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ロシアのある街では-50度の冷え込みだという。ポーランドでは雪の重みで屋根が落ちてきて多くの市民が生き埋めとなった。大変なことである。遠くの不幸を知るとき、まずは自分の身に起こったこととして、その辛さや悲しみをできうる限りの想像してみるのが私の常なのだが冷凍庫よりも寒いマイナス幾十度の街で生活することがどれほど大変なことか、これはもう私の貧困な想像力では到底追いつけない。暖房が止まった部屋で時々、ガタガタと震えが止まらなくなるほど体の芯から冷え切ってしまいとにかく寒い寒いと感じることがあるがそんなときでも、気温はせいぜい5度くらいだ。それでも、特に冷え性の私は、寒いと体がまったく動かなくなってしまう。身の置き場がない感じ。おのずと背が丸になりそのまま骨までよじれ固まってしまうのではないかと思うくらい、とにかく体全体が重いのである。唇真っ青、生気のない白い顔。あぁ、寒いってなんて心細くて寂しいことだろう以前、テレビの安っぽいサスペンスドラマで犯人を追う刑事が、冷凍庫に閉じ込められてしまいあわやお陀仏となるシーンがあったのだがしがみつくぬくもりのない四角い箱の中に身ひとつで閉じ込められ、震えながら死んでいくことを思うと、いくらその主役が愛川きんきんであっても気の毒で見るに耐えられなかった。こんな安っぽい作り話と対比させてしまい恐縮なのだがとにかく実際に寒さと闘いながら生き抜くのは並大抵の辛さではないだろう。どうかどうか、はやく暖かい春がやってきてくれますようにと祈るばかりだ。ちなみに福岡の本日の最高気温はなんと18度。朝からなまあたたかい風が漂っていたが春の匂いにはまだまだ遠い。週末には、再びマイナスの気温になるのだそう。いったいどうなっているのだか。寒暖の差がこうも激しいのも、辛いものである。
2006年01月30日
100万部を突破したという話題の本リリーフランキーさんの「東京タワー」をついに昨夜、読み終えた。買ったのは、一週間ほど前。集中して本を読める時間がなかなかなくて、毎日ちょっとした待ち時間やトイレタイム(失礼)などを利用して数ページずつ読み進んでいた。少しずつ立ち止まりながら読むことが、こんなに楽しかった本は、初めてだった。読み始めるとすぐに本の中に吸い込まれていき、著者の描く世界がはっきりと映像になってあらわれた。主人公を取り巻く泣き笑いのエピソードの数々を一緒になって体験しているような、まるで自分もそこに立っているかのような不思議な感覚。時間が来て、本を閉じ、ふと我に返る。その繰り返しがだんだんと快感になってきて途中から一気に読んでしまうのが惜しいような気さえした。リリーフランキーという人のことはこれまでほとんど知らなかったのだが、なんという美しい文章を書く人だろうとドキドキした。思い出話が鮮やかに語られる時、そのエピソードの合い間、合い間にさらりと入る彼のココロのつぶやきは、どれも丸ごと書き写して何度も暗唱したくなるほど的を得ていて、心底共感できた。少しずつ噛みしめるようにして読み、ちょうど半分のところで栞を挟んでいたのが、昨夜ちょっと寝る前にと開いたところとうとう立ち止まることができなくなった。後半は、もう、おいおいと声を上げて、流れる鼻水をパジャマの袖で拭きあげ、泣きながら一気にラストまで走った。深く深呼吸をして、本を閉じたのが深夜2時半。それからというもの、いまだにぐるぐるぐるぐるかきまぜられた心がまわっている。著者も文中に、何度もぐるぐるぐるぐる…という表現を使っていた。人の心は常にまわっていなければならないんだと思う。心を止めてはならないんだなぁ。私の生まれ故郷でもある筑豊。最近まで住んでいた小倉。その土地の人々が話す言葉や街の雰囲気が当たり前のように思い出されるからこそ余計に、私はこの本の中に吸い込まれてしまった。私のちいさな息子のこと。おかん修行をもっと頑張らなくちゃ。そして故郷の私のおかんとおとんにとってもとっても会いたくなった。いまごろなんしよんやかね。こんどまた帰るきね。だけど、おかんいつもそげんいっぱい作らんでいいっちゃ。そげんいっぱい作っても食べきらんばい。帰ったら、あれ食べりこれ食べりっち食いものぜめにあうごとあるっちだんながいっつも笑いよんばい。これ以上太らせんでっちゃ。そげんいったっちゃしょうがなかろうもん。あんたたちの顔みたら、なんかおいしいもん食べさせてやらなっちそればっかり考えてしまうんたい。きょうぐらい、よかろうもん。
