「学生の姿が消えた」というほど、地元の人々は、夜の街におびえきっている。 「いつも知っているあの国道、あの神社、あの山道、あの繁華街」が「とてつもなく怖い」という恐怖感に包まれて、外に出られない。犯人が早く捕まってほしいー 地元の人々はそう思うのみである。 だからといって、地元外の住人なら、犯行のルートや現場を詳細に調べるか、というと、やはり、事件の残虐さを考えると、そんな気持ちになれないのが普通だと思う。 「推理作家を目指している」などの言い訳を、もしその人物がしたとしても通用しないほどの執拗さと念の入り様が恐ろしい。 別の日のこの人物のブログで、「グーグル地図を見たのだが」とあるが、もし「単に推理が趣味」だとしても、行き過ぎている。 もし犯人ではないのだとしたら、一般人がそんなブログを書いていたら、捜査関係者に怪しまれる、と普通は思うのじゃないか。 このブログが更に「恐ろしい」と思ったのは、普通の人なら、とても文章に書けない、猟奇殺人の現場を、まるで今目前にしているか、記録映像を見ているかのように、残虐なやり口の手順を記載している、という点だった。 普通の記事でも、ここまでは書かない。ただ、新たに発見された事実を客観視して、報道する。それは報道する必要性と義務が、記者や警察関係者にはあるからだ。 でもこの人物は、犯人像を「カルト宗教の儀式か、屍体マニアであり、ホラービデオの愛好者だろう」と、一般的な意見を書きつつ、一方で、「警察の情報が細切れなので、仕方がないが」と前置きをして、実際に行われた犯行の手口の詳細に及び、被害者の遺体をどう犯人が取り扱ったかについて、残忍な内容を事細かに平然と、しかも長々と書いている。 鑑識医であるなら、書くかもしれないが、それは専門的観点から書いているのだと普通は判断がつく。しかし、この人物の犯行に関する描写は苛酷なまでにグロテスクなもので、平常の感覚で書いているとは思えない。 世にも恐ろしい猟奇的犯行を行っている最中の、犯人の気持ちや心情まで綴っているのも、明らかに異常だ。 だいたい、「警察の情報が細切れなので、仕方がない」って何なのだ。 まるで、愉快犯などが、「警察は自分の犯行をまだ詳細に掴んでいない。犯行の動機、手口、凶器が分かってないだろう。それじゃ、教えてやろうか」みたいな感じで、事件の真相を知っている超本人しか書けないようなことを書いている。 ただ、語尾に「...なのだろう」とすれば、「私は犯人ではありませんよ」とのニュアンスができて、漠然と「推理しているだけですよ」といった感じが出るー そういったことを計算に入れつつ、「楽しみながら」酷い事件の詳細を、これでもか、これでもかと描いている、そういう印象を受けるほどである。 また驚いたことに、この人物は、「人間の解体書」を最近購入して読んだ、とブログに書いてあった。 捜査関係者は、「犯人はある程度医学的知識を持つ者ではないか」と述べているが、このブロガーは、そうした犯人像に近い感じがする。 「犯人の方法は、最近買った解体の本を思わせる。解体は、熊を解体するのと同じである。この本は、写真入りで分かりやすく、医学書などより役に立つ」 「医学書などよりいい」と言っているのだから、医者ではないことが分かる。 それに、なぜ「人の解体」に関する本を買って読んだりするんだろう。 「医学書より分かりやすくていい」と言っているほどだから、要するにこの手の本を喜んで手に取り、読んで満足している訳なのだ。 自ら「犯人は屍マニアじゃないのか」と書いておきながら、本人が「解体」本を喜んで読んでいる。それこそ、「その手の猟奇マニアなんじゃないのか」とブログを読んだ人々から思われそうだ、と本人は気がつかないんだろうか。 被害者の女子大生の葬儀は、今月15日に行われた。 その葬儀にしても、事件の酷さに衝撃を受けた遺族側のコメントは、「あまりのことにショックを受け、何も言葉がみつかりません。気持の整理がつきません」と紙に書いた内容を、マスコミに渡すのが精一杯なほど、被害者のご両親は疲労困憊している。 