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口上で終わるのかと思ったら舞台袖で泣くつまり、語り手としてではなく自分自身の感情を出す黒衣…という最後は良かったよ。でも、草原兄さんったら涙出てなかったで!?…あ、いや出てたんだろうな…出てたんだと思うよ…出てたことにしとこう>ぉ…ひじゅにですが何か?「生きるっちゅうのは、ほんまにしんどうて…おもろいなあ」by千代ちゅーことで中途半端で投げ出してしまった形の『おちょやん』感想最終話はキチッと書いておこうと思います。総括も兼ねて。だ、誰も見てないかもしれんがな(^^;)最終週とプレ最終週(第22、23週)は、結構良かったんと違う?個人的には、やはり、芝居に比重を置いたからだと思う。子供時代に関しては暗いとか千代の言動が乱暴で好感持てない…とかいう意見もあるけどひじゅには好きだった。貧しく、教育も受けられず、毒親の下で弟を守りながら懸命に生きている様子は十分に魅力的だと感じたし言葉が悪いのも、そんな状況に負けない芯の強さが伺えて寧ろ小気味良かった。大人編に移ってからは「スピンオフ」と揶揄されるほど脇役を目立たせるエピが多かった。確かに、ここは賛否両論。「賛」の部分は、脇役にも人生を背負わせていることそれにより世界を広げていること…かな。ヒロインに焦点を合わせ続けるドラマの方が一貫性はあるかもしれないけど下手すると、脇役が単に話を勧めるための駒に過ぎなくなる危険性があるものね。脇役=ヒロイン持ち上げ要員になって、ご都合主義ドラマになり下がる…ってのも朝ドラ“お約束”中の“お約束”。「否」の部分は、散漫になってヒロインも埋没してしまって何を描きたいのか分からなくなること…かも。ただ、今作の場合、脇役の話であるとはいえ「家族」とか「親」というテーマで揃えていたのでこれは変奏曲であり、千代が「お母ちゃん」になるまでの過程を描くもの…と、ひじゅにとしては解釈していたし、そう擁護してもいた。惜しむらくは、必死で擁護するほど面白くはなかったってこ…>こらこらっラストのラストでは、春子だけでなく道ですれ違う、その他大勢の人々から「お母ちゃん」と呼びかけられていたのでこの解釈は間違ってはいなかったのだろうと思うけど構成があまり上手くはなかっ…>スミマセンスミマセン口上で始まったし、途中にも入ったし中身も、比較的自然な感じで描かれるドラマ…にはせず逆に少し不自然に、舞台劇っぽい雰囲気を漂わせた作りだった。「芝居がかっている」ってヤツ(笑)そこに魅力を感じ、期待したのだけど中盤、肝心の「芝居」の影が薄くなってしまったのがダメだったと思う。いつも千代の周りで、ちょっとした事件が起こり千代はそれに関わるけれど、大活躍するわけでもなく金曜日が来てアッサリ片付いてしまう…って感じで(笑)どうせなら木曜日に解決し、金曜日はそれにインスパイアされた千代がそれを芝居に生かす…とかその悩みを千代が芝居に昇華させ、それを観た当事者達が気付きを得る…とか全てが芝居に帰結する物語であったなら、一貫性もあるし千代の成長物語として楽しむことができたんじゃないかと思う。そこが成功していたなら戦中戦後、生きるだけで必死な中でも芝居の台詞を呟き続けたことその台詞を忘れてしまったことで初めて泣き崩れるところ…等がごくごく自然に、かつ切実に、こちらの心にも迫ってきただろうなあ…失ってばかりだった千代の人生が芝居によって報われる終盤にも深いカタルシスが得られたんじゃないかなあ…ホームドラマ>>>ビジネスドラマなのも朝ドラ“お約束”だけどさ(笑)でも、例えば『カーネーション』はヒロインの洋裁への情熱が何よりも伝わってきたし『ちりとてちん』は、この2つの要素が上手く融合していたと思う。だから、このことがとても惜しい>あくまでも個人的にでおますもしかしたら万太郎VS千之助や、一平が今までにない喜劇を追求する姿等で物語のバランスを取ったつもりなのかもしれないけどね。前者と後者の「喜劇」の違いとかをもっと分かり易く描いてくれたら良かったなあ。まあ、芝居抜きにして見れば肉親を失った千代が他人だった人々と「家族」の様な繋がりを築き続け最終的に血の繋がりのある“娘”を得てハッピーエンド…とも言えるのかな。所詮は疑似家族で本当の家族ではない。血縁が全て…とも言え…いやいや、そう言っちゃったら朝ドラとして難ざんしょ(笑)言い足りないけど長くなったので、このへんで。最後に俗っぽいことを少し>いつもだろ一平の浮気で離婚になるエピは実話ベースだから不快感もなく寧ろストレートに描いたなあ…と感心したくらいだけど再会した千代の前で一平&灯子が頭を下げるシーンで「頭を上げて」と言われたからって灯子の方が先に頭を上げたのが何かちょっとムカついた、ひじゅにです(笑)誰が悪いって言ったら、一平が一番悪いと思うけどね。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3876-0f1d216c☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 月>壁紙ポスター完全版 ブルーレイ BOX3玉羊羹
2021.05.15
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いつも、ありがとうございます。昨日、チラリ書きました通りブログを辞めようと考えています。とはいえ、長年書いて来たこのブログには愛着がありますし優柔不断な私ですので、完全に撤退するのはまだ躊躇いがあるのですが…取り合えず、毎日更新するのは辞めます。たま~に出没するかとは思います(笑)2005年3月28日に開設しましたので2025年まで頑張ってみようかな…とかせめて今放送中の『おちょやん』終了まで続けようかな…とか迷ったものの、それではちょっと未練がましいかな…と。当時はHPを始めたばかりで同時期に群馬県を舞台にした朝ドラ『ファイト』がスタートしたのでHPの宣伝を兼ねて(笑)感想をブログに書き、リンクさせることにしました。宣伝効果は微妙でしたけど(笑)ブログそのものは好評いただいたので次の作品も続けてみよう…というのが繰り返され、今に至ります。でも、一番の理由は、書くことが好きだったからです。大震災の時これが私の日常だと…続けることが日常を守ることだと…そう考えて、あの混乱の中でもブログを続けてきました。でも、ここはもはや私の日常ではなくなってしまったのだと思います。モチベーションが下がってしまった…っちゅーことッスねもう一つ、リアル世界の方で「したい事」が増えて来た…というのもあります。今日の『おちょやん』風に言えば「私はただ、しようと思う事は是非しなくちゃならないと思っているばかりです」なので、中途半端なまま逃げ出すかの様ですけどどうか、背中を押して下さい。たま~には出没すると思います。映画の感想とか歌詞訳とか猫の話等は書きたい気が残っていますので。もしかしたら、朝ドラ感想も書こうと思う日が来るかもしれません。纏めて…という形になると思いますが。その時は、どうぞ宜しくお願いします。ひじゅに☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3875-2394cef1☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ
2021.04.08
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長年続けて来たブログだけれどもうそろそろ潮時かな…と思う今日この頃。…ひじゅにですが何か?「うちがやりたかっただけなんや」by千代↑もっと芝居に対する思い入れを描いてほしいと願ってきたけど今日になって唐突に入れて来たな(笑)役者って、ただ演技が好きとかだけでなく舞台の味を知ってしまうと辞められなくなると聞く。魅せられる…ちゅーヤツでせうか。千代がずっと言って来た様に誰かを喜ばせたい!というのも立派な動機であり目標だけど今の様な緊急事態では、それは叶わない夢。ならば諦めてしまうのか?>少なくとも今はいや、魅せられてしまった後では、それは無理。「ず~っと大好きな芝居してたい」その思いだけは捨てられない。エゴかもしれないけど…ならば、エゴ上等!ってとこだよね。「そしたらきっと辛いことも乗り越えられる」心の支えであり救いの手段だから。毎夜こっそり家を抜け出し、昼間は居眠りしている千代。いつの間にやら、そういう状況になっている(笑)「あれは密会やな」このご時世に真っ先に男女のことが頭に浮かぶ、みつえ。ちょっとお花畑過ぎない?という気もするけどこれって、後のシーン(福助戦死)への前振り?一平が様子を探りに行くと、千代は猫を相手に小声で芝居の稽古。稽古っちゅーか、台詞を呟いているだけ。仲間も客もいなくなってしまったし、大声を出せば警官が来るし…今、芝居といったら、できるのはこれだけ。それでも、そうし続ける千代の姿は美しいし悲壮でもある。なのに、家に戻れば…現実が待っている。最初から手に入らず、ひたすら理想を求めていた千代に対しみつえは一度は手にしていたものが次々と零れ落ちていく。喪失感が半端ないだろうな。千代が何も持たないから、代わりに、みつえで描いているのだろうけど多くのことが一度に降りかかって気の毒過ぎるなあ。おまけに脇役だから、脇に全て担わせて…って印象を受ける人達も出て来るし。ちょっと引っかかったのは―*「みつえ、落ち着き落ち着き」みつえを宥める千代。何も持たないちゅーても、今は一平と寛治君がいてその寛治君が旅立って行って…千代は初めて失う苦しみいを知ったところ。みつえの気持ちが分かると言ったばかり。おまけに、ついさっきまで、自分の気持ちを抑えきれずこっそり猫相手に芝居をしていたところ。だったら、宥めるのではなく思いっきり泣かせてあげてほしかった気がする。*「ええかげんにしなはれ!」寝込む娘に発破をかけるシズさん。極めてシズさんらしい。らしいけど…今のみつえは、それに応えられる状態じゃない。シズさんもそれを承知で、叱りつけた後で抱き合って泣く…とかなら良かったんだけどなあ。一方、一福君は少年兵になることを決意。父親に諭されて一旦は諦めた様だったのに父親の仇を討つという動機ができてしまった。子供の目から見た戦争…とか洗脳された当時の子供の心境…とかを一福君を通して描くのかな?案外、千代達が芝居をすることが出来てそれを観て考えを変える…という展開だったりして?それにしても、竹槍が出て来るとひじゅに的に思い出すのは『おひさま』教師であるヒロインの教え子の女の子が両親を空襲で亡くし幼い妹にそれを伝えるという気丈な態度を見せた直後竹槍訓練の授業で「お父さんを返せ、お母さんを返せ」と、藁人形に向かって行ったシーンは今思い出しても泣けるよ。一平の方は、百久利さんが戦死したとの知らせが入り(彼も福助もまさにフラグ通りだったな^^;)愛国物の芝居をしていた自分を責め、酒浸りに。ここは予想通りというか、この時代に欠かせない要素ではあるけど前作『エール』でも描いたネタだから、あまり深くは掘り下げないだろうな。それから、農家に食糧調達に行く千代。「お金やったら払いますさかい」は、ちょっと違和感あったけど>そんなにお金持ってるのか?「ちょっとは世の中の役に立つことしてみいな」役者であることでボロクソに貶されたところは心に来た。しかも、これは「皆を喜ばせたい」という千代の信念を真っ向から否定するもの。帰り道は、かつて故郷を離れ奉公に出て行く時に通った道に似ている。テルヲが追いかけて来て、一瞬希望を持ったのに、あっという間に砕かれたあの道を思い出させる。ここでまた重い現実が押し寄せてきて支えであり救いである芝居の台詞が消えてしまう。芝居がかった作りのこのドラマなだけに芝居と現実という対比が辛い。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3874-25427a1a☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 猫>ぬいぐるみかぼちゃ西陣の帯
2021.04.07
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満州と聞いて無知ひじゅにが思い浮かべるのは『大地の子』(山崎豊子)>中国残留孤児『ラストエンペラー』(ベルナルド・ベルトルッチ)>愛新覚羅溥儀…くらいかなあ(^^;)…ひじゅにですが何か?「誰かの役に立ちたいんです」by寛治「僕の周りにはそないな人、ひとりもいてへんかった」父親に捨てられたと言っていたもんなあ…フォローしてくれる人もいなかったのだろうからなあ…「僕もずっと自分のことだけしか考えてけえへんかった」笑顔の仮面を被って、誰をも信じず、窃盗したりしていたんだもんなあ…そんな寛治君がこう↑言えるまでになった…ちゅーことですね。こうして、ひとり旅立っていく寛治君であった。ボンクラひじゅには千代が持たせた「白いご飯は無理やった」という「おにぎり」がどんなだったのか気になる>ぇ稗とか粟とか、トウモロコシとかサツマイモとか、大豆とか魚粉とか…?「あの子の人生や、うちが力づくで止めることなんかでけへん」親に売られ、その後は自力で歩んできた千代。動機も態度もテルヲとは正反対だけど、結局のところ子は旅立っていくしテルヲとは正反対なだけに、邪魔することなどできない。「今になって、ようやっと、あんたの気持ちが分かった気ぃするわ」かつては恵まれた立場にいた、みつえや一福君がかつての千代の様に何もかも失ってしまった様に持っていない分、失うことも知らなかった千代がやっと手に入れたものを失う羽目になる。半分焼け崩れた稽古場で呆然と立ち尽くす千代。家庭劇解散と聞いて、何とか失うまいと懸命に頑張っていて皆が戻って来てくれて京都で上演できたけれど大空襲により一瞬の夢で終わってしまった。ここのところ、もうちょい芝居中心に描いてほしかった気がする。舞台の様子も見せないままだったからね。夢中で守り抜いたものが、あっという間に崩れたわけだから。しかも、それは、芝居そのものへの攻撃ではなく芝居以外の大切なものが失われることによってだから。立ち尽くしていたかと思うと、自然に芝居の台詞が口をついてきてやがて、声を響かせて一人芝居を繰り広げる千代。あの時、同じ『手違い話』の台詞を言っていた時傍には寛治君がいて、それから一座の皆が次々に戻って来てくれた。でも今は誰もいない…あの時と対比になっているなと思っていたら、庭に入って来る人々。一瞬、また皆が戻って来たのかと思った。そしたら一般の人々でだったら、この一人芝居を受け入れ楽しんでくれるんじゃ…と思った。そしたら警官に便乗して「ええ気なもんやな」「お気楽でよろしいなあ」と批判的。この中に、あの割烹着のオバチャンがいたら警官を待つまでもなく強い調子で文句を言ってきただろう。でも、その代わり時代に洗脳され自分達が正しいと信じて疑わない人々による上目線な攻撃…という意味合いになっていただろう。そうではなく、最初は無言で、次に経験と共に批判を浴びせてきた人々だから当時の一般人の気持ちを表しているというわけなんだろうな。戦争に疲弊した心…を。今、コロナ渦にあって疲弊している人々が違う言動を取る人に少しばかり攻撃的になるのと同じ?だけど、ひじゅには見たぞ!万太郎さんが拍子木を鳴らしながら登場した時笑顔になっていたお婆さんがいたことを(笑)ここで万太郎さんが出て来たのは、想定の範囲外だったけどね。「世界中の人が同じ芝居観て、同じ様に笑える日がいつか来るやろそん時こそ、わてらの出番や」さすが万太郎さん、ずっと先を見通している。役者ならではの希望と決意。正直言うとさ…こういうシーンを持ってくるならつまり、こういうシーンに千代が辿り着くことになっていたのならやはり、千代の芝居への執着心をもっと強調した方が感動できたと思うんだよな。戻って来てくれた「家族」である座員がまたバラバラになってしまったことにアッサリ順応し過ぎな印象で(笑)物理的に探しに行けないのなら、その苦渋の決断を描けば良かった。そうであるなら、一人芝居のくだりも、万太郎さんとの会話ももっと自然で、もっと感動的だったと思う。…なんて言っているうちに満州で「女とか博打」に夢中の寛治君の図ぅ―あれは、みつえの言葉に刺激された千代の想像?視聴者へのミスリード?そそそそれとも、一人になり解放感のあまり本性を現した図ぅ?ただ、チラリ思い浮かぶのは―この“遊び”で やはり堅気にはなりきれないヨシヲの再登場に繋がる?もしそうならやはり寛治君は、千代にとって子供というより弟を重ねた存在で子役を使わなかったのは、そのためででもって…やはり死亡フラグ?↑全然違う展開だったらスマソ☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3873-83218532☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 拍子木ストラップ私もみんなの役に立ちたいカイジ
2021.04.06
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寛治君が満州慰問団に入るというのはモデル@藤山寛美さんの実話から来ている。大勢の若者が予科練に志願する中、芝居を続けている自分は「非国民」ではないか…と悩んだ挙句の決意だそうだ。一平&千代に相当する二代目渋谷天外&浪花千栄子には学校へ行きたいのだと嘘をついて家庭劇退団を許してもらったらしい。我らが寛治君は、それまでの状況や心境は今のところ出ておらず一平&千代には慰問団のことを正直に話していたのでそこらへんのニュアンスは違ってきそうな気がするけどね。…ひじゅにですが何か?「いてへんようになったら張り合いあれへんがな」by菊↑最後までフラグを口にする菊さんであった(涙)“福富”VS“岡安”は、ある時点で菊VSシズに矮小化し>こらこらさらに菊さんが大人の対応でシズさん敵わず…になって行ったけど(笑)この2人は互いに敬意を抱き合う“友”だった…というのは伝わってきていたから「エラソウに言うてたくせに何だすね、このざまは!!」と遺体に叫び涙を零す姿には心打たれたし「こないなもののために」「堪忍な、福助」と泣く、みつえの気持ちにも感情移入できた。脇役にも人生があると、ちゃんと描いている。主人公の物語を都合よく勧めるための単なる駒扱いはしていない。そこは大いに支持する。でも空襲の知らせを聞いて大急ぎで道頓堀に帰って来た一平&千代の心情をもうちょい中心に描いても良かった気がする。シズさん達の行方を聞いて「町外れに出来た遺体の安置所だわ」という答が返って来たのは、まさにその心情をかき乱すためのミスリード…だと思うんだけど、あまり効果的ではなかった様な>スマソそれも含めて、千代の視点で描いてくれれば良かった…つーかもしかしたら、そうしているつもりだったのかもしれないんだけど(笑)勿論、ここで千代が大袈裟に嘆いてみせたりしたらそれはちょっと違うと思う。ヒロインの出産シーンは朝ドラ“お約束”の一つだけど例えば『ウェルかめ』ではヒロインがまだその段階に達しなかったため親友の出産シーンを大々的に取り上げた。出産はおメデタイことだから良いけど人の死に関しても似た様な現象は朝ドラにはよくある。つまり、ヒロインやヒロインの身内にではなく脇役にその役割を振る。今や、それも立派な“お約束”今日はそんなことが頭に浮かんだ回だった>スマソみつえ&一福は千代達の家に居候することに。満州慰問団に入りたいと言い出した寛治君に「僕達が来てしもたから…」と言う一福君が悲しい。少し前までは皆に可愛がられ、色々と恵まれた立場だったのに。みつえも同じ。千代は幼い頃に家族を失い、色々と苦労を重ねて来たけど今、みつえ達が色々なものを失う羽目になっていて人は皆、時期や順番が違うだけで、悲しみや苦労を必ず味わうことになる…のかな…なんて思ってしまうね。それは人に起因しているものばかりで本来なら経験しないでも良いものなのだけれどね。「一福君とみつえさんがここにいてくれるさかい行く決心ができてん」一平&千代を置いて行くのが気が引けて躊躇っていたのだろう。寛治君も大人になった…ってことと今や一平&千代に深い思いを抱いていることが表れている。「家族」として。「せっかく一緒にいてられんのに」空襲によりシズさん達の存在の大きさに改めて気付きさらに、寛治君を含めた今の「家族」を失う怖さにも気付いた千代。やっぱさ…家族もいる座員達に対し自分にか家庭劇しかないと言っていた千代にもどうしても失いたくない存在は沢山あったってことだよね。批判じゃないよ。個人的には、芝居一筋…みたいな方が好みだもの。でも、千代はそうじゃないし、このドラマはそうじゃない。だから、ここに至るのは正解だと思う。ひじゅにの勝手な深読みかもしれないけど(笑)「芝居で兵隊さんら励ますことができる」寛治君が言っているのは、まさに千代の理想であるはずなのでここの展開はちょっと皮肉っぽい。こういう葛藤を描くのは好み。ただ、ちょこっとツッコミを入れるなら―「しぶとい連中やしな、きっと、だんない」一座の皆とは京都から戻った後、バラバラになってしまったとか。この言葉には、千代の皆に対する信頼や愛情が含まれている。それは分かるので、これ自体は良いんだけど。空襲で離ればなれ…ってわけじゃないから良いんだけどでもまた同じ様な状況になる恐れは大きいわけだし皆が向かったのは、各自の大切な「家族」のもとへだからその「家族」がどうなったか分からないわけだから千代としても心配でしかない状況じゃん。連絡取れないから探しようがない…とはいってもそこは無茶をしてでも探しに行こうとするのが千代のキャラだし何せ「家族」なわけだし芝居の上でも、皆と一緒だから「家庭劇」と喜んでいた後だから何だかアッサリ「3人ででける芝居を」と言い出す様子にちょっとばかし違和感…寛治くんの満州話への反応と逆の印象になっちゃうじゃん。何日も経った後なら…できれば、既に探し回った後のことだったら別なんだけど。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3872-949611e2☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 暖簾>福の字文桐箱満州コアヤメ
2021.04.05