2006年01月26日
「宜しいですか?」このところメールボックスを開くたびにどこの誰だかが、気安く語りかけてくる。ちょっと前までは、一見してそれとわかっていたのにこのごろは、発信元のアドレスもごく普通。件名も「お久しぶり!」「あけましておめでとう。元気?」にはじまり、「この間は楽しかったね」だの「お忙しいですか?」だの、とにかくのっけからいかにも知り合いを装ってくる。中には「内田です」といきなり名乗り出ているものもあり一瞬、考え込んでしまう。もちろん、誰だっけ?と一度中に入ってしまえば「お待ちしておりましたぁ」と扉全開で迎えられあれよあれよと、そっちのペースに巻き込まれる。暇とお金を持て余した熟女が、札束のベッドの上であなたの入室をずっと待ち焦がれておりしただとさ。何を勘違いなさっているのやら。そして、その後のメールは「入金済みです。断りますか?」の一点張りとなる。新手の心理作戦が横行中である。振り込め詐欺ではなく、金持ってけ泥棒詐欺か。「あなたのためにウン万円が支払われました」といわれ、心を大きく揺さぶられ行こうかどうかと迷う人たちも、まったくいないとは言い切れない。心の隙間に、音もなく優しく忍び寄ってくる誘い文句。見ず知らずの人からの声なき問いかけにふと耳を傾けてみたくなる一瞬だってないとはいえない。でも今のところの私はとにかくひたすら一斉削除。こんな声に用はない。どこからどう、アドレスが漏れてしまったのか追究するのも時間の無駄だし、とにかく何を言われようと所詮、ワンクリックで消滅する命なのである。消しても消してもまた湧き上がってくる声には閉口するが「不快でしたらすみません。解除はここをクリック」などと腰低く、青く記された記号と数字の羅列を見ても行ってやるもんか。その入り口はまた別のどこかにつながっていて、また違う声がやってくるとも限らない。注意すべきは一つ。自分が誰かにメールを送るとき誤って削除されないよう少しでも気の効いた件名を考えようということだけ。
2006年01月24日
息子とふたりでカラオケボックスに行った。それもきのう、きょうと二日連続で。なんと寂しく暇な親子だろうと嘲笑されようがぜんぜんかまわない。私たち、それはもう楽しくって。普段から、歌を心のよりどころにしている私たちである。家では必ず、どちらかの鼻歌が響いている。鼻歌といっても、けっこうな大音量。歌うからには、腹の底から声を出したほうが断然気持ちがいい。気分が乗っているときは、会話も即興で歌にかえゲラゲラ笑いながら、ミュージカルごっこまでやる。ノリのいい息子を持って幸せな私。息子のつくり歌や替え歌もなかなかの出来栄え。最近ぐっと腕を上げてきた。一応、うちの中だけに限定しているつもりだったのだが去年のクリスマス。ある店で欲しいおもちゃを抱えて駆け寄ってきた息子は店内に響き渡るような大声で「これを~これを~買ってくれ~」とジングルベルの節にのせ踊りだしたではないか!家だと「うまい!」とか言って大いに褒めるのだがさすがに実践されると苦笑いするしかなく却って、買ってあげる気も失せた。そんなこんなの私たち。きのうは、年明け初の幼稚園通園、一週連続クリアを祝って、帰ってからカラオケでも行ってみる?と軽い気持ちで声をかけておいたのだが息子は、もうそれは楽しみだったらしく迎えに行った私の顔を見るなり「やった!きょうはこれからカラオケに行くんだよね~」と満面の笑み。しかもわざわざ大声で担任の先生まで呼び止めて「これからカラオケに行くんですぅ」と。恥ずかしいったら。カラオケ経験は何度かあるのだが、息子と二人きりでボックスに行くのは初めてのこと。