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サントリーホール 18:30〜 2階左側 ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 op.125 「合唱」 <アンコール> 蛍の光 ソプラノ:ジャクリーン・ワーグナー メゾソプラノ:中島郁子 テノール:笛田博昭 バリトン:リアン・リ 東京交響楽団 新国立劇場合唱団 指揮:ジョナサン・ノット まぁ、物好きにもほどがあると言われそうですが........買った時は落ち着いてるかと思ったんだけど..... ノットら海外勢は例の14日間隔離を経て参加のようで。このパターンが定着するのかどうか、日本の感染状況も決して好転はせず、増える一方ですからね。これを書いてる時点では、東京は先週の900人弱/日がMaxですが、神奈川が300人台が続いてるとか、なんとも言えない状況ですから..... それにも関わらず席は空けずの7割の入り。但し1階の前6列くらいは人を入れない状況。 東響。基本的に私はそんなに好きではありません。理由は、弦が如何にも日本のオーケストラの力入れ過ぎてそっくり返ってる系統だから。基本的には、新日、日フィル、読売日響、都響、この辺は皆そうだと思いますけどね。でも、何故か全然分からないけど、皆さんああいうのがいいんでしょ?よく分かりませんけれども。 ちなみに、新日はアルミンク時代は割とコントロールされてました。今はダメだけど。東フィルは、時々良かったり悪かったり。N響は、なんともですね。ちゃんとした弦の響きを聞きたければ、ムラはあるけど東フィルとN響.....かなぁ? で、今日はどうだったか。 まず、弦は相変わらず。力が入ってる。何でもかんでも力行しちゃうんですよね。やはり好みでは無いです。演奏スタイルとしては、かなり速目のテンポではありますが、いわゆるピリオド風味かと言われると、まぁそこまででは。というよりむしろテンポがかなり速いのがちょっと気になる。 いや、それ以上に気になるのが、ノットの指揮。微妙に、細部で、弄るんですよね。何故ここでリタルダントする?というような、或いはテンポを細かく変えてくる。フレージングと言うにはちょっと無理がある。或いはフレージングと言うなら、フレージングがおかしい。聞いていて、所々つっかえるんですよね。音も、時々、あれ、そうだっけ?と思うところがあったり。それがどうも間違えた風ではなさそうで。なまじこちらの頭の中には曲が入っているだけに、あれ?というのが結構出てくる。版の問題とかそう言うことでは無いと思いますよ。 いわゆる悪くない演奏、いい演奏っていうんでしょうね。決して否定はしません。ただ、個人的には、みんなこういうのがいいんだ、ふうん......と思っていたのは事実。意図的にいろいろ仕掛けてくるN響よりはオーソドックスに近いけれど、それだけに、なんだかピンとこなかったりする演奏ではありました。 開演前に「対向配置が〜」とか喋っていたのが聞こえてきましたが、そういう問題ではないと思いますよ。対向配置、いわゆる1st と2ndのヴァイオリンが向き合って配置されていたのは事実だけれど。結局、ピリオド/古楽器演奏と同じことで、「何故そうなのか」という問題だと思うのです。その意味では、正直、第九の場合、対応配置だろうがなんだろうが、あんまり関係ないと思うんですよね。むしろそれをいうなら合唱をどう配置させるのかという問題の方が大きい気も。 結局、演奏としていいかどうか、で言えば、ねぇ.......ノットの指揮は悪くない、ってことなんでしょうけれど、私はあまり..... オケ自体は、真面目に数えてませんが、1st Vnで6か7プルトくらいだったのでは。合唱は総勢40人ほど。例によって間を空けて。但し、お客の方は前述の通り密だし、シールドがあるわけでもないし。まぁ、今は概ねこんな感じでしょうね。 アンコールの蛍の光は、LEDキャンドルライトでそれっぽく演出していて、まぁ、わかるけど、昨日のB CJのオルガンとはまたちょっと違う意味で、まぁ、あってもなくても、かなぁ.... 個人的な第九比べでは、結果、東フィル&尾高のが一番かなぁと。N響と東響は、それぞれ違う意味で好みの問題がね.....
