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ようこそ、お越し下さました。やはり、旅を切り上げて帰路に立たなければならなくなりました。ちょっと残念ですが、これも初めから想定していたこと。旅の初めは1月2日から。雪の北陸道を東に走り、能登半島を巡り金沢から加賀へここでは、加賀が誇る九谷焼を堪能。そして京都嵯峨野と栂ノ尾、大原の里。四国に入る前に、ちょっと寄り道の奈良宇陀の室生古道ウォーキング。そして四国へ。四国に入るまで11日間も楽しませていただきました。更にお四国で11日間か。ちょっと欲張りな旅でしたね。10日間の遍路旅を振り返り、一つ面白いことに気付きました。400km弱の歩き遍路旅で、遍路道に迷うことが何度もありました。頼りは手元の地図と、遍路保存協会が示して下さる道順シールでした。このシールは白地に赤の矢印が描かれているだけで、その矢印の向きを「こっちだよ」と示してくれます。それを公共の電柱やガードレールなんかに貼られていて、随分と助かりました。ここで言う遍路道というのは、現代の整然とされた道ではなく、旧道と言うか、なるべくそれらしい田舎道のような道を選んでその矢印で案内されています。A地点からB地点まで直線的に行けるのに、それをわざわざくねくねと曲がり遠回りして示されます。きっと1200年前の遍路道は、こんな苦難の路なんだろうと、それに近づけるための努力が見られます。A地点からB地点までの地図上の距離は5kmとしても、その遍路道は6、7kmになることは当たり前となります。だから、頼りになるのは地図よりも矢印シールなんですね。歩いて行って分岐に近づくと、まずは矢印シール探しをする。いや、その前から間違っていないかの確認の意味で探すのかな。大概はすぐに見つかるのですが、どう探しても見つからないことがある。バッグから地図を引っ張り出して確認作業をする。そんな時、必ずと言っていいほど教えて下さる人が出現します。そばの家の玄関がガラッと開き、箒を持ったおばさんが「こっちへ曲がってこう行くといいよ」と言って教えて下さる。あるいは、どこからとも無く車が近寄ってきて教えて下さる。すごいおばあちゃんがいたっけな。同じ方向に歩くおばあちゃんがいて、その脇を挨拶をして私は追い越していく。おばあちゃんは、何やら道順を教えてくれているらしいのですが、私は方言の為か半分しか理解できずに「ありがとう、ありがとう」と言う。どんどんおばあちゃんとの距離は離れ、私はおばあちゃんに言われたであろう道を右折して、しばらく進む。「あれ、ちょっとおかしいかな」と立ち止まって地図で確認する。例の矢印シールはない。ずっと地図を眺めていると、そのおばあちゃんが猛ダッシュで駆けてきて、「違う、違う!」と手で合図する。そのおばあちゃんの年齢、いくつ位と思います?ちょっと見80前後。前歯がないから老けて見えるのか、まあ若く見たとしても75といった所。そのおばあちゃんが、私との100メートルを超える距離を一気に駆け抜けた!!!まるでちょっとしたアスリート。「驚き、桃の木、山椒の木」とはこのことで、そのあと道々話をしながら一緒に道を戻りました。ここで「同行二人」(どうぎょうににん)と言う言葉を思い出します。歩き遍路は、どうしても個人の歩行ペースが違うため、一人旅が多いと聞きます。でも、お大師様がいつも見守っていて下さるので二人旅だよという事。だから、道を示して下さった方々は、みんな空海様の分け御霊をお持ちになった方々なのではないかと。言い換えれば、お四国の人達は皆が弘法大師様なのかもしれません。確かに、普通的に言えば親切な方ばかり。お遍路さんを見れば、何か困ったことはないのか、観察してくださっているみたいに。お遍路さんにお接待をはじめとする親切や思いやりは、1200年の年季が入っています。お接待や親切をすることで、その人と一緒に遍路旅ができるという考え方。言わば、「徳を積む」という行為が当たり前になっているのですね。素晴らしいお大師様の教えですね。まさしく「弥勒の世」「極楽浄土」ではないのではないでしょうか。道々の野仏にも、自然と手を合わせることができる遍路。そして、私の好きな真言を唱えます。「おん ばざら たらま きりく そわか」これを3回唱えます。まだ四国遍路は1000km以上残っています。四国遍路の片鱗をうかがい知ることができて、とても幸せでした。多くの方の想いも一緒に巡らせていただいた遍路旅、次回いつになるか解りませんが、今回の続きをやりたいと思っています。合掌
