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いまだ、迂闊にティッシュケースを放置すると猫化する、わが2歳児・チビタです。 ===========================さて、彼はあと1週間もたたないうちにめでたく3歳になります。ここのブログに通っていただいている方数人は過去のブログで ご存知と思いますがこんなに元気に見えるチビタは私の持っていた病気のせいで生まれて一週間持たないかも、と、帝王切開前日に、担当の医師から承諾を求められ半分の希望と半分の恐怖の中、出産しました。この半年、ずいぶん抵抗力がつきましたが生まれてから 2度の長期入院2度の短期入院を経て彼の生命力のお陰でいまも毎日、子育ての中から私自身 自分の内面さえも見つめさせてもらってます。時には(いや、ほとんど毎日・苦笑。)まったくもう・・・・とかおいおい、勘弁してくれ・・・というくらいのオイタをしでかされて閉口することも多いのですが心の奥底ではそれすら、感謝しています。生きていて、ここまで元気に大きくなってくれてとにかく ありがたくってどうしようもありません。先日、リンク先のリック爺さんのところで私たちの協力が必要な1歳の男の子とその両親がいるという事実にめぐり合いました。同じ子供を持つ親として、人間として皆さん、力をあわせませんか?詳しくはこちら↓ご覧の報道関係者の方、マンモスサイトをお持ちの方どうか、伝達の力を貸してください。番組特集・もしくはリンク、お願いします。
2006/07/27
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幸田露伴の次女、文(あや)氏の小説であるこの「えぞ松の更新」はタイトル「木」に収められている冒頭の短編である。 幸田文氏が老齢多くして、急に日本列島の各地に点在している有名な「木」の姿を、自らが足を運んで、その眼で、その指先で、感性鋭く情景を描いた小説である。 最初に出てくるこのえぞ松は、私の出身地・北海道で生育している。 倒れた松の老木の上にまた、えぞ松の種が発芽し、それらが並んで、老木の上を直線的に成長するという、松の輪廻なるものを 幸田氏は見たくて致し方なくなり、森林関係者を頼って、押しかけるという設定になっている。 それは紅葉鮮やかな、富良野の原生林であった。 ====================== ブログ上では何度か、事あることに書いているのだが、私は道東の農家出身である。祖父母を含む、八人家族の大所帯で、類に漏れず貧困だった。 夏の間の農作業が終わると、私の父は家族の食欲の為に、出稼ぎに出かけなければならなかった。チェンソー一台とツギだらけの薄っぺらな煎餅布団一式を背負って 北海道の奥深くに、同じような境遇の数十人と分け入り、現場親方の指揮の下、こういう木を切り倒す仕事だった。 男たちの暮らすところは、まさしく掘っ立て小屋であり、ほとんどが無筆で、二の腕の太さを自慢しあう者たちの集まりだった。 道無き道を行くまさに山奥で、里に下りるまで二時間というのも常であった。そういった不便な断絶された場所であったから、いつも現場監督の女房などが一緒に寝泊りし、飯場があった。 男たちは、自分たちの両手の抱えで四、五人だと足りるであろうか、というような巨大な松を片っ端から切り倒していった。中には倒れる松に、両足を一生利かなくされる者もあったし、あまりに急な山肌を滑り落ち、頭をおかしくする者も居た。 一度、その飯場へ入ると、短くて三ヶ月、長くて半年も出てこない父に、母は着替えやら、里の甘菓子やら焼酎やらを届けなければならなかった。 父恋しき私たちを古ぼけた車に乗せ、母は山道を走る。一つハンドルを取られると絶体絶命のような道が続く山奥を走る。 車のタイヤがぬかるみに埋まりそうになると、母は、運転席から、ただ事ならぬ大きな声で、私たち兄弟4人に声を荒げるのであった。「早く、とっとと車の後ろさ行かんと!」 私たちは固唾を飲んで、車の最後部へ、シートを乗り越え、這っていく。とんでもないデコボコ道の為に、頭を天井にぶつけたり、舌を噛んだりしながらも、必死で母の言う事を聞いた。 ぬかるみに、はまりそうな後ろタイヤは、兄弟四人の僅かな重りによって、なんとか力を得、先に進む。