2020年12月29日
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オペラシティコンサートホール 18:00〜 2階左側 バッハ:パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582 ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 op.125「合唱」 オルガン:鈴木優人 ソプラノ:森麻季 メゾソプラノ:林美智子 テノール:櫻田亮 バス:加耒徹 バッハ・コレギウム・ジャパン 指揮:鈴木雅明 第九ばっかり聞いてどうすんの、という話はあります。そんなに好きなのか、と言われると、別段そんなに好きだという訳でもないのではあります。そりゃ何度も聞いてりゃ飽きますし。ただ、一方では、第九は毎年いろんなオケが演奏しますから、定点観測的にも聞き比べが出来たりはする訳です。 そんな訳で、今年もこんな状況だけれど第九をハシゴしてたりする訳です。 バッハ・コレギウム・ジャパンの第九というのは聞いたことがありません。昼公演と夜公演のダブルヘッダーだそうで、夜公演の方を聞きに行きました。で、どうだったか。 一言で言うと、何がしたいのか分からない演奏でしたかね。 ピリオド演奏ってことなのでしょうけれど、率直に言って、これは「古楽器演奏」ですね。 第一楽章から、「そういう演奏」全開ではあります。古楽器バリバリの響き、ノンビブラート、ノンレガート、速目のテンポ、低目のピッチ.....なのだけれど、そもそも、微妙にピッチが合わないのです。特に管楽器。そして、ノンレガートというより、音符の分だけきちんと音を出し切らないのですね。語尾が消えると言えばいいのか。気持ち悪い。 これが、第二楽章以降は、それなりに音符通りに音は出してるようだけれど、やはり語尾は消え気味。そして、管楽器は相変わらず不安定。第三楽章では、冒頭の管楽器から弦に繋ぐ序奏は演奏してるだけ、そして、後半のホルンのファンファーレでひっくり返るのはまぁ良くあることではあるけれど。 終楽章は、さてそれではというと速目のテンポ設定のままそう変わらず、そして合唱はやはり語尾が消える。これは比喩でなく。まぁ、新国合唱団に比べればまだしも発音はいいけれど、やっぱり言葉が曖昧なんですよね、終わりが。 そして、全体に、どういう音楽としてやりたいのか、何を言いたいのか、分からない。交響曲としてどうまとめようとしているかが分からないんですよね。 まぁ、元々私はBCJはそれほど好きではないんですが、今回聞いて率直に思ったのですが、この人達、実は「下手」ですよね。いや、こういうこというときっと「お前は何も分かってない」って批判されると思うんですよ。あと、「第九みたいなもん聞いて何を言ってる」とかね。でも、現にそこで演奏されるものそのもので評価すると、やっぱりダメなもんはダメだと思うんですよ。 そもそも、「ピリオド演奏」の第九って、別に珍しくもないと思うんですよね。もう30年以上前から、ホグウッドがエンシェント管でやったりとか、ノリントンとロンドンプレイヤーズとか、長いことやってる筈なんですよ。だから、ピリオド演奏の第九は珍しくもないし、それ自体に意味があるようなものでもないんですよね。なにしろ、N響の第九がピリオド演奏風味、それもかなり強め、でやるような時代ですから。私はあれは決して好みではないし、「そうじゃない」とは思ったけれど、そういう路線としてダメだと言ってるつもりはないんですね。 でも、このBCJの「古楽器演奏」は、それはおかしい、と思うんですよね。あの、流石にそういうものだと思って聞きに行っているから、ピリオド演奏風味なのをダメだと言ってる訳ではないんです。 