2013.01.28
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ようこそ、お越し下さました。昨夜お世話になった道の駅で、Aさんという70代後半と思われる男性と会いました。Aさんは山形県在住で、1年前からこの高知県の一つの道の駅に車中泊しながら生活しているという。その理由は、54歳になる息子さんが一年前に仕事で高知に来て、交通事故にあってしまった。相手は飲酒運転の無免許という。息子さんは、その事故で意識不明の重体で今もそれが続いているという。父親であるAさんは、いつ息子に肉体の死が訪れてもいいように、病院の傍のこの道の駅で待機しているのだと。年金生活なので、贅沢はできないと質素に質素にその時を待っている。その時とは、いずれ訪れるであろう息子の死。息子の遺体を車に乗せて山形に帰るのだと言う。Aさんは、今は刑務所に入っている加害者を一切責めようとはしていない。「すべてが運命だ!」と言っている。Aさんは、阪神淡路地震にも遭遇したという。その時に、大切な親友を亡くした。その親友は車では必ず高速道路を走るのに、あの日は一般道を走っていて奇禍にあった。高速道路が壊れて親友の上に落下して圧死したという。なんで下を走ったのか、今も解らない。その事を考えると、「あれは運命だった。」とAさんは思わざるを得ないと言った。少ない収入の中での1年間にわたる車中泊。何時、その時が訪れるのか。早く決まりをつけたいし、決まりはついて欲しくない・・・その時になったら、息子を車に乗せて山形に帰るんだとAさんが言った時、私は涙がこぼれてしまった。私は言いたかった。肉体の死は、生の一部分だと。肉体の死は、負けでも終わりでもない、また仕切り直しのスタートなのだと。でも、言えるような親しさもなかったし・・・それでもAさんの顔を見ていると、とても「さばさば」していて、すでにこのことも理解しているのかなとも思えた。1年間という癒しの時が、理不尽と思われる我が息子に降りかかった奇禍をゆっくりと受け入れる準備ができたのでしょう。311の津波で、身内や友人を亡くした方々が、ゆっくりと時間をかけて癒されていく事を四国の地より祈ります。この日は、28番大日寺手前10km地点から29番国分寺、30番善楽寺、31番竹林寺まで歩行距離 49200歩 39.3km
2013.01.25
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ようこそ、お越し下さました。27番神峰寺に上る手前4kmから、急な上りに入る。ラスト2kmになると、更に急な登山道となって遍路者を苦しめる。勿論、車で巡拝する人のための舗装されたつづら折れの道路もある。それだって、かなりの急坂だ。朝暗い内から登ったため、納経所では今朝一番と言われた。そして、ミカンやカステラ、飴などが入った手作りの布でできた巾着とともにお接待された。「歩き遍路の方だけに差し上げています」との事。確かに、「遍路ころがし」とも言われる急坂を歩いて登った人へのご褒美なのか。「疲れた後の糖分と、喉が乾いた時のみかん」だそうです。その心配り、ありがたいな、嬉しいな。お菓子をもらって、喜ぶ爺さん なんちゃって。歩き遍路は、年間30万人の遍路さんがいる中で3千人に満たないと何かのパンフに書いてあった。たった1%なんですね。週末遍路さんもこの中に含まれますから、ロングで歩く人はよほど少ないのでしょう。歩いていて、挨拶されるのはちょくちょくで、手を合わされてしまうこともあります。なんか、変な気持ちになって、こっちも手を合わせてしまう。こういう習慣は、何も日本だけではなく、仏教国のインドやタイなんかでも、修行僧にお布施したり仏を見るのでしょうね。私は出家者ではありませんが、遍路の最中は沙門にでもなったような心持ちでいます。道路工事の交通整理をしてくださっている方なんか、私の姿を見止めると、早くから車を止め私の歩行を妨げないように旗振りをして下さいます。すれ違いざまには「ご苦労様です。」と声をかけて下さる。私も、まんじゅう笠の頭を下げ、「ありがとうございます」と言って、杖を持っているので片手で手を合わせます。お互いがそれぞれの立場を尊重し、尊厳を持って接することって、素晴らしいと思いませんか。お接待や、何やらや、少なからず私とのご縁のあった方の分まで、一緒にお四国を廻るという気持ちを忘れてはいけませんね。このブログに訪れて下さる方の分も、一緒に廻っていますからね。今日のスタートがハードだったためか、足がめっぽう痛い。夕方から雨がちらついてきた。明日は、雨降りかも。まあ、それはそれで楽しみましょう。この日は、27番神峰寺手前4km地点から、28番大日寺手前10km地点まで歩行距離 51000歩 40.8kmSDカードが読み込めないため、画像をアップできないでいます。ごめんなさい。