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昨日、ジャンプ+連載マンガ『タテの国』(田中空)が最終回を迎えた。どうなるんだ!?の連続だったけどこうなったんだ…とラストシーンに泣いてしまったよ。画力はイマイチだったけど>スマソ味はあるし何より話が面白かった。画力は呆れるほど酷く話もイマイチでも何故か長く続いている作品もあるというのに…(もっとも読者のコメント欄を見るとボロクソに貶されてるけど)面白い作品がどんどん終わって行きツマラナイ作品が何故か残っていく…ちなみに、ここ数日は少し前に終了した『サマータイムレンダ』(田中靖規)再読中。「何が何でも生き延び」by菊↑やっぱ、フラグだな…シズさんじゃないよ。恐らく、この言葉を発した本人の(涙)千代「ほな、うち一人でもやる」一平「勝手にせえ」ちゅーことで、勝手に動き始める千代の図ぅ>ぉ稽古場を個人で借りることにして、まずは掃除に取り掛かる。寛治君の気持ちは昨日は示されなかったけど千代と共に家庭劇を続けることを今日は表明。千代と同じく、寛治君もまた、他に居場所がないものな。家庭劇が文字通り「家庭」。昨日、ルリ子さんや徳利さんが自分の家族のことを言い出した時そうだよな…皆にはちゃんと家庭があるんだよな…と今更ながら思った。彼らのプライベートは何も語られてこなかったものな。つまりは彼らの場合、芝居を取るか家族を取るか…の二択が迫られるんだよね。千代の様に「これ以上失うものはない」とは言えない。ルリ子さんは父親と喧嘩して勘当されたという話だし物凄く穿ってみればルリ子さんの芝居への情熱が喧嘩のもとと受け取ることもできるけど良く捉え過ぎか(笑)徳利さんは逆に子供に応援された形。二択は都合良く、向こうから解除された。「あと一人か二人くらい来んのとちゃいますか」ともするとご都合主義と視聴者からツッコミを入れられそうな展開を自ら揶揄する寛治君…いや、八津弘幸(笑)結局のところ、全員が戻って来て出征した百久利さんの代わりに千之助さんが彼の好きだったお酒も持って来て一平が劇場と契約さえしてきてひとまずは元通りでメデタシメデタシ。こういう展開は好きですぜ。『ちりとてちん』を思い出すしね。「勝手にせい」の翌日のことらしい。解決早っ!(笑)何日か過ぎた設定にして>勿論、映像で経過を描いて千代が孤独に頑張っている様子が伺える様であれば良かったのにな。そこに皆が戻って来るのだから、感動で盛り上がれただろうと思うんだけど…ちょいと惜しい。「うちは今、幸せだす」ここのところでさ、ちょっと不吉な考えが頭をよぎった。自然に頭に浮かんだだけで実現はしないだろうけどさ… 家族に恵まれなかった千代が家族を切望し出逢った人々と「家族」になって行く―それは素敵なこと。でも、今回一座の皆に「家族」を求めるあまり失いたくない思いで必死でしがみついていた様にも見えてしまった。で、その願いが叶って「幸せ」を噛み締めているのが現状なわけだけど一平や寛治君はともかく、他の座員には家族がいる。たまたま理解があったり向こうから切り捨ててきたりしたわけだけど場合によっては、逆も有り得た。千代が疑似家族を求めるあまり他の人々は本当の家族を捨てる結果になる―なんて話だったら、ちょいとホラー(笑)あ、勿論、その場合千代のせいではなく、各人の芝居への愛や情熱が勝って…ってことになるわけだけどね(笑)でもって、そこで大阪大空襲へと繋がる。「これ以上失うものはない」と思っていた千代にもシズさん達「家族」がいるのだと今更ながら気付く。今度は千代がそれらを失う―家庭劇を選んだ報いとして―なんて結末だったら怖い(^^;)ま、そうはならないだろうけどそういう話も観てみたい気がする>悪趣味?どちらであっても「皆を喜ばせる」という夢は叶えられる。戦時中は難しそうなので、そこをどう描くのかに興味がある。戦後は大いに必要になると思う。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3871-eb31ae63☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ ぞうきん幸せにくきゅう家族で生き延びる
2021.04.02
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割烹着のオバチャン再登場。この間、敢えてこうした呼び方をしたのは朝ドラ名物(?)国防婦人会つーか、それを象徴とした非常事態下での人間のひとつの形(独善的ちゅーか他罰的ちゅーか洗脳的ちゅーか…)をああいうシーンで単純化して見せたというわけなのかな…と思ったからなんだけど今日ああして登場したあってことは、あれは前振りみたいなもんだったのね。でも、昨日は彼女の方がギャフンと言わされて>ギャフンはちょっと違うか(笑)今日は彼女が少しばかり理解を示して、包丁を下げるという粋な(?)行為をして少しばかり面目躍如といったところ?…ひじゅにですが何か?「女優になって皆を喜ばすのが夢やった」by千代↑こういう展開、こういう台詞を予定していたのだからそれまでにもっと女優としての活躍を描いてくれば良かったのに…そうしていたら、自然に千代の気持ちになって視聴者の方からこの台詞を口にしていたかもしれない。家庭劇解散。「客足が遠のいて公演を撃てば打つほど赤字が増えてる」「儲け生まん興行など興行ではない」社長が挙げる理由は、これ以上ないほどシビア(^^;)“岡安”が辞めたのも、“福富”が転業したのも同じ理由勿論、誇りは持っているし、いつかまた…という希望も持っている。でも、現時点ではああするしかなかった。今週は戦争の影響で色んな夢や喜びがが消えていく様が描かれてきた。出征も含め、色んな人がそれぞれの状況の中で意図しない方向、望まない方向へと押し流されて行った。その最後(今の時点での)のものとして家庭劇の解散という問題まで生じる結果になったわけだけどここで、千代だけがその流れに逆らう立場を取る…というところにドラマとしての面白さがあるはずなんだけど…「あんたにとっての家庭劇て、そないなもんだしたんか!?」という千代の台詞がちょっとナンダカナ…不快感までは行かないんだけどさ(^^;)「田舎に父が一人暮らししてるの」ルリ子さんも事情を抱えている。「警報鳴るたんびに子供5人連れて逃げ回んの、もう嫁も俺も限界や」徳利さんも苦悩している。皆が皆、芝居が好きだからこそ頑張って来たのだからここで辞める方に同意したとしても、それは責められない。責められるどおころか、もっと辛いだろうと思う。「これ以上、大事なもんがのうなってしまうのは、もうごめんだす」家庭劇を守れても、家族を失う結果になったら…?皆も家庭劇をなくしたくはないだろう。その気持ちは千代だけのものではないだろう。笑いと涙の家庭劇を考案し作ったのは一平。完成させたのは一平&千之助。だから、この2人こそ、解散なんて納得できないに違いない。「おもろないわ」それでも、現状を受け入れるしかないと千之助さんは理解している。「皆、ボロボロやで」それでも、一平は皆を案じている。千代の様に社長に直談判しようとしたり「家庭劇があったさかい、うちは生きてこられたんや」と叫んだりする余裕さえないというか…勿論、千代も貢献して来たけどドラマ上、そこはあまり強調させてこなかった。千代はあくまでも女優…パフォーマーって感じで家庭劇でなければならない…という気持ちはあまり伝わってこなかった。今は本人は「家庭劇でなければ」と思っているだろうけどさドラマとしては、そこまでは描いてこなかった。パフォーマーとしても初期の頃は、その時その時に覚醒があって成長があって…とそれなりに描いてきたのにその後は芝居に関しては影が薄くなってしまってプライベートで経験したアレコレが芝居にも生きたのかどうかもハッキリ示されなくなってしまった。「月」という役割なのは分かるけど千之助さんがテルヲにそう説明したこと以外ではそれほど伝わって来なかったよね。つーか、寧ろ「月」として千代こそが皆の事情や苦悩を思いやる様子を見せてほしいなあ。その上で苦しみもがく…って方が共感できる気がする。↑批判するつもりはないのに、批判めいた文章になってしまった(笑)まあ、これからなのかもしれないね。千代は簡単には諦めないだろうからこれからの頑張り具合で描写不足は補われるかもしれない。視聴者も心から応援したくなり今は離れて行こうとしている仲間達が再び集まりメデタシメデタシ!な方向へと向かって行くのかも。ところで、今日はみつえ大活躍!だったな。千代を道頓堀から逃がす時も度胸を示してくれた彼女だから今日の行動も「らしい」。脇もしっかり描いてくれるのは良いのだけどみつえ>>>千代になってしまいそうな勢いだったぞ。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3870-a27cb46b☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 包丁いらず>キハダ鮪切り落とし子ども包丁カチューシャ
2021.04.01
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防空壕で出逢った漫才師@花車当郎(塚地武雅)は花菱アチャコがモデルなのだとか。アチャコというと―『アドルフに告ぐ』(手塚治虫)で「ヒットヒットひっと殺し」というギャグ(『早慶戦』)がラジオから流れて来るシーンがあったことと ↑『わろてんか』も思い出すけど(笑)『東京五人男』(斎藤寅次郎)で『黄金狂時代』(チャップリン)を思わせるシーンを演じていたことと『お父さんはお人好し』等のNHKラジオドラマで浪花千栄子さんとのコンビが大人気だったこと…くらいしか知らないけど『おちょやん』としては、つまりこれが彼と千代との出逢いだった!っちゅーことですね。…ひじゅにですが何か?「また使うねさかい」by熊田↑劇場は閉鎖になったけれど必ず再開してみせるという決意が滲み出ているね、熊田さん。福助が出征し“岡安”が60年の歴史を終え“えびす座”“鶴亀座”と大劇場は相次いで閉鎖され空襲で防空壕に逃げ込むシーンも入りフラグ通り百久利さんも出征最後は家庭劇解散宣言…戦争により全てが失われて行く。庶民の生活が壊されて行く。福助壮行会が最後の贅沢だったのね。物質的にも心の面でも。波に押し流される…という意味で大震災も連想するしコロナ渦にある現在とも重なる部分が多い。歴史として見ると、時代の波って急激な印象だけどその時に生きていた庶民達にとっては日常に少しずつ忍び込んできて訳も分からないまま、気付いたら流れに巻き込まれていた…という感覚だったのかも?今の私達が、逆らうこともできず先行きも分からず…な状態にあるのと同じで。“岡安”の最後は、千代も含め、お茶子達への挨拶で締められた。一人一人の性格や特徴を把握していて、その長所を褒めるシズさん。シズさんの人となりや、お茶子達との絆が伺える。こういう厳しいけれども人情のある職場で働けたら素敵だろうな…現代でもそうした場所は皆無ではないのだろうけどひじゅには不幸にも出逢えなかった。こうしたものさえも急速に失われて行ったのだろう。かめさんは残るらしいので、ちょっとホッとする。『あさが来た』では、かめさんの中の人が演じる女中が使えていた女将さんが亡くなり故郷に帰って行った。今回は残れて良かったね、かめさん。鶴亀家庭劇は小さな芝居小屋を転々としながら頑張っている。「狭いわ、床抜けるわで…」「年中、腹ペコやっちゅうのに」「公演であちこち行かされるし、夜は空襲で何遍も起こされるし、もうしんどい」台詞で様子は語られるけど、できれば映像で観たかったな。まあ諸事情で仕方ないのかもしれないけど。「空襲がなんぼのもんじゃ」強がっていた千之助さんが、空襲警報に一番ビビッていたのが今日のギャグ?「わしが笑い死にさしたるわい」この千之助さんの宣言は、千之助さん自身のいない所で千代&花車当郎さんによって実現される。まあ、ちょびっとツッコミ(というよりイチャモン?)を入れるとさ赤ちゃんが泣き出したところは視聴者もどうしよう…と動揺するところ…のはずなんだけど>理想論?それを引き起こす恐怖感ちゅーか緊張感ちゅーか本当に切羽詰まった状況だという雰囲気がイマイチ出ていなかったなあ。それに、2人の即興漫才は険悪な雰囲気は収めることに成功したけど掛け合いの言葉と皆の笑い声は煩くなかったのか?…という疑問も>野暮?それとねこういう時に咄嗟に乗れる千代のアドリブ力…状況を即時に見極める洞察力や判断力や笑いに昇華できるトーク力や演技力や何より頭の回転の速さ…その片鱗はちょこっとは描かれて来たけれどあくまでも、ちょこっとの範囲だったのでもっと積み重ねてきていれば最強だったのになあ…とちょこっと残念。百久利さん出征はフラグの回収。分かり切ったことではあったけど、やはり悲しい。千之助さんが顔も見ず、片手で追い払う様な仕草をしたところは涙涙の見送りよりも万感迫っていたな。何か、見せ場のほとんどを千之助さんがさらってきた様な記憶…「家庭劇は…解散する」宣言する一平。熊田さんに呼び出されたのは、この話だったのだろう。つまり、上からの命令。多分、誰よりも逆らうのは千代なのだろう。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3869-8bd65a1f☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ小説版 アドルフに告ぐ花菱アチャコ
2021.03.31
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トランペットの音が聞こえて敵性音楽だと即座に反応し警察を連れて来るのはやはり割烹着姿のオバチャンなのね…それにしても「パパパパ~」だけでこうだったというのに演奏し始めてから大丈夫だったのか?もはや発声練習だと誤魔化せる範囲を超えてるけど?↑無粋なツッコミ(笑)…ひじゅにですが何か?「この道頓堀は、わての居場所だす」byシズ道頓堀はシズさん達のおかげで、千代にとっても居場所となった。“岡安”を何とか存続させようと頑張って来たシズさん達にとっても。とうとう閉めることを決意した今でも。“福富”を時流に合わせて変えながらも踏ん張っている菊さん達にとってもその息子である福助にも。だから、福助が最後に吹くのは『埴生の宿(Home! Sweet Home!)』なのだろう。いよいよ“岡安”を片付け始めるシズさん。千代が初めて道頓堀にやって来た時目に付いたのは座布団を運ぶ“岡安”お茶子達の姿だった。年月が過ぎ、大人になった千代が登場した時も身体的にもお茶子としても一人前になったことを示唆する様に座布団を運ぶ姿を見せていた。「防空頭巾とか兵隊さんの防寒服の綿にもなるやろしな」そして今、“岡安”が無くなる象徴として座布団が処分される。それも「お国に供出」するために。全てが「戦争」であり「お国」のため…現代脳には辛くて重い。そんな「戦争」と「お国」にダイレクトに結び付くのが福助の出征。「お前もまず髭生やさなあかん」少年兵に志願したいと言う一福に、こう言う福助は現代的感覚に近い?息子の夢を真っ向から否定するのでもなく安易に反戦思想を持ち出すのでもなくこんな風に諭せる福助は賢く優しい父親だな。↑テルヲ、見てるか!?(笑)「良かった、菊さんも福松さんも変わりのうて」表面的な態度や言葉で誤魔化される千代は一福と同じ?…まあ、近親者ってわけではないから、こうしか言い様もないけどな。「強がってはるだけや…強がるしかあれへんねんて」当事者である、みつえは奥底まで読めている。つーか、自分自身の気持ちでもあるのだろう。そんな、みつえの希望を聞いて、何とかしてやりたいと思う千代。一座のために反対する一平の気持ちを変えたのは「きっと生きて帰って来るに決まってる。そしたらまた思う存分、吹いたらええことだすもんな」という千代の言葉。千代としては、わざと煽る様に言ったのか一平の懸念に素直に同意しただけなのか分からないけど一平は、この事実の重さに気付いたのだろう。千代の言うこととは逆の結果になる可能性は低くはないことを。それでも、一平も千代も一座の人達は巻き込まないよう気を遣ったのに割烹着のオバチャンのおかげで(?)一座の連中も“岡安”も“福富”も全ての人が協力し最後は福助の演奏を堪能することに。密閉された空間で音楽が流れお芝居の時もガラガラだった客席が身内だけとはいっても埋められて皆が泣き笑いする―これは、ある意味家庭劇の象徴。現実は芝居となり芝居は現実となる?もしかしてここに集った皆の「居場所」である道頓堀がまだ少しは幸せだった、最後の時になったりして?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3868-b9f53818☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 埴生の宿 ネックレス座布団お母さんの手作り いもだんご
2021.03.30
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第80話の感想は「つづき」を書いたので良かったら読んどくんなはれ。↑関西弁モドキ感想は…ここ「戦争のおかげだす」by菊朝ドラって時代背景がいつであっても感覚はまさに現代…ってのがデフォルトだから戦中を舞台にした作品は多いけれど少なくとも最近のは戦争には否定的で国防婦人会なんて「悪」として描かれることが多い。だから、ヒロインは参加しない。例えば『エール』は、そこのところの動機が曖昧で単に気分が乗らないから参加しない…みたいな印象で終わってしまったけど『カーネーション』は、先頭立ってヒロインを批判していたリーダーの女性が戦死した息子の遺影を掲げて街を歩く悲痛なシーンがあったりして興味深い描き方だった。この『おちょやん』は、さらに捻っていて国防婦人会のタスキを掛けるヒロインを堂々と映す。芝居に関しても「おもろないからのう」と、シビアな千之助さん何やら思案している様子の一平…等を尻目に「お国のためにもなる」と言っているし。それが当時の人々の大半が抱いていた感覚なのだろう。後の「大阪のお母ちゃん」は、あくまでも庶民的。とはいえ千之助さんの「おもろないからのう」に続くのは香里さんの「ず~っと愛国物ばっかしやもんなあ」なんだけど千代の意見は「次はもっと面白い芝居にしたらよろしいねん」とちょっとばかり能天気(笑)「うちらにでけんのは、ちょっとでもええお芝居作って世の中を元気にすることだす」これは極めて千代らしいと言えるけどつまりこれが彼女の神髄なのだろうけど精神論っちゅーか面白くできるか否か…という手段(?)に欠けている。一平の様に話を作る側ではないから?若手の役者が次々と出征していき、続けられなくなった一座が増えているらしい。でも、鶴亀家庭劇の場合は寛治君は目が悪いので召集されない―百久利さんは召集はされたものの戦地に行く前に身体を壊して帰された―ということで、今のところ安泰。つまり、まだ、戦争の影響を直接受けていない状態。だから、どこかまだお気楽なんだろうな…(^^;)でも、多分、これらはフラグ。今の状況が引っくり返される日が来るのだろう。その予兆(?)の一つとして、福助に赤紙が届く。一座の誰かでも、ましてや一平でもなく福助…というところが絶妙(笑)しかも理由が>みつえの推測だけど「前にいてた楽団で兵隊さんの慰問に行く時も自分は軍歌なんか吹きたないいうて抜けたりしてたさかい目ぇ付けられたんやと思う」なので、一座の皆には直接当てはまらない。だからまだ自分達は安泰という思いが強いかもしれないけど俯瞰してみれば物凄く近くに「戦争」はやって来たーってことになる(^^;)そうした役割を考えると、福助の先行きはほぼ決まりだな(涙)ただ、この福助の軍歌(を象徴とする戦争そのもの)への思いがサラリとだけど語られたのはやはり、事象だけでなく、思想的なものも浮上してきたことになる。「こないな時やのに、芝居やっててええねんやろか」という一平の言葉にもつながって来るかも「うちがやっていけてんのは戦争のおかげだす」by菊福助の信念とは逆に“福富”は軍歌のレコードで稼げている。“岡安”は遂に廃業。芝居茶屋が傾き始めた頃に喫茶店(+レコード&楽器店)に商売替えした“福富”と苦しくても続けることにした“岡安”との時代を見極める「目」の違いが今回も?…いや、一筋縄では行かないのが戦争だから軍歌を前面に出している“福富”が皮肉な結末を迎えそうで(つまり、これもフラグかもしれなくて)ちょっと怖い(^^;)皆が皆、マイナスの方向へ流れが向かっている。取り合えず差し迫っているのは劇場閉鎖の動き。まあ、千代だったらどんな場所でも何なら路上ででも上演しちゃう気がするけどね(笑)問題は客…☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3867-e44c7556☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 栗羊羹
2021.03.29
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第80話の感想が自分でもイマイチだったのでもう一度書いてみました。この日、Wordが起動エラーになり再起動してもダメ、長く待って見てもダメ…という事態になりまして(いつもWordにザザ~ッと書いて管理ページにコピペしているもんで)仕方なく管理ページに直接書き始めたものの、時間があまり残っていなくて大急ぎで取り掛かった挙句、表面的なツッコミで終わってしまい誤解される(つーか、そもそも書き切れていない)部分が多かった様ですので。↑言い訳(笑)…ひじゅにですが何か?「俺は家庭いうもんを、よう知らん」by一平それは、ある意味>それぞれ微妙に異なるけれど千代や寛治君も同じなわけでそんな3人が集まって「家庭」を築くことになる…という結末が良いと思う。勿論、一座の皆も家族だし、客達だってそうなると思う。そうやって、千代達の「家庭」が広がって行く。 あ、そういえば、某ヨン様(四草にあらず>ぇ)が ファン達を「家族」と呼んでいたっけ。 ↑余計な話?千代は、相手が誰でどんな立場であろうとも、その心を捉えようとする。良く言えば世話好き、悪く言えばお節介(笑)>何せ朝ドラヒロインですから自分と似ているか否か、自分よりはマシかもっと辛いか…なんて関係ない。(例えば、みつえは、特に子供時代は千代とは全く対照的な立場だった)寛治君に対しても同様。だけど、そんな良い面だけを描くドラマではないからまだ子供に恵まれない自分の気持ちを押し付けている部分もあったと思う。 年齢(少なくとも見た目)があまり離れていない風だから ヨシヲへのことも重ねているのだろうとも思ったけど あまり関係なかったっぽいね。寛治君の様子、心に抱えているもの…それらを探ろうとしないまま「お母ちゃんと呼んでみ」とシツコク迫っていた。だから、寛治君の苦悩が明らかになってから本当の意味で受け入れ合えるという結末になると予測していた。全体的にはそうなったと言えるけど表現はちょっと違っていたね>捻っていたというべき?寛治君の生い立ちは一平のそれに似ている。だから、まずは一平が彼を気に掛けるのだろうと思った。自分を重ねるから同情する…でとかではなくて何ちゅーか、自分と似ているから助けたいという思いではなくて似た部分がある→気持ちを推し量ることができるってこと。全く違う境遇の人物であったとしても、結末は同じだったろう。それはそれで面白い話になりそうだけどそこはやはり、時間やメインストーリーの都合もあるから一平とも千代とも、ある程度似た生い立ちに設定したのはそれこそ、ドラマ的仕掛け。一平&千代が自分語りをすることで今迄の物語のおさらいにもなるし重なるから(寧ろ、千代達の方が過酷だったから)話を聞いただけで寛治君の心が解れたことになる。視聴者にも分かり易い。小暮&百合子騒動は、ハッキリ言ってしまうとこの週からは少し浮いていた。勿論、これはこれで興味深い題材であるから取り上げてくれて良かったけど寛治君とはまた別のお話だから、別の週でも良かったかも>それこそ時間的都合?。寛治君が関わったと言えるのは、押し入れに隠れたことと彼らの話を襖越しに真剣な顔で聞いていたことと窃盗の濡れ衣を着せた…くらい?(笑)それでも、小暮&百合子エピをここに挟んできたのは一平&千代にに何らかの影響を与えるためだろうと推測。実際、一平は彼らのために『人生双六』を書いたわけだし。客に大ウケの愛国物を中断してまで…ね。戦争の時代になり、色んな面で統制が敷かれる。愛国物と謳っていても中身は厳しく精査されるだろう。そんな中で、どんな芝居をするか―これは大きな問題となる。 それこそ『エール』で 戦意高揚の曲を作り続けた裕一と それを拒否し音楽活動ができなくなったり、投獄されたりした 他の音楽家及び作詞家の人々みたいにさ。それは国家との問題かもしれないけど、大衆の意識も関係してくるはず。実際、今でも愛国物が人気なわけだから。まあ、一平と千代は今は「相反する」という域ではないしこれからも、それほどハッキリと分裂してしまうことはない様な気はするけど。つーか、してほしくないけど。寧ろ2人で模索していくことになるのかな…と思う。小暮&百合子エピを入れたこと―それにより『人生双六』が生まれたこと―百合子さんと千代の役者や芝居への考えが違う(どちらが良い悪いではなくいし、奥底の部分では共通するものもあるけれど)ということを、ああもハッキリと台詞で示したこと―これらが後々、どんな形であれ関係してこなかったらドラマとしてちょっと…って気がする>ぉこの時代に、「芸術」に携わる人を描くにはこうした面は避けて通れない。とはいえ、それがドラマのメインではないからそこはアッサリと…かも。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3866-17c69730☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ メーテルのヴァイツェン『エール』メモリアルブック『人生双六』
2021.03.28