それなのに、このブロガーは、そうした遺族の気持ちを想い至る感覚さえ持ち合わせていない。 今月の16日頃のこのブログでは、「パプアニューギニア辺りの食人族だった部族に聞いたことがあるが、人体で最もおいしいのは、二の腕と太ももだそうだ」などと書いてある。 被害者のそうした部分が未発見であることを記事の冒頭あたりに書いておきながら、そんな恐ろしいことを、通常の感覚で書けるのだろうか。 何よりも、「犠牲となった女性の苦しさや恐怖、無念さ」を悼む気持ちがひとかけらもない。 本当に恐ろしい、気味の悪いブログである。それこそ、このブログを書いた人物こそが犯人ではなかろうか、と思いたくなるのも当然かもしれない。 大都市でのネットカフェでの犯罪が大幅に増えたそうだが、なぜそうなるのかというと、ネットでは匿名性が有効だからだそうだ。 個人情報は明かしたくない。犯罪に巻き込まれる。そうした意味で、ネットに記事を書く人々は匿名を通常使う。 だが、その「匿名の利点」が、逆に犯罪を犯す者には都合が良いという、悪循環を生んでいる。 もしかしたら、本当に、ブログを書く人々の中に、今回の事件の犯人がこっそり紛れ込んでいるのかも知れないし、そうであっても不思議ではない。 鳩山政権への批判や、不況に関する記事も、この人物のブログにはあるが、そちらが「表の顔」で、女子大生事件に関する記事は、その異常性から考えると、「裏の顔」なのかも知れないのだから。
November 22, 2009
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Monster Hunter というのは、CAPCOM が出しているソフトで、PSP で操作する「狩猟生活ゲーム」である。 私は、ゲームというと、何かスピード感があるものを想定していたので、「猫のキッチンで食事をする」とか「狩場で肉焼きセットで肉を焼く」という話を聞いて、「まったりしたゲームねぇ。原始生活みたい」と思っていた。 しかし、CAPCOM の3D画像による画面はリアリティたっぷりで、ハンターたちが暮らす村「ポッケ村」の構造も凝っている。 自分の家と、集会所と、村長のオババと、加工屋(武器と防具の生産所)と、その隣のお店(といっても、お野菜やお肉を売っているんじゃなくて、弾丸や爆弾や薬草やモンスター書なんかを売っている)、行商ばあさん(虫や秘薬や珍しいものを安く売っている)、猫バア(ハンターのために働く猫を売りに来る)、それに「ポッケ農場」まである。 それらすべてがリアルで、自然風景も美しい。雲も流れ、太陽も光る。農場では釣りができるし、透明な水面に、きらきらと泳ぐ魚の背が光る。 前にも書いたように、これらのリアリティに加えて、面白いのは、村人たちのキャラがはっきりしていることである。 村人たちのそばによって、マルボタンを押すと、村長は「ヨーイヨーイ」、加工屋のおじさんは「イヨっす!」、お店のおばさんは「あぁら~」と声を出したあと、吹き出しでいろんなセリフを言う。 ハンターたちは、村長のオババに近寄りマルボタンを押すと、「ふむ。お前さんなら、いろいろ頼めそうだね。どのクエストを受けるかね?」と言って、バラエティ溢れる「クエスト=狩猟」の注文一覧をハンターに見せる。 どのモンスターを狩猟するかで、報酬が違う。難しいモンスターは、当然報酬が高い。クエスト受注には、500Z(ゼニー)を支払うが、成功すると、報酬と共に、受注量が2倍になって返ってくる仕組み。 あと、集会所に、その村(=ギルド)のマネージャーがいて、初心者にはいろいろ説明をするが、ランクが下位、上位、G級と分かれていて、まず初心者は下位からスタートする。その詳しい説明は、受付嬢がそれぞれに応じて行い、クエスト受注も、その受付嬢から行う。 彼女たちは、滅多にハンターが来ない時は、(というか来ても来なくても)いつも暇そうにあくびしている。マルボタンを押すと、「ハァーイ♪」とお返事して、「現在受注して頂けるクエストは、次のようになっております」と一覧を紹介する。 