全33件 (33件中 1-33件目)
1
昨日はさすがに港まで行ったが釣りはしなかった。毎日太刀魚ばかりではね。まだ家には干したものが残っていたので、さすがに釣りはひかえました。けど、3日も釣らないと辛抱できません。行きました。はい、一年間待ちに待ったこの季節。嫌と言うほど釣りたい。釣りやすい岸壁では釣れる数がしれています。もっと、大きな1mを越すものが釣りたい。というわけで、例の如く秘密の場所にいきました。しかし、なんとなんと・・・大きさが小ぶりになっています。釣具屋の情報どおり型が小さくなっている。不思議ですねえ。例年とまったく逆です。もっと不思議なのが昨夜も釣れたのは6匹なんです。う~ん、なにかあるなあ。もっとショックなのは、もう一つの秘密の釣り場に入れなくなっていたことです。そこはいろんな魚が釣れる場所だった。チヌ、メバル、ガシラ、アナゴ、アジにイワシにウミタナゴ、カワハギなど近海の魚の全てが釣れた。エイがかかったときは残念ながら糸が切れた。サメを見たこともある。こんな秘密で最高の釣り場が入れなくなってほんとに残念。釣り人のマナーが悪くなっているのが原因でしょう。今時の釣り人は海をゴミ捨て場みたいに思っている。飲み食いした袋や缶をなぜに岸壁や海に捨てるのかなあ。持ってきたのだから、持って帰ればいいのに。どうせ帰りにコンビニに寄って行くのに。たとえ僅かの労力でも得にならないことはしないのでしょうね。この海で40年近く釣りをしてきた自分には釣り場を大事にして、長く釣りを続けていきたい。若い人も、おじんも公共心が無くなっていますね。釣り針を糸を付けたまま、散らかして帰るバカがいる。エサのついた針を飲み込んで死んでいく鳥や動物がいる。きちんと後始末していけばいいのにね。針も仕掛けも買ってきて使い捨てです。自分で針に糸を結べないからでしょうね。金さえ出せば手に入る。いやな世の中になった。自分の釣り道具箱には40年前の針が今もある。昔は針は折れるまで使うものだった。太刀魚のしかけも針も自作すれば安いのに。僕は何度も結び直して使っています。そうして、自分で仕掛けを工夫して準備するのが釣りの楽しみでもあるのに。釣れたら魚の命を奪っているわけですから、しっかりと食べてあげます。釣るだけのレジャーはやめてもらいたいですね。バスフィッシングの番組なんか釣っているところだけ放映して、後のことは全然放映しませんね。針のかかり具合によっては、魚は生きて水の中に戻れないものもいますよ。生き物を殺すだけのレジャーですね。気分悪くなります。これを書きながらなんか頭にきています。冷静に、冷静に・・・・太刀魚が釣れた話を書くだけのつもりが愚痴になってしまいました。こんな愚痴を書いたら皆さんも気分悪くなりますよね。ごめんなさい。今度は1m超級を釣った話がしたいですね。
2007.11.30
コメント(1)
大変だあ~。今の職場には私よりも大きな二人の横綱がいたのです。私は4番目かな?それで、私とちょい重めのおじんが大関。他に少し軽めの重さのおっさんが3人ほどいます。このあたりが関脇クラス。ところがです・・・・・2番目の若い奴がなんとヘルニアの手術以来痩せまして、ひたすら痩せています。食事を減らし、勤務後はテニスを若い連中とやっています。それでなんと、減って、減って・・・・私が抜かされた~。西の横綱が陥落しました。当然ながら私が西の横綱に昇進することになりました。東の横綱は当分安泰でしょう。彼が痩せるのは絶対に無理、無理、無理×100回。関脇の一人が減量中です。ぶかぶかになったズボンを誇らしげに見せつけてきます。前の職場も転勤してきたときは、5番目ぐらいだったのに、最後には私が最重量になった。日々成長を続けるたぬきぶた。すばらしいというより情けない。我が家の体重計は私が乗ると壊れて、狂った数字を示します。娘と配偶者の時は正常らしい。もし、もし東の横綱が転勤したら・・・・・?ひぇ~!!!その可能性は大いにあり得ます。となると、、、、、、やばい。こんども東の横綱に昇進。このところの太刀魚釣りで缶コーヒーをがぶがぶ飲んだからなあ。寒いときはあったかい缶コーヒーを何本も飲んでしまいます。太刀魚も釣りたいけど、あ~あ。ため息。砂糖のないコーヒーなんてコーヒーではない。配偶者は「砂糖を入れるのはコーヒーへの冒涜だ」なんてひどいことを言うが、私にしてみれば、コーヒー色の砂糖入りお湯が好物なんです。それを飲んでいる訳ですから。そうだ。今夜は夢を見よう。中島みゆきさんが現れて、僕に言うのです。「痩せたたぬきさんはすてきだろうなあ。好きになっちゃうかもね。」こんな言葉を言われたら、私は減量します。絶対に。はい。誓います。できれば4月1日に宣言したい。
2007.11.29
コメント(0)
久しぶりに病院に行って来た。血圧の薬がなくなってきた。土曜日なので私のお気に入りの先生がいるかも、という期待でいきました。予感は当たってその先生でした。この先生は以前に診察したときにこんなことを言ったんです。先生 「こんな血圧であと何年生きられると思ってるの?」俺 「やばいですか?」先生 「このままでは、あと5年で死にますね。」俺 「・・・・・!」 絶句周りの看護婦さん達、笑ってにやにや。まあ、笑い事でないだけに、こらえているのは分かりますが、まあその通りなんでしょうね。そのときの診断結果は、血圧 上が200、下が140 でした。すごいね。もうじき死にますね。確実に。チーン。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。この話は2年前のことです。残りはあと3年です。3年でこの世とおさらばです。さて、今日は 血圧 上が180、下が120でした。きちんと毎日の薬を飲んでいないので、怒られました。さらに、残念なことに、この先生は転勤で4月からいなくなってしまうのです。この先生と私の漫才みたいな話が面白くて、看護婦さんたちはいつもにやにやと笑っていたのですけど・・・。 で、今日からもっと効果のある薬に変更です。なんとなく、自分でも命が短くなってきているような気がします。先生曰く 「今の医療は脳梗塞で倒れても死なせません。後遺症が残ってもいいから、命だけは救います。その結果、寝たきり、手足の不自由、言語不明瞭、などなど。あなたね、もし倒れたら、誰が看病するの?そんな太った体でみんなに捨てられますよ。」周りの看護婦さん、にやー、くすくす。とぼとぼと、病院を出て、帰りました。そうですよね、倒れたら、きっと妻は見捨てるだろうなあ。足で蹴飛ばされても、身動きできない俺はくやしい思いで、涙、涙、涙の寝たきり人生。うーん。くらい。くらい。なんとかしなくては、・・・・たばこを止める。夜は散歩に行く。スポーツジムに行く。パソコンしない。あれ、パソコンしなかったらブログ書けない。ブログだけは残そう。生まれ変わるのだ。と、決心しました。(今日は4月1日かな) でも、この決心は今までにも何回もしているんです。と、いうことは・・・・実際に倒れないとわからんでしょう。もし、もしですよ。俺の減量が成功したら、・・・・いいこと、いっぱいありそう。むふ!ほんとに、極楽とんぼですね。Last updated 2007.03.03 18:05
2007.11.28
コメント(2)
今夜も太刀魚定食だった。(俺だけ) 晩飯を食べたら猛烈な睡魔に襲われた。こたつでバタングーでした。「部屋で寝んかい。じゃまや~。」怒られた。怖い。とぼとぼと部屋へ。意識不明。気が付いたら2時。すっきり目が覚めている。夜行性動物の活動が始まった。あ~、太刀魚が俺を呼んでいる~。深夜ドライブとなりました。目的地は港です。井上陽水を聞きながら、車を走らせます。いいですねえ。今夜は車内で陽水に浸ります。学生時代に聞いた衝撃の歌手。デビューからすごかった。はじめてのライブ版がFMで放送されたときは全国でエアチェックがされていたという。もちろん僕もきれいに録音しましたよ。木訥とした語り口の中にユーモアがあり、その詩が心を打った。ところで雑学その1。陽水は本名です。ただし、読み方が知られていない。知っていますか?「あきみ」と読みます。本人は女の子みたいな感じが嫌だと言っていますが、そうでしょうね。でもしゃあない。親が付けたんだから。有名になってこれで良かったんじゃないかな。ついでの話。 彼は医者の息子。医学部を目指して勉強していたが、音楽にはまって成績が伸びない。結局、2浪しているうちに、音楽が評判になって歌手デビュー。当時はフォークソングの名曲がたくさん出てきた時代。テレビで歌番組は作られたアイドルがお仕着せの作詞家、作曲家の歌を歌う時代だった。それが飽きられてきていることに放送局は気が付かない。やらせのヒットチャートにみんながシラケはじめた。そんな頃に、吉田拓郎や中島みゆき、かぐや姫たちの音楽がラジオ、FM放送を通じて広まった。陽水の「氷の世界」100万枚のビッグヒットとなった。テレビで歌っているジャリタレのレコード売り上げを合わせても彼にはかなわなかった。でも、テレビで見ることはかなわなかった。本当の歌を歌っている歌手にとってはテレビの商業ペースには違和感があったと思う。拓郎やかぐや姫がテレビで見られるのは滅多にないことでした。今でもそうですよね。中島みゆきの「夜会」コンサートなんかチケットは手に入らないもんね。陽水の歌には恋、愛、夢が多く語られている。この歳になっても夢が言葉になって作られ事に感心する。夢多き青年が今でも青年のままのような気がする。ただ、今の彼はそれなりに歳を取った。そして、歌詞も昔を思い出すような内容だったり、夢を追い求めた若い頃を懐かしむような歌詞が感じられる。そんな彼の歌詞に共感している俺。俺も年取った。まだ夢見ているけど現実は動けない。ただ懐かしむのみ。悲しいね。今朝のテレビで陽水の娘がデビューしたことを知った。歌詞がはんぱじゃない。ブレークするかは未知数だが、既成概念を壊すところから若者の文化、歌が広まってきた歴史を振り返ると、娘さんの歌も受け入れられるような気もする。楽しみです。家も家族も捨てて放浪の旅に出てみたい。無理だけど。このブログの世界に放浪の旅を重ねているのかも。
