ラッコの映画生活

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2008.01.06
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カテゴリ: 日本映画
叫 (SAKEBI aka RECONTRIBUTION)

104min
(DISCASにてレンタル)

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1月3日の日記にも書きましたが、あまり見ていないながら 難解 とも言える黒沢映画の中では単純明解、実に解りやすいのではないでしょうか。相変わらず物語の脈絡に飛躍や不整合があって、また現実と非現実の区別が不明確ではあるけれど、とっても親切な筋運びだと思います。しかしそのぶん話が秘める深みが減じたようにも思います。彼の映画を見て「ちっとも恐くない」と不満を洩らす人もいるようですが、表面的にはホラー、サスペンス、スリラーの体裁はとっていて、そしてそれは事実なのだけれど、彼の映画のホラー性は表面的なホラーではなくむしろ心理的だし、ホラーと言ったときに我々が普通に想像するようなものではないですね。その裏に描かれる、なんと言うか 倫理的 とでも言ったものが、ボクにとっての黒沢映画の魅力です。そういう意味でこの映画も非常に面白いものでした。ただ深く見ると、あるいはもしかしたら元の映画の内容以上に発展させて見てしまうと、かなりの 重み のあるものなので、aire_rinoさんの日記にもコメントしたように、その時の自分の気分によっては近付くのを躊躇ってしまう場合もあります。こういう映画のレビューはネタバレしてしまってはいけないと思うのだけれど、でもネタバレしないと書きたいことも書けず難しいのですが、決定的なネタバレはしないように、そのため少し脱線や類考を交えながら、感想を書いてみたいと思います。

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東京の湾岸地区の埋め立て土地造成現場のような空地で、そこかしこは水たまり。そこで赤い服を着た若い女性が殺害される。海水の水たまりに顔を押し浸けての殺人だ。犯人の男性の顔は見えないが、遠景のショットでは役所広司演じる主人公の刑事吉岡のシルエットのように見える。そこには犯人の車であるらしい荷台がピックアップになったダットラのような小型トラック。主人公の吉岡刑事は自宅の古いアパートの一室にいる。そこには恋人らしき春江(小西真奈美)のい姿も。二人はほとんど言葉を交わすこともなく、彼女は異様に無表情だ。何かに悩む、苦しむ吉岡をヒザに抱いて優しく撫でる。そしてまた地震。この辺の論理は解らないが、埋め立てで、あるいは近付く大地震の前触れだか、液状化現象とかで、かなりの揺れの地震が頻発しているらしい。近代文明のなれの果ての終末論的イメージか(?)。春江は「帰る、また。」と言って去っていく。普通にリアリティーがあって、別に非現実的な映像があるわけではないのだけれど、既に黒沢映画の独特な雰囲気だ。吉岡を含む警察は現場を捜査し、吉岡は事件を担当することに。しかしそこで彼が発見したボタンは自分のコートのボタンと同じであり、家に帰って調べるとボタンが取れて一つない。また女性の死体の爪からは吉岡の指紋が検出される。自分は犯人なのか(?)。身元不明でF18号と名付けられた被害者の女性に吉岡は見覚えはなかった。思い出そうとするが出来ない。様子や行動がおかしいこともあって同僚の宮地刑事も不審の目を向ける。

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この映画の原題はもちろん『叫』なのだけれど、欧米での公開タイトルは『RETRIBUTION』。報いとか罰とかいう意味だ。捕まった医師は息子殺害の動機を語る。息子は中学までは良い子だったけれど、高校生になって不良化して手に負えなくなった。それは自分の子育ての失敗だ。その責任を取るためにすべてを無かった状態に戻そうとした、と。何がマトモかという価値観には触れないとして、マトモでない一人の人間(息子)を存在させてしまった事実は取りかえしがつかない。これは親子という非常に近しい関係だけれど、我々は近くの他者、顔も見たことのない遠くの他者、そういう人々と否応無しに関係を持たされている。仮に悪気のない行為だとしても、その行為が他者に結果する責任とは何なのか。国内生産ならば300円するものを我々は安い中国製を百均ショップで買い、200円の節約は我々の生活を豊かにする。しかしこれは安い労働力の中国人を搾取していることに他ならない。それによって倒産に追い込まれる国内の製造業の人々もいる。街ですれ違い様に何の気なしに冷たい、あるいは好奇の視線を送った見知らぬ人にだって我々は影響を与えている。オウムの麻原の死刑判決を人々はいとも簡単に当然とするけれど、松本智津夫を麻原彰晃にしてしまったことの周囲の人々の責任は何か。社会の責任は何か。その社会を構成して動かしているのは我々一人一人でもある。話がかなり飛躍してしまった感もあるだろうが、本質は同じだ。そしてもう一つ。我々は殺人犯は殺人犯として悪者、自分(やその他一般)は犯罪を犯さない善人と簡単に2分してしまっていないか。この2者は実は本質的な差などない同じような人間ではないのか。その同じような人間が状況や偶然で犯罪を犯すのではないかという疑問の提示もあるような気がする。

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役所広司はボクはどちらかと言うと苦手なのだけれど、今回のヒゲ面のむさ苦しい雰囲気は良かった。スッキリとした姿よりも雰囲気があって良いのではないだろうか。小西真奈美も無表情な中に母性的優しさのようなものを上手く演じていた。精神科医のオダギリジョーはやはり薄っぺらでボクは駄目ですね。この映画でボクが感じる問題は、そこが一種のコミカルで、監督の意図なのかも知れないけれど、葉月里緒奈演じる赤い服の幽霊が笑えてしまう。窓から飛んでいくCGとか、最後の方の洗面器のシーンとか。洗面器のシーンなんかは『カリスマ』では洞口依子が刺されるシーンなんかと同じで、ある種の映像を映画的にやってみたいという監督の好みかも知れないのだけれど(この洗面器のシーンは別のホラー映画でもっと違った文脈の中で見せられたら恐いかも知れないが、この映画ではむしろ笑ってしまう)。全体の質感が、独特の不思議な雰囲気はあるもののリアリティーのあるものだから、妙な不自然な場面を入れることがない方が重厚で良い作品になるような気がしてならない。最後の方で吉岡が春江を抱きしめているシーンも、吉岡の主観による映像と映画の語りの客観による映像がカメラの切り返しで解りやすく描かれてはいたが、どちらか一方で良いと思った。

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(もう少しネタバレして書いてしまえば) かつてフェリーから吉岡も見ていた赤い服の女の幽霊。吉岡も医師もF18号の犯人もその幽霊に直接は関係も責任もないのだろうけれど、自分で消化し切れない過去の過ちや責任を象徴するものなのだろう。そして幽霊が吉岡を許したように、忘れ去ろうとするのではなく自分の罪は罪として意識して、真摯にそういう罪を犯さずに努力することしか我々人間には出来ないのだ。人は常に他者に対して多かれ少なかれの責任を負って生きているということだ。

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Last updated  2008.01.08 03:35:37
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