ハンターは、クエストに出かける前に、「このクエストに行こう」と思ったら、そのクエストに出現するモンスターを倒すための防具、武器を選ぶ必要があり、そのモンスターが出現する地域(雪山、密林、砂漠、火山、森丘)に見合った携帯食(こんがり肉、ホットドリンク、クーラードリンク、回復薬など)を用意しなければならない。 そして、受注の前に家に戻り、「アイルーキッチン」に入る必要がある。 「アイルーキッチン」とは何か。これも、最初は私は分からなかった。要するに、「アイルー」とは、このMonster Hunter Portable 2nd G に登場する猫たちなのだが、「キッチンアイルー」という料理猫と、「おともアイルー」という、狩猟に連れて行く戦闘猫の2種類がここに一同に集まっているんである。 アイルーたちは、「猫バア」が、「今日はいい子たちば、連れてきたはんで、(どこの方言?)雇ってけろ」と言って、「ピーター」「アシュリー」「セバスチャン」「シュンギク」など、可愛い名前がついた猫たちを紹介することで、キッチンアイルーとして雇用されたり、お供アイルーとして雇用されたりする。 また、アイルーたちも「ハンターのご主人のもとで働きたい」などと思っている。 実際、雇うと、猫なのに、近寄ってマルボタンを押すと、いろんなことを話す。最初は「あの...まだ慣れないけれど、何かの縁でお知り合いになったんだニャ。よろしく頼むニャ」と可愛く挨拶をする。 そのうち、慣れてくると、料理猫もハンター猫もよく喋るようになるが、文句が多いのは、お供アイルーの方である。 「旦那さん、同じクエストばかり行って、そんなじゃ実力ツカナイニャ。もっと頑張らないと、ハンターの名が泣くニャ。ボクも、恥ずかしいニャ」などと言う。 キッチンアイルーは、「モンスターを倒す時は、ぴかっと光るもの...ええと、確か閃光玉を使うと、一時動きをとめられるのニャ」とアドバイスをしてくれる。 『モンハン小話』では、この素直なはずのキッチンアイルーがストライキする話が出てくる。 たいてい、ハンターは、ベッドで熟睡して、「ゲームセーブ」をした後、再びクエストに出かけるのだが、その前に必ず(たいてい必ず)「猫飯」を食べていく。 ネコメシによって、攻撃力とか体力などがアップしたり、キッチンアイルーの持つ特殊なスキルが得られたりするからなのだ。 キッチンアイルーは、それぞれ得意素材というのがあって、アイルーごとに、「酒・果実」とか「肉・穀物」とか「野菜」などと分かれている。それに、用意する食材も、(本当にあるわけないのだが)「幻獣チーズ」「激辛ニンジン」など、ハンターランクが上がるにつれて、豊富になっていく。 そういう、キッチンアイルーの得意食材をうまく2種類組み合わせると、料理の最中に、アイルーの頭からびっくりマークが出て、特殊なスキルがハンターに備わる。 でも、ハンターランクが上がると、猫たちの作るお料理は、テーブルに溢れんばかりの豪華さで、たいていハンターは残してしまう。 上手い料理なら、食後ハンターはシャキッと立ち上がり、「攻撃力が上がった!」と表示され、アイルーたちは拍手する。 まずい食材を選んだ場合、食後ハンターはお腹を押さえ、「食材が傷んでいたようだ...」と表示され、バタッと倒れる。すると、キッチンアイルーたちは、ミャアミャア言いながら、台所から逃げ出してしまう。 ゲーム自体、家の中だけでもこれだけいろんな要素がてんこもりなので、パロディーになるのも当然。 『キッチンアイルーストライキ編』では、まず主人公のハンターが、「あ~あ、よく寝た。さて、と。クエストにいくとするか」とあくびをする。食事を頼もうとすると、目の前には、2匹のキッチンアイルー、アシュリーとセバスチャンしかいない。 2匹とも申し訳なさそうにしょげている。 ハンター「あれ?あれれ?お前たちだけか?他の2人は?」 アシュリー「猫バアの所に帰ったニャ」 ハンター「何だって?俺に黙ってなんで勝手なことをするんだ?主人は俺だぞ?」 