行ってみてびっくり、平日の昼間のカラオケってめちゃくちゃ安い。2時間歌い放題ワンドリンク付でお一人様なんと300円??しかも受付のおねえさんが小さなパートナーを見てにこやかに「どうぞお一人分でけっこうです」と。九州の一大都市・天神は買い物天国ではあるが幼児が満足できる遊び場はないに等しいと思いこんでいたのが、あるではないか!こんなところに!思う存分マイクを持って、ウルトラマンやらアンパンマンやら、おかあさんといっしょの歌やら童謡やら、歌うは踊るは、たっぷり2時間。飲み物も軽食もあるし、ソファでくつろげるし歌わずとも、子供連れの買い物のちょっとした休憩所に、カラオケボックスの密室性は大いに使える!と膝を打つ。一緒にカフェに入り、走り回りそうになる子供を制しつつ飲む珈琲代に比べれば、なんとお手軽。そして本日、土曜日。夫は私用で出かけ、何しよっか?と息子にきくと「きょうも行く?」だって。土曜日は、平日料金より少し割高だったが本日も、歌いまくり。気持ちよかった。2時間はすぐにすぎ、30分延長までした。最後の方では、自らうたぼんをめくりリモコンをたくみに操作して、自分の歌いたい歌をどんどん入れられるようになった息子。こんなんでいいのか3歳児。そして私。と時々、自問自答してみるがやっぱり、これでもけっこう、いい感じ。
2006年01月21日
昼間、つけっぱなしていたワイドショーから突然、聞こえてきた言葉。「しょうどう、しょどう」見ると流れているのはB,Zのプロモーションビデオ彼らが歌っている背後で、なにやら著名な書道家らしい人が筆をとり、衝動書道なるものを実践中。どういう意味?今年はこれでいきますとかなんとか…B,Zと書道になんらかの関係があるらしいのだが前後をまったく見ていなかったのでその不思議な言葉だけが心に残る。そうかちょうどいい、きょうは書初めの日にしよう。衝動書道を私も実践することにする。たしかに衝動的に「きょうは書こう!」と思い立たなければ普段はなかなか道具を出す気にならない。かくいう私の父は、書道家である。父の影響で4歳のときに筆をとり、高校を卒業するまで半強制的に、習字をさせられたのでたぶんB,Zよりは書道に近い自信がある。こどもの頃は、正直、父が怖かったので仕方なくという感じだったのだが、今となっては少し嬉しい。筆がちっともこわくないからだ。墨をすると部屋中が清清しい芳香につつまれるからだ。白と黒のコントラストが美しく手書き文字のあたたかみは、どんな活字にも負けない。30をすぎて、あらためて書に向かう時間が楽しいものになった。地元の書道誌に月に一度、課題を提出することを続けているが、それ以外にも書きたい言葉を自由に書く筆遊びにも挑戦中である。今年は、書をテーマにしたサイトも作ってみたいと意気込んでいるところ。幼稚園から帰ってきた息子も誘い向かい合って書く。父の書道教室でも遊びで筆を握らせてもらったし今までにも何度か私のそばでなぐり書きをさせてきたので、要領は得ている。前回よりも集中力がアップしていた。私が書いたものに紙を重ねてなぞらせたところけっこうカタチをとれるようになった。はね、はらいなどの筆運びにも興味を示してきたので父がそうしてきたように、大袈裟な擬音つきで手ほどきしてみると、かなり受けて何枚も何枚も、満足のはらいができるまで書き続けたりして、なかなか有意義な時間がすごせた。
2006年01月17日
夫が休みだったため、息子が前々から見たがっていた「チキンリトル」を観に皆で映画館へ。金曜日の正午、なんと観客は私たち3人だけ。中央列のど真ん中を陣取り、普段はぜったい禁止だと言い聞かせている上映中のおしゃべりも、きょうだけはオッケー。まさにホームシアター状態でリラックスして映画を楽しんだ。何をやっても失敗ばかりのチキンリトルがそれでもめげずに奮闘し、みんなの信頼を父の愛を勝ち取っていく物語。友達の大切さ、親子愛を素直に感じ取れ笑うところもいっぱいあって、大人でもじゅうぶん楽しめるストーリーだった。こども向けの映画に限ってのことだが息子が3歳になってからというもの、一緒に気軽に映画館にいけるようになり、こちらもいい気分転換になっている。