2007.11.27
コメント(1)

実は昨晩に望郷編の(2)をアップしようと書き込んでいたのですが、なんと3時を過ぎて、メンテナンスということで、せっかく書いた文章がパーになってしまった。だめですねえ、夢中になって書き込んで時間切れとはね。メンテナンス情報はどこで分かるのかな?3時を過ぎても大丈夫だったときもあるし、何曜日にするのかなあ。以前、引っ越し作業をしているときには大丈夫だったんですよ。誰か教えて~。 と、いうわけで、今夜も行って来ました。え!どこに?決まってますよ、夜行性の「たぬき」がこの季節に行くところは港です。太刀魚が俺を呼んでいる。釣りに来て~。(そんなことないよね。)今日も不思議なことに6匹だった。ほい!手に持っているのは5匹ですが、でかいのがもう一匹です。早速、解体作業にかかります。頭を落として、はらわたを出して、20cmぐらいにぶつん。塩ふって、網籠に並べておしまい。大きい胴体の部分を刺身にしました。結構うまいです。なんたって釣りたてです。さっきまで生きてましたからね。こんな新鮮な刺身が食べられるなんて、幸せ~。前に釣ってきた太刀魚が今夜も食卓に出たが、・・・・・食べたのは俺だけ。???娘も配偶者も見るだけ。せっかくきれいに焼けたのに。かわいそうな太刀魚さん。きっちりと食べてあげているのは、俺と猫だけ。来週の土曜日には近くで朝市をやっているので、そこで売ろうかな。
2007.11.25
コメント(1)

昨夜の釣りは出発が遅かった。いつもはフェリー乗り場あたりに行くのだが、違う場所での様子も知りたくて、数年前に行ったことのある秘密の場所に行った。フェリー乗り場は岸壁から近いし、コーヒーの自動販売機もあるので快適なんですが。ここは車から離れてしまうし、缶コーヒーもない。誰もいない。普通は誰も来ない場所です。「え~、こんなところで釣れるの?」そんな場所です。まあ、秘密の場所ですね。結果は前回と同じで90cmクラスばかりでした。太刀魚釣りを始めてこんなことは初めてです。例年であれば、10月ぐらいから60cm位が釣れて、11月になると形が大きいのが、釣れるのが普通でした。今年は10月でも釣れている情報がなし。今年はダメかと思っていたら、大きいのが釣れ始めたニュースが釣り具やさんで聞かれるようになって、これは・・・・・。「行かねばならぬ、止めてくれるなおっかさん。」今シーズンは全て大きいものばかり。群れは大抵小物ばかりで、大物は時々というのが、この地域での常識・通説です。「大きい太刀魚の群れが来ないかなあ。」ついに、念願の希望がかないました。嬉しいですねえ。半日干しの様子です。 太刀魚は白身で肉が軟らかくあっさりなので、塩を利かせるとおいしいです。今回ぐらいまでは家族も、まあ「食べてあげようか」となります。おそらく次回ぐらいからは、「またあ、もう飽きた~。」 とか、「太刀魚の姿を見るのも嫌だわ。」なんて贅沢なことをのたまう女ども。いいんです。まずはお隣さんにあげます。そして、同僚にも。そして、近所の猫には頭と尻尾の部分をプレゼントします。今夜も行きたい。あの、引きがたまらない。太刀魚中毒?みたいですね。
2007.11.23
コメント(0)
ついに訪問者が1000を越えました。前の初代たぬきぶたは8000を越えていましたが、一からのスタートで不安も多かった。でも、たくさんの方が来てくれたのでほんとに嬉しかった。とくに、引っ越しをしていた、17日は過去最高記録の377人でした。人気ブログからすると、この位は大したことない数字ですが、ぼくの暗いブログにすれば感激の数字です。もっとも、招かざる訪問者も結構多くて、コメントを書き込み禁止にして正解でした。今は元に戻って5,60人ぐらいでしょうか。細々でいいのです。自分の半生を記録してみたいとの思いから、自分の感じたままを書きつづるのが目的です。どうしても暗い話が多くなりますが、ご容赦下さい。彼女にふられた話は結構面白かったです。書いた自分が読み直して感激しましたね。まだ文章としてはつたないので、もっと詳細に書けばよかったかなとは思いますが、なにぶん一日分を書くのに約2時間を要しました。思い出しながら、直しながら、できるだけ詳しく、そしてくどくならないように、と悩みました。でも、やっぱりだめですね。作家の才能はないようです。これからのブログには懐かしいふるさとのことを書こうと思っているのですが、ちょっとショックな事実が判明したので、心の準備に少し時間がほしいのです。今夜はとりあえず、太刀魚釣りに今からいってきます。シーズンが終わるのが早いですからね。釣れるときに行かなきゃ。寒くなっていますから、防寒の用意をしっかりとして、では行ってきます。
2007.11.22
コメント(0)
2007.4.17の再アップ 近くに住む母からの電話があったと3日前に連絡を受けた。けれど、忙しくて忘れていた。今日、連絡した。親父の7回忌のことだった。近くに住んでいても、なかなか連絡しないので、母はいつもひとりぼっち。一人の生活はたまらなく寂しい。これは俺自身が独身の頃に感じていた悲哀だった。その、悲しさ、つらさを今、おふくろに強いている。こんな親不孝はあるだろうか。話の中で、この冬のことを思い出して、母は泣き出してしまった。風邪を引いて熱を出し、うなされながら、誰もいない部屋で一人布団の中で苦しんでいたという。子どもたちに移したらいけないからと、遠慮して「こなくていいよ」といいはしたが、病気のときの一人はとてつもなく寂しいものです。自分が知っているのに、母には見舞ってやることもしなかった。今、ものすごく自己嫌悪になった。あんなに懸命に育ててくれた母に対して、なんという仕打ちをしているのだと。一緒に住みたいが、部屋が少ないし、親父の想い出と一緒の家を出て行くのも、つらいことだろうし。どうしたらいいのかな。せめて、連絡があったときぐらいは、すぐに駆けつけることがせめての行為かなと、反省している。戦後の貧しい生活の中から、復興に向けて誰もが懸命に働いた。九州や東北からは中学生や高校生が集団就職で都会に出て行く時代だった。命がけの仕事をしながら子育てをしてきた。炭坑の閉山とともに、誰も知り合いのない都会に出てきて、懸命に親父も母も働いた。そして、子ども3人を大学まで行かして、なんとか老後を迎えようかと思った矢先に親父は癌を宣告された。定年まであと1年という時だった。闘病13年。母に苦労をかけながら、父は死んだ。残った母は親父の墓参りが一番の日課になった。子どもはそれぞれに自分の生活を持っているが、残った母とは年に数回の法事の時だけのつきあいになってしまっている。時々季節のお総菜を作っては、「取りにおいで」と連絡を受けて取りに行く。そんな短い会話しかない。もっと思い出話しやらいろんなことを話したいだろうに。あと、何年生きられるのだろう。「親孝行したいときに親は無し」とは、昔から言われる言葉であるが、今の俺はまさしくこの言葉そっくり。せめて、もっと会話をしなければと思いつつ、実行できていない我が身が情けない。ごめん、かあちゃん。これを書きながら、涙がとまらない。ごめん。ほんとに親不孝だね。ごめんね。いつも感謝の気持ちでいっぱいなんだけど。もう、書けない。
2007.11.21
コメント(1)