「ここでタイヤなんか 埋まってしまったら どうなるかわかんないど!」 この言葉が恐ろしかった。私の幼心には、車がこの悪路から飛び出して、山肌を転げ落ちる様がまざまざと浮かんだ。そうして、それが谷底まで落ちて静かになったときには、いったい自分たちはどうなるんだろう、とひたすら怖かった。 父に会いたい一心で兄弟が手を繋ぎ協力していた。母もまた、危険を犯してでも、ぬかるみに、はまらないように、私たちを連れて行く必要があった。 人一倍怖がりの私は、母の一言で身が竦み、なみだ目であった。そうして、(ぶじ、お父さんにあわせてください、かみさま、ほとけさま、おねがいです!)と心の中で嘆願し、そのとき切り、もうこれが叶ったなら、二度と学校の宿題をわすれませんから!と真剣に誓うのであった。その時、私は、小学校一年生である。 =================== こんな経験のある私には、年老いた幸田文氏が何故、あのような山奥にわざわざ出向き、それを見ずには死ぬに死ねない、というまで高揚したのだろう、と思っていた。 彼女も郊外の農村の育ちではあるが、私にとって、そこは文化圏の範囲を超えないし、全てが、人の手いれの入った、行き届いた場所であるような気がした。 しかし、彼女は、その原生林の生々しさを目にして、感動のあまり心を震わす。そのくだりは、深い願いのような感じさえするのである。 もしかしたら、植物を言い当てるのに才能はあったが、残念にも早逝した姉の存在と、晩年最後の息を引き取るまで看取った父・幸田露伴への思慕が、そこに多少なりとも影響あるのかもしれない、と、思って止まないのであった。
2006/07/25
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夜の番組でMr・マリックが懐かしの「スプーン曲げ」ネタをしていました。なっちかしーーー♪ユリゲラーみたいだね♪・・・っとキッチンから主人に声をかけましたがテレビに夢中なのか、反応なし。ガチャガチャ音がしてたな、と茶碗洗い途中で振り返りソファごしに二人を覗いてみると・・・やっぱし持ってた、二人してスプーン!思わず取りあげて、安い方と交換しました。写真を撮るとチビタには食べたばかりのチョコが「お髭」になってました。
2006/07/25
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宵に枕もとの携帯電話が鳴った。通知をみるとすぐ下の二つ年の離れた妹からだった。 嫌な気がした。里から遠く離れて嫁に来た私の頭の隅にはいつも漠然とした気がかりがあるからである。もし、里の身内に急な変化が起こった場合、私は確実に死に目に合えない事が大いにある、という懸念からであった。 そんな心持で、私は反射的に蚊帳を出た。横で寝ていた小さな息子に目をやった。息子は一度大きく寝返りを打ったが、そのままであった。 私は通話ボタンだけを押し、大股ながらも忍び足で廊下へ出た。そうして部屋のドアが閉まっているのを執拗に目配せしたあと、2階へ通じる階段の中段まで上り詰めながら緊張の趣で咄嗟に話しかけていた。 しかし、心配およばず、内容は彼女の新しい男の存在のことであった。 この妹は私の兄弟の中での唯一の独身であるが、彼女は老人ホームの擁護をする仕事についていて、性格は穏やかで慎み深い。私が思うに、兄弟一の人格者である。 そんな彼女がこんな宵に私と話をするというのはそれだけで稀な事だったが、私はこの春からの就労のお陰で日中ほとんど電話の応答が出来ない故に、主人や息子に気をとられず彼女の相談に乗れるのはやはりこの時間しかないのだった。彼女はそれを見越していた。 一ヶ月程前から交際の始まった男性は、彼女の勤務先へ出入りする八百屋の跡取りであった。その縁は、ほたるる姉さんが私に送ってくれた糠床なのよ、と彼女は電話の向こうでかすかに笑った。 私は数ヶ月前、我が家の糠床を増やして彼女へ送ったのを思い出した。里の北海道では糠漬けをする習慣がなかった。しかし食に対して溢れる好奇心が旺盛で、それに対してとてもまめな彼女は糠漬けに興味を示した。彼女に答えるべく、私はその話が出てからすぐに彼女へ糠床を送ったのであった。 しかし、毎日混ぜ込まなければいけない糠床の管理を彼女は考えた。そうして完全看護の老人ホームの厨房主任へ相談を持ちかけ、老人達の食事の漬物に、糠漬けを加えるように提案した。 