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東京オペラシティコンサートホール 14:00〜 3階 今井光也:オリンピック東京大会ファンファーレ 古関裕而:東京オリンピック・マーチ ネッケ:クシコス・ポスト カバレフスキー:道化師のギャロップ ロッシーニ:歌劇『ウィリアム・テル』序曲 リンケ:行進曲『ベルリンの風』 ベートーヴェン:劇音楽『アテネの廃墟』〜第4曲「トルコ行進曲」 エルガー:『威風堂々』第1番 <アンコール> シベリウス:組曲「カレリア」〜第3曲「行進曲風に」 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:尾高忠明 今日、というかこれ書いてる時点では昨日ですが、東京の感染者数366人.....全国では981人とかそのくらいの数字になっているようで...... 都内では不要不急の外出を控えるように、とは言われてるようですが、そうは言われても.....ねぇ....... なんかこう緊急事態宣言下とはまた違う形でヒステリックな反応があるように最近は感じます。「陽性反応があった人であって感染者じゃない」とか言い合ってる人がいたりとかね。そういうことを言ってみたところで、大筋の現実は何も変わらないのですよ...... さて。 東フィルの午後のコンサートシリーズは結構人気のようです。元々休日午後にやっていたシリーズが、平日昼間もやるようになり、渋谷でもやるようになり.....通常のコンサートと違って、若干短めのプログラムに指揮者のお話付き、結構安めのチケット代設定、夜でなくて午後早めの時間、と、色々人気の要素があるのでしょう。今でも十分安いですが、以前は激安だった頃に買ってからずっと続いています。 こんな状況下ではあるけれど、尾高忠明が振るということだし、行ってみました。 公演の副題は「勝利への行進」ということで、そもそも今日7/23は海の日で、7/24はスポーツの日。本来ならばオリンピックの開会式の日でした。その前日の公演ということで、このようなプログラムだった訳です。道化師のギャロップとか、聞き慣れた「あれ」みたいな曲もあり。ウィリアム・テルあり、威風堂々あり。内容としては1時間足らず、休憩無しのプログラム。今回もチケット再配席で半分以下の入り。元々は2回公演に再編成します、とされていたのですが、結果1公演で収まってしまったようです。元々毎々完売に近い状態だった筈なので、セット券を持ってる人も多かった筈なのですが、キャンセルした人が少なくなかったのでしょうね。ちょっと悩ましいところではあります。リスクはリスクで背負うからね。特にこのシリーズは、比較的高齢で、それほどクラシック音楽に熱心というほどでもない、といった人が多めだったと思うので、まぁ、そうなるかな、とも。 演奏ですが、正直言うと、やっぱりこちらの趣味としては、ウィリアム・テルとか威風堂々とかのまとまった楽曲の方が聞いていて楽しいです。特に威風堂々はねぇ。尾高忠明だから尚更、なのかどうかはわかりませんが。個人的には尾高忠明を聞きたかったというのもあるので、これはこれで良かったかなと。まぁ、食い足りないなぁ、というのも本音ではあるんですが.... アンコールはシベリウス、だったのですが、聞いてた時は「ん?なんだっけなこれ?」という状態....コープランドだっけなー、という......いや、そんな気がしたんだもの...... 3階席に、「Bravo」って大書きした幕だかなんだか持って来て、広げてる人がいましたが、ああいうのみてると、結局日本人のブラボーって、自己顕示欲の発露なんだよな、とつくづく思います。内容関係ないんだろうなぁ、きっと。
2020年07月24日
