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そわかさんより夢のようなひと時を本当にありがとうございました。ただそこにいるだけで不思議な光に包まれる感覚でずっと過ごさせていただきました。感謝の言葉しかでてきません。 子供も楽しかったと何度も口にしております。今朝も「今日はお船に乗ってねこさんのところにいかないの?トマト取らなきゃ」と言っていました^^。 スタッフの方々の気配りはとても印象的で特に娘さんには本当にお世話になりました。目がとても素敵な方ですね。ありがとうございます。 また帰りの飛行機で目を閉じるとペンション屋さんの「気」に包まれているような感じになり涙が止まらなくなりました。「ああ家に着くまで守ってくださってる」と思いました。 本当にありがとうございました。絶対にまたお目にかかりたいです。あの素敵なペンションに島に自然に人々に海にお会いしたいです。 ありがとうございました。 そわか -----*****-----*****-----*****-----千代喜さんよりペンション屋さまお礼のコメントをしたくて、ペンション屋さんの記事にコメントつけようとしたのですが、制限がかかってしまっていて、できなかったんです(*^_^*)きっと、私のアドレスと末尾が同じ人が、いたずらコメントをしてるんだろうなあって思いました。なので、決して、コメントしなかったわけではないのです~(^O^)/あの、てのひらを合わせて頂いた時、ペンション屋さんのハイヤーセルフさんから、「他には何も必要ない、ただ、赦すだけでいい」って、優しいメッセージを戴いたんです。生身の人間の方で、あんなに優しくて柔らかい波動を持っていらっしゃる方、初めてお会いしました!目指します!千(^▽^喜)代 -----*****-----*****-----*****-----木蓮さんよりペンション屋さん おはようございます、木蓮です。 二日間、本当にありがとうございました。 島の毎日を生ききるペンション屋さんの姿、その大いなるバックグラウンドである島の風景を見たことが、今の私にとってどれだけの力を持つか、計り知れないほどです。 ブログでも繋がっていたけれど、実際に会うことでもっと、もっと深いレベルで理解することができる・・・ あの島を舞台にして出合った仲間たちも、とても深い縁を感じます。夜通し語り合い、トラックの荷台で大声で笑う。年齢はばらばらだけれども、魂と魂の深い交流がそこにはありました。 それもすべて、あの舞台でペンション屋さんが私たちを待っていてくれたから・・・ 父と別れてからの25年間、私の人生はずっと、父性を求めてきた旅でした。こうしてようやくめぐり合えた。いま、私の人生は完璧になった。これからは私を私自身として、生ききることができる、そんな思いです。 これから為すべきことがあるとしたらそれは、あの輝きに満ちた地を、この東京で、自分なりに再生すること。 きっとあの場にいた誰もが、そんな思いを抱いて、それぞれの場所へ帰っていったと思います。 それでも忘れかけたら、疲れたらいつでも、大いなる父の許に還ればいい。 いつだって両手を広げて、待っていてくれるから。 その愛がわかるから、私たちは別々の場所でも、頑張っていける。 東京で目覚めた朝は、それでも島の空気をいっぱいにはらんで。新しい一日の始まりです。 深い深い愛情を、本当にありがとうございました。また、お会いできる日を楽しみにしています。 手厚くもてなしていただきましたご家族皆様にも、どうぞ心からの感謝をお伝えください。 皆様がこれからも島の懐に抱かれ、光の毎日を送ることができますよう・・・ 木蓮より 追伸:ブログにコメントしようと試みたのですが、 書き込み制限を受けており、コメントできませんでした。 本当は熱いこの気持ちを、広く皆さんに見ていただけたらよかったのですが(笑) メールにて、失礼しますね。-----*****-----*****-----*****-----というメールをいただきました。嬉しいですね。