2013.01.22
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ようこそ、お越し下さました。7日目の夕刻、室戸岬の南端にある24番最御崎寺(ほつみさき)に着いた。ここは、いろいろな空海についての本にも出ている空海様とは縁の深い場所。ここで、空海が瞑想中に明星が体に飛び込んできたという話は有名ですね。「空海」と名乗ろうとしたのもここと聞いています。かつての松下電器(現パナソニックか)の松下幸之助さんが「命知元年」という言葉を言われたことがありました。「命を知った初めての年」という事で、命とは「天命」です。空海様は、ここ室戸の地で「天命」を知ったのでしょう。私が網地島に移住して、「晴耕雨読」(せいこううどく)というペンションを始めようと思い、それにとっかかったのも「天命」を確信したからなのですね。確信したというよりも、どっちに転んでも「それをやれ!」という道筋が示されてしまう。形、入れ物は、「ペンション晴耕雨読」。じゃあそこで何をやればいいのか。それを徐々に知らされていったここ10年。そして、今は空海様発心の地である室戸岬にいる。昨日の早朝、黎明の室戸岬で「明けの明星」を目にするチャンスをいただいた。なじみの深い金星なのに、なぜか神々しく意味ありげに輝いている。そして、更には私とこれまたなじみ深い北斗七星が、北天に所狭しとその存在感を誇示している。ああ、何というその存在感。そして、守られているという安心感。自分には帰っていく場所がある。それまで、この地でカミさんと一緒に今生の仕上げをしよう。24番最御崎寺をスタートし25番津照寺、26番金剛頂寺、27番神峰寺の途中まで8日目の歩行距離 53400歩 42.7km
2013.01.21
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ようこそ、お越し下さました。室戸岬に向かって、ただひたすらに歩いた。延々と続く海岸線。宍喰温泉の先から、高知県に入った。今はそうだけど、昔の遍路道は相当な厳しい道だったろうと思われる。右側は、大きくせり出した山。左は海で、その間を削り取ってできた国道55線。この日の太平洋は、いたって静かで、週末のせいか釣り人が点在していて豊饒な海を連想させる。私達が今やっている車中泊をしながらのお遍路は、新たな形の遍路方法なのではないか。歩き遍路は、ぜいたく遍路と言われている。歩きだから時間がかかり、その分宿泊数が増える。遍路費用の半分以上を占める宿泊費。通常の民宿で、1泊2食付で6000円台~7000円台、勿論これ以上もある。これに昼食代と飲み物代、札所の経費が1か所5~600円位。お酒を飲む人はその分がプラスされ、大まかには1日1万円以上という所か。五十日の遍路旅で、夫婦二人で廻ったら100万円は超えてしまう。これ故に、ぜいたく遍路という事。民宿だって、思った通りの所ばかりではない。食事の質、同宿舎との遠慮、風呂やトイレの時間や洗濯の順番など、すべてが納得できるわけではないと聞いています。夫婦二人の車中泊での旅は、一人が歩いて一人が運転という形。昼と最終の地点で落ち合う先を決め、車のナビにセットする。落ち合うまでの時間は、コインランドリーでの洗濯や、食事の段取り、観光やらと自由に行動する。もちろん、一緒に歩いて巡拝するもよし。今朝のうちらは、カセットコンロでご飯を炊き、お湯を沸かして味噌汁も作りました。そろそろ、コンビニ弁当やおにぎりも少し飽きたしね。お遍路とは何ぞや?の問いかけに、100人いれば100通りの答えがあるけれど、共通する答えもいくつかある。そのキーワードは「感謝」という事。森羅万象の一切に「感謝」を覚える旅だと言っても決して過言ではないと思います。飽きたなんて言っているコンビニ弁当だってありがたいのは当たり前。車中泊遍路は、一番の掛りの宿泊代がかからない。その分、ガソリン代と日帰り温泉代、食事代がかかります。何よりもかによりも、その間の夫婦の合作の遍路旅。夫婦間の信頼と感謝を再認識させ、非常に練れた、熟成されたワインの如く、ワンランク上の関係の極みに至るのではないか。私の今の生きる目的の第一は、人生の仕上げです。更には、人生には避けては通れない夫婦関係の完結です。「こいつと、結婚してよかった。」と思えるのは必至です。(ちょっと、言い過ぎか)(笑)歩く、歩く、ただただ歩く、ずんずん歩く、ひたすら歩く、歩きに歩いて 67500歩 54km一日の行程での最高記録。