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まぁ、英語でいやぁいいってもんじゃないですけどね..... どうやら新型コロナは長期戦は避けられない様子.....まぁ、わかってましたけどね...... こうなると、コンサートはどうなるものやらという....... 最近色々始まっているのがストリーミング配信の類い。先月サザンオールスターズが無観客配信ライブをやってましたけれど、それ以前に4月から小曽根真が毎晩ライブをやってくれて、あれは殆ど毎晩のように聞いてたんですけれどね。うん。有難いんだけど、でも、やっぱちょっと違うんだよね.... いや、ライブ配信も、それはそれでいいんですよ。聞けば面白いし。でも、クラシックの場合、いや他の音楽でもある程度そうだと思うんだけれど、やっぱり「生音」である、というのがやっぱり大きいんですよね。それは、実際に目の前で弾いてる〜みたいなことだけでなくて、特にクラシックの場合、それが演奏される空間との関係が密接にあるんですよね。やはり響きというものが重要な要素なので、空間があって、そこでどう響くか、というのが楽しみの一つになっている訳ですよね。 ストリーミング配信は、これはCDやDVDでも同じなのだけれど、結局、自分の再生機器で聞くんですよね。どんなにいい機器を揃えても、やっぱりそれは別物。いや、本物と紛い物、ということではないんです。でも、生演奏とはやはりちょっと違うものだと思うんですね。実は私はもう一つこことは別のブログを持っていて、そっちは専ら録音ものの話を書いている - と言ってこの10年近く殆ど書いてないですが - のだけれど、まぁ、やっぱり別のものだと思うんですよね。それぞれに楽しいけれど。 そういう意味では、私の場合ですけれども、クラシックの場合はストリーミング配信はどちらかといえばCDやDVDに近いもので、生演奏をホールで聞くのとは違うんですよね。配信で楽しむ、と言われても、ちょっとなぁ、と思ったりするわけです。 とはいうものの、コンサートを元のように実施するのは非常に厳しいでしょうね。 まだ、海外からの来日公演はままならないでしょうし。そもそもまだ日本に来られないというか、今の所、欧米あたりからは来ても2週間自主隔離を求められる訳で。オーケストラなんてちょっとやそっとじゃ来られないでしょうからねぇ。国内の演奏家なら問題無いのかというと、これまたそう簡単にはいかない訳で、定員の半分まで、というのが当面の状況ですが、それではやっぱり営業的に厳しい訳で。 取り敢えず先月から3公演ほど聞いているのですが、まぁ、やっぱり生で聞くのは楽しいのだけれども、確かに半分未満のお客の入りというのは、空いているということなのである意味快適ではあるけれど、大変だよなぁ、と思います。今はとにかく演奏会が出来るということだけでちょっとバイアス掛かっていると思うので、これが長期戦になるとどうなることか。いろんな意味でもたなくなるんじゃないかと思うんですよね。お金の問題もあるけれど、例えば休憩無しのショートバージョン、協奏曲無しでいつまでもという訳にもいかないだろうし、指揮者も日本人ばっかりだと限界があるだろうし。いや、大手のオケはまだいいけれど..... とかね。 いや、あくまで聞く側の個人の立場でいうと、ともあれ生演奏を聞けるように取り敢えずはなったのは有難い、と思いつつ、今後はどうなるのか......まずは、秋になったらどうなるか、ですね。 個人的を言えば、そもそも夏は無くなっちゃいましたしね。ザルツブルクは一応縮小してやるとは言っていたけれど、ペーザロは殆ど中止に近い状態だし。 まぁ、当面は、それぞれの場所で出来る事をやり続けるしかないんでしょうね。
2020年07月22日
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オーチャードホール 15:00〜 3階正面 ベートーヴェン:「コリオラン」序曲 ハ短調 op.62 交響曲第7番 イ長調 op.92 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:佐渡裕 未だ新型コロナは終息せず....どころか、この4日ほどはむしろ感染者が増えているような状況。 東京の感染者数は、100人超えて200人くらいまで増え戻してきたのが、先週木曜には286人、金曜293人、昨日の土曜日には290人......