3人の、ピュアな魂からの言葉を紹介させていただきました。そして、何と何と新たに木蓮さんという娘が出来ちゃった!今まで、ブログのやり取りだけで、父娘を意識してきましたが、実際にお会いして、言葉を交わし、いや、言葉なんか必要なかった。もう、解っていたんです。すでに、感じていたんです。ハイヤー君が教えてくれていましたから。だから、木蓮さんにとっては島は 実家 になっちゃったんです。娘が、時たま実家に帰ってくるのは自然ですから。都会でチョット疲れたら、いつでも島に羽を休めに来てね。もちろん、今回の合宿オフ会に参加された方は深い因縁の魂さんたちです。疲れたら、心に濃霧がかかってきたら、実家だと思って島に来てください。ただただ、島にいるだけで、浄化される事でしょう。そして、この日ほどテレパシーを強く感じた事はありませんでした。テレパシーは、何も遠隔者に対する能力に限ったことではないように思います。想いを口から言葉にして出すという作業は、その内容が三次元レベルよりどんどん昇華し、より精妙になればなるほど、その想いを顕す言葉はみつからない。だから、言葉に出さずとも解り合える、あるいは言葉の奥の心の叫びを感じるにはテレパシーの能力に頼らなければならないのかもしれない。この日は、この想念が飛び交いました。参加された8人とも、そういう能力者なのでしょう。物は動くは、ビジョンは走る!超自然的な出来事も、いくつか現われたようですね。参加者の方々の、ブログを見てください。そして、あまり聞いた事が無いトマト狩り なんかもしちゃったりして。あっ、そうそう。2日目、皆で軽トラに乗って、怒涛逆巻く岬に行ってみようとした時でした。軽トラに乗ってエンジンをかけたら、何とその時の走行距離が3666kmでした。面白いですね。36で弥勒、666で弥勒です。今回の合宿のようなオフ会は、高次元の方々も祝福しているようでした。島の南端にあるドワメキ埼、水平線から昇る朝日が見られます
2008.10.29
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3ヶ月以上前から、密かに計画されていた光の子らのミーティング。ついに、実現しました!参加者は8名とおチビちゃん2名というメンバーでした。遠路関西から、北陸から、東京から、東北から、皆さん、よく来てくださいました。千代喜さん、木蓮さん、そわかさん、イルカさん、アカシさん、カナヒサさん、サファイヤさん、フェアリーフェアリーさん、本当にありがとう。まさか、こんな素敵な出会いが出来るなんて・・・夢のような2日間でした。段取りを組んでいただいたのは千代喜さんでした。あまり人数が多くなるとお話もゆっくり出来ないし、8~10人位がいいんじゃあない?と私の方からのお願いでした。だから、千代喜さん、大変だったと思います。年齢的には、私よりも皆さんずっと若く。。でも、まったくそんな年齢なんか感じさせない、どっしりと深い光り輝くものをそれぞれがお持ちでした。それぞれの方が、輝いていて美しかった!只ただ顔を見ただけで、逢っただけで胸に込み上げるものが・・・・・これが、縁という事なのだ、これがソウルメイト、魂の兄弟なのだ、時空を越えて、約束をした事の確認なのだと。。ライトワーカー、光の奉仕隊とでも言いますか、そのメンバーの打ち合わせ会なのだと。。その時が来るまで、その時のお役目が見事つとまるよう、それぞれの地で更なる浄化に励む事も確認できました。私も、いろいろと気付かせていただきました。彼らと会話を楽しむ中で、もやもやとしたベールが被っていたものが、はっきりと認識できた事。地球アセンションに向っての自分の立場や役割といったものが、少し理解が進んだような。遠路の交通費やら、宿泊費やら、たくさん散財させてしまいました。でも、「来て良かった!」と皆さんから言われて、ホッとしております。私にとっては初めてのオフ会、大変中身の濃い出逢い。感極まって、涙が出てしまった場面もありましたね。親戚とかの血縁よりも、強いつながりのソウルメイト。あらためて、実感できた二日間でした。8名の気高き若武者達よ、本当にありがとう!