まもなく彼女へ許可がおりた。私が送った糠床は、老人ホームで働く厨房の所属となり、日に二度、必ず出勤している誰かが混ぜる事となって生きたのである。 糠床へ漬け込む野菜の発注が彼女の仕事に加わった。その順序で知り合ったのが、現在の彼である。人の繋がりは無数の糸が複雑に絡み合っているように思われるが、それはやはり遥かに大きな何かの意図によってすべてが一本のみで形成されているような気がするのであった。 彼女が私に電話をかけてきたのは、これをきっかけにして、数年前に彼女と交わしたやり取りの事だった。 当時彼女は五年も付き合った男性と別れ、絶望していた。私は一年後に結婚を控え、その準備に追われていた。彼女は言った。 「姉さんはいいわ、お義兄さんのような誠実な人と恵まれる縁と運があって。わたしなんかきっと駄目なのよ、駄目なのだわ。どんなに努力しても、尽くしても、そういう男性とめぐり合えない運命なのだわ。」 そう泣きはらして吐き出す彼女に私は言った。 「そうかしら?そうじゃないと思うわ。やはり恋愛と結婚は別物なのよ。選ぶ男性の種類が違うと思うわ。結婚をしたいのなら、目を凝らしてそういう男性を見つけるべきだわ。」 「じゃあ、何?姉さんは私が間違っているというの?」 彼女は気色ばんだ。 「そうでもないわ。恋愛から発展しなければ結婚にはたどりつけないけど、あなたは賢くならなきゃいけないわ。ただ盲目的に情熱を相手にぶつけるだけじゃ結婚にはかなわないわ。お互いが愛情を育んでやりとりできるような、なだらかで緩やかなものが築けるであろう相手を選ぶべきよ。」 彼女はその言葉にさらに泣き崩れながら、私に思いをぶつけた。「ほら!そこなのよ、そこ! 恋するときは、そんな計算じゃ成り立たないわ。違うの。だって、恋愛はその人と出合った瞬間に始まるものでしょう?姉さんは自然にそうなるのだけど、お義兄さんのような人が目をつける女性の性質をもっているからそう言えるのよ。余裕だわ。私にとっては皮肉だわ。」「そう感情的になったら人生全てが上手くいかないわよ。恋愛ならことさらだわ。もっと、男性と知り合った時期から、ご自分の感情をコントロールなさい。出来なくても、せめて努力なさいよ。私が思うに、感情にまかせて溺れる女性を好きになる男性にろくな人はいないわ。あなたがそうだから、そういう男性に目がいってしまうのよ。」「嫌だわ、姉さん、わたしを馬鹿にしているのね?」「そうじゃないといっているでしょう?あなただって目の当たりにしているけど、わたしがかつて今の人にたどり着く前に、ひどい恋愛をしたのを知っているでしょう?あの頃の私は、今のあなたとそっくりだった。相手に自分の情熱を押し売りとばかりにぶつけて、結局帰ってきたものは破局だけだったのよ。 だから私はあの恋愛から学ぼうと努力して、男性に対する自分を変える様にしたのよ。だから今の彼と今の関係を築けたの。運があったからとか、縁があったからじゃないわ。自分を変えたから今があるのよ。」「そんなの幸せな結婚が目前にたどり着いた姉さんの屁理屈だわ。結婚なんて運だわ。縁にきまってるわ。」 話はそこでとぎれた。彼女は泣き崩れるだけで、もう話そうとしなかった。私はそんな彼女を気の毒に思い、それと同時に不安に思った。 それから今日の電話があるまでの数年、彼女は努めて男性との交流を避けていた。傍から見ると、自分をあきらめたようでもあった。 私はさらに彼女を密かに心配しつづけていた。しかし、この恋愛と結婚の定義に関する話は、彼女と私との間において一種のタブーになっていた。 そんなことをうっすら思い出しながら、受話器を耳に当てていると、ずいぶんと落ち着いた口調で彼女は言った。 「今、なんとなくあの日、姉さんが言っていた意味がわかるような気がするの。私は欲しがる事しかしない女だったのね。だから、優しくしてくれる男性なだけで、自分から相手を確かめることなく溺れていたんだわ。失敗しても当然な女だったのよ。」 私は言葉を返す代わりに、電話口で小さく微笑むしかなかった。 「不思議ね。今の彼には愛情を感じるの。あせっちゃいけない、って自分にブレーキをかけて、彼を待つことができるの。彼もそうしてくれて、それがなにかを育てているような気がするの。そうしてなにより、この恋愛で自分が変われるかな、なんて思うのよ。」 きっとこの空白の数年で彼女は自分をずっと見つめていたのだ、そう思った。今知り合った彼と上手くいって欲しいと思う前に、彼女が彼女らしさを貫ける良い恋愛を経験して欲しい、と思うばかりであった。自分の為に、溺れる事のないゆるやかな恋愛をして欲しい、と願わずにはいられなかった。 階段から見える窓辺から、いつのまにやら雨音がした。梅雨寒を両腕にうっすら感じながらも、その雨音さえ優しく穏やかな宵であった。