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寛治君の生い立ちは全体的には一平のそれに似ているけど父親に見捨てられた…という点だけ違うなと思っていたらああ、千代と重ねるためだったのね。今更気付く、おバカひじゅに(^^;)とはいえ、そのために藤山寛美モデルの寛治君が一座の座長である父親から芝居の才能がないと断定された…ってことになるわけだけど良いのか…?…ひじゅにですが何か?「お母ちゃん」by寛治↑これは勿論、週タイトルの回収なんだけども「ああ、関西だ」という、全く違う感慨を抱いてしまった(笑)舞台は大阪だし役者はネイティブだし当たり前やん!…なんだけど何ちゅーかさ関西の喜劇のイントネーションだ…って、理屈抜きに感じたんですわ。関東人ひじゅにの個人的感覚(笑)昨日は、芝居の準備金の件で千代が寛治君に社長に謝らせようとしたところで終わった。今日、もうそこは素っ飛ばされて家にいる千代の回想でチラリ映っただけ。帰宅できているってことは、社長は許してくれたんだろうけど寛治君は素直に謝ったのだろうか?何故、そこを素っ飛ばしたのだろうか?そうするか否かで彼の心情がだいぶ変わってくると思うんだけどなあ…いや、まあ、多分後のシーンを盛り上げるためだろうけど。寛治君に自分達も似た様な苦労をしてきたと順番に話して聞かす千代&一平。最初は一平に多く重なる事情を持つ寛治君だから一平こそが感情移入してアレコレ悩むのかと思った。そしたら、週タイトルが週タイトルなだけに>つーか、ヒロインは千代なだけに千代が中心に騒いでいたので今日、話を始めた時も千代オンリーなのかなと一瞬思った。だから一平も加わって、そこは良かった。その代わり長い長い…(笑)まあ、様々な辛い経験をしてきた主人公をそれを知らない人物が自分の苦労を武器にして責め立てる―という話は朝ドラに限らず結構あってそのたびに主人公はもっと辛い思いをしたのだと教えてやれば良いのに!と思うんだよね。それが今、実現したわけだけどそれほど盛り上がらなかったなあ>スマソもしかしたら、寛治君が大人に見える…からかも?噂によると、寛治君は15歳くらいの設定なのだとか。中の人は既に20代らしいけど、それが悪いとは思わない。幼さも残っているし、全く見えないとは思わない。『カーネーション』で、三十路のオノマチが14歳から演じ始めたのを大いに支持しているくらいだから。でも、大人っぽい寛治君が何か思案している姿はもっと大きく深い何かを抱えている様に見えてしまう。それこそ、小暮さんみたいな…あるいは、ヨシヲみたいな。だけど、それだったら一平&千代の自分語りでは救えないだろう。結局のところ、もっと子供らしい苦悩を抱えていたわけだよね。親にたいする愛憎…。だから、一平&千代が受け入れてくれたことを心から泣いて喜ぶ姿はもっと小さな子供であった方がこちらも素直に受け止めて感動できた気がしないでもない。↑批判というほどのものではないよ。ちょっと惜しいかな、と思った程度。無いもの強請りってヤツ?フォローしておくと(笑)寛治君は感じが良い>シャレではない演技も上手いと思う。今日も、舞台の上ではぎこちなく台詞も拙い様子を出していた。これは、ある程度年齢を経た役者だからこそ出せた味かもしれないしな。一平の影が薄目だった分、最後の最後にこれらの経験を生かした芝居を書き上げたところが良かった。寛治エピと小暮&百合子エピの融合。融合し切れていない気もするけど、そこはご愛敬>ぇたださお客を喜ばせるために芝居をする=媚びを売ると言われても良い…という千代の信念に対し愛国物を中断して、小暮さんの理想をテーマに取り入れた芝居…を作った一平ということで夫婦もまた融合しきれていないんと違う?ここが後々、問題になったりしない?何しろ、遂に太平洋戦争勃発。これからは、より厳しくなっていくだろうから。舞台で、うどんを食べる千代の演技は良かった。↑相変わらず変なところに注目する、ひじゅに☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3865-aa3e5d45☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人生双六>松竹新喜劇 藤山寛美お母ちゃん体に気を付けて>はははっ って喜んでもらえる真珠ピアス浪花風味 きつねうどん
2021.03.26
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千代が階級章を取り出した時ああ、そういえば闇市で階級章を貰ったエピがあったっけ…?いつだったっけ…?いやいや、違う違う!それは『エール』のエピソードやん!?…という思いが頭の中を駆け巡った。でも、寛治君を預かったところでの、この階級章だから前作へのオマージュか?↑考え過ぎ(笑)…ひじゅにですが何か?「これも愛国物の芝居やってたおかげですわ」by千代↑百合子さんの芝居への取り組み方が絶対的に正しいとは思わないけど現代の感覚(つーか、ひじゅにだけ?)では大衆に媚びることを良しとするみたいな千代の考え方の方がちょっと引っかかる。…と思っていたら、ここでこの台詞。昨日、百合子さんに言った自分の言葉の裏付け(笑)ドラマとしては、多少違和感を抱く視聴者へのフォロー?上手いこと特高を誤魔化し小暮&百合子騒動は一件落着(笑)2人が隠れたのと違う側の戸にミスリードし中にいたのは、やはり寛治君でその状況の説明として作り話で煙に巻く―予定調和というか、“まんま”の展開ではあったけどその際、寛治君を際立たせるのかと思っていたのに意外と活躍せず>話を合わせてそれなりに演じてみせるのかと思ってたもんで千代の“機転”のおかげ…でというオチに。千代がヒロインなのだから彼女を目立たせるのは当然かもしれないけど寛治君ももっと目立たせた方が良かった気がするんだけどな。そうやって、強引にでも寛治君メインで貫けば小暮&百合子騒動が浮いてしまわないで済んだかも?「僕達が捕まることは絶対にないから安心してくれ」小暮さんったら、何を根拠に…この甘過ぎるところが彼の弱点なのかな?やっぱ、ボンボンだからかな?つーか、ここで断言させちゃうってことはもしかしてフラグ?(怖)そして、旅立っていく小暮&百合子であった。あの場は何とか切り抜けたけど、まだ目は付けられている可能性大じゃん。明るくなってから、あんなに堂々と、しかも長々と別れを言い合って大丈夫?いや、まあ、この一件=無事に日本脱出という徴なんだろうけども問題はソ連に行ってからだよな(^^;)「おにぎりとお煎餅とお饅頭」千代が2人に持たせたもの。お煎餅というところが、少しばかり衝撃的>ひじゅにだけ?その直後に寛治君に出していたのは、おはぎ。お饅頭に使った餡子の残りなのか?それとも、お饅頭は買ってきたのか?↑変なところに拘る、ひじゅに「あんた、やっぱり役者に向いてるわ」そして、物語はまた寛治君に戻る。つーかそれまで「お母ちゃん」を押し付けるばかりだった千代が寛治君自身を理解しようとし始める、一つのきっかけとなるために小暮&百合子エピがここに盛り込まれたというわけ?でも、すぐに芝居の準備金がなくなる…という別のエピソードがスタート。300円という金額を知っていることで、寛治君の仕業と分かるところは割とベタな推理物っぽい(笑)>これも芝居を重ねての描写?千代が気付かなければ最後までしらばっくれていたわけだし小暮&百合子に罪を着せようとするところなどこうした悪事に慣れていることを表現?それでも、うっかり金額を口にしてしまったり、結果的に自白したのは根は悪い子じゃないことを示唆?「僕は親父に見捨てられた」一平と被る生い立ちだと思われたけど、芝居に関しては逆みたい。「綺麗事並べてる奴ほど、ほんまは自分のことしか考えてへん」才能が無いと判断されて芝居を禁止されたことと、この言い分は意味合いがちょっと違うっちゅーか、別問題な気がするけど>ぉここらへんが寛治君のトラウマとその解消一平&千代と理解し合ってメデタシメデタシ!…という結末へと繋がるのは確かだな。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3864-bf3dfa7d☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ おふくろのおはぎおせんべいどうぶつまんじゅう
2021.03.25
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昭和12年、ソ連に亡命した女優…というと岡田嘉子!?…と思って検索したら映画撮影中に相手役の俳優と駆け落ちして失踪したこともあるそうだから高城百合子さんのモデルはマジで岡田嘉子さんなのかも?まあ、重要なのはそこではなくて>ぇかつての憧れであり目標であった百合子さんと今の千代との芝居に対する考えの違い…つーかそれを語らせることで千代の芝居への思いをハッキリ示すため、ってのがメインな感じ。だったら、もっと芝居をする千代の姿を描けば良かったのに…とも思うけど言語化しないと通じない…ちゅーのも、朝ドラ“お約束”?…ひじゅにですが何か?「“せい”じゃなくて“おかげ”だよ」by小暮↑朝ドラヒロインに関して度々論議される言葉だよね(笑)昨日、小暮さんが百合子さんと結婚したことで千代へのプロポーズの一件が無かったことになっているみたいでナンダカナ…なんて潔癖か!?みたいなことを思ってしまったが(笑)そこはちゃんとフォローする小暮さんである。お酒が飲める様になったこと映画への夢を貫こうと決意したこと…それらは千代の“おかげ”幾ら相手が朝ドラヒロインだからってリップサービスが過ぎるぞ、小暮さん。百合子さんの立場がないじゃん>ぉ…なんてことは置いといて昨日、大山社長の所に警察が訪ねて来てもしかしたら、寛治君と思わせるミスリードだった可能性もあるけど直後に小暮&百合子がいかにもアヤシゲに登場したからこの2人の方なのはバレバレ。無知ひじゅには昨日の時点では岡田嘉子さんがすぐに思い浮かばなかったけど時代的に思想的なもの…ハッキリ言えば共産主義的思想…が関わっているとは予想がついた。だから、ここは緊迫した状況のハズ…とまだ真相が明かされない内から身構えていたのに「こんなに楽しいと決心が揺らいでしまいそうだ」何だかちょっと緩い小暮さん>こらこら昨日、映画の夢を捨て父親のもとに帰ったのに今度は父親を捨てて映画に逆戻り?…と、そこも少しばかりナンダカナ…だったのだが「一生懸命働いている人が救われないんだと思って…」父親が失業しお金がなくなった人の治療を拒否するところを目撃し「もう全てが嫌になった」とかで視聴者の疑問に次々と答える小暮さんである。う~ん…でもさそういう対応をしたのは自分の父親なんだよね?だったら、社会を変えたい云々の前に父親に抗議しないのか?まあ、自分もそうした治療費で食べているわけだから全否定はできないだろう。だったら、自分のポケットマネーを出してでも治療するよう頼まないのか?勿論、そこでたった一人を救ったとしても世の中は変わらない。もしかしたら、そこまで行った後で家を出た可能性もないではない。でも、あの話だけだと、何だかイキナリ跳び過ぎている様な印象。「もう、この国では私達のやりたい芝居はできないの」小暮さんの思想とは微妙なズレを感じるのは、ひじゅにだけ?まあ、作る側の小暮さんと演じる側の百合子さんではある程度は違っていて当たり前なのかもしれないけど。「最低なお芝居ね」鶴亀家庭劇の『頑張れ!集配婆さん』のあらすじを聞いた百合子さんの感想。多分ね…現代を生きる視聴者の結構な部分があの「万歳!」のシーンで似た様な感想を抱いたと思うぞ。「戦争に乗じてお涙頂戴する様な客に媚び売る様な芝居」少し前、千代自身に対して同じ様なことが言われていたよね。あれって、千代の性質だけでなく芝居そのものや芝居に取り組む姿勢をも表していたのかなあ…千代が芝居をするのはヨシヲに逢うため―皆を喜ばせたい―の2つだったよね、確か。前者は今のところ失われてしまった形だけど後者はこうして生きている?でも、一平は万太郎一座に代表される今迄の「笑い」に「涙」の要素も加えたり女性の役は女優を起用したり…と改革を加えて来た。それは、お客さんに喜んでもらうため…ではあるけど決して「媚び」だけのものではない。なのに、千代はそれで良いのか?それを良しとする物語なのか…この一件で変わるのか?取り合えずラストシーンに関しては千代が立ち塞がったのは小暮&百合子が書くれている押し入れとは違う戸だしきっと、中にいるのは寛治君で、彼が機転を利かせて場を乗り切ってくれそう。それをきっかけに寛治君の心の問題が明らかになるのかな?今週は寛治君の物語だろうから。相手を見ていなかった千代が、それに気づいて本当の「お母ちゃん」になれて芝居の方も少し変わって行く?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3863-08c3e994☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ ペルツォフカ ウォッカ岡田嘉子との六〇年押し入れ整理
2021.03.24
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お使いに行った寛治君の帰りが遅いと心配する千代の図ぅ―昨日も書いた通り、千代が疑似母子とするには寛治君は大人過ぎる。なのに、千代は幼い子の様に扱っている。やはり、このズレがミソ?それより、小銭入れをなくしたと言う寛治君にパクったんちゃうか!?…と思ってしまった、ひじゅには汚れてる?でも、見つけるシーンはなかったからまだ真相は不明>ぉ…ひじゅにですが何か?「子供は大人には勝たれへん」by寛治↑やはり、親子関係に問題を抱えているっぽい。母親には会ったこともなく、生死も分からない。父親は、今のところ人間性までは語られていないけど一座の座長だったそうだから子供の世話に専心はできなかっただろう。母親がいない分、寛治君が千代の様に座員達の世話に追われていたかも?何かトラウマを抱えていてもおかしくない。一福君を救おうとした行為も大人に対する子供の立場に敏感ってことだし。役者はしていないことそれでいて、一平の台本に興味を示していたことから芝居にも何か抱えていそう>まあ、父親絡みだけどだから、千代の言動は、それらを逆撫でするものかもしれないよなあ…環境的には一平と被るので、彼を救うのは一平の役目かもしれない。でも、まだ相手の心の闇を知らないままに少~しばかり暴走する千代の図ぅ―「お母ちゃんて呼んでみ」早くも週タイトルを叫ぶ(叫んでないけど)千代。まあ、子供がいない千代が、突然一緒に暮らすことになった少年に母性を感じてしまう…というのは、不自然ではないと思うけど既にかなり大きい寛治君を幼子扱いするのは、やはり変。年齢的には>って、寛治君が何歳か知らんけど寧ろヨシヲを重ねて弟扱いする方が自然かもしれないのにこんな分かり易い設定になっていることからしてここに何か描きたいものがあるのだろうね。人参が嫌いと知って何とか食べさせようと人参尽くしカレーを作ったりホットケーキを一口大に綺麗に切って食べさせたり…調子に乗ってんなあ…って感じ(笑)相手を見ていないってことだよな。理想の親像を主張していたのと同じく自分の気持ちが先走っている?で、こんな状況の中に小暮&高城百合子を挟み込むという強引な展開>ぉ百合子さんは中途半端な退場だったから、その後が描かれるのは良いけど小暮さんはちょっとばかし難だなあ…いや、小暮さん自身は好きだけどさ撮影所も千代も後にして父親の後継ぎを選んだのに苦悩の末の決断であったのに今度は父親を捨てて映画の世界に逆戻り。百合子さんのことは当時から好きだったから結ばれて良かったね…って気もするけど千代とのことが無かったことみたいで…>そこは考え過ぎ?この2つのエピは繋がるのか?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3862-b595875e☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ ホットケーキミックス 人参とカシューナッツのカレー子育てごっこ(三好 京三)
2021.03.23
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戦闘機ごっこしている一福君。バッドエンド映画の上位に入るであろう『縞模様のパジャマの少年』がやはり、そういうシーンで始まったんだよなあ…嫌な予感(^^;)まあ、朝ドラで戦争というと子供が関連した遊びをする姿を入れるのは割とよくある。ある意味“お約束”?だから安心?>ぇ…ひじゅにですが何か?「子供いてたら毎日こないなんやろか」by千代予告は観てないんだけど週タイトルが『お母ちゃんて呼んでみ』で「子供には恵まれへんけど」「劇団の皆が手のかかる子供みたいなもんやし」…なんて千代の台詞で始まってラストはこれ↑話の予想がつくなあ(笑)“まんま”で行くか?捻りがあるか?思いもよらない方向へ進んで行くか?…が、今週の見どころ?テルヲが亡くなって5年。千代は30歳。昭和12年、志那事変(日中戦争)の最中。千代の周りはまだ平和だけど人々の意識には戦争がすっかり入り込んでいる。芝居も愛国物『頑張れ!集配婆さん』戦争未経験のひじゅには「愛国物」という言葉だけで気持ちが重くなるけど戦地からの孫の手紙が読まれ、皆で万歳をするクライマックスは悲哀を漂わせていることからして、戦意高揚というより反戦物の匂いもする。これが後々問題視されるか上手く切り抜けられるかの狭間?それよりも今週のメインは、初登場の松井寛治君。ひじゅにの乏しいドラマ視聴歴の中でも『わろてんか』や大河『平清盛』等、いくつかある。だから、お馴染み…と言いたいけど…誰だか分からなかった(笑)若林@オードリーに似ているな…としか(笑)あ、そういえば、お兄さん@前田 航基は次作『おかえりモネ』に出演らしいですぜ。多分、千代が彼女に母性を感じ始めるのだと思われるけど…疑似母子とするには、寛治君はちょい年齢行き過ぎ。そこがミソなのかな?だって、幼さは残ってはいるものの無邪気で可愛い…という時期は通り越している。育った環境のせいか年齢より大人びている…つーかヒネた感じがする(笑)何か騒動を起こすのだろうけど子供だからと安易に庇うことも千代が身を挺して守るのもちょっと無理がある…という雰囲気(笑)ヒロインの子供は大抵グレる…という朝ドラ“お約束”を取り入れるため? 無理くり良いところを見つける…のではなくて割と自然に浮かぶのはこれは『千代が“大阪のお母ちゃん”になる物語』(と、ひじゅには解釈している)↓だから今迄、色んな形の「家族」や「母親」のエピソードがあった。その際、千代自身は「子供」の立場でしかないので「親」に対して理想論を語った↓結婚し、テルヲが亡くなりもはや「子供」とは呼べなくなってきた↓今度は「親」の立場を経験する千代の図ぅ?そして益々“お母ちゃん”に近付いていく。…というわけ?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3861-df5729e0☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 曲げわっぱ おひつ昔ながらのすっぱい、しょっぱい梅干しアットン婆さん6
2021.03.22
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ひじゅにの希望通りの獄中死だったな。でも、それほど惨めなものでもなかったのが残念…↑こんな書き方すると「どんだけ~!?」と言われそう(笑)…ひじゅにですが何か?「嫌なことも全部忘れさしたるさかい」by千代↑結局、これなんだと思う。それが芝居。現実世界もまた芝居。外堀を埋められちゃった千代。自分の内部からも押し寄せる「血縁」の呪い。少なくとも表面上は「父親」らしくなりつつある相手。「死」によって全ては浄化すると考える日本人ならでは(?)の圧力。許さないわけにはいかない状況。許したくても許せない心境。昨日も書いた通り、ひじゅにはテルヲに憤っているわけではない。でも、今迄の行動を簡単に許して和解してメデタシメデタシ!…では、物語として薄いと思う。だから、皆に疎まれながら惨めに孤独死する方がふさわしいと思う。決して「ザマアミロ!」という気持ちではない(笑)千代は許せる様になった方が気持ちはずっと軽くなるだろう。でも、どうしても許せない!という思いがあるのも分かる気がする。だから、安易に好意的になったら不自然。ここは、その葛藤を描くべき。…という考えなので今日の結末は「賛」寄りの賛否両論って感じかな(笑)テルヲは千代の芝居を観ることなく獄中で亡くなったけど看取ってくれたわけではないけど、一応は傍に人がいたし(笑)実質的には千代に許されたわけだから罪悪感も軽くなっていただろう。杉咲花さんの演技は葛藤を深く表現していたと思う。決してストレートに「許す」とは言わなかったし。何となく良い話で纏まった感はあるけれどこれって、もしかして死の間際のテルヲの夢かもしれず見放した父の死を知った後の千代の夢かもしれない。まあ、そうではないだろうけど(笑)そう思わせる余地はあった。「うちがあんたらを捨てたんや」千代の視点で描かれた第一週での父娘の別れ。あの時は、千代のこの叫びに愕然とした表情を見せたけどそれだけだった。それが今日はテルヲ視点で、直後に号泣するテルヲが映る。実際には…心は痛んだかもしれないけどすぐにテルヲは日常に戻って行ったと思う。栗子とお腹の子、そしてヨシヲとの暮らしに。それを維持するために、千代の犠牲は仕方のないことだった…と。でも、テルヲの夢の中ではあの時、心から悲しみ、後悔したのだということになっている。結果的に栗子達との日常は壊れてしまい、その理由の大部分は恐らくテルヲ(笑)なのに、千代を捨てたことによる苦悩がテルヲをそうさせたと言い訳に使っている。現実に圧し潰される中で、それでも自分は父親として娘を愛し続けてきたのだ…と塗り替えられている。だから、夢の最後で大人の千代と子供の千代が並んで「お父ちゃん」と呼んで笑顔を向けてくれたのだ。テルヲの望みが叶えられたのは、結局は夢の中でのこと。これって冷酷な現実を反映してもいる。子供と大人の間を繋ぐものその間の千代の姿をテルヲは知らない。知らないから、その間の千代は出て来ない。許された夢をテルヲが見た様に許した夢を千代が見る。ずっと自分を苦しめてきた「小っちゃい小っちゃい石」をテルヲに対し吐き出して亡き母親の力も借りて「許す」という言葉は出せないけれど「お父ちゃん」とは呼んで…「わいの自慢の娘や」と、テルヲに言わせる。千代がずっと夢見ていた「家族」理想化していた「親の愛」それが、この一瞬だけ実現する。でも、「血縁」という「小っちゃい小っちゃい石」は以前より重くなった。帰宅した時、近所の家族の姿を見てしまう千代。父と母と娘と息子。同じ構図。明るく幸せそうな様子を目の当たりにする。遠い夢ではなかったかもしれないのにテルヲのせいで届かぬ夢になってしまった。それは事実。皆が千代のところに集まってくれた。テルヲではなく千代のため。死者のことを悪く言うことはないものの誰もテルヲの死を惜しんではいない。千代はまだ夢の続きを見ている。最後にテルヲは父親らしいことをしてくれていた。死後もまた自分を思ってくれている。テルヲの言葉とは逆に役者を続ける決意をする千代。つまりテルヲの意見に逆らうことになる。これこそが現実なのだろう。勿論、千代の芝居を観たがっていたテルヲは既に役者人生を認めていると受け取れるわけだけどそれもまた夢かもしれない(笑)テルヲに人生を左右された千代が今は自分で自分の歩み方を選んでいる…ってことの象徴かと。そして、2人の夢は合わさって芝居になる。そこには子供に「無償の愛」を注ぐ親がいる。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3860-bab4390c☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ あなたを笑わせるのが私の仕事ですTシャツあなたの愛犬を笑わせる97の方法
2021.03.19
