PR
カレンダー
キーワードサーチ
藤田嗣治展
を見に行った。
artファンになってまだ日が浅い僕にとって
藤田嗣治の名は聞きなれたものではなかった。
そんな僕がこの展示会に行ったのはいくつか理由がある。
まず、ポスターの絵がすごく好きだったこと。
さらに、以前、いちどだけ水彩を習った先生のところに
藤田の作品を模した絵がいくつも飾ってあったこと。
そしてこの名前をオランダにすんでいた間に、どこかで聞いたことがあったと思ったからだ。
それは Balcerona
だった。
Cathedralの側の建物にでっかい垂れ幕が下がっていて、
「藤田 Foujita」とあって、丸縁眼鏡、おかっぱ頭の変った日本人像(自画像)もあった。
最近の日本人はこんなところでも個展でも開いているのかなぁ、
それにしてもFoujitaというスペルはなんなんだ???
と何も知らなかった僕は、勘違いをしていたものだ。
今考えると是非見ておくんだった。
それだけに、Foujitaがヨーロッパで今でも評価されている日本人画家だと
分かった以上、ぜひ作品を見たいと思った。
実際見てみると、藤田の作品はとても繊細だ。
日本画のようなまっしろな女性の肌。
筆の跡が全然残っていなくて、いかに丁寧に塗られているかがわかる。
面相筆という日本画で使われる細筆による輪郭線。
大きな体の輪郭がいっきに描かれており、相当、筆に自信があったかがよくわかる。
大胆・シンプルな人物に対して、側に居る動物は毛の一本一本が丁寧に描きこまれていて、墨絵の世界そのものだ。
外人に受けるわけだ。
そしてところどころに藤田が西洋と日本を融合させようとして、
苦労しいるようすが感じられるのもおもしろい。
あ、これはピカソ的。
これはモディリアニ風。
これは古典絵画だな、、といろいろ模索している様子が、はっきりと出ている。
また今回は「タピストリーの裸婦」(京都美術館所蔵)と
「座る女性と猫」(鹿児島市立美術館所蔵)が並列されていたので、
ゴヤの「裸のマハ」、「着衣のマハ」をも思いおこさせた。
いっぽう金箔屏風に描かれた、「三博士礼拝」「十字架降架」とかは、
日本人として違和感を感じた。
きっと彼自身の中でも、日本と西洋をどう消化していくか、、ということが最後までテーマだったんだろうな。
藤田は一度日本に帰国しているが、戦争絵画を描いた問題とかで、日本に住みづらくなり、結局最後はフランスで人生を閉じている。
比較するのはおこがましいけれど、そういう生き方も自分の心境と重なるものもあり、
とても共感できた。
ただの展覧会を越えて、いろいろ考えさせられる日だった。
<おまけ>
もし、これからお出かけになる方がいたら、彼のサインにも着目してね。
大半の作品は T.Foujita
というサインですが、
73歳で洗礼を受けたあとは L.Foujita
です。
これは彼の洗礼名がLeonardだったから。
ところが、彼が日本を追われるきっかけとなった戦争絵画のサインだけは T.Fujita
なんだ。
なぜ、Foujitaでなかったのか?
この絵がヨーロッパ人に見られたときに、Foujitaの作品だ、、
と気付かれたくなかったからじゃないか?
なんて邪推しました。