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暑くもなく寒くもない。と言っても明け方家を出るときの気温が15度だからちょっと多めに着ていないと寒い。でも、日中は25度くらいまで上がり、人の多いヴァチカン美術館の中ではほとんど汗をかくような状態。でもローマの秋って本当に大好き。こう空が高くなって風が爽やか。単純な私は本当に生きていて良かったと思ったりする。ローマはいつがいいんでしょうねと聞かれたら、秋ですねとすぐに答える。春でもいいのだけれども、秋の日の光は特別な気がする。今日で9月も終わり。今年のローマの10月はオットーブラータ ロマーナになるか。素晴らしいローマの10月を期待していよう。
2016.09.30
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テレヴィでアッピア旧街道を実際に南イタリアのブリンデイジまで歩くという番組を息子が観たらしい。アッピア旧街道は古代ローマの執政官街道のひとつで街道の女王と言われ、古代ローマ時代旧市街の中(アウレリアヌスの城壁内)には死体を葬ることが禁止されていたために人々は城壁の外に墓を作ったのだが、特にこの街道沿いに墓を作るのがステイタスシンボルとされていた。(勿論街道自体は他の執政官街道と同様に戦いがあったら一刻も早く兵士たちを送ることが出来るように、また様々な物を運ぶのに便利なように作られたものだ。)だから現在でもチェチリアメテッラの墓とはじめとしてマクセンテイウス帝の息子の墓だとか、華やかな絵になる風景が沢山残っている街道のひとつになる。個人的には仕事で年に何回かしか行かないけれども、行ったことがないという息子を今回は連れて行ってみることにした。行き方は簡単。地下鉄のB線駅チルコマッシモからカラカラ帝大浴場跡に向けて道を進むと道の真ん中にバス停があり、118番のバスが大体20分から30分おきの割合で停まる。(日曜日は分からない)これに乗ると直接城壁に作られているサンセバステイアノ門から旧市街を出て、アッピア旧街道に出ることが出来る。ただし、ある程度のところでバスはアッピアピニャテッリ通りに入るので注意。バスは巡回しているから、多少間違っても心配なし。今回はこの辺に多く作られているカタコンベ(地下の墓地のことを言うが、何キロにも及んでいる。もともと石を切り出すための地下の石切り場を利用してキリスト教徒たちが宗教がまだ公認されていなかった時代に墓を地下に作っていったもの)のひとつでサンカリストで降りて歩くことにした。旧街道は昔の石畳が残っている所は一部だが、ところどころ見えるので本当は歩くのが一番いい。サンカリストからサンセバステイアーノまで歩き、聖セバステイアーノ寺院で休憩。昔この街道沿いで聖ペテロがネロ帝の迫害から逃れようとしていたときにキリストに会い、キリストに彼がドミネ クオ ヴァデイス?と聞いたとされる。(主よ、どこへ行くのか)という意味。キリストは聖ペテロにもう一度磔にローマへ。と答えたとされ、それを聞いて聖ペテロは恥ずかしくなりローマに戻り磔で殉教したとされる。聖セバステイアヌス寺院内部にはこのときにキリストが残した足跡が残っているほか、聖セバステイアヌスが殉教したときに使われた矢などが保管されている聖遺物礼拝堂がある。また、巡礼のグループでかなり込み合うが、カタコンベも見学可能。聖セバステイアヌス寺院からしばらく歩くとマクセンテイウス帝のチルコに到着することが出来る。現在入場はタダ。(寄付をおくようになっている)中は彼のチルコ(大競技場)跡や彼の作らせた皇帝宮殿跡、それから彼の息子ロムルスのために作られたマウソレオ(墓)を観ることが出来る。マウソレオの内部が素晴らしいので時間がある方にはオススメしたい。お隣にあるのが、有名なチェチリア メテッラの墓。ここは内部も見学できるが、カラカラ帝大浴場跡やクインテイッリ帝のヴィッラと共通券になっていて、1週間有効で6ユーロ。隣にあるカエターニ家の要塞や前にあるサンニコラ教会跡とともにアッピア旧街道の目玉になっている場所。
2016.09.26