45年前の記憶が定かでなかった。それがやっと解決した。田舎の小学校ではまだテレビの普及も少なかった。それで、学校から年に1回の映画鑑賞会があった。5年生では怪獣映画のキングキドラを見た。ゴジラ、ラドン、モスラの各怪獣映画が人気を博した時代です。初めはゴジラです。親父が結構映画が好きだったので連れて行ってもらった。モスラには当時人気歌手だったザ・ピーナッツの双子姉妹が、ついに映画にも出演しました。ラドンは阿蘇山からでた怪獣ということでこれも面白かった。学校から見に行ったキングキドラは強力な破壊光線を持っていたが、ゴジラとラドンを説き伏せたモスラと共に立ち向かう物語でした。それよりも古い記憶として西遊記がある。これはアニメできれいな映像が印象にのこっている。30年ほど経ってこの二つの作品をテレビで見ることがあり、子どもの頃の感激を味わった。ここで書きたいことは、それ以前の記憶なんです。「にあんちゃん」という映画を観たのですが、その記憶がはっきりしない。僕が小学1年か2年の頃のことなんです。昔を思い出すたびに「にあんちゃん」の言葉が出てくるのだが、どんな物語だったかが、思い出せない。「にあんちゃん」なんだったんだろう。そんな思いがずーっと心の片隅に住み着いていたんです。二人のあんちゃん(兄)なのか、二番目のあんちゃんなのかが、はっきりしませんでした。長年のもやもやがこの度やっと解決しました。結果はどちらも正解でした。この本は偶然見つけたんです。息子にネットで本が買えることを教えていたときのことです。サイトを覗いて、こんな風に紹介されているから、注文できるんだよと、説明しているときでした。「え~~!! ちょっと待って、これは俺が捜していた物語じゃないか。」こんな偶然があるのか? 40年も心に宿っていた疑問がやっと解決した。はっきり言って感激でした。すごい発見です。すぐに注文しました。注文の仕方を教えたいと思っていたときでしたから、最良のタイミングでした。この本です。 西日本新聞社発行 1200円+税 注文してからの届くまでの3日間が待ち遠しいものでした。この作品の紹介を少しします。そこは佐賀県東松浦郡の炭坑町です。両親を亡くした4人兄弟が貧しいながらも前向きに生きていく物語です。長兄、長女、次男、そして作者の末子。末子さんが小学3年生の時に父が死んでからの日記をつけています。昭和28年のことです。炭坑で働いていた家族は朝鮮人ということで、差別を受け、賃金も安く、生活は貧困そのものです。みんなが貧しかった時代ですが、その中でも差別を受けていた朝鮮人たちの生活は悲惨なものでした。歴史的にみても朝鮮人を強制的に日本に連れてきて、危険できつい仕事をさせていました。アメリカの黒人奴隷制度を真似したような政策でした。両親が他界した後の残された兄弟がつらいけれど、希望を持って生きていく姿が感動をよんだ作品です。学校からの推薦作品ということで、鑑賞会がもたれたのだと思います。日記の原作は読んだことがありませんが、映画で観て感動したことは覚えています。でも、詳しい内容が思い出せなかった。二つ上のあんちゃんが末子と年が近いこともあり、互いを思いやる兄弟愛がすばらしい。でも、こんなことは九州の田舎では当たり前でした。みんなやさしく、互いが助け合って生きていましたから。そうしなければ生きていけない。今村昌平監督作品です。社会派監督として著名な監督さんですから、内容は貧しい庶民を真正面からとらえた作品なんでしょう。もう一度観たいけれど、無理な話でしょうね。こんな良心的で感動を呼ぶ作品は長く残るものではないのでしょう。今更、こんな作品を放送したところで、誰が感動するでしょうか。でも、原作が復刻版として再発行されたのには理由があると思います。帯封にあるように、「読みたい、この時代こそ」貧しくても助け合い希望を持って生きたころがあった!このフレーズはまさしく復刻版へのエネルギーだったのではないでしょうか。つたない小学3年生の文章は感動ですが、それは僕みたいな炭坑町で育った人間にしか分からないと思います。昔の貧しかった時代を生きてきた田舎の50才以上の人だけでしょう。昔はこんな生活だったと。みんな貧しかった。そんなどん底から努力でこの日本の成長を支えた。豊かになった日本人が忘れたものがここにある。40年以上にわたって心に住み着いていた疑問がやっと消えた。
2007.11.20
コメント(1)
昔を振り返ることが多くなって、子ども時代のことも思い出されます。母と食事をしたときに、生まれ育った炭坑長屋のその後について尋ねました。なんと、親族の法事があったときに姉と訪ねたというのです。長屋の集落を過ぎたあたりに池があったのですが、なくなっているとのこと。またボタ山もなくなって低くなっていることも聞いた。筑豊ではまだボタ山が少しは残っていると聞いたが、あちらこちらで消えていっているようです。ボタというのは石炭を掘り出すときに一緒に混ざっている石です。もちろん石炭層にあるわけですから、色は同じように黒色です。そのいらないボタを捨てる場所がうずたかく積もって山をなす訳です。子どもの頃にはボタ山に行って混じっている石炭を拾ってきました。周りの雑木林では枯れ枝を集めて焚き付け用にしたものです。新聞紙は貴重品ですから、最初の火起こしに使い、すぐに杉の葉を加えます。そして薪を小さくしたものを入れて、大きな薪を加えます。かまどや七輪の火起こしは子どもの僕たちがしたもんです。そして、この季節は杉の葉が枯れて落ちていますから、それを日曜日には集めに行くのです。親の手伝いをしているなんて、そんな気持ちは全然ありません。日常の生活に子ども達の仕事も遊びも含まれているのですから、それが当然というものでした。杉の葉のことを僕たちは「柴(しば)」と呼んでいました。昔話に「おじいさんは山へ柴刈りにいきました。おばあさんは川へ洗濯に行きました。」このイメージは現在の子どもたちには理解しにくいでしょうね。ぼくは自分が杉林に入って落ちている小枝(杉の葉が付いているもの)を集めた記憶がよみがえります。ある程度集まったら、縄でくくります。そして背中に担げるように縄を付けるのです。子どもが背負うのですから、大人みたいに多くはありませんが、なにせ軽い物ですから、そこそこの大きさを、リュックを背負うようにして運びます。近所の大人、子どもが同じ目的で共同作業をするのです。もちろん個人所得になる分なんですが、助け合って生活していくことが必要だった時代です。 家に帰ると乾燥させて、床下に保存します。床下には薪やらこの杉の葉がたくさんしまってあります。これを取り出してくるのは子どもの役目です。なんせ小さいですからね。いろんな経験をしました。自然の中で生活していたようなものです。秋は実りの季節です。山に入って、椎の実を取って食べます。木登りが巧いとたくさん取ることができて、英雄なんですね。アケビもよく取りましたね。今年は今の職場で周囲の山にアケビがたくさんなっていましたので、久しぶりに食べました。おいしい物に飢えていたその当時は、甘くてほんとにおいしいご馳走でした。今年食べると懐かしさはこみ上げてきますが、おいしさは感じません。おいしい食べ物に慣れてしまっているんですね。一緒に取って食べた同年代の同僚たちと同じ感想を語り合いました。他にも栗、自然薯掘りの記憶が鮮明ですね。またいつか書き込みますね。 九州の田舎町の様子は、都会の生活から比較すると、何十年も昔の生活様式だったのではないでしょうか。炭坑の閉山と共に、都会に出てきて生活は大きく変化しました。電気、水道、ガス、生活に必要なものがお金を払うことで手に入ります。子どもたちの役割だった仕事をする必要がありません。都会の子どもたちは勉強して、遊んでいればいいのです。長屋に一つだけあった共同水道から毎日、バケツで水くみをしていました。かまど用の薪を斧で小さく割ったこと、七輪の火起こしが日課だったことなどなど、貴重な経験といえば貴重かもしれないが、それが当たり前だった。都会のくらし、田舎のくらし、大きな変化を体験した。少しずつですが、思い出して書きつづっていきたいと思います。
2007.11.19
コメント(0)