セバスチャン「お言葉ですが、こうなったのは旦那のせいですニャ」 ハンター「ええ?俺が何をしたっていうんだよ?」 ここら辺から、アイルーたちがキレる。 アシュリー「何をしたってぇ、てめぇの胸に聞いてみやがれ、このボケナス!ここからは、『ニャ』なしで話をさせてもらうからな!てめぇのふがいなさに、他の二人はやってられねぇって、逃げ出したんだよ、オイ、聞いてんのかぁ、このシャクレ!?」 ハンターはビビッて震えている。 アシュリー「いつも同じクエストばっか行きやがって!おまけに、酒とチーズばっか頼みやがって!俺たちがキッチンアイルーになるのに、どんだけ修業を積んだと思ってんだよ、オイ、このシャクレ!」 ハンター「(汗水)......」 アシュリー「わしゃ飲み屋か?バーテンか?何とか言えや、ボケぇ!てめ、イヤンクックか?」 (イヤンクックというのは、下位クエストで最初にハンターが戦う耳と顎の大きな初めての飛竜であるが、慣れれば弱い。威嚇のつもりが、なぜか「アハハハ」という鳴き声に聞こえる。この時が攻撃のチャンス。この「アハハハ」という鳴き声が間抜けに聞こえて可笑しいので、よくネタにされる)ハンター「......いえ......」アシュリー「ほんじゃウカムルバスか?」ハンター「...あ、ハイ、じゃそれで...いいです...」(ウカムルバスは、上位に出てくる白いモンスターで、顎の辺りが掃除機みたいに広がっていて、雪をざざーっと雪崩のように引き起こす。妙なスタイルのモンスター) セバスチャン「あと、てめぇ、食事残し過ぎなんだよ?せっかく俺たちが心こめて作った食事、どっさり残しやがって!」 ハンター「...あの、でも、自分...小食で...」 セバスチャン「いちいち狩場で小腹空かしてんじゃねーよ!ここでがっちり食ってけよ!男だろ、ええ?」 アシュリー「どうします、板長?」 セバスチャン「まだ言いたいことあっぞ!この吹き出し、見えるか?ほら俺の頭から吹き出してるの、これは、な・ん・の・意味ですか!ってんだよ、てめぇ!」 ハンター「...あ、ハイ...あの、話をしたい...時です」 セバスチャン「この吹き出し、てめぇがG級に上がった時から出てっぞ!要りませんか?私の『アイルー食券・上』は、そーんなに要りませんかぁ?」 (「アイルー食券」というのは、なぜか加工屋が欲しがる。防具生産の時、渡すと、食いしん坊の加工屋は喜んで防具生産に励む、という仕組みである) ハンター「...いろいろ...すみません」 ここで、アイルーたちは、ころりと口調を変える。 「分かってくれたんなら、いいニャ。ハイ、これ、仲直りの印ニャ」と言って、ご馳走を用意する。 ハンター「うわぁ!作ってくれたの?ありがとう!いただきまーす!」(ゲームで流れる食事中の「ムシャムシャバリバリ」という高速で食べる音) その後、ハンターは、真っ青になる。「うっ...こ、これは...なんて...気の遠くなる味...」彼は、ばたっと倒れる。 セバスチャン「ヘッ!そう簡単に許すか!へへっ!ザマァみやがれ!おい、アシュリー、お前も言ってやれ!」 アシュリー「ヘヘ、ザ、ザマァ!ザマッザマァ!」 こうして、「ミャ~!」と鳴きながら、2匹ともキッチンから逃げ出すという話。 これには笑った。涙が出るほど笑った。この動画を作った人たちはスゴイ。絵もほどほど可愛いし、タッチは素人っぽいのがいいし、話の筋(セリフ)が気合いが入っているし、声優さんたちがプロ級! Monster Hunter 知らない人でも笑えるかもしれないが、やったことが数回ある人なら、誰でも「お腹痛くなる」ほど笑える。実際、コメントに「笑いすぎて腹筋崩壊した」とある。 息子も大笑いして、「これホントに、吹き出し出てるのに、どうせ食券だろうって、話しかけなかったり、酒とチーズ頼んだり、大盛りの食事、残したりするもんね」と言っていた。 ほかにも「よく動画作ったなあ」というほどあるが、これがまず、一番てっとり早く笑える。 「笑い」で健康になりたいとか、ストレス解消したい人にはぜひお勧めかも!