今日は188人に落ちたものの、その前も考えると、終息する雰囲気ではないですね。 今日は7月公演の組み替え。元はチョン・ミュンフンの公演が代役で佐渡裕。演目はベートーヴェンのコリオランと7番。今月も、新しい生活様式.....って、新生活様式、ニューライフスタイル、ですな。今後はこれ「ニューライフスタイル」でいいんじゃないだろうかと思うんですが。日本語で言いたいというヒステリーもわかるけど、これでいーんじゃね?まぁ、与太話はともかく、50分一本勝負のショートバージョン。座席も1席づつ空けた再配席済み。 今日は、どうでしょうね。先月よりは多かったと思います。佐渡効果なのか、元がチョン・ミュンフン回だから結構売れてたのか....多分単券売りはしてないと思うんだけれど、まぁ、ともかく、そんなこんなで結構人は入ってました。それでも3〜4割、ってとこですかね。 演奏は、まぁ、なんというか......7番がね、強烈でしてね。かなり外連味のある演奏。特に後半。第3楽章のスケルツォとトリオの対比、というか、トリオがあまりにテンポ揺らし過ぎというか、最後の部分のリタルダント、というのか、が、あまりに極端でね....対比を出したいのは分かるんですよ。ただ、ちょっとやり過ぎだろうと。普通にやってもつまらない、というのは、まぁ分からなくはないし、実際、7番ってそういう曲だろ、と言われればそうかも知れないけれど、でも、やっぱり、なぁ..... なんというか、今日もいい演奏ではありました。ただ、この行き方は好みか?と言われると、好みではないなぁ......もうちょっとやりようがあるんでないかい?という気はします。私の好きなベートーヴェンはそうではないし、ベートーヴェンはもうちょっとカチッとしたところがあると思うのですね。 こういうこと言うと、「いや、畏まったベートーヴェンばかりじゃないんだ!」って言う人がきっといるんだと思うんですね。でも、なんというか、こういう音楽を聴きたければ、やりたければ、そういう音楽を選べばいいんです。後期ロマン派や国民楽派の系譜にだっていくらでもそうした曲はある。だからってやるなとは言わないんだけれど、でも、やはり、これはベートーヴェンじゃない、とは言いたくなる。 細かいこと言うな、って話だろうとは思うんですけれどね。今時こういうのだって勿論ありだ、ってことになってるのは分からんではないですよ。でも、やっぱり引っ掛かる。まぁ、佐渡裕と私の主観とじゃ、圧倒的に佐渡裕に軍配が上がるんでしょうけれど、でも、やっぱりそうじゃない、と思うのは、曲全体の構造が崩れていくように感じるからなんですね。 7番はリズムに特質のある交響曲、ということになっていて、その多彩なリズムが魅力である訳ですが、リズムに意識が行く以上、リズムと切っても切り離せないテンポにも敏感にならざるを得ない。そして、リズムというのは、あまりにテンポを揺らしすぎると、グダグダになってしまうのですね。 緩急の対比を付けたいのは分かるけれども、スケルツォとトリオとで既に対比になっているものを、殊更に緩の方のトリオでリタルダントを掛けてしまうと、元々仕掛けられている緩急の妙が却って際立たなくなってしまう。それは、第1、4楽章でも同じで、確かに色々やりたくはなるのだろうけれども、元々この2つの楽章はそれだけで十分面白いので、わざわざ揺らす必要は無いと思うのですよ。特に第4楽章など、第3楽章の緩急からの、一気呵成の勢いが楽しいのであって、そこはむしろ一気に突っ走ったっていいのですよね。(実は第3楽章のスケルツォはプレスト、第4楽章はアレグロ・コン・ブリオなので、別に第4楽章の方が早いというわけでは無いのかも知れないけれど) まぁ、好みじゃ無い、ということで。 面白くはありました。うん。こういうことを言っていられることをまずは喜びましょう。 プログラムのチラシで、8月定期演奏会のプレトニョフ指揮の「わが祖国」は中止になったとの案内が。 ああ....まぁ、ねぇ............ そうそう、そのプログラムで、6月公演の模様がレポートされていたのだけれど、セヴィリア序曲について曰く「初日は場内に漲る緊張感そのままに、ベートーヴェンさながらに深刻に重く響いた」そうなのですが、いや、あれ、いつもの東フィルの音だったと思うよ?緊張感はあったと思うけれどね。なんでも二日目が「実にロッシーニらしい饒舌な演奏」で、「最終日には堂々たる演奏」だったそうなのだけれど、まぁこっちは全日程聞いている訳ではないからなんともなのだけれども、どうもライターの思い込んだ「こうあって欲しい」希望の姿を聞き取ったのではないでしょうかねぇ。特に「ロッシーニらしい饒舌な」というのが一体全体どんなものなのか小一時間ばかり問い詰めたい感じではあります。ハイ。