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約1年間の修復がようやく終わり、9月22日(本当は21日の予定だったのが、お天気の関係で延期)夜オープニングセレモニーが行われた。イタリア国立音楽アカデミーのサンタチェチリアオーケストラのコンサートと修復にお金を出したブルガリによる彩色が綺麗な投影とダンスなど。昨日は問題の階段(本当の名前は上にある教会の名前からトリニタ デイ モンテイの階段という)は果たして登れるようになるのかどうなのかと少し気になっていた。というのは、せっかく修復が終わってきれいになったけれどもさっそくいたずらなどで階段が汚されたり傷つけたりされると困るという意見もかなりあったために、ひょっとすると階段の中央の部分は開放されないで左右の部分だけ使ってもらおうではないかと直前までもめていたのだった。ところが、イタリア文化財管理局局長になるフランチェスキーニ氏がいたずらなどを防ぐためだったら見張りをつければいいではないか、開放しないわけにはいかないということで、昨日はさっそく沢山の人が上り下りしている様子を見た。だが、階段で休憩してはいけないとか、食べ物を食べてはいけないとか決まりがあって、罰金が課されるという話もあるので注意。とりあえずは修復終了で万歳。
2016.09.24
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8月末に大きな地震があったアマトリーチェの街は現在も余震が続いているという。家を失くした人たちはテント生活で暮らしているらしい。標高が1000m近くある街には早く冬が訪れる。一刻も早くちゃんとした避難場所に移れるといいと思うのだが、街の人たちは街の外には出たくないという人がほとんどだと聞いた。だが寒くなってきたためテントを解体してアブルッツオ州などに家を準備しているというニュウスを聞いた。ご存知のようにローマを含めてラツイオ州の名物になるアマトリチャーナ風パスタはこの町から来ているということになっている。もともとはカルボナーラの原型になるグリーチャ(カルボナーラで卵が入らないものをいう)にトマトを入れて作ったもので、簡単にお料理が出来ることからパストーレ羊飼いたちがお料理を発明したとも言われている。最近このアマトリチャーナをレストランで食べるとその代金は震災にあった街に寄付しますという所が増えている。最近2回続けて食べてみて、同じアマトリチャーナ風でもあまりに違うので本当はどうやって作るのかと調べてみた。様々なヴァリエイションがある中で最もオリジナルに近いとされるものは、まず第一にベーコン、玉ねぎ、にんにくを使わないこととされる。2番目には、グアンチャーレと呼ばれる豚の塩浸け肉を使うこと。3番目、トマトピューレと生のトマトを混ぜてソースを作ることらしい。このグアンチャーレがほどよく味を出してくれて、トマトソースにコクが出るのが秘訣なのかもしれない。好みでグアンチャーレを最初鍋で炒めるときに赤唐辛子をひとつ入れてもいいそうだ(後で取り出してもいいしね)。個人的にはグリーチャの方が好きだけれど、アマトリチャーナ風も勿論オイシイものは大好き。パスタは短いパスタでも長いパスタでもいいのだけれど、アマトリチャーナ風に欠かせないと思うのが、ブカティーニといって中に穴があいているスパゲッテイ。或は短いパスタでもいい。イタリアにいらしたら、是非このアマトリチャーナ風を沢山食べて震災で大変な街を助けてあげるのにイチヤクカウというのもいいのでは。
2016.09.23
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最後はなぜかうまくいくイタリア人 [ 宮嶋勲 ]価格:1404円(税込、送料無料) (2016/9/20時点)大学の知人に教えてもらったこの本を読んだ。頭のいい著者に私が思っていることを書いてもらったようなすっきりした気分になった。著者の方はローマの新聞社に昔勤めていた方で、現在はワイン関係の仕事をフリーランスでなさっている方のようだ。イタリアと日本をしょっちゅう行ったり来たりしている著者は私のようにずれてしまっていないで、きちんと物事を両側から観ることが出来ていることに感服した。著者がおっしゃることは大体当たっているので、イタリア人を理解したいという方にはオススメできる本。また、著者がイタリア的にかなりポジテイブに(といってもイタリア人でもいろいろいるんですが)物事を観ていることにも好感をもった。
