PR
フリーページ
サイド自由欄
崇神天皇は、影の祭祀王制度を作って、主に幽祭を執行する祭祀王にヒコフツオシノマコトを、伊勢斎宮の顕祭を執行する祭祀王(祭主)にトヨを就任させました。
で、幽祭を執行する祭祀王だけ世襲制にしたんですね。
そこから武内宿禰が生まれます。
同時にオオタタネコも大物主神(ニギハヤヒ)を顕祭で祭る初代祭主、イチシノナガオチを倭の大国魂神を祭る顕祭の祭主としました。
倭の大国魂神とは、謎の神ですが、系図上は大年の子(大国御魂神)であるとみられています。ほとんど同じ名前ですからね。
大年はニギハヤヒのことですから、ウマジマジ、アマノカグヤマ、オオヤマクイが候補となりますが、後の二人は明確に大年の系図に入っています。
ニギハヤヒの子であることを隠したかった神だとすれば、意外とウマシマジかもしれませんね。あるいは、大和国の地主神とみるならば、大和国を先に支配していた徐福ないしは徐福系のことを指しているのかもしれません。
ほかにもスサノオ説、オオナムジ(大国神)説があるように思います。
いずれにせよ、崇神天皇は一大宗教改革を断行した感じがします。
さらに、四道将軍を北陸、東海、山陽、山陰の四道に派遣して大和国に従わない者たちを帰順させたといいます。
それによって国はようやく治まった。
こうして崇神天皇は神武天皇と同じ諡(おくりな)である「初国知らしし御真木天皇(みまきのすめらみこと)」を持つことになったわけです。
大和建国の初心に返ったということでしょうか。
(続く)
なかなか見られないツーショット 2025.02.05
トンビとコンビ 2025.02.04
記憶の中にしかない日記帳53(自由への… 2025.02.03
キーワードサーチ
コメント新着