2006/07/20
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頓に三歳の息子チビタがこの梅雨時期で外に出る事が出来なくなって、日中部屋で暴れ放題という日常で 私が読書を出来るのは夜中、彼が寝静まった頃にトイレへと起き出してからキッチンへ向かい、小さなランプをつけて読む時間を努力するしかなかった。 それにはやはり、自分が入り込める良い相性のある短編に限られるのであって、それが今回再読の志賀直哉であった。 最初、どうしても夏目漱石の私小説色濃い「道草」を一気に再読したかったのだが、それは無理だと感じた。それでもなお抗い、この小説も細切れながら読んでいる。 =================== 私が志賀直哉に肩入れする理由は、その簡潔で明瞭な彼の文章形成を好んでいる他に、この作者の風体が、亡くなった祖父にそっくりだからである。 学生の頃、初めてこの作家を読んだ折り、最後の頁に掲載されていた彼の写真を見たときに、思わず息を呑んだ。私の記憶の中の祖父と瓜二つだったからである。 そうして、志賀直哉氏の性格についても、祖父を思い出させるものと重なることが多かった。 類稀なる潔癖症な作家であることは皆さんが知るとおり、有名な話だが、祖父もそうであった。 私の記憶の中で祖父の潔癖なまでの道徳的な一貫性を垣間見た出来事として一番鮮明に残っているのは、村祭りの準備の割り当ての為に開かれた、会合のときであった。 ある村人が、今年の作付けは天候の具合で滞っており、うちは協力できない、と話した。一同が口をつぐむ中、祖父は八十歳近いとも思えぬような勢いで持って憤怒したのである。 祖父であるこの老人の口上は、幼い私が聞いていても、本当に通りの叶った事であった。 その内容は今詳しく書く事でもないので省略するが、とにかくこの老人の一言でその村人も憤怒した。 しかし祖父は頑として受け付けず、その精神を貫いたのであった。多分、志賀直哉氏の生まれも明治四十三年、祖父もそうであったから この時代に生まれた男の気質として、多く浸透していた風であるのだ、とのちに自分を納得させたのであった。 ============= この短編の主人公は 山の手線の電車に撥ねられて怪我をする。そして、その怪我の養生で約三週間、城崎温泉へ逗留する。 そこで三つの命の生死と向き合うこととなって、一度死に掛けた自分の内面を書き出すという設定になっている。 一つは、常宿の窓に巣くっている虎斑の大きな太った蜂の死である。世話しなく働き続ける無数の蜂の中にただ一匹、屍骸になった蜂をみつけ、その様子があまりにも静かなのにしっとりとした親近感を感じている。 二つは、川で溺れる鼠である。首のところに串が刺し通してある鼠で、四十くらいの車夫と子供が数人、笑いながらその鼠に石をぶつけようとしているところに出会う。 鼠は生きようと必死でもがいている。そうして、死に目にあって死というものに親近感を覚えていた主人公がその静かな死にたどり着く前に、これだけの動騒があるという事実を恐ろしいと思う気持ちが書かれている。 最後の一つはイモリの死である。夕暮れから出た散歩途中の小川の石にイモリがいる。ちょっと脅かすつもりで石を投げたところ、偶然にも小石は命中し、イモリは彼の前でもんどりかえって息絶える。 自分は死んでもおかしくなかったのに対して偶然生きている。イモリは生きていて当然なのに対して不意に死を迎える。 そうして、このような出来事に遭遇する事によって言い知れない生き物の淋しさを主人公はかみ締めた、という短編である。 ================= 何時読んでも思うのだが、この作家の文章構成には無駄がない。どうして自分もこのような日本語を書く事が出来ないのか、と思う。そうして、こういう文章が書いてみたいと思って止まないのだ。 簡潔な文章の連なりで、これだけの情感を出すことの出来る作家は、居そうで居ない。多くの人が感じるとおり、彼の人となりがそのまま文章へと一貫されているとおもうのである。
