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僕には何も言うことが無い。天狗の面をつけ舞っていいるのが中3の次男。右後ろの太鼓が中2末娘。神楽の一場面だ。いつのまに、こんな力を身に付けたのだろう。この他にも、英語の暗唱。楽器の演奏。演劇。合唱。展示してある絵画や書写。どれをとっても、もう僕には指導するどころか、こちらがしてもらいたいレベルだ。親としては嬉しいような寂しいような。小さな学校で、自主性を重んじる校風のおかげか、我が子たちも身に余る役割と活躍の場を与えていただいたようだ。毎日、ヒーヒー、そして少しブーブーいいながらも課題をこなしていた。めいっぱいがんばっている様子が僕にも見て取れた。連日、いろいろなハードルを乗り越えていたのだろう。力を付けていく様が目に見えるようだった。親ばかかもしれないが、我が子に限らない。中学生というのが、そういう年代なのかもしれない。壮年?の自分はどうだろう? 自分の力の限界を試すような日を送っているだろうか?真剣に何かに向き合っているだろうか?そんなことも考えました。
2010.10.31
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12km、タイム1時間2分10秒。距離が短いこともあって、今回はすっかり観光気分。ランパンと時計まで忘れてしまった。いつも、こまめにラップを見ながら走るので、時計は真っ先にチェックする。よっぽど気が抜けていたのだろう。アンダーのスパッツはギリギリ、ランニングウエアとしても通る。時計も今回は特にタイムを狙うわけではないので気にせず走ることにした。会場の庵治町は、ちょっと懐かしい感じのする海沿いの町だった。「セカチュー」のロケ地ということだったが、僕にはよくわからない。なんにしても海沿いのコースは大好きだ。アップダウンは激しかったけど、潮風にあたって、海を見ながら走るだけで幸せになる。この1週間ずっとカゼっぽくて調子が悪かったことを思えば、タイムもまあまあだと思う。走った後はカゼの気配も吹き飛んでしまった。無料券のついていた近くの温泉で汗を流し、海産物のお土産購入。美味しい讃岐うどんを食べて、回転寿司へ。地元のネタを使っているとの看板につられたのだけど、活きが良くてとても美味しかった。はちきれそうなお腹で、再び別の温泉へ。走った距離は普段の半分ですが、ご飯と温泉は倍という、とても贅沢な一日でした。
2010.10.24
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気分的にしんどくなると、眠って回復しようとする傾向がある。で、走れなくなる。ぐずぐず寝ているよりは、走ったほうがよっぽど気分も良くなると頭ではわかっているのだが、身体が動かない。早朝1時間でも走れば、それだけでその日1日生きてた意味を獲得できたような気になるのに。まあ、もっとしんどくなると寝ることもしんどくなるから、暗いうちから走り始めることになる。身体のスイッチが自然に切り替わるような感じだ。今回はそこまで追い込まれそうにはないから、自主的に切り替えることにする。幸い、明日はマラソン大会に申し込んでいる。12kmなので距離は短いが、高松なのでちょっとした旅行気分だ。走った後は、ゆったり湯に浸かり、美味しい讃岐うどんを食べてリフレッシュだ。そして月曜からまた走り始めよう。11月にはフルマラソンが待っている。
2010.10.23
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相変わらず逆境の中にいる。こりゃ当分続きそうだ。しかし、歳をとって鈍くなったのか、それとも、過去に何度もあったもっと厳しい状況に比べればまだマシだと思うからか、いろいろとものを考える好機だと考える余裕も少しある。まあ、以下の相田みつをさんの詩がぴったり寄り添ってくれているような心境だ。『なみだをこらえて かなしみにたえるときぐちをいわずに くるしみにたえるときいいわけをしないで だまって批判にたえるときいかりをおさえて じっと屈辱にたえるときあなたの眼のいろが ふかくなりいのちの根が ふかくなる』 みつを 今日も、ぐっと屈辱に耐えるというような場面があった。理不尽で失礼な言葉にも耐え、言い訳もせず、ただ、淡々と事実と、前向きな問題解決のための展望を述べた。妙な話だが、そういうことができるようになった自分を、ちょっとかっこいいとも思った。(笑)勿論そうそう平静でいられるはずも無く、頭の中では、この詩がぐるぐるまわっていたのですが。数年前、今とよく似た、しかももっと厳しい逆境があったのですが、そのときは、息も絶え絶え、なんとかその一年を逃げ切ることで精一杯でした。今回は、白内障になりかけのこの「眼の色をふかくし」、よれよれの「いのちの根をふかくする」チャンスにしてみようと思っているのです。
2010.10.21