2020年07月19日
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東京オペラシティ タケミツメモリアル 3/12 19:00〜 舞台裏オルガン席 メンデルスゾーン:幻想曲 嬰ヘ長調 op.28 ベートーヴェン:ピアノソナタ第24番 嬰ヘ長調 op.78 「テレーゼ」 ブラームス:8つのピアノ小品 op.76 / 7つの幻想曲集 op.116 バッハ:イギリス組曲第6番 ニ短調 BWV811 <アンコール> バッハ:イタリア協奏曲 ベートーヴェン:ピアノソナタ第12番「葬送」〜第1楽章 メンデルスゾーン:無言歌集第1巻op.19b〜「甘い思い出」/ 第6巻op.67〜「紡ぎ歌」 ブラームス:間奏曲 イ長調op.118-2 シューベルト:ハンガリー風のメロディD817 3/19 19:00〜 3階右横 シューマン:精霊の主題による変奏曲 変ホ長調 WoO24 ブラームス:3つの間奏曲 op.117 モーツァルト:ロンド イ短調 K.511 ブラームス:6つのピアノ小品 op.118 バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻 前奏曲とフーガ第24番 ロ短調 BWV869 ブラームス:4つのピアノ小品 op.119 ベートーヴェン:ピアノソナタ第26番 変ホ長調 op.81a「告別」 <アンコール> バッハ:ゴールドベルク変奏曲〜アリア モーツァルト:ピアノソナタ第15番K.545〜第1楽章 ブラームス:アルバムの小品 シューマン:アラベスクop.18 / 「子供のためのアルバム」op.68〜楽しき農夫 シューベルト:即興曲D899-3 ピアノ:アンドラーシュ・シフ 改めて確認してみたら、これ書いて無かったので。 どうも武漢で怪しげなウイルス性疾患が流行っているらしい、という話が漏れ聞こえ始めたのは、1月半ばくらいでしたかね。春節前に武漢を封鎖すると言い出して本格的な騒ぎになり、2月の初めにはクルーズ客船内で感染が疑われる事例が出て、同時期にどうやら中国人観光客とかから伝染したと思われる事例が、東京湾の屋形舟で発生し(この頃はまだクラスターとかいう言い方してなかったような?)、と、徐々に大騒ぎになっていった、と。この辺の時間軸は覚えてる感じで書いてます。ちゃんとニュースとか日別時系列で追っ掛けるとまた多少違うんでしょうけれども。まぁ概ねこんな感じ。 で、この頃には、欧州での感染拡大が始まって、「アジアあぶないよねー」が「イタリアあぶないよねー」になり、各国大騒ぎになっていき、というのが、概ね2月一杯の動向だったと思います。 3月頃には日本国内では自粛ムードが高まってまして、それに先行して2月には既にマスクが無い、トイレットペーパーが無い、と大騒ぎしていた訳です。それがただの騒ぎでなくて、命が危ないかも知れん、となって、イベント類はキャンセルが相次ぎ…2月の下旬には、それでも東フィルはチョン・ミュンフン指揮で、定期演奏会で予定通り「カルメン」やりました。その3週間後の、プレトニョフ指揮の定期演奏会は、延期という形でキャンセルしたので、この辺にターニングポイントがあったということだったと思います。 そんな中での、シフ。 どちらも平日公演だったのですが、台風被災の後、一息付ける状態になったところで、今シーズン全然チケットも買ってなかったし、と思って、まぁシフだから買っておこう、行けなきゃそん時はそん時で、てな調子で買ってたんですね。休日公演の埼玉公演も。 