2006/07/20
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相互リンクのもろりんちゃんから電話が入った。ひさしぶりにお互いの日常を確かめ合い、笑顔で話が進んだ。 そうして彼女が切り出した。 「ほたるるさん、リンクス入ってるんですね。わたしも最近はじめました。」 久しぶりに寝耳に水だった。笑。わたしはいつ設定したのだろう? 「え?設定したのを覚えてないんですか? ああ、それよりもこのリンクスという構成は、誰かがほたるるさんに招待状を送らないといけないようになっているので 誰かがほたるるさんのメッセージボックスに、書き込んでいる恐れがありますよ。」 一瞬、血の気が引き、誰がを気付かぬうちにないがしろにしている自分をあせった。 彼女の電話でのナビで数箇所のクリックを繰り返し、やっとメッセージボックスを開く。 ・・・・すいません。 入ってました。 お二人。苦笑。 あわてて色々と書き込み、登録をすませる。見ると、コミュニティなるものがあって、各管理人の下、決められた題材をめぐって色んな人のレスのやり取りがある。 「私は最近、やはり文学で名作のコミュができたので、面白くて入り浸っているんです、ほたるるさんもどうですか?」・・・丁重にお断りをした。爆。 私の読書幅は、チビタが最近言葉を覚えたごとく、浅く狭いからだ。照。 時間が出来たら、私の周りにはハンドメイドをする相互リンクさんが多いので、それ関係のコミュを立ち上げたいな、と苦し紛れに彼女に言った。たはは。 まったく、こういう未知との遭遇には、真に頼れる若き娘さんである。この後彼女から、このリンクスのモデルとなる原型の「ミクシィ」なる存在のレクチャーも受ける。感謝。 おばさん、勉強になりました。笑。もろりんちゃんの楽天読書サイトへ
2006/07/19
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午前中だけのタイム保育だったので、お昼過ぎに事務所からあわててチビタを迎えに走った。 保育園についた頃にはぽつぽつと雨が降り出している。遠くの方で雷鳴が聞こえた。急ぎ早彼を引き取り、車までは雨に濡れぬように抱いて小走りする。自分で歩きたい、とせがんだが、雨脚は数分ごとに強くなりつつあった。 雷も徐々に迫っているようだった。胸の中でむずがる彼の気を逸らしながら運転ドアを開け、彼ごと乗り込む。彼をチャイルドシートに乗せイグニッションキーを回した頃には雨音でカーステレオがよく聞き取れないほどになっていた。 曲はELDISSAという女性ボーカリストが入ったフランス発・謎のユニットのもので、ジャンルはボサノバ。今、日産モコのイメージソングとして使われている。チビタがCMを聞いていてえらく気に入り、日産ホームページでよくモコをみては口ずさんでいるので、先日迷わず購入した。 私はこの曲が好きだった。ビージーズのものだ。 「スティン アライヴ」ボサノバ風も、なかなかにいいものである。ドライブしながらこのCDを聞いていると、分刻みで動いている日常を忘れて心が開放される。 地味に私はドライブが好きである。心の開放のために酒も飲まないし、かといって定期的に友人と遊びに行ったりしないかわりに、心の潤いはもっぱら好きな音楽を聴きながらのドライブに頼っている。 幸いにも、チビタもドライブ好きだった。生まれた頃からどんなに機嫌が悪くても車に乗せると嬉しそうにしていた。夜泣きですごいときなどもパパくんのいびきを横目で見ながらそっと玄関から出て夜中のドライブに出かけた。車が動き出すとまもなくチビタの寝息が聞こえた。 運転しているときだけが自分の時間だったときがある。頭の中を空っぽにして車道を運転する事がストレス解消になり、いつか楽しみに変わっていた。 ドライブでストレスを解消していたのだ、と気づいたのは、チビタを妊娠してまもなくだった。車の振動が胎児に影響すると聞いて、ほぼ1年間運転する事をやめていた。 とにかくイライラする。どうしてだろう?妊娠生活は意外にも不便だったが、新しい命を授かったのだ、と思うと我慢する事が出来たのだけど、とにかく心がざわついていた。 