最近は息子の方からも見たい映画をリクエストしてくるようになったが、もちろんこちらも楽しめるものであるかどうかをしっかりチェックする。これまでに観たもの…「ハウルの動く城」「Mrインクレティブル」「マダガスカル」「あらしのよるに」すべて満足。息子も最後までおとなしく観たしこちらもじゅうぶん楽しめた。きょうは帰ってからさっそく、パンフレットを横に置いてお絵かき。けっこうさまになっていて驚いた。今度は、ドラえもんの映画が見たいらしい。バンバン宣伝中の「のび太の恐竜2006」これって、実は私が子供の頃、母親に連れられて初めて映画館でみた映画なのである。のび太が可愛がっていた恐竜のピーすけが恋人と去っていくラストシーンは今でも鮮明に覚えている。2006年版としてリメイクされたらしいのだが、懐かしすぎる。絶対に親世代を意識しているはず。そういえば今、おもちゃ売り場の中にも私たちが子供の頃によく遊んだものが復刻版として並んでいることが多い。こえだちゃんハウスとか、バンダイのお化け屋敷ゲームとか。欲しい欲しい!なつかしーい!つい興奮してしまう私はまさにメーカー側の狙い通り、カモそのものである。話が横道にそれましたが、きっとドラえもんも観にいってしまうだろう。間違いない。
2006年01月13日
去年の春、息子の入園を機に嬉々として購入したママチャリ。後部に大きな子供乗せシートがセットされた、一応、3段変速のブリジストン。そのいでたちはまるで蕎麦屋の出前のようであることからオカモチ号と命名し、いつでもどこでも息子(体重18キロ)を乗せて、通園に買い物に友達の家にと愛用していた。しかし、10月に引っ越しをして、新しい住所になってからはマンションの自転車置き場にさびしく置いたまま。息子はバス通園になったし、それになにしろ我が家は小高い丘の上にあるため、玄関を右に出ても左に出ても半端ではない傾斜のくだり坂が待ち受けている。越してきてからすぐに、軽い気持ちでいつものように息子を後ろに乗せて坂を下ったのだが、重さもあってものすごい加速がつき下手にブレーキをかけると前につんのめりそうで怖ろしかった。臆病モノの息子はそれ以来すっかりびびってしまい「自転車にはもう乗らない。ジェットコースターみたいでこわい」というし、私は私で、行きよりも帰りの上りの方がさらに地獄であったことをそのとき思い知ったので(息子を降ろして押し車でも、かなり辛い)「やめたやめた。ママチャリはもう卒業だ。 きみが小学生になったとき自分で乗れるようになったら 一緒にツーリングしようね」ということにした。とはいえ、せっかく自転車があるのだし近所のスーパーへ買い物にいくときなど便利そうなので後部シートを完全にはずして、自分用にしてしまおうかと最近考え始めたところだった。オカモチが外れれば、ずいぶんと軽くなるはずである。ところが、長かった冬休みもいよいよ終盤というとき息子が思いつめたような表情で「ようちえんバスをやめたい」と言い出したのである。通いなれた幼稚園を9月一杯で泣く泣くやめて11月から新しい幼稚園に通い始めた息子だがまだまだ、前の園での思い出の中にいて今でも時々「まえにもどりたい」といってうつむく。前の担任の先生から、夏にみんなでプールに行った時の写真が新居に送られてきたときもそれらを眺めながら目にいっぱい涙をためて「おかあさん、しゃしんのなかに どうやったら はいれるの?」と訴えてきた。わずか3歳で、すでに戻りたい過去を持つ男なのである。鳥肌が立つ思いだった。そうはいいながらも「戻りたいけどもう戻れない」ということを普段はしっかりわかっているのがまた心憎い。普段はいたって平然としているのだが、時々やりきれない思いを口にする息子なのであった。車で送迎すれば5、6分なのに園バスでは、順番待ちの時間も含め降園から自宅到着まで約2時間も要する。我が家は最終地点らしく、息子は1時間はバスに乗ってあちこちまわって帰ってくるのだがまだ園に慣れてないうえ、家になかなか帰れないというもどかしさもストレスになっているらしかった。