ところがこの騒ぎ。まず、埼玉公演は、公営財団主催だったこともあってか、早々にキャンセルが決定。続いて、2月頃には日本での新型コロナ感染の中心地になっていた北海道の札幌公演もキャンセル。これはもうキャンセルにするんだろうなぁ、来れないだろう、と思っていたのが、3月初めには「対策取ってやりますま」とのお知らせが。まぁ、そう言うなら行くしかあるまい、ということで。 対策と言っても、この頃は、「ソーシャルディスタンス」なんて言い出したところくらいだし、席半分にしたら成立せんだろう、というのが一般理解で、今のような「収容人数半分、1席空ける」なんてやってませんでした。どっちの公演も払い戻しは受け付けてましたが、残席も売ったりで、少なく見積もっても6、7割は入っていたような。実際には普通のコンサートと同じような埋まり方なので、2、3階は満席でしたし、もう普通に隣に人が居る状態。 ただ、主催者側からの案内で、ほぼ全員マスク着用。1階の前の方で付けずに大騒ぎしてるのを見掛けましたが、まぁそういうお調子者というか勘違い野郎は男女問わず何処にでも居るけれど、何故か日本のクラシックのコンサートでは目撃率高いのよね… そういう一部の変な人を除くと、正直、ちょっと異様な雰囲気というか緊張感漂うコンサートではありました。 シフの演奏は、さて… 正直言うと、もっといい演奏聞いたことはあります。ただ、この状況下で、正直言うと一体この先日本も世界もどうなってしまうの?という雰囲気もある中、よくもまぁ日本に来てくれた、やってくれた、という感じでもあったので、冷静な判断は難しいというところでしょうか。 もう一つは、シフのプログラミングの、なんというか、渋さ。 なんというか、「なんでこんなものを」と思うような曲は一つもないんですよ。確かに。でも、この組み合わせ、と思って見ると、華が、こう、ねぇ…カタルシスもあまりない。特に12日はね。19日の方は、最後「告別」だしね、まだしもだけれど… だが、それがいい。勿論。まぁ、でないとシフのリサイタルは買わないやね。 敢えてそう言えば、今回はブラームスを中心に据えたプログラムということだったのでしょう。正直、あまりブラームスを弾く人、という印象はないのですが、弾けば流石としか言いようのない演奏。まぁ、正直言うと、私はそれほどこの辺のブラームスよく分かってるという訳ではないのですが、言うなれば秋の野原というか丘陵を歩いて行くような趣を感じます。絶景がある訳ではない。突然大瀑布に出っくわすようなことも、一面に見目麗しい薔薇の花咲き乱れる園に出る訳でもない。でも、ふと足下を見ると、小さいけれど可愛らしい花が一輪咲いている…いや、それすら大事ではなくて…というような。 とはいうものの、ブラームスの後期ピアノ小品集、op.116から119は、確かにいい曲だけれど、非常に内省的で聞き映えのする曲ではないかなと。リサイタルに入れるのはいいけれど、正面に出して銘打つならともかく、これにベートーヴェンとバッハ、というのもなかなか。しかもベートーヴェンはテレーズに告別ですからねぇ…シフだから成立するプログラムではあると思います。ただ、そうだなぁ…もうちょっといい意味での音楽的な緊張感が持続して欲しいなぁと、僅かながら感じたのも確かです。特に19日の方は。集中力という意味では12日の方が優れていたやも。特に後半、ブラームスのop.116とイギリス組曲はとても良かったと思います。 アンコールは例によって盛り沢山。慣れっこといえば慣れっこですが、19日のアンコールでゴールドベルクのアリア弾き始めた時は、つい「おおっ!」(全曲やるのか!)とかつい思ってしまったのですが……ま、んなこたないっすよね… それにしても、アンコールだからとはいえ、イタリア協奏曲やシューベルトの即興曲D899-3と、こちらの方が映える曲というのも…まぁ、アンコールってそういうものではありますが。ともあれ渋いプログラムとはいえ聞き応え十分のリサイタルでした。
2020年07月12日