チビタを出産して病院から実家まで高速道路を乗っていたとき、車窓から景色を見ていたら心が嘘のように晴れた。その時、自分は車がすきなのだ、と初めて沁みた。 ・・・参考のために。 夏にはいいですよ、涼しげで。笑。 ラインナップも書きましょうか。微笑。 私的には アースウインドアンドファイアーとか マイケルジャクソンのアレンジが好き♪ 夏に必ず欲しくなる 透明感たっぷりなんだもん。 まるで おそうめんのガラスの器に 氷とミネラルウォーターを入れて 夏の日差しに 透かしたよう♪ ====================== さて、色々な事をうっすらと思い起こしながら家に着くと、いつのまにかチビタがシートの中で寝ていた。首が九十度横に落ちている。 緩んだ口からよだれが垂れている。無邪気だなあ、と思わず笑みがこぼれてほっぺにチュウをしようと顔を近づけると、かすかにプールの匂いがした。水泳部だった私には懐かしい香りだった。 先生の話では、水好きのチビタは誰よりもフライングしてプールに飛び込んだという。他の子が海水パンツに履き替えているうちに、洋服のまま突っ込んでいったという。家に帰って鞄をあけてみると、水に濡れた洋服が一式、レジ袋に入っていた。 布団の上にそっと横たえると、髪が汗で濡れていた。耳の上にかけてやり、そっとタオルで拭く。もう一度、やわらかいほっぺにチュウをしたが物足りず、髪をかきあげたついでにおでこにもチュウをした。 喘息でやめてしまったベビースイミングを思い出した。もうそろそろプール再開してもいいだろうか。今度は私自身が彼に泳ぎの楽しさを教えたいな、と寝顔をみながら思った。(本日の2段目ブログ 太宰 修 「燈」のつづく。)
2006/07/16
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夜はオンブ紐なしで寝れるようになったチビタだが、お昼寝だけはオンブでないと駄目だ。 おぶると三分もしないうちに急に重くなってぐっすりと寝てしまうのに、一緒に添い寝すると一時間たってもゴロゴロするばかりでいっこうに寝ないので、私のほうが根負けしておぶってしまうのである。 毎日の、こなさなければいけない雑用が多すぎて、母は「時間」に負けてしまうのである。 そんな中でチビタをおぶりながら昼過ぎに読んだのが太宰治の「津軽通信」だった。疎開先の故郷津軽で書かれた短編が連なるこの文庫本は、私が一番好きな太宰氏の本である。 この「燈」は、早くして亡くなった父に代わり、親代わりを務める兄への複雑な心境を当時の皇太子誕生の出来事にからめて書いている。 太宰氏は戦争の影響の中を通り過ぎた作家なのだか、まったくそれを感じない作品が多い。しかし、私はこの作品にそれを多く感じる。 大学まで進んだ太宰氏が卒業近くになって、その怠惰が兄の知るところとなり、兄は彼を呼びつけ激怒する。 それと平行して皇太子誕生に巷は誰も彼もが嬉しそうに笑い、にぎやかになっている。 兄はタクシーを呼ぶように宿屋に命じ、全ての国民がこのお祝いに沸く中、太宰氏を連れてそれを見に行き、その中にまぎれて同じく喜び、涙を流す。 兄の癇癪が納まったのを内心喜びながら、兄を冷静にみる太宰氏の描写は、さすがの短編である。 昭和に入ってから短編を書くことに長けた作家は井伏鱒二だけだ、と言っていた彼が、是非とも短編を書いてやろう、と言っていた心意気がうなずける作品だ、と私は思う。 私は彼が好きである。彼の一途にして、それゆえに滑稽すぎるほどのけなげな文脈もさることながら、その文間から漂う彼のまなざしの優しさが好きである。 ↑楽天では津軽通信改版しかなかった。 苦笑。
2006/07/16
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今朝、思わず笑っちゃったのでおひさしぶりぶりに画像を掲載してみる。=======================私の急な就労にあわせてタイム保育に行きだして早3ヶ月のチビタ。最近はだ・だ・だ・大好き♪タイム保育♪になっている。今日は プール開き。(長雨でデビューが遅れてしまった。)すっごく楽しみにしていたのか朝の5時半に起床。私といえば家族が寝ているうちにテラスに出て新しく買った「ポリアンサ」というめっさかわいい薔薇の鉢替えをしていたら人の気配がするので振り向くと・・・・タッてました。笑。朝5時から 「ほたしゃ~ん!! もう、おともだちって いくますよ~!!」・・・とゴネまくりちょっと待ってて~~と庭であわてて手を洗う私をすたすた置いて大好きなフランスパンを自分で棚をロッククライミングで見事ゲットし、食べているうちに・・・眠たくなって撃沈。・・・2度寝だったので起こすのが大変でした。笑。おひさしぶりぶりにチビタ画像でした。じゃ。みなさん、お元気で。ホント、ひさしぶりにこのテンプレート使いました。笑。