こちらとしては、3時に終わる幼稚園なのにバス停に迎えにいくのは5時。ひとりの時間が大幅に増え最初は得した気分だったのだが、やはり息子がなかなか元気にならないのが気がかり。よし!思い切ってバスをやめることにする。園に伝えると、利用者が多くて困っているのだろう。理由もきかれずあっさりOKというわけで、やはりママチャリを出動させることにしたのであった。本日さっそく試し乗り。園まで迎えにいった。てっきり車で来るとばかり思っていた息子は目を丸くしたが、久しぶりのサイクリング、まんざらでもなさそう。行きは10分。帰りは息子を乗せているため20分。坂くらいに負けていられないのである。慣れれば下りジェットは快感であるしのぼれなければ、ひたすら必死に押すのみ。親子で前かがみになって一台の自転車を押し進む坂道。のろのろでも確実に一歩一歩。それこそ修行、試練、人生勉強の縮図のような気さえする。根が怠け者の私は、このようにいささか大袈裟であっても、試練の場をむりやりでも作り上げて、自分を奮い立たせるしかない。「これがいやならバスしかないよ」「はい!ばんがります」「よーし、おしてくれ」「いちにー いちにー」
2006年01月12日
新しい年を無事に迎えることができました。みなさま、あけましておめでとうございます。どうか今年も皆様にとって健康で実り多い一年でありますように。年末年始は、これまでにないくらいダラしなくすごしてしまいました。一年の計は…という言葉を思い出すたびに後ろめたい気持ちになりながらも、なかなか気合が入らず、もうなるようになれとばかりに寝正月をきめこんでしまいました。日々なにをそんなに疲労しているのやら。そろそろこの辺で気を引き締めて。きょうは、近くの神社に息子とお参りにいき健康を祈って合掌。そう、とにかく健康が一番大切。おばあちゃんの口癖みたいですが、健康な体なくして、なんにも始まりませぬ。みなさまもお体だけは、大切に。1972年生まれのワタクシもようやく厄年を脱出しました。めでたしめでたし。34年目の2006年。34歳ってけっこうなオバサマ??女性に年をたずねるのは失礼だとか、年齢不詳にこだわる方もけっこう多いようですが、ワタクシは不思議とぜんぜん抵抗ありません。むしろ自慢したいくらい!34年目だぞ~ってね。(自慢にならない?)不惑突入となると、やっぱり変わってくるのかもしれないけれど。今のところは。とにかくいい年のとり方をしたいと思う。若さだけで突っ走れた20代に見えなかったもの見落としていたものを、じっくりと拾い集めて自分の糧とできるように。以前、3つ年上の会社の先輩(バリバリのキャリアウーマンという感じでお洒落でかっこいい人)が「女は33歳からだから」といつも口癖のように言っていました。33歳からの生き方次第でその後の人生が決まるらしい。ここで手を抜くか抜かないかで、その後の老け込み方がぜんぜん違うとのこと。その先輩はふたりの男の子を育てながらも、家庭と仕事を見事に両立させていつもキラキラしていた。生活の疲れがぜんぜん外へ出てこない人だった。実際、33歳からどのようなたゆまぬ努力をしたのかはあえて尋ねなかったのだが、私もその言葉を胸に輝いている人を横目に、意識しつづけたいと思う。それにしても私が生まれた年はまさに第2次ベビーブームの時代。絶対数が多いのだから当たり前なのかもしれないが今、テレビなどで活躍している旬な芸能人やスポーツ選手お笑いタレントの中に同級生がなんと多いことか!キムタク、貴乃花(旬でなくなり残念)はあまりにも有名なのだが今をときめく、青木さやか、濱口優、ゴリエさんに藤井隆。今やスーパースターの新庄剛も天才イチローも!芸達者な中村獅堂や寺島しのぶ、深津絵里、常盤貴子などなど。そしてそしてあのヨン様まで!時代はまさに今、72~73年生まれが引っ張っているといっても過言でない。わたしもそのハシクレとして、がんばってみたいニューイヤー。みなさまどうぞ、今年もよろしくお願い致します。
2006年01月04日
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