November 18, 2009
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いつも行く駅前の薬局が、ダイレクトメールを送って来た。たいてい、捨ててしまうが、気が向いて中身を見た。 なるほど、薬局だけあって、いろいろ健康にいいことを書いてある。 「病気の90%はストレスが原因といわれています!」 このパンフはとっておいた。私はストレスばかり、この15年間あまり受けてきたように思うからである。 子供や家族の心配、恐ろしい出来事、不安な出来事がいつもいつもではないが、ひと月の半分を占めている気がする。 「イライラ、ドキドキ、眠れない、不安、焦燥感、物忘れ、ウツウツ、悩み、問題山積み」といった精神症状。 「頭痛、めまい、胃腸障害(最近、胃もたれや胃痛がある)、肌荒れ、肩こり、膝痛、耳鳴り、口内炎」といった身体症状。 それらが全部自分に当てはまる。「これ、私のこと?よく分かってる」なんて、笑えるだけでも、少しはストレス発散かも。 このチラシの裏には「どうすれば自然治癒力を高められるか」と、具体的に「自ら元気になれる方法」が書かれてある。「呼吸法・食養生・心の持ち方・Walking・半身浴」etc...... とても参考になる。とっておこう。 「心の持ち方」というところで、「笑い、喜び、生き甲斐、目標を持つ」とあり、例えば「吉本新喜劇を見て、10分笑う→30%ほどリンパ球が増える」とある。 昔から、「笑う門には福来り」と言うから......あれは、健康という「福」、ひいては心の喜びという「福」を指しているのかも知れない。 12日の晩、たまたま、息子が観ていたYouTube (10代の子は、これを「ようつべ」と言うらしい)を覗き込んだら、素人の書いたアニメがあっていて、タイトルは『モンハン小話』。 これは、私も息子と遊んだPSPのMonster Hunter Portable 2nd G というゲームのパロディ集だった。 絵は素人っぽいが、なまじプロじゃない方が、好感が持てる。その小話が、20話以上あって、しかも声優は、とても素人と思えない。 パロディ化するにあたって、脚本やセリフ、すごく練られているし、アニメの劇場版並みの声優の演技が迫力満点。 もともと、Monster Hunter (略して「モンハン」)というゲームは、いろんな要素や話や伝説が詰まっていて、キャラクターが面白過ぎる。プレイヤーがハンターになって、モンスターを狩るわけなのだが、ハンターのキャラを自分好みにアレンジ可能、防具や武器もいろいろござれ。 おまけにモンスターの種類とリアリティがすごい。だから、パロディができるわけだと納得したのだが。 この『モンハン小話』のおかげで、2時間大爆笑しっぱなしで、涙と咳が出るほど笑った。 これは、毎日観たらさすがに飽きるだろうが、たまに観たら、私などには、ホントに健康にいいだろう。 いい笑いの素材を発見したもんである。
November 15, 2009
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この数日、広島県の山奥で、若い女性が遺体で発見されたというニュースが連日のように報道された。 被害者は島根県立大の19歳の女子大生ということが、DNA鑑定で判明した。 よくこうした痛ましい事件が起きるが、私が怖いのは、それが「猟奇殺人」であることだった。 いきなり車内に連れ込まれて殺害され、その後、遺体は「よくもここまで」というほど、細かく切断された。それらの遺棄された遺体の部分が「6日はこの部分、7日はこの部分」というように「バラバラに離れた個所で見つかった」- などという報道に接すると、気が物凄く滅入ってしまう。 被害者の19歳の女の子は、真面目で成績優秀、人柄も良く、英語の習得に熱心だった。「アフリカの難民を助けたい」という夢を持っていた。 そうした尊い一人の命を奪い、魂の抜けた遺体を、「モノ」のように、やりたい放題切り離すー そういう行為が何とも恐ろしく、その犯人はきっと悪魔にでも憑り付かれたのではないか、とさえ思う。平成5年頃や、平成8年頃にも、凄まじい猟奇殺人が起きた。 よく最近息子が言うのだが、「人間は、進化するほど、野獣以下になっていく。自然を破壊し、核戦争をしようとする。人の命なんかどうでもよくなる。知能が発達するほど、変だけれど、逆に野蛮になっていくんだ」 それで、彼の結論はこうである。 「だから、人間は進化しないで、原始生活のままで良かったんじゃないか。動物や幼児は、知能が低い、ないと思われているけれど、逆に、神に近い神聖な存在なんだ。そういう存在の方が、知能が発達した大人たちより、ずっといいんだ」 こう言うことを息子が言うのは、手塚治虫の『ブッダ』の影響であることは間違いないのだが、影響を受けやすい年ごろなので、既に彼自身の思想となっている。 世の中、便利になって、進化すればするほど、「猟奇殺人」のような、「理由なき殺人」がなぜか増える。こうした現象は、息子の考えに当てはまっているが、なぜこうなるのだろうか。 それに、こういう恐ろしい殺人が起きると、余計に家に一人でいる時などが、怖くなる。 去年、家で不思議で不気味で恐ろしい経験をしたせいなのだろうが、今でも家では、明け方の天井からの凄まじい物音、鉄状の重い物で床を叩くような音に時折飛び起きる。 この音は、息子も同居する私の母も聞いている。息子は「うるさくて、眠れない」と言い、母は「またあの音がするね、気色悪い」と言う。 だから、夜、寝る前が怖くなってしまい、安定剤を1錠飲まないと、恐怖感が薄らいで来ない。 昼間でも、そうした猟奇殺人のことが報道されると、とても独りで家にいられない。 家に、家族と一緒にいても、天井から水がしたたるような変な音がしたりする。 夜、母も息子も自室に休み、私が玄関や書斎、バスルームのドアを閉めて施錠する。それから1時間後、お手洗いに私が行くと、誰も書斎やバスルームに入っていないのに、ドアだけが少し開いている。 別に外れやすいドアではなく、ガチャンと閉まるドアなのに、「変だなあ、あれから誰もドアを開けていないのに」と考えると、不気味である。 そんなことがあるので、臆病になってしまったのか、いい年して、一人、昼間、しーんとした家にいるのが段々怖くなってしまった。 去年ほどじゃないのだが、昼間でも、どこからか、女性が震える声で歌う(歌ってるのか、違うのか分からないが、音階があることが分かったので、歌だと判断した)声が聞こえたことがある。 この歌声も、家族も共に聞いている。 息子は「上の階の人が歌っているのかもね」と言うが、私が「上の階の人が口ずさんでるのが、聞こえるわけないし、それに、何で、最初からずーっと、震えた声で歌うんだろう?」と不思議がると、彼は「うーん、何だか気味悪くなってきた」...... 怖い怖いと思っていると、錯覚が起きることもあるのだろうが、こういう経験は、家族と談笑している時に起きるので、そういうことを昼間思い起こすと、「独りでいる」というのが、「また何か変な音がしたら嫌だ」という気持ちを引き起こしてしまう。 世の中も、家の中も、平穏平和無事平凡、が私の理想なのだが......