2006/07/10
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七月も七夕近くなって、まったく梅雨らしい毎日である。降っては、じっとりと首筋にまとわりつくように暑苦しく、止んでもまた、籠もったようにやはり暑苦しい。 庭に出ても蚊の大群が私達母子の柔肌めがけて何度も攻撃を仕掛けてくる季節になった。チビタは生まれて初めてまぶたをチクリとやられて、お岩くんになっている。 寝付くとさらに問題の深刻化となったので、蚊に刺された痒さで睡眠不足になり、夏ばてをしてはたまらんと蚊帳を買った。 育児・仕事・家事の合間に、どこに売っているかわからない蚊帳を探すのは気が遠くなりそうだったので、ひさしぶりに楽天ショッピングを楽しんだわけだが 蚊帳であればなんでもいいというわけではない。 なんといったって「つり蚊帳」はだめだ。買ってきて備え付けた途端に、この2歳児が猫のごとく引っ掻き回して意味を成さない。 色々あちこち吟味して、こちらにした。 私とチビタが寝る寝具は畳にセミダブルのマットレスを敷いている。そのうえに綿布団をのせて寝ている。マットレスの高さは15センチのものなのだが、このおおばこさんの蚊帳はそれをすっぽりと覆ってくれて、まったく満足いくものだった。 店長さんと言おうか、管理人さんと言おうか、メールのやり取りをした女性の反応がすこぶるよく、とても気持ちの良い買い物が出来た。 最初、一人用のこの蚊帳が果たしてセミダブルのマットレスを覆いつくすだろうか、と心配であったがゆえに、届いてしっくりいったときの喜びといったらなかった。増して、子を持つ母として「無蛍光 無漂白 無染色」は安心できるものだった。 クーラーをかけても、窓を開けて網戸で寝ても、蚊帳が直接の風を半減してくれるので、チビタの寝冷えが嘘のように治まった。これは予想外だったから、こちらも嬉しい。 蚊に刺される心配がなくなったので、毎晩繰り返されるチビタのトントン儀式も心安くなった。チビタも蚊帳の中をちょっと嬉しそうにコロコロと子犬のように転がりながら、寝る前のひと時を楽しく過ごす事を取り戻したようだった。「ほたしゃーーん、おうた、歌っていい?」保育園で習いたての歌をほとんど替え歌状態で聞かせてくれる。中にはしばらく笑ってしまって涙がとまらないほどの自作も混ざっている。「どんぐいコロコロ どんぐいこ おいけにはさまって ああ、あっぶない どけちがでてきて こんにちは ぼっとん いっしょに ぶうしましょ?」 どんぐりが 池のほとりにコロコロと落ちてきたので、どじょうが哀れに思って、こんにちは、一緒に遊びませんか?とやさしく言ってくれる、微笑ましいあの歌も チビタによると、どんぐりが「イケ」という、訳のわからないものにはさまって、「あぶない」状態になる。その上に、なんだかケチなお人がでてきて、挨拶をしたあと、一緒にうんこをしようといっている。・・・らしい。爆。 蚊帳の中でクククッと笑いながら、チビタの歌に耳を傾ける。暗闇の中で耳は冴えて、ああ、子供の声はこんなにもかわいいものだったかと再認識する。 明日の仕事で打つべき伝票の数も、銀行への用足しも、保育園の送り迎えから、夕方の買出しでさえ、全てを忘れて笑える時間である。 遅くまで仕事をしている主人に、聞かせてやりたいな、としみじみ思うのである。(本日のブログ 二話目 泉 鏡花「高野聖」に続く。)
2006/07/09