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今年も無事終了した。最後のこの田は少し難物だった。水を落とすのが遅くて、田が一部柔らかかったのだ。雨のほとんど無かったこの猛暑で、油断しすぎてしまった。雨は降らなくても染み出て来る水で常に湿っている部分もある。そういうところは溝を切って田の面を硬くするのだが、その作業が遅すぎたのだ。この大きいコンバインが走行不能になれば、もう稲刈りどころではなくなる。それでもいつもの僕なら、なんとかなるさで、強引に突っ込むところだが、今年は違った。中割という、慎重な方法を最初からとった。作業効率は2,3割落ちるが、走行不能になる確率はぐっと下がる。結果的に、ほとんどトラブルもなく、最後まで刈ることができた。これは、僕にとってはなかなか画期的な出来事だった。といっても、こういう、ちょっとした慎重さを身に付けるのに10年以上かかってしまったということなのですが(笑)
2010.10.17
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仕事先で結構しんどいことが続いているのだが、最近ちょっと、こういうしんどさに対する考え方が変わったような気がする。簡単に言えば、「艱難汝を玉にす」の心境に少し近づいたということか。人生に無駄がないのなら、苦難や困難にも意味があるわけで、じゃあ、できれば避けたいこういう状況に何の意味があるのかと考えれば、このことわざにいきつくわけです。だって、こういうことでもないと、僕なんて自分を変えようなんて思いませんもの。で、この困難というものが、自分を少しマシにするための有難い状況だと考えると、見える風景が一変するということに気がつきました。まず、困難であるという状況そのものに意味があるのだから、その状況が理不尽なものであるかどうかは、さしたる問題ではないということ。どーして?なんて考える暇があれば、それを利用してさっさと自分を磨く作業に入った方がいいということ。次に、周りの人に対する見方も変わる。同情してくれる人は勿論ありがたい。手を差し伸べてくれる人はますます有難い。しかし、その困難さから逃げられないように手枷、足枷をしかけてくる人。ますます、困難さのハードルをあげようとしてくる人。そして、その困難さの原因そのものの人さえも、とても有難い人に思えてくるのです。勿論、程度にもよると思います。自分がつぶれると思えば、全力で逃げることを考えるべきだと思います。そのときは、無駄な困難から逃げるすべを学習しているのだと思えばいい。しかし、耐えられると判断したら、それは自分を磨く(変える)絶好のチャンスだと思えばいいのだと気づきました。あれ?では、僕にプレッシャーかけっぱなしの僕の奥さんは、実はとてもいい人なのかも。。。
2010.10.13
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長男の稲刈りデビューだ。昔、僕もそうしてもらったように、運転席の後ろに座り、あれこれ指導する、さすがに飲み込みが早く、あっという間にそれなりにできるようになった。これが二代目というものかもしれない。保育園から帰ってきたこいつを、コンバインの後ろにちょこんと乗せて作業していたのが、つい先日のような気がする。また一つ幸せな日を過ごすことができた。
2010.10.11
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今日は地域の祭り。かなり歴史のある祭りで、前夜祭ともいうべき神殿入りは、県の無形文化財に指定されている。夜(神楽など夜の出し物の担当)、昼(神輿担ぎ)、神祇(巫女の舞、太鼓、花電車)を、3つの地域が交代で当番を務める。今年、僕の地域は神祇の担当。若連中は毎夜集まり花電車を作り、男の子は太鼓、女の子は巫女の舞を担当する。我が家は、僕以外一応クリスチャンなので、女の子も巫女の舞はせず、太鼓を担当させてもらっている。本当は小学生がやるのだが、少子化でそうもいっておられず、我が家からは中3の次男が鉦、中2の次女が太鼓で参加した。前回は3年前。当時中3の次女が鉦。小6の次男と小5の次女が太鼓。前々回の6年前は小6の長女、小3の次男が太鼓。前前前回、9年前は小4の長男。これだけ連続して出ている家は、地域の中でも我が家くらいしかないかもしれない。延べ人数から言えば、多分、ダントツだと思う。うちの地域では子どもが叩く太鼓を親が背負うことになっている。宮に行く道中、親が背負う太鼓を子どもが叩きながら道行をするのだ。太鼓は、肩に食い込むほど重く、道中ものべ3km近くあり、かなりハードだ。しかし、それだけに親子の思い出に残るという人も多い。僕は4回連続で出れたおかげで、4人の子どもすべての太鼓を背負うことができた。これは実に幸せなことだと思う。その上、今年は道中の半分を長男が背負ってくれた。つまり、長男の背負う太鼓を末娘が叩くという経験もできたわけだ。秋の田園風景の中、道きり、神輿、チャリ(道化)、鉦、笛、太鼓、花電車、、と続く道中を自分もその一部となって歩いているというのは、実に不思議な気分だ。風景も自分もあまり変わってないように思う。でも、周りを歩く人たちをよく見ると、確実に歳をとっているし、新しく加わった人もいるし、もう亡くなった人もいる。そして我が子を見れば、太鼓を叩いていた小4の長男が、今年は背負う側にまわり、若連中に、ビールなんぞすすめられているわけだ。なんだか映画の回想シーンでも見てるような気分だ。なんとなくヨソ者意識の抜けなかった僕も少しだけ溶け込めたような気もする。色々な意味で幸せになれた一日でした。