2008.10.27
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秋のお祭りは、神様への収穫のご報告と、喜びを皆で分かち合う場です。神、人、自然の秩序が保たれていた頃の名残ですね。先日、この島にある熊野神社の祭礼が行われました。過疎化の影響もあり、年々質素に、そしてやはり厳かに。この日は、島の誰もが神様を意識する日です。でも、本当は神は自分の内面に宿っていますね。只、今はそれを忘れている人が多いだけ。神は、拝んで何かをお願いするべき存在ではない。外にいる神?も、内に内在する神も、心から感謝しなくてはならない存在でしょう。こうして、我々が存在させていただいている事自体、大きな喜びであるはずです。だから、本来はこれ以上神に望むべき事は何もありません。ただただ、感謝する事なのでしょう。そして目の前の現実は、自らが発している想念が作り出している世界。だから人それぞれの在り様で、そのまま現実という形として具現する。幸を呼び込んでいるのも自分だし、不都合を引き寄せているのも自分の想念ですね。低い波動や想念を発すれば、それに見合った出来事が引き寄せられます。神に、いくら祈ったところで、どうなるものではない。派手さがまったく無い島のお祭り今でこそ、気象や海象の情報が科学的に伝播され、船の性能も一段とアップされてきているので、無事な航海は神に手を合わせなくとも大丈夫だと言う時代です。でも、やはり海は何が起こるか解らない。「板子一枚、下は地獄」と言われる所以です。だから、島の人は祈ります。生かさせていただいていることに歓喜し、手を合わせ感謝します。
2008.10.22
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夏の忙しいシーズンが終わり、秋のゆったりした時間が過ぎ、いよいよ越冬対策が始まります。越冬といっても、島は雪も少なく、温かな所です。たいした事はしないのですけど、ダイニングルームに薪ストーブを設置しました。今回は2台目の設置です。晩秋から冬、そして春の期間は、朝晩の冷え込みがありますからね。石油ストーブやガスでの暖房ですと、燃料代がね・・・薪だと、基本的には原価はタダ!嬉しいですね。かかる経費は、木の伐採にかかるチェンソーのガソリンやオイル代、薪運搬用の軽トラのガソリン代くらい。もちろん、人件費は無し!(トホホ)少しでも、自給自足率を上げないとね。自分たち家族の衣食住に関わることに関し、出来る事は自分でやるというのが我家の基本的なスタンスです。薪ストーブを設置するには、防火対策が必要です。床や壁にレンガを積みます。ハイヤー君と一緒なら、なんでも簡単に出来てしまうんですね。宇宙に繋がった生き方をしていると、面白い位、想念が現実になってしまう。前日に、床のレンガをコンクリート用ボンドで固め、翌日に、モルタルで積み上げる。それぞれ、半日づつで正味1日で出来上がりました。出来上がりです。レンガは、アンティークぽい物を使用しました。後は、煙突の設置です。ここまでの費用。レンガ床用 30枚 2300円 壁用 80枚 11800円薪ストーブ 72800円煙突システム(150mm) 40000円その他も入れて、130000円といった所です。薪ストーブの重量約100kg、レンガ一枚2.5kgで275kgの島への搬入はチョット大変でしたね。では、このストーブで燃料代をいくら節約できるか?部屋が30畳位あるので、結構灯油は使います。6ヶ月、暖房するとして、一日10L×20日×6ヶ月×110円=132000円プラス、ハイパワーの石油ストーブの購入 80000円合計 212000円 ウヒョーッ!薪ストーブの設置費用も、一年で元が取れちゃいますね。う~~ん、素晴らしい!!しかも、停電にも強いです!(都会では考えられないけど、島では年に2回くらい停電になります。しかも、すぐには復旧しない)これから起こるとされている大地震にも、安心!という事で、またまた強い味方が出来ました。霊性に目覚め、それに更なる磨きをかけ、多くを求めず、日々感謝する生活。何一つネガティブな事は起こらず、歓びの中に、在るがままを生きる。願えば、必ずや答えてくれる大いなる存在。これが、弥勒の世と言わずして、なんと呼ぶべきか。
2008.10.19