2016.09.20
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パレルモ市内から空港に行く途中、碑石をひとつ見かけた。あれっと思ったのはそこに日本人の名前が書かれていたことだった。Otama Kiyoharaと書かれていたことがちょっと気になって調べてみた。彼女はパレルモ出身のイタリア人男性ヴィンチェンツオラグーサという彫刻家が、明治時代政府に呼ばれてブロンズの彫刻を東京で教えていたときに、モデルとなり、のちに彼と結婚して、彼がパレルモに帰った際に一緒にシチリアで美術学校を開いた女性になるという。学校は現在もパレルモにあり、今はリチェオ アルテイステイコとなっている(つまり芸術専門高校)。高校の名前が彼女とご主人の名前になっている。ご主人が亡くなったあと、お玉さん(本名はたよさんらしい)は日本に帰国したということだが、50年も日本語を使わなかったためにほとんど使えないような状態であったとか。ちなみに、彫刻家のラグーサ氏は、イタリア統一運動の際に活躍した千人隊に入っていたことでも知られるそうだ。
2016.09.19
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9月に入ってから突然今年はお天気が変わって雨が降りやすい秋の気配が強くなってきた。大雨だったのでどうかなと思いながら家族で出かけた内陸部のオリオロロマーノという場所のポルチーニ祭り。ここには何年か前にもやはりこのキノコ祭りで出向いた記憶がある。ポルチーニは春秋の雨の後、お日様が出ると森に生えるものなので、今年はどうなんだろうと思う。ひなびた町の中心広場に屋台が沢山でていてご飯をそこで食べられるように準備がされている。またお祭りで人が沢山来ることから様々な屋台が並んでいる。ハチミツを売っていたり、いろんな種類のリクリツイアを並べて居たりとまあ楽しい。問題のポルチーニは、新鮮なものは(通常は乾燥したものを使うので)お店がひとつしかなかったが、男性陣が好きなので1キロ20ユーロのキノコを1キロだか買うことになった。そのほかのお買い物はおいしそうなイノシシのサラミとその辺で作っているチーズ。今週末は我が家でもポルチーニキノコ祭りとなりそう。
2016.09.18
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シチリアで昔はじめて食べて感動したものにアランチーニがある。これは大きなお米のコロッケで中に様々な具が入っているものになり、実は家庭料理。今回は空港で食べて、マケダ通りに出来たアランチーニ専門店(いろいろな種類がある)で食べようかなと思っていたのだが、いつも混んでいたせいもあって食べず仕舞い。毎回シチリアに夏行くたびに食べるグラニタ(かき氷のようなもの)も食べず仕舞い。その代りにシチリアの友人に教えてもらったパレルモ一番のアイスクリームやさんBriosciaでジェラートをいただいた。滅茶滅茶地元の人で混んでいることからも分かるように美味しかった。お奨めはピスタッキオ。ピスタッキオはシチリアのエトナ山近郊で採れる。パレルモの庶民は狭い道に広げられている屋台のようなテラスのような所で良く食事をとっていた。ご一緒だった方たちと朝市で有名なヴッチリアにも出かけたが、食べ物やさんはイマイチ。アバテッリス館近くのアンテイカ フォカッチェリアサンフランシスコは、結構有名でフィウミチーノ空港内にもお店が出来たのを見た。フォカッチャは我が家でも作る具入りピッツアのことで、お店で売っているものはそこでサービス料を払わずにお食事出来るということだったが、サンフランシスコ教会前にテラスが出ている同じ経営のレストランでは普通のお食事ができる。海の幸のパスタやシチリア名物のおなすが入ったパスタが美味しかった。そのほか、良かったのは、オペラ座のマッシモ劇場内にあるカフェテリアで簡単なお食事ができるのだが、雰囲気が静かで外の喧騒を離れることが出来る場所でなかなか良かった。
2016.09.17