2013.01.20
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ようこそ、お越し下さました。23番薬王寺に着いて、巡拝を済ませてからすぐそばの日帰り温泉へ。温泉に浸かって、バリバリの足を解すのは、重要なこと。なんせ、私は初老と言われる年齢ですからね。時間をかけて温泉ストレッチをします。着替える服は、出来れば木綿は避ける。速乾素材は汗をかいた後が爽快だし、洗濯が楽。温泉を出ると、カミさんが飛んできた。「変なものが浮いてたの!!」 「何が? ひょっとして?」「そう、あれ!」「ウンコちゃん?」その場には、もう一人の女性が入っていたらしく、あわててシャワー。フロントにその旨を報告に行ったら、何やらすくう網とか持ってすっ飛んで行ったとの事。網ですくうだけでいいのかねえ。その後、外で見ていると、数人の女性が温泉に入って行き、・・・儂ゃあ、知らん!23番薬王寺を過ぎると、一部を除いて国道55線をただひたすらに室戸岬に向かって海べりの道を歩く。24番最御崎寺まで80kmを超える遍路道。これを二日に渡って歩く。昨日は、いつもより早い朝6時に歩き出した。4時間を過ぎたころからか、足の甲が痛くなる。ふくらはぎが張っているのはいつもだが、足の甲は初めて。こんなの、サッカー少年だった学生の頃以来か。歩いていて、風光明媚な景色を楽しむ余裕がない。歩行スピードを少し落とすしかない。何とか、中間地点の宍喰温泉へたどり着く。ここは、カミさんとの待ち合わせ地点。ここに、新鮮な魚を売っている店があった。寒ブリと美味しそうな干物を買う。寒ブリは、能登半島以来。大判サイズの刺身の切り身12切れ位で350円と、安いね。干物は、カセットコンロで炙ってかぶりつく。今夜はこれで太平洋を見ながら酒を飲む。極楽 極楽!1月18日歩行距離 53500歩 42.8km
2013.01.19
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ようこそ、お越し下さました。割と平地を歩いている時は、ふくらはぎとすねの筋肉が痛くなる。昨日の2寺はハードな山登りだったので、今日は太ももの筋肉痛がひどい。下半身は、総じてバリバリ状態。その疲れた筋肉を解すのは、夕方の日帰り温泉にゆっくり浸かることかな。私の場合は、普段からジョギングをしたりして下半身を少し鍛えていてこれですから、普通の人のお遍路さんって、ものすごく大変なんだなって思います。1番霊山寺からスタートして、諦めて離脱する遍路さんが多いのはこの辺りと聞きます。遍路道を歩いていて、冬のせいかめったに他の遍路さんとは会うことはありませんが、札所に着くと多くの白装束に身を包んだ人が溢れている。この人たちは、みんな車で回っています。その気持ち、すごく解ります。本当は、彼らも歩いて廻りたいはず。でも、それが出来ないもどかしさ。でも、私は歩くことができる。また、その事に意義を感じています。歩くことを天から許されたことに、心から感謝いたします。どこまでこの気持ちでいられるのか解りませんが、「遍路是即ち人生」(へんろこれすなわちじんせい)です。自ら望んできた四国。仕事の関係で、いつ島から呼び出しが来るかしれませんが、それまでの許される限り、遍路を続けます。23番薬王寺手前の遍路道が、「俳句の路」とされ、いろいろな句が木柱に書かれ、紹介されていた。その中にこんなのがありました。「みちのくの 悲しみ祈る へんろ道」私も、鎮魂のために祈ります。この日は、22番平等時から23番薬王寺まで45100歩 36km
2013.01.18