要は、今更「古楽器演奏」だからといって有難い時代ではないんですよね。というか、そもそもBCJの演奏はピリオド演奏としてもどうなんだろう?とは思っていたけれど、今回聞いて、やっぱりダメだこれ、と思ったんですね。 問題は、そもそもBCJは演奏があまり上手くない、ということ。弦はきちんと数えませんでしたが、1stが6本か8本、コントラバスが3本だったと思うので、オペラシティであれば、まぁ少な過ぎるという訳ではないでしょうが、この弦の合奏が、合わないんですよね。音程もあまり合わないけれど、そもそも合奏が合わない。ズレるというより、そもそも合わせる気がないんじゃないの、という感じ。そして、管は、ピッチが不安定とかそういうレベルでなく、音程が合わない。件のホルンのように、そもそもミスる。 いや、そういうのがお話にならないって言ってる訳ではないですよ。ただ、控えめに言っても、これは「上手い」とは言えない、言わないと思います。 「ピリオド楽器なんだから安定しないし、ピッチも合わない」ですか?或いは、日本でBCJを支持する人はそう思ってるのかも知れませんね。でも、少なくとも日本でも他の団体だって、来日する団体だって、必ずしも合わない訳ではないですし。いや、仮に、バロック音楽を演奏する上ではそうなのだ、としましょう。しかし、これは、ベートーヴェンなんですよね。ベートーヴェンの音楽がそういうものなのか、と言われると、ちょっと違うと思うのです。 ベートーヴェンの第九は、1820年代にウィーンで初演されたもので、しかも、元を辿ればイングランドからの発注もあって構想されたものでもあります。つまり、18世紀とはちょっと違う筈。モーツァルトからハイドンを経てのベートーヴェンの晩年、ですからね。音楽としては、むしろ、シューベルトやメンデルスゾーンに近いと考えていいと思います。 勿論、そうであっても、18世紀の演奏スタイルがまだ続いていた可能性は十分あります。ただ、そうなってくると、「ピリオド演奏とはどういうことか」という問題に行き着くと思います。つまり、「ピリオド演奏」という区分けが意味を為さないほどに一般化した結果、「じゃぁこれはどういう音楽なのか」「どういう音楽、演奏をやりたいのか」という問い掛けに返ってくると思うんですね。そうなると、じゃぁ、何をやりたいの?と言った時に、何をやりたいのか分からないんです。ピッチが合わない、合奏が合わない演奏で、じゃぁ何をしたいの?という。そこが見えない。 古楽器で演奏してます、というだけのことだと思いますよ。ピリオド演奏というなら、論理的な裏付けなり、考えなりがあって、その上で、音楽として何を聞かせるのか、というのがあってしかるべきだと思うのだけれど、ちょっとそういう感じではないよね、これは.... 独唱は措くとしても、合唱は、思いの外発音が不明瞭。「バッハ」・コレギウム・ジャパンですからね。もっとドイツ語は明瞭でしっかりしていると思ったんだけれど、新国合唱団よりはよかったと思うけれど、とにかく発語が雑なんですよ。それはダメだろう。言葉の最後まできちんと発音しない。してない訳ではないんだろうけれど、聞こえないんですよね。それはオケも同じで、第一楽章は酷いとしても、他の楽章でも抜けるんですよね。 これは、どうなの? そしてお客の方も、どうにも演奏中は集中力が無い感じ。落ち着かないんですよね。その割に、終わると長々と盛大な拍手。 いや、何処がよかったと思ったのだろう? 率直に言って、贔屓目でなく、先々週の東フィル&尾高の第九の方が、お客は全然入ってなかったけれども、ずっとよかったと思いますよ。合唱はともかく、オケはきちんと弾き切っていたもの。その一点だけ取ってみても、きちんとした演奏だったと思います。 そして、一言で済ませてしまうけれど、冒頭のバッハのオルガンは、あれ、要らないよね.....