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まさに破顔って感じのテルヲの写真は千代が悔いを残さないためのものなのだろうな。多くの視聴者が望んでいるかもしれない(?)和解千代に看取られ静かに息を引き取るテルヲ…という結末になってもひじゅにが密かに望んでいる>ぇ最後まで相容れない父娘のままでテルヲがどこかで(今日の様子では牢内で?)一人寂しく死ぬ…野垂れ死ぬ…という結末になってもあの笑顔で取り合えず納得できる気がする。前者なら、今迄のテルヲの行為を思うとどうしてもモヤモヤが残るだろうし後者なら、冷たく突き放すことで少しばかり罪悪感が残るだろう。それを、あの泣き笑い(千代には泣き笑いと分かるはず)の表情が静かに諦めさせてくれる気がする。…ひじゅにですが何か?「こない小っちゃい小っちゃい石やったんやわ」by宗助↑宗助さんったら、あんな冗談を言うためだけにあの石を病室に持ち込んだのか?みつえちゃんにでも持って来てもらったのか?ちゅーことで、宗助さんに「激痛」をもたらしたのは最初に千代が見せられた、結構デカい石ではなく「小っちゃい小っちゃい石」だった。昔、親戚が胆石になり手術で取り出した石を見せてもらったことがあるけど驚くほど小さなものだった。知人が尿道結石になった時も、痛みの割には物凄く小さかったと言っていた。その後、父が同じ病気になった時は、結構デカかったけどまあ、それは置いといて>ぇ何てことないくらい「小っちゃい小っちゃい石」が人を苦しめる。人として「小っちゃい小っちゃい」テルヲが千代を苦しめ翻弄してきた。テルヲから引き継いだ「血」が千代をテルヲに縛り付ける。血は水よりも濃いと言うけれど他人の中で生きて来て、他人との絆を築いてきた千代には血縁なんて重くはないと思う。なのにその「血」が千代の中にあるために苦しんできた。石を取り除いたことで宗助さんが楽になった様にテルヲがいなくなれば千代は清々した気持ちになれるのだろうか?「血」は取り除けないけど。表面上は大分大人しく、ある意味マトモになってきたテルヲだけど本当の本当に改心したかどうかは分からない。死を前にしては、もう今迄の様に遊び暮らそうとは思えないだろうしどうせなら安らかに死にたいという欲(?)が出て来るだろう。ほんの少しでも良い印象を残して旅立ちたいと思うかもしれないし。あるいは、良き父であろうとすることに酔っているのかもしれない。それでも、テルヲの中にある「小っちゃい小っちゃい石」が僅かに残ったテルヲの良心を苦しめているのかもしれない。「人間なんて弱いもん」だから。正直言うとね、ひじゅにはこのドラマにも登場人物にも好感は抱いているけどハマっているわけでもないし、さほど肩入れしているわけでもない。だからテルヲに同情もしないし千代のために憤りを感じたりもしないし2人の和解を心から願う…なんてこともない。許した方が楽になれるかもしれないとは思うけど許せない域に行っちゃってるよな…とも思うし許すべきではないという気はするものの許すな!と叫ぶ気もない。でも、人間の弱さに関しては理解できるところまでは全く至っていないけどどうしようもに弱さがある…ということだけは分かるから千代に執着するテルヲも突っぱねながらも心を揺らす千代も「あるある」とは思うよ。それが「小っちゃい小っちゃい石」なのだろうね。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3859-186eb0a6☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ がらんの小石クッキー赤の他人だったら、どんなによかったか笑顔 シルバー アクセサリー
2021.03.18
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大山社長に向かいマトモな挨拶をするテルヲ。やれば出来んじゃん!…と、そういう問題ではなくて(笑)だいぶ殊勝にはなっているんだよな。だから何?ではあるけど。…ひじゅにですが何か?「綺麗なお月さんやなあ」by小次郎↑夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した―というエピソードを思い出した。事実ではないという声も聞くけど。これは、血を吐きながら千代の芝居を観たいと呟くテルヲに哀れを感じつつも>小次郎さん自身も色んな過去があるだろうしな過去も現在も知っているゆえに直接かけられる言葉もなくて千代=「月」という千之助さんの例えの乗せて言った言葉だろうけど底には「I love you」があると訴えている様でもあるな。千代が今は幸せではないと聞いて、役者を辞めろと言ったテルヲに「な~んも分かったはれへんわ」と、役者としての千代を買っていること暗に示す社長。「相手の魅力を引き出すことができる役者なんや」と、千代の特質を解説し絶賛する千之助さん。素人だから、主役でなければ…と思ってしまうのは寧ろ当然。千之助さんが言う様な役者もいるのだとは思いもよらなかったのも当然。ここの要は、自分が思っていたよりもずっと千代は役者として評価されているし本人も役者であることに幸せを感じているのだろう…とテルヲにも分かったってことなのだろうけど何かさ…何事においても、こんな風にテルヲは狭い視野で判断し、その時その時の感情で突っ走っていたのだろうそれを象徴しているのかもしれないな…と思った。悪気はなく…場合によっては善意さえも抱いて…でも恐らく大半は、自分の「幸せ」優先で道を選択してそれに影響受けるであろう人のことも、その気持ちも自分自身の先行きさえも考えずに。「笑て下さい…もっとや…もっと…もっと!」一平とテルヲのシーンが良かったな。テルヲの気持ちも千代の気持ちも察することができるからどちらにどうと意見することはできない。受け入れることはできないけど、突き放すこともできない。あの写真は遺影になるのだろうな。カメラを覗いたままの一平はレンズ越しにしかテルヲを見ない。ドラマの絵面的には下を向いたままで、テルヲを直接は見ない。そして、演劇雑誌の取材中に借金取りが押しかけて来る…という、残酷な展開。テルヲといえば借金取りだし彼のクライマックスとして、実にふさわしい。今迄は、千代を売ろうとしたり、千代のお金を盗んだり…とKUZUぶりを発揮してきたけど社長への態度の変化などからして、今回は捨て身で阻止するのかな?そうだとしても、やはり許されないだろうけど(^^;)千代の方は、やはり捨てるに捨てられないだろうと思う。多分、それでも許すことはできないだろうけど。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3858-7235915d☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 月がきれいですね茶幸せにしてくれよろしくおねがいします
2021.03.17
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千代に言っちゃったよ、シズさん。まあ、言わなきゃ話が進まないからね…ひじゅにですが何か?「妙に冷たい干からびたもんしか残ってへんのや」by千代昨日、宗助さんがテルヲを擁護する台詞を言ったので「世間知らず、苦労知らず」と書いたけど>えっ、自己紹介?つまりさ恵まれた環境下で生きる甘ちゃんだから毒親というものが存在するのを知らない、もしくは認めようとしない。親は子に無償の愛を注ぐものと信じて疑わない。自分がそうだから。正反対の生い立ちを持つ千代は現実を十分知っているけどだからこそ、少し前まではテルヲを信じようとしていたしだからこそ、世間一般の親や親の愛を理想化している。自分が得られなかったものだから。得ている者と得られなかった者と全く逆の背景を持つ2人が根底で抱くものが同じというのが面白い。でも、そこが叶ってメデタシメデタシ…の時期はとっくに過ぎ去っていて千代は今、逆の方向に頑なになっている。まあ、無理はないんだけど。宗助さんは、その甘さだけでなく窮地を救ってもらったことで、テルヲに恩ができちゃったしシズさんはテルヲが余命僅かと知って文句が言えなくなっちゃったし同情というのじゃなくて、人道的(?)な意味で強くは出られなくなってしまった。その上、一平までもが「一緒に暮らしたら」なんて言い出すし(^^;)一平も父親との確執はあったけどそれが誤解によるものだと判明したばかりだし「親の愛」を信じる側に今はいるのだろうね。千代にしてみれば、外堀を埋められた…って感じ?香里さんとルリ子さんに話しかけたことから千代がまだ主役を演じたことがない…ってこととみつえに言われたことから千代が今、いわゆる普通の女性としては、幸せとは言い難い状況…ってこともテルヲに知れてしまった。テルヲに暴走の理由が与えられてしまった…って感じ。病気のことを知らされたことで。ある意味、千代にも縛りが掛けられた。色んな意味で追い詰められていきそう(^^;)テルヲってさ無理はない…の一言で済ませられるくらい徹底して悪く描かれてきたよね。。ひじゅにはテルヲというキャラは嫌いじゃないよ。トータス松本効果で無駄に明るく無邪気にさえ見えるテルヲは物語の登場人物として面白いと思う。嫌な気持ちにならずに楽しめるトータス松本の役作りもドラマとして正解と思う。でも、リアルにこういう人物が身近にいたら迷惑なだけ(笑)作り話として楽しめる、少なくとも不快とまではいかない作りだけど実際にはKUZUとしか言いようのない人物にちゃんと仕上げているってこと。朝ドラには色んな毒親が登場した。ドラマ上は寧ろ良い親という設定なのに受ける印象は毒親でしかない…という単純に描くのが下手なだけ?…ってのも多かったけど(笑)毒親を毒親として描くのに成功した例でもどこか可愛く憎めない部分を持たせていた。でも、テルヲは、ハッキリ言って救いようなし(笑)今になって、テルヲと千代が仲直りしてメデタシメデタシ!…という安易な結末にするのだったらテルヲをここまで困ったちゃんにはしなかっただろうと思う。例えばヨシヲみたいにさ悪の道に入ってしまったけれど、環境によるものという言い訳付きである意味、悪の世界の住人達の方に「親の愛」を感じてしまったからという同情の余地もあり土壇場で犯罪行為を思い留まるという分かり易い改心の仕方もあればまだ受け入れやすかっただろう。まあ、今作はドラマ自体も松竹新喜劇風の「泣き笑い」人情話にしているから何らかの「メデタシメデタシ」で締めるんだろうけども安易な仲直りにはしないと思うし、してほしくないな。勿論、テルヲの中に千代への愛はあると思うよ。そうでなかったら、本当の本当に救いようがないというか(笑)千代が信じているものが確定しなくなっちゃうもんな。だから全て良し!…とは行かない生き方だったわけで(^^;)☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3857-139721b5☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 扇子>猫とメロディ干からびたらちょっと困る酒は飲んでも飲まれるな
2021.03.16
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『丘の一本杉』も『マットン婆さん』ならぬ『アットン婆さん』も実在する松竹新喜劇の演目だそうだ。おみそれしました!特に『アットン婆さん』は藤山寛美主演だそうで観てみたいなあ。ホームドラマチャンネルで放送するらしいけどね。今のところ加入していないので知らんかった(笑)(YouTubeで検索してみたら予告動画が出て来たのさ)…ひじゅにですが何か?「キツイのう」byテルヲちゅーことで、今週はテルヲ登場!何ちゅーか、いつも普通に顔を出すよね。コソコソしたり誰かに頼ったり何かを装ったり…なんて姑息な真似はせずにやはり本人としては全く悪気がないからなのだろうな。そんなテルヲも今週で見納め?早く見納めたい(ちゅーか、早くいなくなれ)…と思っている視聴者の方が多いかもしれないけど(笑)先回は意外な(?)人たらしぶりを発揮してみせたけどさすがに今回は皆に敬遠される>当たり前だけど新しい地ならともかく、過去に騒動を起こした所だもんな。千代自身も以前の様に絆されたりはしない。「おんなじ娘を持つ父親としてはテルヲさんの気持ちも分からんでもないんやけどな」宗助さんだけが甘い。まあ、先回の騒動を収めてくれたのはシズさん達だし宗助さんは微妙に蚊帳の外。身に染みる様な経験ではなかったのかも…元々ノホホンとした人みたいだし。「旦さんが、ほんまのお父ちゃんやったら良かったのにな」そう千代に言わせちゃうくらい優しい人。それは持って生まれた性質でもあるし世間知らず、苦労知らずであるゆえ…ってのもあるのだろうな。(実はトンデモナイ過去を持つ日tおだという後出しがあったりして?)彼の場合、それで良いし、そこが良いとも言えると思うけど。でもってさこう千代に言わせちゃうほどにテルヲとは程遠い、全く違う人間性だってことでもあるんだよね。つまり別人…悲しいくらい別人。「道頓堀から出て行ってもらわれへんやろか」宗助さんを尻目に、ズパッと言い放つシズさん。でも、直後にテルヲは吐血。余命幾ばくもないことが判明。さらに、千代には黙っていてほしいと懇願。重大な事実+秘密の共有これじゃシズさんも、もはやテルヲに強く出られない。タイミング良過ぎだぞ、テルヲ!つーか、こうした状況に追い込むために宗助さんを病気にしシズさんを病院に来させ…とご都合主義とツッコミを入れるべきなんだか合理的と褒めるべきなんだかスムーズ極まりない脚本だな、八津!(笑)外堀を埋められていく千代の図ぅ?女子会やってる場合じゃないぞ、千代!とはいえテルヲが登場すると千代の状況が大きく変わるのも『おちょやん』お約束。夫婦としても女優としても、流れが上手く行っていない現状がテルヲ現象で改善?でも、時代はどんどん不穏になっていくしな…ある意味、テルヲは「昔」の時代の象徴だったりして?だから彼と共に終わって行くのだったりして?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3856-57086646☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 父と娘>ウィローツリー彫像女子会に>手巻き寿司セットのんべぇ楽Tea
2021.03.15
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ここでアッサリ勝ってしまったら面白味がないし、ちょこっと御都合。ここで鶴亀家庭劇を活躍させなければ本末転倒。そこで「15人」という僅差で家庭劇の方は収めそこでチャップリンを登場させずに済ませるため万太郎側から断らせ「悔しくない」と千代に言わせてヒロインの存在もアピールしつつラストは千之助さんのチャップリン・コスプレでお茶を濁し(?)卵ネタも会衆して兄弟喧嘩は一応決着。やっと一平の芝居を観ることができたし物語的にも良く纏まっていたんでないの?…と、視聴者に言わせるまでがセットね(笑)…ひじゅにですが何か?「美しい思い出にするんやない」by社長↑昨日は鶴亀家庭劇を「当て馬」扱い。今日はアッサリ掌返す。でもって座員達へのメッセージはこんな気取った言い回し。さすが大阪の商売人(笑)アバンからしばらく舞台そのものを見せる構成。金曜日を芝居で締めるのは週の話の最後を芝居で飾るのはテーマがハッキリするし纏まりもあるし高揚感もあるし非常に良いと思う。実際、初期はこの手が多かったのにこのところご無沙汰していたからなあ…人情話でも恋話でも脇の話でも最後がこれなら説得力がある。だから、ワンパターンでも良いからこれにしとけと…>ぉももももしかして、そのワンパターン回避のため遠ざけていた?そんなことないよ。まさに「こーゆうのでいいんだよ」(笑)一平&千之助作『丘の一本杉』初代天海天海と一平との親子でもあり師弟でもある関係をモデルというかベースにすると言っていた。ちゅーても、まんま役者ではなく、鍛冶屋という設定。まあ、それはそうだよね。役者のままだとモデルはバレバレ。観客は最初から天海&一平のこととして観てしまうけど変えることで自分達の物語として受け止めることができる。ドタバタと笑わせた後で涙で締める―一平の理想とする「家庭劇」がやっと全貌を表したってところ。まあ、あれだけを観てマジで笑えて泣けたかっちゅーと微妙だけど>こらこらでも、それもまたドラマの設定の一つだから素直に受け止める。それに、関東人が抱く関西のお笑いの舞台のイメージはよく出ていたと思う。好意的にいうとねここで家庭劇もようやく完成!メデタシメデタシ!だとは思うのよ。初代天海VS一平と万太郎VS千之助を絡め最後は新しい喜劇という形で昇華…ちゅーことで。ただ、ちょいと時間がかかり過ぎた気はする。実際には時間がかかるものではあるだろうけど(笑)ドラマ上は…ね。ちょっと待たせ過ぎ(^^;)所々で里程標みたいなのがあったら良かったかな。いや、ないわけでなかったけどね。万太郎さんは、やはり千之助さんを「おもろい」と認めたが故の行為だった…と綺麗に結論づけてはいたけどそれでも、あのやり方はエゲツナイよなあ…千之助さんなら、屈辱感に押し潰されることはない…と見込んでのことなのだろうけどそれにしもなあ…ちょっと、ここは後味悪い。最後の卵で少々和らぎはしたけどね。帽子に卵が卵が仕掛けられていたら感触で分かるだろ!?…というツッコミは置いといて(笑)ところで来週はテルヲ再び…じゃなくて四たび(?)登場!という噂だけど紫のバラの人はテルヲだった…なんてオチは嫌だぞ>ぉ☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3854-4ab266fa☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 一本杉>家紋シール卵フラワーギフト
2021.03.12
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おお、やっぱ芝居の話を大きく盛り込んできた方がおもろくなるやん!…ひじゅにですが何か?「二人して力合わせますのや」by一平↑一平と千之助さんがタッグを組むことで解決だろうと言ってたらその通りになった…っちゅーか“まんま”じゃん(笑)昨日、千之助さんが出て行こうとしているところで終わったのでここから人情物に変わるのかと、ちょっと不安になったのだけど千代が駆けつける…それも気付いて止めに来るとかではなくて自分の疑問を投げつけるため(&ちょっと頼るため)ってのが良かった。「前はヨシヲ見つけて一緒に生きていくためやて思てたけどもう、それも叶わえへん夢だす」「一平と結婚して、もしかしたら役者なんて辞めた方が楽やと思う時もあるけど、辞められへん」役者になった主要な動機の一つは既に失われてしまった。結婚して役者を続けて行く上で物理的に困難な状況に陥ってしまった。ここで、その2つに関して千代自身が心境を口にするとは。「何で役者続けてはんのだす?」最初は千之助さん自身のことを聞いていたのに「千之助さんに女優なんかいらんて何遍バカにされても辞められへんのだす、何でやろ…なんでや思います?」いつの間にやら自分のことにシフト。スピンオフだと揶揄する視聴者もいる今迄の色々なエピソードはやはり千代としては自分の中に取り入れ自分のこととして消化していた…ってことが分かるし役者であることに拘っているのも分かるし「女優なんか」ってことから今現在、それが問題になっている…ってことも思い出させている。やはり今は纏めと回収の週?結局のところ>このドラマは大抵そうだが千代は話を動かす力にはなっているものの解決に至るのは本人。つまり、千之助さんが自分自身の気持ちも弱さも認め最善にして唯一の手段である鶴亀家庭劇を選ぶ― そのために一平に頭を下げる―ということに。一平の気を逸らし、その隙に頭を下げる千之助さん分かった上ですぐには顔を戻さない一平さらに、それで2人して書き上げた渾身の作のモデルは初代天海さん…という、千代が入って行けない世界だというところが面白い。その分、ルリ子さん達を呼び戻したのは千代ってことでヒロインの面目躍如にはなっている。そのために女優問題をここまで引き延ばしたのかもしれないけどね。まあ、こうして万太郎VS鶴亀家庭劇+初代天海となったわけで宇多丸さん言うところの『負け犬たちのワンスアゲイン』 っぽくて良いんじゃね?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3853-531abad2☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 玉子焼きSHOKUROお兄さんといっしょに作るONCE AGAIN(RHYMESTER)
2021.03.11
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千之助さんの額に流れる黄色っぽい液体昨日だったか一昨日だったかチラリ映った時は油か?と思ったんだけど卵!だったのね。先代天海天海さんの舞台葬儀の時から始まって千之助さんがいる所に顔を出す時は必ず卵を持参する万太郎さん。その「卵」に彼の真意が隠されているというオチ?それじゃ、ちょっとベタか?…ひじゅにですが何か?「おもろいからや」by万太郎↑「おもろくない」と千之助さんを切り捨てたことに「根性がしょーもない」と千代に言われた万太郎さんがこう答えたのは…勿論その執拗な追い出し方が彼にとっては「おもろい」ってことなのだけど本当は千之助さんが「おもろい」から脅威を感じて追い出した…という意味も含まれてはいないのかな?…なんて言うと有能な新人が現れるたびに脅威と嫉妬を感じていたという手塚治虫を思い出してしまうけど(^^;)それに、それを肯定すると安っぽい人情話に着地しそうな危険性も感じてしまうけど>ぉでも、まあ、その方が収まりも良いし万太郎さんが悪人にならずに済むし何より「卵」に意味をこめられそうだし(笑)ま、そう簡単には解決しないだろうけどね。鶴亀家庭劇が万太郎一座に勝ったらそこで「芝居」パートはほぼ終わってしまうだろうから。ただでさえ、「芝居」面は十分に描かれているとは言い難いんだから早々に決着をつけられたら、視聴者の方が困る(笑)ただ、万太郎VS千之助は今日の話では個人的な諍いにも見えてしまうけど本質は「お笑い」で―それは、万太郎VS天海天海一座となり今や、万太郎VS鶴亀家庭劇になっていて― ↑万太郎さんも「一座」だけどワンマン一座で他に秀でた存在はなさそう。 だからこそ千之助さんを追放したのかもね。 そこに彼の「笑い」の弱みがある?さらに万太郎&千之助で築いた「喜劇」VS新しい喜劇「家庭劇」となっていると考えると、構図的には面白いね。ただ、その家庭劇がまだハッキリと示されていないのが辛い。まあ、まだ「女優」の問題も「台本」の問題もあるし完成の途上ってことで描き難いのかもしれないけどさ。所々でカタルシスが欲しいよね。初期のころは、それなりにあったのだから。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3852-5084b63a☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ おもろい以外いらんねん卵しょーもない(眉村卓)
2021.03.10