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ようこそ、お越し下さました。昨日は、初っ端からミスってしまいました。前日からの続きで、19番立江寺から20番鶴林寺への途中からスタートしました。夜が明け始める7時スタート。歩き出して30分、財布がないのに気付く。車に置き忘れたか弁当を買ったコンビニかと思い、カミさんに電話するも、電源が入っていないらしく、繋がらない。今日の巡拝の予定は3寺。納経帳に御朱印をいただく300円、賽銭に200円、×3寺=1500円が必要となる。最低で900円か。その位なら、お借りしちゃおうかなと覚悟を決め、歩きだす。その後、カミさんからTEL。車の鍵がないとのこと。だから、一度切ったエンジンがかからないとのこと。遍路が始まってからの朝からのスケジュールは、車中泊の道の駅で3~4時頃に起きてパソコンチェック、洗顔、近隣のコンビニで朝食と昼食のおにぎりを買い、のんびりしてから遍路スタートの場所に移動。明るくなり始めるころに歩き始めます。ここまでが私の運転。ここからカミさんが車を運転して、コインランドリーを探して出発します。私の乗っている車は、運転手がキーを持っていないと、一度エンジンを止めたら再度かけようとしてもかからない仕組み。この日カミさんからのTELで、鍵は私が持っていることに気付く。という事は、車は動かない。カミさんの話では、今はどこかのコインランドリーの駐車場で、その場所も店名も不明とのこと。一瞬、目が点になる。頭を整理すれば、私が私のポケットにある車のキーを、どこか解らない所に止めてある車の所に行かなくてはならないという事。私のいる場所は、田舎で町から10kmは離れている所で、コインランドリーは街の中。そこまで歩いていくか、ヒッチハイクか。菅笠をかぶり白衣を着ている者が、ヒッチハイクは間違ってもできない。という事で歩いていくことに。電話で、そこの情報をもっと聞き出す。どうも、国道の傍らしい。近くに○○駅から1・5kmの標識がある。それだけの情報で、何とか1時間半後に無事遭遇。事なきを得ました。(ほっ)この教えは、もっと確認をしっかりとせよという学びかな。再び、2時間半遅れでスタート地点へ。この日は予定を変更して、20番鶴林寺と21番太龍寺とします。でもこの間は難所中の難所。山を3つ超えないといけません。なんせ、ロープウェイがあるくらいですから。遍路道から登山道と名称が変わりました。この日の歩行 46500歩 34.8km平地での歩行と違い、この日は5割増しの疲労かな。まったく、楽しませていただいています。非日常の極み!!!
2013.01.17
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ようこそ、お越し下さました。2日目は、大きな低気圧が接近して、朝からすごい雨と雪。午前中は待機していて、午後には雨が小降りになったので昨日の続きで10番切幡寺から11番藤井寺へ。藤井寺から12番焼山寺は、遍路道きっての難所で「遍路転がし」と言われている道です。この2つの山超え路は、おそらく相当の積雪が予想されました。この日は、早めに切り上げて、車で焼山寺の様子をうかがいに行くことにしました。そしたら案の定、焼山寺に行く途中からすごい積雪で、焼山寺方面から来る車からの情報は、30cmを超える積雪とのこと。これではとなって、この部分の遍路は中止して後日に回すことに。昔のお遍路さんは、大変だったろうなと想像されます。天気予報はないし、その装備も貧弱なもの。死を覚悟して決行したのだろうなと推察されます。この日は午後からだったので、歩行距離 18000歩 14.4km3日目 12番焼山寺を避けて、13番大日寺からの遍路。13、14、15、16、17、18、19番立江寺から20番鶴林寺の途中で切り上げました。途中、歩き遍路の方2名とすれ違いました。すれ違ったというよりは、追い越したのかな。ほとんどの歩き遍路さんの歩行スピードは、時速にして4km強位か。私は、時速6km程度。けっこうい速歩の部類に入るのかな。すれ違った二人は、足の痛みに耐えながら歩いているようでした。札所に行くと、多くの遍路さんに会いますが、そのほとんどが車で回っています。だからか、歩き遍路さんには一目置かれているようです。歩いていて、すれ違う街の方々からは深く頭を下げられます。声をかけられることもあります。すれ違う車も、私の歩行を妨げないように、遠慮してくださいます。四国の人にとって、歩き遍路さんは特別と考えているのかな。明日は四国に行くという日の夕方、奈良県宇陀のコインランドリーで閉店間際に駆け込みましたが、車のナンバーが宮城県だったのを見たそこのオーナーさん、これから四国お遍路に行くのだと言うと、自身のポケットからコインを出して回して下さいました。私は、その方の名前を紙に書いてもらい、「一緒に廻りましょう」と。遍路は、同行二人(どうぎょうににん)と言われています。一人で回っているのではなく、弘法大師空海様と歩いているのだという事。もっと広義で言えば、遍路の家族や知人、地域の人達の思いを背負って歩くのだと。40kmを、ただ歩いているのではなく、言わば自然と瞑想しながら歩くようになっちゃいます。経を唱える時も、心は常にピュアになります。非日常の極みかもしれません。3日目 54100歩 43.2km