2020年12月28日
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NHKホール 19:00〜 3階左手 ソプラノ:高橋理恵 メゾソプラノ:加納悦子 テノール:宮里直樹 バリトン:谷口伸 新国立劇場合唱団 NHK交響楽団 指揮:パブロ・エラス・カサド .......もういい加減安定してると思ってたんですけれどね........ でも、中止にもならないし、払い戻しにもならないし、まぁ、気をつけて行くしかないなと。 N響は1席開けなので、そうはいってもそう危なっかしい感じではないですしね。 平日だからかも知れませんが、1席開けで若干空きがあるような感じ。まぁ、これだけ入ることをむしろ寿ぐべきなんでしょう。 演奏は、悪くはないんでしょうけれど.....いわゆるピリオド演奏の流れを汲みまくった感じの演奏。そうなんですよ。ノンビブラートとノンレガート。徹底して。そして、かなり早めのテンポ選択。おそらくは第一ヴァイオリン 12本の編成だと思うんですが、NHKホールでこれだと..... このカサドという人、フライブルク・バロック管なんかともやってるようなので、この手のアプローチはお手のものなのでしょうが........ 確かに、こういうアプローチは、今となってはごく当たり前のもの、ということなのでしょう。ただ、だからこそ、「何故そうであらねばならぬのか」というのがもっと問われるべきだと思うんですよ。 今でも良くあるけれど、昔、オーケストラの弦楽器の配置で随分色々論議されていた時期があったんですよね。今もなのかな。つまり、オケの左から順に、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、という配置を変えるべきだと。第一の反対側に第二を置いて、対抗配置で、とかなんとか、これが本来なんだ、とか。でも、結局あれだって、「どうしてそうでなければならぬのか」という認識が無ければ、従来型でやるのも「本来の」配置でやるのも、同じことなんですよね。「それでどういう音楽をやるのか」が問題なんであって。ちなみに今日のは従来型の配置でしたが.... いや、決してこういうアプローチが悪いとは言わない。でも、NHKホールでN響の演奏する第九を聞く、というのに、この演奏は、いや、まぁ、悪くはないけど、そうじゃないんだよなぁ........ 合唱は新国立劇場合唱団。こちらも、1段開けて、団員間も距離を取って、50人くらいの合唱。まぁ、人数はいいんですが、やっぱり発音がね.......子音が聞こえないんですよね........特に言葉の中の子音がね.................. まぁ、全体に、演奏としては悪くないですよ。でも、これを聞きたいわけではないんだよなぁ..... 昔は良かったみたいな話になってしまいそうですが、やっぱり、こういうのを聞きたいという訳ではないのですよね、正直言うと。いや、"そういう"オケの演奏ならば、それであって然るべきとも思うんですけれどね。でも、日本で、年末に、フルオーケストラで第九を聞く時の期待値は、ちょっと違うんだよなぁ......というか、それはこのオケでやることとは違うんじゃないの?というね。現代のフルオーケストラには現代のフルオーケストラの機能というものがあるのだと思うのですよ、やっぱり。 第九も随分聞いてきたけれど、未だに覚えているのは、十何年か前にやっぱりNHKホールで、しかし年末のではなくて、NHK音楽祭でチェコ・フィルがやった第九。指揮はイルジー・ビエロフラーヴェクで、第3楽章の冒頭、木管から弦へと受け渡していく、あの美しさ。ああいうのがオーケストラでなければ出せない美しさというものだと思うのですよね。あとは、一昨年の年末、ミュンヘンで聞いたミュンヘン・フィルの第九。これもまた現代のフルオーケストラというものをきちんと鳴らしてみせた演奏でしたっけ。 やっぱり、そういうのがいいなぁと思うんですよね。少なくともこういうオケと箱でなら。まぁ、オールドファッションだと言われてしまえばその通りではあるんだけれども.....
2020年12月24日