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“岡安”の前でのシーン黒っぽい背景の中に赤いポストが妙に目立っていた。つーか、強調する映し方だった。あのポスト、以前もあったっけ?(記憶喪失)あの型のポストは明治時代からあったらしいけど昭和7年である現在、さらに普及したってこと?そうやって時代の雰囲気を出した?それとも“岡安”に時代の波が迫っていることを示唆?考え過ぎ?…ひじゅにですが何か?「媚びを売るのはやめたら?」byルリ子↑これってさ、確かに気になっていたんだよね。お節介なのは朝ドラ・ヒロイン“お約束”ヒロインを目立たせるため、何にでも首を突っ込ませるのも朝ドラ「あるある」…だとはいえそれらとは、ちょっと違うかな?って感じもあるんだけど千代って時々、八方美人っぽい様子を見せる。嫌なことをされた時は脊髄反射か?って感じの強い返しをするけどそれほどではない時はニコニコと相手を肯定し、別の相手も肯定し、さらに別の相手も…のループで、千代自身はどうなのか?ってのは示されない。“鶴亀撮影所”時代なんかでも目に付いていたよね。それが今日こうやって言葉でハッキリ指摘されたということは“お約束”云々ではなく、仕掛けってことか?織り込み済みっちゅーヤツ?もっとも、ひじゅにが考える「媚び」とルリ子さんの言う「媚び」が同じものを差しているならばだけど(笑)千代自身が、それは家に押しかけて来る仲間達への自分の態度だと誤解していた様にね。ひじゅにの思う「媚び」ならばそれは千代の生い立ちに起因しているとは思う。そういう千代だから、誰とでも仲間になれたのだろうし決して全面的に否定できるものではないとも思う。そんな言葉が出たのは、千之助さんが女優の存在を否定したから。それまで男性オンリーだった芝居に女性を起用したのは一平が目指す新しい喜劇の要素の一つ。漆原さんが女形を辞めるエピを盛り上げることでこのこと自体はサラッと過ぎちゃったけど今、改めて扱う算段?台本を書くのが千之助さんか一平か…という問題も含め以前に出て来た芝居に関わる幾つかのネタを今、回収にかかっている?「上手いこと取り入ったなあ」by香里これって、見事なまでのブーメランだよね。一平が引っ越した時、いきなり押しかけていた理由をここで暴露?これまたネタの回収?そんな香里さんを「中身がちっとも伴わない」と、バッサリ斬って捨て千代には上記の様に指摘するルリ子さんが一番冷静な見方が出来て賢い?万太郎VS千之助に関しては過去の因縁が明かされて、人情話として盛り上げてメデタシメデタシ…なのだろう。だから、どちらが勝つというよりもチャップリンに逢えるか否かというよりも>登場はなさそうな気がするし一平と千之助がやっと本当の意味でタッグを組み「家庭劇」が本当の意味で完成する…というのがメインになるんじゃないかなあと思う。万太郎&千之助が「喜劇」を作り上げたと言っていたからそれに対する新しい喜劇=家庭劇の完成ってことで上手く纏まる。それで、一平が目指すところの理想の喜劇が視聴者にもハッキリ示されるなら、ひじゅに的にもメデタシメデタシ!…だな(笑)☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3851-fedc23dc☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ ポスト型 LED ミニ加湿器 退かぬ!!媚びぬ省みぬ!!>サウザーボトル繪本平家物語(安野 光雅)
2021.03.09
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チャップリンの映画は高校の時の映画教室で何本か観た。初めて観たのが『黄金狂時代』最後に観たのが『ライムライト』その後、ラジオで淀川長春さんとチャップリンとの出逢いについての話を聞いた。今日、その2人の姿を観ることができて、とても嬉しい。草原兄さんのモノマネはちょっと寒い>こらこら…ひじゅにですが何か?「三日…いや、四日…いや…日課」by黒衣↑このシャレはちょっとウケた>ぇやはり先週土曜日で前編が終わり今日から後編の始まり…の予定だったのかも?結婚から早くも3年が過ぎたところから始まったし。髪型を変えるのは時の経過の表現として、よくある手だけど 全然変わってなかった『まれ』の様な作品もあるにはある。 …あ、あれはサイドの髪を耳に掛ける掛けないの変化があると ヒロインが語っていたっけ(^^;) 千代の今度の髪型、似合ってね~!>スマソ別の表現としては*ハナさん死去既に女将の座はシズさんに譲ってあるし先週、先代天海天海さんの「秘密」を明かしたのでもう役割を終えたってことなのだろうけど彼女の雰囲気が素敵だったので、いなくなったのは寂しいな。*みつえ&福助に子供誕生。福松さんの息子だから福助…という命名も半分笑えて半分腹立ったんだけど(笑) あの、頭と耳たぶが巨大な人形を思い出させる名前で 本人は見た目もキャラも寧ろ正反対だから 笑わせようとしているな…という意図を感じたから(^^;)その福助の子どもの名前は一福…笑いも怒りもなくただ、一福…一服じゃないのね…一福…いっぷく…イップク…と、静まり返った脳内に寂しく響くのであった>ぉで、そんな千代の結婚生活は芝居一色、芝居中心。これからの家庭劇を盛り上げるため2人で切磋琢磨する…という想像通りの「中心」ではなく毎晩、芝居仲間が寄り集まり芝居論を戦わせ…るのではなく酔い潰れるだけ…というトホホな意味での「中心」千代にとっては、肝心の芝居の稽古さえままならない状況。『エール』でも、音楽仲間でもあった2人の結婚だったのに結局のところ、女性は妻であり母である生き方に甘んじることになった。勿論、それはそれで幸福な生き方ではあるけど子供の頃からの夢に没頭できないのって辛いよね。まあ、某前作の場合、W主人公の様でいてやはり夫側が本当の主人公だったしあのドラマは「才能」の有無を最重視してたっぽいし>要は妻には才能がなかったフェミニストを気取っていた妻が生き方を変えるのが面白いっちゃー面白かった。『おちょやん』は逆だから心配はないだろうけどね(笑)福助でさえ ←何気に失礼な言い方細やかながらも夢を叶えているところからしてもこのドラマは「才能」に拘るよりも「夢」に向かうのを奨励している気がする。現状では一平の方は、そうした生活の中で何かを掴もうとしているのか熱心に台本に取り組んでもいる。千代の方は「やっぱり二日酔いには千代ちゃんが作る味噌汁に限るわ」by漆原なんて言われている。この2人の間に亀裂が入るとしたら、ここらへんから?それとも、軌道修正して2人ががっちりタッグを組む様になる前振り?そんな中、チャップリン来日の知らせ。チャップリンにかこつけて(?)いよいよ万太郎一座VS鶴亀家庭劇が実現することに!…というのが、今週のネタ振り。初代天海天海さんは万太郎一座に勝とうと頑張っていたしチラッと出て来た舞台の様子はなかなか良さそうだったし万太郎さんの反応も明らかにライバルに対するそれだった。つまり、まだ負けてはいたものの肉薄していたのだろう。鶴亀家庭劇の方は、まだハッキリ分からないまま。本当は襲名披露までに、一平が目指すものが具体的に描かれるべきだったと思う。実際、その要素は幾つか投入され、進行もしていたから、イメージは分かる。でも、やはり、一目瞭然と言えるくらいに押し出してほしかったな。「台本はわしが書く」by千之助この問題もあったんだよね。やっと描かれる…って感じ?一平と千之助さんの2人もちゃんとタッグを組むべきでそれが出来た時に本当の意味での家庭劇が完成するのだろうね。それには千之助さんと万太郎さんの過去が関係してくる様子。ここのところがキッチリ描かれて、ようやく過去からの因縁はオシマイに?そして、皆で前を向いて歩んで行ける?チャップリンは…チャップリンは、登場しないんだろうな…『ひよっこ』におけるビートルズみたいなもの?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3850-4692bf23☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ チャーリー・チャップリン一福百果>まるごとみかん大福兄弟喧嘩>中川家
2021.03.08
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ハナさんの料理を二回とも一平が食べなかったことがつくづく気にかかる…>ぇ…ひじゅにですが何か?「ほな、してやったりやわ」by千代↑勿論、この言い方は冗談だけど千代が一平に襲名を受け入れさせるためアレコレしたのは事実。「お母ちゃん」作戦は思わぬ方向に行ってしまったものの一平が襲名を決意してくれたので、結果は〇と思いきやそれは一平が芝居を辞め天海天海という名前そのものを消し去ろうという意図があった…ちゅーことでまたもや千代の望みとは別の方向へ。明日には解決するだろうし千代が一平に何やら告げようとしているところで今日は終わったのでその「何やら」が一平を立ち直らせる鍵なのだろうけど…回想シーンでは>今週は小草若さんがちょこちょこ出てきて嬉しい子供一平が父親に顔を向けたところで終わっているからもしかしたら一平が芝居用の化粧をしてみせたんじゃないかな?それが天海さんに役者を続けさせる強い根拠になったんじゃないかな?…と推測>違っていたらスマソいずれにしろ、子供一平がした何かが天海さんを動かしたみたいなのでだとすると、結局のところ一平自身が鍵ってことだよね。千代はただ伝えただけ(笑)「してやったり」とはさせてやらないんだかんね!…ちゅーのが脚本家の意図?(笑)「いつまでそない嘘臭い顔で笑てんの!?」母親の前で笑い転げた時と同様道頓堀に帰って来てからも偽りの笑顔を仮面として被っている一平。何だか良いコンビだわ>こらこらまあ、今迄は色んな人を仲間にしてきた千代がこれから「家族」になる一平には手こずる…のはドラマのセオリーと言える?赤の他人に対してはRPG主人公の様だったのに血縁者であるテルヲやヨシヲには、そのパワーは通じないのと同じ?一平が陥っているのも血縁者への葛藤なのでここがテーマのひとつ?↑ちょっと『てっぱん』を思い出してしまうなあ。「家族」の絆は血ではない…というテーマは立派なものだったと思うけどそれを強調したいがために、話の方は血縁者同士の「家族」は崩壊し血縁者ではない「家族」が増加する…というインフレ状態に陥っていたんだよな(^^;)例えばヒロインの血の繋がりのない兄が子連れの女性と結婚する…etc.『おちょやん』とは、ちょっと違うか(笑)それにしても…母親の記憶と同様に父親の記憶も改竄されていた一平って…そこが正されてメデタシメデタシになるのだろうけどそのうち、母親に関しても、またもや正される日が来そうな感じだし…一平の問題は「血」ではなく「記憶」!?ネタとしては興味深くもあるけど結構「あるある」な問題でもあるけどドラマとしては、上手く描かないと独り相撲みたいになっちゃいそう(笑)でも、敢えてこうしたネタを盛り込んだってことはバッチグー(笑)の算段?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3848-3fd9884b☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 記憶力ながいもいなり寿司
2021.03.04
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母親ひいては家族に対する千代の思いがあまりにも強過ぎ、また理想的過ぎで妄執と言ってしまっても良いくらいに感じていたんだけどその思い自体が…というよりもそうした思いを抱いているがゆえにきっと何かあるだろう…と怖かったんだけどその思いが裏切られる!…という展開に早くもなってしまった。いや、遂になってしまったと言うべきか。泣きながら一平の母親をビンタする杉崎花さんの演技は今日もGJ!…ひじゅにですが何か?「ほんまのお母ちゃんのくせに!」by千代母親という存在に対する千代の“夢”はみつえ&福助の結婚の時にはストレートに叶えられた。千代自身が(それこそ朝ドラヒロインらしく)説教垂れたり暴走したり…するまでもなく母親達自ら、それを証明してくれた。だから“夢”は現実そのものなのだと思われた。一平に襲名をさせる(ことにより一座の状況を安定させる)ため千代が考え付いた策は、まさに「母親」。「映画みたいや」by平田千之助さんには言葉巧みに詰め寄って情報を得られたし“カフェ・キネマ”の仲間達の協力で客達から情報を得られたし千代の「おかげ」で順調に進行。いざ、母親に逢えた時のアレコレも、ちょっと極端な盛り上げ方で「映画みたいや」…つーか「芝居がかった」作りを意識している様に見える、このドラマのまさに真骨頂って感じ(笑)でも、内容的には千代の思惑とは正反対。そもそも登場時の母親の客とのやりとりの様子は、何かちょっと下品だったよね。「身請けしてくれはった旦那さん」と言っていたけど芸者か…まさかまさか娼婦に身を落していた時期があったってこと?いや、今だって、一見立派な旅館だけど…もしかしてもしかして?…と、疑いたくなってしまう雰囲気を漂わせた女性なのは確か。そして容赦なく一平の中の母親像と千代の中の母親への“夢”を打ち砕く。一平にとっては良い結果をもたらすと思う。父親の印章がガラリと変わったわけだから最初の目的である襲名に向けて前進していけそう。ここはやはり、ヒロイン千代の心境が興味深い。だって、彼女に逢うまでは「あんたと一緒に暮らしたいって思てはるかも分からへん」なんて言っていたのだから。「うちはそやった、テルヲともヨシヲともな」なんて、甘い甘い考えだったから。ひじゅには、家族との仲はまあまあだったから親とか血縁とかへの信頼感みたいなのはある。表面上は対立することがあっても根本は繋がっている…みたいな。毒親の下で育った人にしてみれば、とんだ甘ちゃんだろうと思う。でも、千代は逆に、毒親のために苦労してきたというのに家族への思いを捨てきれないでいる。完全に捨ててしまったら自分の存在価値もなくなるとの恐れから必死で縋っているだけなのかもしれないけども。で、そんなだからか“夢”ばかりが膨らむ。現実を知らないから落としどころもないしね。今迄、どんな人とも最終的には仲良くなってきたからそれも根拠になってしまっている。だから、一平のことなのに自分のことの様になってしまっていて母子の対峙の場にも何も考えず同席するし一平に語らせず自分でアレコレ出しゃばってしまう。それで、“夢”を破られ一平のためというより自分の感情が爆発してビンタまでしてしまう。テルヲとの血の繋がり(つまり遺伝)を強調しているわけではない(笑)カワイイっちゅーか哀れっちゅーかでも、気持ちは何となく分かる。とはいえ、ここで、こういう展開に持って行ったのは面白いね。まあ、実際のところ大人になった一平が一目で我が子だと分かったところとか「何で私があないな人、庇わなあかんねん」と言いながら自分に不利な真相を暴露して、天海さんを結果的に庇っているところとか一平達が去った後に泣き崩れたところとかからして芯の芯は千代の“夢”通りの「母親」だってことなのだろうけどね。まあ、そこは朝ドラだから「救い」がなくっちゃね(笑)☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3847-0908ed9c☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ お母ちゃんのロング割烹着夕凪の街 桜の国一平
2021.03.03
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また「お母さん」ネタ!いや、千代が「大阪のお母さん」になる物語…と認識しているので「お母さん」をテーマにしたエピソードが続くのは当たり前だとは思うのだけど…ここまで「お母さん」という存在を盲信しているとなると家族に恵まれずに育つとはこういうことか…と哀れでもあり怖くもあり…という感じ>スマソそれほどまでに「お母さん」像に拘る千代が自分自身が「お母さん」と呼ばれるに至るまでどの様な心境の変化があるのかとそこにちょっと興味が湧くな。…ひじゅにですが何か?「お前が天海天海の息子やからや」by社長↑「お母さん」だけでなく「お父さん」も関係つまり「家族」ということで…千代にとってのテルヲヨシヲにとってのテルヲ…も、そうだし一平にとっての天海天海さんってのもあって千代&一平は、これから「家族」になるわけである意味、非常に朝ドラらしいテーマでもあるな(笑)良くも悪くも…って感じ。まあ、ともかくもこれでまだまだイマイチな存在の一平を社長が起用した理由はやはり父親@天海天海にあることがハッキリ説明された。須賀廼家万太郎一座が大阪(全国?)喜劇界のTOPであることはドラマ初期から示されてきた。天海天海一座が並ぶ存在になるかと期待されたものの天海さんは若くして亡くなってしまった。他にコレといった存在が出ていない以上天海さんの血を引く一平に、社長が目を付けるのも必然。一座は解散してしまったし、一平自身もパッとしないままだったし今回の一座は懸けの様なものだったのだろうな。だから、寄せ集めみたいなメンバーだった…?千之助さんのおかげで盛り上がったけれど最初は以前のままの「笑い」で、万太郎一座に対抗しうる新しいものではなかった。それが一平始め皆のおかげで「家庭劇」ができあがり、それなりに評判を得たので次はやはり、襲名による宣伝なのだろうね。それを一平が拒否し続けるのはまずは父親がトラウマってのがあり、これはテーマに直結。で、そのためにマザコンも拗らせているんじゃないかという疑いも。同時に一平は喜劇人として父親の域には到底達していないから(嫌っていたはずの女遊びはしっかり引き継いでいるのに^^;)そのことのコンプレックスも大きいんじゃ…今回のエピは、これらが解消されるまで…ってわけ?しかし、こうしたことから“カフェ・キネマ”再登場に繋がるとは(笑)まあ、こーいうのは、ちょっと楽しいよね。みつえ&福助が少し絡むところも含めちょこっとメンドクサイところもないではないものの>ぉ連続ドラマらしくて良いと思う。一話完結のドラマって、それごとに中身がリセットされる場合が多い。そうでないと主人公が「成長」してしまい、世界が少し変わってしまうからね。朝ドラは一週ごとに一応の完結を見る作りが多いから一話完結ドラマと同じパターンになりがちなのかな…と思う。どんな波乱があっても、翌週は「なかったこと」にされている例えば、某前作の様な…>また言ってしまった(笑)でも、実際には朝ドラは半年続く連続ドラマ。繋がっていなければオカシイ。そういう意味では過去を忘れず、思いがけないところで出してくる今作はよく考えられている方じゃないかなと思う。まあ、それはともかくも千代の「お母さん」ひいては「家族」というものへの盲信っちゅーか、妄想っちゅーか、妄執みたいなのがどう展開されるのか、ちょいと興味深い。まあ、全体的には人情話で纏めるだろうけど(笑)☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3846-b4e07329☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ あんぽ柿らっきょう感謝の珈琲福袋
2021.03.02
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月曜日はネタ振りの日…ではあるけれど何だか、てんこ盛り(笑)いつもは、どっちかっちゅーと匂わせ的な出し方が多い印象。(まあ、台詞でだけどね)今日は、そのものズバリなネタを複数投入。そのせいか何だか目まぐるしい(笑)…ひじゅにですが何か?「何やぎょうさんいてるやないの」by徳利↑ネタもぎょうさん、人もぎょうさん。一人やあれへんな(笑)ヨシヲが去って嘆く千代を抱きしめる一平…先週のラストは悪くなかったのにどさくさに紛れて>ぇプロポーズする一平の図ぅ。先週ラストまでは千代の気持ちに寄り添っていたのに今週は自分の気持ちに忠実(笑)「また一人になってしもた」と泣く千代に「俺がおる」という一平の言葉はまさに殺し文句!行動も十分に伴っていて、説得力も十分。なのに、ここで焦ってプロポーズまでしてしまったら千代を混乱させるだけなのは分かり切ってるじゃん。弟のことをまず心のあるべき位置に収めるのが先だと思うよ。千代だけでなく、視聴者もね。…あ、でも、恋話が好きな人は少なくないだろうから需要に合っているのかな?「明日もきっと晴れやな」決まり文句で取り合えずヨシヲの件を収める千代。この台詞はどうしても『てるてる家族』を思い出すけどまあ、そこは置いといて>ぉ早過ぎっ!と言えなくもないけど(笑)恋話が始まってしまったから急がねば!…って感じ?あ、勿論一つのエピソードが終わると途端に全ては「なかったこと」になってしまってアッサリ次のエピソードが始まる…という呆前作よりはずっと良い>言っちゃったそして翌日、ヨシヲの件で座員達に謝る千代。「あなたは何も悪くないじゃない」期待していたほどには目立った扱いをされていないルリ子さんが今日は少~しばかり目立った台詞。一座は良い感じに纏まってきている…という意味では良かったしヨシヲの件が一応ケリがついたことを示してもいる…という意味で必要なシーンなのだろうけど謝る相手は他にもいるだろ?…という疑問も(^^;)テルヲの方が後味は悪いけどヨシヲのは犯罪だし…姉弟の絆を基に人情話で収まったのではなく社長の「力」のおかげだからなあ…これもまた恋話が始まってしまったから早く片付けねば!…って感じ?いきなり引っ越してしまう一平。イキナリのプロポーズで千代の心を揺れ動かした直後はイキナリ傍を離れて、結果的に嫉妬心を煽ったりもして急速に千代の心を自分に集中させる一平。女心に長けているな(笑)芸者遊びは伊達じゃない?結果的に…というのはタイミング良く香里さんが先に駆け付けていたからだけど恋のライバルというより良い役を貰うための媚びの様な気がする(^^;)それに、台所仕事はからっきし…な感じの香里さんに対し千代は料理もできるし気も利くし一平の好物も把握しているし全くライバルになってない。普通は逆に描くけど、千代はお茶子だったものな。そんなこんなで、大勢が一平の新しい住居に押し寄せる。意外に人気あんじゃん、一平>ぉもっとも芸者達にとっては大事な客だし座員達は既に仲間意識で団結していることが上のシーンで示されたし必然ではあるよね。でも、社長までもがやって来てイキナリの襲名話は、ちょいと唐突…な気がする。だって、芝居の面ではまだまだ一平は活躍しているとは言い難いもの。一応、社長が目指している新しい喜劇という点では何とか実現させていると言えるけどまだ千之助さんにおんぶに抱っこの面が大きい。社長としては、一平を認めたというよりも天海天海の名による宣伝効果を狙っているだけ?とはいえ、この件が一平がしっかりと立つきっかけになってくれればメデタシメデタシだな。千代と一緒に新しい喜劇の道を歩みだす!…という良い区切りになる。そして後半戦へ!…って感じ?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3845-5725e7ed☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ プロポーズ引越しそば半助
2021.03.01
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千之助さんの「マットン婆さん」の名前の由来はお松どん→松どん→松トン→マットン!とのことで無理あるなあ…と思っていたのだが(笑)今回のことからすると「毎晩、夜回りしてくれはったんですか」by一平ちゅーことで張り込みをしていた→待っていた→待っとん→マットン!?…やっぱ、無理あるなあ(笑)…ひじゅにですが何か?「お前らを雇てる連中とみんな話がついたてな」by一平↑ここここれで解決!?芸能界のことは、よう知らんけど「や」の付く職業の人達と裏で関わっている…という噂は聞くよね。今回、鶴亀を潰そうとしたライバル会社がヨシヲが所属するグループに頼った様に鶴亀の方も同業者グループと繋がっていてその力の差によりアッサリ解決…というわけ?この台詞ひとつでオシマイだなんて、ご都合主義!とツッコミが入りそうだけどさすがに裏事情を暴露するわけにはいかないつーか、朝ドラで取り上げるには重過ぎる…っちゅーことで、この描写に留めた?↑疑惑の眼差し(笑)まあ、それとは別として社長に話そうという一平を止めて自分で何とかしようとした千代なのに結局のところ事態を解決してくれたのは社長弟を引き留めることもできなかった千代…っちゅー、皮肉を込めた結末?でも、ヨシヲは今後、大丈夫なのかな?姉へのコンプレックスが解消されたとしてもやはり、あそこにはいられないよね。姉の世界なのは確かだし「男」として、姉に頼らずしっかり立ちたいという気持ちもあるだろうし。それに、ヨシヲの中には、まだ彼らが自分を助けてくれた…という思いがある。あの強烈な思い出は決して忘れられないだろう。彼らにしたって、逮捕されたというわけじゃなしヨシヲにまた連絡を取ってきたりしないかな?ちょこっとさ映画『メイドインホンコン』(フルーツ・チャン監督)を思い出す。行き場のない若者達に優しい兄貴の顔で近付いてバイトと称して借金取りとして働かせてやがては組織の一員として取り込み、利用しようとする「や」の付く人が登場したよね。それとも、もはや利用価値はないと捨てられた?それにしても、杉崎花さんの演技は圧巻だな。泣いたり縋ったり笑ったり説得というより、ちょっと押しつけがましかったり>スマソそんな風に姉っぽさを出したり、甘えも見せたり諦めと未練と失望と希望と…コロコロと表情を変えでも、大袈裟でも不自然さもなく小動物の様な可愛らしさも漂わせている。一平に抱き締められた時はまた雰囲気が変わるし。花…恐ろしい子!まさに北島マヤ!浪花千栄子さんの生涯というより『ガラスの仮面』実写版という感じかも?だから「紫のバラの人」が出てきたのか?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3843-12592c7b☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 金賞健康米のおかゆ台湾泰山八宝粥ざら茶がゆ