November 11, 2009
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小説を時々、更新して書いている時は、絵を描いている時と同じで、何だか解放感がある。 2005年の12月に書き始めたので、足掛け5年じゃないか、と呆れているが、実際は、書かなかった期間が結構ある。 2006年の5月は薬害で入院したので、その年は10月まで書いていない。2008年は5月以降、ゴタゴタ家であったので、小説など書く気分になれず、結局再開したのは、今年の2月~3月。 それでも、ストレスでまた眼精疲労が復活したので、今年の再開は、8月以降......だった気がする。結局1年半のブランクがあったみたいである。 だから、実質3年間ぐらいかけて書いていることになる。それにしても、長いじゃありませんか~?と自分でひーこら言っている。 なんでこう、長い話になるんだろう? 台詞も、長くなれば、果てしなく長くなりそう―なのを、区切ったり、心理描写などで変化をつけている。 全体の構想はあるし、テーマもあるのだが、小説のタイトルにある「砂漠」そのものを描こうとしているのではない。 この小説のタイトルと同じ言葉で検索をすると、たいていが「砂漠」を中心としたファンタジー、または旅行記であったりする。 なぜ、小説のタイトルに「砂漠」を付けたのかな。 昔、(いや、ホントに小さい時ですが)「東京砂漠」♪という曲が流行った。あれが好きだった......せいかも? いいかげん、長いので、ある目的に達するよう、その章ごとに話をまとめようとしつつ、これでも、遅延列車みたいだが、終りの方へと向かってはいる。 しかし、いったん決めたテーマに込めた思想を表現するのに、なかなか終わりとならない。じゃあ、全体のどの辺を今走っているの?というと、全体の5分の3辺りをウロウロ、いや目標に向かって走っている。 これで、小説、っていえるのか? 時々、趣味で書いているくせに、プロの小説などを参考にして、登場人物描写、間の取り方、などを眺めてはいる。 他に色々興味がある事柄を、小説にしたら面白いかなと、そう思うこともある。しかし、中編くらいの内容が書けないものであろうか。 時折、息子に頼まれて、「ギャグ短編」を別のサイトで書いたりする。その場合は、それなりに短く終わる。読み切りが書けるのか、と自分でも驚くんである。 それでも、その「ギャグ短編」は、「これ、字数が多くてはみ出しちゃう。半分に区切って」と若き編集者から言われる。 いつかは、自分好みの文学(?)小説でも、芥川氏のように短編で、中身の濃縮された逸品が書けたらなあと思う。 ちなみに、少女漫画での短編の最高作は、萩尾望都氏の『半神』(15ページ)なのである。あれはすごい。知らない人は、ぜひ単行本、買って読んでみて下さい♪
November 5, 2009
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5月に高校時代の友人の家に遊びに行った。久しぶりだったので嬉しくて、つい夜中の11時頃まで、晩酌しつつ語り合った。 その時出た話題は、いろいろあるが、去年、私は彼女に我が家で起きた異変を細かに携帯のメールで送信していたので、その話題になった。 「あれから、何か変わったことある?」と聞かれて、私は、今年になっても時折あることを少し話した。 「私が寝る前、子供が洗面所で歯を磨いていたのね。それで、私、洗面台横のおトイレに入ったんだけど、出てきて驚いたよ。だって、おトイレ入る前は、床はどうもなかったのに、出てきた途端、足がザブザブ水に浸かっているんだもん。水かさは、5cm位もあったよ。でも、それは、おトイレの前の床だけなの。洗濯機の下は乾いているし、その水たまりは、息子の方には流れていなかったんだよ」 友人は、それを聞いて、気味悪そうに、「変やねえ」と言った。 「それから、いろいろあるけど......1月頃、電気ストーブを静止モードでつけていたの、夜、寝る前に。そして、ワインを飲んでいたら、急に、カチッという音がして、電気ストーブが勝手に左右回転始めたりね」 「うわ、本当に?ストーブが勝手に動くわけないのに」 「それから、今年になって、上の階から、重い金槌みたいな物で、明け方の4時から6時の間に、激しく床を叩いているようなガンガンガン!