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新国立劇場 18:00〜 4階左側 チャイコフスキー:バレエ「くるみ割り人形」 クララ:小野絢子 くるみ割り人形:福岡雄大 新国立劇場バレエ団 日本ジュニアバレエ 東京少年少女合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:冨田実里 振付:ウエイン・イーグリング 思い返すと、バレエはあんまり観てないんですね。確かに、この数年で言うと、あんまり行ってない気がします。まぁ、正直、それほどバレエが好きというわけではないですね、確かに。でも観ることは観るし。くるみ割り人形はクリスマスの夜のお話なので、やはりこの時期に上演されますね。この時期になると各団体こぞって上演します。バレエ界の第九みたいなもんでしょうか。第九と違うのは、第九は日本だけの風物詩みたいになってますが、くるみ割り人形はバレエやってるところではこの時期にやるのは定番。ウィーンあたりでは定番ですかね。そういえば、昔々、もう前世紀だったと思いますが、ニューヨークに年末に行って、リンカーンセンターのシティバレエ団でくるみ割り観たこともあったかなぁ。ニューヨークでも定番でした。今でもそうなのでしょう。もう長いことニューヨークには行ってないですが....9/11以後一度も行ってないんだよな、確か.... ニューヨークのシティバレエ団のは、当時は定番で毎年同じ演出でやっていたそうで、1幕、ネズミとおもちゃの兵隊の戦いに入る前、クララがいわば幻想の世界に飛び込んでいくところで、舞台奥のクリスマスツリーがどんどんどんどん伸びていくんですよね。つまり、クララの背が小さくなって、おもちゃの世界サイズに縮んでいくというわけ。勿論観てる方にはツリーが大きくなっていくように見えて、これはなかなか楽しかった。 こんなご時世ですから、まぁわざわざ行かんでも....と思ったのだけれど、たまたま朝起きて思い付いてチェックしたら、今日は昼夜2公演で、結構空いてるみたい。これなら、ちょっと行ってみてもいいかな、と思って、急遽行ってきました。安いとこなので、舞台は全部は見えません。本当はバレエでは避けるべきなんでしょうけれど、まぁ、ちょっとチャイコフスキー聞いてくるといったところ。 バレエの良し悪しまで分かるほどじゃありませんから、まぁ楽しく観てきました。聞いてきたと言った方がいいのか。 この演出というか振付は2017年からなんだそうで、思い返すと前に深刻で見た演出とは多分違う筈。牧阿佐美のだったかと思うのですが、とにかくこの演出は見覚えが無いような気が。この演出は、例のツリーが大きくなるんですね。これ、やっぱり楽しい(笑)大人でも、眺めてて、ちょっとワクワクします。 そう、楽しいんだよね、くるみ割りって。冬場に欧州とかに行くと、この時期は結構くるみ割りをやってるのですが、くるみ割りはオペラの「ヘンゼルとグレーテル」と並んで、いわばホリデーシーズンのお子様向けの定番。でも、「ヘンゼルとグレーテル」は、正直言うと大人にはちょっと辛いところも無きにしも非ずなんだけれど、「くるみ割り人形」は大人でも十分楽しめるんですよね。 今年はこんな状況だから、欧州も劇場は軒並み休業中の様子で、うっかりすると日本の方がよっぽどやってるのかなとも思ったりするのですが、今日も夜公演とはいえ日曜なので、家族連れもそこそこ。こんな状況だからこそ、子供も何か楽しみが欲しいだろうし、まぁ実際のところそれは大人でも変わらなくて。正直ほっとして帰ってきたのではありました。 ところで、プログラムを買おうかと思ったら、薄っぺらいけれどグラビアのカラー写真付きの、24ページの「リーフレット」なるものが配られてたのですが、これはくるみ割りだけなのかな?それとも、最近のバレエ公演は皆こういう「リーフレット」が配られているのかな?
2020年12月21日
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オペラシティコンサートホール 19:00〜 3階右側 ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 op.125 "合唱付" ソプラノ:吉田珠代 アルト:中島郁子 テノール:清水徹太郎 バリトン:伊藤貴之 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:尾高忠明 なんだかんだと言いながら、コンサートには行くのです。まぁ、いろいろ気は使ってるんですけれどね。席は出来る限り端の席を取るとか。その程度でどうにかなるんかい、と言われれば、まぁ心掛けと積み重ねの問題と答えるんでしょうけれども。死ぬか生き残るかは二つに一つだけれども、可能性を可能な限り低くする手法は幾つもあるのでして。 ま、それはともかく。 やっぱり年の暮れには第九。今年は結構コンサートは中止になったりもしているので、気がつけば随分買っていました。今日は東フィル。金曜夜のオペラシティ、ある意味混む筈なのですが、まぁこれが驚くほどガラガラ。3階席こそそこそこ埋まっていたものの、1階はどの程度入っていたのか。2割?3割いたか?と言う程度。これは、オーケストラ運営上はショックでしょう。書き入れ時ですからね。結局、安い席で足繁く通う私のような者で3階はそこそこ埋まったけれど.....と言うことでしょう。これはたまらないでしょうね。 チケットはもぎらず、帰りに半券を切り離さずそのまま箱に入れてって下さい、とのこと。