2021.02.26
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おお、あそこで千之助さんが登場するとは!?初回も二回目も家庭劇の公演は千之助さんがメインだし主役だから台本も書いたから…ってだけでなくアドリブが冴えていたのは事実だし天海さんを思いながら一人酔い潰れるという泣きのシーンもあるしヨシヲの影の軍団(ぇ)の嫌がらせを市場受けているのも彼だしそして今回…ドラマの主役も千之助さん状態じゃん(笑)一平よ!千代はまだしも…お前の印章弱すぎじゃね?千之助さんに勝ってるとこ、顔だけじゃね?>ぉ…と思っていたけど今日はようやく少し活躍したな(笑)…ひじゅにですが何か?「お前の思い描いていた理想の弟はもう何処にもいてへんねん!」by一平↑これだよな…って思った。家族に恵まれないだけに家族への思いは人一倍膨れ上がる。実体がないだけに、それはどんどん理想化する。だから、先週の「親は子の幸せを願うもんやろ」って台詞がサラッと出て来る。だから、どんな目に遭わされてもテルヲを完全には捨てられない。憎しみはあるだろうし、呆れてもいるだろうけど心の底では捨てきれないものがある。ましてや、ヨシヲ…自分が守るべき存在だった弟への思いは果てしなく大きくなっているだろう。でも、実体と結びついていないからヨシヲの方は姉を認めてワザとぶつかってみたけれど千代は気付かなかった。ヨシヲが真実に気付くべきなのと同じ様に千代も目を覚まさなければならないのかもしれない。その向き合うべき真実がヨシヲがもう救いようのない人間になり下がっている…ということだったら千代の今迄の人生と千代の存在意義の大半が崩れ去ってしまう。意味のないものとなってしまう。だから「うちがあかんようになってしまう」なのだと思う。ただ、そこは朝ドラだから(笑)あかんようにはならない。ハッピーエンドの方向になるハズ。ある意味、理想は現実になる。多少、調整は必要かもしれないけれど(笑)ちゅーことでこの状況を動かすのは千代ではなく事態を冷静に見つめることができる第三者ってことで一平が、そしてまた千之助さんが動き始めたのは良かったと思う。「わしのとこ、来るか?」汚れて怯えた幼いヨシヲに優しい声をかけてくれた男性がいた。あれはヤクザのボス…だよね?この一瞬のことはヨシヲには忘れられないだろう。本当の優しさではなく、ただ捨て駒としようとしているだけ…なのだとしてもそれにヨシヲが気付いたとしてもただの悪党でしかないのだと知ったとしても…この、ほんの一瞬の温もりがヨシヲを支配しているのだと思う。昨日、千代とヨシヲは表裏一体と書いたけれども本当にそうだなと改めて思うシーンだった。千代もヨシヲも出逢った人々に「家族」を求めた。千代の場合は、たまたま皆が良い人達だったけどヨシヲはそうではなかった…というだけ。悲しいなあ…☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3842-7ac5fcc1☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ ふなっしーの弟>ふなごろーたき火>虫よけマスコット火の用心>トイレットペーパー
2021.02.25
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ヨシヲったらいかにも口先だけ…って感じが出ていて良いわ~>良いんかい!?それも、熟練とか手慣れているという印象ではなく背伸びしている青二才で(笑)それが顔にも出ているしハナさんが言う様に、役者向きではないな。ちゅーことは、役者である千代の方が上手っちゅーことです>ぉ…ひじゅにですが何か?「あんな奴と一緒にすな!」byヨシヲ↑ヨシヲにとってもテルヲはトラウマ。早くに離れた千代にはまた根底に親への情が残っている。ヨシヲは同性のせいもあるのだろうけどあんな風にはなりたくないと憎悪しながらあんな風になってしまっている。それが悲しい。心の奥の奥では、やはり情はまだあってそれが満たされないから益々歪んでしまうしそれを満たしてほしくて変な奴らに引っ掛かる。一歩間違えば、千代もそうなっていた可能性はあるので姉と弟は表裏一体…「そんなん…テルヲとおんなじやんか」テルヲは本能のままに生きてるって感じだけど(笑)ヨシヲは自分は上手いことやってると自負しているっぽいし自滅型ではなく他人を踏み台にしているわけだからこっちの方が性質が悪いぞ。でも、テルヲは悪気はない(悪いと思っていない)から反省することもなさそう(その場しのぎ)なのに対しヨシヲは明らかに犯罪行為+利用されているだけだから真実を思い知った時、改心する余地はあるだろうな。一平が思い出していたのは、ヨシヲの刺青。そんなん全然、気が付かんかったよ>よく観ていない証拠?最近はオシャレタトゥーも多いけど(エド・シーランとか両腕ビッシリ)当時は刺青=ヤクザでしかなかったのだろうな。えっ刺青とタトゥーを一緒にするな?ススススミマセンスミマセン!とはいえ、田舎者ひじゅににはやはり、どっちかっちゅーと悪いイメージの方が強い。それでも「お母ちゃんから貰た大事な身体、何でそないなことでけんの!?」という言い方は、あまりしっくりとは響かなかった>親不孝でスマソでも、一緒に死ぬのも厭わないと思っていたヨシヲの嘘を千代に気付かせるには“母親”を絡ませるしかなかったのだろうな。「このままやったら、うちがあかんようになってしまう」父親への思いは悉く打ち砕かれ「家族」の絆として最後に残された弟という希望さえ否定されたら千代の人生そのものが意味のないものになってしまうものね。まあ、芝居が残る…とは言えるけど。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3841-b9198741☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ トキドキ タトゥー バービータトゥー袖 ロンパースタトゥー隠しシール
2021.02.24
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日本で初めてキスシーンを入れた映画は『はたちの青春』(佐々木康監督)1946年 実際は『ニコニコ大会 追ひつ追はれつ』(川島雄三監督)が 4か月早いとか。日本で初めてキスシーンを入れたマンガは『拳銃天使』(手塚治虫著)1949年前者は賛否両論だったらしいけど後者はかなり批判されたらしい。 「こんな破廉恥なマンガを描く手塚という男は 子供に害毒を流す敵である」PTA会長 「売国奴、すぐ処罰すべし」自称共産党員『おちょやん』の時代はもっと昔だから相当厳しかったのだと思う。今じゃ全然何てことないシーンなのに。↑そーいう感覚もまた別の意味で問題あり?…ひじゅにですが何か?「ああでもせな、お客さん楽しませられへんもんな」 by千之助↑そうだよね…前座で力試しみたいなこと言っていたけどアドリブで笑いをとる千之助さんとは違い一平のは芝居の質を上げる様なものではない。インパクト重視というか…はっ!インパクト重視といったら、まさに朝ドラのことじゃん!ブーメランじゃん!自虐か、一平…もとい八津弘幸?それとも今作はそれにあらず前作含めたダメ朝ドラへの糾弾…ってわけか!?…なんてことは置いといて>ぇ一回目は突然のキスシーンで中断。二回目は放火予告で中止。一番の被害者は千之助さんの様な気が…だって演じることさえできないままなんだもの。そんな中、アッサリとヨシヲ登場―ヨシヲの方は千代の存在をしっかり把握していると昨日のボヤ騒ぎの時に感じたけどそれならそれで、もうちょい“故意のすれ違い”を繰り返すのかとばかり…あまりにもアッサリした登場にビックリ(笑)しかも、紫のバラの人はヨシヲだった!?いや、こちらはさらにアッサリ過ぎるので嘘の可能性も…でも、やはりアッサリ主義なら本当にそうなのかも…つーか、あの2回の花籠が“故意のすれ違い”の代わり?「初めは泥水すする様な毎日でな…野良犬以下やったわ」家出をした後も苦労続きだったらしいヨシヲ。つーか、当たり前っちゃー当たり前だな。上手いこと良い人に巡り合えて料理屋に嫁いだり理容店を始めたり…なんて幸運はそうそうは掴めない。あ、前者は結婚後が大変だったんだっけ。でも、ヨシヲは今も昔も大変そう。人間性も少し歪んでそう。朝ドラだから心配しないけど>ぉそれより、一平はどうするつもりなのかな?あのキスシーンに至ったのは検閲への反抗心表現の自由を訴える気持ち…もありそうだけどアッサリ許してもらっちゃうところを見るとここはさほど重要ではない感じ(笑)芽生えつつある千代への思い…もあるかもしれないけど私的な思いが芝居に昇華される…というのは良いけど芝居に私情を挟む…公私混同的な行動は個人的に好きじゃないので、あまり考えたくない>スマソそれより何より追い込まれちゃってるからじゃないのかなあ(^^;)ただでさえ亡父へのコンプレックスに押しつぶされそうなところ千之助さんという大きく重い存在があるしなあ。役者としては勿論、作家としても差を付けられちゃってるわけだし。ひとまずは、放火予告のおかげで(?)少し間をおけそうだからもっとちゃんと芝居と向き合ってほしいなあ。まあ、多分、彼も千代と同じく周囲の出来事や自分の経験を基に動いているから(みつえ&福助の結婚を下地に今の前座芝居を書いたくらいだし)今回の千代やヨシヲとのことも糧になるのだろうな。一人何やら考え込んでいたけど千代への罪悪感?ヨシヲへの疑惑?それとも?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3840-606ce5fe☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 紫のばらと蝶のケーキデコポンの兄弟>はるみ拳銃天使
2021.02.23
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ヨシヲとの再会は、終盤に入ってからかと勝手に思っていたけどテルヲはいつかまた出て来るのだろうから間にヨシヲが入った方がバランスが良いか(笑)紫のバラの人(ぇ)がヨシヲだったと…いうオチも考えられるけどそれはちょっとアザトイか(笑)…ひじゅにですが何か?「俺は前座で自分の力、試さしてもらいます」by一平初回公演一平:台本不採用千之助:アドリブで昔ながらの喜劇で客席を沸かせるも皆の頑張りにより「痛み分け」第二回公演一平:台本は採用されるも「めちゃくちゃ」書き直される千之助:アドリブ成功、しかも一平ぎゃりたい「家庭劇」を見事に体現そして三回目は一平:前座ここここのままでは千之助「成長」記。一平がダメダメになるばかり…なので、自ら前座志願。これで彼の台本力が認められるか!?っちゅー気はするけどスマソ!黒衣さん解説による『若旦那のハイキング』面白いと思えないんですけど…>こらこらみつえ&福助の結婚騒動をヒントに話づくりをしたのは良い。周囲の出来事が芝居にしっかり反映される―というのがドラマとして面白いと思うから。千代は「お母さん」と評価される様になるわけだからこうした、脇の人々とのアレコレが身となっていく話にするのは正解。でも、心中に賛同するか否かで気持ちを量るって話としても面白くないし「毒が入ってるというのは嘘でした」ってオチなのもナンダカナ…なんだけど(^^;)ドラマ内では面白い話と設定されている!ってことなら、その様に切り替えて視聴するまで。やはり、一平の台本はイマイチでした!というオチのオチだったら、ちょっと悲しい(笑)検閲の話が出て来てまずはそれに挑戦、もしくは反抗…の図ぅ?台本を変えられたっちゅーことで今度は一平がアドリブをかます番か?…と思ったら、まんまだったので笑ってしまった。削られたのは抱き合うことで本番ではキスこれは挑戦以外の何物でもない…という気はするけどただ、それは警察に対するもので客に対して…芝居として…はどうなのだろう?千代&一平のカップリングは最初から決まっていることなので朝ドラヒロインの法則に則って(?)鈍感極まりない千代に手っ取り早く一平を意識させるのには良い手段!…という捉え方もできるけど(笑)まずは芝居としての出来を考えてほしいから、この説は支持したくない。それで千代に恋心を芽生えさせて、それを芝居に生かす!というのも手ではあるけど、小暮さんの時の二番煎じっぽくなっちゃうしな。まあ、当時としてはセンセーショナルな舞台として話題にはなりそうだけれどもね。それを計算して実行しただけでは一平がナンダカナ…になっちゃうので一平の中に千代への思いがあるからこそ…という風にはなりそうだな。ドラマとしては―最初に、みつえ&福助のキスを連想させる動きをさせといてラストで、千代&一平の本当のキスという流れ(ちゅーか、オチ?)にしたのは纏りがあると言えないこともない?(笑)「ヨシヲに一緒に死んでくれいわれたら、うちは死ねる」千代がこの芝居を成功させるとしたら、一平よりもこちらの気持がベースになるとは思う。週タイトルからして、ドラマとしても、こちらが中心っぽいから。ボヤ騒ぎのシーンで、千代とぶつかった男性がヨシヲで恐らく、彼が放火犯…って感じだよね。さすが、ネタ振りの月曜日!(笑)☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3839-fb2ba380☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへハイキング>アウトドア探索 キットぶどうなす
2021.02.22
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何や、アッサリ終わってしもたな…いや、もっと拗れろと言っているわけではないよ。寧ろ、そーいうのはメンドクサイので苦手。今回、いつもとは逆に芝居にインスピレーションを得た千代…という形だったけど例えワンパターンだとしても、やはり最後に芝居に昇華させてメデタシメデタシ…というのが個人的には好きだったりするもんで>スマソ…ひじゅにですが何か?「必ず許してくれはる」by千代衣装のまま走り出す千代の図ぅ―で、昨日は終わり、今日は始まった。朝ドラ“お約束”で言うなら唯我独尊ヒロインがお節介するために暴走する図ぅ―だけど、千代はそうならないのでイカニモ典型的な朝ドラヒロイン像を皮肉ってるのか!?…という疑惑が濃厚(笑)駆け落ちを力づくで阻止するのでもなく目いっぱい背中を押すのでもなく理解のない大人達に説教するのでもなく無理くり和解させようとするのでもなく…子供達の方に、もっと親に迫れと説得するとは少~しばかり斬新?「もっと無理言うたらええねん何遍でも無理言い続けたら、いつかきっと寮人さんも許してくれはる」キーワードは「無理」と「変わる」だろうと思っていたら早速出てきた「無理」(笑)これぞパワーワード?「駆け落ちなんかしたらそのお母ちゃんにもお父ちゃんにも一生逢われへんようになんねんでもう帰る場所がのうなんねん」千代は故郷へは二度と帰らなかった…と黒衣さんが言っていたよね。千代は一度、自分の「居場所」を失った。。でも、“岡安”が、道頓堀が、千代の「居場所」になってくれた。そう考えると、千代がこう主張するのが分かる。あのテルヲにさえ、心の底では慕う気持ちを捨てられない千代だから親という存在への思いは果てしなく強いだろう。理想化かもしれない。でも、信頼でもある。「娘やさかい、無理言います」母親の前で土下座する、みつえ。千代の大活躍!で解決させるのではなく千代の言葉が起爆剤(?)になったとはいえ実際に行動したのは、みつえであり福助…というところが朝ドラ破りというか(笑)良いとこかもね。「また着物が泥だらけやんか」ちゅーことで、ネタ回収したし(笑)菊VSシズは明らかにシズさんの方に拘りが強過ぎて彼女が折れれば全て解決!という雰囲気が強かったのでこの折れ具合をもうちょい掘り下げて描いてほしかった気がするな。シズさんはかなり暴言吐いてたんだし(笑)だから、菊さんの方が大人の対応というか…度量の大きさを示してくれたという感じで千代の信頼を受け止めたシズさん…という印象は弱かったな。まあ、ここは、子の無理を聞く親の図ぅ…ってことでシズさんだけでなく菊さんの側も…描く必要があるからなんだろうけどそれでも、千代ももうちょい立ててやった方が良かった気も。ヒロインはいなくても良い…なんて言われちゃいそうでさ(笑)「何でやろ…今やったら分かります」byシズもう一つのキーワード「変わる」は、ここに集約?「あんたのお母さんの代わりに」ハナさんも、菊さんにお酌するシーンに集約させているけどもうちょい話に関わっても良かった気がする。「親は子の幸せを願うもんやてみんな、ほんまに幸せそやな」まあ、千代に関しては、ここで報われたってことなんだろう。「親」という存在に対する信頼、「親と子」に対する夢それが肯定された瞬間だから。「大阪のお母さん」になる土台になったわけだしその「お母さん」ぶりが伺える様なエピだった…とは言えると思う。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3837-cbd0fbfa☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ お酌赤鬼無償の愛と思いやり>インカローズピアスみんな幸せ>博多屋台のおでんセット
2021.02.19
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「マットン」って何か意味があるのかと思っていたらお松どん→松どん→松トン→マットンだそうで…無理あるなあ(笑)…ひじゅにですが何か?「無理聞いてあげるんが生きる喜びです」by千之助千之助さんったらアドリブを入れまくるであろうことは想定の範囲内だったけどただ、その場の笑いをとるためのものだったら先回の『手違い』の時から何も変わっていないということになり千之助さんが意固地なだけ…で終わってしまうところをアドリブはアドリブでも笑いだけでなく泣きの芝居も披露。一平がやりたいこと、まさに「家庭劇」のコンセプトをしっかり受け入れ、かつ自分のものにしている。千之助、恐ろしい子!たださ千之助さんが自分で書き直した台本にさらにアドリブを入れて、より濃い芝居に仕上げた―ということは分かるのだけど大元の一平の台本がどういうものだったのかも見せてほしかったなあ。…そこがちょっと残念だって「自分の台本、めちゃくちゃに変えられたんが悔しゅうて」と、一平が言っているくらいなんだからその「めちゃくちゃ」の部分がハッキリした方が面白そう。そもそも千之助さんとの方針(というか信念?)の違いだけなのか一平の台本がまだまだ未熟(というか、ダメダメ?)なのかまだよく分からないし。「形は変わっても俺がやりたかったことが、ちゃあんと残ってる」今のところは、この一言で納得はできるけれどもね。「千さんはハナから、あれを目指してたんや」一平の信念と自分の信念の両方を盛り込んだある意味、パーフェクトな芝居を実現してみせたっちゅーこと?つまり、これが完成形?本当の意味での完成は千秋楽なのだろうけど。で、今後は一平の台本がここに追いつく必要があるということ?みつえ&福助の件とリンクさせているところは「無理」と「変わる」か?3つの時のお祝いの着物を汚してしまい新しい物を強請った娘の願いをシズさん達は叶えてやった。甘やかし過ぎだと自戒しつつも「あの時の、みつえの嬉しそうな顔は一生忘れられへん」と言うシズさんと?着物はお金がなくては買ってやれないしマットン婆さんが用意してやったのはズバリお金だし物質的なものを象徴に用いているのが気にならないこともないけど…まあ、分かり易いっちゃー分かり易い(笑)千代が昔、羨ましく思ったのは疲れて眠るみつえを背負う宗助さんの姿だったりしたけどそこを「無理」と結び付けて描くのは難しいかもね。ちゅーことで子供が言う「無理」を聞いてやることに親の喜びがある―↓長年の確執を解消し、みつえ&福助の結婚を許すという流れ?その流れをスムーズにするのに「変わる」ことが必要になってくるというわけ?早々に商売替えした上に新しい商売は息子の夢を反映してもいるので“福富”の方が柔軟性がある感じだな。“岡安”も宗助さんは既に新しい考えを入れようとしているしキャラ的にハナさんも過去に執着したりはしなそうだし結局のところ、シズさんの心次第ではあるんだよね。だから「母」であり「無理」であり「変わる」なのだろう。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3836-47bb4dfd☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 七五三キューピー生きる喜び>リップスティック ピカソシリーズ 体温で形が変わる>ノーズパット
2021.02.18
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嫌いだと思っていた、うまい棒コーンポタージュ味を久しぶり&恐る恐る食べてみたら長いこと思い込んでいたよりも優しい味で美味しかった。別に、うまい棒を克服しても何ということもないんだけど(笑)人間関係や、ドラマとの相性にも言える?思い込みを避け、柔軟性を持ち自分自身の感覚が変わる可能性もある…とかさ。…と、自分でもよく分からないことを呟いてみる(笑)…ひじゅにですが何か?「お前に親の気持ちの何が分かるんじゃ」by千之助↑結局、そこに行くんかい!?…って感じだな(笑)やはり、その手で来たな、千之助さん。あの朱線だらけの原稿の様子では手直しどころの話じゃないよね。ほぼ全編書き直し(^^;)思い出すのは『ファイト』暗い話で始まったのに、後半はやけに明るくなり「これがテコ入れってやつか…?」と裏事情なんてまるで知らないのに、そう思ってしまった。それで作品の質が上がったのなら「成程」で終わるけど逆だったんだよなあ…千之助さんの『マットン婆さん』はどうなのかな?今迄のイメージからするときっと、笑いをとるという意味では抜群のものなのだろうでも、それだけでは、『手違い』の初期のころに戻ってしまう。「俺はこの台本で母親の無償の愛情、描きたかったんです」by一平それに対する千之助さんの言葉が上記のものだから笑いだけじゃない部分も、千之助さんはちゃんと抑えているのかな?いや、あの時は皆のアドリブ合戦みたいなものだったからな。笑いだけでなく涙の要素も入れる…というコンセプトには叶っていたしだからこそ社長も万太郎さんも認めたわけだけど千之助さんとしてはそれでもやはりアドリブ!やはり笑い!という信念を曲げるところまでは行かなかったのかもね。その前に、みつえ&福助の恋話はまだ続く―もはや家同士の問題ではなく親同士の問題でもなく女同士っちゅーか菊VSシズという単体のものになっている。それも、多分、シズさんの方だけ。今日の客@岩常銀行の件は、菊さんの方はかなり譲歩しているというかもはや確執は、ほぼ無くなっている様に見える。「暖簾分けせえへんかったら、うちの店は今でも続いてた」という言葉はちょっと気になるけどね。まあ、売り言葉に買い言葉ってヤツだろうし芝居茶屋が衰退の一途を辿っているのは時代のせいだし。あそこでシズさんが素直に感謝していたらメデタシメデタシだったはず。ハナさんが言っていた様な商売上のことではなくシズさん自身の中に何かありそう。ももももしかしてここで、あの、延四郎さんとの一件が関わってくるのかな?シズさんとしては、恋より家業を選んだわけだし。そこまでした家業は風前の灯だし…↑違ったらスマソどちらにしても、やはり「親の気持ち」が大きいのだろうな。マトモな親に育てられなかった千代は理想論は言えても本当のところは分からない。同じく分からないはずの一平は、芝居を通して理解しようとしているので今回の台本の内容がこれから大きな意味を持ってくる?ハナさんのシズさんに対する親心も大きく意味を持ってきそう。(今日イキナリ彼女が関わって来たのは、『マットン婆さん』とリンク?)そうした中で、シズさん自身は親としてどんな思いをを抱いているのか?あるいは、親としての気持ちを取り戻そうとしているのか?朝ドラに付き物の少女マンガチックな恋話は好きとは言い難いんだけど単純なラブストーリーに終わらず色々な要素、色々な人々の内面…を絡ませているので印象は悪くないかな。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3835-54e92a8d☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ おばあちゃん家の梅本家と分家マットンサン