一昨日はブログの修理で絶好の太刀魚日和(夜ですが)を逃してしまいました。そこで、今夜こそと意気込んで出かけました。魚さんも食事時間帯があるようで、太刀魚さんの場合は日没から3時間ほどがよくエサを食ってくれます。昼間に釣り針の仕掛けを作ります。市販の針ではどうもかかりが悪いのです。針の形を少し変形させて、ワイヤーで結びます。漁師結びで作りますから、簡単なんです。買えば1本200円ぐらいにはなるかな。自作すればお好みの形で自由にできます。釣り人の創意・工夫が活きる場面です。釣果は・・・・・ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン。85cmから90cmのやや大物です。目標は3匹でよかったんですが、時間もあるので粘ってみました。缶コーヒーを飲みながら、たばこを「ぷっかー」と至福の時。今日から冬になるということですが、そんなに寒さはこたえません。まだまだ。この季節を待っていたのです。そうなんです。こんな楽しい釣りは他にない。なにが楽しいかって?難しいのですよ。エサだけとられたり、いると分かっているのに釣れなかったり。群れが大きかったら誰でも釣れますが、魚が大きくなると数が少なくなります。そうなるとなかなか釣れない。ついに、近くで釣っている人が尋ねてきました。「どうしてそんなに簡単につれるの?」聞かれたら丁寧に答えるのが私の流儀です。針のこと、仕掛け、エサの動かし方、など少々ウンチクをたれまして、仲良くたばこぷかぷか。しばしの釣り談義。缶コーヒーをまたもや飲みまして、ついでに屋台のラーメン屋が回ってきたので、それもいただきます。なんやかやとちょっとしたレジャーですね。釣りはこうでなくちゃ。(そのためタバコと缶コーヒーが止められない) 帰ってから捌きます。これも簡単。15cm位に切るだけ。ただし、食べやすいように、ちょっとした工夫をします。背びれ、腹びれに沿って切れ目を入れます。そうすると焼いた後の食べるときに骨離れがいいのです。ということで、今夜は太刀魚。今日は天気が良かったので、かるく天日干しをしました。塩をかるくふりまして、網籠に入れて干します。調理は単純な塩焼き。我が家はこれしか料理方法をしりません。悲しいです。他に簡単にできる料理方法をご存じの方は教えてください。また、来週にいきます。この季節は毎日行きたいけど我が家の炊事担当大臣が怒るので週に1回が限度なんです。お隣さんに配ってもいいと思うのですがねえ。
2007.11.18
コメント(1)
昨夜は遅くまで「さらば青春シリーズ」を旧ブログから引っ越してきました。10月にブログが壊れて、この「へそヘルニア」を作成していたので、10月分にアップできました。それ以前の分については、ぼちぼち引っ越していきたいと思っています。しかし、迷惑メールやエッチサイトからの訪問が多いですねえ。また、対策をとらねばいけません。とりあえず、コメントだけは書き込み禁止にしたのですが、迷惑をおかけしました。長編を書き終えて、もう一度読み直してみると至らぬ箇所がところどころあります。文末表現なんか、まるででたらめ。まあ、いいじゃないですか。全体を通してよく覚えていたなあ、と感じます。まだ書き足りないところがあるのですが、その部分は記憶が薄れていくような、そんな気がしています。このブログを復活するにあたり、最初の頃のページをみると、彼女への思いを表している日記がありましたね。1年の中で思い出=ひかるさん、なのでしょうかね。この調子だと、死ぬ間際に家族を前にして、「ひかる~、天国で結婚してくれ~」 と言いそうです。やばい。!死んだ後の供養が手抜きされてしまいそう。前にも、迷惑メール対策としてコメントの書き込み禁止をしたけれど、たった1日で解除しました。今回もおなじですね。「さらば青春」シリーズを引っ越すのに、時間がかっかったり、手間がかかることを想定していましたが、アップした日と同じ場所に収まることができてやれやれです。順番はめちゃくちゃですが、まあ、しゃあない。ということで、コメント書き込み禁止を解除します。禁止対象のブラックリストの数を広げてもらえなたらいいのですがねえ。
2007.11.17
コメント(0)
Last updated 2007.01.18 00:40:45 人生が二度あれば井上陽水の歌に「人生が二度あれば」というのがあります。みなさんご存じですか?50歳以上の方なら若い頃にヒットした曲ですから知っているでしょう。おふくろに言ったことがあるんです。良い歌だよって。しみじみと、両親の人生はなんだったのかなと。思ったものです。 今から30年前のはなしです。この歌の陽水の父と母は65歳と64歳の両親だったかな?二十歳のころの自分にとって60歳という年齢は人生の終わりが近いことを表しているように思えた。今、自分がそのときの両親の年になって、あらためて自分を振り返ってみる。自分はなにをしてきたの?なにを残したの?そして、今から何を残せるの?50になってまだ、はな垂れ小僧みたい!まだ、やり残したことがあるように思えてしかたがない。人生まだ発展途上?Last updated 2007.01.18 00:40:45
2007.11.16
コメント(0)
Last updated 2007.01.17 19:37:05 まだ、仕事中俺の仕事はなんなのだ。いったいいくら時間がかかるのだ。か~ちゃんのためなら、え~んやこら。小さい頃こんな歌が流行った。学生時代にも土方のバイトからの帰り道に口ずさんだなあ。ふ~っ!・・・ため息が・・・・・。仕事か趣味か区別がないのはいけません。職場を離れたら、すぱっと切り替えて、5時から男になるべし。でも、でも・・・こんな毎日のくり返しで、年が増えていく。そして、この世の皆さんとさよならすることになるんですね。どうせ、生きるのなら、精一杯なにかをやりたいね。おれは、それをしてきたのかな? どう?虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す。というけど、たいした人生でなかったような、寂しい気がしますね。ほら、ほら言ったでしょ。このサイトは暗いって。どうしようもないくらいにくらい。さむいかな?やはりそうですか。今日も文章だけだった。では、またの日に。Last updated 2007.01.17 19:37:05
2007.11.16
コメント(0)
Last updated 2007.01.17 01:56:43 書きたいことは?いったいこのブログに何が書きたいのだろう。別に金儲けが目的ではないし、かといってテーマが絞り込めている訳でもない。う~ん。早くも悩んでしまった。こんなときは、詩 ですよ。結構、詩を書くことは好きなんですよ。学生時代から日記に詩を書いていた。他愛もないことだけど・・・。でも、いい詩が書けるのは恋をしているときかなあ。高校生までは恋愛の詩も高村光太郎の詩も心に響かなかった。なんで、こんな歯の浮くような言葉が書けるのか?不思議だった。だけど、学生時代に知り合った女性に恋愛感情というものがなんとなく理解しはじめたとき、恋の歌や詩が強く心に響くようになってきた。日記を書いていても、 山の彼方の空遠く、幸い住むと人の言うこの言葉がいい響きを感じるようになってきた。それが、青春なんでしょうね。人生の終着駅が見えてきた自分にとって、これからの残りの日々がとても大切になることを感じている。
2007.11.16
コメント(1)
暖冬異変?年末年始には忙しくて釣りどころではなかったんですが、ようやく仕事も回り出しまして、何とか生活のリズムができはじめました。昨日のニュースで北海道でも雪がない!と暖冬異変の話がありました。海外でも海水面の上昇で水びたしになっている町の様子が映し出されていました。「こんなに暖かいのだったら、まだ太刀魚連れるんと違う?」家族の呑気な声。と聞き流していたが、気になりますね。行ってみようか。太刀魚仕掛けを投げておいて、もう一本はメバルとガシラ狙いで遊んでみようかな?寒さはこれからが本番なので、暖かくて風のない日を選んで行ってみます。もちろん、夜釣りです。土日ごとに仕事ありますからね。夜しか自由時間がない。 Last updated 2007.01.16 09:20:42
2007.11.16
コメント(0)
Last updated 2007.01.11 23:52:14始まりました。ついにブログのスタートです。ついに、ついに、ブログを始めました。何か目新しいものが出るといの一番に食いついていた私ですが、年には勝てません。 へえ~。そう~。ふ~ん。時代の波に乗り遅れるようになりました。つくづく、年取ったなあ、と実感しています。では、では、ブログ開設を祝して、バンザ~イ!きょうは皆さんありがとうございます。(誰も祝ってない。) Last updated 2007.01.12 03:56:26 今日で二日目、といってもまだ4時間しかたってない!1ページ目ができて、さあ寝ようかな。と思いつつ、やはり気になる自分のサイト・・・もっと改良するところがあるはず・・・タイトルがねえ!これが問題です。でもしばらくはこれでいきます。だって、名は体を表すといいますからね。今年こそスリムになってタイトル変更だあ~。 意気込みだけはあるんです。Last updated 2007.01.12 03:56:26
2007.11.15
コメント(0)