2013.01.15
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ようこそ、お越し下さました。京都から奈良を巡り、今は四国徳島に居ります。今回、念願の四国お遍路の第一歩を踏み出すことが許されました。昨日の早朝、1番札所 霊山寺の駐車場に着きました。日の出時間が島より15分遅く、AM7時になっても薄暗い感じ。そこには、すでに十数人の巡礼者が7時の納経所が開くのを待って、準備に忙しく立ち動いていました。札所の納経所は、御朱印をいただける場所です。御朱印は、帳面や掛け軸、あるいは白衣に書いていただきます。お遍路さんは、多くの参拝のルールにのっとって行われているようです。でも、私の場合はけっこう省略している部分が多く、真面目な巡礼者とは言えないかも。服装から巡拝方法まで、全く決められたルールとは違っています。でも、その心というか真意は昔ながらのものには違いないと確信しています。今のそのやり方は、札所の権威を高めるためか、複雑になっているのも事実。でも、昔ながらの巡礼は、もっとシンプルなものではなかったろうか。八十八ヶ所の札所を巡る旅って、目的は何なのだろうか。何のために巡るのか。巡ると、どうなるのか。四国に限らず、私は奈良や京都の聖地と言われる場所を巡ってきました。巡る方法は、人それぞれに違っていいと思っています。でも、普通の観光や物見遊山の旅ではないのは勿論です。(物見遊山でもいいのかな??)四国八十八ヶ所は、聖地巡礼の極め付けではないでしょうか。その理由はの第一は、やはり1400kmを超える距離にあると思われます。そして、山岳信仰における神秘性の象徴でもある山そのものに神性を抱くところ。だから、札所の多くは山の中腹にあって、けっこうな坂や急階段を登らなくてはなりません。そういう厳しい条件の中、早い人で40日、普通で50日もの日数をかけて札所を巡る。そして、そんな道行に何が待っているのか、何を感じるのか。楽しみでもあり、不安でもあるのでしょう。今回の私の道行きは、期間もあまりないことから、徳島県のみになるのかもしれません。私は、歩いて遍路道を巡ります。カミさんは、車で巡ります。昨日は、1番霊山寺から、10番切幡寺まで歩きました。歩数計は46000歩を超えました。通常の私の歩幅は85cmなのですが、階段とか急な上りを考えて80cmにすると、その距離36.8km歩いたことに。前日も、奈良の室生古道周辺を同じくらい歩いたから、ちょっとしんどかったです。豆も2個作りました。これを、何日も繰り返してゆくと、慣れちゃう人とギブアップの人とに分かれるのでしょうね。
2013.01.14
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ようこそ、お越し下さました。2013年は、民主党から自民党に政権交代がなされましたね。今の私は、あまり政治には興味や意識は向けていません。選挙も、半ば義務感で投票所に行くようなもの。なんせ島の投票所では、網地地区の在島有権者数は80名を割り込んでいますから、だれが来て誰が来ていないかが逐一把握されています。だから、誰かが投票所に午後3時頃まで来ていないとなれば、迎えにこられちゃう(笑)。投票箱を船で本土に運ばなくてはならないので、早めに打ち切ってしまいたいという思惑があります。島民はそれが解っていますので、投票は午前8時過ぎには終わっています。こんな事情で、一応は投票所に顔を出します。こんな投票所って、日本にそうたくさんはないでしょうね。まあ、それはいいとして。先だっての衆議院選挙は、政権を交代して自民党になりましたね。新政権の自民党の第一の公約は、「経済の強い日本」と聞いております。昨日まで、私たち夫婦は京都に居ました。活動の拠点は東大路の京都大学の近くです。ちょうど1年前にもここに来ておりましたが、大きく変わったことに気付きました。1年前の京都大学の道路に面した塀や壁、生け垣等には「脱原発」「福島」の看板やプラカードで埋め尽くされていました。ところが、今年はそれが1枚もありません。(よく探せば1枚位はあったのかな)311から1年10か月が過ぎ、まるでページがめくれた如く、何もない。新政権の言っている強い経済を作るには、余裕のある電力は欠かせません。