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沢山ある教会など見る所が非常に多いのだけれど雨上がりのパレルモは蒸し暑く、ご一緒だった方たちが大変そうだったので重要な場所のみに絞ることにした。旧市街は何と言ってもフェデリック2世のお墓があるカテドラルとモザイクがまたまた素晴らしいノルマン王宮。カテドラルは入場がタダだけれどもお墓や上のテラス、地下礼拝堂に宝物室を見る場合には料金がかかる。7ユーロだが、テラスは特に気持ちが良いし、旧市街の眺めが素晴らしいのでお奨め。カテドラル正面カテドラルのテラスノルマン王宮は前もって予約を入れることが可能だが、(フェデリコII財団のサイトより)午前中はかなりグループで混んでいてセキュリテイーで並ぶ。が、ここも素晴らしい12世紀のモザイクと色大理石のアラベスク模様が見逃せない。*アラベスクが何故アラブで流行ったかというと、実際の像で飾ることが出来なかったために様々な模様を簡素化して出来たものになるそうだが、この模様って色々な所で残っているのが興味深い。*ノルマン王宮内部モザイクノルマン王宮天井ムカルナス(アラブ装飾で鍾乳洞)ノルマン王宮で息をのんだ後、近くのサンジョヴァンニデイエレミテイ教会(世捨て人たちの聖ヨハネ教会)でホッと一息。ここは昔のモスクが教会になっていて、今は小さな回廊とお庭がオアシスのようになっている。パレルモは他のシチリアの街とは違ってギリシャの植民地にはならなかったが、古代ローマの支配のあとビザンチン、アラブ、ノルマンの支配を受け、その要素が混合して残っているのが非常に魅力がある。また、そのあとのスペイン支配により、名前がスペイン語だったり装飾がゴシックカタローニャ様式だったりしている。
2016.09.16
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今回ご一緒だった方は特にアートがお好きな方たちだったので、シチリア州立美術館になるアバテッリス館へ。建物の玄関入り口がとっても素敵。港がある所では縄模様が使われることが多い。建物自体は1400年代のもので、当時アバテッリス氏はシチリア王国の港管理長をしていた人らしい。彼が亡くなった後、相続する人がいなかったため、未亡人がドメニコ派の修道院にしたという。第2次世界大戦でかなりの打撃を受けた建物は戦後修復がなされ、修復にあたったのはヴェネツイア出身の建築家になるカルロ スカルパ。話は長くなったが、長い間修復が行われていた建物は今綺麗になっていて、小さいながらも見ものがいくつかある場所なので興味がある方は是非。特に、アントネッロ ダ メッシーナ(彼はシチリアのメッシーナ出身だが、ヴェネツイアで絵の勉強をし当時のフランドルの画家たちの影響を受け、イタリアで最初に油絵を描いた画家とされる)の受胎告知を受ける聖母マリアが素晴らしい。そのほかにはフランチェスコ ラウラーナの彫刻でアラゴン家のエレオノーラと言われる女性の肖像や、画家の名前が分かっていない、貴族のお屋敷から持って来られたフレスコ画、死の勝利が挙げられる。
2016.09.15
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今回泊まっていたのは、ヨーロッパ3番目に大きいパレルモのオペラ座、マッシモ劇場前に古くからあるマッシモプラザホテル。室内はもう少し改装してもいいかなという感じはあったけれど、場所が便利なのと何と言ってもフロントの対応が気持ちよく、まあ快適と言える。(ちょうどパレルモの聖人のお祭りがあったせいか、夜かなり外が賑やかではあったが、24時には大体終わる)パレルモ旧市街はいくつか見物がある中で、まず最初に車を頼んで行ったのが、郊外のモンレアーレ。ここには1100年代にパレルモのノルマン王が建てさせた豪華なドウオモがあり、中のモザイクや外のベネデイクト修道院回廊が素晴らしいのだった。前回感動したモザイクは相変わらず美しかったが、大聖堂の後塵を外から是非見てもらいたい。アラブ様式で作られた装飾が何とも言えない。ドウオモ正面内部モザイク一部、宇宙の支配者キリスト(パントクラトール)後陣外側回廊一部上のテラスからはパレルモ旧市街と回廊の眺めが素晴らしいので是非。旧市街に帰る途中、車に寄ってもらったジザ城は昔アラブ語で輝くを意味していたそうだが、やはりノルマンの王様が作らせた夏の離宮になる。内部は見学可能でモザイクやアラブ特有の鍾乳洞の装飾が残っている。様々な場所が修復されて現在見学できるようになったのは素晴らしいことだと思う。例えば、パレルモ大学が入っているキアラモンテイ館はスペイン統治時代にあの恐ろしい異端裁判に使われていた場所で、興味深い。パレルモ旧市街はアラブのカスバを彷彿とさせる細い道が大通りの裏には続いていて、下町の雰囲気を味わいながら散策するのが楽しい。