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目まぐるしい合間をなんとかかいくぐって、読書をする。 それは、チビタの保育園のお迎えにちょっと早くついた車中の中での十分くらいでもあるし、夕食を作っている最中、チビタがテレビに夢中になっているのを確認しながら、煮込んでいる肉じゃがの鍋の前の二十分だったりする。 このような状況下だから、持つ本は手軽な文庫本に限られ、なおかつ読み物は短編のみである。忙しくしていても読んだ読了感を満喫するためには、この二点は重要である。 夏の蒸し暑さをかき消すような、さらさらとした文章が読みたかった。なおかつ深い森の中にあるようなものがいい。 そう思って、キッチンの棚に並んでいた泉鏡花の「高野聖」を再読した。 ******** 主人公が 旅の途中で あるお坊さんと懇意になる。そのお坊さんに連れ立って一緒にお世話になった宿で布団を並べた深夜、ある話をきく。 話とは、その坊さんが遭遇した不思議な妖女の話である。 修行中、ある山を越えようとして立ち寄った茶屋で、坊さんに嫌味をいった嫌な薬売りがいた。 その薬売りは、お坊さんを追い越して十人に一人も帰らない道のほうへと脚を踏み入れてしまう。 呼んでひき帰させようと、お坊さんは後を追う。 しかし、その薬売りを見つけられぬまま、お坊さんはある孤屋へたどり着く。 美しい女と下男、女の主人らしい白痴の太った男がそこにいる。 美しい女は、泊まる前に体を洗った方が良い、と滝のほうへお坊さんを案内する。下男は、一頭の馬の前で、お坊さんに含み笑いを向けている。 滝までたどり着く道中に、数匹の獣が美しい女にしがみつく。女はあしらい、お坊さんを滝へと導く。 滝で体を濡らすと、美しい女が添うてお坊さんの体を洗う。お坊さんは美しい女に心を奪われそうになるがなんとか堪えるのである。 美しい女とお坊さんが滝から戻ってくると、下男はびっくりしている。そうして、意味深い事をいいながら、先ほどの馬を引いて、街へその馬を売りに行ってしまう。 夕食を終え、お坊さんは母屋で床を頂き、夫婦は離れへ下がる。 夜中になにやら不思議な重たい気配が母屋を覆うが、お坊さんは念仏を唱えて事なきを得る。 次の日、礼を言って孤屋をあとにするが、お坊さんの心は歩きながら迷う。 もう修行をやめて、あの美しい女のところに戻り、白痴の主人の世話をする女の助けをして暮らそうと決心を固めだした時、昨夜出かけた下男に逢う。 下男は、馬を売ったお金で買ったであろう大きな鯉を持っている。そうして、あの美しい女の正体をお坊さんに話す。 美しい女には、いつのまにやら妖力がついて、いい寄る男を獣や動物に変える事ができるのだ、あの馬はお坊さんの少し前に孤屋にきた薬売りだと。 あなたは、その信心深さからそういう目にあわずに出来たはじめての男だから、早くこの場所から立ち去って、里に下りるように、と。 実は、美しい女に案内されて滝まで行くうちに、女にしがみついてきた獣たちは、女に姿を変えられた旅人たちだった。 そんな夜話をそのお坊さんから聞いた主人公は次の日、別れがたい心情を胸に、別の道へと向かうお坊さんを見送る。 ******** 泉鏡花の文章は、何時読んでもまるで音楽のようなリズムが胸を打つ。・・・うわ。一番書きたいところで、チビタが遅いお昼寝から起きてしまいました。泣いております。苦笑。続きはのちほど。 ==================== (4時間後) 泉鏡花の短編を読むと、私は「水琴窟」のあの神秘的な音色を思う。上薬りを塗った瓶に落つる雫の音は、無重力に漂うようである。その雫のリズムに耳を立てているうちに、体ごとその物語の中に吸い込まれる。 文壇の中でも(本人の思惑はわからないが)まるで重力を感じない存在のようだ、と当時の泉鏡花を感じている私の心がそうさせるのかもしれない。 ==================== 書きたい事がたくさんあったのだが、なんだか骨を折られたようになってしまい、全てが失せてしまった。苦笑。 いつぞやにふと思い出したら、こっそりと書き足していこうと思い、今日は終わりにしておこう。 ===================== 風呂上りのチビタが横で「あそぼう、あそぼうーよ。」と袖を引っ張っている。主人は風呂上りの濡れた髪のまま、NHKの「功名が辻」をみながら、好物のチップスターを頬張っている。 久しぶりの家族団らんの日曜日である。 さて、すいかでも切ろうか。 それでは皆さん、 次のブログ更新まで どうかお元気で!
2006/07/09
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