チケットは回収したいし、いろいろ苦肉の策なのでしょう。 基本編成は特段変わらないのだと思います。合唱は、3〜40人くらいがオルガン前に空間を開けて座る形。オルガン脇から、2階席の両サイドにまで並んでの配置。独奏者は舞台上一番後ろに並ぶ格好です。 演奏は、まぁ、こっちもなんとなく落ち着かない感じだったので、何がどうというのはあまり。ただ、今回聞いて思ったのは、第2楽章。なんとなく一番影の薄いスケルツォ楽章ではありますが、何かの拍子にふっと感じたのが、中間部の響きが実に豊穣だということ。なんというか、一瞬「田園」の第3楽章を連想させるような音楽。ただ、それだけでなく、弦の響きが豊かなんですね。あ、ここってこうだったのか、と。 第九なんて手垢が付いてるよ、もう何度も聞いてるし、今更だね、という意見は少なからずあると思いますが、一方で、何度も繰り返し聞く、いろいろあって実は微妙に違うんだ、というのもまたあるのでありまして。 合唱は....これは、なぁ。やっぱり、発音がしっかりしてないんですよね。たとえば、「神の住う所」と歌う所、wohnenという言葉があるのですが、これが、長く伸ばす先に来る"nen"をきちんと発音しているように聞こえないんですよね。言い訳は幾らでも出来るのでしょうけれど、外国語、就中イタリア語なんかは、どうしたってきちっと子音も発音しないと何言ってるか分からなくなる、その上を行くのがドイツ語だと思っていて、こんな wohnen の -nen なんて絶対発音し切れるし、し切らないといけないと思うんですよね。 細かい話と言えば細かいけれど、この悪癖は直さないとダメですよ。 まぁ、なんだかんだ言っても、やっぱり第九は聞けばそれなりの気分にはなるものですね。うん。
2020年12月19日
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来ないそうです..... https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20210101_M_2.html ウィーン・フィルと違って、こっちは来ないことにしたそうです。 まぁ、ね。ある意味順当よね..... 大晦日のジルベスターを「どうかな〜」と思いつつ買ってたんですけどね...... 今日の東京の感染者数は822人だそうです。これまでで最大。600人台だったのが突然700人台すっ飛ばして800人台。そりゃぁまぁ多いよねぇ...... 14日にGo toトラベルを停止すると言い出して2日、ようようにしてGo to イベントの方も中止にするそうです。 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFS16A040W0A211C2000000 まぁ、ねぇ.....正直言うと、「大丈夫ですから!」って言われても、隣り合ってくっついてるのはちょっと気持ち悪いしね。むしろ、そんな風に入れてる公演とか、未だに中止に追い込まれない方が不思議っちゃぁ不思議なんだし、ねぇ.....
2020年12月17日
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オペラシティコンサートホール 19:00〜 3階正面 ベートーヴェン:ピアノソナタ 第30番 ホ長調 op.109 ピアノソナタ 第31番 変イ長調 op.110 6つのバガテル op.126 ピアノソナタ 第32番 ハ短調 op.111 ピアノ:ゲルハルト・オピッツ ゲルハルト・オピッツ。どうなんでしょうね、評価は。日本ではドイツの大ピアニスト的なことになってるらしいですが、まぁ、そうですねぇ.....ブレンデルやシフは、オーストリアの人ですしねぇ......... 確かに何度も聞いたことはあって、そう悪い人ではないとは思います。ある意味安定しているというか。 そのオピッツが、来日公演をすると。まぁ、確かに、今は向こうでもなかなか演奏会は出来ないでしょうし。で、11月の上旬には来日して、2週間の隔離の上、演奏していると。今日は、ベートーヴェン生誕250年記念のリサイタルということで、最後の3大ソナタとバガテル、というプログラム。 実際行ってみると、ピティナの後援ということもあってか、ピアノ講師風の人が少なからず。それはいいんですが、ちょっと客層がね.......あの、こういうこと言うのもなんだかなぁな話なんですが、客層とか雰囲気で、「あ、これはあかんやつや...」って思うことは、実はあるんですよね。お客がダメだから演奏会がダメになる、のではなくて、そういう雰囲気のお客が多い公演というのはつまりそのくらいの.....というような。いやまぁ偉そうなことは言えなくて、そういうのに自分も行ってるんで、人のこた言えんのですが。まぁでもそういうことはあるのです。 