新しいブログに早速コメントをいただきました。ありがたいですね。自分は勝手に自分の思うことを書きつづっているだけなのですが、こうやって感想やら励ましの便りをいただくと書いて良かったなあ、と思います。人生には、こうやって書き込めないような経験がまだまだあります。でも、それは決してブログには書けません。関係者などに多大の迷惑がかかってしまいます。よしんば他人への迷惑が無かったとしても、あまりに辛いことで、決して口外できるものではない。墓場まで持って行って、闇の中に葬り去ることになります。できるだけ、明るい話題でみなさんを楽しませるようなブログにしたいです。前にもこんなことを書いたんですが、やっぱり暗い話が多かったね。これは、・・・・治らないのじゃないかな。純粋の根暗人間なのでしょう。よし、こうなったらこのブログをのぞきに来ている人たちを、根っからの根暗人間にしてしまおう。たぬき菌とヘルニア菌と根暗菌をばらまきます。どれくらいの効果があるか、楽しみです。たぬき菌=夜行性のたぬきに付き合って、寝不足になる。ヘルニア菌=笑いすぎておなかが痛くなる。ひどいときはヘルニアになる。根暗菌=物事を全て悪い方にとらえて、落ち込む。自信をなくす。 夢も希望もなくなっていく。 さあ、最初の被害者は誰なんでしょう? うふふ、あなたですか?訪問者のみなさん、くれぐれもご注意を。( そんな訳ないだろっ!! )今夜も馬鹿なことを言ってしまいました。ごめんなさい。
2007.11.14
コメント(6)
ブログに過去のことを思い出しながら、振り返ってみると、「ああ、これが俺の人生だったのか。この程度の事しかできなかった。」 と。僕の人生訓に「人生とは思い出づくりの作業である。」 --たぬきぶたの言葉--いいことも、悪いことも、がんばったこと、後悔していること、すべてが自分の人生なんです。「あのとき、こうしておけばなあ。」 誰しも後悔はたくさんあると思う。以前のブログに書いたかなあ、人生の最大の幸せとは、・・・・「自分を理解してくれる最愛の人と出会うことである。」誰しも若い頃には燃えるような恋があるという。そして、結ばれるのが最高でしょう。友人が言いました。「今度生まれ変わっても、この人と結婚したい。」これが最高じゃないのかな。うらやましい。 できれば、幸せな、そして充実した人生でありたいと願っていた。しかし、自分は・・・半分幸せ、半分不幸。いや、結婚については最大の失敗でした。愛のない結婚こそ最大の悲劇です。こんなこと言うと子どもに悪いよね。子どもは親を選べないのだから。子どもに責任はない。所詮、人間の器に合った幸せが手に入る。それでいいのかも。なんか意味深な言葉。 再スタートから暗い話になってしまった。反省。
2007.11.14
コメント(0)
今日は母の誕生日。81才です。普段が親不幸していますので、たまには食事でも一緒にしましょうということで、近くの洒落たB級レストランに行きました。母と僕が話をすると昔話が多くなります。耳が少し聞こえにくくなっているので、言葉の大きさと発音に気を遣います。娘は今年が大学受験ということで、励ましの言葉と小遣いをもらっています。人生があと残りわずかと感じるのか、自分のことよりも孫のことが気になるようです。おじいちゃん、おばあちゃんが孫に甘いというのは分かりますね。自分の子どもにはしてやれなかったことが、今ではできるようになって、何でも与えて満足している。たしかに、年をとると欲が無くなってきます。やりたいことがあっても体が思うように動かないし、金を持ってあの世に行っても買いたい物もないし、食う物も少しあれば十分です。人間は欲が無くなるといい顔をするようになりますね。性格が穏やかになって、人の欲深い様も若い証拠だと笑って済ませます。自分はどうなんだろう?昔よりはそんな境地に近くなってきているようには思える。まずは食うことに執着がなくなった。これ以上太るのもいやだし、動かなくなって食欲が減ってきている。(その割には体重が減らない。悩みは深いです。)ああしたい、こうしたいと思うことが少なくなりましたね。煩悩に悩まされなくなった?まだまだですよね。
2007.11.13
コメント(1)
たぬきぶたの日記が再スタートします。ニックネームが以前に登録した「へそヘルニア」ですが、「たぬきぶた」とともに、かわいがってやりたいと思います。今までの書き込みも再アップします。まあ、ぼちぼちやりましょう。よろしく。
2007.11.13
コメント(3)
さらば青春(12)--後書き自分がどんな人間であるかというと、結構人の気持ちを優先させて、無理に自分の考えを押しつけることはないと思っている。でも、結婚となると少し強引なところがあっても良かったのかなと感じている。なんせ、自分の人生の転換点です。戸惑うこともあります。「えい! いけ~!」 と、勢いで決断しないと、なかなか進めないものでしょう。彼女に対して自分が好きになったという気持ちを表現したけれど、やはり中途半端だったような気がします。大学卒業の前後の数年間は人生の道が決まる大事な時期です。この時に離ればなれになっていたことが悔やまれます。就職を決める前に話し合いを持つべきだった。すべて後の祭り。結局縁がなかったということでしょう。その後のひかるさんの消息については分からない。これ以上、彼女に無用の心労をかけるのは良くないと思っています。あれからの彼女の人生はどうだったのでしょうか。偶然にも現在、結婚していることは知りましたが、幸せな暮らしを送っているのでしょうか。25年ぶりに手紙を書いたけど返事はまだない。おそらく来ることはないでしょう。近況を知りたいところですが、知ったところで安堵するか、後悔するかだけのことです。知らないままの方がいいこともありますからね。でも、気になります。返事のないのは幸せの証拠と信じましょう。彼女のことを思い出すのは年に何回もある。というより、頻繁に思い出している。(しつこいね。)その度に口ずさむ歌がある。僕の一方的な片思いなので、歌詞はそぐわないのですが、この歌が好きです。「星影のワルツ」別れることは つらいけど 仕方がないんだ 君のため 別れに星影の ワルツをうたおう 冷たい心じゃないんだよ 冷たい心じゃないんだよ 今でも好きだ 死ぬ程に一緒になれる 幸せを 二人で夢みた ほほえんだ 別れに星影の ワルツをうたおう あんなに愛した仲なのに あんなに愛した仲なのに 涙がにじむ 夜の窓さよならなんて どうしても いえないだろうな 泣くだろうな 別れに星影の ワルツをうたおう 遠くで祈ろう 倖せを 遠くで祈ろう 倖せを 今夜も星が 降るようだ詩ではこれに尽きる カール・ブッセの「山の彼方(あなた)」山のあなたの空遠く幸(さいわい)住むと人のいふ。ああ、われ人と尋(と)めゆきて、涙さしぐみ、かへりきぬ。山のあなたになほ遠く幸(さいわい)住むと人のいふ。この詩は初めて彼女の部屋で語り合った時に教えてもらった詩です。文学少女の彼女の口から流れる言葉は僕を魅了したのでした。そして、今は僕がこの詩を口ずさんでいます。遠い信州の山々を思い出しながら。僕の脳裏にある歌は暗いものが多い。かぐや姫 「22才の別れ」 「好きだった人」 ペドロ&カプリシャス 「5番街のマリー」他にもあるが今は出てこない。とにかく暗いのです。さだまさし、中島みゆき、チューリップ などなど別れの歌やふられた内容の歌ばっかりですね。美川憲一の「おんなの朝」も大好きですよ。(古いなあ。まだ彼が男として歌っていたときのヒット曲です)振り返ってみれば8年という歳月は長い。それも青春時代の多感な頃のことです。若い頃の体験は脳裏の奥深くに滞留しています。これからも幾たびか彼女のことを思い出すでしょう。今回、ブログに過去の思い出を綴りましたが、こんなにも記憶が残っているとは我ながら驚いています。でも、忘れてしまったところも結構ありまして、あれ?あの時はどうだったかな?思い出せないところも多かった。忘れられない思い出を記述するにあたり、時系列に書いたのですが、なにぶん自分の気持ちを感じたままに書いたものですから、表現がおかしかったり、配置が不適切だったりしています。長い文章を書き慣れていないというか、思いつくままに書き記していったものですから、読みづらいところや、くどいところが多々あります。長いお付き合いをありがとうございます。 この後は壊れたブログをきちんとするために、一度削除して、もう一度登録し直そうかと思っています。しばらくお別れします。みなさんお元気で。
2007.11.12
コメント(0)