2016.09.14
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パレルモはローマから飛行機に乗ると45分。飛行機に乗らないで電車だと半日はかかるし、車でもそのくらい、フェリーでチヴィタヴェッキアから行くとフェリーで一晩寝ると朝着くと言う感じになる。今回は何故かロウコストのライアンエアー。アリタリアも安売りで買うと往復100ユーロちょっとで買えると思うのだけれど、ライアンでは座席指定を含めて75ユーロくらいのようだった。搭乗の前に人々が荷物の制限があるので(機内には90こしか入らないとかで)随分前にバッと並び始める。(嫌な人はプリオリテイにしておくと優先権があって先に搭乗させてもらえる)飛行機は思ったよりもちゃんとしていて定刻に到着。中ではくじ引きやタックスフリーの商品をスチュワードが熱心に売るのが印象的。パレルモ空港から市内まではタクシーもあるのだけれど、空港バスが30分おきに出ていて、往復11ユーロなのでそれが一番チープかもしれない。荷物が大きい場合には市内のホテルまでのハイヤーも前もって頼めるので(ホテルのフロントでは往復60ユーロということだったから)それをお使いになるといいかもしれない。大体市内までは45分から60分。バスは高級住宅地になるリベルタ通りを通ってポリテアマ、中央駅まで行ってくれる。
2016.09.13
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秋になってきましたね~!!昨日パレルモからローマに帰ってくると雨。4日いたパレルモでも2日は寒かったり雨だったりして夏の終わりを感じる日々。さて、シチリアは主人の故郷がある場所なので以前は毎年里帰りで行っていたし、周遊の仕事でも行ったことがあるのだけれど、今回はちょっと久しぶり。一概にシチリアの人は親切でスレていない所がいいなと思いながら帰って来たところ。食べ物についてはシチリアに行く人たちが感動するくらいには至らないけれども、ローマに比べてもかなり安いかなと。パレルモの澄んだ空を思い出しながらまた追々に書いて行きたいと思います。
2016.09.12
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昨晩待望の雨が降って(ただ暴雨になったのでちょっとびっくりだったが)今朝はちょっと気温が下がって涼しかった。風も強く、そろそろ秋かしら~と思いきや、また日中は暑くなって夏に戻ったようだった。今ローマの新市街EURで行われている医学関係の国際会議、今回は遺伝性のメタボリズム障害についてということだったが、にいらっしゃる方とEURへ。観光スポットではないので滅多に私も出かけることはない場所だが、(たまたま私の目医者さんのオフィスはある)まま見るところはある。ここはムッソリーニが1942年に開かれるはずだった万博のために旧市街から海に向かうこの場所に作った所で、大戦があったために万博はなくなり、戦後ローマオリンピックのときに使われたりしてほぼ完成している地区になる。どちらかというと、今はオフィス街(政府の機関が結構ある)と中高級住宅地の感が強いが、当時の全体主義が見られる建築物は歴史的な意味もあって興味深い。私はいつもこれらの建物を見るとジョルジョ デ キリコの絵を思い出すのだが、実はキリコの方が早く形而上主義を使い出したようだ。現在はマッシミリアーノ フクサスというローマ出身の建築家が設計をしたラ ヌヴォラ(雲)がほぼ完成しかけているから次回の会議はそこになるかも知れない。ヴィアーレ エウロパという通りはおしゃれなお店もあるしEURも捨てたものではない気がする今日だった。写真はこのEURのシンボルとなる四角いコロッセオと言われるイタリア文明館で現在はFENDIが借りている。内部は10月29日までFENDI90年記念の展覧会が行われていて楽しい。月曜日から土曜日まで。10時から20時まで。展覧会はタダ。