2021.02.17
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縁談にも進んで応じる態度だった、以前のみつえが福助との結婚を「夢」とするに至ったのは何故?という疑問の答を今日は描いてツッコミする気満々の視聴者への対策もバッチリ?もう一つ、多くの視聴者が抱いたであろう一平の台本の内容は?…という疑問への答も用意。痒いところに手が届く…とまでは行っていない気がするけど>スマソそうあろうとする気概は認めるわ>エラソウ…ひじゅにですが何か?「うちの夢、取り上げんといて!」byみつえ↑ちょいと興味深いのは「愛」とか「幸福」とかでなく「夢」と言わせたこと。みつえ&福助のために動き出そうとする千代。でも、シズさんの強固な態度に「任しとき!」から「よう分かれへんねん」とあっという間にトーンダウン。親は子の幸せを願うもの…と、理想論を掲げてはいたけど経験したわけじゃないもんなあ。経験していないからこそ、理想は膨らむけど実体はない…根拠はない…理解してもいない。「なんぼ可愛い娘のためでも譲れへんこともあるわ」by一平一平も千代も、親に関して、そういうところは十分に経験している。そして、自分自身も(子供はいないから単純に比較はできないにしても)今は「譲れへん」ことのために生きていると言える。「別れへんさかい、この芝居がやりたいねん」by一平以前にも言っていた様に、一平は芝居を通して色んなことを理解し、そんな自分自身を理解してもらおうとしている。千代はまだ、ここまで考えが達していないだろうな。本能的に行ってはいると思うけど。あ、もしかして一平=頭脳(理論)千代=身体(行動)…って感じ?まあ、良いコンビになるってことッスね。良いコンビといえば、みつえ&福助もだね。“岡安”の女将になるという夢が断たれつつある、みつえの心を断たれたと思われた福助の夢@トランペットが救った。これって、かなり重要。そして、「惚れたはれた」だけでなく「夢」になる。疑問の答はまだある。宗助さんと福松さんがこっそり逢っていたのは「新しい商い」の相談のためだった。みつえ&福助のため…という安易なものではなかった。こちらの方が現実的。そして、芝居茶屋を無理して続けるか、新しい道に進むか…そこのところにも「夢」が関係してくる。シズさんが猛反対する理由の一つには芝居茶屋のこと、“福富”は既に新しい道を歩んでいることその狭間でのシズさんの「夢」もありそう。シズさんは、好きな人ではなく芝居茶屋を継ぐことを選んだのだしな。一平の台本は「母親の無償の愛情」を描いたもの。結局のところ、“岡安”と“福富”の対立は「商売敵やったさかいやん」ではなくなり「いがみ合う理由あれへん」という単純なものでもなくなっている。感情的なものだから、芝居で盛り上げて感情を揺さぶり人情話として解決させるのかと思っていたけどここに「夢」(つまりは、生き方)が絡んできたからもっと違う切り込み方をするのかな?…あ、お茶子さん達による小芝居について言及するのを忘れてた。何かさ、小芝居っちゅーか茶番(?)が出てくるのも朝ドラ“お約束”?まあ、お茶子さん達も描かなくては背景で終わってしまうしな(笑)一平が台本を書いた…ってところが気になるな。今、取り掛かっている台本との対比?千之助さんが、気になるところがあったら手直しすると言っていたのでそこに通じる気もするし>台本の出来台本を上手く生かせる役者がいないとダメ…というのにも繋がるかも?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3834-815dbcaa☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ トランペット ピンキーお母ちゃんが行く!夢
2021.02.16
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月曜日はネタ振りの日。今週はみつえ&福助の恋話が取り上げられるだろうことは先週から仄めかされていたから>つまり“まんま”だから今週の真のネタは、やはりこの出来事が鶴亀家庭劇の舞台にどう影響を与えるか―なのだろうな。…ひじゅにですが何か?「お澄ましみたいなもんやなあ」by千代↑お澄ましにナスの漬物にコーヒー…強調している様に感じたのは空腹時に観ていたからでせうか?>ぇ鶴亀家庭劇の初興行は大盛況。存続決定。ちゅーことで、次は一か月後。千之助さんのアドリブを主体としたいわばドタバタ喜劇よりも千代達が機転を利かせて纏め上げた涙と笑いの入り混じった喜劇が認められた。ちゅーことで、次は一平の台本がいよいよ取り上げられる。それが出来も良く客受けも良ければ鶴亀家庭劇はようやく完成ということになる。勿論、基本的に…ということでそれを土台にさらに進化していかなければならないけど。「前より笑えるとこ増やしました」by一平「気になるとこあったら、ちょこっと直してええか?」by千之助ちゅーことで、お互いに磨き合っていければ理想的。雰囲気的に、まだ千之助さんの方が上の立場っぽいしまだまだ、すんなりは行かなそうな気もするけども。つーか、そう簡単に解決する様な問題ではないな(^^;)“岡安”の食卓シーンで千代達の芝居の話から、“岡安”の状況の話になりさらに、みつえの縁談へと話は移る。千代が道頓堀に戻って来たばかりの頃はみつえは家のための縁談を受ける覚悟をしていた様子だった。でも、既に福助との仲は微妙な仄めかしがあったのであれから2人の思いが大きくなり固まっていった…ってことっすね。「今でも思てんねやろかな、一平君のこと」by宗助確かに子供時代はそんな感じだったから、ここの部分を無視したら以前の話との繋がりが~連続ドラマらしさが~…と、ツッコミが入るところ(笑)でも、個人的には、この手の話は苦手(つーかメンドクサイ)だから、真っ先に取り上げられ、アッサリ解決したのは良かった(笑)みつえと福助は、一平とは違う形で絡みがあったものな。特に橋の上でトランペットを落とされるシーンが印象に残っている。幼馴染同士で、どちらかが一方的に熱を上げている…という場合は、ハッピーエンドには至らず何かちょっと揉めていたり、女性が強く男性が弱い…なんて場合は、大人になって恋話に発展しやすい…というのも、朝ドラ“お約束”?「親は子の幸せを願うもんやろ?」by千代こんな台詞を千代に言わせるところに複雑な意味が感じられる。*千代の母親は子供思いの良い親だった。少なくとも、千代はそう信じている。*テルヲにはさんざん迷惑をかけられてきたけどだからこそ、正反対の親に憧れる…いや、正反対こそが真の親と信じる切ない気持ちが伺われる。*千代にとっての“岡安”は第二の(つーか、真実の)家族でシズ&宗助への信頼と愛情が確固としたものとして千代の中にある。*優しい親の下で大切に育てられてきた、みつえはある意味、千代の理想の「娘」像。今になって家の犠牲になるのは、その理想が崩れること。親という存在に対する夢も崩れること。だから絶対に分かり合えて幸せにならなければならない。…等々。“岡安”と“福富”は敵対関係にある…ちゅーても“福富”が商売替えをした今、もう意味を失っている。宗助さんと福松さんは密かに逢っていたりするから対立云々はハナっから無し。つまり、シズさんと菊さんの2人だけの問題。千代を道頓堀から逃がす時、菊さんも協力してくれたしルリ子さんの件(台詞の練習)からしても、人間的に良い人そう。ロミオとジュリエット風な設定ではあるけど、悲劇では終わらないだろう。千代を庇って借金取り達に両手を広げて立ち塞がってくれた、みつえには幸せな人生を送ってもらいたい、ってのもあるけど(笑)母親同士の和解を、それこそ涙と笑いで盛り上げる算段だろう。だからさ、そこで終わらず、寧ろそこから鶴亀家庭劇の次の舞台へと繋がって行くのだと思われるよね。まだ内容は明かされていないけど今週のタイトルからしても、親子の情愛をテーマとしたものっぽい。母子物なんて最適じゃん。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3833-e5d916ee☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ イタリアンワイン大阪泉州水ナス漬け母の日
2021.02.15
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最近、『てるてる』家族(BS再放送時に録画したもの)を父が気に入って、一緒に少しずつ観ている。とても楽しい。朝ドラって、本来こういうものなのだろうなと思う。個人的には『おちょやん』は、それに近いけど>今のところそれには程遠いものが多いのは何故なんだろう…?そういえば、『てるてる』と同じ脚本家さんの『なつぞら』は程遠いも程遠い…個人的にはイマイチもイマイチ…>スマソだったしな(^^;)…ひじゅにですが何か?「好き勝手やりくさりよって」by千之助↑それはお前やろ!…と、全国からツッコミの声が上がった?(笑)まあ、これは皆のアドリブ力を認めた…ということだろう。単純なアドリブVSアドリブではなくそれぞれの役柄を崩すことなくかつ、自由自在に動けたというわけだから。そこのところを描くのに、変に解説を入れるのではなくましてや台詞でスルーするのでもなく(笑)舞台そのもので見せてくれたのが良かった。観客としても楽しめたし所々にモノローグやナレーションが短く入ってそれもまた良かった。ちゅーても、所々で空白の一瞬があったりして実際に観客としてリアルに舞台を眺めている身だったなら素直に笑えたか否かは微妙…な気もする。まあ、実際には、事情も心情も知った上で見守っている立場だからその戸惑いが却って面白かったわけだが。千之助さんは自分のアドリブ力を強調するために天海一座からのメンバーは入れず喜劇初心者をキャスティングしたのかもしれないけど今回は、寧ろそこが効いていたのだと思う。この調子で皆がもっと成長していったらやはり、最強の一座になりそうな気配。ただ、千之助VS一平にはならなかったな…千之助VS千代という点では千代が皆を仕切って上手く纏めていて千之助VS千代と愉快な仲間達として成功したわけだから今の段階ではこれでOKなのだとも思う。一平が目指す喜劇が一応、形となって示された…とは言えると思うので寧ろ、これからが千之助VS一平になるのかもね。「わしのこと恨んで首絞めんといてや」by千之助↑千之助さんはルリ子さんの過去を知っていたのか?それで、ワザと煽ったのか?だとしたら、千之助さんも皆のことを、それなりに知ろうとしていたのかもしれないし少なくとも、自分の力だけで何とかしようというのではなく皆で芝居を作り上げようという気持ちがあったということだよね?知らなかったなら、全くの偶然ってことで終わりだけど(笑)千之助さんの今の目標は万太郎一座を超えることだから自分一人ではダメだということは承知しているだろう。ただ、一平を含め、他の人の力をあまり信用していなかったつーか、できなかったのだろうな。だから、今日は、千之助さんにとっても成功だし成長だったのでは…「鶴亀家庭劇は大山社長から認められました」千代の名前も覚えていなかったみたいだし一座に対しても、どれだけ期待を持っていたのか分からない…という気もするけど(笑)初日では千之助さんのアドリブだけが生きた昔ながらの「笑い」―でしかないことに、ガッカリしている様子だったし今日の笑いだけでなく涙も含めた舞台―には満足していたから一平が目指しているものに同意はしているのだろう。「須賀廼家万太郎から一目置かれたことを千代ちゃんは知る由もありませんでした」確かに、観客からの投票では特別に千代だけが注目されたというわけではないけど大山社長や山村千鳥さんや芝居への目が肥えているハナさんやそして何より「喜劇王」万太郎さんには今日の舞台で千代が傑出していることを十分に見て取れたのだろう。皆それぞれの役の中で頑張っていたけど千代はそれに加えて全体を見回し、適切な動きを指示しまさに舞台を支えまくっていたから。彼女自身が笑いをとれていたとは言い難いけど(^^;)これって、演出家を兼ねているよね。それに関しては頼もしいし面白い。でも、その分、一平の影が薄くなっちゃったのが心配。まあ、ワザとそう描いているのだろうとは思う。千代を目立たせるだけじゃなくてこれから一平の成長も描いて行くのに向けて。チラッと思うのは今日の舞台は千之助さんが言う様に台本=見取り図って感じだったけど一平が作りたいのは、もっと台本を重視したものだろうからこの点で、千之助さんも千代も他の皆も、そして一平自身も模索していかなければならないんじゃ…?>違ったらスマソ☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3831-a1a31309☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気投票「もらってうれしいもの賞」受賞痛み分けはジャズの味(大江千里)キティ と仲間たち
2021.02.12
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千代の「正気か!?」で思い出した。『花子とアン』の蓮子さんの駆け落ちシーンに「正気か!?」と感想に書いたのは私です(笑)あれはドラマの展開や駆け落ちそのものではなく2人にスポットライトを当てたり鳥の羽をやたら散らしたり…という少女マンガの実写化みたいな演出に対してのもの。だって、ギャグじゃないんだよ。大真面目なんだよ。ドラマチック&ロマンチックに描いているつもりなんだよ。って千之助さんに翻弄される千代達の姿にもちょっぴり共通する様な気が………しないか(笑)でも、何だかやたら思い出してしまったんだよ(笑)…ひじゅにですが何か?「見る相手が違う!」by千鳥千之助さんに対抗し奮闘する千代…と言いたいけどあれじゃまるでダメダメじゃん。タコ入道より酷い。タコ入道は面白くはなかったけど笑わせたいという気持ちは伝わったし一応、ギャグの体を成してはいたと思うよ。でも、千代達が最初にしたのは千之助さんを出し抜こうとすること。ギャグでもなければ芝居でもない。もしも、それで機先を制することができたとして悪くすればシラケるだけだし上手く行っても千之助さんの失敗が笑えるだけで結局のところ千之助さんの功績になってしまうんじゃ?実際には千之助さんはレベチ(笑)と思い知らされただけ。しかも、これって、その場の笑いを追い求めるもので芝居とは呼べないよね。千之助さんは思いっきりハジケてみせるけどそれで笑いをとった後は綺麗に元の芝居に戻る。そこが凄いわけで。ちゅーことで、山村千鳥さん再登場。千代の「家族」である“岡安”は今や文字通りの場所になり千代の「師匠」である千鳥さんは、ここぞという時に教えを携えて登場。あまりにも「ここぞ」過ぎてもしかして幻影!?という疑いも抱いてしまったけど>ぉ千代だけでなくルリ子さんや他メンバーにも影響を与えたから本物だったのでせう(笑)「見る相手が違う」「演じるということは役を愛した時間そのもの」千代はともかく、他の皆はそれなりにキャリアがあるのだからそうした「いろはのい」は身に着いているんじゃ…というツッコミどころの様な気もするけどまあ、皆それぞれ挫折してきたわけだし喜劇は初めてでもあるし何より千之助さんが強烈だから頭真っ白状態だったのだと好意的解釈(笑)千鳥さんの言葉の意図を真っ先に理解したのが千代…というのはヒロイン特権とも見えるので、ここもツッコミどころ?でも、子供時代とリンクする用水桶(?)シーンもあったし却って千代の様に白紙状態の方がこうした基本的なことに気付きやすいのかもしれないし千代が今迄してきたのは、アドリブとはいっても芝居を壊すものではなく役と同化するからこそ出て来るものだったので無意識ながらにも、しっかり千夏さんの教えを体現するものだったわけでやはり、彼女こそが誰よりも早く悟って然るべきことだったのだよね。ちゅーことで、それぞれ自分の役柄を分析することに。確かに、役柄になりきって、その人生を生きているなら千之助さんがどんな突拍子もないアドリブを始めたとしても自分ではなく、その人物として反応するわけだから芝居が壊れることなど決してない(と思う)多分、それは一平の目指す「喜劇」の根底にも関わることだろうから千代達にこれを諭すのは一平でも良かった気がするけどね(^^;)それにしても「見る相手が違う」と『手違い』を掛けてるのか?>ぇ宗助さんと福松さんの「寄合い」は“岡安”と“福富”の仲たがいが今尚続いていると強調されたばかりだしみつえちゃんと福助君の間に微妙な空気が流れている様子も示されたのでまあ…そういうことなのだろうと思う。芝居関連の話が続いているから、来週あたりは違うエピを入れる算段?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3830-c3fb9bcb☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 向き合う100万年の幸せ!!(桑田佳祐)いろはのい
2021.02.11
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ルリ子さん陥落>早っ千之助VS千代の笑い対決>予定調和お話自体はベタに見えるけど多分、これらを通して千之助さんと一平の「笑い」の違いひいては万太郎さんとの「笑い」の違い…を描こうとしているのだろうと思う。言葉で説明するのではなく視聴者が自然に納得できる様に。そして、千代にとっての「笑い」も。舞台の上でも座員との関係の上でも人として生きる世界の中でも。…ひじゅにですが何か?「笑てもらいたかったら、まずは自分が笑いて」by千代↑久しぶりにムン・ヒジュンの『笑って』を聞きたくなったな。勝手に聞けば?って話ですが(^^;)ルリ子さんは芝居に挫折したのではなく人間に傷つけられたのだった。しかも、その相手は千代に似た人物とか(笑)その人は本当の意味での八方美人というか表面を取り繕うのが上手く、被害者ぶって皆を味方につける戦術。いるよなあ、そういう人…でも、千代の場合はそうした裏がない…というか表裏を使い分けられるほど器用じゃない…というかそもそも裏と表なんてないくらい単純(笑)そこが分かったから>分からない方がオカシイくらい?ルリ子さんはアッサリと受け入れてくれたのだろう。それに、やはりこのまま芝居を辞めてしまいたくはなかったのだろうね。「自分が育てた若い連中から時代遅れ言われたりな信じてた仲間から妬まれて居場所のうなったりしてな」by小山田 ↑他の2人の事情もこれでオシマイ?でも、皆、人間関係で辛い思いをしてきたってことで共通しているから出来事を一つ一つ細かく描くよりも、この一点が分かれば良いね。少なくとも、今は。だから、ルリ子さんの過去もサラッと済ませたのだろう。一平が目指す「笑い」はただその場で大笑いできれば良しというものではなくまさに「泣き笑い」で展開し、観た後も心に残る「物語」なのだろうから ↑これは決して好意的“脳内補完”ではなく 今迄観て来て自然に伝わって来た、いわば“行間”そうした芝居は、心の痛みを知っている人にこそ演じられる…と思うしルリ子さんは主役も張ったことのあるスター女優で小山田さんは後輩を育成する立場でもあるベテランで香里さんは妬まれるほどの実力や魅力を持っている…ということだから今は訳ありな役者の寄せ集めって感じだけど ↑一平達にしても 「鶴亀撮影所追い出されてきたものもおれば いっぺん劇団を潰してしもた連中もいる あの千之助さんかて昔、万太郎に捨てられた身や」 だしね。今のゴタゴタが過ぎて>長くかかる?皆が結束したら、それこそ最強になりそう。徳利さんに対する万太郎一座の人々の扱い方はそれとの対比だったのかもね。だって、あの雰囲気では大人気なのは万太郎さん一人で他の座員達はおんぶに抱っこなだけなのに傲慢になっていて平気で人を見下す腐った奴ら…って感じじゃん?「この家庭劇の座長でもさしてもらおうかの」by千之助千之助さんがこのまま突っ走っていったら結局は万太郎一座の二番煎じ。一座の構成という意味でも、恐らく「笑い」でも。ちゅーことで千之助VS千代の笑い対決…へと、ドラマは進む。「わしを笑かしてみい」から「わしより笑いとってみいや」へと進化。ある意味、千代を対等に見ているというか同じ土俵に立っている…とも受け取れるけど(もしそうなら、ここが落としどころになるかも?)まあ、今のところは、逆に見下しているってことだよね。自分の「笑い」への絶対的な自信。ここでまた、あのタコ入道が思い出される(笑)純粋に客を「笑わせる」という点では千代にはとても勝ち目がない。ここで思うのは、千代が今迄に発揮してきたアドリブは笑わせるものではなく役柄の心情を膨らませ感動させるものだった…ってことだよね。ここに一平の「笑い」との共通点があるのでそれを具体的に示すものになる様な気がする>違ったらスマソそして、千代の勝因となるのかも?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3829-bbc14e2a☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 笑う猫喜劇役者勝負
2021.02.10
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芝居の面ではやはりアドリブが問題に―でもって、お話的にはやはりルリ子さん―昨日推測した通りいや、(ドラマに)推測させられた通りだな(笑)…ひじゅにですが何か?「あっちにもこっちにもいい顔して」byルリ子↑ステージが変わる度、千代はディスられるなあ(笑)今迄は芝居に関することが主だったのでそうやって、役者としての成長が描かれるのかと思っていたけど今回は人間性に関すること。寧ろ、これは千代の長所でもあった。それを発揮して、最初は尖って見えた人達も最終的には“仲間”になれたのだった。とはいえ、今回は失敗すると居場所を失う恐れがあるためかちょっと極端で、八方美人的かなあ…とは思っていた。タコ入道の大袈裟な動きは一生懸命さと、お笑いセンスのなさ(古さ?)が感じられてあれで大正解と思っているけどね。何ちゅーか、一座の皆に対するものが…さ。ちょこっと違和感ある要素が入ると必ず、そこが指摘されることになっているみたい。ちゅーことは全て脚本通り。そこにツッコみを入れていたら、後でハズカシイ思いをするとこだった(笑)ここのところはルリ子さんエピで行かされることになるのだろう。今日のところは、千之助さんがメイン。つーか、ほっしゃんったらちょっと凄まじいものがあるよね(笑)「にょろり」by千之助あの蛇のアドリブが大爆笑に値するものか否かは置いといて>ぉいや、あそこでアレが出てきたら笑うしかないかもな。千之助さんのアドリブ力は天海天海さんが亡くなって代役を務めることになった時上手い具合に描いていたよね。もしかして天海さんより面白いんじゃ…と、一瞬思っちゃったくらい(笑)それがずっとウケていれば問題なかっただろうけど実際には今迄の笑いは衰退してしまった。「変わってまへんな、な~んも」byハナ千之助さんの笑いは、あの時のまま。天海天海さんとずっと芝居をやっていきたかった千之助さんだから変わらないのは当たり前というか、あれこそが理想なのかもしれない。でも、時代は変わってしまった。天海さんが生きていたらちゃんと時流に乗った笑いを取り入れていたかもしれない。千之助さんがそこに気付いて新しい天海さん=一平と考えてくれたらメデタシメデタシ!だし、最終的にはそうなるのだと思うけどそうなるまでが、相当難しいんだろうな。アドリブを入れることを巡って、まずはルリ子さんが反発。千代にも反発しているけど、これは個人的なものなのだろうな。彼女の過去と関係するのかも?ひじゅに的には、アドリブの扱いをどうするか―千代のアドリブも含めて、どう結論づけるのか―の方に興味がある。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3828-6af8f664☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ アイスケーキひらめき型アドリブ発想カードゲームにょろり