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その後、前回の記事についてのいろいろなコメントやご意見をたくさん頂戴いたしました。ありがとうございます。いろいろな考えがあるのだなと、あらためて思いました。前回の記事に、私の理解不足な点や言葉足らずの部分もあり、もう一度考えてみたいと思いました。アセンション意図者や成就者の方々のブログランキングの参加にされている方々の想いは、私が思っている以上の深い使命を持ってスタートされたということに気付かされました。アセンションという言葉すら知らない人達に、少しでも知ってもらいたいという想いなのでしょう。ランキングの上位に位置付けされれば、より多くの人が見てくれるだろう、しかも別カテゴリーでのランキングは、新たな読者層を開拓できるという事で、より多くの人達に、アセンションを知ってもらおうとする意図が第一の目的と推測されます。そういう方々に対し、傷つけるような言葉を吐いてしまったことに対し、どうかお許しください。前回の記事を公開した後、すぐに言葉足らずに気付いたのですが、そのままにしてしまいました。その事を書いてみたいと思います。-----*****-----*****-----*****-----私が精神世界に出合ったのは、20代半ばでした。当時の職場の社長が、真言密教について説いてくださったのが初めです。19歳で今のカミさんと結婚した私は、お金を稼がなくてはならない真っ盛り。「ふふーーん?」と、そういう世界もあるのかな~くらいにしか思いませんでした。でも本が好きな私は、その辺りからスピリチュアル系のものを選んで読み始めるようになりました。(スピリチュアルという言葉すらない時でした)40代になってから、霊的能力の高い方とお付き合いさせていただいてた頃、ある本に出会いました。多分、私の不確かな記憶では、アセンションについて始めて語ったであろう本、「日水伝文」(ひみつつたえふみ)です。その辺りからでしょうか、「日月神示」にのめって行き、あらゆる精神世界の本や預言書を読み漁りました。アセンションって、本当に起こるのか?世紀末予言は?マヤ暦の2012年は?その頃からか、私の夢の中や突然に湧き起こる閃きや直感の中にいろいろな宇宙の真理やヒントが隠されていました。そして、出した結論は“間違いなくアセンションは起こる!”という確信でした。そして、なにかのチャンスがあれば、とうてい理解してはもらえまいと思いながらアセンションについて周りの人達に語りました。せめて、縁ある人にだけでも解ってもらいたいと・・・気功もやっておりましたので、普通の人よりも強い“気”を発することが出来ました。肩こりやリュウマチなど、“気”で楽にさせてあげる事もできるようになりました。超自然の力も存在するんだと言って、掌に乗せた水晶球を“気”の力で動かしたりして見せてたり。でも、自分の無力さを知りました。私の周りでも、本当に理解を示す人は1%いるかどうか。スピリチュアルなことに対する理解力は、在る程度素地が無いと殆どが無駄に近い言う事に気付かされた。まるで、糠に釘、暖簾に腕押し状態でした。「宗教に嵌まっているの?」「それ、テレビでやってたよ。」「○○教の勧誘?」こんな反応が多かった・・・アセンションという事を一般の人が知る方法はいくらでもあるでしょう。本屋さんに行けば、その関連の本はたくさんあります。インターネットだって然り。本人が選択しない限り、本人のチャンネルを合わせない限り、周りからの努力はその殆どが徒労に帰す事を知らされた。そして、出した結論は?アセンションを知ってもらおうとするよりも、自分自身が高みに上る事だと。もっともっと、自らが光り輝く事だと気付かされました。そして、選んだ道が島暮らし。身魂磨きのスタートです。そして、はや14年経ちました。人には、その人に合った役目があるはずです。地球アセンションにスタッフとして立ち会える魂ならば、その人に合った方法とタイミングが用意されているはずです。今の段階で、混沌とした中で目を覆いたくなるような精神性の低い生き方をしていたとしても、いつその人が気付いて変わるかもしれない。すべての人間に、もちろんハイヤーセルフと言う存在がいます。先祖霊や指導霊もついているはずです。それらの存在達は、それこそ24時間体制で見守っている事でしょう。何をきっかけにして、スイッチが入るのか、人それぞれにベストなタイミングが用意されているという事も知らねばならない。それが、日月神示で言う所の「九分九厘駄目でも神一厘のシナリオ」なのかもしれない。99%駄目でも、残り1%ででんぐり返る仕組みです。その人のハイヤーセルフを押しのけて、周りの人間がとやかく言わずとも、知らされる時は知らされるのではないかと思います。そして、アセンションという舞台に立つ事の出来ない若い魂もあるという事もあるようです。まだまだ、三次元社会で、学ばなくてはいけないものをたくさん抱えている未成熟な魂もあるという事。それは、アセンション出来ない魂でもあるという事なのでしょう。先にも述べさせていただきましたが、いくらアセンションにかかわる情報を流しても、本人が選択してくれなければ、何にもならないという事。