2016.09.07
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長いようで短かった旅の最終日。大急ぎで4つの街を見たけれど、それぞれ特徴があって家族とときおり喧嘩しながら見るのもなかなか楽しかった。パルマからローマに帰るのは、ボローニャ乗換え。パルマからボローニャはローカル線で1時間。ボローニャ駅は近年びっくりするほと綺麗になった。ローカルでボローニャに着くと地上階に到着になるが、新幹線はほとんど地下2階から出ているので注意。駅の中での移動時間を見る必要があるということ。地下は大きな待合室があり、快適。私たちは結構時間があったので、お昼ご飯を食べてのんびりしていた。12時45分発だと思い込んでいた私がトイレに立って確認すると何と12時25分だった。*出発時間が早くなったのではなくて私の思い違い*5分しか出発までなかったけれど、お急ぎでホームに降り電車に乗った。ぎりぎりセーフ。乗った帰りの新幹線はフレッチャロッサ。やはりフレッチャロッサは快適だった。
2016.09.04
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パルマはマントヴァやフェッラーラに比べると結構大きな街という印象を受けた。町並も綺麗だし(整然としている)お店もお洒落、ヴェローナの華やかさとは違うけれど、街が豊か、という感じ。この町を代表するのが、バリッラ。イタリア一の大きな食品会社で、パスタなどを作っている。バリッラ館というもあるそう。パルマには様々な行き方があるけれど、今回はマントヴァからモデナ乗り換えのローカル線で2時間半くらい。宿は駅と旧市街の中間地点になるピロッタ館傍のメルキュールスタンダール。部屋から近所のオラトーリオ(祈祷所)の屋根が見え、モダンな作りで快適だった。パルマで楽しみにしていたのは、食べ物もさることながら、ベネデット アンテラーミの作品だった。彼は12世紀から13世紀にかけての彫刻家、建築家であり、ニコラ ピサーノとともにイタリアゴシックを代表するアーチストと言われる。昔のことなのではっきりしたことは分かっていないが、ロンバルディア州のインテルヴィ谷、アンテラーミ谷とも呼ばれたらしい、に10世紀から石切職人の親方がいたことが古文書で残っているそうだ。のち12世紀にリグリア州で活躍し、フランスで活動をした後パルマで素晴らしいこの作品を残したわけだが、イタリア各地で彼の手になるものは残っている。(例えばジェノヴァの大聖堂のライオンなども)ロマネスクからゴシックの変わり目、ゴシックの彼の特徴として挙げられるのは、写実表現と特に日常生活や自然に注目していることだと言われる。(例えば洗礼堂内部の四季や12の月などを擬人化したものは、後にアンテラーミ派というスタイルを起こしイタリア中にそういったモチーフが流行るきっかけともなる)パルマの大聖堂も隣の洗礼堂もヴェローナのピンクの石で作られているが、13世紀の建物であり、特に洗礼堂の素朴さがいい。大聖堂内部は1500年代にこの周辺を治めていたファルネーゼ家のパウルス3世が(法皇領だった)マニエリスムにしてしまって華やかだが、アンテラーミのキリスト降架は見る価値がある。聖母マリアが亡くなった息子イエスキリストの右腕をもっていることに注目。ニコデモは梯子に登ってイエスキリストの釘を取り除いている。上部天使たちの横には花輪で囲まれた太陽と月のシンボルが彫られている。この時代、洗礼堂も下部に彫られた動物像を含めてまだ異教的なものが信仰されていたことが分かる気がする。また、このキリスト降架の背景はニエッロと呼ばれた東洋から来るテクニックで作られている。これは彫った部分を黒いスマルトで埋めていくものだという。洗礼堂はアンテラーミの大傑作で、建築から彫刻に至るまですべて彼の作品になる。外側のルネッタに彫られている最後の審判もカラフルで興味深いが、内部の12の月や季節を擬人化した彫刻が素敵。