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N響が、2020-2021シーズン、つまりこの秋からのシーズンですが、このシーズンの定期演奏会を中止すると発表しました。私、この間オーチャード定期更新したとこなんですが、あれはどうするんだろう? 曰く、新型コロナウイルス感染症対策が必要な中、今までの状態では開けないので、「定期演奏会」はキャンセルして、販売したチケットも払い戻し。同じ日程で公演を行い、チケットも売ります、ということのようです。N響は昔ながらの秋からのシーズンなので、このタイミングはギリギリまで見定めた上での判断なのでしょう。 東フィルは少なくとも年内は定期会員の席は改めて席を配置して、1席おきくらいにして公演をやるようです。なので、当分チケットの販売は控える様子。午後のコンサートは、1日2回公演にして再配分するようです。確かに、午後のコンサートは結構埋まってますものね.... 都響は7月から演奏会再開、しかしやはり同様に席を再配分するようです。 新国立劇場もそろりそろりと再開していくようですが...... この1週間で東京での感染判明者が50人越えが続き、昨日今日はとうとう3桁に。緊急事態宣言が発出された4月初め頃と同じくらいの人数ですね。正直言ってその頃と比べるとかなり人は出てしまっている様子。まぁ、自分だってそれほど自粛している訳ではありませんが...... 5月の緊急事態宣言解除後、「新しい生活様式」なんという話で、社会的距離、ソーシャルディスタンスというやつを取れ、という話になっている訳ですが、確かにある種の業態ではそれは無理というもので。「夜の街」なんというオブラートに包んだような包んでないような、まぁ要はキャバクラやらホストクラブやらのような密着(密接って言わねーだろ〜が普通は)を伴う業態中心に...ということらしいですが、別にそればっかりではないしねぇ、きっと。 要するに、どうして感染するのか、どういう条件だと感染するのか、分からないんですよね。だから、確実な予防法はない。ないけれど、感染確率を下げることは出来る。手洗いうがいをする、マスクをつける、とかですね。でもそれしか出来ない。インフルエンザがどうして感染するのか、感染した場合に、いつ、どこで、どういう経路で感染したか、確実なことは分からないのと多分一緒。この「分からない」というやつが一番面倒なのではありますがね..... でも、それが、「新しい生活様式」というやつの本質なんでしょう。 ネットだかツィッターだかでは、「コンサートとかは皆黙って大人しく聞いてるものなのだから、無理にソーシャルディスタンス取らなくたって大丈夫だろう。マスクして、ブラボーしないようにすればいいんだ」とかって言ってる人もいるようですが、まぁ、無理ですね。日本に限らずだけれど、コンサートホールの座席はエコノミークラスかと思うくらい間隔空いてないですから。ほっといても密着ですよ。 そして、ブラボーするななんてのを大人しく言う事聞いてる奴らじゃありませんよ。日本のクラシックコンサートでブラボー叫んでる奴らは。私も日頃やらないとは言わないけれど、この言わば厳戒態勢下でも、この間の東響のコンサートでも居たし、3月のシフのリサイタル(これはいつか書いておこう...)でもブラボーやってる奴はいましたからね。当人達は感極まってとか言うとりますが、まぁ多くは自己顕示欲を抑えきれてないだけですから。叫ばないとコンサート来た意味がない人達は、やりますよ。 いや、多分そう言う問題じゃないんだよな。密接だとか、声出すとか出さないとか。そういうことじゃない。 結局今年は諸々キャンセルになったこともあって、夏は欧州には行かないんですけれども、欧州でもじゃぁどうやって公演やるんだ、と騒ぎにはなってます。今年のザルツブルクは座席を間引いて公演すると言ってますし、大御所級の演奏者は殆ど出てこない。なんでそうなるの?というと、曰く言い難いところはあるのだけれど、多分、やっぱりやりたいけど無理だろ、ってところじゃないかと思うんですよ。特に欧州はね。アメリカなんて日本でまた3桁になったーエライコッチャーって言ってるのに、5万人ですからね。1日の感染判明者数ですよ。欧州はそこまでじゃないにしても..... そして、やっぱり、どうやって感染するのか分からないんですよ。