後悔と懺悔年が明けて春が来ようとしている。しかし、ひかるさんとのことは何一つ解決できなかった。アドバイスしてくれる友人達もみんなであきらめろ、と言う。チューリップの歌にあるように、「ポケットに詰め込んで君を連れ去りたい」でも、それで彼女が幸せか?自問自答の日々が過ぎていく。その後の彼女からの手紙が来たかどうかの記憶が定かでない。電話だったのかな。それも記憶がない。このころは転勤が予定されていて、その準備や片づけで結構忙しかった。とにかく3月の段階であきらめたことは確かなのです。はっきりとあきらめますと、連絡した記憶もないが、彼女からの「無理だよね」 の言葉が心に残っている。それがいつの時の言葉だったのか。なんとなく、なんでしょうか。いろんな困難を乗り越えることができなくて、失意のままに生活していたように思います。この青春時代の恋はどう評価したらいいのでしょうか。一目惚れから話しをする機会が訪れ、そして憧れの気持ちを強く思うようになった。いろいろと話をするうちにこの人とは条件が難しいことは分かっていた。それでも好きな気持ちは抑えることができずに、彼女へのアプローチを続けた。好きになってはいけない人を好きになった。前に進むこともできず、かといって諦めることもできない。自分の好きな気持ちを押しつけただけのことではなかったか。それによって彼女を振り回してしまった。そして悩ませた。もっと早く自分が諦めていれば、彼女を悩ませたり、両親へのいらぬ心配もかけずに済んだ。振り返ってみると、やはり俺の考えが甘かったように思う。ほんとに申し訳ない。後悔と懺悔の気持ちでいっぱいです。ごめんね。ほんとにごめん。ひかるさん、あの世に行ったらプロポーズしますね。
2007.11.11
コメント(0)
翌朝は意外と寝覚めが良かった。緊張感は当然あります。朝食を済ませると帰り支度です。特別に荷物もないけれど、両親への挨拶がどう言ったものか、悩みます。結論としては転勤を含めた諸条件の解決についてわかり次第報告します。ということで帰路につくことになった。目途は年明けから春頃までになりそうです。予期せぬ彼女宅での1泊でしたが、彼女の生まれ育った家を見ることができてよかった。今までに彼女の話ですごい所とは聞いていたので興味がありました。そして両親のことも。明るくて楽しい家庭だなあと感心していたんです。いよいよお別れです。また会いに来るということで彼女の実家を去ることになるのですが、このときの彼女が最後の姿になろうとは・・・・・・この時点では思いもしませんでした。三人の見送りを受けて車を出しました。明るい日差しに信州の風景が美しく見渡せます。昨日の霧が嘘のようです。三年前に涙で下っていった坂道を少し軽やかな気持ちで進んでいきました。高速道路に入って一路、自宅へ向かいます。明後日にはまた友だちとこの道をスキーのために来るのです。なんだか日本が狭く感じられます。たった500kmです。車で8時間。でも、彼女や両親にとっては遥か彼方の男に思うのでしょうね。彼女と知り合って8年の月日が流れています。大学の寮に入って女子寮があるのを知り、食堂で見かけた彼女に不思議に興味をひかれ、縁あって仲良く話をするようになった。一目惚れなんでしょうか。結局、彼女とは手を握りあっただけです。でも、寮で一晩を話し明かして過ごしたり、今回の二人きりの新婚生活みたいな夢のような体験をした。実家にも挨拶に行った。年が明けて知り合いに転勤のことや自分の親の意向についても意見を聞いた。僕が長男だけど入り婿の考えもあったが、両親に反対された。5年の月日が二人の人生を別々の道へと決めてしまっていた。
2007.11.10
コメント(0)
今日は帰り支度です。ひかるさんは午前中は仕事の残りをすませて、昼過ぎに帰ってくることになった。僕はこの間に何をしたかの記憶がない。どんな時間つぶしをしたんだろうか。思い出せない。昼頃に彼女は帰って来た。彼女に頼まれたことがあった。外に野ざらし駐車している車を何とか修理してくれということだが、これはバッテリーが弱っている事が判明して、交換する以外に処置はない。とりあえず、年越しの間に劣化しないように、実家に帰っている間は外しておくことにした。運転席に移して再セットのやり方を教えて措置は終了ということになったのだが、はたして戻ってきた時に正しくできたのだろうか?今もそのことは疑問なんです。文学少女にはエンジンルームの説明をしても難しかっただろうと思う。彼女は部屋の片づけなんかを済ませ、帰り支度は調った。さあ、出発です。ここから彼女の実家までは2時間以上はかかる。信州は縦に長いので、北部から南部までは結構時間がかかります。夕方の明るいときに出発したが、信州の冬の落日は早い。途中で土産物屋に寄った。後で彼女が気配りのできる人であることが分かって、びっくりすると同時に感謝することになった。つまり気の利かない僕のためにみやげを用意してくれたのです。実家に着いたときに、両親に僕からのみやげですと渡してくれたんです。車の中では二人の会話はぎこちなく互いに緊張していた。そりゃそうでしょう。僕も緊張するし、彼女だって実家に男を連れて来るという、人生の中の大きな出来事が今から始まるのですから。松本を過ぎ、塩尻峠を越え、天竜川に沿って南下します。もう空も暗くなり、どこをどう走っているのか分からないようになった。このあたりからは彼女が道案内をしてくれます。車の運転には自信を持っていた自分ですが、この時ばかりは、事故を起こすことも大いにあった。川からの水蒸気が霧となって辺り一面が見えないのです。川を渡る橋もどこにあるか分からない。現在みたいにナビもないし、よほど地形に詳しい地元の人しか通行不可能でしょう。橋を渡ってからも霧は晴れないし、道は狭くなっていく。霧には黄色い光のフォグランプが必要だと聞いたことがあるが、このときは痛切にそれを実感した。普通のライトでは目の前に白いスクリーンがあるみたいで、道がまったく見えないのです。一応小型のフォグランプを装着していたので、ライトを消してフォグランプだけにして数メートル先を確認したり、スピードを落とし、道を確認しながら進んだ。車から降りて道の幅と方向を確認してから進んだところもあった。彼女が車で家に帰ることができないというのが理解できました。特に最後の実家直前の細い坂道は脱輪して車が転落するのではと怖かった。3年前にバイクで足を使って上った坂道です。なんとかしてやっと着きました。ほっとしたけど、さらなる緊張感が体を包みます。「ただいまあ。すごい霧で怖かったわあ。おかあさん、たぬきさんを連れてきたからね。さあ、遠慮しないで上がって」「こんばんは。おじゃまします。」お母さんの挨拶を受けた後、ひかるさんが、「これ、たぬきさんからのおみやげだよ」なんと、気の付く人なんでしょう。感心します。お父さんもまもなく顔を出しました。ひとしきり挨拶をして応接間に通されました。「すぐに食事の用意をしますからね」ひかるさんは母親と共に準備に追われています。その間はお父さんと差し障りのない話題になりました。座敷机に僕とひかるさんが並んで座ります。向かいには両親が。ひかるさんはまだ僕のことを十分に紹介していなかったので、いろいろ聞かれました。僕が長男であること、仕事は堅実で収入も確実だし、大学の1年からの知り合いであることなど、誠実に返答しました。そうはいっても、両親にしたらはじめてのことであるし、突然の訪問に戸惑いもあると思います。なにより僕の方が緊張しています。どちらも心の準備ができていない顔あわせでした。ぎこちない会話で、話題と言えばこれまた、本題以外のことばかり。僕もその場は成り行きまかせです。「結婚したいのでお嬢さんをください。」と言えないもどかしさ。そこに至るには難問をクリアしなければいけない。その段取りなどが具体的に方法も可能性もまだ未定の状態では結論を言い出すのは困難でした。はっきりとしない話し合いだったが、二人の結婚についての壁ははっきりした。後はそれをどう解決出来るかです。その日の話し合いはそこまでだった。夜は長かった。客間でふかふかの蒲団を頂きました。一人で寝る寂しさと出口の見えないトンネルに入った不安が襲ってきます。あれこれと考えると寝付けない。昨日までの二人で隣り合って寝たことを思い出すと、今夜の独り寝も辛かった。
2007.11.09
コメント(0)
突然の展開に唖然とする俺。二人の間に立ちふさがる難問を解決するには、ひかるさんの両親の意向も大事な要素です。だから前に進むには避けて通れない事です。しかし、しかし・・・・・思わぬ事態に戸惑う俺。でも迷うことなく了解の返事をした。「俺はひかるさんと結婚したいことを伝える。」 そう決心した。でも、でも、どきどきですよね。どんな挨拶をしようかな。話はどんなふうに展開するのかな。心配と不安が混じった複雑な心境です。ひかるさんは何か心に決めたものがあるような、そんなオーラを感じます。計画では明日は彼女を家の近くまで送って、僕はそのまま兵庫まで帰る予定でした。でも、ひかるさんの心境の変化なのか、それとも前もって決めていたのか分かりませんが、実家まで送ることになった。たしかに彼女の実家は山の斜面にあるし、そこまでに行くには運動オンチの彼女には難しい道です。「自分の家まで自動車で帰るなんて、そんなことできないよ~。家まで送ってね。」 「はい。」気軽に返事はしたけど、家に上がり込んで両親に挨拶するなんて想定していなかった。あ~、どきどきする。みなさんはどうだったんですか?どなたも相手の実家に挨拶に行ったことはあると思いますが、初めての時の心臓どきどきは人生の中でもめったにあることではないでしょう。普通は1回ですよね。場合によっては頭を下げて「お嬢さんを下さい」というかもしれません。明日のことを考えると、もう今夜は落ち着きません。昨夜は初めてひかるさんと枕を並べて、心の葛藤に苦しみました。今夜はもっと悩みます。一歩前進したのかな。それともゴールまで進めないことがはっきりして、諦める決断をすることになるのかな。今夜も二人並んで寝たけど話が進まなかった。不安でしかたがない。ひかるさんの手をしっかりと握った。今夜も何もなかった。