キリスト降架一部洗礼堂の最後の審判洗礼堂内12の月のうち6月中は色華やかなフレスコ画で飾られているし、彼の作品があるので入場料がかかるけれど、(隣の大聖堂左のショップでゲット)価値は十分ある。洗礼堂天井そのほか、旧市街はボルゴと名付けられた細い道が続くところだが迷いながらの散策が楽しい。この町出身の画家パルミジャニーノの像もあった。軽食をボルゴ内Via XX Marzo, 4にある古いお菓子屋さんPAGANIでとる。シュークリームのクリームが最高にオイシイ。この町で活躍したコレッジョやパルミジャニーノの作品を見ようといくつか教会を回り、最後にピロッタ館の美術館と考古学博物館へ。午後は美術館の半分が閉まってしまうので、コレッジョ、パルミジャニーノとファルネーゼ劇場(これは凄い。すべて木造で、1500年代建造だが、第2次世界大戦でかなり打撃をうけたので近年再建されたもの)、カノーヴァのナポレオンの御妃像などを観ることが出来る。ファルネーゼ劇場考古学博物館も小さいなりに見るものが結構あり、例えばトライヤヌス帝の時代に作られたブロンズ製の板はローマ帝国時代に農民たちに低利子で貸し出しが行われたその詳細が書かれたもの、がある。楽しみにしていたお夕食はボルゴ内ガッロ ドロ(黄金の鶏)へ。まあいいのだけれど、サービスが極端に遅く、フェッラーラのレストランには負けるかなと言う感じだった。オフシーズンならいいかもしれない。
2016.09.03
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ヴェローナからマントヴァはローカル電車で約40分。電車は一時間に一本あるのだが、時間帯によっては何時間かなかったりするので予め国鉄のサイトからチェックするのがベスト。ヴェローナは結構人が来るのだけれど、マントヴァまで足を伸ばす人は少ないような気がする。この町もユネスコ世界遺産に指定されているし、こじんまりした静かな町なので個人的にはお奨め。ヴェローナの宿はアレーナの野外劇が夏期あることもあってご存知のようになかなか取れないことが多いし、値段も高くなる。私たちは旧市街の外れのサンゼノだったから静かで良かった。アンテイコ レジデンス サンゼノという古い屋敷で変わっていた。マントヴァは一方あまりいいホテルがなく、前回母と来た時もこじんまりしたB&Bに泊まった。今回主人が息子と調べてくれて見つけたのは13世紀のお屋敷ボナコルシ館の部屋を貸してくれているスイートルーム。ちょうど裏側が町一番のソルデッロ広場になり、ちょうど市場がある木曜日の朝は早くからざわざわしているし、夜もかなり遅くまでざわざわしていたけれど、(もっといい窓をつければいいのに)部屋は非常に広く特徴があって良かった。マントヴァについては以前も書いたと思うので興味がある方はそこを参照してください。街はルネッサンス時代芸術家たちを保護したゴンザガ家の街。街はミンチョ川とふたつの湖に囲まれていて、(中世に人工的に防御のために作られたという)ロマンチック。見ものは何と言ってもテ館とパラッツオ ドウカーレ。そのほかにレオン バッテイスタ アルベルテイ設計の教会サンタンドレア教会、サンセバステイアーノ教会なども見逃せない。テ館テ館の有名な巨人たちの墜落の部屋を始め、フレスコ画の部屋はフラッシュをたかなければ写真を撮れるようになったのが、ウレシイ。テ館内、巨人の墜落の部屋(ジュリオロマーノと弟子による)天井に描かれているドウカーレ宮殿はマンテーニャの新婚の部屋のフレスコ画が見られるようになったのが、最高。サイトでは入場制限をしているので予約してくださいとあるけれど、そんなに混まないので到着してから予約でも問題ないようだ。ドウカーレ宮殿内サンジョルジョ城、新婚の部屋(マンテーニャ作)これも天井のフレスコ画お夕食は張り切ってミシュランフォーク付のオステリア フラゴレッタに行って見た。内部はちょっとカラフルで変わっている。かぼちゃのトルテッリはもう食べたくなかったので、私はちょっと変わったペーストのパスタをいただいた。マントヴァはいつ何度来てもいいなと思う。近年ヴェローナ空港から直行バスが出るようになったので時間の無い方はそれを使っていらっしゃることも可能。
2016.09.01
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