インターネットの時代だからこそ、アセンションという言葉面は知っている人は増えてきているでしょう。しかし、アセンションをもっと知りたいという本質に近づこうとするならば、本人の選択が必要なんですね。「何で、解ろうとしないのか!」という歯がゆさもあるでしょう。でも、それはその人の自由意志。アセンションを知り、黎明さんのブログに出会え、アセンションを意図された方でも、脱落と言うか戻ってしまわれた方もたくさんいらっしゃるようです。頭では解っていても、実が伴っていない方もいるようです。静観するしかないのでしょう。見えずらい将来の大きな幸せと、確実な目先の小さな幸せ。どちらを選ぶも、何も言えない。そのどちらも幸せへの道なのでしょう。ランキングという方法で、光を流すという方法もあるという事は理解できます。しかし、ランキングの上位にまで昇らないと、アクセス数は増えないと聞きます。そして、ブログの記事内容も人気を博す内容でないとランキングに参加した意味がない。スピリチュアルな内容であれば、あまり見てもらえないような気がするし、一般大衆の興味をそそる内容の記事を選んで書き続け、しかも連日です。その消耗するエネルギーに見合うだけの効果が期待できるのだろうか。アクセス数を上げる事が第一の目的となった場合、それで果たしてお互いの魂が光り輝くのだろうか。読んだ人が、そんな生き方をしてみたい、そんな人間に心底なりたいと、魂の叫びを上げるほどの震えるような感動を与えられるのだろうか。そこが、疑問に思えるところです。共同生活や共同作業をする時に、他の人にあまり期待をしない事がストレスを発生させないコツと考えている私です。人間関係は、期待を裏切られるのが常ですからね。果たして、一般大衆にどこまで期待を持てるのか。時代が変われば、政治が変われば、人間が変わればと、外に答えを求めるよりも、内にこそ答えがあるという事ではないでしょうか。以上が、言葉足らずの部分です。長くなっちゃいましたね。判断はそれぞれです。それぞれなりのやり方で光を流してゆけばいいのですね。どうも、私は直球勝負という傾向にあるようです。私のブログ記事で、深く心を傷つけてしまった方々に、重ねてお詫びいたします。どうか、お許し下さい。
2008.10.13
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近頃、あまりブログのお遍路はしていないのですが、それでも、時たま巡ります。すると、どうでしょうか。ブログの人気投票のランキングに参加されているブログに出会いました。それも、数人。過去には、あまり無かったように見受けます。精神世界、とりわけアセンションをタグに設定される記事に人気投票とは、いささか違和感を覚えました。もちろん、何をするのも自由ですからいっこうに構わないのですけど。ランキングと言うシステムに同意して参加されているのでしょうけどね。私の考えを述べさせていただけるなら・・・もちろん私も、日々のアクセス数やコメントの有無など、気になるところです。ですが、なんでも数字に置き換えて判断する今の時代です。今のような、こんな世界ではなく、もって素敵な世界があるはずだと思っている人達が、アセンションを望み、自らを高めてそれに備えているのではないでしょうか。その世界は、アセンション後の弥勒の世。弥勒の世を望む人達が、ランキングなんて、本末転倒のような気がします。「良かったら、ポチッとお願いします。」という、へつらった言葉を記事に書くなんて、恥ずかしくって私は出来ません。一般世間では、そんな名刺配りのようなことは普通なのかな。私は、そういうのが嫌で世俗的生き方をやめたいと思っての島暮らしです。元々、アクセス数とは結果だと認識しております。記事が評価された結果がアクセス数でしょう。アクセス数を気にしても構わないでしょうが、気にし過ぎは控えたいもの。一人でも訪れて下されば、これはありがたい事。それを、もっともっとと望むのは、欲の何物でもない。必要以上に望むのは貪りで、餓鬼の道に落ちてしまう。これからの時代は、数よりも質を求めたい。表面に現れる数字より、その内容が大切に思います。巡り合いとは、お互いの縁だと思います。自分の考えを、多くの人に知ってもらいたいと思った時、何もジタバタしなくとも、縁があれば集まるもの。集まらなくったって、それが縁だし、それを受け入れる。今の状態が、その人の適正な、ピッタリと合った、居心地の良い、相応しい状態だと思います。以上、私の考えを述べました。先に書きましたように、どんな選択も自由であるのは申すまでも無い所。本来、批判的なことを言う事は、何をさて置いても控えなくてはならない。でも、アセンションを目指した人達は、言わば仲間だし同志です。だからなのでしょうか。いつもなら、お好きにどうぞと受け流すのに、言ってしまった!!どうか、お許しください。変人男のたわ言と、受け流してください。実りの秋・・・自然は、その一切が在るがまま
