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2007.02.03
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カテゴリ: 日本映画
2 デュオ
諏訪敦彦

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寸評:こういう映画ばかりでは嫌になるだろうけれど良い映画。昨今のある種の映画に対するアンチテーゼの意味は大きい。

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諏訪敦彦監督の作品、ボクは 『H story』 、 『M/OTHER』 そしてこの『2 デュオ』と、製作と逆順に見てきた。諏訪監督の、構成台本だけでセリフは役者の即興に任せるという作品作りに最初のものだろうか。映画の中のカフェのシーンで圭が「結婚しようか」と言うのに対して優が「次のセリフは?」と問い、圭が「セリフなんかねえーよ、セリフなんかもう言わねえよ」と言うが、これが映画の作り方を暗示している。またカメラが主演の柳愛里や西島秀俊にインタビューするようなシーンが挿入されている。そこでは例えば監督が「圭から結婚しようと言われて、何も答えませんでしたが、何故ですか」と問い、優を演じる柳愛里が優として優が何をどう考えているかを問い、柳が柳として、また優として、それに答える。そういう形で基本設定だけを役者に与え、そこからの役作りやセリフは役者に委ねられ、映画の撮影が進行しているのだ。

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映画というのはフィクションなわけだが、特にヌヴェルヴァーグ以来、そう単純にフィクションとしては捉えられなくなってきた。役者は監督の思うがままに演技する操り人形ではないからだ。たとえしっかりと(セリフも)書かれた脚本があって、演技に対して監督の指示があったとしても、役作りをするのは役者であり、その役は演じる役者が自分の内部で捉えた役であり、そこには人間としての役者が表現される。配役を変えればもちろん作中人物は変わってしまうし、仮に瓜二つの一卵性双生児の2人の役者でも、どちらが演じるかで作中人物は変わってしまう。だから誰かが言ったように、映画というのは役を演じる役者のドキュメンタリーでしかないとも言えるのだ。その考えを押し進めれば、たとえばカップルの破局というこの映画にしても、そのような状況の中で「実際の人間としてのその役者」なら何を言い、どういう行動を取るかというのを、脚本の指示ではなく、本人にやらせる方が、ある種の深い人間の真実が表現されるということだ。

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それと関連して、最近の映画、あまり多くを見ているわけではないけれど特に多くの日本映画に感じるのは、役者の役作りの不足だ。その役がもっているはずの人間を役者が自分の中でしっかりと捉え、それに沿って演ずるということの不足、つまり役作りが浅過ぎるのだ。それがこの『2 デュオ』ではしっかりとしている。なまじ脚本に与えられた役がないから、役者は自分の全身全霊でその役を捉えて演じるしかないからだろう。

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いつからは明示されないけれど、一緒に暮らすハウスマヌカン(ちょっと表現が古い?)の優(柳愛里)と役者志望ながら上手くいっていない圭(西島秀俊)の関係が破局するまでの物語。一言にしてしまえば、ピーターパン症候群の圭とウェンディ症候群の優と要約できるかも知れない。しかしこれはかなり重要なことで、そのような役作りが決して脚本や監督の指示ではないことだ。すぐ上に書いた同棲カップルの状況を与えたら、少し補足するなら圭にはほとんど収入がないということだが、そうしたら役者の西島と柳がそういう役作りをしていたという事実である。それは必ずしも実人間西島や柳がピーターパンやウェンディであるという意味ではないが、その状況でこういう役作りを2人がしたということは、現代の日本の社会の反映だからだ。そういう意味で、ヘタクソなと言っては失礼だが、浅い出来のシナリオを元に映画を作るよりも深く現代の人々や社会の真実が現れてくる。

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『M/OTHER』 でも「結婚しようか」というセリフが役者から出てくる。日本人は結婚願望が強いが、実質的に自分たちがどういう2人であるかという本質よりも概念が勝った世界なのだ。

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社会学者のデュルケイムは『自殺論』の中で、自殺の原因は破産や失恋という個々の理由にあるのではなく、社会にあると言った。つまり同じ破産や失恋をしても自殺を簡単にする社会とそうでない社会があるということだ。そういう意味で捉えた社会、勝手にちょっと敷衍して社会の深層心理とも言えるかも知れないが、そういう目で捉えた社会を浮き彫りにするところが、諏訪監督の手法にはあるかも知れない。




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Last updated  2007.02.04 22:49:53
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