インフルエンザと一緒?確かにそうでしょう。そして、結果死ぬのも、統計的にはそこそこどっちも死ぬのも一緒。でも、やっぱりそうじゃないんですよ。何が違うかというと、多分、「分からない」ということなんですね。 現代社会、というか近代社会の基礎は「科学」なんですよね。で、近代科学の本質は、「わかるということ」にあるんだと思います。わかるということは、予測可能だ、ということ。予測すること、ある確率でこういうことが将来期待出来る、と考えることが、近代社会の礎石になっています。インフルエンザは、その予測可能性の枠内に織り込まれていたんですね。たとえそれが甘い見通しだったとしても、ある一定の枠内で予測可能と考えられ、織り込み済みであれば、社会としては、それで予測の範囲内であると考える。この積み重ねで社会が出来ている訳です。 新型コロナウイルスというやつは、この、予測可能性を潰した訳です。 コンサートで隣の人がゴホゴホやってても、「チッ、風邪ひいてるのに来るんじゃねーよ、迷惑な」くらいに思っておしまいなのは、風邪程度なら仮にうつってもまず問題ないし、ひょっとしてインフルだとしても、ワクチン打ってれば発症抑えられるだろうし、仮に発症しても薬があるから大事には至らないだろうし.....と、まぁ、思い込みや誤解もあるかも知れないけれど、そのリスクが予測可能だと考えるからなんですね。多分。 新型コロナにはこれがない。 どういう条件でうつるか分からない。仮に感染したとして、ワクチンなんてないから予防出来てないし、発症したとしてどうなるのか分からない。確率的には死亡率は低いとか持病がなければずっと低いとか色々言われても、やはり予測出来ていないことが多い、と考える訳ですね。そして大事なのは、それが社会のコンセンサスになりつつあるということ。だから、「新しい生活様式」なんですね。 つまり。予測不能とは言うけれど、ウイルスだから、ある程度までは予測出来るわけです。締め切った部屋に閉じこもっていれば、ウイルスは入ってこないから感染はしない。まぁ、本当に密閉しているなら、酸欠ですぐ死んでしまうわけですが。だから、「この程度までなら大丈夫じゃないか」というのを積み重ねていくわけです。徐々に緩めていって。緩めたらどっかで感染するようになるから、じゃぁもう一回締めるか、みたいな試行錯誤をしながら、どこまでやったらいいのか、って考えるわけですね。 それを、社会全体で、世界中で、ああでもないこうでもないってやってる訳です。その中で、コンサートホールみたいなウルトラ3密(密集で密閉、席が狭いから密接も)の世界で「まぁ大丈夫」なんてのはやっぱり出来ないんですよね。仮に理詰めで「大丈夫」となったとしても、ここでどれだけリスクを取ったものか、とか考える。社会全体の状況を見ながらどうしようかと考えるのかなと。 そう考えると、多分今の状況は向こう数ヶ月とかでは終わらない気がします。1年でも終わらないんじゃないかなと。仮に「もう大丈夫ですよ」となっても、人がするっと戻って来られるものやらと。 でも、今の、収容人数の半分くらいしか入れない、というシステムは、大変だと思います。単純に人がそれしか入れられないから、収益は当然悪化しますし。正直言うと、在京ならN響、読売日響、都響、まぁこの3つは母体次第ですが母体でどうにかしろと。あとのオケは、どうにかこうにか乗り越えるしかないとしても、数年は掛かると覚悟してかかるしかないでしょうね。各人が支えたいと思うところを支えるしかないのかなと。オペラだと、新国はまぁ自分でなんとかしろと。二期会は、これはまぁアマチュア団体ですし、別の意味で自分らでなんとかしろと。支える必然性感じないからなぁ。藤原はどうするんだと。これも支えたくはあるけれど....... まぁ、この状況が数年続くと考えると、こっちの生活もそれなりに防衛に走らないといけませんからね。苦しい時期が続くのを覚悟しないといけないのかなぁとは思います。
2020年07月04日
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