景気がよくなり、生活が充実することは国民の願いでもあります。しかし、学生は「現実の生活」よりも「理想と信念」を選択するのが若者の純粋さと思っておりました。1年前に京都大学を訪れた時の、あの強烈なインパクトを受けた学生たちの「願い」は、単なるお祭りのアピール看板だったのか。「少し貧乏をしてもいいから、原発はやめようよ」という願いは、私はしっかりと受け止められたのに。あのころの日本は、少々の経済的停滞は我慢してでも、原発に代わる代替え再生可能エネルギーに転換することを強く望んでいたような気がします。でも、国民は今回の選挙で「脱原発」より経済の充実を選択しました。今や「脱原発」は大多数の国民の願いではなく、少数意見という立場になったのですね。私が住んでいる網地島から20km圏内に、女川原発があります。今は稼働してはおりませんが、311の時、女川原発の防護岸壁は14mと聞いております。地震で1m数十cmの地盤沈下、(網地島は130cmの地盤沈下)女川に到達した津波は12mと、防護岸壁には数十cmで津波にさらされるという所まで迫りました。もし、地盤沈下が2メートルだったら、網地島も放射能にさらされて、島に住むことができなくなり退去せざるを得ない状況でした。だからか、福島の問題はとっても身近でもありました。福島の問題も、多くの国民は「対岸の火事」という意識になったようです。これが、今の現実なのですね。私は、お釈迦様の言われる「中道」という意識でいたいと考えております。外部の問題には両極のどちらにも偏らない、優柔不断と思われるような立場です。両極のどちらも理解し、受け入れていきたい。ただ、これ以上に地球を汚すことは許されないと考えます。その中で、放射能の汚染は大きなカルマとしてブーメランの如く我々に跳ね返ってくるでしょう。
2013.01.12
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ようこそ、お越し下さました。明けまして、おめでようございます。今年もこうして、新春を迎えられることに感謝いたします。どうぞ、これからもよろしくお願い致します。今、私はカミさんと一緒に旅に出ています。お正月の一族が集まる恒例のイベントを終え、正月2日の昼に島を出ました。今までずい分と忙しかったから、ちょっとしたご褒美の息抜きかな。東北道を南下、郡山から北陸道に向かって、今は能登半島に居ます。その間、ずっと猛吹雪。昨日は輪島に居ましたが、寒いのなんの。体感気温は氷点下10度くらい?顔の皮膚が出ているところは寒さを通り越して、痛くなります。そんな中、有名な輪島の朝市のおばあちゃん達、その寒さを物とせず、働いています。すごい頑張りです。頭が下がります。何を見ても、何を聞いても、自分の置かれた環境に、感謝の念しか湧きません。「なんと、自分は幸せなんだろう」と。旅って考えると、何時行くか。何処へ行くか。誰と行くか、となる。この中で、最も重要なのは“誰と行くか”ではないでしょうか。その第一条件は、まず「波動の高い人」かな。旅先で、愚痴らない、文句言わない、不満そうな顔はしない、置かれた状況を楽しんじゃう、・・・そして、何にでも感謝しちゃう人。そんな人と、のんびりと旅を楽しむ。非日常を楽しむ。私の人生のパートナー、カミさんは正しくそんな人・・・です。(ちょっと褒め過ぎ?)島を出たフェリーの中で、こんなことがありました。孫を含めた11人と犬2匹の乗船券を買ったところ、船員さんは揺れる船内で電卓なしで計算してくれて、5千何がしかを払いました。その後、改めて計算し直してみると、800円の過払いに気付きました。「どうする? 言う?」「気付いてくれるんじゃあない?」「気付かなかったらどうする?」「そうだね、お布施したことにしようか?」ということで一同決まって、鮎川に着きました。そしたら、船員さんが気づいたようで、800円を戻してくれました。何を言いたいかというと・・・相手のミスというか、間違いを許すという事かな。目の前の出来事は、自身の内面の投影だということを、再三当ブログで言ってきました。目の前の出来事は、自分にとっては何なのか、ということ。一見、相手の問題に見えるけど、実は自分に投げかけられたテストのようなもの。この宇宙の真理に気付くと、いろいろなものが見えてきます。そして、どんどん自身の浄化が進みます。更に進んで、次のステップに進みます。2013年は、そんな年にしたいね。
2013.01.05
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