2010.10.10
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たぶんこれまでで一番キツかった4年前のこの日記を読み返してみた。苦難の連続というか、日常が苦難そのものだ。まあ、よくぞ一年間やりぬいたものだと思う。ゴール目前の2月にも、とどめのようにトラブルそれでも、その地獄の職場も365日のうち200日程度だろうし、24時間のうち10時間程度でしかない。残りの時間はすべて自分のものだったわけだ。だから、地べたを這いずる様にしながらも、投げずに前に進んだのは正解だったと思う。「つぶされてたまるか!」という思いも強かったんでしょうね。苦しい中にも一生懸命楽しいことを探して、一生懸命アクションおこして。結果、かなり一生懸命生きて、重苦しいトーンの中にも、っていうか、全体が重苦しいので時々キラキラするところが余計キラキラして見える。悪くはないではないかと今では思う。多分、僕には必要な一年だったんだ。面白いのは、このときもやっぱり過去の苦しかったときの日記を読み返している。昔の自分に励まされている。未来の自分を励ましてやるためにも、今がんばなきゃなあ。。
2010.10.09
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勤務先で大ピンチ。保護者対応の難しさ。まあ、4年前の苦しさに比べれば随分マシ。あの時はストレスであっという間に10kgも太ってしまった。今考えても、よく一年間耐えられたと思う。それでも、ここ数年、とても幸せにのほほんと過ごせてこれたものだから、しんどさに対する耐性が弱くなってしまったのだろう。久々に肌がチリチリするようなしんどさを味わっている。こんな思いはできることならしたくない。しかし、僕が自分の足元をじっと見直すのはこんな時だ。苦難の時。自分のおかれている状況や、自分自身のこと、家族のことをじっと考える。それが意味のある思考になっているのかどうかはわからない。単に沈んでるだけなのかもしれません。しかし、しあわせでのほほんとしている時には、ほとんど考えていないのも事実です。人生に無駄な時は無いといいます。辛さや苦しさも時には必要なのでしょう。そういう時にこそ、心はじっと深く根をはるといったような意味の相田みつをの詩があったような気もします。それに。いつもは喧嘩ばかりしてる女房ですが、こういう時には本当に頼りになる。女房の有難さをしみじみ感じている次第です。
2010.10.09
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自分が少しでも前より良くなってると思えるときーそれを成長というのかもしれないーというのは、間違いなく幸せだ。正確に言うと、そうするために自分が何かしていると感じられる時。昨日より少しはマシな自分になるために自分は何かをしていると実感できる時。結果より、そのプロセスそのものに幸せを感じるのだと思う。これはいいですよね。なんせ、実践者も評価者も自分だ。完璧に平等な幸福。
2010.10.06
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またひとつ、無事に歳を重ねられたことに、まず感謝。振り返ってみれば、我ながら恵まれた人生であったように思う。何より4人もの子宝に恵まれ、皆、すくすくと、たくましく育ってくれている。仕事はどうも挫折の連続で、かなりハードな貧乏も経験したが、とりあえず現在、ほぼ無借金である。元祖フリーターのようなていたらくであるが、それでも、細々とでも百姓を続けられ、一度はやってみたかった小さな学校の先生も経験できた。小学校の担任を持つなんてことは夢にも思わなかった嬉しいオプションだ。約1ヘクタールの山林と、そこにオンボロながら手作りの住家もある。人並みに?恋愛、結婚もした。地位、名誉、財産なんてものには、ついに縁はなさそうだけど、贅沢すぎるような日々を送らせてもらったような気がする。そうそう、運動オンチの癖にこの歳になってフルマラソンやトライアスロン完走して、音楽オンチの癖にこの歳になってピアノ弾いて、それにあわせて子どもたちが歌ってくれて。こうして、書いてみると、書ききれないくらいの幸運に恵まれてきたことに気づく。(まさに、ないもの数えず、あるもの数えろですね。。。)で、まあ、そう考えると、もう充分ではないかと。残り何年生かしてもらえるのかわかりませんが、それはもうまさに「生きてるだけで丸儲け。」ではないかと思えるのです。だから、思い切って何かをやるか。それとも地味に淡々と日々を送るか。おそらくどちらでもよいのでしょう。いやいや、末娘が高校入るまでのあと2年、がんばって稼がないと。。
2010.10.03
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