2021.02.09
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食事シーンが気になる性質だってのは以前にも何度か書いた。今作ではあまり気にしてなかった…つーか、気にならなかったのは皆、上手で自然に見えたからだろう。今日の千代の食べる演技も良かった。リスみたいに頬を膨らませてでも、喋っても汚さはなくて合間にはちゃんと食べ進めていて…回鍋肉のCMも良かったもんな。私はあれで(あの食べっぷりに刺激されて)回鍋肉食べず嫌いを克服したんですぜ>ぉ…ひじゅにですが何か?「台本を勝手に変えていいわけないでしょ」by高峰ルリ子↑今週のネタ振り?だって、ほっしゃ…じゃなかった千之助さんはアドリブを得意とする人だから。月曜日はネタ振りの日だからちょびっと今後を推測してみよう>エラソウいや、実際は推測させるように導いているというか推測したかの様に思わせているというか(笑)その様にドラマが導いているというだけなんだけど。千代が今迄、その才能を発揮させてきたのもまさにアドリブだった。まあ、千之助さんは(恐らく)その時の客の反応を見て、それに合わせてもっと受けるためにアドリブを入れて来たのだろうし千代の場合は、自分の経験その他リアルな要素の積み重ねの上で役を自分の中に取り入れて自分の心を言葉にして吐き出す…みたいな感じでちょっと違いはあるけどね。一平の目指す喜劇は、彼の話からすると笑いと涙を含めた「物語」という形になりそうだからアドリブの余地がないわけではないだろうけどアドリブだらけではマズイものだろうと思う。だから、この点で、千之助さんは勿論千代ともどこかでぶつかることになるんじゃないか―と思われた。でも、この様子だと、それらよりも前に高峰ルリ子さんとぶつかることになりそう。喜劇がどーの笑いがどーの、よりも前にアドリブを許容できるか否か―という一点に絞って。あ、ここで、ちょっと話がズレるけど無知ひじゅには脚本と台本の違いがよく分かってなかったので混同して使っていた。【台本】役者向け台詞とト書き(背景、心理)が書かれている【脚本】監督、スタッフ向け台詞だけでなく映像描写、舞台装置、背景まで詳しく説明だそうなので、千代達が稽古に使っているのは「台本」で良いのだろう。「台本」と書いていきますぜ。千之助さんは、「情」で一平の元に戻ったのだと思ったし今でも、根底はそうだと思っているんだけど(そうでなきゃ、回想シーンが入った意味がない)「笑い」の点では相容れないままなので戻ってきたからには…という思いもあるみたい。*まずは、一平の台本を却下。自分の台本で進めさせる。*天海天海一座からのメンバーは「一本目と二本目の狂言」に回し喜劇に慣れていない(つーか、初めて)のメンバーを配役。*自分は主役、相手役は一平。実質、この2人の対決。*癖が強過ぎる皆の芝居に一言もないばかりか自分自身が一番やる気がない(笑)これってさ、最初の公演を潰そうとしているとは思えないからダメダメの舞台を自分のアドリブ力で盛り上げようという算段?つまり自分の力と、自分の笑いの正しさを立証しようと?そして、最終的に一平の座を奪うという腹?怖い、怖いぞ、ほっしゃん!でも、彼の根底には「情」があると思うんでそれほど心配はしていない。で、ここで千代の出番となりそうだな。ヒロインだから…ってのもあるけど(笑)アドリブ力…ってのが、ここで生きて来るのかも?一平の笑いとどうのこうの…の前にこの二種のアドリブが取り上げられそうじゃん。さらにその前に、ルリ子さんのことがありそうだけどね。彼女だけじゃなく他の皆も色々と背負っている物がありそうだからそれぞれを掘り下げていくのだろう。その最初の人物になりそうなルリ子さんは千代を驚かせ感心させる演技力の持ち主らしいのでそういう設定も良い。ただのゲテモノだったり人間的には親しくなれても役者としては使えない…なんてのだったら面白くないものね。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3827-616af8a1☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ おむすびロール明日海りおin『ポーの一族』(Blu-ray)承知しましたスタンプ
2021.02.08
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千代が「家庭」を「いえにわ」と読んだのは正式な教育を受けてこなかった…ってのもあるけど(“岡安”の旦那さんに教わってはいたけどね)千代もまた「家族いうもんをよう知りません」ってことを表してもいるのだろう。そんな千代と一平が「家庭劇」を作って行く―というのは興味深いことだな。…ひじゅにですが何か?「おもろないんよな」by千之助千之助さんは帰って来てくれたけど千之助さんと一平の「笑い」はまだ相容れない。漆原さんに関しては、ちょいと予定調和ではあったけど解決。でも、あの場ですぐに…ではなく、一拍置いたのは良かった。一平が劇団の名前を発表する直前に「ほんまは、ここにもう一人いてほしかったんやけどな…」一平の心の声を聞かせた後で帽子で顔を隠して、男物のスーツ姿でマイケル・ジャクソンみたいに片足を上げてまさに「芝居がかった」調子で登場。個人的には、ここをクライマックスにして今日は漆原さんメインで描いてほしかった気もするけど千之助さんの件もケリを付けなくちゃならないものね。千之助さんは、人間的な「情」という意味ではとっくに陥落していたと思うよ。千代が深草の少将みたいに自分の所に通っていた時点で。徳利さんの件で千之助さんの所には行けなくなった時ちょっと心が揺れていた感じだったものね。↑この「行けなくなった」ところといいやはり、深草の少将をモチーフにしている?だから、一平の腫れ上がった顔に大笑いしたのはそれがギャグとして面白かったというよりその「情」が溢れ出たのじゃないかな…と思う。天海天海さんを亡くした者同士、舞台で顔を合わせた時のあの感情を取り戻したというか。皆が、千之助さんはせいぜいニヤリとする程度で笑っているところは見たことないと言っていたよね。それが今日は、大爆笑していたもの。泣き顔と区別つかないくらいに。まあ。ここで一平が変に滑稽な真似をして笑わせる…なんていう陳腐な展開ではないところは良かった(笑) ↑某作なら、そうした? イクラナンデモ…って気もするけど バカバカし過ぎて笑ってしまう… という風に持って行く可能性はあるかも?千之助さんを笑わせるのは一平でなければならなかったけどそれは思い付きのギャグであってはならなかった。だって、2人の笑いはまだ一致していないから。だからこその、千代の今迄のドタバタがあるのだろうな。今日は天晴さんや徳利さんも加わって「情」という面は、より増しているけど笑いの面ではダメダメ(笑)一平は土下座することで「情」をさらに増し顔の腫れ=意図的ではないものを見せることで心を解した。で、その腫れは漆原さんによるものだからそれで、2つのエピを繋げている。千之助さんが持って来た脚本がどんな内容なのかまだ分からないけど多分、昔ながらの笑い、一平が目指すものとは逆方向のものなのだろう。千代や、今日は天晴&徳利も披露した寒いドタバタそれはもう寒過ぎて(笑)千之助さんにも全く認められないものだったけど根底は似ているのかも?それを表すためのものでもあったのかも?千之助さんの笑いは、もっと高度で本当に笑えるものなのだろうけど基本的に、あんなふうに滑稽な言動を前面に出したいわば純粋で根源的な、カラッとした笑い…じゃないかと思う>違ったらスマソ万太郎一座の笑いも、万太郎さんの動きなどからしてそういう類いのもの…じゃないかと思う。でも、一平が目指しているのは、涙も含めた「物語」のあるもの。時代性もあるけど、どっちが良い悪いというものではないからこの切り替えは、気持ちの面からしても、そう簡単にはいかないだろうね。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3826-3e2f4c19☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ USBメモリ家庭に嬉しい大盛りファミリーパック松竹新喜劇 藤山寛美 十八番箱 壱 DVD-BOX [DVD]
2021.02.05
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これからは“福富”が朝ドラに付き物の“登場人物達が集まる場所”になるのだろう…と思ってはいたけどあんな風に強引に持って行くとは(笑)福助君はトランペット吹いてるし千之助さんの飲み屋シーンと対比っぽいしミルクセーキは前作へのオマージュか?って感じだし。つーか、小草若…じゃなくって天海天海さんがああいう形で再登場してくれるとは(嬉)…ひじゅにですが何か?「わいを笑かしてみい」by天海天海千之助さんったら、かつて天海さんが突き付けてきた問題を今度は自分が提出しているというわけなのね。天海さんの息子に―今のところ、一平には全く期待していない様な態度だけど天海さんへの思いが強過ぎるから要求が大きくなってしまうわけで…本当は、一平に証明してほしいのだろう父親に負けない…いや、父親を乗り越えられる器であることを。だから、やっぱり千代がどんなにあがいてもダメなのだ>まあ、あれは酷過ぎたけど(笑)千之助さんを笑わせるのは一平でなければならない。その前に漆原さん―天晴さんや徳利さんと逆パターンで本人は出て行きたくないのに、一平が難題を突き付ける。ま、無理難題ではないってのがミソ(笑)「女の役は女の人に演じてもらいたいんです」by一平昨日、ひじゅにが推測した通りだな。…って、松竹家庭劇を知っている人なら簡単に分かることでちょっと検索しただけの、ひじゅにに威張れることではござんせん(^^;)一平がシェイクスピアの名前を口にしていたけど彼の時代もお芝居の女役は男性が演じていた。作中で、そこをギャグにしたりしているよね。古今東西、女性の立場が弱かったって証拠?山村千鳥一座編でもチラリ語られた様に女性の社会進出は、こうした世界でも難しかった。でも、今は、女優が活躍し始めている。高城百合子はその象徴なのだろう。一平の一座も、千代だけでなく、女優が配されている。一平が考えている新しい喜劇は、まず、女優を使うことから始まる?以前の道頓堀編(つーか、お茶子編)でハプニングがあったとはいえ女性である千代が舞台に立ったのは今回の前振りでもあった?しかも、女形である漆原さんの代役だったわけだしな。「男の役をやってもらえませんか?」by一平漆原さんを切り捨てようというわけではなく、新しい挑戦を示している。でも、ずっと女形をしてきて、そこに誇りも持っているであろう本人には切り捨てられたと同じ思いだろうね。ここで他の女形仲間も出て来るところが面白い。漆原さんだけでなく、一平一座だけでなくこれから直面しなければばならない問題ということなのだろうから。「どいつもこいつも、むさ苦しい顔して」by一平そんな女形たちを煽る一平(笑)「もう一遍、言うてみい、くそったれが!」by漆原ほらほら漆原さん、ちゃんと男っぽい台詞も言えるじゃんって、男っぽいというより荒っぽいのだが(笑)ドラマとしては、極端にしないと分かり難いしね。で、まあ、これがオチなのだろう。「あの人ら以外と芝居する気ならへん」by漆原天晴さんも徳利さんも、そういう思いで帰って来た。千之助さんも、天海さんに感じたものを一平に感じられれば解決。「鼻歌は辛い時に歌うもんやろ歌うてるうちに元気になる喜劇と一緒や」by一平一平の「新しい喜劇」は、まだハッキリとした形にはなっていない…つーか、まだハッキリ言語化できていないだけで一平の頭の中ではもう、ある程度出来上がっているのだろう。千代はまだ、喜劇も“岡安”も世の中の状況もよく分かっておらず目の前のことでピヨピヨ鳴いているだけ(笑)だから、この一件で成長する様子を見せてほしい…つーか、そのための前振り?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3825-79683a6c☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 女形とは鼻歌泥棒シェイクスピア
2021.02.04
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一人また一人と座員が帰って来るところは『ちりとてちん』での徒然亭4兄弟の帰還を彷彿とさせる。草原兄さん…じゃなかった黒衣さんはあの頃を懐かしく思っただろうか?あの時は、草原兄さんの「瀬を~はや~み~」に感動したものだった。そして、落語も落語家も何て凄いのだろう…と感激したものだった。『おちょやん』は、そこまで感じさせてくれるだろうか?…ひじゅにですが何か?「おもろいからや」by万太郎↑千之助さんや一平が須賀廼家万太郎一座に複雑微妙な気持ちを抱いているのは、まあ分かる。でも、万太郎さんの方はどうなのだろう?徳利さんへの態度から座員達は、こちらを見下している様子だけど…「喜劇王」である万太郎さんまでそうした下卑た部分に面白味を感じているとは考え難い。つーか、このドラマの今迄の描き方からして、それはないだろう。千之助さんを含む一平一座に何かを感じているのだと思う。ちゅーことで昨日は天晴さん、今日は徳利さん帰還。『ちりとてちん』を彷彿とさせる…と書いたのでちょいっとばかし禁断の“比較”をしてみよう>悪趣味?*『ちりとてちん』ではバラバラになっていた4兄弟を連れ戻すべく奮闘したのはヒロイン@喜代美だった。『おちょやん』では天晴さんは一平、徳利さんは千代。やはり、これからは、千代単独ではなくW主人公みたいになっていく兆し?この点から考えると今は千代が奮闘(という名の空回り)をしているけど千之助さんを堕とすのは一平になるのかもね。↑ならなかったらスマソ*『ちりとてちん』では4兄弟はそのエピになって初登場でどんな人なのだろう…という謎も含んだ面白さがあった。『おちょやん』は既に登場済みなのでそうした謎解きや新鮮味みたいなのはないけどどういう人物なのかまでは描かれていなかったから今回はそこのところが見どころか?実際、天晴さんと徳利さんはキャラが見えてきたしね。*『ちりとてちん』は四草さんとりんご『おちょやん』では徳利さんとバッテラ。↑ちょっとコジツケ(笑)一番興味があるのは、上でも書いた通りそのエピを通し、落語、及び落語家という存在がググっと浮かび上がってきた『ちりとてちん』の様に『おちょやん』も、今回のエピで芝居、及び役者という存在がハッキリクッキリしてくるのかな?昨日、千代の芝居への思いがイマイチ弱い様に感じたのがこのエピで、より強いものへと変化(もしくは成長)していくのかな?期待し過ぎ…にならないことを祈る(笑)ちゅーことで、比較は取り合えず終了>やめんのかい徳利さんに関してはビールVS酒というのもあるな。はっ!“カフェ・キネマ”でのビール対決及び、小暮さんの下戸なのにビールがぶ飲みしちゃいましたの図ぅ…とリンク?脚本家さんったら、究極のビール派!?↑これもコジツケ(笑)つーか一平一座と万太郎一座はビールと酒の様に違うお笑いを目指す?洋酒と日本酒ってことで、新旧も表してたりして?少なくとも万太郎一座は酒が苦手な徳利さんに酒を強要。千代達はビールを始めとして徳利さんの好物攻め。一見、食べ物で釣っているかの様だけど>そこまでは誰も思わない?千代のお茶子時代を生かすと共に一平一座は座員のことをよく分かっているし温かく包んでくれる。あしこち巡ってきた千代の経験を生かすと共にいわば、こここそが「居場所」。…ってことなのかもね。「あなたには辞めてもらいます」by一平漆原さんは留まっていてくれていたから、こういう形で描くのね。昨日「松竹家庭劇」を検索したら「女形が退団したので、結果として女優が女形に代わるという一つの近代化を遂げた」とあったから漆原さんに女形は「辞めてもらいます」だと思うんだけど…でもって、このドラマの雰囲気的に「退団」には追い込まないと思うんだけど…↑違ったらスマソ☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3824-2a39999d☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ バッテラビーフカツ&トンカツ白天>ねぎしょうが
2021.02.03
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今更かもしれないけど…ボンクラひじゅにが単純に聞き逃しているだけかもしれないけど…鶴蔵社長が口の端にご飯粒を付けている時は怖い―という設定になっているのでせうか?…ひじゅにですが何か?「わし笑かしたら、その劇団に入ったるわい」by千之助↑何や『さや侍』(松本人志監督)みたいですな。いや、結構よくあるネタか。最初は笑えないドタバタが続くところも含めて。もっとも、ここで早くも笑えたらオシマイなわけで(笑)杉咲花さん、さすがだわ。恥ずかしさも可愛く見せたい気持ちもかなぐり捨てて鶏だの猫だのタコ入道だの…思いっきり変顔、思いっきり滑稽な動きをしてみせてしかも全く面白くない…寧ろ痛々しい…という雰囲気を醸し出している(笑)ちゅーことで、新しい一座は早くも崩壊の危機。救う手立ては千之助さんを呼び戻すこと。それには彼を笑わせなければならない。思いっきり分かり易い展開。喜劇役者である一平達はシリアスに話が進みまだ方向性どころの段階ではない千代はコミカル@ただし笑えないでも、朝ドラヒロイン「あるある」のお節介からの行動ではなく一座がダメになったら自分の芝居の道は閉ざされる…という危機感から動いているわけだから、そこは悪くない。何しろ山村千鳥一座、鶴亀撮影所と立て続けに居場所を撃ちなって来た千代だから。興味深いことは2つ―【1】「人はそない簡単に変わるかい」4年前の一平に愛想をつかしている千之助さん。「変わります」自分を例に挙げて反論する千代。たった4年で、懐かしい道頓堀に色々な変化を見出している千代。自分の「家族」であり「帰る場所」である“岡安”もいつどうなるか分からない状態。昨日の、そこはかとない違和感は、ここに掛かってきているのか。【2】「喜劇役者っちゅのはな、笑かしてなんぼや」確かに、天海天海が亡くなった後、客を笑わせてきたのは千之助さん。一平は逆に笑いが取れなかった。「こんなん喜劇か思たわ」一平が書いた脚本への天晴さんの感想。つまり、お笑い要素ばかりではない内容ってことだよね。千代が代役で出演した(文字通りの初舞台)時アドリブというより、自分の思いが溢れ出てシリアスな言葉を口に出してしまった。実際、その時、客席はシーンとなっちゃってたよね。でも、それが却ってスパイスになって次の展開には爆笑の渦だった。つまりはそれを、一平はやろうとしているのだろう。モデルは松竹家庭劇だそうでひじゅには藤山寛美さんしか知らないんだけど確かに笑いと涙で構成されていた。時代は変わって行く。商売も変わって行く。笑いも芝居も変わって行く。千代の鶏や猫やタコ入道はある意味、今迄の古い笑いを象徴しているのだったりしてね。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3823-711f1c12☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ あなたの気分で色が変わる!?さや侍たこ
2021.02.02
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明日海りおさん@高峰ルリ子登場!舞台版『ポーの一族』で主役を張ったつまり、エドガー・ポーツネルを演じた元宝塚トップスター。ちゅーても未見なんだけどね>ダメじゃんでも、舞台でも映画でも原作物はイメージに合っているか否かが問題。写真を見た感じでは、他はともかく彼女は合格点>エラソウ何ちゅーても綺麗だし>そこかい【注】上の文章には「主役」「舞台」「映画」とう語が出てきましたが『おちょやん』とどういう関係があるでせうか?↑アホみたいな質問(笑)…ひじゅにですが何か?「相変わらず、ちっちゃいなあ」byかめ↑4年ぶりの道頓堀で早くもディスられるヒロイン(違)ちゅーことで、再び道頓堀。本来なら視聴者も懐かしさでイッパイになるところ。だけど、どことなく空気が違うのは…僅か4年で、あちこちに変化が見られるから。千代にとっては慣れ親しんだ場所のはずなのに知らない部分が増えてきている。一番驚いた…つーか、笑っちゃったのは“岡安”のライバルだった“福富”が芝居茶屋からジャズ喫茶に姿を変えていたこと。福助君がトランペットに夢中だったのは前振りでもあったのか(笑)だからといって、頼りない彼には任せず菊さん夫婦が切り盛りしている。何で笑っちゃったかというとさ朝ドラには、この手の店が付き物じゃん。登場人物が不自然でなく一か所に集まるのには必須だしそうして各人の心境だの立場だのが語られ物語が少し動く。加えて、ジャズ喫茶というのも、このところよく見られる。京都編では“カフェ・キネマ”があった。ヒロインの職場も兼ねていたし>『ひよっこ』と同じ?今度は、この“福富”がそうなるのかな?だからこその、御りょんさん同士の「犬猿の仲」?場所の変化は時代の変化でもある。“福富”は上手く時流に乗ったみたいだけど“岡安”はこれから色々ありそう。ひじゅに的には真っ先に乞食集団の登場があったのが嬉しかったんだけど(この手の脇役達って、簡単に忘れられちゃったりするじゃん?)彼らもまた、時代の変化に翻弄される様子が描かれるのかな?ともかくも、千代がそれらにも関わって行くのだろう。今度は彼女が皆を救うことになったら、ちょっとスカッとするかも?「主役張るくらいの女優になって、ようけ稼いで必ずお金返さしてもらいます」この言葉には、そんな千代の気持ちが込められてはいる。「もっともっと有名になって、必ずヨシヲを探し出したるさかいな」これも、大きな動機であり目標ではある。でも、千代が「役者道」を歩き通すには、まだ足りない。つーか、ちょっとズレている様に思う。皆が、千代を「女優」として受け入れている。有名な役者を知っているかと尋ねられたりする。それは、ある意味、当たり前のことだし単なるミーハーなお喋りに過ぎない。でも、どこかが違っている様に思う。千代が「一人」で「覚悟」を持って歩むにはまだ足りない。「女優」になるのは、お金や家族のためだけではないはず。そんな印象。そこが、今度の一座でのアレコレで磨かれていくのだろう。一平が絡むとは思っていたけれど、座長というのはちょっとビックリ。だって、脚本をボロクソ言われていたばかりじゃん。オーディションに堕ちた千代が映画から子の一座へと移されたのとちょっと似ている…つーか、リンクさせてるっぽいけど。ここの“謎”が取り合えずの鍵?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3822-364fc0bc☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 主役>アップルパイ大阪 お土産>賞味期限間近商品含むジャズ喫茶の珈琲
2021.02.01
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