っていう音がする......」 私は、なんでか分からないけれど、奇妙なことは、去年で終わったと思っていたのに、と彼女に説明した。 すると、彼女も、「うちでもね、最近、変なことがあったんよ」と怖そうに声を潜めた。 「ほら、カヨが私に、携帯で、去年起こったこと、メールしてくれていたでしょう。それ、私、一つのフォルダの中にまとめて、ずっと保存してたの。でも、つい最近、そのフォルダの中身が全部消えてたんよ。それも、怖い経験の話のメールだけが全部、いつの間にか」 私は、それを聞いて、ギクッとした。 「え?なんでだろ?そういったメールだけが削除されていたの?」 「そうなんよ。それ以外の最近の、普通の内容のカヨのメールは2,3通残っていたけれど......ほら、去年、メールに、『箪笥の扉が独りでにギ~ッと開いて、バタンと閉まった映像を携帯で撮った後、2分後ぐらいに勝手に削除されていた』ってあったでしょ。私、それ思い出して。ダンナに話しても、『間違って消したんやろ』って笑われちゃった。でもね、私、絶対に間違ってカヨのフォルダの内容、削除したりなんかしないんよ」 私は、一番頻繁に去年のことをメールしたのは、彼女だったために、何らかの不思議な力が彼女の携帯にも目を付けて、削除してしまったのかと思った。 「うわ~、ごめんね。変なメールして。びっくりしたでしょう、もうそういうメールはしないよ」 「ううん、カヨのせいじゃないから。あとね、最近ね、ダンナの知り合いの人が急に亡くなったからね、急いでお葬式に出なければってなった時にね、奇妙なことあってんよ」 彼女によれば、彼女のご主人は、お葬式にいつも着る背広一式を用意しようとした。でも、なぜかその喪服にいつもついているベルトがない。 そのベルトは、その服のズボンにいつも使うもので、滅多に他の服に着用しない。必死で急いで探したが、なぜか見つからない。 仕方ないので、代わりのベルトで、くねくね曲線を描く、ねじ曲がったデザインのベルトをつけることになった。 「こんなベルト、恥ずかしくて。お葬式向きじゃないやろ」 「いいやないの、上着に隠れてベルトまで見えへんし」 そうして、ご主人はお葬式に行った。しかし、帰って来た後、今度は、その着用していったくねくねしたベルトが紛失してしまった。 どんなに探しても、見つからなかった。 それから数日後、彼女がある和室のふすまを開けた時、ギョッとした。 紛失していた、喪服用のベルト、お葬式に着用していったベルトが、畳の上に置いてあった、というのである。 しかも、それらは、丁寧に、くるくると内側からきちんと渦巻き状に巻かれていた。 「うちで、誰も、ベルトを渦巻き状に巻く人なんていないんよ。お義母さんに聞いても、知らないって言うし」 私は、この話にもぞ~っとした。 「えぇ?ベルトって.....洋服タンスの中に、かける部分があるでしょ、そこに、ぶらっと下げておくでしょ、普通」 「うん、そうなの。私は、そうしてるの。絶対に渦巻き状にしたことなんて、ないんよ......これは、ダンナもびっくりしてたわ」 彼女とは、随分長い付き合いで、また、私の「昨年の現象」についても、「私は、案外、そういうの否定しない方なんよ」と言っていた。 その彼女に、私の真摯な「ありのままの現象の事実」を事細かに伝え過ぎたためなのか、携帯を通じて、彼女の家にも異変が起きたのだろうか? これは不思議なことだった。 だが、私がこの日記に書いた、去年の「異変」に関する記述は、消えずに残っている。これもまた、不思議であるが、そのうち「何者」かによって、削除されてしまうかもしれない。
October 30, 2009