加えて、今日は隣にどうにも鼻息の荒いお客がいましてね.......呼吸が下手なんですよね。音楽的じゃない。そういうお客が集まっちゃうのも、まぁ、あまりいい演奏会ではないことが多いんですが...... それはそれとして、実際の演奏は、じゃぁどうだったのか。 良く言って、微妙、かなぁ.......演奏のレベルとしては、まぁ、確かに、相応のものだったとは思うんですけどね。 前半は109と110。悪くはないんですけれどね、確かに..... 正直言うと、op.109, 110, 111は、結構聞いているわけです。生でも随分聞いているし、その中でもやはりシフの演奏が頭にあったりする。では、オピッツは? 悪くはないです。ただ、なんというか、不安定なんですよね。何がと言って、何処に行こうとしているのか、分からない感じ。ミスがあるかと言われれば、まぁ、無いと言えば無いんですが........フレージングがなんとも言えずブレるんですね。そしてテンポが揺らぐ。 ベートーヴェンは、最後の3つのソナタは、古典派なのかロマン派なのか。そういう区分けは意味が無いといえば無いのだとは思いますが、しかし、やっぱり、これらはどういう音楽なんだろう?というのを考える上では、意味がないわけではないと思います。ベートーヴェンはあくまでこれらの楽曲を「ソナタ」として書いています。この頃には彼のソナタは随分と型破りで形式に捉われないようなものに見えてはいるけれど、でも、やっぱりそれは何某かの形式というものを引きずっているのですね。たとえばこの頃のベートーヴェンは変奏曲形式を多用しているけれど、変奏曲というのは自由に見えてあくまで元の主題という縛り、求心力があるわけです。そういう意味で、これらの楽曲は、決して自由な幻想曲のような音楽ではない。見通しが必要なのですが、どうも、オピッツの演奏では、全体としてどういう音楽として構築しようとしているのかがよく分からない。敢えて言えば、細部の揺らぎに拘ってしまう、そんな感じなのですね。 そういうものがいい効果を出すことも勿論あると思います。でも、今日の場合、そもそもどういう音楽像を描いているかが見えないので、どうにも気ままに弾いているように聞こえてしまうのですね。 正直言うと、オピッツは、妙な言い方ですが、この曲を信じていないのかな、と思わせるような演奏でした。嫌いなのか、と言ってもいいのかも知れませんが、手を入れずにはいられない、といって、じゃぁ明確なコンセプトがあるのかというとよく分からない、そんな感じでしょうか。 後半はバガテルとop.111。 結論から言うと、後半の方がまとまりが良かったと思います。特にソナタはこちらの方が落ち着いていて、いい演奏。ただ、やはり、どこか揺らぐのですね。正直に言うと、今日の演奏の中では、バガテルが一番良かったんじゃないかと思います。こちらがよく知らないから、というのはあろうとは思いますが、でも、個々の曲をそれぞれに気持ち良く演奏して完結させればいい、というような。 そして、op.111は、前半の2曲よりはまとまりはありました。ただ、構成感は希薄だったかなぁと思います。 まぁ、わかんないですけれどね。所詮こっちは素人なのだし。聞く人が聞いたら、素晴らしい名演だったのかも知れない。けれども、なんというのか、これは私の知っているベートーヴェンの最後のソナタではない。斯くあるべしと言うのが細かく決まっているようなものでもないのではあるけれど、でも、振れ幅はあるとしても、これはちょっと..... あまり、こういう演奏をする人というイメージではないんですけれどね。或いは、なにしろこんな環境下での演奏だから、決していいコンディションではなかったのかも知れない。 ただ、意地悪い言い方すると、日本人は、日本のピアノ教師なんかは、こういうの好きなのかも知れないですね。構成とか、全体としての音楽のあり方とか、そういうものにあまり拘らずに、その場その場できれいな音ですね、というような演奏をよしとするならば、こういうベートーヴェンはいいのかも知れません。 比べるのはどうかという話ではあるけれど、たとえばシフなんかの演奏は、同じように揺らぎがあるとしても、そもそも何処に行こうとしているのかが分からないではないから、聞いていられるんですけれどね。日本の演奏家だって、この3つのソナタでいえば、最近でも小山実稚恵とか、仲道郁代とか、児玉麻里とか聞いてはいるけれど、あるは稚拙であったり、あるはミスがあったり、いろいろあっても、構成感、音楽としてのデザインはやはり押さえられていたと思うんですけれどね。
2020年12月12日