2007.11.08
コメント(0)
ひかるの家に戻ってみると彼女も帰っていた。彼女の顔を見るとほっとする。 楽しい時間が過ぎていく。離ればなれになっていた5年間の空白を埋めるように、互いの生活のあれこれを語り合った。楽しく語り合っても将来の展望については不安がいっぱいです。この人を体ごと奪っていいのだろうか。答えが出ないまま二人の時間は過ぎていく。二人の距離を埋めるには困難な条件が多すぎる。そして、その一つ一つが難問です。彼女は専業主婦になるには収まらない才能の持ち主。何十倍という倍率の試験を合格したエリートです。でも、今更再試験を受けるなんて難しい。彼女のすばらしさは仕事をしていてこそ発揮できる。できれば仕事も続けてほしい。頭脳明晰で話もうまい。一緒にいてほんとに楽しい。この人とずっと暮らしていきたい。無理難題を言われても、彼女の言うことなら、「はいはい、何でもあなたの気の済むままにどうぞ」となってしまう。これが惚れた弱みなんでしょうか。気の強い女性ではあるが、やはり女性です。どこかは男性に頼らなくてはいけないところもあります。そんな時にふと見せる弱い面があると愛おしい気持ちになって、なんとか支えてあげたいと思う。気丈に振る舞っているようでも、僕には心の葛藤が見える。両親のこともある。ゆっくりと話をしなければ結論は出ない。こんな悩みをすることになったのは何故?全て俺のわがままが原因です。遠く離れた異国の人を好きになって、自分の妻にしようと考えるから、難しくなる。好きな人と一緒になれない悲しい男。夕食後にくつろいでいるときに彼女は実家に電話をした。「明日帰るからね。」 明日が別れの日となるわけです。「それでね、たぬきさんを連れて行くからね」え~~!!。ちょっと、ちょっと、ちょっと。急にそんなこと言っても心の準備が・・・・
2007.11.07
コメント(0)
次の日の朝はやはり彼女が早かった。 いそいそと、朝食を作ってくれた彼女はてきぱきと出発の用意をしている。昨夜は何事もなかったかのように振る舞う彼女の姿が印象的だった。ほんとはずっと一緒にいたかったが、それもかなわず別行動となってしまった。せっかく信州の奥まで来たのだから、予定通りスキーを楽しむことにしました。一緒に家を出た二人は、職場とスキー場へと別れていった。 閑話休題二人の深刻な話題で暗くなっていると思います。今回はスキーの話でほっと一息入れてください。今回のスキー場は新潟県境にあります。関西から来るスキーヤーはほとんどが南部か、中信地方が多いです。距離的に近いからね。だから、北信方面は行ってみたい所ではあるが、なかなか行くことの出来ない場所です。その、あこがれのスキー場にすぐ近くにいるというのが不思議。それもたった一人で。現在の赤倉中央スキー場です。その当時は違う名前だったような気がします。いつもだったら、仲間とワイワイ言いながら、休憩をはさんでのんびりと滑るのですが、今日はたった一人で滑るわけですから、自分のペースでできます。はぐれた仲間を捜す手間もない。現地到着して早速リフトへ。今みたいに高速リフトはありません。一人乗りの椅子に腰掛けて、のんびりと上がっていきます。ここで、僕の道具へのこだわりを紹介しましょう。 靴はラングのXLR。当時、アメリカのフィル・メーアとスティーブ・メーアの双子がオリンピックの回転競技で金、銀を取りました。その彼らが履いていたのがこれと同じです。次に板です。フィッシャーのターボという、大回転用の堅くて重い板です。長さは195cm。当時は、自分の身長プラス10cmが普通レベル。20cm以上は上級クラスと言われていました。今はショートスキーが全盛で、コブをくるくる回れる性能ですが、昔の板は回しにくかった。今ではこんな板を持って行ったら、笑われるでしょうね。今も持っていますよ。準備運動をかねて、一本目は下のゲレンデで足慣らし。二本目はいっきに最上部をアタックすることにしました。リフトを4本乗り継いでやっと到着。時間は30分かかっています。さて、どうやって滑るかですが、普段できない滑りをすることにします。つまり、一気に一番下までいくのです。何分かかるか時計を見ます。一番上はさすがに傾斜がきつい。でもコブはまだ大きくなっていないので、結構滑りやすい。リフト1本分を滑ってやや太ももが張っている。休憩したいところを我慢して、第3リフトのゲレンデを攻めます。このところの運動不足で足にきている。我慢じゃ~。というわけで、第2リフトも休みません。そしてあと一つ。斜度は緩くなっていますが、もう足が張って無理ができない。なんとか到着しました。時間は3分でした。気持ち良かったけど、なにかしらもったいないような気がします。30分もかけて上ったのに、それをたった3分で降りてくるとは。このゲレンデはもういいです。すぐ隣のゲレンデに移動しました。車で10分も走ればすぐ隣のゲレンデに行くことができます。3つか4つのスキー場が隣接しているので、移動すればいろんなゲレンデを滑ることができます。でも、でも、面白くないんです。滑っていても楽しくない。悩み事があるときに、レジャーはいけませんね。さっぱり楽しくない。無性に帰りたくなった。まあ、考えることと言えば、やはり二人のこれからについてのことばかり。かといって今すぐに帰る訳にもいかず、時間つぶしをしなければいけません。まあ、初めてのゲレンデですから、見学を兼ねてゆっくり、のんびりすることにしました。まずはレストハウスで一服。缶コーヒーを飲みながら、考えます。わざわざレジャー施設で深刻な悩みを考えなくてもいいじゃないとは思うけど、すっきりした気分でのスキーとはなりませんでした。ここでは2,3本滑って終わったように思う。2番目のゲレンデの記憶がない。その代わりに道路がくねくねで、すれ違いがしにくかったことや、レストハウスの印象は残っている。天気も良かったし、以前の自分なら嬉々として滑ったでしょうが、心中はただひかるさんのことばかり。早々に帰ることにしました。運転をしながらもいろんな事を考えます。何をするために来たんだろう。会いたい気持ちを押さえきれずに来たけれど、解決できない壁が大きく立ちはだかっている。そのことについてはどう考えているのか? おまえの行動は軽率ではないのか?自分の中に醒めた目で自分を見つめるもう一人の自分がいる。ひかるさんの顔が見たい。1分でも長く見たい。もう、たまらずに帰った。
2007.11.06
コメント(0)
ひかるさんの借家には夕方に到着したので、すぐに夕食です。「手伝ってよ。風呂掃除。」 「はいはい。」「ちゃんと、火がつくかな?」 「なに?どういうこと?」「 だって、ここんところ、風呂沸かしたことないもん。」 「じゃあ、シャワーだけ?」「そうだよ、壊れていたし、一人じゃ沸かすのがもったいないから。普段はシャワーで時々銭湯。」まあ、一人住まいはこんなもんですよね。 でも、嬉しいですねえ。普段使わない風呂をせっせと用意してくれているんだから。ちょっと感激。気持ちのよい風呂でした。食事は結構奮発していました。なにせ大飯食いの僕が行くわけですから、彼女もそれなりに準備してくれていました。食事しながらもいろんなことを話した。職場のことが主だったけど笑い話や愚痴も聞いた。でも二人のこれからのことには話が進まない。難しい壁が多すぎる。食事の前後には女性には難しい修理やら、こまごましたことを直したりしたんだけど、あまり覚えていない。食事後の時間がどのように過ぎたかも忘れてしまった。ひたすら話をしたと思う。僕はどちらかというと発言が多い方なんですが、彼女にはかなわない。はいはい、何でも聞きまっせ。話を聞くのが楽しい女性と相対すると、つい顔が緩んでしまいますね。時間が経つのが早い。もう12時近くになってしまった。そろそろ明日に向けて、寝なければ。彼女は明日も仕事。俺はスキーというわけで、ねんねの時間。ふとんを敷くことになった。どきどき・・・しますよね。二人で用意している間、会話が少なかった。 こたつを退けて蒲団が二つ並びます。電気が消えました。眠いけど、このまま寝てはいけない。寝たらあかん。僕の手は彼女に向かって伸びています。ようやく彼女の手を探しあてて、握りました。小さい手でした。気持ちが伝わってきます。顔を近づけました。そして、・・・・・・彼女の顔が暗闇の中でおぼろげに見えます。お互いにじっと見つめています。彼女の目に涙があふれています。「私は二人姉妹の姉だよ。家には親がいるし、面倒見なきゃいけない。妹は私をあてにして、外に出たし、どうしたらいいの。やっと正採用になったのに。また、異動試験受けなくちゃいけない。合格できるのかなあ?どうして私みたいな女を好きになったのよ。」「好きになった理由なんかない。素晴らしい女性に巡り会ったから。僕には最高の女性だから。」でも、ひかるを奪って連れ去るのはあまりにも罪が深い。僕の目からも涙があふれた。どうしたらいいんだ。この人を奪ってこの人が幸せになるのか。自分が好きになったからという、身勝手な気持ちで彼女の人生を変えてしまっていいのか。この人を幸せにする自信はあるが、それが彼女にとっても幸せなのか。残された両親のことも考えると結論は出ない。互いの顔を見つめたままで時間が過ぎていく。いつまでも、いつまでも・・・そして、意識が消えた。