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27日、もうあきらめていた翻訳の仕事が突然入った。 メールで「特別プロジェクト」に参加の要請が、10月1日に来ていたのを久々に受信ボックスで10日に発見。それで、慌てて10日に「引き受けます」と返信した。 向こうは、「翻訳ソフト(Tratool)をインストールしたら、その旨お返事下されば、正式に発注します」と13日に返信してきた。それで、15日に「インストール完了しました。発注お待ちしています」と返信した。 それから、待てど暮らせど返事はなかった。 だから、「あの会社はよく『手違いでした』ってことがあるからなあ」と、もうあきらめていた。 ところが、電話で、2日前に「もう15日に正式発注しています。メールが届かなかったというのは、そちらのプロバイダの不具合でしょうから、サイトの受注ページに至急、ログインして、ファイルをダウンロードして、始めて下さい。締切は2週間後です」と連絡があった。 締切は11月10日の午後6時だった。 それまでに1万行の和文・英訳文の対訳ファイルをチェックする。となると、1日700行~720行は進めないといけない。1時間で60行進んだら、御の字なのだ。 「1日、5~6時間、お仕事の時間、確保できますか?」 電話の向こうで、担当者のやや切羽詰まった声が聞こえてくる。私は、25日頃から、Windows movie maker で、Monster Hunter の動画を撮るのに凝り出した息子の方をちらっと見やって「......できるだろうか」と心配したが、何とか、息子が寝ている時間を利用すればできるだろう。 そう感じたので、「はい、できます」などと答えてしまった。 電話の後、仕事を2週間、毎日するので、パソコンをその間、1日中とは言わないが使いたい、ということを彼に伝えると、案の定、困惑兼不服そうな答えであった。 「でも、僕、リアルな友人、今いないし......パソコンを夕食後、使うこともあるし......その時しか通信できない人だっているのに、2週間も長いよ。すごい報酬じゃないんでしょう?」 私も、息子にとって、オンライン上の友人との交流が彼の心の支えになっていることは分かっている。でも、パソコンは、彼だけの遊び道具ではないのだ。 報酬だって、パートに4,5日出た方が翻訳の2倍は入る。でも、私が必要なのは、仕事を何らかの形で継続すること(間にやっていない時期があっても)による、社会的信用なのだった。 何とか彼を説き伏せて、仕事を開始したものの、しょげた息子のため息を聞きつつ、いざ1万行に挑戦となると...... 案外時間がかかる。1時間で60行なんて無理だ。 朝の9時から夕方5時までやって、やっと150行だった。もう精神的にも、肉体的にも疲労困憊。 とても無理だとあきらめた。 だから今回の仕事は、「体調不良」ということで、キャンセルしてしまった。 何より、1日に進む量の少なさ、「締切を1日でも過ぎると、いかに少ない報酬と言っても、1円も手に入らない」というプレッシャー。 7年前に眼精疲労になったのは、大学から採点の締め切りを急かされたせいであったことを考えると、無理は禁物だと悟った。 それに、1万行という量の多さに、反比例するような少額の報酬(といっても、これまでその会社で仕事をした中では、最高の額だったのだが)に、やる気が萎えてくる。 また、現在「現実の友人がおらず、学校に通えない」という日々を送る、心が不安定で揺れがちな息子がいるという時に、いきなり「パソコンを2週間仕事でやらせて」などと言ったのが、間違いだった。 「ネットの友達がいなくなる、楽しみがなくなる」と嘆く方に気持ちが落ち込むのは、中1の終わりから、ずっと家にいるから、そんな傾向が出てくるのだ。 「仕事はしていいよ」とは言ってくれたものの、「あああ、つまらない。何して過ごせばいいの、2週間......」と、魂が抜けたようになっている息子を見ながら、とても仕事はできない。 量的にも、今の私の体力では太刀打ちできないし、精神衛生的にも、ハラハラ、イライラしながら仕事をすることは、また私の神経に何らかの負荷を与えるだろう。 だから、仕事はあっさり断って、息子にパソコンは今まで通り、好きにしていいと伝えた。 これは甘やかしではなくて、彼の心の安定のためなのである。それで、彼がホッとして、私もホッとして、お互い今まで通り笑って暮らした方が、結局は平和なわけである。 仕事は今回は駄目になったが、かえってスッキリした。 それよりも、こういった不登校で不安定な子に対する私の接し方を「甘やかし過ぎ」と、何も実情を知らない他人から言われることの方が、今の私には辛いのである。
October 29, 2009
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