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新国立劇場 14:00〜 4階右手 アイゼンシュタイン:ダニエル・シュムッツハルト ロザリンデ:アストリッド・ケスラー フランク:ピョートル・ミチンスキー オルロフスキー公爵:アイグル・アクメチーナ アルフレード:村上公太 ファルケ博士:ルートヴィヒ・ミッテルハマー アデーレ:マリア・ナザロワ ブリント博士:大久保光哉 フロッシュ:ペーター・ゲスナー イーダ:平井香織 新国立劇場合唱団 東京シティ・バレエ団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:クリストファー・フランクリン 演出:ハインツ・ツェドニク (再演演出:澤田康子) 今年もTVではヤマザキのクリスマスケーキのCM が、高橋薫子の歌に乗せて流れる季節になりました。いや、まぁ、分かる人だけ分かってくださればよろしいんですけれどね..... おそらくは今年最後のオペラになります。 年末のこうもり。毎年観ているわけではありませんが、年末の風物詩ではあります。なにしろ大晦日の話ですからね。 今回の公演はオーストリア初め海外勢が少なからず。2週間の隔離を織り込んで来日して、ということで、よくぞ来てくださったとも言えるし、今公演打てる場所が少ない中ではそれもありということなのか。 公演それ自体は、なにしろもう6回目の演出ですので、舞台は見慣れたものです。とはいえ、現今情勢下ですので、多少演出は変えているようで、心なしか皆距離を取って.....ないか、バレエとかはね。幕切れの舞台装置はああだったかな、とか、あるんですけれども。 本音をいうと、この演出、ちょっと引っ掛かるものではあるんですけれどね。日本ローカルなネタが、ちょっと違和感あるんですよね。個人的には。ツェドニクの演出はフォルクスオーパーでも現役なのですけれども、勿論あちらではローカルネタはなし。まぁ、それをこそ楽しいと思う人もいるのだろうし、それはそれでいいのかも知れません。それと、もう6回目ともなると、そういうものとしてなんとなく慣れてきたという面もないでもないし。結局、難しいこと考えてもしょうがないのかも知れないですね。こういうオペラ、というかオペレッタだけれど、なのだし。2幕も、チャールダッシュの後に「ハンガリー万歳」だったかをやって、「雷鳴と電光」(電光と雷鳴、だっけ?まぁ、あれですよあれ)やって、と、耳にも目にも楽しい舞台ですからね。 というわけで良し悪しをあまり言うのもどうかとは思うけれど、承知で良し悪しを言えば、まぁ、アデーレの一人勝ち、ですかね。ずば抜けていい、というわけでもないけれど、他のキャストに比べて明らかに聞いていて楽しい声。まぁ、楽日の上、土曜やっての連日での日曜公演ですので、お疲れですかね、皆様。 オーケストラもねぇ、弦はまだしも管がねぇ、結構滑ってましたかね。 まぁ、兎に角出来ただけでもめっけもん、くらいに考えた方がいいのでしょうね。実際、この状況下でよく出来たと思いますよ。
2020年12月07日
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メールが飛んで来ました。来年春の東京・春・音楽祭、開催するそうです。 https://www.tokyo-harusai.com/news_jp/20201204/ こういう時は、リーダーシップがあると動きが早いというか、はっきりしてますね。LFJはどうなるんだろうなぁ.......本家がそれどころじゃないでしょうからね、こういう時は難しいですね。ここで日本で独自に動ければいいのでしょうけれども。 さっき、TVで松任谷由美が出ていたのだけれども、「創造者として今年のこの状況を記録しないでおいてなるものか」というような話をしていて、なるほどなぁ、そうだよなぁ、と思ったのではありました。 好き嫌いとか評価とかいうのはそれぞれあると思いますよ。でも、表現者、創造者として、どう考えるか、というのをそうストレートに言われると、なるほどねぇ、とは思わずにはいられないと言いますかね。その心意気というのはあるなぁ、と。 今年、というかまだ続くと思いますが、この状況下で何をしたのか、というのは、やはり後から見返される時が来ると思うんですけどね。思い返した時に、はて、どうなんだろうな、というのは思うところはあります。 どうしても、2011年3月のことを思い出してしまうんですよね。金曜日に地震があっての日曜日に聞いたチェコ・フィルは、主観的にはやはり忘れ難いもので、でも、じゃぁそれが表現として、どうだったのか、と言われると、なんとも言い難いところはあります。個人としてその時感じたものと、それが表現としてどうなのか、というのは、こういう場合はやはり必ずしも重なりはしないでしょうから。ただ、それはそうだとして、じゃぁやる側は何を表現として考えているのか、というのは、後から見返した時にどうしても露わになってくるのだろうと思います。
2020年12月06日
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