2008.10.11
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ビートルズがこの曲を出したのは、1970年、私が20歳の時。高校2年生の時にビートルズが来日して以来、彼らに傾いていた頃でした。同じように髪を伸ばし、フォークやロックに狂い、それからヒッピーに走って・・・当時は、あまり意味が良く解らずに歌っていたポールマッカートニーが歌うこの曲。「なすがまま」「流れに身を任せ」「そのままに」いろんな解釈がありました。ある日、天使ガブリエルが、ナザレの町のマリヤ様の所へ遣わされた時、マリヤ様が言った言葉、それが「レット・イット・ビー」という事のようです。私のブログタイトルの「在るがままを生きる」という事と同じように思われます。「神の御意志に従います。」「神のみ旨のままに」という事なのでしょう。では、神のご意志とは、どういう事でしょうか。私は、クリスチャンではありませんので、深く追求した事はありません。でも、このアセンションの時代です。きっと多くの方が理解されていると思われます。私達は、神のご意志ではなく、自分の都合ばかりを主張してきました。私達は、神の思いではなく、自分の欲ばかり満たそうとしてきました。私達は、神のみ旨ではなく、自分の快適さや利便性ばかり求めてきました。もうそろそろ、そういう生き方は卒業しても良いのではないか。ここで言う神のご意志とは、大宇宙の真理の事でしょう。すなわち、直感で捉えることの出来る真理の事。損得でばかり判断するよりも何が正しいのか。どう生きるのが美しいのか。そして、自分はどう生きたいのか。この理念を、じっくりと練ってもいい頃でしょうね。収穫の秋ですね。ヌカゴの炊き込み御飯、油で素揚げて、塩をまぶしておやつに
2008.10.08
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それぞれの人達が、それぞれの今を楽しみ、生きている。苦しさも悲しさも、歓びの一部。最大級の歓びは、大きな難関を超えた所にあることは皆さん解っていらっしゃる。報酬と代価の法則ですね。何かを得ようとするならば、それに見合うだけの代価を支払わなければならない。そうして生きてきた結果、今がある。「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢まぼろしのごとくなり ひとたび生をうけ、 滅せぬもののあるべきや」信長が好んだ、能の「敦盛」の一節ですね。信長は、どう生きようが50年、思いっきり駆け抜こうという生き方を選択した。私は50代後半。島暮らしは14年目だ。50年間は、何だか解らず信長とは言わないまでも、がむしゃらに突っ走ってきた。これからは、言わばおまけのような人生でいて、実は人間の真価が問われる時。言うならば、人生の仕上げの時と言うべきか。平均寿命が80歳と言う時代、50代が節目と言うべきか。金持ちは「あと30年しか生きられない」と命の心配をする(お金が、単なる紙になる可能生だってあるのにね。)お金の奴隷となっている人は「あと30年も生きなければならない」とお金の心配をする。人生いろいろと言うべきか。私の場合、突っ走って生きてきた結果、随分人を傷つけてしまった。過去の悪行の数々?を、清算できるものなら清算したい。過去世からの宿題(カルマ)も、残っているのでしょう。地球のアセンションという、壮大な宇宙のドラマが繰り広げられようとしているこの時期、それにピッタリと合わすかのような私のこれからの人生。醜くは生きたくは無い。美しく生きたい、気高く生きたいと願うばかり。身魂の浄化は、私の人生の仕上げという意味で欠くことの出来ない大切な事。いつも心穏やかに、どんな時も微笑を忘れず、いつでも他人に手を差し伸べられる心の準備を整えておく事、これらが私にとっての行なのでしょう。まだまだ私は、穏やかなフリ、笑顔を忘れる時ありと、充分とは言えない。あらためた行も素晴らしい事でしょう。しかし在家において、本来は日々の日常にこそそのヒントがあるのではないか。そういう意味でこの島は、過去世を含めたすべての私の総仕上げには最適な場所なのです。秋田杉の一枚物のテーブルの足は、極太の網地島杉で仕上げました。これで、絶妙なバランスが取れて、大変美しいです。
2008.10.03
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