2007.11.05
コメント(0)
ブログのトラブルで間が空きました。でも前回の続きだけでも再開しないとせっかく読んでくれた皆さんに申し訳ない。僕もこのままでは気が収まりません。やるぞ。書くぞ~。5年ぶりの再会でした。お互いの名前を呼んで、映画のような感動のシーンを期待していたのですが、ごめんなさい。じつにあっさりしていました。「あら、着いたの。まあ、あがったら。」拍子抜けするような二人の再会。こんなにも間が空いていて懐かしい気持ちがあるだろうに、態度はさりげなく、普段から会話をしているかのような少しぶっきらぼうな態度。いつもの態度かな。いやいや、そんなことはなかった。やはり、5年の月日が互いを大人にしていましたね。話したいことはいっぱいあるのに、なぜか話が他人行儀。絶対に聞きたかったことがあります。それは、あの3年前のことです。涙に暮れたことや、事故にあったことなどは言いませんでした。「3年前に家を訪ねたときに、会ってくれなかったね。どうして?」返事は、「そんなこともあったわねえ。忘れなさいよ。」見事にはぐらかされました。そんなあ。そんな一言で済まされるの? え~っ!どれだけ辛い思いをしたか分かってんの?でも、僕は非難の言葉は一言もいいません。どうやら言いたくない理由がありそうです。辛いことがあったんでしょう。今、ここに昔の元気なひかるさんがいるだけで十分です。そして、二人きりの時間と空間がある。感激に浸っていました。これから数日の予定はというと、明日は仕事があるので昼間はいないので、僕だけがスキーに行くことになりました。あさってには実家に帰るということで少しあわただしい。でも、今夜は二人きりで過ごせるのですから、幸せ~。
2007.11.04
コメント(0)
返事が・・・・ キター!!! 嬉しい。嬉しい~。ドキドキの開封。 今の時代のメールも来れば感激ですが、好きな女性からの手紙がくるのは格別の感情がわき上がります。縁切りの内容かもしれないので、少しの不安はありますが、とにかく彼女の自筆の封筒がこうして手元にあることが無上の喜びです。早速開封しました。近況報告でした。親元を離れて一人でアパート住まいをしていること、正採用の社員となって働いていること、職場での悩みも少しはあることなどが記してありました。彼女からの手紙は読んでいてほんとに楽しい。面白かったエピソードや同僚との笑い話など、便箋に書き表すにはもどかしいものでした。もっと話を聞きたい。もっとこちらのことも話したい。どんなことがあったの?どんな生活だったの?3年間の積もり積もったことを聞きたい。今のように携帯があれば電話代がいくらになるか分からないぐらい話すでしょうね。彼女の住んでいたところはスキー場が近くにあるので、スキーに行くことを理由に年末に会いに行くことにしました。 当時はスキーブームで用具の発達と共にスキー人口が年々増えていました。同僚たちと県内のスキー場には何回も行っていたし、正月休みには仲間達と信州まで毎年行っていました。もちろんバイクじゃありません。車ですよ。あのバイクが壊れてからしばらくして車の免許を取りました。学生時代に先輩の車でスキーに何回も行っていたので、雪道の運転は結構なれています。(後部座席でのことですよ)その年も年末の30日から4日間のグループツアーを予約していました。でも、それでは彼女に会うことはできません。正月は彼女だって実家に帰るわけですから。そこで、もう25日には出発しました。(行動だけは早い。)クリスマスを一緒に過ごすことはできませんが、一日も早く会いたい。普通なら出発までは慎重に準備したりするのですが、この時はスキー用具と着替えを用意して早速に出発しました。3日間の予定です。もちろん一人です。車で行くとさすがに早く着きますね。わずか8時間で着きました。飛ばしましたね。だって早く会いたいですから。彼女の今度のアパートには電話があったので、着く直前に家の場所を確かめました。今回は面会拒否はなさそうです。3年前には会えませんでしたから、卒業以来で5年ぶりの再会になります。それらしい建物を見つけて、ついにドアの前に立ちました。コンコン。「ごめんください。」感動のシーンが・・・・。
2007.11.03
コメント(0)
あの日から3年が過ぎた。仕事にも慣れてくると職場の若い同僚たちの結婚の話があっちこっちで賑やかに聞こえてくる。自分の職場も結構若い人がいるのですが、どうも結婚する相手となると波長が合わない。まだ心の中にひかるが存在している。しつこいですね。ニュースなんかでストーカーの事件が報道されていますが、なんとなく気持ちは分かります。でも、「もう会いたくない。」と言われて、未練たらしくつきまとうのはだめでしょう。「見切り千両」みたいなものです。諦めることが肝腎です。そうは思っても、すんなりと諦めることができなかった。だって、仕方ないよ。好きになったんですから。好きになるというのは不思議ですね。なんせ理由がない。きれいだからとか、美人だからとか、金持ちだからとか、そんなことは関係ない。あるとすれば、自分が相手を思いやり、相手が自分のことを思いやる。そんなお互いの気持ちが一致したときに「好きになる」という感情が湧いてくるのだろう。そんな考えに至っている。しかし、「好きになってはいけない人を好きになる」と苦しみます。まさか自分が「星影のワルツ」の歌詞と同じ気持ちになるとは予想もしていなかった。 別れることはつらいけど、しかたがないんだ君のため 別れに星影のワルツを歌おう 一緒になれる幸せを二人で夢見た微笑んだ 遠くで祈ろう幸せを、 遠くで祈ろう幸せを、 別れに星影のワルツを歌おう (1番、2番、3番 ごちゃ混ぜ)自分を納得させて気持ちをきれいに整理したかった。そして、新たな人生を進んでいきたいと思っていた。だから思い切って手紙を書いた。惨めなバイク旅行から3年後の晩秋のころでした。 Last updated 2007.11.02 22:35:12
2007.11.02
コメント(1)
原付バイクによる惨めな信州旅行でしたが、最終結論はまだ先です。3年後の出来事を後日談の仕上げとします。自分の青春に別れを告げた思い出です。いつ書こうかと思っていたのですが、やはりこのまま一気に書き上げた方がいいのかなと思いまして、頑張って書きます。 あの頃、ひかるは体調を崩して実家に帰っていると聞いていました。精神的な悩みでもあったのかなと心配であの時、訪ねてみようと思ったんです。実は事前に電話をかけていました。でも、名前を告げたとたんに電話が切れた。かけ直してもダメ。会いたくないならはっきりと断る人ですから、何も理由を言わなくて連絡を絶つのは不自然に感じます。会って話がしたかった。話が始まると終わりが無いくらいに話題が尽きない二人。睡魔が襲って目が閉じても話し込んだ二人。別世界に育った二人がお互いを知り合うのに時間はいくらかけても足りなかった。悩みが有れば聞いてあげるし、心が病んでいれば手を握って元気を与えたい。そんな気持ちでバイクを走らせたんです。面会拒否という仕打ちを受けた自分ですが、なおさらひかるのことが心配でした。心配ではあったが、こちらのショックも結構大きくて、立ち直るに時間がかかりました。 信州から帰ってから違う職場で働くことになり、自分の生活が変化しました。仕事は正社員ではなく、臨時雇用の状態でした。次の春にめでたく正採用となって、責任ある仕事を任せられるようになった。新人として何度も研修会に参加するなど自分の仕事を覚え、こなしていくのに力を注いだ。だから、ひかるさんのことは暫く考えないことにした。手紙も出さないようになった。あの日から3年の月日が流れた。Last updated 2007.11.02 02:25:43
2007.11.01
コメント(0)
全33件 (33件中 1-33件目)
1


